英語教育の在り方に関する有識者会議(第2回) 議事録

1.日時

平成26年3月19日(水曜日)17時00分~19時00分

2.場所

文部科学省(合同庁舎第7号館東館)3F2特別会議室
東京都千代田区霞が関3-2-2

3.議題

  1. 本有識者会議における検討事項について
  2. 小中高等学校を通じた英語の教育目標について
  3. その他

4.出席者

委員

石鍋委員、大津委員、佐々木委員、髙木委員、多田委員、藤村委員、松川委員、松本委員、三木谷委員、安河内委員、吉田委員

文部科学省

上野大臣政務官、山中文部科学事務次官、前川初等中等教育局長、義本大臣官房審議官、榎本国際教育課長、田淵外国語教育推進室長、平野大学入試室長

5.議事録

【吉田座長】  それでは、定刻になりましたので、ただいまから第2回英語教育の在り方に関する有識者会議を開催したいと思います。本日は、お忙しいところ御参集いただきましてまことにありがとうございます。
 まず、事務局から配付資料について説明をお願いします。

【田淵室長】  それでは、お手元の議事次第の4ポツ、配付資料というところに沿って確認させていただきます。今回は、全ての資料を一括してホチキスどめした形でお配りしております。
 まず、2ページに資料1、現行の英語教育の成果と課題への対応がございます。続きまして、資料2が5ページになります。指導体制に関する小委員会の設置について(案)になります。さらに、6ページが資料3-1、EFL環境において臨界期はあるかという資料になってございます。続きまして、資料3-2が13ページになります。言語獲得/学習の臨界期に関する補足メモとなっております。資料4-1が16ページ、横長ですが、小・中・高等学校を通じた英語の教育目標の設定についてでございます。資料4-2が21ページ、「能力記述文の形で示した国の学習到達目標(試案)」についてでございます。資料6が25ページ、今後のスケジュールについて(予定)でございます。最後に、資料番号はついておりませんが、26ページに三木谷委員より入試における外部試験の活用という観点からの意見書(「入試改革に関する小委員会」の設置についての意見書)を頂いております。
 以上、資料となります。

【吉田座長】  ありがとうございます。前回の会議では、委員の皆様から様々な御意見だとか御発言がありました。これらの御意見を踏まえて今後の検討課題について文部科学省の方で整理しましたので、その説明をよろしくお願いします。

【榎本課長】  前回の委員の主な御意見を、網羅的ではないかもしれませんが、机上資料といたしまして取りまとめてありますので、御覧いただけますでしょうか。
 ここにおきまして、まず英語教育についてというところから始まっておりますけれども、大津委員、それから髙木委員などから英語教育と言葉の問題に関する提起などもありましたけれども、そういったことから、学校種ごとの論点。それから、会議の進め方に関しましても多くの論点がございまして、松川委員や松本委員からも様々な論点が錯そうしているという指摘がございました。そこで、配付資料通し番号2ページ、資料1に沿いまして整理しております。
 まず、英語教育の充実強化、これは三木谷委員が死活問題と述べられましたとおり、我が国にとって極めて重要な課題でございます。この議論に当たりましては、更地から議論するということではなく、これまで多くの議論を経て現行の学習指導要領が実施されていることを出発点としたと思っております。この通し番号2ページ、(1)現状というところで、現行の学習指導要領に基づきまして、小・中・高それぞれで英語教育が行われております。
 同じページの(2)成果といたしまして、前回、藤村委員、石鍋委員、佐々木委員からも指摘がありましたとおり、小・中・高それぞれにおきまして、様々な進展が見られております。その上で、通し番号3ページでございますけれども、小・中・高それぞれの課題につきましても例を挙げてございます。そうした成果と課題を踏まえまして、この(4)課題への対応というところにありますが、こういった内容が昨年12月の英語教育改革実施計画に基づきまして、学習指導要領の改訂を含めて新たな英語教育の実施を想定し、小・中・高それぞれの在り方をこの課題への対応というところで掲げてございます。
 そして、この矢印の下のところですけれども、これらの実現のため、前回審議いただきたい項目として四つお示しいたしました。すなわち(1)教育目標・内容、(2)指導と評価、(3)教科書・教材、(4)指導体制について、これらに関する早急な議論の具体化が必要と考えております。
 その上で、通し番号4ページでございますけれども、この会議の論点をターゲットとして俯瞰(ふかん)したと思っています。松川委員の御指摘も踏まえまして、二つに分けております。表の左側は平成32年度頃以降を見据えた姿、そして右側がこれに連動しながら並行して早急に議論すべき課題というふうに二つに分けています。そして、縦に見ていきますと、上から下に先ほどの四つの課題・項目を掲げてございます。
 これらを簡単に御紹介してまいりますと、まず一つ目、教育内容・目標に関しましては、左側のところでは、英語を用いて何ができるようになるかといった観点で小・中・高一貫した到達目標の設定という目標を掲げてございます。一方、右側のところでは、英語の地域拠点、これは来年度から設けたいと思っていますが、それらや教育課程特例校などを通じまして、現行の指導要領の枠組みの中で先進的な教育の実施を進めてまいります。
 表の2段目、指導と評価につきまして、まず左側では、学習指導要領におきまして、CAN-DOによる4技能の指導・評価ということがどのように考えられるかといったことを念頭に置いたと思っています。一方、右側は、この後議論できればと思っていますが、現行の指導要領に基づきます記述をCAN-DOといった形で試みの案として準備しております。
 また、入試・接続に関しましては、左側のところで、こちらは現在英語にとどまらず教科・科目を通じまして高大接続に関する全体的な議論が中教審で行われております。この会議におきましては、それを踏まえていく必要がございます。一方、右側の現行制度における対応といたしましては、前回、安河内委員の指摘にもありましたとおり、外部試験の活用など、4技能の評価ということが議論の対象となってくると思っております。
 3段目、教科書・教材に関しまして、こちらも左側の方では、指導要領が変わってまいりますと、教科書・教材もそれに対応する必要がございますし、また、右側では、そうしたことに向けた小学校向けの新教材の開発、それから、現行の枠内の中でも多様な教材の促進といったことも論点としてあろうと思っています。
 4段目、指導体制に関しまして、左側のところでは、新たな英語教育のための必要な教員の養成・採用・研修に関しまして本格的な議論が必要となってまいります。これも制度的な対応が必要であれば、英語の教科を超えた全体の検討も出てこようかと思っておりますので、その点は中教審の議論が必要になってまいります。その議論のことも念頭に置きながら、表の右側ですけれども、現行の枠内の中でも早急に教員の資質・能力の向上方策を検討する必要がございます。
 前回、多田委員の指摘にもありましたとおり、JET、それから地域人材など、教員以外の人材の活用・確保といったことも議論が必要となってまいります。この人材に関しましては早急に検討する必要があるため、前回の会議でお示しいたしましたが、通し番号5ページのところで、指導体制に関する小委員会の設置についてといったことを事務局として提起したところでございます。研修実施体制や外部人材の活用に関しましては、早急に具体的な議論に入っていきたいと思っているところでございます。
 以上、資料の説明でございます。
 それから、前回、大津委員から質問のありました中教審との関係でございます。英語教育の議論に関しましては、この有識者会議で集中的に議論いただきたいと考えております。その審議結果を受けまして、指導要領を始め、学校教育制度全体に関する論点が出てまいりますと、これは改めて中教審に諮問して、そこで議論していただくという必要が出てまいります。したがって、この有識者会議の議論を受け継いで中教審での全体的な議論に発展していくものというふうに考えております。
 以上です。

【吉田座長】  ありがとうございました。
 ただいまの御説明について、皆さんの方から何か御質問などおありでしょうか。いかがでしょうか。はい、では、大津委員、お願いします。

【大津委員】  この会議の前提になる部分ですけれども、先ほど現行の学習指導要領という話が出ましたが、私の了解というか、私がこの委員をお引受けするときに文科省の関係の方々とお話をして、そのとき伺ったのは例の実施計画がございました。あれが大筋の制約というふうになっていて、例えば、この委員の中には小学校の英語に関してとても否定的な考えをお持ちの方もいるけれども、しかし、実施計画に照らして考えれば、そういう発想ではなくて、大筋小学校の中に英語を何らかの形で導入するという前提で議論するのだというのが私が了解しているところなのですが、そのあたりのところはその了解でよろしいかどうか教えていただきたい。

【榎本課長】  昨年12月の実施計画のところで大きな方針を示しておりますので、これの具体化に向けまして御意見いただきたく思っております。

【大津委員】  分かりました。前回、委員の中からかなり根本的なところまでさかのぼって議論をするという話も出ましたので、そうであると私の了解が違っていると思ったわけですけれども、そうではなくて、飽くまで実施計画を前提にして、その中で細部を詰めていくという了解でよろしいというわけですね。

【吉田座長】  ありがとうございます。
 ほかに御質問ございますか。おおよそ前回いろいろお話が出ましたが、整理していただいた形になっていますが、よろしいでしょうか。いいですか。
 それでは、今、御説明にもありましたが、いわゆる指導体制については前回会議でも教員の指導力向上に関するものだとか、御意見がかなりございました。これを踏まえて事務局から専門的・技術的な論点について集中的に検討を行うための小委員会の設置が、先ほど御説明がございましたが、お手元の資料のとおり提案されています。また、入試における外部試験の活用という観点からはこの資料の最後に付いている三木谷委員からの御提案もございます。
 これらの御意見、御提案について、御意見を頂きますようお願いいたします。指導体制というのをまず一つ、設置することについてもいかがでしょうか。入試に関してはまだ今後いろいろ考えなければいけないかもしれませんけれども、少なくとも、まず指導体制に関しては相当皆さん前回議論があったと思うので、それに対してまず具体的に検討する小委員会を設置するという、そういう前提になると思うのですが、御意見ございますでしょうか。よろしいですか。
 それでは、指導体制に関する小委員会については資料2のとおり設置するということとして、委員の構成に関しましては私、座長に御一任いただきたいと思うのですが、いかがでしょう、よろしいでしょうか。

【吉田座長】  ありがとうございます。
 また、英語の入試における外部試験の活用については、前回も安河内委員から結構いろいろ調査の結果などが報告されましたけれども、さらにそれを少し深めて調査していただくということで、その結果の御報告をしていただいた上で、今後この会議でどのように扱っていくかというのを、そのときに改めて考えるというふうにしたいと思うのですが、その結果、入試に関しては次回の会合でどういうふうにするかというのをお諮りするということでお願いしたいと思っていますが、いかがでしょう。それでよろしいですか。

