教育制度分科会(第15回) 議事録

1.日時

平成17年1月13日(木曜日) 14時~16時

2.場所

グランドアーク半蔵門 「光」(3F)

3.議題

  1. 「地方分権時代における教育委員会の在り方について」(部会まとめ)について
  2. その他

4.出席者

委員

 鳥居分科会長、木村副分科会長、茂木副会長、浅見委員、梶田委員、國分委員、田村委員、渡久山委員、丹羽委員、山本委員、横山委員

文部科学省

 銭谷初等中等教育局長、板東大臣官房審議官、藤田生涯学習政策局審議官、月岡生涯学習総括官、樋口初等中等教育局審議官、前川初等中等教育企画課長

5.議事録

○ 鳥居分科会長
 それでは、定刻でございますので、ただいまから中央教育審議会教育制度分科会、第15回になりますが、開催いたします。
 お忙しいところを御出席賜りましてありがとうございます。
 審議に先立ちまして、少し御説明をするべきことがございますので、お聞き取りをいただきたいと思います。
 11月26日に出されました三位一体改革についての政府・与党合意というのがあります。この11月26日の政府と与党の間の合意は、今日、配付資料の参考1に改めてお配りしてありますが、その中に、次のようなことが書かれているわけです。「義務教育制度については、その根幹を維持し」、まず根幹を維持する。それから、「国の責任を引き続き堅持する。その方針の下、費用負担についての地方案を活かす方策を検討し、また教育水準の維持向上を含む義務教育の在り方について幅広く検討する。こうした問題については、平成17年秋までに中央教育審議会において結論を得る。」、この最後のところが重要ですが、今年の秋までに中央教育審議会において結論を得るということが明記されたわけでございます。
 このことを受けまして、中教審として義務教育の扱い方について、新しい仕組み、そして方向を打ち出していく必要が生じたわけでございます。そこで、12月17日、ちょうど三位一体改革の政府・与党合意から1ヵ月後でございますが、中教審の総会が開催されまして、そこで中山文部科学大臣から、義務教育の在り方全体について、中教審として本年秋までに結論を出すよう改めて要請が行われました。
 この状況を踏まえまして、総会で私から中教審会長として、「義務教育の在り方に関する検討の論点」という試案をお出しいたしました。これは参考資料2として、今日、つけてございます。この論点をたたき台として、今後、中教審において論点の整理をし、そして答申に向けて方向を打ち出していきたいと考えているわけでございます。
 ところで、中教審は、義務教育をどんなふうに扱ってきたかなのですが、非常にたくさんの分科会や部会がそれぞれいろいろな義務教育の問題を扱ってまいりました。お手元に参考資料4という一枚物の資料がございますので、ちょっと御覧いただきたいのですが、真ん中から左側が、平成17年1月、今月末までの現状でございます。上から順に見てまいりますと、教育制度分科会、今日お集まりのこの分科会の下に地方教育行政部会を設けまして、教育委員会制度の在り方について審議をしてまいりました。
 それから、中教審の五つの分科会の2番目の分科会であります初等中等教育分科会におきましては、義務教育制度の在り方についてという審議を続けてきております。また、この初中分科会の下に設けられております教育行財政部会のまた下に設けられております教育条件整備に関する作業部会におきまして、義務教育の経費負担の在り方につきまして審議が行われ、昨年5月に中間報告が出たわけでございます。それから、学校の組織運営に関する作業部会では、学校の組織運営の在り方について審議を続けているわけでございます。
 それから、教育課程部会では、学習指導要領の見直しが行われつつあります。また、教員養成部会におきましては、教員養成における専門職大学院の在り方、それから教員免許制度の改革という二つの新しい諮問事項について、審議が行われつつあります。それから、幼児教育部会では幼児教育の在り方について中間答申が取りまとめられ、最終答申に向けて、最後の調整が行われているわけでございます。
 それから、特別支援教育特別委員会という特別委員会が設けられましたが、ここでは義務教育段階の特別支援教育の在り方について検討が行われ、中間報告が出されたわけでございます。

〔梶田委員出席〕

 以上、本当にたくさんの事柄について、義務教育について検討あるいは審議が行われ、項目によっては中間報告が既に出され、中間答申が出されているという状況でございます。
 ところで、これらのうち、水色で囲んである部分を一まとめにして、義務教育特別委員会というものに引き継いでいこうということが、先月12月17日に開催されました中教審総会で定められて、義務教育特別委員会 ―参考資料4の右側に書いてあります四角く抜いてあります義務教育特別委員会を設置することが決定されまして、そのメンバーにつきましては、会長である私に一任をされていることになっております。現在、人選を進めておるわけでございます。
 こういった事情から、この分科会で行ってまいりました地方分権時代における教育委員会制度の在り方についての審議についても、これまでの審議の取りまとめを行った上で、新たに設けられる義務教育特別委員会に引き継いでいくこととしたいと考えておるわけでございます。
 また、これに伴いまして、本分科会の下に置かれております地方教育行政部会の審議は終了することとしたいと思っております。実際に最後の会合を既に先月開きまして、地方教育行政部会の審議は終了しております。地方教育行政部会ではこれまで16回にわたる審議を行いまして、その審議の成果は、今日お配りしてあります部会のまとめとして取りまとめてあるわけてあるわけでございます。後ほどこの部会まとめに関して、今日、この教育制度分科会としての御審議をいただいて、御意見を出していただきたいと思っております。その御意見も含めて、新たにつくられます義務教育特別委員会に引き継いでまいりたいと考えております。
 以上のような事情で、今日は教育委員会制度についての部会のまとめが既に出ておりますので、これについて御意見をいただき、御審議をいただきたいという趣旨でございますので、よろしくお願いいたしたいと思います。
 それでは、事務局から部会まとめについて説明をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

