学校の組織運営の在り方を踏まえた教職調整額の見直し等に関する検討会議(第9回) 議事要旨

1.日時

平成20年8月21日(木曜日)15時~17時

2.場所

文部科学省 東館 7階 第1会議室

3.議題

  1. 審議のまとめ(案)について
  2. その他

4.議事要旨

(1) 事務局より、配付資料の確認が行われた。
(2) その後、自由討議となった。

【委員】

 1ページの下から3つ目の「そして、今後求められる教員の勤務時間管理などの在り方を検討するためには」という固まりですが、勤務時間管理などの在り方を検討するためには、3行目、「学校の組織運営体制などの学校の在り方の検討が前提になる」という論理ですけれども、勤務時間管理などの在り方というのは、実は学校の組織運営体制などの学校の在り方の中に入っていると思うんです。ここはちょっと論理構成がおかしいかなと思います。
 これは何度も出てくるんですけれども、「教員が教材研究などの自己研鑚に励む」、どうもこの「教材研究などの自己研鑚」というのがひっかかるんです。教材研究はもちろん自己研鑚の側面もありますが、職務を遂行するために必要なものなんです。ですから、例えば「教員が教材研究などを充実させることができる」というような表現にしたらどうかと思います。
 それから、(2)の学校の役割の明確化の、4ページの最初の丸のところですが、「上記の学校が行うべき業務とされたものについて、学校とその管理機関である教育委員会との間での役割分担についても明確にする」、その下にも「教育委員会と学校とで、どのような役割分担を行っていくべきなのかなどについて検討を進め」とありますが、学校と教育委員会は、役割分担をするような間柄ではないと思うんです。設置者管理主義ですから、教育委員会が学校を設置をして、学校教育を行うに当たって校長先生にいろいろなものを委任しているわけでありまして、役割分担という表現は、地域と学校の役割分担ということでしたらわかるんですけれども、教育委員会と学校が役割分担をするという表現は、関係上おかしいと思います。
 それから、同じ丸のところなんですけれども、「事務的な業務や法的な問題が絡むトラブルなどについて教育委員会による集中管理を行う」とありますが、「法的な問題が絡むトラブル」というのは追加されたようですけれども、カットしたほうがいいのではないかと思うんです。法的な問題が絡むトラブルでも、教育委員会による集中管理というと、学校が関与せずに教育委員会だけが対応しているような感じですけれども、どんなトラブルであっても、やはり学校が前面に出ながら、それを教育委員会がバックアップするという形でないと、いい解決はできないと私は思っておりまして、事務的な業務などについて教育委員会による集中管理を行うというのはあり得るかなと思いますが、法的な問題が絡むトラブルを集中管理するというのはあり得ないのではないかと思います。
 それから、4ページ目の2の学校の組織運営体制の整備・充実の2つ目の丸のところで、「教員の業績評価」という言葉をどこかに入れていただけたらと思います。学校の全体についてまとめてここで述べているところですので、評価について一言入れていただいたらいいかと思います。
 それから5ページ目の2つ目の丸のところですが、「ただし、外部人材の活用については、責任の所在が曖昧になることや調整による負担の増大などの問題があるという批判もある」、ここの「批判」というのはちょっと強いんじゃないかなと思うので、「責任の所在が曖昧になることや調整による負担が必要であるという意見もある」という程度の表現がいいのではと私は思っております。
 というのは、そういう方も外部人材を活用するということ自体を批判しているのではないと思うんですね。ただ、調整などに時間がとられるので、調整する時間を生み出せるようにしてくださいという趣旨だと思うんです。ですから、批判という表現だときついかと思います。
 それから、「非常勤の職員として学校で勤務してもらうことなどの方策も考えられる」とありますが、ちょっと表現がおかしいので「非常勤の職員とする方策も考えられる」という表現でよろしいかと思います。