【安河内委員】  次回までにリサーチをしてまとめてくれば。

【吉田座長】  ある程度のことが分かればいいと思います。

【安河内委員】  なるほど。分かりました。

【吉田座長】  全部完全に、100%ということではないと思います。多分入試などについて議論するのはまだもう少し先のお話になると思います。その前に片付けなければいけないものがあると思います。

【安河内委員】  はい。では、しっかりやらせていただきます。皆さん、よろしくどうぞ。

【吉田座長】  よろしいでしょうか。それでは、よろしくお願いいたします。
 それでは、小委員会については今のような形でまず出発したいと思います。
 次に、第1回で英語教育の開始時期について科学的な観点からの話をというような御発言がございました。私と大津委員はそれぞれ児童英語、幼児言語習得というのですか、そういう分野で、多少の違いはありますけれども、研究はしてきていますので、私の方からまず臨界期仮説について少し説明をさせていただき、その後でまた大津委員の方から補足していただければと思います。
 それでは、お手元の資料もございますが、一応パワーポイントの方もございますので、前の方を見ていただければと思います。
 EFL環境というのはどういうことかというと、日本という国は、日常的に英語が使われている環境ではなくて、飽くまでも英語というのは学校で学ばれているのが中心でして、飽くまでも外国語であるという環境だとお考えください。したがって、日常生活でふだん使っているという言語ではないということです。そういうような環境において、果たして本当に臨界期はあるのかということなのです。結論から言うと、余り適用できないものではないかと思いますが、とにかくちょっとその辺についてお話ししていきたいと思います。
 もともと臨界期仮説というのは本来母語の習得に関する仮説なのです。ですから、外国語習得に関する仮説ではなくて、幾つも例があります。一つはレネバーグなどがやっているような脳に障害のあるようなお子さんとかは、言語障害に陥って言葉が話せなくなる。それが言葉、言語野としてまた復元するためには何歳ぐらいまでであれば、ほぼネイティブ、いわゆる普通の正常な子供と同じぐらいのところまで行けるだろうかということでいろいろ調べられた結果、大体13歳前後かという話が出ました。
 ですから、それよりも早くそういう言語障害に陥った場合は、結構もとに戻る可能性はある。でも、それを超えてしまうとなかなかそうはいかないというのが一つ出発点となりました。
 もう一つは、よくオオカミ少年だとか、いわゆる荒野で親と何らかの形で離れてしまって、自然界で1人で動物だとか、いろいろな環境で暮らさなければいけなかった。あるいはジニーだとかチェルシーだとか、そういう子供たちのように、人間社会にいながら、ほかの子供たちと接する機会がほとんどなかったようなケースもあるのですが、そういう人たちが、例えば10歳とか、チェルシーはもっと年をとっていましたけれども、そういう歳になってようやく保護されて、そして、自分の母語がちゃんと正常に育った子供と同じようにもう1回身に付くのだろうかというような、そういう調査結果が幾つもあります。
 したがって、もう10代の半ば以降に、ある意味では、母語を学び始めるというような環境の子供たちですが、ある程度コミュニケーションはできるようになるけれども、例えば文法力などの言語能力に関しては非常に大きな障害を持ったまま、あるいは正常にならないということが非常に多く見られるということなのです。ということは、やはりある一定の年齢までに母語に接していないと、なかなか正常な形では言語力は発達しないというふうに考えられています。
 もう一つは、ニューポートたちがよくやっているのが、手話の関係です。聴覚障害のお子さんが生まれる。そのお子さんが聴覚障害のない両親の間で生まれると、そのお子さんが聴覚障害であるということに気づくのに遅れるというケースがよくあるのです。両親が聴覚障害である場合はもう生まれたときから手話を使ってコミュニケーションはできているので、ですから、本当に早いときから手話を使ったコミュニケーションができるのですが、聴覚障害のない両親を持っていると、どうしても音声だけでコミュニケーションしようとする。うちの子はちょっと言葉を学ぶのが遅いのだというような観点で延び延びになってしまって、いろいろな記録を見ていると、例えば4歳頃になって初めて気づいて、そこから幼稚園だとかそういう特別な学校へ行って手話を学び始めたりするというケースがあるのです。
 そうすると、それよりももっと小さい頃からずっと手話で育ってきた子供と比べると、後々到達度、手話といってもこれも言語ですから、その言語能力としてネイティブの手話話者というふうに考えていいかもしれませんが、その正常な手話話者というレベルに、4歳以降に初めて手話でコミュニケーションを学び始めた子供はなかなか到達できないというような結果が出たりしているわけです。
 こういう研究というのは全部母語の習得なのです。ですから、ある一定の年齢を超えてしまうと、なかなか母語習得はうまくいかない可能性がありますという結果が出ています。
 それを受けていろいろな人たちが第二言語習得の環境においても同じような臨界期というのが存在するのかということでいろいろな研究が進みました。第二言語環境というのは何かというと、先ほどの外国語環境ではなく、例えばうちでは母語を話して両親とは日本語をしゃべっているかもしれませんが、学校だとか、あるいは社会に出ていくと全部英語であるというような環境です。ですから、日本人がアメリカなどで育っている場合は第二言語として、第二の母語のような形で英語を学んでいるというふうに考えていいと思うのですが、そういうような環境、つまり、この場合も、いわゆるその子供にとっての第二言語に接する機会が非常に多いのです。非常に多い。1日の半分は、単純に言えば半分以上は第二言語に接していると考えてもいいかもしれません。
 そういうような環境の場合はどうなのだろうかというのでやはり幾つも調査というか、実験というか、結果があります。一つは、これはスノーとフフネーゲルホレたちがやった研究ですけれども、アメリカの人たちでオランダに渡った人たちで、子供から大人までいるわけですが、そういう人たちでオランダ語を身に付けるのは子供の方が早いのか、大人の方が早いのかということで調査をしているのですが、これは発音から語彙から文法など、全部そういう言語要素を見ています。そうすると、3か月ぐらいという短期的な結果だけを見ると、子供よりも大人の方、特にティーンエイジャーが一番――やはり学校で接する機会が多いということもあるのだと思うのですが――の方が到達度が高いのです。小さい子供の場合よりもティーンエイジャーの方が到達度が高いということが分かっている。
 でも、それがまたさらに2年、3年というふうに長期的になると、最終的に到達できるレベルは小さい頃からその言語に接している子供の方が高いレベルに、よりネイティブに近いレベルに到達するという結果が出ています。ですから、短期的な場合は、これは多分認知力の違いもありますし、理屈で言葉を学びながらやっていけるわけですから、大人の方が早い。
 これで面白いのは、発音も短期的に言うと大人の方がいいというのです。その方がはっきりと、例えば日本語と英語の違いだと、この場合ですと、オランダ語と英語の違いだとか、自分で認識できますので、そうするとより正確な発音ができるなどというように。でも、長期的にはやはり小さい頃から始めた子の方がネイティブに近くなるというふうに言われています。
 ただ、では、明確なcritical periodが存在するのかとなってくると、なかなかこの年齢ですということはいえないというのが現状です。その2番目のところに少し書いておきましたけれども、例えばこれはヤマダさんという方が日本人のお子さんでRとLの聞き取りの区別についてなさった研究がありますが、大体7歳以前にアメリカなり英語圏に住んでいた子供の場合は、日本に戻ってからもある程度の年齢がたってから、その後しばらくたってからでもネイティブにより近いようなRとLの区別はできる。
 ところが、海外に渡った年齢が7歳を超えて8歳以上であったりする場合は、ネイティブに近い聞き取りはできるのだけれども、多少間違いも出てきたりするというようなことを言われています。スーザン・オーヤマという人などの研究でも、文法力というのを見たときに、必ずしも明確な、何歳でどうというような個別な結論はなかなか見えないということがありますし、ほぼ誰でも皆さんが一致しているのは、語彙の習得には臨界期は全くない。何歳になったって単語は覚えられるということがいわれています。
 なかなか難しいのは、図表だかグラフだとかいろいろなものが出てくるのですけれども、確かに三、四歳ぐらいで渡った子供と、それから十数歳で渡った子供で、例えば英語の到達度を見ると、違いはあるにはあるのですが、ずっと細かく、毎年、5歳、6歳、7歳、8歳というようにずっと一つずつ見ていくと、急にがくんと習得ができなくなる年齢ってないのです。ずっと続いているのです。続いているので、必ずしも13歳になったらがたんと落ちるということでは決してないということもいわれています。ただ、やはり年齢とともにネイティブらしい言語獲得は難しくなるというような結果です。
 では、子供と大人で学び方の違いはあるのかということなのですが、子供の場合というのは、意識的に学ばなくても、その言語に接しているだけで、implicit acquisitionとありますが、自然に言語が学ばれるというケースが多いということなのですが、大人の場合は、どちらかというと、explicit、一般的認知を使って学んでいるというケースが非常に多いだろう。だから、学び方そのものに違いがあるので、このimplicit learningが可能である年齢と、それから、explicitにしかできないというような年齢の間に、それの間にまた明確な差があるのかというと、それも明確な差がここにありますという研究はまだありません。ただ、学び方の違いはやはりあるようだというふうにいわれています。
 4番目ですが、アイデンティティーの形成ということは、これはミノウラさんなどの研究であるのですが、10歳以前にアメリカ、ロスアンゼルスに渡った日本人の子供で4年以上既にアメリカに滞在しているという子供の場合は、アイデンティティー的にいうと、アイデンティティーというか、感覚です。物の考え方、見方という観点からすると、結構アメリカ人らしいというか、に近い考え方を持つようになる。だけど、10歳を超えてから行く、あるいは10歳以前であっても4年たっていない、3年ぐらいで帰ってくるとかという子供の場合、必ずしもそうはいかない。ですから、滞在年数もある程度関わってくるのではないかというふうにいわれています。
 ですから、渡った年齢と滞在年数によって、それを掛け合わせることによって多少違った結果も出てくるというわけです。これが第二言語習得なのです。
 それで、最初に言いましたように、では、外国語習得、日本のような環境はどうなのかというと、日本でも一応そこに簡単に、数字がいいかどうかって分かりませんけれども、1週間、24時間掛ける7日間で60分というと、大体1万80分ですか。そのうち小学校で45分英語やっていて、中学校は週4時間やっていて、せいぜい200分以内だろう。高等学校は5時間やったって、せいぜい300分以内です。それぐらいしか英語に接していないという、そういう環境において、今まで言ったような母語であるとか、あるいは1日の半分は外国語で接しているような第二言語環境と同じ結果が出るとはとても思えない。同じような要素がそこに働くとは思えないです。
 一つバルセロナ計画というのがあって、スペインというのは日本と同じように英語は外国語なわけで、日常的にずっと接しているわけではない。その結果を見ていくと、面白いのですけれども、8歳から英語を始めた子供と11歳から始めた子供の英語力を比較しているのです。4年後に比較しているのです。4年後どうなったか。小さい頃から始めた方が11歳から始めた子より、要するに追い越すのではないかというような発想があるかもしれないけれども、外国語環境においては追い越さないということが分かったのです。結局、4年たっても追い抜くことはないという結果になっています。
 ただし、二つの点だけで小さい頃から始めた子の方が優位だったというのは、listening comprehensionと発音。これだけは統計的に有意な差が出たというようなことをいわれていますし、一番下に谷塚さんの研究を出しましたが、彼女の研究は日本で行われて、日本の大学生に対して、小学校時代に英語をやったかやっていないかというので、大学生になってからlistening comprehensionのテストをやったら、小学校時代にやっていたという人の方が大学生になってもlistening comprehensionが高かったという。それから、英語に対する肯定的な態度も高かったというような結果は出ています。基本的にこの程度です。
 実をいうと、私たちもちょっと実験をしました。これはベネッセさんと一緒に私が以前やった研究なのですが、これは高校生です。2006年の高校生です、一応この上の方が小学校時代に英語をやった経験がある子で、下の方がやったことがない子なのです。高校生になって、今、どういうモチベーションというか、どういう目的で英語を勉強しているのということを聞いてみると、ここにあるように、どっちも受験勉強というのは大きいですが、それ以外のところを見ていただくと、英語を話す人と友達や知り合いになりたいから勉強しているとか、知らない言葉を学ぶのが面白いので勉強しているとか、世界をよりよく理解するためにほかの文化について学びたいから勉強しているとか、英語が書けるようになったり話せるようになって、海外の人とコミュニケーション、やりとりができるようになりたいというのは全部小学校からやっていた子の方がモチベーションについては高いということは分かりました。
 それから、数年前に、これも私の方でやった実験で、これも1,300名近く。この部分は730名。これは何でかというと、中学1年、中学2年とちょっと経年的に計っていって、経年変化というものがあるのかどうかというのを見ながらやったのですが、出てきた結果は何かというと、英語力そのものの差というのはやはり余り見られないのです。あるのは何かというと、ここのところ、やはり先ほどと似ていて、英語は得意科目だ、あるいは英単語を発音するのが好きだというのは、これはマイナスが付いているのは、年齢、小さい頃から始めた場合の方が逆に高いという負の相関が出ているということなのです。大して大きな相関ではないのですが、一応相関がないわけではない。
 もう一つは、認知的に英語が得意だとか、外国人に英語で話しかけられても平気だとか、もっと英語を話す機会が欲しいというような、そういう態度と、それから、英検の級の取得、5級、4級、3級というふうに取っていって、それを比較すると、これは相関ですから、因果関係は全く分からないのですが、でも、少なくとも見ていると、例えば英検3級取っている子の方が5級の子よりもこういうような項目についてはより肯定的な答えを出しているというような結果はあります。
 もう一つは、やはり外国語環境ということはあるのかもしれませんが、中学1年、2年で計ったのですが、わずか1年差なので、余り大していえないかもしれませんが、学習年数はほとんど有意差はなかったということです。相関も出ませんでした。結論からすると、このcritical periodというのはありますが、本来これは母語習得に関するものであって、せいぜい広げられたとしても、生活の半分が第二言語であるような第二言語環境に当てはまる現象であって、日本のような外国語環境においてはほとんど当てはまらないと考えた方がいいというふうに思います。
 ただし、見えることが少しだけあるとすれば、例えば聞き取りだとか発音に関しては、中学以前に学んだ子の方が多少自信が持てるような、あるいは実際にlistening comprehensionのテストをやるといい点が取れるということは確かに幾つかの研究、実験で分かっています。あともう一つ、語彙習得に関しては全く関係ありません。もう何歳でも語彙は習得できます。ここにあるモチベーションというか、より勉強したいとか、外国人と会っても全然おどおどしないとか、そういうような情緒的な要素と開始年齢の間にはそれなりの相関は見られるということは分かっていますが、これも相関ですから、必ずしも因果関係とはいえない。こんなところです。
 余り日本のような外国語環境においての実験というのはない現実です。ほとんどが母語と第二言語の問題です。
 以上、私の方からはこういうお話なのですが、大津委員の方もやはり幼児言語をずっとおられますので、少し補足説明をしていただきたいと思います。よろしくお願いします。

