かつては、教養について、「知識人としての共有財産の脈絡あるリスト」とでもいうべきものがあった。それは、例えば、学問の体系の基礎をなす哲学についての知識であり、教養として必要な書物のリストであり、知識とともに教養人たる人格陶冶のための訓練であった。
しかしながら、哲学を諸学の基礎とするような学問の体系性が失われ、学問の専門化、細分化が進む中で、教養についての共通的理解というべきものが失われてきた。社会全体の価値観の多様化、体系的な知識よりも断片的な情報が重視される情報化社会の性格、何事にも効率を優先する考え方の広がりなどがこのような傾向に拍車をかけたと言われている。
中央教育審議会では、こうした教養の歴史も踏まえながら、今後の新しい時代に求められる教養とは何か、また、それをどのようにして培っていくのかという観点から審議を行った。
答申では、まず、第1章において、今なぜ教養について考える必要があるのか、その背景を述べ、第2章において、新しい時代に求められる教養の概念について整理を行った。その上で、第3章において、すべての人が生涯にわたって教養を広げ、高め、豊かな生き方を実現するために求められる方策について、個人の生涯の段階を1.幼・少年期、2.青年期、3.成人期に分け、それぞれの段階ごとに求められる教養の課題を提示しつつ具体的に提言した。
この答申が、今後の激しい変化の中で、一人一人が自らの生き方を主体的に打ち立てる力を培う支えとなり、また、新しい時代にふさわしい品格を備えた教養社会の実現に向けての取組を推し進める一助となることを切に願うものである。
我が国は、戦後の経済成長、科学技術の発展のもとに、便利さと物質的な豊かさを手に入れた。しかし、同時に多くの人は、この物質的な繁栄ほどには、一人一人の、あるいは社会全体としての豊かさは実現されていないと感じている。
社会が物質的に豊かになる過程で価値観の多様化、相対化が進み、一人一人の多様な生き方が可能になった一方で、社会的な一体感が弱まっている。経済的な停滞や、冷戦構造崩壊後のグローバル化の進展等による社会・経済環境の変化とあいまって、社会に共通の目的や目標が失われている。
また、少子・高齢化、都市化の進展や産業構造・就業構造の変化の中で、家族や地域社会、企業の在り方及びこれらと個人との関係が大きく変わりつつある。
急速な情報化の進展は、世界中の情報を瞬時に入手することを可能にする一方で、直接的な体験の機会を減少させ、人間関係の希薄化をも招いている。科学技術の著しい発展は、人類に計り知れない恩恵をもたらす一方で、地球規模での環境問題や生命倫理に関わる問題などの新たな課題を生み出している。
これらの大きな社会的変動の中で、既存の価値観が大きく揺らいでいる。一方で、新たなモラルや、これからの社会、その中で生きる個人の姿は明確になっておらず、個人も、社会も、自らへの自信や将来への展望といったものを持ちにくくなっている。
社会全体に漂う目的喪失感や閉塞感の中で、学ぶことの目的意識が見失われ、まじめに勉強したり、自ら進んで努力して何かを身に付けていくことの意義を軽んじる風潮が広がっている。特に子どもたちや若者に、自ら学ぼうとする意欲が薄れているとの指摘がなされている。こうした傾向の広がりは、我が国社会の活力を失わせ、その根幹をむしばむ危機につながるものと危惧せざるを得ない。
このような時代においてこそ、自らが今どのような地点に立っているのかを見極め、今後どのような目標に向かって進むべきかを考え、目標の実現のために主体的に行動していく力を持たなければならない。この力こそが、新しい時代に求められる教養であると考える。
このような前提を踏まえながら、歴史的な転換期・変革期にあって、一人一人が自らにふさわしい生き方を実現するために必要な教養を再構築していく必要がある。
また、教養が求められているのは個人に対してだけではない。教養は、個人の人格形成や幸福の実現にとって重要であるのみならず、目に見えない社会のインフラストラクチャーでもある。一人一人が教養の涵養を目指すことは、それぞれの多様な生き方を個人としても社会としても認め合いながら、生涯にわたって自らを高め、社会の一員としての責任と義務の自覚を持って生きることのできる魅力ある社会を築くことにつながる。このような社会の実現こそが、我が国を国際社会において尊重され、尊敬される「品格ある社会」として輝かせることになるものと考える。
