生涯学習分科会(第97回) 議事録

1.日時

平成30年9月25日(火曜日)13時30分~16時00分

2.場所

文部科学省3階 3F1特別会議室(東京都千代田区霞が関3-2-2)

3.議題

  1. 人口減少時代の新しい地域づくりに向けた社会教育の振興方策について
  2. その他

4.議事録

【明石分科会長】 
 定刻となりましたので,ただいまから中央教育審議会生涯学習分科会(第97回)を開催いたします。本日は,お忙しいところお集まりいただきまして,誠にありがとうございます。
 本日は,人口減少時代の新しい地域づくりに向けた社会教育の振興方策について,これまでの議論に引き続きまして,年末の答申に向けた意見交換を行っていただきたいと思います。
 なお,本日も報道関係者より会議の全体について撮影・録音を行いたい旨の申出があり,許可しておりますので,御承知おきください。
 まず,議事に入る前に,配付資料の確認を事務局よりお願いいたします。

【菅野生涯学習推進課課長補佐】 
 配付資料につきましては,議事次第にございますとおりでございます。議事次第,座席表のほか,資料は1-1,1-2,1-3と入ってございます。その後資料2といたしまして,菊川先生から頂きました資料を添付しております。また,参考資料については,参考資料1,2,3となっております。
 本日,先日書面で委員の皆様に御審議を頂いておりました認定社会通信教育の認定につきまして答申を頂きましたので,参考資料1として改めて書面でも配付をさせていただいております。皆様,御協力ありがとうございました。
 また,参考資料の2番に関しましては,生涯学習政策局の方で有識者会議ということで,学校卒業後における障害者の学びの推進に関する有識者会議,こちらを開催しておりますけれども,そちらの会議で論点整理ということでまとめられたということでございますので,参考資料2として配付させていただきます。また後ほどこれに関しては御覧いただければと思います。
 また,机上に配付しておりますタブレット端末に,これまでの分科会とワーキンググループでの配付資料のほか,参考となります資料を格納させていただいておりますので,御参照ください。
 過不足等ございましたら,事務局までお申し付けください。

【明石分科会長】 
 では早速,議題1,「人口減少時代の新しい地域づくりに向けた社会教育の振興方策について」に入りたいと思います。
 本日は,これまでに引き続きまして,年末の答申に向けて議論を行いたいと思います。前回の分科会で,私の方から論点の一つとして示しておりましたが,今後,答申においても基本的な考え方を作るための部分といたしまして,地域における社会教育の方向性と社会教育の独自性,固有性について,重点的に議論をいただければと思っております。
 事務方で資料を作成しておりますので,御説明を伺った上で自由討議を行いたいと思っております。では,事務局より御説明お願いいたします。では,課長の方から。

【中野社会教育課長】  失礼いたします。お手元に資料1-1,1-2,1-3を御用意しております。まず1-1でございますが,前回,答申に向けてのイメージということでお示ししたものを基本にしておりますけれども,全体像でございます。全体のイメージ案でございますけれども,大きな構成は前回と変えておりませんけれども,1-1,1ページ目に第1部として,今後の地域における社会教育の在り方。そして,2ページ目に,今後の社会教育施設の在り方ということで,第2部につきましては,所管の在り方ということで,既に審議をまとめを頂いておりますので,そこを中心にしております。
 1部の方ですけれども,1ページ目にお戻りいただいて,1部の中で,第1章,第2章という構成にしてございます。まず第1章が地域における社会教育の方向性ということで,いま分科会長からございましたけれども,その方向性とか,とりわけ社会教育の独自性,固有性という部分について,地域づくりに社会教育がいかに重要であるかといった基本の部分になりますので,ここの総論の部分を本日,重点的に御審議いただければと思っております。
 そのために資料1-3に,「社会教育」を基盤とした,人づくり・つながりづくり・地域づくりのイメージ(案)というものをお示ししております。こちらと,あと,1-2の方は,1-1の骨組みのそれぞれの項目のこれまでの議論の整理でございますけれども,この総論部分については,1-2も御紹介をさせていただければと思います。したがいまして,1-3をまず置いていただきながら,1-2も御覧いただきたいと思っております。
 まず1-3で,全体像でございますけれども,前回,「社会教育」を基盤とした,人づくり・つながりづくり・地域づくりということでございましたが,いろいろな分野の行政で,地域づくり,住民参画の地域づくりと言われている中で,社会教育の固有性はどういう部分なのかという御議論もございましたので,人づくり・つながりづくり,それが基盤となって地域づくりになっているというものをイメージとして示してございます。
 まず上の人づくりの箱ですけれども,元気な暮らし,安全な暮らし,子育て,趣味・教養の充実,職業的・社会的課題への対応,生きがいづくりなど,個人の問題意識や関心に応じた学びということで,こういった個人の自発的な「学び」の場を提供するというのが社会教育ということで,これによって地域の人づくりに社会教育が貢献しているわけですけれども,その個人の成長というところにとどまらず,個人の成長による幸福感が地域の活力の基盤にもなっているということでございます。
 そして,左側のつながりづくりのところですけれども,社会教育,個人の学習ということではなくて,組織的な教育ということで,とりわけ地域において住民が共に学ぶというプロセスの中で,個人の学びが深まるということもございますけれども,対話や議論により,住民のつながり意識や,相互承認の関係が構築されるといったことが,とりわけ地域での社会教育のポイントではなかろうかということで,こういった社会教育におけるつながりづくりが地域コミュニティの基盤を形成しているのではないかということでございます。
 そして,右下の地域づくりのところですけれども,二つ目のポツにありますように,人口減少,高齢化等に起因する様々な地域課題の解決に,住民が主体的に取り組むことで,持続可能な地域づくりをしていくといったことが言われているわけですけれども,一つ前の,一番上のポツ,人づくり,つながりづくりですね。住民の学びたいという欲求,自発的な学びですとか,住民相互のつながり,承認を得る中で,そういった地域づくりについても主体的に参加する気持ちが出てくると,そういった地域への帰属意識ですとか,個人の関心,課題への延長としての地域課題といったことで,主体的に参画するという気持ちが重要になってくるということでございます。
 そして,地域づくりの3ポツ目ですけれども,前回も御議論いただきましたが,そういった地域づくりに,一部の意欲のある方が,形だけ社会参画するということではなくて,全ての住民が参画する。孤立することなく社会参加できるような社会的包摂の視点が重要であるということを表現してございます。
 これらをまとめまして,この人口減少時代において,今こそ「社会教育」を基盤とした,人づくり・つながりづくり・地域づくりが重要であるということで,少し繰り返しになりますが,「学び」の場での住民相互のつながりの中で,個人の自立と成長,主体的な参画による地域課題の解決が進展することが期待されますし,「学び」の場への住民の主体的参画は,個人の幸せだけでなく,活力ある魅力的な地域づくりにもつながるものとしております。
 これが全体の大ざっぱな話でして,それについて少しまとめましたのが,資料1-2ですので,そちらも簡単に御紹介させていただければと思います。これは全体についての議論の整理(案)でございますが,その中の1部,1章のところでございます。1ページ目,1ポツで,社会教育の意義と役割の再確認としておりますけれども,人口減少社会において社会教育が,ならではということで,地域づくりに貢献するということについて,まずその意義と役割を再確認することが必要ではないかということでございます。
 四角に囲んでおりまして,黒いひし形を付けているのが,その以下の文章のポイントでございますけれども,社会教育は,住民の自主性・自発性を前提とした,主体的な学びを基本とするものであると。住民が学習のプロセスを通じて相互のつながりや相互承認の関係を構築することにより,住民の地域づくりへの意欲を育み,地域コミュニティの基盤を形成するものであるとしております。
 以下,丸で書いておりますけれども,最初の丸は,社会教育法の確認をした上で,下から2行目ですが,社会教育は,住民の自主性・自発性を前提とした,主体的な学びを基本とするものであるということを確認しております。
 そして,二つ目の丸は,住民の主体的な学びは,先ほどのポンチ絵にもありましたけれども,個人の問題意識や関心に基づいて行われるものであり,その学びの過程を通じて,個人の成長や自己実現をもたらすものであると。そういった意味で,人づくりをしていると。住民が主体的に「学び」の場に参画することは,個人の生涯にわたる幸せにつながるだけでなく,前向きな地域の活力を生むものでもあるとしております。
 それから,3番目の丸ですけれども,人々がつながり,日々新たな経験を重ねる機会があること自体,前向きな地域の活力を生むものであり,社会教育における「学び」の場では,住民が学びを通じたつながりの輪の中で,同様の悩みや類似の関心を持つ者同士の助け合い,異なる意見を持つ他者との対話や議論が生まれ,これにより,つながり意識や相互承認による自己肯定感を醸成し,住民同士の絆を強め,考えの幅を広げ成長する機会を得るなどの役割を果たす。つながりづくりの役割を果たすものでございます。
 それから,1ページ最後の丸ですけれども,こういったつながり,相互承認の関係が,生き生きとした地域コミュニティを形成し,地域における様々な課題の解決に向けた活動に取り組む上での基盤を形成するとしております。
 繰り返しになりますが,学びによる相互承認,自らが地域に位置付いているという肯定感を得ることにより,地域に対する愛着と誇り,帰属意識が育まれ,自ら地域をよりよくする活動へ参画したいという意識の醸成にもつながる。人づくりや社会づくりは,人口減少や高齢化など地域が直面する様々な困難な状況の中で,住民が主体的に課題を発見し共有し解決していく「地域づくり」の基盤となるものであるとしております。
 このように社会教育は,個人と地域社会双方の成長に重要な意義と役割を持つと。それを結ぶのが「学び」の場での住民相互の「つながり」であり,その中で,個人の自立と成長,主体的な参画による地域の課題解決が進展することが期待される。住民が自主的に,地域社会の中で学び,活動することのできる環境を整備することにより,人々の暮らしと地域社会を更に豊かなものとすることができるものと考えるとしております。
 そういった社会教育の意義と役割を再確認した上で,2ポツでございますが,社会教育における地域課題への取組でございます。
 全体のポイントといたしまして,社会の変化の中,住民参画による地域課題解決の必要性が指摘されている。地域課題解決に取り組む際には,人々が自ら課題に取り組みたいという主体性を育むことが重要である。人々が自己の成長や自己実現のために主体的に他者と学ぶことや活動することは,他者とのつながりや承認を得ながら,地域づくりに寄与する活動につながる。
 二つ目のひし形ですけれども,「『社会教育』を基盤とした,人づくり・つながりづくり・地域づくり」を今後の基本的な方向性として,地域の持続的な維持発展に寄与することが求められるということでございます。
 少し詳細になりますけれども,一つ目の丸のところでは,戦後の公民館を中心とした社会教育におきまして,地域住民の学習や住民同士の交流の場であるとともに,公民館は日常生活に密着した課題の解決機能も果たしており,住民自治の場としても位置付けられていたということでございます。
 その後の様々な変化によって,人々は地域において,つながりや相互承認関係を作る機会を得ることが減っていったと,歴史的な振り返りでございます。しかしながら,2ページの最後の丸ですけれども,昨今の社会情勢の急激な変化を踏まえて,再び地域におけるつながりが必要とされ,そのつながりを基盤とした地域づくりが求められていると。更にまた人生100年時代ということで,人々は,職域内でのつながりだけではなく,地域内での居場所が必要となっているということで,地域における社会教育を通じたつながりづくりが有効に求められているということでございます。
 一つ飛ばしまして,3ページ目,二つ目の丸ですけれども,多様で複雑化した課題を解決しつつ,地域づくりを進めるためには,行政がサービスの提供者,住民がその享受者という二分論の役割分担によるのではなく,住民自らが担い手として主体的に関わっていくことがこれまで以上に求められております。
 この点が社会教育の強みが発揮されるということで,先ほどの役割のところでも述べましたように,地域における課題の解決には,住民のつながりの中で自ら取り組もうとする人々の主体性が基盤となることが重要としております。
 次の丸ですけれども,地域住民が地域コミュニティの中で将来像や在り方を共有し,その実現のために主体的に解決すべき地域課題とその対応について学習し,その成果を地域づくりの実践につなげる学びは,社会教育の概念に包含されるものであるということで,社会教育を基盤として地域課題の解決に取り組むことにより,まちづくり,健康,福祉,防災等の多様な地域課題に対して,持続可能な地域づくりにつながることが期待されると言っております。
 最後の丸ですけれども,地方公共団体の中には,公民館が中心となって,まちづくり計画を策定し,地域住民の間で共有を図るとともに,住民が主体となって計画の実現に向けて取り組んでいるという例がありますけれども,この分科会でもいろいろな事例を御紹介いただきました。そこでは様々な団体を公民館がコーディネートして結び付けており,公民館と各団体,更に地域のまちづくり委員会とが一体となった,地域と密着した公民館活動によって,地域の活性化を実現していますと。
 そして,4ページの一つ目の丸ですが,こういった社会教育を基盤とした地域のつながりは,例えば大規模災害への対応においても効果を発揮するものであるということでございます。
 それから,その際ということですけれども,一部の意欲の高い住民だけではなく,全ての住民が地域社会の構成員として学びや地域づくりに参画できるよう,社会的包摂の視点が重要である。学びや活動に参加することの少ない層についても,関心を持ちやすい内容の学びを通じて地域のつながりを作り,地域づくりの主役の一人とすることで自己肯定感を感じることが重要である。全ての住民が孤立することなく参加できる社会のために,他者とのつながりや個人の生活の充実による幸福感を得ることが,地域社会の活性化にもつながると考えられるとしております。
 そして,最後に,以上の検討を踏まえると,今後の社会教育においては,「学び」による個人の成長と人々のつながりづくりを基盤とし,人々が主体的に地域課題の解決に取り組むことにより,持続可能な地域づくりにつながると考えられる。活力ある魅力的な地域が形成されることは,住民に幸福感をもたらし,さらなる学びや活動の参画につながることが期待される。これらを踏まえ,今後は,地域において,「社会教育」を基盤とした,人づくり・つながりづくり・地域づくりの好循環を目指すことが重要であるとしてございます。
 以上が総論部分でございまして,御議論いただければと思います。
 恐縮ですけれども,資料1-1にお戻りいただきまして,こういった総論,地域における社会教育の方向性を踏まえた主要な視点と具体的な方策というのが第2章でございます。こちらはこの1-1で御説明させていただきまして,1-2につきましては,必要に応じ,御参照いただければと思います。
 第2章の中は,1,2,3と分けておりまして,「学び」の場への地域住民の主体的な参画。多様な主体との連携・協働,3ポツが社会教育主事,社会教育士等の専門的人材の活用というふうに整理をしております。
 まず1ポツの「学び」の場への地域住民の主体的な参画のところですけれども,少し総論とも重なりますが,個人の生涯にわたる幸せにつながる学習機会を積極的に設けることが活力ある地域づくりの上でも重要。そして,住民の学びを通じたつながりの輪の中で,自主性を担保しつつ,地域課題に関する様々な考えや意見を交流する機会を設けることも重要であると。そういった社会教育の中で,地域の運営の在り方が,様々な団体や住民自身が主体的に参画し進めるものへと進化することも期待されると。
 そして,そういった「学び」の場への住民の主体的な参画については,前回の分科会でも世論調査のデータをお示しさせていただきましたが,その参画の障害となっている要因の解消が重要であると。例えばきっかけがないというようなところでございます。そして,住民参加型による地域コミュニティの将来像の構想,共有も有効であるとしております。
 最後の丸ですが,社会教育の積極的な参画が期待される若年層や,全ての住民が分け隔てなくその活動に参画する社会的包摂の観点に特に留意が必要としております。
 また,前回の分科会におきまして,様々なことが必要である,重要であるということで,具体的な策がなかなか見えにくいという御指摘がございまして,少し分けて書いてございます。また,更に御議論いただければと思いますけれども,今の丸で申し上げたような主要な視点を踏まえての具体的な方策でございます。地域住民の主体的な参画のためには,きっかけづくりが重要であるということで,地域におけるきっかけづくりの取組を収集・分析し,広く共有するということを書いております。
 また,とりわけその取組ということで,好事例を並べて示すだけではなくて,しっかり分析をして,地域において実際に使えるようなものを作っていくことが必要という御指摘もございました。
 将来像の実現のための構想から評価に至るモデル例・留意点等を示したガイドライン的なものの作成と周知を行ってはどうかということでございます。
 それから,2番目の多様な主体との連携・協働でございますが,主要な視点といたしまして,専門性や多面性等を確保する観点から,首長部局,NPO,学校,これは大学も含む学校でございます。地域学校協働本部,また,企業等も含めて連携・協働が必要であるということ。そういった連携・協働の中で,社会教育に関わりはなかったものの,地域づくりに熱意を持って取り組んできた人材を,新たな担い手として巻き込むことも可能になる。それから,いわゆる中間支援組織につきましては,社会教育においても活躍の可能性があるといったことを記載しております。
 それを受けての具体的な方策でございますが,首長部局が策定する総合計画,また,教育の方の教育振興基本計画において,連携・協働体制の構築も含め,社会教育の推進について明記することが必要ではないか。
 それから,行政に加えて,地域づくりに関係するNPOや企業等の関係者が一堂に会する協議会等への参画を図ってはどうか。
 それから,3ポツ目ですが,NPOや企業等の多様な主体との連携に関する先進事例の収集・分析,情報発信を進めることを方策として書いております。
 それから,3ポツが社会教育主事,社会教育士等の専門的人材の活用でございます。
 住民の主体的な参画のための環境整備や,様々な主体との連携・協働体制を構築しつつ学習活動を組み立てていく「学びのオーガナイザー」が必要であるということで,社会教育主事がその役割を果たしていくことが期待されます。そして,社会教育士,これは2020年度からの施行でございますが,社会教育士が社会教育の専門的な知見を有する者として,行政を始め,学校やNPO,企業等様々な場において幅広く活躍することが期待されるということでございます。
 具体的な方策といたしましては,社会教育主事の配置促進のため,その必要性・重要性の発信を強化するとともに,社会教育主事講習等の受講方法の多様化に向けた検討を行う。それから,社会教育士につきましても,その活動のイメージを具体的に描き,社会的な関心を一層高めていけるよう,職務や活躍の場の明確化等に係る検討を行うとしております。
 また,主事,社会教育士を含めて,専門人材がネットワークを作り,コーディネーターとしての役割を十分発揮できるよう,関係者間の情報共有,連携・協働を図る場の設定等を行うとしております。
 この関係者のところですけれども,社会教育主事,社会教育士のほか,前回も御議論ございましたが,いわゆる社会教育主事,OBを含む有資格者のことも書いておりますし,ここで(仮称)としておりますけれども,社会教育推進員。例えば社会教育推進員のような形で,常勤の社会教育主事とは別に,行政がそういった地域で携わっていただいていることを委嘱して,ネットワークを作っていくというようなことも想定されるのではないかとしております。
 この最後の3ポツの専門人材の活用の部分につきましては,本日,菊川先生からも資料を頂いておりますし,事務局の方から参考資料3で,社会教育主事あるいは社会教育士を含めてのデータですとか,関係の制度的な枠組み等についての参考資料を御用意しておりますので,後ほど御議論の際に参考にしていただければと思います。
 説明は以上でございます。

