家庭・学校・地域の役割等に関する主な意見(第1~6回会議から)

家庭・学校・地域等全体

【それぞれの役割】
○ 道徳教育について考える上で、家庭・地域の背景というものは無視できない。また、しつけや教育に携わる大人やメディアなどが、将来の社会に生きる子どもたちに対してどのような姿を示していくかということも大事ではないか。
○ 終戦直後の学校には、GHQの指令により、道徳の時間に相当する授業がなかったが、その時代は、親の世代がしっかりしており、また、学校の教員もしっかりしていたのだと思う。教科書はなくても、いわゆる広い意味での道徳教育は、当時の子どもにも行われていたと言えるのではないか。
○ 公教育と私教育を分けた議論が必要である。公教育の中でやれる徳育というのは何なのか、私教育のほうでお願いするべきことは何なのかということについて、議論をはっきりさせさければならない。

【相互の連携】
○ 学校・家庭・地域が連携した道徳教育が重要である。これまでは、学校に努力を求めることが多かったが、ある意味で、それではもう限界である。
○ 学校が家庭・地域と連携して徳育を推進していくため、連携を進める推進委員の役割を、学校の中に位置付けてはどうか。推進委員になるのは、各学校の実情に応じ、教員でも、外部の嘱託員でもよい。
○ 豊田市では、ある学校を新築する際に、学校内に地域の人が自由に出入りでき、使える部屋を設けていた。このような取組を広めてはどうか。

【総合的な取組】
○ 教育は、生活を通してなされるものであり、生活習慣教育が重要。東京都では、「心の東京革命」と称して生活習慣の教育を推進しており、子どもに伝えていくべき内容を7つの呼びかけとしてまとめた「心の東京ルール」を提案したり、家庭に対しても、「1日はおはようで始まり、おやすみで終わらせよう」など、よくできたスローガンで運動を広めている。
○ 民間の団体にも、道徳教育にかかわり、よい取組を行っているところがある。そのような団体への助成も考えてはどうか。
○ 道徳教育に関する研究を国が継続的に行っていく必要がある。「国立国際道徳教育研究所」のような組織を創設して欲しい。
○ 一人一人の子どもの資質を見抜いていけるような雰囲気の関係を、親と教師と社会のみんなで作り、みんなで学んでいけば、フリーターやひきこもりの子どもたちの可能性や希望がもっと立ち上がってくるように思う。

親・家族

【親に対する教育・支援】
○ 子どものしつけは親がするが、親のしつけは誰がするのか、それは具体的にどんなふうにしたらよいのか、親自身は家庭でどうしたらよいのか、という問題もある。
○ 親教育こそが大事である。例えば、学校や地域で「早寝早起き朝ごはん」や「ノーテレビデー」といった取組を進めるときも、数%ぐらい協力しない保護者、家庭があるが、そういう親にどうしたらいいのかということが非常に重要となる。また、様々な困難を抱える家庭もあり、そういう家庭的背景をもつ子どもには、地域ぐるみ、あるいは学校、保護者、全体が取り組んでいかなければならない。
○ 徳育は、学校教育からでは手遅れであり、親が率先垂範して行わなければならない。「育児のための育自」とも言われるように、親にとって子育ては、子どものためであると同時に、自分が育つための機会でもある。親に対し、ショックを与えるような方法も必要ではないか。例えば、明治期のある小学校の校長は、親の心得として、「教育は家庭で芽が出て、学校で花が咲き、世間で実がなる」との心得を示すとともに、子どもを豊作の畑と枯れそうな畑のに連れて行き、「おまえも、きちっとしないと枯れた畑になるよ」と、非常に即物的な分かりやすい教え方で教えている。
○ 子どもにとっての親の存在は非常に大事で、親の問題もいろいろ指摘されている。「問題」としてしまうと親を責めることになってしまうが、重要なのは、むしろ親をどう支援していくかなのではないか。おそらく問題がある親というのは、親自身が悩んでいることが多いわけで、きちんと情報を提供しながら親を支え、その中で子どもを育てるという視点も入れていく必要がある。
○ 人間の赤ちゃんは物に対する感性よりも、対人関係に対する感性の発達がすごくすぐれているということが実証的に明らかになってきている。そういうことを考えると、感化というものをいい形で及ぼしていけるような家庭環境を支援していくこと、つまり子育て中の夫婦が自らどういう家庭づくりをしたいのかということを、安心して語り合い試行錯誤し、失敗も許されながらやっていけるような、親への応援となる情報を、商業主義に負けない形でつくっていく必要があると思う。