教養とは、個人が社会と関わり、経験を積み、体系的な知識や知恵を獲得する過程で身に付ける、ものの見方、考え方、価値観の総体ということができる。教養は、人類の歴史の中で、それぞれの文化的な背景を色濃く反映させながら積み重ねられ、後世へと伝えられてきた。人には、その成長段階ごとに身に付けなければならない教養の課題がある。それらの課題を、社会での様々な経験や自己との対話も踏まえながら一つ一つ達成し、それぞれの内面に自分なりの生きる座標軸(行動の基準とそれを支える価値観)として構築していかなければならない。教養は、知的な側面のみならず、社会規範意識と倫理性、感性と美意識、主体的に行動する力、バランス感覚、体力や精神力などを含めた総体的な概念として捉える必要がある。
21世紀を迎え、変化の激しい流動的な社会に生きる我々にとって必要な資質や能力は何か、これを培うための教育はどうあるべきか、こうした観点から、本審議会は、新しい時代に求められる教養について検討を行い、その要素を次のように整理した。
これらのことを総合的に捉えれば、新しい時代に求められる教養の全体像は、変化の激しい社会にあって、地球規模の視野、歴史的な視点、多元的な視点で物事を考え、未知の事態や新しい状況に的確に対応していく力として総括することができる。こうした教養を獲得する結果として、品性や品格といった言葉で表現される徳性も身に付いていくものと考える。
このような資質や能力をだれがどこまでのレベルで身に付ける必要があるかは一律に決められるものではない。しかし、今後の激しい変化の中で、社会における自らの生き方を主体的に選び取り、異なる生き方や価値と調和して生きる力を身につけるために必要な教養を、一人一人が生涯にわたって自覚的に培っていく努力が必要であることは疑いない。
このために求められる教養教育の在り方について、以下に具体的に述べることとしたい。
教養教育については、これまで、主として高等教育における問題として議論されることが多かった。しかし、これまで述べてきたように、教養の涵養は個人にとって生涯の課題であり、教養を身に付ける努力は、年齢や職業を超えてすべての人に求められるものである。教養教育の在り方を検討するに当たっては、高等教育だけでなく、初等中等教育も含めた学校の教育活動全体、幼児期からの家庭教育、地域での様々な活動、社会生活における様々な体験や学習を通じて、いかに教養を身に付けていくかを考える必要がある。
その際、例えば、自然に接してその摂理を学ぶこと、人類の偉大な遺産である古典に学ぶこと、各地の歴史的遺跡や現場に接してその教訓を学ぶこと、勤労を通じて働くことの喜びを体得すること、芸術に親しむことによって美意識と感性を磨くこと、スポーツを通して心身を鍛え、フェアプレーの精神を養うこと、さらに、これらの諸活動を通じて調和の精神を磨くことなどは、生涯にわたって教養を培う上での重要な課題と考えられる。
教養教育を考えるに当たって、特に重視すべき観点として、次の3点が挙げられる。
まず、第1点は、教養教育を通じて、学ぶことやよりよく生きることへの主体的な態度や、何かに真摯に取り組む意欲を育てていくことである。教養とは、本来自発的に身に付けるべきものであり、学ぼうとする意欲が重要である。教養教育の在り方を考えるに当たっては、いかにして学ぶことへの意欲を高めていくか、また、努力して何かを身に付け、何かを成すことを尊重する社会的気運を高めていくかを考える必要がある。
第2点は、教養教育は、個人が生涯にわたって新しい知識を獲得し、それを統合していく力を育てることを目指すものでなければならないということである。21世紀は知識や情報が社会を動かす原動力となる「知識社会」といわれる。様々な形で提供される膨大な情報の中から自らに必要なものを見つけ、獲得し、それを統合していく知的な技能を一人一人に培うことを、教養教育の一貫した課題として位置付け取り組んでいく必要がある。
第3点は、教養の涵養にとって、異文化との接触が重要な意味を持つということである。ここでいう異文化とは、単に異なる国の文化という意味だけでなく、異なる性、世代、国籍、言語、宗教、異なる価値観、生き方、習慣などあらゆる「自分とは異なるもの」のことである。異文化との相互交流を通じて、自分とは何かを考え、自己を確立するとともに、自分と異なる人や社会や文化などを理解し、これらを尊重しながら共に生きていく姿勢を身に付けることは、教養の重要な柱である。
