「学校事故対応に関する調査研究」有識者会議(平成27年度)(第2回) 議事要旨

1.日時

平成27年8月6日(木曜日)15時00分~18時00分

2.場所

文部科学省15階15F特別会議室

3.出席者

委員

大泉委員、児玉委員、首藤委員、住友委員、園部委員、美谷島委員、望月委員、山中委員、渡邊委員

文部科学省

和田学校健康教育課長、竹林室長、吉門安全教育調査官、 他

4.議事要旨

(1)東京都調布市立小学校食物アレルギー事故の御遺族からのヒアリングが行われ、御遺族からの発表を行い、委員から意見・質問が出された。

 (発表概要)
○ 学校では、食物アレルギーに対するシステムはそれなりに確立されていたが、システムを理解していない、あるいはシステムに対する認識が甘い教職員がいたこと、また、人間は必ずエラーを犯すという前提で物事を動かすべきという認識が学校全体で共有されていなかったことが問題であった。
○ 事故後、教育委員会は早期に検証組織を立ち上げ、当事者への聞き取り等、早めに原因究明を開始した。ただし、教育委員会内での調査のため、ある程度訴訟リスク等を勘案した調査になっていた可能性もあるのではないかと思う。
○ 教育委員会全体が積極的だったのではなく、担当者個人が積極的に委員会を運営してくれたので早めの展開になったのではないか。検証委員会の設置について、法律的な義務や教育委員会内でルールがあったわけではない。

○ 学校で起こり得るであろう全ての事故を予防する体制を、今まで以上に大胆に分かりやすく整えることが必要である。学校医と学校、地域の救命救急体制あるいは地域の医師会などに、合理的な提携や連携が存在していなかったことも問題であった。単に学校の内部をいじっただけでは問題の解決にならず、教育委員会と個々の学校、医師会や学校医、地域救急等、全体を包括するようなものを作らないと、子供の命は守れないのではないかと感じている。
○ 事前の情報共有も重要であり、事故が起きるのは特別なことではなく、大きな事故が起こるとの前提で日々の業務の中にシステムとして落とし込んでいくことが必要である。ただし、システムやマニュアルを整備しただけで、管理する側が仕事を終えた気になってしまわないよう、システムを運用する人間に対して絶えずしつこいまでに啓発を行って行かなければならない。
○ 公的、公正な第三者を含めた検証組織が設置されることがあらかじめ決められていることが望ましい。学校事故は必ず起こる、その原因の究明と再発防止については毎年毎年何度も繰り返し提起されるものだという前提で組織を整備しておくべきであり、可能であれば関連の法律整備も含めてそういう方向に進んでいくのがよい。
○ わが子がどのように亡くなったのか、その事実の細部を隅々まで知りたいと思うのは共通の思い。そこを客観的に自ら調査に入っていただける組織の設置の義務化、調査のノウハウの蓄積や専門家の養成まで視野に入れて議論してほしい。
○ 教育が行う検証は警察や司法とは別の視点を持つべきで、再発の防止や残された周囲の子供たちのケアが重要である。
○ 個々の学校や小さな教育委員会の範囲では検証を行うのは難しいと実感した。しかし、だからといって、子供を失った遺族が自ら動き続けなければ物事が動かないという状況は改善しなければならない。
○ 何か起きたらスピードが問題になる時代、事故が起きたら即座に検証に入るという姿勢を何らかのセクションに義務化するというふうに動いてほしい。
○ 動揺している遺族への対応を具体的に誰がどのように担当するかは非常に難しい問題だが、そういったところまで突っ込んだ冷静な議論を継続して行ってほしい。

○ 事故直後は当然ながら責任の所在を明らかにしたいとのみ強く考えた。今は、娘の魂の平安と、家族の鎮魂のくらしを第一に考えている。事故遺族の考え方は様々であろうと思われるので、それぞれ尊重されるべきだと考える。

 

