これからの博物館の在り方に関する検討協力者会議(第14回)議事録

1.日時

平成19年9月11日(火曜日)9時30分〜12時

2.場所

三菱ビル 地下1階 M1会議室

3.出席者

(委員)

中川委員、水嶋委員、鷹野委員、高安委員、佐々木(秀)委員、名児耶委員、榎本委員、小林委員、佐々木(亨)委員、菅原委員

(事務局)

関口大臣官房審議官、平林社会教育課長、栗原地域活動推進室長、関根美術学芸課美術館・歴史博物館室長、神保美術館・歴史博物館室長補佐 他関係官

4.議事概要

(1)新委員の紹介等について

 冒頭に関口審議官より挨拶した後、前回会議以降新たに就任した榎本、小林、菅原委員及び事務局交代の紹介及び挨拶があった。

(2)協力者会議等におけるこれまでの検討経過について及び今後の協力者会議等における検討の方向性について

1事務局より、資料1〜3について説明を行い、これまでの検討経過及び今後の方向性について意見交換が行われた。委員の主な意見は下記のとおり。

  •  中央教育審議会生涯学習分科会の制度問題小委員会の議論を見ると、法改正をして意味があるのかとネガティブに考える方と、ぜひやるべきだというポジティブな方の両方がる。意見の集約に向けて、この協力者会議で法改正について強いメッセージを発することが大事なのではないか。
  •  制度問題小委員会の議事概要を見る限り、我々が今まで協力者会議で検討してきたことは同じように出ている。ただ、我々が検討の中であまり重要視していなかった部分に触れている。一つは、改正教育基本法との関連について、我々は深く検討の内容として入れていなかったが、新しい博物館法をつくる上では不可欠の要素であること。
     もう一つは、社会教育施設として公民館、図書館、博物館という3つの部門がはっきりうたわれ、しかも、この検討の中で、その3つを関連させながら検討していかないと、本当の博物館は見えてこないという我々協力者会議で従来あまり議論してこなかった点である。今後、我々はこの協力者会議をどういう方向で持っていくか、そのことを考えるに当たって、制度問題小委員会における討議は非常に重要である。

