育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会(第11回) 議事要旨

1.日時

平成26年1月27日(月曜日)10時00分~12時00分

2.場所

文部科学省 3階 3F2特別会議室

3.議題

  1. これまでの議論を踏まえた論点整理(素案)について
  2. その他

4.出席者

委員

安彦座長,無藤副座長,天笠委員,市川委員,奈須委員,西岡委員,松下委員,吉冨委員

文部科学省

塩見教育課程課長,大金教育課程企画室長,橋田教育課程企画室専門官,今村国立教育政策研究所総括研究官

5.議事要旨

(1)これまでの議論を踏まえた論点整理(素案)について,事務局より説明があり,その後,意見交換が行われた。

【委員】 資料1の構造について,小見出しの後ろに並んでいる白丸は,本検討会でほぼ合意された内容,枠に囲まれた意見は,それ以外の主な意見を羅列的に示したものと理解してよいか。

【文部科学省】 資料1は,今後の教育課程の改善の検討を行う際の基礎的な資料等として活用されることを狙いとしてまとめたもの。おおむね共通理解を得られていると考えた論点について,冒頭に白丸で記載している。そのほか,様々な観点から頂戴した御意見についても,検討の際の基礎的な資料として,主な意見という形で点線の中にまとめている。

【委員】 枠の外の白丸についてはおおむね合意が得られている内容であることを,見出しや最初に説明を加えるなどして工夫して示すことが必要。主な意見についても,個別的な意見や対立する意見も含め,実際に挙げられた意見を載せている旨を示すべき。原案はかなり長く,順序もランダムになっているため,ある程度カテゴリー分けをして示した方がよい。

【文部科学省】 まとめ方については検討させていただきたい。

【委員】 最初の丸のところでは,今後検討すべき方向性が示されているが,それだけでは余りにも一般的・抽象的であるため,懇談会で行われた議論の内容について,主な意見という形で後ろに付けているという趣旨として整理したい。主な意見は,丸以外の意見という意味ではなく,最初の丸を支えたり,関係したりする意見としてここに挙げることで,具体的な議論の内容を知らせたい。表記については,小見出しを付けた方が分かりやすいため,工夫が必要。

【文部科学省】 最初の地の文に丸で書いてあるところは,問題提起にとどまっているところが多いため,この場で御議論いただく中で,もう少し内容を充実させたい。主な意見についても,時間的な制約などもあり,羅列にとどまっている部分が多い。今後の検討会において御議論いただき,検討会の方針として共通理解できた部分を枠の外に移動していけるよう,整理を進めていただけると幸いである。

【委員】 資料1の3,4,5の辺りがごちゃごちゃしている。例えば,目標と内容の構造と示し方はつながっているし,成果の測定の方法と評価も重なっている。一方,教育課程の完成イメージと編成するプロセスに関しては分けて考えるべきであり,教員の力量向上の支援や先進事例の分析成果の活用などは編成するプロセスに付随している。よって,大見出しを再構造化し,1.育成すべき資質・能力と教育目標・内容の構造,2.教育評価の理論と実践に関すること,3.目標・内容,評価方法との対応関係,教育課程の完成イメージに関すること,4.教育課程編成のプロセスに関すること,5.指導方法の扱い,の五つの柱で整理した方が分かりやすいのではないか。

【委員】 資料1の目次立ては,第1回検討会で出された「主な検討の視点等について(案)」の項目立てをそのまま使っているが,報告書の項目立てはこれと同じである必要はない。中身がちゃんと入っていればよく,もう少し分かりやすくすることが必要。

【委員】 御提案の再構造化の案でよいのではないか。原案では,4番目の項目名に学習評価,その中の(2)に教育評価が入っているが,どちらかと言えば教育評価の方が広い概念。このうち,特に学習に関わる評価を学習評価と呼び,それを含めた教育活動についての評価ということで教育評価という言葉が使われている。学習評価と教育評価の関係を再整理することが必要だと思う。

【委員】 「目標・内容と一体となった在り方」という部分は,学習評価というカテゴリーの方がつなげやすい。一方,(2)は,最近の教育評価の理論の方を見ているため,学習評価に限らず少し視野を広げて,最近の教育評価の全体の理論を整理する中で,学習評価についても書くという形になっている。

【委員】 教育評価という概念は,教育課程編成のプロセスの中に組み込まれる教育全体の評価を指しているが,資料1に記載されている教育評価の理論と実践の中身は,大半が学習評価に関する内容になっている。カリキュラム評価や授業改善を図るための評価の方法も含めた教育評価に関しては,教育課程編成のプロセスの部分に入ってくるが,教育目標・内容に対応した学習の評価であるパフォーマンス評価とポートフォリオについては,むしろ学習評価と呼ぶ方がよい。

【委員】 今の資料1の方がいい。簡単な理由として,文部科学省の資料であるため,文部科学省の立場としては,学習指導要領の指導要録に対応することが学習評価ということになる。その点を明示しながら,より広い立場につなぐという筋の方が今後役立つのではないか。したがって,4のタイトルは学習評価の在り方とし,(2)については,より広い概念につながるものであるという位置付けの中で考えることが必要。

