教育制度分科会(第3回) 議事録

1.日時

平成13年6月14日(木曜日) 10時~12時

2.場所

文部科学省分館201特別会議室

3.議題

  1. 新しい時代における教養教育の在り方について委員からの意見発表及び自由討議
  2. その他

4.出席者

委員

 鳥居分科会長、木村委員、田村委員、永井委員、横山(英)委員、阿部委員、奥谷委員、坂村委員、志村委員、杉田委員、竹内委員

文部科学省

 御手洗文部科学審議官、結城官房長、近藤生涯学習政策局長、寺脇生涯学習政策局審議官、樋口政策課長、玉井初等中等教育局審議官、その他関係官

5.議事録

(1)事務局から配付資料の確認があった。

(2)阿部委員、木村委員からの意見発表があった後、新しい時代における教養教育の在り方について、次のとおり、自由討議が行われた。

阿部委員からの意見発表

  • 昨年、この中教審の総会で30分ほど「教養」や「教養教育」について話をした。それを一言でまとめると、従来の教養は書物や文字を中心としており、教育がある人ということが一つのポイントになっていたこと、全体として見るとエリートというような位置づけにならざるを得ず、個人単位の教養であったということである。これからの教養として私が考えているものは、必ずしも書物とか文字にこだわらず、行動、動作、振舞い、感性なども含んでいるものであり、また、必ずしも教育程度の高い人だけではなく、農民や手工業者といった人々でも当然持ち得るような教養である。そして、必ずしも個人単位でなくてもよく、集団としての教養もあり得るという話をした。今日は、教育制度との関連で、大学における教養教育について話をしたい。
     大学における教養教育は、特に大綱化以前においては、一般教育として位置づけられていたが、そこにはいろいろな問題があった。例えば、一般教育の担当教官の位置づけなど各大学においてそれぞれ問題があった。さらに、学生の側から見ると一般教育の科目そのものが高校の繰り返しのように意識され、大学の側にも一般教育と専門教育との間にいわば基礎教育を担当する、つまり専門科目に入るための前段階の教育を担当するという意識があった。
     かつての一般教育においては、人文、社会、自然という三つの教科を分野にわたって履修することになっていたのだが、恐らくどの大学でも、例を挙げると、文学、国文学と物理学との間で来年度の4月以降の講義をめぐって話し合いが行われたことはたぶん皆無だったと思う。つまり、それぞれの分野の教師は、来年度の担当はあなたにお願いしますと言われて引き受けたにすぎないのであって、しかも、来年度の一般教育全体をどのように組織するかについて、大学全体としてもほとんど意図的に行われずにバラバラに担当教師に任されていた。
     学生の側から見ると、『万葉集』の講義を聞けば、それはそれで一つの世界が描かれるけれども、その次の時間に行われる物理学とは何の関係もないし、何の連携もない。ということは、たくさんの講義を聞かなければならないが、すべてバラバラで、それをつなぐべき全体としてのイメージが与えられず、また、自分でつくることもできないという状況であった。
     その原因は、これは明治以降の日本の学問体制の在り方でもあるので簡単には是正できないと思うのだが、例えば、「物理学と国語学との間には何の連携もなかったではないか」と言えば、一般教育を担当している先生方も「当たり前じゃないか」と思うだろう。それらの間に共通点は何もないのだから、物理学と国語学、文学との間には何ら関係がないということが当然とされている中で教養教育が行われた。ということは、学生側から見れば、互いに関係がないものをそれぞれ別々に履修せざるを得なかったということになり、これが一番大きな問題であった。
     これまでの教養教育は、今、大きな転換点に来ており、各大学は、例えば、普遍教育、人間教育、総合教育など様々な名前をつけて苦労している。その苦労の一つは、それぞれの学部、大学院もあるから、それぞれの専門科目とは別建てで教養教育を考えなければいけないという暗黙の了解があるが、それは間違いだと思う。
     つまり、教養とは何かというときに、前回も話したが、私は知識ではなく、それぞれの人間の生き方と深くかかわるものであると考えている。そして、その生き方はもちろん学問とも深くかかわるものであり、物理学であろうと、経済学であろうと、どんな学問であろうと、その学問を人間が営んでいる限りにおいて、その学問を営む人間の生き方と深いかかわりを持っている。だから、それぞれの専門科目の教師も、その専門分野を通して社会の中で生きているから、当然、専門家としていかに生きるべきかということが、その分野を超えて、他の分野とのかかわりの中で常に自覚されているはずである。
