地方教育行政部会(第13回) 議事録

1.日時

平成16年10月6日(水曜日) 13時30分~15時30分

2.場所

グランドアーク半蔵門 「富士(東)」(4階)

3.議題

  1. 地方分権時代における教育委員会の在り方について
  2. その他

4.出席者

委員

 鳥居部会長(会長)、茂木副会長、田村委員、渡久山委員、横山委員
臨時委員
 吾妻委員、池端委員、稲田委員、門川委員、佐藤委員、千代委員、津田委員、土屋委員、藤田委員、森田委員

文部科学省

 近藤文部科学審議官、田中生涯学習政策局長、銭谷初等中等教育局長、板東大臣官房担当審議官、藤田生涯学習政策局担当審議官、月岡生涯学習総括官、山中初等中等教育局担当審議官、山田生涯学習企画官、前川初等中等教育企画課長、角田初等中等教育企画課課長補佐、その他関係官

5.議事録

○ 山田生涯学習企画官
 先にちょっと始めさせていただきます。

○ 角田初等中等教育企画課課長補佐 それでは、お配りをしております資料をまず御説明をさせていただきたいと思います。
 本日は、前回お配りをいたしました主な意見のまとめにつきまして、前回ございました意見を反映いたしまして、若干の修正を加えております。資料1がその資料でございます。下線のついている部分が前回の部会との相違点でございます。
 まず、8ページを御覧いただけますでしょうか。8ページのところでございますが、「2」の「市町村教育委員会の事務処理の広域化」についてでございます。この点につきまして、複数の市町村が教育委員会を共同で設置する事例も加えたほうがいいという御意見をいただきまして、下線部にございますように、「複数の市町村が、事務組合や広域連合、機関の共同設置などの方法を活用して、教育委員会を広域で設置したり」といったような文言を加えさせていただいております。
 次に13ページでございますが、「学校への権限移譲、裁量の拡大」の部分につきまして、教職員の人事に関する校長の権限といたしまして、教員の配置についての権限を拡大していくということにしていたわけでございますが、配置以外にも、校長が教員を適切に評価する、またそれを処遇に反映させていくということも加えるべきであるという御意見がございまして、下線部のような記述を加えさせていただいているところでございます。
 そのほか、前回の部会におきましては、この資料でございますと7ページのところでございますけれども、この「(1)」、「(2)」あたり、とりわけ「(2)」の教育長の選任方法につきまして、かなり時間をかけて御議論がなされた状況でございます。ただ、この御議論につきましては、本日も後ほど事務局のほうから資料を御説明させていただきますが、議論中途ということで、まだこの部分につきましては記述の修正等を行っていないところでございます。
 以上が資料1の説明でございます。
 次に、資料2以下の説明をさせていただきたいと思っております。資料2につきましては、今お話し申し上げました教育委員会と教育長との関係につきまして前回御議論がございましたので、事務局として改めてこれまでの経緯等を整理させていただいた資料でございます。三つの段階に分けて整理をさせていただいております。
 まず、一番上の昭和23年の教育委員会法による教育委員会制度の発足当時の状況でございますが、教育長は、ここにございます教育委員会が任命をする、教育委員となっておりますが、教育委員の集まりであります教育委員会が任命するということになっておりました。また、勤務形態につきましては、委員と教育長が兼職をするということは禁止されておりまして、また、任期も定められておりました。身分といたしましては、一般職という形で位置づけられていたところでございます。
 その後、昭和31年に現行の地方教育行政法が施行されまして、新しい教育委員会制度が発足したわけでございますが、その制度におきましては、ここにございますような、都道府県と市町村で別の制度が実施をされていたわけでございます。右側の市町村につきましては、行政機構の簡素化という観点から、教育委員の一人が教育長を兼ねる制度へと改正をしております。また、この兼ねるということによりまして、委員として特別職の身分、あるいは任期がつくといったような状況になっております。
 また、左側の都道府県の教育長についてでございますが、これは教育委員会が任命するという状況は変わっておりませんが、一般職の公務員であるということから任期制は廃止をされております。また、このときに教育長の適材確保という観点から、任命承認制度が導入されておりまして、都道府県の場合ですと文部科学大臣が承認する、市町村の場合でございますと都道府県教育委員会が承認をするという制度が導入されております。
 その次の、一番下の欄でございますが、平成11年の地方分権一括法によりまして、地方教育行政法の改正がなされて、都道府県、市町村ともに、そこにございますような制度になっているわけでございます。教育長の適材確保につきまして、任命承認制度を廃止いたしまして、その代替措置といたしまして、教育委員会が教育長を任命する際に議会同意を得るということについて、中教審の平成10年の答申におきましても提言がなされているわけでございます。また、この答申におきましては、議会同意を要する職は地方公務員法上特別職ということになりますので、こういった特別職化に合わせまして任期制の導入が必要だということも言及をされております。
 また、市町村の教育長につきましては、広い範囲から教育長の適材者を選任できるよう、委員のうちから任命する制度を改める、分離するということが提言をされていたわけでございますけれども、結局、ここにございますような、地方分権一括法の改正の内容といたしましては、任命承認制度は廃止はいたしましたけれども、委員と兼任するということで教育長の特別職化と任期制の導入を図ったというところでございます。
 2ページ目が項目ごとの整理でございまして、昭和23年のときのそれぞれ任命方式、あるいは適材確保、兼職、任期、身分・待遇というところにつきまして、それぞれ整理をさせていただいております。ここで御覧いただきますように、任命承認制度が議会同意制度に変わったわけでございますけれども、このときに、なぜ平成11年に平成10年の中教審答申といわば違った改正をしたのかということでございますが、専任化をするというほか、この中教審答申におきましては、特別職化し任期制を付すということで教育長に適材を確保するということをあわせて答申がなされていたわけでございますが、その専任化した上で、さらに教育長の特別職化ということができれば一番いい形であったわけでございますけれども、地方公共団体におきまして、そういたしますと新たに特別職を設けるということになる。そういたしますと、行政機構の簡素合理化の観点でやはり課題があるということで、この点につきましては政府として法案化することができなかったという状況がございまして、そういった中で特別職化と任期をつけるということについて実現するために、平成11年のような改正を行った。昭和31年以来、市につきましてはこのような制度がとられていたわけでございますけれども、平成11年の改正によりまして、都道府県、市町村を通じまして、教育委員と兼ねることによりまして議会同意を得る。その中で特別職化、そして任期を付すということになったわけでございます。
 これが、これまでの教育長と教育委員会との関係についての変遷ということで御説明をさせていただきました。
 次に、資料3の説明に移らせていただきます。資料3につきましては、前回の部会におきまして津田委員より、ナショナルスタンダードの内容について説明をするようにということで御指示ございましたものを受けまして、事務局で整理をさせていただいたところでございます。
 学校教育のナショナルスタンダードということで、主にこの三つほど整理をさせていただいております。まず、国として、学校制度につきまして、学校の種類、設置、就学などの基本的な制度を設定をしているということでございます。具体的に申し上げますと、その下にございます義務教育の無償、保護者の就学義務、学校の種類、目的、設置基準など、あるいは市町村等の学校に設置義務を課すとか、あるいは今御議論いただいております地方の教育行政体制の枠組みにつきましても、国によって全国的な基準を定めているという状況がございます。
 また、二つ目といたしまして、教育内容といたしまして、学習指導要領により学校教育の内容、基準を設定しているところでございます。学校段階ごとの教育目的でございますとか、あるいは各教科、こういった教科だけにとどまらず、道徳などにおいての授業時数でございますとか、あるいは目標、内容も含めまして設定をしているという状況でございます。また、それと関連いたしまして、教科書検定を実施し、義務教育の教科書をすべて無償で給付をしているということでございます。
 また、三つ目の教職員でございますが、学級編制の標準を設定いたしまして、また、学校に置く教職員の種類、定数についても標準を設定しております。また、この標準に基づきまして教職員の給与費を国庫負担しているところでございます。また、教職員の必要な免許ということにつきましても、種類や取得のための要件を設定し、かつ大学の教職課程について認定を行う。研修につきましても、最低限行うべき研修、初任者研修でございますとか十年経験者研修といった研修について内容を設定しているということでございます。
 そのほか、学校の基準といたしまして、安全、環境衛生などの基準でございますとか、あるいは健康診断の基準、あるいは学校評価などの組織運営上の基準を設定いたしておりますし、また、施設につきましても国庫負担をし、経費を支援しているという状況でございます。
 こういったことが、全体として国によるナショナルスタンダードの設定とその実現のための支援ということで整理できるものと考えております。これをもとに、各地方、学校におきまして多様な公教育が展開されているということになっているというふうに整理がされると考えております。
 以上が資料3の説明でございます。
 次に資料4でございますが、これにつきましては私ども事務局としてではございませんで、今日御欠席の小川委員より、今日欠席ということで、かわりに文書として意見を出したいということでいただいているものでございます。1ページから3ページまでが小川委員の意見でございまして、4ページから7ページまでが、この小川意見の内容についてもう少し敷衍をしております、小川委員の寄稿の記事でございます。主には4ページ以降の内容につきまして、1ページから3ページまで少しエッセンスを述べているという状況でございます。
 簡単に御説明をさせていただきますと、まず1ページ目の「1」のところでございますけれども、指摘されている問題点といたしまして、最初のところにございますように、現行の教育委員会制度に対して指摘されている問題点やその要因が整理されているが、それらに加えて、教育委員会制度の創設目的とその目的を果たすために制度化された仕組みが、運用の仕方によっては関係者の間に過度の「抑制」、「均衡」あるいは「責任所在の不明確性」を生じやすくさせている面もあることを押さえておく必要があるのではないかということでございます。
 そのほか、こういった基本的な問題意識のもとで、「2」、「3」と具体的な方向性を御意見いただいておりまして、「2」のところでございますけれども、4行目の後ろのところでございますが、「教育委員選任の過程に住民の意向をより直接的に把握して首長による教育委員選任の判断材料に活用していく公選制的な工夫も排除されるべきではない。現行地教行法下において、首長の教育委員任命権と議会による承認制を確認したうえで、自治体が教育委員選任過程において広範な住民の意向を知る工夫の一つとして公選制的な試みを実施したいという選択をした場合には、そうした自治体の判断、試みを最大限尊重し認めることが必要ではないか」、こういった御意見でございます。
 その次に、「3」の「教育委員会の使命の明確化」ということでございます。これは、前回非常に時間をかけまして御議論いただきました内容に関連するものでございますけれども、中盤のところでございますが、「これまでの本部会の審議では素人教育委員会の政策立案や執行の能力・機能を高めるために教育委員(その一部)を常勤化してはどうかという提案もあったが、むしろ、基本的な問題は、専門的な政策の決定や執行・管理の仕事を素人で非常勤・兼業の教育委員に委せるような「矛盾」や「無理」にあるように思える。そのため、教育委員(その一部)の常勤化という方策ではなくて、そうした教育委員会制度に孕まれている「矛盾」や「無理」を是正していくために、素人の教育委員の役割分担を地域の教育政策課題のアジェンダ設定や大綱的方針設定に限定しつつ、その具体的な政策立案と執行・管理という専門的事項は専門家である教育長-事務局に任せるという両者の役割分担を明確に区別することと、その役割分担を機能させていく仕組みづくりが必要なのではないか」という御意見でございます。
 また、最後に3ページ目でございますが、上から8行目のところでございますけれども、「「素人」教育委員会と「専門家」教育長の役割分担が避けられず、その効率的な有効な運営を図ろうとする場合には、その役割分担とその両者の関係を道義的、規範的な運用方針に留めないで、法的でアカウンタブルな仕組みとして制度化していくことが必要ではないか」、こういった御意見になっております。
 資料の説明は以上でございますが、もう一つ、前回の部会におきまして土屋委員から、義務教育費国庫負担金に関する議論が今なされていて、その議論と今回の部会における議論の関係についてどのように考えたらいいのかということで御指摘があったわけでございます。御承知のように、義務教育費国費庫負担金の取り扱いを含めましたいわゆる三位一体の改革につきましては様々な議論があるわけでございますが、現在、政府部内におきまして今後の取り扱いについて検討が進められているという状況でございまして、今後、11月半ばを目途に全体像が取りまとめられるという予定でございます。この内容につきましては、現在、当部会で御審議をいただいております事項、とりわけ都道府県と市町村との関係につきましてはかなり関連の深いものと考えているところでございますので、当部会におきましても当面この現行制度を前提としつつ、三位一体改革の動向を勘案しながら御審議を現在の時点では進めていただくということになろうかと考えております。
 以上、事務局の提出いたしました資料1から資料3まで、さらに小川委員から提出のありました資料4につきましての御説明を終わらせていただきます。