○ 前川初等中等教育企画課長
 初等中等教育企画課長の前川でございます。
 お手元の資料1を御参照いただきながら、その内容につきまして御説明申し上げたいと思います。
 教育委員会の在り方につきましては、昨年3月の諮問以来、地方教育行政部会におきまして御審議をいただいてまいりました。資料1の冊子の後ろのほうに添付してございます参考資料の8ページを御覧いただきますと、審議経過がございます。ここにございますように、委員の意見表明、関係者や関係団体からの意見聴取を含めして、16回、この部会を開催いたしますとともに、米国調査や地方視察を行っていただきまして、このたび部会として意見を取りまとめていただいたところでございます。
 本文の2ページ、3ページをお開きいただきたいと思います。
 大きな「1」といたしまして、「地方教育行政の在り方」という部分でございますが、これはいわば部会まとめの総論的な部分であります。この中で、3ページでございますが、新しい地方教育行政の在り方といたしまして、大きく三つの考え方を示していただいております。地方における教育行政につきまして、「1」といたしまして「全国的な教育水準の確保と市町村や学校の自由度の拡大」、国の責務、役割といたしまして全国的な教育水準の確保をしていくことが大事だ。その一方で、市町村や学校の自由度をできる限り拡大していくことが大事だということでございます。
 また、「2」といたしまして「説明責任の徹底」という考え方を示していただいています。
 また、「3」といたしまして「保護者や地域住民の参画の拡大」という考え方を示していただいておりまして、この三つの考え方のもとに、地方教育行政につきまして改革を行っていくことが必要だという考え方が打ち出されているわけでございます。
 5ページから後は、いわば各論の部分でございますが、教育委員会の在り方といたしまして、大きく六つの点について、改革の方策についてまとめていただいております。
 まず、「1」のところで、「教育委員会制度の現状と課題」について記載されているところでございます。教育委員会制度の沿革といたしまして、戦前の制度、戦後の制度、特には昭和31年の制度改革、さらに地方分権一括法による制度改革、また、教育委員会の活性化に向けた制度改革、このような一連の制度改革が行われてきたことをレビューいたしました上で、「(2)」といたしまして教育委員会制度の今日における意義・役割といたしまして、三つの点が示されております。教育に求められる要件といたしまして、三つでございますが、「ア」といたしまして政治的中立性の確保、「イ」といたしまして継続性、安定性の確保、「ウ」といたしまして地域住民の意向の反映、こういったものが求められる要件であるという考え方が示されているところでございます。
 教育についてはこのような要件が必要だということから、教育行政について、7ページから8ページにかけてでございますけれども、三つの点が求められるという考え方が示されているわけでございます。その三つと申しますのは、「ア」といたしまして首長からの独立性、「イ」といたしまして合議制、8ページにまいりまして、「ウ」といたしまして住民による意思決定、いわゆるレイマンコントロールという考え方でございます。
 教育委員会制度につきましては、首長からの独立性、合議制、レイマンコントロールの実現の要請にこたえる制度として、今日においてもなお必要であるという考え方が、8ページのところに示されております。
 なお、8ページの「3」のところの2段目のところ、なお書きでございますが、教育委員会を置かないことを認めるかどうか、いわゆる任意設置化につきましては、慎重な意見が多数である一方、認めてよいのではないかという御意見もございました。引き続き検討していくこととされております。
 少し飛ばしまして、10ページにまいりまして、「教育委員会の組織及び運営の改善」という点でございます。
 ここでは大きな論点といたしましては、教育委員会の組織等の弾力化についてまとめていただいております。自治体というのは人口規模や行政資源が多様であるということから、教育委員会制度につきまして、基本的な事項以外はできる限り弾力化し、自治体がそれぞれの実情に応じて、教育委員会の組織や運営について決定できるようにすることを検討してはどうかという考え方が示されております。
 そのほか、教育委員の選任の改善、教育委員会の会議の運営の改善あるいは公開、地域住民の意向や所管機関の状況等の積極的な把握など、運用上の問題についても御提言をいただいたところでございます。
 12ページにまいりまして、大きな「3」でございますが、「教育長、教育委員会事務局の在り方の見直し」についてのまとめでございます。
 「(1) 教育委員会の使命の明確化」ということで、教育委員会の使命といたしまして、地域の教育課題に応じた基本的な教育の方針や計画を策定するということ。また、それとともに教育長及び事務局の事務執行状況を監視、評価することを、教育委員会の使命として明確化すべきであるという考え方が示されております。
 その上で、教育委員会と教育長との関係の明確化についてもまとめていただいたところでございまして、教育長が教育委員の中から教育委員会によって選ばれ、一般職と特別職の身分をあわせ有することになっております現行の教育長の位置づけや選任方法 ―これは平成11年の法律改正で行われたわけでございますが、改めて平成10年の中教審答申の趣旨を振り返った上で、教育委員会と教育長との関係を明確化する観点も含め、改めて検討していくことが必要であるという点が指摘されております。
 このほか、教育委員会の自己評価、教育委員会事務局の体制強化、市町村教育委員会の事務処理の広域化につきまして、御提言をいただいているところでございます。
 15ページにまいりまして、「首長、議会と教育委員会との関係の改善」という点についてのまとめがございます。
 具体的な論点といたしまして、「(2)」、15ページの下のところからでございますが、首長と教育委員会の権限分担の弾力化について御提言をいただいております。15ページの下から16ページ、17ページにかけてでございますが、学校教育及び社会教育に関する事務につきましては、教育の政治的中立性の確保及び教育の自主性の尊重といった観点から、引き続き教育委員会が担当すべきであるという考え方が示されております。
 一方、文化・スポーツ等に関する事務につきましては、基本的には教育委員会の担当とする利点が大きいという考え方がございますが、自治体の実情や行政分野の性格に応じまして、自治体の判断により、首長が担当することを選択できるようにすることを検討すべきではないかという考え方が示されております。
 また、文化財保護につきましては、開発行為との調整の仕組みを整えることが必要だという考え方が示されております。
 このほか、17ページの終わりから、首長と教育委員会との連携、あるいは教育財政における首長と教育委員会との関係、議会と教育委員会との関係につきましても、御提言をいただいたところでございます。
 19ページにまいりまして、「都道府県と市町村との関係の改善」についてまとめていただいております。
 具体論といたしましては、19ページの下でございますが、「(2)」といたしまして、市町村への教職員人事権の移譲について御提言をいただいてございます。教職員の人事権につきましては、できるだけ市町村に移譲する方向で見直すことを検討すべきであるという考え方が示されております。一方、市町村の事務体制や県内全域での人材確保にも留意すべきであって、そのようなことから、当面、中核市や一定規模以上の市町村に教職員人事権を移譲する方向で検討することが必要である、こういう考え方が示されているところでございます。
 また、「(3)」というところでございますが、都道府県教育委員会の在り方といたしまして、都道府県につきましては、圏域全体における教育水準の維持・向上を図るため、市町村の自主性を尊重しつつ、規模等の差によって市町村間の格差が生じないよう支援を行うことが必要であるという考え方が示されております。
 その一方、市町村がより主体性を持って学校の運営の責任を負う体制が整うに従って、都道府県の行う指導・助言・援助の役割を限定する方向で見直すことが必要であるという考え方が示されております。
 このほか、教育事務所の在り方についても御提言をいたいております。
 22ページにまいりまして、「6」番目、「学校と教育委員会との関係の改善」というところでございます。
 具体的には、「(2)」のところにございますが、学校の裁量権限の拡大ということで、教職員の配置に対する校長の権限の拡大、あるいは教育内容や予算面における学校裁量の拡大が必要であるという方向性が示されております。
 また、「(3)」におきましては、学校評価の改善といたしまして、学校評価の質的な向上のための支援を充実していくとともに、自己評価の実施と公表の義務化を検討することが必要であるという考え方が示されております。
 また、外部評価は、教育活動の改善に有効であるということで、それをより充実する観点から、その在り方について検討することが必要であるとされているところでございます。
 このほか、学校に対する教育委員会の支援についても御提言いただいております。
 24ページにまいりまして、「保護者・地域住民と教育委員会・学校との関係の改善」についての御提言がございます。
 「(1)」のところでございますが、保護者・地域住民の参画といたしまして、保護者・地域住民に対し学校の管理運営や教育行政への参画を積極的に求めていくことが必要であるということから、学校評議員の全国的な設置や学校運営協議会制度の積極的な活用が必要であるという考え方が示されております。また、保護者・地域住民等の学校への協力やPTA活動の充実も重要であると指摘されております。
 このほか、保護者・地域住民への情報発信と要望への対応についても御提言いただいております。
 27ページにまいりまして、「教育委員会の在り方に関する継続的な検討」でございます。
 この時点での取りまとめの内容は以上のところでございますけれども、今後、市町村合併の進展など、教育委員会を取り巻く状況の変化、あるいは学校運営協議会制度の運用状況、さらには教育委員会改革の進捗状況を見ながら、教育委員会の在り方については引き続き検討を進めていくことが必要であるという考え方が示されているところでございます。
 今後、教育委員会の在り方につきましては、義務教育制度の在り方や学校の組織運営の在り方、義務教育の経費負担の在り方とともに、先ほど分科会長のお話にもございましたように、義務教育特別委員会において御審議賜ってまいりたいと考えておるところでございます。
 以上で、説明を終わらせていただきます。

○ 鳥居分科会長
 ありがとうございました。
 それでは、以上の説明を受けまして、これは部会のまとめでございますので、これを教育制度分科会としてまとめとして扱っていくためには、ぜひ今日、いろいろと御意見をいただいて、それを義務教育特別委員会に引き継いでいくという形をとりたいと思いますので、どの角度からでも結構でございますが、御意見をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
 どうぞ。

