道徳教育に係る評価等の在り方に関する専門家会議(第2回) 議事録

1.日時

平成27年7月15日(水曜日)15時~17時

2.場所

文部科学省東館3階 3F2特別会議室
東京都千代田区霞が関3-2-2

3.議題

  1. 問題解決型学習の導入など道徳教育の改善に関するヒアリング
  2. 道徳教育の評価の改善について
  3. その他

4.議事録

【天笠座長】
 道徳教育に係る評価等の在り方に関する専門家会議第2回を開会します。本日は御多忙中,また大変暑い中,御出席いただきまして,誠にありがとうございます。
 本日は,吉田委員が欠席です。
 配布資料の確認を,事務局よりお願いいたします。

○ 事務局からの配布資料の確認

【天笠座長】
 これより議事に入りたいと思います。
 本日は,問題解決的な学習の導入など指導の改善に関するヒアリングと,道徳教育の評価の改善についてという議事で進行したいと思います。
 まず,今月3日に学習指導要領解説が公表されましたので,事務局から内容等について説明をお願いします。
【合田教育課程課長】
 今月3日に公表いたしました学習指導要領解説につきまして,そのポイントを説明させていただきます。
 学習指導要領の解説は,学習指導要領の趣旨をより詳細に分かりやすく説明するという観点から,文部科学省が学校種,教科ごとに作成する解説書です。学習指導要領の一つずつの文言を説明したものと御理解いただければと思います。これは,第一線の教壇にお立ちの先生がその指導の参考にしていただくと同時に,教科書会社が教科書を作成する際に,学習指導要領の考え方を知る手だてとするものです。道徳の時間が「特別の教科 道徳」として新たに位置付けられたことに伴いまして,解説も全面的な見直しを行い,今月3日に公表しました。
 お手元には,参考資料の1から4として配布しています。学校教育全体で行う道徳教育については,総則で記載しています。「特別の教科 道徳」については,道徳の時間の解説を全面的に手直しを行いました。参考資料2の小学校学習指導要領解説特別の教科道徳編に即しまして,そのポイントを簡単に説明させていただきます。
 大きく分けて二つのポイントがあります。一つ目は,道徳の「特別の教科」化の趣旨の明確化です。二つ目は,今回の「特別の教科」化は,道徳教育を実質化するとともに,道徳教育の質的な転換を図っていくということです。特に後者につきましては,読み物を読んで心情に寄り添った読み取りを重視したこれまでの道徳教育から,「議論する道徳」,「考える道徳」へと質的に転換する必要があるということです。「特別の教科」化に伴い,従来の指導を変える必要はないということではなく,むしろ積極的に変えていくことこそ,特別の教科として道徳を位置付けた趣旨です。
 そのような観点から,参考資料2の2ページを御覧いただければと思います。真ん中よりも少し下に,「この答申を踏まえ」という文章がありますけれども,今回の「特別の教科」化の結論を出した中教審の答申を引用しながら,「特定の価値観を押し付けたり,主体性をもたずに言われるままに行動するよう指導したりすることは,道徳教育が目指す方向の対極にあるものと言わなければならない」という「特別の教科」化の趣旨を説明した上で,「発達の段階に応じ,答えが一つではない道徳的な課題を一人一人の児童が自分自身の問題と捉え,向き合う『考える道徳』,『議論する道徳』へと転換を図るものである」という趣旨を明確にしたものです。解説において,「考える道徳」,「議論する道徳」について明確に位置付け,今回の教科化の趣旨を端的に示しました。
 それ以外にも,例えば,17ページには,物事を多面的・多角的に考えることについて,87ページには,児童が主体的に道徳性を養うための指導はどうあるべきかということについて,91ページには,問題解決的な学習など多様な方法を取り入れた指導について,問題解決的な学習の工夫として,どのような観点に力を入れて指導する必要があるのかということを整理して示しています。
 94ページから95ページでは,特に95ページで,各教科で行われている題材を道徳教育の中で生かしながら,各教科と連携し,まさに学校教育全体で行う道徳教育の要として,道徳科をどう機能させるかということについて解説しています。
 内容項目の解説についても触れさせていただきます。46ページでは,「相互理解,寛容」について解説しています。「相互理解,寛容」についてどのように指導するかという観点から,「また,寛大な心をもって他人の過ちを許すことができるのは,自分も過ちを犯すことがあるからと自覚しているからであり,自分に対して謙虚であるからこそ他人に対して寛容になることができる。このように,寛容さと謙虚さが一体のものとなったときに,広い心が生まれ,それは人間関係を潤滑にするものとなる」という記述をしています。そのような観点から,「相互理解,寛容」を指導してほしいと記述しています。
 48ページの「規則の尊重」の部分では,「法やきまりは自分たちを拘束するものとして自分勝手に反発したり,自分の権利は強く主張するものの,自分の果たさなければならない義務をなおざりにしたりする者も存在する中で,社会の法やきまりのもつ意義について考えることを通して,法やきまりが,個人や集団が安全にかつ安心して生活できるようにするためにあることを理解し,それを進んで守り,自他の権利を尊重するとともに義務を果たすという精神をしっかりと身に付けるように指導する必要がある。その際,法やきまりを守ることは,その自分勝手な反発等に対してそれらを許さないという意思をもつことと表裏の関係にある。」という記述をしています。前のページでは,自分も過ちを犯す可能性があるからこそ他者を許すということについて記述していますが,「規則の尊重」の部分では,あなた自身がルールを守りなさいということだけではなくて,ルールを守ることが自他の権利を守り,義務を果たし,安定と安全が守られるという構造になっている場合には,はじめからそれを守らないという者に対してそれは許さないという態度をもつ必要があるという指導の在り方になっています。その意味においては,内容項目の間で,文言のみを見ると矛盾しているのではないかとも捉えられるかもしれませんが,この点をどのように題材にして指導していくのかが問われますし,そういった工夫を教科書会社に求めたいと考えています。
 もう一つ例を挙げます。44ページを御覧ください。「友情,信頼」というところです。「協力し,助け合い,信頼感や友情を育んでいく」ということが書かれています。互いに信頼し,協力し,助け合う,理解をし合うということが大事であるということが記述されています。
 51ページからの「公正,公平,社会正義」の部分は,今回の学習指導要領の中でも重視した項目です。ここでは,「日頃から自分自身の考えをしっかりもち,同調圧力に流されないで必要に応じ自分の意志を強くもったり,学校や関係機関に助けを求めたりすることに躊躇(ちゅうちょ)しないなど,周囲の雰囲気や人間関係に流されない態度を育てるようにする」ということを記述しています。「友情,信頼」のところでは他人を信頼しよう,理解し合って友情を育むようにとする一方で,こちらでは同調圧力に流されないということを記載しています。それぞれ道徳的な価値としては正しいのですが,それがぶつかることが社会生活の中で起こり得るということを,一つの題材にしていただきながら,教材の工夫や指導の工夫をしていただきたいと思っています。
 内容項目の修正に伴う説明の追加については,一つ一つの説明は省かせていただきますが,例えば32ページの「個性の伸長」のところで,今回,低学年に,自分の特徴に気付くことを入れました。それに伴い,33ページに低学年の記述を追加しました。この解説を踏まえて,教科書会社にしっかりと教材について御検討いただきまして,教材の質を高めていくとともに,この専門家会議におきまして,道徳教育の指導方法改善の具体例や評価の在り方について御議論いただき,その結果を,解説の特に評価の部分に追記させていただきたいと思っています。また,本専門家会議の御議論の結果を踏まえて,教師用指導資料の作成や指導要録の改善を行いたいと考えており,その結果,質の高い教科書,指導方法の改善,評価の改善と,これらが三位一体となって道徳教育の質的な転換を支えるという構造にしていきたいと考えています。
【天笠座長】
 ありがとうございました。御質問・御意見は後でまとめてお願いしたいと思います。
 次に,道徳教育の指導と評価につきまして,お二人の方から発表をお願いしたいと思います。岐阜大学の柳沼准教授及び国立教育政策研究所の西野総括研究官に発表をお願いしたいと思います。
 まずは柳沼准教授にお願いします。
【柳沼准教授】
 岐阜大学の柳沼です。本日は「問題解決的な学習を導入した道徳授業」と題しまして,こちらのパワーポイントで発表させていただきます。よろしくお願いいたします。
 御承知の通り,道徳の「特別の教科」化の流れは,教育再生実行会議の提言から始まり,道徳教育の充実に関する懇談会の報告や中央教育審議会の答申を経て,学習指導要領の改訂に至りました。その端緒となったのが,教育再生実行会議の提言にある「いじめの問題等への対応」であり,「新たな枠組みによる道徳の教科化」でした。それ以外にも基本的な生活習慣や規範意識の向上,あるいは情報モラルや生命倫理といった今日的課題にも対応するべく広い意味での道徳教育の抜本的改善が求められてきました。
 こうした子供を取り巻く具体的な諸問題や今日的課題に対して,従来の道徳授業が十分に対応できていないということが指摘されてきました。先ほどの課長の話にもありましたように,従来の道徳授業は,「読み物の登場人物の心情理解に偏った形式的な指導が多い」とか,「分かりきったことを言わせたり書かせたりすることが多い」,あるいは「道徳的価値の押し付けになっているのではないか」という指摘があります。
 また,毎週きちんと道徳授業はやっているけれども,「なかなか実効性が上がらない」「道徳的な行為や習慣につながらない」「いじめのような深刻な現実問題に対応できない」,あるいは「発達の段階にうまく対応していない」ということも指摘されています。
 従来の道徳授業の目標は,「道徳的実践力の育成」でありながらも,道徳性の情意的側面の育成ばかり強調されてきたという面があります。道徳を教科化することによって,道徳性の認知的,行動的側面の育成も含めたバランスのよい総合的な指導方法を確立することが大事だと思います。
 また,従来は,道徳教育全体では道徳性を育成し,道徳授業では道徳的実践力を育成するという独特の区別があり,機能不全に陥ることがありました。そこで,新設された道徳科では,道徳教育でも道徳授業でも同様に「道徳性の育成」を目指すという統一目標が明示されましたので,よりよく機能するようになると思われます。
 この道徳性の概念に関して,中教審では「様々な課題や問題を解決し,よりよく生きていくための資質・能力」であると定義し,学習指導要領にも「人生で出会う様々な問題を解決して,よりよく生きていくための基盤となるもの」と示されています。こういった「道徳的な問題を解決する資質・能力としての道徳性」は,当然「生きる力」とも密接に関連してきます。これまで道徳教育は,「生きる力」の構成要素の中でも「豊かな人間性」だけを重視してきましたが,これからは問題を解決する資質・能力としての「確かな学力」や「たくましく生きるための健やかな体」の基盤とも見なされるため,「生きる力」全体を育むために重要であると学習指導要領の総則で明記されました。
 こうした新しい道徳性の概念は,当然ながらOECDのいう「キーコンピテンシー」の概念や国立教育政策研究所のいう「21世紀型能力」の概念にも関連してきます。単に道徳的諸価値を頭で理解するだけでなくて,それを活用し,実践の場で主体的に適切な判断をし実践できる資質・能力としての道徳性が,求められるということです。
 道徳も教科となるからには,まず「何ができるようになるのか」という「資質・能力としての道徳性」が求められます。従来のように抽象的な「内面的資質」を養うのではなくて,実践の場で主体的に適切に判断し実践できる「資質・能力」を養うことが大事になります。次に,「何を学ぶのか」という内容項目の改良が大事になります。単に曖昧な方向目標を示すだけではなくて,より具体的な行動目標を示すことも重要になります。第3に,こうした道徳を「どのように学ぶのか」という指導方法が大事になります。それがまさに今日のテーマである「考え議論する道徳」,「問題解決型の道徳授業」であると思います。