○ 鳥居部会長
 私、おくれてまいりまして、大変申しわけございません。ちょっと前の会議の手違いがありまして遅くなりました。
 今、事務局から説明していただいた資料の中で、特にメーンの資料でございますが、資料1、まとめ案ですね、これについて今日は引き続いて御審議をいただきたいと思っております。前回この中間報告案について御審議いただいて、今日が2回目で、もう一回考えておりまして、それが10月の18日、再来週を予定しております。その3回で、できましたら「意見のまとめ(案)」を固めたいと考えております。今、資料1の説明があったと思いますが、資料1「主な意見のまとめ(案)」は、総論(1ページ)と各論から成っています。各論が「〔1〕」から「〔8〕」までございまして、その「〔1〕」から「〔8〕」のそれぞれについて今日は御審議をいただきたいと思うのですが、一遍に今日1回ではとても無理だと思いますので、あらかじめ今日私が考えてまいりましたのは、この「〔1〕」と「〔2〕」と「〔3〕」あたりをお願いできればと思っております。「〔1〕」が、資料1の2ページの「〔1〕教育委員会制度の現状と課題」について御審議をいただきたいと思っております。「〔2〕」と申しますのは、5ページの「〔2〕教育委員会の組織及び運営の改革」でございます。「〔3〕」が、7ページの「教育長、教育委員会事務局の在り方の見直し」ということになります。
 これは順を追って御審議いただくのもよろしいのですが、考えてみますと、大きな問題はこの中にはそうたくさんあるわけではないように思います。特に大きな問題は、前回議論がありました、教育委員会と教育長との関係についてどうするか。この前、御意見として、教育長が教育委員であるという現在の制度をどう考えるかという問題があったわけです。これがかなり大きな問題だと思いますので、ぜひ今日は御審議をいただきたいと思っております。もう一つが、教育委員会の任意設置を認めるかどうするかという問題だと思います。
 まず、1番目に申しました、教育委員会と教育長との関係については、この資料1ではどこに書いてあるかといいますと、7ページの「(1)」、それから「(2)教育長の選任方法の改善」というところに触れるべき事柄だと思います。実は前回の議論がありまして、いろいろ御議論があったところですが、それをそのまま文言に今日書いてしまうと、まだ意見が分かれているところでもあり、それから、この後ちょっと御説明しますけれども、何度か改正をしてきたその経緯を振り返ると難しい問題もあるものですから、今日は7ページの真ん中辺の右の端のほうに「(※印議論中途)」と書いてあります。こういう形で、今日は文章にしないでありますので、ここを御審議いただきたいわけです。
 2番目に言いかけました、教育委員会の任意設置をどうするかという問題については、この資料1の3ページの下のほうに「3」というところがありますが、「教育委員会制度の必要性」というところにかかわってきます。ここのところをどう最終的にまとめるかということで、任意設置問題を御審議いただきたいと思っております。
 3番目ですが、教育委員会の組織の弾力化ということもかねてから議論をしてきたところでございます。これについては、資料1では5ページ、上のほうに「教育委員会の組織等の弾力化」というところがございます。ここのところについて、最後どういう形でこの案をまとめるかについて御意見をいただきたいと思っております。
 それから、今日もう一つ時間があればお願いしたいのは、教育委員会の自己評価の問題でして、これは7ページの真ん中よりちょっと下のほうに「教育委員会の自己評価」というところがあります。この程度の書き方でよろしいか、もう少し突っ込んで自己評価問題を書くか、その辺を御意見をいただきたいと思います。
 それで、私ちょっとおくれて来ましたので、資料2の説明は既にあったのだと思いますが、資料2のところに戻ります。ぜひ御審議いただきたい問題の第1番目、教育委員会と教育長との関係ですね。今日ここの資料の説明があったと思いますが、どうもいろいろ聞いてみますと、昭和23年にこういうふうに教育委員が教育長を選ぶという仕組みになって、昭和31年に、都道府県と市町村では若干違う、都道府県は教育委員会が教育長を選ぶ、市町村のほうは教育委員の中で教育長を決める、こういうふうになったわけですね。それが、平成11年の改正で、教育委員の中から教育長を選ぶという形をとるということになったというわけですね。たぶん説明があったと思うのですが、私の理解している限りでは、この昭和31年、真ん中の段の、教育委員が教育長を選ぶというときの教育長は特別職ではなかったですね。つまり、この真ん中の左側に書いてある教育長は、特別職ではないのですね。ですから、首長、議会の議員、教育委員、みんな特別職なのに、特別職ではない教育長が誕生したわけですね。それに対して、平成11年の改正で、今度は教育委員として特別職の身分を持っている方が教育長になるということになったわけですね。ですから、これから私たちが議論すべきことは、この教育委員ではない教育長はどういう形の教育長になるかというのが見通しが立たないと議論しにくいわけですが、ここのところは、毎度のことですが、これはどこになるのでしょうか、総務省、自治省との力関係で決まるようなところが若干ありますので、そのことを念頭に置いて議論し始めるとなかなか難しい問題になりますから、まず組織論として何が正しいかということを御議論いただいて、その上で、当然のことながら、教育長はせっかく平成11年の改正で特別職に指定されているわけですから、そのタイトルは外さないで、その組織上の切り分けをするというような考え方でやったらどうかという御議論が一つあり得ると思います。また、人によっては、逆に、もとへ戻せという御議論もあり得ると思います。その辺のところを御審議をいただければと思うわけです。
 というわけで、大体問題点はそういうところにあると思いますので、そのことを念頭に置いて御意見をいただければと思います。いかがでしょうか。
 どうぞ、千代委員。

○ 千代委員
 その前に、平成11年のときに、教育長が教育委員の身分を有することを前提にしてということになりましたけれども、特別職として決まりかけていたのがどんでん返しになったようなお話を聞いております。その間の事情は、文部科学省のほうでは御説明いただくことはできませんか。

○ 鳥居部会長
 どうぞ、お願いします。

○ 角田初等中等教育企画課課長補佐 平成11年のこの改正の前に、平成10年に中教審で御議論いただきまして、答申をいただいた。それを受けての改正ということでございます。この答申におきましては、従来の市町村の教育委員会につきましては分離をする。これまで教育委員の中から選ぶということで来たわけでございますけれども、それを分離をするということが一つ。もう一つございまして、それは、現在、都道府県の教育長につきましては、委員としては特別職になっているわけでございますけれども、その前は一般職ということでございました。こういった位置づけにつきましては、やはり教育長の適材を確保する、あるいは安定的に行政を行っていくということが必要だということで、教育長について、当時、任命承認制度を廃止いたしましたので、その代替措置といたしまして議会の同意を得る、その同意を得ることによって特別職化し、任期を付す、そういうことが必要だ、こういった二つの事項をこの中教審で御意見をいただいたということでございます。
 当時、当然その二つの内容につきまして法案化を検討したわけでございますけれども、これをそのまま実現するといたしますと、分離した上で、教育長につきまして別に議会同意を付して特別職化するということになるわけでございますが、そういたしますと、地方の行政組織の中の職といたしまして特別職を増やすことになる。これまでよりも増やすことになる。そういたしますと、これはこういった教育行政とはまた別の要請でございます行政組織の簡素合理化という観点からやはり課題があるということで、政府全体として法案を閣議決定し、国会に提出する段階で、それはちょっとできなかった、難しかったということがございまして、その中で、その二つの要請のうち、後ろの、特別職化と任期を付すという教育長の適材確保というところに重点を置いて、今のような法律にするよう改正案を提出させていただいた。これが今の制度になります経緯ということでございます。

○ 鳥居部会長
 よろしゅうございましょうか。
 今、角田さんから説明がありましたように、特別職を増やすことによって地方自治体の財政的な負担増になるという問題は、今度はないわけですね。既に特別職になっていますから。その特別職になっている教育長を、教育委員のまま置くのか、教育委員会から切り離すのかだけの問題だと考えれば、その問題はなくなるのではないかと私は思うのですけれども、そこがどういうふうにこれから省庁間の話し合いが進むのかは、やってみないとわからない。いかがでしょうか。
 千代委員、どうぞ。

○ 千代委員
 教育長は、ちょうど議会における首長と同じでございまして、教育委員会における議案等の審議の提案をする役割をかなり持っておりまして、その方がまた教育委員会のメンバーの一員として、自分の提言した提案をそこでまた検討する、また論議するということにおいては非常な自己矛盾があるのではないか、こう思っております。ほかの5人の場合の4人の方々についての影響もかなり大きいのではないかと思っておりまして、でき得るならば分離したほうがスムーズに物事がはかどるのではないか、こういうことを、私は今行政をやっていて直接感じるところでございます。
 それから、提言をした人がそこでまたその是非を論じるということにおいては、教育長の独自性というのが少し欠けてしまうのではないか。やはり出したものについては、教育委員会で十分審議していただくことがどうして必要ではないか。現実の問題としていろいろ事情聴取しておりますと、行政の中ではそういう矛盾が出てくるということを感じておりますので、ちょっと出しておきたいと思います。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 そのほかに御意見……。
 どうぞ、横山委員。