○ 横山委員
 私自身、部会のメンバーなので、全体的に異論はございませんけれども、20ページの一番上の段落の「また、同一市町村内における人事異動」云々で、「現在特例措置として市町村が独自に常勤の教職員を任用できる制度を全国化することも検討する必要がある。」とございますが、私が新聞等で読んでいる限り、構造改革特区でこの措置がされているものについて、全国化というのは、一般化するという方針が文部科学省の方針として出されたという新聞記事を読んだ覚えがあるのです。
 実はこの問題は、今後、例えば少人数学級の問題も含めて、市町村の単独経費での教員採用の問題ですから、かなり関心のある事項なのです、ここは。「検討する必要がある」という中教審の答申だとして、実際には先行的に昨年の段階でそういう新聞記事を読んだ覚えがあるのですが、この辺は実際にはどういうことになっているのか、お聞かせ願いたい思います。

○ 鳥居分科会長
 前川さん、いいですか。お願いします。

○ 前川初等中等教育企画課長
 横山先生、御指摘のとおり、この仕組みは現在、構造改革特別区域法に基づきまして、いわゆる特区の中で認められるという仕組みになっております。現在、特区での実施状況を踏まえて、特区としてつくった仕組みを全国的な仕組みとして全国化していくかどうかということが検討課題になっておりまして、内閣の特区室と文部科学省との間で、全国制度化に向けての考え方のすり合わせといいますか、協議が行われているところでございます。まだ全国制度化するというはっきりとした結論が出ておるわけではございません。ただ、そちらの方向に向けての検討ないしは協議が行われているということは事実でございます。

○ 鳥居分科会長
 横山さん、よろしいでしょうか。

○ 横山委員
 はい、結構です。

○ 鳥居分科会長
 ありがとうございました。
 梶田委員、どうぞ。

○ 梶田委員
 このレポートそのものについては非常によくまとめていただいていて、もう一度、教育委員会制度の大事なポイントがきれいにまとめられていると思って、これでいいと思うのです。
 ただ、これを引き継ぐときに、一つお願いしたいのは、地方教育行政というのは、実は国という、中央との、いわばその関係であるわけですよね。つまり、中身を見ていただきますと、首長さんと教育委員会との関係もあるし、あるいは地域住民とのあれもあるわけですが、全国的な水準維持の問題とか、今、これは非常に大事だと思うのです。これを本当に国がやらなければいけない。そういうこととの絡みでの地方の問題をどうするかとか。
 もっと言いますと、中立性の確保も地方だけではなくて、国のレベルでも非常に必要なことであると思っているわけです。話が脱線するようですが、私は昔から中央教育委員会をつくるべきだという発言を幾つかのところでしてきたことがあるのです。つまり、文部科学省をほかの省庁と少し違う性格のものにすべきではないかということを言ってきたわけです。一部の政党の人にそういうことを吹き込んでと言うとおかしいですけれども、いろいろなところで発言していただいたりもしてきたんですけれども。
 ここでまとめられている水準維持の問題とか、例えば首長からの独立性だって、合議制だって、本当は国のレベルでも必要なことだと思っております、私の個人の意見としては。ということで、もろもろの問題、つまり、一番大きいのは、地方ということは論理的にもう一つの対極として、中央というのがなければ地方ではないです。中央ということと地方ということとのかかわりが、もう少し本当は検討されていかなければいけないのではないかということが一つ。地方の教育行政に求められる要件は、中央にもまた同じ形で求められる要件であるという確認が ―仕組みはどういうふうにするか、それは制度設計の問題はいろいろとあるだろうし、難しい問題はありますが、少なくとも議論としてはその辺もあるのではないか。
 ということで、これを引き継いでいただくときに、地方分権、地方教育委員会制度の問題としては非常によくまとまって、ポイントを押さえてあるけれども、これを踏まえた上で、国の責任とか、国の教育行政の今後の望ましい在り方みたいなことも含めて、それと地方との関係もぜひ次の委員会の席で御検討いただきたいと私は思います。よろしくお願いしたいと思います。

○ 鳥居分科会長
 ありがとうございました。
 はい、どうぞ。

○ 茂木副会長
 今の梶田委員のお話にも関連しますが、私も、バランスよく教育委員会制度についてまとまっていると思うのですが、今後の検討課題というのは、かなりありますよね、ここにも出ているのが。それは参考資料4によりますと、義務教育特別委員会で教育委員会の在り方を検討すると、こう書いてありますけれども、これからまた次年度も、継続的に教育委員会の問題を検討していく予定でございますか、それとも一応これはこれで一つの提案として置いておいて、将来、適当な時期にまた検討するというお考えなのか、どちらかちょっとお聞かせいただきたいと思います。

○ 鳥居分科会長
 私の個人的に今思っている感じをお話しして、もしまた事務局がつけ加えるべきことがあったらつけ加えていただきたいと思いますが、この部会まとめには、幾つかペンディングとして残された問題がまずあります。必ずしも両論併記とは言い切れませんが、それに近い書き方になっているところが二、三ヵ所残っています。かなり重要なところで残っています。これらについては、いずれ結論を出していかなければならないと思っているのです。
 もう一つは、地方教育委員会の在り方自体が、教育の地方分権の最も典型的な姿だと考えますと、それは教育の地方分権であって、教育予算の地方分権とは別の問題だ。それを一緒にして考えるような危険性が、去年の11月の段階ではあったように思われるのですけれども、その辺の仕分けをしていく作業というのは、結局、この部会まとめを少し手を加えていく作業になるのではないかと想像しておりますので、これはこれでもうでき上がったというのではなくて、これに多少手が加わるということはあり得るのではないかと思います。

○ 茂木副会長
 引き続きやるということですか。

○ 鳥居分科会長
 ええ。そういうことではないかと思います。よろしいでしょうか。どうでしょうか、前川さん。

○ 前川初等中等教育企画課長
 私ども事務局としても全く同じような考え方でございます。

○ 鳥居分科会長
 渡久山委員、どうぞ。

○ 渡久山委員
 最初の議論からすれば、非常によくまとめていただいたものだと思います。これにも指摘されているのですけれども、日本の教育行政をみますと、戦後、特に昭和31年あたりからだんだん中央集権化していったわけですが、平成10年、11年、13年と地方分権というような観点も含めて、教育、特に義務教育の活性化ということについて配慮がされ、特にここのところではそういう視点がたくさん入っているものだと思います。また、問題点である教育長の問題とか、あるいは学校の管理規則の問題とか、今までの指導・助言、あるいは援助の在り方のある程度の役割の限定的な見直しとか、そういう面では高く評価するところがあると思います。
 そこで、特に興味があるのは、「6」、22ページからですけれども、これは学校と教育委員会との関係ですね。このあたりからのことについて関心があるので、特にそう思いますけれども、その中で、23ページの1番最後の行のところに、「教育委員会は、校長会や教頭会を通じて学校現場の意見を吸い上げ」るというのですけれども、それだけではなくて、教職員あるいは教職員団体の意見も聞きながらというのが必要だと思います。11ページには、そういう形のところが触れられていますから、特にそれを否定した考え方に立っているとは私は思いませんけれども、そういうことを一つ指摘をしておきたいと思います。
 また、「7」、24ページから出てくる、これは新しい学校運営協議会についての制度の導入ですね。このことについてもきちんと書き込まれておりまして、その後、現場とか、学校の皆さんにいろいろ聞いてみますと、やっぱりまだ閉鎖的なところがある。自ら学校を開くという気持ちがない。特にPTAの皆さんからお聞きしますと、学校自身が閉鎖するところに心地よさを感じているのではないかと、そこまで言われる人もいらっしゃるわけですね。なるほど、そこまで日本の学校というのは……。確かにOECDの統計でも、保護者や地域住民の参加率は統計的にも非常に悪いのですね、日本の学校というのは。そういう意味では、これは今後の課題として十分に議論し、検討していく必要があるだろうと思います。
 これと関連して、25ページのPTAの問題です。PTAの役割が非常に高く評価されているのですが、改めて学校現場の実態を見ますと、PTAに対する教職員の参加が非常に少ない、あるいは十分でない。もっと積極的に参加していくべきだろうと思いますけれども、それが今、割と指摘されているところがありますので、そういうところは今後の問題として議論していくなり、あるいは内実のあるものにしていくという必要があるのではないかと思います。