【明石分科会長】 
 中野課長,ありがとうございました。
 それでは,ただいまの事務局からの御説明を踏まえまして,年末の答申について,委員の皆様から御意見を頂きたいと思っております。本日も長めに時間を用意しておりますので,答申に盛り込んでいくべき事項について,皆様の御意見を頂ければと思っております。
 それで,本日は,前半・後半の2個に分けて議論を頂ければと思っております。前半では,先ほど事務局からも重点的な説明を頂きました地域における社会教育の方向性など,資料で言えば,資料1-1の1ページの第1章について御議論,御意見を頂きたいと思います。後半では,こうした方向性に向けた視点と具体的方策,資料1-1の1ページ目の第2章の部分について,それぞれ中心的に御議論を頂ければと思っております。その後に,3ポツの社会教育主事,社会教育士等の専門的人材の活用を行っていきたいということです。
 では,まず前半の地域における社会教育の方向性について,いかがでしょうか。例によって発言の際は,机上の名札を立てていただけると助かります。
 では,まず牧野先生から口火を切っていただくと。

【牧野委員】 
 ありがとうございます。失礼します。前回の議論の内容をうまく取り込んで,きれいにまとめてくだり,どうもありがとうございます。その上で,幾つか気になるところといいますか,前回,私から社会教育の固有性とか,なぜ社会教育でなければならないのかといったことをもう少し書き込んだらどうかという提案をさせていただいたことについて,少しお話をさせていただきたいと思います。
 実は,今,文科省も含めて各省庁が,まちづくりや新しい社会基盤づくりという形で,この分科会にもヒアリングに来ていただいた省庁もそうですが,地域コミュニティに対する様々な施策に取り組んでいます。例えば総務省の地域運営組織や地域生活総合支援サービス,厚労省の地域包括ケアシステムの構築,更に国交省の地域防災システムの形成や,内閣官房のまち・ひと・しごと創生本部で進められている「小さな拠点」づくりなどがあります。前回の答申案ですと,「社会教育」を基盤とした,人づくり・つながりづくり・地域づくりという枠組みが示されて,今後の社会教育行政の在り方が描かれているわけですが,その「社会教育」という言葉を,例えば地域運営組織ですとか,また,地域包括ケアケアシステムと置き換えていっても,余り違和感がない感じに受け止められたのです。
 それで,なぜそのような印象を持ったのかといいますと,実は,私がかかわりを持っているところで,総務省や厚労省のブレーンの方々とお話をしていますと,地域運営組織や地域包括ケアシステムの構築や実践,さらには小さな拠点づくりで,それらの仕組みがうまく動いているところを調べていくと,公民館が活発に活動を展開している,社会教育が極めて重要だと,例外なくおっしゃるのです。
 その上で,どなたも公民館をもっと活用したいし,社会教育と連携を取って施策を進める必要があるとおっしゃる。そして,文科省や教育委員会ともっと連携しなければいけませんね,というのです。ここまでは,異論はないのです。それに対して,私から,社会教育は教育行政がしっかりやっていて,その上で,住民が自主的に地域をつくり,様々な活動を展開して,きちんと日常生活が営まれているから,それぞれの施策が動いているのであった,そこを壊してしまうと,そう住民自身が地域コミュニティをうまく運営できなくなって,結果的に,それぞれのコミュニティ施策がうまく行かなくなるのではないかという話をしますと,では,我々が公民館を持っちゃいけませんかと言われるのです。
先日も,総務省のブレーンの方に言われたのですが,地域運営組織の仕組みの中に,社会教育部という部門を作って,社会教育を総務省がやっちゃいけませんかねというのです。なぜそういうことをいうのかと聞くと,教育行政では地域経営はできないでしょう,という答えなのです。そうすると,では,文科省というか,教育行政として社会教育をどうするのかという議論にはならずに,むしろ総務行政として社会教育を扱うという議論になっていってしまう。それで,きちんと地域が動いていけばいいのだと思いますが,各地の現場をまわっていると,どうもそうではないのではないかと思うのです。
 例えば,彼らブレーンに,なぜ公民館が活発に活動して,社会教育がうまく機能しているところは,地域運営組織がしっかりと動いていると思うのですかと聞くと,人材育成ですとすぐおっしゃるのです。人材がちゃんと育っているからです。そういう仕組みがあるからです,とおっしゃるのですが,でもそれってリーダーの育成ですよねと言うと,まあ,どちらかというとそういうことですという議論になる。では,なぜ地域の住民がその人をリーダーにするのか,さらに,なぜその人がリーダーであると,地域の人が一緒になってやろうと思って,ついていくのかということについてはどうお考えなのですかと聞くと,そんなこと考える必要があるのですか,といった話になっていってしまうのです。リーダーを育成する仕組みを社会教育が持っていて,それで地域社会が動いているのだから,それが大事だという発想,むしろ地域経営をリーダーが行うという,いわば小さなトップダウンの発想です。
 しかし,社会教育というのは,そうではなくて,むしろ地域コミュニティの住民が,その地域の様々な人間関係の中に置かれる中で,生活上の様々な必要を生み出し,それを実現していくことで,そのコミュニティをどうしようとしていくのか,つまり,自らがどのように当事者になっていくのか,もう少し言えば,自分がコミュニティの人々との相互の承認関係の中で,様々に問題はあっても,地域コミュニティのために一肌脱ごうと思うような気持ちを,どのように持つようになっていくのか,そういう関係がどのようにできていくのか,こういうことにこそ,実はベースがあるのではないかと思うのです。
 何か上からおろしていって指導すれば,住民は動くだろうということではなくて,人々がお互いに認め合う関係の中で,自らに対する肯定感を持ちながら,自分たちが住民として,その地域を何とかしていこうと思う気持ちになっていくこと,こういうことに社会教育はかかわっている。地域社会というのは多分,諸刃の剣で,地域コミュニティの関係の中で,住民自身が嫌になってしまう,そこから抜け出して,逃げていこうとすることは当然可能です。しかし,そうではなくて,やはり自分も役に立てるし,肯定感も高まっていくし,やっていくと,もっと面白くなって,次へ次へと行きたくなってくるというような,ある種の過剰性が生まれてくるような関係がつくられていって,地域コミュニティを次へ更にいいもの,自分の思いが実現するものへと変えていこうとする,また,自らコミュニティを担っていこうとする関係に入る。そうしたことが実は,地域包括ケアケアシステムをきちんと動かすことの基盤にもなるし,地域運営組織をきちんと動かすことの基盤にもなっていくし,地域防災をきちんと進めていくことの基盤にもなっていくのではないか,そう思うということなんのですね。
 そこでは住民が自らそのコミュニティを担っているという当事者意識が重要なのですが,その基盤には,その当事者意識をつくりだす相互の承認関係とそれにもとづく自己肯定感があることが大切です。そういう相互の承認関係をつくる,それはまさに日常生活において,感情を交流させながら,自分の生活を価値的に豊かにしていこうとする営みが必要です。そういう意味では,そこを社会教育または教育行政としてきっちりと支援をし,保障していかなければいけないところなのではないか。それを一般行政がやればいいという議論にしてしまうと,上からおろして,または予算をつけて動員して,住民にさせていくという議論になりかねないところがあるのですが,そうではなくて,やっぱり住民自身が自分たちでやっていける力を付けていくようにことを支える,その基盤は相互の承認関係の形成だという形で,教育行政がきっちりとそこに関わる必要があるということではないかと思うのです。
 これらの意味では,今回新しくまとめてくださった答申案に相互承認ですとか,いろいろ重要なことが書かれて,組み込まれていますので,有り難いと思うのですが,もう少し欲を言いますと,住民の主体性とは一体どこから出てくるのかといったことも少し突き詰めて考え,記述していただけると,学びとか学習とか,また教育といったことの重要性が問われてくるようになるのではないかと思います。
 学びというのは単に知識や経験を得るということではなくて,人々が自らお互いに承認関係を作って作り,肯定感を持ちながら,自らが変わっていくことが,実は地域を変えていくことになっていくし,それが更に自分への肯定感を高めていくという関係の中で,自ら変わり続け,新しい自己を発見し続けることが学びのプロセスなのだという議論も可能だと思います。これこそが地域社会における生活の当事者としての住民の姿なのではないでしょうか。それを支えるための行政の在り方というものがどんなことなのか,こういうことが,教育行政の側から問われてきて,一般行政の在り方を組み換えることにつながるのではないかと思います。
 実は気になりますのが,この答申案の第2部との関係なのです。社会教育の施設を特例的に一般行政に移管してもよいという議論がベースになっています。それは私も別に否定する必要はないと思います。ただ,そのときに,ただ一般行政に移せばよいという議論ではなくて,やはり教育的に使っていけるように,さらには教育の観点から一般行政の在り方を住民自治を基盤とする形に組み換えるように移管するといったことが,その特例的にというところに関わってくるだろうと思います。
 その意味では,一般行政そのものが,ある意味では住民が自ら地域コミュニティを経営していく,肯定感をもって経営していくような形で組み換えられていくといったことが基本になります。この新たな社会的な要請に応えるために,社会教育施設を一般行政も使っていくのだという議論になるような形があるのではないかと思いますので,そうしたところを少し御議論いただければと思っておりました。ありがとうございます。

