資料6-3.「熟議に基づく教育政策形成シンポジウム」で寄せられた意見(グループ別)の概要

日時:平成22年4月17日(土曜日)13時~16時50分
場所:文部科学省講堂(東館3階)

グループ1

主な意見

【地域とのコラボレーションによる学校教育の改善】

○学校区内で頻繁に事件があったところ、地域で安心マップをつくろうという活動を実施した。地域の方と十分に協力して、危ない箇所の50箇所を割り出した。いわば地域が、教員の下校指導の責任を引き受けるような活動。

○自分は学校運営協議会(コミュニティースクール)の委員として、学校の予算や教育目標の承認、非常勤の教員の面接などに積極的に携わっている。こういった取組により、学校運営は好転しているように思える。

○市内の「親父の会」に参加している。学校の場を借りているが、規則や保険など、よく準備してからプロジェクトを実施することにより、事故等が起こった際の責任を明確にしている。したがって、学校も場を提供しやすいし、教員も口を出さないで済む。教員が、学校で行われる地域の教育活動についても「管理しなければならない」「責任をもたなければならない」と思うのは良くない。

○韓国などでは、土日に学校を柔軟に借りて、ボーイスカウト活動を行っている。学校という場の活用の仕方を考えていけば、より社会教育活動が活性化するのではないか。

○教員としては、地域のボランティアの方と子どもが活動するとなると、どうしても休日に「やっぱりついていかなきゃ・・」となってしまう。

【学校と地域のコーディネーターの必要性】

○自分もボランティアしたいという望みがあったが、学校が本当は何をして欲しいのかがわからない。学校側の需要と、地域における供給をコーディネートする者がいないのではないか。

○コーディネーターには自身の専門性に併せて、一定の教育に関する専門性が必要。また、地域と連携するには、何を誰がやるのかといった具体的な役割分担がなければならない。

○自分はアートボランティアのコーディネーター役をやっている。どうしても先生は負担になってしまうところもあるが、それでもなおやりたいという先生と連携して実施している。しかし、よかれと思ってやることが先生の負担を増やしてしまうことになりかねない。イギリスでは、教員をサポートする職員が多く、現場の先生を支えていると聞くが、このようなことはひとつの解決策。

【公教育について】

○地域の力が重要というが、地域の力がない場所だってある。自分は教員としていろいろな地域に赴任したが、子どもの多くが朝ごはんを食べてこない地域もあった。

○公教育というものの考え方は、授業を通じて、子どもを等しく一人前にしてやることだと考える。地域とのコラボレーションだけでは十分ではないこともある。

【教員の職務範囲の不明確さと負担感の増大について】

○自分は公立小学校の教員だが、授業を準備する時間はゼロ。様々な業務にも忙殺されてしまい、下校までノンストップで仕事が進む。電子黒板を普及するというが、そのためには、教員が授業に専念するための時間を作らなければならない。

○先生の責任が重過ぎる。事務業務も増えている。新任教員のうつも多い。保護者と教師に、いかに学校の先生が苦しいかわかってもらうことが必要。

○ただでさえ忙しいのに、上から「こうしてやりなさい」という形では、どんどん仕事が膨大になっていく。教師の仕事は際限なく膨張していっている。

○教員の責任の範囲が諸外国とくらべると不明確なのではないか。責任の所在を明確にしなければならない。保護者が自身の役割を自覚する仕組みも必要。

○カナダの教員は授業のみ行う。その他の給食指導などはしない。

○教員の責任はどこまでなのか。メインとサブの仕事は何なのか。地域によるボランタリーな教育活動もあるが、どこまでがアマチュアの仕事で、どこからプロなのか。

【子ども自身の「学ぶ」力】

○授業の中で、子どもたちは子ども同士のかかわりの中で伸びていく。教育は子どもとともに作っていくものという視点が必要。子どもの学ぶ力を信じてみるということ。

○学校にアーティストを派遣する取組をしているが、そこで先生方が言うのは、「あの子たちがこんなによくできると思わなかった」。外部から人がはいってきたときの、「教え」ではない、「学び」の場は重要。

○一般に受験との関係で、いわゆる5教科が重要であると思われがちだが、子どもたち自身が「総合的な学習の時間って、社会にでたら重要な能力だ」と気づくことが必要。

○ゆとり教育の理念は正しいと思うが、理念だけでは好転しない。総合学習も、現場が多忙で消化していなかったという現実がある。

○学校のユーザーは子どもであり、子どもの声を聞くことが教育政策の鍵ではないか。大人として、子どもの感覚や意識を高めることが重要。

【「熟議」について】

○地域と教員の間の責任の分担を議論するとともに、相互の親密な語らいが必要。このような熟議や、インターネットによる政策形成は、いままでの官庁やマスコミにできなかったことであり、評価できる。今後の動向を見守っていきたい。

○このような熟議の場に、子どもも入って議論できれば、なお良かったのではないか。熟議をする力(コミュニケーション力)こそが、今後の学校に求められている力なのではないか。

グループとしてのまとめ

○地域とのコラボレーションによる学校教育の改善は必要だが、それを実質的に機能させるためには、①地域と学校を結ぶコーディネーター、①教員の多忙さの解消及び職務内容の明確化、③学校と地域の間のコミュニケーションの手段などが必要。

グループ2

主な意見

◆先生の多忙化と疲弊に関する問題について

<原因>

  • かつて家庭や地域が担ってきたことが、学校に任され、期待されるようになった。
  • 子どもや保護者対応の難しさ
  • 新しい課題への対応
  • 事務処理などの雑務
  • 学校間の異動や担任の入れ替わりなどが頻繁に行われすぎること