     専門科目の教師は、当然ながらそれぞれの立場で教養教育を行う能力があり、また、その必要もあるということを意味している。だから、私は今後、大学において教養教育を行うときに、これまでのような形で一般教育を別建てにするのではなく、専門科目の教員全員が自分が通常行っている専門科目を通して教養教育を行うのがいいと思う。かつては1・2年次で教養教育を行うということが一般的だったが、今、各大学は非常に苦労している。その苦労の一つの理由は、教養とは何かという点についての基本的な了解がないままに、教養教育について論じているという非常に困った状態にあったからである。教養とは何かという点について、例えば、私は生き方、それも単なる生き方ではなく、社会との接点、つまり、自分が社会とどういう接点を持って生きていくのかということを自覚的に調べたり、探ったりしていく努力そのものであると考えている。それはどんな専門分野の人もしていない人はいない。それが全くないとすれば、単なるスキルにすぎないのであって、大学で営む学問とは言えない。
     ということは、例えば経済学でも、文学でも、その担当者がその学問を通して、いかに生きるべきかという問いに答える中で、当然それが教養教育になる。しかし、専門科目の担当者はそのように言われると困るだろう。少なくともそういうことは考えたことがないという人がかなりいる。それが日本の学問の最大の問題点である。この問題は、同時に日本の学問論にもなるのだが、教養教育に限定して言うと、理科系の学問であろうと、医学であろうと、どんな学問であろうと、専門科目の教員が自分の専門科目を通して自分が生きている生きざまを人々に、あるいは学生に示すということが教養の在り方であって、それを実際に講義で行うことが大事である。
     例えば、家政学という学問は非常に興味深い学問であるが、資本主義の生成期に経営と家計に家が分離したところから生まれたものである。それまでは経営と家計は一緒であった。もちろん古代においてはオイコスという形で一つであった。中世においても荘園や大農場経営という形で一つであったが、資本主義の展開とともに、経営と家計が分離し、経営は主として男性の営む仕事として位置づけられ、家計は徐々に女性の仕事として位置づけられていった。それを学問的に何らかの形で基礎をつけようとして欧米で最初に家政学が始まった。
     ところが、この家政学は、最初は調理や裁縫といったものに限定され、良妻賢母を育てるような教育であったと言われている。20世紀の初頭に、MITの最初の女子学生であり、最初の教授であったエレン・スワローという人が、エコロジーの観点から、食品の汚染などを防いだり家庭の中に持ち込ませないようにしたりする運動を始めて、いわば家政学は社会的に大きな位置づけを持つようになり、それ以後、アメリカにおける家政学は大きく変わってきた。日本では残念ながらそのような形にはまだなっていないが、そういう意思は家政学の中にある。私は家政学は共学にすべきだと主張しているが、大学でも家政学だけは女子の学問だと考える人が圧倒的に多い。文学部や他の学部はそれぞれが考えればいいのであり、家計や家とは男女がともに担うべきものという意味で、家政学は共学にすべきだと主張しているが、なかなか理解されない。
     家が環境保全の担い手としての地位を持っているときに、家の管理だけでなく、社会環境の整備にまで目を向けた共闘組織として家が位置づけられていく。そこに新しい家政学がある。その中で生きている人、つまり家政学を営んでいる人も、同時にその問題にかかわることに当然なるので、そういう話をすることによって、まさに教養教育そのものになる。このことは、どんな学問についても言え、自然科学であろうと、人文社会科学であろうと、全く同様である。
     だから、教養教育というものを大学で別建てにして、教養教育の専門教官などを育成したり、位置づけることは本来不可能なことである。一般教育の担当教官とされた人々は、現在でも専門科目の教官である。つまり、一般教育として評価されて学位を取ったわけではないので、それぞれ専門科目の専門学者として評価され、位置づけられている人々で、たまたま学問や大学の制度のためにそのような教育を担当させられたにすぎないということである。専門科目の教員全員が自分の学問とのかかわりを率直に学生に語っていくことが教養教育であると理解されるならば、日本の学問そのものの構造も資質も大きく変わってくるだろう。
     ただ、その際、最後にレジュメにもあるが、もしそれが賛同を得られたとしても、例えば、機械工学においてはどのような教養教育が必要かということについて、日本の先生方がその模範解答をつくる可能性がある。つまり、我が学部・学科においてはこういう教養教育が一番いいという模範解答をつくれば、みんなそれに安住してそれを講義したり説明したりするが、それではだめである。そうではなく、一人一人が皆生き方が違うのだから、当然その生き方に従った教養教育を行うことが前提である。したがって、ある国家戦略として考えるということとはかなり違ってくのだが、一人一人の生き方が社会とどういう接点を持っているかという点については、これから十分に詰めていく必要がある。要するに、学生との対話や講義をする中でもそれを詰めていくことができるので、あらかじめ模範解答をつくって、それを皆が読み上げるという形での教養教育はだめである。つまり、それぞれの担当者が自分の学問にかけて、独自の答えを出していくという形で、専門科目を通した教養教育が大学では可能であり、それがすべての教養教育問題の一番の解答になるだろう。