 新しい学習指導要領では「道徳科の目標」の中に指導内容,指導方法,そして資質・能力が順にはっきりと打ち出されました。この中で資質・能力に当たる部分として,「道徳的判断力」が筆頭に来て,次に「心情,実践意欲と態度」の順になりました。従来の指導方法は,道徳性の情意的側面を重視して「登場人物はどんな気持ちか」「どうしてそうしたか」と尋ねて,道徳的心情の育成することを重視してきました。これからの指導方法は,道徳性の認知的側面も充実させるために,「登場人物は何をなすべきか」「自分なら何をすべきか」と尋ねて,道徳的判断力の育成も重視する必要があります。また,道徳性の行動的側面を充実させるために,「登場人物はどのように行動すべきなのだろうか」「自分ならどう行動するだろうか」と尋ねて,道徳的実践力の育成も大事にすることが求められます。
 従来,登場人物の心情や行動の意味を理解するだけでは,どうしても道徳的行為や習慣にはつながっていきませんでした。しかし,問題解決的な学習を取り入れて,登場人物の行動方針や具体的な行動の仕方まで考え判断することができれば,実際の道徳的行為や習慣にもつながっていきます。ここに道徳教育と道徳授業の目標を統一して,「道徳性の育成」を目指す意味があります。また,「生きて働く道徳性」を養うことにより現実的に「人格の完成」に近づくことにもなります。
 こうした道徳的な問題解決のプロセスは,子供の日常生活では自然に行われています。子供たちは日々,様々な問題に直面し,自ら課題を設定し,いろいろな解決策を考え判断し議論し,それを実行した上で,よい習慣を形成し,道徳的な人格を発達させていきます。そうした問題解決のプロセスをよりよく行って道徳的に成長するために,道徳授業では子供が様々な道徳的問題に主体的に取り組み,その中に含まれる道徳的諸価値を理解しながら,物事を多面的・多角的に考え,みんなで議論し合う学習を取り入れる必要があります。
 様々な問題状況の中には,複数の対立する価値観が含まれているものや,答えが一つではないものもあります。そうした複数の価値内容や解決策を比較検討しながら皆で話し合うことが大事になってきます。
 こうした問題解決的な学習を取り入れた道徳授業なら,これまでタブー視されてきた「道徳的行為や習慣に関する指導」も可能になります。こうした道徳授業では,子供たちが道徳的問題に主体的に取り組み,自ら課題を設定し,協働的かつ能動的に思考,判断,表現することになります。これはまさに平成30年の学習指導要領の改訂を先導する,アクティブ・ラーニング型の道徳授業になると思われます。
 従来の道徳授業は,どうしても「主人公はどんな気持ちだったか」「なぜそうしたのか」にこだわってきました。それに対して,現実の生活においては「こうしてはいけない」「ああしなさい」というような指示・命令調の生徒指導が行われています。ここのギャップが大き過ぎるのです。問題解決型の道徳授業は,その中間に位置しており,「主人公はどうしたらよいのだろうか」,「自分ならどうすべきだろうか」「人間としてどう生きるべきか」を,教師と子供たちが一緒に考えていくことになります。
 子供たちにとっては,現実離れした架空の物語で登場人物の気持ちを推測するだけでは面白くありません。しかし,実際に子供たちが興味・関心をもつような切実な問題であれば,自然と主体的に取り組むようになり,登場人物の立場から多様な解決策を次々に考え,みんなで活発に議論し合うようになります。 そうした中で,子供たちは傍観者や評論家の立場ではなく,問題に直面した当事者の立場から関与し,具体的な問題を解決する資質・能力を高めていくことができます。
 そうした道徳授業をするためには,子供たちの実態や道徳性の発達状況を把握しておく必要があります。そのために,事前指導や授業の導入段階では,子供たちの生活経験や道徳に関する意識を確かめておくことが大事になります。展開の前段では,読むための資料ではなく,考え議論するための資料を提示することが大事になります。例えば,小学1年生の資料「スズメの赤ちゃん」では,従来の指導方法なら「家に持ち帰った私の気持ち」を場面ごとに考え続けることになります。それに対して,問題解決型だと「道路にスズメの赤ちゃんが落ちていたらどうしよう」を考えます。
 同じく小学1年生の資料「かぼちゃのつる」であれば,つるがどんどんスイカの畑や道路に出ていって注意され,最後は車にひかれてしまいます。従来の指導方法だと,場面ごとに「かぼちゃのつる」の気持ちを聞いていって,「悪いことをしては駄目ですよ」という結論に至ります。それに対して,問題解決型だと「自由に伸び伸びと生活したい」気持ちも分かるが,「他人の迷惑になること」や「自分にとって危険なこと」もしてはいけないことを確認し,「それならどうすればよいか」を考えることになります。そうした学習の過程で,子供たちは道徳的な諸価値や原理・原則をきちんと理解した上で,日常生活でも汎用できるような道徳的判断力や実践力を身に付けることができます。
 このように道徳科において問題解決的な学習を導入するのであれば,基本となる発問は,「何が問題になっているのか」「どうすれば解決するか」ということになります。問題の中には多様な道徳的価値が含まれ,時に矛盾・対立する価値観が含まれていることさえあります。そうした中で「主人公はどうしたらよいのだろう」「自分だったらどうするだろう」「人間としてどうあるべきなのだろう」と悩み,考え,話し合うことが大事になります。
 もっといろいろ事例を挙げてみます。例えば,小学校3・4年生で扱う「絵はがきと切手」という資料があります。転校していった仲よしの正子さんから,70円不足の絵はがきが届くのですが,主人公のひろ子はそれを正子に教えるべきかどうか,迷ってしまうという内容です。資料を最後まで読めば,解決策が書いてあるのですが,この結論部分を子供たちにじっくり考えてもらいたいところです。お兄ちゃんは「きちんと教えてあげた方がいい」と言い,母親は「お礼だけにしておいた方がいい」と言ったとき,どうするべきだろうかということです。
 中学1年生では,「裏庭での出来事」という資料があります。裏庭で三人がこっそりサッカーをしていたところ,雄一が倉庫のガラスを一枚割ってしまう。彼が職員室に行った後,残った二人でサッカーをしていたら,健二が隣のガラスも割ってしまう。そこに雄一とやって来た先生に,大輔が上手に言い訳をして,すべて雄一のせいにしてしまう。このような問題場面を規範意識や人間関係を絡めて,「健二はどうしたらよいか」を考えていきます。
 中学3年生では,「二通の手紙」という資料があります。これは,職員の元さんが動物園を閉めようとしているときに幼い姉弟がやってきて,「弟の誕生日だから入れてくれ」と言う。「今日だけ特別」ということで,元さんが入れてあげたところ,その姉弟が行方不明になって大変な騒ぎになる話です。母親からは感謝の手紙が来ますが,上司からは解雇処分の通告がくるという話です。
 このように,大人でも葛藤するような資料を使って,どうすればよいかをみんなで考え議論していく。このような問題は,社会に出てからも当然ありますし,PISA型のテストや全国学力試験のB問題にも共通するところがあります。二つ以上の対立する考え方を比較しながらも,よりよいものは何か,別の解決策はないかということを,みんなで論理的に考え議論していく。プロブレム・ベースド・ラーニングやプロジェクト学習にも共通しています。
 こうした指導方法は,「私たちの道徳」小学校中学年にも情報モラルの授業例としても載っています。例えば,業者の人から家に電話がかかってきて,「友達の名前と電話番号を教えてくれないか」と言われます。「正直」という美徳のもとでは,教えるべきなのですが,どうしたらよいかということで議論するのです。
 また,いじめの問題に対応した道徳授業でもよく活用されます。従来の道徳授業だと,被害者の気持ちを考えて「かわいそう」と同情し,加害者の気持ちを考えて「ひどい」と非難して終わりがちです。それに対して,「私たちの道徳」小学校高学年にはこんな事例が出ています。掃除の時間に当番のAがごみを捨てに行こうとしたら,Bが「君は行かなくてもいいよ」と言い,立場の弱いCに向かって「おまえが行ってこい」とごみ箱を押し付ける。「このときAやCはどうすればよいだろうか」というものです。それぞれの立場で問題が違っています。Aが単に傍観者の立場なら,同調圧力に屈して保身に走ることになります。Bは加害者の立場ですが,自分勝手で思いやりのないところがあります。Cは被害者の立場ですが,自己主張能力が足りないところがあります。こうしたそれぞれの立場や状況を踏まえて,「どうすればよいのだろうか」ということをみんなで考えていくのです。
 ただし,こうした問題解決を単なる二項対立の図式にして,「あれかこれか」を選ばせるだけだと,モラルジレンマのような授業になってしまい,道徳的価値観が混乱して望ましくありません。問題解決型の道徳授業は,二つ以上の解決策をいろいろ考え比較検討しながらも,最善の策や次善の策に絞っていき,ねらいとする道徳的価値に迫っていくことになります。
 こうした問題場面で解決策を吟味するための発問も大事になります。例えば,登場人物の動機を考えるだけではなく,「そうしたらどうなるだろう」と結果や見通しを考えることもできます。また,過去の経験を振り返って「自分も似たようなことがなかっただろうか」,「この問題に活用できる知識や技能はないか」を考えてみることもできます。
 いろいろな道徳的原理・原則を活用することもできます。例えば,「自分がそうされてもよいだろうか」という可逆性の原理を考えたり,「いつどこで誰にでもそうするだろうか」という普遍性の原理を考えたり,「それでみんな幸せになれるのだろうか」という互恵性の原理を考えたりもできます。こうして子供たちの問題解決が一面的な物の見方から,多面的・多角的な見方へと広がっていき,自己中心的な見方からより公共的な見方へと発展していくようになります。
 先ほどの「絵はがきと切手」であれば,「転校生の正子ならどうして欲しいだろう」と立場を入れ替えてみたり,「正子が間違えた料金でみんなに絵はがきを配ってしまったらどうなるだろう」と結果を考えたり,「それで本当の友達と言えるだろうか」とテーマに即して問うてみるのです。
 こうしたことを始めは子供が個別に考え,その後で皆で話し合うのが一般的です。例えば,ペア学習であれば,二人一組で交替して話し合うので全員参加しやすくなります。四人一組のグループ学習なら,主体的に協働しながら問題解決するアクティブ・ラーニングになっていきます。そうしたグループ活動を踏まえて,最後に学級全体で話し合うと活発に意見が交流できます。
 別のやり方として,展開前段の資料内容を基礎問題として結論を出した後に,応用問題をシミュレーションとして解いていく方式もあります。例えば,先ほどの「絵はがきと切手」について考えた後に,B君の代わりにA君が勝手に夏休みの宿題をしてあげているけど,「それは本当の思いやりなのだろうか」と考えてみる。あるいは,「裏庭での出来事」について考えた後に,「当番の掃除を立場の弱い者に押し付けて帰ろうとする友達に,どのように言えばよいか」を考える。あるいは,「二通の手紙」で問題解決した後に,NHKのEテレの「ココロ部!」で放送した「遅れてきた客」について考える。この「ココロ部!」は,私も指導・助言に入っており,問題解決型の道徳授業で構成されています。遅れてきたおばあさんが特別な思い入れのある絵画を一目だけでも見たいと言ってきた場合,どう対応すればよいかを応用問題として考えていくのです。