2続いて新委員より報告書に対する意見・感想等を発表した。その主な内容は以下のとおり。

  •  博物館法と図書館法を比べてみると、図書館法に比べて、博物館法の根幹のところが少し腰が弱い感じがする。例えば有料、無料の問題にしても、図書館とは在り方が異なっている。そういった中で費用対効果や指定管理者の問題が出てきているという感じを持っている。最初の根幹になる規定みたいなものというところを、明確にしておく必要がある。具体的には、博物館の根幹部分を、研究に置くべきではないかと思う。博物館は研究機関という考え方が根幹に必要である。
     学芸員制度については、博物館で実習を受け入れることは大変だが、将来の協力者、理解者、サポーターを養成するつもりでやっており、今後は特に理解者から一歩出てボランティアとしての活動が期待されるので、重要な意味がある。
     学芸員になることができる資格という本来の意味と学芸員資格という名称が誤解を与えている気がしている。これについては、資格取得者を学芸員補としたら誤解を解けるのではないか。実際に働いている人間だけを学芸員と位置づければよいと思う。これは登録審査の際も明確になる。
     最後に、登録等の審査・認定業務については、現在教育委員会で今行っている事務はあまりよくないと感じている。日博協ないしは県博協が委託される形で、登録等の仕事を行うべきではないか。日博協と文科省なり文化庁なりとの関係を、法のもとでもう一度考え、県博協と県の教育委員会との関係をもう一度規定し直して、登録機関、認定機関として機能するように整備すべきではないか。
  •  今の博物館の現状について地域の資源が集中しているにもかかわらず、それが何となく十分に生かされていないような印象を強く持っている。今も話があったが、研究に裏打ちされた活動をするというのは当然である。博物館法では「学術」が目的に入っていて、図書館法では入っていない。そのことから博物館は、学術と教育普及が非常に大きな目的になっているはずであるが、そのバランスがよくとれていないのではないかという印象を持っている。文化施設から見れば、博物館は、非常に制度が整えられているように見える。文化施設も、実は研究があって初めてさまざまな舞台芸術の公演が行えるものだが、そういう視点が全く抜けている中で、むしろ博物館は最低限の基本的な制度は整っているように見える。ただ、それが本来の目的に沿って機能していないことが問題だと考えている。博物館法で本来目的にしてきたことが達成されてきたのかどうかについて、改めて検証することが大事である。
     次に登録制度についてである。登録制度のメリットが見えないので、今後どういう登録制度にしていくのか、よりよい登録制度の在り方を検討していくと思うが、登録してこなかったところが何で登録してこなかったのかをもう少し考えてもいいのではないか。
     以前は補助金等があり、それがある種有効に働いてきたという面があっても、現在そのようなものがないのであれば、廃止してもいいのではないかという意見もある。しかし、旭山動物園の小菅園長と話す機会があった時、登録制度があることによって、様々な運営面での可能性が広がるのだということを話していた。博物館がより良い活動をするために、今様々な問題をはらんでいるとしたら、それが解消できるような登録制度にしていくと意味があるのではないかと思う。登録審査を実施する主体については、必ずしも国や自治体が行わなくてもいいのではないかと思うし、登録した後の更新の必要性も感じる。中教審の検討でも言われているが、登録制度は質の保証をする「マル適マーク」といったものでよいのではないか。
     最後に学芸員の資格の問題だが、高度化するにしても何のため、誰のためにするのかということである。国家資格を単純に上級学芸員とか、高度化するというより、学芸員の大学での取得方法というのは今のままでも良いのではないかとも思う。海外のように優れた学芸員が博士号を持つような制度を準備することでもよいのではないかと思う。博物館が社会で経験を積んだ人が研究を深めていくような場として活用されてもよいのではないか。
  •  問題点としては、登録制度と学芸員の養成の2つ大きな柱があると思われる。
     1980年代に様々な美術館が設置されてきた時代に、いろいろと現場を取材したことがあったが、博物館の制度というと登録にしても学芸員についても機能していなかったという印象を持っている。これは、法律で規制されるようなことに対する拒否感のような時代的な背景もあったと思う。
     最近は若い世代に現場が移ってきている中で、話を聞くと非常に考え方や感じ方が変わってきている。教育普及部門というのは、かつてのような日陰の仕事でなく、市民と館を結びつけることで、生き生きとやっている。その理由の一つには女性スタッフがかなり増えていることである。教育普及を熱心にやっているのは女性が多い。一方、「対話と連携」の博物館というような構想を打ち出したのは、あまり普及ばかりだと研究活動がおろそかになるという意識も多分にあると思う。研究と教育普及のバランス、博物館の内側の問題と、自分たちの活動をどのように社会にリンクさせていくという外への視点のバランスが求められてくる。認証制度にせよ、登録制度にせよ、実質的なメリットというものがあれば、ある程度スムーズに動き出すのではないかという感じはする。
     学芸員制度については、現状の大学で資格を与えるというやり方は悪くないと思う。確かに歴史なり博物なりについてのファンを広げていくという意味では、大学教育が悪いわけではない。しかしそれを取得したからといって、実際の博物館、美術館に採用されるときの「資格」にはなっていない。学芸員資格にどれだけ実質を持たせることができるのかが重要である。
     もう一点は、独立行政法人や、学芸員の上級資格の問題とか、新しい問題が今出てきていると思うので、制度的にどう扱っていくのか、ここが大きな問題になると思う。独法化の問題も、まだ落ちついておらず、非常に揺れているようなところがある。そこのところを博物館法なりでどのようにすくい上げていくかという問題も一つ大切なポイントかと感じた。
  •  登録制度について、報告書の「新しい博物館登録制度の意義とは」というところで、「博物館の公益性の認識と望ましい博物館像を共有し」という部分がある。現時点の社会の中で、この点が非常に希薄であり、これを目指していくという意義は非常に大きい。しかし、個々の博物館に応じたきめ細かな審査、それは審査主体のレベルアップということになるが、それを行う第三者的な専門機関が本当にあるのか、あるいはつくるのかというところが非常に心配である。
     登録のメリットについては、報告書の中にも書かれているが、税制のように、人とお金の問題を解決するものでないと、メリットとは言い難いと感じた。
     認定する第三者機関については、日本博物館協会を想定しているが、今のような経営形態ではとても無理だと思う。外形的な基準から使命や計画といった内容面に関する審査を行うのであれば、人員的にもしっかりチェックできる体制をつくらなければならない。もちろん今でも色々な人が協力をしているが、委員として会議に出席するのとは違うと思う。
     もう一つ、登録制度の設置主体の限定を撤廃するというのも、いろいろな抵抗があると思う。しかし、博物館はそれぞれの地域で、社会教育的な意味合いが強いところもあれば、観光とか、それぞれ設置者の思惑なり意味合いがあるから、そういうのを包括できるような枠組みに拡張することが現実的である。そこをあえて社会教育施設だけに限定するとなれば、かえって、日本全体の博物館と名のつく施設のレベルアップを図るという、そもそもの我々が考えている意図とはどんどん離れてしまう気がするので、やはり枠組みは拡張する必要があると思う。
     もう一点、学芸員資格については、実習を見ても受入側と受講側双方に問題が生じている。博物館法はそもそも博物館自身をよくするための法律だという原点に立ち返ると、今の養成の在り方は少しおかしいのではないかと考えるようになった。今のように年間1万人も出しているというやり方自身が、もう少し考え直したほうが良い。その中で、幾つか道筋として、東大や北大など総合博物館がある大学では、学芸員資格を既に取得している大学院生を対象に、もっと実践的な、しかもそれを大学院の単位として出せるような、実務経験もそれなりに積んでいけるような道筋ももっと検討する余地があると思われる。養成課程の変更について、一部いろいろ反対意見があると聞いたが、これは養成している大学のためにある法律ではなくて、博物館のためにある法律だということを、もう一回原点に立ち返って、議論してしかるべきではないか。