<結果>

  • 子どもに試行錯誤させるなど、プロセスを大切にした学習が展開できない
  • 教材研究など、教育の質を高める研修の時間や若手を育てることができない

<対応>

  • 教員の人数を増やすだけでなく、質の向上を図ることが大切
  • 保護者(PTA)や地域、企業がサポートしていく体制づくり

◆学校が教えるべき内容について

  ・自立のための能力

    知識よりもやり遂げる力や困難を乗りこえ、チャレンジする力

  ・集団の中での対応力

    コミュニケーション能力

  ・人を尊敬する心

◆先生に期待することについて

  ・先生自身がコーディネーション能力を身につけること

  ・もう少し、自由なやり方で学習を進めていくこと

  ・子どもに学ぶ意欲を起こさせるような学習を行うこと

  ・子どもに自分の体験を伝えていくこと

グループとしてのまとめ

◇コーディネーターやファシリテーターを任用した「スーパー事務室」の設置

・マネージメントサービス部として学校教育や先生方をサポート

・担い手としては、一定の研修を受講すれば、教職員のほか、地域住民・教員志望の学生なども考えられる。

グループ3

熟議中の主な意見

1.外国籍の子どもたちの教育権利の保障

○  日本の学校には様々な問題があるが、その問題を解決するにあたり、一律の同じやり方で学校全体の問題は解決するのか。大多数の意向には沿う一方で、少人数の意向にはそぐわないこともあるのではないか。

○  学校は多様でなければうまくいかない。多様な学校運営を支援していくことが重要。ひとつのやり方ですべてを解決することには無理がある。

○  日本の教育の法律では、外国籍の子どもたちに教育の権利を保障しておらず、また、外国人学校は学校として認められていない。外国人のための教育の充実を図るべきである。

○  帰国子女、外国人子女などに取り出し授業を行うことや、地域のボランティアを活用することなどにより、地域で取り組んでいくことが重要。すべての子どもが学習できる制度を作るべき。

○  外国人学校を学校として認めることと、公立の学校のように税金を投入することは、分けて考えなければならない。前者は、多様な教育の場を学校として認めること。例えば、教育課程、教職員、学校などについて、自由な学校として設置を認めるべきか。後者は、外国人学校等の運営に税金を投入すること。例えば、外国人も消費税などを負担しているため、一部投入することを認めるべきと考えるか。

○  現状では外国人学校に入学した場合、後々、一般の公立学校に行っている方とは違う目で見られることを意識しなければならない。

○  文部科学省の不登校のデータは外国人学校を除外しており、問題を過小評価している。

2.地域と連携した学校運営の充実、特にコーディネーターの重要性

○  学校現場で教員の仕事ができる環境づくりが重要。教員の業務実態として、教育活動以外の業務が多い。教員が本来の仕事に注力できるよう、地域と連携を行うことが重要。

○  地域と学校とがお互いによい影響を及ぼしあい、適切な方向に発展していくことが大事だが、そのためには、地域を学校に参加させる仕掛けづくりが重要。例えば、地域と学校の両者をよくわかっている人をコーディネーターとして活用すれば、両者の橋渡しとして機能する。地域と学校の連携には様々な成功事例があるが、両者をつなぐ人の存在が重要。地域と学校の連携により、地域の特性を生かした教育活動を行うことや、企業のCSR活動を取り込むことも可能となる。

○  一部の地域では、コーディネーターを人材として育成する仕組みも、徐々に進んでいる。こうした仕組みがほかの地域でも広まるよう、例えばパンフレットの作成などを通じて情報を共有化すべき。

○  地域ぐるみの教育活動を支援するため、行政も広報などを通じたバックアップが重要。提供する情報の媒体も、メールやホームページなど受動的な手段だけではなく、雑誌なども積極的に活用すべき。

3.柔軟な教育課程の検討

○  障害のある子どもの教育については、それぞれの子どもに適した教育を提供するべきであり、現状の仕組みでは無理がある。

○  社会は多様になっているが、幼い頃に自分の多様性を認められることで、多様性の視点を身につけることが大事。

○  教育課程で見直すべき内容としては、例えばイギリスで行われているクリティカル・シンキング(論理的な思考)を日本で行うことが考えられる。子どもたちは多様な情報に対応していかなければならないが、それには論理力が必要。

○  一方で、教育課程が柔軟になったことが理由で、教育が崩れる場合もある。教員の授業デザイン力の向上に政策として取り組むべき。

4.教員の資質向上

○  教員の年齢構成がワイングラス型となっており、中堅層が抜けている。今後、様々なノウハウを若い世代の先生にどのように継承させていくかが課題。知見を共有できるようなやり方を模索することが重要。

○  社会人経験のある教員は多様な経験をしている。例えば、新人研修などにおいて、期限付で企業での業務を経験させることも面白い考え。

○  一方で、この場合は教員を研修で出した分、現場での教員を補充しなければならないため、実際には極めて困難。教員の質だけでなく数も不足しており、もっと増やすべき。

○  教員養成系大学を出ないと小学校の免許が取れない仕組みは変えるべき。運動も音楽もすべてができなくても小学校免許が取れるようにすべき。

5.教育の当事者である生徒の意見聴取

○  教育の仕組みづくりを考えるに当たっては、直接的な当事者である子どもも議論に参加することが重要。

○  一部の自治体では、学校運営についての議論をするにあたり、「子ども達の意見をきくことができる」と規則において定めているものもある。

6.その他

○  日本にはなかなか寄附文化が根付かないが、寄附税制の見直しなどにより教育活動への寄付を促進するなど、納税者としての視点からの関わり方を考えることも必要ではないか。