 さらに,授業の展開後段では,「道徳的行為に関する体験的な学習」と結び付けることもできます。問題解決型の道徳授業は,「問題解決的な学習」と「体験的な学習」をセットで活用する傾向があります。問題解決的な学習で考えた様々な解決策を動作化や役割演技を用いることで,座学から直接経験へつなげていくのです。一例として,「怠け忍者が遊ぼうと誘惑に来たら,どうやって撃退したらよいだろうか」とか,「おじいちゃんの大事な壺(つぼ)を割ってしまったコボちゃんのパパは,どうやって謝ればいいだろうか」とか,「ケンカした友達と仲直りするためにはどうすればよいだろうか」,「電車の中でマナーの悪いお客さんにどう注意すればよいか」などについて,子供たちが解決策をいろいろ考え,即興的に演技して比較検討してみるのです。ここでは,決まったせりふを言うのではなく,自分で考え判断した解決策を演じてみることが大事です。
 板書に関しても,子供たちが自分の考えや判断を整理しやすいようにマトリックスを作ってまとめることもできます。様々な解決策の理由と結果を比較したり,メリットとデメリットを比較したりして考えを深めることができます。また,先人や偉人の資料なら,例えば「杉原千畝が6,000人の命を救ったビザを発行した行為をどう思うか,自分だったらできるだろうか」を皆で考えてみることができます。あるいは,「田中正造は天皇に直訴すべきだったか,人間としてどう生きるべきなのだろうか」を真剣に考えてみることもできます。このように偉人や先人の話をあがめ奉るだけでなく,自分たちの道徳的問題として捉え直し,議論し合うことで考えが深まります。
 終末では,一般的に,「今日の授業でどのようなことを学び,考えたか」を振り返ることになります。授業でねらいとした道徳的諸価値をもう一度振り返ってみるのもよいですし,将来の自分の生活にどう生かしていくことができるかを考えることも有意義だと思います。
 最後に,評価についても申し上げます。基本的には,道徳科では数値などによる評価は行いませんが,記述式の評価は行うことになります。そこで,子供がいかに成長したかを受けとめて,努力を認めたり,励ましたりする個人内評価をいかに行うかがポイントになります。それは個々の道徳授業を評価するのではなく,学期ごとのまとめのようなものを大くくりにして評価に反映させ,指導要録に新設される道徳用の記録欄に記載することになるかと思います。
 従来の道徳授業ですと,育成した道徳的心情や態度を評価することになりがちなので,「子供の心」を評価するとなると,どうしても反発やアレルギー反応が多く出ます。しかし,問題解決型の道徳授業であれば,教科の3観点のように子供が学習するプロセスを「思考・判断・表現」の観点で評価したり,授業に対する子供の自己評価を「関心・意欲・態度」の観点から評価したりしますので,特に支障はありません。
 特に,問題解決的な学習の場合は,子供たちが資料に提示された問題状況をパフォーマンス課題として設定して,これまでの知識や経験を出し合って協働して探究するプロセスについてパフォーマンス評価することができます。子供たちは道徳的問題についていろいろな考えや判断をして深めていきますので,その判断理由を整理してルーブリック評価していくこともできます。
 評価をする場合は,できれば子供たち一人一人の考えの変容を後で確認するためにも,道徳ノートやワークシートを有効活用したいところです。例えば,授業の導入では「何でも好き勝手にできることが幸せだ」と考えていた子供が,授業の終末では「ルールを守って自他に責任をもつことが大事だ」という認識に至ったところを認める。あるいは,いじめの問題場面で「見て見ぬふりをするしかない」と思っていた子供が,「被害者の気持ちを考えて声を掛け,何とか味方になりたい」と考えるようになったところを評価することができるのではないでしょうか。そのほかにも,因果関係を論理的に考察しているところや,自分の経験や見聞と結び付けたところ,様々な道徳的諸価値と結び付けて深い考察をしているところ,将来の自分の実践や習慣に結び付けているところなどについて認め,励まし,勇気づけるようなコメントを付けて,子供たちにフィードバックしていくと,子供たちも道徳授業にやる気を出すのではないかと思います。
 さらに,道徳教育の評価を効果的に行うためには,道徳科の授業だけでなく学校全体の道徳教育を「行動の記録」と関連づけることも重要になると思われます。「行動の記録」は,道徳教育全体の内容項目と関連しているわけですけれども,内容項目は20前後ありますし,そのキーワードだけでも40前後ありますので,それを全部評価していくのは至難の業です。そこで,地域や学校ごとに核心的価値,つまりコアバリューを10個ぐらい設定した上で,それを「行動の記録」として設定し,道徳科の授業と結び付けた形で,日頃の道徳的実践に対応させて評価していくと有効であろうと考えます。
 道徳授業と道徳教育全体を関連づけるために,以前から特別活動等の体験活動や学校行事などのエピソードを道徳授業の導入や展開で活用するということは行われてきましたが,それだけでは全く不十分です。むしろ,道徳授業の中で深めた道徳的諸価値を,体験活動や学校行事において道徳的実践をして,評価することが,今後は大事になると思います。例えば,授業で思いやりが大事だという自覚を深めた上で,今週は「思いやりウイーク」に設定しようということで1週間やってみて,振り返ってワークシートに記入していく。「私たちの道徳」でも「一言がんばり日記」などいろいろな工夫が掲載されています。そのような道徳的実践を振り返って,「よくできた」「満足できる」等と自己評価したり,まだ「努力を要する」場合には,その理由や改善について考えたりすることもできます。
 このように学校教育全体で行っていく道徳教育を総合的に見て,道徳授業とも関連づけながら「行動の記録」に反映させていくことが大事になると思います。道徳授業で「グループが協力し合う大切さ」について考え,それを集団宿泊活動で実践してみて,それを特別活動で振り返ってみることで,PDCAサイクルを回すこともできます。あるいは「公徳心」や「公共心」の大切さについて深く熟慮した後にボランティア活動などをして,「行動の記録」に反映することもできると思います。
 こういった道徳的実践を振り返ってワークシートやノートに記しておき,その成果をファイリングしてポートフォリオ評価に活用することも,子供たちの学習状況や発達段階を把握するためには有効ではないかと思います。学期末に道徳的実践をまとめた図表やポスターを作って,子供たちがグループで発表し合い,相互評価し合うこともできます。学期や学年の終わりに,「自分たちはこんなに頑張ってきたんだ」「ここが成長したな」ということを実感したり,「このあたりはまだ足りないかな」「今後の課題にしよう」「このあたりを次の学年では目標にしよう」と考えたりすることで,子供たちの道徳性の系統的な成長につながり,将来の夢や希望にも結びついていくのではないかと思います。こういったノートやワークシートを蓄積していき,学年や学期の最後に教師と子供たちが一緒になって話し合い,納得しながらポートフォリオ評価をしていくことが大事になるのではないかと思います。
 こういった問題解決的な学習に関しては,子供たちの自主性や独創性を尊重しますので,教師のアドリブ力というものが非常に重要になってきます。子供たちの考えを共感的に理解し,尊重するというカウンセリングマインドや,子供と教師が一緒に授業で学び考え議論し,一緒に評価し合うという態度が必要になってくると思います。
 従来のような「読む道徳」から「考え,議論する道徳」への質的転換ということで,改革期にはいろいろ課題も生じるかと思います。しかし,上述した問題解決型の道徳授業に対応した教員養成や教員研修を拡充させていくことで十分克服していくことができると思います。各学校でも校長先生を中心に道徳教育推進教師が率先して,新しい指導方法を積極的に取り入れ,教師全員の連携・協力体制を再構築していくことが,今後非常に大切になってくると思います。
 以上です。ありがとうございました。
【天笠座長】
 ありがとうございました。
 続きまして,西野総括研究官よりお話しいただきたいと思います。よろしくお願いします。
【西野総括研究官】
 国立教育政策研究所の西野です。本日は貴重な機会を与えていただきまして,ありがとうございます。
 私からは,道徳科の目標に新しく加えられました,物事を多面的・多角的に考えるという学習活動に焦点を当てて,多面的・多角的に考え,議論する学習を道徳の授業でどう実現していくかということについて,お話しさせていただきます。
 学習指導要領の道徳科の目標には,「物事を多面的・多角的に考え,自己の生き方について考えを深める活動を通して」とあります。これらの学習活動があえて目標の文言に挙げられているということは,それが単に目標へ到達するための様々な手段の一つではなくて,この教科の学びにとって本質的な活動であるということを示していると思います。現在,中教審で進められている学習指導要領の改訂に向けた議論でもアクティブ・ラーニングが大きく注目されているように,学習活動は,学んだ内容を育てたい資質・能力へつなぐという重要な役割を担っています。資質・能力の育成では,何を学んだかということや,何ができるかということだけではなくて,どのように学ぶかという学習活動が非常に重要です。特に道徳科では,話し合ったり書いたりして多面的・多角的に考えるという学習活動が,それ自体が目標を実現するプロセスとして,道徳的な実践でもあります。道徳的な実践である多面的・多角的思考をどう育むかということが,今後の授業改善の最も重要な視点であると思います。
 では,どのように学ぶのかということを考えたとき,子供の発達という観点を重視する必要があるということは,学習指導要領にも書いてあります。こちらにお示ししたのは,以前,国立教育研究所で実施した調査から,道徳の時間に関する子供の自由記述の抜粋です。この調査の実施は2001年と非常に古いのですが,道徳の研究校ではなく,一般の学校から抽出して調査をしました。そのようなデータはその後ほとんどないので,非常に貴重な声です。発達などという系統的なものでもありませんし,学年による成長はこういうものだと固定的に捉えようとしてこれを出しているわけでもありません。子供が授業に対してどのような意識をもっているかということに,明らかな違いを見ることができるということに着目していただきたいと思います。
 例えば,小学校3年生だと,「楽しかった」や「面白かった」などの感覚的な感想が多くて,授業が子供の心情と結びついて記憶されているということが分かります。4年生になると,生活を振り返り,目標を記述する子供が非常に多くなってきます。これは子供自身に,授業を通して自分を振り返って考えるという反省的な思考力が,確かに育っているということを示していると思います。もちろん実際にはこの決意が実践にうまく結びつかないことの方が多く,先生方が学習しても全然身に付いていないと嘆く理由になっています。
 高学年になると,こんなことをやりたいという意欲が大変高くなり,子供からあんな学習をしてみたい,こんな学習をしてみたいという声がたくさん出てきます。与えられた授業だけで満足しないで,自分自身でこういうことを学びたいというアクティブな意識が,高学年では非常に高まっていることが分かります。
 中学校では,道徳の時間に対する受けとめは非常に悪いのですけれども,道徳の授業に関しては,議論に関する意見が非常に多く出ます。「話合いをやりたい」とか,「いろいろな意見が聞けてよかった」,「もっと議論してみたい」という声がたくさん上がっているのです。
 それでは,大学生はどうか。大学生というのは直近の道徳の授業を受けてきた子供たちですので,自分が受けた授業,友達が受けた道徳授業の問題点をお互いに考えながら,その改善点を出しなさいということを授業で行っています。その授業の中で出された主な意見を挙げておきました。改善案も非常に頑張って考えてくれています。
 特に目立つのは,「答えが決まっていた」という不満であり,それを問題視する声です。答えが決まっていてやる気が起きなかった,つまらなかった,あるいは発達の段階に合っていない,小学校から中学校までずっと同じような授業をやっていたということが非常に多くの子供たちやグループから出ています。こういう子供たちの声を総合してみますと,答えの分からない問題を友達と話し合って考えるような,柳沼准教授がおっしゃったような問題解決的な学習を,まさに子供たちが求めているということが示されています。
