教育制度分科会(第5回) 議事録

1.日時

平成13年7月5日(木曜日) 10時~12時

2.場所

ホテルフロラシオン青山 「はごろもの間」(1階)

3.議題

  1. 新しい時代における教養教育の在り方について委員からの意見発表及び自由討議
  2. その他

4.出席者

委員

 鳥居分科会長、木村委員、國分委員、田村委員、永井委員、茂木委員、横山(英)委員、坂村委員、藤原委員、船津委員、寺島委員、中嶋委員

文部科学省

 御手洗文部科学審議官、結城官房長、近藤生涯学習政策局長、寺脇生涯学習政策局担当審議官、清水高等教育局担当審議官、樋口生涯学習政策局政策課長、その他関係官 

5.議事録

(1)事務局による配付資料の確認の後、中嶋委員、寺島委員から「新しい時代における教養教育の在り方について」意見発表が行われた。

中嶋委員からの意見発表

○ 中嶋委員
 おはようございます。本日は、レジュメに従って30分お話をさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
 これはあくまでも私のまとめということですが、既にまとめられております「審議のまとめ」を私も読まさせていただいております。昨年12月のこの「まとめ」の中で、特に私が注目した点は、皆さんが様々な立場から御指摘されている、文系の知と理系の知の融合、例えば地球環境問題、生命倫理などの諸問題ですが、この問題についてはあちこちで最近よく言われていることでございます。
 もう一つのポイントは、いわゆる学際的な新しい学問領域をいかに開拓していくか。これも大きな課題です。そのために、「審議のまとめ」の中で強調されているのは、部活動、サークル活動、ボランティア活動、それは結局はチャレンジ精神を持つようなというところに収斂されるわけであります。「まとめ」を私なりに整理させていただきましたが、これが一つ。
 その次に、総会・分科会の主な意見を私なりに拝見いたしますと、そこに書いてあるような意見が注目された気がいたします。「教養とは、人が身に付けてほしい、知識ではない部分」という言い方がありました。それから「今の社会の中で評価される能力は、……知識部分だけである」。この場合の「知識」というのは、かなり技能的な知識、ノウハウとしての教養というところだけが重視されるというふうにこの発言者は言ってらっしゃると思いますが、そういう見方が皆さん方の中にもあったようでございます。それから、「旧制中学時代の人に比べ古典を読んでいない」。これはあるいは旧制高校も含めるべきだと思いますけれども、戦前の教養教育の在り方について、それをある意味では回顧し、またそれを評価する方も非常に多い。それから、「欧米には、……読むべき古典が明確化されている例がある」という意見も貴重な意見だと思いました。それから、「古典を学ぶ大切さをキャンペーンすべき」である。大学教育、高等教育において、そういう機会が少ないのではないかという御意見だろうと思います。
 次に、「情操教育、芸術教育をもう少し強調してもよい」のではないか。これとの関連では「英語教育にも共通するが、子どもの可能性を早くから開発することが必要」であるという御意見が既に出ておりました。「教養教育の基本として外国語、特に国際語としての英語と異文化への適応性の2点が必要」だという意見もありまして、これは教養教育の中で外国語教育をいかに位置づけるかということだと思います。木村副会長も、先日の意見発表の中で、東大の教養のときの英語の授業がいかにたくさんの作家を網羅して、次々にテキストをやらなければならなかったか、ああいうやり方が一つあるではないかということを含めて問題提起されていたように思います。
 それらの意見をまとめさせていただきまして、私はほとんどこれはみんな同意できる意見であります。ただ、冒頭で言われた「知識」ということについては、さっき言いましたように、恐らくここで発言されている方の「知識」はいわゆるノウハウ、あるいは技能、それからIT革命に付随したコンピュータの使い方というところが、今の知識とされているのは困ったことだという意味だと思います。それであれば私も同意するのですが、実はこれからお話ししますように、私は教養というのはまさに知識が非常に大事だと思いまして、これから私の本論に入っていきます。
 まず、知識と思考力としての教養。先ほどの戦前の旧制中学ないしは旧制高校での教養教育がいかに知識と思考力、さらには構想力、いわば哲学を重視したかという事例をお示ししようと思いまして、トーマス・カーライルの『サルトル・リザータス』あるいは『サーター・リザータス(Sartor Resartus)』をここに挙げさせていただきました。「衣裳哲学」とか、「衣服哲学」、またラテン語では「仕立て直された裁縫師」と言うわけでありますが、「衣裳哲学」「衣服哲学」、どちらでもいいのですけれども、それが戦前にはかなり広く読まれた。私もこれを改めて読みまして、例えば今の若者がこういうものを読むだろうか、あるいはこういうものが本当は必要なのだけれども、どのように読ませるべきかというサンプルとして、資料2-1に第一巻の序言のところだけをつけておきました。
 御案内のように、『衣裳哲学』は、トイフェルスドレック教授――「トイフェルスドレック」というのは「悪魔の糞」というラテン語です―が主人公です。トイフェルスドレック教授は想定された架空の人物でありますけれども、人間の発達の歴史の中で、非常に単純な衣服についてほとんど論じられもしないし、語られもしない。そこで、衣服というものの持つ文化的、哲学的、あるいは形而上学的な意味について、一風変わった偏屈、変人のようなこの主人公に語らせつつ、編者が全体をまとめているという、たしかこれは1830年代の初版です。当初はほとんど注目されなかったのですが、やがて大きな意味を与えたわけです。恐らく旧制高校時代の人は、たぶんこれを非常によく読まれたと思われます。新渡戸稲造の講義録が有名であります。
新渡戸稲造の講義録については、資料2-2にありますが、トーマス・カーライルの『衣裳の哲学』をよくまとめたものとして、実は私と一緒に共著で、台湾の李登輝さんが、去年、カッパブックスからリーダブルな本で、『アジアの知略』というものを出しました。これは李登輝さんの一面を知っていただく上でも興味深いのですが、ここに『サルトル・リザータス』について、李登輝さんなりにまとめてありますから、ちょっとそこだけを見させていただきます。資料2-2を御覧ください。

(資料2-2『アジアの知略』より引用)
 私は『台湾の主張』のなかでもいろいろなことを述べたが、いくつかの章で私個人、あるいは台湾自体が日本からたくさんの恩恵を受けていることを述べている。日本と台湾の関係には、 〟、植民地主義〟という一つの言葉で片づけるわけにはいかない、とても深いものがある。
 私はまず日本の正統な教育を受け、後に中国式の教育を受け、アメリカにも学んだ。ところが、私の人生にいちばん大きな影響を与えたのは、やはり日本時代の教育だった。
 新渡戸稲造の『武士道』(現在は岩波文庫)は、単純化して言うと、日本の純粋な文化の一面を強調したものだ。もう一つ、新渡戸さんの思想的な仕事に、台湾総督府で精糖事業の改良に尽くしておられたとき、毎年夏になると、当時二十近くあった台湾の精糖会社の幹部たちを軽井沢に集めて講義しておられたことがある。その講義こそ、イギリスの思想家トーマル・カーライルの『サルトル・リザータス』についてだった。『サルトル・リザータス』は日本では『衣裳哲学』として知られている。
 新渡戸さんは農学博士、法学博士、文学博士の三つの博士号を持っていて、けっして日本文化だけの人ではなく、西洋文化にも造詣が深かった。西洋文化のなかでもっとも典型的(ティピカル)なものはドイツのゲーテの精神であり、イギリスではゲーテを学んだカーライルだ。新渡戸さんはそれを研究しておられた。
 つまり、カーライルにもドイツ文学、あるいはドイツの文化の中に最も高い可能性を見出しているわけです。

(引き続き、資料2-2『アジアの知略』より引用)
 私が旧制台北高校一年生のとき、学校の教科書にカーライルの『衣裳哲学』が載っていた。そのおかげで、私は新渡戸さんの軽井沢での『衣裳哲学』講義録を読む機会を得られたのだった。私は、その深みを知って非常に感激した。

 その後が「リザータス」の要約です。

(引き続き、資料2-2『アジアの知略』より引用)
 トーマス・カーライルの『衣裳哲学』は、たとえ衣服についてのことであろうと、実は一人の人間の、人生の変化の過程を記したものである。はじめに出てくるのが創世記で、そこから彼がいかにして成長し、恋愛し、悲哀のどん底を経験し、虚無主義になってゆき、そこからいかに抜け出したか。そして、「永遠の肯定」を得て、人生を歩いてゆく。ゲーテの『ファウスト』に非常に似ている。
 私は彼の講義を読んだことを、いまでも一生涯、誇りに思っている。また、私の人生に必要なものを本当に教えてくれた。
 私がくり返し言う、若いときに受けた日本教育が持っていた非常に純粋な人間的な側面、つまり、人間とは何ぞや、われわれはどう生きるべきか、生死とは、といった問題を、あの時代に体得できたことを、個人として私は非常に感謝している。日本文化について私に理解があるとしたら、あの時期に私が受け取ったものが非常に大きかったということに尽きるだろう。本当に感謝している。
 と同時に、日本のみなさんが、今日のように文化的・工業的に発展を遂げたということは、明治以来長い時間をかけて西洋のものを採り入れ、そして自分たちのものを非常に深く見つめ、広めていったことにあると思うのだ。
 日本にも台湾にも、いまだ多くの問題が残されている。しかし、新しい時代に向かうにあたって、もう少し新渡戸さんの時代の考え方をもって、新しい出発をするべきだろう。日本人はもっと自信を持ちなさい、と言うのはこういうことなのだ。

