制度問題小委員会(第2回) 議事録

1.日時

平成19年7月5日(木曜日) 10時~13時

2.場所

KKRホテル 東京「白鳥」(11階)

3.議題

  1. 生涯学習・社会教育に関する有識者ヒアリング
  2. 意見交換
  3. その他

4.出席者

委員

 山本委員長、菊川副委員長、明石委員、糸賀委員、井上委員、讃岐委員、鈴木委員、高橋(興)委員、高橋(守)委員、土江委員、水嶋委員、山重委員、米田委員

文部科学省

 田中文部科学審議官、加茂川生涯学習政策局長、中田大臣官房審議官(生涯学習政策局担当)、清木生涯学習総括官、高橋生涯学習推進課長、平林社会教育課長、湊屋男女共同参画学習課長、後藤参事官、濱口民間教育事業振興室長、栗原地域学習活動推進室長、岩佐家庭教育支援室長、今野生涯学習調査官、小林生涯学習推進課課長補佐

5.議事録

【山本委員長】
 それでは、ちょっと定刻前かもしれませんが、おそろいでございますので、始めさせていただきます。
 ただいまから、中央教育審議会生涯学習分科会、第2回の制度問題小委員会でございますが、開催させていただきます。本日は朝から、またお忙しい中かと思いますが、ご出席くださいまして、ありがとうございました。
 会議の座席のほうは、これから毎週の開催ということになりますので、できるだけ固定しないように、適宜、事務局のほうで入れかえをさせていただいておりますので、ご了承いただきたいと思います。
 それでは、早速でございますが、議事に入りたいと思います。本日は、まず生涯学習、社会教育に関して有識者の方々からヒアリングを行うということで、前回ご了解いただいておりますが、それに続いて意見交換に移りたいと考えております。
 前回の小委員会で事務局のほうから提案がございました、3人の有識者の方に講師をお願いいたしまして、本日お越しいただいております。前半のほうの1時間程度で、講師の方々より20分程度の意見発表をいただければと思います。それで、それに基づきまして、後半は委員の皆様のほうからご意見、あるいは発表についてのご質問をいただくという形で進めていければと考えております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 それでは、こちらから本日の講師の方々を紹介させていただきたいと思います。
 まず、宇都宮大学生涯学習教育研究センター準教授、佐々木講師でいらっしゃいます。

【佐々木講師】
 佐々木です。よろしくお願いいたします。

【山本委員長】
 よろしくお願いいたします。
 続きまして、横浜市教育委員会生涯学習部長、石原講師でございます。

【石原講師】
 石原でございます。よろしくお願いします。

【山本委員長】
 お願いいたします。
 続きまして、杉並区図書館協議会会長、香月講師でいらっしゃいます。

【香月講師】
 香月でございます。無冠でございますけれども、よろしくお願いします。ちょっと字が読みにくいです。香る月と書いて「かつき」といいます。よろしくお願いします。

【山本委員長】
 お願い申し上げます。
 それでは、早速でございますけれども、最初に佐々木講師のほうに意見発表をお願いしたいと思っております。佐々木講師は、現在、宇都宮大学生涯学習教育研究センター準教授としまして、生涯学習システムに関する理論、実践的研究等のテーマで研究活動等、学問分野を中心に、と同時に自治体の生涯学習審議会等でもご活躍でございます。本日は、主に生涯学習の理念、生涯学習の振興に関する施策についてのお話をいただきたいと思っております。
 それでは、佐々木先生、よろしくお願いいたします。

【佐々木講師】
 皆さん、おはようございます。ただいまご紹介にあずかりました佐々木です。本日は、このような形で意見を表明する機会をいただきまして、まことにありがとうございます。それでは、時間も極めて限られておりますので、早速、資料に基づいてお話しさせていただきたいと思います。
 お手元に、「生涯学習概念を理論的に整理するために」と書いた資料、その他、参考資料として幾つかついておりますけれども、基本的にレジュメにしたがってお話ししたいと考えております。
 私は、生涯学習に関する法制度を構想する上で大前提として確認すべきことは、生涯学習の概念であると考えます。しかしながら、この生涯学習概念をめぐって、実態として誤解が先行していると私は認識しております。そこで、まずは審議会として誤解の実態を把握するべきではないかと考えます。その上で、そもそも生涯学習というものをどのように理解すべきか、このことを理論的に検討する必要があると考えます。そして最後に、広範囲な広義の生涯学習を踏まえた上で、行政レベルにおける生涯学習をどのように限定すべきかを見きわめることが大切です。こうした手順を踏むということを今回試みてみたいと考えております。
 まず、誤解の諸様相についてですが、私がこれまで研究してきた結果、大きく3つの誤解パターンに分類できると私は考えております。
 1つ目としては、生涯学習というものは、大人、成人による学習だけだという誤解です。これは特に一般の方に非常に多い誤解だと思います。つまり、生涯学習を行う主体には子供は含まれてこないと理解されている方が多いわけです。さらにそれが進んで、成人の中でも特に高齢者、そこに限定する形で生涯学習が理解されていることが多いと思います。
 ところが、これは、社会教育、成人教育関係者にとっては必ずしも悪いことではなかったんですね。というのは、これまで、教育といった場合、子供にばかり焦点が当たっていたんですけれども、生涯学習ということが出てきてくれたおかげで、大人のほうの教育も注目を浴びるようになったからです。こうした事態について、私は勝手に「価値ある誤解」と理解しております。だから、関係者も、誤解が流行っていることについてはわかっていたにもかかわらず、あえて整理してこなかったというような実態や歴史があるのではないか。ただ、この価値ある誤解の歴史的使命ももう終焉したので、今回、そのことをきちっと整理する絶好のチャンスが来たのではないかと私は考えております。
 2つ目といたしましては、「社会教育」という言葉を知っている人の多くが、生涯学習イコール社会教育と誤解していることが多い。当然、そうなりますと、生涯学習には学校教育が含まれないという理解になります。特に関係職員なんかの間で、生涯学習イコール学校教育以外だ、すなわち社会教育だという安易な公式化がなされているのではないか。これについても、心のどこかでは薄々気づいていて、わかっていてやっているという人もかなり多かったのではないかと推測します。
 3つ目といたしましては、生涯学習といった場合、「生きがい」こそが最大のキーワードであり、もっと言えば、楽しくなければ生涯学習ではないというような誤解が多い。そして、特に福祉関係者の中には、生涯学習といえば、高齢者の生きがいを得るための手段というような認識で捉えることはあっても、学習という視点はほとんどないということが多いです。実際、学生のレポートなんかを見ても、生涯学習のイメージというと、高齢者によるカラオケやゲートボールだというふうに思っている人が非常に多くて、私の授業を聞くまで知らなかったと書いてくる学生がかなりいます。当然、生涯学習というものは楽しいものだから、勉強というイメージは合わない。そう決めつけられてしまうとなると、子供の教育は勉強に近いイメージなので、おのずと生涯学習イメージからは外れていくというようなことが起きてきます。このことは、高齢者の楽しい生きがいだけが生涯学習だという誤解と相関性を持っていると考えられます。
 こういった誤解をまずは把握するということが案外大事だと思います。その上で、広義の生涯学習をどのように押さえるか。そこで、おそらく今後議論になりそうなことは、「教育」と「学習」の違いをどうとらえるかです。これは一見簡単なようで、かなり入り組んでいる議論になると考えます。
 最初に申し上げたいのは、広辞苑等の辞書を引きますと、教育とは「教え育てること」だと定義されているんですが、この定義は、はっきり言って、社会教育を教育として理解する場合には相当に弊害があるのではないかと私は認識しております。この定義は、社会教育における教育の実態とか原理にそぐわないのではないか。例えば、教育を教え育てることと言った場合、直に教えることをしない図書館とか博物館を社会教育施設として位置づける根拠というのが脆弱になるのではないか。極端に言えば、社会教育法第9条に「社会教育のための機関とする」と書かれているから、それらは社会教育施設であるのだといった循環論法的な論理になりかねない。そうすると、仮に法律が変わって、規定からそれらが外れたとしたら、そこにおける教育はいったいどのように解釈すべきなのかという話になりかねないんです。
 2つ目としては、子供や学生の学習に対する基本姿勢として、ややもすると、「学習とはすなわち教わることだ」という受け身の姿勢が非常に身についてしまっている。実際、私どもが講義をやっていて、教育というのは教わることだけではないんだと力説しているのに、「今日の授業は何を教わったかわからない」というようなことを言われてしまうことがあって、授業のねらいと非常に矛盾した批判を受けるということがございます。
 ここで、「教育」という言葉に注目してみます。これは、「教える」という単語と「育てる」という単語で成り立っているんですが、前者の「教える」という概念は、教育という営みの手段であるのに対して、後者の「育てる」とか「育む」という概念は、「教育の目的」もしくは「教育によって期待される効果」だと位置づけられます。こうして、「教育」という言葉の意味を組みかえていきたいと思います。
 そうした場合に、教育学ではよく「教える-学ぶ」という関係を、キーワードのようにして物事を考えることが多いんですけれども、ややもすると、この関係を単に「教える-教わる」というふうに狭い循環に押し込めて考えてしまいがちなんです。そうではなくて、「生涯学習」といった場合、教わるという方法に決して限定してしまわずに、生きていく中で学ぶというように、漠然と広くとらえることが出発点になるかと思います。
 その上で、第1番目としては、「教えない教育」というものを本日は強調したいと考えております。確かに、実際には、教わったから初めて学べること、教わらないと学べないということが多いんですが、逆に理論上、いくら教わっても学べないということもある。実際、大学の講義なんていうのは、大体3割ぐらいのことしか理解してもらえていないとすれば、教えているのに学んでいないことのほうが多いのではないかとすら思います。しかし逆に、大人の教育の現場では、教わらないけれども学べたということが非常に多いのではないかと思います。
 そのように考えていくと、学習者にとって、教わるという手法は、学びのもろもろの方法の一つの選択可能性にすぎないのだというように相対化する必要があると考えます。実際、私もよく大学の講義で、教えないということをテクニックとして使うんですけれども、だからといって、このことは、教えることを拒絶するものではありません。教え過ぎてしまうとまずい場面、逆に、教えなさ過ぎるとまずい場面、こういったことのバランスを意識しているというわけです。したがって、「教育」を再定義するのであれば、教え育てることと、教わらないがゆえに育まれるものとの組み合わせ、これをどう絶妙に組み合わせるかというところに、その意義があると思います。特に社会教育の場合、こうした教育の定義の仕方をうまく取り入れるところに大きな可能性があるのではないかと考えます。
 教育ということを教えることだけに限定しないとなると、当然、教育概念は非常に大きな広がりを見せます。教えるという行為をしなくても、例えば部屋にいっぱい本を置いてあるだけでも、環境を整備するという意味での教育だととらえることができると思います。そうしますと、教育とは「学習のための環境整備」というような定義が可能なはずです。
 しかしそれでも、それぐらいに教育を広い概念としてとらえたとしても、やはり「教育なき学習」の存在可能性は否定できないと思います。すなわち、教育というものを人為的な営みとしてとらえる場合に、たとえば自然の中など、それとは無関係のところで人間が学習しているということが多々ある。そういった場合、「教育」という行為は、人間が学習及び発達、成熟していくための諸条件の一つの選択可能性にすぎないという形で、またさらに相対化することが可能だというわけです。