【明石分科会長】 
 大事な,貴重なキーワードも出てきましたし,例えば当事者意識というのが非常に大事なキーワードかなと思っています。その辺御指摘されて,やっぱり学びが成長につながり,自己肯定感につながっていくんですということを抜きにしては,社会教育の方に戻ってこないだろうという御指摘,ありがとうございました。
 では,横尾委員。

【横尾委員】 
 ありがとうございます。前段,一緒の部分についてということでしたので,幾つか意見を述べたいと思います。
一つは,今度,10月に文部科学省の機構改革もありますので,実はそのことも少し頭に入れながら感じていることを述べます。
 これまでの経過の中で,かなりのピークで熱があってという時期もあり,「生涯学習」という言葉が展開されたと思うのです。ところが,ここに来て,この「生涯学習」という言葉が文部科学省からもほとんど聞こえなくなっているようにも思えるのですね。これって実は機構改革の影響なのかなと思ったりもしています。でも一方では,ユネスコも世界各国で展開されているように,国際的には「ライフロングラーニング」という表現の概念がありますので,「生涯にわたって行う学び」とか,「生涯学習」の言い方はいろいろありますが,その「ライフロングラーニング」というのはやっぱり意識しておかないと,世界のトレンドに日本としてずれや遅れが出てしまうのではないかなという思いがありますので,少し加味していただきたいと思っています。
 二つ目は,全般的なトーンとして,後段にもつながっていくのですが,地域の課題を解決するような,そういう場としての公民館や社会教育施設,そして,そこに集う人々がお互いに学び合ったり,ファシリテートして,人材育成とかいうふうなトーンで案の中にはずっと展開されるのです。けれども,ちょっと客観的にというか,一般的に考えていくと,集った人はみんなそこまで真剣にやれるのかなという疑問がどうしても拭えないし,そこまで任を掛けられるのだったら,「私はもうそこのところにまで行かなくていいよ」という人が大半ではないかなとも思えるのです。
 片や,でも,過疎地をはじめとして,何とかしたいという方もたくさんおられまして,我々も九州で実感しております。じゃあ,何がきっかけで,あるいは何があれば何とか動くかというと,自分自身も実はムラおこしを経験したことや,手伝ったこともありますので,そこの経験から感じるのは,幾つか大事なポイントがあると思っています。
 一つは,目標を明確にみんなが持つことです。こういう方向に向かっていきたいということを関係者で共有することです。
二つ目は,そのときにただ集まっているだけでは何も起こりません。ファシリテートも始まらないし,知恵も出ませんので。要は,みんなが知恵をそれぞれ努力して持ってくることだし,手法を考えることだと思います。
三つ目は,とはいえ,苦難が絶対出てきますし,なかなかうまくいかないことが多いと思います。そのときに,「どうしてもこのふるさと,この地域を次の世代のためにもということで頑張っていく」という人がいらっしゃるのです。
 例えば,実際に私も聴きましたけど,「俺が目の黒いうちでなくていいと。俺が死んだ後でいいから,俺の子供たちが,お父さん,あそこで頑張ってくれたから,今,まちはこうなっているよね。そんな力の尽くし方を自分はしたいんだ」という人もおられるのです。全国に,結構おられます。そういう方々の誇りとか愛着というものをしっかり大事にしなきゃいけない。そのことはこの中にも触れてあるのですけど,できればそこに,私は経験上思うのは,余りにも学びが少ないということなのです。例えば,現に住んでいる地域の歴史がありますが,案外皆さん知らない方が多いのです。その地域の寺社仏閣の歴史もあんまり知りません。知っているようで知らないので,磨きようにも磨けないということが多いのです。だから,どこかで,学校教育とリンクしますけど,ちゃんと歴史を教えるとか,小さな祭りや催しに関しても,そのことを教えるという大人がいて,教育機関があって,それは次の世代につながっていくということもやっぱり三つ目には考えなければいけないと思っています。
 四つ目に絶対不可欠なことは,少々いろんなことがあっても,へこたれないで続けるということです。持続力です。それがない限りは続きません。
 それをよくよく考えていと,スティーブ・ジョブスさんが有名な講演でも言ったように,「ステイ・フーリッシュ」ですよね。直訳すると,ばかになれですけど,愚直に,ひたむきに,求め続ける,努力し続ける。これぞと思ったことは諦めないでやっていくということが非常に大事だと思っています。
 実際いろんな事象を見ても,じゃあ,役所が,市役所や役場や県庁や国が,今,御説明いただいたことをベースとして,肉付けした,確立した理論みたいなものを話して進めるとします。そのとき,それが正しいとします。でも,正しいものを聞いても,人は必ずしも動かないと思うんですね。むしろ,「あの人たちがあそこまで一所懸命やるなら,俺たちも一肌脱ごうかな」とか,「あの人があそこまでやっているよね,じゃあ,自分たちも少し協力して何かしようか」となるのです。方法が分からないのなら,その人に聞いてみようとか。みんなで分からんなら,分かる人を連れてこようと。それが社会教育士であったり,専門家であったりすると思いますけど,そういう行動につながるようなことをしっかりと育むということもしなきゃいけないので,立派なセオリーを作るとともに,どんなことがあってもへこたれない精神力や,やっていこうという熱意をやっぱり育んでいくことがものすごく大事だと思います。
 その熱意や思いを持っている人こそが恐らくこの社会問題を解決するキーマンになっていく人だと思います。そういう熱意をどうやって育むかなということを一方で考えながら,ずっと今回の宿題であるこのペーパーを読ませていただいて,2点目にそういったことを感じているところです。
 三つ目として,この「公民館」という言葉が時々出てきますが「公民館が核となって」という記述がございます。でき得るならば,公民館は館ですので,館が核には必ずしもならないと思います。もちろん,場所としては間違いありません。しかし,そこに頑張っている人,あるいはそこで何かを尽力をしている人,そういう人ということをどこか加えていただいた方が,より今現在,地道に頑張っている主事さんとか関係者や公民館の関わりの人たちも勇気が出るのではないかなと思うのです。公民館と十把ひとからげではなくて,人が重視なら,是非,人ということを入れて記述をしていただくと,多くの方が勇気が出るんじゃないかなと思っています。
 4点目に思ったのが,「社会的包摂」という言葉です。私が多分能力がないから理解ができないのだと思うのですが,いまいちぴんとこないというか,今までなじんでないというか,包摂というのが多くの方に分かるのかなという気持ちがします。何かもっといい言葉はないのだろうか。たとえが悪いのですけれども,例えばよくスポーツで言うのは,全員野球とかね。ラグビーやサッカーでも言いますよね。全員でプレーとかそういう典型的な言葉があるわけですね。そういった何かを考えていく。しかし,それはこのトーンで書かれているのは,個人の意思を尊重されていますので,強制ではないわけですね。一人一人が選ぶ権利もあるし,参加の熱意を注ぎ込む自由もあると。そういったのを含めて,何かいい表現がないかなと思っているところがございます。
 やっぱり持続可能な社会づくりには,この地域課題を解決するのはとても大事だという一つの着眼はとてもすばらしいことだと思うのです。是非これは我々も首長として大きく関わり,力を尽くしていかなきゃいけないと思いますが,一方では,100%の人がそうならないという客観的事実といいますかね。世の中にいう,2・6・2の法則がありますので,そういったことも思いながら,こういったことがよりよく流布されるように,広がっていくようにと思っています。
 最後に一つだけですが,3ページ目の上から2行空けて,最初の丸ポツがありますが,下のこのパラグラフの下3行は整理しないと大変です。「担い手の減少,財政の悪化など,地域社会は財政の悪化,様々な課題に直面し」となっていて,多分ダブっていると思います。是非整理していただいて,例えば「財政の悪化など,様々な課題に直面し」とされた方がよりすっきりと伝わるのではないかなと思います。若干,熱意が入って,重複したところが一部ありますので,是非分かりやすく,一般の方も読んで,「ああ,そうだね」とか「俺たちも,僕たちも,私たちもやらなきゃね」と思うような文章にしていただくととてもいいと思っています。

【明石分科会長】 
 市長,ありがとうございました。
 では,生重委員。

【生重委員】 
 ありがとうございます。まずこの社会教育の在り方,こういう独自性というものをという,これ,私の印象ですと,今までとそう変わってないという気がする。私が実際に活動しているフィールドで,地域学校連携推進とか,コミュニティ・スクールとか,学校の在り方自体も地域とともにあるというふうに位置付けられて,法改正まで行われている。是非,社会教育の在り方の最初のところに,そこの部分は何らかの形でうたっていただきたいなと。
 実際,防災なんかも,私が23区にいるせいかもしれませんが,公民館自体がないので,防災の訓練も,それから,もう全般の流れ,ハブ訓練から,実際に全てのものを取り扱ってみる。杉並では,中学校に防災のレスキュー隊を全校に置いている。三鷹も,私が親しくしている中央学園はじめ,本当に力強くコミュニティ・スクールの中で防災活動を年間通して展開していらして,それが地域住民の多くを巻き込むことにすごくつながっているんですね。
 今まで点だった,世代ごとの点だったところを,線に変えて,面に広げていくということを学校という場を使ってできるようになったんじゃないかなというふうに思っています。ちょっと先の部分になるんですが,もともと社会教育の基盤というのは,きょうもおいでになっていますが,PTAを体験しながら,そこのところで学び続けて,社会教育の担い手としての基盤を作っていく若手を担っていくわけですね。そこの活動で広く地域と交わりながら,地域課題を一緒になって考えていく。それは我が子の安心・安全のためであるという一番の課題を前面に出すことで,一緒になって課題を感じていることで学んでいってくれる方たちが,将来,世代を超えたつながりを持ってくれるというつながりを作ってくれると思うんですね。
 一番,衰退していった原因というのは,若い親世代とか若い方たちが全然興味を持たなくなってしまったというところがすごくあったように思うんです。そこを考えるにおいても,やはりこのコミュニティ・スクールや地域学校連携推進というところを是非入れていただけたらいいなというふうに思います。

【明石分科会長】 
 ありがとうございました。
 では,平岩委員お願いします。

【平岩委員】 
 改めてこの資料を見た感想を二つほど述べさせていただきたいと思います。一つ目が,人づくりがあって,つながりづくりがあって,地域づくりになるという,非常にいい整理だなと思う一方で,逆に,人づくりがないと,じゃあ,つながりづくりにならなくて,その次の地域づくりにならないのか。つまり,人づくりが最初にありきかと言われると,かえって,ハードルが高くなるように聞こえるなと思いました。
 つまり,最初に何か勉強しないと次に行かないと。先につながりづくりを求めてくる人もいるでしょうし,社会教育と言われると,やっぱり何か勉強しなきゃいけないのかなとか,ちょっと足が向きづらくなるとか,そういうふうに考えると,人づくりとつながりづくりというのは同時並行的に起きてくる部分もあると思います。きれいに整理された余りに三段論法みたいになり過ぎると,ハードルがかえって上がるなという印象を持ちました。
 二つ目が,これをどうやって実現していくかという視点で考えると,やっぱり多くの人を当事者として巻き込むということと,力のあるコーディネーターがいるというものの,掛け算だと思います。どっちかがゼロになるとゼロになっちゃうというような。並行的に,多くの人を当事者として巻き込み,力のあるコーディネーターが育つということになるので,それは書かれていていいと思うんですけど,多くの当事者を巻き込むという視点では,やっぱり若い人を起爆剤にすべきかなと思います。
 自分も一肌脱がなきゃと自分で思うには,若い人たちがあんなに頑張っているんだからということが一番の起爆剤かなと思っていて,今,中学生とか高校生に最近SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)の話が話題に出るんですよね。企業はもうかなりSDGs,SDGsと今言っていて,学校教育の場でも結構使われてきていて,ああいう話をすると非常に中高生は心に響いていて,何か自分たちのできることはないですかと始まります。
非常に可能性のある世代だなと思うので,彼らを巻き込んで,何か動かしていって,それにまちが巻き込まれていくような動きが一番現実的かなと思います。
 ですから,学校教育の場も大事です。社会教育と言うと,公民館が中心に語られているんですけど,学校教育の場でもこういうまちづくり要素を持ち込むとか,あと,公民館を例えば1日,高校生に運営してもらったらどうなるだろうとか,連携が大事ですね。若い人を巻き込んで,多くの人を当事者として巻き込むというのが,ずっと継続してやり続けていくべきことかなと思います。その辺が書かれると,より厚みのあるものになるんじゃないかと,思いました。

【明石分科会長】 
 ありがとうございました。
 では,大久保委員,お願いします。

【大久保委員】 
 ありがとうございます。今まで余り社会教育を正面から考えたこともなかったし,この分科会に入れていただいて,私も初めてするので,なるべくそれを生かして,新鮮な目で読みたいというふうに思っているんですけど,私の中でどうしても腹落ちしないところがあるんですね。つまり,一番知りたいと思っていることがどこまで読んでも分からないという感覚があるんです。何かというと,資料1-2を読んだんですけど,社会教育は,今後,人口減少を本格的に迎える時代を迎えて,より重要になると書いてあるように読めるんですね。実際にそう書いてあると思うんですよ。
 でも,ちょっと角度を変えれば,そういう話ではなくて,人口減少が起こって,超高齢社会になり,人生100年になり,地域は過疎化し,高齢化するという変化が,個人においても,地域においてもあるという中で,これまで伝統的に行ってきた社会教育の在り方みたいなものも当然環境の変化を踏まえて,変化せざるを得なくなってきてということが本来総論として私は書かれているんだろうと思い,それを発見しようとして,読もうとすると,いや,そうじゃなくて,今まで伝統的な社会教育はより重要になってくるんだと書かれているように読めてしまうというところが,私の中の分かりにくさなんですね。
 つまり,人生100年時代になって,その地域の中で,その年齢,世代を超えて,この社会教育の問題,つまり,若い人だけじゃなくて,中高年の人も含めて,継続的に学びをしていくんだろうし,そこに参加する人も年齢層,世代を超えて,お互いに学び,学び合うという状況になるべきなんだろうし,そのときに,方法論も以前とは変わってくるんだろうし,今後の社会教育の在り方というのが環境変化の中でどういうふうに変わらなければいけないのか,方向付けなければいけないのかということが知りたいわけです。ところが何か軸が違うところで終わってしまっているような感じがして,これは意見というよりは,どういうふうにそれを理解したらいいのかというのをむしろ教えてほしいというような気持ちがあります。根本的なところの発言で恐縮ですが。