 ちょっと長かったのですけれども、これはまさに戦前の教養教育を受けた、しかも植民地であった台湾の人がいかに日本の教養教育にインスパイアーされているか、それが今でも生きているかということのサンプルだと思います。こういうことを我々はどう考えるべきか。
 最近、ある大手の出版社の編集長から聞いたことですが、東大法学部を出て競争率の高い入社試験を受けて入ってきて人がいる。その人に、どんな本を読んだのか。「夏目漱石は読んだか」と聞いたら、「読んでいない」と言う。彼は漱石の何を読ませようかといろいろ考えあぐねて――私よりちょっと若い編集長ですけれども――『坊ちゃん』とか、『吾輩は猫である』はちょっと難しいかもしれない。だけど、東大の卒業生だから『三四郎』がいいではないかと思って読ませたところ、数ページ読んで、もう読めないと言ってきたという。とにかく1冊読ます。『三四郎』だったらということで、1冊読ませて、何とか読んだ。それが東大法学部を出て、日本の有数な出版社の編集部にかなりの競争の中で入ってきた学生なのです。その現実を見ると、李登輝さんも言われているトーマス・カーライルの『衣裳哲学』はきわめて難解ではあってもまさに人類の叡智なのですが、これを教養としてどのように考えていくべきか、旧制高校と現在の高等教育とのの落差に私は驚かされまして、皆さんにぜひお考えいただきたいと思いまして、ちょっと事例に出させていただきました。
 次に、皆さんの御議論の中にもありました、学際性と専門性ということについてです。これは実は、私自身が国際関係論という、戦後、まさに革新的な学問だと言われる学問を専攻いたしまして、「インターディシプリナリー」ということは耳にたこができるように聞かされ、自分でも使ってきました。同時に、「マルティディシプリナリー」、つまり「多専門的」という言葉も使ってきたわけですが、自分の反省として言いますと、一見、学際的ということはカッコいいのです。だけど、それが本当に学際的であり得るということは大変なことでありまして、そう簡単に教養教育として学際的ということが言えるかどうかという反省なり、疑問点を持っているわけです。つまり、教養のときは学際性よりも、深い古典みたいなものをきちんと身に付けたほうがいいのであって、本来の学際性というのは大学院、あるいは研究者になってから生きてくるのではないかということを反省を込めて申し上げます。
 そこで、私の著書に、中公新書で出ている『国際関係論』というかなり広く読まれているテキストがあるのですが、それを資料2-3に掲げさせていただきました。私自身も、資料2-3の28ページにあるように、学際性とディシプリンについて、「私自身は政治学を主たるディシプリンとして、中国や東アジアを中心とする国際関係論を研究し教授しているのであるが、たとえば学部の学生時代から大学院時代にかけて一所懸命に読み込んだ次の五冊の書物(30頁)は、直接、中国を対象にしているものではないけれど、毛沢東政治や文化大革命の分析・研究に当って、また中国を中心とした国際関係の諸問題を考える際に、きわめて有益であった。」と述べていまして、次の英文の表は飛ばしていただいていいのですが、私自身は5冊の本を掲げているのです。この5冊の本をゼミの学生にも必読文献にしました。必読文献はたくさんあるのですけれども、一番プレリミナリーなベーシックな必読文献として――もちろん永井陽之助先生の『政治学入門』などすばらしいテキストもあるのですが、自分で政治学とは何かということを考えるときに、私自身のまさに血となり肉となっている5冊の本をここに挙げたのです。
 一つはバーナード・クリックの『政治の弁証』。「弁証」という訳はあまりよくないのですが、「In Defence of Politics」ですから、「政治を擁護する」という意味です。これは日本の政治家にも読ませたい。政治というのはクリックのいうように本来は弁論の芸術であるのに、何か利権に結びつけたドブ板政治みたいなものが横行している今日、政治の本質を考える上で役に立ちます。
 もう一つは、独裁制についてで、シグマンド・ノイマンとかたくさん出ているのですが、私はレーデラーの『大衆の国家』が好きで、「State of the Masses 」、一種のポピュリズム批判なのですが、大衆の国家の欺瞞性、それが結局ナチズムに導いていったことを説明しています。
 もう一つは、皆さんもよくお読みになっていると思いますが、オルテガの『大衆の反逆』です。これはまさに毛沢東政治を考えるときに、本当にいいヒントになりました。
 もう一つは、社会心理学者として著名なエーリッヒ・フロムです。フロムは『自由からの逃走』などいろいろ書いているのですが、特に『人間の勝利を求めて』というのは、早くからソ連の管理社会、官僚社会の本質を突いているもので、非常にいい本だと思っています。
 もう一つは、ハンナ・アレントの『革命について』です。これはまさに革命は社会を進歩させるという幻想に対して、実は革命によって社会は進歩したことは全くないというアレント女史の逆説です。
 例えば、この5冊の本を私も徹底的に読んだのです。もちろん中国研究が専門ですから、『毛沢東選集』は隅から隅まで読みましたけれども、この5冊の本を読んだ上で『毛沢東選集』を読むのと、そういう基礎がなくて中国語を勉強して、すぐ『毛沢東選集』を読むのとでは全く違うと思いますし、私はそれがよかったことだと思います。
 結局、これは学際性というよりも、自分で選んでいいと思う古典についての教養なのです。カッシラーの『国家の神話』みたいなものを読んでもいいのですが、そういうものを若いときにきちんと読む基礎が今日の高等教育ではほとんどなくなっているのだろうと思います。最近、国際関係論や地域研究をやる人もこういうアプローチをとらずに、語学はできますから、語学の次はすぐに学際性だというので、ちょこちょこと安直に何かやろうとするから、中国研究でも、外国研究でも厚みがない。新聞のコメントにすぐ応じたり、国際シンポジウムに行って適当なことを言うにはいいけれども、どうも我々から――私もぼつぼつ年をとってきましたから――見ると、本当の学際性が生きているのかなと思いまして、こんなことを申し上げたかったわけでございます。
 そうしますと、国際関係論といっても、私の場合はどちらかというと政治学あるいは社会学がメジャーですけれども、一つのディシプリンを若い頃に明確に習得しないと、その上に乗っかる学際性はいかがわしいものになりはしないかという気がしております。
 最近、私は、「国際社会学」を唱導していますが、その場合に「インターナショナル・ソシオロジー」と言わずに、「ソシオロジー・オブ・マルティナショナル・リレーションズ」と言うことができると思いますが、そういう領域が本当の学際性だと思っています。それにはなおさらのこときちんとしたディシプリンを修めて、その場合に外国語の習得をしっかりやっておかないといけないということを申し上げています。
 そこで、皆さんの中からも出ていた教養教育としての外国語教育の在り方ですが、これはもう一つ、先ほど来申し上げていますように非常に大きな意味を持つと思います。従来の教養部ないし教養学部の中のかなりの部分は外国語教育にあてられていたと思います。そのことによって、例えば単なる語術として外国語、あるいは町の会話学校で習得できる外国語、現地に行って習う外国語ではない、教養としての外国語教育が教えられたと思うのですが、このところほとんどそうした外国語教育がなくなっているのではないかという気がいたします。
 「英語指導方法等改善の推進に関する懇談会」のリポートをここにつけさせていただいたのは、文部科学省の御要請で私が座長でまとめたのですけれども、このときも、いろいろなテープであるとか、リスニングの機器がものすごく発達している。例えば、ジャーナリストになる人には、大学の授業で英語の先生が適当に自分の専門を少しずつやるのではなくて、初めからCNNならCNNを聞かせてやれば、ものすごく英語力を習得する。そのとおりなのです。そのようなこともいろいろ書いているのですけれども、そのことと教養教育としての外国語という問題を区別して、もう一遍考えなければいけないのではないかという気がいたします。
 これはこれで英語教育の指導方法をぜひ改善していただきたいし、日本人がもっと英語ができるようになる必要がありますし、特にこのリポートの中では、外国語の習得を一般国民の外国語のレベルと、国際社会で活躍するような人材の外国語能力の向上と二つに分けて考えまして、ここにいらっしゃる茂木副会長にもいろいろお力をいただいたわけですけれども、これはこれとしてぜひ文部科学省でやってほしいと思います。そのことが即教養教育になるかどうかというのは今後の議論で、いずれにしても外国語教育の在り方はぜひ考えていただきたいと思います。
 次に教養としての情操教育について、音楽教育と幼児教育を取り上げさせていただきました。これは全く手前みそで恐縮ですが、私自身は鈴木鎮一さんの松本音楽院の第1期生でありまして、今でもヴァイオリンをしょっちゅう弾いていますし、年に1回の武道館の全国大会は、私が大会委員長で、私も子どもたちと一緒にヴァイオリンを弾くのです。才能教育に関して、今、鈴木先生が亡くなって、私はいろいろコミットさせられているものですから、才能教育運動のプラスもマイナスも知っているつもりです。偉大な鈴木鎮一個人の私生活まで含めていろいろなことを近くで見ていますから、そのことを濾過した上で申し上げたいと思います。
 ここに、鈴木先生が亡くなったときに、たまたま読売新聞にエミールに絡めて何回か連載みたいなものがありまして、私が書かせていただいたものをコピーにしてあります。鈴木先生は「どの子も育つ、育て方一つ」というモットーで、才能教育をやりました。世界にもいろいろな幼児教育があるのですが、あれほどいわば大きな運動になったものはないと思います。今、世界では、ここに40万人と書いてありますけれども、30数万人はスズキ・メソードで現に音楽をやっています。通過した人口はものすごく多いわけです。ところが、残念ながら我が国ではほとんど十分な評価を得ていない。特に文部科学省の教育の中では生涯教育とか、いろいろ言われるのですが、才能教育は全く民間の教育運動なのです。逆にそこに鈴木先生のよさがあったかもしれません。これが文部科学省から助成を得たり、そういう形であったら成り立たなかったかもしれませんけれども、まさに民間の教育運動でありました。それは一つには官の音楽教育とは違って、民の教育なのです。
 鈴木先生は芸大を出たわけではありません。しかし、ここにあるように江藤俊哉から始まって、諏訪根自子、豊田耕児をはじめ、最近では竹沢恭子、渡辺玲子に至るまで、ほとんどの演奏家は鈴木先生のお世話になっているわけです。
 にもかかわらず、いわば官学アカデミズムからは全くシャットアウトされていただけに、才能教育に対する批判もいろいろあると思います。それから、私が見ていて、批判されるべき点も才能教育運動の側にもあるのですけれども、しかし、彼が亡くなったときに、『ニューヨーク・タイムズ』も『ワシントン・ポスト』も一面で大きく取り上げているわけです。日本の教育家であれほど大きく取り上げられる人は恐らくいないと思います。そういうことからしても、鈴木先生の才能教育運動はもう一遍評価すべきではないかと思うのです。
 ただ、むしろ受け手の側、親の側にいろいろ問題があって、どうしても息子を演奏家にとか、夢見ますからね。それは全く大きな間違いで、逆に鈴木先生は演奏家を育てるためにやったのではない。ただ、幼時はどんな人でもやりますと、一番いいのは4歳ぐらいから始めればいいと思いますが、私は終戦直後ですから、そのとき小学校4年生だったので、私はもう遅いのですね。つまり、外国語教育と同じように、いろいろな認知度がついてしまいますから、ほかにも関心が向かいます。ですから、4歳から9歳ぐらいまでに始めますと、必ずメンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルトぐらいまで弾けるようになります。あるいは、そこまでいかなくてもモーツァルトのヴァイオリン・コンチェルトなり、あるいはビバルディの協奏曲なんかが弾けるようになるのです。
 だけど、才能というのは育てるのですが、ではその人たちがみんな世界的な演奏家になれるか、音楽で食べていかれるかというのは、全く次元が違うわけで、それはまさに天分だと思うのです。才能と天分を見分けなければいけないと思いますが、その見分けに失敗すると、逆にミゼラブルな生涯にもなる。もっとほかのところへ行ったらたくさんの可能性があった人が、なまじ音楽ができるがゆえに、親も一所懸命時間をかけて教育してきたがゆえに、ほかに転身できないで、初めはコンサートにも出たり、オーケストラにも入るのですが、あの世界はものすごく新陳代謝が激しいですから。世界の一流のオーケストラに入るときは、完全に黒い幕の向こうで聞かせて、全く恣意がきかないような競争の世界ですからね。そうすると、だんだん後ろのほうにいって、最後はそこからもはみ出す。で、いわば音楽の先生として、それも非常にすばらしいことで、それに満足できればいいけれども、そうでないという問題も……。そこにはむしろ大きな問題があるのですが。
 しかし、情操教育としての才能教育人口の持つ意味、それから日本の大学のオーケストラの質がよくなったのは、何らかの意味でスズキ・メソードのおかげだと思います。
 私自身も外国に行ったときに、音楽はまさに国境がないので。すぐカルテットが組めるとか、仲間が集まるとか、そういった経験があります。欧米の学者や外交官たちは実にそういうケースが多いのです。友人の丸紅の紿田専務もヴァイオリンが上手なので、一緒によく弾くのですが、ああいうビジネスマンは日本に少ないではないですか。そこに情操教育を教養教育の中でもう少し――何もスズキ・メソードだけでなくていいと思いますが――取り上げていいではないかということをお話ししたかったのです。教養教育の中に、音楽、あるいは絵でもいいと思いますが、感性教育、情操教育の部分をもうちょっと強調してほしいということです。
 それは同時に、生涯教育の課題としても重要です。外国語と同様に音楽は、プロになるのでなければ、いつからやってもいいと思うのです。最近、60を過ぎて定年になって、サン・サーンスの「白鳥」をどうしてもチェロで弾いてみたいといったケースがありますが、生涯教育でそこをやることもあり得ていいわけです。そのような形で、日本の文化の裾野を広げていくこともぜひお考えいただきたい。
 最後の資料は、「music of the heart」、日本では「ミュージック・オブ・ハート」と「ザ」が抜けてしまっていますけれども、ニューヨークのハーレムに集まった子どもたちは、大変な状況ですよね。学級破壊なんていうものではない。ハーレムの中でヴァイオリンが救いになって、50人の子どもたちのクラスがヴァイオリンによってまとまっていく。だけど、教育委員会あるいはニューヨーク市は予算カットのためにそこを閉鎖してしまう。そこでみんなで寄附をして、最後にカーネギーホールで、子どもたちと、あのときはアイザック・スターンも一緒に弾きますし、パールマンも一緒に弾くのです。アイザック・スターンという人はどちらかというと――亡くなったメニューインは才能教育に理解があった人です。パブロ・カザルスも松本にまで来て、鈴木さんに感動していくわけですが、アイザック・スターンは才能教育、スズキ・メソードに批判的だったのですけれども、ここではアイザック・スターンもパールマンなどと一緒にカーネギーホールで演奏するという大変感動的な映画なのです。そのパンフレットをちょっとつけさせていただきました。
 いろいろ雑駁なことを申し上げましたけれども、私なりの教養教育論を話させていただきました。どうもありがとうございました。