 3つ目といたしまして、「学ぼうとしない学習」と書いてあります。つまり、学習者が学ぼうとしていなくても、結果的には、日常生活の中で偶発的に何かを学習してしまうということが多々あるというわけですね。
 以上の3つの観点を踏まえれば、教育の存在可能性を相対化できます。このことはむろん、教育の価値や可能性を否定したわけではないんですが、理論的には、そのことをまず踏まえることが大事だというわけです。その上で、「教育」という営みを、何より学習者を基点にしてとらえ直す必要があるということになります。
 そこで、このことを踏まえていくと、ここで「生涯教育」という言葉もいったん整理しておかなければいけないんですが、昭和56年の答申等によれば、大ざっぱにまとめると、「生涯教育とは、生涯学習の条件整備」という理解になると思います。
 我々が「生涯教育」という言葉を持ち出しますと、一生涯にわたって教育されるのではないかという批判を受けることがございます。そこでしっかり区別しておかなければいけない問題とは、「教育される義務」と「教育を受ける権利」とは違うんだということです。教育というと、どうしても教育主体があって教育客体がいるという構図で見てしまいがちですが、そうではなくて、教育主体と、教育を受けるかどうかを決める主体がいて、両者の関係で教育関係が成り立つことがあるというわけです。そうしますと、「教育を受ける権利」という文脈で生涯教育を理解するならば、必ずしも「何々される」という受け身のニュアンスとは違うところで把握しなければならないことがよく見えてくると考えます。
 いずれにしろ、ここで確認しておきたいのは、「生涯教育」よりも「生涯学習」のほうが広範囲にわたる包括的概念であるということです。ただし、「生涯教育」のイメージは線とか面であり、わりと体系的に捉えうるのですが、「学習」というのは、いわば点であり、体系的に存在しているというのではなく、偶発点に起きたり不規則的に起きたりするバラバラのものというようなイメージでとらえておかなければいけないものです。そのため、生涯学習というものは、ある意味とらえどころがないという性質を持っていて、体系化し切れるものなのかといったときに、完全という意味では体系化し切れないというような一つの結論が導かれるわけです。
 次のページに移って、2の「一生涯にわたる学習」という視点でございますが、これはほんとうに釈迦に説法のようなことになるので、ポイントだけ申し上げます。教育とか学習というものを一生涯という観点で見た場合、教育体系をどのようにとらえるかです。今までは、ややもすると、生涯学習を考える際に、社会教育の補修工事もしくは学校教育の増築工事、単なる足し算というようなイメージであったんですが、そうではなくて、生涯学習という大きなお皿を土台として、教育について基盤工事、全面改築する視点が必要となってくるのではないかと考えます。
 そこを踏まえて、一生涯という時間論的視点から空間論に話を転換いたしますと、生涯学習というのは、生活全般すなわち生きていること全般にかかわる学習だという視点が導かれてくるべきものだと考えます。
 そう考えたときに、まず第1点目としては領域の広さに圧倒されます。実際、行政でどこまでやれるかは、また別問題ですけれども、とりあえず理論上は、この広さを押さえなければいけない。家庭、学校、地域社会、職場、まち、メディアなどです。ただし注意すべきなのは、明治以来の三分法に従うと、家庭教育、学校教育、社会教育となりますが、教育を出発点に考えてしまうと、理論がちょっとややこしくなることです。私としては、「家庭における学習」、「学校における学習」、「社会における学習」というところを出発点にしてとらえていきたいと思います。この場合、当然「社会における学習」は、社会教育と重なる部分がかなりあるんですけれども、家庭、学校以外の広範囲にわたる社会的空間における学習ということになります。
 次に、生涯学習の内容の豊富さを見すえて、それらをしっかりと把握しなければならない段階に入ります。このことについて、生涯学習の行政をやる上では、何でもありだと言ってしまえば、それまでなんですけれども、私は、ある程度まで単純化した整理の視点が必要だと考えます。そういうことで、私がこれまで関わってきた行政プランでは、3つに分けていたんです。
 1つ目としては、生涯学習は何のためにするのかといった場合、極端に言えば、死なないため、生き延びるための学習というのがあるのだということです。そこでは、健康とか安全が中心課題として話題になるのではないかということを申し上げております。
 ただし、人間というのは、ただ生き延びられるだけでは満足いかない生き物なので、少しでも快適に生きるための学習があるだろうというのが2つ目です。
 さらに3つ目として、ここは大きなポイントになってくるんですが、今の物が豊かになった時代においては「生きがい」ということがキーワードになるので、生きがいのための学習というものの領域も一つにまとめて言えるだろうというわけです。ただ、逆に言えば、これまで生涯学習というのは生きがいばかりが強調されてきたために、生きがいだけが生涯学習となっているところがあるんです。私としては、そうではなくて、生きがいというのは重要な領域だけれども、それも含めて、生きることの全体像を確認したいという意味で、このような3つの領域に分けた理論を提案しております。
 最後に、生涯学習の領域や内容といった切り口に加えてあともう一つ、方法という視点から見た場合に、やはり学習方法、教育形態の豊富さが確認できます。今回、教育基本法の第3条でも「学習成果を生かす」という観点が出ていましたが、臨教審答申などを見ると、「生かす」ではなくて、「学習成果が評価される」ということが生涯学習社会の観点になっています。この点の整合性なんかも課題に残っているということを意識しながら、学習というものを、方法や形態という視点から大ざっぱに整理しています。
 参考資料でいいますと、色のついている図の資料で、「くずう活躍人プラン」というのがお手元にありますでしょうか。多分、一連の資料の一番最後にあると思いますけれども。「生涯学習の範囲とは?」、「生涯学習から『生涯活躍』へ」というタイトルがついているものです。ちなみに、この見開き2ページは、これさえ見れば生涯学習概念の大体のイメージが理解できるように、自治体向けに無理やりまとめたものです。
 この中の図で、生涯学習に関する行動形態について3つにまとめています。学習方法として、一つ目の充電、いわば自分の内側を鍛えるといいますか、内側を充実させるというイメージに集約される形で、これまでは学習がとらえられてきました。ですが、「学習成果を生かす」という視点を踏まえるならば、やはり2番目の出力とか放電、外に表現したり発揮したりするという観点も入れざるを得なくなってくるというわけです。
 ただし、もちろん、出力、放電する中で学習するということもございますし、充電した人間ほど逆に放電したくなるということがあります。特に高齢者なんかを見ていると、自己表現したりして外に出せば出すほど、もっと勉強したいとか、自分の人生の経験に気づけたということで、より学習意欲が高まるということがわかります。このように、充電することと放電することとが極めて循環的であるということがポイントなんです。
 3番目として、交流です。これまでの答申などにもさりげなくは出ているような気はするんですが、交流という観点を生涯学習の法体系もしくは生涯学習振興に何らかの形で加える必要があるのではないかと考えております。
 以上のような論理的に想定できるということを、大ざっぱではございますが、確認いたしました。このように理論的可能性について視野を広げた上で、これ全部を行政が取り扱うべきかといったら、現実的に不可能でもあります。よって、生涯学習をどのように限定していくかということが議論になってくるわけです。そこで、大きな結論は、行政が取り扱うのは「生涯学習そのもの」ではないということです。というのは、生涯学習というのは、あくまでも個人の中で起きてくるものになりますので、行政が扱うのは生涯学習振興もしくは生涯学習支援だということになるんです。
 この際、行政的な意味での生涯学習を扱う上で前もって区別しなければいけないのは、おそらく「学習」という言葉と「学習活動」という言葉でしょう。もちろん、これらについて一般の方が区別しなければいけないというわけではないですけれども、やはり行政としては区別しておく必要もある。「学習」というのは、単純に言うと、学習しようという意図があるかどうかにかかわりなく、結果として学習できたことに注目が当たるものなので、結果に焦点を当てた概念であるということです。それに対して、「学習活動」というのは、学習を直の目的として行う活動です。すなわち、学習活動の結果、ほんとうに学習できたかどうかということはともかく、学習しようとする意図に焦点を当てた概念であるということです。この違いを想定しておくと、整理がしやすい。そうした場合に、「振興すべき生涯学習」とは何かという形で、範疇を見ていくことになると思います。
 これは、最初に申し上げますと、価値的な方向性とか、どんな中味の学習を振興すべきかというのは、それこそ、その地域の判断であり国民の判断になってきて、実情に応じて変わってくるかと思うんです。けれども、形式的に言った場合は、どんなふうなことを振興すべきか、どういうふうになったときに学習できたとみなせるのかということを、あらかじめ理論的に整理しておいたらどうかということになります。学習活動についても区別が可能で、結果的に学習が期待される活動と、あまり学習がないだろうなと期待しにくい活動の区別が可能だと思います。極論すれば、学習が期待されない学習活動に補助金とかをつけてもしょうがないという話になるわけです。
 こうした学習活動と比較して、おそらく今から問題になって注目されてくるのは、学習を直の目的とはしていない活動なんだけれども、結果的にいろいろな学習が期待できるのではないかというものです。典型的なのが、例えばボランティア活動とか、まちづくりの活動とかです。これまでもボランティアやまちづくりが生涯学習として扱われてきたのは、理論的には明確ではありませんでしたが、潜在的にそうした意識が人々の中にあったからだと考えます。
 そういうことで、生涯学習についての行政のかかわり方が問われます。改めて同じようなことを言いますが、「生涯学習振興行政」の直接的な役割とは、一つに学習活動を振興することです。ついでに、そうした生涯学習の活動に資するような諸活動、例えば指導者養成などを振興することが、行政の目的になってくるのではないかと思います。そして、2つ目としては、やはり結果的な学習が期待できるような諸活動の振興も、生涯学習振興に含まれてくる可能性がかなりあるのではないか。そうしますと、改めまして、まちづくりとかボランティア等が生涯学習振興行政の視野に入ってくるというのも、いわば自然ではないかと思います。
 そうすると、またさらに議論が分かれるところだと思うんですが、結果的な学習が期待できるような環境整備を、生涯学習振興行政としてどのように扱うかという問題です。こうした概念をどんどん広げていくと、建設行政とかそういったところとも当然重なってくることになります。ここは論点として残しておきたいのですが、「まちづくり」のどこまでが生涯学習振興行政として扱えるのでしょうか。ここら辺を突き詰めて考えていきますと、当然ですが、首長と教育委員会との関係とか、教育行政と一般行政との関係ということなんかも論点になってくるわけです。
 いずれにしろ、現時点で私が理解しているところでは、教育行政とは、教育を直の目的とする行政であり、一般行政は、結果的に教育や生涯学習振興につながり得る行政だと位置づけることができるものとして、一応は理論的に整理しておきます。その上で、生涯学習振興行政と教育行政との違いはどうなのかといった議論が実は残っているわけです。
 ここで、生涯学習振興行政のポイントだけ申し上げておきます。まず、住民が学習しようとする意図があるのかどうかです。また、プロセスとして住民が学習しているのかどうかです。さらに、結果として住民が学習できたかどうかです。この3つの点は、チェックポイントになると思います。さらに、教育基本法3条の視点を踏まえますと、学習成果を生かせているかどうかに関わることも、生涯学習振興のチェックポイントとなるのではないかと思います。
 中途半端なところで話を切っていることが多くて大変に恐縮しておりますが、ちょうど20分ですので、これで終わりにしたいと思います。どうもご清聴ありがとうございました。