 その次に行きまして、5ページの下から2つ目の丸のところですけれども、2行目の「校長の全体統括の下、主幹教諭の中間統括や指導教諭の指導を受け」と、ここは副校長、教頭が全然出てこないので、入れていただければと思います。
 それから6ページ目ですけれども、(1)の1、5行目の「校長は、部下である教職員の勤務時間外における勤務の内容や」とありますが、「勤務時間外における勤務」というのは表現としておかしいんじゃないかなと思いますので、「勤務時間外における業務の内容や」というほうがいいなと思いました。
 次に5つ目の丸、7ページの一番下から8ページ目になりますけれども、アンダーラインのところですが、「また、勤務時間外においても、『学校経営』、『会議・打合せ』、『事務・報告書作成』などの、各教員の自発性というよりも学校運営上の必要性からなされる業務が少なくない」とありますが、学校経営は校長がするものであって、教員がするものではないと思うんです。学校経営に係ることで、校長先生から指示されて何かをやるというのは、学校運営ですとか教育活動になると思いますので、「学校経営」はふさわしくないと思います。それから、その次の「各教員の自発性というよりも」という部分は削除して、「『事務・報告書作成』などの、学校運営上の必要性からなされる業務が少なくない」としたほうがいいと思います。
 それから、その次の丸のところですけれども、「特に、学校が外部からの様々な要望に対応しようとする際に、管理職や教育委員会の側に教員を働かせることについてのコスト意識が働かず、無定量に増幅させており、その結果、教員の無定量の時間外勤務を招いているとの批判もある」とあるんですけれども、これはこういう批判が実際にあるんでしょうか。
 教員を働かせることについてのコスト意識が働かない教育委員会というのが果たしてあるのか、私には疑問なんです。
 その次は9ページ、1の教員の勤務時間管理の5つ目、最後の丸なのですが、「時間管理を優先させると退勤を促すことになり持ち帰り業務の増大による制度と実態との乖離の拡大や教育の質の低下につながる懸念があること」と書いてありますけれども、「という意見がある」という程度のほうがよろしいかと思うんです。そういう懸念があると断定していることになりますので。
 それから、10ページの3教員の適切な処遇のところですが、「各教員を適切に評価し」とありますが、教員を適切に評価するというのは人を評価するみたいですので、「各教員の業績を適切に評価し」とか、何か言葉を入れたほうがいいと思います。
 それから、同じところの丸で、「そして、各教員の残業時間の長短や、学校の運営上必要な業務に従事したか否かに拘わらず、一律に給料の4パーセントの額が支給されている教職調整額についても、適切に教員の時間外勤務の実績を評価して処遇できるような給付制度に見直すことが必要である」という部分は、もうちょっと文章を精査したほうがいいかと思います。
 12ページですけれども、(1)の最初の丸、やはり6行目に「教員が教材研究などの自己研鑚に励んだり」というのがありますが、教材研究というのは自己研鑚という、あるステレオタイプみたいな表現が続くのはよくないと思います。例えば、1つの学校の中で勤務時間内に校内研修を行って教材研究をやった場合に、それは自己研鑚なのかというと、一人一人の力を伸ばしていくことにはもちろんつながっていくわけですけれども、全体のチームとして力量をアップしていこうという校内研修ですから、教材研究が自己研鑚だという一定的な考え方は、よくないと思います。
 あと、13ページの(2)に1教員の職務の特殊性とありまして、ずっと自発性、創造性に基づくということが書いてありますが、自発性や創造性に基づくことが特殊性なのかというと、私は特殊性ではないと思うんです。ここの文章の中にはいろいろな意見があると書いてあるんですが、私は、教員の職務、業務のかかわっていく相手が人であって、多くの児童や生徒の生涯に大きく影響を与えていくような立場にあるということが教員の職務の特殊性であって、ここの1の表題そのものを「教員の職務の特殊性」として、その後で自発性や創造性だけを論ずるというのは、自発性、創造性が教員の職務の特殊性ということを暗黙のうちに認めていることになるので、この表題を変えたほうがいいと思うんです。