熟議の結果、グループとしての議論のまとめ

  1. 外国籍の子どもたちの教育の権利の保障が重要。
  2. 地域と連携した学校運営の充実が必要。特にコーディネーターの活用が重要なポイント。
  3. 教育課程の柔軟性や多様性が必要。
  4. 教員の資質向上が必要。
  5. 教育の当事者である生徒からも意見を聴取することが重要。

グループ4

主な意見

・  多様な学校、多様な教育を選択できるような仕組みをつくる必要がある。フリースクールの授業料を無償とするなどの支援をすべき。その子にあった学校が選べるようになれば、不登校問題は解決するのではないか。

・  教員が様々な仕事で多忙になっており、疲労感を感じている。教員同士の横の連携もできておらず、問題点をフォローする時間もない。学校の中にボランティアも入れて、チームワークで仕事ができるような体制がとれたらよいのではないか。

・  近隣に東京海洋大学の支部がある。地域の大学と連携して、学校の先生をサポートするなど、地域の教育資源を活用できるようにしたい。大学の教員や学生がボランティアとして学校に入り、理科教育などサポートできないか。

・  京都の御所南小学校では、地域の人が「地域の子どもは地域で育てる」という観点で接してくれるので大変有り難い。大切な心を教員が教えるよりも地域の方が教えてくれる方が子どもにとって分かりやすい。学校から地域に対して働きかけるということが重要。

・  三鷹市では、学校支援のNPOや学校運営協議会など活発であり、三鷹の子どもを日本一にしたいという思いで取り組んでおり、市民も盛り上がっている。

・  自分の市では、保護者の方から地域と学校と連携しましょう、といっているがあまり連携が取れていない。御所南小学校や三鷹市のような取組を、教員の資質のみに頼ることなく、仕組みとして、どうすれば全国的に広げていくことができるかが課題である。

・  教師は教育のプロであり、教師の力で学校をよくしないといけない。なぜ地域と連携する必要があるのか、まず、そこはおさえておくべき点でではないか。

・  教員の質を高める必要。大学を終えてすぐに教員になり、すぐにやめてしまう人もいる。医者にインターンがあるように、教員も1年間条件付き採用としてしっかり養成してはどうか。

・  民間で社会人教育をし、民間では社会経済を立て直す人間を求めているが、それでは現在そういう教育が公教育でなされているかというと、ズレがあるように思う。

・  自分の出身地は田舎であるが、地域の人と会えば挨拶をするような温かい関係がある一方、受験や学習に関する情報が少ない。都会との教育格差をどうしたら埋められるか。

グループとしてのまとめ

・  子どもたちに、実感を伴ったよりよい教育を行うためには、地域の人たちも巻き込んで多様な価値観を教える必要があり、学校から地域に働きかけることにより、より開かれた学校づくりが進められ、成長が促されるのではないか。また、三鷹市や京都御所南小学校でのグッドプラクティスをどのように全国に広げていくかについては、結論は得られなかった。大学と地域の連携の必要性についても話題となった。

グループ5

主な意見

(小学校段階での教育における共通性と多様性について)

・学習指導要領があるように、ひとつの基礎基本を教えようという基本に基づいているので、小学校の段階ではある程度基本的なものを教えるべきである。

・生徒は学校の先生から教わるものだけがすべてではない。地域に応じた民間講師や、教え方の多様性は必要。

・教え方の多様性は重要であるが、教えるものには共通のものがないと先生や地域差が出てきてしまう。ある程度共通のものがなければならない。

・多様性にはカリキュラムの共通性と教え方の共通性がある。

・カリキュラムの多様性については、大学受験や企業の求める人材という観点があるので、そこから逆算しなければならない。

・すべての人間が大学に行くべきか。ドイツのように職業教育の進路もあるのではないか。教育システムから考える必要がある。社会を見据えた教育コンテンツが必要。

(教員の忙しさについて)

・たくさんのものを課されているが、地域に任せられるのか、地域が足をひっぱっているのか。

・学校は忙しすぎる。地域の方に入ってもらって人数や条件がそろっても打ち合わせの時間がない。若い先生は特にパソコンに向かっている。教材研究する時間もないし、若い先生に声をかける時間も交流する時間もない。

・地域の人材支援することで教員の負担になっては元も子もない。たとえば、部活の支援だと、部活の顧問は休めるし、入る人材は無給。ウィンウィンの関係になるのが基本。

・先生が忙しいというのは事実である。何も知らず、地域の方がサポートに入ると厳しい。今後は地域も先生の助けになるようなサポートをしていく必要がある。先生だけでなく、家庭・地域と三位一体で。これから地域の役割が重要である。

・民間企業は残業をしたり、結果を出すと給料が出る。学校の先生の評価はどうするのか。小学校は結果が上がらないから撤退するという選択肢はない。地域の小学校はなくせない。学校があるのが当たり前という発想で押し付けになっているのが問題。

(教員が評価を受けることについて)