 では,どうして今までそういう学習が道徳で実現してこなかったのでしょうか。そこには,子供や授業に対する見方が大きな影響を与えていると考えられます。こちらに挙げたのは,1966年,道徳の時間における問題解決的な学習への批判が大きくなって,その声が非常に高まったときに行われた座談会での司会者のまとめです。この言葉の中には,道徳の授業で子供の自主性を重視する立場と,子供に価値をしっかり身に付けさせなければならないと考える立場が対立していたことが示唆されています。その後の道徳の授業というのは,この二つの立場のうち後者の方,価値をしっかり身に付ける立場の方にかじを切っていくのですけれども,このように子供の自主性と教師の指導性を対立的に考える学習観や子供観というのは,その後の研究の中で大きく見直されてきているのです。それが教育方法の質的転換ということです。
 1960年代から1980年代の間に,教育学でも,そして道徳哲学や倫理学でも,大きなパラダイム転換が起こっています。その成果を踏まえて,教育方法の質的転換が求められるようになってきています。これは大きく言えば,問題解決的な学習の見直しと,コミュニケーションをどう捉えるかということに関わっています。子供の学びの本質というのは,様々な関わりの中で出会った問題に対処しようとする,そもそも問題解決的な学習であるということを踏まえると,授業でも子供が考えたくなるような切実な問いが重要であるということになります。そして問題解決的な学習は,解決と名付けられていますが,むしろ学習の中で新しい問いに出会って,次の探究につながるようなサイクル的なものであること,そして様々な異なる意見をもつ人とのコミュニケーションには,それ自体に道徳的な価値があって,そのコミュニケーションから新しい考えを見いだす可能性が生まれるということです。このような教育方法の質的転換を踏まえて,道徳の授業を設計していく必要があるということになります。
 そうすると,様々な関わり合いの中で,問題解決的に学ぶというのが子供の学ぶ力ならば,それを引き出す授業づくりはどうすればよいかということになります。これは柳沼准教授にも具体的にお話しいただいたので,私からは簡単に触れますが,生活の中で実は子供は様々な価値と出会っていて,いろいろな葛藤や問題状況にも出会っています。その体験を大事にして,それを道徳的な問題として再構成してあげることが,授業では大切になります。再構成して,そこからいろいろな意見,多様な考えが出てくるような問いをつくることが,一番大事になります。その上で,違う意見と出会って自分の考えを見直す中で,価値への気付きとか,思考の深まりということが生まれてくるのです。道徳的な実践としてのコミュニケーションには,そういう新しい価値に出会わせたり,新しい考え方に気付いたりする大きな力が秘められており,そのコミュニケーションを豊かに実践すること,つまり結論に到達することよりもコミュニケーションのプロセスを充実させることが,授業づくりで最も大事なことだと私は思います。
 この授業づくりの核になるのは,いろいろな意見に出会うことです。頭の中で多面的・多角的に考えるのではなくて,実際に多面的・多角的な見方,つまり友達の違う意見に出会って考えることです。思いやりは大切だというような,一つの価値の大切さを確認する授業では,多面的・多角的に考えることはできません。価値に関わって多面的・多角的な見方に考えられる問いというのは,思いやりとは何だろう,思いやりとおせっかいはどう違うのだろうといった問いや,原理的な問いや根拠への問い,そしてどうすれば思いやりを示せるかという原理や原則を適用する際の問いです。
 今日取り上げたいのはこのうちの適用に関する問い,つまりHowに関する問いです。実は道徳の授業では,このHowに関する問いというのは,技術的な問題として余り歓迎されてきませんでした。しかし,大切な価値を実生活で実現するにはどうしたらいいかという,Howに関する問いは,価値と実践をつなぐ問いで,実践力につながるとても大切な問いなのです。このHowに関わって,いろいろな意見を引き出しながら多面的・多角的な思考を促した授業を,実践事例で確認したいと思います。
 ここからはスライドの方を御覧ください。先ほど柳沼准教授に「絵はがきと切手」のストーリーを御紹介いただきましたが,この「絵はがきと切手」の一般的な授業というのは,友達との友情には時には注意することも大事で,友達とは単に仲よくするだけではなくて,時には注意し合えることも大事だということに気付かせるという,新しい見方に気付く授業になっています。その見方に気付く際に,終末の段階で広子はどんな思いで返事を書いたでしょうと,広子の気持ちに共感させながら,友達には注意することも大事なんだなということについて考えさせる流れが,一般的な授業の在り方になっています。
 しかし,ここに幾つか子供が考えるであろう意見が載っているのですが,その中の一つに,「正子は友達だから,私の気持ちを分かってくれる」という言葉があります。このような結論で終わって本当によいのでしょうか。先ほど小学校4年生の子供たちは,学習したことをやってみたいという意欲が非常に高まると指摘しました。この学習でも子供の意欲が高まると予想されます。では,今後は自分も友達に悪いところがあったら注意しようとなって,どんどん注意するということが実生活で起こったら,学級はどうなるでしょうか。実際には子供にとって,友達に注意するということはとても難しいことなのです。それを理解した上で,では,どう伝えるのが大事なのか,どう伝えればよいのかを考えることが,実はとても大事なことです。この場面では,子供たちが実際に考えなければいけない実践的な問いというのは,伝えるということを決めたのはよいとして,どう伝えるかという問題なのです。
 正子さんにどう伝えようかということを友達同士で考えていく中で,自分の発言はどう受けとめられるのか,正子さんが傷つかないようにするにはどうしたらよいのかを具体的に考えることを通して,思いやりや友情,相互理解について,より深く考えることができることになります。その中で,例えば手紙で書くと文字に残るから,電話で伝えた方がよいのではないかというようなアイデアも出てくるわけです。このように考えることで,より価値に対する考えが深まることがあり得るのです。
 事例2と事例3は,文科省の研究開発学校の実践です。両方とも教育課程の研究開発をしていますので,道徳の時間を別の時間と統合して実践しています。それによって,どこでどう価値について学習するのかということを研究していますので,道徳授業の特質が見えやすい実践になっています。
 事例2の授業では,けんかしてもなかなか謝ることができないという学級の子供たちの実態を踏まえて,教師は「ごめんなさい」「ありがとう」という言葉って必要なのかなと問い掛けています。子供はみんな必要だと答えます。でも,実際には謝れない事態があるということに教師は気付かせて,なぜすぐに謝れないのかということを問題にしています。子供たちは,最初はかっとなるから謝れないとか,怖いとか,いろいろな発言をします。そのような意見が出る中で,すぐに謝らないと謝りにくくなるという意見に教師は注目しました。そして,すぐに謝らないとますます謝りにくくなるのだったら,その場ですぐ謝る方法を考えて,実践してみようと,ロールプレイをしてみるのです。そのロールプレイが,こちらになります。
                                (ビデオ上映)
【西野総括研究官】
 この子供は,謝る前に「本当にごめんね」と,「本当に」と付けたらもっと気持ちが伝わるのではないかと,友達のロールプレイを見ながら自分のアイデアを出しています。謝るのが怖いと言っている子供に共感しながら,自分の気持ちをどう伝えたらよいかを考えているこの子供たちの学習は,単に「本当にごめんね」という型を一律的に学習するスキル学習ではなくて,子供に価値について,ロールプレイを通して深く考えさせる学習になっていることが分かります。
 3番目の事例は,「マナーアップ大作戦」という大単元の中の1時間です。前時までの学習で子供たちは,電車内でのマナーアップに取り組んでいます。1日駅長をやろうというアイデアが出て非常に盛り上がっている中で,教師は1日駅長って意味があるのかという,一人の子供の問いに注目させています。これは教師自身が,子供の活動の中から価値や見方について判断が分かれる状況をつくり出して,子供に考えさせたいという指導の意図を持って設計されており,教師の指導性が強く働いた授業です。実際に,このたった一つの異なる意見と出会うことで,子供たちの議論が活性化して,マナーアップにつなげるために自分たちにできることは何だろうという視点から,今までの活動の意義を振り返るとともに,新しい活動をどうしていけばよいかということに関する,価値や課題意識も引き出すことができています。
 道徳の時間では,総合的な学習の時間や特別活動などの補充や深化,統合していくという形で,このような実践を実現することができるはずです。
 最後は,中学校の授業になりますが,このスライドは授業実践ビデオを使って,大学生に授業者としてこの授業をやって,板書するならどうしますかということで書いてもらった,仮想の板書です。授業そのものの全体をお見せすることはできませんので,この仮想の板書を御覧になって,授業がどんな問いで展開していくかということを確認してください。
 教師は二つの異なる正義に対する見方を比べながら,どちらの正義が正しいのだろうかと問いかけています。すると,対立で終わらずに両方の見方を越える考え方,新しい正義をつくるといった言葉も子供たちから出てきます。ちなみに,この授業を見た学生たちは,最後にもう一回,正義とは何かと聞き直したらよいのではないかという改善案を出してくれました。最初の見方から子供たちがどう変わったか,子供の変容を知ることができるので,最初の「正義って何だろう」という問いを,最後でもう一度問うてみるというのは,とても大事なことです。
 最後に,その変容ということに関連して,授業の学びの評価についてお話ししたいと思います。教科としての授業に関する評価は,道徳教育全体の評価とは異なる仕組みが必要だと思います。特に個々の内容項目について評価するのではないということは,はっきり示す必要があります。ここではその中でも学習状況を評価するという視点に立って,学習活動を通した思考の成長を捉えるということを提案します。
 思考というのは,それ自体が非常に豊かな広がりをもっているものですけれども,その中でも道徳的な思考には幾つか特徴があります。例えば,他者の視点に立って考えるという視点取得ができているかどうかということや,行為の及ぼす結果や影響についてどれぐらい考えられるかということです。このように複数の観点で道徳的思考の特徴を可視化することができます。こういう観点を教師自身がもつことで,子供の発言や考えのどこに注目すればよいかということが分かってきますし,そういうエピソードを蓄積していく中で,子供の成長も見えるようになってきます。
 教科としての評価が始まったばかりであるということを考えると,今はいろいろな授業研究を行うことで,複数の目,つまりたくさんの教師の目で,この子供の発言はどんな考えから出てきたものだろうということを評価し合うような,校内研修が欠かせないと思います。
 また,話合いの意義を子供自身が振り返ることができるようになるためにも,子供に話合いを評価させるということも大事な視点です。道徳はほかの教科以上に,答えが一つではない問題を考える時間です。現実の道徳的問題では必ず答えを出していかなければならないですが,道徳の授業はその訓練の場であり,答えを考え続ける力を育てる場です。そういう点では,話合いの結論ではなくてプロセスに注目して,ある場合には不一致に終わることがあっても,その不一致に終わる授業から何を学んだかということを子供が実感できるように,子供自身の話合いを評価する芽を育てることが,多様な意見を出し合って考える授業をつくっていく上でも,生きてくるものになるのではないかと期待しています。
 以上です。
【天笠座長】
 お二人の発表者の方,ありがとうございました。
 質問につきましては,もう一つ御説明を頂きまして,その後にお願いしたいと思います。