【大津委員】  「少し」になるか、「たくさん」になるか分かりませんけれども、補足ですので、なるべく手短にやりたいと思います。
 縦長の資料を御覧いただきたいのですが、まず第1節で、臨界期というのは、「生物学的現象である」としています。つまり、臨界期というのが仮にあるとすると、それは脳に起因する現象だということです。それで、先ほどの吉田さんの話にも出てきましたように、言語獲得、母語の獲得において、臨界期というものが存在するんじゃないだろうかということを最初に広く知らしめたのがエリック・レネバーグ(Eric Lenneberg)です。1967年出版のBiological Foundations of Languageという本です。これは結構大きな本なのですけれども、実はレネバーグ自身はこの著作を出す前に論文を幾つか出していて、その中で母語獲得に臨界期があるということを示唆してはいたのですが、一般的には67年の著作で初めてその見解を明らかにしたということになっています。
 ただ、ここで気をつけなくてはいけないのは、仮に臨界期があるとしても、なぜその臨界期が生じるのかということについて、レネバーグははっきりとした答えを出していません。はっきりとした答えは出していないけれども、ある程度こんな可能性があると言っているのは、多分皆さん御存じだと思いますが、大脳というのは左と右の両方の半球に分かれていますが、言語機能というのは、大人になると通常の場合には左ないしは右に局在するようになります。右利きか左利きかで多少変わりますけれども、例えば右利きですと、9割以上の人が左の半球に言語機能が局在する。機能局在が落ち着くのが大体思春期の始まる頃なので、母語獲得の臨界期と言われている時期と一致するので、ひょっとしたらそれが原因なのかもしれないとレネバーグは考えました。ただ、決してそれは実証されたという話ではありません。
 それ以降、いろいろと面白い関連研究があるのですけれども、もし英語がお読みになれるのでしたら、資料で次に挙げてあるニューポート(Elissa Newport)の2005年の論文、これはサーベイ論文というか、それまでの主要な研究成果を整理したもので、短いものですけれども、信頼できるものですので、是非お読みください。英語はちょっとというかたは日本語でということになるかと思うのですけれども、日本語で読める、しかし信頼できる解説としては、榊原洋一先生の、これは講談社+α新書という、御存じの方だったら分かるように、比較的、かなり分かりやすく書いてある書物が多い新書ですけれども、その中に入っているものがあります。ひょっとしたら絶版になっているかもしれませんが、図書館に行けば御覧になれると思いますので、是非お読みください。
 2点目は、「母語(あるいは、第一言語)獲得」、「狭義の第二言語獲得」、「外国語学習」の区別ということで、これは吉田さんもお話の中ではっきりと区別しておられましたが、ちょっと図式化した方がいいかと思いますので、それを私のハンドアウトの1ページ目の後半に載せてあります。まず、「言語獲得」と言ったとき、「母語獲得」、あるいは、「第一言語獲得」があります。母語、あるいは、第一言語は赤ちゃんが身につけるのですけれども、しかし、場合によっては、母語よりも後に別の言語を身につけるということもあります。その言語は第一言語の後に来ますので、通常は「第二言語」と呼びます。2番目であっても3番目であっても、全部ひっくるめて「第二言語」というのが普通です。
 ただし、「広義の第二言語獲得」というのは二つに分かれ、それは「狭義の第二言語獲得」と「外国語学習」です。分かりにくいかもしれないので、それぞれのイメージを右に書いておきました。「第一言語(母語)獲得」というのは、例えば日本で生まれて日本で育った赤ちゃんが日本語を身につけるケースがそれに当たります。2番目の「狭義の第二言語獲得」というのは、日本に生まれた子供が何かの事情で3歳でアメリカに移り住むことになって、英語も身につける。これは先ほどの吉田さんの話にあったように、英語が生活言語として使われている環境の中から身につけるという場合です。
 外国語というのは、母語の後に身につけるのですから、第二言語には変わりないのですけれども、日本に生まれ日本で育った子供が学校で英語を学習するという場合がそれに当たります。吉田さんのお話にあったように、一旦教室の外に出てしまうと英語が生活言語として使われていない環境で学習が進みます。これを「外国語学習」と呼びます。この三つの形態というのはきちんと区別する必要があります。
 問題は、「広義の第二言語獲得」と「狭義の第二言語獲得」というのが、通常は研究者の間でも今お話ししたようにはっきりと明示されることが余りないまま、議論が進むことが多いので、混同されがちだという点です。しかし、ここのところはしっかりと区別する必要があります。
外国語学習については、擬似的に狭義の第二言語獲得環境を作り出して行うこともあります。イマージョン教育というのがそれに当たります。前回も話題になりましたが、例えば沼津市の加藤学園での実践がその例です。学校で国語などを除いて、それ以外の教科を全部英語で教え、そして、学校でも英語が飛び交っているという環境、つまり、擬似的に狭義の第二言語獲得環境を作るという試みです。
 それから、多田さんが前回御紹介してくださったように、アメリカでも――バージニア州ですか――日本語のイマージョン教育というのがあるそうで、これは今回私は初めて知ってとても勉強になりました。
 ハンドアウトのページをめくっていただいて、いま説明した三つの形態を区別すると、「アメリカでは赤ちゃんだって英語を話している。だから、早くから英語の学習を始めなければいけない」だなんていうのはとんでもない議論だということがすぐわかります。
困った議論の別の例を挙げましょう。親が駐在員としてアメリカに行くことになり、家族全体でアメリカへ行くと、まず学齢前の子供が英語を話すようになって、続いて小学生、中学生の順で話すようになる。高校生だとなかなか話せるようにはならず、大人が一番苦労する。お父さんでも、お母さんでも派遣された方は会社で英語を使うから多少はよいのですが、問題はふだんは家にいる親です。実態としては、お母さんであることが圧倒的に多いのですが、駐在期間が終わりに近づいてもまだ英語が物にならず、このままでは日本に帰って恥ずかしいからと英語学校に通うようになったりする。実際、こういう人たちのための学校があるところもある。だから英語は早くからやるべきだという、これは議論にはなりません。これは狭義の第二言語獲得の話ですから。
 その下に文献を幾つか挙げておきましたので、英語に関心がある方はどうぞ読んでください。先ほどの吉田さんの話で、外国語学習についても、発音と、それから聞き取りの力については早く始めればそれなりの効果があるらしいということがあったのですが、仮に発音についての事実がそうであったとしても、これは注意する必要があります。ことばというのは発音が独り歩きできない。どんなに発音が上手であっても、文法というものがなければ、それを生かすことができない。宝の持ち腐れになってしまう。なまじ発音がいいから、自分自身も英語ができると思ってしまう。周りの大人も、「まあ、この子は英語が上手ね!」と感心してしまって、結局そのまま終わりになってしまうとことだってある。
 さらに、もう一つ注意しなければいけないのは、発音については早く始めた方がよいということは、つまり、小さい子供は発音に敏感だということですから、この時期に妙な発音を耳にしてしまうと、それが身についてしまうおそれがある。念のために言っておきますけれども、私は、英語学習するときに、いわゆるネイティブの英語で話さなくてはいけないと言っているのではありません。しかし、重要なのは、耳にする発音が一貫した音韻体系にもとづくものでなくてはいけないという点です。しかも体系的なものでなくてはいけない。こういうことができる指導者というのは結構少ないので、このあたりのところを十分に配慮する必要があると思います。
 3番目に注意したい点は、脳科学と英語教育の関連です。前回、脳科学も進展してきたのだから、そういう科学的知見を取り入れてとおっしゃった方がいらっしゃいましたが、私はそうは思いません。ハンドアウトの最初の4行ぐらい読みましょうか。「いわゆる脳科学は近年、脳機能画像法の開発、進展と相まって、著しい進歩を遂げたが、言語の脳科学の研究成果で現実の言語教育、殊に外国語としての英語教育に関する政策や教授法に直接示唆を与える研究成果は今のところない」。そんなことはおまえが言っているだけで、信用できないと言われると困るので、日本を代表する、これは誰が見ても間違いないと思われる脳科学研究者に私の見解について意見を求めましたけれども、ハンドアウトに書きましたように、1人の例外もなく、私の意見に賛成ということです。
 ついでに、ちょうどいいことに、3月16日付の、今持ってきましたが、朝日新聞のGLOBEという別冊があって、この中で「脳のふしぎ」という特集がありました。その特集の中で利根川進さんが脳については随分いろいろなことが分かってきたけれども、分からないことがまだたくさんあるのだということを書いておられます。6割、7割は分からないと書いておられたかと思いますけれども、言語に関してはもっと分わかっていなくて、少なくとも私の感覚としては、言語と脳の関係について分かっているのはせいぜい5%ぐらいのもので、ほとんど分かっていない。
 だから、脳科学の研究を参照しながら現実の英語教育の政策を考えようとか、あるいはましてや、英語教授法を考えようだなんていうのは、絶対に踏み込んではいけない道だと考えます。
 以上、補足です。

