主権者教育推進会議(第16回) 議事録

1.日時

令和2年12月23日(水曜日)

2.場所

文部科学省(旧文部省庁舎6階) 第二講堂

3.議事録

【篠原座長】 定刻となりましたので、ただいまから第16回主権者教育推進会議を開催いたします。本日の会議は、小原委員、近藤委員、清水委員、松川委員が御欠席となっております。よって、11人中7名の委員の御出席となります。御多忙の中、御参加いただき、ありがとうございます。また、本会議につきましては、報道関係者より会議の撮影及び録音の申出があり、これを許可しておりますので、御承知おきください。
 それでは、本日の配付資料について、事務局から説明と確認をお願いいたします。
【石田学校教育官】 はい、よろしくお願いいたします。資料の確認を申し上げます。お手元の議事次第を御確認いただければと思います。
 本日は、前回に引き続きまして、政治的中立性の担保の方策、教員研修の在り方につきまして、3名の方からヒアリングをいただき、それを踏まえて御議論を頂戴したいと考えてございます。資料1、川瀬校長、資料2、田村先生、資料3、越智理事長の発表資料をそれぞれお配りしてございます。また、机上には、本日御発表いただく川瀬校長の発表の関係資料並びに、先般おまとめいただきました中間報告に関する新聞報道等たくさんございましたので、そちらの記事をコピーしたもの、並びに主権者教育推進会議のこれまでの会議資料をお配りしております。不足等ございましたら、事務局にお申し付けください。
 以上でございます。
【篠原座長】 よろしいですか。資料の方は皆さんありますよね。大丈夫ですね。
 それでは、議事に入ります。本日は、事務局からもありましたとおり、政治的中立性の担保の方策、それから、教員研修の在り方について、前回に引き続きヒアリングと意見交換を行いたいと思います。今回は3名の方に御発表をお願いしております。
初めに、札幌市立北翔養護学校の校長で北海道高等学校政治経済研究会会長の川瀬先生から御発表をいただきます。遠方からお越しいただいて、ありがとうございました。よろしくお願いいたします。
【川瀬校長】 北海道から参りました川瀬と申します。全道の仲間がこれまで積み重ねてきた実践の一端を報告させていただければと思います。
 まずタイトルですけれども、「公立高等学校における『政治的中立性』担保の方策と、教員の研修の在り方について」ということで報告をさせていただきます。中間報告の中の今後の検討課題に4点挙がっている中での2番目、3番目、教員の研修の在り方、教育現場における政治的中立性の担保の方策ということで実践報告をというお話を頂戴いたしました。
 本日の報告の柱は3点設定させていただいております。1点目は、政治的中立性をめぐる状況並びにそれを見るときの提言についての報告。その中から、学習者、学びの主体である生徒の力量形成と教師自身の授業改善、これが大事ではないかという点。2点目は、具体的な実践事例。ただし、ただ実践を報告するのではなく、その中のポイントを報告させていただければと思います。最後、3点目、教員の研修の在り方について実際に現場としてどのような取組を進めているのか、また、これから進めていきたいと考えているのか。この3点を本日は報告させていただきます。
 まず、1点目の政治的中立性を巡る状況と関連の「提言」~「学び」の主体として、学習者である生徒の力量形成と「授業改善」~という点についてです。確かに、政治的中立性の要求は様々にあります。現場としては、正直なところ、研究会で行ったアンケート結果その他からも、不安に感じる部分があるんだと、いろいろ、萎縮という言葉が時々出てくるんですけれども、その不安を何とか払拭していきたいんだという声が挙がっております。
 これは文部科学省から頂戴したデータです。研究会のアンケートの中でも、政治的中立性を過度に意識し実施を控える傾向、つまり、「何をなすべきか」というよりは、「何をすべきではないか」、「何をしてはいけないのか」というところをふと考えてしまうときがあるんだという声があります。教育現場のこういった不安を払拭していくこと、これは教育を前に進めていく上では非常に大事なことだろうと考えています。
 具体的にどんな不安があるのか。よく言われるのが3点あります。「教師が問題をどう取り上げるか、どんな問題を取り上げるのか」、「生徒に提示する資料をどうやって選んだのか」、また、「その資料をどう提示したのか、提示の在り方は適切なのか、公平なのか、公正なのか」。この辺りが問われるということで、不安に感じるという声があります。
 そんな中で、実は仲間といろいろな資料を読み込んだ中で、2017年に日本学術会議からこんな提言が出されておりました。「高等学校新設科目『公共』に向けて~政治学からの提言」というもので、ちょうど政治的中立性について語られている、提言されている内容がそこにありました。仲間とそれを読み込んだときに、ここにスライドに出ている部分、ちょっとエッセンスを抜き出していますが、こんな1節がありました。
 教育現場における中立性は、教師が提供する授業内容、方法の信頼性を高めることによって確保される。生徒に対して、生徒が先入観から解き放たれるようにし、対象と距離を取って、自分なりの意見や判断を持つことの意義を理解させるんだと。そして、明日に向かって可塑的に、変わり得るんだよというふうなこと。さらには、高校生は、小学校、中学校でいろいろな学びをしてきています。自分の中でいろいろな学びを積み重ねてきているんですけれども、その学びをもう一回見直しをするという場面が高校における段階かなと。これまでの生徒が培ってきたというか、身に付けてきた先入観といったようなものから一旦解き放たれて、目の前の課題、対象との距離をきちんと取りながら、新たに自分なりの意見を、又は考え、判断する根拠を獲得していくことが大事なんだと。そういう学びを働き掛けていくことが教育現場の信頼性を高めるというようなことではないかという御提言がありました。
 そういったものを受けて、先ほど、教育現場の不安を払拭していきたいとお話ししましたが、何とか子供たちの学びを前に進めていきたい。主権者教育を活性化する鍵はどこなんだといったときに、子供たちにどんな力を付けるのかという視点からミッション、ゴール、ターゲットをきちんと見直す。そして我々は現場で何をするのか、授業です。授業改善にどうそれを生かして形にしていくのか。そういったことが研究会の中で共有されています。ここにお示ししたように、大きな柱としては、生徒の力量形成と授業改善といった辺りに真摯に取り組んでいくということが、信頼を高める、信頼をより深く広げていくことなのかということで確認をしてきたところです。
 具体的に、では、どんなことを、どんな力を、どういう授業改善をしているのかといった辺り、御報告をしたいところではありますが、頂戴した時間は15分弱ということで、エッセンスを御報告させていただければと思います。
 主権者教育の目標、目的をいろいろ整理していく中で、この4点の力を生徒に付けていって授業を作り上げていければというようなことを我々の中で整理をさせていただきました。もちろん表現はいろいろありますのでこれが全てではないですけれども、1点目は、いろいろなやり取り、複数の他者の集団の中でのいろいろな質問のやり取りの中で、課題や論点を整理できる力を付けようと。そして、議論を深めながら、合意を形成する力を付けようと。その課題をどうやって解決していくのか。具体的な方策を工夫しながら、行動できる、実践できる、何か自分たちのアクションに結び付ける力。そして、そういった他者のいろいろな取組をお互いに共感を持って力を合わせられる、そういう力を付けていこうと。
 主権者教育の整理の中で、2つの柱があるとよく言われております。社会とのつながりの中で発揮できる力を付けるんだということ。もう一つは、持続的に継続的に発揮できる力を付けるんだと。打ち上げ花火じゃなくて、続けて、日常的な中にすり込んでいくような力を付けるんだと、そう指摘されております。
 お手元の資料を見ていただければと思うんですが、先ほど挙げた4つの、学びの主体としての子供たちに付けていきたい力を実際に授業のポイントの中でどんなふうに落とし込んでいくかということをいろいろ整理していって、これに基づく授業実践を蓄積してきています。北海道全道各地、抱える事情、状況、生徒の実態はいろいろなんですけれども、その中で、これらのエッセンス、ポイントを踏まえた授業実践をして、指導案集、実践事例集等で交流しております。赤で書いたところは、後ほどポイントでより深く御説明させていただければと思います。
 1点目、2点目です。特に持続的、継続的ということなんですけれども、やはり学び続ける力を付けていくというのがこの4つの授業改善のポイントを受けての事柄です。実際どんな授業をやってきたかということをお見せしたいと思います。
 学び続けるといったときに、こんな言葉を覚えています。「社会科は暗記教科だよね」と私、初任のときにある生徒から言われたことがあるんですけれども、大きなショックを得て、実はがくっときたんですけれども、「それは違うぞ」と。暗記する、覚えるだけじゃなくて、考える授業なんだよね、いろいろな疑問を持ったことを解決するために知恵を出し合う力を付ける教科なんだよねということを言い続けてきました。整理すると、TeachingからLearningというふうなことなのかなと。そして、学び続ける力を何とか付けるために、「どうなんだろう」といろいろな角度から物事を見る、そういう視点を付けるとかということをやっていきます。
 実際にどういう授業プランでやるとそれができたかということです。この会議でNIEの報告などもあったということをお聞きしておりますが、自分も新聞を資料、教材として使いながら、まずはニュースレポートをして、生徒たちがいろいろな社会的な課題、問題点を抽出してきます。それを議論しながら、グループの中で争点に切り替えていきます。争点を知った上で、じゃ、それに対する対策、解決策又は政策的な形は何だろうと、模擬的に、疑似的にそれをレポートさせる。
 40人学級の中で5人から7人のグループを作らせて、これが1つの政党みたいなもので、そのグループが争点に対する政策を公約というふうな形で提示をし、最終的にそれを発表した後に、ポストイットでその公約に投票するんですね、40人が40票、それぞれ1人1票ずつ持って。ぱっと終わったときに、その公約のところにポストイットがたくさん貼っているものと、ほとんど貼ってないものがあるんですけれども、一目瞭然です。子供たちは非常に公平・公正だと思います。自分のところに貼るのかなと思ったら、いいなと思う人のところに貼るんです。自分以外のグループのところに貼ることがあります。これはもう授業をやってみてダイナミックに分かることなんですけれども、こういう学びのプロセスを展開しました。これはいろいろ、追試という形で、自分が提案したものを全道のあちこちの先生方がやってくれております。
 もう一つ、これ、ちょっと観点が違うんですけれども、立場を変えて多角的にいろいろなものを考えるというときに、何を子供たちに迫っていかなければいけないか、提示していかなければいけないかというと、ポジション、位置付けの見方、考え方を身に付けさせることがすごく大事だなと経験的に思っております。水の中にドボーンと入って溺れかかったときは、右も左も上も下も分からなくなってしまうんです。そうすると、自分の次の行動が取れなくなる。
