いじめ防止対策協議会(平成28年度)(第1回) 議事録

1.日時

平成28年6月30日(木曜日)15時00分~17時00分

2.場所

文部科学省三階 3F1議室

3.議題

  1. いじめ防止対策推進法の施行状況について
  2. いじめの定義の解釈について
  3. その他

4.出席者

委員

相上委員、愛沢委員、石鍋委員、高田委員、村山様(水地委員の代理)、田村委員、森田委員、道永委員、村田委員、横山委員

文部科学省

藤原初等中等教育局長、瀧本大臣官房審議官、浅田大臣官房審議官、坪田児童生徒課長、平居生徒指導室長、丸山生徒指導調査官

5.議事録

 ※議事に先立ち、座長及び座長代理の選出が行われた。その後、藤原初等中等教育局長より挨拶があった。

≪議題(一)いじめ防止対策推進法の施行状況について≫
※事務局より資料二から資料五まで説明。
【委員】  いじめの認知に関しては、文部科学省が、いじめを認知・把握することで、学校あるいは教員の評価をするという通知を出していることが非常によいと思っている。一方、認知した後、解決をどうするか、何をもって「解消」「解決」とするかを、認知することと一くくりにしておかないと、認知したものの解決がおざなりになってしまい、早期発見・早期解決、再発防止という一番大事なところにつながらないと思われる。その意味で、何をもって「解決」とするかといったことを考えておくことが非常に大事であると思う。
  教員研修に行くと、例えば、お互い謝って、握手して、ハグして終わりというような形が「解決」だというような実態も決してなくはない。何をもって「解決」なのかといったところについても、しっかりと一つのモデルケースを出していくことが大事ではないか。
  修復的正義・修復的司法の考え方を、しっかりと知らしめるということも一つ大事なことかと思うので、認知率を上げるということと解決ということを一つのパッケージの形にしていく必要性があるのではないか。
【座長】  認知は、気づきが大変重要なので、認知率を向上させるということで文部科学省がいろいろと通知、あるいはその啓発活動を現場に対して行っていると理解している。教育振興基本計画の成果指標の中に「解消率」が入っており、これは「生きる力」の「豊かな心」を形成する要素の成果指標として掲げられている。教育委員会も随分認識はあるだろうと、数字の出方から見て、判断している。
  問題行動等調査の中で、解消に関しては、解消したもの、一定の解消が図られたけれども継続して見守るという項目、まだ解決していないけれども取組の対応中であるという三つのカテゴリーがある。データでは、その最初の解消したものというところに当たるところを上げてくる。これが成果指標となっており、勢い学校評価等にも関わっているので、ある意味ではそこの数字が非常に大きい。今、八三%ぐらいになっている。
  現場の実際の子供たちの状況から、指導の在り方から考えると、解消したとしても継続して見守っていくというのが本来の学校の指導の在り方ではないか。とすれば、問題行動等調査では、本来は、一定の解消が図られたけれども続けて見守るという数値が七割、八割というところになるのが指導上は好ましいと思う。ただ、閣議決定でも成果指標として、解消したものという比率をとって、それをもって成果とする考え方が出てきているので、その矛盾を痛切に感じている。したがって、運用上は、やはりその二つを含めて考えていかなければいけない。
  そのため、いたずらに解消率だけを上げることをすると、謝らせてそれで終わりということになりかねない。かえって謝罪の会を引き起こしたために深刻な被害が起こってくるという事態もあり得るわけで、やはり継続してフォローアップしていくことが、いじめの対応、指導法の基本である。
  したがって、そこをにらみながら現場では運用していただくということがあるので、いたずらに「解消」を認知率とセットで考えるよりも、もう少し流動的、弾力を持たせた「解消」というものを考えていただくということがあって、その上で、その「解消」というのは具体的な形でどうあるべきなのかというところを考えていくべきだ。
  しかし、いじめ問題の場合に非常に難しいのは、いわゆる救済と回復という、その二つの被害者のプロセスがある。救済というのは、いじめの場面からその子供を救済する、救い出す。いろいろな心の中に傷がついている。いじめと暴力行為との大きな違いは、やはり内面についた傷、そしてその傷をどう回復するか、これは短期間でできるものではない。二年、三年、五年ぐらいかかる場合もある。ただ、その回復が終われば、本来は、できればもとの状態で、社会関係、対人関係、あるいは社会的な場面での行動というような様々な面で出てきたマイナスの部分を回復していく、解消していく。そこまで支援できれば、一番本人にとって、被害者にとっては望ましい形であろうし、あるいは加害の側(がわ)の成長をいかに図っていくかというのも、このいじめの「解消」ということについては、被害者の側(がわ)だけではなくて加害側の成長、発達、これをやはり健全な形で回復してやるということも重要。