3新委員の意見と、中教審生涯学習分科会制度問題小委員会の中で検討されたものを踏まえて、今後、協力者会議の議論の方向性について討議を行った。委員の意見は下記のとおり。

  •  おそらくこれから第2ラウンドのような感じになり、加えて現実の制約も出てくる。法制化していく上でのほかのこととの整合性や、これを取り巻くいろいろな関係諸団体、機関等があるので、そことどう調整して、法として効果を発揮するかということになる。そのときに、当初描いていたもの、これを目指していこうというところとの妥協点もたくさん出てくると思うが、その見極めをしっかりしておかないと、中途半端なものになりかねない。
     具体例としては、学芸員の養成における実習について単位数を拡充という話があるが、現実的には大学も博物館の現場でも体制が悪くなっているという現状がある。そのような状態で制度を変えても、かえって空洞化してしまうことは、よく気を付けなくてはならない。
     上級学芸員についても、確かに大学でも今、職業人をもう一度スキルアップして養成していこうという流れもある。学芸員養成は大学院ではなじまないという思い込みがあるが、そうでない動きも出てきていて、高度な専門職を養成するという課題もあるので、実務に即した博士号や修士号取得者は、報告書でいう上級学芸員とさほど違いがないのではないか。我々だけで考えるのではなくて、連携できるものはフルに活用して、現実的に第三者機関の業務から落としていくというような配慮も必要なのではないか。
  •  今後やらなくてはいけないことは、各委員から指摘のあるとおり、メリットをどうするのかということである。メリットも踏まえて、これから具体的な方策を考える場になる。原点に立ってみると、博物館法というのは、博物館をよくするためだけではない。博物館をよくするためということは、我々の生活、社会がよくなることだという大きなメリットになるはずなので、単に博物館や社会教育施設の利益だけではないということを、もう一回念頭に置いて考えていきたい。
  •  これからの進め方について話さなければいけないが、その前に、今回の博物館制度の検討のかぎを握るのは、文部科学省から委託している日本博物館協会の第三者機関の在り方検討委員会の検討結果であり、これにかなり大きな作用を受けるのではないかと推測する。この協力者会議の役割は、強いメッセージを送ることしかできないと思う。そのことをシミュレーションすることが重要ではないか。第三者機関には最低6名ぐらいは専門家を派遣することが必要だと見ている。今回の検討協力者会議でも、法律が改正されて以降の滑り出し、運用等のシミュレーションもできればやったほうがよい。
     もう一つ、専門性については何のために高度化するのか疑問であるというのがあった。確かにそういう意見はあるが、今こそプロフェッショナリズムだけでなく、今までのようにファンはつくらなければいけないし、ボランティアのレベルアップもしてほしい。現状の役割は今後も必要であると思う。
     先日、ウィーンで開催されたICOM大会に出席した。今回思ったのは、世界の様子がかなり変わっている。決議案の中に、博物館関係者やスタッフが国際的なハイアースタンダードを目指すべきだというのが出ている。この背景はいろいろあって、例えば文化財の不法輸出入の問題であるとか、あるいは、国際的な展覧会が非常に多いから、資料を貸し出したときに、国によって専門家のレベルが違うから、資料を扱う人たちは、同じレベルにならなければいけない、なってもらわなければ困ると、ICOMはそのような強いメッセージを出している。
     このような世界状況の中で、日本だけ採用できないからよいとか、現状を言っても変わらないからよいということは、世界から孤立し、鎖国状態であるに等しい。だから、上級という、資格の名称はともかくとしても、プロフェッショナリズムを持った世界に戦えるぐらいの学芸員をしっかりと養成しておかなければならない。そうしないと、世界に取り残されるのではないか。
     もう一つ、国際委員会では、インテレクチュアルプロパティー(著作権)の問題が大きく取り上げられていた。これはウェブに載せたり、写真に撮る、貸し出すなど、図録の情報をどうするかという学術条項も含めて、博物館や国によって違っている。日本はどうするのかというようなことを、しっかり国として考えなければならないし、専門家集団としての博物館界の中で、きちっと議論しておかなければならない。それを、大学でもきちっと学芸員になろうとしている人に対して、あるいは現職学芸員の再教育という意味でも、やらなければいけないと思う。
