社会教育推進体制の在り方に関するワーキンググループ(第5回) 議事録

1.日時

平成25年7月18日(木曜日)14時~16時

2.場所

文部科学省9階 生涯学習政策局会議室

3.議題

  1. 審議の整理について
  2. その他

4.議事録

【浅井座長】  定刻でございますので,ただいまから第5回中央教育審議会生涯学習分科会の社会教育推進体制の在り方に関するワーキンググループを開催させていただきたいと思います。本日は,お忙しい中,また,急に東京は暑くなってしまいましたけれども,お暑い中,お集まりいただきありがとうございました。
 それでは,本日の議事の確認をさせていただきたいと思います。お手元の議事次第を御覧いただきたいと思います。
 本日は,中央教育審議会生涯学習分科会社会教育推進体制の在り方に関するワーキンググループにおける審議の整理について議論させていただきたいと思います。
 議事に入る前に,事務局より配付資料についての御説明をお願いしたいと思います。

【新木企画官】  配付資料の確認をさせていただきたいと思います。
 議事次第にありますとおり,本日,資料1と,それから資料2の方をお配りしております。資料1の方が審議の整理(案),資料2の方が糸賀委員の方から提出された資料となっております。資料の不足,その他お気付きの点等ございましたら,事務局の方までお知らせいただければと思います。

【浅井座長】  よろしいでしょうか。それでは,ありがとうございました。
 議事に入らせていただきたいと思いますので,事務局から審議の整理(案)について御説明をお願いいたします。

【新木企画官】  それでは,資料1の方を御覧いただきたいと思います。
 これまでワーキングの方ではヒアリング,それから討議等を行っていただきましたけれども,それら4回における議論,それからその間に委員の方からメール等で頂いた意見を踏まえてこの審議の整理(案)の方を作成しております。
 まずは1ページ目,「はじめに」の部分で,背景を書いておりますけれども,第6期の中央教育審議会生涯学習分科会の議論の整理において宿題となった事項が幾つかあるということで,この第7期の生涯学習分科会の下にワーキングを設置したという旨を書いています。
 この間,閣議決定に基づきまして内閣総理大臣の方で開催された教育再生実行会議の方の提言が4月15日に出されましたけれども,教育委員会制度の在り方と,こういう提言が出されまして,これが4月25日に中央教育審議会の方で3点諮問されて,現在,その教育制度分科会の方で審議が行われております。
 この中で教育委員会制度の在り方に関する検討におきましては,新しい教育委員会の職務権限をどのように考えるかということも大きな論点の一つになっておりますけれども,地方教育行政の組織及び運営に関する法律第23条に包括的に規定されている事務のうち,社会教育の所管についても検討すると,こういうことになっています。
 こういったことを背景としましてワーキンググループでは,まだちょっと第6回をやっておりませんけれども,まとめたということでこの審議の整理(案)というものを作っておりますけれども,これは飽くまでワーキンググループとしての議論の整理ということで,今後,教育制度分科会,それから生涯学習分科会の方で更に議論が行われていくというような形になっております。
 2ページ目をおめくりいただきたいと思います。このワーキンググループにおきましては,主な論点としましては大きく二つございまして,一つが社会教育行政の推進の在り方ということで,社会教育の所管をどうするかという話が一点。それから,第6期におきまして宿題となっておりました専門的人材のうち,社会教育主事の在り方をどうするかというこの2点が大きな2つの論点となっております。
 まず一点目の社会教育行政の推進に体制の在り方ということですけれども,まず1として社会教育行政と教育委員会制度ということで書いています。社会教育行政の任務につきましては,言うまでもございませんけれども,教育基本法12条に,社会教育を振興していくというような旨の規定がございます。これを受けまして社会教育法にもその旨ございますけれども,基本的には環境を醸成するということ,それから必要に応じた支援を行って奨励に努めていくということが社会教育行政の任務ということにされていると,こういうことが書いてございます。
 こういった社会教育行政でございますけれども,(2)の部分では,現行制度において社会教育に関する事務というのは,学校教育と同じく教育委員会が所管するということにされているわけでございますけれども,その教育委員会制度の趣旨というのが教育行政の執行に当たりまして,政治的中立性の確保,それから継続性・安定性の確保,それから地域住民の意向の反映と,こういった三つについて確保していくということが趣旨とされております。
 社会教育に関する事務の所管を考えるに当たっては,こういった教育の特性であります三つの趣旨というのが,教育委員会でなければできないのかどうかということを考えた上でやっていくということが必要であるということであります。
 二つ目の丸でございますけれども,社会教育の所管につきましては,24年7月に全国市長会の方からも教育委員会の設置自体を自治体が選択できるようにすべきといったようなことですとか,教育委員会の所管する社会教育に関する業務について,地域の実情に応じて首長の下で一元的に実施すると,こういうことを可能にすべきであるといったような提案もなされているところです。
 こういった中で,先ほど申し上げた三つの趣旨について社会教育について考えたときどうなのかということを以下で書いています。
 まず,政治的中立性の部分でございますけれども,教育というのは教育基本法でも書いてございますように,人格の完成を目指して平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な地域住民の育成を期して行われるということがございます。当然ながら,その内容というのは特定の宗派あるいは党派的な勢力から影響を受けるということなく中立公正であると,こういうことが必要ですし,こういった教育の政治的中立の確保の必要姓については,学校教育だけではなくて社会教育についても必要であると,こういうことで教育基本法第16条において定められているところです。
 もともと教育委員会法というのが昭和23年にできまして,それから,それを基に教育委員会が設置されているわけですけれども,当時の趣旨というのは民主化と地方分権という二つでございました。それが昭和31年に,当時,公選制であったのですけれども,31年に地教行法が制定されたことに伴いまして,公選制が任命制へと変わったということで,政治的中立性の部分について確保しなければいけないと,こういうような部分ができたということで,一定の独立性を持った機関が責任を持って行うということにされてきたわけです。
 こういった背景を基に学校教育と社会教育について考えると,学校教育については児童生徒の発達段階に応じて体系的な教育を行うということで,社会を生きる上での基礎的な素養を身に付けさせるということであるのに対して,社会教育については成人あるいは青少年ということで,児童生徒と比べると一定程度の政治的意識あるいは素養というのを有しているということ,それからそういったものを対象にしているということと,もともと社会教育が自主性あるいは主体性の尊重を前提として多種多様な内容で行われるということ。さらに,かつてのようなメディアが未発達だった時代と比べますと,インターネットあるいは新聞,テレビ等の新しいメディアも発達して,いつでも多様な情報が得られるようになったということで,社会教育については,こういった政治的中立性に留意する必要性は薄れているといったような意見もあるところです。
 更に社会教育というのが教育委員会だけではなくて,一般行政が推進している普及啓発活動,あるいは理解増進活動とも緊密な連携協力等を行うということで,それぞれが行うことによって相乗効果があるというような考え方もございます。
 こういった意味で,政治的中立性という部分については,学校教育と比べるとそれほど求められていないと言うとあれですけれども,度合いは低いと言えるのではないかと思います。
 それから,継続性・安定性につきましては,これも学校教育と社会教育を対比した形で書いていますけれども,基本的に学校教育については児童生徒の健全な成長発達のために一貫した方針の下に行われる必要があると。すなわち,首長が4年の任期で替わったからといってすぐに変えるということは非常にいろいろな問題があるということで,改革あるいは改善というのは漸進的なものであるということが望まれております。
 一方,社会教育行政というのは,その目的とするところは憲法26条で保障されている教育の機会均等の原則を実現すると,こういうことになります。地域住民や民間団体が自主的な社会活動を円滑に実施できるように奨励援助し,環境を醸成していくということを通じて個人の要望あるいは社会の要請に応じた様々な学習機会が継続的に安定的に提供できる,こういうところが求められているわけでございまして,これは何も教育委員会だけで社会教育行政を行っているわけではないというような観点から言えば,ある種,学校と比べて非常に自由な世界であるということで,かつ,様々な主体が様々な学習機会を提供していくという意味においては,余り教育委員会になければいけないという理屈にはなかなかなりづらいというところがございます。
 それから,4ページ目の地域住民の意向の反映というところですけれども,この部分については社会教育においては特に地域住民の意向の反映ということが必要であるということは当然ですけれども,他方でこういった考え方というのは教育委員会は当然あるのかもしれないですけれども,それよりもむしろ社会教育委員あるいは公民館運営審議会,こういった制度が設けられているところが非常に大きいのではないかということを書いてございます。
 それから,2ですけれども,教育委員会が所管する社会教育の現状と課題ということで,ここでは大きく社会教育がいわゆる学校教育周辺の社会教育と,首長部局に近いところでやられているような社会教育ということで2つ書いてございます。教育委員会が所管している理由の1つとして,学校教育との連携というのがあるわけですけれども,(1)の部分ではそういった観点で,学校教育と社会教育の連携が非常に重要であるということで,18年の教育基本法,それから20年の社会教育法改正でもそういった規定を置いていますし,そういった活動が更に活発化しているということを書いています。
 こういった社会教育と学校教育との連携が進むことによって学校教育の教育内容の充実というところにもつながりますし,学校運営の円滑化に資するということもあります。さらに,地域住民にとっても,学校と地域の連携が進むことで学習した成果を発揮する場が広がるということは有益であると,こういうこと。
 さらに,後ほど出てきます社会教育主事については,都道府県レベルでは教員が非常に多いということもありますので,学校教育と社会教育が一体的に運営されていると,こういった点でも非常に有益であると言えると思います。
 5ページ目の一つ目の丸ですけれども,こういった学社連携の動きというのは,非常に重要であるということがあるのですが,他方で教育委員会においてでさえ十分な連携・教育が行われているとは言えないという現状がございます。その理由としては,学校教育に重点が置かれている,あるいは予算や人員が学校教育に集中しているといったようなこと,それから,学校教育部局,社会教育部局,関係諸団体の間で相互理解が十分でないといったような問題もございます。したがいまして,仮に社会教育に関する事務が学校教育と離れて首長部局で実施した場合には,こういった学社連携の動きは阻害される恐れもあるといったようなことが懸念されています。