木村委員からの意見発表

  • 本日は、自分の体験から比較的機能したと思われる教養教育について、二つのエグザンプルを紹介して、議論に資することとしたい。
     一つが、私が33年間奉職した東京工業大学における教養教育の取組である。自分自身東工大における教養教育の取組は機能していると評価しているので紹介したい。
     もう一つは、東京大学の駒場で理科の学生として受けた教養教育。私だけでなく、私の同級生にもその後の人生に大きなインパクトを与えたという共通認識かあるので、これについても紹介したい。
     東工大と東大の駒場における教養教育は、目的がやや違っていたと思われる。東工大の場合は、職業人としての幅や視野を広げるという実利性をねらったものである。これに対して、東大の駒場の教育は、人間性、つまり、大学を終わって4、50年のライフスパンの中で、自分の人生を豊かにするものを探す入口を与えようとする試みではなかったかと思う。
     私の教養教育の定義は、学校段階にはいろいろなレベルがあるが、どれにせよ、そこを修了して社会に出ていったときに、それぞれが社会にさほど迷惑をかけずに、社会と協調して生きていくためのすべを与える教育である。
     まず東工大であるが、東工大は非常にかたい学問を教える大学であり、明治18年に東京職工学校としてスタートし、東京高等工業を経て、昭和4年に大学に昇格している。その当時のカリキュラムを見ると、理工系のかたい学問だけを教えてきた学校であったということができる。しかしながら、殊に戦後、卒業生の中には我が国で重要な地位を占めている者が多く現れた。最近、世の中ではあまり知られていないが、商社、銀行などでかなり重要な地位を占める人間が増えており、今後、ますます増えるのではないかと思っている。外務省等にも重要な地位を占めている者がある程度おり、そういう意味では特異な学校ではないかと私自身は思っている。
     これは、かたい学問をやってきた大学が、戦後、非常に大きな転換をしたことに大きな原因があるのではないかと思っている。和田小六という非常に優れた学者がいて、昭和19年12月の日本が敗色濃いころに学長に就任し、昭和27年まで学長を務めた。アメリカでは、戦後すぐTVAというテネシー河の大きな総合開発が実行され、これに関して岩波書店から“TVA―Democracy on the March”という本の翻訳が出されているが、この翻訳者が和田小六先生である。和田小六先生は、日本は明治の初めから高等教育を振興し殖産興業を施策にして国力を挙げることに努めてきたのに、どうして戦争に突入していったか。これに対して非常に大きな反省を持たれた。アメリカでちょうど進展していたTVA事業を見て非常な衝撃を受けられた。TVAプロジェクトは大変なプロジェクトであり、技術だけではどうにもならないプロジェクトであり、ありとあらゆる学問を駆使してやっと完成させたのである。そういう状況を見て何事にせよ技術だけでは限界があるという教訓を得られたようである。
     和田先生は、そういう考の下、また、戦争への反省もあって、「一般教育は単に専門を選択するために必要な基礎を与えるばかりではなく、専門の全知識が、その全能力を発揮できるような素地をつくるものでなくてはならない。専門の知識は、より広い一般的な知識との関連において、初めてその主要な目的を達成できるものであり、両者の有機的関係をたつことが出来ない」ということを昭和21年に述べておられる。
     このように、東工大では東大の駒場スタイルではなく、1年のときには一般教育の幅を広くし、高学年になるにつれ、だんだんその幅を狭くするという「楔形教育」カリキュラムを導入した。
