いじめ防止対策協議会(平成28年度)(第3回) 議事録

1.日時

平成28年9月6日(火曜日)13時30分~16時30分

2.場所

文部科学省三階 3F1会議室

3.議題

  1. いじめの未然防止・早期発見について
  2. いじめ事案への対応における課題について(保護者との情報共有等)
  3. 重大事態への対応について

4.出席者

委員

相上委員、愛沢委員、新井委員、石鍋委員、高田委員、實吉委員、水地委員、種村委員、田村委員、東川委員、佐藤様(廣瀬委員の代理)、村田委員、森田委員、横山委員

文部科学省

関総括審議官、瀧本大臣官房審議官、坪田児童生徒課長、松林生徒指導室長、丸山生徒指導調査官、山本専門官

5.議事録

≪議題(一)いじめの未然防止・早期発見について≫
※事務局より資料一と資料二を説明。

【座長】  ただいまいじめの未然防止・早期発見について、事務局から説明があったけれども、それぞれの先生方から御意見を頂きたいと思っておる。
【委員】  最初の論点のところだが、ここに書かれているように、子供たちの自主性を重んずるということが非常に大事かと思っている。いじめの問題というのは、子供たちの関係性の中でそこが崩れていく、あるいは大人に見えない世界ということになると、やっぱり子供たちの自助力をどうやって高めるかということが大事ではないかなと思う。文科省で取り組んでいる子供サミットというのも非常に有効なことだと思うし、各自治体でもこのような取組は結構、行われているのではないかなと思う。大阪の例だと、いろいろな市町村で生徒会の方が代表を出して、みんなで議論するというような取組もしているということで、このようなことは全国でいろいろ行っていけばいいのではないかなと考える。大津の報告書を出したときにも、このような子供たちの意見交換みたいなことは非常に有効なものではないかといったところで提案させていただいているので、改めて、その意味が非常にあるなと感じている。
  それから、子供たちの意識付けといったところからいくと、学校の枠を超えて、子供たちにいじめの問題を考えてもらう機会を与えることが必要ではないか。これはもう今までも実践されていることだと思うが、例えば警察官に来てもらって、その実情をいろいろ話してもらうとか、あるいは被害を受けた人、特に自殺事案の御遺族のお話を聞く。これも非常にインパクトのあることだろうし、我々弁護士の方で今やっているのは、これは全国的に広まっているが、「弁護士によるいじめ予防授業」ということも非常に、手前みそになるが好評を得ている。同じようなことを言うにしても、先生方がおっしゃるのと外部の人間が言うのとでは意味が大分違うのだということを、アンケートなどでも頂いているので、外部のそういう取組も各学校で実施していただければなと思う。
  子供たちに話を聞くと、頭では全部いじめの問題というのは分かっている。分かっているけれど、なかなかそれが実践に移せないのはなぜかというと、それはやはり他人(ひと)事になってしまうからで、なるべく自分事というふうに、近くに持っていく取組をしていくことが大事。
それから(二)のいじめ加害行為抑止の方策。これが本当に一番大事なことだが、やはりいじめをしてしまう側(がわ)の子供たちというのは、自分の中にいろいろ大きな課題を抱えているのではないか。我々は非行を行った子供たちの弁護をいろいろすることが多い。結局、いじめで言うと加害者側の弁護をすることがあるが、やっぱり自尊感情が低かったり自己有用感が低かったりというようなことがある。そういう子供たちにとっては、自分のやっていることがいいことではないのは当然分かっているが、どうしていいか分からない。やっぱりその子の持っているいろいろ背景事情にアプローチしていくことが非常に大事。最近だと、例えば家庭の問題を見ていくと、背景に虐待があったり貧困があったり、それがきっかけとなって、いじめ行為に発展するケースも結構あるのではないかなと。このことを考えると、やっぱり学校との関係においても、福祉との連携ということも一つ視点として大事なものではないかなと思っている。その子の背景事情にいかに迫っていくことができるかといったところをもう一度考えておく必要があるのではないか。
  それから、問題行動等調査の結果において、本人からの情報が少ない。これはやっぱり、なかなか一番難しいところだと思うが、やっぱり子供たちからそういう話をもらうには、大人との信頼関係がどういうふうに築けているかということだと思う。特に学校で子供たちが言えないということになれば、それはやっぱり先生との信頼関係ができていないのだろうといったところも一つ考えていかなければいけない。その信頼関係をどうやって作るかというのは、日々のちょっとした積み重ねだと思うが、教員研修に呼ばれてお話しするときには、やっぱり子供に関心を持って、一日一回でもいいから目を合わせ、それで一言声を掛けるということだけでも、信頼関係の構築というのは大分違ってくるのではないかと思う。子供たちにとって、やっぱり安心・安全な環境がないことが、なかなか被害を受けている子供から直(じか)に情報が上がってこないことの問題ではないか。ここの部分は外部からなかなか見えないところだと思うが、これは学校の先生方の中でいろいろ御議論いただき、問題点があれば外部機関といろいろ相談していただくということも大事ではないかなと思っている。
  それから次の、学校・教育委員会のところだが、ここはやっぱり、私の感覚としては、学校とか教育委員会サイドの意識の問題というのはすごくあるのではないか。やっぱり、いじめはいつでもどこでも誰にも起きているんだ。それで、一人で抱え込むことは駄目なんだ。いわゆる隠匿と言われることは駄目なんだ。これは頭では分かっているとは思うが、実際問題は、やっぱりそこのところの意識というのが非常にまだ浸透していないと思う。やっぱり、いじめがあったら自分の評価が下がるとか、学校の評価が下がるとかといったところの意識があると、なかなか、いじめ未然防止とか発見に至るということが少なくなってくるのではないかなと思う。ここの、最初の聴き取りの内容でも、取組に対する意欲に差があるというのは、やっぱりそこの根本の意識の問題ということが大きいのではないかなと思う。その意味で、私は毎回言っているのだが、文科省が昨年の八月に出した通知に、非常に重要な投げ掛けがあった。いじめを早期に発見してどういうふうに解決していくのか。そこがやっぱり一番大事なところなのだよということを、もう一度、現場の先生方に徹底するような働き掛けをしていくということが大事ではないか。
  先生方はすごく一人で悩んでいらっしゃる。最近、先生方とお話しする機会は、僕はかなり持っているが、やっぱり公式の場ではそういうことは言わないけれど、変な話、食事会をしたりなどという場で、そういうことが出てくる。やっぱり先生方はかなり苦しんでいらっしゃると思うので、そこをフォローするような体制ということが大事ではないか。
  それから情報の共有化の中で、これも言い古されていることだけれども、養護の先生との情報共有ということも、認知の遅れを防ぐためには大事なこと。やっぱりそこは原点に返る必要がすごくあるのではないか。大津の例を言わせていただいても、やっぱり養護の先生は、学級の先生が持っていない情報をいっぱい持っていらっしゃった。それをどういうふうに共有化していくかといったところは、しっかりと考えていく大きな課題ではないか。そういう意味では、いじめの組織を作る中に、もう一度、養護の先生をしっかりと入れて、先生方の意見をどうやって集約するかということを考えておく必要性というのはあるのではないか。
  それから、担任のところには相談に行って、それ以外の相談先は少ないということについて。これは大津の調査をしたときに子供たちから聞いた話だが、君のことを一番よく分かってくれるのは誰かといった質問をした。僕らの予想としては、学校に対する不信感があるから、「先生」という言葉はまず出てこないだろうと思ったが、最初に出てきたのは、「担任です」と。担任がやっぱり一番、自分のことを分かっているというようなことを、多くの子供たちが言っていた。そういう意味で、担任に相談ができているということは、僕はある意味すごくいいことではないかなと。本当は担任以外のところにも相談したいのだけれど、それができないという状況であれば問題だと思うが、そういうことも受け入れるけれど、やっぱり担任に一番相談しやすいという状況があるならば、僕はそれはある意味、ウエルカムではないかなと思っている。若しくは、それ以外のところに相談に行けていないという状況があるならば、それはやっぱり、先ほど申し上げたけれど、意識改革をして、みんなで取り組んでいくんだといった意識をしっかりとしていくことが大事ではないかなと思う。
  それから、外部への相談が少ないというのは、これはもう日弁連でもいろいろ取組をしているが、本当にやっぱり、直(じか)に子供たちから電話がかかってくることは少ない。大阪は週一回、三時-五時、それから月一回、六時-八時に電話での相談会を開いているけれども、子供たちから直(じか)に電話がかかってくることは少ない。いろいろ情報を提供しているが、やっぱり敷居が高いということもあるのだろうし、そういう専門機関に働き掛けても、では具体的にどういう解決をしてくれるのかと、そこまでしっかりと情報提供しないと、ただ単に電話をかけてきてくださいと待っていただけでは、やっぱり意味がない。そういう意味では、どのような解決をしたかといったことを紹介していくということも、やっぱり外部機関が取り組む上では大事なことではないか。先ほど、「二四時間子供SOSダイヤル」にかなりの件数が来ているのにちょっと驚いたが、今後大事なのは、結局、この相談を受けてどうやって解決まで持っていったのかと。そこにつながらない限り、最終的な解決までいっていないということになると思うので、そこは今後いろいろ取り組んでいく必要があるところ。
【座長】  前回も申し上げたが、いじめの基本的な認識として、これまでは、いじめはどの学校にもどの学級にもどの子にも起きる可能性があるということが強調されてきた。しかし、国立教育政策研究所のデータや東京都のデータを見てみても、実際には、起きる可能性ではなくて、現実に起きていると言えるほどの広がり方である。まず、ここのところの基本認識を改めていく必要があるのではないか。そもそも理解と対応は基本認識から出発するから、起きる可能性があるというところから出発すると子供たちのいじめの現実とずれてしまう。国立教育政策研究所のデータだと、九割、東京都のデータだと八割の子供たちがいじめを経験している。各地方自治体、そういうデータがあるので、そういうデータをきっちりと提供しながら、子供たちに聞けば現実にいじめは起きているという認識に立って、対応していかなければいけない状況にある。この点はやはり今後とも強調していかなければいけない点だろう。つまり、実情に合わせながら、しかも法施行後三年間の経緯を見ても、認知率さえもがまだ改まっていないという状況は、我々として認識しておくべきことだと私も感じている。
  二点目だが、養護の先生の役割について少し触れておきたい。文部科学省では、今、養護教諭、栄養教諭の在り方に関する検討会議が設置されており、「チームとしての学校」という視点から、養護を校内外でどういう具合に機能してもらうか、問題行動だけではなくて様々な健康・保健の問題もあるが、その在り方をどのように改めていくかというのも議論になっているように聞いている。なかでも、管理職の役割というのは非常に大きいだろう。つまり、チームとしての学校というものを進めていく場合には、養護教諭そのものも健康・保健・栄養上の連携・協働課題について内外に亘(わた)るコーディネート能力が要求されてくる。校長自身も、それをうまく活用していく、あるいは支えていくという能力が当然、必要になってくるだろう。問題への対応を単に一養護教諭や生徒指導、あるいは一担任あるいは教員個人のみに委ねのではなくて、そういう各自のコーディネート能力を組織としてどう蓄え、組織化させるかというところも非常に重要だろう。
  それからもう一点、質問項目で「学級担任に相談」と回答したものが七三.六%、極めていい数字が出ている。しかし、学校が把握し、かつ相談を受けた事案というのは、全数そのものが非常に少ない。その中での担任への相談が七割というところなので、被害児童生徒全数の七割という解釈はできない。参考になるかどうか分からないが、海外だと、「校長に相談」という項目が加わり、そこそこの相談件数がでる。つまり、校長だけでなく子供たちもがいじめ対応は管理職としての責任と認識している。それから管理職として日頃から子供たちとの信頼関係の構築というのは校長の職務として必要だという認識が徹底している。そこのところが、どうも日本はなかなかまだまだ。いい先生はやっていらっしゃるが、管理職に徹底していない。教員を管理して指導する、監督するという立場だけではなくて、具体的に子供たちの相談相手としてかかわり、その情報を各教員にも流しながら全体の学校の管理・運営に与かるというのが校長の役割だという観念が、日本ではまだまだ希薄なような気がする。そのあたりはもう少し、私も日本の社会の中で徹底しておくべき事柄ではなかろうかなと思っている。校長先生によっては、毎日、子供の中へ出ていって、話をされている先生もいらっしゃる。全くないわけではないが、全般としては、なかなかそうはいっていないような状況もあるのだろうなと思うので、そのあたりは少し気になるところ。なので、こういう調査項目でもそれを一つ入れておかれると、教職員、子どもたち、保護者への意識付けもそれで可能になってくるだろうと思っている。
【委員】  児童生徒への取組というか子供たちへの働き掛けということで、解決する主体にしたい。解決に向かう何らかの形での教育活動。そういったところが、もちろん子供たちだけでは難しいのかもしれないが、そういう主体性を育てるということは非常に大切なことと考える。これは、いじめという非常に厳しい場面の中でも、やはりそれにしっかり向き合わせるということが必要で、なぜならば、それは加害にしても被害にしても、当然、当事者である児童生徒が、しっかり自分たちで考えることがまず第一に来るのかなと。例えば道徳の授業であったり、あるいはもちろんホームルーム等、そういった、要するに教科以外の活動も併せてかもしれないが、実は日本の授業というのは常に先生と生徒がいて成り立っている。だすから、教科の中身を教える以上に、そういった物の考え方、つまり人権意識であったりとか他人に対する思いやる気持ちであったりとか、そういったところをしっかり教える必要があるのかなということも、改めて、感じた。