【吉田座長】  どうもありがとうございました。
 私たち2人で今、いろいろお話しさせていただきましたが、皆様の中から御質問なり何かございましたらお受けしたいと思うのですけれども、いかがでしょうか。

【松川委員】  よろしいですか。

【吉田座長】  どうぞ。

【松川委員】  大変丁寧な御説明をしていただきまして、頭の整理ができたところでございますが、吉田委員と大津委員、お二人に質問させていただきたいのですが、今のお二人の御意見を伺っていますと、日本の外国語教育政策上、学習の開始時期の適期というものに関して、言語獲得研究あるいは脳科学でいつがよいのかについて直接示唆する知見はないというのが御結論だと思います。それであれば、現在小学校5、6年で外国語活動が行われているという現実があります。そして、この会議で議論する基になっている計画の中で小学校3年から活動型の学習をする、5年から教科型の活動をするということになっているわけですけれども、そのことについてどう思っていらっしゃるのかという御意見を聞きたいというのが1点です。
 それから、科学的なものでcritical period、決定的な開始時期がいつということが決まらないとすれば、その時期は何によって決まるのか、何が決めるべきだとお考えなのかということを、私としては伺いたいのですが、いかがでしょうか。

【大津委員】  どうぞ、座長から。

【吉田座長】  先ほど私の方で出させていただいたのは、どちらかというと、言語的なものよりも情緒的なものだったりモチベーション的なものであったりというのは小さい頃から始めた方が活性化されるというようなことが一つあると思います。
 大津委員が先ほど発音の話をされましたが、発音がいいとモチベーションになるということもあるのです。そういう意味で言うと、人から褒められて、いい発音しているねと言われるだけでもやる気が出るということもあるので、科学的に何だかんだというのはまず日本のようなこういう外国語環境ではあり得ないと思うし、それは必要ないと私は思います。
 逆に言うと、もしそういうモチベーション的なもので英語だとか外国語を学ぶ、それこそ今言われている素地的なものを築くのであれば、早いということは何の問題もないし、逆にそれがプラスに働く可能性は十分にあるというふうに考えます。
 先ほど外国語活動と教科という問題がありましたが、これはちょっとまた別の問題になるかもしれませんが、私が今の現状で問題として感じているのは、5、6年生で一応現段階では外国語活動というふうになっていますが、そこで実際に身に付けた――何を身に付けるかというのは学校によって全然違うし、やり方も全然違うのですけれども――ものが今現在中学校に入ったときに生かされているかってほとんど生かされていないというような印象を受けてしょうがないのです。
 やはり幾つもの小学校から卒業した子供たちが一つの学校へ入ってきますし、そうなったときに非常に先進的にやっている学校から来れば、そうでない学校からも来るわけで、中学校の先生って非常に大変だと思うのです。そういうときに、小学校でやってきたからって、何やってきたのか。みんなばらばらだし、どうにも収集つかないような、そういう気がします。だから、どうしても今現状を見ていると、小学校でやってきたことというのは比較的無視されがちになってしまっているという、そういう現状があるかという気がするのです。
 これが3年生からもし、いわゆる外国語活動として入ってきて、体験学習的に英語に触れる機会があり、同じ環境の中で同じほかの生徒と一緒に5年生から教科ということで基礎的な英語に関する知識であったり技能というものが身に付き、そして、学習指導要領で小学校6年生までにはここまでのことはきちんとある程度できるようにしましょうという目標ができれば、場合によって、中学校の先生にしても、中学校に入ってくる子供は大体こういうことはできるのだろうという一つの前提に立って授業も可能なのかというふうに思うのです。
 ですから、もしそれがうまくいけばですけれども、うまくいけば、それなりに今、小中連携で非常に問題がある部分が、理屈からすれば多少はこの辺の流れが、接続がうまくいく可能性があるのかというふうに思います。
 ですから、何歳から始めるということ、絶対こうでなければいけないというのはまず日本はないと思います。だけど、そういうモチベーション的なもの、情緒的なものを考えれば、早くから英語に接している、外国語に接しているということは決して悪いことではないというふうに私は一応思います。

【大津委員】  松川さんの二つの問いの最初の方からお答えしましょう。おまえたちは科学の観点から英語学習は早くから始めた方が有利であるという根拠はないと言った。そういう立場に立って、今行われている小学校の英語活動とか、あるいは導入されようとしている小学校での教科としての英語についてどう思うかというのが最初の質問だと思います。まず注意が必要で、私たちが科学的な根拠がないと言ったのは、「脳科学」なのです。ちなみに脳科学の専門家は「脳科学」という呼び名は余り好まない人が多く、「神経生理学」だとか、「神経心理学」だとか、「神経認知科学」だとかと、そういう呼び名を好むのですけれども、面倒くさいからここでは「脳科学」と呼ぶことにしましょう。そういう観点から外国語教育に対して直接の示唆はない。しかし、心の科学、認知科学とか言語学から示唆するところというのは結構たくさんあります。ですから、そうした科学的な成果というのを全く考慮しないでよいとか、あるいは、しない方がよいのだということを言ったつもりはありません。
 そうはいうものの、認知科学にしても、言語学にしても、いつから外国語学習を始めたらいいかという答えは出してくれません。では、そのときに何を頼りにすればよいのかというのが2番目の問いかと思うのですけれども、それはもちろん関連する科学の成果、認知科学や言語学の成果を横目でにらみながら、あとは実際に教室で子供たちと向かい合った体験をお積みの先生がたと、研究者、その中には言語教育、英語教育の専門家や認知科学者、脳学者などが入ると思うのですけれども、そうした人たちの知恵を寄せ集めて、いろいろな議論をしながら、答えを探り出していく。
 こういうレシピ(手順)に従って事を進めていくと、外国語学習をいつ、どうやって始めたらよいかということに関する最適解が必ず得られますというようなものは存在しないというのが私の考えです。松川さん、いいでしょうか。

