資料2 教職課程の質の保証等に関するワーキンググループ(第1回)の主な意見

実践的科目の必修化について

  • 理工系の大学院の目的は、最先端の科学技術の研究をさせた上で社会に送り出すということ。社会というのは、もちろん教育界も含まれているが、最先端の研究までさせるというのが大学院の設立の目的なので、ここで30単位分のほとんどを教育関係の科目にしてしまうと、大学院の設立の趣旨にかかわってしまうので、それはできない。むしろ、最先端の研究をさせたことを、どうやって社会に生かし、教育界に生かすかということを考えるべきではないか。
     
  • 必修化すること自体は賛成。しかし、今の教職大学院並みの実習のやり方を、通常の、特に理系の教育学研究科に適用していくのは、なかなか難しい。研究科ごと、種類ごとに整理して議論した方がいいではないか。
     
  • 専修免許状は、高度専門職業人である「一般免許状(仮称)」につながるものなので、実践的な授業科目というものの設定がゼロでいくというのはよくない。
     
  • 教職大学院であれば、教育実習10単位とか、1年間通してとかできるが、その他の大学院も一律にやるというのは、非現実的で、かなり弾力的な運営、運用が必要である。
     
  • 大学院でも、必修科目として、実践的な科目を取り入れざるを得ない。理工系の大学院の趣旨を考えると、やはり最先端の授業、科学技術の内容を学校に行って教えるという実習が一番適当ではないか。
     
  • まず、大学の学部の時代に免許状を取っているということを前提にするということは、大事。その学生は教育実習の経験がある。だから、その経験がある者に対して、どういうプラスアルファをつけていくかというようなことを考えると、やはり経験があるから、多分、うまく組めば、実習校にとっては負担ではないのではないか。
     
  • 教育実習については、将来的に興味があって、教員になろうと思っている人を受け入れて、優秀な教員を育てないと学校というのは成り立たないので、学校現場で非常に大きな責任を持ってやっており、その点については、教育実習を引き受けたいと思う。知識とか指導法については、一定、考えている人を、是非育てていただきたい。しかし、大学もたくさんあるので、開放制というのは非常に大切なことですけれども、一方では、「何か、まあ、じゃあ、実習あるから行ってこようか」みたいなのでは、困る。
     
  • 実際にやるときには、ある程度、運用の幅を持った方がいいと思う。

 

実践的科目の単位数について

  • 単位数は、1単位でも2単位でも、大学院の修業単位には含めないというようなのが現実的ではないか。大学院の修業単位に含めると、専門の勉強時間が減るとかいうような議論も出てくるので、大学院の修業単位に含めるのは、座学の教育学部とか、教育心理学の授業で指定したものから4単位を取るというような形でどうか。
     
  • 実習でいえば4単位でもいいと思うが、その前後の指導ないし、あるいは現代的な教育事情ということでの理論的な勉強というところも含めて、実習4単位プラス2単位。2単位が大学での指導というぐらいだったらどうか。

 

実践的科目の内容について

  • 修士課程レベルとなってくると、専門的なものをもっと深くやってもらわないといけない。それをするための実習であったり、あるいは大学院での学びであったりということが必要なのではないか。
     
  • 実習だけをほかのカリキュラムと切り離してやっても、単位の多さに比較して、効果がそんなにない。
     
  • 教職大学院で養成する教員と、それから、例えば、理学研究科で養成する教員に、それぞれ個性があっていいだろうと思うが、その個性の基盤となるところを専修免許状で、やはり教員になるという基盤は押さえておきたい。
     
  • 理数系の先生に限らないが、子どもの状態がわからないとかいう方もいる。子どもの実態を見て、授業を構成できる能力というのは、専門職としては、必要と思う。それを専修免許状に入れるということについては、多様な人材を採用するということと別に保障されてもいい。
     
  • 学部であっても、大学院であっても、せめて学校で授業しようと思ったら、基礎的なことをきちっと教えていただきたい。できない人がいっぱいいる。
     
  • 最先端の研究というのは、自分の研究内容と関連したテレビとか新聞で出たような内容を自分の研究と絡めて話すような機会が、高校生、中学生に対して話す機会があればいいのではないか。
     
  • 研究科にも専修免許状というくくりの中での共通化をしていくのか、あるいは研究科に応じて弾力的に対応していくようにするのかと、その辺りでやり方が変わってくるのではないか。専修免許状をベースということで考えれば、共通的なところがいいのかと思うが、一方で、各研究科の特徴、特色を消すようなことは、うまくない。
     
  • 中学校でも高等学校でも、特に理系の大学院を出た人が、教育学とか教職大学院で勉強した人と同じ単位を取っていなければならないとは全く思わない。むしろ理系の場合、専門性の高さということのほうがより重要。
     
  • 将来的に教員の成長ということを考えたときに、もっと広い視点からということになり社会教育という視点も入れた方がいい。例えば、専修免許状を取るときには、国立青年の家に行って、夏休みに1週間、社会教育という視点から、子どもたちと学習するというようなことがあってもいい。いわゆる専門性プラス、そういう社会性みたいなものを身に付ける機会があってもいい。

 

実践的科目の実施時期

  • 就職活動が、修士1年の11月くらいから始まり、4月か5月くらいまで続くという現状を考えると、教職だけを取りたいという学生だけではなくて、両天秤にかける学生も多いので、9月が適当ではないか。1回だけでなく、複数回をやってもらう。3回から4回やった後は教育課程センターと連携して、ここら辺の内容は全く学生はわかってくれなかったので反省したいとかいうようなフィードバックを今度は教育課程の先生と一緒にやった方がいいというようなことは指摘してもらって、次年度以降に対してノウハウを引き継げればという形が現実的ではないか。
     
  • 教育実習について、学校にとっては、一律、9月がいいんだとか、6月がいいんだとかいうことは全くなく、それぞれの学校の教育計画に基づいてできるのがよい。
     
  • 教育実習の時期については、一律に云々というところは、なかなかしにくいのか。
     
  • 専修免許の場合には、やはりその専門性。いろいろな学びの過程というのは違うので、その学びの過程の特色を教育実習のところで生かすというふうに考えれば、あまり共通化した云々ということをやる必要はない。1度教育実習も経験しているので、その上にプラス、専門性というところに重点を置いて学校に行くということが大事。

 

その他

  • 博士号は持っているけれども免許は持っていないという、教員がいた。そういった人たちに共通しているのは、高校の教育をしたいという強い熱意であった。しかし、いわゆる教員免許を構成するための授業を学部時代、当然、大学院でも取っていないから、そういったところについては、採用した教育委員会であるとか、あるいは学校現場でどのようにサポートしていくのかということが大事。
     
  • 大学によっていろいろ事情が違うという中でいえば、事前の段階で専修免許状を取ろうとしている、そういう学生同士が意見交換をするような場をいろいろなところでつくる必要もある。
     
  • 特に小学校の授業では、専科の教員も一部いますけれども、基本的にはすべての教科を1人で担当する。そうなると、小学校時代の学びの質というんですか、深さという点で非常に課題があると思う。一つの例として、音楽を専門にしていた先生が国語の授業をするとか算数の授業をするとかといったときに、指導方法として、形はできているんですけれども、本当に算数を学ぶおもしろさであるとか、国語を学ぶおもしろさであるとかといったようなことが十分に理解できているのかというのを感じることがある。

 

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