  また、更に付け加えるならば、そういった取組を行っている学校が多分、小中高、多くあるのかなと思っている。学校の中だけではなく、そういった効果のあるものについては是非、情報を共有しながらネットワーク作りしていく必要がある。まず未然防止と早期発見、ゼロにすることが難しいし、ゼロでないという事態に対して何ができるのかということで、しっかり取り組まなければいけない。そのときに、正に第一に来るのが、児童生徒に対する働き掛けかなと思っている。
  そしてもう一点だけ、いじめを特別な状況と認識せず、生徒間の関係性に違和感を抱いたときに、加害者・被害者ということではなく、つらい状況にある、苦しい状況にあるという部分を、これも見て、全くそのとおりだなと。要するに、いじめている・いじめられているということに限らず、児童生徒は一言で言えば困っている状態あるいは悩んでいる状態。そういった部分に対して、どういう形でそれに対応しようか、どう把握していこうかと。要するに、いじめという限定されたことではなくて、さらに、もっと言ってしまうと、私は高校なので小中は余り分からないが、恐らく悩みというのは人間関係なのかなと。友達同士の関係。もちろん家族、親などの関係もあるかもしれないが、そういった中に一つ現れやすい傾向として、いじめを把握しやすい。
【委員】  委員にちょっとお聞きしたいのだが、高校生の意識の問題として、私の方で結構、いじめの予防授業でいろいろ行ったりするが、やっぱり小学校と中学校と高校と、子供たちのいじめに対する意識というのは大分違ってきているという印象を受ける。例えば子供たちに自主的にいじめ防止について、こんなことを高校生ぐらいは考えているとか、何かそこら辺のところで分かることがあれば少し教えていただければなと思うのだが。
【委員】  例えば生徒会活動とか委員会活動だが、いじめ撲滅委員会、あるいは委員会でなくてもそういう週間を作ろうとか、生徒の中から自主的に主体的にそういったことを考える場面はある。ただ、正直申し上げると、そういうところは、いじめが余りないようなところ、深刻な事態でない場合について多くあるので。ただ、正直言うと頼もしいというか、しっかり考えてくれているなと。当然それは、自分が当事者に、いじめられる側(がわ)になりたくないし、いじめがある学校というものはよくないという認識。これは恐らく、小学校、中学校までの段階にかなり完成された形で、自分たちの中での位置づけというか、いじめは悪いことなのだということがあっての話だと思っている。なので、もっと言ってしまえば、大人の社会の中でも当然、いじめというのはあるかもしれないけれども、ある意味、完成段階に近づく中で、そういったことを是非してほしいなというのは希望として持っている。
【座長】  先ほどの資料一の頭のところで、学校におけるいじめ問題に対する日常の取組を実施した学校の割合だが、これは高等学校でがたっとへこむ。ここのところに対する対応策なり、何か御意見、御提案があったら。あるいは今後の課題等があればお教えいただきたい。
【委員】  例えばホームルームという時間が週に一回あるが、多くは進路指導、そして学校行事といった、生徒に自主的にその時間を使わせる。そういったところが多い。なので、どうしても割合的には減ってしまうのかなと思っている。ただ、逆の言い方をすると、これは、一年間に三五時間あるとして、取上げ、指導を行ったということなので、逆に言うと四三%が何もしていないという数字なので、これはちょっと正直どうなのかなと思っている。ただ、道徳というのが教科としては高校にはない。学級活動というのも、どういうふうに捉えるか分からないが、全校集会、あるいは学年集会の中でいじめに限らず人権意識というものはいろんな場面で恐らく学年主任が指導しているので、そういったところを含めると、もう少し数字的には高いのかなと思っている。
  ただ、これはちょっと正直びっくりするというか、多分、多くの方は、高校は何をやっているのだと。現実、高校では非常に重いいじめというか、その結果も含めてあるので、正直言うと、何かなければなかなかこういったところには触れないのかなと。その時間を取りづらいのかなというふうな本音だけれども、それは思っている。
【座長】  先ほど委員の御発言の中で、いじめに限定されるだけではなくて、多くの子供たちが人間関係の苦しみ、悩み、つらさというのを抱えながら学校に通っている。その中にいじめという問題も含まれているというぐあいに整理いただいた。こういう広い捉えというのは非常に大事だと思う。ただ、この表を見ていると、二つ目の、生徒同士の人間関係、仲間作りを促進したというところで、がたっと四割に減ってしまう。高校によってかなり性格が違い課題も違うのだろうと思うが、もう少し子供たちの現状に留意して対応策を考えていく必要のあるところではなかろうか。これはお答えいただくのではなくて問題提起として、この数字から読み取れることとして少し申し上げておきたい。
【委員】  高校の立場で、状況でお話しする。中学校のときには、先生あるいはいろんな関わりが子供たちと非常に濃厚。しかし高校になるとどうしても、子供たち同士で自立していくというか、余り教員との関係を密にするということは薄くなっているかなという感じはする。その関係が、中学のときには、友達の関係とかクラブでの問題とかいろんなことでの相談があるが、高校になると、もう子供たちが教員に相談することは、そういう生活上のことではなくて、もう少し先の、自分の将来をどうするのかということも含めて、相談が多くなるのかなと思っている。今、委員が言われたように、道徳という時間はないので、いわゆる学習指導要領上、決められている、一時間のホームルーム、学級活動だね。それをどういうふうに取り組むかというのを、学校として全体に共通性を持たせるのか、あるいは学年にその主導性を持たせるのか、それぞれの学校で違いがあると思うので、この数字はなかなか上がりづらい数字だろうなとは感じる。
【委員  いじめの未然防止・早期発見について。児童生徒の主体的な活動というのは非常に効果的であると感じている。当初、様々な取組をやったが、今現在、そういう実感を持っている。国で実施している子供サミットがあるけれども、県としては、発達段階などあるので、高校生サミットという取組から始めた。そうしたら、義務教育の小中ではいじめの認知件数が増えているが、高校が減った。それで、いろいろ学校から聞いてみても、やはり効果があったのだというふうなはなしだった。
  ある中学ではこんな取組もある。言語環境を整えようという、つまり相手の心を傷つけるような言葉を使わないようにしようと。例えばどんな言葉かな、クラスで考えようと。それで、いろいろクラスで出し合いながら、例えば「KY」とか「むかつく」とか「きもい」とかいろいろある。そういった言葉を挙げて、使わないようにしようというふうな取組で、効果を上げている学校などもある。生徒自らの手で安心できる学校を作っていこうなどというふうに、そういった動きがだんだん出てきているということ。こういった活動というのは、主体的に子供たちが取り組む動機付けとなって、自ら問題を解決していく力の育成に結び付くのだろうと思っている。また、相手の言葉に傾聴することは、児童生徒の自己有用感、自尊感情、やっぱりここに戻ってくるのではないかなと思う。自己有用感、自尊感情を高めることにつながると考えている。今後もこのような取組をいろいろ工夫して広めていきたい。
  また、(二)について。やはり第三者の児童生徒が教職員に情報提供するということは、かなり勇気が要るということなのだろう。しかしながら、これは極めて大事なことであるので、やはり教職員が児童生徒から信頼されるような存在にならなければいけない。これは基本と言えば基本だけれども、これを日頃から教員が心掛けていくことに尽きるのかなという気がする。また、児童生徒においては、決して傍観者にならず、信頼できる大人に相談することで、いじめの被害者も加害者も救われるのだといったことを、例えばいじめの基本方針を策定しているけれど、子供向けというものがない。こういったものを、例えば教育委員会あたりで作りながら、リーフレット化などしながら周知していくということが必要なのではないかなと考えている。
  (三)については、先ほども申し上げたけれど、児童生徒一人一人の自己有用感、自尊感情を高めること、あるいは当面する課題に主体的に関わり解決していく力の育成を全教員で目指していくことが極めて重要であると考えている。例えば特別活動を中心にして、様々な場面で話し合い活動を充実させる。あるいは児童生徒向けの、先ほど申し上げた基本方針を分かりやすくしたリーフレットなどを作って活用して、いじめの傍観者にならないで大人に相談できるようにする、大人に相談できるようになるといったことを身に付けさせる、育成させていくということが、極めて重要なのだろうと思っている。
  それから、ちょっと私も高校の教員なので、今、高校でがたっと下がるという話で、やはり高校一年生の段階がいじめも中退も不登校も一番多い。やはり、いろんな中学校から一つの高校に合流している。以前の十年、二十年前の生徒であれば、人間関係の形成能力というのは、おのずと、私も担任していて思った経験があるけれど、うまく合流できる。しかし、最近はどうも意図的にそういった場を仕組んでいかないと、なかなか難しいというところがある。私は学年主任をしたときには、最初に学年開きのときに、構成的グループエンカウンターの手法を使い、顔合わせの会をやった。これがだんだん、今、山形県内の高校でも広がっている。そういって関わる場を設けて、広い意味での生徒指導といったところを、あえてやっぱりやっていかないといけない時代なのだなと、個人的にはそんなことを思っている。
【委員】  さっき言葉足らずの部分があった。いじめをなくすというよりは、正に今おっしゃっていただいた友達作りから始まるのかなと感じる。これは小学校でも中学校でも同じで、特に小六ギャップとか、中学校は多分あると思うが、非常に今、問題になるのが、そういった中でできた友達が、ちょっと先のお話になってしまうけれど、例えばLINEの交換をして、合格したすぐ後に、恐らくどの高校も入学説明会で全校生徒が参加しに集まる。そうすると、まずそこで生徒がすることは、アドレスを交換する。それで、実はもう、もっと早い段階で、入試のときにそういったことをやっているケースがすごくある。それでもう、入学した時点ではそういった、全く知らない子たちの中で一つのグループができている。それが実際に会った中で、仲間外れであったりとか、要するに、いじめの一つの要素になってくる。時代の変化というか、昔であれば、そういったものはなかった。実際に同じクラスになって、気の合う者同士が仲よくなる。今、その前段階で、もうかなりグループが構成されているので、そういったところの予防というかケアをしなくてはいけないというのが両面あるのだけれども、ちょっとその辺の事情が昔と違うことだけ申し上げたい。
【委員】  PTAでもすごく頑張って活動される方とそうではない方と、大きく二極化しているのが、最近、意図的に使っている言葉が、「当事者意識」という言葉を非常によく使うようになっている。似たような言葉で「参画意識」という言葉があるが、ただ参加するだけではなくて、いわゆる保護者の責務であるとか、いろんな部分に対して当事者的な意識を持とうということで、今、全国的に「当事者意識」ということを使うようにしている。例えばいじめ撲滅委員会を立ち上げ主体的に取り組んでいくということだが、やはり子供たちがいわゆる当事者意識を持って、いじめ言語がないような環境を整えていくというところにおいて、非常に共感できるところ。
  いろんな委員会が、例えば小学校、中学校、高校、それぞれあると思うが、そこに参加し、やっていくことによって、いつの間にか仲間意識ができたりすることはもちろんあると思う。もともといじめを撲滅していこうという目的と、そのために何をやるのかという手段が、ある程度、明確になっているのかなという意味では、非常にこの方策としては大変すばらしいなと感じている。
  例えば前回も申し上げたとおり、教育的責任の第一義的なものは家庭にあるので、やはり学校現場で起きるいじめに対してももちろんあるのだけれども、やはり出発点は家庭からと考えている。例えばここにも書かれておる、相手の言葉に傾聴すること。児童生徒の自己有用感、自尊感情を高めると、先ほど先生もおっしゃっていたけれども、非常に共感する。それで、こういう共感すること自体、例えば家庭で使われている言葉が、そのまま友達同士で使うことももちろんあると思うし、それを使っていい・使ってはいけないというようなところは、もしかしたら家庭から出発する中で、現場で使っているのであれば、学校で先生方からの御指導を頂かなくてはいけないのかなと思う。そもそもちょっとよく分からないところがあり、この傾聴というのは在り方であり、一方でやり方であると思うが、これについての学校でのいろんな取組があるのかないのかというのは、ちょっとよく分からない。それで、もしないのであれば、例えば傾聴することによって、どういう言葉が効果的で、そしてどういう言葉が有用であるのかというところを、少し、もし取り組んでいないのであれば、その辺は今後やっていっていただいてもいいのかなと非常に思う。それで、これは保護者の世界でもよく理解して使っていただいている方とそうではない方というのがよくあるので、これについては、社会教育という観点から言うと、私どもも社会教育関係団体なので、少しその辺は、いろんな研修などを通じて高めていくことができるのかなと、このように考えている。
【委員】  精神保健福祉士の発想でこの問題について考えてみると、まず、いじめられてしまう方というのは、多分、皆さんおっしゃっているように、自己肯定感がどんどん下がっていくということと、それから精神的に落ち込んでいくし、気分が低迷していって、ある意味、抑鬱的な状態になられるということだと思う。そうすると、自分で主体的に何かしたいといった意欲が湧かなくなってしまうので、そういう方が自分からこのことを変えたいと思って人に相談するという主体的な行動というのは非常に取りづらいのではないかと思う。なので、御本人から御相談がなかなか得られないだろうから、周りの方から気付いて介入するということがないと、多分、何でもっと早く相談しなかったのだろうと周りは思うけれど、御本人はそれがもうできない状態になってしまっているということだと思う。
  なので、そういうところをどうやって発見して声を掛けることができるか。そこは、今度は周りの方からの介入の手法というのが必要になってくるかと思う。いずれにしても、人に相談するとか人から相談を受けるということが、多分、一つ大事なポイントになるのだろう。そういう力量をどうやって付けていくかということについて、専門の職員などを入れるとか、そういう形で研修が既にされているのかどうか。ちょっと私は、いろんな研修をやっているというふうなことを書かれていても、その中身が余りよく分かっていないので、既にやっていると言われるのかもしれないが、もしかすると、相談を受ける、相談に乗ってもらう、自分から相談を持ち掛ける。それはどういう力が必要なのかということを、もう少し考える必要があるのかなと感じている。