【委員】 4の(2)は学習評価の内容がほとんどであり,内容の観点からすると誤りではないが,項目立てだけを見ると,4の中に(2)が入っているのは少し違和感がある。教育評価については,教育課程編成に関わるプロセスのところに入れ,別立てにした方がよい。

【委員】 プロセスのところに教育評価を入れると,分量も多くなる。全体の構成を頭に置きつつ,ひとまずペンディングの状態で進めたい。

【委員】 これからどのような資質・能力が大事かという論点について,9ページの下から二つ目の白丸において,人格の完成や公教育の使命などを最も基本的な点として押さえているが,「人間」ということについてより強く書くことはできないか。例えば,10ページの点線の枠の手前に,「これらの資質や能力は,教育の目的を踏まえ,目標を達成するよう人間の限界を踏まえつつも人間のよさや可能性を最大限に発揮できるようにしようとするものである。これらの資質や能力の育成に当たっては,全体を貫いて人間としての在り方や生き方を追求することが大切である」と追記すべき。大きな理屈を細かく砕き,それを元へ戻すときの原理を「人間」ということで押さえてはどうか。

【委員】 これまで様々に提言されている資質・能力の整理について,最初に出てくるのが「キー・コンピテンシー」であることが引っかかる。「キー・コンピテンシー」については,外国の動向について整理した8ページからの丸3の冒頭に移動し,最初に「生きる力」を持ってきた方がよい。「生きる力」は,平成元年の学習指導要領改訂と平成3年の指導要録改訂の際に「新しい学力観」が提案され,四つの資質や能力,観点が重視されたという経緯の中で出てきた非常に優れた考え方。よって,これまでに提言された資質・能力としては,「生きる力」からスタートした方がよい。

【委員】 いわゆる「○○教育」の整理について,17ページか24ページのいずれかで触れておくべき。現場からは,「文部科学省の各局課から○○教育の要請があるが,相互の整理が十分になされていないため困っている」という強い要請がある。よって,例えば,キャリア教育や防災教育など,横断的・総合的な課題に対応する教育についても,その目標や内容,評価等との関係については,学校の教育課程の基準である学習指導要領において一元的に整理する必要がある。現状では,学習指導要領の外で,各担当が○○教育を要請し,目標を立てたり指導計画を求めたりしているが,学校現場からすると,学習指導要領を見れば全てそこに基準があるように整理すべき。学習指導要領が基準であるということを強く打ち出していくことが必要。

【委員】 評価について,24ページの記述を見ていると,評価の中でも教科の評価に寄っており,他の部分に視野が広がっていない印象がある。学校に求める評価やその種類,時期,方法などについて広く丁寧な検討が必要。また,その基盤になる指導要録の評価についても,各教科の評価だけでなく,指導に関する記録全体を一度洗い直し,資質・能力の議論とセットで検討していく必要がある。

【委員】 評定と評価の議論について,「評定」という言葉の意味が,指導要録の評定欄のことなのか,あるいは総括的な評価のことなのか,使う人によって異なっている。事後の評価,結果の評価,総括的な評価のいずれであっても,単に付けるための評価ではなく,生徒にきちんと伝えたり,学年末に行う場合も,進級する子供たちや次年度の子供たちの指導の改善に生かしたりすることができる。指導に役立たない点数付けのための評定という考え方は,余り想定されていないのではないか。

【委員】 関心・意欲・態度の評価について,特に意欲は見えにくいため,評価をしない方がよいとの意見もあるが,学習や教科の本質に向かっていこうとする姿が見える態度については,教師にとっては非常に気に掛かる部分。「関心・意欲・態度」という名前や切り口が問題なのであれば「学び方」や「態度」とするなど,単に分かりにくいから消すのではない丁寧な議論をした方がよい。

【委員】 34ページの指導方法については非常に大事であるが,同時に,「資質・能力を効果的に高めることができる教材の在り方についての研究が必要」という趣旨も書いておくべき。教材と指導方法は密接に絡んでおり,指導方法が十分でなくても教材が立派であれば授業ができたり,指導方法に教材がいい影響を与えたりすることもある。教材の重要性は書いておいた方がよい。

【委員】 教師の力量向上について,秋田県の学校の実践等を分析していると,実践と研究が表裏一体になっていることが分かってきた。37ページの(1)の最初の白丸などに,「その際,学校において実践と研究を一体的に行い,資質・能力を育成する教育の充実に努めることが大切である」といった趣旨の記述を加えるべき。

【委員】 評定について,5,4,3,2,1や10段階などの形で付けられた評定が,どのような形でその後の学習指導の改善や学習活動に生かされるのか。評価と評定とは中身が異なっており,評価は活動の改善のために出されるが,評定は基本的には順序付けや分類のために行うもので,数値や記号で位置を定めるだけであり,指導活動の改善に資するような具体的な情報は含まれていない。

【委員】 「指導要録の評定欄に記載する内容」という意味では,その後の指導の改善につながるのかという危惧も理解できるが,総括的な評価がどういう要素で成り立っているのかを明確にしておけば,子供の学習状況を一言で表したものとして意味がある。評価を行う時期自体は,観点別学習状況の評価も同じであり,問題はそれを分析的に見ているか,総括的に見ているかの違い。役に立つという点では両方とも教師にとって重要な情報である。