・評価は管理職が業績評価として点数化するものと、子どもの笑顔や言葉で報われるという2つある。教員の世界は数字化して評価するのはなじまないと思う。

・小学校3年生からかなり詳細な授業の評価を行う地域があり、クラスごとに評価が出る。その結果を見ることで自分をシビアに見つめなおすということができるようになった。

・企業の評価で教員にも生かせるものは、個人のモチベーション・やりたいことの評価と企業がやってほしいことを上げ、それを総合的に評価すること。教員の評価として、学校がどういう目的をもっているか、何をしたいのかがわからないと評価できない。

・モチベーションをあげる評価は子どもに伝わっているということではないか。評価が上から目線になっている。子どもからの評価は先生の自信になり、モチベーションをあげるのではないか。

・子どもからの評価がほしいというのは危険ではないか。学校で「楽しい」という評価になるのは雑談などでは。「楽しい」という視点で評価するのはどうか。

・「楽しい」というのと「楽しく教える」のとは別問題。生徒が楽しく感じるように教えるのはひとつのスキル。知的好奇心を刺激されるのは楽しい。まず必要なのは、デンジロウみたいに先生が楽しそうな雰囲気であること。

・小学校で嫌いな教科があると、後々に大きな影響が出る。まずはその教科を拒絶しないということが必要。不登校も多いので、学校に来ることが楽しいと思って、学校に行ってほしい。

・子どもには学ぶ楽しさを知ってほしい。すべてを楽しく教えるのは本当に大変。そう教えるには、準備にも膨大な時間がかかる。楽しく教えることを学ぶのに時間をかけてほしい。評価には評価の先に、改善をするようなものがなければいけない。

・手段としての学び、テストでいい点数をとるために学ぶということになるから学ぶ楽しさがわからなくなるのではないか。

・根本的な疑問だが、楽しければ本当に学力がつくのか。

・よく理解できたかというのが重要なファクターで、楽しいということは理解を押し上げることになる。楽しいかはひとつのファクター。

・楽しくてもあとで頭に入っていないこともある。楽しいということとちゃんと理解しているという両方が重要。学ぶべきことをきちんとチェックすることが必要。子どもの理解を保護者にきちんと伝えることも大事。子どもも一つできてほめられれば次々とやりたくなる。

・テストでいい点数をとるために学ぶという手段としての学びになるから楽しくなくなるのではないか。小学校は楽しく学ぶ、中学校では点数をとるために学ぶという風に小中で評価が変わるのもおかしい。

・高校受験では知識学習が必要になるので、そこの部分に対応できない子も結構いるような気がする。小中の接続が問題。

・小学校は6年間あるので、知識を身につけることと学ぶ楽しさのバランスが必要。

(学校をよくするには学びが楽しくなければならないが、ではどうやっていくのか)

・子どもが楽しいと自ら感じてやっていけるという教材作りにこだわっている。発問や気付きの促し方を研究している。

・研修は国が用意しているものだけでなく、企業の研修などを受けられるとよい。いくらいい研修プログラムがあっても全員が受けるのは無理だし、画一的になってしまう。国が全部提供することがもはやできない。市民が学校を作るのも、教員を研修してもよいのではないか。そういう権利があればおもしろいのでは。

・考えなければならないのは、受験の在り方。

・先生の時間を増やすという観点では、事務室の充実が必要。小学校では事務室はほとんど機能していない。事務的な仕事を行う職種を作り、先生は教えることに特化できるという仕組みが必要。

グループとしてのまとめ

・小学校の教育をよくするには、学びを楽しくすることが重要。

・学びを楽しくするには、楽しく教えることが重要であり、そのためには教材研究・授業方法研究、授業方法改善のための評価や教員研修が必要。

・教員が教えることに時間をかけられるように、地域の人材の活用・事務室の充実などにより教員の負担を改善することが必要。

グループ6

主な意見

(学校教育の目的を児童・生徒に明確にすることについて)

・子どもたちに目的意識がない。何のために勉強しているのかわかっていないのではないか。

・数学や理科を勉強することが将来どのような役に立つのか、教員が子どもたちにうまく伝えられていないのではないか。

・教員が、教員以外の仕事の経験がないため、キャリア教育を行う際に何を教えてよいのかわかっていないのではないか。

・これからの学校は外部の力を活用した学習が必要である。そのため、ファシリテーター型の教員がこれから求められるのではないか。

・一般的に、教員は算数や理科などの教科の指導にあたっては、学習目的についても指導しているものと考える。

・教員を学習指導に専念させるべきではないか。教員に学校外での教育活動までコーディネートさせるのは無理ではないか。教育委員会がコーディネーターを雇うべきではないか。

・学校と外部のコーディネーターの考えがずれることも多いものと考える。学校が地域にお願いにあがると、嫌な顔をされることも多く、必ずしも全教員が外部と連携したいと思っているわけでもないと考える。

(プロジェクト型学習に係る学校の役割について)

・教育目的を児童・生徒に理解させるためプロジェクト型学習を実施している学校があり、今後推進していくべきではないか。

・プロジェクト型学習を指導できる教員はほとんどいないのではないか。

・学校現場でプロジェクト型学習を行うためには、その前提として教科学習が必要ではないか。

・学校で何をやるのか、学校外で何をやるのかの区分けが必要であるとともに、義務教育においては、一定の質を確保した教育を行うことが必要ではないか。

・学校が行うべきことと、教員自身が行うべきことを混同すべきではない。

(学校の活動における財政面の問題について)