 それから、1の2番目の丸なんですけれども、「これについては」の「これ」は、多分1つ目の丸の「意見」を指していると思うんです。「この意見については」ということだと思うんですけれども、3番目の丸の「これ」というのが何を指しているのかちょっとよくわからないです。
 それから2番目の丸のところで、「教員も学校という組織を構成する一員である以上」とありまして、その次の行、「教員に求められる自発性や創造性というのは、あくまでも学校として必要な業務を遂行するに当たって、各教員の判断により最も適切だと考えられる手段や方法などにより処理することが求められることと考えるのが適当である」とあります。この表現は自発性や創造性というものの、ある意味で定義をしているような意味合いもありますけれども、教員に求められる自発性や創造性というのは、もちろんこういう学校として必要な業務を遂行するに当たって求められるということもありますが、それ以外にやはり教育という、深めていけば限りのない職務を遂行するに当たって、それこそ自宅で自発性や創造性を発揮するということもあるわけです。
 それから、この表現ですと、「あくまでも学校として必要な業務を遂行するに当たって、各教員の判断により」と、要するに学校として必要な業務を遂行するに当たっては、各教員の判断で行っているんだという論理構成になっているんです。そうではなくて、あくまでも学校として必要な業務を遂行するに当たって、学校長の経営方針のもとで自発性や創造性は発揮されるべきものであると思いますので、「必要な業務を遂行するに当たって」の後は「学校長の経営方針の下で」という表現がきちっとあるべきではないかと思います。
 14ページの2の管理職の負担の直前の丸です。「教員の自発性や創造性に基づく職務とそれに対する給与上の評価をどのように行うかなどについては、今後さらに検討を進める必要がある」の2行は私は要らないと思うんです。さまざまな意見があるよということを述べて終わっていいのではないかなと思います。やはり自発性や創造性に基づくものというのは、教員の職務だけではない。そういうことについては、その前の13ページで書いてありますから、私はこの2行は要らないと思います。
 あと、勤務時間の弾力化のところなんですが、17ページの2つ目の丸のところですけれども、「仮に1年単位の変形労働時間制を導入するのであれば、現在の長期休業期間中における業務の在り方を見直すことが、まずは必要となる」、これは改行して独立させたほうがいいと思います。つまり、2行目の半ばから読みますと、「勤務時間を短くすることは困難ではないかという意見もある」として、改行して、「現在の」をカットして、「仮に1年単位の変形労働時間制を導入するのであれば、長期休業期間中における業務の在り方を見直すことが、まずは必要となる」としたほうがいいと思います。現在の在り方を見直すというのはちょっとおかしいと私は思います。
 最後です。17ページの週休日の振替の促進の1つ目の丸ですが、最後の行に「勤務時間を割り振ることが必要になると考える」とありますが、要するに長期休業のほうに週休日の振り替えを行うということが必要になると考えると限定するのは早いと思いますので、「勤務時間を割り振ることの検討が必要であると考える」というほうがいいかと思います。
 それから、その次の丸ですけれども、「その際、週休日の振替を実効あるものとするため、現在の長期休業期間中における業務の在り方を見直すことも必要である」という2行の意味がよくわからないんですけれども、要するに週休日の振り替えをしようとしても、長期休業期間中にもいろいろな業務が入っていて振り替えができないということで書かれているのかなと想像しますが、週休日の振り替えができないほど、今現在の長期休業期間中に業務がびっしり入っているというのはちょっと考えにくいです。もちろん毎日毎日部活動をやっている先生もいますから、夏休みに週休日を振り替えようと思ってもできないということで、見直したほうがいいという意味で書かれていると思うんですが、「週休日の振替を実効あるものとするため」というのは削除したほうがいいのではないかと思います。