 (2)の方では,「人づくり」の観点からの総合的な学習機会の提供ということで,特に首長部局との連携という観点で幾つか書いてございます。一つ目の丸は背景を書いておりますけれども,二つ目の丸で,教育委員会で社会教育を所管することによりまして,地域の課題に対して教育という視点から総合的に様々なことが展開できると。首長部局の場合は,それぞれ行政目的というのがありますから,若干,例えば環境ですと環境だけ,防災ですと防災だけというのがありますけれども,教育という視点からやるので,総合的な人格形成に資するような取組が可能となるというようなことが意見としてございました。
 他方で,教育委員会の提供する学習機会の多くというのが,趣味・教養であると。例えば,市民意識の涵養(かんよう)ですとか,現代的な地域課題に関する学習機会というのは非常に少ないというところが課題となっているところです。
 一番下の丸ですけれども,こういった教育委員会と首長部局が連携・協働するということで,その内容が深化する可能性が高いわけですけれども,他方で,なかなか連携が進まないという面もございます。こういった連携を進めていくためには移管するという考え方もございますけれども,こういった場合には例えば首長部局に行った場合には,いろいろな部局に社会教育に関する分野が分かれる恐れもあるということで,総合的な視点から見られるところに社会教育担当部局を置くと。総合計画課,総合計画局ですとか,首長の下に置かれる部局ですとか,そういったところに置かれることが望ましいということが考えられます。
 こういったことを受けまして今後の方向ということですけれども,先ほど申し上げたような教育委員会の趣旨であります三つ,政治的中立性,あるいは継続性・安定性の確保といったような教育の特性ということについては,当然,引き続き配慮していかなければいけないのですけれども,学校教育と比べるとその度合いは低いと言えるのではないかと思います。
 他方で,学校,家庭,地域社会が連携して子供を育成していくということは非常に重要ですし,学校教育という観点から考えれば,学校教育と社会教育との連携ということから考えれば,一体的に教育委員会において執行されることが望ましいと,こういうことになります。
 他方で,社会教育活動の広がり,あるいは行政との関連性の広範さから考えれば,教育委員会ではなくて首長が所管するという方が,それぞれの相乗効果を上げられるという効果も期待できると,こういうことになります。特に社会教育については様々な部局との連携ということが考えられますし,そこと連携することによって新規事業の企画,あるいは予算確保の観点からも利点が認められると,こういうことがございます。
 こういった考え方から,ヒアリングでもお呼びした佐賀県ですとか,宗像市ですとかというのは地方自治法180条の7の規定に基づいて委任あるいは補助執行ということで,首長部局がこれらの事務を執行しているというような事例もございます。
 以上をかんがみると,社会教育事務につきましては,学校教育との連携という観点から考えれば,基本的には教育委員会が担当するということが望ましいと思いますけれども,他方で社会教育行政の自主性を高めて,組織編成における自由度を拡大するという観点から,実情に応じて自治体の判断によって首長の方が担当すると,こういうことで弾力化を図っていくということも一考に値するのではないかということです。ただし,その際は,社会教育委員あるいは公民館運営審議会等のさらなる充実を図ることで,地域住民との意向を反映するですとか,政治的中立性等々の教育の特性に配慮するといったようなことが求められるということが結論として書いてございます。
 次に,第2章でございますけれども,社会教育主事の在り方ということで,まずここでは,教育委員会制度がどうなるか分からないというところもあるのですが,まず,社会教育主事が必要なのかどうなのかというところを書いてございます。
 現状と課題のところにつきましては,これまで大きな役割を果たしてきたわけですけれども,年々減少していると。要因としては人件費の削減,あるいは市町村合併等々の問題もあるのですが,一番の問題は,首長を含めて必ずしも地域では評価されていないというような現状があるということです。こういった中で,必置の必要性ということについては,先ほど申し上げたような全国市長会の方からも撤廃するようにというような提案が出されているということになっています。
 他方で,もともと社会教育主事制度ができた昭和26年の際の考え方としては,社会教育を行政が振興するに当たって,行政の責任を果たすためには専門家を置かなければいけないと,こういうこと。それが社会教育主事ですということでございました。そういったような考え方からすれば,地域住民が非常に成熟して,要は行政に何も頼らなくなるようになるまでは,行政が社会教育を振興する限りはこういった専門家というのが必要であるということになるのかなというものです。
 ただし,社会教育主事については,教育公務員特例法で指導主事ともに教育委員会事務局に置かれる専門的教育職員というふうに位置付けられていることもありますし,今,教育制度分科会を含めて教育委員会制度の在り方等々の議論が展開されているところでございますので,今後の在り方については更に検討していくということが必要であるというふうに思います。
 そういった社会教育主事が仮に必要だという前提に立った上で,じゃあ,今の社会教育主事でいいのかというふうなことになりますと,やはり社会教育主事というのが何なのかよく分からないというところもございますので,まずは在り方を考えるに当たっては職務の明確化というのをしっかり図っていかないといけないということになります。
 主事の職務については9条の3で「社会教育を行う者に専門的技術的な助言と指導を与える」というふうにされていますけれども,そのほかにも非常にその職務というのは広範多岐にわたっております。しかしながら,その社会教育費というのが年々減少する中で,1教育委員会当たりの社会教育主事というのは1.4人と,非常に少ない現状にございます。こういった少ない中でその役割あるいは職務に関する首長や地域住民の認知度というのは非常に低い序にあるというのが現状です。
 今後,社会教育主事というのが首長あるいはその地域で評価されるためには,社会教育主事の職務を明確化して,自分たちがその職務の成果を正しく評価した上で,意識的に社会教育主事が必要であるということを発信していくということが必要でありますし,その配置に当たっては,どういった課題を解決させるためにそういった人材を配置していくのかということを発令する側も認識していくことが必要であるということを書いてございます。
 こういった主事の必要な資質,能力ということですけれども,(2)の方で,まず1の方で,社会教育行政の目的を書いてございますけれども,これまで社会教育主事が様々な役割を果たしてきたのですけれども,先ほどのような少ない人数という現状がある中で,一人が担える役割というのもなかなか担えなくなってきている,困難になりつつあるという現状がある中で,地域においては様々な人材がおりますので,そういった方々をうまくつなげていくという役割が今後必要であるということを書いています。そういった意味で,コーディネーター能力ですとかファシリテーション能力,あるいはプレゼンテーション能力というものが求められるわけですけれども,こういった能力というのは何も主事に限った話ではなくて,様々な職員が求められると,こういうことになります。
 こういった能力を養成する仕組みということで,現状の社会教育主事講習等々の在り方というのも当然見直していかなければいけないということで,3の方で書いてございますけれども,属性・知識・経験等に応じた多様なカリキュラムの提供と,こういうことで,今,社会教育主事となるのは非常に多様な人がなっているわけですけれども,そのバックグラウンドに限らず,同じような講習内容になっているということで,そういったことで当然,地域のばらつきも見られるということになります。
 他方で,こういった主事講習の内容というのは,社会教育行政だけではなくて,いろいろな場で活用できるということもありますので,その属性あるいは知識,経験等に応じた内容にしていくということで社会教育主事自身が周りから認知される仕組みになっていくということが考えられると思います。
 10ページになりますけれども,(2)のカリキュラムの内容・方法の工夫ということになりますが,これも主事講習の問題の一つとして,40日間の講習という期間の問題と,それから,内容的にその40日間の内容で十分なのかという二つの問題がございます。小さい自治体の場合は,なかなか40日間も空けて職員を派遣できないということもございますので,こういったところでは簡単に取りやすくする,あるいは任用した後にステップアップ的な研修をやっていくというようなことが必要であろうというふうに思いますし,当然,そのカリキュラムの内容についても理論と実践ということをバランス良くとってやっていかなければいけない。こういったことについては,社研の方で中心となって見直していくということが求められるというふうに書いてございます。
 当然,また,研修方法についても40日を参加させるということがなかなか難しいということもございますので,ICT等を活用した効果的な遠隔研修というものも開発して,できるだけ取りやすい内容に検討していくということが必要であるということがあります。
 それから,4の社会教育主事資格の活用というところですけれども,資格の汎用化ということで,社会教育主事資格というのがいわゆる任用資格であるということで,任用されなければ余り活用されないというような現状がございます。他方で,社会教育主事として学んだ内容,あるいは社会教育主事として得た知識,経験というのは,学校教育活動,あるいはまちづくり,高齢者福祉等々,様々な分野で活用できるということもございますので,こういった能力をうまく活用していくということが必要であるということが指摘されているところです。
 こういった観点から,社会教育主事については,社会教育士あるいは地域教育士ということで新たな国家資格の創設ですとか,民間レベルでそのような資格を創設して公的に認証するということで専門性を保証する,表示するなどの方策について検討していくといったような意見も頂いているところです。これによって,今,市民の中でこういった活動をやっている人が更に活躍しやすくなるといったような効果があるところです。
 他方で,社会教育主事というものが,今,既に国家資格としてある中で,これは一方で減少しているわけですけれども,こういった新しい資格の枠組みを作るということは社会教育主事制度そのものを形骸化させるということにもなります。このために,社会教育主事資格というのが,そういった資質・能力を保障するものとなるようにカリキュラムの見直しをしっかり行って,社会教育行政以外の分野でもその有用性を認知してもらうということをしっかりやっていけば,社会教育資格そのものの汎用化が図られていくということにつながってくるのではないかということで,そういった方策について検討するということが書いてございます。
 それから,最後に(2)の配置先の緩和というところですけれども,現在,社会教育法第9条で,教育委員会の事務局に置かなければいけないということになっています。他方で,先ほど申し上げたとおり,社会教育主事というのは教育委員会だけではなくて,いろいろなところでその知識や経験が活用できるということもございますので,ネットワーク型行政というものを展開していく中では,自治体,現在,兼職発令等々でやっているのですけれども,それを制度として首長ですとか公民館等の社会教育施設といったところにも配置できるようにするということが望ましいのではないかということを書いてございます。
 以上,ざっとではございますけれども,説明とさせていただきます。

