資料2 教員養成部会 (第37回) 議事概要(案)

1.日時

 平成17年10月21日(金曜日) 13時~14時35分

2.場所

 如水会館 2階 「スターホール」

3.出席者

 梶田部会長、安彦委員、天笠委員、大橋委員、門川委員、川並委員、郷委員、佐々木委員、高倉委員、田村委員、渡久山委員、西嶋委員、野村委員、平出委員、北條委員、八尾坂委員、山極委員、鷲山委員

文部科学省関係者

 近藤文部科学審議官、銭谷初等中等教育局長、樋口政策評価審議官、板東審議官、山中審議官、徳永審議官、戸渡教職員課長、浅田専門教育課長、勝野視学官 他

4.議事

 事務局から配付資料の説明の後、中間報告のとりまとめに向けて、自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。

委員
 専門職大学院ワーキンググループは、7月26日の審議経過報告によりワーキンググループとしての役割を終えていたが、その後、教職大学院のモデルカリキュラムつくり等、詳細の課題を検討する必要性があったため、再開してもらっている。次回以降、ワーキンググループの主査出席の際に、その後の検討状況について、報告していただきたい。

委員
 資料7‐2の柱立てについては、この方向で良い。資料7‐1にある「4:改革の具体的方策」の(1)~(6)についても異論はないが、全体として動き始めた時に、相互に連動して、各論で目指したものが成果としてきちんと現れるかが課題である。具体的には、例えば、教職大学院の発想や取組には、それなりの意義があるが、教職大学院を充実させるほど、学部教育が衰退する懸念もあることから、学部教育との関係をどう考えれば良いのかが問題となる。教員養成は、学部教育がしっかりしていないと、その先の手立ても崩れていくので、その点では、教職大学院について学部教育との関係での位置付けや運用の仕方、条件整備を考えなければいけない。両ワーキンググループの報告を、改めて部会で検討する必要があるし、今のような課題を詰めていくことが重要となる。「教職実践演習(仮称)」を充実させていくことと、教職大学院を設置して機能させていくことを、どのように相互に関連させ、相互に成果が得られる形にしていくかについて、考え方や運用の在り方を詰めていかなければいけない。この柱立てだけでは、その辺りのことが浮かび上がってこないので、「(6)改革の円滑な実施のために」に記載することも考えられるが、どのようにすれば、相互に関連させ、成果が得られる形になるのかがポイントである。改めて、教員養成・免許制度の改革の全体像や具体像をきちんと描いて、各取組がそれぞれに位置付けられて、改革が行われていくことを示す必要がある。

委員
 学部教育、教職課程の充実が基盤になる。その場合に、教職大学院が学部教育や教職課程の改善を促す起爆剤になり、教職大学院の充実が、教員養成そのものを変えていくという流れの中で、学部教育と教職大学院を捉えていくことが必要である。教員養成の質的な充実を基盤にして、教員となった後も、必要な資質を保証し、10年ごとにリニューアルしていくというつながりを意識していけば、良い改革ができるのではないか。

委員
 大学院レベルでの教員養成については、望ましい方向であるが、報告書では、大学における教員養成と開放制の原則は守るという表現になっている。現状では、開放制の原則の下で、大学における教員養成を行っているにも関わらず、現在の社会は教員免許の質に対して満足しておらず、1つ高いレベルのものを求めているという受け止めが欲しい。その求めに対して、教職大学院が応えるという論理の組み方を検討してもらいたい。教職大学院について、安易に設置しようとする大学が出てくると、何のために努力して準備しているかが認められなくなるため、設置基準は厳しくし、設置審査をきちんと行ってもらいたい。資料7‐2の、1.2.「これからの社会と教員に求められる資質能力」の中に、学校、教員として責任を持つべきところは持つが、それ以外については、保護者や地域がそれぞれ責任を持つべきだという観点を入れて欲しい。その上で、教員として求められている責任に応えられる資質を育てるとする視点を入れる必要があり、単に過度の要求や期待がかけられていると指摘するだけでは不十分である。子どもは教育を教員だけに求めているのではなく、親や大人一般にも求めており、その求めに応えられなかった時の子どもの寂しさは大きいもので、子どもの問題行動の例には、そのようなケースも多い。その意味で、子どもの側の視点で、大人に求められている教育の責任を果たすべきだとする問題提起が入っていないと、ますます少子化が進むのではないか。

