いじめ防止対策協議会(平成28年度)(第5回) 議事録

1.日時

平成28年10月12日(水曜日)10時00分~13時00分

2.場所

文部科学省 旧文部省庁舎6階 第2講堂

3.議題

  1. 第1回~第4回までの議論を踏まえた総括協議
  2. いじめ防止対策推進法の施行状況に関する議論の取りまとめ素案について

4.出席者

委員

相上委員、愛沢委員、新井委員、石鍋委員、高田委員、實吉委員、水地委員、種村委員、田村委員、東川委員、道永委員、村田委員、森田委員、横山委員

文部科学省

瀧本大臣官房審議官、藤原初等中等教育局長、坪田児童生徒課長、松林生徒指導室長、丸山生徒指導調査官、山本専門官

5.議事録

≪議題(一)第一回~第四回までの議論を踏まえた総括協議≫
 ※事務局より資料一の説明。


【委員】  まず率直な感想を申し上げると、非常に分かりやすく明快になったなという気がする。具体的に四ページにわたって、この認知について書かれているけれども、まずは一のところの定義の解釈の明確化ということで、ここが非常に分かりやすい形になっているというのが、申し上げた大きな要素である。
 特に初期段階あるいは軽微な内容であったとしても、しっかり学校がそれを把握することによって次につなげようという、こういった意思の明確さが出ているのかなと思っておる。そして、それを補う形で二、三、四。特にけんかということに対して、これも具体的な例を示していただきながら、非常に分かりやすいのかな。
 つまり、双方向のいじめという言葉がキーワードになるかと思うけれども、AとB。最初は軽微ないじめであったとしても、それがエスカレートしてしまう。そしてそれが、いわゆるけんかという状態になるということ。こういった例は極めて多いのかなと思っておる。
 なので、正に最初に出てきた初期段階あるいは軽微なものであったとしても、これもしっかりけんかとして終わるのではなくて、やはりいじめの一つであるという認識、非常に明快な回答になっているかと思う。
 続いて三つ目の部分だけれども、ここは違和感という言葉が、感想としてだけれども、やはりキーワードかなとして感じた。つまり、見逃さないという極めて分かりやすい姿勢。
 二つ目の丸のアンダーラインの部分。このあたりを、特に教職員に徹底できるかなという、そういった本当に現場の状況をしっかり踏まえていただきながら、分かりやすい言葉で作っていただいたと感じている。
 最後に四番目の「いじめ」という言葉を使用しない指導ということで、これは正直申し上げると、非常にこういったことのノウハウというわけではないけれども、実際にケースとして有り難い。特に小学校とか、比較的年齢がまだ小さいときには、つまり親切や好意であったとしても、いじめになってしまうよと。このいじめになってしまうよという注意喚起の言葉が、実は非常にいじめ防止という最も大きな要素になるのかなと思っている。
 申し上げるまでもないけれども、起こってから対応するよりは、そういったことを防ごうという姿勢、こういったことを児童生徒に伝えることが非常に大きな要素かなと思うので、繰り返しになるが、本当に分かりやすくまとめていただいたと思う。冒頭私の方でいろいろお話をさせていただいたけれども、しっかり、そういったことをお考えになっているなという、ちょっと上からで申し訳ないが。
【委員】  私も今までの議論が随分うまくまとめられているなと思うんだけれども、これは、この表現自体で、まだおまとめになるということではなくて、現段階のまとめということなんだろうか。用語的なことまで、今ここで意見申し上げた方がいいのかどうか、ちょっと伺いたい。
【座長】  今後の扱いについて、行政的にどういうぐあいに、これが措置されていくかということも含めて。
【委員】  今後これ自体の、この認知についてという、今のペーパーというのは、ある程度もう修文もされていくというものなのかどうかと。
【事務局】  修文は、もちろん可能である。
【委員】  もちろん可能だと思うんだけれども。どの段階か知りたかった。細かくはともかくとして、そういう意味で大変分かりやすくなっていると思うんだけれども。若干ここの表現で気になったのは、まず定義のところで、社会通念上のいじめと乖離(かいり)したという表現を使っていらっしゃると思うんだけれども。確かにそういう認識はあるんだけど、乖離(かいり)するというと、何となく通常のと違って、広過ぎるというかね、何かそういうニュアンスが入るように思うので、最終的に出される、いじめとは捉えないものでも広く捉えているとか、何かもう少し前向きな表現があるといいなと思ったのと、ここは括弧内のところに付けていただいている教訓として出てきたという、ここを表現していく上で強調していただくのが、そこを納得していただくのにいいんじゃないかなと思って、この四行ほどの括弧のところが大変にお伝えいただく上で重要だと感じた。
 それと、3ページ目の大丈夫と言ってしまったようなところで、1つ目の丸なんだけれども、当該児童の表情や様子をきめ細かく観察するなどとする必要性。ここ、大変に重要だと思うんだけれども。それとの関係で、この下側の、ただし、これこれを排除するものではないとあるんだが、これは排除するとかというよりも、やっぱり、この点も大変に重要だと思うので、最終的に表していただく際には、もうちょっと重要性が分かるような表現ぶりが頂けたらいいかなと思った。
 それと、4個目の好意で行ったりしたような場合のところについて、先ほど室長の方から御説明の中で、大げさと捉えられるような場合までという御表現があったかと思うんだけれども。これは今、座長からもあったように、そのことの大小ということではなくて、やはり、それが、これもいじめになってしまうんだよという表現が指導を受ける側(がわ)に大変に入りやすいための御配慮だと思うので、そのあたり、こういう問題については、加害生徒側に対する指導の方法として、むしろ使わない方がいいケースもあるというような感じでも、いじめという表現を使って指導しない方がうまく伝わるのではないかと感じた。
【事務局】  今、委員がおっしゃった、乖離(かいり)した行為のところ、表現を前向きにするように。
【委員】  はい。前向きに。
【事務局】  あと括弧の四行を強調するというのは、そのとおりだと思っておる。
 それから三ページの、ただし児童生徒本人や周囲の状況等を客観的に確認することを排除するものではないと、この部分は、国の基本方針から抜粋したものだが。
【委員】  このままの表現か。
【事務局】  そこは、排除するものではないというより、もうちょっと積極的にやるという考え方は、我々は議論したんだが、そこはまた検討させていただきたいと思っておる。
【委員】  分かった。
【委員】  四ページの「いじめ」という言葉の使用しない場合の指導例で、非常にいい事例が載っているんだが、このところ、A君が教えてあげるという行為、このことについての評価はどうなんだろうかね。B君は、先教えてくれちゃったんでというような気持ちを持ったけども、A君の親切さ。これは隣が困っているから、ちょっと教えてあげたのかもしれないし、この辺の学校の指導というのは非常に難しいと思う。余り決められないんじゃないかと思うし、こんなところを生徒指導上の問題として、どういうふうに進めていくか、大きな試練じゃなかろうかと思うので、御研究いただければと思うんだが。
【座長】  これは、どういうぐあいに変更すればよろしいだろうか。
【委員】  難しい。非常に難しい点だと思うんだけれども。結局その状況を担任、指導者、それが把握していない限り、ちょっと答えられないと思うんだけれども。
 本当に、このBさんが困惑してしまっていると、そういう状況がはっきり、その指導者に見えたならば、これなりの指導が全体として進められていくんだけども、本当の好意でA君がそのような教えてあげて、B君が、ちょっとへそ曲がりなところもあるけれども、そんなところを、二人を呼んで指導するか。ほかの人も、そういうのを知ってもらわなくちゃ困るわけだ、ほかの子供たちも。したがって、大勢の前で、どういうふうに指導するかと。この辺がちょっと、いろいろ工夫を必要とするところじゃなかろうかと思うんだがね。
【座長】  現場の方から何かあるか。今のことに関連して。
【委員】  それに関してなんだが、本当にそう思う。Bさんが「ちょっと自分で解くから言わないでね」と言ったときに教えたら、これはいじめになる。でも、そうなっていないときに、親切で何か教えてあげようという気持ちのときに、あなたのはいじめだよと子供に言うのは、何かちょっとあれだなという。だから、その辺は、Bさんの状況とAさんの状況をしっかり細かいところまで確認しないと、それを安易にこれはいじめであるというのは、例と示すのはどうかなとは、ちょっと思う。
【委員】  まず言わないいじめでは、いじめとは児童生徒に言わないということが前提になると思うので。これは非常に分かりやすいんだけれども、こういう学習法、学び合いとか教え合いというのは、恐らくこれから先、非常に広がっていくのかな。むしろ奨励している部分かと思う。
 なので、むしろあって、この事例としてもらうことはいいかもしれないけれども、全く違う観点で考えたときに、何かこわごわやってしまうような部分が出てくると、せっかくの新しい学び合いという部分に関して、やや消極的にならざるを得ないなという、ちょっと心配もある。
 事例としては多分ほかにも出てくるかなと思うけれども。基本的には、要するに学校としてはいじめの一つの範疇(はんちゅう)に入れるかもしれないけれども、このAさんにしても、Bさんにしても、それぞれそういった認識はない中での指導になるかと思うので、その辺、さっきの部分、私が申し上げた新しい学習の方法と、うまく整合性を持っていただけると、よりいいのかなと思っておる。
【委員】  今の委員の御指摘は、現場にいる校長という立場でいくと、教員たちにどう指導していいか、非常に迷うところだ。特に昨今アクティブ・ラーニング的視点に立ってということが今後、指導要領の中でずっと出てくるから、これは日常的に教育の現場で起こる事態だと思う。だから、ここら辺はかなり慎重にしなければいけないなというのが私の意見だ。