・学校が外部と連携して活動を行うにあたっては、財政面が課題となる。補助金は何年かで切れてしまい、良い事業が立ち上がっても補助金がなければ継続しない場合も多い。

・教員は外部に無償で協力を依頼するが、外部の人間も無償で協力するわけにはいかない場合がある。国が財政支援をすべきではないか。

・子ども手当をバウチャー化して、親が学校の活動に子ども手当を充当できるようにすべきではないか。

・寄付を募ることは重要であるが、寄付は集め続けなければならない。そのためには税制面がネックとなっており、減免措置が重要である。

(地域について)

・地域との関係が重要であり、学校が門戸を開いて地域に発信すべきではないか。

・地域の関係が薄くなっているのではないか。

・子どもが学校を卒業した保護者についても、引き続きPTAに参加できるような仕組みが重要ではないか。

・地域の代わりに、地域を越えたインターネットの世界があるのではないか。

・若者は地域との交流が少なく、地域とかかわることが必要ではないか。

・若者の意見を発信できる場がなく、ネット社会を活用して、大人と若者が同一の場で意見を発信できることが必要ではないか。

(教育行政について)

・官製研修が多い。

・教育行政の教育内容への関わりは、慎重であるべきと考える。

グループとしてのまとめ

・教育を行うにあたっては、その目的を児童生徒に伝えることが教師には求められている。また、すべての教育内容を教師自身が上手く指導することは難しい場合があり、学校は外部との連携が必要となっている。

・学校と外部との連携の在り方や、連携に対しての財政的支援について検討を行うとともに、その在り方について関係者間で意識を共有するため、関係者からなる「熟議」が学校や地域で必要ではないか。

グループ7

主な意見

(中学校の役割)

・  日本や世界をより豊かにする人材を育てるのが中学校の役割ではないか。

・  人の道に反せず、一人で生きて行けるような人間に育てていくことが中学校の役割ではないか。

・  生きる力を育てるのが中学校の役割ではないか。

・  生徒がどうしたら幸せになれるかを考えるのが中学校の役割であり、一律に自分に合わない勉強を課すのは問題である。

・  学ぶことそのものの喜びを教えるのが学校の役割ではないか。

(少人数学級の必要性)

・  少人数学級の取組を進めるべき。

・  ただ少人数であれば良いということではなく、適正な人数を確保することが必要。

・  適正な学級規模を確保するためにも、教員増が必要。

(コミュニケーション能力の育成)

・  今の生徒は生身の人間とコミュニケーションをとるのが下手であり、生徒と向き合ってコミュニケーションをとり続けるのが大切。教員、地域の人でも誰でもよい。

・  他人と本気で討論させることを教えることが必要。

・  生徒同士のトラブルがあったときに、間に入ってくれるコーディネーターのような存在が必要。誰かが間に入らないと解決できない人間に育てるのではなく、生徒同士で解決する力をつけさせることが必要。

・  コミュニケーション力の低下は、TV画面に向き合っている時間が長いことが一因と感じている。その時間を少なくして、いろいろな人と触れ合わせることを家庭でやることが必要であり、学校にすべてを求めるべきではない。

(セーフティネットの必要性)

・  将来に対して意欲を持てるのは、家庭環境に恵まれている子供たち。学校の責任だけを問うのではなく、社会環境全体で、家庭環境に恵まれない子供をどのように育てていくのかが重要。

・  不登校児に対するセーフティネットが不足している。学校をもっと選べる仕組みをつくるべき。

・  不登校の保護者など、マイノリティたちの声を代弁する仕組みが学校の内外に必要。

・  現在のスクールソーシャルワーカーは学校の中に配置される形になっており、生かされていない。学校の外から行政と交渉する役割を担わせることが必要ではないか。

(キャリア教育について)

・  子供が夢を持てないこと、子供将来が家庭環境に左右されることの具体策として、キャリア教育が不足していることが問題。進路指導の時間はあるが、本当の意味でのキャリア教育になっていない。

・  職場見学や、専門家を学校に呼ぶなどの仕組みは、すでに現場で行われている。

・  中学生にキャリア教育は本当に必要なのか。純粋に勉強だけさせることが重要であり、いろいろなことを学ばせるのは、生徒の負担になるのではないか。

・  現場を見ることが勉強への意欲につながる可能性があるため、学ぶ必要性を意識させることが必要。

・  キャリア教育を取り入れるため、カリキュラムを柔軟にするなどの方法が考えられるのではないか。

(地域住民の学校教育への参加)

・  学校地域支援本部のメンバーは各団体の代表者が充てられているのが現状。入りたい人が入れる仕組みにすることが必要。

・  学校地域支援本部のコーディネーターを副校長などにすると、負担が大きい。事務職員や、副校長以外の教員にすることが必要。

(教育予算ついて)

・  日本の教育予算は少なすぎるのではないか。

・  教育予算を増やすのであれば、日本の教育に国民がきちんと責任を持つことが必要。

・  ボランティアなどの活動に頼っているのは問題。無償で行われている活動に対して成果がなかったとは言いづらい。

グループとしてのまとめ

・  中学校の目的は幸せな子供を育てることである。

・  今の子供たちはコミュニケーション能力が欠けているため、学校においてそれを養うことが必要。そのためには、コーディネーターの仕組みをつくることも考えられる。

・  不登校児等への対応を含め、教育におけるセーフティネットを強化することが必要。スクールソーシャルワーカーを活用することが考えられるが、現在の制度には色々と問題があるため、改善が必要。