 そうじゃなくて、例えばマトリックスの対立軸を2つ組み合わせるとか、三次元で組み合わせる。図がそこのところに出ておりますが、ああいうふうにポジションをとれる軸を作って設定して、その中に今、その意見はどこにあるのか。そして、いろいろな状況の変化、実態の変化によってどういうふうにシフトするのか、シフトさせるところをみんな意図するのかというような議論をさせる。いろいろなものを批判的に検討して吟味していくプロセスの中で、位置付けを、まずポジションを見極めさせながら、どう変更していくのか、変化していくのかというやり取りを重ねることを求めてきました。
 北海道には179の市町村があります。それぞれの首長さん、町長さんとか村長さんとか市長さんとかの協力の下に、これはあちこちでいろいろな実践をしているんですけれども、実際に議会に、議場に高校生を座らせていただいて、いろいろやり取りをする。例えばここで挙げたふるさと高校生議会なんかは、「町の下水道の予算をもっと増やしてください」と女子高校生が言うわけです。「なぜ?」「くみ取り式のトイレから水洗トイレに変えてください」という、ある面で身近なというか非常にリアルなというか、そういったことを町長さんとやり取りするようなことがある。それが果たしてどの程度のレベルなのかということはいろいろ御批判はあるかもしれませんけれども、身近な地域の課題をテーマにした取組については、実は90年代からあちこちで取組が重ねられてきているものの1つです。
 お時間もそろそろなので、3点目の方に入っていきます。こういうふうな主権者教育のいろいろな取組、教員が代を重ねながら、先輩から後輩へ引き継ぎながら実践を積み上げてきているところなんですけれども、私が会長を務めている研究会を一例として報告させていただくと、手弁当の研究会であります。みんなが年に2回ほど大きな大会というか、全道から集まる大会をして、そして、日常的には学習会を重ねたり、又は実は問題集、資料集を研究会として編纂しているんですけれども、そういった執筆作業をする中で学びを広めながら自分たちの実践を交流する。
 ここにちょっと持ってきたものがあるんですが、ちょうど2017年8月に取りまとめたんですけれども、「主権者教育実践事例集」。これは表紙が付いていますけれども、通常はこんな立派なものじゃなくて、学校の印刷機で印刷してホチキスで留めるような、こういうふうなものを作りながら、自分がこんな授業実践しました、こういう指導案を書きました、こういうリアクションがありましたというのを交流します。
 さらに、お手元の方にありますけれども、アンケートをとって、実態を共有する。様々な意見、悩みを共有するようなことをしたり、そして、それを解決するための学習会を開いたりというふうなことを展開してきております。
最後のまとめの方に移らせていただきます。教員の研修について。私が初任のときに、そのときの校長に言われました。「我々の学校では、自ら学ぶ生徒を育てましょうね」「分かりました」「じゃ、そのために何が必要だ? 自ら学ぶ教師にならなきゃ駄目だよ」と言われたんです。これが、私、38年ほど教員をやっているんですけれども、最初に言われた言葉です。自ら学ぶ生徒の傍らには、必ず自ら学ぶ教師がいる。自ら学ぶということを常にやらなければいけない。
 その学ぶというのは、独善的になってはいけないので、やっぱり理論と実践を往還するというか、行ったり来たりすること。そして、実践を交流すること。指導案だとか何かを使いながら、これはというものをお互いに発表しながら交流すること。そして、何かパーフェクトなものが出来上がって、はい、終わりというんじゃなくて、必ず繰り返す。学び続けるというのはそういうことだと思うんです。作った、はい、終わりじゃなくて、作って、やってみて、工夫して、使いづらいな、やりづらいなら、改良する、もう一回作る。時代の変遷の中で新しいネタをどんどん取り込みながら授業実践を作っていくというのが、地に足の着いた身近な授業改善、授業改革、教育改革なのかなと常日頃考えております。
 みんなには、情報を共有しましょう、そして、行動で連携しましょうというふうな表現で、研究会だとか、若手の、新しい、今まさに現場でばりばりやっている先生方に働きかけているところです。
 早口になって申し訳ないんですけれども、拙い報告で大変恐縮ですが、御清聴どうもありがとうございました。
【篠原座長】 ありがとうございました。大変分かりやすく御説明いただき、大変参考になりました。続いて、田村先生から御発表いただきたいと思います。よろしくお願いします。
【田村座長代理】 田村でございます。私立学校の立場で、中高段階における主権者教育ということの報告を、という御下命を受けました。私立学校全体でいいますと、関係団体がありますので、そちらの代表に出てもらった方がいいのかなという気もしたんですが、あなたの学校でやっていることをまず報告してほしい、それで十分だということなので、私どもでやっている、これは実は委員の先生方には学校にお見えいただいて現場の状態を見ていただいているわけですが、そこでの基本になっている考え方を御説明して、私立学校の1つの例として、御理解賜ればということで報告をさせていただきます。大学段階の小玉委員のお話とか、それから、現場の高等学校でのただいまのお話が大変すばらしいのでやりにくいわけですけれども、私立学校ではこんなことをやっているんだということを御理解いただければと思っております。
 まず私立学校というのは、基本的には、建学の精神という、学校教育を何のためにやるのかという、そういう目標をそれぞれが持っております。学校によって違いますが、私どもの学校では、教育目標を3つ挙げています。自ら調べ自ら考えるという自調自考、それから、国際人の資質を養う、3番目が高い倫理感という、この3つを建学の精神として掲げいます。その基本はどうなっているかというと、実は私立学校の特徴が典型的に表れている形が宗教教育です。宗教教育というのは、公立では触れることがない、私立だけが認められているという特殊な性格があるわけですが、それが私立そのものを性格的に表している1つの実例だろうと常に考えております。
 私自身、実は学校を自分で創ったという経験があるものですから、そのときに経験になった話を少し申し上げると、やはり宗教教育というのは大きな支援というか、てこになりました。宗教教育というのは、実は大学で公式に科目としてやっている一番有名な例が、上智大学の宗教の時間です。これは1単位なんですけれども、実は私、自分のうちで父親が教師だったものですから学校に関心がありまして、大学時代、私の大学は国立だから全然ないので、上智の宗教の時間に潜り込んで聴きに行きました。
最初の何時間か聴いたんですけれども、全く宗教のことはおっしゃらないんですね。ローマンカラーという例のカトリックの制服を着た神父の先生が担当しておられましたが、何をお話しされたかというと、今でも非常に印象的に残っているんですが、「あなた方は人生を冗談で愉快で楽しく過ごせばいいというふうにお考えですか。人生をどう生きるかということをどう考えているか」ということを繰り返しお話になって、宗教については何も言わない。後で考えてみれば、その話の延長線上で、いわゆる侵すべからざる大変なものがあって、これは神ですね、それを心の中に信じることによって人生をよりよく生きるというテーマの根拠にするという、それが目標だったんだろうというふうに分かるんですけれども、当時は非常にショックでした。
 ただ、人生をよりよく生きるという言葉は引っ掛かっていました。これはソクラテスが言った言葉で、これは宗教とは関係ないんですが、人生というのは生きることに意味があるのではなくて、よりよく生きることに意味があるという、有名な彼の言葉があるんですね。ギリシャ哲学のスタートの1つの言葉として有名です。「よりよく生きるということ」に教育が役に立つ、ということがあるとすれば、それを建学の精神に入れる、宗教に耐えることはできなくても、それはできるんじゃないかと。
 その、人生をよりよく生きるというギリシャ哲学の基本的な理念というのは、具体的には教育の場ではいわゆるリベラルアーツという形で、日本では大学で主にやられております。実はリベラルアーツは、御存じのように、欧米、特にヨーロッパでは中高段階でやっております。それが参考になりました。リベラルアーツという教科群、そこにおけるギリシャ哲学の基本的な思想というのを建学の精神にできないか、そんなことを考えました。
 これはどの学校でもそうです。私立学校が、日本では一番古い歴史のある学校を持っているんですが、例の弘法大師が創ったという綜芸種智院という千二、三百年の歴史のある学校がそうです。これは現在でも続いており、中高ですと、例の日本人で初めて10秒を切ったという桐生君出身の洛南高校が、綜芸種智院の中高段階の学校です。脈々として続いている私立の考え方、それが本校でも建学の精神という形になっており、それが主権者教育にもつながっているというふうにお考えいただければと思って、この場でご説明させていただきました。
 資料がちょっと薄くて見にくいんですけれども、お手元にあると思いますので、1のところを御覧いただければと思っております。中高段階におけるリベラルアーツとして、校長として具体的に何をやっているかというと、校長講話というのを中1から高3までの6年間、全員にやっております。これは6年間で35、6時間、40時間近くやるんですけれども、これはシラバスに載せまして、資料の3ページに表が出ております。ちょっと小さくて見にくいんですけれども、かなり省略しているのでお読みになりにくいと思いますが、シラバスの一番最初のところにリベラルアーツの目標というのが書かれております。生徒には校長によるリベラルアーツ授業だというふうに説明していますので、これを各学期に原則2回時間を取ってやるわけですが、やるたびに生徒にはこれについての論文を書くことを課しております。それを見るのが、面白くはあるんですが、大変なんです。
 この目標、リベラルアーツの6年間の授業の中身というのは、1つは個人の自立的存在であることの認識です。自分はかけがえのない、大変な、貴重な存在であるということを自覚する。一人一人全員違う貴重な存在と。2つ目が、その全員違う一人一人が社会を作るという意味では、自分は社会の一員であるということを確認する、ということ。それが二大目標と言っていますけれども、リベラルアーツ教育と言われるこの授業の中身をまとめて言うとそういうことになるんです。結論としては、高3の最後でやるんですが、基本的人権の授業になります。全ての人が持つ基本的人権というものを解説するという、こういうことです。これの延長線が主権者教育になると考えております。
 このリベラルアーツというのは、大学ではどんなことをやっているかというと、簡単にお分かりいただけるように資料を用意してみました。これはカーネギー分類でのリベラルアーツの教科の中身が表になったもので、御覧いただければと思います。大学ではリベラルアーツ専門と、職業・技術専門の2つの区分とに、学問を大まかに分けて大学で授業されているわけです。
表の向かって左側がリベラルアーツの専門分野であります。語学から始まりまして、歴史、その他いろいろな人間に関わる学問です。大変長い歴史の中でこういうものが経験として作り上げられています。これを学習することによって、いわゆる教養が身に付く。教養というのは何かというと、相対化することができるようになるという、物事を絶対視しないで、相対化することができるようになります。かっこいい言葉で言うと、批判的精神というんですかね、これが教養の目標だろうと思いますが、これこそがまさにリベラルアーツを学ぶことの意味だろうと思うんです。