 それから、先ほど集団で注意するのか、個人で注意するのかということのお話があったが、集団の中でいろんな話をしても、自分には関係ない話としてとるのが今の子供たちの大半だろうと私は思う。だから、そういう意味では、対応していくには、やはり個別個別の対応をしていかないと、全体の中でいろんな話をしたことによって、かえっていろんな誤解を生んでいくということがあると思うので、その辺は注意していただければと思う。
【委員】  スクールカウンセラーの立場で考えてみた。取りあえずA君が、そういう授業中に泣き出したという事実があるわけだから、この泣き出したことを、どういう背景があるのかなということを理解して、たとえB君が親切心でそういうことをしても、A君にとっては、それはもう少し自分で解きたかったということだという、B君にもA君の心を、思いを伝えたり、またA君も、そういうときにはこうしようねとかいうことを指導するチャンスとして、機会として、学校の先生方が、そこのところを取り扱っていかれたらいいんじゃないかなと思うんだが。
 いじめとか、いじめでないとかいうこともあるかもしれないけど、取りあえずA君が何らかの思いで泣いているわけだから、その泣いた背景をよく理解し、子供たちが理解できていないところを大人の目として、こういうことなんだよということを伝えていくことが社会性の強化になっていくんじゃないかなとは思ったけど。これをいじめだとか、いじめで扱わないとかいうようなレベルでなくて、彼が、A君が泣いているという事実をもう少し客観的に見て、大人として、その背景が理解できるのが一番重要じゃないかなと思った。
【委員】  今のようなお話がたくさん出てくると思う。しかし、後の指導の中でB君が、泣き出した方のB君だね。また指導の中で、これを早く教えてもらったから、これから役に立つんだよという言葉が、指導者から出たとする。ただ、このB君が何歳であったか、発達段階があって、どの学年だか、ちょっと分からないけども、進学を控えている子供さんだったらば、先生の指導によって、そういうヒントを早くもらって良かったねという指導もできるし、あるいは小さい年齢、低い子だと、本当に分からないのに余計なこと言われちゃったなという感情を子供は持つかもしれない。その辺も、発達段階をよく押さえた、事後の指導の個々に合う指導のいろんなポイントが出てくれば、これは分かりやすいと思う。
【委員】  これを、第一回のときもお話あったと思うが、どういう形で使うかということが大事になってくるんだと思う。けんかの捉え方とか、それからごく初期の段階のということも、いじめとみなして見逃さないようにするということは大事だと思うんだが、その見逃さなかったときにどうすればいいのかということを現場の先生方が分かるようにしていくことが多分、一番求められているんだと思う。
 その意味で言うと、今の四番目のところは、いじめの芽があるかもしれないところを見逃さずに適切に指導しようという具体的な指導の仕方が示されているので、多分、先生方によっては、ああ、こういう考え方をして、こういう対応すればいいのかなと役に立つものになる可能性はあると思う。
 ただ、その前のところに関しては、A君が大丈夫。例えばプロレスごっこをやっていたということについては、A君が「大丈夫です」と答えたので、いじめと認知しなかったとあるが、これを認知した場合には、どういうふうに対応したらいいのか。A君に対して、どう対応し、またB君やC君に対しては、どう対応するのが望ましいのかということまで付けていただいた方が分かりやすいのではないかと思う。
 特に、このプロレスごっこのA君に関しては、本人が苦痛を感じていても、それを否定する場合があるということなんだが、まず苦痛を感じて、そして自分が今つらいんだというSOSを御本人さんたちが出せるような教育も、とても大切だと思う。その意味で言うと、つらかったらつらいということをきちんと言っていいんだよということ、それを教えることとか、それからまた、やってしまっている側(がわ)も、ふざけているだけかもしれなくて、相手がどこまで、その苦痛を感じているかということの共感性が低い可能性もあるし、人の痛みが分かる人を育てていくことによって、いじめを防止するということもあると思うので、これだけやられたら、どういう気持ちがすると思うかとか、実際にどんなふうに痛いと思うかとか、そういうことを考えられるような語りかけが先生方からしていただけるといいんじゃないかと思う。
 そうすると、その場面だけを切り取ったときには何でもないことのように見えるかもしれなくても、その前後の文脈も含めて捉えるということが必要だろうし、逆に、非常に重大なことのように見えても、それは本当に、ただふざけているだけだったということもあるかもしれないので、イタチごっこになってしまうようで申し訳ないとは思うんだけれども、どうしても、これをいじめと認知しようという定義の仕方をすることの難しさを常に認識しながら、ここを検討する必要があるんじゃないかと思う。
 もう一度戻るんだけれども、この解釈を明確化して、その上で、これらをどういうふうに使われていく予定なのかを、もう一度確認させていただければと思う。
【事務局】  一応、議論の整理としては、このペーパーでは、いじめの定義はどうかとか、あるいはいじめをどう認知するかという認知段階のスクリーニングを議論するペーパーであって、その後、じゃあ、いじめと認知したらどういうふうに組織的に対応するのか、あるいは重大事態に一体どう対処するのかというところは、また別のまとめをしようと思っていて。
 だから、おっしゃったとおり、先ほどのプロレスのやつでも、認知した後どういうふうに指導していくかという話もあると思うんだが、私がここで説明した鍵としては、いじめを法律に当てはめると、これをいじめと扱うのか、いじめではないのかということを決めないと、この先に行けないので、まず、そのいじめとしてのスクリーニングのところの議論とお考えいただくと分かりやすいかなと思っている。
【委員】  今の御説明は分かった。そうすると、この場面を見たときに、これはいじめだということを先生方に認知してくれということになるわけだ。ということは、逆に前後の脈絡を分からなくても、この場面で理解するということを求めるようになるんだろうか。それとも、これまでの経緯から、A君はいつもこういうふうにやられているとか、ほかの場面で見ていても元気なかったから、ああ、ここはやっぱり、この子はいじめられているんだなというふうに特定の場面を見たときに、いよいよ解釈付けるというか。その現場の判断て、実際のところ、どういうふうにやられるのかが、なかなかイメージしづらいんだけれども。あるいは現場の先生から教えていただいてもいいんだが。
【座長】  その前に、事務局、この今の検討しているペーパー、いじめの認知。これは、どういう形で今後、現場へ周知される予定なのか。つまり、取りまとめもあるね。これは公表していくね。それに併せて附属資料として付ける。あるいは別途、課長通知という形で出す。いろんなやり方があると思う。
【事務局】  方法論として幾つかやり方があると思っていて、一番レベルが高いのは基本方針のところをちょっと変える。それから次は通知を出す。あるいは事例集みたいなのを、具体的なものを執務資料として紹介すると。そのいろんなレベルがあると思っているので、もし抜本的に、どうしても仮に基本方針のところの書きぶりを変えないと駄目だということであれば、そうなる。あるいは基本方針はそのままだけど、基本方針のけんかというのは、けんかを除くと書いてあるけれども、実は除くけんかってこういうものなんだよということが示せれば、通知を新たに出し直すということでも対応できるかと思っておる。
【座長】  ということは、この議論を受けて、基本方針の検討も視野に入れるということになるか。それは改めるかどうかは別にして。恐らく後の論点からすると、若干いろいろと基本方針は書き改めていかなきゃいけない部分が出てくるね。これは、そちらへ反映させる基礎資料ということになるわけか。
【事務局】  反映させることも……。
【座長】  あり得る基礎資料か。
【事務局】  あり得る。はい。ただ、この資料一。
【座長】  そうすると、今いろいろと議論が出てきておる事例の事細かな部分というのは、それほどこだわるものではない。そのまま基本方針に載っていくとすれば、もちろんこだわらなきゃいけないけれども。
【事務局】  例えば、先ほど議論のあった算数の事例。算数の事例なんかも、これは基本方針と矛盾するものではないので、この算数の事例についても、いじめに当たるということを、通知とか、あるいは執務資料みたいな形で示すこともあり得ると思っている。
 ついでに申し上げると、もしかしたら算数の例というのは若干例が、御議論聞いていて、極端過ぎたのかなと思っておって。ここが言いたいのは、法律の定義上は、幾ら一方の生徒が好意的にやったことであって、親切心でやったこと、好意的にやったこと、悪意がなかったものというのは、恐らく社会通念上は普通はいじめと言わないことが多いと思う。そういうものであっても、された方が心が傷つければ、法律上はいじめに該当するケースがあるよと、そういうときにでもあるけど、そういうときに指導するの結構大変だよねという御議論があったことを踏まえて、こういう例を書いたわけであって、もし、お互い教え合ったりするのが今のやり方なので、それとの整合性という御意見もあった。
 例えばA君は一生懸命考えて、「教えないで。僕、自分でやるから待っててね」とB君に言っていたと。だけどB君が、余りにも時間がたったので親切心で教えてあげたらA君が泣き出したとか、例えばそういう事例にすれば、少しは。この事例は確かに、B君はすごい親切でやったのに、ちょっと極端過ぎるかもしれない。この事例を工夫することは可能だと思っておる。
