「心のノート」の改善に関する協力者会議(第1回)において出された主な意見(抜粋)

○ 中学生ぐらいになると、心の内面を書いたりするので、なかなか親にも見せづらいし、子ども同士でも、置いておいたものを取ってきて、「こんなこと書いてあります」ってからかったり、そういうことで活用しにくい面もある

○ 「心のノート」が親と子を結ぶ家庭の力になるかけ橋として役に立つことはできないのだろうか

○ 小学校1、2年のものが、本当ににこのままでいいのかなと感じている。児童は1、2年になる前に6年間、家庭、あるいは保育所、幼稚園を経て小学生になる。ところが、「心のノート」を見ると、そこが始まりのような感じがある。しかし、子どもの6年というのは、大人の10年、20年に匹敵するような、ものすごいインパクトを受ける時代で、特に家庭でどうあったかということが非常に大きな問題で、そこにかなりの目を注がないと、理屈がわかるようになってからでは遅いような気がする。
 そういう意味では、1、2年の内容に来るまでのプロセスをどう1、2年の「心のノート」に反映させることができるのかということがとても重要ではないか

○ 道徳の時間の授業をどう進めるかという観点から、副読本などと「心のノート」を組み合わせた活用の事例などがもっと必要ではないか

○ 今回生活科などで1年生の入学当初については、かなり幼児教育からのつながりを配慮して指導に力を入れるということになっているので、そこで「心のノート」が役立つということが、もうちょっとPRされれば使えるようになるのではないか。もう少し幼稚園からのつながりが、「心のノート」の最初で意識されてもいい

○ 記述欄について、自分の本心を書かせるのか、あるいは本心はそうなんだけれども、それでもやってはいけないことはあるし、思っていても言ってはいけないことを書かせるのか。そのあたりが、記述欄を工夫していくときに問題があるのではないか

○ 答えのないような話を入れて、だれが何を言おうと、一つのやり方、生き方なんだという延長線上で物事を考えさせるということも一法ではないか

○ 「心のノート」はよくできていると思うが、特に難しいのは、現実もわかっているし、自分たちに問題があるのはわかっているけれども、どうしようもない自分がいるという中学生や小学校高学年の子どもたちに向けて何をつくれるかというのが、実際に彼らが本当の意味でどう活用していくのかということで重要なのではないか。規範意識の問題というのは、基本的にそういう問題をはらんでいるので、文部科学省としてやれることと、実際に先生方が現場でやならなければいけないこと、家庭でしかできないことの区分があると思うが、記述欄を改めるのなら、このようなことについても考える必要があるのではないか

○ 小学生だと多分保護者と一緒に家庭の中でいろいろなことができるかと思うが、中学生レベルだとちょっと難しいのかなと思っている。思春期の子どもが、果たして保護者に自分の心の中まで、大っぴらに見せるのか。見せたほうが逆におかしいのではないかと、そんな気もしているので、そこの部分が大事だと思います

○ 小学校、中学校を含めて、扱いが老人を介護するというか、老人が喜ぶことが、お遣いに行ってあげること、肩をたたいてあげることとか、そういうことが非常に多い

○ 老人をいたわる存在だけではない部分で扱う部分が、「心のノート」の中で、せめて一場面ぐらいあってもいいのではないか

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