  あと、小中高で違いがあるだろうが、小学生のお子さんたちは、やっぱり集団をかなり作ると思うし、高校生になってくると、一人でいる人も増えてくるというか、個が確立していくので、一人でも過ごせると思うが、小さいお子さんたちというのは、やっぱり何人か一緒に誰かといて、誰かと一緒に行動するということがすごく多いと思う。そういう輪の中から外れてしまったときに、一人だけでどこかに行って相談するというのは非常に難しいのではないか。担任の先生がそこをしっかり気付いていくことがとても大事だとは思う。しかし、担任の先生、教科の教育もなさって、前回の会議でもお話が出ていたように、非常に時間的に厳しいということだったので、そうすると、担任の先生をサポートする仕組みというのがどの程度あるのかなということで、養護教諭の先生が一つ大事な役割を果たされているというお話はあったが、養護教諭の先生は大勢いらっしゃるわけではないので、やはりそこはちょっと、マンパワーがもっと必要になってくるのではないかとも思う。人を簡単には入れられないと思うけれど、例えばスクールソーシャルワーカー、スクールカウンセラーを増やすということや、担任が、同僚ではなくて、そういうソーシャルワーカーやカウンセラーに相談できるようにしていくことで、自分一人で抱えないで済むし、なおかつ、学校からちょっと外の立場の人に相談するということなので、多少、評価にはつながらないという気安さというか気楽さと、あと専門的な観点から助言を得られるということもあるのではないか。
  あるいは、保護者の方などが足しげく学校に来てくださって、担任の先生を支えてくださるという仕組みもあってもいいのかと思う。しかし、下手をすると敵対してしまうというか、もっと先生、ちゃんと見てくれなきゃみたいな感じになってしまったり、保護者が見ているからしっかりやらなきゃということになっても、ちょっと違うかと思うので、これは、次の大きな二番のところで話されるところかとは思うが、その連携の仕方の工夫も要るだろう。
   あと、身近なところで、本当にいじめを防止するというか、いじめの行動を防ぐという話から、一人一人の人を大切にして、誰もがかけがえのない存在だということの教育まで、すごく、小さいところから大きいところまで、今、話し合われているのだと思うが、突き詰めていくと、単なるいじめ防止だけではなく、どういう人間を育てていくか、大きな意味での人間教育というお話になるのだと思う。そうすると、教諭の養成課程でどういった教育がなされているかということについて、残念ながら情報を持っていないのだけれど、自分の経験で言うと、中学と高校の教科の免許などは取得した。しかし、そのときに、そういった人間教育的な科目というのは、ほとんど多分、カリキュラムの中になかったように思うし、多分、小学校の先生だと、もっと教育学部、教育学科等でしっかりそういった教育がなされるだろうが、中高の教科教育で免許を取って中学校・高校に入っていかれる先生の、かなり多様性があるのではないかと思う。そして、自分が中学生だったときのことなどを思い出しても、それぞれ先生によって、すごく生徒と関わりの上手な先生から、いじめられている子がいても何となく何もできないでいる先生までいらっしゃったような気がする。その多様な教員の先生方をどういうふうに教育していくのかということについて、どんなふうに話し合われていて、どういう教育、研修がなされているのかということについても、件数というか数字はすごく、この会議の中でよく示してくださっているけれど、その中身を検討するとか、中身はどんなものなのかということについても情報提供いただけると、更にまたそこから御一緒に考えさせていただくことができるのではないかと感じている。
【委員】  いじめについては、私は三つ考えなければいけないかなと、管理職として考えていることがある。一つ目は、まず子供を作る、子供を育成していくという視点。二つ目は教師の体制作り。三つ目に教師を育成していく。この三つの視点は、いつも先生方と関わっていく上で大事にしている。
  私は外国語の、今、文科省でやっている委員になって、それに出ている。その中で今回、審議のまとめが出たが、とてもいい言葉だなと思っているのがある。今後入ってくる三・四年生の外国語活動では、外国語教育の素地(そじ)を養う。五・六年生は英語になっているが、外国語教育の基礎を養うと。素地(そじ)と基礎に分けている。それを今回のいじめ、子供の育成の段階でちょっと考えてみると、まず、背景の、いじめの根幹に関わるところは、他の人権を大切にできるかどうかということ。これはやっぱり私は根幹に係ってくると思う。これは子供だけではなく、大人の社会もそうだと思う。人権感覚の素地(そじ)をどのぐらい身に付けさせられるか。つまり道徳とか学級活動とか、若しくはさっき出ていたように、自尊感情とか自己有用感とか自己肯定感とか、そういうことを高めていかなければいけない。未然防止の前に素地(そじ)を培う。早く言えば人権感覚を高めるというところがとても大事だと思って、それを、先生方と関わるときに絶えず話をしている。一番大事なのは何。未然防止とか、単純に言葉だけではなく、まず子供の人権感覚を高めていかなければいけないと。早く言えば、いじめをする側(がわ)については、意図的にやっている子もいようし、全然意識していない子もいる。そういう中で、もしかしたらその子供たちにとっては何かもう、ほかの子から、又は親からいろいろされて、ほかのことを考える余地もない。そういう子に幾ら言っても通じない。では、そういう子にはどうすればいいかということになると、その子にはやっぱり自尊感情、自己有用感を高めるための手立てをとらなければいけない。だから、早く言えば、一人一人に応じた手立てを、私どもがしっかり、教員が認識してとれるかどうかということと、そういう全体で素地(そじ)をしっかり養っていかなければいけないと。
  その次の段階で、さっき言った基礎の段階というのは、コミュニケーションを具体的に高めていくとか、次の方法論というのだろうか、そういう段階をやっぱり学校としてとっていかなければいけないのかなと。これは、中学校に行く前に小学校段階でしっかりとっていかなければいけないかなと、小学校の校長として考えている。もしかしたら、中学校に行けば自助作用で、生徒会でいろいろ考えていくというのが次のレベルになっていくかなとは思っている。
  あと、教師の体制作りについては、今、何というのだろうか、いじめを発見するために学校はいろんな対応をとっているが、例えば東京都にある本校では、週一でスクールカウンセラーが配置されている。地区によっては、その週一のスクールカウンセルを五年生全員面談ということで、全員面談を一年間して、子供たちが先生には話せない、友達に話せないことが、ぽつらぽつらと出てくる。そういう中で、この子とこの子はこうなんだ、こういう状況だなというのは、結構そこで出てくる。私がいる新宿では更に週二で区のカウンセラーが入っている。そうすると、都から言われているのは、五年生だけであるが、四、五、六まで全員面談ができる。また、それ以外に調査テストをしているので、子供の関係とか、いろんな状況が把握できる。そこで子供の状況をある程度つかみながら日頃の観察ができる。何も情報のない中で観察するのではなく、いろんな情報を得た中で、教師がそれを考えながら児童理解に持っていけるという手立てをとっている。これはとても有効かなと思っている。
  あと、先ほど、これが私は一番の課題だと思っているのが、年間一回研修をしたからといって、教員の質はそれほど高まるわけではない。やはり日頃の取組の中で、体制の中で、教員の資質が向上する手立てを校長はとらなければいけないかなと思っている。今、週三回、うちは夕会というのをやって教員の情報交換をしている。週一回、木曜日については、OJT研修といって、研修と学年会というのを意図的に位置づけて、学年会については必ず最初にやらなければいけないのは、教員同士で各クラスの児童上の情報効果を必ずしてくれと。行事などの情報交換があるだろうが、まず児童はどうなっているかというのを情報交換してくれということを位置づけようと思っている。今、十月からそれを実施しようと思っているが、日常的に教員が情報交換をして、交換した内容で、これはちょっと管理職とか上に上げておいた方がいいんじゃないというのは上げられるような仕組みを作って、そういう中で、教員の、早く言えば力を、日頃の取組の中で高めていく。
  研修はたくさんやっているが、それは知識として身に付く。しかし、教員は、一、二年、五年ぐらいたって育成できればいいという問題ではなく、日頃、子供と関わっているので、すぐ対応できなければいけないという状況がある。だから、もう、すぐ対応できるためには、日常の取組の中でOJTのいろんなものも含めながら高めていきたいと思っている。そういう対応をとっていきたいということと、さっき言ったように、三つ目の教員の育成のためには、そういう日頃の取組と、やっぱり、先ほどお話しいただいたように、研修もただやるのではなくて、今、先生方の状況の中でどういう研修が大事なのかということを、それも意図的に、計画的にちゃんと位置づけながら毎年やっていくということが大事。教員は毎年、異動で変わるし、例えば今ここで研修を積んだからといって、ほかの学校でそういう取組をしているわけではないので、毎年、その学校の質を担保するためには、そういう意図的なものをそこで作っていかないといけない。それが全国のどの学校でも少しずつやっていければなというのは個人的に思っているが、学校によってはもっとすばらしい取組をしているところもあろうし、そういう情報を集めて私どもはやっていくのが一番いいのかなとは思っている。
【委員】 高校での取組の話で、先ほど来出ていたところで、小中でそれなりにいじめがいけないということは分かってきているということと、それはカリキュラム上、道徳がないということで、なかなか取組が組めていないということのお話があったが、やはりかなり問題が出てくるのはここの段階というのも、ここに出ていらっしゃる先生方が持っていらっしゃるような意識を持って、高校でもそういったことが必要だということを、通常のカリキュラム上、出てこないところにどう伝えていくかというのが、やはりここでの協議の結果として、各地の教育委員会、学校を通じて分かっていただくべきことだと思っている。その方法としては、おっしゃるとおり、かなり自主的な活動ができる世代になっていると思うので、それぞれのこと、自分のやっていく行為がどのように相手方に受け止められるのかということを、自主的に分かっていくような各種の取組がされているので、そういった例を伝えていく中でやっていかれたらいいのかなと思っている。ずっと伺っていて、ここにいらっしゃる先生方のような意識を皆さんが持っていらっしゃれば、各校、問題はないのかなという感じはしているのだが、なかなかまだそこに伝わっていないという感じがした。
  あとは大変細かいところだが、問題行動等調査で発見のきっかけとしてというところが低い。だけど、たってみると、そういうことがあったと感じるという、これは我々大人の行動でもとてもよく多いこと。多分、子供たちの中でも、そこでまだ問題が生じている前に、こういったことを出していく、伝えていくというのは、やっぱり何か友達のことをちくるみたいな、そういう意味のマイナス、よくないことをしているかのように受け止めてしまう部分もあるのではないかと思う。それが友達を救うことになるというか、気になったところをうまく大人なりお友達とかに伝えて、それを解決する指針になるということが決して恥ずかしいことではなくて、むしろ救うことになるといったような、そこの意識付けもしていければ、もう少し子供が言いやすくなるのかなと感じた。あと、担任の先生に七三という数字自体のところ、私はこれは本当にいいことだと思う。それを先生がまたどう解決に続けていけるかということで、先ほどのスクールカウンセラーがいればいろいろ出ていけるとか、そういう方々に相談できるとか、そういう意味ではやっぱり重層的にするためには、それなりの人の手当てなどというのがどうしても必要になる。その辺をどう十分にしていけるかということだと思う。
  あと、弁護士会等の相談というのも、もう何十年といろいろな形でやっているし、いろんな、一一〇番とかホットダイヤルとかあると思う。それで、それぞれが結構、子供たちに、市によっては何かカードで渡されたりしているけれども、あれがまた、四月に配られても子供たちがちゃんと持っているかということもあったりする。ただ、いろいろなのがあれば、自分はこれに相談してみようという気持ちになれると思うので、それはもう、いろんな手段で子供たちに、ポスターがあったりカードがあったり、それから、そういう人たちが、たまには研修などで来てみると、あ、こういう人たちが来るんだ、こういう人たちに話せばいいんだというのが分かったりする。いつも申し上げていると思うのだが、百%、これをやればいい、実効性のあることはないと思うので、いろんなのを、みんなが、できる立場の人が繰り返しやっていくしかないのかなと思う。
【委員】  私立の特性ということで少しお話をさせていただく。私どもの学校は女子高なので、女の子の特性ということも含めてになるが、本校に入ってきた子供たちに話を聞くと、最初に関心があるのは友達作りだと言う。友達作りをするということで言うと、学校によっては席替えを頻繁にやるということを取り入れている学校がある。一週間に一回替えてしまうとか、ともすると教員が子供の名前を覚えるのに、あいうえお順に並んでくれている方が楽だから、そこに対して非常に抵抗がある教員がいるが、なるべくいろんな子供と接する機会を多く作った方がいいかなと思ってやっていることがある。
  それから、やっぱり、いじめられて入ってきた子、いじめっ子で入ってきた子、いろいろいる。いじめられて入ってきた子は、入ってくるといじめっ子になる。どうもそういう傾向があるように感じる。そういう意味では、入学時点で、なるべく早い情報を子供たちにいろいろ出していくということが大変重要で、入学時の手当てということを、前回、Q-Uテストのお話もしたが、早い段階で子供たちの実態を探っていこうというふうにしている。