・  キャリア教育については、今の中学校に必要だという意見と、教員や生徒の負担となるのではないかという意見の両面が考えられる。

・  コミュニティスクールについては、地域の意欲ある人が参加しやすい仕組みとすることが必要である。

・  熟議のような話合いのシステムが各教育現場においてもっと持たれるべきである。

グループ8

主な意見

【フリーディスカッション】

・教師はあまりにも時間がない。教えるだけでなく様々な校務分掌があり、作業が発生している。文科省資料には退職教員の活用とあるが、かつては「米百俵の精神」とも言われた。もっと金を使って教員を雇い、生徒と交える時間を作るべき。

・中学校の先生は忙しすぎるとともに設備も無い。月~金は授業、土日は部活対応、事務の仕事をすべて担任教師がやっている。また、教育現場にICT設備を整備するための経費を積んでも他の事業に流用されている。もっときちんとインフラのお金をかけるべき。

・原点回帰が必要。昔は貧しくても…という部分があった。今は職員会議でも教師が意見を言えない状態になっており、もっと教師は自由でなければならない。抑えられてしまうと、子供も結果として抑えられてしまう。100点取らないと人間ではないというような風潮もあり、教員・子供ともにゆとりがなくなっている。

・先生が忙しく、時間・気持ちのゆとりが必要。先生自体にも閉塞感がある。中学校は専門教科で縦割りになっているが、だからこそ地域の力を入れるべき。学校の先生も知らないことが沢山あり、それを補完するためにも地域の力を入れることが求められている。何のために勉強を教えているのかを先生と話していたら企業にいる者としてびっくりすることもある。

・昨年、半年間ボランティアで小学校へ行ったが、発達障害の子が1クラスに3人という状況を目の当たりにし、大変な状態だった。しかし、校長先生が来た時にだけクラス全体の態度が変わったりする。教室の中で起こっていることをもっと開いて、校長先生をはじめ多くの人にきちんとわかって頂くことが必要と感じた。また、中学校ではいじめ問題があり、アンケートを行っているが、素直には答えない。先生も見落とす可能性がある。

・明治から授業スタイルは変わっておらず、ついて行けない子は学力も意欲もどんどん落ちている。このため、先生の数は必要だし、お金も必要。ただ、併せて教員の資質を向上しないといけない。私も中学生の子供がいるが、いじめはアンケートでは分からない。先生がどこまで感じ取ることができるかという点で教員養成が大事となっている。また、親御さんが子どもを育成する能力も落ちている。近所に不良の子どもが溜まっていても注意できず、警察に頼ってしまう。親御さんの教育力をどう回復していくかが分からないと、学級崩壊もなくなっていかない。高校の立場から中学校に求めるものは何かをまとめることはなかなか難しい。

・教員のゆとりは何かと考えたとき、いろんな活動があってそれぞれに時間が必要であることが背景にある。ただ、部活動も負担と感じている先生がいる一方、そこに生きがいを見出している先生もいる。地域のニーズ、子供のニーズは様々で、先生が異動するとモチベーション下がったりもする。教員は「見られ方」が大事であり、地域や保護者、子どもからこうあってほしいという希望の強さは負担にもなっている。教員の服務事故などは大きく取り上げられるが、他の業種にもこのようなケースは多々ある。教師がいろんな形でバッシング受けないようにと考えると萎縮してしまう。この辺はなかなか難しい。

・1年間コミュニティスクールの会長を務めて、地域が先生方をフォローするので、先生方にはどうか本来先生が行うべきことをしてほしいと言ってきた。中学校は教科担任制の縦割りであり、フォローをするにもなかなか難しい状態だが、いずれにしても地域は先生の味方であるという信頼関係を作っていくことが大事。また、地域の人たちへの活動の場の提供が必要。その際には、ただ作るだけでなく、メリットやモチベーションを高める工夫も大切。

さらに、何のための勉強か、単に受験のためだけかという点を考える必要がある。大卒からすぐに担任になると、心もとない部分もある。私の学校では、花と緑のボランティアを取り入れて授業に取り込み、先生が変わっても継続的に活用できるようにすることを考えている。特に小学校でそのようなことを経験することも大事。先生が自分でなんでもしようと考えるのではなく、自分以外の人をどう使っていくかを考える必要がある。

・ボランティア活用のルートはあるのか?

・実際に今は個人的なつながり。授業の丸々お願いする場合や授業の主体はあくまで先生でサポート的にボランティアがつく場合とがある。いずれにしても、個人情報の取り扱いに注意していかねばならない。

・地域の連携のオファーを教員はどう受け止めているか?

・私の学校では先進的に行っている段階。先生方でも逆に負担を感じている人もいる。ただ、地域と学校が連携したら、多少負担になっても結果としてこんな事までできるんだという意識が生まれてこないといけないのでは、と考えている。

・教員の質はもっと長期的に考えていかないといけない。東京は教員採用試験の受験倍率が2倍と低く、倍率が高まれば質も上がる。また、中学校では特別支援の設備が整っておらず、その整備は重要。ソフトについては公教育最後の砦が中学校。大学生になってから「何で年金を払うのか」と質問されることは本当に悲しい事態で、きちんと公教育の中で教え考えさせるべきだ。携帯・パソコンについての教育もカリキュラムの中で必要。さらに教員の人事権は東京都にあり23区は持っていない。学校の設置やカリキュラムに関する権限と人事権が別なのは異常な状態なので改善が必要。

・時代の変化に対応できる力をはぐくむという教育のビジョンを社会に向けて明確に示していくことが必要。また、教える立場だけではなく教わる立場から議論することが重要。

・先生以外の大人たちが支援していくことが必要。若い人たちは今何故学ぶのかという疑問を持っている。そのことをむしろチャンスとして、大人と子どもが一緒に考えていくことが重要。