【委員】  文部科学省の方の答えではないんだが、私なりの解釈は、一回目の議論のときに、不明確だった部分をより分かりやすく説明していたもの、そこまでしか、これはないのかなと思っている。だから、マニュアルというか、こうなった場合にこれはということではなくて、本当に注意喚起。どのように捉えるかという部分で、例えばけんかについては、けんかで収まるだけでない場合の方がむしろ多いのかな。その発端を考えたときに、双方向のいじめ的な悪口であったり、そういったところから発生するものがある。したがって、そこをしっかり見逃さないようにしようというのが二つ目の部分。
 三つ目については、これはここに書いてあるとおりなんだけれども、違和感を持った好意、これに対して、しっかりそれを、その場で終わるのではなくて、背景をほかの生徒から聞くとか、そういったことまでしっかり突き止めよう。これがあるからいじめとかそういうことではなく、一つの線引きに近いもの、そういったものなのかなと捉えている。
 四番目。私さっき決して駄目ということではなくて、場合によっては今やろうとしている様々な学習方法に少し水を差す部分を感じる先生方がいるかもしれないということで申し上げた。でも、これは正に、繰り返しになるけれども、いじめという言葉に対しては、教員も児童生徒も、やっぱり非常に違和感というか、嫌なイメージを持つ。だから、これはいじめだよと頭ごなしに言うのではなくて、やはり、そういったところを薄々感づかせる。つまり相手の立場に立って考えたときに、どういうふうに考えるかという、本当にその意味で分かりやすい事例なのかなと。
 答えを出してしまうと、これはそういう立場ではないけれども、例えば教員を目指す学生であったりとか、あるいは若い先生方、やはり自分で考えなければいけない部分かと思う。こういう場合はいじめ、こういう場合ではいじめではないということではなくて、そこに至るまでの人間関係であったり、あるいはそこに、その事件というか、その場面にあっての周囲の状況、こういったものをしっかり考えさせないと、本当にもう全部何か書いてあるとおりにやらなければいけない。大げさなようだけれども、そもそもの教育の部分というものがどんどん少なくなってしまうのかなと思っている。
 そんなに間違ってはいないと思うんだけれども、そういうような捉え方を私はした。
【委員】  さっきお話しいただいたように、この認知については、いじめをどう認知するかということでお話あったので、方法論について後でまた議論するということだから、認知について言えば、昨年度だっただろうか。都道府県によって、その認知の件数はかなり違うということから出てきているので、捉え方が違うということだよね。そうした場合に、今この事例が示されているんだが、私から、率直に申し上げて、これ、ちょっとあらあら過ぎるなと。これをいじめと、これがいじめじゃないというのは、もうちょっと細かくしないと、現場は、また温度差がかなり、件数の違いが出てくるな。時々「校長、これ、いじめじゃないですよね」って、教員と議論するので、「これ、どうなの」。そうなったときに、いや、これはいじめじゃないよね、これはいじめだよねというのは、この資料ではなかなか、まだ判断がしづらいと。もしかしたら間違った方向に行ってしまって。これは後の方法論にもつながっていくので、もしかしたら認知については、初期段階とあるが、初期段階というよりも、早く言えば、ほんのささいな行為のいじめだよね。初期段階というと中期、その後もあるようなことがあるので、文言をちょっと変えた方がいいかなと思っているんだが。ささいないじめの行為はこういう程度とかだね。
 さっきお話しいただいたように、悲しい顔をしていることがあるだけじゃなく、度々とあるよね。繰り返しとか、こういうポイントを示されると、学校現場としては、それを認知し、件数に入れていけるという感じがする。
 一つ目のごく初期段階の、授業中に先生に指されて答えられないAさんにBさんが「こんな問題も分からないの」と言った。Aさん、ショックを受けて下を向いてしまった。これ、Aさんはショックを受けて下を向いてしまったと。さっき、これがあるからいじめとみなしたということなんだけど、そういう、ここで概念規定すれば、それはそれでやっていけばいいだろうし、現場としては、もうちょっと丁寧に、後々これは分からずに、いじめというのじゃなくて、その人の性格とか何かがあって、ふっと出ちゃったということなのか。そうじゃなくて、いつもそういうふうに人に嫌がらせをするタイプなのかで、いじめも若干違ってくるんだが。ただ、それをやっちゃうと、また件数が違っちゃうので、これは、ささいな行為のいじめとしようというのはいいかなとは。
 ポイントを、もうちょっと丁寧に示した方がいいかなと。全部、具体的な例を見て、そういう感じはした。件数は、これだと、まだちょっとずれが出ちゃうなという感じがする。
【委員】  この事例全体を見ていて、学校現場というのは、やはり事例が出てくると、その事例が絶対であるように思い込みやすい。こういうふうに指導しなければならないというマニュアル的な捉えをしてしまう教員は、間違いなく出てくると思う。
 そこで、事例の提示の前段として、これ、お話あったら、もうそれで構わないんだけれども、これは正に一事例であって、いじめを認知するためのきっかけとか、その認知力を高めてほしいんだというようなPRをきちっと打ち出して、考える材料にしてくれという提示の仕方は必要なのかなと思っている。
 次は違う視点だけれども、例えば三ページのプロレスのところで、当事者が否定をするというのがあるんだが。読んでいる限り、この否定は、「いじめられているけども、いじめじゃないんだよ、先生」と訴えているように捉えられるんだが。今、子供たちの状況を見ていると、いじめられていることに気付かない。また、いじめられているんだけども、いじめじゃないとなぜか思い込まされてしまっているとかね。様々な複雑なものが絡み合うので、事例を出したときに、この否定が隠しているというイメージだけで進んでしまうと、教員は、そういう対応をしがちになる。
 なので、繰り返しになるが、なぜこれを出しているのか。これをきっかけに入り口にして、いじめに対する認知というものについて考えようというのを明確に出してもらえると、随分違ってくるかなという印象だ。
【委員】  やはり四番目の一番下の三行か。今回云々(うんぬん)と、これあって、同様の行為が指導後も続いて、Aさんが苦痛に思うことがあれば、Bさんとその保護者に対して、定義に基づき「いじめ」に当たることを伝える必要がある。これは確かにそのとおりだとあるんだけれども。今度は、初期の段階での話が出てきていたけれども、この後期の段階として、こういういじめに当たるよということを保護者に対して言うわけだよね。そのときに、この保護者が、事後の問題として子供に、「おまえ、いじめてやっているんだろう」、こういうような指導を家庭でした場合に、その後の動きがどうなるかと、そういう懸念もある。だから、この辺のところ、ちょっと難しい点かなと。
 これが流れはいいんだけれども。定義に基づいていじめに当たることを伝える必要があるとしているんだけれども、おそれがあるとか何とかというのは、もう少し柔らかく書いて、親の指導が頭ごなしに言うのか、もっとソフトに言うのか、そんなところも家庭によって違うから、大きな問題で。強く言ったって今度は、子供が自分が言われたので、また何かに走らないとも限らない。この辺のことも指導上の大きな問題になってくるので、やっぱり校長先生が心配するような問題とか、十分考えられていった方がいいんじゃないかなと思う。
【委員】 このペーパーをどのように利用するかというのが、まだはっきりしていないようなんだけど。四項目のうち三項目は確かに事例で、こういうものを、こうやってけんかと捉えるんじゃなくて、いじめと捉えようねということになっているんだが、四つ目だけは指導例になっているので、それで皆さんがすごく違和感を抱くんだと思っている。
 指導例というのは、またこの事例に対して指導方法を別に組み立てるというお話なのだろうか。どちらかというと、もう指導例じゃなくて、こういった。さっき、どなたかおっしゃっていたけど、泣いてしまったということで本人たちは、もしかしたらいじめと感覚を持つかもしれない。そこは大事である。でも、これもいじめの一つとなり得るよと、例示しているのだろうか。
 ただ、子供たちに指導する。指導という言葉を使っていいかどうか分からないが、そのときには、いじめという言葉は使わないようにしようねぐらいの方が、この事例に関してはよろしいかと思う。ここだけ余りにも指導例、指導の仕方が細かく出ているので、それでちょっと私は違和感を覚えた。
【委員】   当初から非常に細かな定義をしようというところは多くの委員の反対で、例を挙げた方がいいんじゃないかということで、それを取り入れていただいて、こういう形の例で示していただいたのは非常に良かったと思っておる。
 一点言いたいところは、けんかということが、このいじめの除外になるんだといったところ。法律家として考えると、その除外事例は何だということを、しっかりと明確にする必要性は、また改めてあるなと考えておる。
 例えばけんかの捉え方、二ページのところだけれども、二の例で言えば、これ双方ともいじめであるという捉え方をするという理解だよね。そこのところもしっかりと明記することが必要だと思うので。
 一番のポイントは、この(二)のところで最後に、いじめと認知することを要しない「けんか」は極めて限定的であるという言葉だけが出ておって、先ほど室長のお話だと、突発的に短時間のものぐらいということをおっしゃっているんだが。そうすると、じゃあ、どういうものなのかといったところを、ここも私個人としては、こういう事例だといったところをある程度例示してもらった方がいいのかなと、個人的には思っている。