【浅井座長】  ありがとうございました。
 それでは,議論に入る前に,糸賀委員の方から審議の取りまとめ(案)に向けた御意見を頂いておりますので,恐れ入りますが,糸賀委員の方から御説明いただきたいと思いますけれども,よろしくお願いいたします。

【糸賀委員】  手短に済ませたいと思います。
 今,御説明があった資料1について,これは事前にメールとかで我々に送られていないですよね。今,聞いていると,大分重なるんですね。だから,そこはちょっと簡単に済ませたいと思います。これ,事前に見ていればもう少し内容を変えたのですが。

【新木企画官】  すみません。

【糸賀委員】  今,初めて聞いたら,ほとんど同じだなと思いましたけれども。
 お手元の資料2として私の個人的意見をお配りさせていただきました。これは,これまでの議論を踏まえて,私がその議論がもう少し効率的に進むようにという意味で私の意見をまとめてしまったものです。やはり同じように論点1,つまり教育委員会と首長の関係の在り方,それから下の方に論点2,社教主事の在り方ということで,構成は基本的に全く同じです。
 読み上げていきますが,教育再生実行会議の第二次提言(4月15日),中教審教育制度分科会第26回(7月1日),全国市長会提案,これは昨年,平成24年7月24日等を見ても,教育委員会制度は学校教育中心で今のところ検討・議論されているというふうに思います。
 一方,学校教育は,発達・成長段階にある未成年の同一年齢層を対象に,全国一律の学習指導要領に基づく意図的学習が根幹にあって,これは簡単な一言で言うのでトップダウン型としちゃいましたが,これはいろいろと誤解を招くので,単に学習主体が学習する内容や方法について,余り自由裁量はないという意味でのトップダウンというふうにここでは表現しました。
 一方,社会教育は多様な年齢層と社会階層を対象に,地域の実情と学習主体の要望に基づく意図的学習と偶発的学習が混在しておりまして,基本的にはこれはボトムアップ型だというふうに一応対比しました。つまり,ボトムアップ型というのは条件整備だとか環境醸成というところが社会教育行政の中心だと,こういう意味であります。つまり,一口に同じ教育と言っても,大分性質は違います。
 同様に指導主事と社教主事の役割,機能も大分これは違います。今,新木さんからあったように,当初はちょっと似ていたのかもしれませんが,今や大分指導主事と社教主事の役割は変わってきてしまったと,こういうことになります。
 その一方で,社会教育行政の首長部局への補助執行化の傾向は顕著であります。同様に社教主事の発令数の減少は厳粛に受けとめる必要があるだろうと思います。現状で社教主事の半減期は約15年だと。この「半減期」というのは私が勝手に名付けているのですけれども,社会教育調査のデータに基づくと,大体半減期は10年から15年ぐらいで,このままいくと半分に減っていってしまうだろうと。
 とはいえ,社教主事が地域人材の育成,人づくりに果たす役割の重要性は,多くの関係者の認めるところです。また,ネットワーク型行政の意義というのも,私は関係者は広く認められているだろうと思います。当ワーキンググループのヒアリングを通じても,必要に迫られて同様の地域人材の育成を首長部局でも目指していることは明らかになったと考えます。これは新居浜市,宗像市,佐賀県の例を見ても,必要に迫られてそういうことを首長部局でもやり出しているということ,あるいは引き取っているということだと思います。
 二重行政の批判を避けるためにも,社会教育行政の教育委員会・首長部局間での選択性として事務執行の弾力化を図ると,さっきもそういう表現がありましたが,これは考慮に値するだろうと私も考えます。制度の骨格を変えることなく,現在の社教主事の熱意と奮起に期待するのではもはや限界があるように感じます。
 ただし,その際にも「政治的中立性」,それから「生涯学習振興行政の継続性・安定性」「学習の自由」といったことが担保されるべきでして,社会教育法に規定する,つまり第13条あるいは第14条に規定されている社会教育委員及び社会教育委員会議や公民館運営審議会,なお,これについては図書館法や博物館法にも同様の協議会が法としては規定されております。これらに相当する会議体を制度として設けて,地方分権にふさわしい地域住民主体による統治システム,いわゆるガバナンス,これを確保できるようなスキームは必要だろうと思います。
 先ほどの取りまとめとは違う表現をあえて使うとすれば,そういう会議体を設けておいて,首長部局と学習主体,場合によっては議会との間に適度な相互けん制の仕組みですね,お互いにそのけん制がし合えるような仕組みというのはやはり設けておかなければいけないだろうと。これが首長の意向でいかようにでも変えられてしまう危険性を避けるためにも,そういうふうな制度化は,仮に首長部局を選択した場合にも必要だろうと思います。
 それから,論点の2番目が社教主事の在り方です。これ,仮に首長部局でも社会教育行政が担えるようにした場合に,名称はやはり変わるのだと思いますが,ここでは暫定的に社教主事という表現をそのまま使っておりますが,この資格を取得し,社教主事としての経験を積み重ねていく過程,キャリアパスにおける多様化,複線化を図ることが私は現実的だろうと思います。現状で言えば,講習で取得するという方が多いのですけれども,例えば社会人大学院のような枠をもっと大学でも設けて,そういう大学院レベルで学んで,つまり一般企業に勤めた方が大学院で勉強してこういう道に入ってくるというようなバイパス,どっちがバイパスになるか分かりませんが,そういう複線化をもっと図る方が多様な人材がこの世界に入ってきていいだろうと思います。
 既に実は平成8年の,当時はまだ生涯学習審議会だったわけですが,この社会教育文化審議会の報告を見ますと,社教主事講習を受講しやすくするように実施方法を工夫するとともに,大学以外の学習成果や様々な実務経験で培われた職務遂行能力を積極的に評価することにより,社教主事の資格取得の道を弾力化する必要があるというふうに,もう十数年前に指摘されております。これは今でも実現させていく必要があるというふうに思います。
 ただ,ここから先がちょっと私,先ほどのまとめと若干違うのですが,それはどういうことかというと,最初のハードルは低くして,多様な人材が社会教育の世界に飛び込めるようにしておいて,同時に社会教育のマインドを身に付けた上で知識と経験,そして人脈と表現力を備えた真の専門的職員を資格認定する仕組み,これは国家資格若しくは権威のある民間団体でもいいと思いますが,これが必要。つまり,二段構えにするべきじゃないかと。これは今の社会教育主事補と社会教育主事の関係とは全く違います。飽くまで社教主事の経験を積んだ人を,名称は何にするか,専門的社会教育主事でもいいですけれども,やっぱり二段構えにして,キャリアパスで自分が目指すべき方向性というのは明確にした方がいいだろうと。社教主事一つというようなことよりは,経験がやっぱりこの世界は必要だと思いますので,二段構えにする必要があるんじゃないかと思っております。その際に放送大学を活用するということは当然,考えられるわけで,社会教育主事の仕事をしながら大学院で学び直すという,そういうことも視野に入れております。
 実は図書館司書の世界においては4年前から,社団法人日本図書館協会による認定司書,これはいわゆる上級司書に当たりますが,この制度を実現させております。いわばそういう二段構えにしているわけです。
 地域の課題を自らに引き寄せるか,地域課題のある方へ自らが飛び込めるか,そういう資質,能力,そしてセンスやマインドを持った社教主事を育てる,そういうキャリアパスにしていく必要があるんじゃないかと思います。
 そういう意味では,従来の社会教育行政における「自前主義」だということが前の報告でも書かれていたわけですが,そうではなくてむしろ私は「出前主義」だと。必要なところに自分たちが出向いていって,そこで自分たちの能力を発揮して,そこで評価をしてもらうと。「自前主義」から「出前主義」へと,まあ,これが言いたくて今日はこれをまとめたようなものなんですけれども,そういう転換を図る必要があるだろうというふうに思いました。
 以上です。

【浅井座長】  ありがとうございました。
 糸賀委員に質問がありましたら,ほんの数分だけ受けたいと思いますが,よろしいですか。それでは,議論の中でまたお出しいただければと思います。
 ということで,それでは早速,この審議の整理(案)の中身と,糸賀委員の御意見等に入ってまいりますが,今回と次回がございますので,今回はどちらかといいますと第1章を中心としまして,第2章につきましては少しだけ社会教育主事の方も御意見を頂くという形で進めさせていただきたいと思います。ですから,「はじめに」というところと第1章につきまして,まず御意見を頂きたいと思います。

【新木企画官】  「はじめに」の部分は導入部分なので,それほど議論はしなくていいと思いますけれども。

【浅井座長】  はい,分かりました。失礼いたしました。「はじめに」のところは除きまして,第1章のところをお願いしたいと思います。

【今野委員】  すみません,第1章の方の結論としては選択制ということを提案したんでしょうか。それとも,両論併記でどっちということもないのかしら。

【新木企画官】  実はちょっとそこは玉虫色ではあるんですが,今,このワーキングにおいても,教育委員会制度に残した方がいいという意見と,いった方がいいという意見が両論ございますので,若干そこは濁した形になっているのが一点と,それから,今,教育制度分科会の方の議論で,教育委員会制度そのものがどうなるか分からないというところもあるので,ここでいってしまいますよというふうに結論を出したとしても,そもそも全部いってしまうという恐れもあるというところで,そこは明確な表現をちょっと避けたというところが正直なところです。
 ただ,方向性としては,今,社会教育については学校周辺の社会教育,学校教育と非常に近い学校支援地域本部の部分と,それから,首長部局の方がやっている方の社会教育と2つあって,前者についてはやっぱり教育委員会の方に残した方がやりやすいんじゃないかという話もありますし,そこは分けてやるという選択肢もあるので,そのあたりも含めて御議論いただければと思います。

【浅井座長】  いかがでしょうか。
 こちらの意見をどちらかを選んで出したとしましても,実態としては既に自治体がある程度自由に判断して選べるんですよね。

【新木企画官】  どういう……。

【浅井座長】  ですから,この自治法。

【新木企画官】  それはできますけれども,今,地方自治法の場合は全部移管させるということはできないという制度になっています。つまり,独立の行政委員会というのがありますので,その各行政委員会の趣旨を損なうような形で移管あるいは補助執行という形はできない形になっているので,この前の佐賀県さんのお話でも,条例制定,教育委員会規則の制定の部分は残したままでしたよね。今回の部分は仮に地教行法の24条の2の特例みたいな形にしてしまえば,全部移してしまうということも可能になるという形なので,要は地方自治法よりも更に。

【浅井座長】  そうなんですか。

【新木企画官】  という話です。

【浅井座長】  地教行法であれば議会にちゃんとかけなければいけないのではないですか。

【新木企画官】  それは議会にはかけなければいけないですけれども,当然,条例で移管させますのでかけなければいけないんですけれども,かけた上で全部移管できる。ただ,地方自治法の場合は全部はできないという形になります。

【糸賀委員】  よろしいですか。

【浅井座長】  はい。

【糸賀委員】  今の点なんですが,結局,今日の資料1の6ページの一番下ですよね。ここが結論部分で,「以上を鑑みると」で始まるこの10行近いここの文章の中の真ん中のところに「首長が担当することを選択できるようにするなど弾力化を図っていくことも一考に値する」っていうところが要するに玉虫色なわけですよね。

【新木企画官】  はい。

【糸賀委員】  だから,これは,このワーキンググループとしてこれを推奨するのであれば,私は,ここの表現をもう少し,例えば上の方には「望ましいと考える」とか,そういう表現もあるわけですよね。そこまで踏み込めるかどうかなので,それはなかなか合意形成が難しいだろうと。私もたまたま偶然ですけど,私は「考慮に値する」と書いて,ここは「一考に値する」。だから,私は,この程度の書き方ぐらいしかできないんじゃないかなというふうには思っております。それが一つ。
 それから,同じページ,6ページの一番上の2行ですよ。ここでははっきり「複数分野を横断的に見ることのできる部署に社会教育担当部局を置くことが望ましいと考える」とまで言っていますね。これ,首長部局に移管する場合ですよね。そうすると,ここまで書く以上,この「横断的に見ることのできる部署」というのはイメージとしてはどういうところを考えるのか。それでしかも「望ましいと考える」とまでここでは言いますからね。そうすると,ある程度やっぱりイメージがこういうことを言っているんだよということが説明できないと,私はまずいんじゃないかと。そこは逆に,これで行くんだったら合意形成を図っておいた方がいいと思います。それが2点目。
 それから,もう一つ,3点目は5ページなんです。5ページの(2)「人づくり」の観点からの,ってあるすぐ上です。つまり,学社連携のことを言っていますよね。確かに,首長部局に持っていったときの問題は学社連携なんですよ。そうすると,この5ページの一番上の丸で,「学社連携が現状より停滞する可能性もあることに留意する必要がある」と書いたときに,これに対する対応,そこを考えないで「留意する必要がある」とだけ言って,最後に「一考に値する」というのは,何かちょっと,これに対する防波堤をちゃんと張っておいて,で,最後「一考に値する」だと,まあ,読みやすいかなと思いました。
 3点です。

【浅井座長】  具体的にどうしたらいいでしょうね。

【糸賀委員】  そこは,私,自分の意見をまとめるときも,ここはどうするかなと,ずっと課題ですね。

【浅井座長】  今のこともありますが,具体的にどうしたらいいのかということがあるんですけれども,重要なことは,糸賀委員の方からも御指摘がありますけれども,審議の整理の2ページ目の(2)の上から三つ目の丸のところですけれども,政治的中立性の確保,継続性・安定性の確保,地域住民の意向の反映ということについて,教育委員会でなければならないのかどうかということの御意見を頂きたいんです。
 ですから,これが教育委員会でなければならないということになってくると,先ほどの結論のところも変わってくるのだろうと。それから,これらを絶対的に確保しなければならないことなのかということも含めて御検討ください。