 道徳教育の評価に関わる現状につきまして,事務局から説明をお願いします。
【合田教育課程課長】
 資料3から資料8について,説明させていただきます。
 前回,道徳教育の評価については,解説などにしっかり書き込まれており,それをしっかりやっていくことが大事ではないかという御指摘も頂きました。
 資料3を御覧ください。児童生徒の道徳性の評価につきましては,学習指導要領の現在の記載を踏まえて,道徳の解説において,観察や会話による方法など具体的な方法を示しながら,評価の方法と,評価の創意工夫と留意点として,共感的理解を基盤とすることや,児童生徒のよさや個性を積極的に受けとめ,多面的で幅広い視点に立った評価を行うこと,多様な方法を生かしながら評価すること,継続的に観察することなど長期的な視点に立った評価を心掛ける,ということが記載されています。なお,紹介は省かせていただきますが,資料4は昭和33年以降の小学校の解説における評価についての記述の変遷,資料5は同じく昭和33年以降の中学校の解説における評価についての記述の変遷ですので,併せて御覧いただければと思います。
 資料3の2ページに記載している通り,道徳の時間の評価の在り方については,具体的に解説等で示しており,道徳教育及び道徳の時間の評価は,子供たちの心の動きの変化や変容を把握し,教師が指導の改善に生かすため,観察や会話,作文やノートなどの記述,質問紙,面接などを行って資料を収集し,道徳性を理解し評価を行うということになっています。
 その結果,道徳教育の評価は,指導要録における,「行動の記録」の評価,これは十分満足できる状態にあると判断された場合に丸印を記入するというものですが,その基礎になっていると言うことができると思います。
 道徳の評価に関わる指導要録上の「行動の記録」に関しては,各教科や道徳,その他学校生活にわたって認められる児童生徒の行動について,道徳の目標や内容,内容の取扱いで重点化を図ることとしている事項等を踏まえて示している別紙5を参考にして項目を適切に設定することとしています。各学校における評価に当たっては,各項目の趣旨に照らして,十分満足できる状況にあると判断される場合に丸印を記入することとしており,例えば小学校では基本的な生活習慣,健康・体力の向上,公共心・公徳心といったものについて,十分に満足できる状態にある場合に丸を付けることとして示しています。資料6は指導要録における「行動の記録」の変遷ということで,昭和33年以降の指導要録において,「行動の記録」がどのような観点で,どのような形で評価されていたかということをまとめたものです。併せて御覧いただければと思います。
 なお,資料3にあるように,評価につきましては,質問紙による把握をしている例があります。「いじめはどんな理由があってもいけないことだと思う」という認識を把握する,あるいは「人の気持ちが分かる人間になりたいと思う」ということを把握するといった評価を行っている例があります。
 それから,記述による評価の例として,これは特例校等で行われている事例ではありませんが,毎回の振り返りなどを蓄積した上で,通知表の中に,例えば「人間の心の機微が少しずつですが,理解できるようになったのではないでしょうか」といったような記述をし,保護者や本人に返しているという例もあります。
 資料7では,論点メモとして,論点の案を整理させていただいています。
 道徳の「特別の教科」化の目的は,道徳教育の実質化と道徳教育の質的転換であり,そのためには問題解決的な学習の導入などが不可欠で,そのための必要な具体的な手だては何か,教材,教員研修,効果的な取組の共有なども含めて,御議論をお願いしたいと考えています。また,問題解決型の学習の重視など質の転換を図りながら,ここでお示しさせていただいているような具体的な観点に留意しつつ,道徳科の評価の在り方を検討するに当たり,具体的にどのような工夫や改善を重視すべきかということについて,御議論をお願いしたいと思います。
 なお,資料8について,先ほど柳沼准教授や西野総括研究官からもお話がございましたが,道徳的な心情,道徳的な判断力,道徳的実践意欲と態度というものと,それを相互補完するような形で,道徳的な行為と道徳的な習慣というものがあるわけですが,これは目に見えるものと見えないものがあります。評価基準に基づく把握というものが現行の「行動の記録」への記入ということであるとするならば,今回学習指導要領上も数値による評価は行わないということになっており,その上で記述による評価を行うという構造になっておりますので,このような位置関係にあるのではないかということで,参考までにつくらせていただきました。
 この点につきましては,先ほど柳沼准教授と西野総括研究官のお話にもありましたように,総合的な学習の時間を始め,各教科等で行われている問題解決的な学習,あるいは体験的な学習というものが,評価理論的には基準に基づく把握ですとか,数値による評価というものも可能で,実際に指導要録上は,総合的な学習の時間の記録,特別活動の記録などという形で,記述で評価をされているという考えから,全体の位置関係としてつくらせていただいたものです。
 特に資料7に基づきまして,是非御議論,御指摘を頂きたいと思います。
【天笠座長】
 ありがとうございました。
 柳沼准教授,西野総括研究官のお二人の話などを踏まえ,委員の皆様より御質問あるいは御意見などを頂ければと思います。よろしくお願いいたします。
 なお,発言がある場合には,名札を立てていただければ,こちらの方で指名させていただきますので,発言をその順でお願いしたいと思います。それではいかがでしょうか。
【島委員】
 幅広く聞かせていただき,参考になりました。
 私が少し疑問に思って,押さえておかなければいけないと思うことをお話ししたいと思います。今回の教科化に当たっての課題なのですが,登場人物の心情理解に偏った指導が行われているということと,道徳的な心情に偏った指導が行われているということとは,別のことではないかと思います。今回,課題となっているのは,いわゆる読み物資料の中の登場人物の思いばかりを,心情読解として扱ってしまい,例えば,「主人公はとても悩んだんだね。でもその中で正直に言ったんだね。さて,君たちは正直に言ったことがありますか。」と,突如,正直にできているかどうかといった話になってしまって,正直とは一体何なのかという,いわゆる道徳的価値について考える授業ができていなかったということへの,反省や課題だと私は捉えています。
 つまり,足りなかったのは,ねらいとする道徳的価値についての授業になっていなかったことだということを,しっかりと捉えないといけないと思うのです。そう考えたときに,問題解決的な学習における問題は一体何なのかというと,それは道徳的な行為に関する問題というよりも,道徳的な価値に関わる問題であると思うのです。
  だから,例えば「絵はがきと切手」の場合も,友達が間違ったときにどう言えばトラブルにならないのかという問題ではなくて,「仲よし」と「親友」はどこが違うのかということ,つまり,友情についての問題であると思うのです。友達関係でトラブルがあって,どのようにすれば自分も傷つかず,相手も傷つかないようにしていくことができるかということを考える場合も,単に,自分にとって友達がいなくなったら困るからという理由で,一生懸命相手のことを考えてうまく振る舞うという,処世術的な振る舞いであったとしたら,果たしてそれで道徳的な深まりと言えるかどうかということについては,考える必要があると思います。
  もちろん,どのように言えばうまく相手とトラブルにならないかということも,大事なことです。しかし,これは,学級活動においてきちんとやっていくことになっています。それももちろん,子供たちが自分たちで知恵を出し合い,こうすればどうだろうか,ああすればどうだろうかと考え,自分なりの結論を出す。その学習では,道徳の時間における,友情や仲よしと親友の違いについての学習が大きな基盤になっています。
  このような点について考えることが必要ではないかと思います。
【橋本委員】
 ありがとうございました。私も,島委員と同じことを考えておりました。話が重なるところは割愛しますが,アクティブ・ラーニングの方向性については,いろいろなものを背景にして理解しております。アクティブ・ラーニングも,各教科で行われている問題解決的な学習も,教科の本質・特質を踏まえた上で有効な指導方法として,取り入れていくことが基本だと思います。道徳における問題解決的な学習も,道徳の本質・特質に照らし合わせて有効な指導方法として取り入れていくということには賛成です。いろいろな指導方法があって,切磋琢磨(せっさたくま)して,子供のためによい授業をつくっていこうということは基本的に同じ考え方です。
 ただ,今日のヒアリングを聞かせていただいて,その内容だと本質や特質が変わってくるということが,一番の質問点です。合田課長からも,授業の質の転換を図りたいという話があり,質の転換を図る必要は私もすごくあると思うので,「やった!」というのが今の感想です。学校現場における道徳授業の質は,課題がたくさんあって,本質や特質を踏まえた授業が各学校で行われているかというと,そうではないのが現状です。そのため,質を抜本的に改革していこうということには,やっていこうという気持ちが満々なのですが,今日のお話を伺うと,本質や特質まで変えようとしているのかなと感じます。現場は非常に混乱するのではないかと不安になりました。何が問題なのか,何を変えなければいけないのかということは,当然評価につながってきます。何を指導するのかということは評価に直結してきますので,本質や特質に問題があるからそれを変えようとしているのか,今の授業の現状に問題があるからその質を高めるために問題解決的な学習を取り入れていこうという方向なのかというところは,しっかり押さえて議論をする必要があると思います。
 西野総括研究官のお話の中で,結論ありきではなく,コミュニケーションのプロセスの中で様々な考え方や思いに出会わせながら,道徳性を培っていこうという点については,今までの本質と変わらない部分だと思い,そこは安心して聞けたのですが,その部分はやはり確認する必要があると思いました。
【古屋委員】
 これからの道徳指導の新たな視点をお示しいただきまして,大変参考になりました。ありがとうございました。私も学ぶべき点が多かったと思います。
 西野総括研究官から,非常に貴重な資料を御提示いただきまして,特に子供の発達に即した指導の在り方については,極めて重要だと思っています。それを受けて,柳沼准教授にもお伺いしたいのですが,問題解決的な学習の指導をこれから進めていく中で,やはり子供たちの発達の段階に即した指導ということも極めて重要だと思います。その際には,どういう方法が有効なのか。例えば,小学校1年生におけるこれまでの指導の中では,物語の登場人物に共感をさせながら,なりきって考えさせたち,動作化をさせたり,役割演技をさせたりして,じっくりと浸らせながらその心情について考えさせる。それを通して道徳的価値についての理解を深めて,さらには自分自身を見つめるような指導をしてきたと思います。それをあえて問題を提示するような指導方法にするのは,発達の段階からすると,少し厳しく,難しいのかなと考えざるを得ないと思います。やはり発達の段階に即して様々な指導方法を取り入れていく,そのことによって多様で効果的な指導が進められるのではないかと思いますので,その点についてお伺いしたいと思いました。
【佐藤委員】
 二つの質問と,二つの意見を申し上げたいと思います。まず,問題解決的な学習についての質問です。柳沼准教授のお話にあった「問題」解決的な学習については,多分,「問題」的場面に遭遇するということが一番重要な点だと思います。そうでなければ「課題」解決学習になるだろうと思います。そういう点では,柳沼准教授のスライドにありました田中正造を例にした,総合単元的な道徳学習というものについて,もう少し後で補足を頂きたいと思います。
 二つ目は,西野総括研究官のお話で,子供の学びを評価するということについて,幾つかの観点という言葉がありました。その観点について補足の説明をしていただければと思います。