【明石分科会長】 
 きょうはちょっと無理ですけども,非常に大事な御指摘で,社会教育の限定を見直すと。時代の変化に対応した社会教育の方向性というのを押さえておかないと,クルクル回ってしまうような感じがしますので。どうもありがとうございました。非常に大事な御指摘です。
 では,次は清原委員。

【清原副分科会長】 
 ありがとうございます。三鷹市長の清原です。私たちのこれまでの議論を本当に整理していただいて,組み立てていただいてありがとうございます。この第1章について幾つか気付きを申し上げます。
 1点目は,私も横尾市長と同じ,市長という仕事をしているせいだと思うんですが,社会教育を狭義に考えたときには,どうしても社会教育法に基づく,「学校の教育課程として行われる教育活動を除く,主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育」ということになります。これは出発点でもあり,配慮しなければいけないところだと思うんですが,これまでのこの分科会での議論では,それをいわゆる教育委員会だけで果たすのではなくて,現実社会の多様な問題,とりわけ典型的な少子長寿化の問題などを検討する人口減少時代においては,地域づくりにおいて,いま一度「多様な担い手」によって,「多様な参加者」が主体的に学ぶには,どのように社会教育が取組を,いい意味で改革し,残すべきものは残していくかというような観点から議論がなされてきたと思います。
 その一環として,いわゆる首長部局,市長部局の様々な取組も,限定的な社会教育ではなかったかもしれないけれども,いわゆる生涯学習という点で,文字どおり地域課題を解決し,地域づくりに資するような条件整備,学習の場を市民,住民の皆様に提供してきたので,そういうところは大いに生かしていこう。あるいは学校教育以外のとなっているけれども,実はコミュニティ・スクールという取組は,学校教育の中にとどまらず,地域を巻き込む形で社会教育との接点を広げてきたのではないかというのは,生重委員と同感です。ですから,それも視野に入れようと。
 あるいは,学校教育といっても,義務教育以外の高校や専門学校や大学,短期大学等も様々な形で生涯学習の機会を提供し,しかも,地域課題解決に資するような講座やワークショップなどを開いているので,広義に考えれば,これも地域づくりに資する社会教育の担い手として,視野に入れてもいいのではないかというような議論もなされてきたと思います。
 したがって,大切な社会教育の歴史とその意義を明記しつつも,やはり今の人口減少時代,SDGsの時代,AIがまさに身近にいろいろな活動のパートナーとして存在する時代においては,社会教育の可能性をもう少し幅広く考えていこうというような問題意識が,最初に示された方が私もいいなと感じました。
 2点目に,今,国では「社会的包摂」という言葉をいろいろなところで重視され,その名称を付けた担当者もいらっしゃるというふうには承知しているんですが,私も横尾市長さんと同じように,まだまだ熟していないところもあって,あるときは「インクルーシブ」と言われたり,あるときは「多様性・ダイバーシティ」と言われたり,ここでは「多世代交流とか,障害のある人も,ない人も,つまり,全ての人が社会教育の場で学び,出会い,交流し,そして,自己実現し,当事者意識も持っていく」というような流れなので,限定的に「社会的包摂」という言葉も使われ得るのかなと思いながら,少子長寿社会の中での「多様な世代」と,「男女共同参画,男女平等参画」も含め,「障害のある人もない人も」みたいなところが,絶えず社会教育の現場では,暮らしの現場ですから,意識されなければいけないというところは,まさにこれもまた理念的なところにしっかりと置いておいた方がいいかなと思いました。
 3点目に,主体性,自主性を尊重する余り,何かそれがないと社会教育じゃないような印象がやっぱり強く出ているかなということを私も懸念しました。私たち市長が,横尾市長さんも同じだと思うんですが,心掛けているのは,ふらっと参加していただいて,本当にそれが,気が付けば地域課題の解決のための多様な意見を述べる一人になっていただけるような,そういう事業だったりするんですね。
 私としては,結果的に主体性や自主的な学びにつながるとしても,社会教育というのはやっぱり組織的な教育だとするならば,機会を提供したり,条件整備をして,参加する方の主体性や自主性を育むような場を作るということが行ったり来たりなんだと思うんですね。それが強制ではなくて,絶対に強制ではいけないんだけれども,でも,そういう,社会教育を提供する側の責任というのが主体性を尊重しつつも,それが育まれるような条件整備があるということは言っておかないといけないのかなというのを改めて思いました。
 それから,牧野先生がおっしゃった「当事者意識」というのは極めて大事なキーワードだと思っています。地域づくりを問われている私たち,あるいは地域づくりの責任を市民の皆様から「信託」を受けて任されている市長の,何よりもパートナーは,「市民」の皆様という「当事者」なんですよね。ですから,私(市長)たちが全て考える必要も,提供する必要もなくて,むしろ住民,市民の皆様の問題意識や要望や,あるいは実践そのものが私たちが行政のサービスを充実させたり,あるいは想像したり,継続したりする際の判断に不可欠なものです。
 しかし,「当事者意識」をいつも持っていたら,こんな息苦しい暮らしと現場はないわけですので,ちゃんとそれが,いざというときに発表できる,発言できる,あるいは何か表現できるというか,そういうことが必要になってきます。したがって,重苦しくないんだけれども,気が付けば,本当に「当事者意識」を持ちながら,「自己肯定感」を持ちながら,「自己実現」していく機会を提供していくということが社会教育に求められているものなのかなというふうに思います。
 ここで「相互承認」という言葉が使われていて,社会教育では一般的な言葉なのかなと,少し社会教育の学問を離れている私は思うんですが,「相互承認」というのもやっぱり硬い言葉かなと思って,もう少し軟らかくならないのかなというふうな気もしたりしています。
 4点目になるんでしょうか。私は以前の長寿社会の社会教育,生涯学習の在り方を議論するときに,「学びと活動の循環」というキーワードを皆さんと一緒に何度も使わせていただきました。今回の原案にはあんまり「学びと活動の循環」は出てこなかったような気がしているんですが,人口減少時代の新しい地域づくりに向けた社会教育の場では,やっぱり学ぶということが活動に生かされ,活動していると,やっぱりここの部分,学びたいなという思いの,いい意味での循環。しかし,行ったり来たりで停滞するんじゃなくて,「らせん的に上昇していく」ようなイメージなんですが,学べば何か実行したくなる。実行していると,やっぱり不足が生じて学んでいきたくなるというのが,地域づくり,まちづくりと学びの関係なのではないかなと思いました。
 その中で,「相互学習」というキーワードをどなたかおっしゃって,ああ,「相互承認」って「相互学習」の結果,生まれてくることかなと思って,「相互学習」,お互いさま,おかげさまみたいなのはやっぱり大事なのかなと思いました。
 最後に,私は,やはりこれも横尾市長と同じ気持ちなんですけど,公民館というか,建物の館ということではなくて,やっぱり館がないところもあるし,館が地域の拠点として,公民館という名称じゃないところもあるし,人が社会教育主事として配置されているところもあれば,市民のボランティアがコーディネーターとして活躍されているところもあるので,この全体の答申というか,報告書を出すときには,「地域の実情に応じて,創意工夫して,この社会教育の成果がまさに国民,市民に還元されるような取組が必要」だという,その「地域の実情に応じていく創意工夫のメッセージ」だということが出されるといいなと思いました。
 何よりも各地域で御活躍されている人が勇気付けられ,そして,つながっていくということに元気がもたらされるようなメッセージの発信の仕方になれば有り難いなと思いましたので,現状が問題だ,問題だというトーンではなくて,現状の中での社会教育の意義をきちんと評価しつつ,更なる,こんな展開が,むしろ元気を増しますみたいなことと「地域の実情」ということが加われば有り難いなと思いました。

【明石分科会長】 
 市長,貴重な意見ありがとうございました。
 では,次,佐野委員,お願いします。

【佐野委員】 
 ありがとうございます。実は前回の分科会が終了して,明石分科会長からの,今回の分科会に当たっての幾つかのポイントの中で,いわゆるさっき牧野先生,前回もありましたけれども,他の省庁じゃなくて,なぜ教育行政でという,そこのところは,今も各委員の方たちからお話がありましたけれども,私はやっぱり学校教育との連携といいますか,そこをいかに取り込んでいくかというのが一番大きなポイントなんだろうと思います。
 そういう意味では,コミュニティ・スクールとか地域学校協働体制とかというのは,どちらかというと,学校教育を充実させるためにというところで出てきたのかもしれませんけども,私は今回の諮問にあります,人口減少時代の新しい地域づくりに向けた社会教育の振興についても物すごく大きな鍵になってくるでしょうし,この学校教育とのつながりを入れることが文部科学省ならでは,あるいは教育行政ならではという最大のポイントだろうというふうに思います。
 現実,全国の学校,特に地方の学校では,小中学生のときにふるさと学習で,自分の地域を知ろうという学習,学びをしていますし,今度は中学生の後半から高校,あるいは今,最近は大学もそうですけれども,地域課題をテーマにしたPBL(Project Based Learning:課題解決型学習)というのを学校教育の中に取り込んでいますので,そういうものを経験してきた人たちが,牧野先生がおっしゃる地域のリーダーとしてその問題意識を持って取り組んでいく人たちが,そういう中から出てくるのではないかなということをつくづく感じますので,やっぱり学校教育と社会教育という,これのところを大きな目玉にすべきだろうというのが一つです。
 それから,二つ目は,これは実は,私は企業の経営者なので,自治体はいろんな方が住んでいますけど,少なくとも企業は,企業理念だとか,その企業が目指しているところという,そういうところに共感して,あるいは賛同して集まってきている人たちと一緒に活動しているので,ちょっと意見が違うかもしれませんけれども,今回の諮問にあることを考えると,アウトプットとかアウトカムというものを前提にして,それに対してどういう学習,学びなり教育を入れるか。インプットを組み立てるかという,そういう視点が大事なんじゃないかなというふうに思うんです。やっぱりアウトプットとかアウトカムというのが明確になっていること。こういうことを目指そう,あるいはこういうことを達成していこうということがあってこそ,初めて首長部局だとか,あるいはほかの様々な主体と一緒に組んで,組み立てていくことができるのではないかなというふうに思っているので,アウトプット,アウトカムという,そこを考えるという,重視するという,そういう要素を入れ込んでいってはというふうに思うところです。
 特にアウトカムという,成果というものをきちんと認識する,あるいは共有するということは,前回,髙見委員がおっしゃったPDCAサイクルを回していく上でもやっぱり,どういう成果を求めるのかと。あるいは特に定量的に,数値としてこういうものをというのがあって初めて,PDCAというのはきちんと回っていくんだろうと思うので,そういうところを考えるところです。

【明石分科会長】 
 佐野委員の二つの提案,非常に大事なことだと思います。一つは,学校教育とのつながりと言いましょうか。教育課程の,学習指導要領の改訂で,学校サイドから,社会に開かれた教育課程と言っていますよね。だから,社会教育の視点から,社会に開かれた社会教育という視点がないんですよ。結局,学校をもっと開きなさいと言うけども,果たして社会教育,本当に社会に開かれてきたんだろうかというのを見直す。それは生重委員も平岩委員も指摘されました。市長も言われましたけども,もう一度,本当に社会に開かれていたかという。こぢんまりとやってきたんじゃないかとか,そういう批判もあるかもしれない。いや,そういうことも含めて,少し大事な御指摘。
 二つ目のアウトプット,アウトカム。教育振興基本計画をするときに一番困ったのは,この分科会で数値目標をどうするか。誰でも覚えているのは,社会人で,高等教育100万人達成というのがあるけども,なかなか社会教育の分野では,その数値目標を設定するのが難しいけども,少し一歩,行きたいと思っております。そういう意味では大事な御指摘で,今回どこまでできるか分かりませんけども,何かそういう基本計画と数値目標というのが出ればなと思っておりますので,よろしくお願いします。
 では,宮本委員,お願いします。