【山本委員長】
 ありがとうございました。
 きょうはお一人お一人に質問というようなことで時間をとりませんで、先ほど紹介しました3名の方に最初に全部お話しいただいて、その後で質問とか意見発表とかというふうにしていきたいと思います。そうすれば、多分、重なっていたりしているところの質問も一緒になりますので、効率がいいかと思います。
 そのようなことで、すみませんが、続きまして、石原講師のほうに意見発表をお願いしたいと思っております。石原講師は、横浜市の市長部局でのご経験が長く、幅広い分野で行政官としてご活躍されてきました。現在は、横浜市の教育委員会事務局生涯学習部長としまして、行政の分野で生涯学習の振興にご尽力されております。本日は主に、大都市における生涯学習、社会教育行政のあり方についてお話をいただけると思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 それでは、どうぞよろしく。

【石原講師】
 横浜市の石原でございます。自由な意見を言いたいと思います。本市の生涯学習、社会教育の現状を取りまぜた上で意見具申をいたします。
 まず1番の特性でございますが、日々140万人の就業者が東京に通っているわけでございまして、就住比率はいまだに100(82.8 平成12年)以下でございます。したがいまして、東京のベッドタウンとしての性格から、いまだに脱却はしておりません。企業誘致に一生懸命になっておりますが、なかなか本社機能はみなとみらいには来ていないというのが実情でございます。そういった意味で、日々東京に通っている人の心の中に、東京が必ず底流としてあり、市民の生涯学習活動にも何らかの影響を与えているということが私はあると思います。特に東京の質的な問題、文化・芸術施設から、いろいろなものに至るまで、あるいは消費生活資源もそうですけれども、そういった質的な差は依然として横浜とはあります。とりわけサービス産業のレベルの高さは、東京には、なかなか横浜は達しておりません。
 また、都市としての歴史の浅さがありまして、2009年にやっと150年になりますけれども、戦争で焼けましたものですから、道路、下水などの都市基盤整備を最優先しまして、社会教育行政には、あまり力を入れるゆとりはありませんでした。学校を建てるのがやっとということで、そういった意味で、公民館も各区に設置する機会は失しました。しかし、逆に市民は、ないことをバネにして、みずからスペースを調達して、学ぶ場、活動する開拓精神というものは自然に育ってまいりました。非常に皮肉な結果だったと思っています。
 しかし、公民館の不在は、私どもだけではありませんで、他の都市にも見られるようなので、横浜市も、生涯学習センターといっていますが、それが、区役所に最初はコーナー的にやったのですが、今はもう別棟のスペースを整備しておりまして、非常に機能が充実しております。したがいまして、そういった都市型の公民館としての位置づけを法的に是非していただければありがたいと思っています。
 次に、生涯学習と社会教育でございます。今申し上げました、18の区役所に、むしろ今までは生涯学習支援センターのみだったのですが、市民活動が非常に活発になりまして、市民活動と複合した区民活動支援センターに次第に移行しております。市民活動といいますのは、ご承知のとおり、いろいろな地域課題をみずから解決していこうという市民グループが、時にはNPO、場合によっては行政との協働などを含めて、横浜では非常に活発になっております。そういった意味で、個人的な要素を基本として、学習・文化的な要素が強い生涯学習活動とは異なり、環境保護とか子育て支援とか、そういった市民主体のまちづくり活動が非常に主流になっております。生涯学習という非常にソフィスティケートされた概念の中に、社会に還元していく、社会に貢献していくという市民活動と一緒になることによって、改めて社会教育の理念を、生涯学習という大きな傘の中に、もう一度再評価できるのではないか。これは、横浜市が策定いたしました第2次生涯学習基本構想、これにもうたわれてございます。平成16年でございました。
 こういったことで、社会参画、社会参加といったようなレベルアップをしていきながら、結果的には、今、佐々木先生がおっしゃられたような、自然にみずからの学習を高めていく、進化していくということにつながるということで、非常に具体的な社会教育の理念の再評価につながる形を我々はとっているのではないかと思っています。
 それから、3番目に生涯学習の指針策定です。浅学でございますけれども、私も法律をいろいろ勉強はいたしましたが、仮称で言う、今の基本構想の策定に関する生涯学習振興法、それからいいますと、どうも国からの上意下達的な流れで、最終的に市町村との協議を重ねるというプロセスになっていますが、これは本来の市民の主体性を基軸とする生涯学習活動の本旨や、ある意味で地域の特性をもっと考えるという地方分権の趣旨からも、どうも疑問を感じております。とりわけ特定地区の設定等に際しては、国や県の判断に依存するというような法文になっておりますが、活動実態や政策意欲を踏まえた市町村の主体性を尊重して、まずそれぞれの指針を公募するぐらいあってよいのではないかと思っています。
 したがいまして、国の審議会は時宜を得た大方針をいただければ、それをもとに市町村は自分の指針をつくっていく。その指針を都道府県が精査し、広域連携を視野に入れた特定エリアの設定を行っていただければよいのではないか。今の形では、都道府県の機能、役割というのが非常に不明瞭であります。何のために都道府県があるのかわからないと私は思っています。そういった意味で、都道府県協議を経て、国が追認するといった形で十分ではないか。インターネットを見ますと、規模にかかわらず、いろいろな市町村の基本構想がたくさん策定されています。こういった位置づけも、都道府県がどのように考えているのか、さっぱりわからないんです。そういった疑問からも、都道府県の役割をもっと明確にすべきだと私は思います。
 4番目に、社会教育主事でございます。市民の生涯学習活動を支援するに当たり、すぐれて市民のパートナーとなり、またアドバイザーにもなります。それから、行政へのコーディネーターともなり得る人材が社会教育主事だと私は考えています。地域に潜在する課題を早く掘り起こして、その解決のために市民との協働を始動するエンジンスターターとして機能することが望まれると思っています。この機能が発揮されれば、社会教育主事の存在証明が成立するのではないかと思っています。しかし、全国的にも社会教育主事が削減傾向にあります。本市でも、区役所の機能強化なんていうことを理由に、教育委員会事務局に配置されませんでした。しかし、今見ていますと、18区のうち、社会教育主事の資格を持った人がいるのは3区だけです。つまり、ご都合主義で社会教育主事の配置をいつでも柔軟にやめることができるという、非常に社会教育主事に関する見識がないのです。とりわけ幹部にないということがあります。
 また、今申し上げましたが、社会教育主事は人事異動により不安定な身分と役割で非常に苦悩しております。したがいまして、私が来てから、主事と主事補間の情報交換、課題研究をする社会教育主事研究会を設置いたしました。始まったばかりでございます。
 とにかく、社会教育、学校教育、家庭教育の課題のいずれもが、教育委員会事務局のみで解決できるものではございません。多彩な部局での豊富な経験を持つ人材の登用により、市長部局との連携がなければ、もう課題解決はできなくなっています。したがって、関係の深い局にも、力量のある社会教育主事の配置が必要だと私は思っています。したがって、社会教育法等において、主事の重要性を地方行政に明確に位置づけていただきたい。地域のプランナー、コーディネーターとしての役割を規定していただきたい。少なくとも、政令指定都市の区役所や人口1万人未満の自治体にも社会教育主事を必置する、「ねばならない」という法文がぜひ欲しいと思っています。
 5番目に、生涯学習コーディネーターでございます。今、区部では最大50万人を超えていますが、18区の生涯学習支援センターの政策的拠点として、私ども生涯学習部があるわけでございます。私は数カ月を要しまして、18区のセンターの相談員の話を聞いてきました。中には、団塊の世代のための講座の意外な不評というのがありました。それから、市民活動と生涯学習の位置づけに非常に戸惑っている。遊びのお手伝いだけでいいのかといった、相談員の直接の悩みもありました。机上の理論では、やはりなかなかわからないことがあり、非常に行ってよかったなと思っています。改めて、研修や政策の立案に現場の声を反映するように努めてまいりたいと思っています。
 生涯学習部では、市民のリーダーとして、生涯学習のコーディネーターを育成しております。学習への誘導や市民活動の組織化のノウハウなどについて助言し、時にはそのリーダーとなり、場合によってはNPOの代表にもなっております。平成17年度から始めていますが、約300名が既にそういったステージで活動しておりまして、そのネットワークも形成されています。彼らは非常に大事な、社会教育の公共的な理念啓発の実践者として都市社会の基盤となる市民であると考えておりまして、これをどんどん増やしていきたいと思っています。
 次に、学校教育との関係でございますが、依然として保護者の学歴信仰は根強いものがありまして、以前から社会教育と学校教育との融合が課題であると言われていますが、子供の社会体験が重要であると叫ばれているにもかかわらず、むしろ総合学習の時間が減ろうとしているだとか、そういった、保護者も土曜日の学校の復活を支援する声が強くなっています。横浜市の学校では、総合学習において地域の人材を積極的に活用しておりまして、多様な社会体験のきっかけを子供たちに提供しております。私の部においても、商工会議所等を通じて、職業体験の受け入れ先の開拓、あるいは学校と企業とのコーディネーションに努めるなど、いわゆる開かれた学校づくり政策を地域に定着させようと努力しております。
 さらに、学校と地域をつなぐ世話人となる学校地域コーディネーター、これを今年度から養成いたします。各校に1人か2人のコーディネーターを養成したい、あわせて地域の教育力の強化を図りたいということでございます。
 また、開かれた学校政策においては、本市でも約600万人の利用者を数える学校開放事業、ご存じだと思いますが、周辺地区の運営協議会により、学校が文化、スポーツなどの市民の活動拠点となっているわけですが、今はまだ一方的な市民利用でございます。これを、向こう3年間で、学校や地域を支援するための自主事業開催などを条件とする、自主自立運営型の会員制学校クラブへの移行をやっていきます。平成22年度からは、510余校という全国一の学校数なんですが、全校でこの学校クラブが自主運営型で誕生するというように今、取り組んでおります。今年度からモデル事業を準備中でございます。これも、市民の生涯学習的な活動に、社会教育の公共性を植えつけるものだと考えております。単なる学校施設のタイムシェアリングではなくて、学校と地域の双方向的なソフトをつくっていくということが非常に大事であると思っています。人づくりとまちづくりというのは、実は一体のものだと思っています。それが、新たな地縁の再生につながることだと私は信じています。
 それから、6番目のワークライフバランス。これが一番大事なことでございまして、学校訪問も私は積極的に、去年、二十何校行きました。懇談会には、教師、PTA、町内会の地域関係者が出ておりますが、とりわけ皆さんがおっしゃるのは、子供の人間力が極めて弱まっているということです。生活習慣の乱れ、コミュニケーション力の欠落、体力の低下、とりわけ母子密着の弊害が一般的になっていると言われています。この原因は、何はともあれ、雇用や労働条件の悪化にあると思っています。その責任者は企業であります。その企業に対し、我々はいろいろな運動を通じて、ワークライフバランスのあり方をもう一度再考してもらいたいという運動を始めようとしています。結局、保護者の帰宅時間の一層の遅延化が、子供の家庭での居場所を奪いまして、子育て環境の母親依存を一層強化しているということになります。学校に行きますと、教師が言います。子供が家に帰りたくないと教師に懇願しておりますし、教師は子供たちが抱き締められていないと嘆いています。これは全国で多様に展開されている、「子どもの居場所づくり」によって解決されることではありません。子供たちの人生を左右する根源的な問題であると思います。ぜひ、企業の社会的責任、CSRを我々の運動の中でやろうといったことで、横浜市では、商工会議所の会頭を会長としまして、PTAや子供支援のNPOなど、40の公的団体がメンバーである、地域で子供をはぐくむ「ハマの子どもネットワーク協議会」を2年ほど前に立ち上げまして、機関紙を発行したり、「だがしや楽校」の支援なんかをしています。この活動の中で改めて、父親や保護者の子育て参画を促進するための企業への働きかけを企画しております。地域ぐるみで子どもを健全育成していこうということをやろうと言っています。
 7番目に、博物館のあり方でございます。実は私、よこはま動物園ズーラシアの企画、構想の初代の担当課長でございまして、1990年に長期間にわたって、欧米の動物園、植物園、博物館を調査いたしました。とりわけソフトの調査を実際にしてきました。特に米国のSOCIETY運営、これのすばらしさ、日本との格差に非常に驚きました。ほとんど日本は文化三流国だなと思いました。この中では、キュレーターから広報、宣伝、営業、資金調達、それぞれ全部、専門セクションができておりまして、マネジメントをも重視した重厚な組織構成になっておりました。それから、ボランティア、友の会なんていうのも形骸化はしておりません。サポーターの非常に強力な市民組織ができておりまして、支援体制が園館の活性化を果たしておりました。各園館長は、成績が悪ければ1年で首になります。ボランティア活動時間は所得税の減税に直接つながるといった税制上の措置、非常に温かい友の会活動のインセンティブ、いろいろな意味で、企業の莫大な寄附金もありました。それから、理事会、評議会は謝礼なんかもらっていません。全部無給でやっています。こういうことを比べますと、今の日本ははるかに及ばないと思っています。
 指定管理者制度でございますが、実は私は、全国で第1号に磯子の区民文化センターに指定管理者制度を導入した張本人であります。実はそのときに、それまで運営していました芸術文化振興財団の運営をやめさせようとして財団幹部と大げんかをしました。しかし、評価上は、50メートル先を走っている100メートルランナーが勝つのは当たり前です。したがいまして、改めて、また芸術文化振興財団になってしまった。しかし、そのおかげで、今まで少しも出てこなかった政策が芸術文化振興財団から出てくるのです。そういった刺激にはなったと思っていますが、しかし、私は正直、指定管理者制度は悪法だと思っています。その前にやれることがたくさんあるはずだと思っています。私も市民文化部長をやりまして、横浜美術館の中身をよくわかりましたので、そういったことがあります。とりわけトップの人材登用が非常に大事だと思いました。トップの人材登用は、やはり米国のような公募制、契約制、あるいは市民サポーターによる評価を反映した人材の登用システム、そういうことがなければ、決していい館長や園長は来ません。大体、第二役所になっていって、だめになっていくというのは、今でもそうです。
 ただ、その中で、例外としては、東京都の写真美術館、旭山動物園の園長さん、非常にリーダーシップを発揮して、市民のためにいい活動をして、それが成果につながっているというのがあります。
 それから、職員の経営的視点の欠如は言うまでもありません。自分の研究だけを進めている色合いは、いまだに濃いものがあります。昨今、美術関係ではアートマネジメントの重要性が叫ばれております。美術系大学などでも、専門科目に導入されてきています。そこで、学芸員資格の高度化を図っていただきたい。資格取得科目を充実、強化するために、実務経験を必要条件とする。その中で、実務に沿った、アートマネジメントというのはもっと広いあれですけれども、むしろ経営、マネジメントの科目を必修とするべきだと私は思っております。
 それから、一番困っているのが、財団運営であろうが、公立であろうが、独法であろうが、もともと公立は、自分が持っていれば、館の運営にお金がかかるはずです。それをどんどん削減して、つめに火をともすような博物館運営をしています。こういったことに対して、国の何らかの、違うよといったプッシュはぜひ欲しいと思います。首長に言っても、そんなことは全然だめです。指定管理者の協約のときに、5パーセントは翌年度削減の当然のスタンダードになっています。もう削るものはありません。そうすると、人件費を削るんです。そうすると、非常に大事な学芸員を削減していくというのがあります。これは本末転倒のやり方だと私は思っています。そのおかげで、資料や作品の収集基金も取り崩しています。これもほんとうにおかしいことだと思っています。国全体が芸術文化行政に対して非常に脆弱であるということが、改めて言えると思っています。
 それから、全国ですぐれた活動や顕著な実績を上げている施設でも、登録はおろか、相当施設あるいは類似施設にもなっていないところがたくさんあります。私どもの歴史博物館もそうでございます。そのために特定公益増進法人の申請も非常に難しいと理事長はおっしゃっていました。そこで、ミッションを踏まえた新たな共通基準などの設定によりまして、相当及び類似施設を包括、再評価した新登録制度をぜひ構築していただきたい。そのことによって、柔軟なネットワークを強力につくれるようにしてほしいと思っています。それが時代を切り開く、ジャンルを超えた新たな企画展につながるのではないか、それがまた新たな博物館ファンを拡大するのではないかと思います。
 最後に、図書館のあり方でございます。横浜でも、図書館のあり方懇談会が終わりました。これは、今後報告書にまとまる予定です。しかし、最も重要な課題は、読書に無関心な市民を図書館にどう呼ぶかということであります。リピーターはもうよいのです。リピーターはもう既に、休憩所として使い、自習の場所として占拠しています。それが、むしろ私は図書館の沈滞化につながっていると思います。平日でもかなり席は埋まってしまっています。リピーターがほとんどと思います。これでは、新しい市民はなかなか行きませんよね。これではだめなのだと思います。そこで、いろいろな仕掛けを始めていますけれども、今後は一層、図書館ボランティア、市民サポーターなどの支援をもっと得るようにやらなければいけないと思います。館内にも、そうした市民が行き交う読書推進活動の戦略本部になるべきだと私は思っています。
 そういう中で、私どもでも読書フェスティバルなんかをやっているのです。集客に一生懸命努めていますけれども、やっぱりイベントを開催するときに、自前の予算だけでは大したことはできないのです。出版社などとの共同開催ができないかとか、企業の協賛金をもらえないかということを私は去年言ったことがありますが、何よりも、それがだめであるということの職員の組織…、精神風土というのでしょうか、それを呪縛しているのは、図書館の入館料無料という図書館法上の原則です。これが職員の意識の中に浸透していまして、図書館の中では、そういうことをしてはいけないと言った組織風土があります。インセンティブというのは、本屋としては新刊書を売りたいわけです。買いたい人もいるのです。借りたいだけでいる人もいますけど、ほんとうによく読む人は、やっぱり本も欲しいという人がいるのです。販売は出来なくてもいいけど、新刊書などのキャンペーンだけでもできないかといったことを、私は提案したのですが、やっぱりだめでした。この入館料無料という原則が取れない限り、私は図書館の経営というのは、柔軟で弾力的なものは絶対にできないと。
 それから、インターネットの予約の増大が進んでいます。この物流費が非常に多くなっておりまして、横浜の図書館は1区に1館しかありませんから、その罪滅ぼしに、インターネット予約の本が地域の図書館でとれるようにしていますが、そのための経費がもう数千万円、1億に達しようとしています。この物流費はばかにならないのです。駅あるいは地区センターなど、図書館以外の公共施設でも受けとれるようにしてくれと言われています。それをやっていきますと、ものすごいお金になっていきます。こういった付加価値的なサービスは、いくら図書館の数が潤沢な地域でも、私は受益者負担を考えて良いと思っています。もちろん、本の貸与は無料であるべきですが、それとは連動しない付加価値サービスに対しては、やっぱりお金を取るべきだ、負担していただくべきだと思っています。ぜひこの辺を、この審議会でもご検討いただきたいと思っています。削減される図書館費、増加しない登録会員、減少する読書人口、さらに売れない本、消えていく良心的な地域書店、この非常に悪い循環が打開できないんです。それを打開するには、公立図書館がもっとアクティブになるべきだ、待っている施設ではなくて動的な施設になるべきだと思っています。
 それから最後に、こんなことを言っていいかどうかわかりませんが、博物館、図書館が教育委員会にある限り発展はありません。それはなぜかといいますと、学校教育は今、改革が多忙で忙殺されていて、生涯学習そのものの見識もありません。美術館、図書館、博物館、みんなそうです。そういったものも本当には大事にしてはくれません。むしろ横浜市は今、創造都市の道を歩んでいまして、その創造都市の成功例はヨーロッパで出てきています。特にヨーロッパの中小都市が顕著でありまして、博物館や美術館、あるいは図書館なんかも、基本的な経済産業の基盤として考えています。そこに雇用が生まれていますし、多くの外来者も訪れるようになっています。特に欧州ではビルバオ、マンチェスターなど、いわゆる重厚長大で栄えていた都市が非常に衰退して、その都市再生のために、いろいろな美術・芸術文化施設を使って、雇用の創出と都市の再生を果たしています。こういった芸術文化戦略は、経済局、市民局、文化関係局といったような多様な所管部局との連携が重要でありまして、事業部局のダイナミズムが必要であります。非常に保守的な教育委員会事務局では、こういう仕事は発展いたしません。そういった意味で、横浜市では、現代芸術を所管するのは文化芸術都市創造事業本部、おそらく全国で初めて局長級がついておりますが、そこと、美術館、音楽ホールを所管する市民活力推進局という伝統的な、いわゆる市民文化、それに分かれておりますが、そういった部局に博物館施設は移管するべきだと私は思っています。
 以上でございます。ありがとうございます。

【山本委員長】
 ありがとうございました。
 それでは、引き続きでございますが、香月講師にお願いしたいと思います。香月講師は現在、先ほど紹介しましたように、杉並区の図書館協議会会長でございますが、杉並の社会教育委員の会の議長もお務めになったことがございます。また、朝日カルチャーセンターの常務取締役もお務めになったことがございまして、民間の教育活動に非常に造詣の深い方でございます。そんなことで、きょうは主に民間カルチャーセンターの経験者という観点から、生涯学習、社会教育政策のあり方についてお話をいただきたいとお願いしております。それでは、香月講師、よろしくお願い申し上げます。