 我々、大阪の方で勉強会もいろいろやったりしているんだけれども、いじめを除くといったことが本当にいいのかという議論、出ているんだね。法律として。いじめって何かと、よく分からない。みんな、けんかになってしまって、いじめではないと言われてしまうんじゃないかと。今まで、やっぱりそういうことで。先ほど大津のこともあったけれども、大津もけんかだというところで認定されてしまった。学校の方では認定してしまったようなところがあると思うので。じゃあ、ここで言う除外のけんかとは何ぞやといったところは、もう少しクリアにした方が、現場の先生方も分かるのではないかな。あるいは、この法律を適用して、例えば弁護士が学校の方と交渉するときにも、じゃあ、いじめの定義はこうだ、除くけんかのところはこうだといった形で明らかになると、いろいろ交渉するに当たっても非常にいいのかなと思っておるので、そこは一点、御検討いただければなと思っておる。
【事務局】  これは、実は後ほどの議論の取りまとめでも、いじめの定義の解釈の明確化を計るというのが一つの、これ自体は誰も異論のない方向性だと思うが、それにチャレンジすると、これだけ難しいんだというのを皆さんに御理解いただいて御議論いただくという素材にさせていただいた。というのが、第一回の一応、この定義の難しさ、宿題で、委員を始め、いろんな方々から、余りにも法律的、理念的に定めることは良くないのではないかという御議論の中で事例をということで出したんだけど、やはり事例を出すと今度は、事例の細かいところで、ケースによって、これは解釈が違うではないかということも発生するし、この典型事例に当てはまらないものはいじめと解釈しないというようなことも発生すると。これは実は、もう絶対起こり得るトレードオフ的な問題があることを御議論いただきたかったということもあって。
 だから、多分、基本方針とか通知で示せるのは、もう少し総論的な部分であって、例示で挙げた部分は、もっとほかの例示の方がふさわしいものであれば、そういうものに差し替えたり、ちょっと改変しつつ、ある意味、校内研修などで、正に道徳の授業の教材のような形で、これどうなんだと。こういう条件だったら違ってくるだろうとか、いや、こういう場合でもなり得るんだという議論を先生方でやっていただく素材にしていただくということが私は適切じゃないかと思っていて。
 また、実は校内研修の実施率が、いまだ三年目を迎えても百%になっていないという実態がある。そういうところに供するような教材として、国立教育政策研究所と一緒に、またリーフのような形で反映できたらということなので。そういう意味では、このまま何かクレジットが入って通知になるわけではなくて、基本方針、通知、そして教材というか、研修の素材に、また反映させていくということであるので、きょうの意見をしっかり踏まえたいと思う。
【座長】 今、事務局がおっしゃったように、ある程度これはひとつ今後の指導の在り方も含めて、やはり素材として扱っていっていただくということで、そういうことも含めて少し冒頭に明記、これをどこかへ出すというか、あるいは公表ということになったときには、それは趣旨を、あるいはその使い方等も含めて、やはり明記していただく必要があるだろうと。
 それからもう一つは、今、若干一、二、三、四の番号の振ってある一番頭のヘッドラインのところで、多少解説は加えているが、もう少し抽象的なレベルでよろしいので、どういう趣旨かということを明記していただく必要があるだろう。
 例えば今、議論が大変多く出てきた四番目の事例。これはいじめというのは、我々の頭の図式の中で、大体加害者の方がよこしまな意思を持っていて、そしていじめという事態が起こるという、この図式。つまり悪が悪という、この図式の中で捉えている。しかし実は、善意なり、親切なりというところからも、いじめというような事態が生成するんだよ、発生するんだよということを改めて認識していただくことは必要だろうと。これはごくささいな例で事例が出てきたので、ここで議論が沸くと、随分議論が指導方法まで含めてなってしまうけど、やはり深刻な希死念慮まで行ってしまうケースも随分あるわけだ。
 クラブの対抗試合なんかで、一人の子が、どうしても結果に足を引っ張らざるを得ないような子供が出てくる。そうすると、みんなは盛り上げて、いい結果を収めようとする。しかし、そのこと自体が。だから、みんなは、いい雰囲気の中で、全体の成果を、喜びをみんなで味わおうという気持ちでやって、そして特定の子に集中しちゃう。そうすると集中された子は、いじめとは受け取らずに、自分が駄目なんだ、申し訳ないんだ、みんなに迷惑を掛けているというところへ追い詰められていって、希死念慮と言われるところや、ある場合には自殺という事案も出ている。そういう事案に対して、やっぱり、そういう表面的には、みんなが。それで、被害者の方も、いじめられているとは感じていない。自分が悪いんだという、こちらの方へ向かっていくという、そういうケースも随分ある。となると、やはり、そこのところにも含まれてくる問題はある。
 だから、これは一般の企業社会でも、どこでも、よくあることなんだね。そういういじめの事態について、やっぱり注意は喚起しておかなきゃいけない。そこのところは、やっぱり、しっかりと説明をしておかないと。皆さん方は今までの知識の中で悪が悪という捉え方をしていたところに、実際には善が悪を作るというところもあり得るし、あるいは無自覚がいじめを作っていくというケースもあるわけだ。そういうものを、やっぱり拾い上げていく一つのきっかけとして、ささいなところに、こういう事例を見いだしていくということも大事なところなので。そういう趣旨をしっかりと上の方で少し解説をして、そして下の方へ行っていただく。
 具体的な指導案については、いろいろとあるけれども、これを事案として、事例として、検討を現場でも使うように、素材として、教材として、ひとつ御検討していただくというようにしていけば、先ほど村田委員がおっしゃったように、アクティブ・ラーニングのような方向へも、その導入口として使えていく形になるんだろうと思っているので、この辺の作りの体裁みたいなもの、もう少し後の汎用性を考えて表現していただければなというのが、皆さん方の御議論を集約すると、そういうことかなと思っている。
 事務局の方、そういう体制でよろしいか。今の表現にも、恐らくそういうお考えが含みとしてあったんだろうと思うので。
【委員】  私、やっぱり一番引っかかっているのは、社会通念上と乖離(かいり)しているという表現である。これは誤解を招く可能性がある。つまり、いじめじゃないと普通思っているのを、なぜいじめとするんだと。だから現場で、例えば実際に事象が起きたときに、法に照らして、被害者はいじめだと言う。加害者の方は、いじめじゃないだろうと。それは社会通念上とかということが意識されるわけだね。
 私は、飽くまでもこれ、法の定義というのが、一般の捉え方とは違うんだけれども、学校教育の場の中で、いじめを捉える姿勢、あるいは視点として、このようにしていくんだということを、もっと明記した方がいいかなと。社会通念上の乖離(かいり)ということではなくて、法の定義に基づいて、いじめを認知することが、子供たちを守る、あるいは子供の幸せにつながっていく。そういう姿勢と視点でやっているんだということを強調することがいいことなのかなと思っている。
 現場では、どうも、いじめの指導と、ほかの生徒指導が別物のように捉えられてしまう。実際には、例えば最後の例だって、子供が授業中に泣いていれば、当然先生は支援し、注意し指導する。それが何かいじめか、いじめじゃないかによって指導のやり方が変わってくるかのような印象を持ってしまう。
 案外いじめで失敗している例を見ると、生徒指導的な対応がうまくいっていないというケースが多いんだと思う。だから、飽くまでも、いじめを見つける、捉える姿勢、視点という観点で例示も示すし、定義も捉えていくことを強調した方がいいのかなという感想を持っておる。
【委員】  今の御意見に続くものだと思うが、統計をとってみて、いじめとして上がってきた数が余りにも違うので、いじめをちゃんと認識することを前提にこの議論が進んでいることはよく承知している。そこはとても大事なことだと思うんだけれども、見直していただくときのお願いとして、やはり認知をすることと、きちっと対応すること両方を考えなければいけない。どう認知をするかが大事だということが前面に出ると、一番大事な対応をきちっとすることが抜けることになりはしないか。ちゃんと対応して、組織的にそれを判断するというところを、どこかで強調していただけると有り難い。
【事務局】  こちら、いじめの認知をしっかりすると。この後また別の論点もあるが、そこで認知した場合に、組織対応をどうするかということも、委員おっしゃったとおり、しっかり議論して、方向性を出していきたいと思っている。
【委員】  先ほどのお話で、事例集みたいなものは作られるのか、作られないのか。最初の頃の議論として、文科省の方がいろいろ調査したときに、何でこれ、いじめと認知しないのかといったところの何か事例を結構持っていらっしゃるというようなこともお伺いしたので。例えば、こういう場合いじめと認知しなかったらば問題があるから、これはいじめと認知しようみたいな形の、さっきの研修資料というものでも結構なんだが、そのようなことは具体的には今の段階でお考えになっていらっしゃるのか、もうそこまでは今の段階で考えていらっしゃらないのか。あれから大分時間もたっているので、何か方向性があれば、少し教えていただければなと思う。
【事務局】  正に後半の議論のアウトプットをどうするかということだが、そういうものも、我々のこの協議会の議論を通じてみれば必要かなと依然として思っている。
 それはいじめそのものの認知のいろんなケーススタディもそうだけど、重大事態のケーススタディも必要だし、あるいは実際いじめ法施行後も起こっているいじめによる自死、自殺の報告書等から何が教訓として再発防止に生かせるかということも一つ事例化して分析を加えつつ提供することも大事だと考えておる。
 ただ、それをばらばらに教材化したり資料化したりするということなのか、一つパッケージで何かそういうものを作るのかということについては、ちょっと後半どれだけそれを、そういうものがあるかというものを御議論いただいて、考えないといけないなと思っているけれども、そういうものがあればいいという必要性については、事務局としては、いまだに思っておる。
( 休憩 )
≪議題(二)いじめ防止対策推進法の施行状況に関する議論の取りまとめ素案について