【清國委員】  質問ということで,4ページの一番上のところの「特定の見方や教育理論の過度の重視」というところが少し見づらい。

【浅井座長】  すみません,4ページ目の幾つ目の丸ですか。

【清國委員】  一番上の丸のところですね。住民中心のということはよく分かるのですけれども,「特定の見方や教育理論の過度の重視など偏りが生じないように」というところの「教育理論の過度の重視」というところが,これは学校教育的ではなくというような意味合いで書いてあるのか,それとも,また何か特定の教育の議論が,まずい議論があるのか。ちょっとすみません,言葉がもう少し足されれば分かると思うんですが。

【新木企画官】  ここの部分は基本的にそれほど意味があるわけではなくて,いわゆる教育委員会レイマンコントロールという形で,専門家集団ではないという意味において,専門家だけの集団になってしまうと,それぞれの専門分野における教育理論が展開されるということになってしまうので,広く住民の意向を反映できるようにレイマンコントロールになっていますよという話だけです。
 なので,ちょっとそこが読みづらいということであれば,こういったふうに直した方がいいという御意見を頂ければと思います。

【清國委員】  そうですね。

【浅井座長】  誤解されないように,ちょっと文章を修正していく。そういうところが幾つかあると思います。

【生重委員】  やっぱり思うのは,つくづくいろいろ見せていただいていて思うのは,首長が前向きであり,教育長も意欲的な人であるときには,両方すごくうまくいっているんですよ。どっちがやっていたって。ところが,首長ばっかり元気よくて,教育がのたのたしているところは,もう中途半端にやったって,何やったってうまくいかないんですよ。そうすると,せっかくここで県全域を挙げてのコーディネーターを育成していますと言っても,学校教育が全般否定していたら,全くうまくいっていないとか,そういううまくいっている例もいっていない例も見ていると,要するに,どっちも意欲があったならば必ずうまくいく。
 6期のときにも何度もでてきているネットワーク行政っていうのがやっぱりそこの一番の中心になってくるんだと思うんですね。後半の社会教育主事の今後のどういう資格と,それからどういう段階のものを作っていき,広く多くの人を巻き込むかということにも,今度,人材としてかかってくるのですけれども,そういう素養のある人間が環境部にも保健福祉部にも首長部局にも行けるような状況ができていればいいわけで,現状,今の社会教育主事,全国どの方を見ていても,全部をコントロールできたりコーディネーターできたり,ものすごく斬新な発想力を持っている方というのにまだお目にかかったことがないので,そこの素養を養成しつつ,なおかつ,必要な知恵を寄せ合って,その町がよくなるための行政を描いていくんだとしたならば,首長部局じゃなきゃできないとか,教育にあったらどうして駄目なんだとか,要として私は自分が中心でやっているので,学校支援地域本部,放課後コミュニティスクール,そういうことを考えていくと,やはり社会教育は教育の中にあってほしいし,教育から外れたときに変な意識が働くっていうか,こっちの方も学校に近付かなくなるし,学校の方も教育関係者じゃないみたいな,今までも社会教育と学校教育がすれ違っている現状なのに,もっともっとそうなるっていう方が私は可能性として高いと思うんですよ。
 今やっとそういう意識が少しずつ薄れながら,私たち社会総掛かりで何とかしなくちゃいけない。昨日,滋賀県にいましたが,滋賀県はいじめの事件を乗り越えて,大津市の中に学校支援本部が出来上がり,家庭学級支援チームというのが出来上がり,それが6つのエリアの中で若いお母さんたちの相談を受けるとか,それから,地域の中の人材育成をしていくとか,学習会をしていくとか,町の中で積極的に動き出して,自分たちが子供に二度と不幸なことが起こらないようなものを形成しようとしているっていう,それは社会教育がやっと今,機能し出したところで,じゃあそれは首長部局ですっていうふうになっていいのかなって,頑張ってこれからもやってくださいねって言ってきたんですが,そういうことがあちこちで起こってくるんではないかなって。
 で,首長部局でできないはずはないんですよ。そういうチームを作ればいいんですから。何が目的なのか分からない。ちゃんとやりたいことがあって,これをやるって言ったら,それは佐賀のように企画を出して,ちゃんと民間に委託をするとか,そこに関係の責任者を付けていくときに,社会教育主事という資格を持っている人たちにも入っていただくとか,そういうことも含めて,教育委員会から一歩も出てはいけないなんて誰も言っていないのに,何でそういうセクショナリズムでまた語ろうとするのかなっていうのがちょっと私の中では。
 だから,あっちは玉虫で,まだ何回かやりますが,もっとわけ分からないんですけど,こっちが出していくときには,社会教育は大事だからこっちでやりますよって,するっと書いておいていただけた方が,私は何となく納得がいくなという気がするんですけど。まあ,ちょっと自分の好き勝手なこと言ってしまって申し訳ありません。

【新木企画官】  今おっしゃった部分は,学校教育との連携の部分の社会教育ではなくて,全部ですか。

【生重委員】  全部。公民館のことも,図書室,博物館のことも。

【新木企画官】  ではなくて,要は,首長の方がやっている社会教育に近い部分は出してもいい。そこもやっぱり……。

【生重委員】  出すっていうか,やりたいならプロジェクトチームを起こして作ればって思うんですね。何年間かで一応,一定の市民が育ってこういうものが遂行されるような状況が望ましいわけじゃないですか。いつまでも予算化して,行政がそれをやり続けるものは1つもないんだから,それは施策として打ち出したら自立を望むんですよね。それが予算が付かなくてもそういうことが遂行していかれるような市民を望むわけじゃないですか。いかなる施策においても。っていうことは,そういうことが起こるときには3年間のプロジェクトチームとして一部を首長部局に持っていくっていうことだって可能なわけで,別にここから全部はがしてしまうっていうやり方が正しいというふうには私は思えない。

【山本委員】  ちょっと生重さんの御発言に押される形で発言します。今生重さんがおっしゃったように,今の制度の中で,例えば首長がどれだけやれることを最大限やっているか,教育長がやれることをどれだけ最大限やっているかということがどの程度検討されているのか。具体的エピソード,事件をもとに今の制度改革の議論になっているのですが,それぞれが最大限のことをした上での検討なのか。基本的には首長の行政権力で地域・自治体が動いている状況の中で,何か今の制度議論は,自分ができないことを制度のせいにしているというか,やらないことを制度のせいにしているという印象が非常に強く,妥当な問題の立て方とは思われないというのが率直な感想です。
 私が学長なので思うのですが,例えば,しばしば世間では,中には学長の中にも,教授会が学長のリーダーシップを阻害しているという人がいるのですが,私は学長に説得力があれば,多くの教授会は大体言うこと聞いてくれるのではないかなと思うのです。何か,自分のビジョンとかリーダーシップの欠如を制度のせいにしているというような印象があります。ですから,今の議論の中で,糸賀先生も私も繰り返し申し上げているのですが,どちらにしろ学習の自由というものがガバナンスとして保障されることが重要で,その一点で終結しているのではないかと思います。
 それは教育制度委員会の議論を少し側聞したり,先日のメモを見たところ,こういう理屈になっています。首長さんの理屈だと思いますが,子供の教育は政治的中立が重要であると。しかしこれは要するに学習指導要領によって担保されていると。一方,社会教育,成人の学習は,素案にも書いてあるのですが,その政治的中立性の度合いが低いという受けとめ方で,かつ,制度検討委員会のメモの中にありましたが,首長はなぜ社会教育,生涯学習に介入できないのかというような発言がある。そういう方向や認識は非常に危険というか,これまで文部科学省等が蓄積してきた論点とは非常に対抗する主張になっていると思います。
 前回も申し上げましたが,地域づくりとか地域の問題というのは政治的な争点にもなる問題があるし,しかし,その一方のイシューをもって選挙では首長さんが選ばれているわけで,そこにおける学習の自由を確保するというのは,歴史的経験の中にもいろいろなトラブルがたくさんあったし,かつ,現在においてますます重要になるところであるわけですから,そういう意味で言うと,糸賀さんがおっしゃったようなところが,ある意味で言うとまとめの最も肝腎なところであると思います。つまり,学習の自由を担保するガバナンスをどういうふうに貫くかということが一番重要なんだということをやはり中教審の分科会のレポートとしては強調すべきではないかなというのが私の意見です。

【浅井座長】  学習の自由ですが,学習するのは自由なので,学習機会の提供の中立性と捉えればよろしいのですか。学習は自らのものですから,そこに自由がないというのが今の時点でちょっと理解できないのですけれども。

【新木企画官】  そこはそうではなくて,要は学習できる環境が提供されているかと。

【浅井座長】  ということですね。

【新木企画官】  学びたいときにそれが提供されているかどうかということです。

【浅井座長】  そういうことですね。

【糸賀委員】  山本先生,今のでよろしいんですか。学習の自由という概念。

【山本委員】  何でしたっけ。

【糸賀委員】  それは例えば学問の自由とか教育の自由と同じことで,私は権力から一定の距離にあるっていうふうに取っています。つまり,例えば学習方法,学習機会,そして学習内容ですよね。これらに対して,例えば政治的権力から一定の距離を置いて住民の生涯学習がなされるというふうに私は理解していました。

【山本委員】  だから,学問の自由と,ある意味で言うと学習の自由は裏腹の関係にあると思うんですね。例えば大学が地域にコミットするというときに,何かのイシューを一方的に啓もう的に提供するわけではなくて,学問の中で自由に議論されていることが,同じように住民の中で自由にいろいろな議論がされるという環境が担保されるということだと思います。

【浅井座長】  ちょっとそれは改めて検討する必要があるのではないでしょうか。学習理論に基づけば,恐らく答えは出てくると思います。でも,政治的中立性にかかわるところですよね。それとは違うものですか?