【香月講師】
 香月でございます。よろしくお願いします。
 今ご紹介いただきましたように、私は主として、これまでのお二方とは大分様相が違いまして、民間のカルチャー事業者、一業者という立場から、社会教育、生涯学習というのをどういうふうに考えているのかというようなお話をします。それから社会教育委員の経験、並びに現在やっております図書館協議会の会長の立場からも触れたいと思います。
 まず、民間のカルチャー事業者の話でございますけれども、一ころ、大新聞とか放送局が経営する大型のカルチャーセンターがいろいろなところにできましたが、最近は、むしろ地方、あるいは首都圏でいえば衛星都市なり、ちょっとした郊外の拠点なんかに数多くのカルチャーセンターが誕生しております。そういうところのほとんどは教室の数も少なくて、言ってみれば、先ほどカラオケと何とかというお話もございましたけれども、フラダンスだとかヨガであるとか、そういう講座を展開して、ショッピングセンターの客寄せがわりみたいな感じもございます。そういうところは今、盛んなようでございますし、また一方で、調子が悪いとなれば、すぐ閉めて、別のセンターに移っていくというようなことをされます。どちらかというと、新聞社とか放送局がやっておりました大艦巨砲主義のカルチャーセンターというのは、今かなり苦境に立たされているということを申し上げておきたいと思います。ただし、私は、こよなく、このカルチャーセンター文化を愛しておりまして、これは日本文化特有の一つの大きなジャンルではなかろうかと思っております。
 例えば、私は新聞記者上がりでございまして、カルチャーセンターに行けと言われて行きましたら、十数年以上前になると思いますけれども、人の死、デスの問題の講座を一生懸命考えている社員がいて、それに受講者が結構集まっている。これは新聞記者の僕の感覚からいくと、なかなかちょっと、そこまでまだ考えが及んでいなかったのでありますが、それから二、三年すると、新聞あるいはいろいろなメディアでも結構、人の死という問題を取り上げ、いろいろ物を考え、発言する人たちが大勢登場するようになってきました。この例のように民間カルチャーセンターの社員たちは、必死になって、時代の風といいますか、人々の関心は今どこを向いているんだろうということを読み取ろうとしています。いろいろな講演会に行ったり、本を読んだりしながら、何か心の琴線に触れるものを見つけると、あっ、これは講座にならないだろうかというようなことで、その著者に相談に行く、あるいは学校の研究室を訪れて、いろいろお話を伺う。できそうだとなっても、民間のつらいところは、大枚をはたいて講師を呼んでくるということはできません。受講者から例えば2時間3,000円ぐらいの受講料をちょうだいして、それで講師謝礼も払うし、家賃も払う。結構一等地におりますから、家賃はばかになりません。例えば朝日カルチャーセンターは、もう今は古びてしまいましたけれども、西新宿の住友ビルという、三角形のあのビルです。ちょうど副都心が誕生したときと前後して華々しく開講したわけですけれども、もう33年もたったそうです。
 そういうことで講座をつくる。講師も、もう少しで有名になる直前ぐらいの先生に何とかして頼み込んで、安い講師謝礼で来てもらう。それで、講座ができ上がると募集をかけるというようなことで、これも3カ月に1回ずつぐらい、こういうパンフレット、これは朝日カルチャーセンターですけれども、大体よそも、NHKさんも読売さんも、皆さん同じだろうと思います。3カ月に1回程度、こういうパンフレットをつくって、それで募集にかかる。だんだん開講の日が迫ってきますと、担当者は、一体、何人申し込んでくれるかということで、身の細る思いで注目する。何か機会があれば、もっと宣伝できないかと、いろいろやります。受講者が集まらないとなると、講座が開けないんです。そうすると、高い家賃を払っている教室があいてしまう。それから、頼んだ先生にも大変な迷惑をかける。「向こう3カ月、日程を入れていたのに、一体どういうことなんだ」というおしかりをいただくみたいなことがございまして、これはもう身の細る思いといいますか、心血注いで講座の展開ということを考えております。
 先ほど申し上げたデスの問題のような最近の傾向は、一ころ心理学が非常にはやっておりましたが、哲学、それから宗教、特に9・11以降のイスラム教対キリスト教のような世界を読み解くということで、イスラム教とは何だ、宗教とは何だ、ひいては日本の仏教への関心に向かっていく。哲学講座は例えば、カントを読む、『純粋理性批判』とか『実践理性批判』とか、ニーチェを読むとか、ハイデガー『存在と時間』を読む、こういう講座に結構受講者がいらっしゃる。カントの『純粋理性批判』などは、そう簡単に読めませんから、長い時間をかけて読んでいくというようなことでございまして、そういうところにも人様、お客様が来てくださるというような最近の情勢でございます。
 しかし、いずれにしましても、先ほど、生涯学習というのはお年寄りのものだというふうな学生さんたちのご認識がおありだというお話も伺いました。確かに、リタイアされて、時間が自由になってというような方々がカルチャーセンターにとっては大切なお客様でございますが、昨今のいろいろな、区民税、保険料、医療費などがどんと上がる、介護保険料も上がる、今度はハム製品の値上げなど、確実に物価が上がってくると、まず削るのが、教養とか、言ってみれば趣味の世界の費用を削るというのは、これはどこの家庭でもそういうことになると思いますので、カルチャーセンターの経営を眺めてみると、かなり厳しいところに来ている。ただ、よく皆さん来てくださると思って拝見しておりますと、結局、仲間ができるのが大きな動機になっている。上司も部下も同僚もいない。隣近所もいない。親類縁者もいない。例えば、仏像が好きだとか、絵画であるとか、音楽であるとか。受講者同士の交流というお話を先ほど佐々木先生から伺いましたが、これはカルチャーセンターとしては、受講者の方々が来てくださる1つの大きな動機ではなかろうかと思っております。
 そのカルチャーセンターの職員が33年の蓄積をもって心血注いで考えても、どうしても対応し切れない一群のテーマがあります。それがこのたびの提言でも、1月の中央教育審議会の中間報告「新しい時代を切り開く生涯学習の振興方策について」の中で、公共の課題ということで挙がっています。少子・高齢化、男女共同参画、環境教育、法教育、消費者団体、防犯・防災、食育といったような、この辺の一群のテーマは、やはりどうしてもカルチャーセンターの手に負えない。正直言って、こういった課題について少し知識を得たいと思っても、なかなか高い受講料を払ってカルチャーセンターの門をたたくという方はいらっしゃらない、こう思っております。
 それで、生涯教育と社会教育ということを考えた場合に、これは社会教育の出番ではないかと。こういった公共の課題の基礎的な問題は、まず学校教育において、しっかり教え込んでもらって、さらに社会に出てからも、社会教育という、今度はそこが担当する。税金を使って、その辺の問題を社会的に考えていかなくちゃいけないと、こんなことを考えるわけです。
 私もリタイアして地域に住んでおりますが、例えば、環境教育、環境の問題など、非常に今、地域社会では、ごみの問題一つとってみても大きな問題です。ごみ問題などは、生涯学習とか社会教育の問題ではないとお考えになる方々もいらっしゃるかと思いますが、私はやっぱり社会教育でしっかり担当していくべきだと思います。
 例えば、私の家の前にワンルームマンションが建っていますが、自分でチラシをつくって入れようかと思うぐらいごみ出しのマナーが悪い。区報などで、ごみの出し方が変わりました、何曜日と何曜日は何のごみと知らせても、ワンルームマンションはおろか、ほとんどの地域住民の方々というのは無関心ですね。何か、これ、社会教育という分野でもって方法を考えていかなくちゃいけない。
 学習というと、私はどうしても、個人の関心等があって、自分の意思でもって、場合によってはお金を払い、電車に乗ってでも行くものを指すという感じがしてならないんです。生涯学習と社会教育とを現場ではきちんととらえ直して、環境であるとか防災であるとか、今何がこの社会に必要なのか、それを教育していく。首都圏は大地震がいつ来ても、もう今来てもおかしくない状況にあります。それで、大変に行政が努力して、いろいろ機材を整え、小学校にそれを備蓄し、水の備蓄等々、いろいろなさってくださいますが、それを動かすソフトという面になると、ほとんど手がついていない。
 私が住んでおります杉並区では町内会あたりの、一部の方が防災に熱心で、訓練を毎月1回やるということで、一遍、私は参加してみました。7,8人の年配の方が集まって防災倉庫のポンプを動かしてみる、こんな感じでございます。今、早くソフトをつくっていかなくちゃいけない。社会教育で人材をどんどん育成して、そういうものに関心のおありの方もいらっしゃいますから、それで体制を整えていく。環境問題も、例えば京都議定書の約束を一体どうするんだという問題が大きくございます。その辺を考えていきますと、これは生涯学習の問題ではない、社会教育である、というふうに、乱暴かもしれませんが、私は思っているわけです。
 教育というと、多少義務的なものです。義務教育と言いますよね。逆に学習は自由意思です。義務学習とは言いません。どういう方法をとればいいのか。それにテーマの選択も難しいです。何かとんでもないテーマで義務的に地域住民を教育するというふうな方向に走っていくと、またこれは問題でございますが、ちょっとその辺のことを行ったり来たりしながら、最近考えております。
 時間があまりありませんので、あと駆け足で、社会教育委員の会に触れます。
 社会教育委員の会の議長を私は3期6年務めました。これは朝日カルチャーセンターの関係でございます。「おまえのところで、だれか杉並在住の人いないか」という声が区のほうからかかったわけです。こんなに長いこと携わるとは思いませんでした。正直言って、社会教育委員というのは絶対必要かと言われると、私もちょっと、うーんと思いますが、ただ、6年間議長を務めた関係で、愛着もあります。
 ことし杉並区教育委員会は社会教育委員を総入れ替えしましたので、これから何をやるのかと思って、聞いてみました。区でいろいろ展開されている社会教育関係の事業を、全部一遍洗い直してみるということを頼むのだと、こういうお話でございました。要は、区長とか、あるいは教育長、あるいは教育委員会の方々が、社会教育委員をどう使うかにかかっていると思います。
 それと、図書館のほうにも首を突っ込んでおります。今後、指定管理者制度がどんどん進む。2007年問題が出まして、テンポは少しおくれるようでございますが、いずれにしても、もう区側では官から民へということで、指定管理者制度採用に大きくかじを切っております。そうしますと、図書館協議会で大きなテーマは、その指定した業者がちゃんと図書館を運営してくれたのかという、経営評価といいますか、今までもあまりそういうことはきちんとなされていなかったのかもしれませんが、その辺がかなり大きな仕事になってくる。図書館でいえば、たとえば来館者が多ければいいのか。みんな座席を占拠して寝ていて、活性化しているとは、とても言いがたいということがございます。じゃあ、貸出冊数で見るのか、あるいはリファレンスはどうかなどが、問題になります。
 窓口業務を民間に委託したり、それから指定管理者が2館ぐらい始まっているという段階でございます。民間に頼んだところは、当初は評判がいい。いままでのように、来館者をどこのだれが来たみたいな顔して、ジロッと見るのではなくて、委託業者の社員がエプロン姿で「いらっしゃいませ」みたいなことを言うので、評判がいい。けれども、本来、図書館というのは、もっといろいろやるべきことがあるであろうということで、今、盛んに協議会のほうで議論が進んでおります。
 委託先のある業者が、インセンティブの問題を非常に問題にしておりました。1年なり2年たったところで、また同じ額で発注受けてもと言う。じゃあ、何をすれば上げてくれるのかということです。民間の会社であれば、売り上げが伸びるか伸びないかと、受講者が集まるか集まらないか、講座開けるか開けないかと、極めてはっきり数字で出てくるわけです。この辺がなかなか、公が運営する施設のあり方というのは難しい。そこをどういうふうに評価するか。
 社会教育委員の会も、博物館なり、郷土博物館なり、いろいろ施設がございますし、それから社会教育センター、あるいは区民センター等がございます。その社会教育関係の運営がどうであったかという評価を、やっぱり社会教育委員の会で担うという1つの役割があるのではないかと薄々ながら思っています。
 話が前後しますが、図書館のリファレンスでございますけれども、体制は一生懸命つくっているんです。窓口開いたり努力しているが、むしろ相談に来るお客さんも、リファレンスの件数もそんなに増えないのが問題のようです。地域の課題を解決しようと地域住民が図書館を訪れて、それにリファレンス担当者が、しっかり対応して、図書館のあらゆる資料を活用し、場合によっては、ほかの図書館とも連携して資料を取り寄せる等のことをやって支援していくなどの体制が、なかなか出来ていません。まだ成功例を聞けない。
 その辺は利用者側の意識が高まってこないとという問題が1つありますけれど、もう一つ司書の問題も無視できません。図書館の運営を民間業者に頼むと、職員の60パーセント以上の司書を確保しますというように、現状より高い司書率を答えます。実際に、確かに本の虫みたいな人を見つけてきて、それで図書館運営の展開を始めるという業者さんもいらっしゃいますが、やはり司書のレベルをどうやって上げるのだろうなと心配です。司書の資格を持っていますというだけじゃあ、人生経験を積んだ、特にこれから少し地域のために役立とうなんて思っている団塊の世代の方々が図書館に来た場合に、十分な対応ができない。「そんなことも知らないの」というような感じでやられてしまいますから、よほど司書の質を高めていかなければならないというようなことを思っております。
 時間になりましたので、私の発言をこれで終わりにします。どうもありがとうございました。

【山本委員長】
 ありがとうございました。
 それでは、これからお三人の方々の意見発表をもとにしまして、意見交換とか、あるいは質問もあるかと思いますが、約1時間ぐらいとれるかと思います。しかし、1時間しかございませんので、もし可能であれば、どなたに質問ということで出していただいて、それに関連する質問があれば、そのときにあわせて質問を出していただいて、それでお答えいただくとか、意見交換というふうにしていきたいと思っております。
 それでは、どこからでも結構でございますが、質問、ご意見ありましたら、どうぞ。

【明石委員】
 ありがとうございました。明石でございます。
 石原部長にお聞きしたいんですけど、2点ありまして、1点は非常に興味深い話で、言いたいことは、人をかえればいいことと、効率的な仕組みを変えればいいことがありますね。さっきの図書館の例で、みんな無料だという。だからイベントも打てないし、販売もできない。多分、イベントは無理といいますか、販売は難しいだろうな。そういう形の無料を有料化という法律とか仕組みを変えればいい場合と、もう一つは、いい館長を持ってくれば、今の仕組みの中でも結構変わるんですよということは、その辺が非常に興味深いんです。今のままの法体制で、トップの採用の仕方を、さっきおっしゃった公募とか、いろんな意味の総合的な判断でやると、まだまだ回復は可能かどうかということを、博物館、図書館、美術館、公民館も含めてお聞きしたいのが1点目でございます。
 2点目は、市の職員の所管をかえるという、これは非常に刺激的で、個人的には賛成なんですけれども、所管をかえる場合に、法的なかえ方もありますけれども、今の縦割り行政ってございますね。横浜でいいますと、キッズクラブは市民局がやっていますね。きょうのご提案は、教育委員会のご提案がありますよね。この辺の、それぞれが縦割り行政をやっているところで所管がえしても、例えば、教育委員会がやっている美術館とか博物館のやつを、どこかの市民局に持っていっても、また、その縦割りの仕組みをうまく打破していかないと難しいかなというのがあるんです。その辺のことの2点、お聞きしたいんですが。

【山本委員長】
 今のことに関連して、もしご質問あれば。つまり人か法かというか、これは今までもあるんですけど、教育委員会が悪いと言うけど、それは人が悪いんじゃないかとかいう話もありまして、その辺のところで関連するご質問があればいただきたいことと、今、縦割り行政の中で、所管をかえても結局、同じようなことになるんじゃないかということに関連するような質問がございましたら、いただきたいと。

【糸賀委員】
 私も石原講師の発表には随分刺激を受けたんですけれども、今も明石委員から質問が出ましたように、特に図書館のあり方で、図書館法の第17条で無料原則というのがうたわれております。これは「入館料、その他、図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない」という文章でして、ご存じのようにコピーというのは、ほぼ全国の図書館でお金を取って提供しているわけです。そういう意味では、私は運用の仕方や、先ほど言われるような付加価値をつけるようなサービスについては、現行の法体系のもとでもお金を取ることはできるだろうと思います。そういう意味で、今の明石委員の質問とも重なるんですが、この考え方がかなり職員の間に浸透している、強く浸透しているがために、過剰にお金を取ることに対して抵抗を示しているとも思えます。これは、やはり法改正を伴うことが、このレジュメでは法的運用と書かれておりますが、法の改正まで含めたご提案なのかどうか。
 それから、やはり所管をかえるということに関しては、このレジュメ、それから先ほどの口頭の発表でも、現在の教育委員会が学校教育に忙殺されているという。これは制度の問題というよりは、実態が学校教育のほうにかなりエネルギーを割いているという。図書館や博物館の事業内容そのものを考えれば、生涯学習なんだから、これは本来、教育行政のもとに置かれているべきだと。だけれども、実態が学校教育のほうにかなり取られているということなのか、それとも制度そのもの、法律そのものを変えて、いわゆる首長部局のほうに移管したほうが、本来の図書館や博物館の働きが十分発揮できると、そういう趣旨なのか、その辺を確認させていただきたいと思います。
 特に、所管がえに関しては、一律すべて市長部局に移すのか、それぞれの個々の自治体によって選択ができると。うちは教育委員会のままでいいという選択もあり得るだろうし、自治体によっては、うちは首長部局、文化行政と一緒にやるんだというふうな選択も認めるようなご提案なのか、その辺を確認させていただきたいと思います。

【山本委員長】
 それでは、3つほどございましたので、人か制度改革か、所管をかえるのか、無料のところの意識改革か、法改正かとか、その辺のところになると思いますが、どうでしょうか、石原講師。