寺島委員からの意見発表

○ 寺島委員
 今日は教養教育の在り方についてということで話をさせていただきたいと思います。
 前の中教審のときにもこのテーマでお話しさせていただいた、ほぼその骨格を残しながら、その後の経験を踏まえて御報告したいと思います。
 私は10年間、アメリカの東海岸で仕事をして帰ってまいりまして、実はこの4年間に二つの大学で教壇に立ってきました。一つは宮城県立大学で、できたばかりの学校で、まだ4年しかたっていませんので、まさに教養課程のような、高校を出てきたばかりの学生を相手に、大教室で講義をするという経験を4年間しました。
 もう一つは、早稲田の大学院大学のアジア太平洋研究科というところで、これは半分が留学生という特殊な性格を持っている大学院大学ですけれども、中国人とか、韓国人の人も非常に多い。大学院ですから、少数で議論しながら講義したいと思っていたら、これも大変な人が聴講していまして、今年も約100人ぐらいで、大教室になっています。
 そういう経験をしながら、私は宮城大の学生たちに最初のときに、一体どういう人たちが私の話を聞いているのかということを調べるために、尊敬する人物は誰だということも含めて、アンケートをやったのです。アメリカ生活を10年して帰ってきたばかりでしたので驚いたのですけれども、かなりハイレベルの、偏差値の高い、優秀なレベルの、推薦入学で入ってきたような学生たちもいて、決してレベルの低い学校ではない。ところが、尊敬する人物ですけれども、スポーツ選手とか、タレントとか、要するに若者たちの価値観がどうなっているのかということを考えさせられる状況といいますか、わかりやすくいうと、テレビに出ていて、テレビで楽しそうに、さしたる知見もなく、騒いで、はしゃいでいれば、楽しそうに飯が食える人が、まるで人生において一番いい思いをしている人であるかのようなイメージで、人間観ができ上がっているのだなということに驚いたわけです。
 私は、教養教育というのは何かという大上段に振りかぶる気はないですけれども、一言で言うと、社会人として自分をどうやって制御するのか、その知性を身に付けさせることだと思っています。自分自身、経済の現場で生きてきた人間ですけれども、自分自身がどうやって今に至っているかということを考えたら、大変大きかったのは、納得のできる大人との出会いが自分自身を変えてきたと思います。高校時代、大学時代、あるいは社会人になってから。
 若い連中と議論していると、一番感ずるのは、自分が揺さぶられるような納得のできる大人に出会ったことがないというか、大人社会がモデル形成力を失っているというか、ああいう人になりたいという人がいないという状況です。ああいう人にだけはなりたくないという人はいっぱいいるのだけれども、ああいう人を目指して生きようというものが混乱しているというのが偽らざる実感です。
 そういう中で、「脳力(のうりき)」というのがものすごく弱っているのです。「脳力」というのは私は盛んに使うのですが、南方熊楠が使った言葉ですが、物事の本質を見抜く、考え抜く力みたいなものです。どうして「脳力」が弱っているということが言えるかというと、私は実は『一九○○年への旅』という本を新潮社から出していまして、いまだに『フォーサイト』という国際情報誌で連載を続けています。上巻の「欧州篇」が出ています。今から100年前の1900年、パリからスタートしていますが、例の『坂の上の雲』という司馬遼太郎さんの小説の主人公でもある秋山真之という日本海海戦の天才参謀と言われた軍人が、1900年にエッフェル塔に登っているのです。実話ですよ。エッフェル塔というのは1889年にできて、その10年後、エッフェル塔の上で同僚と、これから日本はどうなるのだろうと議論したのを日記に書き残しているところからスタートしています。
 1900年というのは、夏目漱石がロンドンに留学し、南方熊楠が大英博物館で働いていた年でもあります。そういう足跡を追っかけたのです。それらの人たちが何を考えていたのか。
 何のためにそんなことをやっているのかというと、自分なりに学生に対していろいろ語りかけるときに、ブロックを積み上げるみたいに、20世紀というのは一体何だったのかということを本質的に考え抜いてみようと思って、そういう作業をいまだに続けているわけです。「欧州篇」が終わって、今、「アメリカ・太平洋篇」に入って、ずうっと追っかけています。先月はインドに行って取材したやつを生かして、ガンジーについて書いたところです。
 いずれにしましても、そういう作業を続けながら、先程、中嶋委員もおっしゃっていましたけれども、1900年前後の日本人と今の我々の違いは一体何なのかということをじいっと見ていると、さっき名前が出ていました新渡戸稲造が『武士道』を英文で出したのが1900年です。その前後に内村鑑三の『代表的日本人』も、岡倉天心の『茶の本』『東洋の理想』も、英文で世界に向けて発信されていっています。明治維新から30数年たったころに、当時の国際社会に先頭を切って出ていったような人たちが、西洋化の潮流の中で、日本人とは何なのだろうかということを徹底的に考え抜いて、しかも、英語でそれを表現して、世界に向けて発信していったというのが、ちょうど1900年前後に集中しているというのは非常に興味深い事実です。私自身、今、世界中を動きながら、本屋に行くのが趣味みたいな人間ですから、本屋へ行って日本に関するものでどういう本が置いてあるかということをじいっと眺めると、残念ですけれども、100年前の先輩が出していった本を質的に超えている本にお目にかからないということです。一体この100年というのは何だったのだろうかと思うぐらいのものです。
 要するに、100年前の日本人というのは、西洋化という大きな時代の潮流の中で、自分たちのアイデンティティーを求めて真剣に思索したということは間違いないです。そういう中から物事の本質を考え抜こうとするようなスタンスがうかがえる。それを新渡戸さんは第一高等学校だのの教壇に立ちながら懸命に学生たちに教えたというのが一つの流れだったのだろうと思います。
 なぜ「脳力」が衰えているのだろうかと思うわけですけれども、メディア状況が一つには大変大きな影響を与えていることに気づきます。というのは、思索が収斂しないメディア環境の中を生きているのです。わかりやすく言うと、携帯電話を握り締めて、年がら年じゅう携帯電話をかけている。eメールを打ち続けている。雑誌、新聞、テレビも、ザッピングという見方があるのです。要するにチャンネルを切り替えるボードを握り締めながらテレビを見ていて、同時に他チャンネルを見ている。さわりだけを見て歩いてるわけです。カチャカチャ切り替えながらテレビを見ている。一つのチャンネルを10分として落ちついて見ていられないということです。つまり、頭の中はグチャグチャなのです。表層的な知識はあふれるほどにあるし、一日じゅうだれかとコミュニケーションしているのだけれども、深層のところでじっくりつながり合っているものを持たない、非常にうつろなメディア環境の中を漂っているから、ズシーンと下っ腹に響くような物の見方や考え方を持っている人間が出てこない。年齢の問題ではなくてね。
 そこでじっくり考えてみて、私自身が講義の中でそういうスタンスで臨んだということでお聞きいただきたいわけです。どうやったら自らを制御できる知性が身に付くのだろうかということです。これは別な言い方をすると、自分を客観視できる知性だと思います。自分というのは一体何者であるのかを客観視させることが教養教育の本質だと思います。自分は何者であるのかということです。それは時間軸と空間軸の中でしか自分を確認できないわけで、歴史のどういうところに自分が立っているのかということを徹底的に認識させる。それから、世界のどういうところに自分が立っているのかということを認識させるための機会を徹底的に与えていくのが、一つの解答なのだろうと思うわけです。当たり前の話なのですけれども。
 そこで、いわゆる歴史教育という議論に入るわけです。歴史の中で、一体我々は今どういうところに立っているのかということを認識できないような人間が教養人であるわけがないわけです。ところが、日本人の戦後、特に戦後生まれの日本人ですね。私も戦後生まれのちょうど先頭世代なのです。昭和22年生まれです。これ以降の世代は、要するに歴史について近代史を喪失している世代なのです。縄文、弥生からスタートした歴史が、高等学校の歴史なんていったって相当いいかげんなものでありましたけれども、江戸時代ぐらいまでくれば息切れして、あとは自分で自習すれやという世界で、近代史は逃げ回っていた。なぜかというと、時間の制約があるからだけではなくて、先生自身もこわい分野で、近代史について解説するというのは並み大抵の知性ではないというか。
 そこで、歴史意識のところでちょっと申し上げておきたいのは、歴史教育は大切だという議論をする人たちは、国権主義的な様相を帯びている人がすごく多いのです。例えば、今盛んにうわさになっている『国民の歴史』なる議論も、『国民の歴史』的な東京裁判史観みたいなものを否定して、民族の自尊心を取り戻そうというような視点で歴史を書こうという人がいたって構わないと思います。教科書としてそれを採用するかどうかは別にして。だけど、近代史について自分たちの後輩の世代に伝えていくべきことは、日本近代史の二重性というやつを的確にしっかり伝えるということです。自分の価値観だけで押しつけるのではなくて。
 というのは、確かに日本が自分も植民地にされてしまうかもしれないような緊張感の中で開国して、列強模倣の路線をいっているうちに、自分自身もいわゆる列強と同じようなスタンスの中に引きずりこまれていって、例えばアジアに対して「親ア」が「侵ア」のほうに反転していった二重性について、深い詳察を持った歴史観を持っていないとまずいと思います。つまり、日本近代史の二重性を一つの教科書で教えるのではなくて、様々な見方がある中で、自分で考え抜く機会を与えるシステムが重要だろうと思います。
 『国民の歴史』という本を読んで、この本はだめだな、危険だなと思う一つの例は、私の意見として伝えるために申し上げわけですが、例えばこういうことなのです。うそは書いていないという意味において、例えばベルサイユ講和会議。一つのポイントです。何が危険かというと、例えばあの本の中には、ベルサイユ講和会議で――『国民の歴史』という本のほうです、教科書のほうではなくて。『国民の歴史』の歴史観が教科書に反映していったわけですから。『国民の歴史』では、ベルサイユ講和会議というのは、日本が列強の一角を占めて、初めて国際会議に出ていった会議です。第一次世界大戦後で、西園寺公望が100名を超すデレゲーションを引き連れてパリに乗り込んでいった。
 そのときに、こういうことが書いてあるのです。日本は人種差別反対決議というのを提示したけれども、欧米のあれでもってこれは葬り去られたというニュアンスのことが書いてあるわけです。それもうそではないのです。だけど、歴史というものを深く考えることは何かということを子どもたちに教えるときに、その視点は余りにも浅いし、恣意的だというか。
 私はこのことを、『一九○○年の旅』で詳しく調べて書いてあるわけですけれども、例えば日本とパリの間を行き交っていた公電まで分析した新しい資料が出てきていますが、ウッドロー・ウィルソンが出した国際連盟という案、つまり集団的安全保障の原点みたいな考え方ですね。今後、国民・国家間の紛争は国際連盟型の構想で処理していかなければいけないという案が出てきたけれども、日本のデレゲーションは何でこんな構想が出てくるのかその持つ意味がわからなかった。植民地主義的な思想が時代の潮流だと思っていた日本のデレゲーションをはるかに飛び越えたウィルソンの構想に対してついていけなかった。
 東京と行き交っている電信は、帝国の利害は山東利権をドイツから引き継ぐ1点にあり、あとはあらゆることを妥協しても、それを材料にして山東利権を奪い取れという1点だけです。要は、人種差別反対決議も、国際連盟に入らないよとすねてみせるスタンスも、アメリカに対する交渉材料として散りばめて、山東利権だけを奪い取れということでこの国は生きたということです。歴史の解釈がいかに難しいかということのために、今この話をしているわけです。「人種差別反対決議というのを出したんだけどさ、結局、葬り去られたのさ」という歴史観でとらえるのか、そうではなくて、この国が持っていた本音とその中でどういう展開があったのか、全体を理解しながら近代史を深く洞察していくことは全然違うということです。
 そういう意味で、ただ国家主義的な発想で、いわゆる国民の民族意識を高めんがための歴史意識という視点での歴史教育が大切だという文脈で言っているのではなくて、日本近代史の複雑な二重性をしっかり理解させていくことを率直に語っていくような歴史観で学生たちに立ち向かっていかなければいけないということです。
 それから、空間軸ということですけれども、これは日本という国がいかに世界の国の中で特殊に恵まれているかという表現をとるとあれですけれども、例えば昨日もイスラエルの交換留学で来ている先生と議論していたら、国内に民族間の対立があって、テロが今にも起こるかもしれない状況だとか、近隣の国がいつ襲いかかってくるかもしれないような緊張感の中で生きている自分たちと比べて、いかにこの国の学生が恵まれているのかが骨身にしみますという話を彼はしていました。要するに世界は広くて、自分たちがどれほど恵まれた環境の中にいるのかということは、徹底的に語る必要がある。そういう意気で書いてあるわけですけれども、自分の存在感を相対化させるということです。
 私が宮城大学の教養課程でやったのは、「21世紀に向かう日本」という広いタイトルでの講義を続けて、『一九○○年への旅』みたいな素材をベースに話をしたわけです。1年ぐらいたって、しっかりそれをベースにした資料を読み、本を読んでくると、尊敬する人物はというと、タレント、スポーツ選手、中には自分自身なんて言っているようなやつが、血が下がってくるというのかな、わかりやすく言うと、自分なんていうのは大した存在じゃない、ということに気がついてくるというか、やはり世の中にはものすごいものを背負って生きている人がいるんだなということを知ってくると、人間、謙虚になってくる。謙虚になってくるということが何かの出発点なのです。おれはだめだから頑張らなきゃいけないという気持ちになってくる。そういう中から、冗談ではなくて、わずか4年間でしたけれども、例えばスリランカにボランティアで行ってこようなんていう学生が何人か出てきて、行って帰ってきたら人間変わっちゃって、そういう連中がまた一所懸命就職戦線に出ていって、しかるべきところに就職して今現場に出始めています。
 歴史軸、空間軸、自分を相対化させるアプローチをシステムとしてしっかり考えなければいけないというのが、教養教育としてまず柱ではないか。
 それから、さっき申し上げたことなのですが、大人社会への尊敬の気持ちというのが今の子どもたちに全くないわけです。これは当たり前なのです。大人社会にモデル形成力がないとさっき申し上げたことです。これは今日のこういう場で語ることではないから、別の機会でもあればと思いますが、要するに日本という社会に巨大な虚構があるのです。例えば憲法問題から、日本とアメリカとの関係も含めて、大人社会が納得のいかない不条理なものに果敢に立ち向かっているということを子どもたちが印象づけられていないのです。ずる賢い、ただ経済的に恵まれていれば、じっと文句を言わずに、生きている姿をさらけ出しているわけで、そういう大人社会に対して心からの、本能的に――何も深く考えているわけではないのだけれども、心からの軽蔑の気持ちがあるから、オヤジ蔑視みたいな風潮ができ上がってくる。
