審議経過報告

平成18年9月20日
 

はじめに
   カビ対策専門家会合(以下、「本会合」と言う。)は、高松塚古墳壁画がカビの悪影響を受けるなど、我が国の貴重な文化財や学術資料等のカビ被害が国民の高い関心事項となっていることを踏まえ、小坂文部科学大臣のイニシアティブのもと、本年6月に発足した。広く文化財や博物館等の収蔵物の資料保存の観点から、カビの発生メカニズムやその制御方法等カビ対策についての科学的知見や経験を集め、今後の施策の方向性についてスピード感をもって検討を行うことが、我々に課せられた課題である。
 本会合においては、6月28日の初会合以来、吉野大臣政務官の指揮のもと、9回にわたって会議を開催し、博物館をはじめとする関係機関や団体等からのヒアリング等を通じてカビ被害に関する現状と対策を把握するとともに、先端技術を中心とした微生物制御について専門家からヒアリングを行い、今後の文化財等のカビ対策に関する方向性について意見交換を行った。また、カビ制御技術検討ワーキング・グループを設け、並行してより専門的・具体的な方策についての検討も行った。
 カビの生物学的特性(菌糸体、子実体(胞子)を形成する、など)を考えると、いったんカビを大量に増殖させてしまうと、それを根絶することは極めて困難である。他方、高温多湿という我が国の環境を考えると、カビそのものは日常的に存在するものであり、カビのない環境を作り出すことは現実的には不可能であろう。このため、本会合においては、文化財等をカビから守るためには「カビを増殖させない」ことを基本としつつ、文化財等の保存環境下におけるカビの汚染防止や増殖したカビの早期発見等、カビの特性に基づく迅速処理が重要であろうと考えた。
 本会合においては、引き続きカビの発生を予防するための環境整備やカビ制御技術に関し、最終報告に向けた検討を行うこととしているが、今回、これまでの検討の結果明らかになった事項や今後の方向性を審議経過報告として取りまとめ、公表することとした。今後、本審議経過報告を踏まえつつ、引き続き委員や関係者の英知を結集し、議論を尽くしていきたい。

1. 現状と基本的考え方
   我々の身の回りは様々な微生物であふれており、浴室や洗面所、衣類や食品など、身近なところでカビが発生するのを見ることができ、それに対応して除菌・抗菌グッズや防カビ剤など様々な抗菌製品が販売されている。また、最近では神奈川県立生命の星・地球博物館で「ふしぎな生きもの菌類-動物?植物?それとも?-」展(2006年特別展示)が開催されたり、国立科学博物館・日本菌学会関東支部共催で子どものためのサマースクールとして「微生物は働きもの」(2006年度夏の企画)が開催されたり、カビに関するマンガが人気を博したりするなど、一種のブームのような様相を呈している。
 しかしながら、実際にはほとんどの人がカビと細菌の区別すらつかず、中学校の理科や高等学校の生物の時間に学んだ微生物に関する基礎知識程度にとどまっていることが多い。文化財等に直接触れるだけで、手の脂や汗などが付着して好乾性のカビが発生する原因になるが、博物館等の現場においても、収蔵物や展示ケースに発生した汚れや変色がカビであると認識できず、被害が大きくなってから気がつくケースも見られるのが現状である。
 これまでヒアリングを実施した様々な博物館、美術館、図書館等のほとんどがカビの被害に悩まされている。特に、脆弱な文化財については、劣化防止の観点から頻繁にアクセスできず、また、文化財そのものに直接影響を与える調査・点検を避ける必要があるため、カビ対策も後手にまわってしまう面が見受けられた。
 一般に、カビが発育する条件として「栄養素」、「温度」、「湿度」、「酸素」、「水素イオン濃度(pH)」の5つが挙げられる。文化財に発生するカビの栄養源となるのは、文化財自体の構成材料(紙、木材、絹、毛等)や修復・復元時の糊や膠等の新しい材料、革製品や動物標本、植物標本等に含まれる炭水化物、脂質、タンパク質成分等が考えられる。したがって、カビを発生させないためには、1室内空間が高温多湿になるのを防ぐこと、2天井、壁面、床面等での結露の発生を防ぐこと、3清掃してカビの栄養となるホコリや汚れを取り除くことなどが基本であり、ほとんどの博物館等で共通認識がなされていると思われる。しかしながら、実態として施設設備面の問題や人員・経費の不足等によって、その徹底がなされていないケースが散見されるのは残念なことである。さらに、管理された収蔵庫をもたない大学や個人蔵のコレクション、寺社の宝物、直接外気や土壌と接触している古墳や屋外展示物、発掘初期の出土遺物等の場合は、常にカビ等の微生物災害の危険にさらされていると言っていい。
 以上のような基本認識に立ち、(1)人材の育成、(2)カビ対策ネットワークの構築、(3)カビ被害の実態等に関する調査研究、(4)カビ制御技術の一層の研究開発について、早急にその具体化を図る必要がある。以下、そのために必要な具体的方策について説明する。