【石原講師】
 私は、この審議会に呼ばれた意味は、60年ぶりに社会教育法、博物館法、図書館法等を改めて見直したいというお話にあると思っています。そこで、実態は自治体の行政の中で、今おっしゃられたように、いい人が来ればできるのではないかとか、運用が可能ではないかというのは、それは理論上はあります。しかし、その理論上の可能性を、今まで自治体は随分追求してきたわけです。しかし、それでもなお、指定管理者制度のような、ああいった制度が入ったことによって、それまでのいわば直営としての努力といいますか、それがほとんど実態をなさなくなってきたというのは制度上ありますよね。そうすると、私はやはり法律上できる限り、これはあまり過剰な介入をしてはいけないとは思いますけど、法律上、できるだけ柔軟な活動をプッシュするような改正ができないかどうかということが、私がこの論文を作った動機です。
 そこで館長人事、例えば、博物館長もそうですし、図書館長もそうですが、横浜市では、ほとんどは一般行政マンが図書館長の人事に入っています。それから中央図書館長は幹部OBが着任する慣習があるわけです。では、その方が必ずしも図書館に対して、これでいいのかという問題意識と、発展への情熱を持ち、市長や、教育長とやりとりをする気位のある人が、今まで1人でもいたかというとどうでしょうか。それは、むしろ属人的な問題を属人的なままで放っておいたから、ずっと図書館が図書館費を削減されても、じっと黙って、指定管理者制度も入れられていくと、そういうことに甘んじざるを得なかったというのはあると思います。そこに私は、ある意味で国の責任があると思うのです。文化行政を担っている文化庁なり文部科学省。だから、そこに対して切り込みを入れるのだという審議会になるならば、私が発言した意味はあると思います。結果としてできないというのは、それは良いのです。ぜひ、それは検討していただきたい。
 例えば、図書館法の17条の私としての考え方は、付加価値の物流費を取るにも、「公立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価も徴収してはならない」とありますよね。これは「おれのところは図書館少ないんだから、区役所にある、すぐそばの区役所に届けるのなんか無料で当たりまえだろう」という市民が必ず出てきます、図書館が少なければ。潤沢ならば、無いかというとそれはまたあるかもしれません。横浜市は1区に1館しかないですから、しようがないから物流費を払おうということになっているわけです。数千万円も、今払っているわけです。
 これをどうしたら法的な有料化をできるかなと、いろいろ考えました。そこで法文上としては、公立図書館は入館料ではなくて、館内での図書の貸与や図書館資料の利用に対して、いかなる対価も徴収してはならない。しかし館外での利用に対してはこの限りではないというように、そういう工夫をすれば、「館外で受け取るのならば、そのための実費をいただきます」ということは言えるわけです。今の状況では、非常に脆弱な図書館行政をやっている横浜市では、今の法律では取れないですよね。現行法の運用は実体上不可能であり、物流費は完璧に取れないと私は思っています。法の運用ができるかできないかではなくて、法の運用理論と実態の乖離です。そういうことだと私は思っています。したがって、館外利用の規定は条例で定めればいいと思っています。館外利用は、この限りでないならば、それは都市の実情に任せますといったような、もっと繊細な配慮をしていただきたいと。
 それから、先ほどの民間との協賛とか共同開催の際の販売が自由であるとか、そういうことを法律的にももう少しプッシュしていただくために、第3条の第9項として、「その他読書活動の推進に関すること」というふうに追加していただきたい。そのことによって、行政財産の目的外使用許可にも該当しないと、大きく考えようと。民間の出版社が、自分の新刊書を持ってきて、おまえたちと一緒に読書フェスティバルをやりたいよと言ったときに、売ってもいいよと。それはとりもなおさず読書活動の推進に貢献するのだということが読めるようにならない限り、どんなに人が変わっても、私は変わらないと思います。何十年も変わっていないのですから。こういうことを私は切に申し上げたかったのです。
 縦割り行政の所管ですが、教育委員会事務局が博物館、図書館などを所管するというのはだめですね。やっぱり事務局ではだめです。学校教育の専門部局としてしか他局は見ていません。私は道路局とか、企画局とか、いろんなところにいましたが、教育委員会事務局は一切相手にしませんでした。それぐらい距離があり、非常に壁の厚い局なのです。他局からは中身が全然見えない。話しかけても情報が来ない。ですが、教育の独立性ということから首長とは制度上分離して教育長があるのは当然ですから。しかし、職員までもが同じ状況なんです。だから、私は教育委員会事務局に異動したことにびっくりしましたけれども、今は、私みたいなのが居ても良いだろうと思っていまして、他局といろんな話をし始めています。ぶっ壊し屋ですから、それでいいと思っていますけど、そんなことです。

【山本委員長】
 どうぞ、ほかに、ご意見、ご質問等、関連してでも結構ですが。

【山重委員】
 今の無料化の部分に関して、館内に関しては無料にするというのは1つの案だと思うんですが、そもそも、こういう無料の規定を取ってしまう、無料にするかどうかは自治体に任せるということではいけないんでしょうか。

【石原講師】
 私はそれに関して、「あした文科省の小委員会に行くんだよ」と言って、この論文を女房に見せたんです。そうしたら、凄く怒られましてね。「あなた、本も買えない人がいるのよ」と、「この図書館法は随分昔にできたんだろうけど、そのときは、もっとみんな本が買えなくて、経済成長以前にあった時期ですから。でも、今でもそれはだめよ」と、もの凄く怒られました。これはやっぱり貸与に関しては無料は貫くべきだと思うのです。

【山重委員】
 それは自治体で決めればいいことであって。

【石原講師】
 いや、だって、自治体間の格差ができるじゃないですか。隣の市がすぐそばにあったら、藤沢図書館は有料で横浜図書館は無料だというふうにはいかないじゃないですか。

【山重委員】
 でも、実際には、図書館に行くコストがあるわけですよね。それを考えると、遠くの人は、やっぱり借りるのにコストがかかるというのが、館内での無料という意味ですから。

【石原講師】
 借りる人は、そういう行くコストを考えますかね。考えていないような気がするな。

【山重委員】
 そうですか。わかりました。

【糸賀委員】
 私はそれはちょっと、私でも暴論だと思います。

【山重委員】
 わかりました。

【山本委員長】
 関連して、糸賀さん、あるようでしたら、どうぞ。

【糸賀委員】
 手短に発言させていただきます。
 図書館法17条ができたときの歴史的経緯というのはいろいろございまして、お金を取ることによって、図書館使えなくなる方は確実におります。これはイギリスなんかの例でも、お金を取り出したために利用がすごく減ったという社会的なマイナスはあります。一方で、もちろん、お金を取ることによって、必要以上のむだなコストがそれで避けられるという面はあります。どうしても、そのコストを払うだけの価値がある本を借りていくということになって、社会全体を考えたときの便益というのもありますが、そのプラスとマイナスを考えたときに、現行では、世界的に見ても、やはり本を借りたり、館内で閲覧することに関してお金を取るということに関しては、どちらかというと消極的です。基本的には、世界共通で、この無料原則は貫かれております。
 ただ、問題は先ほど言われたような相互貸借で、ほかの図書館から取り寄せた場合です。これは現行法規においてもお金を取ることができています。既に幾つかの自治体で取り寄せた場合のコスト、それから場合によっては、それを返却する場合のコストを受益者負担で利用者に払ってもらっている図書館、あるいは自治体もございます。横浜の場合、それがなかなかやりにくいというのは、先ほど申し上げたように、17条の考え方が、ある意味で過剰にまで浸透していて、1円たりとも取ることに対して抵抗を持っているということなんだろうと思います。その辺は、今後、サービスの内容と、その費用負担をどういうふうにバランスをとっていくのかということで、私は現行法規の中でも十分対応できるんではないか。その辺のリーダーシップを、館長や司書がどういうふうにこれからの時代に発揮できるかというところがポイントなんだろうと思います。そういう意味では、17条そのものを改正せよというふうな趣旨よりは、現行の運用をどう考えていくべきなのかというふうなご提案というふうに受けとめました。

【山本委員長】
 よろしいですか。では、高橋委員、ご質問を。

【高橋(守)委員】
 石原講師にお伺いしたいと思います。今の話が、まだ乾いてないかもしれませんけれども、それに関連させながらということで。
 トップリーダーの重要性というのも、今、お聞きしましたし、社会教育主事、それから学芸員に対する問題点とか、石原講師の思いを今十分お聞きしたところですけれども、あと、図書館の司書について、現状から資質向上等を含めて、どういうふうなお考えをお持ちか、ぜひお聞きしたいなと思っています。

【山本委員長】
 今の関連で、何かほかにございますか。図書館司書、あるいはもうちょっと広げて専門職ということでもいいです。よろしいですか。じゃあ、石原講師、お願いします。

【石原講師】
 横浜市の図書館司書は、正規職員に占める司書率は70パーセントを超えています。非常にそういった意味では、司書として採用しているというのはトップクラスにあると思うのです。
 しかし、その行動内容が、非常に私は問題だと思っています。中央図書館の事務室に行くと、パソコンを前に、たくさんの人がいるのですけれども、私は図書館司書というのは、基本的には、選書とか、あるいは、調査研究もございますけれども、そういうことだけで歩いてきたような、歩かせてきたというような気がします。これは横浜市の学芸員もそうです。いわば自分のレールは、もう決まっているんだと、そこからはみ出さなくていいんだという形で守られてきたような気がします。しかし、市民は、むしろ学校図書館に協力してほしいなどアクションを求めています。学校図書館は、今、横浜市で司書教諭を兼務で、小学校の教諭は当然クラスを持っていますから、忙しくて学校図書館の多くが十分に活用されていません。ぬくもりのない寒い部屋になっているんです。学校によっては、読書ボランティアのお母さんたちが懸命に運営してくれているところはいいのですけれども、まだまだ学校図書館が有効に使われていないところに、例えば、1人の司書でも、区内に1週間に1日は回ってきてくれて、いろんなアドバイスをしてくれたり、図書の整理の基本を教えてくれたり、そういうことをしてほしいというのは実はあるんです。しかし、一部しか、今やっていません。いわば非常に受動的な司書の形だけでいいのかというのが私の基本的な疑問です。どんどん読書をする子供を育てるために、幼児の段階、あるいは就学の段階から、学校図書館や地区センターなどで本の修理や読み聞かせをやっているグループなんかもあるわけです。そういうところに積極的に出かけていって、とにかくやがて読書する大人を育てていくアクティブな司書が求められていると思います。
 今、非常に危ないと思います。中学になると、朝の読み聞かせの読書の率が、小学校の70パーセント近くから20何パーセントに落ちるのです。学校もそんなことやっていられないと。高校になれば、もっと読まないですよね。そういった意味では、私は図書館そのものがもっと行動する図書館、本を読ませるのだと奨める拠点になるべきです。とにかく、小さいときから。そのためにあるならば、今までの司書の行動範疇ではだめだろうと。しかも、市民の協力や支援は得られないですよ。高い給料もらって、受け身にやっていたら、話にならないわけです。

【山本委員長】
 どうぞ、先に関連して。

【菊川副委員長】
 よろしいですか。黙っていると、職場に帰って叱られそうですので、ちょっと発言させていただきます。
 1つは、司書の採用制度の問題があると思います。どういうシステムで採用しているか、あるいは、どういう人事のローテーションをしているかということがあるかと思います。
 司書の業務の中で、リファレンス業務というのは、専門性が強いですから、多少グレードが高いというところはあるかもしれませんけれども、やはり図書館というのは幾つか課がありまして、直接サービスをするところ、あるいは市町村の研修を受け持つところとか、いろいろありますので、そういう採用制度と人事のローテーション、あるいは図書館とほかの部局との人事のローテーション、そういうところで一概には言えない面があるのではないかと私個人としては思っております。
 それと、全く別なことでもよろしゅうございますか。

【山本委員長】
 では、先に。はい。

【菊川副委員長】
 佐々木先生にお尋ねします。教育行政は教育を直接の目的とする行政、一般行政は、結果的に教育や生涯学習振興につながり得る行政ということですが、この結果的に教育や生涯学習振興につながり得る行政というのを、行政として進行管理できるのかどうか、あるいは進行管理する必要があるのかどうかというところをお尋ねできたらと思っております。と申しますのが、社会教育、社会教育行政、生涯学習、生涯学習行政という4つの概念の中で、生涯学習行政の固有領域というのは何なんだろうか。それはどこが担うんだろうかというのが、長く個人的な疑問でもありますので、先生のお考え方をお聞かせいただければと思います。

【山本委員長】
 ちょっと今の問題のお答えは待ってくださいませ。土江委員、先に挙げた。

【土江委員】
 それでは、済みません。ありがとうございます。
 石原部長にお尋ねしたいと思いますけれども、学校、家庭及び地域住民の連携、協力という観点から、先ほどの発表の中では、社会教育主事と、今後、全校配置ということで513校ですか、配置予定の学校地域コーディネーターの養成ということを大変興味深く思いまして、期待される役割等を具体的にもう少しお話しいただければなと思います。
 さっきお話もありましたけれども、土曜日復活とか、総合的な学習の時間の削減、保護者の間でも、そういうふうな意見も挙がっているということで、私自身も、このことについては非常に疑問を持っておりますし、また、ほんとに学校教育だけで解決できるのかなと。そういった意味で、この三者が責任を持って子供たちの教育を推進するという観点から、社会教育というのは非常に大事だと。
 その中でも、特に視点としては学校支援で、例えば子供たちのいじめとか、不登校とか、そうしたことを出さない予防というんですか、そういう支援のあり方が非常に社会教育で大きいんじゃないのかなと。そうしたことを推進するために、特に社会教育主事とか、あるいはコーディネーター、そして多様な社会体験をするプログラム、さらには学校の組織も含めた社会教育に対する意識改革ということが重要だと思うんです。そうした中でのコーディネーターの役割、あるいは社会教育主事の役割をどう考えたのかということを、もう少しお聞きしたいなと思います。
 以上です。

【山本委員長】
 では、お願いいたします。
 どうぞ。先に石原講師。後でのほうは、まとめて、また。

【石原講師】
 図書館司書の人事ですけれども、うちは専門の司書として採用していますから、図書館以外のところに行くというのは、基本的には、司書として採用された方はありません。
 それから、後にありました学校地域コーディネーターですが、私もスクールミーティングに行きまして、既にこういった地域と学校を結ぶ世話人の役割をしている方が何人もいます。例えば、学校で行事がありますというと、その方がすぐに行事に協力できる方を、ネットワークを持っていますから、あっと言う間に人を集めて、その行事の支援をすることができるようになっています。そういった人たちの顔写真が学校の廊下の中に、ちゃんと張ってあるのです。そのことによって、子供たちが、「ああ、あのおじさんだ」ということが、学校の中でいつもわかるようになっています。そうすると、町に行ってもあいさつをするようになりますね。それでイベントで協力してくれるものですから、あのおじいちゃんはとても学校でいろいろやってくれるねというのは、子供の心の中に浸透していくわけです。そのことによって、地域の人が自分たちを支えてくれているのだというのを自然にわかるようになってくる。これを、もっともっと全校にやっていきたいなと思っておりまして、今年度は20人、これも金がないものですから、1週間ぐらいの養成をしてですね。
 学校というのは、非常に壁の高い学校もあるんですよね。校長先生によっては図書館ボランティアもちょっと、という人もいるんです。そういうことをなくすために、学校の人にも来てもらいます。学校の主事にもですね。社会教育主事もいますから、学校の先生の中にもですね。そういう両方のマッチングができるような養成講座をやって、それで来てほしいという学校に仲介する仕事を今年度から始めます。
 役割としては、そういった学校行事の支援と、もう一つは、総合学習もやっぱり講師に困るわけです。そんなにたくさん受け入れのパイがあるわけではなく、先生は忙しいですから、そういう人を調達するというのは、先生の激務の中でやるわけですから、開拓するゆとりはないので、そういう世話人にも、こんなやつがいるよ、こんな人がいるよということも含めて、総合学習の教師を調達するとか、いろんなことが考えられると思うのです。それは学校によって違うんですけれども、この辺をいろいろ膨らませていきたいなと思っています。
 以上です。