【ポイントの抽出】

●中学校において先生方が子どもたちを教えるに当たっては、時間や設備などのハード面、裁量などもふくめた「ゆとり」が必要ではないか。地域との連携もこのような観点から捉える必要があるのではないか。

●地域と連携した中学校教育は何のために行われ、子どもたちにどんな力をはぐくむのかという共通認識が必要ではないか。

【ポイントを踏まえての各意見】

・小学校を見ると、どういう学力を身につけさせるか、何を目標にしているかが分かりづらい。さらに中学校になると教科別、専門性が強くなり、意見が言いづらくなる。国際的にも発表は苦手という日本の子供の実態が出てきている。法整備など制度改革だけでなく、こういう子ども達の状況を我々は踏まえなければならない。

入学した段階で、将来何をしたいのかを大まかなエリアごとに選択させている高校もある。専門家の意見を聞く機会を設けて、人生を教える場面を設定することなどと併せて進路指導をしないといけない。

また、高校生同士でも自らの進路について「熟議」的な議論を行わせている。先生には社会一般の常識が欠けていると言われているが、そのことを踏まえてコミュニティスクールを作ることも大事。

京都市では、ボランティアを活用して委員80名で構成される「コミュニティ部会」を置いている。このような手法の中で、「熟議」という考え方を各学校にも広める必要。

新規採用の教員がよく潰れる。背景に若い学生のコミュニケーション能力が落ちていることが考えられ、大学の教職課程では一般常識が十分身についていないというのが実態だと思う。

・試行錯誤だが、「熟議」形式は教科としては理科が馴染みやすく、興味関心を引きやすい。一方で数学は難しいと思う。しかし、ある人数のグループで問題発見させる取り組みを行わないと学校は生き返らない。

・熟議形式は組み立てが難しい、教員の能力がネックとなる。

・熟議形式には5時間くらいの準備がいる。下調べ、ワークシートなど労力がかかる。

・私は海外の学校で熟議形式の教育を受けたが、先生も準備は完璧ではなく、教育の不完全性に子供が気づくのも大事な教育。そこを完璧に求める必要はないのでは。

・難しいのは、各教科は指導内容が決まっているが、これらの内容と熟議での討議内容をマッチングさせなければならないこと。多くの人はチャレンジしているが…。

・自分が参画しているシュタイナー学校では、「熟議」型の総合学習を行っている。朝の100分はチャイムを鳴らせず午前中の半分を子供たちとじっくり過ごせるようにしている。中2の3学期は演劇をやっているが、何の劇をするかについて秋くらいから自分たちでシェークスピアの本を読んで用意し始める。そのプロセスは、何でこれが必要かについてのディスカッションの連続。このようなプロセスを各教科でも作っていくことが重要。

・今の教科書検定はおかしい。地域や産業の実情に応じて考えていく必要がある。福沢諭吉も国の検閲はおかしいと言っていた。検定を止めて、それぞれの地域にその判断に任せないと柔軟性が出てこない。少なくとも検定は最小限の範囲として、自由裁量度を高めないといけない。普段の生活で高度な数学能力がなくても大丈夫なのだから…。

・ただ、最低限の大綱的なものは国の基準として必要。

・47年改訂、52年改訂と学習指導要領改訂を経る中で、教員自身が創造的に考えられなくなる危険性が高まっている。ゆとり、研修、段取りを考える余裕がないといけない。東京でも潰れたり自殺したり先生がいる。一番必要なのは余裕だと思う。

・熟議型の教育を各教科の中で指導することを広げるためにはカリキュラム開発が必要になるが、なかなか難しい。ただ、1つの切り口を広げることは総合学習の探究の中で可能だし必要。私のところでは小・中一貫のカリキュラムを示しており、その中で経済教育などを実践している。

・教育課程の基準は国が作成し、その中身を各都道府県が確認して、学校が教育課程編成を行っているが、学習指導要領の解釈次第では学校の裁量が狭くなる。フィンランドなどは学習指導要領がより大綱化しており、自治体や学校の教育課程編成の裁量はより大きい。そのような仕組みをきちんと制度化することが重要。

・私の学校では、経営理念をもとにPDCAを行っている。学校の経営理念のもと、このような授業をしたいと教員レベルで考えることが必要。そのためには体制や準備が必要であり、「段取り」が重要となってくる。

PDCAのように、企画をして物事を進めるという発想や文化は学校には乏しい。行政では概算要求といったように締め切りあるが、現場の先生は目の前の対応に汲々としている。目の前の子どもたちの対応を今進めながら来年の企画や準備をするというのは、大変だと思うが、システムを変えていかないといけない。

・携帯電話の取扱いについての出張講演などをしているが、保護者の意識として、自ら率先して取り組む場合と教育委員会などから言われ仕方なく取り組む場合ではその学習効果が違う。今は以前地域で行っていた仕事まで学校に依存している。教育は学校だけが行うものではない。子どもがいる企業人は授業参観へもっと積極的に自由に行けるようにするといった仕組みを整えることで、大人も余裕が生まれると思う。

・まずは一番力のある学校を作ることから出発しないと、システムを変えて行くのは難しいと思う。

・この国の根幹を支えるための教育が必要。すでに小学生が携帯を持っているが、親も何故必要か、というのは教えていない。年金の仕組みをよく知らず年金制度が崩壊しかねないことや投票率が低いことに対応するためには、学校教育においてまずは日本をよく知ることが必要。教育の目的は良き国民、市民をつくることだと明確にすべき。