     当時、非常にかたい学校であった東工大が、戦後すぐに伊藤整や宮城音弥等の人材を登用して、人文学系の先生方のグループを作っている。その後、永井先生や川喜田先生等の有名な方が教養教育を担当するようになったが、最近では、秦恒平氏という非常にユニークな小説家を6年間ほど東工大教授として迎えて、定年まで非常にユニークな教育をしていただいた。
     学部の教育ということから始まった教養教育重視の考え方は更に進んで、大学設置基準大綱化に当たっての議論においても、専門教育を減らす一方で、学部では従来の一般科目あるいは教養科目関係の単位を増やすという方向へ進んだ。和田先生の戦後の考え方が東工大では今でも生きていると考えている。
     さらに、東工大では、こういった教育面から発した考え方が研究面でも結実しており、人文科学や社会科学系には今でも大変ユニークな教官がたくさんいる。また、経営工学や社会工学などいわゆるシステムを扱う学問のほか、エンジニヤリングのソフト面の学問関連の教官の協力で「社会理工学研究科」という新しい文理融合の研究科を発足させ、実にユニークなアクティビティーを繰り広げている。
     東京工業大学というかたい大学から社会に役に立つ人材が出てきているのは、やはり東工大で展開された教養教育によるものではないかと私は考えている。
     次に、これと相対する位置にある私の個人的な経験である。東大の駒場の文系の教養教育はあまり機能していなかったのではないかという気がするのだが、理系の学生には相当大きなインパクトを与えたと思う。東大の駒場は旧制高校の流れを引いており、徹底したリベラルアーツ教育であった。理科の学生にとって文系科目、特に語学の関連科目は強烈であった。入ったすぐのABCもわからない学生に、例えばドイツ語であるといきなりゲーテを読ませたり、ケストナーを読ませたり、ヘッセを読ませたり、かなり長いものをガリガリ読ませるという教育をしていた。
     英語については、ミラー、モーム、ハーディー、ハックスレー、シェイクスピア、ラッセル、エリオットなどものすごい進度で進んでいくので、そのインパクトはすごかった。
     私の同級生の多くは、駒場時代にその後の人生で専門以外に興味を示したものの入り口を与えられたような気がするが、殊に語学の教育は強烈であったという者が多い。確かに語学の予習は大変で進度もすごかったが、その合間に先生方がいろいろなことを学生に教えてくれていたように思う。駒場の語学の先生方には優秀な方が多かったというような気がする。また、語学の先生は本気だった。これに対して他の文系科目、法学や経済については印象がない。それは本郷の先生方が仕方がないから講義をしていたということによるのではないかというような気がしないでもない。
     東工大では、語学の教育は学生に大きなインパクトを与えていないように思う。和田先生の構想以来、人文・社会科学系の先生は非常に高い地位を与えられているが、語学の先生はそうでもなかった。決して語学の先生が優秀ではなかったというのではない。東工大にいた英語の先生が東大の駒場に引き抜かれて、駒場の英語教育を改革したことも事実である。優秀な先生はいたのだが専門教官の理解が足りなかったことが、語学教育が実を結ばなかったことにつながるのではないかと思っている。
     二つ例を出したが、私の結論としては、どちらかのタイプを選択するというのではなく、両方あっていいのではないかということである。また、その中間の在り方があってもいいと思う。どちらを選択するかは、各大学の自主的判断によるべきである。もちろんこうした方法だけでなく、これとは違ったいろいろな方法もあるであろうが、東工大と東大の駒場における教養教育が、機能していたことは確かであると考えている。