 そこで、2点目のポイントですけれども、経済の現場で起こっていることの話に移ります。これは私のもう一つの顔で、経済の現場でいろいろ議論したりしているわけです。今、子どもたちから見て、自分たちを待ち構えている社会に対して、本能的に気づいているのです。どういう社会が自分たちを待ち構えているのか。例えば、真剣に生きるとか、努力するということが報われる社会なのかということについて、それなりに本能的に気づいている部分があるのです。
 それは何かというと、例えば、今、新資本主義という、これまたちょうど私が最近出した本に『「正義の経済学」ふたたび』という本があるのですが、これは今のアメリカ経済批判です。要は、新資本主義なるもの、IT革命とグローバル化が掛け合わさった状況というのがあって、市場主義、競争主義を貫徹していく価値の中で走っていますけれども、現実にアメリカの経済の実態が、この90年代に急速にマネーゲーム化して、ウォールストリートに依存して飯を食う国みたいな性格を一段と強めてきて、ITで武装した金融というやつです。カッコよく言うとベンチャー型のビジネスモデルとか言っているのですが、IPOだけを自己目的にしたマネーゲーム状況みたいなものが繰り広げられて、それがインターネット・バブルなるものとしてついこの間まで闊歩していて、それがはじけてという状況に今あるわけです。
 そういう中で、吹きすさぶ拝金主義といいますかね。日本だって笑えないのです。地方のまちへ行ってみて、立ちくらみが起こりますよね。地方のまちで、駅に立ってざっと見渡すことにしているのですけれども、夕方目立つネオンサインというのは、サラ金とパチンコ屋の看板しか立っていないような国にしちゃったのです。そういう中で、子どもたちにまじめに手に職をつけて生きろなんていう話がどれほど虚しいかということです。
 そこで、「IT革命がもたらす労働の二極化」ということがここに書いてあるのですが、何かというと、IT革命というのは極端に言えば、ITを注入することによって労働を平準化していこうという流れですから、メガトレンドとしては「スピード経営」という言葉で経営学の世界ではカッコよく言っていますけれども、「スピード経営」とは何かといったら、一言で言うと、経営のシステムに年功とか、熟練を価値としない方向を目指そうということなのです。どういうことかというと、余人をもってかえがたい人を育てていけばコストがかかるから、できるだけシステム化して、平準化して、現場を効率的に支えていこというのがあるわけです。ですから、「スピード経営」の極限形態というのは、戦略企画力を持った経営企画責任者と、その周りをカーキカラーと言うのですが、カーキ色のシャツという意味で、ブルーカラーでもホワイトカラーでもないという意味ですが、情報システムの設計者が少数取り巻いて、中間管理職を一切排除して、ストラテジック・ビジネス・ユニットと言われる戦略目的をはっきりさせた戦闘単位をダイレクトに効率的に管理していけるシステムができたならば、一番コストがかかりませんなという仕組みなのです。
 私のところの幹部にもよく言うのですが、コンビニエンスストアのレジのところに行って5分じいっと見ていたら、今、時代がどうなっているのかというのがわかります。というのは、あそこで繰り広げられているのは、今日、A子さんがふてくされてやめていった。翌日やってきたB子さんが、引継書もマニュアルも研修も受けなくても、何事もなかったかのように現場が維持できる。それは、あなた、せめてバーコードぐらいなぞれるでしょうという仕組みで、バーコード型の経営管理をしていける体制ができているから、だれが働いていても同じという時間給で支えていく仕組み。アウトソーシング経営という言い方がよくありますが、どこの会社だってそうです。今、世界のトレンドとして、できるだけアウトソーシングできて、コストが安くなるものはアウトソーシングしていこうという流れになっています。それは別な言い方をすると、アウトソーシングできるほどに平準化できているということなのです。だれがやっても同じという意味で。そういう流れの中で、高度な判断業務と単純なマニュアル労働が二極分化して、中間管理職なき経営みたいなものが現実にアメリカでは起こっています。これは雇用統計を分析すればすぐわかります。
 そういう中で、わかりやすく言うと、限りなく分断された知性というのか、時間であるスキルだけを切り売りするような仕事。これは時間の制約がありますので、ズバリ言ってしまうと高級フリーターと低級フリーターになってきているのです。高級フリーターというのは、自分はMBA出たの、Ph.D出たのと思っていますけれども、会社を渡り歩いて自分のあるスキルだけを売って、ある給料をもらう。これは外資系のコンサルティング会社だの、金融機関だのに働いている人たちで、日本企業をドロップアウトして転々と移り歩いている人たちの姿を見ているとよくわかります。分断されたある部分だけで、金もらえればいいでしょうという話で渡り歩いていく。
 低級フリーターというのは、言うまでもなく、今、フリーター350万人という数字まで出てきているぐらいで、この間、朝日新聞が、東大卒34歳フリーターなんていうのをあえて特集していたときもありました。要するに、縦社会のストレスを逃れて、縦社会に帰属しているよりも、自由に時間を切り売りしていたほうがいいという職場環境に対するあこがれみたいなものがあるわけです。それを別な言い方をすると、縦社会に帰属していることのメリットが薄れているという部分もあるわけです。なぜかというと、今申し上げたように、縦社会に帰属していても、中間管理職の階段をよじ登っていくことのメリットが見えなくなってきているからなのです、IT革命と市場競争化の中で。
 NHKドキュメンタリーで「なんとなくフリーター」というのをやっていましたけれども、私は解説にまで出たのですが、よくわかるのです。ものすごく象徴的な映像が一つあるのです。今年3月のある都立高校の卒業生の5割以上が大学も受験しなかったし、就職もしなかった。何をやっているのかというと、フリーターをやっているわけです。その人たちを追跡レポートしたのです。どうしてフリーターをやっているかというと、自分探しだというのです。本当に自分のやりたいと思うことがわからないから、自分のやりたいことがわかるまでフリーターをやっているのだと。12~13万円の給料にはなるのです。例えばコンビニのバーコードなぞりでも。フリーターというのが新しい生き方であるかのように喧伝している人もいるけれども、実は未熟練の低賃金の未組織労働者なのです、一言で言ってしまえば。それらの人たちが新しいライフスタイルだとおだてられて、そういう生き方の中で生きているのだけれども、彼らの気持ちもわからないでもないという部分があるのは、象徴的な映像があるのです。
 夕方4時ごろ、フリーターで、夜、コンビニエンスストアに働きに行くという男が、テレビゲームをやっているのです。フリーターの割には物持ちがいいのです。なぜならパラサイトをやっているから家にいっぱい持っているわけです。テレビゲームだ、テレビだ、オーディオだで、それなりに楽しんでいるわけです。お父っつあんが隣で垂訓垂れているのです。「おまえ何やってんだ。とにかく手に職をつけないとだめだ」とか、「そんな生き方してたら嫁さんも来ないぞ」とかってギャアギャア言っているわけです。ところが、どこ吹く風なのです。その子の話が、おやじが外に出ていった後に出てくのです。何て言っているかというと、「おれはおやじのようになりたくないんだ」と言うわけです。「おやじは興奮して、会社、会社と言ってたけども……」。リストラされて家にいるわけです。4時ごろ家にいるという意味はそういうことだったのです。
 そういう状況下で、社会的伝承とか、ポリティカル・ソーシャリゼーションという言い方がありますけれども、教育を施す基盤が崩れているのです。つまり、先輩のようにやっていったら、自分の人生が設計できるというものが崩れてきているのだから、先輩のようにやっていてはいけないという世界が目の前に待ち構えているのだから、まじめにやれと言ったって、まじめにやるモチベーションがわき上がらない。雇用環境が液状化現象になっているのです。ドロドロになってきている。
 そこで、働く意義の再構築といいますか、若者の予感に対して、働くことの先に何が構築きるのかということをつくり上げていかなければいけない。以前は資本主義の腐敗とか、矛盾に対しては、階級共同体という実験で、一応対抗勢力としての社会主義だとか、それを信奉している労働組合という勢力が一応この国の中にもあって、それが55体制の一翼を担っていたわけです。今、液状化してきていることの危険というのは一体何なのかといったら、資本主義がいわゆる対抗勢力を失ったのです。わかりやすく言うと、労働組合運動さえ成り立たなくなってしまった。働く人間にとってみると、労働組合の液状化というのはものすごいインパクトがあって、組織率が急速に下がっているのです。なぜならば労働組合に帰属していることのメリットが見えなくなってきているから。労働組合は組織化がものすごく難しくなっています。
 例えば、さっきのアウトソーシングというやつで、昔だったら大企業の場合、100人の部というのがあって、その100人は全員その会社の正社員だったのです。ところが、今やアウトソーシングだ、逆派遣だ、何だかんだで、半分ぐらいしかその会社の人は座っていなくて、あとはほかの会社の背番号のついた人が、あるニーズのもとにそこに座っているという状況で、労働者は団結しろの、いわゆる職場集会を開くのなんて言ったって、ピントのずれた話になってしまうわけです。液状化が起こっているから、束ね切れなくなってきている。
 そこで、連携の基点が何もなくなってしまっているのです。昔風の学者だと、読んでいると吹き出してしまのだけれども、弱者の連帯だとか、苦しみを受ける者の連帯という言葉で、階級史観的に連帯しなければいけないなんていう話を聞くと、何ピントがずれているのだという話で、爆笑ものの話になってしまうわけです。そういう意識が全くない人たちが、つまりそういう階級意識も、連帯の基点になる意識もすべて失って、それぞれ分断された知性の中で、ただ砂のように漂っている。アトム化した人間が職場の中にポツンと座っている。アメリカの労働分配率を見たらわかります。IT革命が進行していくのに伴って、急速に労働分配率が落ちています。バラバラにアトム化していっているからです。 そういう中で、これから「ネット共同体」というのがキーワードだと私は言いたいからこんな話をしているのですけれども、ITのネットワークを使って、新しい連携のシステム、問題を社会化させていくようなシステムが重要になってくるのだろうと実は思っています。
 その話の中の延長で申し上げるのですけれども、最後のポイントですが、社会工学的なアプローチの重要性ということです。そういう中で、社会的な意識を持った若者をどうやってつくっていくのか。官と公は違うというのが私の言い続ていることですけれども、官による規制と、公による制御は全然違う。日本にパブリック、公という概念をしっかり育てていかなければならない。
 そこで、社会工学の一つのシンボルマークのような存在がNPOで、アメリカは120万団体、1、000万人がNPOで飯を食っています。言うまでもなく飯を食っているということが重要で、ボランティアではないのです。
 三つ意義があります。一つは失業率を下げている。3~4万ドルの平均収入とはいえ、とにかく1、000万人が飯を食えるのだから。
 2に、社会政策のコストを下げています。要するに小さな政府にしていくためには、税金でもって何もかも賄っていくというのではなくて、公共的な目的性の高い仕事、地域の教育とか、文化活動とか、環境保全でも何でもいいのですが、そういう公的なものに対してみんなで綱引きのひもを長くして引っ張る仕組みとして、現場を支えていく力としてNPOが機能しているものだから、明らかに社会政策のコストを抑えています。
 三つ目、これが私は重大だと思っているのですが、働く意義、つまり時間を切り売りして、マニュアル労働で満足して生きろといったって、人間というのはそうはいかない。自分が家族にも敬愛されたり、地域社会からも尊敬されたり、何よりも自分自身が、おれは世の中の役に立つ仕事をしているのだというものがなかったら、生きていけるものではないです。そういうときに、NPO型の仕組みがすごく重要な意味をもたらしているということです。
 一つだけ例を挙げさせていただきますと、おととい発会式があったのですが、商社という私どもの業界です。日本貿易会という業界団体があるのです。私自身、運営委員をやっていて、それをものすごく提案して、1年半かかってしまいましたけれども、NPOをつくったのです。日本貿易会の業界団体NPOで、国際貢献センターというのです。何なのというと、商社マンで定年退職が近づいている人たちに、いわゆる社会的に働く意味のある仕事を提供しようというNPOなのです。人材派遣プログラムに乗っかって、例えばアジア、中南米、昔、商社マンとして自分が飯を食わせてもらっていた地域に、まだ元気なうちは夫婦2人で行って、500万ぐらいの金にしかならんけれども、世の中の役に立つ仕事で第2の人生は送りたいという人たちに、その受け皿になるプラットホームのNPOをつくったのです。認証されたのです。ついに正式のNPOになったという発会式がおとといの晩にあったのです。驚いたですね。三菱商事の私と同じ年の男がなぜか情熱を燃やして、手を挙げて事務局長をやっているのですけれども、既に950人の商社マンの先輩たちが手を挙げて、おれはその仕組みで行きたいと言ってレジスターしたというわけです。ですから、日本もだいぶ変わってきているのです。
 業界団体というのが自分たちの利害を束ねて、官庁にどなり込みに行こうというそんな次元の話から、業界団体でさえ自分たちの役割を変えていかなければいけない。経済団体なんかなおさらのことです。そういう意味で、社会的な雇用の創造、別な言い方をすると、社会的に働く価値のある雇用の創造に知恵を絞らないと、これはイギリス労働党が第2期に入るときに、私はこの間ちょうどイギリスを見てきたところですけれども、そう言っては失礼ですが、今の小泉さんのやっているようなことを延長していくと、とんでもないことになるなと思っているけれども、いずれにせよ社会政策でバランスをとらないと、市場主義みたいなものを貫いていけば世の中がよくなるのだと思っていたら大間違いでね。余計なことを言う気はないですが、要は社会的雇用の創造をしっかりやらないと、大変だということが一つ。
 もう一つは、企業側の採用とか、人材評価の基準の見直しも、これは言うまでもないことなのであれしますけれども、NPOとか、ボランティア活動に対する評価のシステム化です。
 それから、この分科会ではないところでも盛んに発言しているのですけれども、教員の柔らかい再リクルート。つまり、現場体験を持った人間を、単にNPOとかボランティアではなくて、正規の教員として、これは文部科学省も柔らかいシステムにするためにだいぶ動いておられるので、何をかいわんやなのですけれども、例えばさっきの商社マンで海外の体験をしてきたような人間を、高校とか、中学の現場に3年ぐらいの年期を決めて再リクルートしていくような仕組みをつくるというのが、制度的にもおもしろいのではないか。
 私の話は、そんなことを考えているということだけをお伝えして、終わらせていただきます。