  そのため、やはりその両面で考えていく必要があるし、どこで「解消」という区分を切ることはできない。しかし、一応は、「救済」というところで、一定の、その一事件、事案の解消が図られたということになる。そうすると、その解消を、どういう形でもう少し具体化されたものをそこのところで掘り込んでいく必要があるし、修復的正義という考え方は、単に可罰的という考え方ではなくて、むしろ本人の罪障感のようなものを引き出しながら、どうやって自分の行った結果について、相手に与えた被害について、あるいは相手だけではなくて、いじめというのは公的第三者の局面というか、いろいろなモラル、秩序と言われるものに関しても、少なからず影響を与えていく行為であるので、そういうものをいかにして本人に悟らせながら、自己の行為について行為責任というものを感じさせていくかというところがやはり大事なところ。その「解消」というものを考えるときには、そういう方策をもう一つは考えていくべきだろうと思う。
  今の「解消」ということについて、加えて説明をしたけれども、事務局は、そういう解釈でよいか。今の三つの問題行動等調査の扱い等については、恐らく間違いないと思う。そのため、今後の扱いについて、指導上のやり方と、それから今の求められている統計上の扱いという、ギャップを少し埋めるということが必要だろう。
【委員】  今の、どこが解決地点かというのは大変興味深い内容だと思う。ただし、認知という部分に関して申し上げたいと思う。
  まず、冒頭あったように、ハードルが下がったということで、非常に件数を上げやすくなった。そのことは、教職員にとって、資料にも「敏感になった」という言葉があるが、逆に言うと、非常に鈍感であったと思う。あえて鈍感であったような気もする。それは、このいじめということに関しては、大変申し上げにくい部分もあるが、どちらかというと生徒指導上、避けたい、逃げたいことが多いのかと思う。
  例えば一つの言い訳として、生徒同士の問題であり、学校・教員は関係ない。あるいは、自分たちで解決することが、よりよいその後の発達につながる、そういったことも含めて、とにかく構造的に非常に分かりづらい。もっと言ってしまえば、どちらが善でどちらが悪か、そういった判定も非常に難しい。暴力行為などの完全に被害者・加害者が分かれている部分ではないということが多くあったと思う。恐らくそういったことが発覚しないまま、学校教員が知らないまま、中途退学、やめていく生徒も恐らく多くいたのかなと思う。
  認知件数について、各県、非常に大きな差がある。例えば埼玉県であれば、千人当たり四、隣の千葉県が千人当たり四十なので、ほとんど人口も学校規模も変わらない隣接する県で十倍の開きがある。それは当然、件数に対する一つの評価の仕方というものがあるかと思う。ただ、本当にきちんと対応すれば、恐らく似たような状況があるのかと思う。数字的には大きな地域差もないし、あるいは、高校、中学校、小学校という年齢的な部分においての差は、多少はあるかもしれないが、本当にどこにでも起こり得る、それをどのように解決していけばいいかということについて理解を深めたいなと思っているので、前半の方からお話をお聞きしたいと思う。
【座長】  認知率については、また後に、議題として皆さん方に御理解を図っていただかなければいけない部分があるので、そのときに、意見を賜りたいと思う。
【委員】  今の委員の発言に対して、高等学校と中学校では違うとらえがあるかなと思い、お話しさせていただく。
  高等学校の場合、どうしてもいじめの問題は自分たちの問題として、教員側が少し距離を置くというふうに捉えさせていただいたが、それはよく分かる。ただ中学校の発達段階の場合には、いじめという現象がある程度つかめたのであれば、すぐに教員がそこに対処をするという状況のところは、現在、多くの中学校がやられているパターンだろうと思う。
  ただ、そこで一つ課題は、教員が入るのはいいが、教員一人一人のいじめに対する、感性も含めて、解釈の仕方にずれが生じることがあることである。例えば自分が子供の頃いじめを受けたので、これはいじめだよと思っているAという教諭がいるけれども、それを組織の中でB教諭が、「いや、あれはふざけでしょう、全然いじめになっていないよ、両方楽しんでいるじゃない」というような捉え方の違いというのが出てきてしまう。
  そのため、ここの報告等にもあるが、教員をどのように研修をしていくか、また先ほどの「解消」の話ではないが、解消で終わりではなく、その後、きちんと子供たちを教員組織で見ていかなければいけないというシグナルを発していくということが中学校では非常にポイントだろうと思う。また、小学校では保護者との関わり等が更に強く出てくると思うので、発達に応じた対応の仕方というのを明確にしていくということが大きいポイントだと思う。
【委員】  この検討の中では、いじめ防止対策について不十分な部分を抽出する、そして対策を新たに追加するという話もあるので、そこを考える上で少し伺いたい。
  そもそもいじめが起こる原因の分析、起こってしまったいじめについてどのように分析がなされているのかということについてお聞きしたいと思う。いじめられるお子さんの側(がわ)にも場合によっては要因があるかもしれないし、また加害側のお子さんの方にも要因があるかと思う。個人の問題として、例えば性格傾向や、あるいは能力の問題や、外見上の問題があるかもしれないし、地域によっては、外国人や帰国子女に対して様々な特性等の問題もあるかと思う。また、学校の中での環境の問題というか、グループ活動などを推進している中で、どうしてもグループになじみにくいお子さんや、そのグループを作るときに、どうしても力の強いお子さんと弱いお子さんという中で格差が生じてしまうというふうなことなどもあるのかなと想像する。
  また、教師の先生方一人一人の能力、見極める力や生徒を指導する力、それ以外にも、その業務との兼ね合いで、教科教育の方に忙しくて、あるいは学級経営といったことに忙しくて、なかなか個別の対応まではいかないというふうなこともあるかと思う。