 そして、具体的な例で言うと、これはハーバードのラドクリフというのは有名な女子大ですが、実際の授業時間を、私の学校では実際に高校を出てすぐハーバードに行っている生徒がおり、カリキュラムについて中身がかなり分かっておりますが、まさにこの資料のとおりですので、お手元に差し上げてみました。こういうようなものが実際に大学で行われている。科目の後ろに「リ」と書いてあるのがリベラルアーツです。「職」と書いてあるのは職業科目です。これはアメリカの大学で行われている授業であります。
 また、こちらのシラバスが本校のリベラルアーツの中身を示していますが、実際やってみて、本校の場合は中高一貫ですので、6年間で考えて学習指導要領を基にして授業を組み立てて、建学の精神によって色付けをしていくわけですけれども、主権者教育について生徒の食い付きは、はっきり言うと、高校では非常に食い付きが悪いんですね。それで、中3でやっております。これは経験によって中3でやることにしました。時間数は、中3で割り振られた社会科の授業数では授業ができなくなりますので、一部、総合的な学習の時間に繰り込んで、中3で主権者教育に関わる授業が展開されております。実際に先般御覧いただきましたように、たまたま今年の場合には読売新聞が協力してくれて、岐阜でございましたかね、地方の中学校との交流ができて、主権者教育が少し広く今年の場合はできたなということで、うまくいった例だったと思いますが、その状況をあのとき御覧いただきましたので、お分かりいただけたと思います。
 その中で、どんなことを政治的中立について気にしているのかということを教科の教員に尋ねましたところ、その返事がここに出ている表でございます。守っていることは、教員による束縛は、誘導は行わない。だから、教員の個人的見解は生徒の結論が出るまでは述べない。それから、生徒間の議論を尽くさせる。一致点、不一致点を理解し、妥協の可能性の有無を検討する。多数決は最後の手段である。それから、公民的分野のまとめで実践をしていく。現代諸課題に関する理解、選挙などの制度的理解。これがテーマになりますね。それから、争点は、将来・未来を据えたものとして、歴史的経緯の理解を中心に内容を展開する。学校外の第三者による複数の視点を入れてみる。これは客観的評価と言っていますが、生徒は割とこれを気にします。ですから、その内容を紹介してやると、すごく関心を持って聴くし、うまく活用してやると、主権者教育の実践を本気でやってくれます。そんな経験があります。
 当然のこととして、政治的中立についての資料としては、これは総務省でおやりになっているんですけれども、2011年7月に早稲田の近藤教授が「ドイツの政治教育における政治的中立性の考え方」ということで、例の有名なボイテルスバッハの原則ですか、こういうようなものはレポートされているわけですけれども、このボイテルスバッハ・コンセンサスというのを1つの参考にして-これはどういう形で出てきたかと言うと、ナチスの反省から生まれてきているわけですが-こういうことは生徒の政治的中立性に対する議論の中で紹介をしています。そんなようなことが本校における政治的中立に関わる報告でございます。
 なお、学校全体の取組というのは、まさに建学の精神が学校全体の取組に表現されておりまして、この主権者教育についてもまさにそのことが大きな影響を与えているものになっていると申し上げられるんじゃないかという気がしております。例えば自調自考というのは、実は自分を調べ自分を考えるという意味と、自分で調べ自分で考えるという意味、2つがあるんですけれども、自己認識というふうな言い方をされる方もいますけれども、この自調自考というのは基本的な学校教育の柱と考えています。
それから、国際人の資質というのは、これから生きていく生徒は、確実にグローバルな社会で生きるわけですけれども、デジタル化、グローバル化というのはまさに情報化社会の展開の中で現実に彼ら、彼女らが乗り越えていかなければならない社会の課題になるので、この資質としての考え方を議論しています。これは非常に重要に考えております。最近よく言われる、異文化に対するアジリティ、これなどはまさに国際人の資質の1つというふうに我々は取り上げています。
 それから、高い倫理感というのは、実はこれはうそをつかないとか、人をだまさないとかいう話なんですけれども、これ、実は日本文化なんですね。内村鑑三の『代表的日本人』の中の例として中江藤樹の話の中から出てきます。これはペリーが日本に来たときのことで、『ペルリ提督日本遠征記』というのが岩波から出ていますけれども、あれに載っています。日本という国はすごく面白い国だと。ペリーがアメリカからインド、フィリピン等を通って来たとき、一番困ったのは、船の備品が港に寄るたびになくなっていたことだそうですね。みんな黙って持っていってしまうんだそうです。ところが、日本に来たら、何一つなくならない。服装は裸みたいな貧乏な格好なんだけれども、そういう点は物すごくきちっとしているという。誰も見てなくても……、何ていうんですかね。
その話は同じような趣旨で『代表的日本人』の中にも紹介されています。日本文化の1つの特徴なんですね。面白いと思います。誰かに言われたのでもなく、この小さな島に1万数千年前にホモサピエンスの1部族が来て住み込んで作り上げた文化の、1つの特徴的なものですね。これはどうしても触れたいということで建学の精神に入れているんですけれども、そんなような形で考えていることが、まさに主権者教育そのものの基盤だと私どもは考えています。そこはちょっと、学習指導要領は民主主義国家の政府が作った資料ですから、しっかり敬意は表しますけれども、私立ならばちょっとそこに色付けをするという。その色付けをする建学の精神が主権者教育にも影響が出ているなということを実感しています。
何かまとまりのない話をしたような気がしますので恐縮ですけれども、本校の扱い方みたいなことをお話しさせていただきました。
 以上です。
【篠原座長】 ありがとうございました。
最後に、では、学校の主権者教育を支援しているNPOのお立場から、越智さんに御発表いただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
【越智理事長】 皆さん、こんにちは。NPO法人NEXT CONEXIONの越智大貴といいます。今日は愛媛の方からお招きいただきまして、どうもありがとうございます。NEXT CONEXION自体は発足して7年が終わろうとしているんですけれども、個人的にこの活動を始めてちょうど10年目が終わろうとしています。このような機会にこのような場にお招きいただいたことを本当に感謝申し上げたいと思います。今日は、10年間の自分の取組も踏まえつつ、学校現場で主権者教育をどのように取り組んでいけばいいのか、NPOの立場からお話しさせていただければと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 では最初に、少しだけNEXT CONEXIONの紹介からさせていただこうと思います。NEXT CONEXIONでは、主権者教育を○○教育を通して考えていこうということでいろいろな実践をさせていただいています。また、子供たちの居場所作りや中高生の体験活動などにも積極的に取り組んでおりまして、今年の2月にはYOUNG CONEXIONという、うちのNPO法人NEXT CONEXIONが行っている「よのなかすくーる」で学ぶ中高生たちが自分たちでNPO法人を立ち上げまして、積極的にいろいろな活動に取り組んでいるというような活動を行っております。
 1ページめくっていただきまして、本日の報告の流れになります。まずNEXT CONEXIONが主権者教育をどのように考えているのか、政治的中立とどのように向き合っているのかというお話をさせていただいた後に、NEXT CONEXIONの取組、教員養成課程の大学生との連携による授業支援、それから、主権者教育の充実に果たすNPOの役割ということでまとめをさせていただこうと思っています。
 では最初に、NEXT CONEXIONの主権者教育の考え方についてお話しさせていただこうと思います。NEXT CONEXIONでは、主権者教育を選挙で完結しないということで、選挙啓発のみならず、1人の主権者としての意識を育むことを大事にしながら活動に取り組ませていただいています。
 資料の最後の方に参考資料を載せさせていただいているんですけれども、愛媛県の県内の高校生の意識調査をしましても、日本財団が実施した「18歳意識調査」と比べてもそんなに変わらない。自分が大人だとも余り思っていませんし、責任がある社会の一員だという割合もそこまで高くない。自分で国や社会を変えられるかというアンケートに対しても余り高くない結果が出ています。全国的な調査と比べると、ちょっと高めには出ているんですけれども、出前講座を行った後に取った調査ですので、その辺も踏まえて、子供たちがもしかしたら「はい」と答えている割合が高くなっているのかなと考えております。やはり高校生の意識調査から、なかなか選挙に行くよりも、そもそも自分が1人の社会の一員としてここの問題に取り組めていないんじゃないかというところがありますので、政治的無関心のところ、選挙に行こうというところよりも、むしろ当事者意識の涵養の方に力を入れて主権者教育に取り組むというふうなスタンスで活動を行っています。
 そこで、現場の先生方ともよく話をさせていただくんですけれども、やはりそこでよく出てくるのが政治的中立性の確保に関する懸念のところということです。どのように先生が思っているかといいますと、愛媛県のお話を聞く限り、先生方は、政治に答えがあると思っているというところで、やはり子供たちにどのように伝えていったらいいのか分からない。これは言ってはいいのか、これは言っては駄目なのかというところでやはり戸惑いがあるというところで、政治に関する知識がないために、どのように主権者教育に関わっていったらいいか、どのように伝えていったらいいのか分からないので不安があるというようなお声をよく聞きます。
そこで、NEXT CONEXIONとしては、先生方に説明させていただくときに、そもそも政治というのは、もちろん国や社会の問題を考えていくことも大事なんですけれども、辞書の中では、「社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用」とありますので、答えのない答えを一緒に創っていくという視点で関わってみたらどうですかというお話をよくさせていただいております。
 ただ、正直な話をさせていただきますと、政治に関する知識がないため、どう教えたらいいのか不安があるというような悩みを抱えている先生も実はごく一部でして、そもそも教育委員会に言われたから取りあえず主権者教育はやっていますけど、何をやったらいいかよく分からないので、取りあえず選挙啓発のみやっていますという先生方が一番多くて、むしろ「先生方に対して主権者教育への取り組み方法を示していく」というのが課題の1つかなと思ったりもしています。
 それから、子供たちはどのように主権者教育を思っているかというと、先生は恐らく正しいと思っている子供たちがやはり多いなと感じています。学校では、生徒と先生は「タテ」の関係であって、かつ正解主義的であることが現実だというふうな認識が、個人的にも思うところがあります。それから、学校の先生がなかなか政治や社会についての本音を言わない部分もありますので、あるいは言えない部分がありますので、それに対して生徒もなかなか本音を言いづらい部分があるというふうな声も聞いています。これがやはり政治的中立の確保が難しい理由の1つになっているのではないかということで、NEXT CONEXIONの中では、むしろ大学生のような、大人でも子供でもない、ちょっと中間的なポジションの学生が授業に参加することによって、「ナナメ」の関係を意識した授業を展開すると、もっと本音を言いやすい環境が作れるのではないかと思っております。
