主な論点 |
主な意見 |
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- 幼児教育の定義がはっきりしないと論点がずれていくのかと思う。なぜかと言えば、中教審の答申で幼児教育の定義がなされているが、そこでは、家庭で育つ子どもも含めて、幼児教育だという定義である。研究会の資料を見た際に、ここでいう幼児教育とはどこを指すのかと疑問に思っていた。(第1回)
- 行政の会議にいくつか関わったが、定義としては、就学前の全ての幼児という意味で幼児教育という用語が使われていたかと思う。しかしここではいわゆる施設保育ということか。アメリカでは施設保育か、非施設保育かということで家庭保育も含めるが、ここでいう幼児教育は施設保育を指すのではないかと思っていた。(第1回)
- 幼児教育という用語は曖昧な部分を含みながら今まで使われてきた。だからここで幼児教育は何かを明確にすることは無いかと思うが、先程の説明資料の範囲でいえば、御指摘のような幼稚園、保育所をイメージした施設での教育ということか。そこを主に考えていくのかと。無償化の対象とするような幼児教育はまさにそこを指している。家庭での保育に保育者が入るような場合も、視野には入れてもいいのではないかと思う。あまり厳密に範囲を決めなくてもいいかと思う。(第1回)
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- 無償化の対象とするべき施設類型について
(幼稚園・保育所・認可外保育施設等について)
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- 同じ日本の子どもなのに、どうして保育所、幼稚園、認可外保育施設など施設によって公費負担が異なるのか、平等性に欠ける。(第2回)
- 幼稚園・保育所・認可外を所管している県の立場からすれば、当然のこととして一つの施設だけではなく、すべての施設を対象にしていただきたい。認定こども園の地方裁量型も考慮していただくと非常にありがたい。(第2回)
- 認可外保育所に通う子どもたちは幼稚園の1割の20万人いるのだが、そういった子どもたちの幼児教育をどう保障するのかといった問題もあるのではないか。(第1回)
- 質の担保といったときに、ある程度行政が基準を定め、そこに公的に関与があるということで質の担保がある。評価も含めてだが、担保がされていると考えると、認可外保育施設に通っている子供たちの就学前教育の無償化はどう考えたらいいのか。質が担保されないからといって、外してしまったとすれば、より厳しい状況におかれている親が子どもをそこに通わせている状況があることをどうするか。(第2回)
- 質が保障されなければいけないということと、認可外にも出すのかどうか、認可外もそこでの子どもの実存ということを考えた場合には、そこに手当てをするべきだといった考えもあるかもしれないが、ある程度きちっとしたものに対して援助するという考え方が必要だと思うので、質の論議はとても大事だと思う。(第3回)
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- 0、1、2歳といったところは家庭的な保育を大事にしていこうという感じが非常に強いと思う。次世代育成支援の行動計画を作る際に、住民アンケートをとると、何歳くらいまでのお子さんについて自分で育てたいかといった問いの回答では、三歳くらいまでは自分の手の内で育てたいというのが一番高いタイプだった。もちろん一歳までとか二歳までとか小学校上がるまでとか色々あるが、大抵そのような感じであった。(第2回)
- 北欧圏は0、1、2歳の乳児の保育所の通園率が4割とかきわめて高くて、最初から社会が集団で子どもを育てていくといった発想であるのに対して、他の国はできれば家庭で、最初は家族と共にという文化があって、そうするとやはり3歳くらいからが、幼児教育としての方向なのではないか。(第2回)
- 3~5歳、あるいは就学前保育といったときにどこを考えるのか、ということも念頭にいれておく必要があるのではないかと思っている。特に今は、在宅の0、1、2歳の子育て家庭の子どもたちが、他の子どもたちと触れ合える機会がないということを考えると、その乳幼児の部分に何らかの手を当てていくことも考える必要があるのではないか。(第2回)
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- 2.発達心理学的観点から見た集団教育の適性について
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- 発達心理学的に言えば、二者関係ではなく三者以上、それから教材や環境というような間に媒体物があることによって他者との関わりを深めることができる知的な表象が頭の中にできて、関係が作れる、そういった年齢としたら3歳ということが妥当な線だろうというふうに考えている。次回にでも資料を出して頂ければありがたいが、二歳児特区について文科省がモデルを作られたときにいくつか視察をさせていただいた。そのときの報告書が上っているかと思うが、確かに2歳においても、椅子に座っているとかある意味しつけ的に形態を整えることはできたとしても、関わりとして3歳以上の集団のように教育・保育をやっていくのはかなり難しいのではないかという、個人の意見ではなく、何人かモデルに関わった委員が一定の知見として出しているものがあると思う。そういった意味で、2歳までと3歳では発達的に違っているだろう。委員が言われたとおり、保育所保育指針は、0歳から就学までを一貫して保育と考えているが、今回の保育所保育指針の中ではこれまでと違って、3歳未満と3歳以上で、取り扱いを分けて考えるという基準を出しているので、幼稚園だけではなくて保育所に関わる人たちにとっても2歳までと3歳以上は違うというような認識というものはあるのではないだろうかと思う。(第3回)