 次に,私の意見ですが,一つはポートフォリオについてです。ポートフォリオについては,総合的な学習の時間の解説書の中にも記載されていますし,学習指導要録の改正通知の中にも,脚注の中でそのような言葉が出てきます。けれども,ポートフォリオは子供にやらせるだけではいけなくて,スライドではカンファレンスと書いてありますけれども,子供と先生がカンファレンスをしながら子供を励ますというか,アプリシエーションするということが,エバリュエーションやアセスメントを越える域に達して,励ますということにつながってくるのだろうと思います。そういうことが果たして現在の多忙な教師に可能なのかどうか,アイデアをお持ちなのか,今後考えていきたいということが一つ目の意見です。
 二つ目は,教員研修の問題にも関わってくると思いますけれども,一定のスタンダードがなければ,先生によってばらつきが出てくると思います。その点について,もし,モデレーションなど何かアイデアがあればお願いしたいと思います。
【柳沼准教授】
 いろいろ御質問いただき,ありがとうございました。順番にお答えしていきたいと思います。
 島委員からの御質問で,登場人物の心情を理解するだけの授業は改善すべきだが,道徳的心情を育てる授業はよいのではないかという御指摘がありました。また,道徳的価値を考える道徳授業はこれからも大事にするべきではないかという御指摘もございました。問題解決型の道徳授業でも,様々な当事者の心情を十分理解しながら問題解決に取り組みますので,当然ながら道徳的心情を育てることができます。また,問題解決型の道徳授業でも,ねらいとする道徳的価値について熟慮していきます。例えば,「仲良しと親友はどこが違うか」とか,「好き勝手な自由と本当の自由はどこが違うか」などという類似の道徳的価値を比べて,その違いを理解できるようにする展開もあります。しかし,従来の道徳授業では,そうした道徳的心情を育成したり道徳的価値を自覚したりしたはずなのに,実生活で道徳的実践や習慣につなげることができなかったため,その実効性のなさが大きな問題になってきたのだと思います。
 先ほどの「絵はがきと切手」もそうなのですが,単に「仲良しと親友の違い」で悩んでいるのではなく,「相手を傷つけたくないので教えない」という考えと「正しいことは教えてあげた方がよい」という考えで葛藤して悩んでいると見ることもできます。そうした多様な価値観が対立したり絡み合ったりして「答えが一つではない問題」「答えがすぐに出ない問題」もあるわけです。そうした問題に向き合い,「どうしたら相手を傷つけずに上手に伝えられるか」を皆で考え合うような問題解決的な学習が道徳科では重要になるのではないかと思います。
 道徳科の授業では「道徳的諸価値の理解」が大事ですが,それだけでは道徳性は発達しません。道徳的問題は,当然ながら複数の道徳的諸価値が絡み合って葛藤状況を呈していますので,それらを整理・分類しながら「どうすればよいか」を考え判断し議論するプロセスが大事なのです。従来の道徳授業のように,単一の道徳的価値を追求するだけでは,「生きて働く道徳性」を育成することはできません。単に「仲良しと親友なら,親友の方がいい」「自由と本当の自由なら,本当の自由がいい」「強い心と弱い心なら,強い心がいい」という分かりきった話なら,単純すぎて誰も悩みません。
 先ほどの「絵はがきと切手」で申し上げると,「広子の立場だったらどうしたらよいだろう」と尋ねると,大勢の子供は「言いたくない」と答えます。「それでは,正子の立場だったらどうしてほしいか」と尋ねると,逆に大勢の子供が「ちゃんと言ってほしい」と言うのです。「正子が間違った絵はがきを皆にだしたら大変だ」と結果に関連づけたり,「本当の友達なら伝えてほしい」と道徳的価値に関連づけたりして考えを深めてきます。このあたりで子供たちの認識が変容する過程を重視するのです。そのように立場や見方が変わると,子供たちも認識や行動方針も変わり,「それでは,相手を傷つけずに上手に伝えるためにはどうすればよいか」ということになり,ワークシートにせりふを書いたり,それを役割演技したりします。
 このように「道徳的問題を解決する資質・能力としての道徳性」を育成するためには,単純な道徳的価値を理解させるだけではなく,現実レベルでの具体的な対応策を考えさせる必要があります。そうした問題解決能力を子供が身に付けていくと,道徳的実践や習慣にもつながってくからです。
 従来は「内面的資質としての道徳的実践力」を育成すればよかったので,道徳的心情だけ養い,一つの道徳的価値だけ深めればよかったのですが,今後は,「道徳的問題を解決する資質・能力としての道徳性」を育成するのですから,複数の道徳的諸価値を比較検討しながら多面的・多角的に考え,判断し,実践する力を養うべきだと思います。道徳授業の実効性を高めるためには,やはり現実に対応できる問題解決的な学習が必要不可欠だと思います。
 橋本委員からの御指摘で,「道徳の本質や特質」も変化するのだろうかということがありました。私の考えでは,「道徳授業の本質や特質」とは,学校の教育活動全体で行う道徳教育の要となる役割を果たすことであり,「生きて働く道徳性」を育成することです。従来は,この「道徳の本質や特質」という用語で指導方法まで拘束していたところがありました。つまり,従来の道徳授業では「登場人物はどんな気持ちだったか」「どうしてそう思ったか」と尋ねる発問スタイルまで本質であると見なして,国語科の物語文を読解するような指導方法に拘束されてきました。こうした従来のやり方だと,登場人物の道徳的価値観に子供の考えを合わせなければならなくなり,道徳的価値の押し付けになりかねません。大抵の子供たちは,資料を一度読めば,作者が資料に込めた道徳的価値や教師のねらいとする道徳的価値などに簡単に気づきます。そうした分かりきったことを答えさせるための発問が多いので,道徳は退屈で面白くない授業になってしまうのです。
 問題解決型の道徳授業では,そうした道徳的価値の押し付けを止めて,子供たちが自ら問題に取り組み,主体的に考え判断していくプロセスを大事にするのです。例えば,先ほどの「二通の手紙」では,元さんの気持ちを尋ねて「就業規則を破ってはいけない」という常識的な答えを再確認するだけの授業だと,生徒たちは皆げんなりして,すごく嫌な顔をします。しかし,「元さんはどうしたらよいだろうか」「自分だったらどうするだろう」と尋ねると,みんな顔を上げ,表情が生き生きしてくるのです。「え,そんなこと考えていいの」と,生徒も一生懸命考え始めるからです。「思いやりも大事にしたいが就業規則も重要である」ということや,「入園させた後どうなるか」「上司はどう対応するか」等も含めて,「どうしたらよいのだろうか」とグループで真剣にアイデアを出し合うのです。「こういうことは日常生活にもあるよね」と自分たちの経験にも重ね合わせながら,活発に考え議論し続けます。そういう意味での指導方法の質的転換というのは,今後,アクティブ・ラーニング型の道徳授業を普及させていくためにも,非常に大事になってくるのではないかと思います。
 古屋委員から,子供の発達状況と問題解決的な学習の関連についての御質問がありました。従来の道徳授業に慣れてしまうと,「問題解決学習は小学1年生では難しくてできないだろう」と言われることがあります。しかし,簡単にできるのです。例えば,先ほど提示した「かぼちゃのつる」や「すずめの赤ちゃん」は,小学1年生用の資料です。幼稚園の子供たちだって「登場人物はどうしたらいいかな」と尋ねると,みんな活発に話し合っていろいろな解決策を考え話し合います。それなのに,「小学校の低学年では問題解決の話合いができない」と思うのは,従来の指導方法に慣れきった教師側の思い込みであって,実際にやってみればできることは明らかです。もっと子供のもっている能力を信じて尊重する必要があると思います。
 従来の道徳授業では,小学校低学年だと,学芸会のように既に決まった動作化や役割演技をやらせるだけでした。だから,幼稚なイメージがあり,小学校高学年以上では動作化や役割演技などやらなくなります。しかし,問題解決的な学習であれば,自分たちで考えた解決策を即興的に役割演技や動作化をするため,小学校低学年から中学生まで多様にできます。例えば「友達から悪口を言われた場合どうするか」という問題で,「無視する」「悪口を言い返す」「そんなことを言わないでと伝える」などいろいろな意見が出て,どれがよいかを役割演技しながら考え判断し話し合えます。
 このように問題解決的な学習は,小学校低学年でも,中学年,高学年,中学生の道徳性の発達にも適応するのです。先進諸外国でも小学校低学年から問題解決学習を道徳授業に取り入れるのは常識です。子供たちの道徳性の発達を促すために最もよい方法は,子供たち自身が道徳的問題に取り組み,自ら考え判断し話し合うことだからです。ピアジェやコールバーグを始め,国内外の道徳性発達心理学の研究者は皆,そのような子供がどう判断するかに注目しています。登場人物の心情を読みとっても判断力や実践力は身に付きませんが,子供が多面的・多角的に問題解決に取り組めば,判断力や実践力を身に付けることができるのです。一つの道徳的価値の視点から登場人物の心情を読み取る方法から,多面的・多角的な視点から登場人物と共に問題解決をする方法へと指導方法を質的に切り替えることが大事です。そうした学習を通して,一面的に自己中心的な見方しかできなかったものが,多面的に公共的な見方もできるようになって,生きて働く道徳性も身に付くようになるのです。
 佐藤委員からの御質問で,問題解決的な学習が総合単元的な学習にもつながっていくのではないかということがありました。田中正造や杉原千畝など歴史上の偉人や先人を取り上げますと,かなり広がりや深みが生じてきます。例えば,田中正造については,小学5年生の社会科の授業と関連づけて,まず四大公害病と関連づけて学び,次にNHKドラマ「足尾から来た女」の関連場面を視聴し,田中正造はどのような人生を送ったのかを全般的に示しておきます。杉原千畝も当時の世界情勢や日本の立場を示しておき,道徳的問題に関する判断の場面だけではなくて,歴史的・社会的な背景を学習しておきます。そうした事前指導の下で道徳授業を深く行うと,子供たちは「すごい日本人がいるんだ」「自分たちもそうなりたい」と実感して魂を震わせるのです。そうすると,授業後も子供たちは自主的に学習をし続け,自ら図書館に行ったりインターネットで検索したりして,偉人や先人の人生を調べ出して,議論がどんどん活性化し止まらなくなります。1回の道徳授業だけで終わらなくなり,発展的で探究的な面白い自主学習がどんどん展開していきます。
 ポートフォリオ評価に関しては,いろいろなやり方があると思いますが,基本的には学期や学年の最後の道徳授業あたりで,カンファレンスを行います。まず,子供一人一人が自分のポートフォリオを振り返って,自己評価をやっていきます。その後で,4人グループでお互いに発表し合い,「自分はこんなふうに頑張ってきたけれども,どう思う」とお互いに聞き合ったり学び合ったりします。「ここは頑張ったね。これからはこんなふうにやっていけるといいね」というように,子供同士で認め励ますような相互評価をし,グループごとに学級全体の前で発表もします。そうした個別の振り返りシートに先生から個別にコメントをもらうことで,子供自身が次の目標や課題につなげていくこともできるし,教師による大くくりな評価として活用することもできます。
 最後に,道徳科における問題解決的な学習は,まだ共通認識が足りないせいか,「どうやればよいか分からない」という声も聞きます。その中には,従来のように心情理解に偏った発問をして,「登場人物はどんな気持ちだったか」「どうしてそうしたのか」というマンネリ化した発問を解決するのが問題解決学習だと見なす誤解さえあります。こうした昔ながらの心情理解に偏った道徳授業は,問題解決的な学習と全く異なるため,明確に区別する必要があります。