○ 鳥居分科会長
 どうもありがとうございました。
それでは、中嶋委員と寺島委員のお話を引き金にさせていただいて、この後、自由討議にさせていただきます。どうぞ御自由にお願いいたします。

○ 寺島委員
 もう1点、忘れていたことを言わせていただきます。
 アジアの大学ネットワークをぜひ実現していくということを一つだけ言いたかったのです。というのは、さっきのスリランカのボランティア体験をした学生の変身という話ではないですけれども、やはり欧州を見ていると、EUの中で学生がどの大学に行って単位を取っても、それが一つの単位として認定されるような仕組みがあって、それがEUという大きな意識を盛り上げていくにも非常に意味がある。EUとは違いますから、簡単にアジアにそれを持ってこれませんけれども、今度の大学改革で、例えばつい先週も北海道の室蘭工業大学の学長さんといろいろ議論したのですけれども、北海道内にある国立大学は全部一元化し、連携し、それとアジアの大学が連携しながら、単位の相互交流をやっていくことによって、圧倒的に大学の雰囲気が変わるといいますか、学生の物の見方も変わるというようなことがあるので、そういう面でのアジアの大学のネットワーク化が、さっき申し上げた歴史軸、空間軸の意識を広げていく上で、大切な具体的なアイデアではないかということを一言言い残したので、発言させていただきます。

○ 鳥居分科会長
 最後に出された問題は、実は文部科学省もほんとにわずかですが、予算を出され、それから国立大学協会と私立大学団体連合会が多少の予算を出して、中嶋委員が事務総長になってUMAPというのを始めたのです。ちょっと紹介していただけますか。UMAPは、中嶋委員は一所懸命やってくれているのですけれども、ほかの大学の教員はシレーッとしているのです。大学間の連携ネットワークなんて知ったことかと。その状況を中嶋委員から皆さんに御紹介していただきたいと思います。