     ICOM大会に出て、かなりショックを受けてきたわけであるが、そういう意味では、登録審査の中にも今申し上げたような基準を入れておかないと、レベルアップにはつながらないと思う。やはり国がやる以上は、底上げをするような振興策をどこかで設けておかないといけないのではないか。博物館界も意識していかなければならない。
  •  本来博物館はどうあるべきかという議論は大変興味あるテーマだが、そちらを念頭に置きながら、制度設計はどのようにあるべきかということを今、議論するべきではないか。
     この報告書を出してわずか3カ月だが、他の仕事で関わっているところで聞くと、博物館といえどもグローバル化への対応というのが非常に求められているのを感じる。博物館にもやはり普遍性はあるのかということに答えるべきではないか。19世紀、20世紀型の博物館はどうあったかというのは、今まで博物館研究でいろいろやってきたが、明らかにこれからは違った博物館の在り方や普遍性を求めるべきではないか。
     次に、科学もほんとうは歴史があるが、将来に向けて何か創造するという印象があるので、ぜひ博物館の位置づけのところに「科学」という言葉を入れてもらいたい。
     それから、博物館がやっている活動を、資料収集・調査研究と展示活動以外のことを「教育普及活動」というように博物館法でも書いてあるが、もう少し幅広い活動も当然行い得るので、公共サービス的な活動を行うということを博物館法にも取り入れたらどうか。既にイギリスでは、「共通の富」の提供ということを言っているが、「共通の富」という言葉の中身は一体どのようなものか。それも日本独自に考えてもよい時代ではないか。
     そして、学芸員の資格認定制度、養成制度を検討することになっているが、現在の科目編成を見るとやはり範囲が狭いと感じる。もう一度、学芸員の専門性は何かということをしっかり考えて、コアになるものは何かということも考えるべきではないか。共通の理念と基本構造を明確にして、学芸員のあるべき科目編成というのを考えるべきではないか。
     登録制度に関して、博物館の範囲を決めることなので、登録してメリットがある、ないということももちろんあるが、範囲はどこまでかということは登録制度の中でぜひとも決めるべきである。そのためには、これまでの延長上ではなく、先程から話に出ている開かれた第三者機関が、博物館の普遍性などに配慮しつつ、新しい登録制度の基準などを設けるべきではないか。他の資格では、法令遵守と責任ということが当然一体となっているから、博物館及びそこに属する学芸員の責任というものも当然考えた上での資格制度等を考えるべきではないか。
  •  登録制度の問題から、第三者機関が非常に重要になり、規模的には6名よりももっと必要になると感じている。学芸員養成もそうだが、博物館側と大学側の協力は絶対必要であるし、今度、登録制度になってくると、登録するには現場のいろいろな博物館が、ある程度の義務を負い、犠牲を払うという時期に来ているのかと思う。
     いろいろな会議で学芸員と会って話しをすると、あまり認識が変わっていない人達が多いが、先程のような話をするとそうだなと理解する人も多い。しかし結局、そういうのは犠牲的な精神がなければできないようなニュアンスで学芸員はとらえているが、大学でも現場でも、やはり努力もしなければいけない時期に来ていると思う。今、ICOMの話を聞いて、世界的な動きからいっても重要なことだと思った。
     第三者機関というのは、博物館、美術館の多大な協力なしにはできないと思うが、同時に、やはり国のバックアップがなければ、まず不可能だと思う。時間とお金の裏づけなどで、どうするかがこれから重要かと思う。
     もう一つ、先程の話にも出ているが、登録制度を決めていくことについて博物館がどういう範囲なのかという問題がある。メリットがなければという考え方もあるが、共通に守らなければいけない義務のようなものがなければ社会教育施設と言えないという、一つの基準があると思う。それを見つけ出して、ある最低のレベル、ここまではというレベルを守らなければいけない約束事というのは、メリットがあるなしではなくて、やらなければいけないことである。
     設置主体がどこであれ、守るべきことというのは、最低限のものを出し、やるべきだろう。博物館法が何のためにあるかといったら、博物館の維持活動のためもあるが、市民のため、国民のためであって、それらが最低限の約束を果たしながら向上し、国民のためになる施設であるとすれば、最低やるべきことは、決まってくるような気がする。それを検討する必要がある。