2. カビ対策のために必要な方策
 
(1) 人材の育成
   従来の文化財等の微生物対策は、カビに対しては殺菌、虫に対しては殺虫という処置が一般的であったが、微生物被害防止のための燻蒸剤として利用されてきた臭化メチルがいわゆる「モントリオール議定書」に基づくオゾン層破壊物質として指定され、2005年以降すべての先進国で使用が全廃された。このことを受けて、化学薬剤のみに頼らずにカビや虫の発生を防ぐIPM(Integrated Pest Management;総合的有害生物管理)の考え方に沿った保存環境づくりを目指した対策が世界的な主流となってきている。特に外国の博物館等から作品を借用する機会の多い館では、こうした考え方に基づいた取り扱いや、我が国より厳しい温湿度管理を要求されることがあり、学芸員等の専門家は、保存科学の最低限の知識を身につけておくことが求められる。このように、博物館等において微生物による被害を防ぐための環境を整備するためには、何よりもまずカビの発生予防をはじめとする保存科学に関し、たゆまざる人材育成を行っていく必要がある。
 博物館法上、博物館には専門的職員として学芸員が置かれ、博物館資料の収集、保管、展示及び調査研究のほか、これと関連する事業についての専門的事項をつかさどることとされているが、実態としては歴史系博物館や美術館の学芸員の多くは考古学や歴史学、美術史またはそれに準ずる分野が専門であり、自然史系博物館では菌類や微生物専門の学芸員や研究者がいる場合はあるものの、保存科学担当の学芸員(Conservator)を配置している博物館、美術館は全国的にも未だ少数である。カビ被害は、どちらかというと展示室よりも収蔵庫の方が問題となりやすいが、小規模な館では、収蔵庫の温湿度管理すら十分に行われていないケースもある。
 また、図書館においても、図書館法上専門的職員として司書が置かれ、図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存することなどの業務に従事しているが、全般的にカビをはじめとする微生物の対策に関する認識は十分ではないと思われる。
 大学における学芸員の養成課程においては、「博物館資料論」2単位、司書の養成課程においては「図書館資料論」2単位が必修とされており、その内容は資料収集の方法や資料の取り扱い、整理・分類の方法など多岐にわたるものの、必ずしも保存科学的な観点からの学習は十分に行われていない。そもそも学芸員養成の基本分野としては、前述のとおり圧倒的に人文系が多く、保存科学関係の講座を設ける大学も近年増えてきたものの、生物科学に関する内容は不十分で、生物科学系の学部学科との連携もほとんど行われていない。実態として、博物館実習を含め指導者や施設設備等の体制が十分でない大学も多いというのが現状である。
 このため、学芸員や司書養成課程におけるカビ対策をはじめとする保存科学全般に関する履修の強化・徹底について検討するとともに、各大学におけるカビをはじめとする微生物に関する科目、講座等の充実と、それらと学芸員や司書養成課程あるいは文化財等の保存科学に関する科目、講座等との連携、融合を推進することが求められる。
 昨今の厳しい財政状況を踏まえれば、各都道府県や市町村、大学等の博物館、美術館、図書館等に保存担当の専門家を新たに配置することは困難であると思われるが、現在博物館等に在籍している学芸員や司書等に対し、カビをはじめとする微生物や保存科学に関する研修を受講する機会を充実させることが重要である。また、大学等の研究機関に在籍する微生物に関する研究者を講師やアドバイザーとして活用することにより、両者の連携・融合が促進され、双方の学問分野に精通した文化財等の保存科学に関する若手の専門家が育成されることが期待される。