【委員】 個人的には観点別学習状況評価自体に疑問がある。名古屋大学の故続有恒先生による評価と評定の分類に則すると総括的評価と評定は同じではない。これらが並列で書かれた場合に,事後の評価,結果の評価,総括的評価と,成績としての順位付けなどは同じ意味で並べられているわけではない点について,定義を明確にしておくことが必要。

【委員】 総括的な評価や評定の有用性は,主として学校全体や教育委員会レベルでの教育課程全体の見直しにおいて不可欠な情報。その学年相当の基準をクリアした生徒の割合を示すことで,教育課程全体の有効を示すことができ,翌年度や次の教育課程の改訂の際の基本的な資料になるものと理解している。

【委員】 授業レベルや教育活動レベルにおける評価については随分言及されているが,学校現場では,個々の教師の力量をどう結び付けながら,個々の授業や教育活動をどう組織として展開していくかということが大きな課題になっている。この観点に立つと,総括としてその有様を評価することは非常に重要になる。個々の授業レベルと学校全体のレベルとをどうつなげていくかという点において,評価の在り方が大きなテーマになることを追記しておくべき。

【委員】 評価と評定についての定義の問題と,評定の持つ機能については区別して論じるべき。総括的な評価であっても形成的な機能を有しており,評定が教育改善や授業評価,カリキュラム評価,学校評価などのために使われることもあっていい。ただし,定義としては,評定と評価とをきちんと分けておく必要がある。「評定」は,区切られたある期間における子供の学習や教育についての結果を縮約的に表したものであり,数値や記号でなく「評語」として言葉で表されてもよい。私も続先生の評価論に沿って評価と評定の区別を考えている。

【委員】 例えば,梶田叡一先生は,総括的評価も形成的評価になり得ると主張しているが,個人的には疑問。確かに,観念的・抽象的には形成的評価になり得るケースがあるとしても,中身の情報はほとんど入っていない。英語のvaluationには「価値付け」という意味があり,例えば,骨とう品に何円という値段を付けた場合,値打ちを付けること自体の重要性は否定しないが,それが何か他の機能に影響していく性質のものではない。評定が様々なところで参考にされることは理解できるが,指導の改善に役立つような文言や数値,記号とは言えず,理屈では次の指導に使えると言っても,具体的には頭の中の構えとしてしか役に立っていない。したがって,評定にもう少し形成的な機能を持たせる形がよいと考える。

【委員】 評価や評定に対して,三つの要素が混ざっている。一つは,いつ行うのかという問題。一般的には,形成的評価は学習の途中で行い,その前に診断的評価,学習の最後に総括的評価を実施する。次に,評価と評定の関係について,個人的には,評価という大きな概念があり,その中で数値や順位付けられたカテゴリーによってレーティングを表現したものを評定と捉えていた。すなわち,記述的に細かく書いたものは,評価ではあるが評定とは呼ばず,評価の一部が評定という解釈をしていた。これは結局,記述なのか数値やカテゴリーなのかという形式の問題といえる。最後に,どのくらいの詳しさにするのかという議論がある。一般に,総括的評価は非常に単純化されたものいうイメージがあるが,場合によっては詳しい総括的評価をすることも,その場合に形成的な機能を持つこともあり得る。なお,評定であっても,簡単なものから様々な側面を細分化した詳細なものまであり,詳しさ,形式,時期の三つの要素が,実際にはそれぞれ独立して動き得るということを,概念整理として書く必要がある。

【委員】 評定について先ほど「言葉でも表せる」と発言したのは,例えば,「とても優れている」というような縮約された言葉で表されるという意味であった。

【委員】 評定は言葉でもあり得るが,総括的な評価の中身として,形成的な評価にも役立つ要素が入っているとよい。時点については,「総括」と言う以上,最後の時点であることは明らか。

【委員】 国立教育政策研究所の観点別評価が分析的評価,評定が総括的評価であると区別し,分析的評価によって総括的評価を出すというやり方自体に疑問がある。そもそも,両者は趣旨が異なっており,観点別に指導の改善を考えることを目的として作られた観点別学習状況欄を,評定につなげようとする点が疑問だった。評定と評価を区別した上で,評定にも情報を加え,形成的な機能を持たせる方向で考えてはどうか。

【委員】 関心・意欲・態度について,それが飽くまで教科内容に即した関心・意欲・態度であるということは,これまでの指導要録の改訂などの際も繰り返し述べられているが,学校現場では,一般的な学習態度と混同している例が多い。パフォーマンス課題についても,実際に発揮される姿として見たときに,教科レベルにおいて,思考・判断・表現している姿と関心・意欲・態度が発揮されている姿とを分離して捉えるのは現実的には難しい。一方で,通教科的な学び方の部分については,指導要録でいえば行動の記録欄で評価すべきことであり,それを汎用スキルという名前で捉え,教科横断的に評価するという筋道の可能性も今回の議論では示されてきている。このように,通教科的・教科横断的な部分と各教科内での議論とを区分けして検討する必要がある。