○ 横山委員
 今話があったように、組織論的に言うと、審議する機関に、議決する機関に提案側が入るというのは確かにおかしいのですよね。ただ、おかしいのだけれども、私自身は今教育長の立場で物を考えた場合に、これはどうでもいいのです、はっきり申し上げて。ただ、問題は、教育行政をうまくやっていくためには、教育委員とそうでない教育長の対立関係は絶対避けなければいけないわけです。では、一方で、教育委員というのは日常的に知事側の意向というのは聞かないわけです、基本的には。ところが、実際には、教育委員会というのは予算権もないし執行権もないわけですから、例えば東京の場合、都政ということを考えたら、一般都民から見れば知事なのですよ。したがって、教育行政といえども日常的にはやはり教育長が知事部局と相当調整をしながらやっているわけですね。そこの関係を教育委員との関係で遮断したら教育行政が大混乱しますので、そこのところの関係をどうするかということなのですね。だから、教育長が教育委員の身分を持とうが持つまいが、それはただ議決に参加する票が1票あるというだけの話であって、これは遮断をしたら全くまずいので、少なくとも教育長が教育委員会の中で相当の発言権を持ち、かつ、それが重みを持つような発言権が保障されていれば、それほど大きな問題はないと思うのです。組織論的な矛盾を解消するのならば、そのほうがいいのかと思っています。

○ 鳥居部会長
 もし、今のお話の延長で、切り離して、なおかつ、今、横山さんがおっしゃるように、教育長が教育委員会にいろいろと意見を言うことができるような形を確保するとすると、どういう仕組みが……。

○ 横山委員
 もう一つは、教育長を議会の同意を外すわけには絶対いかないと思うのです、現実に。なぜかというと、議会の対応というのは答弁も含めて、議会への出席というのは、個々の団体によって違いますが、基本的には教育長が全部教育委員会の委任を受けて全部対応していますので、その関係でも教育長を選任する場合の議会の同意といいますか、教育委員と同じように、その手順は必ず必要であろうと思うのです。だから、教育委員は、現在、知事が提案し、議会が同意をして知事が任命しますね。だから、教育委員は教育委員という立場で議会に提案し、同意をいただき、任命する。そうすれば、おのずから遮断はされますよね。遮断というか、教育委員と教育長は違うと。ただ、問題は、法制度の中でその関係をどうつくっていくか。

○ 鳥居部会長
 土屋委員、どうぞお願いします。

○ 土屋委員
 民間からお出になっております津田委員などにもお知恵をおかりしたいと思うのですけれども、民間の会社でやっております取締役会と代表取締役の関係、これにちょっと似ているような気がするのですけれども、これについて、私、実際に取締役になったことがないものですからわからないですけれども、ちょっと教えていただけますか。いわゆる理事会制。

○ 津田委員
 民間企業の場合であれば、業績の確保、向上という共通の目的がありますから、代表取締役の意向というのか、会社の方針を受けて代表取締役がそれぞれの取締役にミッションを与えて、目的追求に向かって全員同じ方向へ向かってやっていくというのが制度になっていますから、この教育委員と教育委員会と教育長の関係とでは非常に違うと思うのです。今、横山さんがおっしゃったけれども、私は、これは教育委員 ―質問に答えるだけにしておきます。後でまた。いいですか、続けて意見を言って。

○ 鳥居部会長
 どうぞ。

○ 津田委員
 これは絶対切り離さないとおかしいと思うのです。もともと教育委員会というのはレイマンコントロール、首長がいろいろかわったときに激変するのをある程度緩和していこうというのでできた制度ではないかと思うのです。教育長というのは、知事といわば一体になって、その地域の教育効果を上げるために、いわば全力を尽くしてやっていく。それに対して、レイマンコントロールというのは、知事あるいは教育長に、それは少し行き過ぎじゃないですかというふうにしていろいろなブレーキをかける、あるいは、もっとこういうことをやるべきだというサゼスチョンをする。だから、これはミッションが明らかに違うので、このミッションの中に教育長を入れて、ほかの教育委員を引っ張っていくとなると、本当に私はかねがね言っている、教育委員会というのはもうやめたほうがいいんじゃないかというのは、実際のところはその辺から来ているので、もし教育委員会制度というのを残すのであれば、先ほどいろいろないきさつはあるし、まだ今の制度になって短いとかいろいろな事情はあるけれども、本当に早急にこれは分離すべきではないかと思います。そうでないと、教育委員会自身の意味がなくなってくるのではないかと思います。

○ 鳥居部会長
 では、渡久山委員、それから千代委員、どうぞ。

○ 渡久山委員
 今、横山委員が言われたことで、実際に教育長をされているわけですから、教育行政に携わっていらっしゃるわけで、その立場からの発言で、分離しても分離しなくてもという話ですけれども、分離してもいいという話で、今多くの場合は分離したほうがいいだろうというのが、私も分離したほうがいいと思うのです。
 ただ、今、横山委員が言われたことで、教育長として教育行政に関して調整する場合、知事部局あるいは知事との調整ということをちょっと言われたのですけれども、私は、基本的には教育委員会が教育行政に責任を持つべきだと思うのです。そして、教育長は基本的には教育委員と調整するなら調整する必要があると私は思うのです。ただ、言われたように、現在の教育委員は、予算権あるいは予算執行権、執行権はあっても予算権はないというようなところで、実質的に無力だということであれば、いかに教育行政というものがあっても、全くこれが実質的に力を持たないということになったら、これでは全く、今言われたように、知事とやればいいのであってという形になれば、教育委員そのものが全くお飾りになって、無力化しているわけですね。
 今大事なことは、地方分権と言われる場合に、特に教育の地方分権と言われるときには、やはり地方の教育委員会が教育行政に何らかの実権を持っていないとだめだと思うのです。責任を持っていないとだめだと思うのです。その中の一つには、よく言われるように、教育の中立性あるいは継続性、安定性ということを考えた場合に、やはり教育行政が一定程度地方分権としての、地方においても独立した権限を持っていなくてはいけないだろう、そういうような感じを持ちます。ですから、教育委員が今の例えば教育長を任命し、もちろん言われたように議会の承認制は必要だと私も思います、でやることによって、逆に今度は教育長自身がやはり専門的な立場で教育行政を具体的に執行するというようなことになっていくほうがいいのではないかなという気がいたします。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 先ほど千代委員が手を挙げられましたけれども。

○ 千代委員
 教育委員会と教育長の関係ですが、それぞれの規則や条例の中で決められているのは、教育委員会が権限を教育長に委任しているという条項があるのです。それは何かというと、教育長でやるべきことはやってください、しかし、その中で例外事項がありまして、教育の方針とかそうしたもの、一般方針ですね、それを決めるときには教育委員会に上げて、それを教育委員全員が検討するということになっております。これがいろいろな面で幾つかの例外が出ておりまして、我が町では14の例外を設定しているのですが、そこの部分は教育長が勝手に決めるわけにいかない、教育委員会で十分討議してもらいたい、こういうことになっておりますから、これについてはどうしても同じ席で教育長が出したものを教育委員会でまた教育長を入れて討議するということには甚だ矛盾があるのではないかと思います。
 それから、権限の問題で、財源等を持っていない教育長ということになるのですけれども、これは、私のところですと町ですから、町長部局と教育部局との間の話し合いを十分やることによって総枠を決める、こういうことも考えられるのではないかと思います。財源を確保することを教育長に求めることはとてもできない相談でありまして、これについては全体のまとめとしての首長がやらなければいけないわけですけれども、その財源をどのように配分するかについては教育部局との間で徹底的な討論が行われるならば、総枠を決める、こういうこともこれからは必要であろうと思っておりますので、その点を申し上げておきたいと思います。

○ 鳥居部会長
 門川委員と藤田委員から挙手がありますけれども、どうぞお願いします。

○ 門川委員
 結論的には運用の問題であろうかとは思うのですけれども、一つは、首長との関係、市長、知事と教育長との関係、これも重要であります。議会の承認がどうしても必要かどうかということがあります。3点目は、教育委員と教育長との関係。実態的には協調しながらうまくいっているのではないかという気がしますし、うまく機能するのは運用の問題だと思うのですけれども、もしこの制度を、今、事実上教育長は、知事、市長が事実上議会の同意を得て任命している、形式的に教育委員会の互選で決めているという不明確な制度ですけれども、それを教育委員会がきちっと決めているという、責任を明確にするという意味では、私の考えですけれども、教育委員会が首長と協議して任命し、議会の承認を得るということが、一番全てがオープンになってすっきりするのではないかなと。首長との関係も大事であります。議会との関係も大事である。それと、教育委員会が実質的な選考権を持つということも大事であるということを、すべてを担保するなら、教育委員会が首長と協議の上教育委員会の責任で任命して、そして議会の承認を得る、こんな感じではないかなということを感じております。

○ 鳥居部会長
 今の門川さんのお説だと、教育長は教育委員であるべき……。どっちなのですか。

○ 門川委員
 教育委員ではありません。

○ 鳥居部会長
 ではない、切り離すと。
 藤田委員、どうぞお願いします。

○ 藤田委員
 私も基本的には教育委員会と教育長は分離すべきだという考え方でありますけれども、今、門川委員からも言われましたように、たぶん教育長と教育委員会との関係は、最近は多くのところではうまくいっている場合が増えているのではないかと思うのですが、時代の変化もありますでしょうし、それから、様々な形で透明性とか公開性とかアカウンタビリティということで関心も強まっておりますから、そういう意味でも、将来的にも激しくかつてのように対立するというか、非常にゆがんだ形になっていくというケースは、起こり得ないわけではないでしょうけれども、現実的にはそういう状態が長く続くということが社会的に住民にも承認されて通っていくということは少なくなると思いますから、そういう意味では、教育委員会と教育長は基本的に協力しながら、しかし適切に権限を分担してやっていく、そういう仕組みにしておくのが好ましいと思います。
 そして、その際に、これは小川委員も提起していることでありますし、先ほど千代委員からも御紹介がありましたけれども、やはり教育委員会が基本的に権限を持ってそこで決定し、あるいは承認しなければいけない事項というものを明確にするということとも関係していると思うのです。逆に、教育長の権限で、あるいは日常的にやっていいものというものも、逆にその関係で明確になるわけですから、そういう意味で、教育委員会はやはり基本的な教育の方針を検討するということと、それから様々なチェックや、あるいはオンブズマン的な機能を果たすとか、そういった点で何をこの基本的な権限の中に入れるかという、その範囲をある程度明確化するということが必要なのではないかと思います。
 3点目としまして、当然、教育長の選任の方法、先ほど門川委員からも提案がありましたようなことは一つの案だと思いますし、もう一方で教育委員の選任の方法にもかかわってくると思いますから、あるいはその任期とも関連すると思いますから、その辺を含めて考える必要があるのかなと思いました。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 先ほど吾妻委員から挙手がありました。それから森田委員に行きます。どうぞ。