○ 中嶋委員
 今度機会がありましたら、UMAP(アジア太平洋大学交流機構)の新しいパンプレットができておりますので、事務局からでも配っていただくといいと思います。UMAPはもともとは1990年代の初頭に、オーストラリアのAVCCという大学長会議が発議しまして、何年もかかりまして、2年に一度ぐらいずつ会議をやってまいりました。その会議には国大協からも当時の井村先生であるとか、会長、副会長などもしょっちゅうお出になっていたのです。そのうちに、単に会議をやるだけではなくて、具体的な単位互換をやる方向に進んでまいりまして、98年のバンコクの会議で、UMAP憲章(コンスティチューション)が採択されまして、それとともにUMAPの国際事務局を日本に置くということになりました。それは前から約束だったのです。国際公約だったのです。ところが、日本に置くといってもそう簡単ではなく、言ってみればこれもNPO、あるいはNGOみたいなものですから、どこに事務局を置くのか、予算をどうするか、いろいろ難しい問題がありまして、そこで当時、文部省にも非常にお世話になり、国大協側からは私が責任者で、東大の駒場に仮に事務局を置きまして、それで活動を進めてまいりました。
 国際的には徐々に広がってきておりまして、各加盟国もAPEC方式でお金を出すことになりました。徐々に単位互換も始まりました。ようやく今年度から具体的に、UMAPの枠組みで、学生の単位互換制度が進みます。この8月にはUMAPリーダーズ・プログラムも東京外大と九州大学で行われます。それも初めてのことです。授業は英語でやるのですけれども、そのようなことが始まりました。そして、これは国公私が一緒になっているというのがおもしろい試みでしてね。今まで日本の大学というのはみんなそれぞれの部屋があって、国立大学は国立大学、私学は私学ということですが、とにかく少ない予算ですけれども、国公私の各協会にもサポートしていただいてナショナルのコミッティができ、そして国際事務局があります。来週、国際研究大学村が正式にオープンするのですが、そこに駒場のほうから国際事務局が移ってまいります。UMAPは、徐々にこれは大きな意味を持ってくると思っています。私も国際理事会、その他で、日本に少なくとも2005年までは国際事務局が置かれることになりましたものですから、ボランティアの活動というか、多くの方々の御協力を得てやっていかなければけないと思っています。最近、ワークショップをやりますと、各大学の留学生課の方とか、皆さん大勢集まりまして、しかも、例えば私学、早稲田なんかも入って、ICUとか、留学生を受け入れてくださっているところには、UMAP枠組みで、派遣留学生ですと月に8万円ぐらい、受入れ留学生ですと17万円余の奨学金がつく枠組みを差し上げているのです。これは日本国際教育協会がその配分をやっています。我が国の社会貢献というか、国際貢献の一環としてもようやく位置づけられてきているということですので、ぜひよろしくお願いいたします。

(2)自由討議

○ さっき中嶋委員から、コミュニケーションの道具としての英語の大切さというお話がありまして、私も全く同感です。最近、私がちょっと感じていることに、どうも日本人は英語ばかりではなくて、日本語のほうもコミュニケーションの能力が十分でないのではないか。別な表現をすれば、表現力が何かはっきりしないといいますか、そんな感じがいたします。国際会議とか、いろいろなビジネスで海外に行くチャンスがございますが、外国人と比べて、その点、若干劣っているのではないかという感じがしております。これはコミュニケーションのテクニックとか、そういうのはいろいろ教えるところもあるわけでございますが、その基本になるものですね。テクニック以前の問題がちょっと不足しているのではないかという感じがいたします。そこら辺が教養教育の中に恐らく入ってくることになると思うのでございますが、テクニックのほうは教養教育ではありませんけれども、その基本になるものですね。これは英語もまさにそうなのですが、日本語のほうももう少しやる必要があるのではないかという感じがいたします。大学レベルあたりでももっと文章を書かせるということもやっていいのかなという感じもいたします。殊に最近の傾向としては、前よりも悪くなってきているのではないかという感じすらいたします。

○ 鳥居分科会長
 前に別の委員もおっしゃったことでありまして、私も、日本語能力が急速に低下しているのは教授たちだと思います。彼らがしゃべる言葉と黒板に書く言葉と論文に書く言葉はすさまじい荒れ方だと思います。

○ 日本語の問題が確かにありまして、この間も申し上げましたとおり、国語教育の徹底的な破壊がここ20~30年でなされてきたということです。例えば大正7年に小学校4年生で14時間あったのが、昭和15年に12時間、今は5時間とかそのぐらいです。結局、それがだめになるとどういうことになるかというと、日本語の取り扱いが下手になるとか、そういうことよりも、思考力自身が全然育たないのです。例えば論理的思考力は、これから国際人となって海外に出ていくのに最も重要なものですけれども、英語のうまさよりもはるかに重要なわけです。論理的思考力というのは国語を用いて言語的に訓練する以外にほとんど育てることはできないのです。よく数学者とか、数学教育者たちが、数学を学べば論理的になると言いますが誤りだと思います。言語を用いて論理的思考を教える。すなわち、言語を通して物を書かせたり話させる、主張させるということです。そういうことをしないと論理的思考は培うことはできない。大切なものが学年とともに多くなってくるわけですが、少なくとも国語教育が初等教育ではダントツの重要さを持っている。それから、今、委員がおっしゃられたとおり、大学ぐらいになっても、現在の貧困な国語能力を考えると、やはり書かせるということも大事になってくるのではないか。まさにちょうど20数年前、私は3年間アメリカで教えていましたけれども、そのときのアメリカの学生の悲惨な英語能力とほとんど全く同じ状況に日本の大学生がなっているということです。やはり国語教育の復興がすべての教養教育の底に横たわる最大の問題だと思います。

○ 鳥居会長 ありがとうございました。
 よく自然言語、つまり母国語と国際語、それと情報言語、人工言語との対比で物を考える考え方がありますが、情報言語も、今の委員のお話を伺っていると、自分の日本語とか、あるいは英語の表現能力がまともでない人が、情報言語にeメールを打ち込んだり何かするのと、まともな人が打ち込むのとだいぶ違うのではないですか。

○ 情報言語というか、コンピュータの言語は自然言語ではなくて人工言語ですから、厳密に書かないとまずコンピュータが受け付けてくれないです。プログラム言語はボキャブラリーの数は限られていますが、習得することは、正しい日本語を使うとか、表現力の以前の問題として、論理的に話す手法とか、そういうことの訓練にはいいと思いますが、何しろ制限が多過ぎるので、自然言語を話すときのルールとは違うと思います。少なくともロジックが間違っていると、コンピュータ言語は動かないです。自然言語の場合には、矛盾を幾ら含んでいても、表現力だけの問題ではなくて、論理の展開の仕方などが必ずしも論理的でなくても、その場で空中にどんどん消えていってしまいますから、よしとなってしまうわけですが、そういう点があると思います。
 別のことですが、先ほど寺島委員が言われたのは非常におもしろいと思って伺っていたのですけれども、若い人たちと最後のほうに言われたNPOで昔働いた方が生きがいをもう一度見つけられるというのはおもしろいと思ったのですが、何かずれをすごく感じました。どっちも理解できるのですけれども、私も大学にいて若いのともつき合っていますし、社会の、私の世代ぐらいから会社をやめなければいけない、第2の人生の肩たたきが始まる境目ぐらいのところにいますから、会社に勤めている友人とか、彼らが何を考えているかというのもよくわかるのですけれども、必ずしも今の人たちが、さっきテレビに出てきたフリーターの方の話があったのですが、年とったときに同じことを思うかどうかに関しては、ちょっと違うかなというぐらいの感じも……。
 要するに、人間の気持ちとか、考え方というのは、私の基本的な考え方では変わっていると思うのです。どんどん変わっていってしまうと思うのです。昔は変わる範囲というのは100年単位とかで動いていたのでしょうけれども、ITの時代だとドッグイヤーではないのですが、周りの様子から、都市の構造から、あらゆるものがものすごいスピードで変わっていますから、そういうことが考え方にも影響を与えているのではないか。もしもフリーターをやっている人たちが、どこかで真っ当に働こう、一つの職に就こうと思うとか、最後に社会のために行くのだということになる可能性ももちろんあると思いますが、最近思っているのは、最後までフリーターをやっている、80になってもフリーターという人も出てくるのではないかと思うのです。
 私が学生だったころはフリーターなんていなかったですから。定職に就かない人の数が極端に少なかった。全然いなかったというわけではないけれども、そういう人がものすごく少なかったし、社会に認められている時代ではない時代に育っているので、おっしゃりたいことはよくわかるのです。特に寺島委員の御世代のような方だと、人間は本当に何か生きがいとか、使命感とか、最後は社会に貢献するものだと思う気持ちはよくわかるのです。
 けれども、残念だけどちょっと違うのではないかという気が、何となくお話を伺っていて……。いや、僕は賛同なのです。おっしゃっていることは全くそうだなと思ったのだけれども、うーん、という感じが。

○ 寺島委員
 おっしゃっているとおりだと思います。最後までフリーターをやっていくのではないかという予感で、それはそれでいいと思うのです。ただ、問題は、単純な一元的な幸せの設計図ではない時代になってきていることは間違いないわけで、例えば右肩上がりの中で、階層型社会というのがついこの間まで日本社会を支えていて、松下PHP思想みたいなものですよね。要するにピース・アンド・ハッピー・スルー・プロスペリティーで、会社のプロスペリティーであなたも幸せになるのだという価値観で、中間管理職の階段を1段上るごとに給料も上がるし、部下も増えるしという幸せ観の中で成り立っていた虚構みたいなものがあるわけです。それが完全に今は崩れてきて、右肩下がりかもしれないし、分配の方式もまるで変わっちゃうかもしれないしという中で、日本の中間管理職はみんな心穏やかではない状況に入っているわけです。そういうのを見ているから、階層型社会の中で幸せなんか描けないからという人たちがフリーター化して、その中でもって自分の幸せを描いていくことが大事だと思うから、それがいかんとか、そういうのは問題だと言っているのではないのです。
 そういう中で、さっきネット共同体と言ったのは、最近、おもしろい動きで、フリーターの人の労働組合というのができたというのです。これまたNHKがドキュメンタリーをやっていたけれども、今、ネットなんていうのは、先生なんかが一生懸命その流れをつくってこられているわけだけれども、まだネット共同体なんて大げさに言うのは時期尚早で、まだおしゃべりのネットワークみたいなもので、その中で社会的な問題を解決していくシステムとして、それがうまく機能しているかというと、まだまだそうでもない部分がある。
 そういう中で、例えばインフラとしてのネットワークを、フリーターみたいな立場の人たちが情報を交換し合いながら、あるいは中小企業ということで、今まで大企業の下請的なところに押し込められていた人たちが、ネットワークを使って、自分たちの会社の仕組みなり可能性なりを拡大していこうという動きも出ているわけです。そういうことがすごく大事です。武器なりツールとしてネットが生かされていって、フリーターみたいな人たちが、例えばフリーターの中で趣味・嗜好を同じくする人たちが連携して、例えばそれを生かして自分たちの主張をするなり、貢献するなりという形で使われてくれば、それはそれなりに意味のあることで、フリーターではいけないなんていう気持ちは一切ないのだけれども、ただ、社会的システム全体を考えたら、さっき申し上げたように、明らかにいろいろおだてられて、新しい生き方ですなんて言われているけれども、本当に未熟練の、未組織の、低賃金労働で、一生自分は自由人だという幻想の中で生きていく人みたいなことになりかねないし、国の制度からいえば、年金をどうするのだとか、税金をどうするのだという話まで全部絡んでくるわけです。これはほっておけばいいというものでもないという部分にまで人数がマス化していますよね。そういうことで、社会政策の視界の中に柔らかくとらえていかなければいけない。フリーターはいかんという議論ではなくて、柔らかくとらえていかなければいけない局面に入ってきているのではないかということなのです。