○ 鳥居分科会長
 ありがとうございました。
 最後におっしゃったのは、ペアレント・ティーチャー・アソシエーションですから、ティーチャーの参画の仕方というのは、ここに書いてあるように、「PTAは、保護者全体の意見を踏まえながら」というのと、もう一皮脱皮して、先生も一緒になってという考え方に立てるといいですね。

○ 渡久山委員
 と思います。学校によっては担任しか出ないとかいうところもあるのです。

○ 鳥居分科会長
 それは保護者会になっている……。
 そのほか、いかがでしょうか。この部会まとめを超えて、義務教育特別委員会がこれからでき上がっていく中で、地方教育行政をどう考えていくかということになりますと、いわゆる費用負担の問題も含めて、いろいろなことのお考えがおありだと思いますが、その辺まで少し足を伸ばして、視野を広げて御議論いただければありがたいと思いますけれども、いかがでしょうか。
 どうぞ、お願いいたします。

○ 横山委員
 私は部会の中でも申し上げたのですが、できればこの特別委員会の中で、義務教育制度を議論するときに、昨年、とにかく義務教育費国庫負担金の問題がクローズアップされて議論されてきましたけれども、いわゆる平成11年の地方分権一括法以来、地方分権というと、何かそれに反対するような風潮というのは、非常にやりにくいムードがありますね。ところが、義務教育を考える場合に、私自身は、地方分権というのは一定の限界があると考えている。
 今度、特別委員会で議論する場合は、地方分権に踏み込んで、地方分権をとにかく浸透させるという方向ではなくて、もう1回立ち返って、義務教育というのはまさに国家経営の問題ですよね。そういう視点から、もう1回、義務教育と地方分権の問題についてぜひ洗い直していただきたい。すべて地方分権という名のもとにやられるがゆえに、いろいろな矛盾が起こってきている。必ずしも中央集権が悪いと私は思っていないのです。なぜならば、義務教育というのはまさに国家経営の問題ですから。その辺をぜひお願いしたいと思っています。

○ 鳥居分科会長
 ありがとうございました。
 今、横山委員が指摘された点は、義務教育の本質を考える上で重要な点だと思いますけれども、何か御意見がありましたら、ぜひお願いしたいと思います。
 渡久山委員、どうぞ。

○ 渡久山委員
 横山委員の考え方でいいのだと思いますけれども、実際はしかし、例えばこの委員会でも皆さんから意見をお伺いしたときに、地方の首長の意見がだんだん力が上がってきて、教育委員そのものを首長が任命するという状況ですね。そして、教育委員会の予算送付権もないという中で、確かに教育内容について、国のナショナルミニマムで決めても、そういう形で地方における教育委員会や実際の教育の中身がどうなっていくのか、行政上。そういう問題を本当は整理しておかんといけないと思うのです。
 例えば、具体的に教育課程が出てきます。教育課程について国が一定程度基準性を示してきて、それに対して地方がどのような形でかかわっていくのか。実施主体であるといったって、今日ここにも出ていますように、ある程度の地方分権や裁量権を拡大していったときにどうなっていくのかということに対しては、非常に大きな問題だと思います。予算は逆に、割と考えやすいのですよね。しかし、教育内容の問題については、そうもいかないと思うのです。そうすると、ナショナルミニマムの中身をきちんとやっていかなくてはいけないだろうし、また、戦前のように地方長官が一定程度実施していっても、教育内容については極めてハードなものであったわけですよね。そういうものであってよくないだろうし。
 そういうことを考えていきますと、今の内容の問題と予算の問題と実際行政権限の分権の問題、そういう側面がどうしても出てくるような気がいたします。

○ 鳥居分科会長
 日本の場合、ナショナルスタンダード、あるいはナショナルミニマムというか、それは学習指導要領が一つの道具になっているわけですけれども、そのほかに一体どういうことが考えられるでしょうかね。
 どうぞ。

○ 横山委員
 何回も発言するようで申しわけないです。地方分権という問題と、実際に国が義務教育について何を定めるかといったら、国が定めるのはナショナルスタンダードなはずです。ところが、ナショナルスタンダードは最低限の話であって、最低限はそれ以上水準を下げてはいけないというレベルを決めて、これは国の責務だと思っています。
 実際に教育行政が行われる地方において、自治体間で差が出るのは当然です。例えば、命にかかわる医療行政だって、あるいは福祉行政だって差が出てるのです。なぜならば、それはそれぞれの首長がどの分野に財源投入をするかによって差が出るはず。ある首長は、自分のところは教育に重点的に財源投入するとすれば、他団体に比較してレベルが上がるのは当然。それを差と言わないわけですね。それぞれの自治体の行政の独自性であって。
 だから、必ず絶対に下げてはならない、例えば学級編制基準というのは、今、1学級40ですね。これを下げてはまずいわけですよ。これを少なくするのは、それぞれの自治体の判断で、それはいいでしょう。そこのところの振り分けであって、これは別に地方分権でも何でもないわけですね。
 憲法が保障する義務教育をどうやって保障、担保するか、その制度・仕組みはやはり国の責任においてやるべきだろうということなんです。

○ 鳥居分科会長
 どうぞ。

○ 梶田委員
 今おっしゃったことは、基本的にそのとおりだと思います。本当に地方分権という言葉が無限定に使われ過ぎだと思うのです。実際に、例えば地教委の具体的な在り方についても、これは地域差がすごくありまして、文科省ではたぶん都道府県教委ぐらいまではよく見ておられると思うけれども、地教委なんて(差が)非常にありましてね。ここでいろいろと書いておられるけれども、私が8年間教育委員をしました箕面市、大阪の北部のまちです。大阪の北部のほうは前から、実質権限は、例えば研修でも、教頭、校長の選任でも、それは大阪府にあるはずですけれども、全部、箕面や池田や豊中や高槻は、そういうところがやっているわけです。そして、校長、教頭を誰にするかというのも、地教委がやっているのです。もちろん具申しますけれども、そのとおり返ってくるというね。
 例えば、箕面市で先生になったら、定年まで箕面市の先生なのです。小さなまちでも、15万5,000のまちで。隣のまちの例えば豊中とでは、教頭になるのに5歳の違いがある。校長になるのはもっと違いがあるとか、こういうバラツキが出ているのです。そういうことがあるから、大阪府では教育事務所が随分前に廃止されました。教育事務所がありません。和歌山県もこの3月で廃止です。
 もう一つ言っておきますが、指導要録の様式がみんな違います、まちごとに。文部科学省がおつくりになれば、そのとおりやっているというのが常識になっているようですけれども、これは前から違うのです。大阪府は、まちごとに違っていても、ゴム印一つで「特記事項なし」で、実質白紙だったものですから、私が教育委員になったときに、全面開示という、見たい人は見てくださいよということをやって、白紙だということを公にして、新聞・テレビが騒いでくれたから、箕面市だけは一足早く書き込むようになりましたけれども、書き込む帳簿そのものが、やっぱりまちごとに違うのです。
 あるいは、これは教材選択は教育委員会の権限ということになっておりますが、箕面市でもどこでも、例えば生活科が始まったときに、教科書よりも立派な小学校1年用、2年用の生活科の副教材と称して、これをつくりまして、箕面の子どもたちはそっちのほうを使っているわけです。もちろん教科書をとっていますよ。とらんといかんことになっていますから。でも、実際の授業はそちらでやっているとかね。
 ということで、実質は ―今、私が話しているのは、大体10年前に私は終わりましたから、若いときにやったわけですけれども、18年前から10年前まででも、既に一部の地域ではかなり自主的なことをやっていた。だから、ナショナルスタンダードをおろそかにしているかというと、そんなことはないです。指導要領はきちんと守っているわけですし、つまり、いろいろな意味で最低基準を守っている。だけども、例えば箕面市はお金がありますから、市の費用で小・中20校全部に、非常に早い時期から、いわゆる司書教諭ではない、教諭という身分ではないけれども、司書教諭に当たる者を全部配置して、実質は読書指導から何から全部やらせていた。これは既に18年前から10年前にやっていることです。
 ということで、私が申し上げたいのは、今、おっしゃったことなのです。今までの地教行法の建前の中でも、それぞれのところが、都道府県もそうでしょうし、市町村でも、かなり自分のところの裁量でいろいろなことをやってきたと思うのです。このこと自体は大事にしなければいけない。
 でも、今、やはり問題になっているのは、最低線ですね。ナショナルスタンダードを国がきちんとやらなければ、これは義務教育だけでなくて、実をいうと大学まで含めて、まずいことになると私は思っております。最低線はこうだということは、国のまさに教育行政の根幹にかかわることだと思うのです。その上に積み増していく、あるいはそれを土台にしながら工夫をしていくというのは、いろいろなレベルであっていい、個別の学校であってもいいしと、このように思います。
 そのことを、今、横山委員が繰り返し御指摘いただいたと思いますけれども、その辺の仕分けを、中央集権か地方分権かという極めて多義的な言葉でくくってしまうのではなくて、もう少しきちんと、特に私は先ほどから言っていますが、国の責務ということは、こういうものであればあるほど、きちんと打ち出さないと、何が何だかわからなくなると困ると思っておりますので、屋上屋の発言になりましたけれども、これも次に引き継ぐときによろしくお願いしたいと思います。