○ 吾妻委員
 教育委員と教育長の兼任という問題ですけれども、私は町の教育長をやっておりまして、これまでも教育委員であり教育長であったわけでして、平成11年の地方分権一括法のときに、都道府県の教育委員会が、今説明に何度も出てきましたように、市町村と同じように都道府県の教育長が教育委員になったということになったわけですよね。私は教育長になって以来ずっと教育委員として教育長をやってきたという関係もあると思うのですが、特に矛盾は感じていなくて、そういう中で平成11年に都道府県の教育長も教育委員という形になったというときに、むしろ好意的な目で見ておりまして、正直言って、この制度がスタートしてそんなに日は長くないわけですから、平成11年に都道府県がそういう制度にして、また分離ということが、何かもう一つ先ほど文科省の説明で、このとき都道府県をこういうふうにしたというところが、特別職をふやさないということだけなのかなという、もう少し何か深い議論がなかったのかなというようなことをちょっともう一度お聞きしたいような気がします。
 それから、実質問題としては、確かにこれまでの御意見のように、事務局として教育長が教育委員でない方がレイマンとしての教育委員会の活性化につながるだろうという御意見が先ほどございましたけれども、ある意味では、そういう面はたくさんあると私も思います。言葉は悪いですけれども、教育長に遠慮しないで教育委員が言いたいことを言うということではそうだと思うのですが、逆に言うと、首長との関係その他で、教育委員会の行政執行上やはり教育長が教育委員として教育委員会の中で対等の立場で意見を言い合うということも、やはり私は大事にしていきたいなと。そのかわり、殊さら議論に入らないほうがいいようなときには、なるべく議論に参加するのを控えて、教育委員のできるだけたくさんの御意見をお聞きするような態度をとるわけですが、首長部局との関係、その他一般地域住民との関係の中では、教育委員という形を持っていたほうがやりやすかったということがあるのですが。
 ただ、実際上非常に微妙なことは、教育長と教育委員長との関係はなかなか微妙な場合がありまして、一般的に常勤として教育行政のとりあえずトップとして事務的な仕事をしている関係で、地域住民も何か教育委員会の代表イコール教育長みたいな雰囲気になるときがあるわけですね。実際はこの組織上教育委員長がトップであることは間違いないわけですが、この委員長も、それぞれの自治体でやり方は違うわけですけれども、何年か続けて委員長をする教育委員会と、それから毎年、1年ごとに教育委員の中から輪番制で委員長になる、そういう自治体もあるわけですね。そうしますと、かえって委員長に公的なといいますか、対外的な大事な場面でのあいさつとか、それから事務事業の説明とか、そういうときには教育長が委員長にかわってとり行ったほうが非常にスムーズにいくという場合もあるわけですので、その辺もいろいろ含めて、私は今の制度でいいのではないかなという考え方であります。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 では、森田委員、どうぞ。

○ 森田委員
 今の御議論が教育委員会と教育長の関係であると思いますけれども、それぞれどちらのお考えもそれなりにもっともかなという気がいたしますけれども、素朴な疑問として感じますのは、なぜどちらか一方でなければならないのかということも議論してもいいのではないかと思っておりまして、これは地方分権の考え方からすればそうでございますけれども、一定の限界はあるのかもしれませんけれども、それぞれ合理的な理由があり、それぞれ人を得るなり伝統なりというものがあるとしますと、その自治体がその中で選択をするという可能性もあり得るし、そういう制度でもいいのではないか。だとしますと、こうした議論は、それぞれどの制度がいいかということについて行うのはいいと思いますけれども、どちらかに決めるという必要は必ずしもないのではないかというのが素朴な疑問でございます。
 私自身は、制度の考え方としましては、小川先生もおっしゃっていますし、アメリカ的な意味で言えば、完全に教育というものの政治的な中立性を担保するためには、地域の住民が公選で選んで、その教育委員会が意思決定を行う。そして、その教育委員会が専門家であるところの教育長を任命する。そこはさらに財政的な権限を持つというのが一番制度的にはクリアだし、すっきりしていると思います。ただ、我が国の場合には必ずしもそういうふうにはなっておりませんし、現実にはそうでないところもうまくいっている。実際、昭和31年から平成11年までは都道府県と市町村で違う仕組みをとっていたわけでございまして、もちろんいろいろな教育上の権限も違いますけれども、それなりに機能してきたということを考えた場合に、いろいろな選択肢があるのではないか。
 さらに、現在におきましても、都道府県、市町村の今の形がそうだと思いますけれども、資料2の図によりますと、教育委員のほうも議会同意を必要とするとはいえ、首長の側が任命していく。そして、実質的にその中で教育長のほうも、この中で言いますと首長に事実上の選任権があるというふうに書かれているわけでございまして、それが本来の意味での政治的中立性とどういう関係にあるかというのも一つの論点だと思いますけれども、それはともかくといたしまして、それぞれに合理性があるし、完璧でないとしたら、選択できる制度というもあり得るのではないか。疑問も含めてそういうふうに思っているというところでございます。

○ 鳥居部会長
 では、副会長、どうぞ。

○ 茂木副会長
 私も、今、森田委員のおっしゃったこと、全く大賛成でございまして、いろいろな仕組みがあっていいと思うのです。それを各都道府県ないしは市町村が選ぶということで、それを評価するのは住民なのですね。ですから、評価しなければ、その政策に対して住民はノーと言うわけですから、そうしたら変えればいいわけです。私は、今、企業のコーポレートガバナンスがまさにそうなのでありますね。いろいろな方法が今日本の企業でとれる状態になっておりまして、商法改正で去年、皆さん方はあまり御関係がないので、申し上げてもしようがないかもしれませんが、委員会等設置会社という新しいコーポレートガバナンスの仕組みがとれるようになったのです。それで、従来型をやるか、あるいはその新しい形をとるか、その中間的なものをとるか、企業によっていろいろやり方を変えているわけです、違うのです。それを判断するのは市場なのです。市場が判断して、もしこの企業のコーポレートガバナンスの仕組みが悪いというふうに判断すれば、それは株価が下がるわけです。そうすればまた仕組みを変えなければいけない、こういうことでありまして、ですから、住民が選ぶ権利を残しておけば、つまり市長選挙あるいは知事の選挙で、私は教育委員会制度についてこういう方法をとるのだということを選挙のときに方針として打ち出して、それを住民が納得してオーケーということであれば、それはそれでいいと思うのです。ですから、チェックの方法があるから、私はいろいろなことをやっていいのではないかという感じがいたします。
 それから、さっきから伺っていると、教育委員会と教育長を分離すべきだという御意見のほうが多いように伺っていましたので、私はちょっと別な観点もあるよということだけで一つ申し上げますと、アメリカの企業のコーポレートガバナンスのやり方、それから、最近、さっき申し上げた、日本で新しく仕組みが変わって委員会等設置会社というシステムがとれるようになったのですけれども、そのやり方に共通して言えることは、社外取締役というのがアメリカの場合多いのです。ですから、日本でもだんだん多くなってくるという傾向にありますが、執行部というのはうんと少ないのです、取締役の中で。例えば10人取締役がおりますと、そのうちの一人か二人が執行部なのですね。アメリカの場合は、一人ということがかなり多いですね。それがいわば教育長だというふうに考えて、残りのいわゆる社外取締役というのが全部教育委員だ、こういうふうに考えれば、中で議論しても、つまり取締役会の中で社内取締役は一人、これは社長ないしは会長ですよね。その人が議論の中に参加しても、別に、さっき吾妻委員がおっしゃったように、あまり変なことにはならないのでありまして、つまり取締役会というものが執行部をチェックする監督機能というのがあるのですが、その監督機能が侵されるかどうか、阻害されるかどうかということが一つのポイントだと思うのですけれども、私はそこに執行部が一人入っていても、監督機能というのはあまり阻害されないのではないかと思いますものですから、教育委員会の中に教育長が入っていても、私は教育委員会の教育長に対する監督権限というものは別に失われなくて済むのではないかと思うのです。ですから、アメリカの企業の例からすると、私は別に分けなくてもいいのではないかというような感じを持っております。ただ、それはいろいろな方法があるから、それも一つの方法であって、どっちをとってもいいのではないかということです。

〔山中初等中等教育局担当審議官出席〕

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 藤田委員、どうぞ。

○ 藤田委員
 その選択、各自治体が選んでもいいのではないかという、これについては、これまでの戦後50年の経緯、先ほど御説明いただいたことを考えても、どちらでもあり得るということは、そのとおりだとは思うのです。ただ、問題は、制度としてどちらの制度が原理的にあるいは理念的により適切になるかということを、制度設計では優先したほうがいいと私は思います。そして、どちらの制度でも住民が選べばそれでいいというのは、実はそれは運用や適材が確保されるかということに多くを依存していて、そうすると、自治体が選んでも、それはどういう人が実際に選ばれ、あるいはまたその両者の関係がどうなるかによって、あるいはまたそれぞれの自治体のその時々の政治状況等で左右されるということも起こりかねませんから、そういったことをある程度排除するためにも、これは原理的にはすっきりするほうがいいから、私は分離ということが基本だと思うのです。ただ、前も市町村あるいは特に小さいところでは教育委員長が教育長を兼ねるということを認めていたわけですが、そういったようなことがあってはいけないというふうに私は絶対考えているわけではないのですが、制度設計としてはきちっとすっきりしているほうがいいと思います。
 もう1点は、先ほど、もう一つの問題で、7ページの例の「教育委員会の自己評価」のところにかかわってですが、これは、例えばここでは教育長が業務の自己評価を行い、教育委員会に報告するとともに、教育委員会自体も云々となっているのですが、本来は教育委員会が教育長を初め教育行政の評価をしなければいけないと思うのです。そうなってくると、ますますもって構造的には教育長が教育委員を兼ねているということは、そういう意味で評価機能を教育委員会が持てないということに、あるいはゆがんだ構造になりますから、その点でも分離するほうがいいというふうにも思います。
 もう一つは、この評価にかかわってですけれども、いわゆる通常のというか、これまで既に既定の事業として行われているものを、その向上や改善や、あるいは効率化、適正化ということで日常の毎年の報告をするとか、それを点検・評価するという、そういう部分と、新たに新規事業でありますとか、あるいはこれまでの基本的な枠組みを変えていくという、そういうような取組を評価するということとは非常に大きく違いがあって、一般には、新しく制度を変えるとか新しい事業を起こすというときには、その仕組みや制度や、あるいは事業の適切性や有効性をきちっと点検・評価をすることが必要ですけれども、通常、毎年行われている事業について、これを内部的に詳細に点検・評価をするということになると、実は専門性というものがそこで非常に大きく信頼されていないということになっていくわけですから、私はそういったところは年々のきちっとした報告書、そしてそれを教育委員会なり議会なりがきちっと確認をし、点検をするという作業で十分なのだと思います。ですから、評価のところは、何か第三者評価的な、あるいは外部評価的なことを事細かにやっていくということには、私は基本的に反対なのですが、いずれにしてもこの評価の問題ともかかわって、教育委員会と、あるいは教育長と教育委員との関係というものも考える必要があるのではないかと思います。