 というわけで、政治的中立の確保に関する2つの課題ということで、そもそも実際の政治的課題に取り組みたいと思っている先生方が、政治に対する知識に不安があり、また、授業の準備に対しても不安があるために、投票体験がメインになってしまう点があるということと、先生と生徒という「タテ」の関係の中に正解主義があることから、なかなか本音を出した議論がしづらいのではないかということで、学校外との連携をもっと進めていくべきではないかなと思っています。ただ、現状はなかなか進んでいないというのが愛媛県の中でも現状としてあります。それから、主権者教育自体が、選挙に行こうという、どちらかというと啓発的な教育で終わっているところがありまして、本来養うべき主権者意識の涵養につながっていないというところも現状としてあると捉えています。
 そこで、NEXT CONEXIONではこのような課題に対してどのように取り組んでいるかというと、3つの「つなぐ」取組を行っています。1つは、「○○教育をつなぐ」ということで、例えばキャリア教育だったり、人権教育だったり、いろいろな○○教育が今あると思いますが、そういったものをいろいろな観点から捉えていくことによって主権者意識を育んでいきましょうと。教育プログラムの研究・開発・実践を大学生を中心に行っているというのが1つ目の取組になります。それから、2つ目、「学校と社会をつなぐ」ということで、先生方が現場の生徒たちに教えるだけじゃなくて、いろいろな行政機関の人であったり、地域の民間の方であったりが授業に参加することによって中立性を何とか和らげていくというような取組を行っています。それから、今回の発表には含まれていないんですけれども、「『こどもとよのなか』をつなぐ」ということで、小中高生の体験学習のサポートや支援なんかも行っております。今日は、この1つめと2つめについてこれから御説明させていただければなと思っています。
 NEXT CONEXIONでは、大学生を中心とした授業作りを行っておりまして、大学生が各自で授業を作成し、それを現場に行って実践するというような取組を行っています。授業の開発自体も、自分の気になるテーマから自ら開発することで、大学生の経験につなげていったり、啓発ではなく批判を大事にすることで、政治的中立に配慮するようにしています。批判というのは、吟味したり、議論するという意味を込めているんですけれども、例えば人権教育でいうと、「人権って大事だよね」というような視点ではなくて、「何で人権って大事なんだろうね」みたいな視点で生徒たちの思考を深めていくというような取組を行うことによって、選挙に行こうとか、こういうものを大事にしようではなく、何でそれが大事なんだろうというのを考えることが政治的中立の配慮につながるのではないかということで、そういった授業実践を行うように徹底をしています。それで作った授業を実際に学校に行って授業をしたりというような取組を行っています。
 授業の作成の際は、自ら開発するということで、大学生が自分の気になるテーマから授業を作成しています。その際にフィールドワークを行うなど、外とのつながりを意識した授業開発を心掛けるように指示をしています。単にインターネットで調べて、こうだろうみたいな授業を作ってくるのではなくて、実際に行政関係であれば、松山市役所に行きまして、今どうなっているんですかという取材を通したり、そういった外とのつながりを意識した授業を必ずするようにという指示を出しています。
 それから、○○教育をつなげたり、各教科の横断型の構成に対応できるように、社会科に依拠した授業作りは行っていません。実際に所属している学生も、社会科の教員もいるんですけれども、国語の先生になりたい学生もいますし、美術や数学の先生を目指している学生もいたりします。そういったいろいろな学生が入ることによって、単に社会科だけではなく、いろいろな教科にかかわって横断型な授業ができるようなカリキュラムを大学生自身が作ったりしています。
 それから、啓発ではなく批判を大事にするということで、外部人材との連携の際には、○○教育による啓発講座にならないように強く意識をさせています。どうしても外部からゲストが来てしまうと、大学生も学校の生徒たちも、その人が言うことが正しいんだというような認識に陥ってしまうことが多いんですけれども、むしろそういったところから話を広げていく。例えば松山のごみ問題であれば、たしか松山は、ごみが50万都市以上だと日本で一番少ないのですけれども、少ないことがいいことというよりも、何でそれが少ないのかということを議論させていくことで環境問題の本質に気付かせたりとか、そういった授業を作るように指示をしています。そのために、ミーティングを毎月一度やるんですけれども、ミーティングの中では、授業内容について全員でチェックをし、議論をするようにしています。
 授業の作成の際にミーティングで大事にしていることとしては、議論を尽くすということです。中途半端な形で終わったり、意見が言いづらい環境を作らないように配慮し、多様な意見が反映されるように全員が心掛けています。ここのミーティングでできないことは学校に行っても絶対できないと思っていますので、まずは大学生自身がいろいろな意見を引き出し合う力をこのミーティングを通してやるように指示をしています。なので、必ず議論を尽くしなさいというような話をしています。
 このミーティング自体に実は僕は余り参加をしていません。大学生自体が自分たちで実践をする様子を隣で見させてもらうというような形を取らせてもらっていますので、彼ら自身が何か困ったこととか、やっぱりここはもうちょっとこうした方がいいよというアドバイスなんかがあるときには僕が入るようにするんですけれども、基本的には大学生たちがしっかり自分たちで議論を尽くすような環境づくりを心掛けています。
 それから、ミーティングなんですけれども、参加者を限定したり、制限したりはしないようにしています。例えばその日、急に大学生のミーティングを見学したいという方がいましたら、「もちろん大丈夫ですよ」というような感じで参加してもらったりもしますし、常に開かれた環境でこういった授業づくりを行うようにしています。
 そのため、NEXT CONEXIONの主権者教育で大事にしている4つのポイントとしては、相手の意見をよく聴き、学び合いましょうということ、それから、開いた心でいろいろな意見を認め合いましょうということ、遠慮せずに話し、議論を楽しむということを心掛けていきましょうということで、これらのことは、ミーティングだけではなく、出張講座の中でも必ず共有するようにしています。
では、こういった授業を実際現場でどのような形で行っているか説明させていただこうと思います。授業の実践プランは2つあります。1つは同一授業型、大学生が同じものを準備して実施するという形が1つ目になります。ただし、体育館で一斉にやるのではなくて、各教室に大学生が行ってワークショップを充実して行うような環境づくりを必ず行うようにしています。それから、2つ目が選択授業型といいまして、これは大学生が各自で作った授業を生徒があらかじめ選択して受講できるような環境づくりを行っています。こうすることによって、生徒が関心ある内容から学習ができたり、大学生自身も自分の授業実践ができるということもありますので、生徒たちだけではなくて大学生自身の学びにつながるという効果もあります。
 実際どのような授業を今まで行ってきたかといいますと、隣の13ページに載っていますが、去年と今年で11回授業をさせていただきました。これらの授業は、大学生が自分たちで授業を作り、実施したという形になっています。提供したテーマも、単なる政治や、政治は関わると思うんですけれども、選挙には必ずしもこだわりはなくて、経済の側面や文化的側面とか法律の側面なんかを含めていろいろな観点から授業を提供するようにしています。
 その中でも、授業の実践例としまして、例えば子供の貧困と世の中について取り上げた授業ではどのような授業展開があったかが下に書かれています。実際に授業を行った学生に聞いてみると、赤でラインを引かせていただいていますが、主権者として、まずは世の中の課題や問題について知ることから始めなければならないと思ったので、知って、今後どうするかを考えるというワークを入れた点に関してはすごく手応えがよかったというようなコメントをいただいています。ただ、その後、「ただ」以降があるんですけれども、授業を行った学生自身にもいろいろ課題があったので、次こうしていきたいというような反省なんかも含めて、授業のブラッシュアップを今図っているところです。
 それから、裁判事例から認知症を考えるという授業では、実際に模擬裁判を行うんですけれども、検察、弁護人の側に分かれて考えるのではなく、常に遺族側、鉄道会社、それから、客観的な視点に立って考えられるような工夫を行って授業を実施したというような報告が上がっています。未来に向けての提言に関しては、自分の考えを具体的に書いてみたり、発表のときは、そんな意見も否定しないように心掛けましょうということで授業を行って、複数の立場に立って考えることをすごく大事にしたというような報告をしてくれています。
 こういった授業を通してどのような反応が得られたかといいますと、まず先生方からは、主体的な学び・対話的な学びの場が実現してよかったというようなコメントをいただきました。白か黒か簡単には決められない問題について、生徒たちが主体に考えられていた。生徒たちが自然に真剣に考えることができていた。生き生きと自分の意見を発信し、また人の意見を聴いていましたというような声をいただきました。
 それから、生徒の反応としては、当事者意識や主権者意識の涵養ということで、より関心を持ってニュースを見てみたいと思いますというコメントや、社会の一員であるという自覚を持った行動を取りたいというようなコメントをいただいたり、政治は決して人ごとではない。主権者教育は選挙だと思っていましたが、必ずしもそうではないことに気付きました。社会の一員だという気持ちで来年から選挙にも参加してみたいというような声をいただいております。
 それから、実施した大学生を聞いてみますと、単に大学の授業だけでは補えないものがありましたかという質問に対して、11人中11人が「はい」と答えていて、大学では学ばない主権者教育を実践の中で学ぶことができたということがコメントの中で多くありました。あるいは、なかなか子供たち相手に授業をする機会がないんだけど、そういった場があるというのはとても貴重な経験でしたというような声をいただいて、自分たちが作ることによって、自分たちも社会の一員だということを自覚できたというようなコメントも中にはいただいております。
 というわけで、最後、まとめに入っていこうと思います。主権者教育の充実に果たすNPOの役割として3つを挙げさせていただいています。まず1つ目は、啓発的ではない、批判的・創造的な授業作りのサポートということです。なかなか現場の先生方のお話を聞いていますと、時間がなくて、やりたくてもなかなかうまくできないというような声をいただくこともあります。なので、教員の負担を軽減しつつ、批判的・創造的な授業作りをNPOの方からサポートしていくというような形が1つ取れるのではないかなと思っています。
 それから、2つ目として、外部の参加による開かれた空間で政治について議論する場の提供ということです。なかなか学校の中だけだと、生徒と先生という「タテ」の関係に依拠してしまうところがありまして、なかなか本音を言いづらかったり、フラットな目線での授業を作るのが難しいというふうな意見もありましたが、大学生が入ることによって、閉じた空間ではなく、開かれた空間で活発な議論が可能な授業を実現し、政治的中立への配慮の緩和を可能とすることが一つできるのではないかという手応えを持っています。