【山本委員長】
 それでは、先ほど菊川委員のほうから出ました生涯振興行政の話に少し移りたいと思いますが、いかがでしょうか、佐々木講師。

【佐々木講師】
 生涯学習振興行政で、行政的に進行管理できるかどうかという話なんですが、私の論の立て方は、進行管理できるかどうかではなくて、進行管理すべきであり、そうするための手法をどのようにつくるかという筋道になってきます。そうすると、できるかどうかという問いに対しては、今の言い方では直接のお答えにはならないんですが、その実現のためにどういう論理を組んでいくかというふうなお話になってくるかと思います。
 先ほどは時間不足で言えなかったんですが、社会教育行政をどうとらえるかという議論をつけ加えると、私は、社会教育行政も、生涯学習振興行政と同様に社会教育振興行政であることが基本であること、つまり国民が社会教育を行っていることそれ自体に価値を見出すという考え方を基本とすべきだと言っております。基本とすべきだという言い方をしたのは、逆に言えば続きがあるということであり、社会教育行政において、学校教育行政と同様に、例えば「公共」でも何でもいいんですが、何らかの価値を実現するために行う活動として社会教育の意味が出てくる場面も多々あるということです。私は、「振興行政」と「推進行政」という言い方を使い分けているんですが、何らかの目的に向けて社会教育行政が行われることを、私は勝手に「社会教育推進行政」という言い方をしています。これまでは、確かに社会教育では、やはり目的を実現するためという意味合いが弱くて、そういった側面に対して批判があったということもあるので、振興と推進とはいったんは区別しておくべきだと考えるわけです。
 そう考えていくと、ちょっと話が広がってしまって恐縮なんですけれども、香月先生がおっしゃっていたところともつながってくるんです。当然、カルチャーセンターでやっている活動についても、いわゆる生涯学習振興行政で扱えるというレベルと社会教育推進という文脈で扱えるものとの区別が可能になると思います。そうすると、カルチャースクールでも、何らかの教育の目的を実現するための行政で扱ってしかるべきテーマで講座を組むということも当然出てくると思うんです。こんな言い方は語弊がありますけど、カルチャーで現代的課題か何かをやったときに、お客が集まらないとなったときでも、社会教育推進行政の目的にそっているということで、文部科学省か何かの補助金が出ていて補填される形になって、講座全体としては一応赤字にはならず、担当者が受講者人数をそんなに気にせず思い切って現代的課題の講座を組めるということもあるかもしれません。いずれにせよ、そういうような形で、何らかの社会で行われている教育という意味での社会教育の場において、まさに教育的な目的を実践するということは可能だと思います。
 そこでまた、先ほど最初にした話に戻りますと、私が振興行政と言っていることと推進行政と言っているようなことを、どう分けているかです。振興行政という言い方でしているのは、何を目的とするかで評価するものではなくて、この施策を実行して期待できる効果は何かという面を予測するところに、一番最初のポイントがあると思うんです。これに対して、教育行政というのは、目的に近づいていればいいよという感じで、いわば到達目標ではなくて、ややもすると努力目標で測定されるため、評価が漠然として甘くなるというところがあるわけです。ただし、誤解を受けてならないのは、私は、教育というのは、ある意味、そういう独りよがり的評価というところが長所や良さとして生かせる営みであり、逆に何でもかんでも数値目標で細かく管理していくことによって教育がおかしくなってしまっていると考える立場に立っていますが。
 とにかく、こうしたことをしっかり踏まえた上で、ほかの部局において、例えば、男女共同参画系の部局で生涯学習関連のことが行われていることによって、期待できる効果はいったい何だろうかということを、あらかじめ予測して、その効果を後で検証することになります。また、建設部局で、今度こういう建物がつくられるけれども、生涯学習振興行政の観点に立った場合には、例えば、互いに交流できる空間もあるからコミュニティが生まれて、互いに学びあうことが盛んになって学習効果が出るだろうというように、期待できる効果をかなり予測できると思います。こうしたことを基準にしていけば、行政的な進行管理は可能だと思います。
 あと、私としては、教育というものを教え育てることという狭い概念から解放することによって、また真面目に教育概念を突き詰めていけばいくほど、社会教育行政拡大論者にならざるをえません。そうすると、博物館とか図書館が首長部局に行くということに対しては、私の立場としては賛成できないです。もちろん、個別の実態から考えていくと色々と問題が起きているということもわかりますが、それとは別に論理的に考えていくと、これまで社会教育で扱ってきたものはやはり教育行政に残るべきではないかというふうに、私のほうでは結論が出ています。もちろん、現時点での実態から考えると、いっぱい問題があって、いろいろと違うように発想すべき面もあるのですが。
 以上です。

【山本委員長】
 ありがとうございます。
 今の関連で、米田委員、それから井上委員というところで。

【米田委員】
 最初に佐々木先生が、生涯学習というのは死なないため、生き延びるための学習とおっしゃいました。そして、そのことも話したいですけれども、もう一つは、制度の知事部局か教育委員会かという、それから直営か指定管理者かという話。これは私が思って言ってきたことと、私の今のいる立場が全く逆なんです。私は憲法、教育基本法、社会教育法のもとにある博物館は、この法体系にいるのが一番正しいと思っているんです。これからも文化と教育長の貫いていく棒のように一貫しているべきだと思いながら、私はずっと千葉県立美術館と千葉県教育委員会におりましたけれども、千葉県立美術館長をやめまして、ことしの4月1日付で指定管理者が100パーセント運営している長崎県美術館長になりました。これは長崎県ミュージアム振興財団というのがありまして、この間まで金子知事が理事長で、商工会議所の会頭が副理事長でという形で、指定管理者でありますけれども、ほぼ県直営みたいな実態でありましたんですけれども、この間の理事会で、民間的活力という形ですから変わりまして、松下の理事長なんて、私が常務理事、副理事長の立場になったわけなんですけれども。ですから、その実際の、この後は質問ですからやめておきますけれども、そういう意味合いの中で、しかも、千葉県立美術館は、開館以来、千葉県の博物館は無料の原則をずっと貫いてきました。多くの県から千葉県みたいにありたいと言っていただいていましたが、数年前に全館有料になりました。先ほど石原講師が図書館の無料の話と、それから奥さんに怒られたという話をされましたけれども、実は同じ母親、社会教育から生まれた博物館も、また博物館法で無料と規定されて、ただし、管理上やむを得ないと、ここの拡大解釈で取っているわけで、私の指定管理者は、それでお金を取っていますし、金を稼いでいますし、さっきできなかったようなことも、いろんなことをやっています、民間ですから。
 ですから、建前と本音のところで言うと、私は指定管理者制度はずっと批判していました。書いたものも、しゃべっても。私は文部科学省の委嘱を受けた体制・税制の委員だったので、本来、総務省、財務省が心を変えてくれて、美術館、博物館、図書館に寄附した場合に無税とするような国になるべきだと思っております。ですから、そういう意味で、私は独立行政法人の地方版というのがベターな選択と思っておったんです。
 指定管理者の話は、後でもし聞かれれば答えますけれども、そういう行政の中から離れていますから、いろんなことができます。民間ならではのことはありますけれども、一番のネックは、指定管理者では指定期間が終わった後、取れなければ、職員が路頭に迷うということなんです。独立行政法人ならば、そこが迷いません。
 ですから、大阪市の教育委員会は特区で独立行政法人の地方版を目指していますよね。あそこがどうなるかというのを全国注目しています。100パーセント指定管理者が、私のところと長崎県の歴史文化博物館なんです。いいことと悪いことがあると言いたいわけです。
 そういう中で、今度はお三方に共通していた話が、町おこしでしたね。もう一つは、創造都市戦略(クリエーティブシティー)の話をされておりました。
 話が広がって済みません。まとまりがつかなくなりますけれども、実はロンドンやニューヨークや東京のように、政治経済の中心の都市だった20世紀から、21世紀は文化、芸術と情報の世紀だという言い方をする人もいます。私たちが美術館や博物館、生涯学習が地域を元気にする、すごい力があると思っておるんです。
 こういう創造都市で今言われているのが、写真美術館の福原先生が日本の中で今おっしゃった横浜と金沢と仙台市と、東京都豊島なんかで、クリエーティブシティーの大会を開きたいとおっしゃっていました。こういう生涯学習が、まちづくり、地域振興と文化振興というものに深くかかわっていると思っております。その辺について、お三方のお考えを伺いたいです。
 以上です。

【山本委員長】
 では、それはちょっと待っていただいて、井上委員。

【井上委員】
 よろしくお願いします。
 佐々木先生の先ほどの社会教育行政、生涯学習振興行政の話が出てきたんですけれども、そこでちょっと確認させていただきたいのですが。
 先生の資料の資料1の2枚目に、制度的水準の違いを意識した生涯学習の概念図ということでご用意いただいていると思うのですけれども、この委員会では制度というものを考えるということで、非常にこれは参考になるのかなと思いますが、この図において、生涯学習振興行政と社会教育行政を考えた場合に、どのように書き加えるかということです。私がちょっと考えたのは、生涯学習振興行政は、学習の部分、一番底辺の部分が横にずっと広がっていくように、推進法をもとに底辺を広ひろげていき、広がるにつれて、教育レベルのところの生涯学習つまり、生涯教育と言われているところが広がることになります。それを社会教育に結びつけていく作用、これが社会教育行政なのかなというふうにちょっと考えたのですが、この図を使って、先生の整理された社会教育行政と生涯学習振興行政を説明するとどのようになるか。そうすると多少クリアになるのかなと思ったものですから、質問させていただきました。よろしくお願いします。

【山本委員長】
 では、これは佐々木講師のほう、今すぐお話しいただきます。

【佐々木講師】
 これは、国立教育政策研究所社会教育実践研究センターの冊子に書いたもので、平成16年に図を出していますが、旧教育基本法に基づいて書いたものなので、現行教育基本法の体制とは若干の違いが出てきます。一言で答えにくいところはあるんですけれども、社会教育と生涯学習と言ったときに、制度的には、この図で書いてある「広義の社会教育」という言い方は一たん無視していただくことになるかと思うんです。まずは、学校教育、家庭教育、社会教育の3分法に基づいていくことなります。井上委員のご質問に対して何とかポイントを突いた答え方を考えたいとは思っているんですが、何だかんだいって制度的水準の違いの部分で入り組んだ図となっているので、うまくいくかどうか自信ありません。
 まず、社会教育というものを、この図で言うと、教育行政が主体だから教育、社会教育行政が主体だから社会教育という意味合いで考えるのは、筋ではないということになります。この図では、教育行政以外のところでやっているものの中にも、社会教育というものをやっていることがあるよ、という意味合いを出しています。教育行政がめざす目的とは違うけれども、社会教育をやっていることがあるというように、そういうように社会教育を広くとらえるべきだというふうになります。この点は、社会教育法からも読めるだろうと思います。いずれにせよ、当然のごとく社会教育はどんどん広がっていく可能性を持つものとして捉えるべきだというようなことが、まず言えます。
 また、私は生涯教育よりも生涯学習のほうが広範囲にわたる包括的概念だと言っていますし、教育よりも学習のほうがはるかに広くなりうる可能性を持った概念だとは言っていますけれども、ほとんどの場合、学習が起きるところに教育はくっついてくると考えていいんではないかと思います。ほとんどの場合、学習概念の広がりに教育もくっついてくるとなると、おのずと教育概念は広くなってくるので、社会教育行政が直に扱うかどうかわかりませんけれども、社会教育にかかわる何らかの制度的なものが扱う範囲も広がる必然性があるということになります。
 質問の意味を十分理解していたかどうかもわからないので、直接的なお答えになっていないとすれば、申し訳ありません。

【山本委員長】
 ありがとうございました。
 それでは、先ほどのまちづくり、地域づくりのことは最後に取っておきまして、水嶋委員、お待たせしました。

【水嶋委員】
 石原講師に質問ですけれども、2点あります。
 1つ、登録制度、博物館のあり方、7の項目にあります多様な博物館ネットワークの強化を図る新たな登録制度についてお聞きしたいんでけれども。そもそも、この登録制度というのは意味があるのか、まずお聞きしたいんですけれども。
 それから、共通基準の設定という話をされました。それは所管がえの9番にも関係するんですけれども、制度的に部局を超え、知事部局、あるいは教育委員会、所管というのも、かなり登録制度に影響が出てくるんではないかと思うんですが、その辺をどのようにお考えになるのか、登録制度の中に、そういうようなことの所管を明記するのかしないのか。私は個人的には設置者の責任というのが非常に多くて、博物館の個々の経営責任であるとか運営の責任というのは、上流の設置者のほうから出てくる。公立の場合、設置者のほう。ですから今回の場合でいきますと、横浜市の責任というのは、逆にどうお考えなのか。下、NPOにしろ、指定管理者にしろ、ご都合主義というか、お任せ主義になってはいないのか、その辺をお聞きしたいんですけれども。登録制度に関係することで、共通基準の設定とおっしゃいましたけど、その辺も多少お考えをお聞かせいただければと思います。

【山本委員長】
 はい。では、どうぞ、お願いいたします。

【石原講師】
 登録制度については、先ほど申し上げましたように、特定公益増進法人なら、損金算入とか、寄附金の税制上のいろんな特典があるんですけれども、どうしても登録ができないと特定公益増進法人の申請が困難であるというようなことを聞いております。横浜市の歴史博物館は何の施設にも該当していません。そういった意味から、特定公益増進法人にも申請できないと言っています。
 私は博物館とか美術館が好きですから、外国のものも含めて、いろいろ歩いてきましたけれども、日本の中で非常に優秀な普及啓発活動をし、調査研究活動をしているにもかかわらず、どうして登録、あるいは類似、あるいは相当といった、そういうむしろヒエラルキーがあるんだろうと思ったんです。そこで、私はその枠を外して、おおらかな共通基準を策定する、いわば極めてミッション的な幾つかの原則をつくれば、十分それにあてはまる博物館施設は存在する、むしろ網を広げ、底上げをしていくということなのだと思うんです。ステータスとしては。そういうことがあれば、そういった集まりもあるでしょうし、情報交換ももっと頻繁になるでしょう。今、これからの企画は、ジャンルにこだわらない、時代を切り開く、時代そのものを表現するならば、何も美術分野だけでなくていいわけです。そういう企画展も外国ではどんどん出てきていますので、ぜひ、登録制度の呪縛というのですか、そういうものをもう一度考え直して、むしろ連帯する力ですね。今、いろいろ苦悩していますから、いろんな意味で、そういう連帯するために、大同団結するために、非常にシンプルな共通基準をつくれば良いのではないかと思っています。
 それから、設置者の責任ですが、ご都合主義、そのとおりでございます。横浜市もご都合主義でやってきました。横浜美術館ができたのも非常に遅かったし、都市基盤整備が大変だったのですが、それが総合美術館になりまして、第2役所みたいな財団をつくり、専門性という美名のもとに学芸員を甘やかしてきたわけです。そういった意味で、私はトリエンナーレの第1回展(2001年)を招致した課長でもあり、第2回をディレクションした部長でもあったのですが、ご承知のように、国際現代美術展の先駆都市はヴェニスです。ヴェネチアビエンナーレは、ことし第52回になります。百何年やっています。1895年に始めて、あの近代の時期にあんなものをやるのは狂気にも等しいと言われながら、ヴェニス市も、州も、思い切って踏み切ったわけです。そしてヴェニスは、そのおかげで、美術展だけではなくて、建築展、映画祭、舞踊祭、音楽祭、すべてが世界の一流になりました。ホテルに行きますと、ホテルが満杯で非常に高くなっています。つまり、経済効果がものすごいのです。それから、横浜市は都市として初めて都市計画を出品しました。それは建築展です。磯崎新さんなんかがいろんな賞もとったことがありますが、そういった中に、今既にデレゲーションを組んでヴェネチアビエンナーレに中国と韓国がすごい人員を送ってくるんです。それがむしろ国策になっているわけです。
 つまり、芸術文化が創造都市を超えて創造国家というのかな、悪い言葉で言えばそういうために使われているというか、それぐらい芸術文化を大事にする国が出ているという中で、私は横浜トリエンナーレを、2005年は開催が危なくなったのですが、救いました。港湾局の倉庫を調達してどうしてもやりたかったんです。それはやはり、現代美術展を通して創造都市への道をたどらなきゃいけないという信念がありましたものですから、横浜美術館に応援を頼んだのです。美術展だから、美術館が応援するのは当たり前じゃないですか。そうしたら、美術館は、うちの仕事じゃないと言いました。これは驚きました。分野が違ったら違うのかと。近代美術なら自分のところで、現代美術なら君がやると、そういうことはないだろうと思いました。それが実態だったんです。
 そういう窮状を救ってくれたのが、アサヒの財団にいた方が専務になり、その方が都市創造のために必要だということで、実は学芸員も初めは躊躇していた状況におられたわけですが、最終的には何名かの方がトリエンナーレに半年間出向してもらいまして、横浜トリエンナーレ2005に美術館が参画して何とか開催できたのです。既成概念からなかなか踏み出さない、そういう組織風土です。私はほんとうにあきれました。美術館がやらなきゃどこがやるんだと。国際現代美術展ですよ。
 そういった意味で、設置者の責任というのはすごくあるんですけど、市長はそんなことはわからないです。結局は組織に任されているだけで、財団の理事や何かになっているのは、局区長をやったOBとか見識のない人がそういうところに立っていますから、そこからも話は通じないのです。だから、館長や理事、評議員などの幹部人事というのはほんとうに熱のある人で、サポーターが支援して、この人こそはという人を、ぜひそういうシステムで選ぶべきだということを設置者としての責任ある回答としてお話ししておきます。