   あとは、私立学校なので地域との連携がないので、生徒と保護者との直接の関係になる。したがって、保護者会を機能させるということが非常に大事になり、さっき「傾聴」という言葉があったが、親御さんはとにかく我慢して、子供の話をひたすら聞いてくださいというお願いを、最初にしている。そうすると、その中から、家庭の中で子供たちが語っていることを親が学校側に情報として流してくれるということがある。その辺は、ともすると子供は、先生は評価者だから、自分がどう評価されているかということに一番関心があるので、なかなか先生に話しづらいという子供も、そういうところで問題が出てくるということがあるかもしれない。私立学校全体としてということでいくと、東京の協会としては研究所を持っているので、なるべく研修所で、先生方のこういう研修会を開きながら、各学校に帰ったときにということでやっている。ただ聞いて帰っても意味がないので、研修を受けた方たちがシェアをするということを、私どもの研修所は必ずやっているということを一つお伝えしておきたい。
  それから、公立の場合には多分、子供たちに逃げ場がなかなかないのだろうなと思う。私立の場合には、この学校が嫌になったら公立が引き受けてくれる。逆に公立の先生から怒られるのだけれど、そういう意味では、逃げ場があるというのは私立の特性かもしれない。特に高校は、最近は通信制の高校に逃げるという。我慢強い子がいなくなっているから、嫌なことがあると、必ず通信制にもう逃げていってしまうということがあるので、学校内だけでどう処理するかということを、私としてはかなり自分自身の問題として抱えているところがある。
【委員】 スクールカウンセラーの立場として少し感じたことをお話しする。児童生徒の取組というところで、道徳教育とか、様々なことをしておられる。それで、私もスクールカウンセラーとして、心理教育というような形で私たちは表現しているが、特に私が子供たちに伝えたいのは、いじめられた子供たちの心理治療というレベルの関わりをすることがあるから、その子たちの心の傷つき、いじめとか、人権を無視された関わりをされた人が、心にどういうふうな傷を持ち、どういうふうな状況になるかというのは、一番そばにいて一緒に苦労を感じているので、伝えることができるかなと思っている。よく、一学期いじめられて、夏休みになるとほっとすると思われるかもしれないが、一学期いじめられた子供たちが、二学期行くのにどれだけの勇気が要るか。そして、そのことを考えたときに、二学期が始まってあの子たちがいろんなトラブルが起こるのではなく、その前に夏休みの段階でもう追い詰められて、そういうことをするということは十分あると思うので、夏休みが始まって、いじめられなくてほっとするというようなレベルでやはり子供たちの気持ちを考えられると、難しいだろう。
  そして、子供たちがなかなかスクールカウンセラーに言ってくれないというのがある。統計的に、スクールカウンセラーは三.三なので非常に肩身の狭い思いをしている。子供たちがそういうふうに、いじめられておる、助けを求めるというような、いろんな相談をしてくれることが非常に統計的には少ない。これは、我々も自戒の思いとして様々なことを考えなければいけないと思っている。いじめられておる子供たちが、まず様々な形で行動の異常が出るというところで、やはり学校を休むであるとか成績が下がるとか、帰ってきて元気がないというようなこともあると思うし、また、かなり体に不定愁訴として様々な問題が出る子供たちは保健室を利用するだろうし、そういう部分では、保健室の先生からの情報提供というのが非常に重要なのではないかなと思う。言葉として、何とかしてくれとか、こういうことで困っているということを言って、なかなか相談には来にくい。やはり大人でもそうだが、雑談のレベルでいろいろ話をしている間に、様々な困っていることを自分で話せるように、カウンセリングルームで子供たちから訴えてこられることをただ待っているようでは難しい。やはり日常的にいろいろ関わって、一緒に給食を食べて、その子の机だけ、グループで食べるときに一センチだけ離されているというようなことに気付けることが重要ではないか。
  それと、講演活動などに行って、学校の先生の研修に講師として呼ばれると聞こえてくることがある。まだ学校の先生たちは、クラスの中でいろいろいじめる、いじめられる、そういう子供たちを一緒に見ておられて、その中でどうしても、いじめられる子供たちも、それはやっぱりそういうことがあったらしようがないのではないかという発想がどうしてもあって、物すごく理不尽に一方的にやられていると。昔の番長が弱い子をいじめるというようないじめを、どうしても許せないということは先生方もすぐ思われるが、そうでないというようないじめのときに、どうしてそれがいじめにあたるのかということ、やはりその辺はもう少し周知徹底していく必要があるのではないかなと思う。そして、そのことが、いじめの認知件数として、どう解消していくかが重要であって、いじめの認知件数が高いことが非常に問題ではない。しかし、先生方からすると、いろいろいじめられたというような子供たちにも、いじめられる理由があるのではないかという発想がどうしても拭い切れないところはあるのだろう。それで、そういう先生方にいつも言っておるけれど、百歩譲って、その子にいじめられる理由があったにしても、いじめる理由があるから、いじめていいということには絶対ならないということを、いつも先生方には強調しているし、そのいじめられるような理由があった子、例えばルールを守らないという子にはルールを守るように指導するのも先生方のお仕事だろうし、だからといって、ルールを守らないからいじめていいということには絶対ならないという人権教育を徹底しないといけない。でも、どうしても先生方は、その渦の中におられるので、いじめる方の気持ちの方にも傾かれるということは十分あるのだろうなと思う。
  もう一つ、発見というところで、いじめられているような子供たちが先生に言ってこないというのがあるが、それは、一つは学習性の無力感というか、言ったけど何も変わらなかったとか、言ったけどうまくいかなかったという経験をしているだろう、ということ。だから、そこでは絶対的に、あなたにどんな理由があろうと、もうそれはさせないと言うことが、子供たちが、その先生に言ったら何とかそのことの現実が変わるという、その子供たちに対する信頼関係を築けないと難しいだろうと思う。それで、絶対的な安心感ということが、治療の場面でも絶対的に必要だし、それをどう築くかが我々も一番考えていること。
  もう一つは、先生方の中で、クラスでいじめがあったり何かしても、言ってこられる先生と言ってこられない先生がおられる。これは何の違いがあるかよく考えているのだけれど、教員として自信のある先生方は言ってこられる。クラスにこういう子がいるのだけど、これはどうだろうかなどというようなことを言ってこられる。むしろ、いろんなことでうまくいっていない、学級崩壊の状態寸前であるなどというような先生方の方が、むしろ相談においでにならない。これはやっぱり、いろんなところで指導を受けたり叱責されたりということで、教員としての自信がない。それは、いじめっ子が自己肯定感がないのと一緒だろうと思っている。だから、そういう部分では僕は、子供たちのクラスでの雰囲気作りも大切だけれど、教員室の雰囲気作りというのが非常に重要ではないかと思う。ちょっと、そういう指導が苦手な先生、やんちゃな子供に対する対応が苦手な先生、そういう方々が肩身の狭い思いをしていて、クラスの中の、勉強ができない、足が遅い子が感じていることと同じことを、職員室でもあるのではないかということが、スクールカウンセラーとして感じることはよくある。そういうときにどうするかというと、管理職の方々と一緒に考えていって、そういう部分では、企業でもそうだが、職場の風土作り、パワハラでも何でもそうだけれど、そういうことを、職場の風土として、そういうふうな周知徹底があるかどうか。このことは学校の職員室でも僕は一緒だろうと思う。我々の世界では、学校コミュニティーとか、そういうふうなことで見ていくけれど、決して、子供たち一人一人、先生一人一人だけをアセスメントするだけではなくて、学校全体のコミュニティーがどういうふうにあるのか。クラスの中でそういうふうにうまく機能していないクラスの先生を、どのように学校がフォローしているのか。これらのことがうまくいっていないと、いつも報告がなかったとかいうようなことで後から反省があるかもしれない。そういういろんなサインを見たときに、ちゃんとその先生をフォローするような支援が教員室の中にあるのかどうか。特に管理職の影響力は大きいだろう。
  先ほど小学校の校長先生が言われたけれど、ああいう雰囲気でやっていただけると、まだ若い先生も、またうまくいっていない先生も、管理職の先生方の力をかりて勉強していって、成長できる雰囲気があるのではないか。それを単に、おまえが駄目だ、駄目だと言われると、子供と一緒でますます相談に来られないのではないかなということはいつも思っている。
   あと早期発見ということで、アンケートがあるが、Q-Uとか、様々なアンケート、あるいは調査があるけれど、そういうスクーリングを実施することと、その結果をどのように扱うか、解釈するかが、非常に大きいのではないか。ある学校に行ったときに、非常に学校適応がうまくいっていないという結果があるお子さんに対して、友達がいないというふうに、その結果では出ているが、担任の先生が私に言われたのは、彼は昼休み時間に弁当を一緒に食べているし、一緒に過ごしているやつもいるし、友達はいると言われた。先生方が目で見て観察する思いと、子供たちがアンケートに友達がいないと言っているのだから、そのことはそういうふうに子供の気持ちとして理解し、声を掛けていただけるといいと思う。その先生は、そのことを伝えたら、ではちょっと言ってみよう、声を掛けてみようと言われた。その次の週に行ったときに、いや、先生、いっぱいあの子が話してくれたと言われて、先生方も、子供の様子を見ないふりをしているわけでもないけれど、気付かないということもあるのだろうと思うので、違う視点から、そういうふうな意見交換ができる、スクールカウンセラーが重要ではないかなとは思う。
  スクールカウンセラーとして、本当、相談が少ないというのが非常に肩身の狭い思いをしているが、決して直接的な相談だけではなく、学校の先生方に対する支援であるとか、コンサルテーションなどで、そういう形でも十分関わっていくことができるのではないかなと思っている。ただ、相談件数が少ないことに対しては、何らかの形で、我々、スクールカウンセラーとして検討していかなければいけないなと強く反省している。
【委員】 中学校の立場からお話をする。中学校の場合には、どうしても思春期前半ということもあり、いろんな問題も発生する。その関係で、学校の中で道徳の時間だとか、また学年での集会だとか朝礼の時間を使って、いじめについての話というのは多々行われている。ほとんどの学校で行われているだろう。
  ただ、私が感ずるには、やはり最近、子供たちは、小さい頃から群れて遊ぶ経験は非常に少ない。ほとんどない子もいると言っていいような気がする。群れて遊んでいる中では、言葉や表情によるコミュニケーションのやりとりがあって、相手の気持ちを思いやるとか、これをやったら相手が傷つくのではないかとか、痛い思いをするのではないかというのは自然に身に付いていくのであろうと、我々、子供の頃を想像してもそう思うのだけれども、なかなかそれができづらい。そこで、被害者であるとか加害者であるとか傍観者であるとか、そういった様々な立場を体験させるような教育活動というのは非常に有効になってくるのだなと思っている。というか、逆にそれをしないと相手の立場を理解しづらいというところがあるので、学校、教員としては、そういった場面を意図的に作っていく必要があろう。
  二点目は、学校全体の、抽象的な言い方をすれば、空気感をいかに作っていくか。子供たちが自分のこととして考える空気感をどうやって作っていくか。一つ、例に挙げさせてもらったのは、これは実際、私の今の学校、前任校でもやっている、いじめの早期発見・未然防止に関わるパネルディスカッションを実際に朝礼の時間に行う。そこで行ったものを学級に持ち帰って、学級活動の中で話し合い活動をして、できるだけ多くの子供たちが主体的にその問題について考える。そういう場面を設定する。そこで考えたものを、そのままだと終わってしまうので、一応、ポスター等に形にして掲示していく。そのようなことで、学校全体の雰囲気を変えていくということは、非常に予防、未然防止には有効な手段ではないかと。実際に私自身の学校で、複数の学校でやって、よかったなという感覚は持っている。
  あとは、私自身の学校ではないが、近隣の小学校で以前聞いた話でとてもいいなと思ったのは、いじめの防止のポスター等を自分たちで作らせて、プラカードのような形にして、お昼休みなどの時間内に、集団、何人かのグループで、特に小学校だから、高学年の子供たちが学校中を声を出して回っていく。いじめはやめようとか、いじめがあったら先生や大人に言おうというふうに、学校内をプラカードを持って回るといった実践をしている学校を、見せてもらったり話を聞いたことがある。そのような具体的な工夫というのは、非常に今後重要になってくるかなと思っている。
  最後、三番目の点について。(三)に関わるところだが、今、多くの学校でアンケートをやって、子供たちから情報を吸い上げる。これは非常に有効な手段だと思っているが、ちょうど中学生ぐらいの子供たちになると、あいつ、たくさん書いてるよ、ちくってるよというような思いで見るので書けないとか、また書いていても、全部正直に書いてしまうと、後で何か言われるのではないかということで、やはり正直なことは書きづらいということがあるので、アンケートは私は必要だとは思うけれど、方式に非常に工夫が必要だろうと思っている。多くのところは今、丸・バツぐらいにしておいて、誰が書いても分からないようにして、その後、面接でフォローする。これは非常に有効な手段。
  もう一つは私が聞いた話だが、たくさん書けるように、何も書くことがない人は、ある百字ぐらいの文を用意して、それを写してくれと。大体、同じ時間ずっと写している。それで、何か書きたいことがある人は、それを写すのではなくて、いじめの現象について相談事項を書いている。そうすると、みんなたくさん書いている時間なので、そのアンケートについて書きやすくなるというような、実際、実践をしている学校がある。このようなちょっとした工夫でも、学校現場に情報を出していくことによって、アンケートの有効性も更に高まるだろうし、そんな情報の発信というのが必要なのかななどと感じている。