【 家庭において進めるべき取組 】
○ 道徳教育を考える際にも、特に親子での共通体験というものが重要だと思う。共通体験のある親子は、思春期に子どもが離れそうになっても、ひとつの共通体験によって心が戻るという経験則がある。

学校・教師

【 カリキュラム 】
○ 日本の学校では、例えば、頑張ることを教えるとか、団結して皆のためになるような活動をする時間として、特別活動の時間が考えられてきた。また、以前は、掃除当番をサボるとホームルームで取り上げて議論するといったように、ある意味で学級で民主主義を実践するという意識が非常に強かったと思う。その弊害もたくさんあったとは思うが、このように広い意味での道徳性の教育が、特別活動により担われてきたという点が、欧米とは異なる特徴だと思う。最近の学校におけるカリキュラムでは、どうしても教科の教育に重きが置かれ、このあたりに十分配慮し切れていないという問題点もある。そういう意味では、改めて道徳と特別活動の位置付けやその中身というものについて、考える必要があると思う。
○ 中学校の部活動も、単に運動能力を伸ばすとか、チームで勝つというだけではなくて、授業では十分吸収し切れない子どもたちの伸びたい気持ちを生かし、規律ある生活を可能にしていくという点で、大事な意味を持っていると思う。
○ 戦後の学校では、道徳の時間ができても、実態は、ほとんどビデオ・テレビを見せるだけとか、あるいは学校行事で犠牲になるとか、形骸化している面がある。
○ 高等学校も含め、学校の教育課程の中で道徳をどうするのかについては、考える必要がある。
○ 例えば、茨城県では、県知事の政策として、高等学校のカリキュラムに道徳の時間が導入され、教科書も作られている。(東京都でも、都立高校の科目として「奉仕」を必修化するなど、)自治体単位でも、独自の取組が行われている。

【 学校において進めるべき取組 】
○ 学校は、まず学校の目標があり、その下に、学年目標、学級の目標があり、さらには今週のめあて、今日のめあてと、とかく目標だらけだか、キャラクターエデュケーションを進めているアメリカの学校の例にあったように、週単位、月単位で、その週・その月のシンプルな道徳目標を決めるというのは、悪くないと思う。
○ アメリカの事例では、小学校におけるキャラクターエデュケーションのプログラムの中で、若者が小学生にミュージカルを見せていた。我が国でも、学校や地域における様々な教育プログラムを、大学生と連携・協力して行ってはどうか。そのような取組は、大学生にとっても、市民としての責任やマナーを学ぶ良い機会となる。
○ 学校では、社会の中でまじめに生きている大人たちと接触できる機会というのが少ない。例えば、鹿児島市の学校では、全校の敷地内に公民館があり、学校が、集団宿泊施設的な役割も果たしたり、合同で祭りなどをやっていくような場としても位置付けられ、子どもが大人とのかかわりを自然と持てるようになっているが、このような視点からの学校改革的なものも必要ではないか。
○ 「勉強ばかりやっているから心が荒れる」といった話が、一般にはスムーズに受け入れられるが、自分の知っている学校では、むしろ、きちんとした学習習慣を身につけることによって、短期間で子どもたちが落ち着いた生活をするようになっている。