○ よくわかります。私も、ネットワークが与えている影響はすごく大きいと思うのです。今おっしゃったとおりで、フリーターの人たちって必ずしも孤立していないのです。結構連携をとっているのです。すごい勘違いがあって、フリーターの人とか、オタクと言われる人とか、そういう人たちはみんな孤立しているように思って、社会に迎合していないように思うと嘘で、本当はそういう人たちは今や携帯とそれこそインターネットを使って勉強してきているのです。それは大きな変化だと思います。しかも、ネットの中に今いろいろなものがありますから、結構いろいろなことも知っているのではないかと思うのです。教えてもらうのも極端なことを言うと、だれか人間から教えてもらうのではなくて―人間が結局はその背後にいるのだけれども、ネットから教えてもらうというようなものまで出てきているのです。
 IT戦略に関していうと、私は思うのですが、日本ですごく勘違いされていて、何かアメリカ流にブロードバンドの線を引っ張れば、すべて経済的にもうまくいくということだみたいに勘違いしている方たちもたくさんいるのだけれども、米国でブロードバンドの線を最初にやったのは、クリントンとゴアのときにスーパー情報ハイウエー政策というのが出るのですが、その最初を見ると、速い線を引っ張れなんてどこにも書いていないわけです。一番最初に言われたのは、丹念に読んでいくと、強いアメリカをつくると書いてある。強いアメリカをつくるといったときに、アメリカのやり方として、まずエバリュエーションして、今、自分たちが現状どの辺の位置にいるのかというのを調べるのです。そのときに、大学とか、高校とか、中学をアメリカ式で評価するわけです。その評価法がいいかどうか知らないけれども、それは別の問題として評価するわけです。
 そうすると、アメリカの大学というのは自他ともに認める世界ナンバーワンなのだけれども、中学、高校がちょっとプアだ。アメリカ流の評価で番号をつけると非常によくない。それをどうするのかといったときに、結局、学校の教育が悪いという結論を出すのです。IT政策なのに、最初にそんなことばかり書いてあるのです。何でこんなことが書いてあるのかなと思うのだけれども、そういうことが書いてある。そのためにどうすればいいか、学校教育を変えなければいけないといったときに、私もアグリーなのですが、初等教育においての教育は、本当はマン・ツー・マンでやらなければいけないから、学校の先生の数を増やさなければいけないということが出て、1クラスを18人以下にするという法案を出して、それをやるのだけれども、現実問題として優秀な先生が手に入らないのです。簡単に言うと、アリゾナの砂漠みたいなところの学校に行くのは嫌だというアメリカの先生も多くて、辺地に行くのは嫌だなんていうと、そういうところへ先生が来なくなる。そのためにスーパー情報ハイウエーという計画を持ってきて、強いアメリカをつくるために、辺地にまず高速のギガネットを通して、都会にいる先生に教えてもらうのはどうだろうと書いてあるのです。
 それを見て、あ、これはアメリカはアメリカで、ある意味で教育にも戦略があるな、と思ったのは、結局、教養とか何かを高めるために、基礎教育を充実させないことにはどうしようもないと。この辺、ちょっと議論もあるのでしょうけれども、日本だと「3.14」を「3」にしろなんて言っているところを、逆に「3.14」の次まで教えろとか、もっと基礎的な力をアップするような教育をしないといけない。そのためのITだ、と。情報が今インターネットの中でどこでもあるのだから、そういうことができるような方向にして、好きなようにやらせる以外にないだろうとなると、基礎教育だけはとにかく政府が、国ができることだというようになっていくわけです。それはいいか悪いか別として、考え方だなというように私は思います。
 すべての学校にITの端末を持って情報が得られるようにして、何がいい悪いではなくて、学生が情報を得られるようにしろ、それが民主主義だと言うわけです。まあ、そうかなと。基礎力重視のほうをまずやれ、政策的にはそのようにするのだと。それに合わせて、最近、アメリカの大学で、MITをはじめとして有力大学が、大学の授業を公開するということを積極的にやり始めて、MITはここ3年以内に、全部の授業のテキストと先生が使っているものを、インターネットでただで全公開するということを言い出しているわけです。ああいうところはすごい……。何でもアメリカがいいというわけではないですけれども、さすがインターネットを生み出した国だけあって、やり方がうまいなという感じは何となくします。重要なことは情報を発信するしかない、とにかく学生の側ではなくて、教師の側ももっと積極的にどんどん立ち向かっていくような先生を増やさないことには、確かに寺島委員がおっしゃったようにシラケちゃっている時代で、チャンネルをガチャガチャ変えてしまう人たちに対して、どうやって熱意をもって、このようにしたほうがいいかということを教え込むことが大きな課題だと思うのです。

○ 今のお話に関連して、最近、頭の中ではわかっていたつもりなのですが、ああ、そうかと思ったことがあります。昨年、『IDE』という雑誌で、「変わる高校生」でしたか、「高校生は変わった」でしたか、そんな特集をやったのですが、その中で非常におもしろい調査がありました。東北のある県と、中部地方のある県で、1979年と1997年に全く同じ調査をしているのです。全く同じ質問の高校生の意識調査です。非常におもしろいのは、79年には、「学校生活に不満がある。だけど、楽しい」と答えたのが、60%近くいるのですが、97年にはそれが30%弱に減ってしまっており、その逆の「不満もなし、楽しくない」というのが、79年のマージナルなパーセンテージから97年には30%近くに増えている点です。そのほかに「不満がなく、楽しい」というのと、「不満があり、楽しくない」というのがもちろんありますが、これはほとんど変わっていないのです。
 つまり、前者の高反応型がものすごく減って、後者の低反応型つまりシラケ派がものすごく増えています。こういう現実を見ないと、日本語の時間の話が先程委員から出ましたけれども、こういう子たちに幾ら時間を増やしても、恐らくどうにもならないと思うのです。どうしてこうなったかというと、これはきっと大人のせいですよね。その辺から考えていかないと、教養教育の問題もうまくいかないのかなと、びっくりしたような数字で、しかも、地方が違って、それでも同じような傾向が出てくるというのは恐ろしいことだなと思った次第です。

○ 先程の委員のお話をお聞きしながら、日本はアメリカとだいぶ違うのではないかと率直に思っております。どういう意味かというと、昨年、2000年2月に文部省の委託研究で、信州大学の先生が家庭教育の国際比較というのをやっています。これは非常に興味深い資料なのですけれども、アメリカとイギリスとドイツと韓国と日本の都市部の子どもたちを対象にした調査なのです。家庭教育というのは最もプライバシーにかかわることですから、わかりにくいのですけれども、簡単にわかる方法があるわけです。それは子どもに聞くということです。子どもは正直ですから、正確に答えます。その中で、日本の家庭教育の特徴が浮かび上がってくるわけです。それはどういうことかというと、アメリカの家庭では親父の80%以上が子どもの顔を見ると、規範のルールにかかわる話をするというのです。例えば、「おまえは正直だね」とか、「弱い者いじめをしていないね」とか、あるいは「学校の先生の言うことをちゃんと聞けよ」ということを、親父の80%以上の人は言うのだそうです、アメリカの家庭では。ところが、日本では80%以上の子どもがその手のことを親から聞いたことがないです。全くないのです、そこのところが。
 それから、非常におもしろいいのは、社会体験とか、自然体験が議論されています。アメリカの家庭、それからイギリスも、ドイツも同じような傾向があるのですが、自然体験とか、社会体験は、日本も外国もそう変わらないのです。日本の特徴は何かというと、ボランティアが全くないのです。ボランティアにかかわってはほとんどないのです。家では全く話題になっていない。
 こういう事態が何を起こすかというと、これは最近、非常にショックなのですけれども、この席でみんなが考えなければいけないことだと思っているのは、池田小学校でああいう事件がありましたね。あれが実はゲームになって、インターネットで配信されたのです。さすがにこれは幾ら何でも問題になりましてね。どういうゲームかというと、容疑者の本名を使ってそのままやっているのです。犯人が池田小学校の門から入って、何人子どもを殺せるかというゲームなのです。これはさすがに問題になって、結局、何だかんだ言ったそうですけれども、今はやめているそうです。これでびっくりしたのは、それをゲームとして遊んだ子どもがかなりの数出ているのです。数字で出ているのです。これはどこかおかしいのです。アメリカのあのスタイルの小学校、中学校、高等学校教育を充実させるというやり方は、クリントン、ゴアの政策で、ある意味では力を得て、今、結果が出ていますけれども、その同じ路線は日本ではやれないと思います。環境が全然違うのです。
 IT戦略も、教育の場にいる人間として言うべきことは、供給者のサイドではなくて、受け手の側の議論をもうちょっと真剣にやらなければいけないのではないかという気がしてしょうがないのです。つまり、影の部分をどう議論するかということです。その部分は任せておけばいいというように、日本は環境的に整っていないのです。
 フリーターの問題も、フリーターというのは時代の流れだし、そういうことは増えていくし、それでいいと思うのです。むしろ積極的に意味があると思っているのです。縦社会がいろいろな意味で批判されているという意味では、そういう存在があることがむしろ日本の社会を豊かにしてくれると思っているのです。ではそれが意味があるためにはどうしたらいいかというと、個人の内面の自己規律みたいなものが、社会的に倫理観みたいなものにちゃんと裏づけられて存在していないと、これはめちゃくちゃな社会になってしまうという危険があると思います。フリーターを放置しておくわけにはいかないという意味は、そういう意味があるのだろうと思います。その辺の議論をすることがフリーターの問題を考えることだと思います。
 実は最近、例の教養教育のことで前回御報告した中であるのですけれども、実際にうちの生徒の例で出ているのですが、高等学校を6年前に卒業して、どうしても自分がよくわからないというので、大学進学をやめて職業に就いて、五、六種類の職業をやってみて、三、四年やって、どうしても自分の特徴は、今まで経験した職業では生かせない。いろいろやってみてどうも自分は論理的なことが好きだし、人と議論をするのが大好きだから、これを生かせる職業はないだろうかと自分で考えて、弁護士が一番いいと彼なりに結論を出して、明治大学の法学部の二部に行くのです。彼は在学中に司法試験に受かるわけです。ですから、3年かなんかで受かっているのです。それはそういうつもりでいるから、ものすごく勉強するのだろうと思います。受かったときに私のところに報告しに来ました。それが大きく新聞に出ました。そういうのを見ると、弁護士になって、世の中のために自分の力を発揮することで生きがいを見たいと考えた。その前の段階では、彼は確実に三、四年のフリーターをやっているわけです。それが生きるわけです。そういう意味でいえば、フリーターというのはすごくいいことだと思うのですけれども、その前の段階での状況をどう考えるかということをきちんと議論しないと、非常に恐ろしいことになると感じているのですけれども、感じ過ぎでしょうかね。