【山本委員】  まあ,政治的中立だけではないと思うのですが。様々な判断を自己決定できる。そのためにかなり自由に情報が提供され,議論されることが重要でしょう。

【浅井座長】  それはそうだと思います。

【山本委員】  非常に広い意味での自由だと思います。

【浅井座長】  ほかにいかがでしょう。どうぞ。

【松田委員】  今のところにもちょっとかかわるんですけど,政治的中立性というのをこの報告書では2ページに特定の党派的勢力っていうもので捉えていらっしゃいますよね。だから,そういう意味でとるとそういうことになるのですが,例えば3ページにある,メディアが発達しているから政治的中立性に留意する必要が薄れているっていうのは,これは例えばメディアが持っている権力性みたいなものに対してどういう距離を取るかっていう議論からすると,ちょっと違う議論になると思うんですね。ですから,政治性というものをどのレベルで捉えているかというのは,確かにちょっと混乱があって,という気はします。
 その中で,より広く政治的中立性ということを仮に措定したとする。糸賀先生がおっしゃるような議論なんですけど,そうすると,例えばメディアが発達すると留意する必要が薄れるのはなぜかというと,様々なメディアがいろいろな意見を交わし合うので,ある特定の意見ということだけが議論される場にならないという意味だと思うんですね。一方,その一つ上の丸にある,一定の独立性を持った機関が責任を負うというのは,違う形での政治的中立性の担保の仕方なんです。ですから,ここに書いてあるのは政治的中立性を担保する仕方が違うということが書いてあって,学校教育の場合は独立性を持った機関が責任を負っていて,社会教育の場合は違う仕方での中立性の担保が可能になる可能性が高いと言うことだと思います。ただ,現状,例えば,首長部局に持っていったときに,そういう違う形での政治的中立性の担保が実際にできるのかどうかというのは分からないというところがあって,そこが整わないうちに教育委員会から出すというのはいかがなものかという議論が,多分,整理としてはできるんじゃないかというのが一つです。
 もう一つは,先ほど新木さんがおっしゃった学校教育との関係なんですけれども,周辺的な社会教育と首長部局がやっている社会教育を分けるという議論は,非常に現実的だと思うんですが,一方で4ページの下から二つ目の丸の最後のページのところに,学習した成果を発揮する場が広がるということで学校教育との連携が社会教育にとって意味があるってあるんですけれども,これはいわば学校教育のお手伝いができるっていう意味になりますよね。一方で,例えば土佐町でやっている生涯楽習学校という取組っていうのは,社会教育の側から住民が学校に参画して,同じ授業を共に学び直されるっていうか,そういうときに出てくる学びの共同体性みたいなものが実は社会教育としても意味があるということになっています。つまり,そこに出てきていることは,学習結合とか学習交換というような,社会教育と学校教育が手伝うという形ではなくて,融合している,まさに学習自体が融合している姿だと思うんですね。
 ですから,そちらの面もやはり学校教育との連携という意味では強くうたってもいいんじゃないかと思っていて,そのことがでも学校教育においても,非常に学校教育自体が最近,社会教育化していますから,非常に意義のあることなんじゃないかと思えるんです。そうなったときに,生涯学習という言葉が初めて生きてくることになると思うんですけど,逆にそれを分割していくと,生涯学習,あるいは生涯学習体系っていう概念がややもすると怪しくなるところがあって,若干その危惧を,学校教育に対して役に立つから意味があるんだというところだけになってしまうと感じます。
 最後,一点だけ,6ページのところで,今後の方向で先ほども山本先生も触れられたんですけれども,「度合いが低い」という言葉があるんですけれども,これは文章の問題だけだと思うんですが,教育の特性についての度合いが低くなるんじゃなくて,配慮する必要性の度合いが低いわけですよね。ですから,何か,文章としては「必要がある」で丸で区切って,「学校教育と比べると」ってやった方が,多分そこは間違いがないかなと思いました。

【浅井座長】  そういうちょっとした表現で気を付けなければならないところがまだたくさんあると思いますので,御指摘いただければと思います。
 いかがでしょうか。

【竹原委員】  皆さんの言ったことと大分重なることもありますが,新しい教育振興基本計画にもはっきり書かれている「地域とともにある学校」をこれからすすめるとき,更に地域とつながるための機能を学校教育も持つことになり,教育委員会もそれを認識するならば,社会教育は離してしまったら,やりにくいんじゃないかと思います。
 首長部局にも社会教育的な様々な学習活動や啓発活動やグループ支援などがあって,それが市民活動につながって,まちづくりにつながり,学校ともつながるっていうのが今の状況だと思います。ネットワーク型行政の要は,社会教育も担えるだろうとは思いますが,現実とはかなり離れていますね。今はそんなに認知されていませんので。行政内のコーディネート機能を社会教育が担うとしたら,どこに置いておくと一番効果的に機能を始めるかということを考えた方がいいと思っています。まだ私自身もよく分かりませんが,教育委員会の中だけに専門職を置いていたら今と変わらないと思うので,次の議論で,専門職が様々なところ,市民局にもいるし,環境事業局にもいますというようになれば動き出すというのも一つの手かと思います。 
 それから,もう一つ,行政内の専門職だけじゃなくて,市民の中にも社会教育活動を担っている人もいることも考えながらどういうふうな組織にするかということなんだと思っています。

【関委員】  私,今,首長部局の方の側の立場なんですが,首長部局の方で持っている社会教育のイメージというのは,コミュニティ政策分野との関係性の中で,社会教育をコミュニティで対応するか,あるいは教育委員会で対応するかというふうな議論が非常に多いんです。それぞれの行政分野の担当課,例えば環境であったり福祉であったり,そういったものが直接引き受けて対応しようというところには正直至っていないのかと思います。
 首長部局側の,地域を創っていく立場からしたら,学ぶことと実践していくこと,それをつなげていくことに非常に大きな意味を感じているわけで,学ぶだけで終わるのであれば首長部局に持ってきても何のプラスにもならないというのが正直なところでございます。
 首長部局でも当然,地域を創っているわけでそのことによって地域がよくなる,そういう方向を目指すのは当たり前のことです。その中にいかに,今まで社会教育が培ってきたノウハウを導入していけるか,そこを考えていきたいというのが今の議論の中で感じたところなんです。

【浅井座長】  ありがとうございます。

【井出委員】  私は教育長ですから,そこに足を置いて発言をしますけれども,実は昨年,杉並区の新しい教育ビジョンを作りました。これは教育振興計画を兼ねているんですけれども,その大きな柱の中の一つに,学習成果の循環ということを位置付けたんですね。つまり,学校で学んだことは必ずその地域で生きていく場面に生かされるべきであって,また,地域の学びは学校にまた戻ってくる。つまり学校教育と社会教育というのは常に循環している関係にあることを図示しまして,その総体を生涯学習社会と位置付けたんです。ですから,片や学校,片や社会,それぞれラベルを張ればそういう見え方はしますけれども,実は学習の連続性とか循環性ということを考えれば,学校教育も社会教育もいわば人を育てていく,そして,その成果として社会を形づくっていくという,一体不離の関係にあるというふうに位置付けました。
 ですから,社会教育を首長部局に移すか移さないかという議論をする前にそういうふうに位置付けちゃったもんですから,今はそういう議論をしていないんですけれども,今,この間のお話の中で,それは間違っていなかったかなと思っています。首長部局に社会教育を移管することは,私,反対じゃないんです。移してもかまわない部分もあると思っているんですけれども,教育という枠組みを考えたときに,教育委員会から首長部局に移すと,教育をバインドするたがが外れる。行政という形,地域行政なり地方行政なりという形の中で拡散していってしまう恐れがあるので,やっぱり教育というバインドをかけておいた方がいい。ですから,それをかけたからといって教育委員会が囲い込むとか,独り占めするという意味ではなくて,当然,首長部局との提携,協働,あるいは予算なんかは完全に向こうが持っていますから,その関係でやっているわけですから,教育委員会が勝手に教育を展開するということはあり得ない。だけれども,教育という大きな枠組みを教育委員会が束ねることによって拡散を防ぐことができる,そんなふうに考えています。

【浅井座長】  教育委員会制度の行方が分かりませんので,教育委員会に持っていく方が望ましいと結論付けることもできないのが一つと,先ほど糸賀委員が,論点1の最後でおっしゃったように,首長とか議会からの距離をどう置くかという,そういう何かシステム的なものを,個人個人の能力に任せるとできないので,制度的に何かそういうものをつくる必要があるのではないかということ。それから,中立性を担保するもの。それから,社会教育でよく聞くのは,例えば次の社会教育主事にかかわってきますけれども,結構職務歴が長いんですよ,それで,地域との関係が非常によくできるとか,そういう継続性・安定性の問題をどう確保するかですよね。そういうものを何らかの形で,社会教育委員会議とそれから公運審でいいのかどうかを含めて検討する必要があると思います。しかもそれらは既に必置ではないものですから。担保できるのかということをきちんと押さえておくことが大事ではないかと思うんですけれど。

【竹原委員】 現状を把握し課題を見ているのはここだと思うので,情報提供する役目があると思います。
どちらに置くかっていうとき,首長部局の中に社会教育的な要素がたくさんあり,これからはそういう機能が求められているにもかかわらず,多分,それは余り認識していない方の方が多い。例えば子育てについて,教育委員会や福祉やら様々なところとつなげていかなければいけない。行政マンがコーディネートをしなければいけない時代になっていて,個人の資質だけでコーディネートしていいのか。組織としてそのコーディネート機能をどう位置付けるかというところで,社会教育主事という名前なのか,そうじゃない名前か分かりませんが,そういう機能なり人なりが必要だっていうこともここでは気が付いているので,出していかなければいけないと思っています。
 今までは当たりがいい人がいたとか,やわらかい頭の人がいたとか,そんなレベルで話をしているんですが,そういう時代ではなく,新しい提案が出ればいいと思います。

【清國委員】  私は,それで思うんですけれども,地域という考え方でいくと,教育委員会だろうが部局だろうがっていうことは当然あるわけで,それは結果を見ているから,結果を見れば,そのプロセスよりは結果の方が大事だからっていう話になると思うんですが,やはり教育というフィルターを通してというふうに考えると,地域には本当にたくさんの課題があって,その課題を,課題を課題として認識するだけではなくて,課題を学習課題化したり,学習の組織化をしたり,そういった役割ができる人がいないと,多分,限定的な取組にしかならないと思うんですよね。広がっていかないというか。それがまず一般の部局に移ったときに,例えば家庭教育支援と子育て支援が,厚生労働の考え方で子育て支援が行われていれば,それは必ずしも家庭教育の力を高めることにつながっていかなくて,でも,指標は部局の方の指標づくりっていうのは,何かすごくスマートに数値化をして,それを達成するみたいになるんですけど,恐らくそれじゃ語りきれないものがその中にたくさんあって,それを見る目を養うような仕組みがないと,あるいは私,前に提出させていただいた分で,やっぱり行政の人事というか,行政職員の育成の中にキャリア形成とか開発の中に,この一定の社会教育主事の役割を担っていて,それこそあらゆる課題,あらゆる人材,そういうものをどういうふうに見つけていってつないでいくかというような発想に立つ視点を持つことがいかに重要な行政職員の人材の育成につながるかということも非常に大きな観点だと思うんですが,そういうものってほとんど不在のような気がするのは行政の人間じゃないからかもしれません。関さんだったら,いやいや,そんなことあるんだよということがあるのかもしれませんが,そういった点から言うと,先ほど絡めていったときの教育委員会で教育っていうフィルターで地域を見るっていうことの数値目標を達成していくのとは違った視点があるということについては,何らかの書きぶりの中にそれが表されるのか分かりませんが,そんなことが必要だなと。
 そういう意味での仕組みを,それは地域の人材が育つ仕組み,地域の仕組みだけではなくて,行政の職員の質向上の仕組みも含めてグランドデザインみたいなものが描けないかなというのは常々思っているところではございます。

【関委員】  今年度の文部科学省の公民館等を中心とした社会教育活性化プログラム,あれに我々も取り組ませていただいてます。その過程で,環境であったり防災であったり,あるいは福祉であったり,そういった分野の担当者との接点が正直広がりました。今まではほとんど教育委員会サイドとそれぞれの担当部局との接点というのはなかったです。非常に情けないのですけれども,昨日もちょうどあの事業の関連で,市民部の方で防災の担当をしております防災安全課職員と教育委員会担当者の協議の場を持ちました。実際に今までいかに行政と教育委員会の接点がなかったかということを本当に痛感しました。
 そういう関係性をこれから先,蓄えていくことによって,本当にどちらが担う方が効率的な行政運営ができるのか,それが見えてくる可能性は十分あるんじゃないかなと感じております。できれば今年度,今後,事業を展開していく中で,そういった経験知をきちんと情報発信していきたいと思いますし,全国各地の情報が共有されそういうマインドが広がっていくことを願っております。