【委員】 例えば,愛知県西尾市(旧吉良町)立吉良中学校のように,教科ごとに,その学習を好きになる視点,主な学習内容と身に付けてほしいこと,授業や家庭での学習方法,学習ノートの作り方などについて,生徒に対し緻密に学習のガイダンスを行っている事例もある。関心・意欲・態度を分離して捉えようとする切り口をあっさり消さずに,慎重に議論していくことが必要。

【委員】 「関心や意欲は心の内側の問題であって,測れない・測るべきではない」という意見があるが,それらは実際に態度や学び方のような形となって表れてくるものであり,それを通して評価することはあってもいいと考える。日本語の「態度」という言葉には,「一生懸命何かをやろうとする意欲的な態度」と「行儀がいい」という二つの意味があるが,「学習態度」というと,授業中静かにしていることや先生の話を聞いていることなど,後者の態度が連想されてしまう。関心・意欲・態度とつなげるときは,レポートを積極的に書くというように「意欲があるからこそできること」を指している点を明確にしておいた方がよい。

【委員】 学び方について,学校では,鉛筆をきちんと持つことや姿勢を正しくして先生の方を向いて授業を聞くことなどの学習規律の面を指すことが多いが,心理学では,学習方略や学習方法,計画をきちんと立てて自分で進める力があるかという文脈において「学び方」という言葉を使っている。このように,「態度」や「学び方」という言葉には多様な解釈があるため,使う際には注意が必要。

【委員】 関心・意欲・態度については,より安定した持続的で自発性の強い関わり方をその教科に対して可能にしていくことが,教育の目標の一つとして大事。この問題において,内面の話だからできないということはなく,むしろ,教育も学力も本来的に内面に関わるものといえる。

【委員】 関心・意欲・態度の押さえ方と,測定の問題とは切り離して考える必要がある。関心・意欲・態度の測定方法として,見て分かる部分や,提出物,授業中の行動,アンケートなどを通して総合的に捉えることができたとしても,それらはかなりの曖昧さを含むと同時に,本人の処遇に関わる重大な決定に使われるほどの安定した信頼性の高い指標とすることは不可能。ただし,日々の授業においては重大な意味を持つものであるため,測定の問題とは別に切り離して,意思決定としてどのような場面に使い得るかについて整理することが必要。

【委員】 「態度」という言葉について,「意欲的な態度」と「行儀のよさ」に加え,「個人の信念や信条」という使われ方もある。これは,個人がどう生きていくか,何を大切だと思うかという信念や信条に関わる問題として「態度」を用いるというもの。いわゆる態度主義学力批判もこの意味で「態度」を捉えるため,それを学力として扱ったり測定したりすべきではないという主張になる。もちろん,本検討会で議論している「態度」は,そのような意味ではないことを確認しておきたい。

【委員】 「意欲」については,「あることに関心を持ち,それに接近しようという傾向性」という意味に加え,「それを粘り強く自己調整しながら持続するというパーシステンス」や,「それに向かって自分のメンタルリソースを調整しコントロールできるセルフレギュレーション」という意味もある。例えば,「コンピテンシー」の「自己調整のスキル」のように,パフォーマンス課題のような長期的な行動を自己調整しながらうまくコントロールしたり,強いストレス下において自分の信念による行動を実行し続けたりするものを意欲と呼んでいる。これらは,単なるエネルギー要因ではなくスキルフルなものであり,良い学習の経験によって十分形成可能なものといえる。よって,この観点から,学力の中に含め,育成対象・適正な評価対象にしていくべき。ただし,これらはジェネリックスキルであるため,各教科において教科との関わりの中で見ていくべきなのかという点については議論がある。

【委員】 この何年かの間に,狭い意味での認知スキルを支えるような意味で,関心・意欲・態度面を含みながらよりスキルの面で解釈する「非認知的スキル」や「エモーショナルスキル」といった概念が出てきている。これらは,元々はヘックマンという教育経済学者の議論から始まり,OECDを中心としたカリキュラムの議論も反映している。狭い意味での学力と,それを支える認知スキルを教えるだけではなく,学び方や意欲,自己調整力についても教育可能なものとして捉え,教えていこうとする考え方といえる。ヘックマンは,これを特に高校から大学,職業訓練に入れようとしているが,それ以前の研究では,幼児教育を中心として自己発揮と自己抑制を調整する力を育てようという議論もあった。このように,幼児教育から大学教育までを通じて,関心・意欲・態度をスキルベースかつ教育可能なものと捉える議論が行われてきた。教育可能であるということは,茫漠としたものではなく,細かい中身を持って定義されるということ。国立教育政策研究所の議論の中にも既にある程度入っているが,こうした考え方も積極的に取り入れながら,関心・意欲・態度を全面的に言い換える方向に踏み出す必要がある。