(2) カビ対策ネットワークの構築
 
1  「カビ対策マニュアル」の作成
   文化財等の微生物被害対策については、これまでも文化庁や独立行政法人文化財研究所において検討が進められてきており、2001年3月に文化庁文化財部が『文化財の生物被害防止に関する日常管理の手引き』を発行するとともに、臭化メチルの使用が2004年末で全廃されることを受けて、2003年5月に東京文化財研究所が『文化財の生物被害防止ガイドブック』を発行し、文化庁から全国の教育委員会や博物館等に配付している。また、東京文化財研究所では、2001年12月に『文化財害虫事典』を発行、市販するとともに(2004年4月に改訂版発行)、2004年8月にはDVD教材の『文化財生物被害防止ガイド』を発行・市販し、さらに同年10月にはIPMの考え方に沿った保存環境整備のためのポスター『文化財のカビ被害防止チャート』を作成・配付し、その普及啓発に努めている。
 しかしながら、実態としてこれらの周知は歴史博物館や美術館等にとどまっており、自然史系博物館や大学博物館、図書館、さらに文化財を所有する寺社や個人にまでは十分に行きわたっていない。また、図書館や公文書館に関しては国際図書館連盟資料保存コアプログラム(IFLA-PAC)より1998年に"Principles for the Care and Handling of Library Material"(2003年に「図書館資料の予防的保存対策の原則」として邦訳)がまとめられ、防カビ対策に関する記述もあるが、現場では十分な周知がなされていない。
 これらのガイドブック等を読むべき対象には、人文系の学芸員や司書、研究員、さらには文化財等を所有する方々など、生物科学に関する知識が必ずしも豊かではない人が数多く含まれることを考えれば(例えば、アマチュアの標本づくりに関しては、虫害対策については詳しいマニュアルが存在するが、カビ対策については相当するものがない)、微生物被害の深刻さが伝わるような、よりわかりやすいビジュアルな形の実践的な「カビ対策マニュアル」を作成することが必要である。わかりやすい「カビ対策マニュアル」は、「身近なカビの入門書」としての役割を果たすことも期待されよう。
 東京文化財研究所生物科学研究室に寄せられる相談のうち約7割がカビ対策に係るものだが、博物館、美術館よりも図書館、大学、寺社からの相談の方が多いという実態を考えれば、より幅広い関係機関や関係者を対象に、国公私立や各省庁・部局の所管を超えたカビ対策の周知の徹底を図る必要がある。
 また、現場では収蔵庫等の継続した監視や記録、施設設備の更新等が必要であり、加えて、施設の老朽化や除湿機・空調機の故障、あるいは地下水位が高いために生じる床面からの湿気による影響や導線の誤りなど立地環境や建物設計者の理解不足からくる施設設備面の不備によるカビ被害も多くみられる。このことから、各博物館等の事務職員や収蔵庫を保守点検する施設や設備管理の担当職員、さらにはそれらの職員を統括する責任者等がマニュアルを日常的に読みこなすことができるような配慮がなされる必要があるだろう。
 さらに、「カビ対策マニュアル」は一回発行して終わるのではなく、常に現場での利用状況をフィードバックしながら、新たな知見や情報を逐次加えられるような体制を組むことが必要である。
 なお、専門家を対象とした、より詳しいマニュアルの作成についても、検討する必要があるだろう。