中央教育審議会では、上記のような観点に立ち、これまでの教育改革の成果を検証しつつ、新しい時代に求められる教養教育の実現のための方策を検討してきた。
ここでは、個人の生涯を、1.幼児期から概ね12,13歳頃までの「幼・少年期」、2.14,15歳頃から社会に出る頃までの「青年期」、3.社会人となって以降の「成人期」の3つの段階に分けて、それぞれの段階における教養教育の在り方について、主要な課題と今後求められる具体的な方策を提示することとしたい。
およそ生物は、生物学でいう「受容体」のないところに何を与えても受け取ることはできない。幼児期から概ね12,13歳頃までの時期においては、あらゆる教育活動を通じて、変化の激しい社会で生涯にわたって主体的かつ自律的に学び成長していくための「受容体」ともいうべき基盤を、子どもたち一人一人に培う必要がある。
核家族化、少子化、都市化などが進行し、家族の在り方が大きく変わり、また、地域における地縁的なつながりが希薄化する中で、家庭の教育力や地域社会が従来持っていた教育力が低下してきている。従来は家族や他人との日常のかかわりの中で自然に育まれてきた子どもたちの社会性や規範意識が不足がちになっており、このことが学級崩壊、いじめなどの問題の一因とも言われている。
これらの状況に対し、家庭教育の支援や地域における青少年教育の充実を図る観点から様々な施策が講じられてきたが、現時点では十分な成果が挙がっているとは言い難い。
今後とも、家庭や地域社会の教育力の向上に向けた取組の推進が必要である。とりわけ、家庭や地域の日常生活の中で、子どもたちに古くから伝わる遊びやことわざ、昔話などを教えたり、地域の伝統的な行事に親子で参加したり、家庭で年中行事を楽しんだりすることなどを通じて、我が国の伝統的な生活習慣などの「生活文化のかたち」を子どもたちにしっかりと伝え、あいさつやマナー、善悪の判断基準、基本的な社会道徳等を身に付けさせるとともに、美を感じる心や自然に対する畏敬の念、豊かな情緒、宗教に対する理解などを育んでいく必要がある。
また、我が国の学校教育は、戦後、民主化の理念の下に、教育の機会均等を実現し、国民の教育水準を高め、社会経済の発展の原動力となってきた。特に、小学校教育・中学校教育については、児童生徒の学習の状況やその時々の社会の要請等を踏まえて改訂された学習指導要領に基づき教育課程が実施され、児童生徒の学力は国際的にトップクラスを維持してきた。しかしながら、児童生徒の現状を見ると、数学や理科が好きであるとか、将来これらに関する職業に就きたいと思う者の割合が国際的に最低レベルであるなど、自ら進んで学ぶ意欲や、学ぶことと将来の生き方とを結びつけて考えようとする姿勢に欠ける面がある。
このことの背景には、これまで我が国の教育が過度に記憶力を重視した画一的なものに偏りがちで、自ら学び、自ら考える力や、豊かな人間性を育む教育がおろそかになってきたこと、また、教育における平等性を重視するあまり、一人一人の多様な個性や能力の伸長という点に必ずしも十分に意を用いてこなかったことなどがある。
このような反省に立ち、平成10年12月に学習指導要領が改訂され、現在、「生きる力」の育成に向けた取組が進められている。今後、このような視点に立ち、生涯にわたる教養の基盤の形成に向けて、基礎的・基本的な知識や技能を確実に習得させるとともに、自ら進んで学び考え、物事に挑戦していこうとする意欲や態度、科学的なものの見方や考え方、社会の一員としての規範意識や豊かな人間性などを培う教育をこれまで以上に充実する必要がある。
1.家庭や地域で子どもたちに豊かな知恵を育てる
教養教育の原点は家庭教育である。その重要性は、どんなに社会が変化しようと変わるところはない。
また、地域社会において、子どもが他者と触れ合う中で、人間関係や集団のルール、公共心や規範意識などを身に付けることができるよう、社会全体で子どもを育てる環境づくりを進める必要がある。
平成14年度からの完全学校週5日制を意義あるものにするためにも、家庭や地域の教育力の向上は緊急の課題であり、取組の一層の充実が必要である。
2.確かな基礎学力を育てる