(2)京都市立小学校プール事故の御遺族からのヒアリングが行われ、御遺族からの発表を行い、委員から意見・質問が出された。

(発表概要)
○ 一番、私たちにとって問題となったのは事故原因にかかわる初動調査の遅れである。学校は事故翌日からプールに参加した児童の家庭訪問を行っているが、児童の心のケアが中心となり、事故原因に対する聞き取りは行われていない。また、教育委員会は担当教師に対する聞き取りを直後から行ったようだが、それも徹底した事故原因の究明を目指すものではなかった。
○ 教育委員会自体からは、遺族に対する説明や正式な謝罪が事故後半年間は行われなかった。遺族に対する心のケアやその他の配慮についての対応の遅れと不足があったと思う。
○ 事故が起こるまで、両親は子供の保護者として小学校との関係を持っていたが、事故が起こった途端に学校コミュニティから乖離してしまうということが起こった。学校側からの通知は届いても、学校や保護者の状況、そこで共有されている情報にはほとんど触れられなくなった。
○ 事故が起きた後には、学校の、通常の学校運営を優先する姿勢というものを非常に強く感じた。仕方のないこととも思うが、速やかに日常の生活に戻ろうとして、事故や子供の死がなかったかのように扱われていたのではないか。周りの子供たちが娘のことを口にしていいのかどうか分からない様子であると聞くことも多く、結局、子供たちが喪の仕事に向き合えないまま時間が過ぎていくということが起こっていたように感じる。

○ 第三者委員会の設置に当たっては、教育委員会が両親と協働するという画期的な例となった。しかし、それにもかかわらず、結果的に教育委員会は、第三者委員会の報告書に対して判断する立場にないと述べていることは理解できない。教育委員会規則によって附属機関を設置した立場と、附属機関の事務局運営を担う立場が混在したことが影響しているのか。
○ 第三者委員会における公正・中立は最大限に堅持されるべきものであるが、その上で、守るべき個人情報とバランスを取りつつも、遺族に対する説明責任は必ず果たされねばならないのではないか。私たち遺族は、第三者委員会の公正・中立という建前に隠された不透明性に苦しめられたと感じている。
○ 第三者委員会は、遺族が教育委員会との共同推薦という形で委員を選任し、再現検証と当日の参加児童への聞き取りについての強い要望を伝えて設置に至った。再現検証はすぐに行われたが、児童への聞き取りは進まず、それについて納得できる説明はなかった。
○ 1年後に第三者委員会の報告書が出たが、調査結果として示されたデータの精度が低く、計算方法が明示されていないために追検討できないことから、その妥当性には非常に大きな疑問を持った。また、溺水に至る状況の事実認定についても、根拠が非常に曖昧で理解が困難と感じられたことから、説明会での質問や質問状によって説明を求めたが、第三者委員会からの回答はほとんど行われなかった。任期内にきちんと遺族に向き合わず、説明も行われないまま第三者委員会が終了してしまったことは非常に残念であった。
○ 第三者委員会が解散した後、調査資料一切が廃棄されていたことも非常に大きな問題である。調査資料は報告書の見解の根拠であり、報告書の正当性や妥当性を裏付けるものである。個人情報などの機密性を維持したまま保管することは十分に可能であり、ことに今回のような学校におけるプール事故の調査は非常に公益性の高いものであることから、資料も公文書に準じた扱いがされてしかるべきである。また、報告書に対して当事者からの疑問が呈されている状況で、報告書は公開される予定であるにも関わらず資料が廃棄されたことは、当事者及び一般市民に対しても、調査に関わる説明責任を放棄したことに等しいのではないか。

○ 学校事故においては、学校側、遺族側、全てを包含した形で、事故直後からのマネジメントを行う組織的なサポートの必要性を感じる。特に事故調査においては、事故に関わる情報やデータを迅速に系統的に収集することが急務であり、それを指揮する組織が必要ではないか。また、事後対応のマネジメントも同様に行われるべきである。
その上で、それぞれの事故に適切かつ必要な調査内容や専門家や、事後対応の経過がどのようなものであったかという情報を集積し、できればデータベース化していただきたいと考えている。
○ 調査委員会の制度設計についても同様である。私たちの場合には、どのような専門家がどのような調査をすることが、知りたいことに一番近づく方法なのかがよく分からないまま、調査委員会の設置を進め、運営を見守らざるを得なかった。いきなり事態に直面させられてしまう当事者ではなく、別の組織が調査を進める役割を担い、ある程度システム化された中で知見を集積して進めていくべきところではないかと思う。また、第三者調査委員会の公正・中立の在り方ということも、今後より具体的に考えていくべき問題であり、公正・中立を担保しつつ説明責任を果たしていくことが当然であろうと思われる。最終的に、提出された調査結果に対する責任をどこが担うか、調査資料の保管責任をどうするかというところも明確化することが必要である。