○ 鳥居部会長
 今の藤田先生のお話だと、7ページの「(3)」の二つの「○」の下のほうの「○」、「このため」というところの文章を読んでいくと、「教育長が、教育長以下の業務の状況について自己評価を行い」と書いてありますが、むしろ教育委員会が教育長以下の評価を行いというふうに考えたほうがいいとおっしゃっていることになりますか。

○ 藤田委員
 「自己評価を行い、教育委員会に報告するとともに、教育委員会」、これで私はいいと思うのですが、このこと自体が既に教育長と教育委員会とが別組織ということを前提にしなければ成り立たないと思うのです。もちろんそれに加えて、教育委員会がその自己評価の報告を受けて、さらに、それを受けるだけではなくて、独自の評価をしても構わないと思いますから、両方を含めていいと思います。

○ 鳥居部会長
 浅見委員がさっきから手を挙げておられますので、それから横山委員、それから千代委員といきます。土屋委員も、お待たせしまして済みません。どうぞ。

○ 浅見委員
 今回ずっと議論してきたことを要約すれば、制度上の問題よりも運用上の自由度をどう増していくかということだと私は理解しているのですが、そういうことで言えば、今の議論も、横山委員も言われたように、どちらでも運用上きちっとしていればそれで済むことなのかもしれませんが、小川委員もここに書かれているように、やはり委員会と教育長、教育部局との二つが既にあって、これからもそれを前提として議論が進んでいるのだと思いますが、あるということを前提にして議論が進んでいるのだと思いますが、二つあるということ自体が、性格、機能が違う組織として両者があるということだと思いますし、小川委員が書かれていることですけれども、そういったことから言うと、やはり分離したほうがいいのではないかと考えています。
 ただ、協力関係をどう保障していくかというのは、むしろこれはかかわっている人の問題なのかもしれませんが、非常に重要なことだと思いますが、同時に、今、藤田委員が言われたようなチェック機能をお互いが持つ。ある種の適度な緊張関係が両組織の間にあるということも、機能を高める上では重要なことではないかと思っています。

○ 鳥居部会長
 横山委員、どうぞお願いします。

○ 横山委員
 今のいろいろ議論を聞いていまして、一つ何か非常に誤解があるのは、教育委員会が活性化しない一つの大きな理由として、教育長が教育委員会そのものを左右する大きな権限を持つ、それが前提になって議論されているようですが、それは絶対にあり得ない話であって、実際どんなに活性化した教育委員会でも、教育委員の方がはるかに大きな権限を持っております、現実に。私は、今回、問題提起が、教育委員会制度の活性化という視点で、そのゆえにもって、議論したゆえをもって円滑な教育行政が阻害されるなんて、こんな本末転倒な話はないわけであって、教育行政そのものは住民の意向に沿って円滑に行われることが本意ですから、それが目的ですからね、教育委員会制度の活性化というのは。そういった意味で、私自身は、教育長が教育委員の中から選任され教育委員の身分を持つ、それが組織論的におかしいのならば、議決権を外せばいいだけの話であって、私はやはり同じ教育委員としての仲間の中で住民の意向を受けて円滑な行政をやっていく。私が先ほど首長との関係を申しましたのは、これは予算を伴う案件の話ですから、例えば教育行政の基であるとか、そんなものを一々調整することはあり得ません。ただ、実際に予算編成権がないわけですから、予算を伴う事業執行については、事前に調整しない限り、幾ら教育委員会で決めたって、これは空論の話であって、そういった意味で申し上げているわけであって、私は、本来議論すべきは、住民の意向に沿って円滑な教育行政を行うための仕組みはどういう仕組なのかというのが、議論のやはりスタート台だろうと思っています。

○ 鳥居部会長
 ちょっとそのところで一つ教えていただきたいのですが、首長が教育委員を任命しますね。そのときに、その中に一人行政官たる教育委員を仕込んでおくというのが実態ですよね。

○ 横山委員
 それは、実際には教育委員の選任同意を議会に出しますが、現実の問題としては、行政官に限らず、暗黙のうちの教育長候補という意味で出します。

○ 鳥居部会長
 教育長候補ということで最初に組み込んでおくわけですよね、リストの中に。そのこと自体を分離を主張する方々は、それだったら最初から別に任命したらどうかというふうに主張しておられるのではないかと思うのです。

○ 横山委員
 私が先ほどどうでもいいのですと言った裏の問題としては、教育委員と教育長が反目する関係に立つというのは絶対マイナスですよ。

○ 鳥居部会長
 そうですね。

○ 横山委員
 反目するほうがいいのだという議論があるのかもしれませんが、円滑な教育行政、日常的な教育行政ですから、それを阻害するような仕組みというのは、私は考えられないですね。

○ 鳥居部会長
 では、千代委員、どうぞ。

○ 千代委員
 ほかの方もちょっと同じようなお考えを持っている方がいらっしゃると思いますが、分離というのは完全に分割してしまうわけではないのですね。提言をする側と、その提言されたものを検討する側をはっきり分けておいたほうがいいであろうということなのです。だから、何かあたかも分離するということが敵対関係を生じるというようなお考えでは皆さんないだろうと私は思っているのですが、一つの事例としては、議会と首長との問題もそうでして、議会に首長が議案を提案するときは、先ほど森田委員や、それから藤田委員もおっしゃっているように、新しい事柄を提議するときに議会に首長が提案をして、そして議会でもんでいただいて、それを検討するわけです。それと同じように、教育長も教育委員会に提言することによって、それが検討され、よりよい形で出されればいいわけなのですね。だから、提案がすんなり通る場合もあれば、たたき台としてさらにそれが変わっていく場合もある。そうでないと、先ほどちょっと教育長と教育委員会委員長との関係が出ましたけれども、委員長は全く形骸化してしまっているのが現実です。では、委員長は何をやるかというと、対外的にもあまり責任を持たない、しかも委員会の議決に至るまでの対応も委員長が形式的にやっているだけである。これでは委員長はなくてもいいぐらいのものでありまして、そういうところを一応制度的に見直しておく必要があろう。その場合に、何も対立になるというばかり前提にして物事を考える必要は毛頭ないだろうと思いますし、我が町の場合にはそれが非常に円満にいっているケースなのですけれども、制度的にははっきりまだ決まっておりません。しかし、先ほど藤田委員でしたか、お話がありましたように、それを個々の行政でやるためには、スタンダードを決めて、その中で自由に各自治体でその運用の方法を決める、それも結構なのですけれども、私はだいぶ前の会議で申し上げたように、それは地方自治体で制度化をきっちりするようにもう一回見直してみたらどうか、こういうように私は提言したのです、前には。それと同じことで、今ここで問題にされているのは、どういう役割分担を与えるかということをはっきりしておくほうが、住民にも非常によく説明がつくであろう、こういうように私は思っております。

○ 鳥居部会長
 では、挙手の順番にちょっといきます。大勢手を挙げていらっしゃるので。まず稲田委員、それから土屋委員、藤田委員、それから佐藤委員、門川委員、その次が津田委員、こんな順でひとつお願いいたします。

○ 稲田委員 私は、いわゆる教育委員会と首長部局、知事部局の関係を見ていて、もちろん100パーセント首長が教育長の事実上の選任権は持っています。その教育長に、普通の人事異動の、幹部人事の一環として教育長を選ぶというのが大半ですけれども、最近、中には公募で選ぶとか、あるいは佐賀市の教育長に品川区の小学校の現職の校長さんを持ってくるとか、いわゆる首長の教育に対する考え方が教育長人事にずっと特色を持って出てきているわけです。そういう状況の中で教育長を選ぶということになってきていますので、考えてみると、すっきりした形にしたほうがいいと思うのです。いわゆる首長が選んだ教育長候補を教育委員にして、そして教育委員会で教育長に決めて、それを教育長にするとか、非常に回りくどい、住民が図をかかないとわからないような形に今はなっているのではないかと思うのです。だから、いわゆる教育長は特別職ですから、議会の同意を得て、それだけで教育長に就任して、教育委員会と教育長を分離して、そして教育長がいわゆる教育委員会に提案権を持たせて提案をし、教育委員会でその提案されたものを議論して、そして肉づけをしたり削除したりいろいろして決めていく、これが非常に大事なことで、そうなってくると、教育委員長の形骸化とか、教育委員のレベルの問題とか、名誉職化とか、いろいろ言っていますけれども、こういうようなこともやはりレベルアップせざるを得ないと思うのですね、一つの教育長の提案したものを議論する場ですから。しかも、その評価の問題が出てきて、そういうことで、教育行政を活性化するということを主眼にしてこの問題を論じるべきではないか。その場合に、やはり分離してすきっとしたほうが、わかりやすくしたほうが一番いいのではないか。そして、いわゆる首長はそれぞれの教育目的に従った教育長を連れてくるなり、県庁職員の中から選ぶなり、そういうふうにすればいいのではないかなと思っています。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、土屋委員、どうぞお願いします。