【委員】 関心・意欲・態度については基本的には維持すべき。特に,意欲の部分をしっかりと位置付け深める必要がある。測定方法の開発を含め,意欲を捉える研究の遅れをもって,それを撤収させてしまうのは順番が異なる。意欲の掘り下げによって,本検討会で議論している資質・能力の在り方と接近してくるのではないか。実践的・学術的研究の両面から意欲をどう捉えていくかという課題を,次の学習指導要領改訂のテーマとして位置付けることが必要。

【委員】 意欲は「意志」と「欲求」の合成語であると考えている。先ほどのパーシステンスは「意志」の問題であり,育てることはできないが,「欲求」は生物である以上内部から出てくるものであって,育てなければ育たない。この両方を組み合わせて対応を考えていくためには,教育的配慮が必要であるが,以前から教育学者の間では,価値観に関わる部分を判断する危険性が問題にされてきた。個人としては,意欲は評定の対象にすべきではないが,評価の対象にはなると考える。教師へのフィードバックのための情報として,意欲は非常に重要な要素であり,この使い方であれば本当に必要なものといえる。PISAの場合も,取り組み方や取組の姿勢というエンゲージメントが後から定義に加えられたのは,それらが重要な要素だと考えられたため。よって,評価の対象としては入れておき,教師の指導活動の改善に役立つ情報をフィードバックすべきということは言っておきたい。ただ,日常的な配慮が必要であるという懸念にも注意しなければならない。

【委員】 9ページの下から2番目の白丸に書かれている資質・能力と人格の関係については,2ページ辺りに入れる方がよい。本検討会としての定義を明確にした上で,その中のどの部分の資質・能力を扱うかについて説明することが必要。本検討会では,教育のあらゆる問題を議論できるわけではないため,最上位の法律である教育基本法との関係で資質・能力の範囲を設定する上でも,最初に人格と資質・能力の関係について整理しておく必要がある。

【委員】 参考1について,今回の学習指導要領を導き出していく際の大切な提起であったと受け止めているが,本検討会の議論が参考1とどのような関係にあるのかという点が,まだはっきりと見えてこない。参考1を初歩的な段階のものと捉え,本検討会を通して詰めていった結果,課題が明らかになったということなのか,そもそも参考1をどのように評価すべきなのか。次の学習指導要領への展望という観点から,参考1に対する評価を明示した上で,次のステップでの検討に進んでいくべき。この点について,資料1の個々の文言の中には既に記述されている部分もあるが,もう少し強く意識付けて整理した方がよい。

【委員】 芸術が育てる資質・能力については,本検討会ではどのように位置付け,認識し議論してきたのか。あるいは,芸術は本検討会の議論における資質・能力の範疇(はんちゅう)の外にあり,人格の中に位置付くものなのか。これまでの議論では,基礎的リテラシーや認知スキル,社会的スキルという観点から資質・能力を整理してきたが,芸術分野が育てる資質・能力を,そうした資質・能力や参考1との関係においてどう捉えていくかという論点は,検討の課題として残されている。この点についても,「今後の育成すべき資質・能力について」の前の部分である程度記述しておくべき。

【委員】 芸術については,音楽等に関して部分的に発言があったかもしれないが,これまで余り視野に入れてこなかったのではないか。

【委員】 芸術について,人間力の議論においては,社会生活への参加をベースとして,特に「文化生活」という柱の中で検討されていた。芸術活動や大人が行っている文化的活動への参加をどう促していくか,そのための興味関心やスキルをどう育てていくかという観点から,音楽や芸術などの文化活動も対象とするとともに,理数系や言語だけではなく,芸術,スポーツについても資質として入れたいという議論がなされていた。よって,芸術についても,射程に入れるのであれば入れた方がよいと考える。

【委員】 芸術や体育については,その対象を扱うという議論だけでなく,美術ならではの問題解決の様式や,音楽という創造活動や鑑賞活動ならではの対象との関わり方が,対象を離れたジェネリックなものとして存在している。つまり,自然科学と社会科学が扱っている対象が違うと同時に,それぞれが有している処理の仕方,表現の様式についても,他の対象にも適用することができるということ。美術や音楽で培われるものが,美術や音楽という対象に関わるだけでなく,そこで培われた物の見方や考え方,処理の様式や問題解決の戦略が他にも転移・汎化する可能性があることに意味がある。この考え方については,本検討会でも議論されてきており,対象や領域を超えて精神機能が育つということが,資質・能力の議論では大事。美術や音楽で育てられている美術や音楽ならではものを,美術や音楽から引っ張り出し,他に持っていこうとする発想が大事であり,本来的にそうした豊かさを持っていることを,明示しておく必要がある。

【委員】 その教科ならではの物の見方,考え方は,その教科が対象としているもの以外にも有用性・汎用性があり,イノベーティブに考えていく思考こそが大事なのではないか。各教科では伝統的に対象に応じた方法が教えられているが,知識化社会においては,それを別の対象に適用することでイノベーティブな動きを生み出すことが求められている。そうした可能性についてはまだ見切れていないところであるが,教科横断的という発想の中で,既存の教科の可能性を外に広げ,教科の存立の意義を広めることにもつながり,面白いのではないか。