・海外で教育を受けて感じることは日本の小学校では、自分が日本人であるという意識が低いこと。異なる国や文化に接したり、地域とのかかわり、実社会との関係を教えていく必要がある。

・小・中一貫や中・高一貫にすると相当余裕が生まれる。最後には12年間の卒業プロジェクトを行い、大学の卒論みたいなものを書かせる。そういう子供は、自分自身の生き方をしっかり定めることができる。

・総合学習では、ねらい・内容を自分の学校でどう捉えるかをきちんと見定めることが重要。やはり探究型の学習でないと駄目。また、本物に学ぶことが大事で、京都では伝統文化・工芸などを生かしている。子どもは伝統工芸に携わる人のこだわりは何かをテーマにして探究していく。その中で、匠の言葉は子どもにストンと落ちる。人生観や考え方にも視野を広げて行く、ということをベースにして、京都市ではコミュニティスクールを立ち上げている。地域にこういう人が居るということも子どもたちに教えることもできる。世界に通用する力が重要だが、今の子どもは英語ができても日本のあり方を説明できない。自国の文化について話ができる能力が必要で、この点をもっと議論することが重要。

・学校教育はもっとビジョンを持ってやってほしい。中学校に職業体験学習をとあるが、ビジョンがない。ビジョンがないとただマックやファミレスで経験するだけになってしまう。

・実社会の普通の大人たちが学校に入って支えていくために「学校イエローページ」を作った。地域の人が何の職業なのかが書いてあり、地域と学校をつなぐ役割を果たしている。これからの先生はコーディネーターとしての役割も重要。

・先生方は仕事を明確に示すと前向きになってくると思う。

・地域の人たちが入るとき、学校はその授業の目的は何で、何をしたいのか、最低限説明するといった「段取り」的なものが必要になってくる。そこで先生自身が学んで、次回こうしましょうとなる。コーディネーター的な人が一番求められている。PDCAのパターン化も重要だと思う。

・地域の人が入って支援する仕組みを作らないといけない。コミュニティ部会にも学校で地域でこういう子どもたちを育てたいという理念を明確にし、伝えていくことが重要。「展望意識」がないと駄目。

グループとしてのまとめ

【現状の課題】

・中学校の先生には時間、設備、裁量のそれぞれについてゆとりがない。

・中学校教育が何のために行われ、そこで子どもたちのどのような力をはぐくもうとしているのかの共通認識が必ずしも明確ではない。

【今後検討すべきこと】

・教員数や設備の充実、学校や教員の裁量の拡大を図るとともに、教員が何でも自分で行おうとするのではなくコーディネーター的な役割も担うといった意識改革や「段取り」力をつけるといった質の向上も必要。

・地域、学校、子どもたちのそれぞれの段階で「熟議」が必要。特に、子どもたちに対して地域の力を活用した熟議型教育を行うことが必要。そのためには、熟議型の教育が、変化に対応できる市民・国民をはぐくむ上で、なぜどのように必要かといった理念や理解を明確化し共有する、学校や教師の「段取り」力を高める、コミュニティスクールやコミュニティ部会、「学校イエローページ」といった地域が連携協力する場や仕掛けを設けるなどの取組が必要。

グループ9

主な意見

【学校と地域・社会の関わりについて】

・  学校において学習する内容と、社会に出てから必要とされるスキルが異なる。

・  学校と地域の中間機関(保護者と教員の間のクッションとなる存在)が必要。

・  外部の人材を学校において活用するには、さまざまな課題がある。例えば、資金面の問題(ボランティアとしての協力が不可欠。)や、学校長や教育委員会の承認が得られない、会社員の場合は会社からの承認が得られない等の問題が多い。

【教員、学校の在り方について】

・  学校の教員は、部活動等による負担が大きい。いかにこれらの負担を減らすかが課題。

・  教員1人あたりの担当する生徒数が多い。1クラスは少人数であるべき。

・  子供の立場で考えると、1クラスは大人数のほうが、友達を選べるという点では良い。

【教育内容について】

・  ゆとり教育は、これからの社会において必要とされる人材(議論等ができる創造性、多様性のある人物)を育成するためには、必要だったのではないか。

・  ゆとり教育をうまく機能させられなかったのは、社会的基盤の整備が不十分であったことや、基礎教育の徹底不足が原因である。

・  これからの社会に求められる教育とは、どういうキャリアを歩んでいくのかを自らが決め、自立することができる人材の育成ではないか。つまり、職業教育の充実が必要。

グループとしてのまとめ

・  学校の中に、保護者やPTA等の集まりが可能となるコミュニティルーム等の設置を義務づけることができないか。学校の課題には、地域全体で取り組む必要がある。

・  学生や高齢者等が、学校で活躍できる仕組みの構築が必要。例えば、地域の学生が部活動の指導を行うことで、大学の単位になる等のインセンティブを用いることや、教員志望の者を積極的に受け入れる等の工夫や方策が有効ではないか。

・  1クラスの適正な人数については、教える教育内容や、状況・地域性に応じて異なるため、柔軟なクラス編成を可能とするべき。

・  職業に関する授業においては、企業に勤めている者等が教えることで実践的な職業教育が可能となるなど、企業や社会が求める人材に対する教育を、外部の人材が担う必要。これにより、教員の負担の軽減と併せて、教育内容の充実が可能となる。

お問合せ先

生涯学習政策局政策課