○ 土屋委員
 一番最初から議論していたことが今回の議論に反映されているような気がするのですけれども、今まで議論をしてきたのは、教育委員会をある程度強化して、極端なことを言えばアメリカ並みにしてやるという方向なのか、あるいは例えば首長の権限をもっとはっきりさせて、その上で、責任を持って首長のもとに教育委員会も教育行政もやっていくのか、こういうふうな二つの底流がここに来てあらわれたのかなという気がいたします。今、教育長と教育委員を分けるという意見の方にお尋ねしたいわけですが、教育委員会はあくまでも議決機関だとするのか、今のお話を聞いていると、教育長が執行機関みたいにとれているわけですけれども、現行は、議決機関であると同時に合議制の執行機関になっているはずなのですけれども、これを分けるのかどうかという議論を少ししてみる必要があるのではないかという気がします。
 それから、全国市長会の中で、今日は市長が私一人しかおりませんので申し上げますが、全国市長会の中で種々議論されてきている方向というのは、極端なことを言うと、教育委員会を廃止して市長部局が一本化してやれという極端な意見もあります。そういったことを発言された方もいらっしゃいます、ここで。しかし、それほど極端でないまでも、首長のイニシアチブを教育行政の中にもっと入れていったほうがいいのではないかと、教育行政というのは教育委員会という別な組織がやるものではなくて、やはり首長にとっても、選挙で選ばれた首長にとっても非常に重大な分野だ。だからもう少しイニシアチブをとれるような、そういう制度にしていったほうがいいのではないかというのが、例えば最初のころこの委員会が発足したときに、例えば鳥取県の知事はどう思うかとか、あるいは様々な議論がされたような気がいたします。それから、横山教育長がおっしゃっていることの趣旨は、やはり予算というものを絡めて知事のイニシアチブということが非常に色濃く教育委員会に反映されるだろう、現行でも反映されるだろう、こういうことをおっしゃっているわけで、全体として結局、地教行法の第16条の改正になるのだろうと思いますけれども、教育委員会制度を従前以上に強化して一定の独立権限を与えて、教育長まで任命する権限を与えていくのか、そっちの方向に行こうとするのか、いやそうじゃない、公選で選ばれた首長がすっきりと教育長なら教育長を議会の同意を得て選任するのだ、そういう方向に行くのか、そこのところを整理しないと、あとは部分の話になるかなという気がいたします。
 それから、財源の配分の話もありましたけれども、アメリカのようなケースの場合には、小川先生からこの間御報告があったようなことなのですが、私は実際に予算を配分してみて、教育委員会予算といってもいわゆるランニングコストと投資の部分と分かれまして、投資の部分になると、一つの学校をつくるなんていうと何十億の単位ですから、こんなの教育委員会なんかで絶対できっこないのですよ。これは首長が責任を持ってやらなければ、全体の財政の状況を見た上で、ここで踏み切るか踏み切らないかということは全体として判断すべきことですから、これは教育委員会なんか到底任されません。だから、実際に財源の配分の総額を決めるというのは、具体としてはどういうやり方があるのか、その辺のところを議論しないと、形式論だけ言ってもしようがないという気がいたします。
 もう一つ、教育委員や教育長を選ぶ側の立場として申し上げますれば、教育長というのはどこでもそうなのですけれども、東京都みたいに大きくなるとスタッフが大勢いるから、ちょっとまた違うのでしょうけれども、10万規模の市あるいはその前後の市というのは、教育長は具体的に教育執行についての具体的な窓口になっていますから、ある学校で不祥事件が起きたりとかトラブルが起きたりした場合には、必ず教育長が先頭に立ってこれを指揮します。となると、教育の中身についてもある程度、教育の制度や中身について、教育論についてもきっちりとある程度持っていないとやり切れないということがあるわけです。ですから、武蔵野なんかは全部そういう、教育者であり、なおかつ教育行政に携わった人などを選んでいるわけですけれども、これが一般の行政から来てやる場合には非常に、東京都みたいにスタッフが大勢いて、指導部長からザーッと、そういうことの場合には別ですけれども、一般の市町村では、教育長の役割というのは、学校に対する監督権も含めて、かなり教育制度と教育論ができる人でなければなかなかうまくいかないだろうという気がいたします。
 一方で、一般の教育委員を任命する際にどういう人が望ましいか、こういうことになれば、今種々議論されていますように、例えば保護者の代表のような立場の方も入れたらどうかというような意見もあります。私たちもなるたけ入れようと思っています。それから、例えばある程度幅広い見識を持って、教育行政にはあまり詳しくなくても、幅広い考え方をお持ちになっている方も入れようと思って、そういう方を私、一人、あまり具体の名前を挙げると失礼ですが、そういう方もなっていただいております。ところが、そういう方は結構忙しいし、見識はあるのだけれども教育行政や何かに到底責任持てませんから、おれはどうか教育長だけは勘弁してくれと、こう言っているわけであります。だから、教育委員会を活性化して多様な人材を教育委員に投入しようとすると、いわゆる教育長等の持つ専門性も兼ね備えろということになると、なかなか難しいということがあるのではないかという気がいたします。非常に右か左かわからないような意見で恐縮でございますけれども、現実の話として。

○ 鳥居部会長
 先ほど藤田委員が次に手を挙げられたのですが、よろしいですか。

○ 藤田委員
 ちょっと今の土屋委員の質問に対する……。非常に整理されたのですが、私は、教育委員会が執行機関と議決機関の両方をやるべきと考えているのか、あるいは議決機関というか、そういった点でというふうに考えているのかという点で言えば、基本的には、事実上教育委員会が執行機関として位置づけられているとはいっても、それを実質担っているのは教育長であり、あるいは教育委員会事務局であると思っておりますから、そういう意味では基本的な権限といいますか、あるいは責任事項は議決機関を基本にすべきだと思っています。と同時に、先ほどから言っているように、評価やチェック機能というものもその中に組み込むということになると思います。
 それから、教育長を教育委員と首長のどちらが選ぶべきかという、ここのところが実は本当は難しい問題なのだと思うのです。ちょっと私も、これは、実際にどういう形でどういう方が選ばれてくるかというのは、地域の実情によって随分違うと思いますので、たぶんここのところだけはそんなに簡単にどっちがいいというふうに一概に言えない部分があって、私もちょっと判断をしかねております。
 そして、財政権、予算編成権とか、そういったことについて、いわゆる投資的な部分でありますとか、あるいは新規の事業を起こすというようなところでは、これは首長の協力なり同意なり、あるいは積極的なリーダーシップ、イニシアチブがなければできない部分が多いことはそのとおりでありますから、しかし、そういった点においても、提案を様々な形でするということは、これは事務局から提案されても教育委員会から提案されてももちろんいいわけで、両方が協力して、しかし事実上は、その細かなデザインは事務局なりでまとめて、教育長が実際には行うのでしょうけれども、それを教育委員会が審議、検討してサポートをする、肉づけをするというようなことをしているのでしょうし、また、していけばいいのだと思っております。
 あと、10万人規模の市云々ということで、この点については、御指摘の点はそのとおりだという気もするのですが、これは、先ほど言いましたように、日常的な執行機関としてというような部分を拡大すればするほど、素人としてといいますか、選ばれた教育委員の人たちがどこまで日常的にコミットできるかということについて責任を持ってできるかということは、それは制約がありますから、ですから、やはり基本的な方針を確認し、そしてそれをやっているということが重要であって、私は、今のように次々と新しい制度改革が行われるような、そして新しい事業が行われているという事態は異常だと思うのです。本来うまくいっていたら、そんなに次々と毎年、毎年新しいことをやらなければいけないということ自体がおかしいのであって、そういうふうになっていく危険性は、私は行政のサイドに、あるいは教育長も含めて教育委員会が首長部局に近づいていけばいくほど、その傾向は強まっていくと思います。ですから、それは全体を知らず知らずのうちにゆがめていく危険性を非常に強めていくものだと思います。ですから、教育委員会の活性化ということは、どういう形での活性化が本当に重要なのかということも確認する必要があるのだと思うのです。

○ 鳥居部会長
 先ほど来の挙手の順にあとはいきますけれども、門川委員、佐藤委員、津田委員とお願いいたします。

○ 門川委員
 教育委員会の最大の仕事は、かつては教育長の任命であった。それについては、議会も首長も法的な権限としては関係なしに、ただ文部大臣の承認だけだった。この部分が、今非常に不透明に、首長があらかじめ決めた人を、議会の同意を得て教育委員に任命しているという不明朗な部分について、行政機関としてはすっきりしておく必要があるのではないかということが一つの課題としてあろうかと思いますが、ただ、現実には運用の問題で、それほどそれが教育行政全体をゆがめているということではないのではないかということでございます。繰り返しみたいになりました。

○ 鳥居部会長
 今のお話は、資料2の真ん中の昭和31年改正のところに書いてあるように、左の端ですけれども、教育委員会会議が教育長を任命するという時代がここにあって、ただし、そのときには、文部大臣がそれを承認するというのがくっついていた。それが今度は外れている。そこのところの話ですね。

○ 門川委員
 それは、実質的に文部大臣の権限というのは、この戦後50年間ほどで不承認の例は京都府の蜷川府政時代の1件だけでして、100年に一遍権限を行使するかどうかという、事実上非常事態の時のような権限であって、地方は地方で責任を持って主体的に教育委員会が教育長を選んでいた。それを外すがゆえに、非常に複雑なことになってしまったという感じはします。私ども京都市は、それには反対しておりました。

○ 鳥居部会長
 それでは、佐藤委員、どうぞ。

○ 佐藤委員
 私ども、考えの基本には、教育行政というのはやはり安定性と公平性というものが大前提でなければならないというふうに基本的には思っています。そういう点では、最近の教育行政、非常に千変万化の感を否めません。そういう意味では、より安定した教育行政をやるためにも、制度の形式論ではなくて、実質的に有効性のあるもの、あるいは教育に対する基本に即したもの、こういったものを前提にした教育行政というものが望まれるのではないか、これは私の基本であります。
 そして、教育長と教育委員会、あるいは委員長、こういった制度上の議論でありますけれども、私自身が理解しておりますのは、教育長というのは教育委員会事務局の長であって、それは教育委員の中から教育委員会が教育長にその事務を委任するのだ、こういう理解をしております。したがいまして、教育長が実務上の教育委員会の事務を統括しましても、それの結果というのは必ず教育委員会にリターンされまして、委員会議の俎上に上るということであります。そして、委員会で議論したことは、即事務局のほうに教育長を通じておろされる。
 それから、首長とのかかわりですけれども、教育長は常時首長部局との調整役をやるのだというのが大きな使命であります。そういう点では、私の経験しております世界ではうまく調整されているのではないかと思っておりますが、本質的には、行政というのは調整であると私は基本的には思っています。形が次に機能するような調整ができるかどうかというのが形だと思っております。ですから、形式論が先になるか実質論が先になるかというのは、それぞれの自治体の実態に即したものとして論ぜられるべきものでありまして、現行制度、できればそれの運用面で上手に自治体がそれを生かしていくということを私は望みたいのであります。
 それから、教育長と教育委員会のかかわりですけれども、7ページの「(1)」の「○」の二つ目にありますが、適度な緊張関係ということは非常に大事な機能でありまして、これが適度でなくて油と水のような関係になりますと、教育行政にとっては悲劇であります。まあ、悲劇までもいかないと思いますけれども、私がかつて経験した、いわゆる地教行法が平成11年、これ以前の教育委員会の状況でありますけれども、県の教育委員会事務局におりましたときに、やはり教育委員と教育長との関係というのは非常に機械的でありました。それは、私ども教育に関係する者としましては困ったなという事実を体験いたしております。そういう点では、やはり教育長というのは教育行政官として、調整力を持った、教育に造詣の深い人間が当たるべきでありますし、そういう方が教育委員に選任されるように首長さんは工夫していただきたいと思いますし、実質、運用面では、私どもの教育委員会でも支障はございません。スムーズにいっております。私は本会議に常時出席いたします。教育長は実務上のことは答弁しますが、基本にかかわること、あるいは教育委員会の方針にかかわることにつきましては、教育委員長が答弁しております。実務上どうしても議員さん方が納得いかないという場合には、委員長が指名されます。そして、私のほうから、基本を話しながら答弁をいたします。それで大体万事おさまってまいりました。
 委員長形骸化の話がありますけれども、それは運用の面であり、教育委員としての、委員のそれぞれの自覚の問題でありますので、最後に一言、教育委員会の自己評価についてちょっと触れたいと思いますが、やはり教育委員会はどうしても合議制でありますし、責任の所在というのがともすれば薄れがちになりますので、これはやはり内部でもって自らが、あるいは事務局の客観的な基準でもあればいいのですけれども、やはり委員自体が評価されるような状況設定をしておけば、形骸化というものから一歩抜きん出た教育委員会というものが生まれてくるのではないかという感じがしてなりません。そういう意味では、この「(3)」のところはちょっと私も一工夫あってしかるべしと思っております。