- 今、ここで考えている「幼児教育」は施設教育であり、集団による教育と考える。保育所の場合、養護と教育が一体的に行われているといっても、「もともと養育に欠ける」子どもの保育ということで、養護の機能・役割が強いし、0、1、2歳の場合は、発達的に養護をより強く必要としているし、その面が非常に強いのではないかと考える。他方、幼児教育というと集団の施設教育ということを想定する。発達的には、言語・認知面の発達で言えば、他の委員が言ったように時系列的な表象による思考が可能になる。例えば、登園してから降園までの生活の流れのイメージが形成されてきたり、コミュニケーションにおいて多少、噛み合わなくてもやりとりできる楽しさを感じられるようになったり、生活面で、排泄が自律してくるということでも、自立的・主体的に生活・遊びを展開できるようになることから、集団による教育が可能になってくる。養育者との愛着関係に関してもだいたい3歳台に相互調整の時期に入り、親からの一方的な波長合わせではなくて相互的な波長合わせの時期に入ってくる。このようなことから、集団生活を通して教育が行われるという意味での幼児教育を考えると、3歳台からと考える。ここで、幼児教育の無償化を考える場合には、まずは、3歳から5歳と考えるのが妥当ではないか。(第3回)
- もしも幼児教育という言葉を使って幼児教育の無償化という形になったとして、その時間を例えば英国だと2.5時間、日本がもし4時間という形になったとすれば、保育所では、8時間で養護と教育が一体となった支援を行っているわけで、時間で切り分けるということは、全く可能ではないと思う。幼稚園は教育課程に基づく4時間の教育と、あとは預かり保育、学校教育法上はその他の保育か、そういう風に切り分けられているわけだが、そこは保育所は切り分けられていない。その点は非常にデリケートだと思うが。おそらく現場の先生の御意見というのは、そのように時間を切り取られてしまうということについての御懸念が強いのではないかと思う。(第2回)
- もう一つは幼児教育の範囲ということで、年齢といった場合に、学校教育法では3歳から就学までが幼稚園での教育という形になっている。保育所の場合、教育というのは、保育という概念の中に養護と教育が一体となっているということから、つまり0歳から教育があるということになる。0歳から就学までに教育という概念があって、そして年齢が高まるとともに、教育の分野の比重が高まるとか、そうしたことは保育所保育指針の中では考えられていない。0歳であっても言葉の教育が必要になる。つまり単語を発することができるようになるように働きかけていくことなどが言葉の教育ということになるわけだが、そう考えると年齢について一定の線を引いて、そこから上が教育だという捉え方はあまり適切でないと思っている。ただし、優先的に無償化する必要があるところについての議論を否定するわけではない。幼児期の教育について年齢を規定するというのは、避けたほうがいいのではないかと思っている。無償化を優先すべき年齢幅を考える、という取られ方がいいのではないかと思う。(第3回)
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- 日本だと幼稚園と保育所を合わせると3歳児で75パーセント、4歳児以上になると95パーセント以上と、そういう状況も考えれば、4,5歳児をまずは優先して、ということになるのではないか。特別支援学校の幼稚部や通園施設や児童養護施設などを入れれば、4,5歳児はだいたいどこかに通っていると考えると、4,5歳児で考えるのが現実的かと思う。(第2回)
- ここで、幼児教育の無償化を考える場合には、まずは、3歳から5歳と考えるのが妥当ではないか。次に、5歳は就園率が非常に高いわけで、5歳くらいから順次考えていったらいいのではないか。(第3回)
- 4~5歳は就園率が高いので、早く教育を始めた方が投資の効果が上がるということであれば、3歳からということが重要ではないか。(第4回)
- 全般的に無償化すべきかターゲットを絞るべきかという議論があり、ヘックマン教授の主張はターゲットを絞るべきというものである。どうしてかというと、既に教育がちゃんと行われているところもたくさんあり、そこにお金をつぎ込んでも効果は変わらない。教育をしていないところがあり、そういうところにターゲットを絞ってお金を使うと、収益率が高いので、お金が限られているときはそこからやるべきというのがヘックマン教授の主張。(第4回)
- 無償になったら家庭で教育していた人たちが変わるかもしれないし、あるいは、幼稚園が無償になれば、補填するような形で、保育所へも行かせて、両方行かせる人たちが増えてくるかもしれない。これを前提に全部議論することは間違いがある。(第3回)
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- 特定世帯の無償化を優先することについて
(公平性の確保について含む)