【吉田座長】  ということですが、どうぞ。

【松川委員】  大変つまらないような質問をしたわけですけれども、やはり今問題になっている、前回も言わせていただきましたけれども、今度の計画の中での一つの大きなポイントというのは、やはり小学校の3年生で活動型ということよりも、5、6先生で教科型をやるというところだと思うのです。その理由を明らかにして示すことが必要だと考えます。計画でそうなっているからやるのだということなのだとは思いますが、一般世間の人、あるいは学校の先生方が、なぜ5年生から教科型での英語教育を行うのか、それは何によって決まったのかを理解したり納得したりできるようにすることが大切だと考えます。
 本日、「目標」のことを議論する時間が設けられているということですが、目標も大事ですけれども、目的が大事なのだと考えます。開始学年や教科型による英語教育の実施は、科学的な知見で決まってくるわけではなくて、政策上の問題なのだと思います。複雑なものがあると思うのですが、一つは社会的な背景で、今、小学校の子供たちが実際にかなり学校外でも塾に行くなど様々に機会を得て勉強をかなり行っているということであるとか、また、小学校に何らかの形で英語に触れるなどの活動が取り入れられて以降、20年とは言いませんが、研究開発学校の段階から総合的な学習の時間を経て20年近い年月が経過してきていますので、そのような歴史的な積み重ねというものの一つの段階として、今のステップに至っているのだと思うわけです。そのステップアップの理由を下の段階、つまり小学校段階に求めることもあろうかと思いますが、上の段階、つまり高等学校段階に求めることもあるのではないでしょうか。言い換えますと、高校を卒業する段階のレベルをかなり上げていこうと思ったときに、小学校段階における英語教育をかなり体系的に行うべきだという考え方もあるのだと思います。いずれにしても、国民の皆さんもそうですし、実際に指導に当たっている小学校の先生たちにも、今回導入が検討されている教科としての英語教育の位置付けといいますか、なぜ小学校段階でこれだけの分量のもの、体系的に学ぶ必要があるのかということについて、critical period説で説明するということはないということであれば、それなりの理由をはっきりさせるということが一番大事なことだと考えます。
 この施策がうまくいくかどうかということの根本は、その「理由」を迷いなく明らかにできるかどうかであり、その点にはっきりしないものがあるとうまくいかないと思いますので、つまらない質問をさせていただきました。
 もう一つは、教科にするというときに、先ほどの御説明の資料でも問題になっているのは、高学年において体系的な学習が必要とされているということですが、その体系的とはどういう意味で使われているのかということです。もちろん教科というのは他の教科でも体系的なものでしょうけれども、この場合、英語について、小学校での英語教育を体系的に実施するということの中身が余りはっきりしていないのではないかと思っています。例えば、今ほど吉田先生や大津先生がおっしゃった様々な科学の知見というものが、体系性の中にある程度反映されてこなければおかしいと私は思うのです。
 子供が英語を学ぶときにどういう体系で学ぶべきかということは、やはりもろもろの科学の中から出してもらう必要があると思いますので、そのようなことも含めて、質問させていただいたというのが本意でございます。

【吉田座長】  お答えするということではない。はい、分かりました。
 ほかにも何か御質問とかございますでしょうか。

【大津委員】  ちょっとだけお答えしたいのですが…。

【吉田座長】  大津さん、どうぞ。

【大津委員】  最後の体系的云々(うんぬん)というのは、私が使ったわけじゃないから、私が答えることじゃないと思うのだけれども、多分体系的といったときに大方の人が思っているのは、例えば文字の指導とか、あるいは文字と音(おと)、正確には音(おん)ですけれども、の関係の指導だなんてところじゃないかと思うのですね。こういう点については、ある程度全体を見据えた上で指導を行わなくてはならない。それから、さらに体系性ということであれば、大切なのは文法です。文法ということばは最近はどちらかというと御法度に近いので、それを避けて「体系的」と言った方が安全かというような思慮も働いているのではないかと私は思っています。

【吉田座長】  では、ついでにちょっと私の見解ですけれども、体系的というのは、この後も出てきますけれども、小中高一貫した一つの英語の学習あるいは指導の在り方を考えるという意味での考えるという体系というのがもう一つあって、それは今回非常に大事じゃないかと思うのです。だから、小学校を小学校だけで取り上げるとか、中学校を中学校だけで取り上げる、高校を高校だけで取り上げるのではなくて、日本の英語教育全体を見渡したときに、その中で小学校はどういう役割を果たして何をやるべきなのか、中学校は何をやるべきなのか、高校は何をやるべきなのか。
 先生おっしゃったように、まず高校を出るときにはこれぐらいのことができなければいけないというところからさかのぼって逆算していくということも可能でしょうし、それと同時に、多分上から、下から、それぞれ意見を出し合いながら、では、ここではこういうふうにやっていこうという接点を見つけていくのではないかと思うのです。それも広い意味で、大津委員がおっしゃったような意味の体系もあるでしょうが、私なんかはむしろ逆にそっちの形の体系というのを考えています。
 はい、どうぞ。

【髙木委員】  今、座長のお話で、内容の体系というか、系統性の問題が出ているのですけれども、ちょっと先走った話で、これから恐らく教育目標とかそっちの話に行くと思うのですが、一方、現行の学習指導要領でも、私の立場から言えば、教育方法学ですから、そちらから申し上げれば、授業内容の系統性は現行の学習指導要領でも、例えば国語であり、算数・数学であり、社会であり、理科でもできているのです。
 ところが現実は、小学校と中高との指導方法の違いによって、その系統性や体系性がうまく連続できていないような学習指導が行われている場合もあるわけで、今、系統性や体系性を考えていくときには、そういったことまで踏み込みませんと、特に小学校の先生方は8教科持って、さらにここで9教科目として英語という教科が入ってきたときに、指導法まで言われたときに、それはどういうふうにやっていくのかという、かなり難しさというか、ある意味では混乱が起きてくる。
 そのあたりまで考えてそういった体系とか系統という内容と具体を考えていくような方向性を是非この会の中で考えていただきたい。

【吉田座長】  そのとおりだと思います。そういう意味で、先ほど小委員会ということで、その指導体制について具体的に考えようというのはまさにそういうことを今後議論していくことではないかと思います。私も今、先生おっしゃったそのとおりだと思います。
 ほかの方。では、安河内委員。

【安河内委員】  これは意見なのですけれども、一般の人たち、一般の御父母の皆さんなのですけれども、多田委員の論外1にありますように、早くから始めるのだから、しゃべれるようになるのではないかと思われている方が結構多いのです。小学校で4年間もやったらペラペラになるのではないかと思われている方がいらっしゃるのです。つまり、狭義の第二言語環境でのimplicit learningとイマージョンをごっちゃにして。そのイマージョンと小学校の英語教育をごっちゃにされている御父母の皆さんが結構多いのです。
 だから、この点をしっかりと皆さんに知らせていかなければならないということが一つ私の意見です。
 一般的に考えて、私たち専門家からすると、4年間英語やったぐらいでできるようになるはずはないのですけれども、一般の人たちはそう考えていらっしゃらない。つまり、一種のイマージョン教育が小学校で行われるのではないかということで、かなり結果を期待していらっしゃる皆さんが多いということです。だから、この部分はちょっと留意した方がいいというふうに思いました。
 これが1点と、あとは脳科学の話なのですけれども、私も全く脳科学が示す結果というのは逆の方向を向いていることも、結構早期教育に関しては多いので、脳科学というよりはこれからは統計値に基づいてお話をした方が確実ではないかというふうに思いましたという意見です。非常に分かりやすい臨界期の説明ありがとうございました。

【吉田座長】  ありがとうございます。
 ほかの方はいかがですか。どうぞ。

【多田委員】  きょうは三木谷さんがいないので、大分、アカデミックというか、トーンが一緒なので、この辺でやはり民間出身としては一言申し上げて、ちょっと問題意識を提供したいというところです。
 やはり最初のそもそも論での英語教育は我が国にとって死活問題というところをもう少し民間企業の立場からお話ししたいと思います。その結論のところは、やはり小委員会のところで指導体制が非常に重要で、特に外部人材、地域人材の活用というところにつなげていければと思います。まず、20年間、多分教育の世界では余り変わらなかったかもしれないのですが、例えば日本と中国の関係で見ますと、20年前は中国の経済規模は日本の10分の1でした。今は日本の倍です。ですから、20倍の経済成長があった。これもグローバル化の現実です。そしてそこから良い面だけじゃなくて、悪い面もこれからいっぱい出てくる。それが海外にいても日本にいても起こってくるという環境の変化があります。それが一つ。
 あと、大津委員からバージニアでやっているイマージョン教育のお話がありましたけれども、私は25年間支援してきて感じるのは、バージニアで日本語イマージョンで算数、理科、保健を学んでいる人たちというのはやはりアメリカ人の子供なのです。ですから、日本語が話せるようになりまして、例えばこちらの文科省にも毎年表敬で来られるのですけれども、その生徒たち、小学校6年生が、例えば3年前ぐらいの中川副大臣のときに、副大臣に向かって日本語で陳情をするのです。しっかりとした意見を言います。これはなかなか堂々とした態度です。
 ですから、そういうことを考えますと、英語環境、外国語環境を話すときに、まず大前提として超えなくてはいけないパーセプションギャップがあります。特に民間の立場から考えますと、日本語で話せる内容は、頑張れば英語に直せるのです。ただ、ふだん思ってもいないことを英語で流暢(りゅうちょう)に話す、これは難しいです。ですから、やはり小学校、特に小さいときの学校では、ここに書いてありますように、思考力、判断力、表現力、が重要だと思いますし、それで、その子供たちの会話、例えばバージニアのイマージョンクラブの子供たちが話すときに、常に出てくるのは、どうして、why、何で、why not。それがどうした、so whatという、このなかなか議論がかみ合わないという状況に日本の子供たちも表現力とか、国語力も含めて慣れていく。これをした上でそれを英語に直していくという発想も、民間の立場から考えますと非常に重要かと思いましたので、一つの問題提起としてお話しさせていただきました。

【吉田座長】  ありがとうございます。まさに言語力というのも文科省の今、一つの大事な課題になっていますから、それはまさに国語の問題です、母語の問題ですので、今おっしゃったこと通じると思います。ありがとうございます。
 松本委員。

【松本委員】  二つの面があると思っていて、子供たちそのものについては、基本的に私は吉田座長と同じ考えで、たじろがない態度を育成するという面が一つ重要なのかというふうに思うのです。今、中高の英語教育が理解する、分かるから使うに変わろうとしているわけです。ですから、英語を使うという面においてたじろがない態度、発想というのを身に付けるのに小学校の早い段階から始めた方がいいのではないか。少なくともデメリットはないという立場。それで、子供たちに、あるいは小学校の先生方に負担を強いるということがいいことなのかどうかというのは十分に検討しなければいけないというふうに思う。
 あとは、今、多田委員がおっしゃったような状況、あるいは前回の三木谷委員がおっしゃったような、例えば2050年になったら日本の状況はどうなるのかということを考えたときに、その時期に40歳、50歳になる人たちが迎える状況というのは、我々が今想定している状況とは随分違っているということを考えてあげないといけない。そうなると、英語学習の年限を増やしてあげるというのはひょっとしたらいい施策なのではないかということは考えられるのではないか。
 ですから、子供たちについてはそういうふうに考えて、もう一つは、小学校の外国語活動を3年に下ろす、あるいは5、6年を教科化するということによって社会におけるインパクトが、例えば教育産業がいろいろな動きをされるでしょうし、大人の意識も変わるでしょうし、そういう意味で、日本全体として英語に対する考え方、あるいは指導の仕方、あるいは英語の量とか社会的なメディアでどれだけ外国語を使うようになるのかといったようなことに対してのインパクトを持つ。それができれば間接的に子供たちにもよい影響を与えるということを我々はもちろん検討しなければいけないことですけれども、そういうことが期待されるのではないかというふうに思います。