【委員】  まず(一)について。子供が主体の取組、とても進んできていると思う。私も兵庫県のある市で、八つの中学ので生徒会長、それから保護者の代表、それから教員の代表、それから関係機関の代表ということで、かなり大人数のシンポジウムをやった。それで、非常にすぐれた意見が子供たちから出た。ただ、終わった後に、子供をねぎらいながら、きょうはよかったねと。では、君たち、自分たちの学校のいじめ防止基本方針をどう思うと聞いたら、実は八人の生徒会長、一人も読んでいなかった。だから、何が言いたいのかというと、例えば子供サミットなどはどんどんやっていくべきなのだけれども、もうちょっと原点に戻って、いじめ防止基本方針は、子供の声を聞こうとなっているわけだよね。そうしたら、子供が読んでいないはずはない。本当に子供の声を聞いているのであれば。そういうようなところから、まず並行してやっていくことが必要なのかなと一つ感じた次第。
  それから二つ目、本人以外の子供からの情報が少ない。これは、自殺予防の委員を私は文科省の方でさせていただいているけれども、死にたいと言われたことがある中高生は二割ぐらいいる。私も自殺後の背景調査を幾つかやっておるけれども、結構言っている。しかしながら、それを大人につながない。そこで対応はする。励ましたり、あるいは話を聞いたりする子もいる。でも、その調査で大人につないだのは三%。アメリカでは、自殺予防でACTという標語がある。Acknowledge、気付く。Care、関わっていく。最後はTなのだけれども、Tell a trusted adult。信頼できる大人に話す、告げる。だから、今までずっと話が出てきたように、私たちが信頼できる大人になれるかどうか。
  それで、私は教員の力量、教員養成をしている。一つは聞くことだと思う。どうしても、立派な話し手になろうとしてしまう。アドバイス、助言。そうではなくて聞く。私はやはり相談する力を付けていくためには、相談したら何かメリットがないと、相談するようにならないと思う。だから、実効的に動くというのも一つある。話したら気持ちがすっきりする。聞いてくれた。そういう体験を教育相談週間の中で例えば持っていくというようなことが、相談をするような機会を増やしていくのかなと感じた。
  それから、アンケートの件。今、御指摘があったとおりで、工夫すべきだ。校内研修に、ある中学校に行った。記名で、いじめがあるかないか聞いている。結果はゼロ。それで、うちはいじめはないと。それで、研修をやる前に、私は、私が一方的に話しても意味がないので、先生たちで議論するために、実際に状況がどうか無記名でやってほしいと。それで、具体的に、いじめといっても、からかいとか嫌なことを言われるとか、殴られる、物を取られると、十数項目作って、あるかないかというので丸を付けさせた。そうしたら、記名でゼロのところが、軽いもので言うと四割、かなり重いものでも八%ぐらい出てきた。それを、私が何か講演するなどではなくて、この数字をどう捉えるかということで、先生方に議論してもらった。だから、記名のアンケートに頼るというのは非常に危ない。それで、アンケートも、過信してしまうと、何もないと思ってしまう。だから、と同時に、教員が日々、子供たちと接してどうかということを、いつも意識していることが必要なのではないか。
  それから、相談機関への相談がない。これは知らないから。例えば私は大学院の授業で、例えば児童相談所、家庭裁判所、児童自立支援施設、少年院等に訪問させる。私ももちろん一緒に行く。それで、先生たちも知らない。現職の教員が私のところにいるから。行ったことがない。では子供に相談しろと言ったときに、知らないところには私は相談を掛けられないと思う。ではどうするか。相談機関から来て話をしてもらうというのが一つだと思う。あと、行く。例えば社会科見学、クラスなどというのはできないから、社会科見学は例えば中一・中二でやって、中三は、では相談機関を訪問する。保健所とか、あるいは家庭裁判所を、あるいは児童相談所、教育センター。それで、行って、そこがどんなところかということを文化祭等で報告する。それを周りの人間が見る。先生たちも当然そこでアポをとる。つながりができるというような、何かある種の仕掛け。相談機関をちゃんと知るような仕掛けをしていくということも大事で、そういう取組をなさっている方もいる。だから多分、こうやって我々は集まっているけれども、いろんな人たちと顔の見える関係を作れるかどうかというのが非常に大きくて、子供もそうだろうし先生もそうだろうなと思っている。
  最後に、教員養成の立場で言うと、中高の免許の中でも、今、生徒指導論という科目があり、生徒指導全般に対しては学んでいる。その中で、やはり力量を付けていくためには、もちろん一五コマで力量が付くとは言わないが、事例研究だと思う。いろんなことを経験できないわけだから、ある経験したものを事例として取り上げ、それを分析していく。だから、現職の先生が来てくださって、学部生に現場の実際の事例を出して、お互いに学び合っていくなどというのを、結構、学生は充実した感じを持つし、力になると思う。そのようなことを、研修の中でも学校の大学の教育の中でも進めていくことが大事なことだと考える。
【委員】  子供自身が人権のことをちゃんと学んで人権意識を身に付けるというのは、根本的に大事なことだとは思う。相手の気持ちを思いやって考えるとか、相手の立場を理解するということについては、いろんなところで言われてきているのだが、同時にやっぱり自分自身のことをちゃんと大切にするとか、自分を守るとか、自分がちゃんと意見を言えるということと併せての教育が必要。自分の権利についてもちゃんと分かって、相手を大切にして、そこで、いじめの問題だとか子供の虐待の問題だとか、そういったこともちゃんと子供の立場で考えて、みんなで話し合うような、そういった、息の長い、一つ一つを大切にしながらやっていくような人権への理解が必要。
  それと、いじめの予防の観点で言えば、いじめに気付くだけではなくて、やはりいじめの前の段階で、子供たちが何となく仲間に入れないとか、一人だけ、中に入りたいと思っても、なかなか自分から行動ができないとか、子供自身が感じている、ちょっとつらい状況だとか、生きにくい状況に、周囲の大人がちゃんと気付いて、それに対してアプローチしてあげて、子供を支援する。そういう日常的な気付きみたいなものを大事にしながら、早期に関わって未然防止につなげていくということが大事。やはり、委員がおっしゃっていただいた、なかなか子供の側(がわ)で、特につらい状況にあれば、自分から発言するというのは難しいことで、大人が気付いて声を掛けてくれたり助けてくれたりすることが入り口になって、相談をすることを覚えたり、自分の方から意見を発することができることにつながっていくのかな。これは大人でも同じだと思う。そういう経験をちゃんと子供たちが小さい時期からして、大人を信頼していく基礎になるということを、考え方の根本に置いた方がいい。
  それと、学校や教育委員会の取組のところで感じるのは、いじめに対する対策の組織というのは、当然、いじめがあったときには初期対応から含めてどんな対応をするのか決めておいて、迅速に動けるようにしなければいけないと思う。ふだん日常は、子供の何げない、発するサインに気付いて、それを未然防止につなげていくような関わりをできるように、いじめ対策の組織を日常的に組織するということが大事なのではないか。特に、いじめにしても、いじめる側(がわ)・いじめられる側(がわ)、どちらも大変な状況になる事案というのは、非常に複雑な背景を持っているお子さんが多いと思う。そういったものに早く気付いて、子供だけではなくて、やはり支援にチームとして当たって、例えば学校での子供だけではなく、もっと深い、家庭であったり地域であったりも含めて、その背景にちゃんと目を向けて、子供の家庭を早めに支援することから、子供と家族というか、子供を中心とした大事なものを守っていくことにつなげていく。そんなことが必要かなと。そういうところで、早めの時期に、子供に対してはスクールカウンセラーであったり、家族や、そういった様々な周辺のものについてはスクールソーシャルワーカーであったり、そういった専門の職員も活用していただけると有り難い。
【委員】  まず、いじめの未然防止・早期発見という立場で、実際にいじめが起きてしまったのではなく、その前の段階なので、私は何といっても、学校は道徳の授業が大切かと思う。なぜかというと、先ほども話が出ていたように、やはり道徳の授業の中で、自己の有用感、あるいは自分の肯定感、それから自分の自尊心を高めるとか、寛容性を高めるとか、こういうものが道徳の授業を通して、しっかりと、四十人なら四十人、三五人が一つのクラスの中で培っていかなければならない。ただ、教師によって、道徳の授業というのが、まだしっかりと落ち着いていないので、少し違いがある。したがって、私も授業を見にいくのと、これで今日の授業はうまくいったのかなという懸念を持つ。だから、それはPTAの授業公開、あるいは学校行事、特に授業公開のときに、御父兄の方に見ていただいて、後ほどアンケート等も出すようになっているから、授業の感想を言っていただくというようなことも先生にとっては大事。また、教育委員会としても道徳授業の充実ということは、やはり市町村や自治体の方でしっかりと出しているから、これはしっかりやっていただかなければ困る。また、文部科学省の方でも道徳についてはしっかりと出しているから、それを遂行していくというようなことが大事である。ただ、それを、国語の授業とどっちの授業をやっているのかなという授業風景がある。国語は国語、道徳は道徳で、先ほど言った、心の方の問題なので、これは十分やっていただくということが大切ではないか。
  二番目は、先ほどから出ているように、担任の先生と担任外というのが中学校の場合にある。小学校も一人ぐらい出るようになったか。三クラスで一人とか。要するに、担任の先生と担任外の先生が見る。二人の目で見ているから、その学級については、いろいろ情報が交換できると思う。この情報こそ、いろんなものを発見する意味で指導の糧になるものだから、十分それを考慮していくということが大切。
  それから三番目には、外部との相談。これが比較的、学校は少ないと思う。だから、町会に出ていったり、あるいは地域へ出ていったり、いろんな情報を相談したり何かして、行事などに行っても、いろいろ情報をつかむ。こういう前向きな姿勢が大事。
  それから四番目は、先生と、やはり児童生徒の関わり。これがやはり非常に大事な面。よく先生に相談できる。子供にも相談される。相談される教師、相談できる教師。そういう行ったり来たりできる学校教師が必要であろう。
  それから五番目には養護の先生の参加ということが非常に大事。養護の先生も、いろいろ机間巡視、廊下を回って、各教室を回ったり、いろんな様子を見ている。また治療に来る子供もいる。そのときから、ほかの話が出たりして、また話が弾む。そんなところから、いろんな情報をつかむのではなかろうかと思う。ただ、また自治体の方でも教育委員会の方でも、養護教員の研修会というのをしっかりやるように指示していると思う。したがって、養護教員の研修会の中にも、いじめに対する、それに関連するものについての研修を進めていただくというような通知も出しているはず。
  それから、その次、今度は子供の言葉遣い。これについて、日頃の日常生活の中で、どんなふうに学校が見ているのかな。教師が見ているのかな。周りの方々がどういうふうに見ているのかな。事務職員の方がどういうふうに見ているのかな。そんなところも情報交換をしていただいて、いろんな情報をお互いに共有することを進めていかなければ駄目だと思う。
  それから七番目は、やはり環境の変化が先ほど出ていたけれども、小学校一年生に上がってくる頃は、本当にまだまだかわいくて、そういう差はない。しかし、二年、三年、四年といったように、学年の学級編成があるときに、今までの学級から混ざる。それはまだいいのだろうけれど、今度は中学校に行って、二校、三校からの小学校から来たときに、また混ざる。それからまた学級編成がある。さらに、先ほど出ていたように、高校に行くと、いろんな学校から来るから、そこの子供の周りの環境の問題があるから、十分、教師の方ではこれらを考慮した指導体制を作るべきだ。
  それから八番目には、そんなクラス替えのほかに、子供同士の話合い。だから、小学校では兄さん、姉さんの感じで上級生。あるいは中学校だったらクラブ活動。そういうところのミーティングを必ず行うようにして、担当の先生、クラブ活動の先生。A君は何を言っているかな、B君は何を言っているかな。そんなところを、自分のクラブの中身ではなくて、人間関係のものもつかめるようなアンテナをやはり張ることが大事。そんなところもやはり教師の質としての問題があると思うので、十分高める必要があるのではないかと思う。
それから、もう一つは、その次に、生徒会、あるいは小学校で言えば児童会。これらはよく、児童生徒会ということで、一週間の十分かそこらを費やしてやる場合がある。そんなときにも、こういうところを活用して、いろんな話ができると思うし、いわゆる児童生徒を中心とした集会の中で、これらについて話し合っていくのも非常に大事。そして、ちょっと教師が後でアドバイスするというようなことが必要になっていくのではないかと思う。それから、またPTAと地域に出ていって、やはりしっかりと学校の様子を話すということが大事。
【座長】   未然防止も含め早期発見も対応も考えると、いじめ防止はいじめという行為の存在から出発する取組が中心になってくる。しかし、皆さん方の御意見を聞いていると、その上位概念に、更にもう一つ包括する概念として、人権という考え方があるように思える。自分が傷つく、自分が苦しんだり、つらい思いをしたりということも、他者に対してそういう傷や苦痛を与えることについても自省的に自分の中で見つめながら、いじめという具体的な行為へ顕現化することを抑止する包括的な観念を内面に築き上げることが必要だろうという御意見だったように思う。
この点を踏まえると、法律で規定されているいじめの概念は、初回に出たように、非常に広い概念であり、我々の日常の社会通念よりも更に広い。これは私見だが、広いというのは、社会通念を包括する、ある意味では人権尊重の考え方なり、あるいは人に対する迷惑行為、あるいは他者の存在をないがしろにしないとか、傷つけないとかという行為が上位にある。その中の一つの具体的ないじめという行為が法律として概念設定されたと解釈される。そしてもう一つ、その内側に、私たちがいじめとは何かということについての社会通念としてのいじめの概念がある。この社会通念と、それから今の法律とのギャップを埋めることが、認知件数の向上にとっては非常に意味のあることである。もう一つはいじめへの指導を通じて子供たちに何を伝えるかという視点として、社会通念の外側にある、大きなもう一つ包括的な理念、ある意味では人権感覚の育成に関わる観点を、指導に入れ込み、そこにいじめの未然防止なり、あるいは早期発見なり対応ということを位置づけていく必要があろうかなというのが、きょう、皆さん方がいろいろおっしゃった中で、私が感じたことである。