 それから、3つ目、若者の参画による生徒、若者双方の主権者意識の涵養ということです。政治的無関心とか投票率の低下もそうなんですけれども、何も中高生だけの問題じゃなくて、大学生自身の大きな問題の1つでもあると思っています。それから、うちに所属している大学生は特にそうなんですけれども、将来教員になって学校現場に入る学生も多いので、こういった学生たちが、自分たちがつくった授業を中高生に提供することによって、生徒だけではなく、自分たちの経験にもつながると。そういった授業づくりのときに、地域の方とか大人の方と一緒につくることによって、自分たちもより深い学びにつながるというようなところにつなげることができるのではないかと思っています。
 というわけで、すみません、とても早口で話してきたんですけれども、何か御質問等あればお答えしていければなと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。御清聴いただき、ありがとうございました。
【篠原座長】 ありがとうございます。お三方の御発表に対して、これから御質問あるいは御意見、これから約1時間御自由に御発言をいただきたいと思います。どなたからでも結構です。どうぞ。
【小玉委員】 いいですか。
【篠原座長】 では、小玉委員。
【小玉委員】 ありがとうございました。東大の小玉と申します。私、越智さんとは、日本シティズンシップ教育フォーラムという団体で一緒に活動させていただいておりまして、その中で高校生ソーシャルデザインスクールという、高校生が自分たちで社会の在り方を考えるプロジェクトというのを今動かしていて、その中でもこのNEXT CONEXIONに参加している高校生とも何度か会う機会がありました。越智さんもお話しされたように、中高生自身がNPO法人を作って活動しているということで、非常に中高生が実際に主体的に活動しているという、そういう動きというのが、越智さんは愛媛ですけれども、今、全国各地にかなり生まれてきているという、これは非常に大きなことで、「ナナメ」の関係という言葉が最近はこの界隈というか、いろいろカタリバあたりから最初言い始めたんだと思いますけれども、流通していて、主権者教育を考える上で「ナナメ」の関係というのは一つのキーワードになるのかなと思いました。
 それから、川瀬先生の話で、やはり争点というのを前面に立てて、リアルな政治との対話を主題にして高等学校の公民科を改革していくというのは重要なことだと思いました。関係資料のところに川瀬先生が、「思考しないことが、凡庸な悪を生む」という、ハンナ・アーレントの言葉を引用されて書かれていますけれども、社会科というのがどうしても知識注入型の暗記の科目として受け取られがちですけれども、それを考える科目に転換していくということが重要だというところを感銘を持って伺わせていただきました。
 また田村先生の、中等教育というのをリベラルアーツの観点から再構築していくという課題も非常に重要だと思いました。
三者を貫いて私なりにちょっと感じたことは、従来の中等教育、後期中等教育の高等学校を中心とした中等教育というのは、専門教育、準備教育としての側面と、それから、国家・社会の形成者として完成された市民を社会に送り出すという完成市民教育としての側面、その2つがもともとあったはずなのに、ほとんど全てが受験準備とか職業準備、進路の準備と、準備教育の方にもう完全に中等教育、高等学校はシフトしてしまっていて、完成市民教育の部分がやっぱり形骸化してきているという。そこを根本から組み立て直すというのが主権者教育の課題だというのは、田村先生の御発表の中でも非常に重要なポイントとして出ていて、いかにそれをやるのかというところの観点からいうと、お三方に共通で2点ほど今の観点で質問させていただきたいんです。
1つは、今言った受験準備とか進路選択みたいなこととの関わりでどうしても現場の学校の先生方というのは授業を組み立ててしまうことが多くて、高大接続改革というのは本来それを変えていこうという動きだったはずなんですけれども、今まだやっぱりどうしても受験の圧力みたいなところのしがらみから抜け出せないという状況の中で、例えば渋谷教育学園でも、中学生までは食い付きがあるんだけれども、高校になると食い付きが弱くなるというのも、1つの理由としては、やはり受験とか進学というところに生徒の関心が向くので、本来のリベラルアーツ的な関心というのは中学校3年ぐらいまでで止まってしまって、その後はもう受験の圧力の中で生徒の関心自体がそっちにどんどんシフトしてしまっているという問題があるんじゃないかと思ったりもするんですけれども、そこをどういうふうにそうじゃない方向というのを学校の先生方の中に作っていくのかということについて何かお考えがありましたらということです。公民という科目も、受験では余り使わない高校生が多いんですよね。だから、食い付きも弱いというのもあって、その辺りをどう考えていくのかというのが1点目です。
 それから、2点目は、「ナナメ」の関係とも関わるんですけれども、中立性に悩むという話で、私は、川瀬先生や田村先生のような先生方が主流派になればいいんですけれども、今の高等学校では、まさに越智さんがおっしゃったように、中立性に悩むんだったらまだいいんですけれども、そもそも中立性に悩むことすらしないというか、今そういう状況なのではないか。教育委員会とかから言われて仕方なくやるみたいな感じになっていて、中立性に悩むぐらいだったらまだいいんですけれども、そこまでもなかなか行かないという学校の先生方の意識というか在り方というのをどういうふうに変えていったらいいのかという、その2つについてちょっと伺いたいと思いました。お願いします。
【篠原座長】 今のお話は、お三方に全てですか。
【小玉委員】 はい。
【篠原座長】 では、まず川瀬先生からお願いします。
【川瀬校長】 御質問ありがとうございます。1点目の受験教育云々なんですけれども、自分は高校で進路部長等を長年やっていて進路指導をやってきたんですけれども、出口指導を我々がやっているのか、キャリア教育を我々がやっているのか、そこをみんなで考え直しましょうというようなことを言ってきました。
 高校3年生はセンター試験があり、受験があり、それの点数を稼ぐテクニックを教えるのが我々なのか。出口指導的な受験指導は違うだろう、キャリア教育だろうということで、公民、政経だとか現代社会だとかを教えるときに、例えば私、2000年代から2010年代に現場に、教壇に立っていたんですけれども、2030年をみんな想定しましょうと。なぜか。15歳、18歳のみんなが20年後に働き盛りになって社会を支えるんだよというふうな問いをしていく中で、みんながおかしいなと思うことをどんどん出し合いましょうねというモチベーションを何か刺激するようなやり方。そして、推薦であるとか、アドミッション・ポリシーの云々で対策を、小論文とかいろいろ対策するんですけれども、そういったときにそういう投げ掛け、問い掛けをしながら、小論文指導をしたり、受験指導をしたり。でも、知識も必要だから、ちゃんと覚えるものは覚えようねという働き掛けを行ってきました。
 あともう一つ、時間数が足りないというのが現場でやっぱりあります。2単位とかそこらであれもこれもというのはできないと。じゃ、どうするか。コマの取り合いをやっても始まらないので、私、参考までのところに入れてあるんですけれども、3分間スピーチを毎時間やるようにしました。テーマについては、現代の○○化、変化についてということで、自由に選んできていいよと。このように、いろいろなテーマを1年間の授業の中でずっと貫くような、串刺しにするような形で育てていくという、コマの重ねではなく、アレンジの仕方というか、デザインの仕方、その工夫をしていろいろ働き掛けた中である意味克服してきたというふうな感じがあります。
 あと、2つ目の「ナナメ」なり、政治的中立性に悩む、確かにそういう声はあります。アンケートをいろいろ取ったときに、教員に向けてのアンケートを取ったときに、普通であれば、「主権者教育で何ができるんですか」という問い掛けが欲しいところなんですけれども、「何をやっちゃいけないんですか」という回答がやはり現場からはゼロではないです。これをやったら批判をされるという、やっぱり受け身的なところはあります。ですから、そこを、正直にそういう悩みもあるよねと。でも、やっちゃいけない、できないじゃなくて、何ができるようになるという発想に切り替えていこうねという働き掛けは、若い先生と、コロナの関係で今、お酒はほとんど飲めないんですけれども、去年まではお酒を飲むときにいつも語り合ってきたつもりです。
【篠原座長】 田村先生、お願いします。
【田村座長代理】 今の小玉委員の御指摘、そして、川瀬先生のお話も本当にそのとおりだなと思いながらお聴きしていたんですが、私が心掛けているのは、実際、受験準備のプレッシャーを何とか緩めるというか、中学生、高校生それぞれに意味のある生活があるんだということを理解させる方法としては、結局、親の理解が必要なんですね。どうしても親がそういうことについて口を出すというか、そんなことしてたら受からないわよという話になるわけですね。ですから、親との話合いというのを私は大事にしています。年に2回ほど懇談会をやるんですけれども、全校生徒の親と話合いをするんです。高校も上になればなるほど呼んでも親が来なくなりますけれども、頑張っていろいろと話をしています。
 例えば戦前の日本の教育には、キャリアガイダンスという考えは全くなかったわけですね。国が望むような人をつくる、これが基本線でした。それが戦争に負けたので、アメリカ人の考え方、つまり、キャリア、一人一人に人生があるんだという考え方を受け入れました。そのキャリアをガイダンスするという役割でキャリアガイダンスという考え方が日本の国の政策の中にも入ってきたんですが、日本語になると、進路指導になるんですね。進路指導部になるんです。キャリアガイダンスが進路指導部になった瞬間に受験指導になってしまって、これはやっぱり学校の体質もあると思います。ですから、それはもう繰り返し耳にタコが出来るように、会うたびに先生にも言い、生徒にも言い、親にも言っているんですけれども、そう簡単には効果が出ないです。
 実際、受験準備のために、高校に行く頃にはもうそろそろそういうことを意識して考え出すので、現実がありますから、だから、繰り返し言うことで効果があると信じているという感じでございましょうか。ただ、現実には、授業の中で、今言ったような主権者教育についての技術、理論みたいなことにそれなりに対応するんですけれども、実際に投票行動を含めた地に足の着いた活動を授業の中に繰り込むということについては、白けちゃうというか、そんな感じがあるので、なかなかやりにくいというのが現実でございます。
 それから、2点目の中立性に悩む、これもやはり相当家庭との関わりがありますね。学校の先生の影響力というのはかつてほど大きくはない。それははっきりしていると思います。かつては村一番の知識人は学校の先生だったわけですけれども、今もうそんなことはなくて、むしろ親の方がずっと学歴が上という方、先生を見下ろしているというようなそういう態度の親がどんどん増えてきている。その中で、中立性に悩むといっても、実は家庭の問題というのが大きな影響があるんだということですね。だから、ここのところをやっぱり学校も本当に積極的に親との対話をするというかな、そういう時間を持つことがとてもますます重要になっているような気がしています。