【宮本委員】 
 ありがとうございます。先ほど社会的包摂という言葉が抽象的で分かりにくいという御発言がありまして,前回,社会的包摂という言葉を発した者として,書き直した方がいいという点では賛成なんですけれども,私が社会教育に期待するというのか,現在存在しなくてもっと強調すべきだと思うことの一つは,社会教育で地域課題解決と言っているんですけれども,現在,地域課題には幾つかの非常に大きなものがあると思っていて,その中の一つが,学校や家庭や,それから,職場,その他,行き場所のない,つながりのない人たちがじわじわと増えているという問題だと思っているんです。
 社会教育が人々のつながりを作っていくというのはそれ自体はいいんですけれども,ここで書かれているニュアンスですと,極めて一般論であって,地域の実情を明確に捉えて,ある意味では,社会教育の改革だと思うんですけれども,そういうニュアンスになってないというふうに思います。
 もともと社会教育というものが衰退した一つの理由は,それの担い手がなくなり,地域の絆がなくなり,社会教育という機能を支えるものがなくなったというところにあるわけですけど,そのことは,どこにも行き場のない,友人も知人も家族さえもないような人たちを増やしていくという問題ですので,そこに力が発揮できるような社会教育改革が必要だと思います。
 したがって,公民館等々には,黙っていては絶対に来ない人,それから,主体性というようなことを強調したら,絶対にそれはない人。だけれども,地域課題を解決する対象となる人たちであるし,でも,対象としてだけでは解決できないわけですから,内部に引きずり込まなければいけない。そういうスタンスで,ここのところはもう少し書きぶりを変えた方がよいというふうに思います。
 例えば,既に今,公民館等でも,例えば子供の学習支援なんかを公民館等を使ってやっている。これをやっているのは公民館の主事ではなく,そこの場を借りてやっている民間団体であったりすることの方が多く,もう既に地域の孤独な人たちに対する具体的な活動が始まっているということ。例えば,それから,男女共同参画のセンターなんかでも,今ある分野では話題になっている「男女共同参画センター横浜南」,フォーラム南太田という通称で言っていますけど,ここなんかは大分前から,いろいろな複雑な事情を抱えていて,居場所もなく,仕事に就けない若い女性たちに対して,就労支援の学習の場と,それから,その後,「めぐカフェ」というカフェを内部に作っています。中間的就労の場ともなりますけれども,そういうものをやって,「ガールズの働くを応援します」というスローガンを掲げているんですけど,社会教育の在り方というのも,もっと学ぶということと働くとかつなげるということを両方持たないと,地域課題は解決できないんじゃないかというようなことで,そのあたりをこの文章の中に盛り込むことによって,社会教育改革が可能ではないかと思います。

【明石分科会長】 
 ありがとうございます。非常に大事な御指摘です。
 では,関委員,お願いします。

【関委員】 
 遅れまして,誠に申し訳ございません。先般頂いた宿題の答えということで,私の方で,今,自分のまちの恥をさらすことになってしまう部分もあるんですけれども,現在,学校を一つ閉校しまして,その学校の跡地活用についていろいろ議論を重ねております。そもそも学校ですから,教育施設ということで,教育委員会が所管しておったんですが,その跡地活用に当たっては,地方創生という路線から,現在は首長部局も企画の方でその跡地利用について検討をいたしております。そのときの過程をいろいろ今,思い返しておるんですけれども,正直,今,1年ほど議論してきて,議論が頓挫しておる状況にあります。
 そのとき,何が我々,社会教育で関わった部分と違うのかなと振り返ってみますと,行政の場合,当然予算が付けば,その予算を一番充実できる形で,執行していくということで,担当者が本当に知恵を絞ります。お金も結構ありますので,先進事例を眺めてきて,その中で自らが最善とするものを提示をしてくるわけなんですけれども,その段階で余りにも住民の皆さんとの対話が少なかったなということを今,反省をいたしております。
 社会教育であれば,恐らくその方向性をまずみんなで議論して,意見を交わす中で,目指すべきところを探っていくという選択をするような気がするんですけれども,今までの流れを見てみると,住民に対しては自分たちが書いたシナリオを承認してもらうような方向が強いのかなというふうなイメージを持っております。
 社会教育,やはりまず前提として,みんながいろいろな意見を持って,それをお互い出し合って,平場でそれをみんなで煮詰めていくような作業が必要かと思うんですけれども,割と行政がそれを担ったときに,そこを少しおろそかにする傾向があるのかなというのが基本にあると感じております。
 また,これは先ほどのアウトプットとアウトカムのお話も頂いたんですけれども,悲しいかな,アウトプットに余りにも重きを置き過ぎる。本来であれば,その中で育ってきた人が何か新しいものを生み出していくような,新しい影響力を生み出していくような力が本当は大事ではないかと思うんですけれども,割とそこには目が行きにくいのが一般行政ではないかなと感じております。これは自分も両方の部局を渡り歩いた人間ですので,悲しいかな,その住民との対話の部分が社会教育と一般行政の割と違いであったような印象を持っております。
 それは多分,一般行政の中でもそういった熟度が高まっていって,清原市長のところみたいにプラヌーンクスツェレ(ドイツで行われている住民参加の手法)みたいな手法を使って,住民の意見を引き出せるような行政ができれば,それはもう国ができると思いますけれども,今まではなかなかそれができていなかったのが一般行政の持つ,ある意味,弱さであったのかなと思っております。宿題の答えにはなりませんけれども。
 それともう1点だけ,一般行政は,ともすれば,人づくりと言いながらも,それを手段として捉えていく傾向が強かったのではないかなという気がします。何々のための人を作るというふうなイメージが余りにも表に出過ぎる。それはやはり違うのかなというのが印象でございます。

【明石分科会長】 
 ありがとうございました。
 では,山野委員,お願いします。次に,髙見委員,小林委員,秋山委員でお願いします。

【山野委員】 
 ありがとうございます。1点目は,皆さんも随分意見が出ていたところだと思うんですけど,まずは本当に丁寧にまとめていただいてありがとうございます。その中で,生重委員もおっしゃった,佐野委員もおっしゃった,学校教育との関係とか,せっかく2015年に中教審が答申を出されて,「チーム学校」も含め,随分,現場では動きが起きています。今まで,私の立場は福祉の人間なので,大久保委員がおっしゃっていたようなアウェーな感覚というか,分かっていないところがいっぱいあっての感じたことでもあるんですけど,随分あの後,地域と協働しながら福祉課題を学校現場を中心に,「チーム学校」で解決していこうみたいな,そんな流れも答申のおかげで,いろいろ法改正してくださったおかげで動き始めているという流れがあり,宮本委員もおっしゃい,皆さんもおっしゃった,今のこの社会教育が求められていることとか,今までの社会教育とやっぱりどこが違うのかなというのが,社会に開かれた社会教育と先ほどおっしゃったんですけど,部外者から見たら,今まであんまりやっぱり分かっていなかったので,そういう意味では,分かってもらえるように,せっかくそういう動きを答申等で作れてきたので,その流れにのっとれるような書き込みがもうちょっとできないのかなというふうに思いました。
 その中にもう一つは,社会課題として,今,孤立の問題とか就労の問題とか,宮本委員がおっしゃったんですけど,前に私ここで提供させていただいた,堺市の子ども食堂の集まりの例なんですけど,要は,一つは,この社会課題が住民の課題になり,主体的に,それこそ参画して,行政の方も,それから,当事者も,それから,自治会の方も皆さんで動かしているという実践が,動き始めているんですね。そういう意味で考えると,やっぱり社会課題というのをもうちょっと現実的な課題に踏み込んでもらってもいいんじゃないかな。その方がどんどん住民が,一つは,こういう言い方していいのかどうか分かりませんけど,子供の貧困というのは結構皆さんが乗りやすい社会課題となって,住民が巻き込まれていくというか,一緒になって協働していくということが生まれています。
 そういった何を特化するかは置いといて,社会課題ということを,先ほどの就労の問題とか孤立の問題とかも含め,もうちょっと入れ込んでいただけた方がいいのじゃないかなと思いました。
 3点目,すみません。それは牧野委員がおっしゃられた,私もずっとここに参加しながら,何が違うのか。社会福祉でも主体性の原理という,社会福祉の援助原理にあるんです。当事者の主体性を育んでいくという理論に基づいて動くんですね。ただ,多分,私の全然理解が足りないと思うんですけど,学びということですよね。社会教育,皆さんおっしゃった,教育委員会,文科省に置いているという学びをベースにしているというところが違うところだと思うんですね。
 すごくそこの学びがベースであるとか,そのいろんなアクターと,総務省とか厚労管轄の,地域包括ケアのお話も出ましたけど,何が一緒で,何が違うのかというあたりがもうちょっと見えると,何となくこう,社会教育だけの世界のお話なのかなと,部外者がちょっと距離を置かないような,せっかくのものなので,動きも起きていますので,そうなったらいいなと思いました。
 具体的にこう書き込んだらいいんじゃないかという御提案ができなくて,申し訳ないんですけど,そんなふうに思いました。

【明石分科会長】 
 ありがとうございました。
 では,髙見委員,お願いします。

【髙見委員】 
 髙見でございます。先般申し上げた件に関して,具体的な方策というようなところでコメントを入れていただいたのかなというふうに思っておりまして,ありがとうございます。
 もう一歩踏み込んで言うのであれば,納期であるとか,規模であるとかというのがある程度イメージしていないと,検討を行うというだけで止まっていると,ちょっと踏み込みが弱い部分もあるのではないかなと思っていまして,じゃあ,いつまでに検討を行い,何を決めるであるとか,例えば第2章の1ポツの具体的な方策の「将来像の実現のための構想から評価に至るモデル」云々というふうに,「周知を行う」とあるんですけれども,これが周知を行うことで効果があるのであれば,ずっと続ければいいことなんですけれども,すごく手間も掛かることだと思うので,そこのジャッジライン,継続するか否かのジャッジラインというのもある程度決めておかないと,やった方がいいことは山ほどあって,ただ,そんなに山ほど人員がいるわけでもない中で言うと,何かをやめていくということもしないといけないと思いますので,会社で言うと,撤退ラインみたいなところではあるんですが,というのはある程度決めていた方が何を継続し,何はやめるのかというところは始める前にある程度イメージをしておいた方が進めていきやすいのではないかなと感じておりますので,意見としてお伝えいたします。
 もう1点は,全く違う議論,論理なんですが,この振興方策が効果があるターゲットと効果が見えにくいターゲットがあるんじゃないかなというのを感じておりまして,それは,私,子供が2人いるんですけれども,小学校,佐野委員もおっしゃっていたように,小学校でふるさと学習をするからなのか,コミュニティが強いからなのか分からないんですが,私の子供,今,上の子が大学生で,下の子が高校生なんですが,その高校生,中学校までは港区にいて,高校から今,中央区にいるんですけれども,やっぱり小学校,中学校を通った地域に対しての愛着がとてもあるんですね。できれば成人式も港区で出たいしとか,お祭りも港区のお祭りだったら行きたいみたいなことであるんだろうなというふうに思っていて,それって何なのかなと思っていると,やっぱり何か恩を受けたり,愛着が湧いたところに対しては何らか自分の御恩返しもやりたいという気持ちが出るので,地域づくりに貢献ができる。
 今,中央区が悪いというわけではなくて,中央区のタワーマンションに住んでいるので,階数が違うと行けないんですよね。キーがないと,上の方にも下の階の方にも御挨拶すらできないんですよ。セキュリティが厳しいと。私の住んでいるところって,1,400軒入っているんですけど,普通に会えるのって同じフロアの20軒ぐらいの家しか会えないというようなところが,港区の湾岸地域を中心にそういうセキュリティがすごく厳しいと言うんですか,強化されているタワーマンションに住んでいると,一応町内会というのはあって,寄附とかもするんですけれども,もうそろそろ子供も大人になっていて,みこし担ぎとかという年齢でもないと,地域に対する愛着ってなかなか持ちづらいなというふうに思っていて。
 首都圏というのは小学校までは行くけれども,中学校ぐらいから遠い私立に通い始めるとか,遠い私立に通い始めると,転居もするんですね。学校の近くに,子供のために。というのは,私,田舎の出身なので,子供のために引っ越すって何やろ? と思っていたんですけど,割と当たり前のように起こっているようなところって首都圏と関西圏の一部はあるんだろうなと思ったときに,そういう方々はこの枠組みだとなかなか引っ掛かりにくくなってしまうんだろうなと思っていて,引っ掛かりにくくなってしまう対象の人がいるから駄目というのではなくて,ある程度ターゲットは,私が幼少期を過ごしたような小学校も中学校も同じ人が持ち上がって,高校といっても,家から通えるところにいて,高校卒業した後に,その地域で比較的住んで,その場で生涯を過ごしているよねというような,これからもこの先,ここで住むよねという方々には割と当てはまる振興施策のような気はするんですけれども,そうではない,転居をとてもたくさん繰り返していて,老後,どこで暮らすかちょっとよく分からないなと思っていると,申し訳ないながら,なかなか地域に対して恩返しという気持ちにもならない自分がいてですね。そういう人たちを一旦,優先順位としては後から考えようみたいな整理はしておいた方がいいかなというふうに,すみません。これは感想になりますが,申し上げます。

【明石分科会長】 
 ありがとうございました。
 では,小林委員,お願いします。

【小林委員】 
 ありがとうございます。社会教育と一言で言っても,生涯学習,リカレント教育,学校教育の補完教育,学校の附帯教育などがございます。そういったところで社会人が多く学ぶ時代です。また,地域の小学校や中学校が随分廃校になっています。まさに社会が大きく変化をしているのです。
 こういった変化の中で,新しい社会教育の在り方をどう提示していくかが一番大きな課題だろうと思っています。
  今,政府として,一億総活躍社会づくりや,人生100年時代ということに対して力を入れていこうという動きがあります。私はこの機会に,社会教育を受けた人を評価するシステム作りや,学んだことに対しての具体的なインセンティブを考えていくことの重要性も要望として入れるべきだと思っています。
 ヨーロッパでは,学んだ人を評価するシステムができています。こういったことが重要だと私は思います。また,学ぶ人に対する様々な支援策を組み込んでいくことも必要です。
 先ほど大久保委員がおっしゃいましたが,時代の変化に対応した新しい社会教育を提示することは,とても重要です。人口減少と合わせ,IoTやAIなど,社会の大きな変化の中で,これからの未来に向けた社会教育の在り方を提示し,振興方策として予算等が必要だとはっきりと述べていっていいと,思っています。