( 休憩 )

【座長】  今の最初の未然防止・早期発見のところを、もう少し御議論いただいて、続いて二番目の論点の対応について協議いただき、 三番目の重大事態に関しては、次回にまわさせていただく。これは我々の議論としても熟していないところなので、次回に回させていただくということで、後半の時間を使っていただきたい。
【事務局】  皆様の御議論の前に、気付きで幾つか、また御議論いただきたいというか、ちょっと突っ込んでいただきたいと思ったのが、一つが、いろいろ各委員から御提案いただいた養成と研修について。我々、この意見を踏まえて、養成と研修の一層の充実という項目を書くことは非常に簡単だが、では、その中身は何だというのが、やっぱり具体的でないとまた次に進めないし、徹底していけないということがあるので、養成内容を、先ほど委員からもあったが、更にどのように改善したらいいのか。それを徹底していくにはどうしたらいいのかということや、また研修についても、いろんな段階があるだろう。初任者の段階から管理職、それまでの中堅とか、生徒指導に関わる方々と。我々、現職の生徒指導に関わる方々については自ら主催し、それも昨年も御議論いただいて工夫をしている。座長にもいろいろ立っていただいて、実践型というか、ケーススタディー型に変えてきているという中身があるが、ただ、集まってきている先生が、各ブロックでやっていても、非常にわずかというか、どうしてもその方々が、更に関連研修などで広めていただかなくてはいけないのだけれど、果たしてそれがうまくできているかというようなことが課題だと思っている。
 また、中堅の方がもちろん多いので、それはそれでいいと思うが、では、ベテランの方々が新しい考え方に変わってきているかどうかということも課題なので、そのような、面的というか、計画的というか、その研修の充実の具体策について、きょうの会議というよりも、今後まとめていく段階で、御提案、御協力いただけたらと思う。
 もう一つ、Q-Uテストの話が、各委員からちょっと出たと思う。実はつい先日ちょっと報告を受けた、昨年度のいじめ自殺の第三者委員会の報告で、具体的にはいじめはつかめなかったのだけど、実はhyper-QU調査をやっていて、そこで当該自殺児童生徒については項目をよく見たら気付けたはずだという第三者委員会からの報告を頂いた。そういうことなので、個別にはなかなか、いじめがあったと上げにくいということだけれど、学級満足度調査のようなもので実は気付けるというようなこともある。それで我々もちょっと、なるほどというようなところがあったので、何かそういうものを普及させていく。もちろんこれはいろいろな調査の流派があって、特定のものを勧めるのはどうかというのはあるが、ちょっとそういうものの研究を皆さんにしていただいて、この調査とこの調査とこの調査は非常に使えるというようなことを頂いて、もし事例として示せると、少し救える子供たちが増える可能性があるとか、そういうこともあるのかなと思う。先ほどのアンケート調査の中身とか聞き方とか記入の仕方の工夫というのと併せて、こういう面としての、学級、集団としての把握みたいな手法についての普及みたいなことが、新規的には何かあるのかなということを感じた。
 あと道徳や人権教育のようなことも、我々、徹底していくのが非常に課題で、いろんな段階に今後進んでいくのだと思うが、例えば、これは私が提案するとまた悪いかもしれないけれど、単に気付きとして御質問なのだが、小学校一年からでいいのだろうかというようなことも感じた。その前段階というか、五歳ぐらいとか、もっと早い段階で、絵本などで、そういう、何かを題材に読み聞かせなどをして、みんなで何かというようなこととか、何かそういうようなこともないと、やっぱり発達段階に応じてというのを考えると、ある程度早い段階でできることもあるのではないかなということを感じる。いずれにしても、小学一年生から高校までも幅があるので、この段階にこれが予防とかというのは、多分何かあるのかなと。共通のものもあるけれども緻密なものを何か今後お示ししていけると、各現場が少し助かるというか、頼れるものができてくるのかなというのも感じているし、行政としては、本当に好事例、先進事例みたいなのをきちんと集約して、現場がゼロから悩まなくていいようにやっていくということを、全てにおいてやっていく必要性を皆様の御提案で感じさせていただいた。
 あと、ちょっと御議論がここの部分、もう少しあったらなという気付きだが、(二)の部分で、「いじめの加害行為抑止の方策」と。これはいろんなイメージを持たれるかもしれないが、例えば、このいじめ法がそもそもできるときに、非常に大津の事件から御議論があった。もう少し、目安箱的なものとか、いろんなもので情報が吸い上がる形にすればいいのではないかとか。もう少し、子供がいじめをする隙(すき)というか、そういうものがないようにできないのかとか、そういうものも少し御議論があったと思う。何かそういう、前回、PTAとか保護者の御協力という話が、そういう御提案があったが、例えば小学生の場合だと、普通、土曜日の授業公開というと、かなりの方が来ていただける。中学校になるとぱったり来なくなる。小学校の段階はたくさんいらっしゃる。あの方々が日常的にもっと入っている状態であると、教師の目だけではなく、日常的に地域のお兄さん、お姉さん、おじいさん、おばあさんがいらっしゃるという中で、とてもいじめなどやろうとしても、何をやっているんだとか、誰か見ているという雰囲気でできなくなるというような状況も作れるのではないかということにつながるかなと、前回聞かせていただいて感じた。何かそのようなことでうまくいっている例とか、何かあるのかなということを感じたので、その辺も教えていただきたい。
【座長】  事務局の方から、幾つかの提案がでた。それに関連するもの、あるいは皆さん方の御意見でも結構なので出していただきたい。更に議論を深めて具体的な取組へ吸い上げていくということも必要だろうと思う。
【委員】  今、事務局のお話で、五歳児とか、そのぐらいに、人権教育を含めての取組がいいのではないかということで、それは私も賛成。今、いじめ授業で、私は小学校の低学年を一度やったことがあるけれども、真剣にやっぱり子供たちは聞いてくれる。言っている内容は、僕のイメージとしては高校生と同じぐらいのレベルのことを子供たちに伝えたとしても、分かりやすい言葉で、自分の身近なものを例にとって教えてあげると、しっかりと反応した。小学校一年生から三年生の低学年、五十人ぐらいの子供たちと一緒にやったりしたけれども。そういうわけで、やっぱりもっと小さな子供に関わった方がいいだろうというのは改めて感じている。今おっしゃった保育園とか幼稚園の子供たちにどうやって関わっていくかといったことを真剣に考えていく必要があるのではないか。
 これは一度、私が、アメリカのいじめの研究者の方が講演されたときに、行ってちょっとお話を聞いたことがあるが、アメリカでは、いわゆる学校に上がる前にいじめ、人権教育をしっかりやっていかなくてはいけないのだというのは、もう当たり前になっているという。そこをどうやって取り組んでいくかといったことはやっぱり真剣に考えていく必要性があるのではないかなと思っている。なので、できれば先駆的にどこか実験例でもいいので、一度、試みてみたらいいかなと思っている。
【委員】  子供たちの発達段階を考えたときに、小学校の低学年ぐらいまでは、みんな仲よくという価値観がかなり通用するだろう。それで、三、四年生ぐらいになって、親から離れて、ある程度、自分たちの興味関心なりが合うグループで遊び始めたときに、自分と考えが違うとか、あるいは異質であるとか、そういうことがいじめの原因になったり何かするときに、そういう人たちもいるのだということを受け入れることが重要だろうと思う。アメリカなどは、例えば人種問題とか、そのレベルのことで、学校へ上がる前から考えておるのかもしれないけれど、日本の場合はそこまでしなくても、ある程度、小学校の低学年ぐらいまでは教室の前に書いてある、みんな仲よくとか、考える子とかいう、あれが通用するだろう。小学校へ上がる前に、もっともっと重要なことは、人との信頼関係が築けたり、何か困ったときに人に依存することができたりとか、そういう部分での基本的な信頼関係であるとか、愛着関係がどれだけ築けるだろうかということが非常に重要になるのではないか。そのことは、いじめられる側(がわ)の問題もあるかもしれないけれど、いじめる側(がわ)の問題として、その子たちが十分小さいときから、それなりの愛情を受けたり、あるいは何かをするときに支援をしてもらったりなどというような経験がない子供たちがたくさんいるのではないかなと思う。そこでいじめの問題もあるかもしれないが、もう少し基本的な信頼関係ということが築けることが重要ではないかなというようなことは思う。それは、親子関係だけに起因する必要はないと思うけれど、小さいときから保育園、幼稚園などに通って、それなりの愛情に満ちた関わりをしてもらうことで、その子たちに定着するのではないかなと。そして、また不適切なことをしたときには、その子たちに幼稚園の段階から、そういうことをしたらいけないんだよということを教えれば非常にいいのではないかなと。また、あの段階だと、悪意があってなどということがないので、行為としてまずいことをよく教えてあげればいいのではないかなというふうなことは感じた。
【委員】  やはり教員もプロであるので、そういうものの発見、発掘というのは、やはり目を光らせなければいけない。それで、目を光らせると、何か警察みたいな感じがするけれど、そうではなくて、いろんな授業の中でグループ活動がある。グループ活動の中で、お互いにAさん、Bさん、Cさんが発言する。そういうときの目線やら言語、圧力、そういうものを他人が机間巡視しながら見ていて、ちょっとあれかなというのを気付く。そういうセンスを教師が持たなければ駄目だと思う。それで、今言ったのはグループ活動だけれども、例えば今度は小学校で言えば、バスケットの試合をグループでやる。そのときに作戦会議をAチームに勝とうと。それで、メンバーに意見を言わせる。そうすると、A君がこんなことを言った、B君はやっている。そういう中で、ちょっと沈んだ子がいれば、教師は机間巡視しながらよく見ている。それで、終わった後で、何かあるかなということを気付いた上で、今度は面談か何かするとか、そういう方法に移らないと駄目。要するに、子供の会話の中から自然で見付けていく。(マンツーマンで始めからできっこないのだから、)そういうところから発掘していかなければ駄目だと思う。
【座長】 今の場合は、先ほど事務局の方からはQ-Uテストという具体的な商品の例が出たけれど、これに類似した調査、あるいは独自のものを開発しながら、学校の方でも取り組んでいらっしゃるところがあろうかと思う。
【委員】  本校はQ-Uテストをしているのだが、先ほど、教員の子供と関わる上での情報として、何かいろいろ持っていた方がいいだろうということでは、データとしてはかなり有効かなとは思っている。厳密にどういうふうに活用すればということについては今後の課題ではあるが、今は、スクールカウンセラーとか担任とか管理職がそれを見ながら、この子はどうかという分析はしながら関わってはいる。また、Q-Uテストについては、いろんな方がやられているだろうから、そういう情報を逆に頂きたいなと。有効活用とかデメリットの部分も。余りそれに固執し過ぎてやると、こんな問題があるよなどということも、もしあれば逆に頂きたい。さっきはお話があったように、話をお伺いしていると、幼稚園のときから少し早めに対応をとった方がいいのではないかと聞くと、なるほど、そういう視点もあるなと思いながら、ただ、先ほどお話があったように、逆に早めにやると課題もあろうし、その辺は、やる上では、かなり検証とか、いろんなことを確認しながらやっていった方がいいかなという感じは持っている。
【委員】  小さい段階からやるのがまずいとか悪いとかは思わないけれど、それ以上にもっと人間的なレベルでの信頼関係を築く経験が重要ではないか。
 それと、Q-Uテストを実際にやるというときに、これは子供たちにいろんなクラスでの満足度をいろいろ尋ねたりするわけだから、これはある意味では教員が評価されること。それをよく教員の方々が覚悟しておられることと、それとその結果をどのように活用するかがよく浸透しないと、先生方が間違った方向でクラス経営をされたりなどということになったり、あるいは先生方の評価につながって、あそこは学級崩壊寸前だなどというようなことになってもまずい。しかし、先生方が、ある意味では子供たちがどのぐらい教室で安定して勉強をしているのか、友達関係が充実しているのかということを見ることが、非常に僕は重要ではないかなということは思う。ただ、結果をどのように活用するかは、その担任の先生方が現場のクラスの中でどう反映されるかが一番重要だろうし、管理職がそれを何らかの評価に使うというのは、もう言語道断だろう。
 それともう一つ、道徳の授業というのを物すごく言われたけれど、道徳の授業で教えたことをどれだけ日常的なところで実践できるかが重要だろう。それも先ほど、いろんな遊びの場とも言われたけれど、今からは運動会もあるし、そういう行事を通して、道徳で教えたことが実践的にどれだけできるかという評価がないと、チェックがないと、幾ら授業をやっても、学校の教科の知識に関しては、テストという形で、どれだけ覚えているか、正しく再生できるかということをチェックはできるかもしれないが、そういう道徳で教えた人権意識であるとか相手への思いやりとかいうようなことは、やはり僕は日常生活の中で先生方がチェックされることではないかなとは思う。
【委員】  私もQ-U、前からお話ししているので、本校でどう活用しているかということについてお話しする。中学校一年生あるいは高校一年生、新しく入ってきた子のことについては、その子のことをどう理解したらいいのかということで、教員も共有できる。しかし、二年、三年に進んでいくと、先ほどお話があったように、教員の評価というふうになる可能性があるので、公開したがらない先生も出てくる。私どもの学校では、それではまずいので、とにかく学年全体で共有するということをまずしてもらって、そのときどういう話合いがされたのかということも含めて、私もQ-Uテストの結果を見て、私なりに、この子についてはこういうふうに見てあげるとどうだろうねという問い掛けをしていくようにしている。飽くまでも、その子が学校の中で満足した生活ができるにはどうしたらいいのかという視点が一番大事だから、その視点は外さないで話をしているところ。割と活用方法は随分あるかなと、私としては比較的評価しているテストである。
【委員】  一つのツールだと思う。ほかにも幾つか心理テストがあるし、有償のものも無償のものもある。それで、我々が何か学んでいくときに、不安定要因が入ってこないと学びが深まらないと思う。そうすると、子供に対する決め付けとか思い込みがどうしても他人の中に生まれてくる。それを打ち破るといったときに、例えば気付かなかったところで心理テストで浮かび上がってくることもある。あるいは、中学校、高校であれば、授業に出ている先生がこうだったよというので浮かび上がってくることもある。あるいは作文とか美術の作品とか、知る手掛かりはたくさんある。それをどう重ね合わせるかということが大事で、どれか一つに過信を持ってしまうと、ある意味、危ない。だから、自分自身の感覚ももちろん研ぎ澄まして大事だし、人の見方も大事だし、客観的なテストも大事だし、それを、なかなか時間がないのだけれども、総合的にどう捉えていくかというところが大きい。あと御指摘があったように、やはりクラスの状況ということになるから、個別も出るけれど、担任の先生がそれを何か評価されていると思うと使い切れない。だから、その辺の合意をどう取り付けてやっていくか。そのときに、どんなテストがあるのかということは検討する必要。