【委員】

 「管理職や教育委員会の側に教員を働かせることについてのコスト意識が働かず、無定量に増幅させており、その結果、教員の無定量の時間外勤務を招いているとの批判もある」という箇所について、このような批判があるのかというご質問がありました。全くコスト意識が働かないということは、もちろんあり得ないと思うんですけれども、ここで言うコスト意識は、ある仕事を増やした場合にどれだけの限界的な追加の賃金を払わなければならないのかという話でして、例えば、ある会議に2時間働いたからといって、単純に40時間で割った2時間分ということではなくて、40時間が42時間、46時間になったとしても賃金総額が変わらないという意味での話なので、そういう意味では幾ら延ばしても払うべきお金は変わらないということに少なくとも制度上はなるということです。
 だから、実際にはどうかはともかくとして、制度の仕組み自体がそうなっているというのはやはり否定できないのではないかと考えます。もちろんサービス残業という別の問題がありますから、時間外勤務手当制度あるいは割増賃金制度を導入したからといって、サービス残業がなくなってコスト意識が強く働くのかというと、そういうことではないと思いますが、制度的にそもそも追加の賃金支払というブレーキが働かないというのはやはり指摘できるのではないかと思います。

【委員】

 労働法なんかがやっている人のこういう批判を私は何度も聞いているし、論文とか本の中でもこういうふうな言及は結構あるんです。

【委員】

 多くの校長は、やはりこんなに残業というか、勤務時間外で勤務させて、たったこれだけの給料しかもらっていなくて、結果的には1時間当たりの賃金というのは非常に低くなってかわいそうだ、何とかしてあげたい、なるべく仕事を精査してあげたいという意識は非常に持っていると思うんです。
 ですから、制度上のというような今のお話のニュアンスと、この文章の書いていることは乖離があるように今のお話を伺って私は感じました。

【委員】

 教育委員会というのは、いわゆる管理系と指導系とに分かれるんですけれども、管理というのは、例えば教職員課とか、総務課とか、学校施設課とか、要するに予算を母体として学校をどう経営するかといったような部署にいた職員は、コストということは絶えず念頭に置いてやるものですから、そういうところを経験してから管理職になっていく人は、必ずそういうマネジメントという意識があるんです。
 ところが多くの校長の場合は、やはり指導系からなっていくことが多いんです。それは例えば指導主事とか、そういう立場だと、いわゆるコストとか予算という概念は、そういう経験がないものですから、その辺が弱いと思います。学校行事をするときにも思いだけが先にいって、後からその予算はどうなるかというような場合が多いです。例えば、事務からそういう指摘を受けて初めて気がつくとか、単純なことですけれども、本来は管理職になる前に、それで管理職が務まるかという批判もあるんですが、実際に学校現場を見ているとコスト意識のないままに教頭とか校長になっていくことが結構あるという認識を私は持っているので、ある意味ではこういう批判は厳然としてあるように思います。
 教育委員会にいれば、絶えず予算を意識してしか物を考えないということはしみついてきますから、それはわかるんですけれども、ほとんどの校長などの管理職は教育委員会の経験のないままになる者のほうが大半ですので、例えば、教育センターなどで口を酸っぱくして言うのは、やはりマネジメントとしてはそういうコスト意識を持つようにという講座を取り入れていくというようなことは最近よくあるんですけれども、それはそういう批判にこたえる教育委員会の姿勢だと考えています。
 こういうふうに書くと、全国からこういう批判が多く来ているように受け取られると思うんですけれども、そんなことなくて、ほんとうに心の中で苦しみながら学校経営している校長が多いと思うんです。

【委員】

 法的な問題が絡むトラブルの処理の話なんですけれども、私もトラブルは基本的には現場が対応すべきだと思います。そのほうが学校もやりやすいんです。保護者もそのほうが信頼感を持ってくれると思います。ただ、法的な問題が絡んできてしまって、例えば大きな事故で和解しなければいけないという問題になってくると、やはり教育委員会の積極的な支援が欲しいと思います。だから、ここのところは、「例えば、事務的な業務の集中管理や法的な問題が絡むトラブルへの積極的支援を教育委員会が行うことなどが考えられる」というふうに直したらどうでしょうか。