【吉田座長】  ありがとうございました。この議論だけでもずっと行きそうなのですが、もう少し本日進んでおかなければならない点がありますので、とりあえず1回ここでこの議論に関してはちょっと切らしていただいて、次に進みたいと思います。
 続いて、先ほどもちょっと出たのですけれども、小・中・高等学校を通じた英語教育の目標という、それについて文部科学省の方から少し御説明いただきたいと思います。

【田淵室長】  小・中・高等学校を通じた英語の教育目標については、能力記述文あるいはCAN-DOリストと呼んでいる、言語を用いて何々することができるという形で学習到達目標を設定することに関する取組について御紹介するという形をとらせていただいております。
 配付資料の16ページ、資料4-1を御覧ください。グローバル化に対応した英語教育改革実施計画では、英語を用いて何ができるようになるかという観点から、小・中・高を通じて一貫した学習到達目標を設定し、これに対応する形で4技能を評価するということを提起しています。
 これまでの取組としては、まず、平成23年に文部科学省に置かれた外国語能力の向上に関する検討会で取りまとめた国際共通語としての英語力向上のための五つの提言と具体的施策で二つのことを提言いただいております。一つ目が、国として学習到達目標をCAN-DOリストの形で設定することに向けて検討を行うというものです。二つ目が、中・高等学校は学習指導要領に基づき、生徒に求められる英語力を達成するための学習到達目標をCAN-DOリストの形で具体的に設定・公表するということです。
 このうち二つ目の方につきましては、平成25年に各中・高等学校の外国語教育における「CAN-DOリスト」の形での学習到達目標設定のための手引きを公表して、各学校の取組を促しているところです。今回(1)に関して文部科学省において能力記述文の形で設定した国の学習到達目標(試案)を作成しました。詳しくは資料4-2で御説明いたします。資料4-1の17ページ以降は学校におけるCAN-DOリストの形の学習到達目標の設定の取組が大分進展しているということをお示ししているものです。18ページは県単位で取り組んでいるところも多く見られるというもの。また、19ページには、御参考までにこの考え方に非常に大きな影響を与えている外国語の学習・教授・評価のためのヨーロッパの共通参照枠というものがありますけれども、こちらに関する情報をお載せしておりますので、適宜また御参照いただければと思います。
 21ページの資料4-2ですけれども、能力記述文の形で示した国の学習到達目標(試案)についてですが、この試案の考え方といたしまして、今回は現行の学習指導要領を前提としてその学習内容を何々することができるの形式で書き換えたものを試案として提示しております。これは大綱的な学習到達目標を示しています。資料4-1で御紹介した学校における取組というのはそれぞれの実情等に応じて具体的な学習到達目標を定めるというものになっております。
 国が能力記述文の形で学習到達目標を示すことで期待される効果ですけれども、まず各学校におきましては、学習指導要領に基づいて、目標・指導・評価を設定する際に、文法や語彙等の知識の習得にとどまらず、それらの知識を活用して4技能の総合的な能力の習得を重視するということが期待されます。特に子供たちの評価が面接・スピーチ・エッセイ等のパフォーマンス評価など、言語を用いて何ができるかという観点からなされることが期待されます。また、教員養成課程におきましても、子供たちの4技能を伸ばすための指導や評価の方法などの教授が充実されることが期待されます。
 今後の展開ですけれども、英語教育改革実施計画では、小学校の英語教育の教科化、小・中・高で一貫した学習到達目標の設定というのを提起しております。この試案を検討素材としながら、その実現に向けて検討を進めてまいりたいと考えております。また、教科書につきましてもこうした観点を踏まえて、子供たちの言語活動とコミュニケーションを重視した形で編集されたものとなるよう、どのような工夫が可能か検討していきたいと考えております。
 22ページ以降が実際の試案でございます。22ページが中学校卒業時の学習到達目標の試案となっております。23ページですが、高等学校につきましては、必履修科目であるコミュニケーション英語1を中心としたものと、より発展的な内容を取り扱う科目の履修を想定したもの、それが24ページになりますけれども、この二つを作成しております。これは高等学校によって開設科目が違ったり、あるいは生徒によって履修科目が異なるといった状況を鑑みたものでございます。
 以上、簡単ではございますが、私からの説明とさせていただきます。

【吉田座長】  どうもありがとうございました。最後に出ている中学校及び高等学校は全部学習指導要領をベースにして、その文言をCAN-DOに変えただけです。学習指導要領と解説も多少入っているのか。解説を併せて作ったもので、余計なものは入っていない。今あるものをとにかくCAN-DOの形で書き直したということだとお考えください。
 それでは、今の説明に対して、皆さんの方から御質問だとか御意見ございましたらどうぞ自由に発言していただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
 では、大津委員、どうぞ。

【大津委員】  ミスターCAN-DO Statementsといっていいような吉田さんがいるので、是非聞きたいのですけれども、私はCAN-DOというのが何かはやりのようになってから、正直なところ、とてもうさん臭いものを感じていたのです。しかし、こういう公式の席なので、感じだけで言ってはいけないと思って、一応CEFRも全部読みました、ちょっと厚かったですけれども。それから、これはアクトフル(ACTFL)っていうのですか、CAN-DO statementsという報告書があって、そこにいろいろなことが詳しく書いてあります。それを読んで私が感じたうさん臭さの原因というのが何となく分かったのは、CAN-DO statementsというのはCEFRでもACTFLでも、実際にACTFLでは副題になっていますけれども、progress indicatorsなのです。「到達指標」です。
 だけど、CAN-DO statementsを巡る議論の中では、「到達指標」というものがいつの間にか「到達目標」になってしまっている。これは大した違いじゃないように思うかもしれないけれども、これは大きな違いですね。目標として考えたときに、CAN-DOというわけですから、DOですよね。表に出なきゃ駄目で、何かできる。頭の中に変化が起きても、外に出てこなかったら、それはCAN-DOにはならないわけです。だから、CAN-DOを目標にしてしまったら、それは危険です。
 逆に、中身はないのだけれども、それこそペラペラと決まり文句ばかり覚える。解答方略を身につける。それでTOEICも受ければ高得点を上げられるのだけれども、実際は英語の力がない。最近私は「ハリボテ英語力」と呼んでいるのですけれども、ハリボテみたいに外見はいいのだけれども、中身がない。到達目標としてCAN-DO statementsというのを位置づけたらば、ハリボテ英語力のようなものも評価してしまう。そういう危険性があるのではないか。
 私が最初に言ったうさん臭さというのは、多分それに起因するのではないだろうかと思っているのですけれども、吉田さんはこの辺りを意図的に変えたのか、あるいは、単にそうなってしまったのか。そのあたりのところをちょっと率直にお聞かせいただけると有り難いですね。

【吉田座長】  別に僕が到達目標という言葉を使ったわけではなくて、最終的に結論としてそうなって、しかもこれは、基本的に今大津さんがおっしゃったそのプロセスの問題であって、個人個人が自分でこれができるようになった、自分個人の問題と、それからもう一つ、教員の側でここまでみんなで頑張ってやろうねという、そういう目標という、そういう設定の仕方なのです。もちろん単なる表面的にCAN-DOのそういうことを言っているだけではなくて、ディベートができるとかディスカッションができる、物事を論理的に把握して発表できるということ自体、内容がなければできっこないわけですから、それは、しかし内容というのは、逆に言えば個人個人によって違うだろうし、あるいはその授業の内容によって違ってくるだろうし、ただ、それを使って議論ができました、この話題について自分なりに意見がはっきり表明できましたというようなところまでできる限り生徒たちを持っていきたいという発想なのです。
 ですから、到達目標ということがいいか悪いかって今の議論の中にありますけれども、個人としてこういう目標、ここまで自分ができるのだ、Yes, I can.というふうに答えられるような、そういう具体的な、ある意味では目に見える一つの到達点というのですか、自分なりの到達点というものを設けてあげた方が学習にとっては効果があるのではないかという。そういう発想だと私は理解しております。

【大津委員】  教育についてはいろいろな考え方があると思うけれども、少なくとも学校教育の中では、見えないけれども、外からは見えないのだけれども、子供の心の中で、脳の中で起きている変化というものを教室の中で先生が鋭く把握して、それを支援していくというところがすごく重要だと考えます。「できる」というのは行動で、そこだけ見ていたのでは駄目だというのは、もう行動主義が破綻した何十年も前から明らかなことで、これは行動主義に戻る悪(あ)しき後退ではないかと思うのですけれども。
 すみません、私、科学者なものですから、極端な言い方をすると論点がはっきりするので、こういう言い方をします。おまえの言い方はよくないとおっしゃる方がいらっしゃったら、すみません、そこは御理解ください。
さて、どうでしょう、吉田さん。

【吉田座長】  何か2人の議論になってしまうとちょっと問題かと思うのだけれども。
 榎本さん、まず何か。

【榎本課長】  ありがとうございます。議事進行に関しまして、せん越ながら。
 きょうはできるだけ多くの先生方のお話を伺うようにしていただいてはどうかと思っております。