質疑応答及び自由討議

  • 現実に現場で教えていると、阿部先生が言うような先生はなかなかいないのではないか。確かに、専門の人がいろいろな生きざまや、自分はこうして研究者になったという話や、どういうことが重要で専門が社会のいろいろなことに関係するという話をすることができる人が一体何人いるのだろうか。こうしたことを考えると、どのようにして教養教育をすればいいのか伺いたい。
     また、教養教育の目的は、平均的にみんなのレベルを上げることなのか、エリートとそうでない人のメリハリをつけることなのか、それとも、みんなで底上げをしようとするものなのかは、ある程度戦略的に決めておかないと、教育者として現場にいる者が具体的にどうしていいのかわからない。
     今、非常に心配しているのは、専門家が減ってしまって、変な雑学みたいなことは知っていたり、いろいろなことを知っているのに、それを生かすこともできない。教養がないだけでなく、専門力もないようになると非常に心配である。
     日本で一番よくないのは、再教育がしっかりしていないことである。教養は、一生インプルーブさせるものであり、必要と思ったときにちゃんと勉強できるような制度になっていなければならない。ずっとコンピュータをやっていたけれども、10年たって、最近、博物館のデジタル化みたいなものをし始めると、歴史は非常に重要だといって、理工系の人たちがデジタル化のために歴史の勉強をするなんていう、実は関係なかったようなものが関係あるような時代になってきている。そうなったときに、もう1回そこでどうやって勉強するのかというチャンネルが、残念なことに我が国には割と少ない。
     学ぶ意欲を教え込めば、あとはやり方さえ教えてあげれば、思っているより今の若い人たちは、自ら勉強しようという人はいると思う。
  • 最初の問題について言えば、かつてはなかなかそういうことは言い出しにくかったが、今なら言えるのではないか。つまり、教養教育は、専門科目を通してすればいいのだと。教養教育のために新たにゲーテを勉強する必要もなければ、ダンテを読む必要もない。あなたがやってきた専門科目の中で、そこに既に教養教育の根があるので、あなた自身がやってきたことを学生にわかるように説明してくれればいいと。こう言えば、教養教育をすることができる人はかなりいるのではないか。
  • 阿部先生にお伺いしたいのは、教養教育は、社会との関係でいかに生きるべきかということを示すことであるとすると、何も大学の教師でなくてもいい。何か成した職人の人に話してもらってもできるのではないか。
     もう一つは、教養とは、知識ではなく生き方そのものであるとすると、知識というものが教養にとってそれほど重要ではないというように受け取ってしまうのだが、我々の生き方や知恵をみたいなものを言表化したものが知識だから、教養教育と言ったとき、知識を抜きにした教養教育があるだろうか、身振りや生き方と言ってしまうと、何が何だかわからなくなって、みんなが勝手に自分の体験談を話したらいいということになってしまうのではないか。
     先日話した漢字の「教養」と平仮名の「きょうよう」と片仮名「キョウヨウ」については、具体的に、その大学がどういったところを重視するかが重要である。いわゆる旧制高校的な、木村先生の過去の体験談にあったようなクラシックを重視するウエートが70%から80%の大学もあっていい。また、『教養としてのまんが』という本も出ているが、大衆文化を通じて、阿部先生の言うような生き方を考えていくところを80%にして、クラシックを20%にしてもいい。これら基本的な三つの教養のアレンジはそれぞれの大学で考えるというのがいいのではないか。
  • 教養は知識ではないというときに、私がアクセントを置いているのは、これまでの教養に対するスタンスのとり方であり、知識がまったく要らないということはあり得ないのだから、そのように言うつもりはない。つまり、知識をどのように位置づけるかというところに問題がある。
  • 東工大は以前から総合講義を行っており、例えば「都市と人間」というテーマで10何年程前から都市と人間の係わりについて様々な角度から講義を行う試みをやっている。東工大には景観の専門家、都市交通の専門家、都市計画の専門家がいる。また、定年退官して他の大学に移られた渡辺利夫氏のような開発の専門家もいらっしゃった。これらの教官が、一つのチームを作って、一つのテーマのもとに1年間講義を継続して講義を行っており、これが学生に非常に人気を果たしている。