     それからもう一つは、学芸員の問題であるが、日本の学芸員像とは一体何だという観点から、まとめて一度も話をしていない。つまり日本で言う博物館の学芸員、美術館の学芸員は何をすべきという立場から見ていない。上級の館長職のためにこういうものを勉強しようとか、技術を勉強しようとか、日本での学芸員は一体何をすべきであるかという目で見ると、大学では何を教えるべきか、美術館、博物館では何をすべきかということが明らかになる。それが、これからの学芸員像である。国によって資料の取扱に技術的な差が多くあるというが、私はメトロポリタン美術館など古美術関係の展覧会にかかわっているが、圧倒的に物の扱いとか荷づくりでは日本は進んでいると思う。非常に安全を考えた技術がある。アメリカはそれぞれ役目が決まっていて、分かれ過ぎていて非常に不自由だと思う。圧倒的に日本のほうがすぐれているなと思う部分もある。日本的な古美術を扱うには、日本にしかできないものもあるし、もっと主張してもよい面もある。経験を積むということもあるけれども、博物館実習では、その辺を重要視することが必要である。そういうことを含めて、日本の学芸員とはどういうものなのかということを、もう一回改めて整理することが必要ではないか。メリットだけでなくて、やるべきことと学芸員像という見方を少し変えて考えると、やるべきことが出てくるのではないか。
  •  いわゆるグローバル化にこたえて、学芸員像も普遍性を求めなくてはならないということは当然のことだと思うが、かつて、80年代の学芸員たちが海外のいわゆる上級学芸員、コンセルバトワールという人達に比べて、非常に自分たちの身分が低いものであるということを卑下しているような実態があった。現場が国際レベルになっていくというのは、やはり今の時期、非常に必要だと感じた。
     議論としては、そちらのほうで進めていくだけでなく、コンセルバトワールという人たちの実態も、ほんとうは知らないといけない。実態を見ずに日本が劣等、そういう面で落ちるというような視点が非常に強かったように思われる。何かというと海外を持ってきて、比較して、何か足りないという感じでやってきた。そういう意味では、グローバリゼーションというスマートな言葉が出てきたので、それに対応して、日本も国際的な水準を目指さなくてはならない。非常にすっきりした言い方になるのではないか。
  •  メリットのところで、このメリットは不十分ではないかと言ったが、もっと別のメリットの出し方、要するに定量的な数だけでははかれない世界に我々博物館というのはあるので、そこのもっと深いところを、メリットを気づかせるような出し方というのは確かにある。それが本来的な一つのメリットで、もちろんそれに付随して、経済的、人的のようなメリットがあるのはよいが、やはり順序が逆なのではないか。
  •  最近の事項で、ある博物館が登録申請をしたが却下されたということがあった。それで、却下されたのはなぜだということで、裁判に訴えたが、審査した役所の言うとおりだということになった。それに対して、納得できないから控訴していると聞いている。
     先ほどから、メリットもないような登録制度は意味がないのではないかという考え方と、登録によって社会的な認知が得られて、それはとても拠りどころになるのだという考え方が、博物館人の中にもあるし、一般の中にもあるということも踏まえておかなければいけない。輸送費が無料になるとか、税制上非常によいとか、それはもちろん現実的なメリットであるけれども、博物館人あるいは一般の人が博物館に持つイメージというものの中に、やはり登録されていることの意義というのは、目には見えないけれども存在する。
     そういうことに対して、例えば評価をする、基準を定めるということに対して、これは非常に大きな問題で難しいと言ったが、確かにそのとおりで、現実の場で登録申請を考えている人たちにとっては、これは実に大きな問題である。制度の問題だが、心、想いの問題でもあるというところがあるのではないか。
  •  今のメリットというのは私立博物館の優遇措置だけである。今回の法律改正においてもそれは死守しなければいけない。ただ、もう国は頼りにしているような時代ではない。メリットを言っているほうが、業界人として、博物館界に身を置いた人間としては、時代遅れで、アメリカのようにハイアースタンダードで、いいところを認定していくような方針をとるのか、イギリスのようなミニマムなスタンダードで、徐々に底上げしていこうというような、大きな選択を迫られるのではないか。私はどちらかというと、日本の体質や文化的な背景も考えると、政策的にミニマムスタンダードという形で、じっくり時間をかけてやるほうがいいのではないか。