多様な個性の基盤には、基礎的・基本的な知識・技能が不可欠である。子どもの個性や自主性の重要性を強調するあまり、基礎的・基本的な知識・技能を繰り返し教える指導をも「一方的に教え込む」ものとして、好ましくないとする見解も一部にある。しかし、基礎的・基本的な知識・技能を確実に習得させ、それを基盤として、更なる自主的学習につなげることによってはじめて、多様な個性も伸ばすことができるものである。各学校は、すべての児童生徒が、「読み、書き、計算」をはじめとする基本的な事項を確実に習得し、学習する習慣や物事に粘り強く取り組む態度、科学的にものを考える力や態度を身に付けることができるよう、全力を注いで指導する必要がある。
3.学ぶ意欲や態度を育てる
学ぶことの意義や目的を見出し、自ら進んで学び考え、物事に挑戦しようとする意欲や態度を育てることは、この時期の大きな教育課題の一つである。
子どもたちが、自然との触れ合いや体験の中で、物事に興味・関心を持ち、知的好奇心を伸ばすこと、尊敬できる大人と出会う機会を得て、学ぶことや大人になることの意味を実感したりすることができるよう、取組を推進する必要がある。
4.豊かな人間性の基盤を作る
豊かな人間性や、社会との関係で自己を位置付ける力などの基盤は、幼・少年期において培われる。特に、子どもの時期の体験は、その人の人格形成やその後の生き方に大きな影響を与える。学校、家庭、地域社会が一体となって、多様な体験活動の機会を提供するとともに、道徳教育の充実などを通じ、子どもたちに豊かな心を育んでいく必要がある。
5.教員の力量を高める
児童生徒の教育に当たり、教員の与える影響は計り知れない。子どもたちに教養の基礎を培っていくためには、教員一人一人が、生涯にわたって教育者として力量を高めるとともに、常に向上心を持って教養を磨くことが必要である。教員の養成・採用・研修を通じて、一貫してこの姿勢を重視する必要がある。
概ね14,15歳から社会に出るまでの「青年期」においては、アイデンティティを確立し、自らの在り方や生き方を見定めていくことのできる力を育てていくことが重要である。ここでは特に、高等学校と大学における教養教育の在り方について提言する。
概ね高等学校在学年齢に相当する時期は、自己を確立し、成人となる基礎を培う重要な時期と一致する。この時期に、生徒一人一人が自己の在り方や生き方を考え、将来の進路を主体的に選択する能力や態度を身に付けるとともに、社会についての認識を深めること、学習を通じて能力や個性の一層の伸長と自立を図ること、様々な体験活動や課外活動等の中で学校内外の多くの人と出会いながら自らを高めていくことは、生涯にわたる教養の形成にとって不可欠の課題である。
(1)高等学校段階における教養教育の課題
現在の高等学校は、戦後の教育改革により新たにスタートした後、飛躍的な量的拡大を遂げ、今や国民の97%が進学する教育機関として、多様な能力・適性,興味・関心を有する生徒を受け入れるようになっている。
しかしながら、この過程で、高等学校の教育課程や入学者選抜の在り方が画一的になりがちで多様な生徒の実態に適合しておらず、不本意な入学による学習意欲の喪失や中途退学の原因となっていること、また、一方には、高等学校教育を大学進学準備のためのものとみなすような風潮も存在することなどの問題が指摘されるようになった。
このような状況に対し、特に臨時教育審議会の答申が提出されて以降、高等学校教育の多様化を中心とした改革が進められてきた。入学者選抜の多様化が進むとともに、単位制高校や総合学科の創設など新しいタイプの高等学校づくりの推進、教育課程における選択幅の拡大等の大幅な弾力化等が進められた。
現在、各高等学校において、生徒の多様な進路を前提とした多様な教育が行われるようになっており、今後とも特色ある教育を推進することが求められる。同時に、高校生程度の年齢になれば、誰にも年齢にふさわしい自覚や責任感を持った行動が求められる。卒業後にどのような進路を選ぶにせよ、将来の職業や学問の基礎となる知識・技能や、自分の人生に向き合う態度や能力を、すべての高校生が身に付ける必要がある。高等学校教育を通じて、一人一人が、自らの将来を展望しつつ、青年期にふさわしい教養を主体的に身に付ける力を養わなければならない。このために、各高等学校では、新学習指導要領に基づき開設される「総合的な学習の時間」や学校が独自に開設できる「学校設定科目」等も活用しながら、教養教育の一層の推進に創意工夫をこらす必要がある。