【明石分科会長】 
 ありがとうございました。
 では,秋山委員。

【秋山委員】 
 先ほどから何度も御意見いただいておりますように,やはり学校教育と社会教育というのを非連続的なものとして捉えているような印象を与えると。社会教育という言葉自体があんまりなじめないんですよ。私はここ,生涯学習という,その言葉の方がずっといいと思うんですね。
 それで,学校教育と社会教育で異なる人たちが異なる場で何か政策とか施策を作って進めていくということは,それを受ける身となってみると,非常におかしなことなんだと思うんですね。特に,今,人の生き方というのが非常に変化している。人生100年と言われていて,昔は年齢ベースで決まっている。何歳までは学校に行って,何歳までに結婚して,何歳までに何とかというのがあって,何歳まで定年というのがあったわけですけども,今言われているように,これからは何か,100年の人生を自ら設計して,そして,自分でかじ取りをしながら生きていくという時代に入りつつあるときに,今までのような年齢ベースの画一的な区分をした学校教育,社会教育というのはなじまないかなというふうに思います。
 これから,子供たちも含めて,それから,大人も含めて,例えばキャリアもいろいろ自由になって,二つのキャリアを同時に持つとかですね。だから,企業で働きながら地域でNPOの活動をするとかということも可能だし,いろんな自分の設計に従っていろいろな生き方ができているときに,そういう常に学ぶ場があって,それを発揮するような学びと活動の循環ということもありますけれども,そういうことが常にできるような文科省としての教育制度と言うんですかね。それを作っていく必要があるんじゃないかなというふうに今思っております。
 だから,そういう連続性と,学校教育と社会教育というものの連続性,だから,そこの垣根を取っ払うような,そういう姿勢と,それから,実際に連携して,学校教育の中でも,いわゆる大人と言われている人たちも学ぶ場があるし,それから,子供たちも地域の中で学ぶということをもっと学校教育からは取り入れてほしいので,例えば私が大分前から,地域で一つのまちで,自分が住んでいるまちに1か月に1時間,自分の住んでいるまちのために働こうという運動を起こそうということを言っているわけですよ。皆さん,いいねというふうにおっしゃるんですね。
 それで,それは小学校の1年生からもう九十何歳まで,全ての人たちが1か月に1時間,何ができるかということをみんなで考えて働こうと。まずそれは小学校,中学校で,ホームルームで何ができるかねというようなことを議論して,それを市役所のホームページに出すとか張り出すというと,大人も見て,あれで,これもできる。私,これだったらできるよとか,いや,こんなこともできるんじゃないかということをみんなでやって,土曜日に15分ずつやってもいいし,1か月に1回やってもいいですし,毎日少しずつ5分ずつ何かやるということでもいいんだけれども,そういうことを全ての世代の人たちが一緒にできるような場という,そういうのも一つ提案しているんです。
 それは本当に私は学ぶ場になると思うんだけれども,それから,地域づくりにもなると思うんですけれども,やっぱり学校教育の立場から言うと,それは非常に抵抗があって,なかなか教育委員会に通らないということがあるんですね。だから,そういうのは一つの例なんですけれども,もう少し学校教育と社会教育というのを連続して,そして,お互いに連携して。東大なんかも一番,本当にもう最悪なんですけれども,門戸を全然開いてないんですよ。自分たちの入学試験を受けてきた人たちしか聴講も許してないというふうな大学で,私は非常にけしからんというふうに思っているんですけれども,要するに,学びたい人が学ぶのが大学,学校なので,学びたいと思う人が学べるような,そういうシステムにやっぱり切り替えていくという方向であってほしいなというふうに思っております。

【明石分科会長】 
 ありがとうございました。
 では,寺本委員。

【寺本委員】 
 ありがとうございます。いろんな視点からのお話を頂く中で,社会教育という入り口がPTAでという,生重委員のお話がありましたとおり,確かにPTAは子供が学校に通っているからというところがあって,活動に参加して,結果,社会教育関係団体だったんだと後で気が付くようなところがあるんですけれども,そういう点では,まだ子供が学校に通っているうちは,誰かがやっているからという,周りにそういう社会教育という形で参画してらっしゃる方を見聞きする機会があるんですが,これがそれをだんだんと卒業して,次の段階に行くと,人としてその地域に住んでいるんだけど,意外と住民の方々と,住民も変わっていくこともあるんですが,そういう接点がないとか,また,いろんな事例を知る機会がないとか,さっき話があったように,小学校も中学校もだんだん子供が少なくなって,廃校になったり,合併していったりすると,今までのコミュニティであった地域の単位が変わってくる。変わってくると,また新たな方々との接点がないというようなこともあったりして,結果的に社会教育に入っていくための情報だとか,また,後押しをしてくれる環境というのがなかったり,変わっていったりしている実情があると思うんです。
 例えば人一人捉えたときに,子供の頃は,例えば幼児であれば,幼児として通っている保育所であり,また,幼稚園の先生がいたりとか,そういった方々がいろいろと教えてくれる。児童生徒も同様に学校の先生が教えてくれる。学生であれば,また大学の先生だったり,また,友人,先輩だったりが教えてくれる。社会へ出たときに,今度は働くようになると,働きに行った先で教えてくれるかというと,ここで大きな差が出ると思うんですね。
 例えば企業へお勤めで,ある程度CSR活動,地域貢献活動という形でやってらっしゃるところで,社会教育の活動をしているところに触れると,ああ,こういうことがCSR活動なのか,ああ,なるほど,これが社会教育なのかということを教えられたり,気付く機会がある。ですが,そういうところがないところに行くと,本当に忙しい。朝から晩まで仕事を一生懸命やって,働くだけで,なかなかそういう場面に触れ合うことがない。もっと言えば,企業としてそういう社会貢献をやってらっしゃるんだったら,どうぞやってください。PTAでもどんな活動でも結構ですから,背中を押してあげて,お休み取っていただいても結構ですし,それはもう会社として是非やってくださいというような企業も,実は日本の中にはありまして,そういうところにお勤めになっている人は本当に一生懸命,仕事も楽しんでいますし,地域活動も楽しんでやっています。
 社会教育を一生懸命やっている人が,今度は会社としては実は社員教育になっている。社会教育が社員教育になっているという実情があるんですね。そうすると,会社としても,そういった人材が活躍してくれて,会社としても非常に業績や運営がよくなって,Win-Winの関係になっていくということがあるので,そういう点では我々が今,議論している教育現場の学校教育とか,また,社会教育とかというだけではなくて,企業だとかそういった背中を押してくれるような方々にも働き掛けをしていかないと,気持ちよく社会教育に,ちょっと一歩踏み出したいなという方がいても,なかなか踏み出しにくい環境もあるのではないかなというように思います。
 また,持てる能力を引き出すという点で言うと,それぞれが持てる能力を発揮するにも,企業なら企業での得意分野があるでしょうし,また,学生なら学生での学んだ,自分のやりたいことや知識を生かしていくという場面もあるでしょうし,そういったどんなところで自分たちの能力が生かせるのかな。また,足らないところをどこで学んだらいいかなというところで,学ぶだけではなくて,能力を発揮する部分がどこにあるかということを教えてあげることも,さっきのアウトプット,インプットではありませんが,アウトプットのところからインプットを学ぶという機会にもなっていくのではないかなというふうに思うものですから,どうしても学校現場や社会教育でという範疇の中に失われがちな企業だとか,また,民間の方々のいろんな知恵,知識を借りるのはもちろんですが,そういった方々の理解を深めるようなことも併せてやっていかないと,この社会教育,これまでの関係だけではなかなか難しくなる。もっと言うと,日本人の数が少なくなっていくという統計が,また将来の予測も出ている中で,外国人の方々もおみえになれば,当然その方々も社会教育の関係でいけば,一人のメンバーとして一緒に活動していくことになるものですから,そういったことも含めて,幅広い,これからの社会教育の観点も必要ではないかなと,こんなふうに思っています。

【明石分科会長】 
 ありがとうございました。
 では,最後,山本委員。

【山本委員】 
 遅れてまいりまして,すみません。組織の再編があるので,生涯局も名前が変わるし,社会教育課の名前が変わるので,そういう意味では,この体制の最後の会議かなと思ってちょっと感慨を込めて。それと,これを引き継ぐであろう方々へのエールを込めて発言したいと思っております。
 私,第6期,2011年の3月から,4期にわたって議論にお付き合いしてきて,途中,迷走したような時期もあったかなと思うんですけれども,というのは,いろんな課題が横からも入ってくるのでと思うんですけれども,今回のレポートの原案を読んだり,きょう,いろんな議論を聞いたりしまして,社会教育を本質的にどうするかという,非常に焦点の合った議論になってきているなというふうに感じています。
 それは考えてみると,やっぱり6期,7期,8期と,委員の方もかなり継続している委員もおられますし,事務局はかなりころころ変わっているという感じですけれども,ある意味で言うと,委員の側と事務局の側で,社会教育についての限界も含めた本質理解が,コンセンサスが高まってきている反映かなという感じもするんですね。
 その意味で,これはエールなんですけど,先日,国立大学の生涯学習系のセンターの会議。国立大学は今,86ありますけれども,生涯学習系をやっていると感じているのが25ぐらいでしたっけ。25ぐらいあるんですけれども,大学のことも言及していただいておりますが,大学も,さっき秋山さんのお話にありましたけれども,非正規の学生を相手にするというのは日本の大学は非常に未成熟で,突然最近,リカレント教育とかいろいろ言われてきて,その部分が事業的には拡大しようとしていますけれども,やっぱりどうしても,さっきアウトプットという話があったんですけれども,生産性革命,手段であったり,稼ぐ力の担い手であったりというような,要するに,期待が非常にこれは大きいので,本当に大学は何ができるかというときに,非常に未成熟な方法をそのまま拡大するということであってはならないと思っているんですね。
 その意味では,先ほど御紹介しましたけど,25,生涯学習系のセンターがあるんですけれども,これもだんだん推移,まあ,大学も今,個別大学の再編成になっているので,どんどん衰弱していって,そういう財産がどれだけ継承されるかという問題もあるんだと思っているんですね。
 関さんもおっしゃいましたように,生涯学習という,大人の学びというのは,アウトプットは自分のプロセスで決めていくというか,誰かに決められた目標に到達するんじゃなくて,やっぱりそこのプロセスで自己決定していくというのも,ある意味で,それは本質的な学びで,子供も含めて,このことを非常によく体現している,価値を継承していると思うんですね。
 その意味で,今後ですけれども,生涯局がなくなるにしても,この生涯学習とか社会教育というのは,私からすれば,幸い予算もないし,法律もあんまり厳しくないのが一番いいところで,そういう意味で言うと,学びの哲学と言いましょうかね。教育とは何であるかというのを実際生活の中で経験したものを主張できる,理念を主張できる,ある意味で非常に重要なセクターだと思いますので,これからも是非そういう理念を引き継いだ歴史を積み上げていただけるような発展をしていただきたいと思いますし,その意味で言うと,今度のレポートは,そのことが非常に凝縮されて,抽象的であるという御批判もありますけれども,抽象的であるが故に,理念がしっかり言えるというところもあるので,その辺は是非私は意味のあることだなと思って,考えております。

【明石分科会長】 
 ありがとうございました。今,山本委員の話をお聞きしながら,やはり社会教育が元気な頃は,青年団があったんですよね。青年団というのは,15歳から25歳までが担ったんですよね。大きく二つの役割があって,一つは地域のお祭りを活性化する。お祭りを通してつながりを作っていったんですよね。もう一つは防犯,防災。地域を守る,生命を守る。だから,つながりができた。それが今,ほとんど高校,大学に行って,青年団に入っていかないという。そうすると,この新しい施策の中で,15歳から25歳の若い層をどういう形で元気にして,持っていくか。
 もう人生100年時代と言うけれども,その辺をもう一度見直していけないかなというのを山本委員のお話をお聞きしながら思ったし,今更もう青年団は難しいけども,大学生の青年団ができるんです。この前,千葉の東金市が城西国際大学と提携を結んで,東金市の消防団に,これは消防団ですよ。26名が入ったんですよ。市長が入団式で指名して,防災をやるんですってね。だから,これからはそういう高校生,専門学生,短大生,大学生の地域のきずなづくりに,つながりづくりに導入されるというのも一つのヒントかなというのを思っております。
 以上,きょうは非常に大事な御意見をたくさん頂きました。
 それで,あと,45分ほどしかないんでしょうけれども,あと二つありまして,次が第2章に入りたいんです。それで,資料1-1がございます。1ページの第2章の部分ですが,「社会教育」を基盤とした,人づくり・つながりづくり・地域づくりに向けた主要な視点と具体的な方策とございまして,まずその第1と第2。「学び」の場への地域住民の主体的な参画と,二つ目のポツの多様な主体との連携・協働というものを20分ぐらい,議論いただきまして,その後,できたらまた25分ぐらい,3の社会教育主事,社会教育士等の専門的人材の活用。これはきょう,菊川副分科会長から資料を頂いておりますので,その二つに分けて行いたいと思っております。
 では,最初に第2章の第1ポツ,第2ポツについて御意見がありましたら。さっきも最初の意見で結構出てきておりますけれども,もう一度違う視点で意見を頂ければと思っております。よろしくお願いいたします。
 では,横尾委員,お願いします。