【浅井座長】  井上委員。

【井上委員】  教育委員会に置くべきだという議論の関連なのですけれども,いつも財政課と予算折衝するときに言われるのは,社会教育の事業というのは分かりづらいですねと言うことです。というのは,例えば放課後子供教室推進事業は,メインは子供たちの放課後における活動の場をつくるということですが,地域の大人が子供たちと交流することで地域を育てていくというのが本当の目的なんですよね。このように,裏に目的があるような事業が多く,非常に分かりづらい面もあるのですけれども,それがある意味,教育の視点での事業の企画立案であると思います。部局の方の事業というのは結構ストレートに事業が企画立案できるのですよね。何が足りないといえばそれを用意したり,何かを作ったりする。でも,教育の事業というのはそういうのが難しくて,やはりいろいろな手法を組み合わせながら事業を組んでいく。そういうことはやはり,教育委員会のある意味,社会教育主事の専門職としての,ほかの部局ではなかなかできない部分ではあると思うのです。
 そのような側面ももう少し資料の中にも書いていただけると有り難いと思います。社会教育主事の話になってしまったのですけれども,そのためにはやはり,きちんとした生涯学習・社会教育計画を作って,専門職員をきちんと配置して,施策・事業を推進していくとが必要となっています。もっとこの計画策定のことをもう少し書いていただくといいかと思います。例えば地域住民の意向の反映というのであれば,生涯学習推進計画とか社会教育計画を住民参画型で作ったりしている例もありますし,そういう部分でも社会教育の手法で展開しているところもあるので,そのような部分も記載していただきながら,社会教育の視点がやはり大切なんだというところを主張いただければ有り難いと思います。
 以上です。

【浅井座長】  ただ,都道府県レベルですと,計画立案が大きな役割になりますけど,市町村へ行くとまたちょっと違った社会教育支援の役割もありますので,そういいきるのは難しいところもあるのですが,お話がいろいろ出てきましたので,社会教育主事の方に……。

【発言者不明】  教育の観点とか視点とかフィルターとかバインド,教育っていうことでまとめた方がいいっていうお話も出ましたし,まあ,そういう気もするんですけど,一方で社会教育の場合には,教育といっても活動と離れた教育というのがあるわけではなくて,いろいろな地域の市民としてのいろいろな問題意識,それに基づいた活動の中で総合学習であったり,総合教育であったり,そこに教育性が出てくると思うんですね。
 そういう意味ではやっぱり,同じ教育といっても,教える側がきちんと子供に教えるような学校教育とはかなり違ってくるので,ですから,教育という観点でひとまとめでどっちかにあるというふうなものでもないんじゃないかなと思います。
 それから,もう一つ,事務局の室長のお話で,どちらかというと学校の周りの社会教育と首長サイドのまちづくり的な学校教育,大きく二つあるんじゃないかと。実態的には多分そういうふうになると思いますけれども,学校,子供絡みでの社会教育というのも,学校のためにやっているんですけれども,社会教育から見れば,学校というのが親の立場で子供に対していろいろな活動ができる,すごくやりやすい領域なので,それが社会教育の大きなコアにもなっていると思うんですけれども,でも,やりやすい,やりにくいはあっても,社会教育自体はそういうふうに性格的に二つに分かれるものでもないんじゃないかなと思いました。
 以上です。

【浅井座長】  ありがとうございます。
 二つに分けるかどうかというのは別ですけれども,ただ,地域の教育力を育成しようというところと,それから,単なる地域づくりは首長部局にかなわないですけれども,学習とか教育を通した地域づくりに果たす意義は大きいと思います。地域課題にどう対応していくのかが問われていますから,それができないのだったら社会教育は要らないとまた言われると思います。中立性とか継続性,安定性とか地域住民の意向の反映というものを担保するのに,国の方でやっていただける,あるいは自治体の都道府県でやっていただけるのは,一つはガイドラインみたいなのを作っていただくということと,それから,先ほどおっしゃったように,情報発信ですが,いい事例をどんどん出していただくということがあげられるかと思います。もう一つ,制度みたいなものを作ることができれば一番いいのですけれども。何かよいアイディアがありましたらということで,宿題にしていただければと思います。
 それから,社会教育主事の役割というのがその中で恐らく大きな位置を占めるだろうということで,第2章の方で御意見を頂きたいと思います。いかがでしょうか。

【野島委員】  次回,欠席するものですから,ちょっと。

【浅井座長】  是非。あと,メモとかも出してください。

【野島委員】  この前,お出ししたんですが。

【浅井座長】  はい。ありがとうございます。

【野島委員】  それで,前に発言した資格の汎用化のところで,今,文章を作っていただいておりますので,これで11ページですね。これは要するに,最初の丸のところでは,社会教育主事であった人がそうでなくなった場合に,形が見えなくなると。それから,社会教育主事の任用はされなかったけれども,そういう資格を持っている,これは講習を受けるだけじゃなくて各大学で単位から資格を得る道が当然ありますから,そういう点ではかなり多くの人たちがこの資格を持っているわけですね。ところが,それがなかなか見えないということで生かせないということで汎用化が必要だと,こういう話はさせてもらったのですが,二つ目の丸で,こういう考え方もあると。三つ目で,だけど,今,社教主事が減っているから社会教育主事制度の形骸化につながる。つまり汎用化。こういう社会教育士ですとか地域教育士,まあ,仮ですけど,汎用化につながるからやめようと。考え方としてね。

【浅井座長】  駄目ですか?

【野島委員】  だから,難しいでしょうという話じゃないですか。だから,このため,社教主事の資格がカリキュラムを見直して,そのことで有用性を認めてもらって汎用化をしていこうと。かなり理屈としては動いているんだけれども,要するに,やっぱりやめようという話になっているんですかね,これは。余り実効性はないですよね。
 最終的にカリキュラムを見直して汎用性を進めていくというときに,どういう見直しをしたら有用性を認知して汎用化されるのかというところがちょっと,その先がないから見にくいということで,三つ目の丸が非常に重要だと思うんですけれども,社会教育主事制度の一層の形骸化につながるというんだけれども,今,私たちが議論しているのは社会教育主事制度をどうするかということのもう一つ上に,社会教育の推進体制をどうするかということがあって,そのために今,社会教育主事をどのような形で生かしていくかという議論なんですね。なので,今ある社会教育主事制度をどういう形になるか,それが別の形になれば形骸化ということだとしたら,これはなかなかやっぱり進める方向には行かないのかなと。つまり,推進体制を進めるという議論の中ではこういうアイデアは生かされていかないのかなと思うんですけれどもね。汎用化というアイデアは。
 この書き方がやっぱり難しいですよねっていうトーンというふうに見えたんですが。いや,それはそれで一つの見識だと思いますが,そういう書き方になっていますでしょうかという確認です。

【新木企画官】  まず,この社会教育士,地域教育士というのをどう位置付けるかということなんですけれども,社会教育主事とは別の制度として国家資格化しましょうということであれば,それは規制緩和の時代の中で非常に難しいでしょうというふうに思います。仮に,今の社会教育主事というのが単なる任用資格ですから,呼称としてこういうふうに呼んでいきましょうと,こういうことであれば,多分それは国家資格の話とは別に,要は社会教育主事有資格者みたいな非常に長い名前ですよね。なので,それを呼称としてこういうふうにやっていきましょうということであれば,それはもう今でもできる話ですし,そもそも社会教育主事が周りに使える資格だというふうに認知されていれば,こういった知識,経験からどんどん使われていく話なので,それをどんどん進めればいいかなというふうには思うんですけれども,別の資格として持っていくというのはなかなか難しいとは思います。

【野島委員】  今までの議論では,別の資格というのは余りなかったように思うんですね。

【新木企画官】  ただ,国家資格としてというのは,もう別の資格になりますよね。つまり,今の社会教育主事自体が国家資格として社会教育法の中に位置付けられていますから,国家資格化しましょうというのは,また別の資格として作るということですよね。

【野島委員】  つまり,名称変更という形ならば可能性はあるんですか。

【新木企画官】  それはあると思いますけれども,それは社会教育主事をやめましょうということですよね。
 社会教育法というのは法体系としては社会教育行政組織法なんですよね。ですから,社会教育行政の職員として位置付けるための資格を規定しています。ですから,一般的な地域人材も含めた形の資格要件をそこに入れ込むというのは法体系的には非常に難しいというのが一点ございます。今までのお話の中では,地域人材の人たちも含めて社会教育士あるいは地域教育士という形で位置付けて,その中から社会教育主事になる人を選びましょうという話も中にはあったので,それを国家資格化して社会教育法の中に位置付けるというのはちょっと難しいのかなと。

【野島委員】  現実にはまだ地域の方々が社会教育主事の基礎資格を取って,そこまでは行くんですけど,そんなに多くはないんですね。やはり今,一番大きいのは行政職の方々がその資格を持って,それを実際に,社教主事になったけれどもその後生かされない,それから,資格を持っているけれども任用がないと,こういう方々の活用をどうするかということを第一義的に考えたらいいと思うんですね。なので,そういう点では,名称を変更して,仮に社会教育士というふうにして,そこで社会教育主事を任用していくということは可能なんですか。

【新木企画官】  それは法律上の名称を変更してということですか。一般的な資格として社会教育士というのを法律上に位置付けて,その資格を持っている人を行政職として任用しましょうということですか。

【野島委員】  いや,そうではなくて,要するに社会教育主事,さっき新木さんがおっしゃるように,有資格者という言い方がなかなか通用しにくいので,そこをクリアすれば随分と行政の方々の力が使えるということですね。その一点ですね。何とかそこはできないかなという思いはありました。

【山本委員】  このレポートとしては,大体,社会教育主事の整理はこういうことになるのではないかなと思いますが,新しい資格を作る,つまり国家資格化するというのは今までの条件では非常に難しいという認識は共有されると思うのです。ですから,それを前提として,しかし,そういう有資格者も含めて,非常に有用な,あるいはより民間からもいろいろな経験を積んだ方が出ているので,そういう人を,例えば社会教育士とかの名称で,例えば民間レベルで認証するような制度があってもいいのではないかという主張を分科会としてすることは非常に重要なことではないかと思いますので,その辺は分けて提起してはどうでしょうか。これは一つ,一歩前進になるのではないかと思うのですが。

【浅井座長】  大学の履修証明が使えると思うんですよ。

【山本委員】  そうですね。そういうこともできますよね。

【浅井座長】  そうですよね。すぐできますよね。

【山本委員】  放送大学だけじゃなくて,いろいろな大学でできます。

【浅井座長】  見える形にするというのにはいいと思うんですが。平成の1ケタの終わりごろでしたか,ちょっと覚えていませんけど,有資格者の活用について検討しかけたことがあるんですよ。結局は途中で立ち消えになりましたが。

【山本委員】  だから,民間レベルのということで定義しておけば,図書館の場合は図書館協会でやられましたけど,では,社会教育の関係団体はどうするのかというボール投げられるわけですから,それはもう民間の課題としていろいろな団体で協議して,やっぱり政策化するということが,民間の側の課題となるということで非常に大きな前進になるのではないかなと思います。

【野島委員】  そうすると,この二つ目の丸で,2行目ですけれども,国家資格を創設,あるいは民間レベル,この二つはかなり性格の違うものですね。この国家資格を創設するというのは,特にそういう意見がないようだったら,削除すれば少しすっきりするのかもしれない。