【 教師等 】
○ 戦後、民主主義で平等ということが非常に強調され、学校では、教師が教壇に上がって偉ぶるのはおかしいからと、教室から教壇がなくなったが、これは戦後の民主主義の最大の誤解だと思う。教壇は、マックス・ウェーバー流に言えば制度的権威にかかわるものであるが、権威にはさらに人格的権威もある。近づきがたいけれども親しみがあるという矛盾した要素を持っている教師が、人格的権威のある教師ということになるようだが、戦後の教室の実態を見ると、子どもと教師の関係は友達関係になってしまい、権威どころではなくなっている。
○ 昔の学校の先生は怖い存在であり、家庭でも、学校で教えられたことを厳守させ、それに違うことがあると、「先生に言うぞ」といって脅すといった場面があった。それが、現在では、学校で教えても、家庭がその教えと矛盾するようなことを言い、学校は学校、家は家というような二重のルールが生まれてしまっている状況がある。
○ 学校が家庭・地域と連携して徳育を推進していくため、連携を進める推進委員の役割を、学校の中に位置付けてはどうか。推進委員になるのは、各学校の実情に応じ、教員でも、外部の嘱託員でもよい。〔再掲〕

地域と社会の規範

【地域の実情】
○ 学校選択制を導入したところでは、学校区単位の地域といった枠組みにも変質が生じてきている。一方、学校では、地域に根ざした教育として、その学校のある地域について学ぶ学習活動が、道徳教育の中でも盛んに行われている。
○ PTAへの加入率は、現在、関東圏では50%くらいだが、地方へ行くほど100%に近づく。関東圏では、学校選択制になって、1つの学校を地域の中で見守ることができない状態のところも多くなっている一方、なお、保護者会や学校支援地域本部があり、校区の中でまとまって何かをするというところもある。
文部科学省の施策の中でも、例えば、すこやかネットや学校支援地域本部といったものが、地方に根ざしており、中学校区を中心に、保護者と地域団体が協力して、子ども達のために何かをやっていこうという動きがある。
また、地域には、それぞれ伝統行事や地域の祭があって、その中で、世代間交流をしたり、青少年のかかわりを経験したりながら、子どもたちが多くを学んでいる。
このように、親以外の周りの大人がかかわりながら、地域の中で子どもを育てている現状はある。

【地域において進めるべき取組】
○ 大阪における「親を学ぶ」講座のように、親になるための学びを進める勉強会やワークショップの取組が、地域のボランティア等により草の根的に展開されている例もある。参加者は、そうした活動の中での気付きを通して、子どもへの接し方を変えていったりしている。親としての資質といったものは、元来、家族の中で自然に学ばれたものだったかもしれないが、そうしたことが実際には難しくなっている。これらを踏まえれば、「親になるための学び」を提供する社会的機能については、コミュニティーの中で担っていくのも一つの方法かと思う。
○ 子どもたちの日常生活(ライフスタイル)、特に社会生活において、地域ボランティア活動というものを、徳育から、新しく切り開く必要があるのではないか。例えば、災害地においては、コミュニティの復活等の面からも、ボランティアがなくてはならない役割を果たすなど、新しい世界を開いてきている。学校だけでは子どもに対応し切れず、家庭もだめとなったときに、このボランティアの新しい姿が、これらをつないでいく役割を果たしていくことを期待したい。子どもが地域のボランティア活動にどう入り込めるのかは、発明していかなければならないことだと思うし、それがなくれは地域の再生もできないのではないか。

【 その他 】
○ 一口に地域といっても、自治体なのか、自治会なのか、学校区なのか、その主体の捉え方によってできることが全く異なる。実際に行われていることも、それぞれの地域ごとに多様であり、全国には様々な事例がある。そうした多様な事例については、情報が流通していないため、せっかくのものが、地方の1つのエピソードで終わっているが、地域のかかわり方に関し、抽象的概念だけで論じても、実効性がないのではないか。そのあたりはもっと突っ込んで議論する必要があるのではないか。

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