また、このような取組を推進する上で、教員の資質の向上と、教育活動の点検・評価は不可欠の課題であり、各学校による積極的な情報発信や、学校の教育活動に関する評価の実施、全国的な学力調査の実施等を通じて、絶えずその成果を検証していく必要がある。
(2)具体的な方策
1.論理的に粘り強く考える訓練を行う
高等学校の段階で、物事を、自分の頭で納得がいくまで論理的に粘り強く考える訓練をし、それを習慣づけていく必要がある。また、物事を科学的に調べる能力、科学的なものの見方や考え方を体得することも求められる。そのためには、各学校において、学習内容の確実な定着や、生徒の興味・関心を伸ばすための指導方法・指導体制の工夫を行うとともに、一人一人が、様々な体験を糧としながら深く考えることを促すような様々な学習の機会を意図的に与えていく必要がある。
2.「将来」との結びつきから学ぶ意欲を引き出す
高校生の時期に、自分は何が好きなのか、将来をどのように生きたいのかを考えることは、学ぶことへの目的意識を明確なものとし、真摯に取り組む態度を育てる上で決定的に重要な意味を持つ。たとえ結果的に、それが高校生の時期に見つからなかったとしても、自分の内面を見つめ、生き方を真剣に考える姿勢は、将来にわたってその人のかけがえのない財産となり、豊かな生涯を送るための土壌となる。
3.「体験」で大人となる基礎を培う
高校生の時期に多くの社会体験をすることが、人間としての幅を広げる。様々な分野の人と交わり、社会とつながることに喜びや達成感を味わったり、失敗したりすることを通じ、社会の中での自分の位置や負うべき責任を自覚する経験は、大人になるための大切な基礎を作る。
高校生が将来を展望しつつ青年期にふさわしい教養を主体的に身につけていく力を育む上で、大学入試の在り方はきわめて重要である。近年、大学側から、学生の学ぶ意欲や判断力、論理的思考能力等が不十分であるとの批判がなされることも多いが、この問題については、初等中等教育段階までの教育だけでなく、大学入試の在り方が与える影響も大きい。大学入試の在り方を見直し、高等学校までの段階における生徒一人一人の教養の涵養を促進し、大学入学後の学生の学ぶ姿勢や意欲を引き出すものへと改善することが求められる。
このためには、それぞれの大学が、明確な教育理念に基づく入学者の受入方針を確立し、自ら必要と考える資質に照らして生徒の能力や適性等を適切に評価することが必要である。
18歳人口の減少の中で入学者の確保を主眼として安易な入学者選抜を行う大学や、受験者を効率的にふるい落とすことを目的にいたずらに断片的な知識の多寡を問うような入学者選抜を行う大学も依然として存在している。各大学においては、個々の生徒が初等中等教育の段階までに様々な経験・体験を通して培ってきた資質や能力、将来についての考え方や大学で学ぶ目的意識などを適切に評価する選抜方法を真剣に検討する必要がある。高等学校での教養教育の取組と関連付けた選抜方法の工夫として、例えば、論文試験においてあらかじめ課題となる書物を指定し、それらの読書を前提に出題することや、面接試験において高等学校時代の生徒の課題研究や地域活動等を発表させ、これに基づいて討論させるなど多様な取組が考えられてよいのではないか。
また、ともすれば同世代のみで構成されがちな我が国の大学に、社会人を積極的に受け入れることは、大学の多様化の面からも有意義である。各大学には、社会人特別選抜の積極的導入等、入学者選抜において社会人の能力や意欲を適切に評価する工夫が求められる。
さらに、各大学における自己点検・評価や様々な評価機関による評価等を通じて、こうした入試改善の取組を促していくことが重要である。
生涯にわたる人格の陶冶を考えた場合、10代後半から20代前半にかけての時期においては、社会の中での自己の役割や在り方を認識し、より高いものを目指していくことを意識した知的訓練を行うことが重要である。大学の教養教育はこうした知的訓練の中核を占めるものであり、学生には、学ぶ意識を高く持ち、主体的にこの訓練に取り組む姿勢が求められる。
(1)大学における教養教育の課題
社会が複雑かつ急激な変化を遂げる中で、各大学には、幅広い視野から物事を捉え、高い倫理性に裏打ちされた的確な判断を下すことができる人材の育成が一層強く期待されている。