【委員】 「本検討会の議論が参考1を前提に行われていたことを明示すべき」という意見があったが,文部科学省では,現行学習指導要領は参考1のような能力ベースの考え方に完全には移し切れなかったという意識を持っている。つまり,「学力」とは「何かを知っていること」から「何かをすることができる」というコンピテンシーの方に移していこうとしたが,一部「知っていること」へのこだわりが残ってしまった,というのが文部科学省の認識である。個人的には内容論者でもあるため,大事なものは内容として残さないとバランスが悪いと考える。ただ,今回の学習指導要領改訂には,一昔前の「生きる力」が余りにも能力や思考力等を強調し過ぎた結果,質が伴わずに高いレベルの思考力育成につながらなかったとして批判を受けた経緯があり,一方で,学校現場では依然として内容を覚えること,知ることに「学力」というものを見ている現状から,もう少し資質・能力ベースの方向へ動かしたいという趣旨は理解できる。

【委員】 資質・能力ベースへという意図は理解できるが,内容の重要性についても強調しておくことが必要。内容ベースから資質・能力ベースやコンピテンシーベースへという表現を使ってしまうと,もう内容はいいという誤解を与えかねない。本検討会の議論は,「コンピテンシーを身に付けるためにはどういう内容を精選し整理すべきか」という議論であることを明確にする必要がある。

【委員】 コンピテンシーの育成は,コンテンツを通してしかできない。コンテンツとして何を教えるかという問題もあるが,教育課程として,何をどのような水準で,どのような質の,どのような活用が効く知識として教えるかという問題について,本検討会において議論してきた。そもそも,領域を超えてジェネリックな,純粋に形式的な問題解決手順だけを教えることは,学習科学の成果から見ても不可能。そこで,コンテンツを通じてどのような質の知識にまで高めていくかが問われている。この知識は,コンテンツの領域を超えて柔軟に動くものであり,見方を変えればコンピテンシーとして機能していると捉えることができる。パフォーマンス課題も,多様なコンテンツを組み合わせて効果的な思考や処理を行うというもの。教育内容を精選・整理し再構造化する過程の中で,教えた知識がどのような質のものとして機能することを目指すかという議論は,「何を知っているか」から「どう機能するか」という評価の在り方の議論にもつながってくる。コンテンツとコンピテンシーを対立概念にはせず,コンテンツが単に「何をしているか」というレベルにとどまるのを防ぐための強力な打ち出しとして,コンピテンシーが用いられているのではないか。

【委員】 育てたい能力だけを強調すると,「○○能力トレーニング」のように,教科の内容を離れたトレーニングを通じて力を付けさせようとする。しかし,そうした方法が有効ではないことはある程度分かっており,結局,内容を通して資質・能力を育てることになる。一方,現場では逆に,内容を教えることだけで終わってしまい,育成すべき資質・能力という意識が希薄であるため,今回はその視点を入れることについて検討している。この両方の問題に注意しなければならない。

【委員】 個別の内容か,あるいはそれを通じた資質・能力かという論点は大事であるが,ややもすると,文化的活動や市民生活への参加,シティズンシップ教育のような志向が抜け落ちてしまう可能性がある。OECDのキー・コンピテンシーも,人間関係調整なども含めた有能な企業人をモデルにしており,文化的活動への参加や,社会の中でどのように社会形成的な関心・意欲,行動を育てていくかという視点が,見る人によっては完全に抜け落ちてしまう。そうした観点については,むしろ「生きる力」の方が含まれる余地があるが,これまでの「生きる力」では抽象的過ぎたため,学習指導要領上において明確に押さえておくべき。

【委員】 コンピテンシーやPISAは,OECD(経済協力開発機構)が行っているものであるため,文化的・社会的観点については足りないので補正しておく必要がある。この点は「生きる力」の方が幅広い概念といえる

【委員】 資料1の現在の書き方では,「生きる力」が幾つかの資質・能力の考え方の一つという位置付けになっている。「生きる力」は現行学習指導要領の基本になっている考え方でもあるため,他よりも重み付けがあっていいが,個人的には,原案のように幾つかの資質・能力の考え方の一つという形を取るべきと考える。本検討会は文部科学省に設置された検討会であるが,だからといって「生きる力」ありきの議論でよいのか。「生きる力」には,確かな学力・豊かな心・健やかな体などの知・徳・体が全て含まれており,非常に包括的な概念ではあるが,自由な議論ができる本検討会の場では,検討の俎上(そじょう)にのせるというスタンスでよいのではないか。

【委員】 OECDのキー・コンピテンシーは,そこまで経済色一色のものではない。もちろん,OECDの中での議論という限定はあるが,シティズンシップ教育やアマルティア・センの議論のように,幅広い立場からの意見や展開を踏まえた上で出されており,矮小(わいしょう)化する必要はない。

【委員】 国立教育政策研究所が提案している21世紀型能力を見ても,余り芸術的な資質・能力という視点は含まれていない。人間の全体的な能力や資質を押さえているかという観点から見ると,どうしても「次の時代を生きる」という時代的要請に偏っており,個人の特性や個性についての配慮が不十分である点を補正する必要がある。「生きる力」の「豊かな心」は少し道徳性に傾いた概念であり,芸術的な資質・能力の視点を取り入れることが必要。