 健全な主権者教育を発展させるためにはやっぱり、これ、よく篠原座長がおっしゃっていますけれども、家庭教育の問題ってやっぱり大きくありますねという感じがしております。学校教育の限界みたいなことが現実にはどんどん出て来てきているというのが実態というような気がしています。しかし、そうはいっても、何とかこれ、乗り越えなければいけませんので、今、私のところでは現実には、親との話合いをいろいろ持つことによって何とか乗り越えようというふうに実行しております。
 以上でございます。
【篠原座長】 ありがとうございました。では、越智さん、どうぞ。
【越智理事長】 1つ目の受験準備に生徒の関心が向いているのをどのように変えていくかという点なんですけれども、もうお二方おっしゃっていただいたとおりで、僕もまずは保護者の意識が大事かなと思っています。NPOの取組をやっていましても、例えば学校の先生がこんなのやってみたらというので、やっぱりどういうふうな教育をしていかなければいけないのかというのを、学校もそうですけれども、保護者の方も巻き込んで一緒に変えていかなければいけないのかなというのが1つあるんじゃないかなと思っています。
 そのときに開かれた学校をこれから目指していきましょうという話がよく出てくると思うんですけれども、どうしても今、僕が感じている開かれた学校というのは、資料を共有するときに閲覧権限と編集権限って2つあると思うんですけれども、学校の現状は、どうしても閲覧権限のところで終わってしまっていて、学校の先生方は、開かれた学校を外から見る分にはいいけど、地域の人とかが入ってきて一緒に学校を作っていきましょうという編集の部分まではまだなかなか踏み込めていないんじゃないかなと思います。でも、そこをやっていかないと、多分学校の本質の部分はもしかしたら変わっていかないんじゃないかなと思っているので、そういうふうに、学校だけじゃなくて、地域とか、うちのNPOなんかもそうですけれども、そういったところが一緒になって学校を変えていくというのが1つ大事なことなんじゃないかなと思っています。
 意外と子供たちと話をしていると、おかしいよねというのを薄々感じている子も中にはやっぱりいます。受験勉強ばっかりするのは違うんじゃないかと。これからはもっといろんなことをやっていかなきゃいけないんだろうなと薄々気付いているけどなかなか言えなかったり、僕の話の中でも、社会や政治について余り関心がないというお話をさせてもらったんですけれども、高校生は意外ともうみんなスマホを持っていて、ニュースなんかも当たり前に見ていて、実は社会への関心があるにもかかわらず、なかなかそこを大人たちがピックアップできていない部分もあると思います。そういった大人の方の意識をむしろ改革していくという、めちゃくちゃ難しいと思うんですけれども、ここをまずしていくというのが大事になってくるんじゃないかなと思っています。
 それから、2つ目なんですけれども、小玉先生、すみません、これは僕も分からなくて、中立性に悩むことすらしない先生方に対してどうアプローチしていこうかというのは常日頃、実は悩んでいるところではあるんです。もう本当にストレートなお願いがあるとすると、もっと教員研修なんかを充実させてもらって、先生が絶対に教員研修をやらなければいけない時間を例えば作りますというようなことをすると、より主権者教育に対する意識なんかも変わってくる部分があるんじゃないかなと思っているんですけれども、やっぱりそれも現場の先生方と話をすると、そんな時間がないんですと。部活も担任もあって、もう現場はそれどころじゃなくて、その結果、主権者教育も、やりたいけど、そこまで準備ができない。準備ができないから越智さんのところに丸投げしているんですという話を聞くことも結構あるので、だったらもう、中立性に悩むぐらいなら、例えばうちに投げていただいてと。そこで、うちは実は主権者教育を現場でさせていただくときに、必ず学校の先生方に一緒に入って授業に参加してくださいというお願いをしています。そのときに生徒と先生が同じ目線に立って初めて一緒に考えることによって、ああ、何か先生も1人の市民だみたいなところを生徒にも感じてもらったり、先生方にも、自分の意見って別に自由に言っていい場もあるんだなというのを感じてもらったりということをしていくことによって、ちょっとずつ中立性に関するところを考えていけるようなこともあるんじゃないかなと思っていますので、外部からうまく刺激することによって、中立性についてちょっとずつ悩んでみませんかみたいなアプローチをするようには心掛けているところです。
 すみません、何か答えになっていないかもしれないですけれども。
【篠原座長】 ありがとうございます。ほかにどうぞ、他の委員から。佃委員、どうぞ。
【佃委員】 大変すばらしいお話をありがとうございました。まず2点ほどお聞きしたいと思っているんですが、中立性を意識する余り、踏み込んだ議論をファシリテートするのに躊躇するというのは、全くそういう悩みをお持ちなんだなということはよく理解できるんです。踏み込めないその理由というのが、先生が何か踏み込んで自分自身の意見を述べられたり、言うとそれが正解だと思う、「タテ」の関係の正解だと思う生徒たちが、これが今までの教育で、誰もがそう思うので、そこを注意しないといかんというふうにいつも先生方が思われているから踏み込めないということは非常によく分かります。
 そこで、これ、前にも言ったかも分からないんですが、こういう正解のない、妥協点を見いだす、あるいは私益と公益のトレードオフの、政治というのはまさしく極端に言うと、これは渋谷教育学園である高等学校の先生が言われたので僕はびっくりしたんですが、そもそも私益と公益の妥協が政治なんだから、それを生徒たちに理解をしてもらわなきゃいかんと先生がおっしゃったので、正解というのはないということを一生懸命教えておられるんだなというふうに私びっくりしたんです。
 それを生徒たちにきちんと恐れずに先生方が言うには、自分の意見はこうだけれども、これに全く反対する意見の先生方、こういう方がいて、その方はこういう立場で物を言っておられると、むしろ先生方は旗幟鮮明に自分の立場をした方が。それをすり込んではいかんわけですが、中立性を守るということは、先生がどちらつかずの、私は中立の人間なんですということはこれ、あり得ないんだから、私はこうだけど、隣の先生はこう言っていると。これは、だから、先生方が皆、正解を持っているそれぞれの答えが違うんだから、それをどう妥協点を見いだすかというのが、それが政治だというのをきちんと踏み込んで言った方が、僕は、先生方もやりやすいと。自分は無色透明、公正中立なんて言わない方がかえってはるかに正しい教育ができるのではないかということを前々から、ちょっと前にも言ったんですけれども、それが大事なんじゃないかと。すり込んではいかんけれども、自分の立場を旗幟鮮明にする。
 そうすると、先ほど田村先生もおっしゃいましたように、今度は親とのディスカッションをするときにも、親は、この先生はこういう立場の人なんだなと最初からきちんとそういう知識があれば、議論の準備が親の方もできるということで、僕は非常に活発な議論ができるのではないかと思っています。これは是非、先生方の中立性というのは、個人が無色透明なのではなくて、すり込むことをしないで、左右の両方の意見をきちんと紹介して生徒たちの議論をファシリテートするということであるということに意識を変えてもらう必要があるのではないかと、こういうふうに思っています。それから、これについて現場の先生方はどう思っておられるのか意見をお聞きしたいと思います。
 2番目は、先生は正解ではないということを身をもって生徒たちに授業の中でそういう雰囲気を作ろうということで大学生を主体とした授業という御提案があったんですが、まさしく大学生や外部の人を入れると、生徒たちは正解を言う人とは思っていないでしょうから、だから、これは非常に活発な議論ができると。それのために外部の人を入れるというのは、これは非常にいいアイデアであって、御活躍なさっているんだろうと思いますが、1つ気を付けなければいかんのではないかと私が外部の人間として思いますのは、責任を誰がどう取るのか。
 僕は教育再生実行会議なんかに出ていつも一番感じるのは、先生方の非常に強い使命感と、それから、責任感。私は企業人ですので企業の立場からいろいろ意見を申し上げますと、企業は、失敗してどーんと赤字を出しても、5年後に回復してどんとV字回復をすれば、それで許されると。しかし、教育に、5年後はよくなるでしょうと。今回は失敗と。だから、今から5年の生徒たち、おまえたちは失敗の教育を受けたと。5年後にはこの失敗を受けて物すごくいい教育をすると、そういうことは許されない。これが企業との違いであると。それだけ強い使命感と責任感を持ってやっておられる先生方を見て、企業人としては非常にいつも意見を申し上げるのに口籠ってしまうところがございます。
 大学生や外部の人というのは、そういう意味ではその子供たちの一生の責任を自分は一生かけて負っていくのだという意識はどこまでお持ちなのかと。先生とは比べるべくもないと思うので、やっぱり先生主導で、大学生主導の授業ではなくて先生主導で、それを一部サポートする。正解ではないんだよという雰囲気を作るのに大学生を使うというようなそういう形、必ず先生がその中に入ってもらうと越智さんもおっしゃっていましたので、そういうふうにおやりになっているんだろうと思うんですが、そういう形は注意した方がいいんじゃないかなというような気が外部の人間としてそういうふうに思いました。
 以上です。
【篠原座長】 ありがとうございます。何かお答えもしあれば、どうぞお三方から。
【川瀬校長】 ありがとうございます。1つ目の教師自身の意見、考え方ということなんですけれども、私は、最近色々な場面で、こういう表現を使っているんですけれども、教師が例えば授業で机間巡視をしたり、発問をしたりいろいろする、生徒の発表が行われたときに何か発言をするんですけれども、それは学問的な背景の裏付けを得た多様な視点でコメントをしましょうと言っています。
 ちょっと漠とした表現で申し訳ないんですけれども、例えば、実は今日、新聞記事を読んだよとか、こういう本で読んだよとか、こういう講演会で聴いたんだという形で様々な背景、裏付けを持って多様な視点で整理したコメントをきちんと付けましょうといっています。子供が発表したり何かしたときに、「君の意見について、すごく視点がいいね。実はこういう視点、それと同じような視点をこの前こういう講演会を聴いたとき、こういう本を読んだときに見たんだよ。すごく共感したんだ。いいね。そのときに、その本の次の章でこんなことが書いてあったよ。もっと深めるといいよね」というコメントですね。政治的な部分についても同様に、生徒の発表の立場とか視点とかそういったものを定めて、明らかにしながらコメントしていく。
 先ほどの発表の中でポジションということを1つ実践のところで挙げさせていただいたように、やっぱりそういう位置分析をきちっとした上で、こういうベクトルがあって、この方向に変化していくことがこれからの動きだよねというような指示というか、やり取りができればなと考えています。ですから、常にそういう情報を教師自身が得て、自分の考えを自己更新していくというか、考えを更新していくというか、改変していくというのは常にやっていかなければいけないなと思います。生徒の考えの途中にある立場や視点を示しながら、子供とディスカッションしていくということです。