【座長】  今のQ-Uにしろ、ほかのテストでもそうであるが、今、委員がおっしゃったように、あるいは先の委員がおっしゃったように、評価というところへ結び付くと、これは功(こう)を奏さない。また、先ほど委員がOJTだとか、あるいは校内研修とおっしゃった。あるいは今、委員からは、学年で共有すべきだと。それは、業者テストになってしまうと、どうしてもその分析に依拠してしまうからなんだ。むしろそれは担任の先生を含めて、あるいは学年団、あるいは今、学校に設置されている組織の中で、共有しながら分析していくという、このプロセスが要るのだろう。余りにもテスト依存になると、評価になったり、あるいは結果だけを鵜呑(うの)みにしてしまって表層だけをなぞる取り組みに終わってしまうことがある。結果も抱え込まずに、また、Q-Uに限らずいろんなテスト法があるし、学校で自ら開発されるというところもある。開発されているところは、それを共有化しながら分析をされている。自分のところで、自分たちで分析するということをやっていらっしゃる。これが本来の使い方かなと思っている。業者からの意見も付いてくる場合は、それはもう参考意見として扱うというぐあいに考えていただく使い方でないと、本来のよさが発揮できないかなと。その点はやはり今までのQ-Uテストの問題点としても指摘されているところだから、それをうまく使いこなせば、非常に有効な手段になってくるだろうと思う。
 ただ、テストだけで学級の状況が把握できるというわけではなく、やっぱり日常の観察等もうまくかみ合わせながら、それを今までのように個人に対する分析にとどまらず、学級の状態というものをやっぱり面で把握しながら、そこに潜んでいる問題、課題というものを、積極的に見つけ出すために活用していくという使い方をしていく方向がなければいけないかなと思っている。分析も個人だけで完結してしまうというやり方も余りよくないなと思っているので、そのあたりは工夫の必要があるのだろうと思っている。
【委員】  私もよく分かっていないのだが、Q-Uテストは、終わった結果は、先に担任が見ずに、管理職がちゃんと一応、全部確認する。だから抱え込みというのがあるのであれば、改善しなければいけないのかなと今お伺いして思った。しかし、基本的にはそれをもって担任が一人で抱え込むというのは、少ないのではないかなというような感じを私は持っているが、今のお話の中で、何かQ-Uで抱え込みがあるという認識でいくと、そういう学校は私はレアケースで、逆に珍しいのではないかと。まず管理職がしっかり、学校全体でやっているものだから、確認する。そうしたら、この学級で、このクラスは今こういう状況なのだなと、見る前から大体こうなるかなと、大体予想は立っている。しかし、当てはまらない、あれ、ちょっとこの子は何でこうなのだろうなということをみんなで相談したりしていくのが大体のケースかなと思っていたのだが、何かレアケースが大筋になっていくとちょっと心配になった。
【委員】  今のと重なるが、中学校でも、私のところでもやっているけれど、オープンである。それで私も全部見る。だから、抱え込みという状況は余り考えられないかなというのは、重ねてお話をさせていただく。
 あともう一つ、中学校などで、今、若手の教員が大変増えているので、すごく私が感じているのは、先ほど委員からあったように、いろんな手掛かりを重ね合うということは非常に重要だと思うが、その気付いたものを出せるかどうかという、その雰囲気を作れるかどうかというのは非常に大きい。これは管理職の姿勢にも掛かっているし、今はやっぱりミドルリーダーの姿勢にも掛かっている。その管理職とミドルリーダーの会合の中で、とにかく引き出すものは引き出してあげてくれというものを作っていかないと、若手は先輩のいる前では何も言えないよとなってしまうと、本当に気付いたものが全く共有されずにいじめの発見につながらない。その辺の学校作りというのは、非常にポイントになるだろう。
【委員】  少し付け加えると、大学を出て教員になる。それで、新任の者に話を聞く機会がある。そうすると、新任指導教員が付く。この新任指導教員がどのように新任者を指導あるいは育てていくか。これが一つ大きい。誰に付くかというのが非常に大きいというのが現実にはあるように思う。それから、単純なことを言うと、一つの学校に初任者が二人入りました。新任指導教員は一人。では職員室の中の机の配置をどうするか。三人並べて真ん中に新任指導教員がいるような形になれば随分違ったのだろうけれども、通路を隔てて隣り合わせの者と、通路を隔ててこっち側というふうになった。単純にもうそれだけで、会話量がもう、こっちの通路側はがた落ちになる。何が言いたいのかというと、実際に、では新任とミドルリーダーと管理職が混じり合うような環境を、雰囲気を作っていく前提として環境を整備していく必要があるのではないか。例えば職員室の机を、面倒なのだけれども、学期ごとに入れ替えて、隣の先生を替えていくとか、何かそういうものがないと、なかなか実効的に動かなくなるような気がする。今のは一つの例で、そういうことを工夫していく必要が今、学校の中にあるのではないかなと思っている。
【委員】  先ほど養成と研修という視点があったので、それで今、感じていることをお話しさせていただく。教員は今、大学を卒業されてすぐなられる方と、しばらく勉強されてなられる方と、一般企業等に入ってから、教員を目指して入る方など、いろいろいらっしゃる。私の今までの経験で申し上げると、企業から入られる方は、それなりの意識を持ってやられるが、自分の思いがあって、最初は即戦力になるが、こういう、いろんな基本的な素地(そじ)の部分では、なかなかそれが伝わらないという側面がある。まだ大卒で最初の、教員もなり立ての頃にやはりしっかりした、そういうことを基本のものを教えておかないと、間違った感覚が身に付く。考え方というのは、もう大人になっているから。それを早期の段階でやっていくというのが、私は大事だなと思う。そう考えると、大学の養成の段階で、基礎的な素地(そじ)を、基本的な考え方をしっかりお伝えしていくとか、何かの実習の中でそういうことをちゃんと学んでいくとかいうことも大事。一般企業から入られる方は大体、通信制とか、いろんなことで単位を取られるのだが、そういう方にも、座学だけではなく、基本的な素地(そじ)もしっかり身に付く体験をさせしっかりした人権感覚を子供たちに関われるようにしたい。これは現場を預かる校長として、それを肌で感じるときがある。ということで、養成、研修も、とても今後大事だなと。教員がなかなかいなくて、いろんな方が入られてきて、そういう部分での危機意識はもっている。
【座長】  加害行為の抑制に関して何か御提案はあるか。未然防止は未然防止として考えることがあり、早期発見の段階から次の対応の段階でも考慮すべきことがある。いかがか。
【委員】  加害者もやっぱり、一つは心理的なストレスをかなり抱えている。だから、加害者支援というか、加害者を作らないようにという、みんなが、生きづらさを抱えている中でも何とかやっていけるような社会あるいは学校を作っていくというのがまず一つで、加害者になっても成長支援をしているということが、ちょっと法律は弱いから、そこが一点大事。
 二つ目は、道徳教育、人権教育、もちろんもっと充実させるべきだ。ただ、いじめは悪いかというと、みんな悪いと言う。しかし、やる。もう少し私は、弁護士の方がいらっしゃって、今もいろいろやっているけれども、法教育というか、自分の行為の結果責任をとるような意識を、ある意味、道徳的なモラルに訴えるというのと、もう一つ、法によって自分たちが守られているのだということを伝えるべきだ。何か、法を伝えると厳罰みたいな感じで、法でおどしを掛けるみたいに思うのだけれども、そうではなく、自分たちが安全で暮らして守るために法がある。その中に刑法もある。例えばこういう行為は犯罪行為としてこうなのだということを、きちんと子供にやらないようにという側面と、守られているという側面と、両方からやっていくことももっと必要。学校は、子供が悪いことをするはずがないという性善説で結構動いているのだけれども、そうでない部分も、もう少し私はあってもいいのかなという思いを少し持っている。
【委員】  法律で、ガイドラインを作るときに参加させていただいているので、そのときにもお話ししたので、御記憶の方もあるかもしれないが、子供たちに、いじめがあるということを言うのは、とてもつらいときがある。大人の社会でのいじめを子供たちは見ている。すると、いじめはいけないんだよというのをなかなか子供に言いづらい。それだけで大体言ってしまうと。だから、この問題は、自分が逆の立場に立ったときにどうなのということを、常に気付かせるということが私は大事なのだろうと思うので、いじめは悪いのだよというのは、道徳的なことで私は教えられない。子供たちは社会を見ているから。
【委員】  確かに、先ほど言ったように、荒れている学校とか様々な学校、いじめの学校などに行ったときに、最初に見させていただくのは教員室の中の雰囲気。教員室の中にそういう雰囲気があるかないかということが非常に重要になると思うし、先ほど新井先生が言われたけれど、私もある児童養護の施設に行っているけれど、いじめがひどい施設があった。そこでその子たちの加害者側にいつもお話を聞いているときに、彼らがいつも言うのが、やっぱり彼らが守ってもらっていない。だから、先ほど言われたけれど、そういうふうなことで加害者を罰するということもあるけれど、やはり加害者の方も今までいろんなつらい経験などをして、社会の中のルールで守られていない。だから、それを守るためにあなたたちにそういうことをしてもらうのだし、だから、やっぱりやっていいこととやっていけないことがある。それ以上やったら、やっぱりそれは無理だということを分かってもらうのが一番近道だった。だから、悪いことをしたから罰としてその子たちをコントロールするというのは限界があるし、そういう加害者の子供たちと接しているときに、ある意味でそれが遊びのつもりでやっていて、相手がそれほど嫌だということを知らない子供も、そのレベルのいじめもあるけれど、かなり、やはり本人がストレスを発散したり、あるいはいろんな嫉妬心からなどというようなことでやっている子供たちがかなりいるので、その子たちの傷つきをやっぱり癒やしてあげないと、やはり予防にもならないのではないかなというようなことを思う。
 そこが、問題が起きてから、その子たちに手を差し伸べるのではなく、その子たちが非常に家庭的にも寂しい思いをしておるとかいうようなことがあったときに、そこに対して先に関わっていくことが一番予防になるのではないか。
【委員】  今の御意見にとても賛成で、私自身は児童相談所に長くおり、施設の中のいじめも見たり、見聞きしてきた。また、学校等からも御相談を受けることもあれば、様々な、一三歳までの子供さんの事件、触法少年の事件で御相談の方。特にその子がいじめの側(がわ)に回っているということも結構あった。いろいろ大変な状況を抱えている子供こそ、やはりそういう事態になったときに、なかなか歯止めが利かなかったりとか、相談できる場がなかったり、諭してもらうだけの、守ってくれて、そして諭してくれるような家族の背景がなかったりということがあって、実態が悪化する場合がある。やはりいじめている側(がわ)にも、子供の側(がわ)のSOSがいじめという形で出ている場合は多々あるということをちゃんと肝に銘じて、いじめている状態を発見したときには、いじめられた子供を守るのはもちろん第一段階で当然だけれども、いじめている子も支援が必要な子なのだろうという視点で関わっていくというのが、やはり加害を防止する、また次の加害を生まないためにはとても大事なことだろうと思う。
【委員】  いじめがよいか悪いかという以上に、そもそもいじめがなぜいけないのだろうというところを、実は冒頭に委員がおっしゃっていたと思う。恐らくその質問を生徒に与えたときに、なかなかすぐに、なぜかという答えを言えることは少ないのではないか。そのときに、種村先生が最初におっしゃっていた、人権感覚を養う。素地(そじ)、土台を作るということが非常に大切。
 小学校に限らず本当に発達年代に応じた形。例えばもう、四歳、五歳から、そういった相手の立場に立つ、あるいは相手を思いやる心といったところが必要なのかなと思っている。例えば『泣いた赤おに』というお話は、ある程度の年代の先生方はもちろん御存じだと思うが、恐らく今の子供たちは余り知らないのかなと。それは決して学校で教えるなどということではなく、例えば親の読み聞かせであったりとか、そういった家庭教育の問題であったりする。それをどういう方法かというのは非常に難しいけれど、やはり道徳というのが一つの手段になっていくのかなと思っている。
 それともう一点は、先ほど、開かれた学校という中で、授業、PTAとの関係になるとは思うけれど、学校の授業あるいは学校生活を親に見ていただく。親に限らず地域の方に見ていただく。そういったところから、学校だけに限らず、様々な支援を頂きながら生徒を育てていくということにつながるのかなという気がした。
【委員】 今、先生方のお話をお聞きしながら考えていたことだが、いじめのようなものがあったときに、場合によって先生方が見て見ぬふりをしてしまったり、もうちょっと様子を見ようと思って間を空けてしまったりすることが多分現実には起きているのだろうと思う。その理由の一つはもしかすると、怒り方がよく分からないということとか、あともう一つは、今、先生方がおっしゃっているように、いじめる側(がわ)だけが悪くて、その子を怒れば済むことではないというのは、もう何となく体感的に分かっているので、怒った後に何をどうしていいかということが、もう一つ分からなかったり、その後、もっと面倒なことを引き受けなければならない。要は、いじめる側(がわ)のお子さんにも支援が必要だろうし、それはかなり根深い問題もあるのかもしれない、そのふたを開ける勇気というか、そこをどうやって背中を押してあげることができるかというお話なのかなと思う。
 それと、今、いじめる側(がわ)のお子さんにも課題があるし、ただ怒ればいいというものではないという話も出ているが、一方で、きちんと怒るということもやはり大事だと思う。本来してはいけないことをしていることに対しては叱られるんだとか罰せられるんだとか、そういうことについてどういうふうに教えていったらいいのかなというか、例えば強く怒ったときにハラスメントと言われたり、保護者の方から何かクレームが付くようなことがあったりとか、いろいろなことを考えてしまうと思うので、どういう怒り方をすればいいのかということも、もしかすると研修などで具体的にやる必要があるのではないかというふうなことを感じた。
 あと、幼稚園とか小学校に入る前の段階の教育ということにも絡む話だが、自分との違いを、例えば肌の色が違うとか、身体の障害があるとか、そういうお子さんについて、自分と違うなということは、もう二歳、三歳の子供でも把握することはできるようだ。ただ、その段階というのは、自分と違うということを認識するだけ。そのお子さんたちを違うと気付いたときに、周りの大人がそれを否定してしまうとか、そんなことを言っては駄目と怒るとか、そんなことはないというふうにごまかすとか、そういう対応をしていくことによって、四歳、五歳ぐらいで、もう既に偏見というものは作られていくというふうなことが研究では言われている。なので、多分、ただ違いがあってもいいのだということを非常に小さい段階から伝えていくということは大事なのではないかと思うし、今、いじめがどこから起こってくるかはもちろん一つではないと思うが、どうしても集団に適応できないとか、何か異質なものを持っている、その人たちを排除していきたいという気持ちから、いじめがもし起こるのだとすれば、やはりもっと、多様性があるということを小さい段階から伝えていかなければいけないのではないかと思う。