【委員】

 10ページから11ページにかけてなんですけれども、ここの記述は給与制度の観点からいうとやや議論が混乱しているような印象を受けます。いわゆる人事考課とか実績評価とか、狭い意味での評価を反映した給与制度というものと、それから職務の責任や困難度をある意味で事前にといいますか、職務それ自体として評価して、級の格付とか手当とか、あるいはいろいろな制度に結びつける給与制度というのは、制度上かなり異なった議論だと思うのです。時間外勤務手当の意義は、その時間外勤務手当でその人が一生懸命働いたという実績を評価しているのではなくて、例えば命令に従って正規の時間で終わらない業務をとにかく負荷されたことに応じたものであって、業績を評価して処遇しているものではないと思うのです。
 この場合の評価という意味が、事前の職務の負荷を評価したという話と、それから事後的な実績を評価した場合の2通りで使われているので、正確を期すのであれば、11ページの「実績を評価して」というのは、あまりよくないのではないかと考えます。少なくとも時間外勤務手当という一般的な制度を導入するのであれば、あまり適切ではないと思うんです。
 全く新たな時間外勤務について業績を評価して出すという事後的な、かなり特殊な制度を導入するのであればこういう書き方になりますが、そこまでは想定していないと思うので、時間外勤務の実態に応じて処遇して、実態として働かせたのだからちゃんと手当を支払うということですよね。原案では、ちょっとここは議論が混乱しているように思うんです。
 書き方としては、10ページの適切な処遇で、今回時間外勤務手当を1つの重要な選択肢として出すのであれば、いわゆる事後的な業績評価に応じた給与体系の話とは全く別にしたほうがいいのではないかと思います。

【事務局】

 前回のご議論のときに、そういうメリハリある給与という視点も、評価に基づくものも入れておいたほうがいいのではないかというご意見もありましたので、そのことについて言及しながら、整理をしたいと思います。

【事務局】

 大きな話として、ちゃんと業績を評価して、それに応じた処遇にしましょう、それは査定昇給にしましょうとかいうのも当然入っていますし、それはそれで進めていかないといけないわけです。それで、「そして」以下のところは教職調整額について絞って言及した上で、教職調整額についても一律なので、そこはちゃんと差がつけられるように、メリハリがつく、実態を反映した形にしましょうということを続けて書いてしまっていて、その前の部分と後ろの部分がつながっているようにも読めるかもしれないので、そこは工夫したいと思います。

【委員】

 3ページのところでの教材研究、教育観ということに触れるんですけれども、ここにこのフレーズが入ってきた意味というのは、私もぜひお願いしたいと思ったのは、今回の検討会議が教職調整額を検討することで、給与がダウンするという負のイメージが先行するようなことを払拭する意味がある。それは教員の勤務状況を改善することによって、3ページの丸の2つ目、「教職の魅力を高める」ということですね。ほんとうに膨大に教員の勤務内容あるいは勤務時間がどんどん膨れ上がっている。そのことによって、例えば教材研究など、そういうこともする余裕もないということを改善することが教職の魅力を高める、プラスのイメージになっていくということで、ここに入れることは大切だと思います。
 教員の自己研鑽については、いろいろ意見があると思いますが、やはり教材研究というのがメーンではないかと思います。これは学校種にもよると思いますが、学習内容を検討する、あるいは指導方法について研鑽するとかいろいろありますが、そういうことの前提として、いかに子供に合った教材を、どう研究するかということが自己研鑽につながっていると私は思うので、教材研究は当たり前だというようなとらえ方もできないことはないけれども、それすらできないことについて、勤務状況を改善する意味があるというところで、ここに入れる必要があるのではないかと思います。

【委員】

 13ページの「自発性や創造性に基づくという特殊性に鑑み」という部分、これはある意味で一定の見方を既に内包しているということで、確かに現場の先生方とか、あるいは教育現場の方の認識と一致しない可能性もあるんですが、これは教職調整額が導入されたときの人事院の見解なので、それが実態に合っているかどうかはともかくとして、論点上はこういう書き方をせざるを得ないと思います。人事院の見方が正しいかどうかはともかくとして、人事院はこういうふうに整理して、それに基づいて教職調整額を導入したわけです。
 今回それを見直そうというわけですから、幾つか見直しの理屈の立て方があります。人事院はそういうふうに整理して、現行教職調整制度は創造性、自発性に基づいているからこういう特殊な制度をとっているけれども、そこから先は2通りあります。1つめは、もう自発性、創造性は、教職だけに特に目新しいものではないのだから普通の一般の時間外勤務を導入できるというロジックです。2つめは、自発性や創造性はあるけれども、しかし時間外勤務手当も導入できるんだというロジックです。両方成り立つと思うのですが、いずれにせよ、これまでの議論あるいは制度のロジックに基づいて説明しなければいけないと考えます。