  あるいは、学校全体のシステムの問題、認知件数が高いことが奨励されるというか、そういった雰囲気などによって発見しやすい仕組みというのが、今、作られつつあると思うが、その学校全体としての取組に格差があるということだったので、うまくいっている学校、あるいは認知件数の多い学校と、それが少ない学校では何が違うのかといったことなどについて分析等がされているようであれば、それを伺いたい。
【座長】  今の全てにお答えする資料というのはないが、事務方から、答えられる範囲でお答えいただければと思う。
【事務局】  問題行動等調査に、いじめの対応ということでとっている。もちろん成長段階にある子供たちであるから、ひやかしや、からかいや、悪口等のいじめは非常に多い。現場においては、いじめかいじめではないかに関わらず、目の前で起きている状況について、学校の先生が適切に対応していただいているというような状況ではあると思う。
【事務局】  若干補足をすると、現場に対するヒアリングを実施する中で、やはり学校の先生なので教科指導の方を優先してしまいがちで、その結果として、いじめをはじめとした問題行動を問うような対応というのはどうしても後手に回るというような意見は複数聞かれたところ。
【事務局】  更に補足だが、何をもっていじめられたかは統計をとるのがかなり難しいと思っている。そもそも、理由に関わらず、文科省はいじめてはいけないという立場を持っているので、別途、人権教育を行っており、そこと併せて全体としてやっていくことが大事だと思う。よくいじめられる側(がわ)にも原因があっただろうというようなことも実際上はいわれるが、どのような理由があってもいじめてはいけないというようなことで、一貫性を持った指導をしているという状況である。
  ただ、いろいろな話を個別には聞いているので、ボリュームは分からないが、様々なことがあるし、全く理由もなく、その集団を作るために誰かを一人ターゲットにするようなこともあると。いずれにしろ、対応として、いじめというものは起こってはいけないというスタンスであるが、個別にまたいろいろな研究をしていく必要などはあるのかなと、今、伺っていて分かった。
  よくいじめを認知したり、対応したりする学校とそうではない学校、これは難しいし、様々な意見があると思う。一つ感じるのは、この前も二つほど学校を見に行ったが、校長先生自身が様々ないじめ問題について勉強され、もちろん法律も読み込み、様々な事例も研究し、このいじめの、まず防止というところは徹底的にやろうと、何か起こったら、本当に組織的に自分が率先してやろうという、ある意味、気概を持った校長先生の学校はいろいろなことができていると思う。それよりも、ほかの関心が強いのか、こういうことには余りぐっと深掘りしない先生の場合はそれなりの対応があるということで、あと地域によって、先ほども一つあったが、もともとここは荒れていて課題があるという学校の先生は、いろいろなことに目を配っているし、生徒指導でも、指導の経験のある人がかなり集まっているので、そういうところは比較的うまく発見して、解決までに至っている。そうではなくて、ここは非常に穏やかな学校だという引継ぎを受けていたり、そういう地域性にあると一定程度見られたりしている学校は、何か起こっても、うちの学校はそんなことが起こるはずがないという意識で、対応が遅れるのではないかというようなことは、あると思う。
【座長】  議論を整理するために事務方にお伺いしたいが、例えば、今、資料五の最初のところの定義に基づく認知についてというところを重点的に取り上げて、次の議題として設定されている。教育委員会、現場の先生方からのヒアリングで、二番からずっと、いろいろなカテゴリーが設けられている。どのくくりで、二番だけを取り上げるか、二番、三番という形で、幾つかの連動した形でやるかは整理されながら議論されると理解しているが、そういう方向で議論を整理しながら、ここの皆さん方の意見を伺うという形でよろしいか。
【事務局】  それぞれの回で、今回はこの分野についてというように分野別に議論をしていただくことが効率的だと思っているので、そのようにしていただければと思う。そういう意味では、本日は一番とか、二番とか、前の方の事項を中心に議論していただければと思っている。
【座長】  後半はそのことについて充てさせていただくので、前半では、そこから漏れるような事柄について、例えば、一四条第一項や第三項、このあたりは後の方で入ってくる可能性はないので、本日、議論を頂く。あるいは、教職員ヒアリングの中で漏れている課題、こういうことを検討すべきだろうという御意見は、本日、賜っておいた方がよいと思うので、少し留意しながら御議論いただきたいと思う。
  市町村教育委員会の方ではいかがか。この数字に対して、一四条に関して。
【委員】  一四条一項の組織についてだが、市区町村は五七.六%。要するにこれは関係機関との協議会を設置しているかの問題だが、都道府県が九七.九%というときに、市町村でこれだけパーセントが少ないということなので、しっかりとやらなければいけないことだというふうに感じた。
【座長】  そういう認識を少し、市区町村教育委員会の連絡協議会、連絡連合会の方でも啓発してほしい。
【委員】  ちょうど明日、理事会があるので、私の方から話をしておく。
【座長】  学校現場をバックアップするのは、事務局の場合は市町の教育委員会だし、そこがバックアップ体制をとっていただかないと、学校だけやれと言うわけにもいかないし、そのあたりはしっかりと、基本方針も含めて検討いただきたいと思う。