2  カビ対策研修会の実施
   文化財等のカビ対策に関しては、現在、東京文化財研究所が毎年7月に「博物館・美術館等保存担当学芸員研修」を開催し、国立科学博物館が毎年秋に開催する自然科学系の学芸員を対象とした「学芸員専門研修」の中で、標本の保存等の保存科学に関する内容を取り扱うなどの研修機会がある。しかし、年一回、一週間程度で、参加者は20人前後であることが多く、全国に大小合わせて5千館以上(社会教育調査上の登録博物館、博物館相当施設及び博物館類似施設の合計)の博物館があることを考えれば、これらに加えて多様な研修機会を確保することが必要である。
 カビ対策の効果をより一層高めるためには、1で述べた「カビ対策マニュアル」を活用し、各都道府県ごとに「カビ対策研修会」を開催することが有効であると思われる。研修会の講師には、保存科学担当の学芸員のみならず、自然史系博物館や大学等の研究機関に在籍する微生物に関する研究者等を活用することになると思われるが、これらを通じて異分野の連携・交流が促進され、各地域で文化財等のカビ対策に関する指導者層の人材が育成されることも期待される。開催頻度については、関連する技術や文化財を取り巻く環境が年々変化していることを考えると、少なくとも年に一回、継続的に開催することが望まれる。また、研修内容は、現場での実習も含めた実践的なものであることが望ましい。
 なお、研修会の開催に当たっては、他の研修会や協議会等と組み合わせた効率的な開催について考慮する必要があるが、1で述べたように、学芸員や司書だけでなく事務職員や施設や設備管理の担当職員、文化財等を所有する個人や研究者等幅広い人材を対象とする開かれた研修会とすることが望ましく、受講者のレベルに応じた複数の研修会を開催することについても検討する必要があるだろう。また、指定管理者制度の導入に伴って、今後、民間企業等が博物館等の包括的な管理運営を行うケースが増加することも考えられ、当該指定管理者が十分な知見を有するための機会の充実を図っていく必要があると思われる。
 「カビ対策マニュアル」の配付や「カビ対策研修会」の開催等を通じて、広く文化財等の保存の重要性に対する認識が高まり、各地域において文化財等の保存科学に関する専門家を育成・配置する機運が醸成され、カビ対策に関する人材の裾野が広がることを期待したい。

3  カビ対策に関する相談窓口の開設
   全国の博物館等のカビ被害の実態を把握することは困難であるが、東京文化財研究所に寄せられる虫・カビに関する相談件数は年間80館程度、保存環境調査は年間150館程度になる。しかしながら、東京文化財研究所に相談・調査が持ち込まれるケースのほとんどが深刻化したものであり、この数字は氷山の一角に過ぎない。また、文化財等を適切に保存・管理する立場にある博物館等にとっては、カビ被害を他に知られたくないとの感情から報告・公表しない場合や、カビ被害と気づかずに見過ごしている場合も数多くあると思われる。そう考えると、文化財等のカビ被害の実態はまさしく膨大なものになるであろう。加えて、カビ被害であることが明らかになったとしても、どこに相談し、どのように対策を講じれば良いのかわからない、という話もよく聞かれる。
 現状では、それらの相談は東京文化財研究所がほとんど一手に引き受けているが、その対応にも物理的に限界があると思わざるを得ない。このため、同研究所の機能強化もさることながら、例えば関係する学会等とも連携しつつ、文化財等が多く存在する東京、京都、奈良に加え、全国7ブロック程度の拠点となる博物館や大学等に「カビ対策アドバイザー」を委嘱し、各地域で気軽に相談できる「カビ対策相談窓口」を開設することなどの方策が有効である。
 現状のカビ対策等の問題点の一つは、それぞれが個別対応になることが多く、経験や知識が共通の知的資産となっていないため、初動に時間がかかったり、誤った措置をしてしまったりすることもあるという点が挙げられる。このため、各地域の相談窓口に寄せられた情報等をデータベース化するとともに、各相談窓口同士がネットワークを形成し、それらの情報の共有を図ることも重要であろう。その一方策として、カビ対策に係る情報発信や関係機関等どうしの情報交換を推進するためのホームページを開設することも、アクセスの容易さという観点から意義のあることであると考える。