 ※事務局より資料二の説明。

【委員】  若干気付いたところを申し上げる。八ページの中段のところだ。いじめが解消に至っていないにもかかわらず、謝罪をもって解消として、支援や見守りを終了するケースがあると書いてある。そもそも、いじめの状態が解消したことをもって問題が解決したという捉え方自体に課題があると私は思う。いじめの状態が子供間でなくなったとしても、その後再発しないように見守ったり、子供の集団を支援するということが大事だと思う。そこから、いじめの被害に遭った子供の心のケアに手を着けていくことが大事だと思う。そういうところを強調していただくと、いじめの状態が解消した以後も、問題が解決して学校の責任を離れたという捉え方にならない。そのような書き方をしていただけると有り難いと思う。
 もう一点、いじめの加害者の登校停止ということについてだ。いじめられた側(がわ)が、つらい状態が続いて、いじめられた側(がわ)が転校しなければいけなくなるような事例は本当論外というか、いじめられた子が徹底して守られるということでここの記載はとても大事な部分だと思う。けれども、いじめの被害で亡くなられた御遺族の方もおっしゃっていたように、いじめた側(がわ)の子供についても支援、指導の対象として、ちゃんと見守る必要があるということを、併せて御記載を頂くのが有り難いと思う。
 いじめた側(がわ)についても、いじめたことが様々な問題になって、その子供のその後の生活に支障が出たり、いじめた側(がわ)の子供の自殺に結び付くようなことは決してあってはならないので、そんな視点を盛り込んでいただけると有り難いと思う。
【委員】  三点申し上げる。まず四ページの左上、学校のいじめ対策組織についての文言だけれども、正直これは厳しいのかなという受け止め方をしておる。情報共有の場だけになっているような書き方をされているけれども、ここについては、情報共有の場としては役に立っているが、解決に向けての発展性に欠ける場合が多いぐらいに、ちょっと弱めていただけるといいのかなと思う。
 同じくその部分で右側になるけれども、例えば生徒指導専任教員であったりとか、その下の外部人材の導入、またその次のページの下にある外部専門家等、あるいはスクールカウンセラー・スクールソーシャルワーカー等の派遣、そして六ページの右下、児童生徒が必要とするときに相談できる体制の整備、スクールカウンセラー及びスクールソーシャルワーカーの配置、常勤化。これが本当に私は、この会議に出させていただいて、とにかく一番お願いしたいことだ。
 定数であったりとか、いろんな法的な部分、ほかの省庁との関連もあるかもしれないけれども、正直、先生方は本当に忙しい。なので、こういった配置をしていただくことによって、そのいろんな意味での軽減化であったり、そしてまたいじめの防止、撲滅について、少しどころか、かなり大きく発展するかなと思っている。
 最後に五ページの、先ほどおっしゃっていただいた部分だ。教職員の日常業務での優先順位においてという、このあたりだけれども、これは、あえて括弧付き部活動よりもというのが相当反発を招くと思う。これ、申し上げるまでもなく、大体部活動を一生懸命される先生は生徒指導においても活躍されているケースが多いし、もう一つは、優先順位ということに対しての反発は物すごくあると思う。恐らくここで言いたいのは、授業があって、その次になるんだろうけれども、だとしたら、むしろ、本当に命に関わる部分であったら第一優先であろうし、あえて、こういった説明しなくてもいいのかなという気がするので。ここについては、先ほど事務局もおっしゃっていただいたけれども、是非いろんな意味での配慮をしていただけると有り難いなと思う。
【委員】  今のことに少し関連してなんだけれども、いじめをもちろん防いで減少させていかなくちゃいけない。だけれども、もう一方で教員の負担とか、あるいは教員の萎縮だよね。その辺が私は気になるところがあって、今御指摘のあった五ページの、例えば日常業務において自殺予防、いじめへの対応。もちろん学習指導もあるし、いじめだけじゃなく生徒指導上の課題はたくさんある。その中で、もちろんこれは大事なんだけれども、何か今、委員が御指摘したように、いじめ、いじめと言ってしまうことが、かえって縛ってしまうような気がしてしようがないような感じを私は持つんだ。
 そういう点で、いじめの情報共有は、地方公務員法上の懲戒処分となり得ると。法的にはそうだと思う。私も研修等で、法ができたのはそういうことであるということを申す。ただ、その情報共有がといったときに、これも問題なんだけれども、教員の感度の問題があったり、あるいは隠匿するとかというのではなくて、指導力が足らずにそうなってしまった。だから、それは、その指導力を付けなくちゃいけない。教員養成の場にいる者として、そういう言い方は非常に無責任に聞こえるかもしれないけれども、図らずもそうなった。もちろん、いじめについても、好意的な場合もいじめであるということはあるんだけれども、これは結構きついなという気が正直した。
 もう一点。教育委員会に報告してメリットがあるということ。これは私はとても大事で、相談したり。これ学校の中も同じである。相談したり、あるいはいじめがあったということを組織に上げる、教育委員会に報告することによって、その報告したことが生かされてプラスになれば報告はもっと上がる、相談も起こると思う。
 ただ、このいじめの法ができた後、私、幾つかの方公共団体の附属機関の委員をしておるけれども、教育委員会の指導主事の仕事量が非常に増えているんだ。ここ上げなさいといって、もちろん嫌とは言わないけれども、上げていって、じゃあ教育委員会がそれに対して実効的な支援ができるかといったときに、本当に地方の、一人で学習指導も生徒指導もみんなやっているという指導主事もいるわけだね。現状で言うと、指導主事のなり手も減っている。そういう中で、人的な補償なしに余り強くこういうことを強調すると、どうなのかなという懸念というか。みんなが頑張っていじめに取り組もうというのが、逆にうまく示していかないと、萎縮させてしまうんじゃないかという懸念を、この五ページに関しては私、若干感じておるので、あえて言わせていただいた。
【委員】  まず、先ほど委員がおっしゃった八ページのいじめの解消と判断した後が大切だというところが私、全く同感であって。学校現場にいると、いじめが解消と見えても、その後、再発もあるし、また、いじめはなくなっても子供の心は非常に沈んでしまっているという状況は多々あるので、そこは是非、私、全く同感なので、強調していただきたいというのを、まず一言申し上げる。
 今八ページで説明したので、八ページでもう一つ。インターネットによるいじめ。これ、全日本の中学校長会でもアンケートをとっているんだけれども、これが非常に今、全国的に課題だ。見えないということだね。気が付いたときには、かなり大きないじめに発展をしている。そういった状況が多々あるということで、ここの部分をもっと厚くできないのかなというところだ。事例も含めて少し厚くして、もっと訴えていただいた方がよろしいと思う。
 そして、あと二点である。二ページなんだけれども、二ページのいじめ防止基本方針の現状と課題と丸の二つ目の対応策。入学時とか各年度の開始時に説明をすると。実はこれ、当然のことだと思うし、大切だと思う。ただ、学校の現場のお話をすると、実は入学時、非常に煩雑である。様々な情報を伝えなければならないということがあるので、逆に、これをもっと出してほしい。埋もれないようにしてほしい。はっきり言うと、埋もれてしまうのである。PTAを決めなければならない。子供たちに学校のルール説明しなければならない。教科書を配らなければならない。もう何をやっているか分からない状況に陥りやすいので、あえてここを出していくことによって、年度初めの意味というのが見えてくるだろうと私は思っている。
 最後、六ページのところで、これは質問だ。体験活動は非常に効果が高いというのはもっともなことなんだけれども。長期宿泊体験活動の取組を推進すると出すということなんだが、現状では二泊ないし三泊の宿泊行事が行われている自治体が多いと思われる。ただ、この長期がどれぐらいの期間を考えられているのか。また実際に今そういった宿泊行事がやられている中に、こういう打ち出しがあった場合に、現実問題できるのかというところがあるので、ちょっとこのあたり、お考えがあったら教えてほしい。
【座長】  長期宿泊の件だけ、少し答えられる範囲で。
【事務局】  長期宿泊体験については、これは飽くまで方向性だけれども、誰もが一泊よりも二泊、二泊よりも三泊ということをおっしゃる。ただ、それに応じて、いろいろ課題というか、コストの面もあるし、それだけ時間がとれるかという話題とか、付添いの人の確保とか、問題が出てくるんだが。武蔵野市のセカンドスクールという名称でやっている、六泊七日ぐらいでやっていると思う。ああいうことが非常に効果的であるということ。我々、実は今年度、あそこに入って調査研究を授業でしているんだけど、非常にいろんな効果が見えてきているというのがあるので。