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- 法律上は全ての子どもたちに同じような形の教育の権利を与える方向ではないか。実際の実施においては、各国の場合は、全部に出していくという方向性は打ち出しているけれども、現実にパイが限られているので、段階的実施ということが行われているわけで、どういう方向からやるかという理念と、政策としてどういう方向を目指すかというときに、福祉的な政策ではなく、教育的な意味での機会均等のあるもの、平等ということが大事ではないかと思う。(第2回)
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- 低所得者層を優先することについて(所得再分配政策としての位置づけについて含む)
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- 所得制限は、例えば生活保障だとか手当を支給するとか、福祉的な色彩のあるものについていえば、所得によって区分を付けていくというのがあると思うが、例えばある特別区では、私立幼稚園の負担軽減は所得制限なしで、どなたに対してもやっている。それは政策的な必要性とか妥当性でもって行っているものについて、所得でもって差をつけるというような考え方にたつということになると、矛盾するような気がする。(第2回)
- 所得階層別にするかしないかは、やはりその幼児教育を何だと考えるかによると思う。所得の再分配システムの一環として考えるのか、そうでなくて義務教育年齢が下がったものと考えるか。義務教育は非常に外部性が強い教育であり、教育をやることによってその人だけでなく日本人全体が得をすることが非常に大きいから、義務教育は無料化されているわけである。その年齢を引き下げていくというふうに考えるのかどうかで全然違った話になってくる。教育の一環として考えると、所得制限というのは論点ではないように思う。所得制限をかけることのデメリットというのもあり、特に日本の場合、女性の労働力率に悪影響を与える。所得を稼ぐと今度は補助がもらえないというシステムであり、それなら専業主婦を選ぼうということが出てくる。そうするとキャリアを維持して子育てをしようという人がどんどん減って行き、日本の労働市場に悪影響を与える。(第2回)【義務教育化については後掲参照】
- 全般的に無償化すべきかターゲットを絞るべきかという議論があり、ヘックマン教授の主張はターゲットを絞るべきというものである。どうしてかというと、既に教育がちゃんと行われているところもたくさんあり、そこにお金をつぎ込んでも効果は変わらない。教育をしていないところがあり、そういうところにターゲットを絞ってお金を使うと、収益率が高いので、お金が限られているときはそこからやるべきというのがヘックマン教授の主張。(第4回)【再掲】
- 再分配政策については、経済学的には、現金給付で行うほうが効率的で、現物給付で行う以上は何か別のメリットというのを出してこないと難しいのではないか。(第2回)
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- 少子化対策としての無償化について
- 女性(母親)の社会参画について
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- 以前に比べて保護者が経済的に非常に苦しくなっているという状況が生まれてきていると感じている。そういう意味で少子化の流れを変えるためにも保護者の経済負担削減を少子化の一環として実施するべきではないか。(第2回)
- 幼児教育は昨年の「子どもと家族を応援する日本」重点戦略検討会議や他のところでもほとんど議論されてこなかった。またもやばらばらになってしまうのかという危惧を抱く方もいらっしゃるかと思うが、本研究会が先行して取り組んでいくことが起爆剤になっていくのではないかと思う。経済的な支援ということになると、特に教育費の公的な負担が諸外国に比べて少ないというのは言うまでもないことである。日本がいかに少子化を加速しているかということは、歴然としている。経済的負担が子どもを持たない理由となっているということは各種調査でも出ていることで、今後はそういった経済的支援対策を重点的にしないと日本の少子化はどうしようもなくなっていくというのは目に見えていることである。国の存立ということについては、これに勝る重要な課題は他にない。(第3回)
- 例えば少子化に歯止めをかけることに成功したフランスでは、かつては家族手当などの経済的支援、家族政策が中心であったけれども、1990年代以降、政策を保育サービスの充実へとシフトし、近年、出産子育て、就労に関して幅広い選択ができるよう環境整備を行うことで少子化対策が成功したと聞いている。具体的には、少ない長時間労働や多様な働き方、柔軟なサービスの提供などがあいまって初めて、少子化対策が成功している。従って、経済的負担の軽減だけでは、少子化の歯止めにはならないだろう。(第2回)
- 女性が働けるようになるというのは効果がある。女性が働いた方が世の中の全体の生産性が上がるということになれば、幼児教育を無償化することでより女性が働いて、親だけの効果ではなくて日本全体が豊かになるというロジックはあると思う。(第3回)
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