 2つ目の責任ということなんですけれども、これは私、着任、初任者、今から三十何年前に当時の校長に怒られて、「校長室から出てけ。おまえなんかもういいから出てけ」と言われたんです。振り返ったときに、あのとき僕は、「試行錯誤を恐れずに」と言ったんです。自分としては、一生懸命やります、大学出たまんまですぐ学校に来て、一生懸命やりますというつもりで言ったんですけれども、「試行錯誤を恐れずに」という言葉を言った瞬間に、時の校長はもう激怒。パフォーマンスはあったかもしれないんですけれども、「あんたはこれから三十数年教員をやるかもしれない。何回も何回も卒業生を出したり、授業やったりなんかするかもしれない。でも、目の前の子供は一回きりなんだよ。試行錯誤とかそんな甘っちょろいこと考えるな」というようなことを言われました。
 そこで思ったのは、先ほどの報告のときも言ったんですけれども、自ら学ぶ生徒をつくろうね、育てようねというときに、だから、自ら学ぶ教師であり続けるということが大事なんだと思います。目の前の子供は未来からの預かり物なんだ、でも、出会いがあって、縁があって、目の前で教師と生徒というつながり、関係性を持つことができた。じゃ、一期一会じゃないですけれども、そこを大事にしながら進めていく。
 外部の方をどんどん取り込むということはすごく大事です。学校現場はいろいろなチームというか、職種の方がチームを作ってやっています。私の学校は今、養護学校なんですけれども、教員以外に、理学・作業療法士がいます。看護師がいます。それから、介護員という、お世話をする、生活介護をする。うちは、重度重複の肢体不自由の人工呼吸器が付いている子供たちもいる学校なんですけれども、いろいろな職種、技能的な、技術的なスタッフが一堂に集まって、いないのはお医者さんだけなんですけれども、カンファレンスというかいろいろな事例を研究しながら、力を寄せ合いながら、子供たちの教育、学びを保障していく。だから、これからどんどん斜め、縦、横、2次元、3次元、4次元の関係の方を現場に取り込んでいって、そして、現場から、こういうニーズがある、教育的ニーズがあるんです、という「発信」を常にしながらやり取りをして膨らませていくというのが絶対必要かなと。常にこれでいいということはないので、学び続ける、考え続ける、思考停止しないということが求められていると考えております。
【篠原座長】 ありがとうございます。田村先生。
【田村座長代理】 私立学校の場合は、今の川瀬先生のお話、そのとおりの面もあるんですけれども、ちょっと違うところもあるので、私も申し上げたいと思います。余り最近は言われなくなったんですが、宗教教育がそのいい例なんですが、教育権の問題というのがあるんですね。それがどこに属しているのかという。私たちの国は、教育権が国にあるという意見が強かったわけですが、今、国際的にはそれが議論になっていまして、国際条約では、教育権は親にあると、これが明示されたわけですね。世界人権宣言に出ていますから。私学としては、私立学校としては、その教育権の在り方によっていろいろな対応が出てくるのかなと考えております。
 ですから、私どもの学校はやっぱりいろいろなことをやるときは、常に親の意識というか、親の考え方を確認しながらやっていくような手順を踏んでいるんですけれども、これはどうなんですかね、そこの議論をすると非常に難しくなってしまいます。例えば宗教教育というのは、明らかに教育権、その部分は宗教にあるという。フランスではそれがカトリック教会と国との争いになって、ライシテの原則というようなことが出てきたりして、でも、その原則が徹底できないとか、いろいろな議論が歴史経過的にはあります。その部分を佃委員は指摘されているんだろうなと思っております。ですから、正解はないという答え、これ、うちの教員が言ったんだと思うんですけれども、そのとおりだと思っています。そう思う背景には、親の意識、考え方があるというのが元にあります。ですから、NPO法人の方が授業に介入されるというのも、それは1つの考えだなというような、非常に面白い試みだなというふうに思っています。
 以上でございます。
【篠原座長】 どうもありがとうございます。越智さん、何かありますか。
【越智理事長】 まず中立性の話なんですけれども、僕も先生が自由に意見が言えた方がいいんじゃないかなと思うときもあります。やっぱり先生方はここをすごく気にされていて、ここが大きなプレッシャーになっている部分もあると思いますので、言えた方がいいんじゃないかなと思うんですけれども、同時に、その環境を作るために、生徒に批判的・創造的な力が必要であったり、生徒がこういうこともあったと言えるような場も同時に必要かなと思っています。
 実際うちのNPOに所属している高校生たちも、時々うちに来て、政権に批判的な意見を言っていたみたいな話をすることもあるんですけれども、何かそういったときに、「そういう先生もいるよね」とよく言うんです。生徒が「こうなんだ。でも、どうなんだろう」と思ったまま持って帰るんじゃなくて、それを吐き出せるような場であったり、何かそういった大人とか、家族もそうだと思うんですけれども、「そういった大人もいるよね」とか「そういった先生もいるよね」みたいなところでそこから一緒に議論できるような環境を同時に整えていくということも必要かなと思っているんですけれども、本当に僕も先生が自分の意見を言えた方がいいんじゃないかなというのは思っているところです。
 それから、2番目の御質問なんですけれども、まさに僕もここは一番注意しているところです。現場でも教員をしていますので、中途半端な大学生は入れないようにしています。例えば絶対あっては駄目ですけれども、生徒と連絡先を交換するとか、SNSを相互フォローするとか、そういったものは一切やるなという話をしていますし、前提としてそうですし、授業の内容についても、しっかりディスカッションをさせるのが授業作りの意味なので、ミーティングに来ないやつはとにかく現場に入れないとか、そういったところは事前にチェック、そこは僕もちゃんと入ってチェックをするようにはしています。それから、先生も入ってもらってというところもあります。
 それからもう一つ、個人的に思うところなんですけれども、多分、佃委員もこういう意味でおっしゃったのではないかという前提でお話しさせていただこうと思うんですけれども、先生方が強い使命感や責任感を持って現場で教えられているのは僕はそのとおりだと思うんですけれども、逆にそれが強過ぎるのが政治的中立に影響を与えるところもあるんじゃないかなと思っています。先生方がこういった生徒を育てたいんだという思いが強ければ強いほど、どうしても管理型になってしまって、「おまえたち、これ駄目だ」とか「こうしなさい」というのが強過ぎると、逆に生徒が、こうしなければいけない、ああしなければいけないというところにつながってくるところも正直あるんじゃないかなと個人的には思っています。
 特に愛媛県の場合はよく教育保守県だと言われるんですけれども、先生方もいろいろと御苦労されている部分はあると思いますが、やっぱりそういったところがうまく緩和されるのが外部との連携だと思ったりもするところがありますので、強い使命感や責任感を持って先生方が教職に当たられるのはもちろん大事なことだと思うんですけれども、同時に地域の方と一緒に、今の時代に即した教育は何なんだろうとか、そういったことを一緒に考えられるような場作りなんかが同時に必要かなと思ったりはしています。ありがとうございます。
【篠原座長】 どうもありがとうございます。委員の方から、他に御意見ございませんか。どうぞ、神津委員、お願いいたします。
【神津委員】 今日は大変貴重なお話ありがとうございました。それぞれ別の質問を1問ずつさせていただければと思います。
川瀬先生は、政治的中立性を過度に意識し、実施を控える傾向があるという問題意識の下に、本来の姿から避ける、あるいは踏み込まないという現状を変えていかなければいけない、という取組を重ねてこられたと思いますが、そういった中で、具体的にどのような障害を感じられたことがあったか、あるいはそれをどういうふうに乗り越えられたか、乗り越えようとされているか、というようなお話があればお伺いできればと思います。
 田村先生には、私立の学校というのは恐らく千差万別という中で、リベラルアーツ、ある意味、全人格的な素養を身に付けるような非常に理想的な教育をされているなと感じました。そして、政治的中立性との関係はむしろ家庭との関係で御苦労があるということでした。これは、例えば横やりが入るみたいなことが具体的にあるのかな、と思われたのですが、政治的中立性との関係での先生方の悩みというのは、田村先生のところにおいては、先ほどの、踏み込めない、要するに、かつての文科省の指針との関係で悩むという性格とはかなり違うのかな、と思ったんですけれども、その辺りのことをお伺いできればと思います。
 越智さんのご説明をお聴きして、私は、こういう形があるのだなと改めて思ったのですけれども、そもそもこういう取組をされることに至ったきっかけや、いきさつと、愛媛県の他にも同様な取組はあるのか、あるいは水平展開の状況についてお伺いできればと思います。よろしくお願いします。
【篠原座長】 では、まず川瀬先生からお願いします。
【川瀬校長】 ありがとうございます。具体的にどんな形での克服というか、障害を越えたか、2点事例的に御報告すると、1点目は、新聞を使ってリアルな政治的な現実社会の諸課題を取り上げていくといったところで、道内で、いろいろ新聞記事を使いながら、特に社説の見出しを書かせたり、その社説の文章の中を抜いて、そこにどんな事柄が入るかみたいなプリント学習的なことをやっていますが、ある学校での取組について道議会議員から「ある地域の実践でこういうことをやっている。いかがなものか」ということが、まさに不安とか杞憂とかではなく、強烈にあって、道教委から担当のエリアの教育局経由で学校に下りてきて、管理職が呼ばれ、いろいろ新聞にも出たりしたことがありました。
 そこで、これだからもうできないね、というふうに、やらない、できない理由にしないようにしよう。できるようにするにはどうしたらいいか。問題になった実践は1紙の新聞だけを使っていた。複数の新聞を使うとか、新聞記事の内容も、事前のいろいろな一連の流れやつながりの中で捉えられるようにする。学習課題やねらいに基づいて単元をつくり、新聞記事のこの部分を教材として使うという根拠をはっきり打ち出していく。場合によっては指導案の冒頭の方にねらいとして書いておこうというふうなことをしました。
 このようなことがあると、萎縮して、そういうのはやれなくなりがちなんですけれども、複数の新聞社からも応援をもらいながら取組ができるようにする条件、要件を整えて、今も続けております。
 それから、もう一つ事例としてあげると、模擬投票をするんですけれども、模擬投票を選挙公報を使ってやりましたといったときに、やって終わりというふうなものは、後でその事例を研究会で扱ったときに、ちょっと違うなと反省したものがあります。国政レベルでやると、模擬投票の結果と実際の投票結果はある意味あまりずれないんですが、ローカルな市議会議員選挙レベルでやると、生徒の投票結果と実際の結果とが、かなりずれることがあります。その分析をきちんとしなかったら、教材としては不十分だねという反省がありました。模擬投票やりました、模擬選挙をやりました、いいねいいねで終わるのではなくて、掘り下げるにはどうするんだと。市議会議員選挙のところであったのは、選挙公約で町内会の役員さんたちが集まる街づくりセンターを改修しますという公約を挙げた方と、働き世代というか働いている世代を応援するために児童会館を改修しますという公約を挙げた方とがいる。児童会館というのは、小学校が終わった子がすぐに帰れない、親がまだ働いていて留守なので家に帰れないので、しばらく運動したり、遊んだりする施設なんですけれども、そこを改修します。それぞれの候補の方が、町内会を大事にする、働いている世代を大事にするというそれぞれの意図・ニュアンスを持って公約を言っているのですけれども、子供たち、高校生が投票すると、町内会の街づくりセンターの方はもう全然人気がないんです。児童会館の方を言った方に投票しました。でも実際の選挙では、その方は厳しい結果でした。