○ 私たちは学校で大切な自分の子供を亡くしている。その経緯を知りたい、何があったのか知りたいと思うのは当然のことではないのか。公正・中立を標榜する第三者委員会であればこそ、報告書の内容に疑問を感じたままで終わるわけにはいかないということも理解してもらいたい。遺族が声を上げなくても当然に調査が行われ、説明責任が十分に果たされるようであってほしいと願っている。
今となっては、娘に起こったことを知るために残された手段は、自分たちで独自の調査を再度行ってデータを集積し、それを分析する自主検証しかない。現在はそれを進めている状況である。

(質疑応答)
<委員>
3点お聞きしたい。二つは自主検証に関わることで、もう一つはあるべき事後対応とはということである。(1)最終的にプールを借りることができた、その間の教育委員会とのやりとりについて少し詳しく教えてほしい。(2)自主検証をサポートされている皆さんが、どういうプロセスで立ち上がってきたのか。これは結構珍しいというか、あまり例がないと思うが、とても貴重な例だと思うので、そのサポートチームがどういう形で立ち上がってきたのかということを教えていただきたい。(3)事故直後からの組織的サポートについて、誰かが全体的に、遺族対応、在学している子供たちへの対応、学校へのサポート、調査の実施等いろんなことをサポートしマネジメントしていかなくてはいけないが、お二人の立場から見てどういう人がマネジメントしていけばいいと思うかお聞きしたい。

<御遺族(母親)>
自主検証に向かうまでの教育委員会とのやりとりでは、本当にいろんなことがあったが、私たちとしても諦めたくはなかったので、教育委員会に対しても第三者委員会に対しても、とにかく私たちが望んでいることができればいいと、そのために相手の言うことの中で呑めることは呑もうと思ったり、どうしたらうまく進められるかということを第一に考えようと思ったりしながら折衝を進めてきた。何が潮目を変えたのか、正直なところその理由は分からないが、3月にお会いした時には一切協力はできないと言われていたのが、5月には協力的な姿勢になってこられて、プールを使ってもよいということになった。理由は分からないが、本当に自分たちがただただ伝え続けてきたということだけは言えると思う。
2番目の検証チームについては、保育園の保護者仲間が事故の直後からずっと周りにいてくれて、私たちを支えてくれていた。その中で、私たちがこういうことをやりたいと言ったときに、じゃあ一緒にやろうということで立ち上がった。だから、調査をやるために集まったというよりは、私たちを支えてきた方々が今も一緒にやってくださっているという部分がある。それにプラスして、同じ大学のつてで研究者の方々も集まってくれて、私たちに共鳴して協力してくださっているという状況にある。
3番目だが、学校事故に関しては、遺族側と学校側、当事者のどちらの側が主導をとっても、うまくまとめて調査を進めていくのは難しいと思う。当事者ではない上位組織ということになるのか、学校事故をマネジメントするような独立した組織があってもいいのではないか。
また、事故情報の共有と周知、事後対応という点でも同様で、統括されたシステム的な動きが必要と感じる。昨年、同じようなプール事故が再び京都市内の保育所で起こっていることから見ても、私たちの第三者委員会が出した提言が本当に広く周知され共有されていたのかという点には疑問がある。また、事故対応において、小学校での事故には教育委員会が対応する一方、保育所での事故には福祉保健局が対応するが、そこでの対応や情報の量が異なるというのもおかしい。縦割りの行政組織ではなく、事故に関しては独立した機関が事故全体のマネジメントに当たり、事故調査から結果の共有、事後対応に及ぶまでの役割を担っていくという動きが必要ではないか。