     イギリスへ行ったときに、登録をすることによってドキュメンテーションプランというのが、今まで何もなかったが、78パーセントの博物館が持っているそうである。それから、ドキュメンテーションに関するマニュアルをつくったというのが65パーセント、リスクマネジメントだが、エマージェンシープランをつくったのは73パーセント、セキュリティーの改善に貢献したというのが54パーセントである。だから、そういう目に見える形というのは、きょうあすの話ではないが、1年後、2年後、3年後にこういうふうになる、そのハードルをどうやって作るかである。イギリスでは、コード・オブ・エシックスという倫理規定を基準に、徐々にやっていった。アメリカでも、1970年代に倫理規定からスタートしている。自主基準という言い方がいいのか、業界で自分たちのプロフェッショナリズムでつくっていくのかというのは、日本では難しいかもしれないが、最初の部分はある程度、国がリードして関係団体に議論、意見するのも大事である。この辺の意見集約もして、博物館界あるいは場合によっては図書館の人たちとも議論を含めて、そういう機会を国あるいはこの協力者会議でそういうような呼びかけをするぐらいのアピールとか、宣言というか、その辺も考えて良いのではないか。
  •  登録制度の問題だが、我々協力者会議としては、守るべき拠りどころは今回しっかりと決めることが必要である。加えて、それを取ることでメリットが一つでも多くなれば、それはよいという話になるが、メリット論に対しては、まず、拠り所をしっかりとしていくべきである。メリット論を言うのは、その次の話である。
     市町村立の小さい歴史系博物館や、郷土館等、学芸員の人たちとこの話題について話す機会があったが、メリットは欲しいが、それよりもそれも法的なものに裏づけられた拠りどころが必要だと言っていた。理由としては、設置者が意外と博物館の仕事を理解していないということと、利用者に対しては自分たちが、この拠り所にもとに、皆さんに貢献しているという一本筋が通ったものが、やはり必要だと言っている。そこはメリットだけを主張するようなものではない、志の高い世界である。
     それに対して、例えばこういうことを実現すべきだ、資料整理が追いつかない、ドキュメンテーションプランがない、ひいては市民を味方につけてということ等の拠り所になる。そういう機能は、現場にも切実なニーズがあるのではないか。すぐにメリット論を言う人はたくさんいるけれども、まずは拠り所である。ただ、メリットを一つでも多くするというのは、忘れてはならない。
  •  今までの我々の議論の中で出てこなかったもの、それは、先ほどの制度問題検討会の中で出てきたもの、他の社会教育施設である図書館、公民館などの同じ社会教育施設である他の全国団体等に対して、私たちは議論をすることがなかった。これについては、博物館法の改正が主目的であるが、さらに言うならば、新しくなった教育基本法、それによって改定された社会教育法、それによってくくられる社会教育というものの位置づけというか、それに対して私たちがどう対処すべきかというのも、実は非常に重要なテーマではないかと思うので、今後の検討の中では、十分にこれも踏まえなければいけないのではないか。
     先日、日本図書館協会の会長と会う機会があったが、今まで強い連携がなかったことのほうが不思議で、今後これについても何らかの機会を持ちながら、意見交換する場を設けたほうがよいのではないか。
     それから、今、我々は学芸員だけをやっているけれども、例えば司書にしても、社会教育指導主事にしても、一つの目的に向かって教育をしているから、これらについても意見交換があってもよいのではないか。その点で、今までの延長線上にあるものと、もう一つ、広く社会教育ととらえた検討の場があってもよいのではないか。
     先ほど、この表の中で、関係学会・団体等における議論・意見というのも重要だと言われたが、そこのところを少し強化していく必要もあるのではないかと思う。
  •  先週、日本社会教育学会の大会があり、公民館、図書館、博物館の関係者がそれぞれが出てシンポジウムをした。そこでの結論は、近い組織なのに今まで議論がなかった、すごく遠い距離を感じたというのが、社会教育の関係者の感想だった。あちらでもその必要性を当然だけれども非常に強く感じ始めている、という状況であった。