【横尾委員】 
 ありがとうございます。今,座長が申し上げられた今回の2点目と,あと,3点目ともちょっと関連するかもしれませんが,これは拝読をさせていただいて感じたことは,社会教育主事と社会教育士のことが渾然一体となっているような印象も受けたのですね。できたらどこかで区別するとか,シフトしてしまうならやめてしまって,新しいものに絞るとかしないと,地方の現場で,読んでいる方とか,この分野に関わる方は,「俺たちどうするの? どうしたらいいの?」と混乱しないようにしていただいた方がいいかなと思います。
 かといって,やめるといっても,今まで長年やってきたことをやめるというのは簡単なことじゃないので,そういうためらいもあるかもしれませんし,そういう人たちのことを慮り過ぎるとイノベートできないかもしれません。ここは,大所高所や文科省としての国の人材育成の戦略の中から,出された方がかえっていいのではないのかなと思ったのが1点です。
 それともう一つは,多様な人材を活用するということになってくると,「これがあるならいいよ」とか,「これをやったら認めるよ」とかではなくて,もう全部,地方に任せてみたらどうですか。思い切って。その地域に必要な人は,その地域に必要だと思っていることを首長や行政や教育委員会の関係者,教育長はじめ,大いに議論していただいて,多様な人材もそういった社会教育,あるいは教育委員会の一部分に関わることを認めるようなふうにしていただくと,より多彩な方が,期間限定でもいいですけども,力を発揮して,変革を,イノベーションを起こすきっかけにもなっていくのかなということを強く思いました。
 あと,3点目に是非お願いしたくて,まだ文書になっていないのですけど,私はこのことがテーマになるたび,MOOC(Massive Open Online Course:大規模公開オンライン講座)という遠隔の映像とかでも活用する教育のことを申し上げているのですけど,MもOもOもCも入っていませんので,是非入れていただきたい。なぜかというと,地方の方は本当に大変なのですよ。社会教育主事の資格取得のために,仕事しながらスクーリングに行くとか,時間を割いて,経費を使っていくとなると,大変なんです。その職責に当たった担当者の行政マンですらそうだと思います。実はそのための時間の確保も結構大変なんです。何十人もいる現場ならいいかもしれませんが,数人しかいない教育委員会の現場で,一人抜けるというのは大きな意味があるのですね。
 それから,仮に週末あるいは夕方あればとも思えますが,必要によってはオンデマンドで,同じ教育が受けられるのであれば,それは大いに意味があります。しかも,30年前にはできないことですけど,これからはもう普通にできることです。アメリカの西海岸で現場を見てきましたけれども,小中学生がMOOCを使って教育をやっているし,一緒に講習に入ったら,大人の方が戸惑うぐらい彼らはクリエーティブに発想したりするのですね。だから,そういう環境が整いつつありますので,是非前向きにICT,AIの時代なので,考えていただきたいと思っています。
 あと,またまた細かいことですけど,11ページに,これは先ですから言ったらいけませんかね。

【明石分科会長】 
 いや,いいですよ。

【横尾委員】 
 いいですか。ちょっと関連していますけども。「(3)その他」とあるんですけど,ここで「その他」の表現はやっぱりやめるべきだろうなと思います。せめて「ネットワーク」とかですよ。「ネットワークと連携」とか何とかとか,その方が見栄えとしてもよりいいんじゃないのかなというふうに感じたところでございます。
 そして,あと,後段はまだいいんですよね。2節は今回扱わないことだと思いますけど,是非私がお願いしたいのは,社会教育指導主事や教育士のことをすっきりまとめて整理していただいて,かくあるべしということをお示しいただいて,いろんなキャリアの方も,前回申し上げたように,会社で経験した能力を発揮できるような,活性化に使えるような,そういうフィールド,プラットフォームの一部も開いていただきたいというのを思っております。

【明石分科会長】 
 ありがとうございました。
 菊川副分科会長。

【菊川副分科会長】 
 7ページですが,具体策で,いろんな実践事例の実証研究を行うということを書いてありますが,これはすごくいいと思います。今まで社会教育行政で,事例の収集はであるのですけれども,実践の分析研究とまではなかなか行ってないと思いますので,よろしくお願いしたいということと,一方その下に,関係するのかもしれませんけど,「ガイドラインの作成と周知を行う」というところがありますが,社会教育にガイドラインというのがあるのだろうか。守るべきガイドラインという印象なので,少し分かりにくいなと思った次第でございます。

【明石分科会長】 
 では,生重委員。

【生重委員】 
 ありがとうございます。これだけ単独で読んでいたら本当に非常に,いいですねと思うんですが,横尾市長もおっしゃっていたように,地域には,同じ課題で,さっき牧野先生がおっしゃったんですが,いろんな課題がおりてきていて,いろんなネットワークを作れ,プラットフォームを作れ,委員会を作れ。もうまたかつての金太郎飴状態になると。同じような人たちが同じように集まって,違う角度から議論するというのは,私はやっぱりとてもむなしいし,時間の無駄だというふうに思っていて,大きく地域に,地方に任せるというのは一つのお考えだなと思っていて,今一番解決しなければいけない課題って,地域ごとに違うんですよ。学校とまず語り合わなければいけないところと,それから,引きこもっている若者の問題とか,その人たちの活動の場を最初にテーマに持っていきたいというところもあるだろうし,そういうことを全員が共有して,まちのこととしてアクションを起こしていける学びと活動の循環というものが起こって,次に学びたいという社会教育的なところに行くというのが理想なんだとしたならば,負担感を妙に抱かせるというのを避けていただく方法を何とか考えていただきたい。
 もうそれをやめないと,一番要は,学びが大切なんだという,社会教育のここが一番,どの領域に対しても上に来る概念だと思うんです。だけど,実際に当たる人の,人間の数が限られているとしたならば,そこのところをきちんとセクションを超えて,みんながそれぞれに出てきているものを我がこととして語り合う場が生まれてくるということが必要ですし,これからの地方創生の一環として,高校に,首長部局宛ての地域プラットフォームを作って,その高校を生き残らせるためのネットワーク会議を持たねばならぬ的なものがもう発せられていますよね。そういうのを含めて,もうてんやわんやの大騒ぎになってしまわないような方法をどうにか構築していただけたらいいなと思っております。

【明石分科会長】 
 では,宮本委員,お願いします。

【宮本委員】 
 今の御発言を聞くと,またてんやわんやを付け加えるようでどうかと思うんですけど,先ほど発言したことの続きですけれど,12ページのこの囲みの中に,これは二つ,ポツが付いているんですけれど,もう一つのポツとして,こういうのを入れていただければということなんですけれども,生きにくさを抱えた人々を受け止め,学びを通して社会につなげる場。これが社会教育施設に求められている,もう一つの柱だということを打ち出してはいかがかということです。生きにくさを抱えた人々は,年齢,世代等々にかかわりなく,あらゆる状況の人たちです。
 それから,13ページの上から数行分なんですけど,これの文章はセンテンスが長いせいなのか,例えば3行目の最後に,レファレンス機能の充実と書いてあるんですが,たしか,これ,前回そんな話が出たと思うんですが,これは1行目から3行目に書いてあるもろもろの支援は全て「支援に資するレファレンス機能の充実」という意味で書かれていることなのか。そうではなく,レファレンスはもちろんだけれども,実際に支援をやるのかというようなところがこの文章から読み取りにくい。私は両方ではないかという感じがするんですけど,そうすると,ちょっと作文を少し工夫していただくのがいいと思います。
 それから,今の2行目のところの真ん中から後のところですけど,「スキルアップ」という言葉が出ているんですが,これはスキルアップというよりも,キャリア形成や就業等の支援という方がより広く,公民館等でやるべき新しい分野ではないかというふうに思います。

【横尾委員】 
 図書館ですよ。

【宮本委員】 
 ああ,すみません。図書館だから,これ全部,レファレンス機能になっているんですね。失礼しました。でも,3行目のところは,支援というか,キャリア形成にした方がいいのではないかと思います。
 それから,細かくてすみませんけど,同じページの下から3行目のところの「様々な悩みを抱える若者を対象とした相談,引きこもりや」と書いてあるんですけど,今,相談や自立支援,と使うことが多く,単なる相談だけでなく自立支援が入って,ようやく実質的な意味を持つという意味で入れてはどうかと思います。

【明石分科会長】 
 ほかに何かありますかね。では,髙見委員,お願いします。

【髙見委員】 
 髙見でございます。先ほどの生重委員の意見を受けて,この実行される方とのコミュニケーションで,明らかにしておいた方がいいかなと思いましたので,日本全国津々浦々,いろんな課題があって,その課題を解決するための事例を集め,使えるようにしたいと考えているというのが,平たく言うと我々の意思で,それは全部やれという執行権限を持っているわけではないので,それをやるかやらないかを決めるのは,それぞれの現場の方なんだろうという位置関係なのかなと思いました。
 ただ,メッセージ性によっては,全部やれというふうに受け止めて,それは全部はやれないんだよというミスコミュニケーションが発生する可能性もあると思うので,執行者は行政の方々であったり,各区市町村の教育に携わる方々であって,ただ,その方々が何か困ったことにぶち当たったときには,こうした方がいいよと思って,手助けをしたいと思って,いろんな事例も収集しているし,何らかのガイドラインも作成したいと思っているしというようなコミュニケーションを取らないと,すごくせっかく頑張って作っていただいてももったいないことになるなというふうに思いましたので,そこのコミュニケーションがミスコミュニケーションにならないようにするといいのかなと思いました。

【明石分科会長】 
 ありがとうございます。
 では,横尾委員。

【横尾委員】 
 ありがとうございます。ちょっと確認なんですけれども,13ページの博物館というのがあるんですが,実は都道府県や市町村にある施設の中に,郷土資料館とか戦没者資料館とかあるんですけど,これは博物館に入るんですか。

【中野社会教育課長】 
 入ります。

【横尾委員】 
 その範疇に入るのだったら,それを分かるようにどこかに書いていただいた方がいいです。教育関係者は明確に位置付けが分かって,努力の方向性も見えてくるのだろうと思います。

【明石分科会長】 
 そうですね。
 では,次のテーマで,第2章の3番目,社会教育主事等の専門的人材の活用の部分につきまして,まず菊川副分科会長から提出いただいております,資料についての御説明をお願いいたします。

【菊川副分科会長】 
 資料2でございます。毎回同じことを言うようで恐縮でございますが,私は長年,社会教育を見ておりまして,やはり専門人材をどう配置するかということが決定的に大事だと思っております。と申しますのは,先ほどからの議論にありますように,なぜ文科行政が社会教育を担うのか,あるいは教育委員会がなぜ担うのかということを考えたときに,やはり学びがベースにあるということとか,あるいは学校教育とつながっている,あるいは人づくりは子供から高齢者までずっとつながっているということを考えたときに,そこを所管する人は,教育とか学びに対する深い理解がないとうまくいかないのではないかというふうに思っております。
 そういう意味で,お手元にありますように,社会教育主事及び社会教育士の需要ということを考えたときに,まず教育委員会の中に正規の発令者を増やすということが大事です。それから,社会教育主事と同じ養成を受ける社会教育士をどのくらい,どういう計画で増やしていくのかということはとても大事なことだと思っております。
 どういうところに可能性があるかというと,まず社会教育施設を所管する首長部局の職員,それから,地域学校協働活動の推進員,それから,指定管理の管理者,それから,PTAのリーダー,地域活動のリーダー,NPOの担当者,それから,民間企業の研修担当者も可能性があると思います。
 その「人づくり・つながりづくり・地域づくり」とつながるときに,つながる双方に専門人材がいるということが大事でございまして,そういう意味で,今,全国の社会教育主事の発令とともに,有資格者がどのくらいいるのかのデータ等もあるといいなというふうに思っております。
 では,これをどういうふうに今後養成していくのかというのを2番目に書いております。社会教育主事は,大学での養成課程と主事講習と二つございますけれども,今後,民間の方の中に,社会教育士取得の希望者が増えた場合には,今の方法では対応できないのではないかというふうに思っております。
 特に先日,前回の会議のときに,寺本委員が最後に御発言された,今の社会教育主事の有資格者ですが,新たに社会教育経営論と生涯学習支援論の2科目を履修しないと,社会教育士にはなれないということでございます。 この経験者の中に戦後の社会教育の財産を体現している人たちがいると思います。だから,こういう方々が学校の現職者であろうと,行政職員であろうと,あるいは退職者であろうと,社会教育を今後引っ張っていく,地域で引っ張っていく核になり得る人たちだと思います。
 では,そういう人にこの2科目をどう履修させるのかというのを,お考えだと思いますけれども,緻密に検討しないといけないというふうに思います。
 それで,先ほどMOOCの話も出ましたけれども,たまたま今,放送大学におりますけれども,放送大学でも今でも4科目中の3科目取れるシステムを持っておりますけれども,必ずしも受講が多くございません。それはなぜかというと,資格にならないからなんですね。ですから,今後これが資格になるといった場合に,やはり先ほどおっしゃったように,ネットで勉強できるというのは社会人にとって福音でございまして,これがないとなかなか進みません。そういう意味で,放送大学が社会教育実践研究センター,あるいはほかの大学とも連携を組んでやっていくとか,どのくらいの人数をどう作っていくのかというのを32年からの発足ですけれども,ここ1年ぐらいの間にワーキングでもきちっと議論して,実務的にどのくらいの可能性があるのかということを検討すべきではなかろうかというふうに思っております。
 若い学生さんが有資格者になるのもいいですけれども,このたび,厚生労働省で公認心理師の国家資格がでできたのですが,放送大学で公認心理師希望者が非常に多うございます。やはり大人は学んだことを資格化していく時代に来ておりますので,そうなると,人間関係力も含めて,今までの活動歴も含めて,社会教育士というのは非常にいい資格になると思います。最初の話に戻りますと,この資料1-3の図でございますけれども,考えてみますと,平成の時代から,生涯学習と社会教育,これに生涯学習がないと,最初発言されましたけれども,やはり新たな時代の社会教育ということであれば,例えば平成10年代の生涯学習,社会教育の動き,平成20年の答申,平成27年の学校地域協働活動の答申,そういうものを踏まえた新たな学びとは何か。新たな社会教育とは何かということが人づくり・つながりづくり・地域づくりの中で踏まえて,もう一歩出てくるといいなと思っておりますし,その際,この社会教育士,社会教育主事は,その中でも一番の具体策を持つものとして反映されるのではないかと思っております。