【山本委員長】
 今の関連することがあれば先にお伺いして、順番としては高橋(興)委員、山重委員、鈴木委員となりますけど、関連することじゃなくてよろしいですか。
 今の石原講師のお話は、後で地域づくりのところにこの続編を期待して、今一度切りまして、それでは、高橋(興)委員、どうぞ。

【高橋(興)委員】
 香月講師にお尋ねをします。
 佐々木先生のお話の中で、生涯学習は生きがいや楽しさが必須条件だという誤解があるというお話がありました。そういう意味ではないのかもしれませんけれども、私は学びには楽しさが大変大事だと思っております。そういった意味で、やはりそういう考え方があまりに強調されると、私ども地方にいる者はつらいと思っています。
 その中で、特に私どものように地方で財政力の弱いところは、楽しさ、あるいは楽しさを強調したような学習機会というのは、総体的にかなり減ってきているということで危機感を持っています。それは、どうしても財政当局からすると、高齢者対象だとか楽しさだとか、そういったところは身について、今、切る体制になっているんだろうと思っています。そういった中で、特に今、国でも公共性だとかそういったことで、先ほども出ましたけども、人権、ジェンダー、環境、防災、高齢化、国際化なんていうふうなことが大事だと言われると、ますますそういったふうに財政当局の思考がそちらに行くので危機的な状況だと思っているんです。
 そういった中で、都市部とは違う、地方にはカルチャーの役割が生じつつあるというふうに思っているんです。事実、私どもの県の例ですけども、弱小ですけれども、小さなカルチャーの芽生えがあります。そういったときに一番問題になるのは、先ほど朝日カルチャーさんの場合は西新宿に近代的なビルの中に入ってスタートしたわけですけれども、地方でなかなか弱小のカルチャーが、そんな事業展開はできないわけです。今一番手っとり早くやっているのは、進出してきますジャスコだとかイトーヨーカドーとか、そういった郊外の大型店舗の中に間借りをしてスタートするという形が、私どもの県、あるいは隣接の県などでも見られます。
 そういったときに、特にそういった事業者が求めるのは、例えば調理教室などをやりたい、あるいはスポーツ関係をやりたいというときには、そういう施設を自前でつくることは不可能なわけです。ですから、公共施設を借りてそういった講座を開設したい、こういうふうになるわけです。そういたしますと、前回の委員会でも少し発言をしたのですけれども、公民館の規程でひっかかるところがかなりあるわけです。
 そういった意味でちょっとお尋ねしたいのですけれども、香月講師は、まず基本的に経済産業省がこういった民間教育事業者の直接の主幹官庁で、かつては私の記憶ですとサービス産業室とかいうところが経産省のセクションにありまして、そこで担当していろいろなことをやっていたということですけども、今、経産省による民間教育事業者に対する、特にカルチャーに対する支援というのは、具体的にどんなことがあるのかをまず1つお尋ねしたいということと、それからもう1つは、民間カルチャーが行政とどういう関係であるべきだというふうにお考えなのか。それから、具体的に民間事業者が行政に支援を求めるとすれば、どんな支援を求めるのかというふうなあたりをお聞かせいただければありがたいと思います。よろしくお願いします。

【山本委員長】
 どうぞ。

【香月講師】
 どうもありがとうございました。
 お尋ねの件で、公共施設を我々も借りられないだろうかということは随分よく考えるんです。どうしても場所がないと。と思いますが、これはなかなか民間の、言ってみれば利益を追求する業者が公共施設を借りることはなかなか難しいと。ただ、地方に今お話しいただいたようにいろいろとカルチャーの芽が生まれてきていて、そこの方々が調理教室なりスポーツ教室をやりたいというところで、例えば調理教室ですとガス会社、この辺で言えば東京ガスですけれども、これを借りて共同でやる、あるいは調理専門学校と共催で何かをやるということは大いに可能なわけでございます。
 その辺は、なかなか一概には申し上げにくいところがございますけれども、公共の施設を自由に借りられたらいいなという感じはあるんです。その一方で、公共の施設を利用していろんなカルチャーめいた教室を展開されていらっしゃる個人の講師、先生みたいな方がいらっしゃることも事実なんです。それがまたほとんど恒常化して、常に何曜日のどこの教室はあの先生が使うんだということで、早く言ってしまえば杉並区でありますと区民センターなんかでそういう現象が起こっていることも事実なんです。長くなってくると、どうしてもいろいろ顔見知りになってだんだん融通をきかせてしまうこともございますし、その辺は現場で、多分千差万別だろうと思います。
 それで、お尋ねの経産省が何らかの支援等があるのかというお話でございますが、直近の最近の情勢はつまびらかにしませんが、民間カルチャー事業者協議会みたいな全国の組織がございまして、そこにも私は首を突っ込んでおりましたんですけれども、そこではやっぱり皆さん誇り高きというような感じもございまして、何らかの支援、手っとり早く言えば場所を貸すとか補助金を出すというような話は、ちょっと民間の業者としては受けがたいねという話がずっとありました。皆さんどういうふうにお考えになっているかは直近の状況は存じませんけれども、どうしても何らかのひもがついてくることを非常に嫌うという感じでいるのではないかと思います。
 つまり、先ほどちょっとお話ししましたように、どの講座が売れるのかと。講座をまず買ってもらわないと企業体が成り立ちませんので、どの講座が売れるのかというのは、だれかがそういうことを全部知っていて、おまえ、これやれ、おまえ、これやれでカルチャーが成立するならば、こんな楽な商売はないわけでして、どこにそういう企業機会が転がっているか。これはおそらく、民間のカルチャーに限らずありとあらゆる民間の業者がそういうふうに思っていらっしゃると思いますけれども、カルチャーの場合、例えば先ほどちらっとお見せしたこのパンフレットで1,000講座展開しているわけです。どの程度の歩どまりでいくのかという感じで、それぐらい展開してかろうじて33年間営業が成り立っている、そんな世界でございますので、今後行政とどういうふうなかかわり合いを持つべきかということでございます。
 1つ、しまった、きちんと最近の情勢を聞いてくればよかったなと思ったのは、朝日カルチャーセンターは文京区から委託を受けまして、あそこの立派な庁舎の中に区のカルチャーセンターがあって、委託でございますけど、かなりの部分の営業委託を展開しておりました。10年ぐらいの前の話。それがその後どうなったかを聞き漏らしまして、そういうようなことは、読売文化センターは荒川区となさっています。つまり、区で教育委員会の社会教育の職員の方々がいろいろと講座をお考えになったり場所を探したりということはもうやめて、民間の業者に全部委託してしまおうということでございます。これはかなり長いことやっておりまして、今でも続いているのかどうかはその辺を確認しないでまいりましたけれども、言ってみれば、行政とのかかわりというのは、そういう姿が1つありかなという感じでございます。
 それにしましても、その際に、こういう講座は絶対開いちゃだめよと、いろいろ注文が入ってきますとやりにくくなってくるなと。特に公的の限定的課題、公共の課題等に入ってきますと、カルチャーセンターで座学ではとてもできないです。現場で地域で動いて、それこそボランティアの皆さんと一緒になって講座を展開していくという姿だろうと思うんです。

【山本委員長】
 では、山重委員。

【山重委員】
 私は佐々木先生にご質問させていただきたいのですが、私は教育が専門ではないのでいろいろ学ばせていただきながらの参加で。今日のお話には、私も問題意識が共有されているところがあり、いろいろ学ぶことがありました。2点だけちょっとご意見を伺えればと思っています。
 まず最初に、教育、あるいは学習の考え方をもっと広くしていくほうがいろんな問題に現実的な回答を与え得るのではないかということをおっしゃられていて、非常に共感しております。問題意識として、日本語では、英語で言うteachという言葉とeducateという言葉の両方に対して教育という言葉を当てているような気がするのは不幸だなと思っています。どちらかというとteachというのはまさに教室で教えるということである一方、educateというのは、先ほどおっしゃったように広い教育というか、学びを支えるような場づくりみたいなのも含めてeducateという言葉を使っているのではないかと思っています。educateという言葉の語源をたどっていくと導くという言葉が1つキーワードになっているような印象を受けているんです。社会教育というのも、そういうeducateのほうに概念的に移っていくほうがいいのではないかという印象を持っております。
 それから、「学習」のほうも英語で言えばstudyという言葉とlearnという2つの言葉があって、studyのほうがteacher-studentの関係に見られるような、学び、学習を指すのに対して、learnというのはもう少し広い、まさに生涯を通じて生きていく中で学ぶ、教わらないでも学んでいくということを含んでいる概念なのかなと思っています。そこを1つの言葉で、学習とか教育という言葉で限定しているのが、問題を逆に複雑にしているところもあるのかなという印象を持っています。その辺、教育のご専門の方から、そういう議論があり得るのかどうかというのを教えていただければというのが第1点です。
 それからもう1点、狭い意味での社会教育というのに対して私も抵抗感があって、もともと社会教育というのは学校とか家庭での教育も含む大きな社会教育というイメージを持っていたんですけれども、今回ここに参加させていただいて学んだのは、学校教育、家庭教育以外のものを社会教育と定義しているということでした。私は全然知らなかったものですから驚きであったんですが、考え方としては、もっと総体として社会的全体で教育していくということがいいと思っています。ただその一方で、最近の流れとして、これは石原部長もおっしゃっていたことですが、家庭と学校、その周りの地域というのを局所的にとらえて教育を考えるという視点も必要であると思います、社会教育と言うとあまりに広過ぎないので、私はこれを地域教育という形で概念化していけばいいのかなと思っています。つまり、社会教育のイメージを広げるのは大事なんですけど、その一方で家庭教育、学校教育、その周りの地域というところに焦点を絞った地域教育という概念をつくったらいいのかなと思いました。実はインターネットで調べていたら、イギリスでは、コミュニティー・エデュケーション、それからコミュニティー・エデュケーション・オフィサーというような概念とか仕事とかいうのがあって、これは日本でももっと使っていっていい概念なのかなと思いました。社会教育主事のかわりに、例えば地域教育士というんでしょうか、地域で、学校や家庭をつないだり、それぞれの問題のある人たちに対応していく人たちを日本でもっと育てていく。それが地域教育を熱くしていくという方向は、今、地域社会が崩れていく中で積極的に考えていかなきゃいけないと思うのですが、先ほど、横浜市ではそれに積極的に取り組まれているという状況を伺って、力強く思いました。これももっと全国的に広めていければいいなという印象もあって、地域教育という概念化は有用じゃないかと思っています。その点についても教えていただければと思います。

【山本委員長】
 どうぞお願いします。

【佐々木講師】
 時間もないので手短に申します。エデュケーションは、それこそ「学習者の可能性を外へと引き出す」といいますか、学習者の観点に立った概念として理解すればいいかと思います。私は「教えない教育」とかも含めて、基本的には「学習者の学びを促進するための環境整備」のことを教育ととらえるべきだと考えております。
 2点目について、地域教育およびコミュニティーエデュケーションについては、こういった分野の学問的な蓄積もあるので、そこら辺をごらんいただければありがたいと思います。もしかしたら、今後この会議でも議論に出てくるかと思います。
 あと、私の教育に関する観点を補足したら、はじめから教育という営みを善だと前提してとらえている立場ではありません。私としては、教育を価値的に定義することを急ぐのでなく、「人間や社会が人間や社会に対して働きかける関係」として、教育という営みを位置づけることが出発点になっています。
 実は私が最近の研究で一番注目しているというか、これまで10年ぐらい意識してきたのは、メディアの及ぼす影響なんです。例えば子どもたちが携帯電話を持つことによって、良い悪いとは別に教育的な作用が出てきて子どもの人間形成に影響を与えてしまうので、それに応じてどのように教育的働きかけが変わらざるをえないかということなどです。これについては論文などを書いておりますので、ご興味があればご参照いただければと思います。特に携帯電話ができてから、また多くの人がメールを使い出してから、教育をめぐる環境は大いに変わってしまったので、意図的に行うという意味での教育の働きかけのやり方を根本から変えなきゃいけなくなったという大胆な説に立っております。
 ついでに、教育と学習についてなんですが、両者にはやはりズレがあることを強く意識すべきだと思います。学習というのは、教育主体を前提にして考えることができるものではないので、どこで学習されたか、学校か、家庭か、その他社会かという場とか空間を基本としてとらえる概念です。これに対して、教育というのは、だれが主体かという形で、主体を基準にしてとらえるべき概念です。なので、理論上どうしてもずれが生じるというところでとらえていただければと思います。

【山本委員長】
 今のことに関連してですか。簡単にお願いします。

【糸賀委員】
 その辺に関しまして、私は前々から問題意識を持っていて、改正教育基本法でその辺が明確になるのかなと思ったら、あれを読んでもやっぱり国民にはよくわからないと思います。
 せっかく事務局のほうで、参考資料2というのがあると思いますが、これは生涯学習・社会教育関係の制度に関する参考資料としまして用意されていまして、これの一番最後に実は制度問題小委員会の前回のときにもひとしきり話題になった図がございまして、佐々木先生のとらえ方で、学習と教育に関しては、この図のような理解というふうに受けとめてよろしいですか。

【佐々木講師】
 それとは違います。

【糸賀委員】
 簡単に、どの辺が違うかだけご指摘ください。

【佐々木講師】
 単純に言うと、「学校教育による学習」ではなく「学校という場における学習」という捉え方が基本になります。つまり、「学校教育による」という言い方だと主体概念になり、はじめから「教育に限定された学習」しか視野に入らなくなるんですけども、主体概念ではなく空間概念でとらえてくれるのであれば、「学校で起きている学習」とか、「家庭で起きている学習」や「社会で生じている学習」という言い方になるので、この図でも基本的には合うかもしれません。示された図では「何々教育による学習」というように主体概念を大元にして学習をとらえちゃっているので、実際には教育と関係しているはずの学習をかえって見落としてしまうかもしれないんです。図をつくった立場の人には申しわけないんですけれども、私の述べたこととは違うかなと思います。