中教審や本日のヒアリングで提示したように,道徳科における問題解決的な学習とは,道徳的問題で「登場人物はどうしたらよいか」「あなたならどう考え行動するか」「人間としてどうあるべきか」という問題を解決する学習です。今後は,そうした授業モデルをしっかり提示することが極めて大事になると思います。私は中教審のときに何度か,実際の授業を撮影した録画を視聴覚教材として構成し,授業構成の例を具体的に示してはどうかと提案しました。そうした本当の問題解決的な学習を取り入れた道徳授業をDVDなどの視聴覚教材として開発し,一般の先生方に教員研修等でお示しすると御理解いただけるかと思います。「こうすればよいのか」「これならできる」「これをやりたい」と思えるような授業モデルをたくさん提示できれば,広く周知できると思います。
【西野総括研究官】
 道徳の授業の特質とは何かという大きなテーマが提示されました。大学生の道徳授業に対する感想の中で,なぜ,答えがあるようで嫌だったとか,答えが押し付けられたような気がするなどと,答えがあることについてあれだけ大きな反発があるのだろうかということを,受けとめる必要があると思っています。答えが分かれば,ほかの教科では「やった」とうれしくなるのですが,道徳では答えが分かるということが非常に大きな不満につながる。その理由は,やはり現実の問題で道徳的なことを考えようとすると,答えが決まってなかったり,自分で決めなければならなかったり,あるいは授業で言われたとおり,学んだとおりにやってみたら,人間関係が悪くなかったりして,あれはきれい事だったのではないかと感じたりといったことを生活体験を通して子供たちは学んでいるのだと思います。
 道徳の時間の一番の特質は,答えが定まっていない問題を,多面的・多角的にいろいろな見方をしながら考えていくことができる授業を行うことだと思います。それなのに,子供が道徳授業は答えが分かっているとか決まった答えを押し付けられていると感じているのだとすれば,この一番大事な特質が実現していないということです。そこを変える必要があるのです。「先生は何を言わせたいのだろう」ではなくて,子供が「今日の授業は一体何を考えるのだろう」とか,「この状況で本当に大事なことは何だろう」,「今この主人公はどうすればよいのだろう」,「どうすれば大事なことを実現できるだろう」など答えがない問題を一緒に考えて,自分なりの何か答えらしいものをつかみ取るような授業であれば,このような不満は出てこないと思います。
 私は多面的・多角的な道徳的思考力の育成が,道徳授業の隠れた目標,つまり,思考力を育てる学習活動を実現することが,それ自体道徳の授業の特質を実現することであり,目標の達成につながる道筋になると思います。
 思考という言葉を使いましたが,もちろん分析的・理論的に見るときには認知面とか心情面を,行動面と分離して考えることが必要ですが,子供の中ではそれは統合されています。思考についても,1960年代頃の思考に対する考え方は,思考というのは認知という意識でしたけれども,今,思考についてはもっと広く捉えられていて,むしろ心情的なものも含み込んだ,非常に豊かなものだとされています。私たち日本人とっては,頭で考えるという面もありますけれども,胸が痛むという表現や,腹に落ちたとか,腹が決まったというように,全身で考えるという面があります。思考というのは必ずしも認知とか判断だけに関わるものではなくて,心情も含めた思考でなければ,本当の道徳的思考にはならないと思います。
 道徳的思考力を育てるというのは,そういう心情や判断,自分の行動力も含めて,物事を決定していく力を育てることだというのが,私の考えです。
 また,Howというのは,どうやってうまくやるか,対処法あるいは対策と捉えがちですが,私が今回の発表で一番強調したかったことは,現実の解決策を考えるというときには,状況や相手抜きには考えられないということです。「絵はがきと切手」の例なら,広子さんはどんな友達なのだろう,広子さんと正子さんの関係はどんな関係なのだろうということ抜きに,どんな場合でも料金不足が来たらすぐ相手に教えてあげなければいけないということではないはずです。だから,正子さんにとって広子さんはどんな友達なのかを考え,また,広子さんはどう思うのだろうと,相手の気持ちも考えながら,どうすべきかを実践的に考えられることが,価値と実生活の実践をつなぐ道だと私は思っています。
 ちなみに徳倫理学が外国で非常に盛んになったきっかけはアリストテレス倫理学への注目ですが,そのアリストテレスが一番重視したのはHowなのです。それは,ソクラテスやプラトンの「善とは何か」という原理への問いとは異なる,善を実現するには実際にどう行動すべきかという実践的な思考です。価値と実践的な思考というのはもっと結びついてよいのではないかというのが,私の考えです。
 最後に,思考の観点についての質問がございましたが,思考に関しては本当に様々な研究があり,道徳的思考には道徳的思考の特徴があると述べました。スライドの最後に挙げたのはその例で,例えば自分の過去の体験から教訓を引き出して考えているとか,違う立場を理解しようとしているというのもそうですし,行為の及ぼす影響や,自分はどんな人間になりたいかという視点から物事を考えていこうとすることなどが道徳的思考の特徴として挙げられます。そういう思考が,子供たちの発言として出てきても,先生は気付かずに通り過ぎてしまうことがあるので,このような観点をはっきりさせていくことで,この子は今相手の立場に立って考えようとしているんだなという点に先生の目が行き,その子供の発言を評価できるようになります。そのような観点をきちんと整理して出すことが,思考,判断,表現の評価の観点を示すことになると思います。
【中橋委員】
 論点メモに,発達障害などの児童について配慮すべきということがありました。私たちが,地方の島しょ部の小さな地域で,就学時前の子供たちと丁寧に関わったときに,発達障害等と診断はされていないけれども,コミュニケーションをとることが難しい子供が実は2割以上いて,その子供たちへの対応や配慮が必要だということで取り組んでいる地域もありました。その中で,子供たちを見ますと,1足す1が2ではないということ,答えがないということがとても不安だったり,不満だったりする傾向のある子供が結構いて,そういう子供たちが先ほど御説明いただいたようなアクティブ・ラーニングに,どのように対応できるのか,少し不安な点もあると思いました。
 一方で,私は,小学校や中学校に0歳児の赤ちゃんとお母さんを連れていく授業をしています。その中で,担任の先生が,「あの生徒のあんな表情やあんな発言があるなんて」ということを驚かれることがたくさんあります。言葉を使わない授業,赤ちゃんをただ抱くだけです。首の据わらない赤ちゃんを,先生は「あの子には,危ないので渡さないでください。」と言われるような子供が,赤ちゃんを抱いたときにすごく変化するのです。言葉を使わない授業や関わりの中での子供の変化も,評価がされるといいなと思います。また,評価するということは,評価が悪かった子供へのフォローをどういう体制でとるのかということが重要です。やはりこの時期,私がよく聞かれることは,せっかく学校で早寝早起きなど,いろいろなことを教えても,夏休みで家に長くいるともとに戻ってしまうということです。家庭環境や親御さんの関わりによっては,せっかく培われた道徳観が,うまく続かないということにならないように,例えば評価が少し低かった子供については,家庭も一緒になって対応ができるような,フォローアップ体制をどのように組み立てるかということも検討していただきたいと思います。
【樋口委員】
 道徳においては,よりよい生き方ということが,前提とされていると思います。例えば,私が関わっている自閉症の子供にとっては,よいということの価値がかなり特異な方がいます。例えば自分にとって損か得かということで,小学校低学年や中学年あたりまでは一応周りの人が認めるような行動ができますが,だんだん複雑な価値観が生まれるようになってくると,少し間違った教え方をしてしまったなという子供や,両親から負け組になっては駄目だということを常に言われていた子供が,高校入試に失敗して,家で暴れるようになってしまった。よいという価値観は人によって様々だと思うのですが,よりよい生き方ということは,道徳の中の多様な価値観ということで,よりよさもいろいろあるということも含めての,多様な道徳ということで理解していってよろしいのでしょうか。全体的な方向性についての質問です。
【橋本委員】
 評価の方向性のことを考えると,先ほど,本質,特質ということを申し上げましたが,本質的なものはもうねらいとして出ていると思います。これまでずっと,行動の変容を性急に求めないということは,道徳の授業の特質として,私たちが実践してきたところです。それから,1時間の中での道徳性の変化を求めないということです。求めた途端に答えが一つになり,子供たちが評価されることを意識した道徳の授業が生まれてきてしまうのです。ですから絶対にその本質や特質を外さずに,よりアクティブ・ラーニングに迫るような問題解決の方法を探っていくというポイントは,外してはならないと考えています。
【村田委員】
 橋本先生のお話にすごく共通する思いがあり,賛成の意見を述べたいと思います。急に行動が変わるということはなかなか難しいと思いますし,先ほど柳沼准教授のお話にもあった,「行動の記録」の44ページにあるような,ワークシート等の活用などは慎重に考えていかないといけないということについて発言したいと思います。一つの例にこだわっているのかもしれませんが,思いやりについての行動をいろいろやってみようという提案をして,何か蓄積するということは,子供たちは評価をしてもらうため,よく見てもらうための行動になってしまうと思います。実際思いやりとは,相手が「何か困ってる,やってあげよう」と,心からそのような思いがわき出てとる行動だと思いますので,
思いやりの行動をしようと言われてすることに抵抗感を持つ子供もいると思います。特に中学生で学年を重ねると,こっそりと相手に手を差し伸べてあげて,相手が喜ぶのを見て自分の喜びにできるということもありますので,表に出すということも大事なのですが,評価するために出させよう,出させようとし過ぎると,課題が出てくるのではないかと感じました。
【島委員】
 前回も申し上げましたが,やはり道徳教育の中では,一人一人の中に価値観が多様化していくということ,いろいろな見方や感じ方,考え方ができるということがとても大事になります。その中から,自分はこれを大事にしていこうと,自分の生き方をつくっていくことが求められるのです。だから,例えば,友情についてもいろいろな考え方があるのです。もちろん,そこには発達の段階に応じた広がりや深まりもあるわけですから,その点において,道徳の時間は,目標というものがあるということを,押さえておく必要があると思います。
 それから,道徳的な心情もとても大事なことだと私は思います。例えば,命の大切さについては,単に判断だけではなくて,この命を心から大事にしようと思う,心から思う強い気持ちというのは心情ですが,そういったことを問題解決的な学習やアクティブ・ラーニングの中でも取り上げてやっていくということも,大事なことだと思います。
 ただ,何があったら問題解決的な学習になるのでしょうか。単に課題があれば,それは問題解決的な学習になるのかどうか,その点についても,人によっていろいろな見解があります。アクティブ・ラーニングについても,では,何がアクティブ・ラーニングなのかということです。例えば,主体的に調べることがアクティブ・ラーニングの要件だとするならば,道徳の時間に何かを調べに行くということは,これは1時間の中では難しい部分があります。
  このような点について整理し,明確にしていかないと,混乱が起きてしまうのではないかと懸念しています。
【合田教育課程課長】
 事務局から,今までの御議論を踏まえて是非御検討いただきたいことについて補足いたします。