○ 鳥居分科会長
 ありがとうございます。
 では、國分委員、どうぞ。

○ 國分委員
 屋上屋にさらに屋上をつくる話になるのですけれども、今、梶田先生が言われたこと、あるいは横山委員が言われたことは、まさにそのとおりだと思うのです。ところが、例の三位一体でのマスコミ上の議論を聞いていると、そこのところのことが整理されていない。つまり、各自治体がまさに地方分権に基づいて勝手にやる、あるいは自由にやるのか、国が一定のルールを敷いて、そのとおりやれ、どっちがいいのかと、こういう議論にどうしてもなっているわけです。そうではないので、ある程度最低限のスタンダードのところは押さえて、その上に、それぞれの裁量の花が咲くというのが、教育の性格なんだ、他の行政分野と違うんだと、こういうことの議論があまりないのですね。
 例えば中教審、あるいはそれ以外の教育関係の議論では、多くの人が前提としていることが、世の中へ出ると前提になっていないのですね。そこのところについて、これからの議論をする際に、説明責任というほどのこともないのでしょうけれども、そこのところを十分説明しながら、マスコミを含めて理解してもらうことが必要ではないかという気がいたします。

○ 鳥居分科会長
 ありがとうございました。
 田村委員、どうぞ。

○ 田村委員
 まさに屋上屋の、またその上に重ねるような議論になるのですけれども、今回、三位一体の議論の進め方の中で、私ども私立の高等学校以下のことで随分苦労いたしました。そのときの体験を申し上げますと、これも言いにくいことなのですけれども、知事さんがおっしゃると、その知事さん配下の例えば教育長とか、県の教育委員会の関係者は何も言わなくなってしまうのです。今の社会というのは社会回帰という現象がありまして、黙っていればそれでいいというふうにみんなが思うという社会ですから、何もおっしゃらないと、知事の言うことが全部正しいという話になっていってしまうのです。
 ですから、地方分権とおっしゃる知事さんの意見が、実際には地方分権になっていない。知事さんの意見だけであって、その中にある例えば教育委員会の発言とか、教育長の発言は ―確実に義務教育の問題は、教育長の中に反対だという方はいらっしゃったと思うのです。今、横山教育長はちょっとそれに近いことをおっしゃっているのですけれども、でもそれは組織としては出てこない。組織としては知事の意見で集約されてしまっているのです。それがマスコミに報道されて、マスコミもそのほうがいいということで、どんどんそのボルテージを上げていくわけです。ですから、そういう意見が世の中の意見だというふうに変わっていってしまうのです。
 実際に生徒、子どもたちと対峙して、いろいろな活動をしている人の多様な意見は全然出てこない。これは非常に危険な現象だという気がします。こういうことで日本の社会が変なほうにいっちゃったら、悔いを百年に残すという気がします。私は個人的には義務教育のことは、絶対手をつけちゃいけないと思っています。これをやったらガタガタになると思います、日本が。ですから、その議論をぜひ次回の義務教育特別委員会ではしっかりと踏まえて議論していただきたい。
 知事会の意見は大事な意見ですが、やはりごく一部なのですよ。違う意見もあるはずなのです。全く出てこないというのは、どこかおかしいのです。日本の社会はそういう傾向が多少あるのです。情報の流通が悪いとか、多様な意見を出すことがはばかられるとか、知事さんが言っているのではちょっと遠慮するかなとか。私ども、三位一体に反対する動きをやっていて、去年の夏は本当に悪夢のような夏休みでしたけれども、全国の知事さんのところを歩いていって御意見を聞きますと、知事さんも皆さんおっしゃっていることは、多少ニュアンスが違うのです。でも、知事会の総論になると、全部それが消えちゃう。そういう点は、教育の問題だから、よっぽど慎重にやってもらわないといけないと感じております。
 ですから、情報をうんと流通させて、いろいろな意見があるのだということを世の中の人にわかってもらわないとですね。さらに言えば、日本人というのは自分の子どもが学校に関係しなくなると、教育に全然関心がなくなってしまうのです。孫が入るとまた関心を持つのですけれども、そんなことで、常に通過集団を扱っているみたいな話で、世の中の人一般には、学校で何が起きてもあまり気にしない、それが大多数というのが実態ですので、関係者はそれこそふんどしを引き締めてPRしていくという作業を、この義務教育特別委員会でやっていかないと、変なほうにいく危険があると痛感しました。
 幸い三位一体対応で、高等学校、私学の問題は、文科省の御協力もあって、17年度はこういう形になったのですけれども、18年度、状況が全部解決しているわけではないということはわかっていますので、一層PRに努めたいと思っていますけれども、ぜひひとつ世の中に理解してもらうという動きを、義務教育の委員会が委員会の中だけの議論にとどまらないで、できるだけ広げていくということをやっていただきたい。教育に手をつけたら大変なことになるということが、実はよくわかっていないのですね。と思って、感想を述べさせていただきました。