【糸賀委員】
 わかりました。

【山本委員長】
 最後ですが、鈴木委員、質問、意見等をお願いします。

【鈴木委員】
 石原講師のお話に刺激を受けたんですが、資料2の石原講師のレジュメの4の社会教育主事のところで改正案、自治体の関連部局にも配置というところで、かなり積極的に、これは佐々木講師もおっしゃる外へ広げていって社会教育をということにつながるようなものだと思って拝見していたら、それは非常におもしろいと思います。社会教育が、教育委員会の社会教育のセクションだけではなくてほかのところへもというお話で、実際社会教育主事というのは青少年教育施設などになぜ社会教育主事が置かれているのかよくわからないんですが、置かれているということだってあるわけです。それがどんどんほかのところへもいくというのは、発想としてありだな、積極的なことだなというふうに思いましたら、その後のほうへいって、例の図書館や博物館などの所管がえという話になるわけなんですが、そこのところがよくわからないんです。
 ということは、逆に教育委員会は学校教育に忙殺されというようなところがその下にあるわけですが、教育委員会で学校教育に忙殺されているからだめであって、だったら出ていったほうがいいというような話になると、今度は学校との連携というようなことがすごく薄くなってくるように思えるのです。つまり、学校の教員自体が社会教育について理解できないわけです、基本的には。今の養成の制度のところにもそんなのがないわけですから。生涯教育とか社会教育、PTAなどについても教わる機会はほとんどないと言ってもいいわけです。学校の教員は、派遣社会教育主事の制度などによって、かつかつそこへ行ってわかるわけです。こういうような別な教育というのもあるんだということがわかってきた。そういうようなものが、今度、所管が変わると社会教育というか、これは博物館、図書館となっていますが、そのほかの社会教育全体が教育委員会から離れたっていいじゃないかという議論になると、学校教育との関係というのがどんどん薄くなると思えるんですが、そのあたり、どういうことをお考えかというのが1つ。
 もう1つ、関係することですごく大きなことだというふうに思うんですが、一番初めに明石委員から人か制度かというような話が出ました。そして、石原講師のレジュメにも博物館のあり方のところに、アメリカのソサエティーというかアソシエーションというか、そういうような運営によって非常に活性化していると。館長だって経営感覚を持ったりしてぼんぼん変えられるというようなことも、理事会だってという話があった。それは、人か制度かという話だけではなくて、そこの政治的なというか、社会的な風土であるとか歴史的な経緯みたいなものまでも考えないと、話としてうまくでき上がらないんだというふうに思うんです。今、アメリカの仕組みを日本へ持ってきて、博物館はこうあったほうがいいといったって、それは絶対無理なんです。横浜美術館が1980年代にできた。私は実はいろいろ聞いていたんですが、一番初めの調査みたいなものにかかわらせてもらっていたんですが、すごく変な感じでいたんですけど、なぜ横浜は行政が主導でそういうようなものをそのときにつくったのか。市民が動けばいいじゃないか。それはアメリカの形なわけです。ですから、人か制度かという話じゃなくて、人や制度の背後にある社会的な、あるいは文化的な風土であるとか、あるいは歴史的な経緯みたいなものを考えていかないと、ここの議論というのはそんなに簡単に成り立たないのではないかというふうに思いました。
 ただ、ずっと話を聞いていて、きょう2時間近く話を伺っていて、特に石原講師のご発言を伺っていて、どうもこれはやっぱり石原という人なんだなとよく感じたんですが、それではいけなかったでしょうか。
 以上です。

【山本委員長】
 では、石原講師、どうぞ。

【石原講師】
 それが私が呼ばれた意味でございます。だれでもいいなら来ませんから。
 最初の、いわば博物館、図書館の所管と学校教育との関係、もしかすると断絶してしまうのではないか、今でもすかすかだというふうにおっしゃっていますけど、私は文科省の所管から他の省に変えてくれと言っているのではありません。自治体の教育委員会事務局にいることのほうが、むしろ学校は使いたいときにほんとうに良い意味での図書館の運営が阻害されると、今のままでは。正直に言えば、教育委員会事務局の中では図書館も博物館もお飾りにすぎないのです。文科省は違いますよ、親ですから。その、ねじれといいますかその現状において、もんもんとしている私たちもやってきたなかで、博物館、図書館を活性化できたらと思うのは、むしろ博物館、図書館はもっと大事だよと思い始めている政策や部局にわたしたほうが良いのじゃないかと思うんです。そうして、それがよくなれば、連携する形はいくらでもできると私は思っています。それは親にちゃんと文科省があるわけですから。
 そういった意味では、親は1つでも、子供に旅をさせても良いのじゃないかと思うのです。それをこの三十何年間文化行政を見ていて非常に思いました。
 それからもうひとつ、風土の問題ですね。確かに米国は若い歴史でしたから、いわゆるヨーロッパの文明に近づくために市民が立ち上がったという歴史的風土はあると思います。しかし、私は今、福原さんがやっているメセナ協議会とかいろんなところが日本ではでき始めていますが、現状は米国のように企業がおしなべて芸術文化の支援にそれほど向いてくれてはいないと思いますけれども、そろそろアメリカを追随してもいいのではないかと思います。これは宗教がなくても、むしろそうでなければ、ほんとうの市民のものに博物館や美術館や図書館はならないのではないかと。つまり、法律がつくってくれて、法律が指示するような、あるいは国が指示するような運営形態に沿ってやっていればいいんだよというやり方に追随してきたことが、指定管理者制度という、あれは僕は経済政策だと思っていますから、そういうものさえはねつけることができなかったと。
 それはなぜかというと、やっぱり市民活動や社会の資源活用を大切にしなかった、あるいは市民社会が共鳴をするような博物館や美術館、あるいは図書館の運営をしてこなかったからだと思っています。マクロに見て。ですから、私が調査した1990年のアメリカの実情でしたけれども、あれから17年たっていますからもっと先鋭的になっていると思っています。そういう情報も聞いています。そうやって一生懸命自分たちのものにしていく、市民のものにしていくという活動を日本はとらないと、国や自治体に任せていられないという状況になっていることを判断しなければいけない時期だろうと思っています。
 以上です。

【山本委員長】
 ありがとうございました。

【糸賀委員】
 1点だけ。これは補足説明です。きょうのお話の中でも、図書館の司書のあり方について随分ご発言がございました。今、社会教育課の中で、図書館のあり方についての検討協力者会議が設けられております。昨年の3月に、これからの図書館像という報告もまとまっておりまして、その中で図書館職員の資質向上と教育研修ということの内容も、時間がありませんのでそれ以上説明しませんが、具体的に提案されております。
 教育者会議のほうでは、教育のあり方に関しては大学で司書資格をとる場合のカリキュラムの内容、それから現場の現在働いている司書、先ほど司書の行動がなかなか不可解だというご指摘もありましたけれども、そういった現場で働いている図書館職員、司書の研修のあり方についての提言もまとめております。それが一部法の改正とも関連してまいります。できれば、この制度問題小委員会の今後の中で、その協力者会議の動向についてもお話しさせていただくような機会をつくっていただければと思います。

【山本委員長】
 ありがとうございました。
 それでは、いろいろご意見いただいたり議論も進んでいたところでございますけれども、大体社会教育関係の研修とか研究協議というと、ある程度時間が来ると自然に収束していくという知恵が働いている方が多いんです。きょうもそんなところかと思いますので、最後にお三人、きょう講師の方においでいただいて非常にいろいろご意見をいただきました。先ほどの生涯学習と地域づくりにかかわることをお三人の方にお聞きしたいということがありましたので、それも含めていただいて、特に今まで言っているからその辺については改めて言わないということでも結構なんですけれども、何か最後に一言、この際ですので、この小委員会のほうに言っておきたいということがあるならば、先ほどのようなまちづくり、地域づくりも含めてで結構でございますから、いただければと思います。佐々木講師から順番にお願いします。

【佐々木講師】
 先ほど高橋委員からご指摘があった生きがいについてなんですが、生涯学習が生きがいだけだと誤解されがちなことが問題だということを言っていて、むしろ私は、生きがいの重要性を強調した立場で理論をつくっております。ちなみに、私の専門は、自己実現や生きがい論なんです。
 そこで、まちづくりにつなげてお話しさせてもらうと、99年生涯学習審議会答申で言っていたことだと思うんですが、「生涯学習のためのまちづくり」や「生涯学習によるまちづくり」についてです。私の資料の言葉で言うと「生涯学習のまちづくり」と「生涯学習でまちづくり」です。生涯学習のまちづくりというのは、生涯学習をしている人たちをいっぱい増やすためのまちづくりです。そこでは生きがいというのが鍵になってきます。みんなが生涯学習しているまちをつくることができるだけでも、そこに住む人が生き生きしてくる点で意味がありますし、地域が活性化するという意味があります。ただし、それでは批判が起きたんです。個人的にすぎないものに、なぜ公的なお金を使うんだと。そこで、学んだことを公のまちづくりに生かせるんだということで、生涯学習によるまちづくり、生涯学習でまちづくりということで、生涯学習をまちづくりの手段として盛んにするという立場が出てきました。したがって、生涯学習がまちづくりの手段でもあり目的にもなるというような循環構造が生み出されてくるためには、生きがいというのは非常に重要な原動力だと私は考えております。
 一言何かということなので、制度問題を論じるときには、目先の現状がこうだからああしようというレベルで振り回されすぎるのではなくて、もっと大局的見地に立って、ゼロベースから理論的に詰めて議論していっていただきたいです。論理的矛盾に気づいてすぐに変更せざるをえなくなるものではなく、できれば50年、100年使える耐久性のあるものをつくるぐらいの気構えをぜひお願いしたいと思います。
 以上です。

【山本委員長】
 ありがとうございます。
 それでは、石原講師、お願いします。

【石原講師】
 まちづくりの中で具体的な例として、先ほど申し上げました今までが生涯学習支援センターでしたが、市民活動が頻繁になってきて、一緒にやろうじゃないかと言う機運が高まり合流しました。それぞれ担当の違う職員が、今、同じ部屋の中にいるんです。生涯学習支援センターの相談員は2人、区民活動の支援センターの職員は2人のそれぞれが嘱託です。そうすると、いろんな市民が来て、これはそっちじゃないの、あれはこっちじゃないの、これは市民活動、これは生涯学習ということで悩み始めたのですが、次第にジャンルの問題ではないだろうということで、一緒に話を聞いてもいいし、どっちがどっちにいってもいいだろうとなってきました。それは、私が先ほど申し上げました生涯学習という考え方の中に市民活動という新しい社会教育的な要素の強い運動が入ってきたということであり、とても良いことだと思うんです。先ほども申し上げました、遊びのお手伝いを私たちはしているだけでいいのかしらという相談員が市民活動に触れれば、自分の生涯学習のコーディネートの仕方の中に新しく公共的な考え方をしなきゃいけないなということが入ってきていると思うんです。
 そういった意味で、まちづくりというのはいわゆる口当たりのいい生涯学習という、何となくそういう考え方の中に、もっともっと公共に還元していく、公的に貢献していくということを、積極的に自治体は言っていいんじゃないかというふうに思っています。
 そこで、相談員には、例えば老人のダンスサークルがあっても、子供に教える機会をやってよとか、そういう投げかけをするように言っています。できるできないは別です。今、子供がいろんな体験をどんどん忙しい中で失われていますから、そういうふうにして公的に公共に還元していくように誘導する我々の支援センターであるというふうにまちづくりとして貢献できるように努めていきたいと思っています。
 以上です。

【山本委員長】
 ありがとうございます。
 では、香月講師、お願いします。

【香月講師】
 先ほど社会教育委員というのを3期やったと申し上げましたけれども、諮問事項もないような委員会は要らないんじゃないの、つぶしてしまえということをしょっちゅう申しておりましたら、平成15年になって教育委員会のほうから、杉並区における社会教育並びにスポーツ施策の方向性と目標について諮問せよという大きな課題を投げられて、公募の委員も何人かいらっしゃいましたけれども、1年3カ月ぐらい議論しました。答申という形でまとめて、キャッチコピーをつくろうよといってつくったのが、自分たちで自分のまちをつくる社会教育、こういう形で答申をまとめました。
 人材が非常に乏しいと。社会のまちづくり1つ考えるにしても。これは、その辺を集中的に、社会教育の使命というのは人材育成、地域を興していく、杉並区なんていうのは地域があるようなないようなまちでございますから、町内会は町内会でやっているが、ボランティア、活動家たちはまたそっぽを向いて全然違う活動をしておるということで、その辺がもう少しお互いに近寄ってきて、そうするとだれかそこにコーディネーターみたいな人材が必要になってくるということで提言しました。
 どの答申も机の棚かどこかに置かれておしまいという形が多いんですが、1つ、杉並区は、我々がいろいろ議論しているときにも、社会教育センターが中心になっていろんな現代的課題にどうやって取り組んだらいいかということをやっておりましたんですけど、いよいよ杉並地域大学という形になって、ここで子育て支援、犯罪被害者支援、救急協力員指導者講座、消費生活サポーター講座、読書ボランティア講座、学校図書館スタッフ講座といったような講座を並べて、地域大学と称して今始まっております。成立した講座、なかなか人が集まらなくてどうもだめだったらしい講座とまちまちらしいんですけれども、こんな取り組みを進めながら、社会教育でもってまちづくりをする人材を育てる、それが社会教育の最大の使命であるというのが私の結論でございます。
 どうもありがとうございました。

【山本委員長】
 ありがとうございました。
 きょうは有識者の方々からご意見をいただきまして、議論も進んだと思います。本日の審議はこれまでとしたいと思いますが、今後の進め方についてお諮りしたいんでございますけれども、1回、2回というふうに総論的な議論をして、きょうもこういうご意見をいただき、意見交換をいたしました。そろそろ次回からは、生涯学習・社会教育関連法制のあり方について議論を進めていく必要があるかと思います。先のことを考えますと時間はそんなにないものですから。それぞれの法律ごとに論点を絞って具体的な議論を行っていってはどうかと思っておりますので、この次回以降でございますけれども、お手元資料、参考資料4をごらんいただきたいんですが、事務局とも相談をいたしまして、参考資料4にあるような進め方をしていってみてはどうかというようなお諮りをしたいんですけれども、3回から5回まで、いかがでしょうか。こういうところまでそろそろ進めていかないと、だらだらといってしまうといけませんので。よろしゅうございますか。
 それでは、それで進めさせていただきます。ありがとうございました。
 次回のこの小委員会は、生涯学習法制の論点について審議をお願いするということで進めたいと思いますが、事務局におきましても、きょうご意見もございましたし、これまでもございますので、論点整理をしておいていただいて、それをもとにして議論したいと思います。できれば委員の皆様のほうに事前にお届けしたいと思っております。昨年秋に分科会で議論しておりますことがございます。各種検定の登録制度とか、高等学校卒業程度認定試験等々ありますが、これも生涯学習関連でございますので、これも含めていただければと思います。事務局のほうでいろいろ検討も進んでいるように聞いております。ですから、それらも含めていただきたいと思っております。
 では、次回の日程等について事務局から説明をお願いいたします。

【高橋生涯学習推進課長】
 それでは、今お手元にあります参考資料4に書いてありますが、次回は来週の金曜日、時間が午後になります。14時から17時まで3時間いただきまして、霞が関の東京會舘、東京會舘は丸の内と霞が関と2カ所ありまして、これは今工事中の文科省ビルの隣の霞が関の東京會舘でございます。35階で、主として生涯学習法制に関する事項についてご議論いただきたいと思います。
 それから1点、おわび、ご訂正とともにですが、一番下に予備日というのをきょうは書かせていただきました。前回5回までの日程をお知らせしてありましたが、それぞれの回、論点の議論が終わらなかったり、さらにちょっと深める必要があるということになったときのために、できれば7月の最後の週、31日の火曜日に午前中、昼食を含めて1時まで予備日をおとりいただきたいと思います。予定どおり議論が進めば開催しなくてもよくなりますが、今後の議論の進め方によってはもう1回ぐらいと思っておりますので、よろしくお願いします。
 なお、きょうの会場になるんですが、KKRホテル東京の「白鳥」で10階になっていますが、11階の誤りでございまして、きょうもちょっとご案内が10階になっていて大変失礼いたしました。おわび方々ご訂正をお願いしたいと思います。
 以上でございます。

【山本委員長】
 ありがとうございました。そういうことで進めていきたいと思います。

【山本委員長】
 それでは、きょうは講師のお三人の方々にご出席いただきましてありがとうございました。これからの審議に反映させていきたいと思います。
 きょうの審議はこれで終わりとさせていただきます。どうもありがとうございました。

【高橋生涯学習推進課長】
 それでは、このあと昼食の準備をしておりますので、すぐ用意いたしますので、お時間の許す方は昼食をおとりいただければと思います。ありがとうございました。

─了─

お問合せ先

生涯学習政策局生涯学習推進課

(生涯学習政策局生涯学習推進課)