≪議題(二)いじめの定義の解釈について≫
※事務局より資料六を説明。
【委員】  事前に頂いた資料で、今の、この二、三、四、五の事例について読ませていただいた感想になるかもしれないが、まず、最後の「定義の解釈に係る対応(案)」という、この部分は大変分かりやすく、特に、児童生徒の立場に立って考える、これは本当に絶対必要なのかなと思う。
  ただ、そこに行き着くまでの事例で、例えば、AはBの態度が気に食わなかったため殴ったところ、Bは「やるか」と言いながらAを殴ってけんかになってナイフをという、これがもし現実に起こったとしたら、いじめという範疇ではなくて、それ以上の大きな犯罪というか、事件になってしまうと思う。
  両極端、例えば最初の、彼女に告白したら振られたのでショックを受けたとか、これは恐らく全国のいろいろな高校で日常的に起こって、当然断られればショックを受けるのは当たり前なので、こういったことが様々な例として挙げられているのは分かるが、もし実際に、例えば校長として職員に指示をするとき、この例を見たときに、恐らく若い先生方は、現実的ではないなと思うと思う。
  そのため、最初に示された、いじめの認知に関する文部科学省の考え方、一点目の、認知件数が多いことは、これは目が行き届いている証拠だよという非常に励ましの言葉、そして、組織で認知し対処することが必要で、個々の判断ではない、みんなで頑張ろうというところに向かう、その前のいじめの芽やいじめの兆候をしっかりと把握する、ということで十分だと思う。しかも、そこに示されている事例は、非常に分かりやすい。分かりやすいというのは、これをいじめというふうに断定する以上に、一つその解決に向けての方向性を示されている。できれば、こういうケースはいじめ、こういうケースはそうではないという断片的な切り口ではなくて、もう一つ、その先にどういった方向性、どういった対応があるかというところまで事例に含めていただけると非常に参考になるかと思う。
【事務局】  ここのペーパーは、法律二条一項に記載されたいじめの定義の解釈について、解釈を一定程度限定する必要があるのではないかという問題意識から作ったものであり、その後の対応の方向性という部分とは直接関係ない。いじめであるならば、学校としての組織的対応が必要になるし、保護者との情報共有が必要になるというような、法的効果が発生するものだから、どういう行為が法的効果の発生するものであって、どういう行為ならば法的効果が発生しないのかといった線引きをするために、頭の体操をする必要があるのではないかということから示した次第である。
  また、暴力行為になるといじめではないというのは、これは明らかに正しくはないかと思う。この法律の二三条六項で「学校はいじめが犯罪行為として取り扱われるべきものであると認めるときは、所轄警察署と連携してこれに対処するものとし」という規定があるのは、正にこの暴力的な行為は当然いじめに含まれるという考え方に基づいている。
【委員】  そういうことであれば理解できる。遵守、あるいはそういった法的な部分での解釈ということが理解できるが、事例として果たして、幾つもある中で、このそれぞれがふさわしいかというと、私は、余りそうは感じないということを申し上げたまでで、決して否定するつもりはないし、先ほどのナイフがいじめではないというふうにももちろん思っていない。
【事務局】  このナイフの事案は、第一行為と第二行為を包括してけんかとして評価していじめから除外するのか、あるいは第二行為だけをいじめに該当すると評価するのかという、その頭の体操のために出させていただいた次第であり、直接これ全体がいじめかどうかということを議論していただくためにお示ししたものではないということもお断りしておきたい。
【委員】  大変興味深く見せていただいたけれども、私はスクールカウンセラーの立場で発言をさせていただこうと思う。私は、月に二回、高校にスクールカウンセラーに行っている。最初の振られたA君の思いだが、この辺はよく相談を受けるし、お嬢ちゃんがいじめっ子ということは一切思わない。ただ、この男の子が好きな子に思いを伝えて、自分が認めてもらえなかったということの心の傷というのはあるだろうと思う。しかし、これをいじめと言うかどうかは問題で、あとはこの男の子のつらさなりショックを一緒に考えていき、次はどうするか、今度女の子を選ぶときにはこういうふうに選ぼうとか、その辺を一緒に考えていくことが支援になるのかなと思う。先ほど校長先生が、認知もあるけれども、その後の対応はどうするかと言われたが、そこが重要と思う。
  そして、これがもし、女の子が、告白に対して、私はあなたと付き合う気はないというような、一般的に考えて普通の断り方をしたらよいが、周りの子に「あの子が告ってきたのだよ」等言って彼をもの笑いにするような言い方をしたら、それは完全に問題は別だろうと思う。そのあたりのことを一緒に考えていければいいのではないかなと思うし、ほかの事例も、例えば主観的な部分というのがあるが、人にはいろいろな自分とは違う気持ちがあるんだということで、相手がそういう嫌な思いをしているということがあれば、そういうことを周りの者が分かれば、それをその人に伝えてやれば、ああ、そうなのか、じゃあ、次からはすまいということになれば、はっきりとそれがいじめであったとしても、次にはいじめでなければ非常にいいのではないかなと思う。
  よくいじめの研修のときに聞くが、相手がいじめと言ったらいじめなのか、つらい思いをしたらいじめなのかということで、それは確かにいじめだけれども、だけど、それが、いじめられた方に何も問題がないといって、ルール違反をして、きょうのこの事例に出ているような事例で、本人に何らかのルール違反をしていても、そういうことを指摘されて、言われて嫌な思いをしたらいじめなのかと。それはいじめだが、相手に落ち度があるからといって、そのことを不当に扱ってはいけないという人権意識をよく教えてあげればいいのではないかというふうに思うが、少し単純に考えて、相手の人権を尊重するという思いがあれば非常にいいのではないかということは思う。