 ただ、全ての学校で実際、本当に一泊二日、二泊三日で九割五分ぐらいやっているという状況で、それをロングにしていくための課題とか、乗り越えるべき支援というか、やるべき支援を実は今、国の施策として一方で進めておるので、こういうところとあいまってという形で、方向性だけ示させていただいているということで、別途、実はこれ、課題を詰めるところがあって、そこと連動する形で今年度中に検討できたらなというところだ。
 ほか、いろいろと、メンションだけさせていただくけど、非常に重要な御指摘いただいたと思っておるし、ちょっと厚くしてという部分、逆に本当に有り難い意見だと現場からと思っているので、そこ強調させていただいて、どのような学校でもきちんとやっていただけるような体制作りを、そこで、ある意味、突き動かすんじゃなくて、下から盛り立てて支援する形でやっていただくようにやっていけたらと思っている。
【委員】  まず六ページのスクールロイヤーの関係のところなんだけれども。法律の専門家による法教育、進めていただくということ自体は、もちろん賛成なんだけれども、ここの中身として、法教育として行われているということは、人権の重要性であるとか、ルール作りとか、そういったことを分からせて、指導していくということだし、特に最近力を入れているいじめ予防授業というのは、いじめがいかに大きな人権侵害であって、その被害者、加害者双方に、どんな痛み、傷を残すかとか、それを自分たちでどう解決していくかといった視点で行われていることが多いと思うので、ちょっとこの書き方として、刑事罰云々(うんぬん)だとか、損害賠償とか、そういう視点を教えることが、そのスクールロイヤーを活用する例という形では、ちょっと弁護士会でやっていることと外れているのではないかと思うので、この点、どんな表現ぶりがいいとかというようなことも含めて、もう少し丁寧に、この期間中に意見を出させていただきたいと思う。
 同じような視点でもあるんだけれども、出席停止のところについても、先ほど出席停止をしないことで被害者が転校云々(うんぬん)と。確かに、それは大変問題なんだけれども、じゃあ被害者が転校しなくていいほどの長い期間だよね。それを出席停止で対応するというの、そもそも、ちょっとそれは難しいことだろうと思うので、この辺も書きぶりをもう少し工夫。確かに余りにちゅうちょし過ぎているという例があるのかもしれないが、その辺はもう少し書きぶり、御検討いただきたいと思うのがある。
 もう一つ、情報提供の関係。八ページのあたりとか、第三者委員会のところも含めてなんだけれども、被害、加害のそれぞれの保護者に丁寧に説明をするとか、情報を出すと。一般論的には、それでいいのかと思うんだけれども、どこまで出せるのかということを、そこを余り示さずに情報提供を丁寧にということになってしまうと、双方のかなり個人的なところみたいなのを全部伝えることはできないラインというのがあると思うので、このあたりももう少し細かく、こういうことはできるとか。その辺は、ただ情報提供を丁寧にという書きぶりだけだと、ちょっとこれはどうかなと思うので、どんなところに気を付けて、どういうところまで出すのかというあたりを、もう少し書き込んでいく必要があるかと思う。
【委員】  まず四ページ。いじめ対策組織についてで、校内研修等を企画する組織云々(うんぬん)とあって、先ほど来いろいろ先生方の御意見にある中で非常に、やっぱり先生方が多忙であるといったところから、それを運営していくところの難しさというのは議論としてずっと出ているところで、いろんな校務が減らない一方で、またこういったものが来たときに、どれだけ現場が耐えられるのかなというところは少し懸念されるところである。
 それから、地方公共団体のいじめ防止基本方針が策定済みは六十三%といったところが若干気になるところであって。都道府県は百%であるけれども、これは努力義務だからといったところもあるのかも分からないが、何で六十三%なのかなというところが、ちょっと気になるところである。問題意識なのか、優先順位が地方公共団体と違うのか分からないけれども、百%に近づける努力は必要なのかなと。
 そこで、全国組織の私どもPTAとしては、各都道府県はもちろんだけど、市町村にも、それぞれの単位のディテールがあるので。教育懇談会という名を打って、そこの市町村の首長さんと懇談をする機会というのは大体あると思う。そこで大体質問を事前に投げ掛けて、学力についてどうであるとか、あとは今回のいじめについてどうであるという質問を投げることによって、少し意識の向上を持っていただくことが可能なのではないかなと思うので、その辺は私どもでトライしてみたいなと思っているところである。
 最後に御提案いただいた七番の法の理解増進等で、十ページの現状と課題ということで、このいじめ防止対策推進法に基づく対応について保護者の理解が不十分と。これはおっしゃるとおりで、そこについて全国組織の、まず私ども日本PTA。単位PTAの数を言うと三万弱ぐらいは私どもの会員と把握をしておるので、そこに対する、単Pまで行き届くようにということで先ほど事務局からあったけれども、まず、それぞれの都道府県の会長たちに意識を持っていただくことが重要ということで、早速、今週の土曜日に、私ども全国組織の会議があって、そこに文部科学省の職員に、御講演を頂くようになっておる。
 いじめ防止対策推進法に基づく対応ということで三、四十分程度お話を頂いて、まず皆さんに知識を高めていただくことが一つと、それから鳴門教育大学の阪根教授にも御登壇いただいて、テーマとしてはネットいじめの未然防止及び解決に向けた指導と対応ということで、初めて聞かれる全国の会長たちもいると思うんだけれども、突発的にこれをやろうということではなくて、この議論も含めて恒常的に、やはり、ずっとあるんだという意識を保護者側も持つ必要があるなと、そういう観点から継続的に。いろんな議論で対症療法と原因療法とあると思うけれども、原因療法に近いような形で保護者もやっていく必要があるなといったところで関わらせていただきたいと、このように思っておる。
【委員】  この素案そのものに対しての意見ということではなくて、御理解いただきたいと思うんだが、まず学校設置者と学校の関係をどうするかという書きぶりが多分多いと思う。それは公立学校だったら当然だろうと思う。私立学校の場合には、学校法人と学校との関係どうするかということが問題なのであって、その学校法人も、大学法人の場合もあるし、中高法人の場合もあるしということで、法人の形態が大分違っている。この中では一応、私学担当部局という書き込みをしていただいているが、私立学校として、学校としてこれをどう捉えていくのかということと、設置者である学校法人としてどう捉えていくかということも、私としては非常に悩ましい問題を抱えているので、その辺また御協議いただければ有り難いかなと。
【委員】  まず五ページだけれども、教職員定数の改善云々(うんぬん)ある。これは本当に実行が可能だったら一番すばらしい話だと思うので、必ず実行ができる内容で書き込んでいただければと思う。
 あと、先ほどからお話が出ているスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーだけど、今、絶対数が非常に少ないというのが現実なので、その方々の育成だとか、そういったことも書き込んでいただければと思う。非常にこれから大事だと思っておる。
 あと、先ほどインターネットの話も出たが、今やっぱりスマートフォンの時代だと思うので、医師会として今メディア依存ということで、かなり問題視をしておる。それといじめも関係しているので、どちらかというと文部科学省、今、総務省もそうだが、あと保護者、メーカー、そういったものも全部一緒になって、かなり強い姿勢を示す必要があると思うので、非常にここは厚く書いていただければと思う。
【委員】  一ページ目から気になったところだけなんだが、申し上げる。
 まず一ページ目のところだが、教職員にいじめを認知することの抵抗感がある。やっぱりマイナス評価されるんだと。ここがかなり一番大きいところだと思うので、ここのてこ入れは非常に大事だと思っている。毎回、私、申し上げているけれども、文科省の方から昨年出された通知の徹底を是非やっていただきたい。
 あと、なかなか現場の先生方まで行かないし、あるいは保護者まで行かないということを考えると、マスコミとちゃんとリンクして、こういうふうに文科省、国の方は考えているんだといったことを、もっと大々的に言うべきではないかなと僕は思っておる。