  • 基本的には阿部先生の意識は非常に大事なポイントだと思うが、教育しようという気持ちを大学の先生が持つかどうかにかかわると思う。もちろん、研究は重要なテーマだが、教育も非常に大切なテーマであることを大学の先生全員が考えているかどうかにかかわる。
     総合化については、先生の人事を流動化しなければならない。つまり、特定の大学に入ってしまったら、そこでずっとやって上がりみたいな感じで、東工大で教えた人が東大に行くと非常に成果を上げている。上げたらまた東工大に戻るとか、ほかの大学に行くということがあれば、日本はすばらしい大学群になっていくのではないかと思う。それは教養教育の課題をかなり解決してくれるのではないか。そういうことがないと、魅力のない大学の教育がずっと続いて、だんだん日本の学生の優秀な人は日本の大学を選ばなくなってくるのではないか。最近、そういう傾向が出始めているので、それが一般化する前にぜひ大学改革を本気になってやってもらいたい。
     「ようこそ先輩」というNHKの番組を見て思うのは、あれだけの影響力を及ぼせる教員は日本中探してもいないということである。それは先輩だという関係もあるだろうし、専門を日本でも数えられるぐらいの高いレベルまで突き詰めたという背景もあるだろうが、ああいうような人が、実際に世の中にはいっぱいいるのだということを考えたら、積極的に人事を流動化することによって、また、そのような努力をすることによって、魅力的な先生や魅力的な教育のシステムも可能になるのではないか。
  • 今の大学では、いい教育をしているのが評価項目の中に入っていない。論文を何本書いているか、本を書いているのかということで評価していると、教室でどれだけいい仕事をしていても、それをどうやって示すのか。その点を変えないとうまくいかない。
  • 教養は、今まで一人一人の個人のものだっが、集団としての人間の知恵をも含むものという指摘が的確ではないかと思う。教養というと、高い目標を達成するという感じがするが、むしろ世界市民・地球市民として世界をどうするのかという最低限の共通項を考えることが、新しい時代の教養という感じがした。高い地点ではなく、最低限自分はどうあるべきか、どのようにして世界に貢献すべきかを考えることを教養ととらえるべきである。
  • うそをつかないこと、人を傷つけないこと、他者に対してどう思うかということ、個人を善の方向にどう引っ張っていくかということも教養の一部である。今までの教育は、集団主義的に引っ張ってきて、個の確立がかなりおろそかにされていた。これまで、個の価値観や個人の責任をきちんと確立する以前に、全体主義で引っ張ってきたことによるマイナスの部分が、今かなり出てきているのではないか。先生の人事の流動化や先生の評価も含めて、個人を見るシステムが教育の中に根づかないことも一つである。
     大学が魅力を持つ以上に企業が魅力を持たなければならない。今、人材がどんどん海外に出ていったり、外資系企業にどんどん入っていったりしているが、それも企業のシステムが日本の集団主義的なものに根差した部分がかなり大きかったと思う。集団主義的なものから個人が確立するという意味で今までのシステムから脱出したいという若い人たちが出てきている。企業側のそういうものを変えていかないと、大学だけが変わっても、また、小学校・中学校が変わっても、最終的に社会を含めた企業という受け皿が変わらない限り、本当の意味の教養教育がどうあるべきかを議論するのはかなり難しいのではないか。
  • 明治以降のこの100年の日本の教育を考える必要がある。近代化をする中で、欧米の「個人」というイメージを入れなければならなかったが、インフラストクチャーに関しては大体近代化を実現できたのだが、親子の関係、先祖との関係、家との関係など人間関係についてはまったく実現できなかったし、する気もほとんどなかったと思う。「個人」という言葉ができたのは明治17年であり、「individual」の翻訳をしたものである。それ以後100年近くたって、「個人」という言葉が定着してきた。