法科大学院等の高度専門職業人養成型大学院(プロフェッショナル・スクール)の整備等、専門性の向上は大学院を主体にして行うという今後の高等教育の方向性を踏まえれば、学部では、教養教育と専門基礎教育とを中心に行うことが基本となる。そのために、今こそ、大学における教養教育の在り方を総合的に見直し、再構築することが必要である。
新たに構築される教養教育は、学生に、グローバル化や科学技術の進展など社会の激しい変化に対応し得る統合された知の基盤を与えるものでなければならない。各大学は、理系・文系、人文科学、社会科学、自然科学といった従来の縦割りの学問分野による知識伝達型の教育や、専門教育への単なる入門教育ではなく、専門分野の枠を超えて共通に求められる知識や思考法などの知的な技法の獲得や、人間としての在り方や生き方に関する深い洞察の涵養など、新しい時代に求められる教養教育の制度設計に全力で取り組む必要がある。
また、このことは、教養教育を担当する教員の意識改革なしには実現できない。教養教育を担当する教員には、高い力量が求められる。加えて、教員は、教育のプロとしての自覚を持ち、絶えず授業内容や教育方法の改善に努める必要がある。同時に、専門外の学生にも専門知識をわかりやすく興味深い形で提供したり、自らの学問を追究する姿勢や生き方を語るなど、学生の学ぶ意欲や目的意識を刺激していくことが求められる。
各大学においては、「大学教育には教養教育の抜本的充実が不可避であり、質の高い教育を提供できない大学は将来的に淘汰されざるを得ない」という覚悟で、教養教育の再構築に取り組む必要がある。
さらに、教養教育は、大学のカリキュラムの中だけで完結するものではない。この世代の青年が、部活動やサークル活動などを通じて協調性や指導力などの資質を磨くこと、国内外でのボランティア活動、インターンシップなどの職業体験、更には、留学や長期旅行などを通じて、自己と社会との関わりについて考えを深めることも教養を培う上で 重要である。ヨーロッパの多くの国では、大学に入学する前に、社会での活動を行うことが積極的に受け止められており、大学入学者の平均年齢は我が国よりも2,3歳高い。我が国においても、大学を休学して長期間のボランティア活動に取り組んだり、職業経験を積んだ後に再度大学に入り直したりといった「寄り道」をすることの意義を社会全体で認識し、評価する必要がある。
(2)具体的な方策
1.カリキュラム改革や指導方法の改善を通じて「感動を与える授業」を生み出す
大学の授業は、本来、教員と学生との人間的な触れあいを通して、学生が知的・人間的に成長する場でなければならない。各大学は、魅力あるカリキュラムづくりを進めるとともに、授業方法の改善等を図り、学ぶことの愉しさや意義を味わわせ、感動を与えるような授業の実現を目指す必要がある。
2.大学や教員の積極的な取組を促す仕組みを整備する
各大学において教養教育の再構築を図り、その抜本的な充実を進めていくためには、この課題に先導的に取り組む大学や教員を支援する仕組みを整備することが必要である。また、大学内においても、積極的に取り組む教員や優れた教授能力を有する教員を適切に評価し処遇する仕組みを整える必要がある。大学教員には、研究能力だけでなく教育能力も必要条件として求められる。
3.各大学において教養教育の責任ある実施体制を確立する
こうした教養教育の改善のための取組を効果的かつ持続的に進めていくため、各大学において教養教育の責任ある実施体制を確立する必要がある。また、より充実した教養教育の実施のため、大学間の連携・協力を促す仕組みを検討する必要がある。
4.学生の社会や異文化との交流を促進する
学生の時期に、社会や異文化の中で進んで様々な体験をし、自己や人生について考え、自分の生き方を切り開く力を身に付けることが重要であり、そのための機会を充実する必要がある。あわせて、こうした幅広い経験をすることの意義を社会でも積極的に評価すべきである。