  そして、私は、学校だけではなく、企業や公務員の産業カウンセラーに行くが、大人のパワハラをどのように考えるのか。上司が部下を指導したときに、それがパワハラに当たるかどうか、部下が嫌だと言ったら、それはパワハラになるのかということがあるが、相手が仕事をさぼっているときに、ちゃんと仕事をしようねというふうに指導したのがパワハラになることはない。しかし、おまえ、何をばかなことをやっているんだというような、幾らさぼっていることを指導しても、その指導の仕方がまずかったらパワハラになると思う。そのため、そのことをよく理解していないと、相手が約束を破ったとかということで、相手に文句を言われて嫌な思いをしたと言ったら、そのことは、破った方にも、これからは約束を破らないようにしようねということの指導をすればいいのではないかなというように思う。
  事例としてはいろいろな事例を挙げられて、非常に参考になるなと思うし、学校の先生方が、余りにもいじめになる・ならないばかりではなく、柔軟に考えられて、嫌な思いをした方も、させた方も、両方の思いがよく理解できればいいだろうと思うし、最後に書いてあった、児童生徒の立場に立ってということが理解できれば、もう少し判断が違うのではないかなということは印象として持った。
【座長】  やはり認知率に差があって、法律の定義に基づいた解釈がそれぞればらばらであっては、これは指導も、それから認知も何もあったものではない。そのふぞろいが、今のいじめの対応にとって非常に大きな問題になっているし、障壁になっているところで、そこのところをしっかり明確にするために、この定義の解釈における論点というのをある程度整理し、そこをしっかりと固めた上で、まず出発してみようというのが今の事務方の報告の趣旨。そこの意図を少しくんでいただいて、事務方も、これをやれば、対応は別だとか、これで突っ込んでいかなければいけないというようには考えてはいないと解釈している。
【事務局】  それに補足すると、学校現場とのヒアリングを通じて、学校現場において、児童生徒間のトラブルをはじめとするネガティブな事象、これに直面した際には、大体その個別の事案に即した的確な対応がとられているというふうに思っている。ただ、それがいじめなのかどうかという部分についての認識に物すごくばらつきがあり、法律上の定義が広く、結果責任に近い構造になっているにも関わらず、いじめとして捉えようとしない傾向が余りにも強いと思う。そこがおかしいのではないか、そこをどうやったら是正できるか、そういった問題意識から始まっている。
【委員】  私が学校に行っているときに、例えば自殺の事案があったということになると、学校現場で先生方が、自分たちの指導ということにかなりいろいろ悩まれたり、自信をなくされたりする。すると、ここに書いてあるような、普通だったら、頭の体操ですというようなことで理解できることが、これで本当にいいのかというように、先生方が自信をなくされて、ものすごくその辺のところを疑心暗鬼になられることはあると思う。そのため、こういう形で、もう一度、自信をなくしたときに、これでいいよなというふうなことのよりどころになるものがあることは、非常に重要だろうなと思うし、それは、こういうことの一つの基準だけではなくて、教育委員会等で自信をなくしたことのサポートができることが重要ではないかなというふうには思う。
【事務局】  もう少し補足すると、この資料六の二の(一)から(五)までの事例というのは、こういったものまでいじめに当たるとして対応するということには抵抗があるというふうなニュアンスから我々に相談があった事案である。
【委員】  この論点ペーパーを実際に学校の先生方に配布して、いじめの定義を詳しくお伝えするので、これに沿っていじめを認知してくれという資料として使うために用意していただいているのか。その内容の是非を、今、ここで協議すればいいということか。
【事務局】  いじめの定義をこういうふうに解釈すべきではないかというものは、これから、別途、作る作業をするかどうかを検討していただくためのたたき台として作成した。いじめの定義は、この一から四に該当する全ての事象であると、ただそれを形式的に適用すると、この二の(一)から(五)までのものが全ていじめに含まれてくるが、学校現場ではそれに対する抵抗も強く、社会通念に照らしても不都合が生じるという部分があるため、そういう部分について、定義上いじめとして取り扱わない範囲というのを定めることについて理解をいただけるかどうかという観点から議論をしていただくために、この検討ペーパーを作った次第である。
【委員】  この事例の、この事実だけを読むと、二番のところの(一)、(二)とか、これはいじめではないということは分かると思うが、その先を、どういうふうな扱われ方になったか。例えばB子さんが、そのことを周りに言いふらして、その結果としてA男君が周りからいろいろなことを言われるようになってしまって、そこからいじめに発展してしまったとか、そういった経緯もあるかもしれず、そのいじめの芽の手前みたいなところから、この辺からいじめになっていって、これは明らかにいじめという、その段階を追って示すようなことというのは可能か。
  今、書かれているのはいじめではないというのは多分判断しやすく、分かりやすい資料だと思うが、多分それで見過ごしてしまったことによって、後から裏を返せば、あのときにもうちょっと注意深く見ておいたらいじめが発見できたかもしれないという、そういう出来事に発展する可能性も十分潜んでいる事例でもあると思う。そうではない場合も当然あるが。
  先生方は、そこの判断に非常に迷われるのではないかなというふうに思ったときに、もちろん法律の条文だけだと広過ぎて、何でもかんでもいじめとして拾えばいいわけではないため、こういうことを示すというのも意義はあると思うが、一方で、その判断の難しさを考えたときに、より細かい資料を示すこともあってもいいのかなというふうに思った。
【事務局】  段階的に事案が推移して、ある段階以降がいじめになるということも当然時系列的に見れば考えられると思うので、ここまではいじめではないけれども、ここからはいじめだという比較が可能になるような資料というのも工夫すれば作れるかもしれない。今後の執務の参考にさせていただきたいと思う。
【委員】  三ページの(四)の「ルールの厳守を促す言辞」というところの四角の下の類例は「『ちゃんと風呂に入って』」というところを注目していろいろお話を伺いたい。実は、先ほどいじめの定義の解釈について、趣旨はよく分かった。その趣旨を明確に学校現場に伝えていただくということは、これは非常に重要なこと。頭の体操というレベルで、とにかくいじめの定義を理解しようというところを周知していただければ、ある程度、校長としてもそれを教員に伝えながら研修を組むということも可能。