【浅井座長】  そうですね。実際にできないことは削除しまして,民間とか,大学の履修証明を入れたらいいのではないかなと思っていましたけれども。

【糸賀委員】  今,座長が言われた,大学の履修証明でどれだけその人材の質が担保できるかは,私も大学にいて,やや怪しいんじゃないかとは思っているんですよ。だから,私はきちんとそれは民間団体がちゃんと認定する仕組みを整えた方がいいと思うんですよ。
 こちらの報告の方で言いますと,今,問題になったところで言うと,そのためにカリキュラムの見直しを行うとなっていますよね。社教主事資格のための,まあ講習なんでしょうね。これはカリキュラムの見直しでこういった人材が育つように実現できるんですかね。つまり,今,社会教育主事のカリキュラム見直しをすればこうなるのかっていうのが1つね。
 それから,それは実は連動する話で,8ページの社教主事の今後の在り方の(1)社会教育主事の職務の明確化,これは先ほど井上委員も言われたように思うんですが,じゃあ,現在の社教主事の職務を,一人一人が,あるいは地域を横断して,明確化できるんだろうかというふうに私は思うんですよ。仮に地域を限定しても,今度は時間軸を考えたときに,いや,3年前はこういうことやってたけど,今はまた別のことをやっているというふうに変わっていくのが社教主事のある意味でのダイナミックさであって,面白いところであると同時に,捉えどころのなさでもあると思うんですよ。
 だから,私は,そこはそれぞれの地域や,それぞれの人がどういうことに取り組んだかを経験をちゃんと見てあげて,そこを認証する仕組み。だから,入り口はある意味で全国一律でもいいですよ。東京でやっても九州でやっても。私はすごく評価するのは,この前,聞いた,お茶大が土曜,日曜,月曜だかで年間を通して社教主事の資格が取れるとかっていうね,そういうふうなやり方のときに一定の単位数でカリキュラムは統一する。だけれども,北海道の社教主事と都会の社教主事と沖縄の社教主事でみんな職務が明確にスペシファイできて,それをカリキュラムを組むとみんな一律にスキルアップするかというと,そうはならないだろうから,それはやっぱり私は経験と,ある程度表現力ね。表現力といっても,じゃあ,実際に社教主事でワークショップやってくださいっていうのを評価するのはなかなか難しいから,図書館の場合も結局は書いたもの,その人がどれだけの表現力,書けるかというようなところで審査をしていくわけですよね。
 そういう2段階にしておいて,ある程度キャリアデザインを用意してあげないと。だから,それは国がやるのはいかがなものかという,座長の言われるのも分かるんですが,ある程度はやっぱりそういう仕組みは国家としてというか,国として制度化しておいて……。

【浅井座長】  国家資格についてはそうですよ。

【糸賀委員】  だから,今,言ったキャリアデザインの方は大枠は国が用意して,それぞれは本当に市町村の社教主事と都道府県の社教主事ではそれぞれ違うやり方をしていて,それを,それこそ中教審生涯学習分科会が認定してもいいし,まあ,それは非現実的だと思っていますけどね,そういう全国団体が認定をするとかっていうふうな仕組みで考えていってもいいだろうと。ともかくこのカリキュラムの見直しと職務の明確化は本当にできるんでしょうかという疑問です。
 ついでに言っておきますが,結局,社教主事の持っているスキルが,カリキュラムを整えることでちゃんとスキルが移転するのかどうかなんですよ。例えば,持っている人が講師になりますね。まだ社教主事になっていない人たちが受けますよね。そういうカリキュラムの見直しや講習の在り方を見直すことでスキル移転が図れるかどうかなんですよ。それは多分,私は一緒に仕事しないと駄目だと思います。だから,よく言うように,普通は技術移転なんですよ。テクノロジーをどうやって移転させるかなんですよね。つまり,先進国の技術をいかに発展途上国に移転するかです。それはやっぱり現地に行って一緒に指導しないと駄目なんですよ。つまり,どんなに途上国から呼んできて,頭でスキルを覚えさせる,それはそれで必要ですよ。あとは一緒に行って,やっぱり現地で仕事するんですよ。
 そうすると,ここで社教主事のスキル移転も,本当は現場でそういうふうな経験を積みながら,だんだんと人から,あるいは先輩から移転していくんだと思うんです。それは,私はだから,ある程度論文にちゃんと表現してもらい,自分の実績を,こういうことをこの地域でやりましたみたいなものを表現してもらった上で,経験年数,そして表現力,そういったもので認定をするという,そういう二段構えでキャリアデザインを考えていった方がいいんじゃないかと。

【関委員】  何年ぐらい社会教育主事がその職にとどまるという前提で今のお話をされていますか。

【糸賀委員】  それはね,どの職種も今,同じなんですね。どんどん替わっていくんですね。特に,文科省さんのこの,まさに勤続年数を見ていると,社教主事が一番短いんですね。図書館司書や博物館学芸員はもっと長いんですね。ですから,これは累積でいいと思いますね。ただ,おっしゃるように,同じところに5年も10年もとどまっている人はどんどん減っていますね。そうしたらそこの年数は,例えば3年で一定の能力を持ったというふうに見なすとか,そういうふうな評価のやり方の,制度設計のときにそこのさじかげんはできると思います。ただ,おっしゃるように,余りそこを長くしちゃうと,その認定を受ける前にほかのポストに異動しちゃうことになりますので,そこは現実的に,私は3年とか2年とかっていうので経験を積んで,一定のスキルが蓄えられていればそこは認定してもいいんじゃないかと。

【関委員】  3年でスキルを蓄えるというのは非常に難しい。

【糸賀委員】  そこは,だから,3年にするか5年にするか。ちなみに図書館の方は10年の経験を積んで初めて認定が受けられるというふうにしています。

【関委員】  多分,教育委員会行政の中に置くという話になったときに,そこで10年いるのはまず絶対無理でしょうね。

【糸賀委員】  そうだとしたら,例えば首長部局に移っても,そういうふうな仕事をしている。そうすると私はさっきの社会教育士や地域教育士というふうな資格はそれなりに,その10年を見るときには有効じゃないかと。つまり,職場は異動したんだけれども,自分は地域教育士の資格を持っていて,そこでこういう仕事をした。それは社会教育主事に相当するものとしてちゃんと年数をカウントしてくださいというふうなこともできるようにしてあげれば,おっしゃるように5年,10年は可能だと思います。

【浅井座長】  なぜ社会教育主事がこれだけ減ってくるか,社会教育主事は一体何する人なのか分からないとかいろいろなことを言われることを考えていただきたいのですが,専門的職員は,教員もそうです。それから司書もそうかもしれません。それからお医者様とか専門職と言いますけれども,何をやる人かということが誰にでもイメージできなければならないと思います。ですから,カリキュラムを見直して何をする人かということを作っていかなければならない,それが一つです。
 それから,もう一つ,どなたかは業務独占は駄目と言われましたけど,専門職として業務独占するところを作らなかったらやっぱり要らないって言われます。
 今からそれが作れるのかどうか,それは分かりませんけれども,それのない専門職なんてあり得ないと思います。

【糸賀委員】  業務独占を言ったのは私なんですけど,それは過渡期だから,これを考えましょうと。初めからゼロにして,ゼロから作り上げるんだったら,私は業務独占……。

【浅井座長】  ほんとはね,ほんとはそうなんですよ。そう。

【糸賀委員】  つまりね,社会教育主事の資格を持っていないとこの仕事はできない。調理師だってみんなそうですよ。美容師だってそうなんですよ。でも,今,現にこれだけ社教主事がいて,その人たちのつなぎの……。

【糸賀委員】  考えなくちゃいけないから。

【浅井座長】  見えなく作っていく。

【糸賀委員】  あ,そうなんですか。
 私は過渡期としてはやっぱりそういうふうに考え……。

【浅井座長】  社会教育主事を残した方がよいのでしたら,そういうことを考えませんと。今までの牧歌的な社会教育主事から少し変わっていくと思いますけれども,そういうことを考えなかったら,どうして社会から必要とされるのでしょうかと思いました。

【竹原委員】  社会教育主事が要るか要らないかじゃなくて,社会教育という機能がこの社会に要るかどうか,特に行政の中でどんな機能があるかということを明確に伝えることが必要ですね。図書館司書は図書館という明確なイメージがありますが,社会教育はかなり曖昧だし,ボーダーが見えないので,そこをどういうふうに伝えればいいか,資格とは違う,資格と言いながらも明確な部分と明確じゃない部分を両方持っているような気がしてならないんですね。そこは社会教育の難しさだなと思っています。どこに落ち着ければいいのかは分からないんですけれども。

【浅井座長】  どこに落ち着かせるかっていうところが一つの課題です。

【竹原委員】  図書館司書は情報のプロで,首長部局に座っていて有効だという考えはまだ浮かばないんですけれども,大きな会社や組織には図書館司書的な役目の人もいるでしょう。社会教育主事の仕事はあらゆるところに必要な機能だとは思いますが・・・

【糸賀委員】  その議論,前にしたと思うんですけどね,つまり機能なのか資格,名称なのかなんですよ。つまり,その機能を持っている人であることを外に見えるようにするために資格が必要なんですよ。どんなに自分は社教主事の仕事ができると言っても,やっぱり資格を持っていないと対外的に,そして公務員という自治体の仕事をしていく人の中では認めてもらえないわけですよ。だから,それをちゃんと,そういう能力を持っている人の証明をするものとして私は資格というものがあると思いますから,やっぱり一定の資格は持っていていただかないと困るということですね。

【浅井座長】  もちろん資格を否定しているものではないのですけれども。

【糸賀委員】  だから,今,議論はやっぱり資格制度をどうするかなんですよ。もちろん必要なのは資格よりも内容だ,この人がそういう仕事ができるか,機能だというのは,もう,まさしくそのとおりなんです。でも,今,どういう機能かというよりも,じゃあ,その制度をどうするかがこの2番目の論点なんだろうと思うんですね。
 今,まさしく竹原委員が言われたように,実はこれはもう国際的には,ライブラリアンの世界で言えばエンベデッドライブラリアンなんですよ。エンベデッドっていうのは組み込まれたという意味。それはどういうことかというと,図書館員は図書館にいたんじゃ駄目だと。もっとそれぞれの職場の中で図書館の仕事をする。例えば,厚生労働へ行って,そこで図書館がいろいろと業務の中で情報を発信していく。そういう役割をすれば司書の,ライブラリアンの役割は認められるだろうというのが,これは国際的な動向ですよ。
 ところが,社会教育主事の世界は,そういう国際動向に全く疎いんですよね。なぜなら,社会教育主事に相当する国際資格がないんですよ。だから,これは博物館で言えば,いわゆる学芸員であって,図書館員で言えばライブラリアン,それでもってキュレーター,この世界はそれぞれ世界会議が毎回あって,世界的にどういうような司書や学芸員が求められるか議論するわけですよ。でもって,今,言ったように,日本の我々の話では,もうこれはエンベデッド,それぞれの組織の中に組み込まれたライブラリアン。だから,私がさっき,自前主義から出前主義と言ったのはね,それも含んでいるんですよ。