委員
 資料7‐1の「4:改革の具体的方策」で、教職課程の質的水準の向上、教員養成分野における専門職大学院の活用、教員免許更新制の導入が挙げられているが、これが、独立に動いてはならず、根幹でつながっていることを打ち出さなければいけない。教職が高度な専門職であることを冒頭から述べ、それを土台にして、開放制の原則の下に教員養成を行われているものの、開放制とは、誰でも教壇に立てるという安易な意味ではないことを示す必要がある。開放制は、誰もが教員免許取得にアクセスでき、教員免許を取得すれば、きちんと教壇に立てることであって、教員免許が中核に据えられている。したがって、免許取得のアクセス方法は開かれているが、免許を取得する課程は高度専門職を育てる課程であり、きちんとした内容がなければならない。そのため、モデルカリキュラムの開発研究や、教職指導の充実、「教職実践演習(仮称)」の新設等が検討されているので、内容がきちんとしていなければならない。免許取得後は、取得した免許を生かして教壇に立つのであれば、きちんとした資質が保証されるということである。開放制の理念は、中間まとめのいずれかの部分で示す必要がある。教職課程の質的充実の延長線上に教職大学院があり、教職大学院が創設されることで、学部レベルの教職課程にも良い影響を与え、同時に現職研修にも活用され、それが免許更新制ともつながり、リニューアルしていくことが求められるのである。教員免許を取得したまま、リニューアルする努力もせず、定年まで過ごすというのは、高度専門職である教員には許されず、そのため、免許更新制や学部教育の充実、教職大学院の活用等が連動してくるというようにつながらなければならないので、中間報告には、その趣旨が入るようにしたい。

委員
 高度の専門性を要求しているなら、なぜ教職大学院に免許を取得していない者も入れなければならないのか。より高度の専門性を要求するのであれば、既設の大学院と区別するべきで、そのような特色を持たせなければ、同じになってしまうため、そこを明確にした方が制度が生きる。

委員
 教職大学院の入学者は、大半が現職教員と想定されるため、教員免許の取得者が多くを占めることになる。しかし、様々な社会経験をした者や、教員養成学部以外の修了者にも、教壇に立てる道を高度な形で準備しようということである。

委員
 既設の大学院に3年間の修了課程があることを否定するのではなくて、既設の大学院の他に、教職大学院を創設するのであれば、免許取得者しか入学できないという差別化を行っても良いのではないか。

委員
 既設の大学院よりも、教職大学院で新たに免許を取得し、修了する方が、よりハードルが高い。教職大学院で免許を取得するためには、既設の大学院の教職課程と同じ科目で取得できるわけではなく、内容としても高度なものが求められている。多くの国では、高度専門職と言われている医師や法曹になる場合、どの学部を修了しても良く、メディカルスクールやロースクールと呼ばれる大学院で、3年程度の課程を修了する形で養成が行われている。教職大学院の入学対象者の一部として、他学部出身者や社会人経験者を受け入れることは、バックグラウンドが多様になることからも、これから時代に望ましいのではないか。既設の大学院に教員養成プログラムを付加するのとは違い、内容の組み立てが大きく異なっている。

委員
 学校はどのような機能を果たす場なのか、教員の役割は何かをもう少し明記したり、開放制の意義だけでなく、それが持つ今日的な問題も明記した方が良いのではないか。また、資料7‐1の4(2)で、教員養成分野における専門職大学院の活用という文言がいきなり出てくると、唐突な印象を受けるので、具体的な制度設計にすぐ入るのではなく、その前に、なぜその制度を組み入れるのかという、論理の組み立てが必要である。その論理が入ることで、教職課程の質的水準の向上と相補う形で、内容が明らかになってくる。入学対象者については、制限しないという考え方で一貫しており、対象を絞るか絞らないかは、教職大学院が独自に考えれば良いことである。

委員
 全体のとりまとめの構成は資料の案で良い。審議経過報告のp.1の2の最後が、「学校や教員に過度の期待が寄せられている」との表現で終わっているが、親や地域の代わりを、学校や教員が果たすことはできないので、これは家庭が、地域がやるべきことであると言う力が必要ではないか。だからこそ、学校が、家庭・地域の教育力を高めていくプログラムを持たなければならないし、その仕組みをつくらなければならないが、同時に、家庭・地域には、学校の教育力を高めていく協力をしてもらわなければならない。それが参画という意味であり、ボランティアも含めて、双方向の関係をつくることが求められているので、その辺りがもう少しわかるようにして欲しい。学校とは本来、教育活動、知的な訓練をするのが基本であり、躾までの全てを押し付けられている現状に迎合してはならない。