  ただ、教員の立場からすると、どうしても事例が出ると、自分が担当している子供たちを頭に浮かべながら、教育活動を浮かべながら事例を読んでいくと思われる。そのときに、この「ちゃんと風呂に入って」というのはもちろんいじめではないというのは分かるが、そこで切ってしまうと、実は次に必要ないじめの外の、配慮しなければならない事項、実はそのお子さんの家庭にお風呂がなくて、お金もなくて、生活に苦しんでいて、それによって傷ついてしまうというような、配慮しなければならない事案であるということを学校現場としては指導する。そのため、そのあたりとの区切り・区別というか、そのあたりをきちっとつけられるように趣旨説明が必要だろうというふうに思う。
  皆さん当然承知のことだが、子供のいじめの背景にはいろいろなものが複雑に絡み合っているので、それらをどうやって、複雑な中で一つ一つ指導したり、フォローしたり、支援をする、ここら辺が学校の教員としていつも悩むところ。趣旨をうまく伝えながらも、そういった配慮をしてというところを学校に、言うのは簡単だが、作るのは難しいとは思うが、是非意識をして、こういう場でももんでいただければ有り難いなと思う。
【委員】  これを作るのは多分とても大変だったと思うし、また、これだけ細かい、こういうことまで相談が来るというのはとても大変だなというふうに感じた。ただ、常識的に考えると、このほとんどのことは、いじめというよりも、様々な子供の日常の中で、毎日のいろいろな中で山ほど起きていることで、それをいじめに計上するかどうかを一つ一つ細かく分析をしていくとこんな見方ができるよねということの、よくよくそこまで聞かれたときには、考えなければいけないところをまとめていただいていると思う。しかし、今、一番考えなければいけないのは、明らかにいじめであるものを見落としてしまっていること。そこを何とかなくしていくということが一番大事にすべきだと思う。逆に、こういういじめの定義の細かい部分の見方をどうするのかということが、学校に行くと、先生方が一つ一つのことを考えなければいけなくなってしまって、ますます分かりにくくなってしまうような気がする。明らかないじめで、これはいじめに計上しなければいけないよねというのが分かるようなものを配っていただくのが一番いいかなと感じている。
【事務局】  いじめにはこういうものがあるというのは国の基本方針に既に類型別に書かれている。それで伝わっているかと思いきや、伝わっていない。それで考えたのが、逆に、こういうものぐらいしかいじめに該当しないものはないというのをこの定義の解釈で示すことによって、それ以外は全部いじめだということを裏から分からせるようにすることである。そうすると、いじめに当然該当するものがいじめとして扱われていないという現象の解消にもつながるかなと思っている。
【委員】  この事例全てを学校の方に回すというのは、私はやはり合点がいかず、「ちゃんとお風呂に入って」というのはルールでも何でもないので、やっぱりこれは完璧に私はいじめだと思う。今、いろいろなことがあって、パワハラ、セクハラ、このいじめもそうだが、受け取る側(がわ)の立場を理解していない場合にいじめになると思っているので、こういったものを類型として出すのは反対。あとは、告白の拒絶だとか、仲間外れだとか、確かにこれはいじめではないよねということを明らかにするという例を出すのもよいが、余りにも極端過ぎるような気がする。もう少し、本当にどっちに解釈したらいいのかなというものを出していただいた方が分かりやすいのかなと思う。
【事務局】  この例は少しとがっているが、ここでいろいろ議論を活発にしていただくための、これは実際あった例なので、こういうこともあるというのを示させていただいた。この全てを、今、全部排除しようという結論を最初から持っているわけではなく、この類型の中でも、これはやはりいじめと見て対応した方がいいのではないかというのもあるし、さっき類例で示したのは、これは全部同じ仲間という意味ではなく、正に類例であり、我々も、この「ちゃんとお風呂に入って」というのは、こういう深い話があるから、これはいじめになる可能性が高いというもので、決して同じだという結論ではなくて、近い例があるけれども違う。例えば「カンニングをするな」というのも、これも生徒同士がわざわざきつく言う必要があるのか。先生や試験監督が決めつけるような話であって、急に試験中に同じ仲間に「カンニングするな」と大きい声を出したり、「カンニング、カンニング」とずっと連呼したりすることが、それは単なるルールを守らせる注意で済むのか、これはいじめではないのかというようなことも、多分個々を具体的に判断しないといけないと思う。
  したがって、これは極端な事例なので、もう少し近い事例というのもあるが、そうすると、ますますちょっと技術的な、ケース・バイ・ケースのところの条件というのが全て分かれてくるということもあるので、要は、これは非常に難しいということを一緒に悩んでいただくためのペーパーである。これに何かしら変えて現場に流すというわけではなくて、典型的な事例でぎりぎりなものをもう少し積み上げたものを発信した方がよりベターだという結論であれば、そういうことでというのもある。ただ、法律的にぎりぎりとやると、こういうことも検討しないといけないということで、本日、示した。正に現場にとって、どのような形が一番、これまでの、単に生徒間トラブルであっていじめではない、なるべく見たくないということでやっていたことを防げるかということや、そういう認知の、まだまだ細かいところの格差を防げるかというところに至れば、それが目的なので、このペーパーを流すことが目的とか、これでぎりぎりやることだけが目的ではないので、正に各委員言われたような方向性の方で、我々はまた考えていきたいと思う。この長いテーマは、この一回で終わらずに、今年度ずっと続くテーマだと思う。何かしらの基本方針の見直しとか、何かに反映するまで、そこまでにどういう形がいいのかということを、また議論したり、我々に示唆いただいたりというふうに思っているので、その機会にさせていただいたと捉えていただければと思う。