(3) カビ被害の実態等に関する調査研究
   微生物の増殖は、様々な環境因子によって左右される。一般に、カビの多くは高温多湿な環境下で増殖するが、自然界でのカビ胞子の分散については、ドライ型とウェット型とに二分される。ドライ型のカビ胞子は乾燥に強く、粉塵とともに空気中を浮遊して分散し、栄養分と温度・湿度が適当であれば、新しい場所で発芽し、菌糸体を伸ばして広がっていく。一方、ウェット型のカビ胞子は、水しぶきや湿った空気中を浮遊するほか、水の流れによって分散する。ドライ型と同様に発育に適当な場所に移り、発芽して菌糸体となり、広がっていく。
 博物館、美術館、図書館等の室内環境では、ドライ型のカビ、すなわち発育最低水分活性値Aw0.65~0.85(25度)の好乾性カビ及び一部の発育最低水分活性値Aw0.85(25度)以上の中湿性カビによる被害が多く、制御対象微生物として、その挙動を把握する必要がある。展示室・収蔵庫の空中浮遊菌については、施設管理の上で、微生物学的な清浄化の指標としてモニタリングし、活用していくことが望まれる。博物館等における空中浮遊菌の現況については、現在東京文化財研究所において調査中であり、それが明らかになれば、施設管理対策に関しても新たな可能性が開けてくるであろう。
 高湿度環境の施設である屋外建造物、屋外展示場等では、発育最低水分活性値Aw0.90~1.00(25度)の細菌、酵母、好湿性カビ及び一部の中湿性カビによる被害が主体で、これらの微生物の挙動については、施設現場において拭き取り調査を行い、常在菌を把握することが重要である。また、場合によっては施設内部での空中浮遊菌調査も行い、比較する必要があろう。
 さらに、カビの発生は、通気性の低下や空気の滞留も大きな要素であり、収蔵庫内等における空気の流れの簡便な調査法についても検討する意義があるだろう。
 近年世界的に主流となっているIPMの考え方は、我が国では既に1,200年前から正倉院の伝統的な宝物保存法として行われてきており、まさに人力によって収蔵庫の清掃等を徹底し、カビや虫の発生源を絶とうという先人の知恵であると言える。しかしながら、近年、収蔵庫のコンクリート化に伴う調湿効果の減少と通気性の低下によって結露が発生するようになり、虫干しのための人手すら足りなくなってきたこともあり、虫やカビの対策として薬剤燻蒸が常用されてきた。臭化メチルの使用が全廃された今日、防虫対策として二酸化炭素処理、低温処理、窒素置換等による低酸素濃度処理を代替として実施している館も多いが、それらの処理についてはカビに対する効果が疑問視されているものもあることから、今後は防カビ対策上の効果的な方法とともに、施設管理と合わせた適用基準や指針の作成等に向けた検討も必要であろう。

(4) カビ制御技術の一層の研究開発
   有害微生物に対する制御には、物理的制御(増殖抑制、除菌、遮断、殺菌)、物理化学的制御(増殖抑制)、化学的制御(増殖抑制、薬剤殺菌)、生物学的制御がある。これらの中で、増殖抑制には温度制御、水分調整、酸素除去、ガス調整(二酸化炭素、窒素ガス等)、化学物質(増殖抑制剤)の別があり、除菌にはろ過(HEPAフィルター等)、電気除菌(静電フィルター)、洗浄(冷水、温水、電解水、空気、洗剤等)、遮断には包装、塗装(コーティング、エアカーテン)、殺菌には低温殺菌、高温殺菌、電磁波殺菌(ガンマ線、紫外線、マイクロ波等)、高圧殺菌(静圧力)、電気殺菌(高圧パルス)、薬剤殺菌にはガス殺菌剤(EO、ホルムアルデヒド、オゾン、過酸化水素等)、液体・溶液殺菌剤(アルコール、過酸化水素水、有機系殺菌剤等)、固体殺菌剤(銀系殺菌剤、光触媒系殺菌剤等)、固定化殺菌剤(シリコン系第四アンモニウム等)などがある。
 最近、頻繁に使用されている「抗菌」とは、滅菌、殺菌、静菌、除菌、消毒及びサニタイズ(食品工場あるいは環境における病原微生物、腐敗原因微生物の殺菌)などすべてを含めた広い意味を持っており、微生物の生育を抑制あるいは阻害、殺菌、滅菌することすべてを意味する。我が国の抗菌技術は世界的に最も進歩した分野の一つであり、医療機器、医薬品、食品、生活用品等のあらゆる分野で、これらを微生物災害から守るために広く導入されている。そのうち、制御目標となる微生物としてカビを主対象に、文化財や学術資料等の保存施設内空間の除菌と、施設・収納コンテナ等に用いる調湿剤や収納のための包装材の無機系抗菌剤による抗菌化に関する情報と、文化財や学術資料等を制御対象物として、気相によるカビ制御、無機系抗菌剤・有機系抗菌剤、光触媒系抗菌剤等による先端技術に基づく殺菌に関する情報を収集していくことが重要である。
 対象物としての文化財や学術資料等には、特殊性と多様性がある。とりわけ、対象の物性が不均一であることから、多くの新技術について個々の部分における制御効果を評価するとともに、保管条件や長期的な効果の持続性、素材や原料の劣化を起こすネガティブな影響等を十分に考慮した総合的な制御設計が必要であり、そのための十分な試験研究を重ねることが必要である。また、有害微生物の制御は単に個々の技術を適用することだけで片付けるわけにはいかず、人体に対する安全性や地球環境の保全に関わる問題についても、これまで以上に考慮していかなければならない。特に、ガス殺菌剤(EO、ホルムアルデヒド等)、有機系殺菌剤等の化学的制御に用いる薬剤については、毒性や環境対応が課題となっている。
 最後に、最近発展してきた予測微生物学を用いて微生物の増殖や死滅を数学的なモデルで表す試みを予防措置として導入するためには、例えばバイオフィルムの形成のような文化財や学術資料等を対象に起こる基礎的な問題の解決が前提となる。
 医薬品・食品分野では、原材料から製品の流通に至る段階で、GMP(Good Manufacturing Practice;適正製造基準)やHACCP(Hazard Analysis Critical Control Point;危害分析・重点管理点(監視)方式)のような一般的な微生物管理プログラムに医薬品・食品の生産に関する安全性の確保への対応が含まれているが、文化財や学術資料等に関しても、新しい制御方法が確立された段階で、微生物とその危害についての知識をわかりやすく説明する努力が必要であり、啓発活動を通じて、微生物的安全性についての意義を高めていくことが望ましい。
 文化財等の保存科学の研究に際しては、生物科学系の学部学科を有する大学との連携も検討する必要があると思われる。また、例えば古墳壁画の関連ではフランスのラスコー洞窟やスペインのアルタミラ洞窟、中国の敦煌・莫高窟の壁画保存など、諸外国における取組に学ぶべき事例もあると思われ、これらも参考にすることが必要であろう。
 施設管理に関しては、国指定文化財の公開施設については「文化財公開施設の計画に関する指針」(平成7年8月)に基づき、展示室や収蔵庫の計画段階から事前に文化庁に対する協議が行われ、必要な指導が行われている一方で、それ以外の博物館等に関しては、必ずしも管理システムの指針が明確にされておらず、抗菌を視野に入れた施設内の空調管理・調湿設計や、清浄度の計測・評価等が行われていない。現場では、微生物発生の兆候をいかに早期発見できるかが重要であり、温湿度等のモニタリング調査の解析や評価方法等のあり方を含め、今後検討していく必要がある。
 本会合においては、引き続きワーキング・グループでの検討を含め、環境に配慮した先端的な制御技術に関する情報の収集に努めるとともに、環境微生物のモニタリングを含めた適切な施設管理方法の規範化を目標に検討していくこととしたい。また、カビをはじめとする微生物被害を受けた文化財等の取り扱いや処置、修復方法とその後の保管のあり方等に関しても、改めて検討していく必要があるだろう。