 それから次が弁護士が関わってくるところだが、四ページのところだ。いじめ対策組織への外部人材の参画。これを是非、弁護士を活用していただきたいなと思っている。大都市であれば弁護士の数がかなりいるので十分だとは思うんだけど。そうはいえ、大阪の現状を言うと、この組織に入るのは、子供の権利を中心にやっているメンバーなんだね。そうすると、実質的に動ける人数は非常に限られていて、同じメンバーが三つ、四つ、掛け持ちしているというところが正直ある。なので、もっと地方都市に行くと、かなりこの人材の確保は難しいとは思うんだが、これも、やっぱり県弁護士会と、例えば文科省の方でいろいろ話をするとか、そのような形で人材の確保ということを、もっと大々的にやっていただくことが必要ではないかなと思っている。
 特に事案が起こったときの事実認定を重視するということからすると、やっぱり、これは法律家がいないと、正直なかなか難しいのではないかなと思うので、どの組織にも弁護士一人は確実に入るようなことを、私としては意識していただければなと思う。
 それとの関連で、ちょっと下世話な話かもしれないけれども、予算の確保ということもしっかりと、それに併せてやっていただく必要があるのではないかな。弁護士は自営でやっているところあるので、結構そちらの方に時間をとられた場合に、それなりの報酬がないと、なかなか弁護士が全部に参画してくれと言われても難しいところがあるのではないかなと思っている。
 それから同じく、先ほど委員の方からもお話あったが、六ページのところだ。現状、弁護士会の方では、法教育に基づいて、いじめの予防に関する出張授業を行っておる。私がいる大阪でも、かなりそこを充実させておって、私自身も十数回、学校の方に寄せていただいておる。
 その中で中心になっていることは、ここで求められているような刑事罰の対象になること、それから不法行為に該当して損害賠償が生じること。この話もしないことはないんだけれども、一番のポイントは、いじめは人権侵害であるんだといったところを一番強調している。
 その中で、加害者もそうだけれども、結構傍観者の人たちに、どのように仲裁者になるような働き掛けができるかといったところを、かなり意識しながらの授業を試みておるので、そこら辺のところも少し意識していただければと思う。
 これは最後の八ページの解消ということにも関連すると思うんだけれども、いじめの問題は加害、被害だけの問題ではなく、それを取り巻く観衆とか傍観者。いじめの四層構造で言うと、そこも含めて、あるいは保護者、それから地域を含めての解決、解消といったところまで行かなければいけないだろう。いじめ予防授業のところでも、そこまで広げて、いろいろお話をしているところがあるので、弁護士が関わるといったところは、もうちょっと人権侵害、人権教育といった点のところも強調していただければなと思っている。
 それから、そのときに併せて、私の方はよく子供たちに言っているのは、やっぱり自己肯定感とか自己有用感が低いといったところが大きな問題。それから多様性を容認できないといったところも、やっぱりいじめ、差別の問題とつながってくる。この性同一性障害のところも、正にそこと関連することなんだろうと思うので、そのような教育のために是非、弁護士の活用ということも今後考えていただければなと思う。
 その体制をスクールロイヤーという形でするのがいいのかどうかといったところも、これまた弁護士会内部でも、どういう立ち位置がいいのかというのは、なかなか確固としたものがない。今スクールロイヤーの対応としてやっているのは、大阪は大阪府の教育委員会へスクールロイヤー九名派遣しておるので、そこの実態も少し御調査いただいて、全国に公表していただく。これは飽くまで日弁連の中で議論しなきゃいけないところなんだけれども、現状先行しているのは大阪府がやっているので、そこに調査等をしていただければなと思う。
 それから、繰り返しになるが、八ページの解消のところだけれども、これは先ほど申し上げた加害、被害だけではなく、それに関連する子供、あるいは地域社会との関係の修復。いわゆる修復的正義と言われている概念を是非、この解消の中で広めていただきたいなと思っている。
 私も教員研修の方で呼ばれて、いろいろお話しさせていただくが、解消というのは、やっぱり修復的司法の考え方。いろんな関係が、このいじめによって、みんな切られてしまっているんだと。そこを回復していくのが本当の解消なんだといったところを、もう一度しっかりと意識するようなことが必要ではないかなと思っておる。
 それから同じところの出席停止。これは先ほどからいろいろ議論になっているところだが、どういう場合が本当に必要なものなのかといったところ、なかなか難しいところもあるとは思うんだけれども。出席停止の使い方についても、非常にデリケートな問題もあるんだといったところは、現場でもそのように考えてはいるとは思うんだけれども、ここも、やっぱり丁寧な対応が必要なのではないかな。
 安易な出席停止って、また次のトラブルにもつながる可能性は出てくるし、やっぱり加害をする子供に、かなりいろいろ自分の持っている背景事情があると思う。そこにどれだけ関わってあげられるかといったところがすごく大事で、場合によっては福祉とつながるといったことも大事だと思うので、安易な出席停止で終わりということのないように意識していただきたいと思う。
 あと二つ、九ページのところだ。重大事案の明確化といったところで、これはなかなか基準作り難しいところだと思うんだけれども、一つ忘れていけないのは、やっぱり被害を受けている側(がわ)の方から、これは重大事案であるといったときに、それは重大事案とみなして動くといったところが、なかなか現場で徹底できていないんじゃないかなと思う。ここのところは是非しっかりと徹底していただくことが大事ではないかなと思う。
 同じく九ページの首長による再調査。ここは今二つ事例を挙げていただいているけれども、重大事案の場合だと、やっぱり最初の調査結果に対する不服、不満があるときの、いわゆる裁判で言うと第二審みたいな意味合いもあると思う。そこのところをどこまで広げるのか。再調査がメーンになってしまっても、ちょっと問題があると思うんだけれども、そこのことをどう考えるか。ここに挙げていただいたことになると、なかなか再調査まで行かないんじゃないかなと、逆に危惧があるので、ここももう一度御検討をお願いしたいところだ。
  最後の十一ページのところで調査研究。これ非常に重要なことだと思う。是非データベース化していただいて、国の方でいろいろと研究していただきたいなと思うんだが、せっかくできたデータベースであれば、国だけで保有するのではなく、例えば弁護士会の方でもいろいろ研究とかしているので、外部にもそのデータを出せるような形で少し御検討いただければなと思っておる。
【委員】  そうしたら、少し細かくなるかもしれないけれども、二ページである。学校いじめ防止基本方針。私は、これがとても大事だと思っていて、あればいいというものではない。策定のプロセスが大事であったし、見直しが行われるかどうかということが、学校の生徒指導体制あるいは組織文化を見直している。残念ながら、ある市のサミットというか、生徒会長、副会長を集めたシンポジウムで、生徒に「自分の学校の基本方針読んだよね」と言ったら、全く読んでいない。つまり、策定にも参加していない。それはその地域の問題かもしれないけれども、作る、見直すというのが学校自体の見直しのいい機会になるので、是非そこは強調していただきたいと思う。
 それから基本方針の中で、学校生活を送る上での安心感。これ、とても大事だと思う。加害者への抑止効果。これもあるんだろうけれども、全体的に法自体が、加害者が抱えている問題をどう取り扱って成長を支援していくかという視点が少し弱い気がするので、加害者への抑止効果というのをもう少し。抑止効果と成長支援みたいな何か書きぶりになるといいのかなと思った。
 あと一点。七ページのアンケートである。法ができた後、アンケートがいじめ発見のチャンネルになっているというのが、二十%台であったのが五十%に非常に増えた。少し危惧するのは、アンケートを過信している嫌いがある。
 これ、ある学校の校内研修に呼ばれて、いじめのことについて話してくれ。うちはいじめはないと。要するに、いじめがあるかないかという聞き方なんだ。そうすると、いじめられていないとみんな答えてくると。それ、記名でやっている。じゃあ、無記名で細かく、例えば嫌なことを言われたことがあるとか、物がなくなったことがあるとかということで聞いていったら、低いところで七、八%、高いところは四十%ぐらい、実際にはそういうことがあると子供は答えた。だから、子供を主体と言いながら、基本方針もちょっと子供の目線に立っていない気がする。学校の基本方針が。少し失礼かもしれないけれども。
 アンケートをしたときにも、やっているか、やっていないかという犯人探しに下手をするとなってしまって、学校のいじめ防止対策が今どういう状況にあるのかということを、子供の声を吸い上げて、教員が現状認識する。仮に無記名であっても、こういうことがあるということが出たら、それを対応の材料にして、学校は当然対応していくと思う。そういうアンケートのとり方というようなことをもう少し、好事例を示すとなっておるので、全体にどうかって分からないけれども、記名で犯人を探すみたいな意識が、まだ結構強い。そうではないアンケートのありようを示すことが必要かなと。