     日本の場合、ヨーロッパから「個人」という概念が入ってきて、教育でそれを正面に掲げて小・中・高校で謳ってきたが、実態は違うものであった。日本には「世間」というものがあって、この中に「個人」が位置づけられていて、「個人」は「世間」との関係で自分の行動を律している。「世間」と一般的に言うが、例えば大学であれば学部、会社の中には一つではなくて、二つ三つの「世間」がある。こうした「世間」との関係が問題となるのである。
     その意味で、明治以降の教育の中で、全体としてヨーロッパの基準に従って、内容は空っぽだが形だけ「個人」を唱えて教えてきた教育制度そのものには問題がある。実態は、日本の社会の中で、具体的に「世間」の中で「個人」がどのような位置付けになっているのかがほとんど無視されいる。だから、小学校、中学校ぐらいまでは、様々な争いや問題の解決が非常にしゃくし定規な形で提示されている。
     そういう意味では、「個人」の問題はかなり難しい問題であり、今のところ、例えば日本の「個人」は「確立する」と言うが、どういう状況の中で「確立した」と言えるのか。つまり、一般的には「世間」とうまく折り合っているときがこれまでの理解だが、今の時代はそうではなく、これから開かれた問題としていろいろ議論が必要ではないか。
  • 個々の人の専門に狭くかかわるのではなくて、それに加えて、なるべく広いいろいろな分野の学問、芸術、文化にかかわることが教養の在り方として望ましいのではないか。専門家に教養や生き方について話してもらうとしても、大学という場ではなるべくいろいろな分野の専門家がそういうことをする機会を学生に与えるべきである。それによって、個々の学生の専門課程のほかに広くいろいろな分野について学ぶことができるよう、専門家に接する組織も必要ではないか。
  • 私は個人の教養を否定しているわけではなく、個人の教養と同時に集団としての教養もあるということを述べているにすぎない。例えば、これまでの教養というのは大体個人の教養として位置づけられていた。
     一つの大学に専門科目の先生が、例えば100人いるとすれば、私の理想は100人の先生方の教養論が出て、教養教育が実際に行われるということである。専門教育と別建てにする必要はないということである。つまり、それぞれの専門分野の教員がその専門分野を話す中で、1年生、2年生に対しても高度な専門分野を説明する必要があると思う。日本の社会は全体としてグラデーションというものを重視するところがあるが、中学生ぐらいになると大抵のことを理解することができる。大学1年生のときから専門科目の先生が専門の問題について詳しく、自分の学問とのかかわりも含めて話をすることは可能であり、すべての先生ができるというのは現実的には不可能かもしれないが、6割の先生ができたら大変なことだと思う。
     集団としての生き方については、誤解があるかもしれないが、人間はアミーバではないので、死ぬまで個体であるから、個体としての意識を常に持っている。そこで自分の行動を律したり、考えたりするのであるが、人間は一人では生きられない。常にだれかと共に生きなければならない。他人と共に生きる中で、共に様々な問題について共有し合ったり、連絡し合ったりしてコミュニケーションを深めていくことのであり、それが文化をつくっていく基礎にある。
     その意味では、個人と集団を対立的にとらえてはいけないのであって、個人は同時に集団の中にあって、集団がまた個人によって成り立っているのである。この関係は、日本の場合はどちらかに引っ張られがちだが、戦争中も、今でもそうだが、集団に強調点があったり、個人に強調点があったりして、今の個人は、私の感想はどうもエゴになりつつあるのではないかという感じもするくらいである。そこは緊張感のある問題であり、簡単には分けられないような気がする。
  • イギリスにはチューター制度があって、オックスフォード大学に行って、寮に入って一ついいと思うのは、チューターがいて、個人がこういうことをしたいと言うと、そうしたらいいとアドバイスしてくれる。こういう人が非常に教養の高い人であれば、究極は個人指導をして、君はこうしたほうがいいよとか、こう変わったほうがいいということが可能である。そういうことを少しずつ取り入れることができないか。