○ 鳥居分科会長
 渡久山委員、どうぞ。

○ 渡久山委員
 私は今の義務教育の中で、非常に関心があるのは、一つは、例えばナショナルスタンダードは、教育課程や指導要領はきちんとできていると思うのです。問題は、子どもたちのそれの到達度ですね。いわゆる乖離の問題なのです。今、学力が二分化していると言われていますけれども、では上のほうの学力はどうかといったら、実態は学校教育だけで補完されているのではなくて、塾等を含めて一定程度の高い水準を維持している。しかし、塾にも行かない、学校教育だけを受けている子どもたちは非常に悪い。PISAが二極化しているのは、その辺にあると思うのです。ですから、これはナショナルスタンダードの問題というよりは、せっかくそのようにして基準性を決めたにもかかわらず、到達度がうまくいっていない現実をどうするかという問題です。
 これは今の話とも関連するのですけれども、どれくらい教育条件の整備に金をかけているだろうか。これはもちろん教育の仕方、指導方法もありますから、教職員の問題もいろいろありますけれども、それを含めてどうだろうかという問題が一つあると思います。
 もう一つは、よく知・徳・体と言いますけれども、徳育とか、体育がほとんど成功していないのが、今の実態ではないでしょうか。例えば、いじめの問題にしろ、不登校の問題にしろ、あるいは中途退学の問題にしろ、結局、学ぶ意欲とか、あるいは何のために学ぶのだという意義とか、そういうことが非常に失われている実態をどうするのか。これは国が示しているナショナルスタンダードの問題ではなくて、それがいかに子どもたちの中で消化され、生きているかという問題です。この辺に焦点を当てていかなくてはいけないと思うのです。
 しかし、二極化の問題もすべてそうですけれども、結局、財政的には保護者負担が大きいものですから、保護者が手を抜けば、子どもたちは中学で終わっているという実態、あるいは中学の学力の保障も十分されないままに中学を終わっているという実態があるのだと思います。
 ですから、三位一体の問題にしろ、あるいは首長の問題にしろ、そのようなものに対して住民とか、国民が、共同責任を持っているという感じがしないのではないかと思うのです。共有して共同責任を感じてやる。だから、国は国で、自治体は自治体で、あるいは住民は住民で、あるいは学校ももちろんそうですけれども、それぞれが責任を持ちながら、その責任を共有するという風潮があまりにもなくなり過ぎているのではないだろうか。例えば、国に対して地方自治体は金をよこせ、金をよこせばかり言っている、あるいは国は国で、金がないんだから、自分たちで工夫しろという、具体的には金の問題になってみたりですね。
 そういう形で、今、教育、あるいは子どもたちをめぐる状況について、全体的に行政も、国民も、住民も含めて共有化していくという中から、一つの世論をつくっていかなければ解決しないような気がするので、次の委員会でも、別な観点で議論していただくのも大事ではないかという気がいたします。

○ 鳥居分科会長
 ありがとうございました。
 どうぞ。

○ 山本委員
 私もこのまとめは大変結構だと思うのですけれども、一つだけ、これは細かな質問になるかもしれませんが、これは諮問があって議論をしてきて、分科会まとめで出すのか、次へ引き継いでいくということになってきたときに、諮問に対してどう答えたのかというあたりのところを、どこか何か言っておくのか。あるいは、中間まとめ、中間報告ぐらいにしておいて持っていくのか、その辺、事務的な検討をしていただければと思うのです。今、別に議論するということではありません。
 今申し上げたいのはそのことではなくて、先ほど来出ている御意見には全く賛成なのですけれども、こういう時代で、こういう不況の時期ですから、財の論理で全部押し切られてきているところがあると思うのです。それに対して社会の基盤をつくるということからすると、資料にありますが、中教審の教育基本法の答申のときには、これから21世紀は知の世紀であるということを言って、それをリードしていくのにどうするか。大学のことが出ていますが、大学だけではなくて、学問、文化、スポーツ、教育全部を含めて、改めて知の論理ということでものを考えたらどうなのか。その上に財が乗っかってくるのだと思います。そこのところがパラレルで財のほうが強いものですから、財に引っ張られているということがあるかと思います。そのあたりを次の委員会では検討していただければと思います。
 どうしても教育のほうは、社会の基本的な機能だと言いながらも、お金のことが出てくると、そっちに引っ張られてしまうのです。逆にこっちから積極的にこうではないかということを言わないと、いつの間にか財の論理で、中央、地方という話になってしまうと思うのです。その辺をお願いしておきたいと思います。

○ 鳥居分科会長
 ありがとうございました。
 山本委員が最初におっしゃった問題は、事務的な形式のとり方としては、2通り考えられまして、一つは、今日のこの教育制度分科会でこれを分科会のまとめとしてオーソライズして、来週でしたか、20何日かに予定されている総会でもオーソライズするというやり方があると思うのですが、それをやってしまうと、これが固定化されてしまって、特別委員会に送って、もっとこれをブラッシュアップし、場合によってはこれを少し組み替えたりして使ってくださいというのに、ちょっとやりにくいというので、今、部会まとめになっているということだと思いますので、後者のやり方になるのだろうと思います。
 そうすると、地方分権時代における教育委員会の在り方についてという答申を、中教審としてはいつどの段階で出すのかということが問われますが、恐らく後者のやり方をとれば、義務教育特別委員会が何本かの分かれた分割型の答申を出すことも考えられますし、一本の答申の中の一つのチャプターとして、これが役割を果たす可能性もある。そのどちらかではないかと思います。
 そのほかはいかがでしょうか。
 浅見委員、お願いいたします。

○ 浅見委員
 今回のこのまとめで、教育委員会、あるいは各学校での自由度が高まる方向でまとめられていて、非常にいい方向だと思いますが、残念ながら今のところは、かなり自由度を持っているはずなのに、横並びというか、校長は横の校長を見、上のと言うと変ですけれども、教育委員会の顔を見、市町村の教育委員会は県の教育委員会の顔を見というような、上に認められる範囲でやっている分には安全だという風潮がかなりあるのではないか。しかし、実際にはヒアリングの中でも、随分活発にいろいろな自由度を発揮してやられているところもあるわけです。
 これが出たからといって、それではその辺が本当に活性化できるかという、その辺の揺さぶりといいますか、もっと積極的にどんどんやれるのだということを気づかせるというか、そっちの方向に行くということをどう働きかけていくかということは、今でもやれるのだと思います。まとめはまとめとしてその方向でいっても、教育現場を見るというよりは、横並び、上を見るということで、あるスタンダードをやっていればそれでいいのだという満足感で終わってしまうというのは、実際に今あるものですから、その辺をどう働きかけるかというのは、一つの課題であるような気がしています。

○ 鳥居分科会長
 ありがとうございます。
 この部会まとめの中で、幾つか結論が一つにまとまってはいない場所がありますが、その辺についてももし何か御意見がありましたらいただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
 例えば、教育長の身分といいますか、職位が、今、平成10年の中教審が答申したのとはだいぶ違った形になっております。平成10年中教審答申からいえば、教育委員会が教育長を選ぶ、そして教育長は特別職という位置づけにされるべきであると考えていたわけですが、現実にはそうなっていない。このあたりをこれから中教審として方向をはっきりと打ち出していくか、その辺の問題もあると思います。
 そういったこの中で幾つか残された問題について、もし何か御意見がありましたら、ぜひ伺いたいと思います。
 どうぞ、横山委員、お願いいたします。

○ 横山委員
 私自身、該当者なので、言いにくくてしようがないのですが、実際問題として、教育長が特別職であるという認識は、99パーセントそうなのです、個々の自治体の中では。なぜかというと、教育委員で選任されているわけです。議会同意で。教育委員というのは明らかに非常勤の特別職ですから。その特別職が6人集まって、ある人を教育長にその委員会の中で選任する。その途端に一般職になってしまう。これはどう考えても、理解が非常に難しい話で、現実にどこの都道府県だって教育長は特別職で扱われているのです、形式的には。それは形式と実質を一致してもらったほうが、いろいろやりやすいという面がございます。それは部会でも私は申し上げたのですが、それはぜひそういった方向での法改正をお願いしたいと思っています。
 もう1点、選任の方法について、教育委員の中から教育長を選任して、まして教育長が議案提出権者になる。これは形式的におかしいという議論があるのですが、私は実際に日々、教育委員会の中で活動をしているときに、教育委員の中から選任されているから、教育委員会の中で対立関係には立たないけれども、これが全く別ルートで教育長ということで選任されて、本当に対立関係になったらどうなってしまうのだろうと、非常に危惧するのです。確かに形式的にはおかしいと言っても、それによって何か教育の中立性が阻害されたり、あるいは教育行政上、何か障害が起こるような実例は、他の道府県の話を聞いてもありませんしね。その辺はこうしたほうがいいということはないのですが、部会の中でも、特に首長さんからはおかしいという議論は結構ありましたがね。そこのところは、私自身、今のほうがいいように個人的には思っています。