【委員】

 給特法成立時の考え方を簡潔にでも示しておいたほうがいいと思います。

【委員】

 自発性、創造性のない職業が世の中にあるのかと言われれば、どの職業だってそれはあるんですけれども、やはり教員は子供を相手に成長、発達に応じてかかわって、一人一人の子供に合った指導方法とか教材研究も含めてやりますので、ほかの業種にはない自発性とか創造性というのが特に求められる職業ではないかと私は思います。

【委員】

 15ページですけれども、5の1つ目の丸の、時間外勤務手当を導入した場合に、手当をもらうために残業時間を増やそうとするのではないかという批判はあるかもしれないですが、あまり合理的な批判とは思いません。むしろ切実にあるのは、予算はないけれども、仕事はあるから、事実上サービス残業になってしまうという懸念のほうが大きいのではないでしょうか。

【事務局】

 この部分は前回の会議で、時間外勤務手当にしても、逆に残業時間が増えるという論もあるというご指摘をいただいたんです。

【委員】

 論理的にはそのとおりあると思うんです。つまり予算がなくても、実際に労働をしていれば、裁判すれば、これは払わざる得なくなるので、論理的に、労働法的に言えばまさにそのとおりなんです。ただ、むしろ現実にみんなが心配していることは、予算がとれないんじゃないかというほうじゃないかと思います。

【事務局】

 17ページの「週休日の振替の促進」というところで、先ほど「勤務時間を割り振ることの検討が必要になる」と修正したらいかがかというご意見をいただいたんですけれども、事前に計画されている土日の部活動というのは、事前に計画されているということですから、少なくとも現在の制度においても、事前に計画する以上は、やはり勤務時間を割り振った上で計画するのがあるべき姿だと思うんです。ですので、ここを「割り振ることの検討が必要になる」としてしまうと、割り振らなくてもいいということが前提になってしまうのではないかと考えます。

【委員】

 基本的には振り替えをするのが大前提で、教員に限らず、休日等に出勤した場合には心身の負担が過大にならないように、その前後で振り替えするのが当然だと私も思っています。この文章を、長期休業期間中などに割り振ることが必要になるというふうにとらえてしまったので。

【委員】

 これは部活をやる週休日に勤務時間を割り振るということなんですよね。

【事務局】

 そうです。

【委員】

 そういう意味が通るように書いていただければ問題ないと思います。

【委員】

 4ページの法的問題のトラブルは、むしろ一般行政部門から言うと、教育委員会が法的なトラブルを抱え込んで、いつも総務部とか法制課に相談に来るのは、手が施しようもなくなってから、というのが非常に評判が悪いので、教育委員会でと言われると、これは一般法務管理部門は非常に嫌がるだろうなと。そこの体質こそが問題だと彼らは思っているんです。

【委員】

 5ページの外部人材のところは確かに「批判」というのはちょっと強過ぎるので、ご指摘があったように「問題があるという指摘がある」とかいう表現でいいと思います。

【委員】

 その次のところで、先ほど表現がおかしいのではないかという、非常勤職員のところなんですけれども、これは単純に「非常勤職員を配置することなどの方策も考えられる」でいいと思います。

【委員】

 「勤務時間外における勤務」というのはおかしいというご意見がありましたが、これはおかしいんでしょうか。

【委員】

 私は統一したほうがいいと思うんです。ほかは大体「時間外において処理されている業務」とか「時間外の業務」とか、「業務」という言葉を使っているので、私はここも「業務」のほうがいいと思うんです。
 あと、4ページのところの教育委員会と学校との役割分担という表現についてもご意見がありましたね。

【委員】

 学校と教育委員会の役割が完全に区分されているわけではないので、多くの場合は重なっている部分があるんです。特に、管理職が担う部分、それから事務的な分野です。教育の内容について、直接子供とかかわることについて、それを分担するということはできないでしょうけど、事務的なことについては確かに担うべき役割は分担するところもあるかと思います。

(3) その後、案文の修正については、座長に一任となり散会となった。

—了—

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初等中等教育局財務課