【委員】 現行学習指導要領の実施評価や政策評価がなされていない中で議論をすることには限界がある。次の段階では,教育課程実施状況調査などの結果を見て,政策評価のデータを示しつつ吟味していくことが必要である点を明記すべき。

【委員】 前回第10回検討会での議論において,「汎用スキルやメタ認知に関しては,次の学習指導要領では総則の中に入れるなど大きく位置付けるべき」という点についてはおおよその合意があった。この点を,17ページの二つ目の丸に加えるなど明確に書いてはどうか。

【委員】 カリキュラム横断のテーマや○○教育に関しても,整理する視点が必要。現状では,これらが幾つも積み重なって過剰負担になっている。個人的には,自分・社会・自然の三つの柱などにより,概括的に整理することが重要と考える。

【委員】 コンピテンシーの育成や,知識・技能を活用する思考力・判断力・表現力を身に付けさせるためには,教科の本質を押さえた上で内容を整理する視点が重要。17ページの四つ目の丸の「重要な概念」についても,「概念」と言うと内容的なものと受け止められることが多いが,手続的なプロセスやストラテジーが強調されている観点から,重要なものに関しては重点的指導事項例のような形で整理することが必要。

【委員】 「重要な概念」「重要な観念」「本質的な問い」という用語について,基になっている英語を示すべき。これらの用語が独り歩きし,日常用語のように使われるのはとてもリスキー。海外の学術研究の参照・確認や,理論的なバックボーンとのすりあわせができるように,あるいは,将来的に概念がぶれないために,英語の概念を可能な限り入れていく方が良い。

【委員】 逆向き設計で教育課程を作るという場合に,スクール・カリキュラムや単元レベル,授業レベルにおける有効性についてはよく理解できるが,学習指導要領のレベルではどうなのか。学習指導要領に内容項目を入れるに当たり,ただ入れるだけでは「教えて終わり」となりかねないが,その内容項目を教えたことによって子供がどのような姿になり,どのような問題解決が可能になるかを描くことには意味がある。ここで言う「教育課程」とは,学習指導要領やナショナル・カリキュラムレベルの教育課程を意味しているが,スクール・カリキュラムの議論もある。スクール・カリキュラムは,実際には単元をまとめたものであり,教育方法や教材を含むもの。逆向き設計の議論を17ページの資質・能力と目標・内容の項目に入れた方がいいのか,それとも,教育評価の項目に移した方がよいのか。逆向き設計が,ナショナル・カリキュラムの内容項目の議論においても有効性があるのかという点について伺いたい。

【委員】 逆向き設計論は,カリキュラム設計,教育課程編成の項目に入れた方がよい。ただ,逆向き設計論自体は,ミクロな設計とマクロな設計の両方を視野に入れており,マクロな設計のレベルでは,ナショナル・スタンダード,ローカル・スタンダードの議論にも関係してくる。どこまで学習指導要領に反映するかという議論はあるにしても,原則的として,目標・内容・評価をワンセットで考えるという視点自体は,学習指導要領編成にも生かされるべきと考える。

【委員】 私自身は逆向き設計に全面的に同意しているわけではない。目標と評価と学習経験や教育方法を連動させるやり方は,逆向き設計以外にもあると考えられるため,逆向き設計だけを白丸に記載するのは適切ではないと思われる。むしろ,主な意見のところに入れてはどうか。

【委員】 「重大な観念」について,「観念」という日本語ではスキルやプロセスが含まれている感じが余りせず,「ビッグアイデア」という英語とは異なる印象がある。元々意図している理論は何かということを注や資料の形で工夫して示すことが必要。ここに挙げることで,公定の理論として受け止められるおそれもあり,あくまでレファレンスという形で引いた方がよい。

【委員】 元の言語を示す必要があるようなタイプの意見を主な意見の枠の中に入れ,枠の外に示す内容はもう少し一般的な方向性や考え方の表現に変えて出した方がよい。特定の理論を一般的主張として出すのは適切ではないが,意見としては大事な主な意見であるため,点線の枠の中に入れておくことが必要。

【委員】 こういう資質・能力を育成するべきだからといって,それを基に教科の再編成を行うようなドラスチックな主張ではなく,現在の教科内容における体系性に基づき,それらと育成すべき資質・能力とを対応付ける方向で検討するという方針については,合意が得られているのではないか。

【委員】 主な意見の中に,一見対立しているように見えるものがある。例えば,18ページの上から2番目の丸に,「資質・能力と各教科等との対応関係をマトリックスとして考える」という意見があるが,そのすぐ下には,「資質・能力は,知識の習得・活用や探究・実践といった活動を通じて育成されるべきものなので,それのみを別個に抽出してスキル化したり,マトリックス化したりしない方がよい」という意見が並んでいる。ここだけ見ると,本検討会の中で全く違う両極の意見が出ているように見えてしまい,専門家同士でもそれほど意見が違うのかという印象を与えかねないため,もう少し議論を詰めた方がよい。個人的には,両者はそれほど対立していないと考えている。マトリックスの中でも,知識の習得・活用や探究・実践といった活動を通して行うことが入っていればよく,加えて,それらがばらばらに埋め込まれるのではなく,資質・能力の関係性が整理されていることが必要。マトリックスは最後に出てくるだけのものだが,その背景には理論化・体系化された説明があり,断片的するようなものではない。両意見の統合を図る書き方をした方がよい。