4学芸員の養成に関するワーキンググループにおける検討課題に関して、資料の方向性について承された。その時出された意見は以下のとおり。

  •  実習の扱いについては、慎重に取り扱う必要があると思う。今回、所属している財団で現場に近い職員とインターン制度を構築する議論を続けていた。そこで出る意見というのは、やはり実習をどうにかしようということ。学生の質も下がっている。今までは、サポーター養成ということで、カリキュラムも一週間なり10日なりのものをつくって、学芸員が一人専属でついて、いろいろな部署を回って、それぞれの部署の協力を得てやっているという姿があったが、ほかの業務が加わってきて、劣化しているというのが事実である。それでは社会貢献を果たせないので、実際に合った形として、インターン制度をしっかりと財団として整備した。利用者なり理解者を養成するという機能を含め、今回の改正で一番目指すべきは何なのかという優先順位をはっきりさせ、それに付随して、こういう効果もあるという筋道をしっかりした上で詳細検討してほしい。まず主眼に置くべきは、やはり学芸員養成だと思う。

5ワーキンググループの会議についての公開について確認を行い、公開することで了承された。

 その後、資料8の予算に関する説明があり、今後のワーキンググループの日程についての説明があり、了承され、散会となった。

(以上)

(生涯学習政策局社会教育課)