委員
 項目だけを見ると、脈略がないような感じがするので、例えば、1と2のそれぞれの冒頭に、つながりを踏まえた各項目の趣旨や狙いを入れれば、一般国民も理解できるのではないか。

委員
 資料7‐2の「6.改革の円滑な実施のために」は、例えば、更新講習の在り方や、教育委員会と大学の連携についての問題が出てきているので、それらについていくつかの項目を起こし、実際に円滑に実施するための具体的・積極的に努力すべき課題を示してはどうか。教育実習の問題は大きいので、2.1.(1)で触れられるのだろうが、2.「4.教員養成・免許制度に関するその他の改善方策」でも、強調したらどうか。つまり、教員養成や免許制度に関わるいくつかの課題を、ここに具体的に記述したらどうか。また、教職大学院のカリキュラムは、教員養成学部出身者と他学部出身者で全く同じであれば、学部段階の教職課程は何だったのかとなる。高度なカリキュラムを用意するのであれば、他学部出身者には、教員養成学部の教職課程にプラスして高度なカリキュラムを課していくのか。現職教員が教職大学院に入りやすい工夫がなされていることは評価するが、教職大学院に研修に出た際、同じ職場に復職できる保障、研修等定員を増やす措置、研修費用の負担等も検討してもらいたい。専修免許状やM.Ed(修士レベル)を取得して現場に戻った時の処遇の問題は、明確にしておく必要がある。自己負担して学んだにもかかわらず、何のメリットもなければ意味がなく、充実した研修にはならない。

事務局
 専門職大学院ワーキンググループの審議経過報告のとりまとめの際も議論があって、資料6のp.16で、修了者の処遇について、色々な経緯を踏まえながら、この程度の表現にとどめることで整理している。現在、教員には、大学院修学休業制度があり、また、派遣ではなく教員個人の判断で修学する場合でも、教育公務員特例法等で身分は保障されている。

委員
 研修等定員は、小・中・高等学校で約2,000人程度の枠があるが、給与の半分は都道府県が負担しなければいけないため、実際の措置は、約1,200人前後とのことである。例えば、大阪府では、財政負担が重いため、研修等定員の要求は3~4年前から行われていないが、兵庫県では、兵庫教育大学だけで、毎年50人程度派遣されており、全体で約100人以上措置されていると推測されるが、都道府県によって格差がある。現在は、休職して無給で大学院へ修学する者も増えてきている。教職大学院は、学校現場で勤務しながら、休日や夜間、長期休業期間を利用して修学する形を検討しなければならない。これから、義務教育費国庫負担金が税源移譲されると、研修定数枠を国が措置していても、1年目は良くても2年目以降、地方自治体の財源不足により派遣教員が大幅に減るのは目に見えているので、そのような修学形式が一般的になるのではないか。研修制度は一層充実させる必要があるので、どの程度記述できるかわからないが、中間報告に何らかの形で触れたい。

委員
 資料6のp.16「5初任者研修等との関係」に関して、専門職大学院ワーキンググループの下に置かれた作業班が、初任者研修の全部又は一部について免除できる内容のものを、教職大学院での学校における実習の科目の中で扱うことができるのかを検討している。

委員
 教職大学院の創設を前提に、スクールリーダーの養成コースの修了者の処遇について、いくつかの県で管理職試験の一次試験を免除する案がある等、色々と検討は行われている。しかし、教職大学院修了者の処遇は、任命権者の権限なので、中間報告には明示していないが、処遇案の検討が進んでいる県の事例を示すことで、インセンティブを与えられるかもしれない。