○ 鳥居分科会長
 よろしゅうございましょうか。
 はい、どうぞ。

○ 渡久山委員
 基本的には、今、教育委員は首長の任命ですよね。そうすると、任命された教育委員が教育長を任命するという形になるとしたら、それはますます従属性が出てくるのではないでしょうか、形式的には。問題はだから、教育委員の選任をどうするかという問題だと思うのです。首長によっては、2年で代えますから、自分の任期中には自分の好きなものに全部代えられるというような言い方もあるようですけれども、そうなってくると、そこには全く首長の恣意的な任命が出てくる可能性があるわけです。特に教育長は、最初からこの人を教育長にしようという形で教育委員として任命しているという実態も出ているわけです。そういうことであれば、まさに今、地方の時代とは言っても、教育とのかかわりで、首長がどの程度教育の ―これは中身にまでは介入していないかもしれませんけれども、教育の独立性や中立性を保つのにどれぐらい介入し、また権限を持つべきかという問題があると思います。
 ですから、そうなってくると、私は基本的には教育委員会の公選制をもっていって、首長と同じぐらいの権限があって、そういう中から教育長を任命するというならまだ筋も通ると思うのですが、もしもそれが合意が得られない、あるいは行政実態としてできないとすれば、首長が教育委員を選ぶときに一定程度制限をつける必要があるのではないだろうかと思います。例えば小さなことですけれども、女性を何人入れるとか、あるいはまたどこどこの一つの団体、グループ、財界から入れるとか、どういうところから入れるということで、また、韓国あたりはそうですけれども、中学校区で大体選んでおいて、その中学校区で選ばれた者から教育委員を選んでいくとか、そういう形で、選ばれた段階から一定程度の首長からの独立性を持っていないと、実態として非常に難しくなってくるような気がするのです。ですから、教育長の問題は、そういうところまでさかのぼって検討したほうが結論としては得やすいのではないかという気がします。

○ 鳥居分科会長
 どうぞ。

○ 梶田委員
 まさに日本の現実を考えたときに、今の渡久山先生のようなあれが出てくると思います。ただ、非常にこの辺が難しいなと思いますのは、私も前にアメリカの教育委員会制度を、グルグル回ってヒアリングして歩いたことがあるのです。あそこは御存じのように、教育委員会がお金まで持っているのです。自分のところで税金も取っていますし、予算編成もやっている。首長さんと教育委員会の関係は、本当をいうとつかず離れずが一番いいと思っているのです。どうやってつかず離れずにしたらいいか。つまり、教育委員会制度のいいところは、政治的な中立性を保てるというところだと思うのです。国でもそうだし、地方でも、教育が政治的な対立に巻き込まれてしまうと大変なことになってしまうので。そういうことさえなければ公選制でもいいと思うけれども、なかなか難しい。
 私はアメリカのいろいろなところを回ってみて、一番印象的だったのは、首長さんと教育長が選挙で、全く違う党派の、反対の党派の人が選ばれているところがありまして、そこへ行って聞いたら、カウンティーのレベルで聞いたのですけれども、カウンティーの首長部局のほうでは教育委員会の悪口ばかり言うし、教育委員会へ行きますと首長部局の悪口ばかり言う。しかも、なまじ両方がお金を持っていますから、変なところでバッティングするわけです。具体的に学校をどこにつくるか、あるいはどこの地域を重点的にやるか等々ということで、けんかしてもいけないし、とはいえ、政党政治に地方でもどこでも面倒なあれがあるのですよね。私も、大阪なんていうのはいろいろとうるさいところですので、大阪のいろいろな市長選やら何やらかんやら見ていますと、うるさいので、どっちの候補が勝つかで、市役所の幹部ががらっと代わるということが実際にあるわけです。

〔板東大臣官房審議官出席〕

 そういう中に、例えば教育長さんとか、いろいろなものが巻き込まれたら、これはとんでもないと思うのです。田舎と言うとしかれる。大阪を田舎と言うと、これだけでまた帰れなくなるんだけれども。でもやっぱり、地元的なところというのは、政治の好きな人がおって、政治は基本的に人事なんですね。まあね、というところがあるんです。
 アメリカの私の極めて強い印象から言っても、また、私がどうしても長年住んでいれば、住んでいる周辺でいろいろなことを見聞せざるを得なくなる。そういうことから言っても、ともかく政治的な中立性が、教育委員会制度によって曲がりなりにも保障されている。このことは高く、高く評価して、大事にしなければいけない。もちろんこれ以上にマイナーな改革があれば、やらなければいけない面はあると思うのです。首長さんが選任するといえば選任しますけれども、一応議会にかけるのですね、教育委員は。ですから、教育委員の選任も、とんでもない人、市長さんのあまりにもお親しい人をやると、議会で必ず、これはやっぱりみんな言いますわね。ということで、ある程度議会にかけるということで、とんでもないことが起こらないようになっているのではないかとも思いましてね。
 私は、ちょっと保守的なように見えるかもしれませんが、今のようなやり方を土台にしながら、その中でマイナーチェンジでプラスアルファできるようなところがあれば考えていくというふうにしないと、はっきり言いますと怖いなと。教育の問題というのは、声が大きい、一部地元有力者がいろいろなことにかかわり出すと、怖いなと思います。
 一言要らんことも言いますけれども、私はいろいろなところへ行って、いろいろな話を聞きますけれども、いまだにやはり地方ボスが、校長や教頭の人事に口出ししているところだって現実にあるわけです。これが教育委員会ということで一つクッションを置かれてということがあります。私はこういう制度は、日本のいろいろなところの実態からいって、保守的なようですけれども、今のこれは大事にしながら、漸進的にといいますか、あまり大きな改革をねらうととんでもないことになるのではないかという恐れを持っております。

○ 鳥居分科会長
 國分委員、どうぞ。

○ 國分委員
 前提としてこのまとめに関して異論があるわけではありませんで、これはこれでいいし、さらに特別委員会で詰めていただきたいという前提で、今、議論になっている教育長の問題を申し上げますと、もちろんこれから特別委員会でどう議論されるか、それが大事なことですけれども、私自身は平成10年の中教審答申が一番いい案だと今でも思っております。当時、議論に参画したというだけでなくて、そう思っております。
 考えてみますと、結局、あの答申になった前提は、まさに一種の規制緩和で、当時、都道府県の教育長は文部大臣の承認制、それから市町村の教育長は都道府県教育委員会の承認というのがあって、しかしそれは、自治体の人事に国なりあるいは県が関与するのはおかしいのではないか。それはそのとおりという面もあるわけです。ただ、それもまさに教育の特殊性から、国、都道府県、市町村が一体になってやるというものの象徴だという議論はあったのですが、それはそれで一つの理屈だと思います。
 それを受け入れたときに、教育長というものは非常に重要なポストだ。これがいいかげんな形で人事が行われては困る。その一つの担保として議会にかけようではないか。そうすれば、そんないいかげんな人事もできなかろう。また、民意も反映されるのではないかということで行われたのが一つ。
 それから、当時、市町村の教育長さんから、市町村の教育長は教育委員から選ばれていたわけですけれども、教育長としては一般職である。そうすると、市町村長とか、助役さんとか、あるいは出納長が特別職で、それに比べると身分が低いように思って、特別職にしてくれという運動が非常に長年にわたって行われていたのです。だけど、これも本当はおかしい話なので、特別職か一般職かというのは、今、公務員法が改正されているから、よくわかりませんが、たぶんそうだと思うのですが、国家公務員法なり地方公務員法が全面的に適用されるのが一般職なのです。適用されないのが特別職なので、偉いか偉くないかではないのです。あえて言えば、臨時に雇用契約を結んだ非常勤の人は、公務員法が適用されませんから、特別職なのです。ところが、何か錯覚を起こして、特別職運動というのが行われたというのが背景にあって、それには議会の同意が要るというのと結びついて、こういうことになったのだろうと思います。
 ところが、政府部内の調整で、それがうまくいかなかった。特別職を増やすのか、この行革の時代にと。しかし、特別職と呼ばないだって、別に増やしたから、月給が増えるわけでも何でもないわけなので、どうもおかしいというのは、部会で鳥取の知事さんも、そいつはちょっとおかしいのではないかとおっしゃっていましたけれども、もう一度その議論を、今日、蒸し返すべきではないかというのが私の議論です。
 現状で言いますと、従来であれば、教育委員会が誰でも任意に適材と思う人を任命できたわけです。しかし、今、少なくとも6人の教育委員の中から互選しなければいけない。少なくとも選ぶ人は限られてしまっているわけですから、その範囲で適材が得られるのかどうかというのが、人数の問題としてある。それから、現実の問題として、ほかの委員は、大体ほかに職業を持っておったり、行政の経験がなかったり、まさにレイマンコントロールという視点から選ばれていますから、教育長として、はなから適当でないという人が多いわけで、事実上、教育委員を選ぶ段階で教育長が決まっておるということがいいのかどうかという問題があるわけです。やはりもう一度、平成10年の答申に戻ってやることが必要ではないかと、私自身は思っておりますが、これは特別委員会でこれから詰めていただきたいと思います。