 それはなぜか。児童会館は、体育館のような施設でもあることから、高校生は高校の学校祭のときにダンスの練習をするのに利用していて、あそこを改修してくれたらいいなと高校生は考えたようです。高校生の若い世代の前期社会保障がターゲットになるような部分でのニーズと、実際の選挙で一生懸命活動していらっしゃる町内会の役員さんとか高齢者、シニアの世代がターゲットになるような部分でのニーズとで、ずれがあるということもきちんと分析して、指導して、教材として授業実践していかないと、ただ模擬投票をやりましただけでは、打ち上げ花火のような実践で終わってしまうという反省があります。いろいろ実践交流ををするべきですが、それをするときに形ばかりでなく、この教材、この手法とか取組は、どういうねらいがあり、どういうところをポイントとして押さえないと効果がないのかというところまで共有しておかないと、ただやりましたで終わってしまい、あまり前に進んでいけないという反省があります。
 以上です。
【篠原座長】 ありがとうございました。田村先生。
【田村座長代理】 今御指摘いただきました文科省との関係はなかなかに難しいものがあることは認めております。具体的に私どもの学校では、学習指導要領はもちろん尊重します。できるだけそのようにやるんですけれども、親との意見あるいは地域の要望、生徒からの意見、いろいろなものがあるんですね。それらを踏まえて、年度初めに、実は中1から高3まで、4月から翌年の3月まで授業の中身をシラバスにしまして、週刊誌より、もうちょっと厚い冊子ですけれども、保護者に対して学校の特徴、方針など全てをそこに明示しているわけです。尊重して教育をしていきますよというつもりでいますので、そのためにもシラバスを作っているわけですが、親にもそれを渡すわけですね。
 そして、中身についての議論でいうと、最近の経験では、例えば場所が渋谷ですので、LGBTの議論が生徒の中から起きまして、それを校内の委員会でやるというんですね。授業じゃ駄目だと言ったら、「じゃ、委員会でやらせてくれ。それは認めてくれるか」と問うので、それはいいよと言いましたら、そこに区長さんを呼んできて、区長さんも1時間半ぐらいいたかな、高校生と一緒になって議論していました。非常に面白かったですね。私立学校の場合には地域によってはそんなことも起きています。
 それから、主権者教育の場合は、そういうような類いの、フェイタルなというか、致命的なというか、非常にこれは本当に困るなというほどの極端な、変わったことは今までは経験しておりません。生徒も親御さんもそれなりに良識があるというか、よく分かっている人たちですから、いろいろな希望もあるし、いろいろな意見も出ますけれども、それは適宜対応してやっています。シラバスを作ることで学校の責任を明確にし、それを公表することによって教育の実施を容易にするという面がございます。これはやらざるを得ないだろうと思いますね。それはやらなければいけないことだろうと思っていますので、ずっとそういうことをやっているということでございます。
 以上でよろしいでしょうか。
【篠原座長】 ありがとうございます。越智さん、さっきの神津委員からのは、全国の他の地域にこういうのがあるのか、そういう連携はどうなっているのかということだと思います。
【越智理事長】 すみません、分からないんです。どれぐらい広がりがあるかちょっと分かってなくて、もしかしたら小玉委員の方がその辺御存じかもしれないんですけれども。紹介させていただいた選択別の授業、生徒たちが選んで、自分たちが関心のある授業課題から授業に参加しましょうという形は、これはうちオリジナルで一応出させてもらっていますので、もしかしたらうちがやっているだけなのかもしれないなと。選挙啓発とか政治に関する授業はよくニュースで目にはするんですけれども、結構身近なところをNPOの大学生が作ってやるというのは、すみません、あまり聞いたことがないので、分からないです。
【篠原座長】 大分時間が押してきましたので、あと御発言なさっていない方、もしあれでしたら、コンパクトによろしくお願いします。
【植草委員】 植草でございます。すみません、時間のないところ。1つだけお三方にそれぞれ聞きたいんですけれども、今議論されている政治的な中立性といったときに、教員側の教えるという形での政治的中立性ということが焦点化されているような気がするんですけれども、例えば学校内において、生徒が政治的活動もしくは政党とのいわゆるアクセス等でそういう活動をしたときに教員がどういうふうな対応をするかというところが、私自身もすごく自分の中でどうしたらいいかなという部分があります。
 というのも、18歳の投票が設定されたときに教育委員会等から出てきたものが、生徒を公選法違反にさせないということが全面に出されていく。これは当然そうだとは思うんですけれども、そこがもう大前提になってくる。そうすると、学校の中の政治というのがすごく無色透明化する。結局そういうことであれば、学校の中から政治というものが出ていくという形の方が手っ取り早いですね。
 ところが、2016年に、前回の大統領選のときにテキサスに行くことがあって、そこの中で見たとき、向こうの、選挙制度が違うし、カルチャーも違うんですけれども、学校の中で、もちろん教員の政治的中立性という、教える側の中立性というのは、これは担保されているということは向こうの校長に聞きました。ただ、生徒が学校内で活動しているんですね。テキサスですから、ティーパーティーとかそういうところの集会とか、そういうポスターとかがたくさん貼ってあったりとか、そういうのがあって、なかなかこれは全然日本と違うなと。すごく生徒がそういう活動をしている、そういう風景を見て、どういうふうな形で主権者教育をやっていくといったときに、その辺のところというのは1つ議論になるんじゃないかなと思うんです。
 お三方、それぞれのお立場あると思います。公立学校、私立学校、それとNPOと、そういう形で、生徒の政治的活動若しくは政党とのアクセス、そういったところにどのように思われるかということだけちょっと。
【篠原座長】 お三方、大変恐縮ですけれども、時間が迫っているので、ごくごく簡単にお願いいたします。
【川瀬校長】 政談というんですかね、政局についてこうだ、ああだというふうなことを取り上げるのはあまりしておりません。逆に何を公立学校でやっているかというと、SDGs等について、例えば30年後、50年後を見通して、じゃ、今、未来に向けて何を創っていくことが大事なのかという、まさにこれも政治だと思いますので、人間の営みをどう創っていくのかというところはどんどんやらせているというところです。
【篠原座長】 ありがとうございます。では、田村先生、何か一言。
【田村座長代理】 どういうわけか不思議なことに、私どもの学校ではそういう活動が生徒の中から出てきてないですね。1つ気にしているのは、とにかく生徒会活動を盛大にしようという、それはもうどんどんけしかけているんですけれども、それが今の政治的活動につながっていかないですね、それは現状として、むしろ心配になってしまいます。何にも言ってこないから、本当に考えているのかなと心配になってしまうぐらいですね。現実には日本の高校生の相当部分は関心がないというか、やっぱり受験の影響があるんじゃないかなという気がしますね。
【篠原座長】 ありがとうございました。越智さん、大変申し訳ないけれども、一言。
【越智理事長】 愛媛県の場合は、政治的活動に参加する場合に届出をしなければいけないという校則がありますので、そもそもこういったことが起こり得ないというのが前提にあるんですけれども、個人的には、そこまでやる必要はないけれども、学校内で政治の宣伝とかをするのはちょっと厳しく見ていった方がいいんじゃないかなというところは正直あったりします。
【篠原座長】 あと、中村委員、きょうは御意見いいですか。どうぞ。コンパクトによろしくお願いします。
【中村委員】 川瀬先生にちょっとお伺いしたいんですけれども、先ほど先生たちがやっぱり迷っている、何々をやってはいけないのか、どこまでやっていいのかというので悩まれているということでしたが、それはどこを、何に対して、誰に対してと言った方がいいのかな、に悩んでいるのか。生徒なのか、先生たちの話なのか、父兄なのか、教育委員会なのかという、いろいろあると思うんですね。悩んでいることが、どこに批判されるのが怖いのかなという部分。長年、例の50年にわたって政治的な課題について慎重にという文科省の通達を受けた先生たちが世代的にまだ多いですからね。そういう部分で、そこで悩んでいる対象はどこなのかというところだけちょっとお教えいただければと。
【篠原座長】 では、川瀬さん、お願いします。
【川瀬校長】 答えにならないような答えで恐縮なんですけれども、お手元の資料の2番目のところのアンケートの自由記述に出ているとおりで、多岐にわたっております。ポイントはこれだけ、この1点だけというような悩みではないんです。本当に悩んでいます。ただ、そういう先生方と一緒に研究会活動、学習会をやるときには、まずは授業だよね、授業は一丁目一番地だから、まずそこをきちんとやった上で、一歩二歩周りに広げていこうねというスタンスに立っています。政治的中立性に悩んでいるというのは、本当に人によって、周りから言われる、管理職から言われる、親から言われる、でも、こういうことやりたい、自分の経験でこういうことをやってすごく学んだ、それを子供たちに伝えていきたい、一緒に学んでいきたい、といういろいろな思いが人それぞれというか地域ごとにあります。そういった思いを支えていく。まずはそのための柱立てとして、授業、授業改善から一歩二歩進んでいこうというのが在り方かなと思っています。
【篠原座長】 中村委員よろしいですか。お三方からきょうは大変参考になる御意見いろいろお聴きして、委員の皆さんと活発な議論もできて大変有意義だったと思います。私、お聴きしていて、やっぱり政治的中立性の問題というのはどこまでも悩み続けて、どうするのかという、なかなか解が見いだしにくいテーマではあると思います。中村委員も経済同友会の委員長で、レポートを作るとき随分悩まれたと思いますけれども、しかし、そういう悩みながらその解を求めていくというプロセスは僕は大変大事だと思うので、きょうはそういう大変いいプロセスを踏ませていただいたなと思っております。
 本日はこんなところで議事を終了させていただきたいと思います。
 では、事務局から今後について御説明お願いします。
【石田学校教育官】 次回日程は改めて御連絡をさせていただきますけれども、次回も引き続き、政治的中立性の担保の方策、教員研修の在り方について御議論を頂戴したいと考えてございます。本日御発表いただきました先生方、誠にありがとうございました。また、委員の先生方におかれましては、またお気付きの点、御意見等ありましたら、事務局まで随時お寄せいただければ、また今後の取りまとめに生かしてまいりたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。以上でございます。
【篠原座長】 それでは、本日はこれで閉会といたしますが、年内はこの会議はこれ最後になりますので、コロナ禍ではございますけれども、どうぞよいお年をお迎えください。どうもありがとうございました。

―― 了 ――
 

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