○ 鳥居部会長
 佐藤さん、盛岡市の場合には、今、市議会に常時御出席というお話ですけれども、佐藤さんは教育委員長ですよね。

○ 佐藤委員
 はい。

○ 鳥居部会長
 教育委員長と教育長と両方が市議会に。

○ 佐藤委員
 ええ、並んで座っています。

○ 鳥居部会長
 出席される。

○ 佐藤委員
 はい。議員さん方も、実務上の、例えばプールをつくるときにこれはどうなんだ、ああなんだとかというのは教育長がやりますが、大体プールを盛岡市でどういう基本的な考え方でやるのだ、今度つくるのはどういうところなのだという場合には、教育長答えますけれども、なお納得がいかない場合には私に質問が回ってきます。

○ 鳥居部会長
 教育委員長に答えさせると。

○ 佐藤委員
 はい。

○ 鳥居部会長
 わかりました。ありがとうございました。
 では、津田委員、どうぞ。

○ 津田委員
 今日、小川委員の書類を拝見すると、メリット、デメリットいろいろ書いてあるのですが、明らかにメリットでない制度であれば、行政の簡素化のためにもやめることを考えていいのではないか。全国3,000幾らの都道府県、市町村を考えると、すごい経費だろうなと思う。しかし、全くなくていいかというと、先ほど京都の蜷川知事の例が出ましたが、世の中はいつもうまくいくわけでもありません。しかし、現状の日本国を見回して教育行政が非常にうまくいっているところというのは、首長が非常に教育熱心なところ、あるいは教育長が積極的に改革を進めて、東京都の例のように小学校を広域にしてみたりという、随分大胆な試みをやられている。、非常にいいことをその他にもやっておられるなと思う。教育委員会が行政上で目立って業績を上げるということはなかなかできないと思う。教育長あるいは首長に人を得れば、こんな制度はどうでもいいじゃないかという論議も成り立つと思うのですが、逆に、いい人がいなくてもうまくいくように仕組みをつくっておくのが、やはり教育行政としては非常に大切なところだと思います。だから、ある規模、例えば人口10万以上の市は教育委員会制度をしき、それ以下のところはなくてもいいとかというのは良いが、全部が選択制でどちらでもいいというのは、教育行政として無責任だと思うのです。どちらか決めておかないとおかしい。
 それでは、教育委員会というのは全くなくていいかというと、一抹の不安がある。今は全国を通じて教育行政は総じてうまくいっていると思う。各地方とともに住民の民意を反映しているのは首長です。選挙で選ばれるわけですから。それと議員がそうです。ところが、教育委員とか教育長というのは、知事の任命ですから、両方とも同じ人が任命している。協調でいけるのが当たり前。ところが、選挙で当選してから急にヒトラーみたいになるような人もいるかもわからない。そういう意味で、全く手放しでいいかというと、教育委員会が役に立つのかなと思うのです。先ほど横山さんがおっしゃったけれども、教育委員会と首長が対決していることが常時あったらうまくいかない。万が一の場合に対立することがある時に教育委員会の意義があると思うのです。
 そういうふうに考えてみると、教育委員会の使命というのは、教育行政がとんでもないほうへ飛んでいかないように監視、誘導、ウオッチングしていくというのが重大な使命ではないかなと思う。そういうふうに考えると、5人の委員であれば、2人は任命制、3名は公選制にして、いざという場合には拒否権が持てるようにする。教育委員会というのは、教育行政が狂っていかないようにする保険の制度である、担保するためのものであるというふうに考えれば、教育委員会が活力化とか活性化というのはどういう意味か幾ら考えてもわからないのですよ。教育委員会が活性化するというのはどういうことなのかなと。委員の顔ぶれがいいことになることかなとか、そんなことではないはずだし。そういうふうに考えてみると、教育委員会のミッションというのを明確にしておいて、どんな変な首長が出てきても、選挙というのはどこからどう飛んでいくかわからないから、そういう保険の制度としては要るということは理解できる。そのためのものだということにミッションをはっきりすればいいのではないか。そうすると、教育長がそのウオッチングする教育委員会にメンバーとして入るのは、監視する者とされる者とが一緒のところでというのはちょっとぐあいが悪いというふうに思うのですが。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 時間があと15分弱になりましたので、議論の仕方として、今、教育委員会と教育長との関係について集中的に御審議いただいているわけですが、実は同時に、一緒に考えなければならない問題として、教育委員会の設置そのものを任意設置にする、あるいは部分的にせよそれを認めるというのはどんなものかということを前から議論してきているわけですね。それが一緒に議論されていないと実はうまくいかないので、そこのところをちょっと交えて御意見をいただきたいのです。
 森田委員、どうぞ。

○ 森田委員
 私の主張そのものは、改めて申し上げるまでもなく、おわかりになっていると思いますけれども、今の教育長と首長の関係もそうですけれども、その制度はその制度なりに定着しておりましたし、合理性があろうかと思います。ただ、本日の議論を伺っていてもそうですけれども、いろいろな考え方があるし、うまくいっているときはこれでうまくいく。しかし、こういう問題もあるのではないか。その意味で言いますと、いろいろな形を許容してもいいのではないか。教育委員会の設置そのものについても、そういうことが言えるのではないかと思います。ただ、ここのもとのまとめのほうの表現でしますと、いわゆる「任意設置」という言い方をしていまして、これは通称ですけれども、任意設置というイメージだと、「置くことができる」というニュアンスが非常に強いわけですから、ないのが原則のように聞こえますけれども、そこまでいかないまでも、「置かないことができる」というぐらいの考え方もあり得るかと思いますし、自治体の規模であるとか組織によってそういう形というものもあってしかるべきではないかと思います。このこと自身は、一つは地方分権の観点からいいまして、地方自治体の自己組織権というものがやはり尊重されるべきではないかという考え方に基づく点もございますけれども、もう一つは、今までの御議論をずっと伺っていてもまた思ったのですけれども、やはりこの制度がこうあるべきだ、このためにこれが必要だというときに、決定的な根拠というのが、必ずしも私は十分に理解できないからでございます。もちろん非常にいい、この制度を続けるべきだとお思いになるところは、それを選択されることは大いに結構だと思いますけれども、違う形でもうちょっと実験をしてみたい、そして、そちらのほうがうまくいく可能性があるのだ、そしてそれを地域の方が選択される場合には、それを排除する理由というのはないのではないかなという気がいたします。
 それに関して申し上げますと、先ほどから幾つか私の意見に対する批判と受けとめるかどうか知りませんけれども出ておりますのは、一つは、やはり制度というのは原理に基づいて画一的であるべきだという御意見もございました。これは確かにあまり制度がばらばらになってしまった場合には、それが大変混乱を招くということはもちろんでございますけれども、それでは、しっかりとした原理というのは一体何なのかというときに、この教育の運営だけの制度でもってこの教育委員会制度を考えるわけにはいかないという現実にもやはり目を向けなければいけないのではないかと思います。どういうことかと申しますと、やはりそれぞれの自治体において総合的な行政の中の一つとしての教育行政ですから、ほかの行政とのバランスの問題もございますし、先ほども少し出たところでございますけれども、特別職を増やすことができないからこういう仕組みにしたといいますのは、何となく行政改革とか行政組織の論理から言うとそれが原理かなという気はしますけれども、教育の観点から言うと本末転倒な気がするわけです。そういうことが言われていく。原理と原理がぶつかるわけですし、どちらが優先するかということを決める原理がないとしますと、そこは少し幅広く考えていく、そしてその中からいいものを選んでいくという、そういうイノベーションの在り方というものが考えられてもいいのではないかと思います。確かに安定性、継続性は、重要ですけれども、今の我が国はいろいろな面におきまして非常に大きく変わっているときです。どういう方向に向かっていくかというのが非常に不透明な中で、やはり最初から全国一律でなくてはいけないというのは、やはりちょっと無理があるのではないかという気がします。
 もう一つそのことについて申し上げますと、これは前回ですか前々回ですかいただいた資料で、一覧表なものですからあまり詳細はわからないのですけれども、世界のほかの国で見て、同じような制度を採用している国というのはないのではないかと思います。アメリカは確かに教育委員会制度を採用しておりますし、日本のモデルになったと思いますけれども、前々回、小川先生の御報告にもございましたように、アメリカと日本の場合にはかなり違っているところもございます。ヨーロッパの国はどうなのか。これは国が直接やっているところもかなり多うございますし、地方がやっているところも、国がかなり監督しているところが強いわけです。日本も教育行政を地方の仕事ではなしに国の仕事にすべきだという議論があれば、それはそれで検討をするに値すると思いますけれども、地方でやるときには唯一これだけということには必ずしもないのではないか。それなりに定着した制度ですから尊重する必要があろうかと思いますけれども、そこのところは、私の個人的な意見としましては、ここで言いますと3ページに当たるのでしょうか、「検討することが考えられるのではないか」というのは、あまりにもそういう意味で言いますと消極的な表現ではないかという気がしますし、もう少しそうした意味での弾力化を図っていく。そうしますと、当然のことながら、教育委員会の中身のほうについてもいろいろな仕組みというのが、小川先生もおっしゃっていますように、公選制も含めて考えられるのではないかと思いますし、その中で教育長と教育委員会の関係というものも多様なものがあっていいのではないか。

○ 鳥居部会長
 今、森田委員からお話があった点なのですが、3ページの一番下のところにかかわりますけれども、最後の3行ですね。特に2行目、最後の2行を読んでみますと、「……を担保するためどのような代替措置が可能なのかも含め」と書いてある、その代替措置については具体的なイメージがほとんどないままこれ書いていますので、その次のまとめが、「検討することが考えられるのではないか」と。中教審の報告とか答申と申しますのは、これは委員の皆様に釈迦に説法なのですが、確認のために私あえて申しますと、今までのずっと中教審の歴史を振り返ってみますと、中教審の答申は具体的な制度を提案するということはほとんどなくて、具体的な制度を政府がつくるための引き金を引くというのがほとんどだったと思います。ほとんどの場合には、答申がほとんど引き金そのものになっていて、もう数ヵ月のうちに法改正が行われるとか制度改正が行われる。その次のレベルのものとして、この中教審の答申が引き金になって次の検討の措置が始まるというのと両方あったと思うのですけれども、ここではそれよりもっと先のことを言っているような感じの書き方になっているので、今、森田先生がおっしゃるような危惧があるわけで、ここは、最後にはもうちょっと表現を煮詰める必要があると思います。そういうふうに受けとめていただければ。
 どうぞ、土屋委員。