○ 鳥居分科会長
 ありがとうございました。
 今の國分委員の整理してくださった話で大体わかるのですが、特別職の考え方については、何かきっと横山委員から……。

○ 横山委員
 市町村レベルで、偉い、偉くないの議論は今初めて聞きましたけれども、私どもが教育長を特別職にすべきだという根拠は、行動なのですよ。日々の行動の規制をとっていただきたいということなのです。地公法が全面的に適用されるがゆえに、一般職と同列の同じような行動をせざるを得ない。
 例えばの話、ある政党が教科書の問題についてシンポジウムを開きます。例えば東京都で教科書採択について、大変な大騒ぎがあった。その辺の事例をシンポジウムで報告をしてくれという要請が仮にあった場合に、一般職が出たらえらいことになるのです、これ。事実、私は出ましたけれども、全部休暇をとって行っているのです。特別職ならば別にどうということはないのです。別にそれは政治的な色がついているわけでも何でもなくて、教科書採択のシンポジウムですから。それでさえ仮に私が出たらえらい話になる。要するに職務で出たら。
 そういう意味で、教育長として、今の教育行政の中で、行動せざるを得ない場面があるのです。決してそれはいかがわしい話ではなくて、その辺の行動の自由が欲しいということなのです。

○ 鳥居分科会長
 議会での発言の機会というのは、特別職でないと……。

○ 横山委員
 それはございません。教育委員会が議会に対しては対応します。教育委員会の中で、教育長が全面委任を受けて議会へ出ていっている。

○ 鳥居分科会長
 それは一般職、特別職とは関係なしに。

○ 横山委員
 関係ありません、対議会の関係では。

○ 鳥居分科会長
 ありがとうございました。
 そのほか、何か問題がありましたら。
 もし特にございませんようでしたら……。
 どうぞ。

○ 木村副分科会長
 最初のほうで教育と地方分権の話が出ましたけれども、多少、国際的な場所で議論に参加している者からすると、日本の行き方は完全に世界の国と逆を行っていますよね。いろいろ申し上げますけれども、例えば今、高等教育の質の議論に、OECDとユネスコで参加しているのですが、これはWTOの影響もあるのですけれども、要するに消費者保護、学生さん保護、保護者保護という観点もありますけれども、きちんと評価を受けた大学のデータベースをつくろうという動きが急速になっておりまして、来週の月、火とパリで、OECD、ユネスコのジョイントの会議があるのですが、そこでもかなり具体的な提案として出てきているのです。
 そうなると、日本はともすると、アメリカのモデルがいいような話なのですが、アメリカはものすごく困るのです。というのは、日本はまだ認証評価制度をやっていませんが、一応全大学を対象にして認証評価をしますから、その結果をつけて、このデータベースに参加することができる。ところが、アメリカはどうしようもないのです。アメリカは国でやっていませんから。確かにリージョナルなアクレディテーション・ソサエティーでアクレディテッドされたものについては、一流の大学だというアメリカの認識がありますから。では、それだけでいいのか。ほかのアクレディテーション・ソサエティーでアクレディテッドされたものをどうするのだということで、アメリカの代表はものすごく困っているのです。カナダもしかりであります。カナダはあまりデグリーミルはありませんけれども、それでも国が一切関与していないから、ものすごく困る。申し上げたいのは、いずれにしても、教育のイシューがすべてナショナル・イシューになるつつあるということなのです。
 そういう意味で言うと、イギリスも同じでありまして、御承知のとおり、トニー・ブレアが首をかけて5票差でやっと勝って授業料をとるようになった。そのカウンターメジャーとして、2006年までに2004年ベースで実に30パーセントという非常に大きな高等教育に対する投資をすることを決めているわけです。すべて国がかりで、教育が国際競争力に直接関係するのだということをイギリスははっきり言っておりますから、そういうことで、いろいろな施策を講じているということです。
 それから、義務教育、初中につきましても、これは御承知だと思いますけれども、英国はとにかく子どもたちに少しでも社会でいい地位を与えなければいけないということで、国で全額負担することにしたわけです。アメリカも7.何パーセント連邦政府から出すことにしましたけれども、実際はもっと大きな金が出ているのです。といいますのは、つい最近、私、知ったのですけれども、アメリカはもちろんやるのは州単位ですけれども、子どもたちの成績管理、学籍管理をやっているのです。それに連邦政府が膨大な金を出しているのです。これがコンピュータ業界のものすごいビジネスチャンスになって、みんな血眼になって奪い合いをしているのです。そういうことで、申し上げたいのは、教育のイシューはナショナルイシューになっているにもかかわらず、日本は逆の方向へ向いているのではないかということ。
 子どもたちの学力一つとってみましても、例のIEAも最初は12ヵ国ですよね。今は40ヵ国。それから、OECDのPISAも、OECDの国は30ヵ国しかないのですけれども、入れてくれ、入れてくれということで、みんな断り続けて、それでも40ヵ国近くになっている。それだけ教育のイシューが国のイシューとして上がってきている。
 そういうことから言うと、地方分権もほかの意味では大変結構だと思いますけれども、教育そのものについては相当考えていかないと、日本だけがものすごく後ろ向きのポリシーを講ずることになるのではないか。
 アメリカの先生方を毎年600人、日本にお迎えしていることは何度も申し上げたと思いますけれども、私、これで8年、5,000人の先生とコミュニケーションしたのですが、その先生方とコミュニケーションしているこの8年の間にも、どんどん義務教育がナショナルイシューになりつつあるということを、肌身をもって感じます。
 まず始まったのは、例の到達度評価です。到達度を各州で一所懸命やる。そうすると、各州でばらつく。アメリカ全体として何とかしなければいけないのではないかということで、先ほど申し上げたような成績管理が始まっているわけです。その辺のところを特別委員会で相当しっかり押さえて議論をしないといけないのではないかと私はそう思っております。

○ 鳥居分科会長
 ありがとうございました。
 今、木村先生がおっしゃった、特にイギリスで行われている本格的な、5,000人もの人を動員する学校の評価の仕組みは、一体、日本で導入できるのだろうか。また、やるとしたら、そういうことを社会的に受け入れられるだろうかと、本当に心配ですけれども、ほかの国はやっているのですね。
 それでは、時間がちょっと早いようですけれども、このあたりで今日の御審議は打ち切りにさせていただきたいと思います。いろいろ御意見をいただきましたが、この御意見は義務教育特別委員会に反映させていただくということで取り計らいたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 本分科会は、第2期中央教育審議会としては、本日をもって最後の開催ということになります。委員の皆様にはこれまで大変御熱心に御審議をいただきまして、また、分科会の円滑な運営に御協力を賜りましたことを、改めて心から御礼申し上げます。どうもありがとうございました。
 それでは、これにて閉会とさせていただきます。

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生涯学習政策局政策課