【吉田座長】  私もそう思います。またやりましょう。
 では、どうぞ、石鍋さん。

【石鍋委員】  大変アカデミックな話だったのですが、私、学校の校長ですので、ちょっと現場の話から今のCAN-DOについて感じていることをお話しさせてください。
 まず、子供たちがCAN-DOによって何々することができるという学習の目標が明確になるというのは当然のことだと思うのですが、私、校長ですので、やはり英語の教員をどう育てていくかというのも非常に今大きな問題になっています。きょう配られた通し番号のページの3ページの(3)番の課題のところ、右側の中学・高校の欄の1行目に、文法解説や訳読が中心の指導や、相手の意向を理解して自分の考えを分かりやすく伝えるといった活動が不十分な面が一部に見られる。一部に見られるというのは事実だと思っています。私、勤めているところは足立区というところで、37校中学がありまして、約100人の英語の教員がいますが、ざっと見た、感覚の問題ですが、3割の教員はかなり多くの英語を使って子供たちにも英語を使わせる授業をやります。3割の教員はまさにここに書いてある一部の教員に当てはまるだろうと思われます。
 そのような教員が例えば私の子供を教える。そうすると、保護者はどう感じるかといいますと、当然このままでこれからのグローバルな社会で生きていけるのですかというような疑問と、いわゆるクレームが付いてくるわけです。
 実際に次のような授業パターンも今、私の区では見られます。授業の目標は、コミュニケーションを目標にしているのです。ですが、単元の最後の評価のところに行くと、コミュニケーションで評価をしないで、いわゆる文法的な、知識を求めるようなテストによる評価のみで終わってしまって、単元でやってきたことが全く評価されない。
 ですが、これはCAN-DOを使っていただくと、何々することができるという形になってきますから、単元の終わりの段階でやはりコミュニカティブな部分の評価がしやすくなるだろうと私は思っています。ですから、校長という立場、また、英語を担当する校長の立場からは、教師を育てる上で非常に有効であろうと私は感じておりまして、ここは是非この場でもう少し意見を詰めていただいて、さらに具体化して新しい学習指導要領へ持っていっていただければ、目標も明確に、学習指導要領の目標も新しいものにしていけるのではないかと思っています。
 現場からの意見でした。

【吉田座長】  ありがとうございます。
 では、髙木さん。

【髙木委員】  先ほどの大津委員と今の石鍋委員の話とちょうど重なるところなので発言いたします。今、現行は、私は評価論を専門にやっているところなのですが、文部科学省で現行の評価は目標準拠評価なのです。観点は4観点やっていますが、そこでは文部科学省のホームページにも到達という言葉は1か所ぐらいしかまだ使われていないというふうに思っています。では、何て言っているかというと、Bに実現するという言い方なのです。ですから、Aは青天井、Cの子はCの子に対しての具体的な手立てで全員をBにしていくということを現行ではやっていまして、この到達目標という形になってしまいますと、他教科との関係で、全て到達ということが多く出てくるのではないか。
 現行の目標準拠評価のBに実現するで私は構わないし、実現という言葉が使っていけるのではないか。特に英語科の場合には具体的な技能の習得ということがかなり大きなところになりますから、習得と到達というのがどうしても結び付いてしまって、目標準拠した評価から離れていく。だから、先ほど大津委員が言われたような行動目標という話になっちゃうわけで、スキナーの理論に戻したら、日本の評価論は退行する、昔に戻ると思います。
 ですから、今、ここまで進んできた目標準拠評価を何とか生かす形の評価の在り方。それはCAN-DOでも私はできると思っています。

【吉田座長】  ありがとうございました。今おっしゃっていただいた面は当然あるわけで、評価の中にこれをどうやって入れていくかというのは大きな議論かと思います。
 ほかの方いかがでしょうか。では、藤村さん。

【藤村委員】  文科省の方から成果と課題への対応という言葉が出ていまして、それに併せて教育目標と例も挙がっているのですけれども、まず課題の部分で、体系的に学習を組んでいないがために学習内容に飽き足らない児童が見られるという、このことがもう一つ理解できないのです。小学校の、私も現場の校長ですので、小学校の子供たちの様子から見ますと、飽き足らないというのは、多分もっとこういうことが言いたいとか知りたいとか書きたいとかということも含めてだと思うのですけれども、2年間 5、6年生と学習をしてきて、最後の出口の部分がちょうど、自分の将来の夢というところがあるのです。それで、自分がなぜその将来の夢をこのようにしたのかというのをやりとりする形で説明するわけですけれども、知っている言葉の数、語彙、それから、表現方法を少ししか知らないので、それ以上言うということをできないのです。ですから、日本語でその後はそれを説明する、補足するという形で現実には進めています。
 仮にそれが中学年から進められるということになると、言葉の数であるとか、あるいは表現の仕方、方法も増えるわけですから、子供たちはそのことを使って説明が可能ではないかというふうに思っているのです。ですから、体系的に学習を積んでいないがためにというのは、多分書くとか読むということを意味されているのかというふうに思うのですけれども、聞く、話すということについて言えば、やはり表現方法であるとか、語彙数であるとか、そういうものに関わっているのではないかというふうには思います。
 ですから、小学校の子供たちにとってこの教科型というのはどういうイメージなのか、中学校の教科型というのをどうしてもイメージしてしまうのですけれども、子供たちにとってはやはり体験的にいろいろなことを理解し、そして音声を中心になれ親しんで、その上で、十分なれ親しんだ上で書くあるいは読むということがやはり必要ではないか。そこをぽんと切り離して進めてしまうと、苦手な子供とか、非常に抵抗感。せっかく楽しいと思ってやっている英語が、もうわからへん、いややわというようなことになりかねないのではないかということを思います。
 ですから、小学校では基本的にはやはり活動型とは言いませんが、そういうものを使いながら読む、書くということを増やしていくというような、そしてそれを中学校につなげていくということが大事ではないかというふうに思っています。
 以上です。

【吉田座長】  ありがとうございます。私も先ほどちょっと松川先生の質問の答えでお話しさせていただいた、まさに同じ方向を目指しているのではないかというふうに思います。
 ほかの。では、安河内委員。

【安河内委員】  一般的な事例でよく私が見かける事例なのですけれども、小学校の英語教育が始まるということで、御父母の皆さんとか、世間の期待が非常に高くなる。そうすると、子供たちに評価を求めるようになるのです。その評価に対するプレッシャーが大きくなり過ぎると、吉田委員の発言の中にあったモチベーションを上げるというのが全く逆のことになってしまうのです。私がよく見る事例としては、お父さん、お母さんが小学校のときにものすごく英語でプレッシャーをかけて勉強をさせて、例えば英語検定などの評価を求めた。その結果、モチベーションが著しく下がって、中学に接続されたときに英語が嫌いになったという、そういう事例もありますので、どの時点で英語ができるようになるのか。例えば18歳の時点である程度使える英語が身に付かなければならないのか、小学校卒業時点では、どのくらいまでできるようにならなければならないのかという、その評価が行き過ぎないように、ここのメンバーは皆分かっていると思うのですけれども、世の中の期待が行き過ぎないように注視するということは評価において非常に重要だと私は思っています。

【吉田座長】  まさに大事な点だと思います。今回も私なんか心配しているのは、小学校で教科になったときに、私立の中学校が入試に入れたらどうなるのかとすごく心配な点です。

【安河内委員】  そうですね。私も非常に心配しているのは、例えば中学入試に英語科目が入ってくる。それがまた1技能の試験である。そうすると、その1技能に特化したテスト勉強がまた小学校まで下りていく。大概中学受験というのは大学受験をお手本に作って下りてきます。だから、結局またこの大学受験で偏ってしまっているのが小学校まで下りてくる可能性があるのではないか。また、受験的な学習が始まると、また民間の皆さんもそれに対するソリューションを提供して拍車がかかるという、そういう私たちが意図しているのと全く別の方向に進んでしまう危険性があるのだということを注視した方がよいかと思います。

【吉田座長】  ありがとうございます。
 ほかの方。では、佐々木委員、どうぞ。

【佐々木委員】  高校の方の現場からやはり教育目標の設定ということについて状況を私の知る限りでお話しさせていただきたいと思いますけれども、資料の17ページにあったように、CAN-DOリストの形での到達目標の設定について、中学校17%、高校34%というふうにありますけれども、これはほぼ近い現実というか、私たちの感じている数字と近いのかという感じはいたしますが、ただ、実態として平成23年のその五つの提言の中でCAN-DOというお話が出てきて、それから何かはやりのようにCAN-DOの研修会とかいろいろ出てきたと思うのです。
 その中で、やはりCAN-DOリストの理解とか、先ほど出てきましたような到達目標とあれの目標との違いということがごっちゃになったまま今まで来ている危険性があるかというふうな気がしています。ですので、県によってやはりきちんと研修をされているところとか、共通理解を持って進んでいるところというところではちょっと差があるような気がしますので、今後もしやっていくのであれば、そういったところをきちんと押さえた上でこういう形で作っていくというところを押さえるべきかという感じはします。
 それで、東京のことしか知らない、東京のあれですけれども、東京では高等学校ですけれども、CAN-DOリストという言い方ではなくて、いわゆる学習到達目標の学力スタンダードという形で一昨年から事業が始まっていて、各学校で、これは5教科ですけれども、5教科でそれぞれこの科目でどういう力を育成するか。それが能力記述になって、何々ができるという形になって出来上がっていますけれども、それを英語でも今年はコミュニケーション英語1で試行校でこの2年間やってきまして、この4月からは全校でそのスタンダードを作らなければいけないということでスタートしております。
 そのスタンダードの見本となるものが東京都の方から示されて、英語のコミュニケーション1の、学校によってかなり状況が違うので、基礎部分と応用、発展という3段階に分けて何々ができるという書き方がされているわけですけれども、今後これから各学校で、自分の学校に合った形に作り変えていくという作業があります。
 ですので、そういう形では進んでいますけれども、そこの中で、やはりメリットとすると、私たちが予想されることでは、それを考えることによってやはり教員の方の教科に対する意識とか目標の共通理解が図られているということが一つあると思います。あと、これも前回のときにお話ししましたけれども、やはり教科で組織的に動くということが苦手な高校又は学校にとっては教科で統一した動きにしていくというところでの作成部分でのメリットというのもあるのか。あと、生徒にとってそういった指標がはっきりするとかといったことはこれまでに出てきた議論の中でも同じことだと思います。
 あと評価等につなげるとか、授業改善につなげていくということは今後の使い方の課題になるかと思いますけれども、現状とすれば、そういうことに取り組んでいきつつある状況だというふうに感じております。
 ただ、それを作るのに都立高校とすると、この2月頃にそういうフォーマットが出されて、もう4月には作るという形になっていますが、本来的ならば私が先ほど申し上げた教科での議論とか学校での議論というものをもう少し深めていって、どういう生徒を育ててどういう力を付けさせるかということを考える時間をやはりもう少しとっていかないと、いいスタンダードにはなっていかないかという気がしています。

【吉田座長】  ありがとうございます。先ほどからの議論を本当に受け継いで今お話ししていただいたと思います。本当に理解してもらうということは非常に難しい点なので、これに関しては今文科省の方でも、このCAN-DOに関してはこれからまだ随時実際に深めていって、より分かりやすいものに変えていこうという、そういう努力を今しているというふうに思っています。
 ほかの方。いいですよ。では、松本委員。