 ここで言うのが適切かどうか分からないが、例えば先月、もう先々月か、起こった、障害者施設への大きな事件が相模原であった。あのときの被疑者が言った言葉で、障害を持っている人がいると周りが不幸になるとか、本人もつらいし不幸になるなどということを言ったわけだが、ああいうことを言わせてしまう世の中なのだということを社会全体が認識しなければいけないのではないかと思うし、いろいろなつらさだとか未熟な部分を抱えている人たちも大切にされて生きている社会をどういうふうに作っていくのかということは、多分、いじめの問題とどこかでつながっていくような気がして、そういうことについても考えていかないと、先ほど先生がおっしゃったように、いじめはいけないと教員が子供たちに言えない世の中ではやっぱりよくないと思うので、そのことを真摯に受け止める必要があるなと感じた。
【委員】  先ほど法教育の話が出て、その後、何人かの委員からお話があったので、基本的に付け加えることは特段ないけれど、道徳教育と法教育というのは異質というか、同じような目的で使える部分もあるが、やはり法教育というのはルールに従っていくということを学んでいくということ。それぞれの人権とか、そういったことを学ぶことなので、その結論としてよくないことだというときには、どういうルールとか約束からそうなるのかということを学ぶということで、これをするとどういう罰があるとか、そういう仕組みというのと、ちょっと異質ではないかと思っている。
【委員】  全国の小学校、中学校、校長先生方から、もし可能であれば、それぞれの単位PTAの会長さんたちがいらっしゃると思うので、そういう方に、いじめであるとか加害行為抑止の方策について、一回全体で話合いをしてみませんかみたいな投げ掛けをしていただくことはできないのかなと感じた。その背景としては、やはり学校教育の限界であるとか社会教育の限界があるので、やっぱり家庭教育は絶対的なものだと思う。なぜそういう話をしたかというと、全国の単位PTAの会長さんたちにいろいろお話をする機会がある。割と共通点として出てくるのは、会長になって何が変わったかみたいな話をすると、冗談みたいにして割と皆さんおっしゃるのが、地域ではちゃんと横断歩道を渡るようになりましたみたいなことを言う。それは、ちゃんと見られていると思うので、自分自身がルールを守るようになったという、そんな冗談みたいな話もよくある。そういう意味では、自分自身も律して、健全育成のために寄与しようという思いが非常に、会長になったことによって高まっているということだと思う。それで、PTA活動というのが、単なる行事をやる団体ではない、いわゆる健全育成をきちっとやる団体として、それなりの連合体の組織になってくると、社会教育という言葉が出てきたりする。一般の単位PTAの会長さんたちは、そこまで見識があるかというと、そこまでないケースの方が多分ほとんどだと思うので、ある程度、研修を我々の方でもいろいろやっていく。そういう中で、参加した方は、ではこちらの方、PTA側から学校に問い掛けをして、子供の健全育成の一つとして、これは学力向上であったり、いじめも一緒だと思うけれど、テーマが違うだけでということで、なかなか問い掛けしづらいという現状もあろうかと思う。連合体であれば、例えば教育委員会と教育長のお名前と、それからその連合体の会長の連名でこういうことをやろうというふうにやっているところも全国的に幾つかある。しかし、単位PTAだと、なかなか会長側からそのアイデア、方策もないという場合は、お声掛けいただくと、あ、ではやってみましょうかということになるのかなと思う。非常にやる気に満ちている会長たちが多いけれど、何をどうやったらいいのか分からないというところがあろうかと思うので、一つにはそういうアイデアもよろしいのではないかなと感じた。
【委員】  これはお願いになるかもしれないが、私は校長として、これはちょっと課題だなと思うことがある。比較的、先生方にいろいろ話を聞いていると、何でこういうことを何回もするのなどというのがある。というのは、先生方、余り小学校とか中学校、怒られてきていない。問題を起こしている人も何人かいるけれど、それほど、真面目で、どっちかというと先生方に評価されて、私もやってみたいなということでなっている人が多い。だから、問題を何回も起こす子の気持ちが分からない。でも、学校現場ではそういう問題を起こす子の気持ちもやっぱりどこかで感じながら、ではこの子は何で起こすのとか、そういう次のことが大事。さっき言ったように、私は、悪いことをやったらしっかり厳しく怒ってくれと言っている。でも、その後が、フォローが大事だよと。そのことは言っているのだが、しかし、なかなか難しい。これは何かそういう研修、もしかしたら自分のタイプとは違う子、若しくは分からない、理解できない子が何で起こすかというところまで思いを馳(は)せて指導ができる教員を作らないと、背景は、子供を指導する教員がそういうことが分からないと、幾らやっても駄目。一番接している親と教員がそういう素地(そじ)は持っていないと、幾ら言っても机上の空論になっていくので、やはり教員がしっかりそれができないといけないという、そういう課題をどうやって乗り越えていくか。いろんな子がいて、そういう子は、金子みすずではないけれど、いろんな子がいて、そういう子、分からない子に対してどういうふうに自分が関わっていくのか。そういう研修をどこかで、全く分からないのだけれど、そういう研修を専門にやっていらっしゃる方もいらっしゃるのではないかと思うが、そういうのを位置づけて、少しずつ教員にも、研修ではないけれど養成でもやっていくと、またちょっと違うのではないかなと。現場としては時々苦労する。この先生にそれを理解してもらうには、どういうふうにしていこうかなと。口で言ってもなかなか、何、また文句あるの、怒られたとかになってしまうから、どういうふうに理解してもらうのか。あなたみたいなのばかりの子ではないんだよ、いろんな子がいるんだよと、口では言えるけれど、なかなか難しいところ。そういうのを開発していただけると有り難いなというのは、時々、校長としては思うことがある。
【委員】  小さい頃から異質なものが理解できるとかいうのがあるが、心の理論というのがある。自分の考えとは違う、相手にも考えがあるのだということが気付けるのが、大体四歳、五歳。これを多くの子供たちは、全部学習して通過していくわけだが、それはやっぱりお母さんたちとか周囲の大人が、何とかちゃんはこうなんだよということを教えてくれて、フィードバックしてくれて、やっぱり理解していくのだろうと。そのことが理解できないと、やっぱり難しいだろうというふうになる。それで、そのことが理解できていない人たちが発達障害と言われる人たちで、やっぱりそこのところが苦手な人たちもいるけれど、これも知的に高い人たちはパターンとして覚えていくから、それは学習で何とか補えるかなというふうなことを思う。また、先ほど大人の態度を見てというのがあったが、横断歩道を渡ることもそうだけれど、九歳、十歳ぐらいになったときに、それまでみんな仲よくと言ったのが、みんな仲よくしなければいけないのだけど、でもやっぱり考え方が違うなり、嫌なやつがいる。嫌なやつがいるけど、いじめてはいけない。掃除するときには、同じグループになったら一緒にやるということを覚えていくのが、ちょうど九歳、十歳、あるいは思春期というとき。思春期というときが、ちょうど大人の矛盾を上手に自分の中で取り込んで行動できるようになることだろうと思う。だから、もうみんな仲よくというような価値観だけでは子供たちのいじめを解決するのは難しく、それが先ほど小学校の先生が言われたように、そのときに、子供たちが、ではなぜいけないのかとか、あの人は嫌だとか言ったときに、そのときにちゃんと答えられる人間性がないと難しいのだろう。そのときにどういう教育をするかというときに、我々のスクールカウンセラーの世界では、スーパーバイザーというのが付く。ほとんど自分たちでそれを、スーパーバイザーにお金を払って自分で研修するというシステムがある。学校現場の中では、そんなときに新人に一人先輩が付くと言われたけれど、そのオン・ザ・ジョブ・トレーニングをするときに、業務を遂行しながらそういうふうな専門性を学習していくというのがあるけれど、その教えるべきことが先生方によってちゃんとあるのだろうかと。そしてオン・ザ・ジョブ・トレーニングの重要なところは、ある新人の教える人たちの見立てだ。どのぐらいのことが問題があって、何ができて何ができないと。この見立てなくて、一方的に教えていかれても難しい。
 それと、もう一つは、その指導される先生方がどういうふうな指導をされるのか、自分と同じような教員像を目指していかれるのか、それとも新人の方が、自分はこういう教員になりたいという理想を持っている、それに対して応えられるだけの幅があるのかどうか。でないと、みんな同じような教員を作るばかりになって、コピー人間ばかりになるのではないかなと思うし、その先生方の教員としてのよさみたいなところを伸ばしていくような指導がちゃんとできるのかどうか。指導する方々に、そういうことができるのかどうかというのが一番問われるのではないかなと。先ほど校長先生が言われた、どういうふうな教育をすればいいのか、指導をすればいいのかというふうに言われたけれど、それを単なるマニュアルで教えても僕は難しいのではないかなというようなことは感じた。
【委員】  校長として、全く先生方に対して、悪口ではないが、平均的な、やや優等生的な教員が多いので、本当に生徒の気持ちを理解するのは、なかなか難しいのかなと思っている。特に家庭に対する理解というのが、これも成績だけではなく、本当に一般的な標準的な家庭で育っていたケースが多いので、特に本校は非常に、成績レベルに応じて貧困というのが、今、比例というふうに言われるけれど、非常に複雑な家庭環境に置かれている生徒が多くいる。なかなかそういったことに対して、内面に踏み込む形での理解が難しい。それはもう、難しいと言って終わってしまうのだけれども。
 もう一つは、今あったように、では研修という形で、初任者に対しては一般的に指導教員が付く。もちろん私なども様々な角度から指導するわけだが、基本、恐らく八割は、授業、学力向上に向けての指導というか研修になるのかなと思っている。なので、本当の、本質的な意味での、悪いことをしての生徒指導ではなく、一人一人の生徒をしっかり育てるという観点での指導というのは極めて難しい。もちろん教員になろうとしているわけだから、意欲もある。私は教育学部卒ではなく、全く勉強をしないままいきなり教員になって、しかし、経験値であったり、あるいは先輩の先生方からいろいろ教わる形で、何とかやってきた。今、逆に指導が行き届き過ぎて、パターンとしては、幾つも対応化に対しての理解がある。しかし、そこから外れた部分、その範囲に入らないところに関して、本当にもう対応のしようがない。場合によっては、もう自分自身の職業に対して逃げていく、辞めていくというようなケースもあるように聞いている。なので、お話が広がってしまって申し訳ないけれど、やはり学生時代に何を学ぶかということで、例えばカウンセラーのスキル、そういった要素も、これからの教員免許にとってやっぱり必要なのかなと。もちろん採用試験で面接をしながら、そういった要素を見抜こうとしているけれど、例えば先ほど申し上げたように、ではいじめは何でいけないのかというのを、学生、採用試験のときに質問したときに、果たしてどれだけ生徒にとって納得のいく答えができる。我々もそうだけれど、教員がいるのだろうかということになってしまうか。その危険性というか心配な部分を感じる。
【委員】  教員養成の立場で非常にどうしようかなみたいなのがある。教員の専門性というのは極めて難しい。先ほどOJTとおっしゃったけれども、OJTができるのかどうか。トレーニングするということは、トレーニング内容があって、そこに近づけていくということ。しかし、例えばいじめの問題をめぐって若い先生とベテランの先生が話し合う中で、座長がおっしゃっているけれど、OJL、on the job learning、だから学び続けるというのが、どうしても教員の一つの使命で、これが正解なのだというのが固定的には出てこない。だから、経験だけから学ぶといったって、経験できないことがたくさんあるから、そこでいろんな知識あるいは知恵、あるいは擬似的な体験とか、あるいは事例とか、そういうものを学び続けている。そして、先輩、同僚、管理職の方と一緒に学び合っていくということの中でしか、私は力が付いていかないのではないか。その素地(そじ)を学部のときに、どうやれば学べるのかとか、想定できない事態に対してどういう手立てで当たっていけばいいのかというところを身に付けている。単に知識を身に付けるということではない。スキルを身に付けるということではない。それももちろん必要だが、学ぶという一番根幹のところ、人のことを知ろうとしたり分かろうとするというところを、どうやって育てていくかなというところが大事で、そこの専門性というのが今、問われているところ。
【座長】  ある意味では、OJTというのは指導する側(がわ)がしっかりと内容、いろんな方法を把握して、そして指導される側(がわ)が学んでいく、仕事をする。これに対してOJL、on the job learningは大変重要な考え方だろうと思う。委員がさっき、どうしていいか、どうやったらいいのかという解がなかなか出てこない。自らの教職経験に照らしてみても、そういう子供の体験あるいは認識の仕方、理解の仕方みたいなものが理解できない。そういう事態が非常に多いわけだし、ましてや複雑な背景を持っている子供については、例えばSSWを入れて子供の家庭の顔あるいは地域の顔というのを導入していただく。いろんな新たなやり方を工夫したり、解が見つからない複雑なケースでは、むしろOJLを通じて、教員がお互いに、ダイアログというのが一つ中心的技法になるが、ミーティング文化という職員室文化が素地(そじ)になってくるのだが、どうやって学び合いをしていくかである。ダイアログの中で解をお互いに模索しながら対応して、自らの力量を上げていく。それは単に個人の力量を上げるというのではなくて、そういうOJLのようなものを組織の中へ導入することによって、組織自体が成長する。そこへ新たに異動した人たちが来ても組織の力は落ちないという考え方であって、企業などは2000年あたりから、日本の企業でも導入しているところがある。これはMITのピーター・M・センゲ教授が提唱した手法で、新たなこと、あるいは未知のこと、あるいは余りにも変数が複雑過ぎて、なかなか解が出ない。こういうものに対して、組織がどう新たな道を見付けていくかという、その探索手法の一つとして開発されてきたもの。そういうものも入れながら、やはりお互いを高めていかなければいけない。
   いま一つは、皆さん方の議論に出てきたように、いじめ防止方策では、単にいじめという表層に表れた行為に対処するだけでなく、先ほど委員が非常にいい言葉を使われたが、未然防止の前に培うべき「素地(そじ)」というのと「基礎」とを分けて考えることが大切。この素地(そじ)を、例えば人権感覚や自尊感情なり自己肯定感なりを養うといったように大きく捉えて、いじめの問題の指導の中へ入れていかなければいけない。そうしないと、委員がおっしゃったように、いじめてはいけないよということが、どうして言えるのかという疑問が子供たちにどうしても出てくる。この素地(そじ)そのものを育むことは、子供たちだけでなく大人も、そして我々の社会をよくしていく、あるいは成熟させていく一つの方策である。これは文部科学省の基本方針の最初のところで触れられている、心豊かで安全安心で快適な社会というのをいかに作っていくかという命題に関わるところである。快適な「学校」ではなく快適な「社会」を作っていく。それだけに社会挙げて取り組んでいく課題がいじめ問題であり、いじめを切り口にしながら我々の社会をどう成熟させていくかという命題にどう答えていくかということにも関わってくる。こういう問題として、いじめ問題を捉(つか)まえていきながら、そこにそれぞれが、子供に何を伝えていこうとするのかということを明確にして取り組んでいただかなければいけない。そんな方向性が一つは要るのかなと思っている。


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