【委員】  定義の問題で四要件があるということで、行為者・客体の属性と行為者・客体との関係の問題というところを前提として、今回、実行行為や、心身の苦痛という、そこに即した形でこのケースを判断するというような形で提出されている。二番目の行為者と客体の関係と書かれている一定の人間関係が存在することというところは、学校現場でそれがいじめになるのかならないのかというときについては、その子たちの人間関係がどういう背景があって、どういう形で展開して、その上でのこういう行為だから、これはいじめなのではないかというように考えている場面というのが割とあるのではないか。ここに上がっているケースであっても、例えば四番目のルールを遵守するというケースにしても、この役割分担を決めたときの人間関係が、どういう関係の中で、この子がこういう窓ふきの役割を持たされたのかという、そういう背景として出てくるとすると、これは、ルールを守ってくれよと言ったから、いじめではない方に類型で分けられるのではないかというように言い切れるのかどうなのかというところが出てくる。これは、僕は本当にやりたくなかったのに、それでこうなっちゃって痛い目に遭ったんだという話になるとすると、またさぼっていると言うことが本当にいじめにならないというように言ってしまっていいのかというのがある。したがって、そういう問題というのは、出てきている人間関係の中でも考えていく必要はないのだろうか。むしろ、学校現場の先生たちにこれを示されたときに、これはこういう類型で、当たらないから考えなくていいというふうに思われてしまうと、それは非常に怖いことかなと思う。
【事務局】  いじめの定義中の二、人的関係の要件だが、国の基本方針では「一定の人的関係とは、学校の内外を問わず、同じ学校・学級や部活動の児童生徒や、塾やスポーツクラブ等、当該児童生徒が関わっている仲間や集団など、当該児童生徒と何らかの人的関係を指す」と書かれている。要するに、面識のない児童生徒同士の偶発的なトラブルをいじめから除外するという消極的な作用を果たすために、この二の要件が設けられているというふうに理解することができる。委員指摘のような、それを超えて、そのいじめの成否を判断する際に、当該行為以前の人的な関係性がどうだったのかということを、この一から四の中に読み込むというのは難しいのではないかなと思っている。心身の苦痛の程度とか、その程度がどれぐらいだったのかというのを推し測る上でそういうことを参酌するということはあり得るとしても、二、三、四の該当性というところで、そういうところを参酌するということについてはいかがなものかなという気がする。
【委員】  確かに今の法律条文上の人間関係のところの要件というのは、一定の人的関係があることという趣旨で作られてきたという経緯は承知している。しかし、いじめかどうかを判断するときの関係としては、いじめだと認定するときの、実行行為の質というところで、その影響を与える行為をしたということの中身になるのかもしれない。あるいは、その心身の苦痛ということとの関係での中身になってくるのかもしれない。その辺のところが、やはりくみ取る基準というか、装置というか、そういうものがないと、現場の先生たちは判断しにくい部分があるのかなというのが、実際のいじめのいろいろな態様を見ているときに感じている。そのため、この定義で当てはめていく、すなわち、行為だけに着目してという形で考えていくということにすると、おっしゃるような整理の仕方になってくるのかなというところは分からないではないが、実態として、いじめとして的確に捉えられたり認知ができたりするのかというところを考えるときには、そういう関係性の部分というのをどこかに考慮できる指標・基準のようなものを作ることが課題と考えている。
【委員】  いじめかいじめでないかというよりも、教育現場は、こういった課題を解消するために、日々、努力をしている。当然いろいろな情勢をつかむためのアンテナを高くするというのが認知だと思っている。そのため、法的な解釈でいじめだろうといじめでないだろうと、結果的には、これを何とかしようとしてあげるのが仕事だと思っている。
【事務局】  きょうは、議論をしていただくために極端な事例をあえて取り上げたと説明があったかと思う。要するに、こういう極端な事案についてもいじめとして扱わなければいけないのかというのは、これは、この法律にいじめというものが提起されていて、いじめが発生したときの法的効果というものが規定されているので、いじめという概念の外延を画するということについては意味があるものと考えている。そのための素材として、きょう、この極端な事例を示させていただいた次第である。
  実際には、こういうことが問題となるというのはごく僅かな場面でしかないが、実際はこういう極端なものでない、もっと典型的ないじめに近い事案が拾われていないということの方が問題である。そこをしっかりとやっていただくために、外延をきちんと明らかにして、いじめに該当しないのはこれぐらいであり、ほかは全部いじめであるという説明ができるようにする、そのための素材として、いじめの定義の解釈をしていこうという発案をさせていただいた次第である。
  そのため、少し極端な事例を目にして戸惑われたかと思うが、基本的には、外延を画すというためには、その限界事例のところをお示しすることが妥当だと思うので、そのようにさせていただいた次第である。
  また、弁護士の先生方は、自殺事案について、生前にその子がいじめを受けていたかどうかという観点から調査をされることが主だと思うので、その観点からは、関係性の部分もじっくりと検討されていくということだと思うが、我々が念頭に置いているのは、日々学校現場で発生している、統計上も年間一八万件発生しているいじめについて、いじめの成否を考えていくということの必要性に迫られて、こういうものがいじめなんだと示していこうとしているわけで、その行為の背後にある関係性まで一つ一つ見極めていくというのは現実的ではないかと思う。
【委員】  最初の(一)の事例でも、先生がこれをいじめとして指導するのは、自分はつらいというふうに言われたということか。
【事務局】  明確に言われたわけではないが、抵抗があるとか、そういうニュアンスで我々に事例の提供があったものである。
【委員】  現場では、例えばそれがいじめか否かにかかわらず、その男の子が、元気がなかったら、「おまえ、どうしだんだ」という指導をすると思う。これはいじめだから指導しているとかいじめではないから、その男の子をほうっておくということではなく、いじめであろうがいじめでなかろうが、やはり元気がない子がいたら「どうした」と声をかける。そのやり取りをしているときに、これはやはりいじめかもしれないなということが分かってくると思う。最初からぱっと見た瞬間で見抜くことはできないので、関わっているとき、いろいろ話を聞いているときに、先ほど言われたような関係性も分かってくると思う。そのように関わらないと、重大ないじめを見落とすのではないかなと思うため、いじめだろうがいじめでなかろうが、元気がない子がいたら声をかけてもらうということが現場の教員には大切だろうと思う。