【竹原委員】  分かりました。つながりました。

【糸賀委員】  この機会に言わせていただきますが,今までの自前主義っていうのは,いわば伝統ある老舗でして,自分で作ったものを,さあ,客は食べたければ食べにこいってやってたわけです。それじゃあもう駄目なんですよ。そうしたら,自分たちで作ったものをそちらに届けましょうと。でも,これはデリバリー型で,自分たちで材料をそろえて,自分たちの厨房(ちゅうぼう)で作っているんですよ。もうそうじゃないと。これからは行ったところでどういう材料があるか見て,そこでその人たちの口に合ったようなものを作っていかないと駄目なんですよ。これは言ってみればケータリング型なんですよ。
 だから,社会教育主事も,例えば今,言った厚生労働,環境,福祉,そういうところへ行ったときにそこで必要になるものをちゃんと組み立てていくっていう,そういう意味での出前主義に変わらないと駄目なんです。

【竹原委員】  すごくよく分かります。感動して聞いていました。

【松田委員】  その議論がすごくリアルに聞こえるのは,図書っていう一つの対象がクリアになっているからで,そういう意味では社会教育とか地域教育といったときに,これはシンボリックな言葉になっていて,対象が非常にぼやけるわけですよね。
 例えば,今,大学間で連携してこども支援士っていうのを作っているわけですけれども,子供っていう対象でさえも,やっぱりそれでもぼやけるところがあって,子供の何を支援するのかっていうところが,今,学域みたいな形で書くことで細分化することでどうだっていう試行をやっているわけですけど,ですから,そういう意味では社教主事の中身をカテゴリー化して,それを少し軸に整理していくっていうのは,外への見せかたとしてはあるのかなと思って,今,伺って聞いていました。

【浅井座長】  具体的に。

【松田委員】  具体的にですか。
【浅井座長】  うん。

【松田委員】  社会教育の。

【浅井座長】  やっぱりそういうところが私は問われているのだろうなと思っています。

【清國委員】  具体的にという話の中で,やっぱり社会教育委員とか,あるいは社会教育関係団体がありますし,そこの中で人材育成って,実は連綿と行われてきたところがありますので,そこの指導というのか,指導,助言,支援というようなところをもっと明確にうたった方が,じゃあ,社会教育関係団体,今,どんどん組織化率も低下してきていて衰弱している中で,そこにどういうふうに社会教育主事がかかわっていて,その組織を拡大するのはなかなか難しいにしても,そこでの人材育成をしていくために,組織の中での個を生かすというか,個を拾って生かすんじゃなくて組織を育てることによって個を生かすようなことが,教育はこれまで得意としてやってきたところだと思うんですよね。そういうところをつぶさに出していけば,そこに求められるもの,例えば社会教育委員が社会教育計画の立案にどれぐらいかかわっているかって,現実的にはそういうことがなくて,あるいはどれだけ諮問に対して提言を,調査研究活動をして出しているかっていうと,それも事務局が書いているものが多くて,そう考えると,やっぱりそこの,人を育てるって言うんですけど,じゃあ,どうやったら育てられるのかというようなことを,もう少し私たちは本当に踏み込んで考えて出していかないと,これは説得力持たないと思います。

【浅井座長】  例えば教員は専門職として認められているというのは,教え方をちゃんと勉強しており,その技術持っているところにあると思います。その技術の基のところ,を作らないで何で専門職と言えるのですかということが問われているのはないでしょうか。

【今野委員】  先ほど,野島先生が言われていたところで,私も全く同感なんですけれども,室長の話のように,今の社会教育法が行政について規定した法律なので,それ以外の一般的な資格とか何とかは法律の対象外だからできませんよと,これは分かりました。分かったんですけれども,何とかならないのかなと,とても残念だなと思います。何か知恵が出ないのかなと。
 一つの知恵が,民間のそういう資格をうまく社会教育法で言及できないのかどうかということがありまして,断念するのはちょっと残念だなと。社会教育士とか地域教育士って言っちゃうと,ちょっと狭いかもしれないので,他部局で使おうとしているときにもうちょっと,生涯学習コーディネーターとか,何かそういう名前の方がいいのかもしれませんけれども,そのアイデア自体はちょっと残しておいてほしいなというのと,それから,先ほどの三つ目の丸で,枠組みを検討することが形骸化につながるというのがちょっと分からないんですよね。社会教育主事制度は今のままであれば必置で残っているわけですから,それをどういうふうに,一般的な資格があればそれを用いてこういう内容,あるいはいろいろ議論がありました新しい社教主事の資質能力はこうだというふうなことで規定をどうするかというのは問題あると思いますけれども,社会教育主事制度自体が形骸化につながる危惧があるって言っちゃうのはちょっと言い過ぎじゃないかという気もするんですけど。

【新木企画官】  今の最後の点は,社会教育主事とは別の国家資格を新たに作ったときにはという限定なので,先ほど言われたように,11ページの丸の2の部分の国家資格を創設するみたいなところを削除するのであれば,下の文章もちょっと変えなければいけないなというふうには思います。
 それから,もう一点,新たに例えば民間レベルで社会教育士あるいは地域教育士というものを作った場合に,最終的には社会教育主事の方に組み込めるような形にするという点については,今,社会教育法の9条の4の中にいろいろな講習等を受けて取れますよというものがあるんですけれども,それと同等程度と認定したものというか,省令で落としているんですよね。省令の中にそういったものを入れるというのは十分できるのかなと。例えば,社会教育関係団体における業務経験だとかというのを実務経験として認めておりますし,首長における社会教育に関するような事業をやっている実務経験を認めていますから,社会教育士あるいは地域教育士的なものの資格を持っている場合は,実務経験プラスその専門教育的な部分を免除するというような形ができるのではないかというふうに思います。
 法律上に民間レベルの資格を入れ込むというのは,なかなか難しいですけれども,省令であればうちだけの話ですので。

【浅井座長】  時間になってしまったのですけれども。

【関委員】  すみません,一点だけ。

【浅井座長】  どうぞ。

【関委員】  先ほど,糸賀先生が言われたと思うんですけれども,社会教育主事がそれぞれの地域で行った実践を,論文とまではあえて言いませんけれども,きちんと1年に1回であってもいいですから,どこかへ提出させるような義務付けというのはできないですかね。自分で自分の首を絞めてしまうんですけれども。
 例えばそういったものがどこかに蓄積されて,今,こういうふうな,全国でいろいろな課題解決の事業で取り組まれておるものがオンタイムで共有できるのであれば,そのことを通じて社会教育主事のレベルも上がっていくだろうし,その中で面白い事例があれば,例えばいろいろな研修の場みたいなところにそれを吸い上げていく,あるいは文科省の情報として全国へ情報発信してもらう。そういうようなことをやることによって社会教育主事の認知度も上がっていくだろうし,モチベーションも上がるのではないかという気がいたします。

【浅井座長】  実際に雑誌とかにかなり事例では出ているのですよね。

【生重委員】  出てます,出てます。

【関委員】  結構,限定されるんですよね。

【糸賀委員】  それは,でも,実践研じゃないんですかね。上の。それがある程度機能するべきと私は。関係者がいるかもしれませんが。

【浅井座長】  いや,そういうこともやってるんですよ。幾らでも。

【糸賀委員】  やってますよね。

【関委員】  確かに我々も出させていただいて,非常にそれはプラスになるような自分も十分分かるんです。

【浅井座長】  ただ,全部っていうわけにいかないでしょう。そこが大変なんですよ。だと思うんです。まあ,でも,そういう案は。

【糸賀委員】  おっしゃるように,ちゃんとそれは実践研で集めて,ある程度データベース化して,全国で共有できるようにすると。それで評価される社教主事としての経験ですよね,そういうものを私は今度は地元の教育長なり,首長でもいいですよ,推薦をして,こういう人材がいるんだと。こういう人をもっと職場の中で働きやすくするために認定すると。だから,それは民間団体でもいいし,私は上野の実践研がそういうことをやるというんでもいいと思いますけどね。
 何らかのそういうキャリアデザインを作っておかないと,どこかで資格取ったらそれっきり,一生,有資格者として通用するっていうのは,やっぱりちょっとキャリアデザインとしては不十分だと思います。

【浅井座長】  よろしいですか。あと少し。

【井上委員】  ちょっと短く,1分で終わらせます。
 7ページのところで社教主事の必置のところですけれども,やっぱり必置規定というのは現場では生命線になっていまして,市町村に回って設置を指導しながら,やっと今のパーセンテージを維持している状況です。この必置規定をどうにか,この最後の表現「原則とすることが望ましいと考える」という,かなり不明確な表現になっているのですけれども,どうにか「必置とすることが望ましい」というように明確に表現していただけないでしょうか。今までの議論を飛び越えたお願いになってしまっているのですが,これだけは。
これについては,現場を代表してのお願いです。

【生重委員】  みんな,最後,最後と言って。いいですか。
 今の全国の社会教育主事って新規の採用がないし,そうじゃない,専従としている人たちが今,新規採用が少なくて,だんだん年齢が上がってきている。先生たちがやっているところはいろいろな人が入ってきているんだけれども,これから,私は社会教育は教育にあるべきだっていう主張だし,社教主事もいた方がいいんじゃないっていう主張なんですね。そのためには,最初の黄色い枠で書いてある,自分のところのニーズが把握できているかっていうことなんですよ。
 それがやっぱり座長が言うように,きちんと社教主事たる者は骨太にこことこことここをやるんだよってなって,各市町村とか県によって課題が違うじゃないですか。地域課題って。それにまともに向き合っていただきたいのが実は社会教育主事の最前線に立ってよって思うんです。だから,企画力も要るよね,そして人をつないでいく能力も要るよね。3年ぐらいで替わられたら,地域のおじちゃま,おばちゃま,おじいちゃま,おばあちゃまの顔を覚えられないんですよ。そことつながって向こうが安心して,「何さんが言うんだからやるよ」っていうところで動くっていう,日本の公民館的なつながりが厳然と残る地域社会のことを考えてみましょうよ。だから,やっぱりどうしてやめちゃうのかっていうことをもうちょっとつまびらかにして,やっぱり最低10年は続けようと。10年続けた上で,ちょっと地域スキルを積んでいこうと。明確なものは国が打ち出そうと。で,資格としてはこうだと。もうおっしゃるとおりですよ。OJTが必要です。報告レポートが常に必要です。その新しい要請を作っていくときにそこを重視していくにせよ,やめない。そして,今廃れていって,どんどん寂しくなっていく地方の町を活気付ける中心になっていくのが社会教育主事だとしたならば,そこのところを各地域課題において自分たちが描けるようになっていかないと,それこそ要らないでしょうっていう話になるような気がいたします。

【浅井座長】  ありがとうございました。
 時間になりましたので,あと御意見がありましたら事務局の方にお出しいただければと思います。次回もありますので,次回も是非活発な御議論をお願いいたします。
 本当に今日はありがとうございました。これで閉会させていただきたいと思います。

【新木企画官】  スケジュールなんですけれども,次回,第6回になりますけれども,7月25日,来週木曜日になりますが,14時から16時ということで予定しております。
 次回については報告書の最終まとめということになりますけれども,先ほど座長からも御発言がありましたように,ここの部分についてはこういうふうに直したらいいんじゃないかというような意見等がございましたら,メールで事務局の方までお送りいただければと思います。

【浅井座長】  ありがとうございました。これで終わりにさせていただきます。

お問合せ先

生涯学習政策局社会教育課