おわりに
   何百年、何千年にもわたって保存・継承されてきた我が国の貴重な文化財等を後世に伝えていくことは、現代に生きる我々の責務である。近年、博物館等の行政評価や指定管理者制度の導入、さらには市場化テスト等の議論を背景に、ともすれば入館者数の増加等の表面的・短期的な成果のみが求められる傾向がある中で、カビの問題を契機として博物館等が有する文化財等の所蔵品の保存対策について検討する場が設けられたことは、誠に時宜を得たものであると考える。高松塚古墳壁画のカビ対策に当たっては、最先端の保存科学の知識と成果が活用されているが、実は「保存科学」という言葉が市民権を得たのは、まさに高松塚古墳が発見された1972年頃からであると言われており、その頃から各大学における文化財等の保存科学に関する科目や講座の開設が、増加の一途を辿っている。今回の検討を契機に、全国津々浦々に存在する博物館、美術館、図書館、公文書館、大学等におけるカビ対策の充実が図られることを切に期待したい。

開催経緯
カビ対策専門家会合について

(別紙)

カビ対策専門家会合委員


主査 宇田川 俊一   財団法人日本食品分析センター顧問

  岡田 元 独立行政法人理化学研究所筑波研究所
バイオリソースセンター微生物材料開発室先任研究員

佐野 千絵 独立行政法人文化財研究所
東京文化財研究所生物科学研究室長

園田 直子 大学共同利用機関法人人間文化研究機構
国立民族学博物館文化資源研究センター助教授

高鳥 浩介 国立医薬品食品衛生研究所衛生微生物部長

細矢 剛 独立行政法人国立科学博物館植物研究部主任研究員

堀江 義一 千葉県立中央博物館分館海の博物館分館長

  (敬称略、五十音順)