委員
 教職大学院は、新しい学校づくりの有力な一員となり得る新人教員の養成が期待されるとのことだが、ここで言う人材は、教員養成全般にわたり、いかなるレベルの教員養成においても必要なことであるので、その人材を大学院で養成するならば、今後の教員養成を6年制で行うのか、4年制+2年制で行うのか、方向性を示す必要があり、それがなければ、有力な新人教員を教職大学院で養成する説得力がなくなる。今後の改革の方向性を論ずる中で、修業年限の問題について、方向性を示しておくべきではないか。教職大学院の創設は、既存の修士課程に対する注文でもあるので、審議経過報告で若干の記載はあるが、既存の修士課程に対し、何を求めるのかを明確に打ち出すべき。また、「教職実践演習(仮称)」の新設によって、教職大学院がどのような影響を受けるのかを整理する必要がある。教員免許とは、教員として最小限必要な資質能力を担保するものであるから、免許状授与時や更新時においても、同じく求められるのであり、また、教員は大学で養成するわけだから、大学が授与時も更新時も、教育内容・方法に責任を持って対応する形になる。現行制度を見ると、授与時においては、どの科目をどの程度履修するかは規定があるものの、具体的内容や方法は、大学の判断に任されているから、更新講習についても、どのようなものを行うかは国が規定すべきだが、内容や実施方法については、各大学の判断に任せるべきではないか。「教職実践演習(仮称)」を、新たな科目群として設けることは賛成だが、例えば、教職の意義等に関する科目や教育実習は、教職専門と教科専門をそれぞれ担当する教員が協同で担当することが相応しく、新たな科目群に移した方が良いのではないか。現行の教員養成の問題点は、教科専門の教員が、専門性に偏した授業を行い、学校現場が抱える課題に十分に対応しておらず、それが教科専門の教員が持つ限界であることを踏まえて、教科専門の教員が教職専門の教員と一緒になって、授業にあたるような科目群として設定できないか。このことを通じて、教職課程に関わる教員全体の協同関係をつくり上げることを企図したい。「6.改革の円滑な実施のために」に関連して、現在、大学における教員養成の位置付けが問題となっている。先端的な学問分野に重点的な学内投資等が集中しがちであるため、基礎科学の学問分野に不安を覚えている。我が国における大学教育全体の中で、教員養成は重要であるという視点を、明確に打ち出していく必要がある。今まで、教員養成・免許制度の枠内だけで重要性を謳っていたが、大学教育全体の中で、あるいは我が国の学問分野全体の中で、教員養成は大事であることを訴えなければならない。そうでなければ、教員養成が軽視されたり、教職大学院を設置しようとしても、設置できなくなる懸念がある。

委員
 既存の大学院の問題については、中間報告において、教養審第二次答申の位置付けを明確にしておかなければならない。これまで、他学部でも行われているような、学校現場の実践に関係のない内容を学んでも、大学院で専修免許状を取得できることについて批判されてきたが、第二次答申で指摘された問題点を克服しないまま、専門職大学院制度の活用案が出てきたことは問題である。既設の大学院の問題点については、資料6のp.2に触れられているが、どのような形になれば、最も相応しい修士課程となるのかを検討し、それと対比させながら、教職大学院がどのように質が違うのかを示さなければならない。そうでなければ、どんなに良い教職大学院を創設しても、既存の修士課程をそのままにしていたのでは、我々が追求してきたものの一部が欠陥を持ったまま進むこととなる。

委員
 教職大学院では研究者を育てないのか。研究者を育てるなら、将来は5年の博士課程があっても良いのではないか。既存の大学院における教員養成の改革を求めても、それがなされないのは、教員養成学部の上の大学院の内容が、他学部の上の大学院の内容と同質になっており、現場の教育実践と乖離しているからである。その意味で、一般大学の修士課程と、新教育大学の修士課程、教職大学院の修士課程がどのように違うのかを考え、既存の大学院をより専科的に考えていくとすれば、教職大学院でも博士課程をつくり、教育学の専門的な研究者を生み出すことは、我が国の教員養成にとって重要ではないか。米国で見た例によると、高校の校長が博士号を持った研究者だったが、高校教育に直接関係しないものの、権威もあり、自校の経営に自信を持っていたことから考えると、より実利的な大学院の在り方を検討されたい。

事務局
 専門職大学院であるため、高度専門職業人の養成に特化している。ここから、結果的に研究者が輩出されることは考えられるが、専門職大学院は、基本的に教育機能を重視している。一般の大学院は、教育と研究を並行で行っており、具体的に大学院としてどのような人材を養成し、どのような形で研究活動を展開してかは、個々の大学院に委ねられている。教員養成学部以外の学部の上にある修士課程と、教員養成学部の上にある教育学研究科とは全く異なり、教職課程が機能しているかどうかの問題はあるが、修士課程そのものの在り方について、指摘することはできない。それは、課程認定の審査の中で、教職課程としての実質が備わっているかどうかを確認するしかない。教員養成学部の上にある修士課程はどうあるべきかであるが、既存の教育学研究科は教育と研究を両方行っており、研究者養成機能を持っている。その中で、人材養成部分については、教職大学院に移行する動きと、従来型の大学院を残す動き、あるいは全てを教職大学院に移行する動きがあるが、それは大学自身の判断である。いずれにしても、教員養成学部の上にある修士課程は、元々教員養成という大きな機能があるので、それらの問題点については、資料7‐1にあるように、特に修士課程にこれらの課題があるという表現で指摘をしている。教員養成学部の上の教育学研究科については、本部会での議論を踏まえて、一定の改善の方向を示さなければいけないが、そのことと課程認定を受けている一般の研究科は、取扱いが違うことを理解していただきたい。