【明石分科会長】 
 ありがとうございました。今の菊川委員からの提案も踏まえまして,第2章の3ポツの専門的な人材の活用について,牧野委員,お願いします。

【牧野委員】 
 どうもありがとうございます。今,3の議論なのですが,2章の1,2も関わるかと思います。実は印象を言いますと,この第2章のところもそうなのですけが,何となく個人ですとか主体性といったことが極めて強く出されている感じがしていて,それは確かに大事だと思うんですけれども,もう少し,今までの御議論も踏まえ,しかも,第1章での議論も踏まえて考えますと,例えば個人のニーズに合わせてという表現があるのですが,例えばニーズもそうですし,例えば主体性というところもそうでしょうし,さらには,生涯学習と社会教育との関係といったことも出てくるかと思いますが,もう一歩踏み込んで,では,なぜニーズが発生するのかとか,主体性の出どころは何なのか,なぜ主体性を持つようになるのかという問いを立てる必要があるのではないでしょうか。それは,その人がある関係の中に置かれることで,または誰かからある必要をもたらされることで,その人がそれを変えようとして,また自分を実現しようとして,ニーズが発生したり,または主体性が出てきたりするということではないかと思います。どういう書きぶりにするかで悩んでいて,なかなか発言できなかったのですが,今の菊川委員のおっしゃったことも含めて考えますと,例えば対話的な関係を作ることで,人々が学びの方主体へと変化していくこと,その学びとは自分と社会を変革し続け,新たに発見し続ける終わりのないプロセスのことだというような,何かそういうような議論があっていいのかなと思うのです。
 具体的な中身については,私はこの1,2,3の中身で基本的にいいかと思うのですが,もう一つその前提条件として,例えば社会教育とは一体何なのかという議論を第1章でするわけですが,その後で,やはり社会教育とは生涯学習とは違うのだ,ということを書き込んで,その上で,第2章の議論につなげられないでしょうか。例えば生涯学習の規定は,その基本を個人のニーズに求めていて,個人の必要に応じて自ら選んで行うということがベースになっています。つまり,個人の学習がベースになっているわけですけれども,実は,この学習の更にベースに当たるところに社会教育というものがあって,人々が対話的な関係に入っていくことで,先ほどの議論であるようなお互いに認め合う,相互承認関係ですとか,自己肯定感ですとか,更に自らが住民としてその地域を変えていこうとする,ある意味で新しい社会を作り,担おうとする気持ち,つまり当事者意識を持つようになる。この社会教育がすべての人々に保障されることで,それを基盤として,自己肯定感を高め,当事者意識を持った人々が,個人として,更に生涯学習という形で学んでいく。それが更に学習成果の社会還元という形で循環する。こういう論理が必要なのではないでしょうか。
 そういう意味では,社会教育そのものが生涯学習の基盤でもあるし,地域づくりの基盤でもあるという議論を基盤として,この第2章の議論に展開していく。しかも,その基盤を整備するものとしての第2章の第3という形で,その専門職の在り方が問われてくる。こういう論理の構造が取れるといいと考えています。すみません。具体的にこう書いたらいいのではないかということが言えないものですから,申し訳ないのですけれども,こういう論理の構造を取ったらどうかと思いました。ありがとうございます。

【明石分科会長】 
 ありがとうございました。
 では,関委員。

【関委員】 
 ありがとうございます。今,牧野委員からの意見もありましたけれど,それともつながるかもしれませんが,社会教育主事,それは当然行政の中にいて,いろいろな事業をコーディネートする,オーガナイズするというのは分かるんですけれども,この社会教育士というものを我々がイメージするときには,例えば社会教育主事として,教育委員会事務局には置かないけれども,例えば公民館等の社会教育施設等にこの資格を求めるというところまで,あえて今踏み込もうと,正直考えています。
 そして,それぞれの専門性を高めていく。もう一方では,市民のいろいろな活動をしている方,今,非常に増えてきていると思うので,その人たちがこの資格を持つことによって,大義名分というか,自分たちが動きやすい状況を作り出してあげたいなという思いがございます。そういう意味で,こういう人が増えていくことが全体の底上げをしていくものにつながると思います。
 あと,今後,11ページですかね。下の方の2行目にあるところの「社会教育推進員」というもの,それをどういうふうに,逆に位置付けていくか,その辺を今,考えていきたいなと思っております。
 ちなみに,これは非常に下世話な話なんですけれども,例えば放送大学でこの社会教育主事講習を受講する際には,やはり当然有料という形になるようになりますかね。

【菊川副分科会長】 
 もちろん単位ごとに有料にはなるんですけれども,政策的なことですから,何か特別のことができるのかどうか。放送大学は,この10月から2チャンネル化するのです。今までの大学の講義は232チャンネルになって,別に231チャンネルという資格系とかリカレント系のチャンネルができる。ですから,今までと違った料金体系もあると思いますので,その辺は政策課題と放送大学も公費でできておりますので,そこの関連かというふうに思います。私が責任を持って発言することではないですけれども。

【関委員】 
 はい。ちなみに,先生,もう1点だけ構わないですか。ちなみに,先ほどもあった社会教育推進員なるものが制度として動くときに,この全部の課程を受けずに,例えば社会教育経営論のみを取って,スキル的なものを高めていく人材が推進員になるということはイメージできますかね。やっぱり全ての課程を受講するというのが前提条件になりますかね。

【菊川副分科会長】 
 本当を言うとやはり,学んでいる大人は,放送大学の現場で見る限りは,本物の資格を求めていますね。ですから,4科目取れるのであれば,それで取って,自信を持ってやっていかれた方が御本人にとってもいいというふうに思います。

【関委員】 
 仕事につながるというイメージであれば,その資格を生かすというイメージが湧くんですけれども,地域の中で活躍していこうという人材。そのときに果たして本当に全部の課程が必ずしも必要なのかどうかというところに少し疑問を抱くんですが。

【菊川副分科会長】 
 社会教育主事の講習の場合,講習は40日間行かないといけないのですね。ですから,私がここで書きましたイメージとしては,例えば演習とか実技が要るところは実際の講義に行ったらいいとで思うのですけれども,大人は座学でも理解できる。経験がありますので理解できますので,座学でできるところと実技をするところを混ぜてすれば,そんなに負担じゃないのではないかと思います。経済的なことはあるかもしれませんので,そのあたりのところはまた工夫する余地があると思いますけれども。

【明石分科会長】 
 では,生重委員。

【生重委員】 
 ありがとうございます。私も関教育長が気になったところで,こちらの社会教育推進員(仮称)となっているのは,例えば地域学校協働活動の推進員を法的に位置付けられ,委嘱を受けるという,その同じような形で,推進員という名前で,現場は混乱しないのかなということを一番懸念します。
 その学校教育の方の,地域学校協働をやっている推進員が課題を感じて,社会教育の方のものを取り組むというのが,私は一番理想だというふうに思っています。長いこと,社会教育主事と主事補の資格のありようなんかの論議にも参加させていただいた手前,やっぱりある一定の学習というのは絶対に必要だというふうには思うんですが,例えば私が杉並の委託事業として,杉並の学校の周辺でお仕事をするコーディネーター,今,推進員に変わりますが,コーディネーターたちは,杉並では私どもに委託金を払って,15時間の座学と現場のOJTが,新人は必ず15時間。2年目以降はスキルアップ研修という形で,4時間かな。そういうことを行政側が予算化してくれているんですね。
 杉並でこの活動をすることを認めるというものが単位,ちゃんと受講してくださった方には教育委員会から渡されるわけです。私も関先生が言っていたように,資格になる,仕事になる,意識高い系の人たちは受けに行くと思うんです。でも,今できることをフィールドの中でやっているという人たちもとても大事な人たちで,その方たち全員がそこに取りに行かねばならぬにならなくても,例えばやっぱり地方を講演させて,研修を受けていて思うのは,しっかりした社会教育主事さんがいるところは意外ともっているんですよ。その社会教育主事が学校現場のアドバイザーであり,そして,本当に学びを起こしていくときに,現場で一生懸命やっている人たちが考えたことを,いいねとか,これ,もっと工夫するといいよみたいな励ましの言葉で,実施,実行していって,成功して,やる気が上がっていくという現場をたくさん見ていると,本当にあの人たちは,主事補を取りにいくだろうか。いくら2チャンネルでやろうが,2チャンネルって何? と言われそうな気がするので,どうなのかなというのをちょっとここの一端に。だから,さっきどなたかが言っていた,最初の方のあれと同じに,地方独自にやっぱり今,数ある,意欲があって,参画してくれる方たちが持続可能にやっていけるような形が望ましくて,私の友人も,そういうことをやりながら,大人塾を起こしたりしていて,必要だといって,お茶の水大に社会教育主事補の資格に取りにいったという友人がいるんです。それは自分が学んだから,学びを求める。そして,現場に生かすになるわけで,全ての現場が資格を取らねばならぬという状況には余り置いてほしくないなというふうには思います。

【明石分科会長】 
 ありがとうございました。
 あと,時間の関係で,横尾委員と髙見委員で。まず横尾委員,お願いします。

【横尾委員】 
 ありがとうございます。先ほど申し上げましたが,地方自治体の現場でこんな課題もあるなということを皆さんにも知っていただきたいので,発言をさせていただきたいと思います。
 例えば,社会教育主事の資格を取得した職員がいるとします。必置義務だとなれば,その人を優先的にそこの部署に置くようになると思います。スタートして三,四年か,四,五年はいいかなと思います。しかし,じゃあ,ずっとこの人が,そこの役職にいるのですかという問題なのです。そこにずっといて,確かにベテランになっていくのは本人にとっていいかもしれませんが,不幸なのは,地方公務員としてある分野のことしか分からなくなる可能性もあるということなのです。人事的や総務的に言うと,首長含めて何を思っているかというと,「多様に活躍してほしいので,いろんな分野に行って活躍もしてほしい。」ということです。
 じゃあ,彼か彼女が異動したとします。では次には,その部署を誰に担ってもらうかになる訳ですね。そのときに適切に,適宜的に,パッと代替できる人がいればいいですけれども,社会教育主事の資格がなければ必置義務に違反するじゃないかとかいう議論になってしまうことがあるのです。これは大変もったいない話であって,じゃあ,次の候補者の人が,こういう素養がないかというと,いや,素養もあると,熱意もあると,行動力もあると。でも,たまたま講習を受けておらず資格がないと。そうすると必置条件をクリアしたことにならないのです。
 だから,そういった意味も含めて,少しこの辺の整理や緩和というものをしていかないと,あるいは講習が必要なら講習を受けやすくするという菊川委員からのペーパーに出てきた意見には私も同感です。これはとても大切と思っているところです。
 あと,整理のために確認ですが,この10ページに書いてあるように,2020年から社会教育士と呼ぶことができるとされているのですけど,じゃあ,分かりやすく言うと,2019年の年度末までは社会教育主事だけど,それは2020年になるとともに,やめになって,全員,社会教育士と認識していいのでしょうか。

【中野社会教育課長】 
 2020年から,参考資料3というのを付けておりますけれども。講習の内容も変わりまして,新しい講習を受けた方が社会教育士でございますので。

【横尾委員】 
 両方存在するということですか。必置義務としては社会教育士を置いてもいいのですか。

【中野社会教育課長】 
 必置義務は主事でございます。

【横尾委員】 
 だから,そこが曖昧だと思うのですよ。せっかく多様な人材を活用するということで,「オーケー,あなたもどうぞ」となる。でも,主事じゃないから,あなたはその役職としては,置かないよということでしょう。この点は,明確にした方がいいと思います。そうしないと,期待だけ持たせて,活躍できる権限を与えないということでは,非常に欲求不満がたまってしまうのではないかなと。先の心配ですけれども,そういう気がしています。是非整理してほしいと思います。

【菊川副分科会長】 
 私の理解では,社会教育主事講習を受けた人は,全員,社会教育士と称せられる資格を持つと。その中で,発令行為があるのが社会教育主事だというふうな理解をしております。

【横尾委員】 
 発令ですか。

【菊川副分科会長】 
 発令行為です。それは兼務であってもいいし,専任であってもいいと思います。

【横尾委員】 
 役所からの発令ということですね。

【菊川副分科会長】 
 はい。ですから,社会教育主事自体は今のところ教育委員会にしかいないという形になります。ですから,そういう意味では,教育委員会の職員も首長部局の行政職員も社会教育士をできるだけ多く増やしていって,人事異動もしやすいようにされるといいのではないかと思っております。

【横尾委員】 
 ちょっと議論になってすみません。私,実はこの趣旨を見ていて,社会教育士に必要なファシリテーティングとかオーガナイズとかいうスキル修得は,極端な話,あらゆる人が持った方がいい,あるいはリーダーシップを取りそうなポジションに付く人が持った方がいい素養なので,もっと広くこれを学べるようにしたらいいなというのは感じています。

【明石分科会長】 
 では,髙見委員。

【髙見委員】 
 髙見でございます。そろそろの3ポツの流れは,今おられる社会教育主事や社会教育士の方々の活用をしましょうというファーストステップがあって,足りない可能性があるよねという,その次の活路が,だったら社会教育主事を増やそう。でも,増やすのが大変だから取りやすくしようという,何となくこう,そこからの論理が少し乱暴かなと思っておりまして,今いらっしゃる方を活用するというのはみんな大賛成かと思います。その後,足りないと思われる方々の要件定義をして,それが社会教育主事を増やせば事足りるかどうかの検証は,今のところしていないのではないかなというふうに思っておりまして,なので増やせば解決されるということがまだ議論がされていない中で言うと,じゃあ,足りないとなったときに必要なのはどういう要件,どういう資質であったり,資格であったり,スキルであったり,要件を持っている人で,その人たちをどう増やすのか。その増やした方々に何らかの権限が必要なのであれば,違うポジションを作って,そこに何らかの権限を渡すということも含めて,検討した方がスムーズなような気はいたしましたので,御意見差し上げます。

【明石分科会長】 
 ありがとうございました。大体用意した時間に迫ってまいりまして,今回はこの辺で終わりにしたいと思います。
 きょうの議論を次回以降の答申に向けた検討に向けて生かしていきたいと思っております。
 それでは,事務局に連絡事項をお願いしたいと思います。

【菅野生涯学習推進課課長補佐】 
 事務局より事務連絡をいたします。次回の分科会ですが,10月15日月曜日10時から12時30分でございます。場所は,文部科学省内の15階の特別会議室を予定してございますが,詳細につきましては,事務局の方からメールにて御連絡をさせていただきます。
 また,本日の資料につきましては,机の上に置いておいていただけましたら,後日郵送をさせていただきます。
 連絡事項は以上です。

【明石分科会長】 
 それでは,本日の生涯学習分科会は,これにて閉会いたします。ありがとうございました。

― 了 ―

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電話番号:03-5253-4111(内線3273)
ファクシミリ番号:03-6734-3281
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