 アンケートをとったら必ず子供に何らかの形で返す。言えば、表明すれば何らかのアクションがあるというのを子供がつかめば、すごくそれは大事だし、仮に言っても何も動かないというふうになると、ますます言わなくなるということがあるので、この辺のアンケートの好事例というところに、今、私が申したようなことを少し観点として入れていただいて書き込んでいただけると有り難いなと思う。
【委員】  インターネットのいじめについてだ。高校生なんかは、そういうスマホなんかも学校に持っていったりするのかもしれないけど。ほかの人間関係なりでのいじめの場合は、そういう子供たちのやりとり、活動を見ていて、ちょっとそこの中にやり過ぎじゃないかなとか、そういういろんな変化が見えるのかもしれないけど。インターネットでやられるいじめというのは、本人が全然気付かないときもあるけど、本人が気付いている場合も、非常に傷つく。このときには学校だけが対応するのは、僕は無理じゃないかな。というのが、やるのが放課後とか家に帰ってからいろいろな悪口書いたりするわけだから、学校がどこまで関与できるかというのも限界があるかなと思っている。
 だから、ここにあるような情報モラルとか、そういう様々な方の教育を一緒にやっていただいて、そういう人権教育であるとか、人の嫌がることを書かないとか、そういうことを徹底することが重要だろうと思う。
 それともう一つ、スクールカウンセラーとして体験したことだけど、ネットに書かれた部分は、こういうのを書かれたといって持ってきてくれると非常に分かりやすくて、ほかのいじめよりは対応がしやすいというのは実際にある。ここのところの問題だけど、スクールカウンセラーが発見するのが三%ぐらいしかないわけだから、そこを増やすことができれば、インターネットに関しても、こういうことを書かれてどうしたらいいだろうかという相談をしてもらえると、非常に対応がしやすいだろうなと思う。
 スクールカウンセラーのそういうふうに活用ということになったときに、私自身もいろいろ相談箱であるとか、申込み箱であるとか、あるいはいろんな方法をとったりするけど、なかなかそういう直接子供たちからの相談は少なかったりするので。そういう部分では、保健室の先生方のところに体調不良、不定愁訴か何かで来る子供たちの中に、そういう背景を持っている子供たちもいるので、よく保健室なんかに行ったりして、保健室登校する子供たちの話を聞いたりもするけど、やはりスクールカウンセラーが出向いて学校の中をいろいろ見学して、授業にも邪魔にならない程度で、いろいろ参加してもらったりという方法が、これからは必要になるんじゃないかなということは思う。
 回数がという問題もあるけど、その回数の中でできることがあるだろうと思っているので、いつかいれば発見できるかと、そういう問題でもないと思っておるので、スクールカウンセラーの質の向上を高めていかなきゃいけないだろうなということは思った。
 それと謝罪についてだけど、取りあえずそういうことが明らかになったときには、いじめが明らかになった、加害、被害が明らかになったときには、やはり謝らなきゃいけないということがあるかもしれないけど、この謝るときの問題解決の重要なところは、そういう加害の人たちと呼ばれる人たちが、それを納得しているかどうかの問題だろうと思う。そこをやったから悪いんだ、いじめなんだということで謝れということの押し付けをしても、やはり、それは難しくて。それは何がまずかったかとかいうようなことを、やった方が理解して、それは確かにまずかったと思って、相手に嫌な思いをさせたということで謝罪するのであれば、次のときにつながらないのだろうと思うけど、その場で取りあえず、おまえがやったんだから謝れということで謝らされても、それでは問題の何も解決にならないんじゃないかなとは思う。
 取りあえず、そういうことが分かれば、やっぱり謝ろうということは必要になるんじゃないかなということは思った。ただ謝ったから、それで解決という判断は、これは子供たちにとっては何の解決にもならないだろうなとは思う。
【座長】 今いろいろ御議論いただいた点で、私なりに若干補わせていただきたい部分がある。例えば委員がおっしゃったように、二ページ目のいじめの基本方針、これは非常に大事なところだ。ところが、どうもこれが実効性を伴わないところがあって、いろいろと御意見いただいたように、見直しもやられていない、形だけだというのが極めて多い事例がある。ただ、このときに、文部科学省の基本方針の方に書かれておるけれども、基本方針とともに年間計画というのをしっかり立てていただく。ここのところをやっぱり強調していただかないと、具体性を帯びてこない。
 年間計画も、今ある年間計画、立てていらっしゃるんだけれども、年間計画というのは、ここでアンケートをやるとか、研修はこことここでやるとか、この程度しかない。年間計画というのは年間で、実現可能な達成の目標を具体的に自分のところの学校の実情に合わせて作り、そして誰がどういう役割でこれを実行に移していくかというのが年間計画の本来の在り方なんだ。それに基づいて、先ほどから出ているように、学校運営協議会だとかそういうところが学校評価を行っていくという形の流れにしていかないと、どうも年間計画があやふやなまま、基本方針だけが定まっていて、抽象的なレベルでとどまっちゃうというところに、行動が伴わないことの一番の問題点があるので、この基本計画は、やっぱり是非とも強調していただいて、併せて策定していくというところが必要かと思う。
 当然、基本方針作りは子供たち、あるいは地域、それから学校、保護者等々、やっぱり一緒に何らかの形で巻き込んでいただいて、みんなのものにしていただくことが大事だろうと思っておるので、その辺はひとつ強調していただきたいところだ。
 更にもう一点だが。もう二点あるかな。先ほどからインターネットが随分出ておる。インターネットに関しては、関係省庁がかなり多岐にわたる。多岐というか、たくさんある。具体的には、ここにいらっしゃる法務省もそうだし、それからもちろん厚労省も関わる場面もある。ともあれ、それぞれが皆、役割が違うんだ。弁護士会は弁護士会で、法務省の立場も踏まえながら、人権という観点から迫られる。総務省は総務省で、これ元郵政省なので、通信法の観点から、やっぱり関わっている。それから警察は警察でやられる。あるいは事業体は事業体で関わっていかれる。教育委員会は教育委員会でやる。それぞれがあって、まだ更にそこの間に、こういういじめ問題に関する知識の深浅がある。ある意味では、そういう深浅はあるのは当然、業務の上から出てくることなんだが、それを、ある意味ではプラットフォームのようなものを作っていただきながら、その地域、保護者あるいは学校の子供たちという形で、何らかの啓発なりをやっていただくということも大事なことかなと。
 そうすると、お互いのそれぞれの機関同士の知識の深浅も埋まってくるし。それを実効性あるものにしないと。単に情報交換だけの共有の場だという形にしていただくと、これまた困るんだが、何らかの形で働き掛けていく、それぞれの持ち味を出していただくということになってくると、先ほどの子供たちへの抑止力みたいなものも、それぞれの機関がお持ちなので。例えば警察は警察なりに、こういう面があるよと。犯罪の可能性があるし、そこにつながる可能性があるよということも、やっぱりそこでおっしゃっていただく形で、吸収しながら全体として子供たち、あるいは地域の人たちに対する啓発、周知が図られていくんだろうということも期待できる。
 それから最後にもう一つ、ここに最後の周知のところで、法律の認知のところで、学校評議員、それから学校運営協議会、あるいは学校の地域支援本部がある。これらの役割というのは、これからの学校教育を考えた場合、大変重要になっていくだろうと思っておる。この方々への、単にこれ、法律の理解増進というだけではなくて、この方々が、やっぱり実際には学校を評価する立場にも立たれる場合もある。あるいは、ないところはないところで、また民間の民生委員だとか、いろんな方々の御協力を頂く形で、社会全体へ、このいじめの防止という考え方を、やっぱり広めていっていただく重要なところだろう。
 とりわけ、その場合に、学校評議員、学校運営協議会、あるいは地域支援本部、これは研修の場合に御協力いただく場合もあって、出てこられるときもあるんだ。我々よく研修だとか、PTAの研修会だとか、講演会。だけど、やはり、この方々には、単にボランタリスティックに参加していただくというわけではなくて、もう少しこういう方々に理解をしていただきながら、先ほどの認知から、いろんな対応から、いろいろなプロセスがあるので、もう少し研修を、そこのところで厚めにしていただきながら、その輪を広げて、社会全体への取組という方向へ広げる一つのモメントにしていただくことも、やっぱりあるかなと思っておる。

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