委員
 教職大学院の創設が、学部や既設の大学院も含めた大学全体に影響を与えるという趣旨を持ち込むことで、全部が良くならなければならないので、そのニュアンスは出していきたい。米国のEd.D(博士レベル)のようなものを我が国でも取得できるようにすべきだから、修士レベルの教職大学院が創設されたら、博士レベルも創設されるのではないか。米国のように、現職教員が学校を離れず、長期休業期間中や夜間、土・日を利用して学修を積み重ねることによって、Ed.Dが取得できるような環境整備も考えなければならない。今、問題になっているのは、制度改正をしても改善されないことであるが、人を入れ替えなければ、改善されないのである。教職大学院の創設で期待しているのは、実務経験者を4割以上入れなければならず、設置を検討している大学は、必然的に、教員の配置を工夫し、場合によっては大幅な入れ替えをしなければならない。制度の問題ではなく、誰が教員養成を担当するかが問題であり、各大学のリーダーシップや構成員間の話し合いによって、決まってくるだろう。

委員
 資料7‐2の4「(6)改革の円滑な実施のために」は、重要な部分であり、この部分にきちんとした内容を書き込むことが大事である。(1)~(5)に具体的方策が記述されるはずだが、(6)では、それをどのように目標達成のために具体化していくのか方策を記述すべきである。具体的方策については、例えば、教職大学院を設置する場合の学部教育との連携を、どのような形で具体的に行っていくのかといった基本的な留意点等を示しつつ、戦略から戦術にかけての配慮や条件整備について、整理して記述すべきである。

委員
 教養審第三次答申時に提案されつつも、時期尚早で見送られた問題として、ドクターコースがある。東京学芸大学等を中心に、教科教育の研究者養成を目的としてドクターコースが開設されているが、ある時期までは教育研究者養成の機関であり、その後、高度の専門的職業人を育成する機能も入ってきた。ドクターコース=教育研究者養成ではないとされてきていることから、高度な専門的職業人養成のためのドクターコースがあっても良いのではないか。医師の世界では、開業医や勤務医、大学で医師教育を行っている者の区別なく、ドクターを取得しているのだから、教員の世界でも、幼・小・中学校の区別なくドクターを取得している者がいても良い。諸外国では、それが普通になっているので、我が国でも今後の課題として、ドクター取得の展望について記述すべきではないか。

委員
 教養審第三次答申に、「教員養成を担当する大学教員の養成のための大学院の充実」が指摘されていることから、今回の中間報告には、少し進んだ表現ができれば良い。兵庫教育大学もドクターコースがあり、研究者養成だけでなく、高校の現職教員が多く来ている。例えば、大阪の府立教育センターには、博士号を取得した理科や数学の指導主事がいるなど、既に一部ではドクターの取得が行われており、これを充実させても良いと思われるので、中間報告にどのように記述するかは検討していきたい。

委員
 九州大学では、10年ほど前から社会人のために大学院に夜間開講の学校改善コースをつくり、指導者養成を行ってきた。小学校教員で、夜間の修士課程で修学し、その後一般の博士課程に進み、博士号を取得した上、公募により、国立大学の教員として招かれた者もいる。いずれは、実践的研究者の要素もある実務家教員が、大学で修学できるようなシステムの中で、博士課程も考えていければ良いのではないか。

委員
 教職大学院も、その延長としての博士課程も、大学に通うという旧来の修学方法だけでは難しく、夜間の大学院等も充実させなければならない。兵庫教育大学でも、現職教員が教壇に立ちながら、論文で博士号を取得する者が増えてきており、その中から国立大学の教授になる者も出てきた。指導主事や校長、教育長が博士号を取得しても良いが、それ以外にも、現場にいながら修士号や博士号を取得する者が増えていくべきであるので、中間報告に盛り込みたい。

5.閉会

お問合せ先

初等中等教育局教職員課

-- 登録:平成21年以前 --