【松本委員】  CAN-DOに関しては、到達目標という呼び名がいいのか悪いのかというのは重要な問題だとは思います。生徒の視点から見ると、大学でいっている「学習成果」(Learning Outcomes)だと思うのです。この学校で3年間英語を学ぶとどういうことができるようになるのかという「成果」です。だから、英語コミュニケーションIを履修したら、どういう力が身に付くのか、あるいはできるようになるのかということについて、生徒に分かるように書いてあげて、この情報を生徒、親にも知らしめることがすごく大事なことです。先生だけが知っていて、これに基づいて授業を作っていくだけでは不十分です。ですから、使い方にも課題があると思います。
 それからもう一つは、今、佐々木委員がおっしゃった点と関係しているのですが、今まで高校の英語教育などを見ていると、同じ学年を担当してもそれぞれの先生の教え方がばらばらで、活動もばらばら、ということがよくありました。中学の場合には、大体主となる先生が各学年に1人しかいないので、1年生と2年生がやっていることが全然違うというようなことがよくあったわけで、今回CAN-DOを書くというプロジェクトが各学校で行われたことによって、それぞれの学校で英語教育はどういう方向を目指すのかという議論がなされてすばらしかったと思うのです。
 東京都の場合は、都から下りてきた時期が遅過ぎのだと思います。、ですから、佐々木委員の話は、ほかの県の場合には当てはまらないと思います。ほかの県はCAN-DOを作成するということについて、かなり前から取り組まれていたということで、東京都はちょっと残念だったと思いますが、これからキャッチアップしていただけると思います。
 大事なことは、うちの学校の英語の授業では何をするのか、どういう体験ができるのかということが、このCAN-DOで生徒にも分かるように規定されるということです。例えば本日の配布資料にいろいろなことが書いてあります。23ページ、24ページあたりに、例えばスピーチ、プレゼンテーション、ディスカッションなどで発表を聞き、質問したり、意見を述べたりすることができると書いてあるわけですが、ということはこういう活動をしますということを宣言しているわけです。A先生ではやって、B先生ではやらないということがあり得ないということになるので、そういう意味で、各学校の教育の質保証をするということにつながると思います。
 また、ある先生はいろいろなことをしているけれども、ほかの先生はしていない、できないという御意見がありましたが、そういうできない先生あるいはやらない先生に対する研修をどうしようかということも、こういうベースがあればどういう研修が必要なのか、あるいはどういう頻度でやるべきなのかということが明らかになるという意味で、かなり重要な施策だと思います。次の学習指導要領で、どこのパートになるのか分かりませんけれども、言語というほかの教科とは多少違う要素を持っている科目として、CAN-DOがうまく活用されるといいのにと思っています。

【吉田座長】  ありがとうございました。本当にこれは生徒だけの問題ではないし、本当にこういう目標に向かっているという親に対する、そういう指針にもなる。全体がそれに向かって、教員も個人差を超えて、一つの目標としてやっていくという意味での指標として非常に期待できるところが十分あると私も思います。
 ほかの方は。では、松川委員、どうぞ。

【松川委員】  岐阜県における状況と課題というので少しお話しさせていただきたいと思います。高等学校におきましては、全ての公立の高等学校でCAN-DOリストの形での学習到達目標というのを設定しております。中学校においては、県の教育委員会が各学年の例を作成しまして、併せて目標を具体化するための方途も明示することで各学校での目標設定を促進するという取組を行っております。
 指導主事の先生方にそういう状況を聞く中で、現在のメリットとデメリットというのを尋ねたところ、メリットとしては、やはり長いスパンをかけた系統的な指導が実現できるということです。出口がはっきりするということで、年間カリキュラムの改善を図ることにつながり、系統的な指導に資するということです。
 もう一つ大きなメリットは、何をできるようにさせるかというのが示された目標を評価するためには、パフォーマンステストの実施が必要不可欠であり、いわゆるペーパーテストだけではなく、評価方法の工夫改善が促進されているということです。
 また、教員と生徒の間で目標が共有化されていることにより、明確な目標を生徒もイメージしやすいし、そういう意味で学習意欲が喚起されうるというメリットが挙げられております。
 一方、デメリットとしては、目標設定自体がかなり目的化される可能性もあるということです。目標を設定しなさいという言葉が一人歩きし過ぎると、本来の目的である指導に生かすということがやや見失われ、単なる言葉遊びで、何何ができるという文末の目標をとにかく作ればいいというような状況になってしまう恐れもあるということ。そして、先ほどお話がありましたけれども、何かをできるようにさせるということに意識が向き過ぎると、発達の段階にもよりますけれども、いろいろな段階でスキル偏重指導が行われるおそれがあるというようなデメリットが言われていました。
 それから、本日お示しになった国での能力記述文の形で示された目標例というのを拝見しますと、現行の指導要領の文末のところを「~できる」に置き換えただけというようなことで、余り今までと変わった感じはせず、同じCAN-DOリストといっても、内容の具体化のレベルがいろいろ違って、それが国、県、学校という、そのどのレベルでどうするのか。国あるいは県がモデルを示すことの功罪というのが当然考えられるということと、それから、中学校、高校の目標が出されていますけれども、仮に小学校ではどういう形のものを出すつもりなのかというのは、やはり大きな課題ではなかろうかと思っております。
 以上です。

【吉田座長】  ありがとうございました。確かに小学校をこれから教科化していくと、当然このCAN-DOというのはそこにも関わってくるわけですから、これがどうなってくるのかというのは大きな問題ですね。
 ほかの方はいかがですか。御意見ございますか。はい、どうぞ、髙木委員。

【髙木委員】  今のお話伺っていて、実は言語活動の充実というのを今全ての教科で行おうとしているわけです。言語活動というのは何かというと、飽くまでこれは活動なのです。私は国語の高校の指導要領をちょっと今までは関係してきた立場で言うと、国語で言えば、言語活動を通して言語能力の育成を図るということをやっている。
 今、お話を伺っていると、どうもCAN-DOというのは言語活動だろう。そうすると、言語活動だとすると、能力はほかに規定しておいて、CAN-DOの方は言語活動の内容として示していくということをやると、活動と能力が見えてくるのではないかと今お話伺いながら思いました。

【吉田座長】  ありがとうございました。CAN-DOの場合も投野先生だとかいろいろ方がやっておられますように、必ずリソースが必要である。それは言語能力に相当する語彙であったり文法であったりというそういう表現。それがなければ、当然ながら単なるCAN-DOだけでものを動かすことはできません。今、先生おっしゃったとおりだと思います。
 はい。

【石鍋委員】  先ほどCAN-DOの意味というのは私なりの解釈を申し上げましたけれども、今、私の区ではCAN-DOリストを作っている状況なのです。若い教員が多いので、若い教員も委員にして、実際に教科書を分析させて作成中ということなのですが、そこで教員や指導主事の先生から課題として挙がったことが非常に現場的なものが出たので、ちょっと御紹介申し上げます。
 一つは、教科書を分析していくのだけれども、その使っている教科書の構成上、CAN-DOに直接結びつかない。どうやってまとめていっていいか難しい。特に若い教員にとっては、どうやってこれをCAN-DOで何々できるにするのだろうという、そのレベルでつまずいてかなり時間を要しているという実情があります。ですから、今後各学校で当然作るのですけれども、また学習指導要領が変わったり、教科書が変われば、それに合わせていくのですが、その現場の教員がどこまでそこの悩みを解決できるのか、そのあたりは教科書の作成とも関わってくるのだろうと思います。その辺が一つ、実際に声として聞こえています。
 あと、教科書によっては、並べてみるとCAN-DOに結びつけやすい教科書とそうではないのが明確だという声もある教員からは聞いています。そのあたりもありますので、参考程度にしかならないかもしれませんが、情報です。

【吉田座長】  ありがとうございます。残念ながら今の教科書がCAN-DOに基づいているかというと、そうではないわけですから、当然そういう違いが出てきて当たり前かと思いますが。本来、しかし、教科書を通して何かが英語でできるようになるのが理想だと思うので、その辺ができない教科書があるとすればやはり問題なのです。
 ほかにどなたかございますか。では、安河内委員。

【安河内委員】  CAN-DOリストと教科書の対応というお話があったのですけれども、実際に子供たちはほとんど高校受験というのも受けるわけです。高校受験の問題とCAN-DOリストの対応。これから追って外部試験導入の話になっていきますが、IELTS、TOEFL、様々な外部試験とこちらのCAN-DOリストが対応しているのかどうかという、こちらの精査も皆さんと一緒にやっていかなければならないと思います。

【吉田座長】  そのとおりだと思います。
 そろそろ予定された時間になってきました。本日の議論については、簡単に総括したいと思います。この有識者会議における検討事項については、冒頭文部科学省の方から整理したものがございましたが、これからそれに沿って議論していきたいというふうに思っています。それでよろしいでしょうか。それで、きょうはそのうちの一部分ですけれども、かなり熱心に皆さんいろいろな意見を言っていただけたと思います。
 また、臨界期に関する議論は、今後小学校における教育の目標、内容を検討する上で何らかの参考になっていければいいかというふうに思います。どこまでできるか。そのまま臨界期云々(うんぬん)という問題ではないでしょうが、そこと関連するものが何らかの形で役に立てばというふうに思います。
 あと最後に、小・中・高を通じた教育目標ということで、きょうは特に英語を使って何ができるか、いわゆるCAN-DOです。それを細かくまた皆さんと詳しくいろいろ議論させていただきましたが、こういう観点から、文部科学省にさらに精査をお願いして、これからの新たな英語教育を実現するに当たっての基盤にしていきたいというふうに思います。
 それでは、最後に今後のスケジュールについて事務局の方から説明をお願いしたいと思います。

【田淵室長】  資料の25ページを御覧ください。次回第3回は4月23日水曜日の午後1時から3時を予定しております。場所は文部科学省3F1特別会議室。議題は小学校における教育目標・内容についてとさせていただきたいと思います。

【吉田座長】  ありがとうございました。
 では、本日はこれで閉会としたいと思います。皆様、本当にお忙しい中、お集まりいただきまして本当にありがとうございました。これからもまたひとつよろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。

お問合せ先

初等中等教育局国際教育課外国語教育推進室

(初等中等教育局国際教育課外国語教育推進室)