 心情読解や道徳的心情の大切さについての御議論があります。その点に関する客観的な事実を紹介いたします。今回の道徳の教科化に関しては,道徳教育の充実に関する懇談会を設け,道徳教育の在り方について御議論いただきました。その報告の中には,このような記述があります。「本来,内面的資質である『道徳的実践力』はそれ自体で完結するものではなく,将来における道徳的行為の実践につながってこそ意味があるものであり,道徳的実践を繰り返すことで道徳的実践力も強められるものである。道徳的実践力を育成する上で,例えば,心のこもったあいさつや礼儀,コミュニケーションの方法,きまりやルールづくりなど,実際に自分が動き,他者とかかわり合って初めて実感され,身に付く力も少なくない。」という記述です。これは西野総括研究官のお話にあった,Howということにも重なるものでもあり,柳沼准教授からのお話にもありましたように,かつては学校教育全体での道徳教育というのは,道徳性を育み,道徳の時間におきましては,内面的資質としての道徳的実践力を育むということになっていました。それらについて道徳性を育むと一本化したのは,内面を育むというのは大変重要なことではありますが,それを強調する余り,その内面に閉じてしまったのではないかという重要な問いが,この懇談会でも中教審でもありました。
 その懇談会でも,ロールプレイやコミュニケーションに関する具体的な動作の在り方に関する学習,問題解決的な学習など,動的な活動をバランスよく取り入れることが必要ではないかという御指摘を頂いており,私どもとしては,問題解決型の学習の中でHowということを取り扱っていただくことは,是非やっていただきたいと思っています。問題は,Howだから駄目ということではなくて,どのようなHowを立てると,心情が実践に結びつく形で展開できるのか,その在り方について御意見を頂きたいと思います。
【佐藤委員】
 これまでの「覚える」から「分かる」へ,「分かる」から「できる」へという転換を図られなければならないと思っています。その点では,道徳教育の実質化とありますが,道徳教育の評価の実質化も,その中でできていなかったのではないかと思います。例えば,この資料の中にも道徳の評価について,解説における記載として,観察や会話による評価ですとか,作文やノートなどの記述による評価,質問紙などによる評価,面接による評価,その他の評価とあります。では,我が校にとってどれほどの資料があるのか出してくださいと言われたとき,そういうことができていなかったのではないかということがあります。学習指導要領・総則編では,小学校では第3章・第5節「教育課程上の配慮事項」2の(4),中学校では2の(6)に,「見通しや振り返り」という学習があります。ポートフォリオを通して,自分たちが今までどのようなことを考え,どのようなことができてきたのかということについて,自分たち自身が振り返っていく,そこに教師も入って子供と教師が一緒に評価活動を通しながら,評価と指導,評価と学習の一体化により,自分たちで自分たちの生き方を考える。これは,評価という概念がエバリュエーション,アセスメントを越えて,アプリシエーションになっていき,励まし合って伸びていくという方向に変わっていくのではないと思いますので,このような評価の具体的な実質化の在り方について考えていただきたいと思います。
【脇田委員】
 道徳の教科化について,全国の校長先生が一番考えるのは,自校の道徳の授業をきちんと全教員が行うということと,自校の子供たちが自校で培いたい道徳性を,1年生から6年生まで,中学校1年生から3年生までに培っていきたい,そのためにはどのような授業をすればよいのかということです。ただ,全国的には,道徳の授業を研究的にやってきた先生よりも,そうではない先生の方が非常に多い。それから,北海道から沖縄まで全国同じように,道徳の授業が全ての子供たちに提供されるということを考えるならば,余り難しいこと,専門的なこと,名人芸的な道徳の時間の在り方ではなくて,こういう授業を積み重ねていくことが大切なのだというメッセージを出していくことが,大事であると考えます。
 また,評価については,もちろん道徳の授業の評価もありますし,学校の道徳教育の評価もあります。だから,授業の積み重ねの評価と,学校でねらっている道徳性の育成の評価と,それをどのように意味付けるか,そのような整理の仕方も必要ではないかと思いまます。
【岡安委員】
 評価について,高校の入学者選抜に行政で携わっている立場から,考えを申し上げます。道徳が教科に位置付けられるということは,指導要録等へ記載されることになってくると思います。そうなると,それが高校入試の選抜資料になり得る可能性があります。各県によって様式は変わってくるかと思うのですが,調査書,いわゆる内申書の作成に当たっては,各都道府県が様式を定めます。その中で指導要録に載っているものが調査書の資料として使われる可能性があります。必ずしも道徳の評価が高校入試に適しているとは,私は考えておりません。このようなことを踏まえて,評価の方法と記録の方法,その他の方法を考えていただく必要があるということを,補足させていただきたいと思います。
【柴原副座長】
道徳科における問題解決的な学習を論じる上で,欠いてはならない問いは,誰にとっての問題なのかということと,何についての問題なのかということであると思います。これはこれまでの中教審等の議論を踏まえて,学習指導要領においても,道徳科の目標の部分で,小学校であれば「道徳的諸価値についての理解を基に,自己を見つめ,物事を多面的・多角的に考え,自己の生き方についての考えを深める学習を通して,道徳的な判断力,心情,実践意欲と態度を育てる」という記述がなされています。このことを踏まえますと,誰にとっての問題なのかというのは,自己の問題でなくてはならない,あるいは自己の問題として捉えられるものということです。次に,何についての問題なのかということです。このことは,解説にも明記してあり,本日御説明いただいたお二方も触れられたように,道徳的な,あるいは道徳上の問題ということになります。道徳科の目標からひもときますと,すなわち道徳的価値ないしはその実現に関わる問題であると捉えられます。
 そう考えますと,これまでの道徳授業においても,道徳の時間の特質を踏まえた実践の多くやその一部において,意識の有無は別として,問題解決的な学習もかなり行われてきたということが言えましょう。ただ,そうした実践がある一方で,本来の道徳の時間若しくはこれからの道徳科の時間にはなり得ないような授業も多く存在してきたという実態も真摯に受け止めなくてはなりません。そうした点を抜本的に変えるためにも,従前から実践されてきた好事例等を検証しつつ,問題解決的な学習を道徳教育の充実に生かすという観点から,その道徳教育上の意義を吟味し,意識的に取組に加えていくということも大切なことだと考えます。そもそも問題解決的な学習では,基本的に主体性,能動性そして多様性というものが機能する学習となることが期待され,協働的な学習につながる可能性を有しています。改めて考えてみますと,道徳の時間は,ある意味,自己の生き方あるいは人間としての生き方について,主体的,能動的に考えを深める時間であり,その際,まさに多様なものの感じ方,考え方の存在を生かして,お互い他の人の意見も参考にしながら協働的に学んでいく時間でもあるわけです。問題解決的な学習につきましては,本日幾つかの具体的な例示もありましたけれども,それらも踏まえて,改めて各学校で検討,研究していく必要があると思っています。
 ところで,問題解決的な学習を道徳教育充実に真に生かそうとするならば,それはあくまでも道徳科の目標あるいはその時間のねらいの実現に効果があるものとなるという前提が基本になくてはならないと考えます。このことは,学習指導要領にも,指導方法の工夫に際しては「児童生徒の発達の段階,特性等を考慮し,指導のねらいに即して」という文言が付されてあり,さらに,問題解決的な学習等を「適切に取り入れる」とあります。その「指導のねらいに即して」や「適切に」という文言に込められた意味をしっかりと意識した実践が求められています。問題解決的な学習は,あくまでも学習方法の一つであり,そのこと自体が目的化するようなことであってはならないと思います。目標やねらいの実現に効果がある学習指導となりえるのかどうかが肝腎なことなのです。しかしながら,現在の道徳教育の現状やこれまでの中教審での論議を踏まえますと,多様な指導方法の工夫,実践に対して余り抑制的にならない方がよいと考えます。改めて考えてみますと,これまでも道徳の時間において,その特質をしっかりと理解し,実践してこられた方々の実践も,ある意味問題解決的な学習や今日言われているようなアクティブ・ラーニングと位置づけられものも多く存在します。道徳科としての特質をしっかりと踏まえた,効果的で多様な学習指導が工夫,実践されることへの期待に正しく応えていきたいものです。
 さて,道徳授業における問題解決的な学習での問題というのは,道徳上の問題であり,道徳的価値に関わる問題だと言いましたけれども,それは,教材にも関係することだと考えています。道徳授業で扱われる道徳的価値に関わる問題としては,幾つかの態様が考えられます。例えば,道徳的価値が実現されていないことに起因する問題というものがあります。そうした問題は,日常生活の中にも多く存在していますが,肝腎なことは,そのことが教師のみならず,児童生徒自身にとっての道徳的問題,言い換えれば道徳的価値との関連から考えるべき問題として意識されるかどうかにあります。そして,道徳授業においては,正面から道徳的価値と結び付けた学習が展開されてきたわけです。こうした部分が,特別活動領域での扱い方と異なる点でもあります。次に,道徳的価値についての理解の不十分さに起因する問題というものもあります。それから,道徳的価値を実現しようとする自分と,そうできない自分とが葛藤するような問題もあります。あるいは,複数の道徳的価値のどちらを優先すべきかということが問題となるものもあります。これらは,これまでの道徳授業でも扱われてきた問題なので,そうした点も踏まえ,よりよい学習指導へと実践研究していく必要があると思います。
 最後に,道徳科で求められる指導と評価の考え方に関して述べておきたいと思います。前回この場で申し上げましたように,道徳教育上の評価というのは非常に難しい面があるのは事実です。しかしながら,指導がある以上,評価できるできないということは別として,そこには児童生徒のよりよい道徳的変容・成長への期待はあるわけです。したがいまして,そのこともしっかり踏まえ,今回,道徳科の目標の部分に基本的な学習活動の在り方が規定されていることに着目したいと思います。まずもってそういう学習状況が成立しているのかどうかということを見取るためにも,より具体的で明確なねらいを,今後しっかりと設定していくことが大切であると考えています。そうすることで,道徳科の特質が生かされた実質的な道徳科の時間を創り出せるのではないでしょうか。このことは,本来これまで求めてきたことと変わってはいないと思います。余り抑制的に考えずに,児童生徒にとって真によりよい学習指導の方法を,皆で検討,議論し,実践研究を積み上げられればと思っています。
【天笠座長】
 ありがとうございました。
 委員の方々からそれぞれ御意見を頂きましたが,時間もまいりましたので,本日はここまでにしたいと思います。委員の方々に申し上げるまでもないのですが,この委員会は道徳の評価の在り方を検討して,それを世にお示しすることが,この会議の使命であることは言うまでもありません。その評価の在り方を検討すればするほど,授業の在り方そのものを検討せざるを得ないということになるので,授業改善と常にセットになりながら,評価の在り方を探究していくということになっていくのです。そのような点では,本日お二人の御発表には,大変示唆に富んだ御指摘があったのではないかと思っています。それを我々が受けとめながら,更に検討を深めていきたいと思っておりますので,発表くださったお二人の方に,心からお礼を申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。
 なお限られた時間でしたので,追加で御意見やお気づきの点などあれば,事務局にペーパー等でいただければと思います。よろしくお願いいたします。
 それでは次回の日程について,事務局より御説明をお願いします。

○ 事務局から,次回会議の説明

【天笠座長】
 本日はここまでにしたいと思います。どうもありがとうございました。
―― 了 ――

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初等中等教育局教育課程課第1係

電話番号:03-5253-4111(代表)(内線2916)