【委員】 議論を尽くして折り合わなければ両論併記でよいが,確かにいきなり両論だけを出すと誤解を招いてしまう。後者の意見には,ある活動の中には様々な資質・能力が総合的・統合的に含まれていること,コンテンツとコンピテンスを切り離さないようにという意図があり,前者の「○○力トレーニングにならないように」という意図と一致している。もし,マトリックスというところだけが対立して見えるのであれば,「スキル化しない方がよい」という指摘だけに修正しても良い。

【委員】 教科の在り方については,本検討会ではそこまで深めて議論できなかった。現行の教科を前提にするかどうかという点は,今後の課題としておくべき。折々に教科のことを議論してきたのは間違いないが,ここが現在までの議論の守備範囲であり,今後,各教科や教育課程全体を通じた議論をしていくための段取りとして,課題提起をしておくことが大事。

【委員】 現行の教科の枠組みを全く否定するものではないこと,現行の枠組みではできないという前提ではないことについては,どこかに書いておく必要がある。コンテンツとコンピテンシーとを対立させて議論される危険性があり,特に現場では,コンピテンシーの育成という新たな領域ができ,コンピテンシーベースで教育課程領域を作らなければいけないかのような誤解を招きかねない。ただし,現状の教科を一切変えないとの前提で議論しているわけでもないため,その確認も必要。

【委員】 ある程度現行のものを下敷きにしながら改善を図るという姿勢が必要。いよいよ教科再編へ動き出すのではないかといううわさが流れるのは避けたい。

【委員】 マトリックスをめぐる両論の議論は,本検討会の一つの成果といえる。「個々のスキルやコンピテンシーを強調するとしても,それを個別的にリスト化してトレーニングするような方向ではなく,内容を通して,内容を活用したり探究したりするプロセスの中で統合的に育成すべき」というところまでは,全員がほぼ一致している。この点は,点線の枠外に明記すべきと考える。

【委員】 逆向き設計について,個別の逆向き設計論を出すのは主な意見の点線の枠内でよい。ただ,目標に準拠した評価が導入されて10年以上たつにもかかわらず,形成的評価が実際的に機能していないという事実を踏まえたときに,評価方法を明確化し,日常的な評価とまとめの評価とが区別されずに常に評価に追われている現状を改善する観点から,参考になる部分については教育課程編成のプロセスのところに明記すべき。同時に,狭くなってしまう危険性についても合意できるため,「目標にとらわれない評価やゴール・フリー評価のような視点もカリキュラム評価においては重要」ということを併記すれば,実害はないと考えられる。

【委員】 評価論とは,目標論を具体的に機能する子供の姿として表現するものであるということが大事。つまり,評価論は,目標論のより詳細でリアルな裏返しであり,それを足場として,内容論など様々なことを設計し直すことができるという教育的な考え方が重要。評価論を全て終わった後でやるものと捉えるのではなく,逆向き設計の発想によって評価の質が変わり,知識の質の問題につながるのではないか。この考え方自体は,白丸レベルでは出しておきたい。

【委員】 学校現場で指導計画を作る際に,4観点のうち,この時間はこの観点を見るというマークが付けられていて驚いた。教育委員会などから「1時間1観点」という指導があった模様だが,個人的には,一つの時間にこそ四つの側面が様々に出てきており,それらを単元や学期においてトータルに評価することが大事だと考える。ただ,この方法はかなり行き渡っており,大きな影響力を持っているようだ。

【委員】 実際は当然全ての観点を見ており,マークは単にその時間に重点的に見る観点を示しているだけと考えていたが,余りにも形式的に書いてしまうと,他の観点は見なくて良いかのような誤解を生んでしまう危惧はある。

【委員】 前回の指導要録改訂に関して議論した学習評価ワーキンググループの報告の中で,「授業改善のための評価は日常的に行われることが重要であるが,学習の評価については,ある程度長い区切りの中で行うことが必要」ということが書かれていた。日常的には必ず4観点を見ておられるが,成果の確認のための評価という意味において,実質的な評価を実現する上で,このようなマークによる記述の仕方も意義があると考えている。

【委員】 指導案のあらゆる場面に4観点が張り付けられてしまうと,そこまで細かくは見ていられない。1時間のわずか45分・50分の授業の中で,4観点全てについて生徒全体を必ず見ているかというと,その方が非現実的。よって,最低限見るべき観点としてメリハリをつける意味では,現在のような指導案の書き方は否定されるべきではないと考えている。

【委員】 1時間で4観点全てについて全員の子供たちを見ることは不可能であるが,1時間の中で様々な側面が出てきて,それを通して見ることによって子供たちへの評価があぶり出されるようになっていく。したがって,その時間に特定の観点を中心に見るというのは,1時間の授業の中ですら考えにくい。この問題については改めて議論したい。

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