<御遺族(父親)>
第三者委員会が終わる頃から、遺族感情、感情論ではないかという対応をされていたように思う。調査に対する報告に関しては、いちゃもんをつけるわけではなくて、一つ一つ丁寧に質問していたつもりだったが、だんだんそのように第三者委員会にとられてしまったという感があり、報告書が出された後は、教育委員会も同じような対応になっていると感じたところもあった。そのようになってしまったことはとても苦しかったが、その中でプールを貸していただけることになったのは、周りの市民の方の声が数多く教育委員会に届いたからではないかと思う。この3年間、学校事件・事故の被害に遭われた方にたくさんお会いしてきたが、本当に皆さん、それぞれがどうしていいか分からなくてという方ばかりで、どう声をあげていいのか、どこに情報を求めていいのか、それすらもできない人もいたりする。そういう方たちに速やかに情報を提供できる組織というものを作り、生かしていただけたらと思う。

<委員>
本当に、こんなに悲しいつらい思いをした人たちが声を上げなければそうした調査をしていただけない。しかも、当事者である視点というのはとても大切なものだと思うが、どちらかというと素人だから感情的な人たちという目で見られているのではないかと思う。
事故調査というのは、やはり再発防止というものが一番大切で、そのために活動してこられていると思うが、一方で遺族の方たちの心のケア、今のお二人に対する心のケアについてはどのようにされているかということを教えていただきたい。

<御遺族(母親)>
教育機関から、私たちへの心のケアに関わる提案というものは一切なかった。私はたまたま職場に恵まれており、周囲の方が話を聞いてくださる機会や、一緒に泣いてくれる機会があった。しかし夫の場合は、友人以外には周りにそういう方もおらず、事後対応として何のケアも行われない中で過ごしてきた。私たちだけではなく、他の方に聞いても、学校コミュニティから外れてしまうと、本当に保護者でもない、ただの遺族ということになってしまって、自分で求めていかなければケアは得られないということになってしまっていると思う。


<御遺族(母親)>
75分でまとめさせていただいたが、私たちが3年間に考えてきたことは山ほどある。75分では3年間の私たちの思いというのは本当にもう何千分の一しか伝えられていないと思うので、また機会をいただければと思うし、もっと広くいろいろなヒアリングをしていただきたいと思う。

<御遺族(父親)>
僕に対しては特に心のケアの提案というものはなかったし、他の御遺族の方に会っても男性の方というのはなかなかケアしていただけないことが多いので、そういうところも何かしらそういう組織的なサポートとかがあれば大分変わってくると思う。
我々の自主検証についても、報告書を否定するつもりでやりたいということではなく、報告書に書かれた情報で疑問に感じているところに自分たちで近づこうとしているのであって、報告書が全部違うということで進めているのではない。それは御理解いただきたい。

(3)山中委員より、医療関係者の立場から、子供の死亡を検証するシステムの必要性等について説明を行った。

<委員>
死亡検証ができないとか検証する組織がないという話であったが、既に欧米では、子供が亡くなった場合は、全容をきちっと検証するシステムが法律的に決まっている。そういうシステムが我が国にも必要だということを働きかけているが、まだ全然そういう動きはない。すぐに個人情報の問題が出て情報が得られないが、「チャイルド・デス・レビュー」を法制化してクリアしていかなければならない。
また、第三者委員会を作るときには、中立・公平・客観性と言われるが、なかなかこれは本当に難しくて、中立とはいってもどことどこの間の中立なのか公平なのか。唯一保証できるとすれば客観性だけ。現場検証についても当事者たちに何度もやらせることは大変な負担で、二次被害にもなるので、ビデオできちっと撮っておくとか現場の写真とかが必要である。
事故の検証についても、いろんな意見が錯綜しており、「理解すること」と「納得すること」をごちゃごちゃにして話を進めているので混乱している。理解するのは、「チャイルド・デス・レビュー」でやればいいようなことで、関わりを持つのは、医者と法医学系と警察ぐらいではないか。そして、理解のプロセスは、二、三か月から一年以内の検討でやめないと何年もやっても無理だと思う。納得するのは、危機管理官であったり弁護士であったり宗教家であったり、カウンセラー、スクールソーシャルワーカーといった人たちが取り組めばよい。死というものそのものと向き合うことと事件事故と向き合うことは、やはり分けて話をしなければいけないのではないか。全体的なグリーフケアとしても仕組みがないし、法的な整備も必要だろうというのがこの委員会へのメッセージである。

(4)最後に、事務局より、今後のヒアリング実施予定について説明を行った。

 

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初等中等教育局 健康教育・食育課

(初等中等教育局 健康教育・食育課 (スポーツ青少年局 学校健康教育課))