○ 土屋委員
 今の件に関連してですけれども、武蔵野市は姉妹友好都市を八つほど持っておりまして、その中には1,000人規模から10数万人規模まで幾つかおつき合いがあります。その都度、児童交流だとかいろいろな交流をやっておりますけれども、1,000人規模のところにも教育委員がおりまして、やっていらっしゃるわけです。ところが、教育委員手当なんてなきにしも同然で、学校が2校とか1校しかなくて、離れたところに1校、中学校が1校なんていうところがあるわけで、その中学校も非常に少人数。そういうところの教育委員さんというのは、議決機関だとか審議機関だとか、そんな話は全くなくて、みんなで校長先生も一体となってやりましょうなんて、補助の教材なんかつくっちゃったりして、そういうところもあるのですね。だから、それを一律の教育委員制度というふうに見るのか、それはそれでまた別な制度にするのか、でも、ほとんど無給に近いようなやり方でやっていても、それはそれで教育のスタッフとして見るのか、薄く網をかぶせるのか。今、森田先生がおっしゃっていることとは非常に私、それぞれの、数千人の単位から300万人の基礎的な自治体まであるわけですから、だから、それはいろいろあっていいけれども、その場合でも薄く教育委員というものを置いて、それなりの工夫をさせたほうがいいのか、あるいはもう置かないというふうに決めてしまったほうがいいのか、そこはもうちょっと実態的にどうなのでしょうかねという気がいたします。

○ 鳥居部会長
 どうぞ、藤田委員。

○ 藤田委員
 森田委員の説は前々から伺っていてよくわかるので、私も本当に原理的に考えたら、教育委員会というか、要するに選任されている教育委員から成る教育委員会というものがなければ、教育行政が安定性、継続性等を含めて維持できないかというと、それは原理的にできないと言える根拠はないと思うのです。世界じゅうでも、アメリカがある意味で突出してといいますか、日本がモデルにしたような、しかしかなり違う仕組みを持っているわけですけれども、ただ、それぞれの国によって事情が違いますから、例えば教育システム自体がヨーロッパ、イギリスを含めて大陸系の場合には階級的な遺制があったり、システムそのものに非常に様々な落差があり、問題を抱えているところで行われているとか、もう一方で、教員組合と言っていいかどうかはわかりませんけれども、教育行政をチェックする機能が様々な別の団体なり組織によって担われている。これは単純に教育行政が、これは事業の中でも極めて日常的にその内容ややり方にかかわって実践上幅を持ち得るだけに、それを日常的にチェックできるという仕組みを全部これ住民任せにしていいかというと、住民が日常的にそれをチェックするルートというものを確保することはかなり難しくて、先ほど言いましたように、したがって中央集権的な国か、そうでないところでは、階層的な遺制であったりいろいろなもののために、実は教育システムが非常にばらばらで、全体の機能はどちらかというと低いということで、ヨーロッパなんかの近年の教育改革も結果的に中央集権的にやって底上げを図るという方向に私は来ていると思いますけれども、そういったような意味で、何らかの形で、一方で国が担保するという仕組み―中央集権的なと言われてきましたけれども―を、先ほど御紹介いただいたような資料3のようなものがあるわけですが、もう一方で、先ほど保険制度と言われましたけれども、現状ではやはりまだ保険制度としてのファンクションを少なくとも維持する必要性は私はあると思います。これが、もっと住民参加というようなことが成熟していったときには、もしかしたら各必置ではなくて、置かないことができるという選択肢もあり得るかもしれないと思う次第であります。
 もちろん、そうはいっても、都市規模によってかなり事実上このことの意味が形骸化しているのも事実でありますから、その辺については協働や、あるいはいろいろの形態を考えられると思いますし、場合によったら、形骸化しているといっても、私は手当も実際にはそういったところで少ない手当で協力してやっているわけですから、私はそれでもいいのではないかということで、私の意見は、先ほど言いましたように、当分の間はというような暫定つきですけれども、議決機関や教育委員会の権限あるいは役割、責任を明確にした上で、協調体制が図られるような仕掛けも考えながら、やはり筋は通したほうがいいのではないかと思っております。

〔千代委員、津田委員退席〕

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 ちょっと時間がなくなりまして、今3時30分なのですが、お二人から、本当に1分もないのですけれども、次の会が始まってしまうものですから、一言だけどうぞ。池端委員と田村委員。

○ 池端委員 実は先日、ある市町村のPTAの会長さんを以前やったことがあるという方とちょっとお話をしていたのです、数名と。その中で、私も改めてびっくりしたのですけれども、「えっ、教育委員長って何」というふうに反対に私も問われた。その中で皆さん話をしているのですけれども、まず、そんなの自分たちには何の関係もない人たちだということと、そんなの要るか要らないかという以前の問題で、今の教育委員長、また教育長さんはわかりにくいと。今お話を随分お伺いしていたのですけれども、任意設置云々というふうなことになろうがなるまいが、今のところは自分たちには関係ないのだというふうなことがどうも現状であるようです。実際、教育委員会の現状といたしまして、必要であるとかないとか、どうして任意設置が必要なのかとか、委員会が要る理由はこうなのだ、要らない理由はこうなのだというように、教育委員会自身が住民に問えるということが必要ではないかと、ちょっとそのときに感じました。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 では、田村委員、どうぞ。

○ 田村委員
 あまり長くお話しできませんので簡単に申し上げますが、私はスタンスとしては、教育委員会はやはり残さなければいけないだろうというのがスタンスです。森田先生の御意見はよくわかるのですけれども、学校制度ができた明治のときに、福沢 諭吉が、学校には2種類あると。つまり学校の機能というのは、教育目的をつくるということと、それから生徒を教化する、この二つがあるのだということを福沢 諭吉が言っているわけです。教育目的というのは、福沢 諭吉の認識では、国が決める場合と、私立であれば各学校が決める。つまり塾と彼は言っていますけれども。現在のこの状況を見ますと、教育目的を各学校が決めるというのは非常に苦しいものがあるわけですね。ですから、住民が教育委員会関係ないやなんていうふうにもし思っているとすれば、その機能を教育委員会がちゃんとやっていないのですね。それで、教化の仕事をしっかりと各学校はやる。教育目的ということに関して考えると、教育委員会が立場を持ってしっかりと住民の意向を受けながら、反映しながらそれを明示していくという役割があるのだろうと思います。本当は、だから、教育委員会というのは、たくさんの学校を抱えるのはなかなかに実際は難しいだろうと思います。東京都の教育委員会というのは200の高校を抱えているわけですから、こんなので本当にできるのかなと、ちょっと横山さんのすご腕ぶりにびっくりするのですけれども、本当は幾つかの学校を抱えた教育委員会というのが目的を明確にして、そして教化の機能を各学校がそれを踏まえてやる。
 それをやらないと、教育というのはやはり効率性だけではうまくいかないということを国民全体がわかるべきだと思うのです。必要な効率性は導入しなければいけませんけれども、過度の効率性は教育を破壊すると思います。教育の基本というのは人間関係ですから、教師と生徒のインターフェースですから、これは効率だけではいかない部分があるわけですね。だからその辺が難しいのですけれども、そういうふうに考えると、教育委員会はやはり、先ほど土屋委員がうまく言っていましたけれども、薄い制度としても残しておくべきだというふうにおっしゃられた意味はよくわかります。地方に行くと、教育委員会が役割を果たしているのですね。ほとんどただみたいなことでやっている。その制度まで壊してしまうのはいかがなものかという気がしております。

○ 鳥居部会長
 それでは、ほんの一言だけ。

○ 渡久山委員
 私は、一つは、教育というのは一つは国家事業であって、やはりこれは非常に重要な国の一つの自己刷新の機能という形でも非常に大事だと思うのです。もう一つは、やはり教育というのは市民権としての子どもたちあるいは国民の教育の権利だと思うのです。そうすると、それらは何らかの形で行政は保障しなくてはいけないし、担保しなくてはいけないと思うのです。そういう意味で、最も子どもたちのそういう権利を保障していく行政システムは何だろうかということをきちっと考えるべきだと思うのです。そういう意味では、今の教育委員会がどうのこうのよりも、やはりそこの中には中立性や継続性、安定性のある行政機関というものをきちっとつくって、そして担保すべきだ、こういうように思います。具体的には、だから、今の教育委員会を活性化するか、考え方を変えてつくり変えるということが大事ではないかなと思います。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 まだいろいろ御意見はおありだと思うのですが、時間の関係でここで一たん締めなければならないのですが、このままおしまいにしてしまいますと事務局は次回までに何をしたらいいかわからないというのが実態で、いろいろな意見が今日出ました。
 実は、資料2の図の真ん中の、昭和31年の地方教育行政法の改正、そこから平成11年の地方分権一括法へ向けての改正という経過の中で、一番大きな問題になった点は、やはり真ん中の昭和31年法の場合に、教育長が特別職でなかったものを、どうやったら特別職という形で、きちっとした仕事をしていただける位置づけができるようにできるだろうかということだったと思います。それが平成11年(1999年)の改正で、教育長をとりあえず―とりあえずというとおかしいのですけれども、教育委員の一人とすることによって、そのことを納得してもらうことができた。納得というのは、要するに省と省の間のいろいろな交渉があるわけですね。今回もそのことを、実際にその可能性を詰めないと、今日いろいろいただいた御意見を次の10月18日だったかの回のための準備としてペーパーにすることは恐らくできないと思いますので、少し事務局にその点を詰めていただいて、可能性を考えていただいて、そして、この図で言うと昭和31年型の、ただし教育長には特別職のタイトルが付与されている形を想定する、もう一つは、現在のまま、平成11年型のままのもの、それから、この両者が選択可能なようにするといったような可能性を詰めてもらって、次の回にペーパーを用意してもらおうと思っております。
 それから、教育委員会の設置の、任意設置かどうかという問題については、今最後に3人の方々から御意見をいただきましたので、そのことも踏まえて次のペーパーを用意しようと思います。
 私の不手際がございまして、予定した議論が全部できませんでしたが、教育委員会の組織の弾力化あるいは自己評価について、ある程度触れていただきましたので、その点についても次の回までにペーパーを用意して、そして、今日、審議の対象にしなかったその他の事項について、次回10月18日に御審議をいただきたいと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 次回が恐らく実質審議の最後になって、中間―はい。

○ 森田委員
 今大変な作業を事務局にお願いしてありがたいと思いますけれども、できますればこの資料を暫定的なものでもいいですから事前にお送りいただくわけにはまいりませんでしょうか。今日も小川先生の大変いいレポートをいただいたのですけれども、この場で読んできちっと理解するというのはなかなか難しゅうございますので、できればそうしていただければと思います。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございます。今、森田先生がおっしゃったことはとても大事なことなので、事務局に汗をかいていただいて、場合によっては先生の部屋に押しかけていって説明するぐらいの場合もあるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
 それでは、今日はここまでにさせていただきます。どうもありがとうございました。

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