【事務局】  繰り返しになるが、きちんと学校現場においては事案に即した対応が基本的にとられていると思う。そのことを前提とした上で、この法律上、いじめが発生したときには一定の法的効果が発生するということになっているため、その法的効果が発生するための要件としての定義については外延を画しておくことは、意義があるのではないかという意味で問題提起をさせていただいた。
【委員】  それもよく理解できるが、いじめでなくても、やはり学校現場では、そういう元気のない子がいたら声をかけるということが重要ではないか。それが、いろいろ話を聞いていたら、やはり深いいじめがあったとか、単なる女の子に振られてショックだったということもあるだろうが、女の子に振られてショックで元気がないならほうっておくということは、現場ではないと思う。「どうした」と声をかけられるということが現場としてはあるのではないか。
【委員】  この意義で、定義していくことが本当にいいのかどうかといったところがすごく引っかかっている。今回、見せていただいたものも、これはいじめに当たらないという形のものが全面的に出てしまうと、ただ免罪符に使われる危険性がないかといったところをすごく危惧している。
  事務局の説明は、非常に意図されているところは十分理解はしており、確かに統計上、何十倍と差があるというところは何とか解消していかなければいけないというところはよく分かる。こういう事例があるのに、これはいじめではないというふうに言ってしまっている例があるけれども、それは違うよといった例を挙げていくという形の方が、現場の先生方としてはいいのではないのか。
  弁護士でも、法律家でも、定義の当てはめというのはなかなか難しいところもあり、それを現場の先生方に全部お願いするということになると、かなり混乱してしまうところがある。繰り返しになるが、要件のどこに当てはめる等の細かいことは言わなくてもいいのではないかと思う。現場の先生方からすると、その要件のどこに当てはまって当てはまらないとかいったところは余り気にせずに、こういうケースはいじめなのに、何で上げていないのかという、その指針だけあればいいのではないかと思う。
【委員】  私も同じように思う。やはり、あれだけ大きな数の差があるというのは、もっと典型的なものと迷うもののところが明らかになっていないからだと思う。実際、挙げていただいた事例についてちゃんと考えておくということは大事であるということを、きょう、教えていただいたし、そのことを通して、どんな問合せが来ても答えなければいけない立場だなというのはとてもよく分かった。
  ただ、今回、数をちゃんと拾っていく、今、何が起きているかを明らかにするには、やはり明らかないじめで落としてはいけないものをちゃんと上げることと、こんなところで迷っていて数が上がってきていないのではないかというような、そんな分かりやすい例を分かりやすく示すことの方が先生方の理解は進むのではないかなと思う。
【事務局】  これだけ結果責任に近い構造がとられているので、逆に言うと、いじめに該当しないと解釈し得るものはこのぐらいしかない。そのため、逆に、こういうものぐらいしかいじめに該当しないものはないと示せば、それで学校現場に対するメッセージとしては足りるかもしれないなとは薄々思っている。きちんと法的解釈として示すというよりは、よくよく一から四までの要件を分析した結果、いじめに当たらないものはこういうものぐらいしかないと示す。あとは、あなたたちが迷っているようなものは大体いじめだと、そういう言い方はメッセージとして出すことは可能かもしれないなとは思っている。
【座長】  皆さん方の共通の認識は、今、大幅に、認知の仕方、あるいは定義の解釈について、学校現場の中で相当な揺れ、ぶれというものがある。それ自体によって、結局悲惨な事案に発展するものを見逃してしまう、そこに大きな課題があって、その法的な定義の解釈というところももちろん大事だが、いかにして、その定義を解釈しながら、現場の実際の行為と、それから行われた状況に対して、それを当てはめていくかという観点が非常に大事だと思っている。いずれにしても、いじめでないものから外延をきちんと整理するというのと、それからもう一つは、明らかにいじめであるというもの、あるいは非常に紛らわしいケースというのも現場の中では常日頃起こっているので、そういうものを明示しながら、これはいじめである・ないというやり方もあると思う。
  趣旨は皆さん方も賛同だし、実際に現場で対応に当たっていく場合にも、この定義の解釈を明確にしていくということは、やっぱり大事な作業のまず第一歩だろうと思っている。
  ただもう一つは、いじめであるか否かとかいう問題は、やはり現場の中で具体的な事案をめぐって先生方が議論いただくということも非常に大事。その議論の素材を文部科学省から提示するということは非常に大事なポイント。校内研修やあるいはいろいろな組織での会議の席上で、この事案はどうだろうというように先生方がお互いに議論することによって、いじめという事態を深く認識することもできるし、状況を理解し、対応を考えていくというところにもつながっていく。そのまず第一歩だろうと思っているので、その点を踏まえながら、今後、今の解釈を明確に示していくということは、やはり共通認識としてまとめさせていただいてよいか。具体的な示し方は、また今後いろいろと検討いただいたり、提案いただいたりするということで、方向性だけ確認いただければと思うが、いかがか。
  一回目としては非常にふさわしい場だったかと思っている。むしろ事務方が、問題意識を持っていただくということが非常に大事なので、その点で私も事務方の努力に大変敬意を表すが、今後とも議論を深めて、是非とも、このいじめの問題に対応できるよりよき道を我々は求めていかなければいけない。皆さん方も、その方向で、今後、議論に加わっていただきたいと思っている。

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