大人一人一人が常に自らの教養を高め、主体性ある社会の一員であろうと努力する社会を築くことは、品格ある社会を築くことでもある。今の大人社会は、子どもたちに夢や希望を与えているだろうか。子どもたちの学ぶことや将来への意欲の低さは、大人社会の現状への視線の反映と言えないだろうか。こうした社会を作ってしまった大人の責任は大きい。大人が真摯に努力し、苦労し、そして充実感を味わっている姿を子どもたちに見せ、話し、伝えていく努力をしなければならない。また、我が国には、広く一般に様々な学問や技芸を学び、それを楽しみながら自分を高め、人生に喜びを見出していくという長い伝統がある。そうした伝統の良さは今後とも受け継いでいかなければならない。
今後の高齢化社会においては、誰もが一生の間「完成」を目指して研鑽を積むという生涯学習の考え方が一層重要になる。その際、社会との関係の中で、知識を獲得するための技術や、様々な思考の方法論を学びながら、自分なりのものの見方や考え方を確立し、深めていく必要がある。何かを学び、考え、社会に参加することを通じて、例えば高齢期にあって社会とのつながりが弱くなりがちな人々も、社会に対する興味を失うことなく、しなやかな感性や柔軟性を保ち続けることができる。大人自身が生涯にわたって学び、いきいきと自己実現に努めることができるような社会であってはじめて、子どもたちは目指すべき目標を得ることができ、社会としての品格も生まれる。
1.教養を尊重する社会の実現に向けた気運を醸成する
学ぶことを通じてより良く生き、より良い社会を作るという意識を、社会を構成するすべての主体が共有することが必要である。このために、まず一人一人が自らの在り方を考えるとともに、産業界やマスコミも含め、社会全体で取り組む気運を醸成する必要がある。
2.大人が教養を高めるために学ぶ機会を充実する
大人が生涯を通じて学び、考え、教養を高めていく機会を充実する必要がある。あわせて、民間の教育事業として行われるもの、公的な機関で提供されるものなど、様々な形で提供される学習機会に関する情報提供の仕組みを充実するとともに、学んだ成果を社会の中で生かす仕組みの充実を進める必要がある。
我が国の大学における教養教育は、戦後、米国の大学のリベラルアーツ教育をモデルに一般教育として始まった。新制大学は、一般的、人間的教養の基盤の上に、学問研究と職業人養成を一体化しようとする理念を掲げており、このため、一般教育を重視して、人文・社会・自然の諸科学にわたり豊かな教養と広い識見を備えた人材を育成することが目指されたものである。
こうして出発した一般教育であったが、その実施の過程で、
などの問題を抱え、必ずしも本来の狙いどおりに機能することができなかった。
こうした問題点を踏まえ、平成3年に大学設置基準が大綱化され、授業科目の区分やこれに応じた卒業要件単位数の定めなどの取り扱いを弾力化し、これらを各大学の自主的な取組に委ねることとなった。これは、「学問のすそ野を広げ、様々な角度から物事を見ることができる能力や、自主的・総合的に考え、的確に判断する能力、豊かな人間性を養い、自分の知識や人生を社会との関係で位置づけることのできる人材を育てる」という教養教育の理念・目的を、一般教育科目だけでなく、広く大学教育全体を通じて実現することを目指すものであった。
また、大学の多様化が進み、大学により教育理念や教育研究環境が大きく異なる中で、教養教育の在り方を一律に縛るのには限界があり、大学設置基準の大綱化により各大学における自主的な改革の取組を促すことを通じて、教養教育の改善を図ろうとするものであった。
大学設置基準の大綱化は、各大学における教養教育の改革の取組を促し、多くの大学において、「くさび型」のカリキュラム編成等教養教育と専門教育の一貫教育の実施、特色ある授業科目の導入、選択幅の拡大などのカリキュラム改革が進むとともに、セメスター制の導入や学生による授業評価等を通じた指導方法の改善等に取り組む大学が増加した。さらに、平成11年の大学設置基準の改正において、各大学の自己点検・評価が義務づけられるとともに、履修科目登録単位数の上限の設定、教育内容等の改善のための教員の組織的研修等(ファカルティ・ディベロップメント)の努力義務化等が行われた。
また、教養教育の実施体制については、大学設置基準の大綱化に伴い国立大学を中心に教養部が改組され、多くの場合、全学共通の実施組織が設けられ、全学部の代表からなる委員会の下で学部に所属する教員が授業を担当するようになった。
このように、大学設置基準の大綱化及びその後の改正を踏まえて、多くの大学で教養教育の改革が行われたが、一方で、
生涯学習政策局政策課