  • 一橋大学には1年次からゼミナールを取ることができる。15人が限度なので選抜が行われたりするが、それは4学部全体から学生が選択することができるものである。これが2年間続いて、3年目には本格的な専門科目のゼミに進むのだが、これも自分が選ぶことになっている。教師が選ぶのではなくて、学生が選ぶことになっている。
     一人の先生にずっとついていることのマイナス面も同時にあるので、共同指導のような形が必要になることもある。1年生のときに自分が望む先生について、そこで1年間、2年間、一緒に旅行したりコンパをしたりするので、人間的な接触があり、そこでいろいろなことを教わるのである。これが一橋大学の伝統になっていて、今でもそれは続いているが、他の大学でもしてみるといいと思う。ただ、このことを私学の学長会議で発言したら、私学の先生から「不可能だ」と言われた。要するに、何千人も学生がいるのだからと言うのである。しかし、それはパイロット事業という形で、最初は少数の人でするといい。私の一番の理想は、その大学が誇れる最も優れた先生がゼミナールをするのが一番望ましいと思う。
  • 東工大においても、Fゼミ(フレッシュマンゼミ)というものが行われており、全員強制的に1年生のときから5人を専門の先生につけて、1学期間、その先生の研究室へ行って専門の話を聞いたりさまざまな相談したりするということを行っている。京都大学でもポケットゼミというのを実施しており、かなり実効を上げているという。この点は、各大学でも真剣に受けとめられており、相当実効が上がっていると思う。一橋とは違った形だが、専門の先生が直接アドバイスをしたり相談に乗ったりするという、いわゆるグラデーションをひっくり返すという発想が随分あちこちで起こっていると思う。
  • 知識と教養は関連が深いものと思う。特に最近の若者が、学びから逃避したり知識を身に付けることについて必ずしも積極的でなかったりするような世界観があるとすれば、これは一つ問題だと思う。知識を身に付けることは、自分が意図的に努力をそこに仕向けることでもあり、そういう生き方は非常に重要なものだろうと思う。教養について議論をするときには、知識等についても一緒にかかわって議論していくことがいいのではないか。
  • 阿部先生のお話は、まさに新しい時代の教養だったと思うのだが、何を伝達するかということも大切だが、どのような場で伝達するかということも大切である。例えば、研究室ですることが、学生にとっては、特に1年生にとっては非常にいい。つまり、大学1年生の多くにとっては、大学の先生の研究室には本もあり、いろいろなものがあるので、私の本棚の本をキョロキョロ見ていたりして、結構満足していた。
     戦前の教養主義の一つは、エリートだけのものであったという問題があった。もう一つは、戦前、また、ごく最近までの教養主義は、受け身的なものであったところに問題がある。実際、人間はいつまでたっても高いところへの未到達感が高まってくると、そのうちフラストレートされてくる。「新しい時代の教養」というのであれば、従来の受け身的な教養からもっと能動的な教養にすべきである。
  • 「個」と「公」を二者択一や二律背反的に受け取るのではなく、双方が励まし合って成長していくような関係が重要であるというとらえ方については感銘を受けた。教養はどのような生き方をするかということ、自立した個人にとって重要であるだということからすると、個にとっての教養にアクセントが偏り過ぎているのではないか。阿部先生の話にもあるように、教養がコミュニティやローカルを通じて、最終的にナショナルなものやインターナショナルなものに発展していくものであることを補強する必要がある。
     なお、「公」と「私」の関係等を含めて、どちらかでなければいけないような社会的風潮が強いので、こうした点では、「個」、「私」と「公」を結ぶものは、社会、とりわけこれからは市民社会であり、それをつないでいく一つの環になっていくのではないかという感じがする。市民的教養というか、社会の中で他者と協力して生きていく上で必要な知識や術を身に付けるような教養教育が大事ではないか。

以上

お問合せ先

生涯学習政策局政策課