○ 今の委員の意見には賛成でして、教育関係の審議会でいろいろされていることは、先ほど別の委員が国語の時間を増やしても、今の高校生を見た場合、ほとんどどうしようもないではないかという意見があったわけですけれども、そのような考え方が、この10数年の審議会を支配していたと思うわけです。要するに、今の高校生はどうしようもないのを見て、これをどうにかしてあげなければいけないという気持ちはわかるのですけれども、一言で言うと、どうしようもないのです。重要なことはそれに対しての特効薬を探そうとしてはいけないのです、文部省とか、審議会は。なぜなら特効薬は存在しないからです。50年、60年かけて、日本というのははっきり落ちてきているのです、戦前から。戦後急に落ちたわけではない。それが最近、特に加速されているわけです。これを上げるには50年、60年かかるということです。そのためにはどうしたらよいか。即効薬は何をしてもだめなのです。例えば、こうだからこうしましょう、こうだからこうしましょうというのも、矢継ぎ早にいろいろ提言されてきますが、ほとんどは役に立ちません。完全にこんがらがってしまっているわけです。それなら、50年計画でどうしたらよいかということを考えるのが、一番重要なことだと思います。
 というのは、現在、先生は全く頼りになりません、家庭の親も全く頼りにならない。この50年間の人たちですから、全く頼りにならない世代。したがって、学校も、家庭もどうしようもないので、これはほとんど無理なのです。それでもただ黙って指をくわえているわけにいかない。どうしたらよいか。そこで、せめて先ほどから出てくる古典を読ませるとか、いろいろなことがあって、教養の定義にもよりますけれども、表層的な、あるいはテクニカルな教養もありますけれども、はらわたにしみ込むような教養の8割、9割は、人間は読書を通して得られるわけです。それがない限りは絶対に日本は復活しないのです。読書文化、活字文化を取り戻す。それをすぐには取り戻せません。したがって、ゆっくり、ゆっくり取り戻す。そのために、特に初等教育における国語を充実させて、しかも、その国語教育を強制力をもってすることが大切です。現在のような個性尊重路線によって、先生と生徒が友達であって、親と子が友達であるような路線では全くこれは無理な話です。強制力をもって、道徳教育も含めた広義の国語です。現在の国語は非常につまらない授業です。小・中・高、私は一番嫌いでした。しかし、それを徹底的に改めて、読書を中心にした国語の質と量を拡大してですね。そういうことによって、読書に対しておじけづかない、本を読むことを嫌がらない、本の楽しみを知る、そういう子どもをつくっていく。というのは、道徳教育をしろといっても、親とか先生が話して聞かせるものも持っていない状態なわけです。したがって、せめて道徳にまつわる感動的な話等を子どもに読ませて、そういう精神をおなかの中に入れて、その人たちが親となったときに、自信をもって子どもを教育できる、しつけできる、規律を与える。その人たちが先生となって、初めて子どもたちをきちんと教育できる。そのような我々の孫の世代をねらわない限り、絶対にうまくいかないです。
 すなわち、とにかく特効薬、あるいは対症療法的なものは、教育においては全く効かないので、それを探すことだけはやめていただきたい。私はそのように思っています。

○ 先ほどからお二人の御意見をお聞きしまして、感動もしましたし、考えさせられることがたくさんありました。しかし、今議論している教養教育と私自身が担当しております初等中等教育の立場から考えますと、教育というのは本来的に持っている機能としては、現実に対応しつつ、未来を構築するということであろうと思っているわけです。ですから、現実を踏まえながら、方向性についてこういう審議をしているのだということにスタンスを置きまして、中間報告の「まとめ」を読ませていただいたときに、教養とは何かというときに、「ア」から「オ」まで五つのことについては、非常に共感を持ったという意見を最初に出したのは、そういった意味で、そのことが現実的に未来に対して構築していく上での方向性として、私自身は力を得たような気がしたわけです。
 と申しますのも、委員がおっしゃるように、国語の力というのは、基礎・基本というのは「ア」の部分でしっかり出ておりましたし、そのことが教科教育だけでは、時間等も含めて、今の現実の中では力をつけにくい状況にあるのは確かだろうと思うのです。ですから、いろいろな形で読書教育の大事さ、あるいはそういったものも学校教育の中で取り入れたり、全国的にも朝読なんかも出ておりますが、もっと教科の上での読書指導も、委員がおっしゃるような中身についての古典などに対しても、その辺は全く同感なのですが、今を変えていくための努力として、出された答申の中に出ている精神は、非常に納得がいったということで、批判的にあれもこれもと出してあるから焦点が合わないのではないかという御意見も確かにあるようですけれども、やはり教育というのは毎日の教育活動の中で、現実がある中でそれをどう未来につなげていくかという基本線に立てば、多くの方々の御意見は勉強になりました。
 その上、個人的に申しますと、中嶋委員のスズキ・メソードを私自身も七、八年前から勉強させていただいて、チェロをやっているのですけれども、おっしゃるように「白鳥」が弾けるようになろうと思って、月2ぐらいで地方の交響団の先生から習って、生涯において学習するというときに、スズキ・メソードは決して幼児教育の問題ではない。その教則本を使って私もやっておりました。
 それと寺島委員の御意見には、歴史観、その他に、世界的な視野ということについて、いかに初等中等教育部門での教師が、簡単に申しますと社会の先生がそういう教え方をしていないということで、日本の歴史は近代史を抜きにしてやってきたという現実は目のあたりに見てきておりますし、また、入試の関係もありまして、近代史はほとんど触れずに、読んでおきなさいというのが長年続いた中で、高校入試にも出ないということで、軽視した経緯があるということで、これまた委員のお話を聞きながら、改めて理論化されたような気がしました。

○ 鳥居分科会長
 私の持っている小・中学校では、先生の字を上手にさせようと思って、先生に字の訓練をやろうとしても、拒否されるのです。これはどうしたらいいのでしょうね。

○ きっと拒否されると思います、研修ということになりますと。
 いろいろな場面での研修ということがございまして、いろいろな新しい教育改革についての研修がたくさんあるのですけれども、特に字をどうするかというようなことは、自発的な発想でないと難しいだろうと思います。昔は小学校のベテランの先生できちんとした字を書かれる先生がおられたわけで、その方を中心にずっと学んできて、やはり低学年を持つ先生方には、特にそういう先生がいらしたわけです。学校としてもそういう先生に小学校1、2年を持っていただくという傾向があったわけですけれども、最近は、そういったタイプの教師が、50代ぐらいになってもほとんど数が少なくなっているというのが現状のようです。日記指導とか、読書指導とか、いわゆる教育の不易の部分で委員がおっしゃるような厳しく指導される方は、ちょっと前、20年ぐらいでしょうか、ベテランの先生たちが教えるべきこととして、後輩の教師にモデル的に影響を与えておられた先生がいなくなったということは、現実として大変だと思います。私も教養教育の中身のこのことは、新任の教師に一番言いたいという気がいたしております。それをさかのぼれば、おっしゃるように大学教育であり、また小学校まで戻って、また自分のところにくるということで、その辺はちょっと考えを変えております。

○ 中嶋委員
 大変貴重な御意見を伺って、報告者としても大変感謝しておるのですが、今日、私に与えられたテーマは高等教育段階における教養教育ということだったものですから、報告をしながら、皆さんの御意見を伺い、もしできれば今後のまとめの中で生かしていただきたいと思うのは、特に高等教育段階ですと、私はさっきあえてトーマス・カーライルの『衣裳哲学』などを持ち出したように、やはり徹底的に物を考える。物を考えるということは、要するに本を読むということだと思います。知識は今の学生たちも、若者もものすごく持っているという面があると思います。雑多な知識というか、我々の知らないようなことをものすごく、まさにIT革命によって持っているのです。しかしながら、例えばカーライルの本を1冊、自分の青春時代に読むというようなことがないから、ああいう難しいものの中で、自分自身で思考力を組み立てる、あるいは形而上学的な世界に没入して、論理を組み立てるという経験をさせなければいけないと思うのです。そこはデジタル化が進めば進むほど、アナログ的な問題をきちんとどこかの教育の中で取り入れていくことを、ぜひ知識とともにお考えいただきたいと思います。
 その場合に、文部科学省でやるのがいいかどうかは別にしても、人生のある段階で、必読文献みたいなものをみんなで工夫してあげるような、そんな試みがあってもいいかもしれませんね。これはよくお考えになった上で、そんな試みがあってもいいし、それは例えば一つのモデルでなくてもいい、そんなものが必要ではないかと思いました。
 もう一つは、情操教育について、今、委員からもいろいろ御意見をいただいてありがたかったのですが、これはまた別の機会に一遍、文部科学省としても、例えば私事にわたって恐縮ですが、うちのおふくろは92歳ですけれども、昔の音楽教育のことをよく言いましてね。あの時期の、明治生まれの世代の音楽教育というのは、情操教育としてすごくすばらしかったということが時々ありますので、もちろん、今の子どもたちが音楽その他でも秀でていることはあれなのですが、一遍どこかできちんと教養教育として情操教育の在り方を御議論する場をおつくりになっていただけたらと思います。
 もう一つは、さっきの外国語教育なのですが、ここも教養教育としての外国語教育と、我々「英語指導方法等の改善」の報告書でまとめたような形での英語能力の向上という意味での外国語との問題を、どこで区別すべきかということもどこかでさらに議論していただくと……。今日は高等教育とうことだったものですから、今もかなり教育上の空白が見られるのではないかと思いまして、申し上げました。

○ 鳥居分科会長
 ありがとうございました。
 まだいろいろ御意見がおありかとは思いますが、大変恐縮ですが、今日の審議はこれで終わりにさせていただきます。
 この後、事務局から何かアナウンスがありましたら、どうぞお願いいたします。

○ 事務局
 資料3を御覧おきいただけますでしょうか。次回の会合は7月25日(水曜日)の10時から予定をさせていただいております。次回は、新しい時代における教養教育の在り方、とりわけ生涯にわたる教養を培うための方策について、委員からの意見発表と自由討議をお願いしたいと思っております。生涯学習分科会長でございます山本恒夫委員と、それから教養について多くの御発言がございます山崎正和東亜大学長にお越しいただきまして、課題発表をいただいた上で自由討議を行いたいと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。

○ 鳥居分科会長
 それではどうもありがとうございました。御苦労さまでした。

お問合せ先

生涯学習政策局政策課