資料5 これまでの主な意見(案)

1.無償化の意義及び必要性

主な論点 主な意見
  • 国際的な情勢について
  • 幼児教育の重要性というものを世界的に皆が重視している。(第2回)
  • 韓国、イギリス等はこの10年の間に見事に予算が、数倍増えている国であるが、日本はまだ幼児教育への投資が重視されていない。昔はこのOECDの表では一番少ないのは韓国だったが、近年変わってきているというようなところでも、国の教育において子供をどう見ていくかとういっことの顕著な表れかと思う。(第2回)
  • 幼児教育の意義について
  • 幼児教育そのものの意義について
  • 教育の経済的な効果ということを考えても、ヘックマンをはじめ、乳幼児において教育的な投資をしておくことは長期的に健やかな心身の育ちを保障することを明らかにしている。(第2回)
  • ペリー実験の面白いところは、IQを上げるわけではなかったということ。IQを上げたわけではないが、学力が上がったりとか、きちっとした生活ができようになったりということがある。ヘックマン教授の主張によれば、先ほど議論になった情動の発達を促したことが社会的な成功に導いたということである。(第4回)
  • 幼児教育を無償化することの意義につ
  • 教育というのは国家や社会を維持していく為の将来の日本を担っていく人材育成を行うためのもので、幼児教育は公的に負担を行うべきではないかと考えている。(第2回)
  • 再分配政策については、経済学的には、お金で全部やるほうが効率的で、実物でやる以上は何か別のメリットというのを出してこないと難しいのではないか。(第2回)
  • 義務教育を無償化するというのは何が目的かというと、放っておいたら教育を受けないという人がいたら社会全体が損をする、全員の学力が上がることで、本人の学力が上がって本人が得をするというだけでなく、社会全体が得をするということがある。放っておいたら過小教育となって日本全体の生産性が下がってしまうということがあるから公的なお金を使ってでも教育レベルを上げることに効果がある。外部性の議論は国のお金を使うことへの一番の理由である。(第3回)
  • 無償化の理由についてしっかりと議論しておかないと、幼児教育を無償化した時に、もともと豊かで幼児教育に熱心な人にしかメリットがないじゃないかと問題視されるし、再分配の面でも悪いし効率性も何も変わってないというのであれば、公費をかけたメリットがなかったと言われてしまう。(第3回)
  • 社会福祉・老人保健福祉等と比較した幼児教育の公費負担について
  • 教育というのは国家や社会を維持していく為の将来の日本を担っていく人材育成を行うためのもので、幼児教育は公的に負担を行うべきではないかと考えている。高齢者に対する社会的給付に対して、子供への社会的給付は非常に少ないのではないかと常々感じている。(第2回)
  • 公立保育所の保育所運営費は、平成16年度から一般財源化されたが、市町村から、国は保育所運営費に相当する金額は措置していると言っているが、本当に全額交付されているのかという疑問の声や、特定財源でないので交付税の総額が減額された中で、担当セクションとしては保育所運営費の確保が大変難しくなっているという意見が多く聞かれる。(第3回)
  • もう一つは一般財源化でお金が来てないという話があったが、これは実際に義務教育について研究したのだが、義務教育全般でも一般財源化されて特に高齢化した地方では高齢者福祉のところへお金が行って、実際に教育に使われていないということがはっきり出ている。90年代以降一般財源化が徐々に進んできてこの影響がはっきり出てきている。結局自治体へ任せてしまうとプレッシャーを受けてしまうというのは事実なので、対象となる人を絞った補助というのが大事。(第3回)
  • 他の教育段階との比較について
  • 一つのロジックは義務教育の効率性を上げるためにどの年齢層の教育を促進すると一番いいのかというもの。例えば就学前直前の学力が少し低い子は、義務教育の段階での教育の効率が非常に悪いということがわかっているのであれば、そこにターゲットを絞って、そこに教育のカリキュラムを措置しないといけないので、その下で無償化するというのは理屈付けになる。(第3回)
  • ヘックマン教授が強調しているのは、プレスクールのときにきちっと教育レベルが上がっていれば、その後の教育投資の効果も高くなるということである。どこにお金を追加するかということになれば、若いところに追加した方がいいということになる。(第4回)
  • 幼児教育の効果に関するデータについて
  • 日本でも過去どの教育を受けたかという統計をすれば、こういった研究は比較的できるものだと思うので、是非ともそういった調査を行っていただきたい。(第2回)
  • (日本においてアメリカと)同じことをやるのは難しいと思う。やったとしても結果が分かるにはずいぶん時間がかかる。日本でこういう実験に参加してもらって、ある人はこういう便益を受けて、ある人は受けないというのが認められるかというのは難しい。やり方としては、アンケート調査、所得調査などの質問項目で就学前のどういった教育を受けたかということを聞いておいて、同じような家庭属性、背景の人で、たまたま就学前教育を受けた人と受けなかった人でどれほどパフォーマンスが違うかというタイプの統計分析が望ましいと思う。それならできると思う。あるいは学力についてもそれは比較的簡単にできる。(第4回)
  • 各国では無償化の根拠となる法律が作られているが、やはり何らかの形で、効果を検証している。その点で諸外国は、このように縦断的な研究があって、検証している。(第2回)

2.無償化の目的

主な論点 主な意見
  • 無償化の目的について
  • 幼児教育の重要性から見た無償化の必要性は二つの側面がある。一点目は国家・社会を維持していくための人材育成。二点目は少子化対策の一環としての保護者の経済負担の軽減策。(第3回)
  • 目的に伴う国の行政体制について
  • 保育園や幼稚園を管轄しているのかということの整理をもう一つ追加していただきたい。かなり多くの国では、文部科学省にあたる役所がやっているのではないかと思う。そういう国では、就学前の教育、幼児の教育っていうのは教育であって、社会福祉政策ではないという意識が強いように思う。(第2回)
  • 国際比較のデータであるが、日本と韓国以外の国は二つに分かれると思う。就学前教育を同じ役所が見ているイギリス、アメリカやドイツは州によって違うが、州が全部見ているということで、一貫している。フランスは年齢によって完全に対象が違っている。国際的に見ると、重なっている年齢を違う役所が見ているというのは、日本の特殊事情で、この問題が、今回の幼児教育の無償化を難しい問題としている。(第3回)
  • 目的に伴う財源及び財政上の構成について
  • 社会保障審議会における制度設計の考え方などでは、就学前保育の財源は社会全体での費用負担ということで、事業主等の拠出なども念頭に入れてやって行くとのこと。その中では「保育サービス」という捉え方。もし「幼児教育」ということで教育の保障となればそれは税財源となる。そうなると財源構成が切れていくということにならないか。(第1回)

3.無償化の対象(対象施設、対象年齢及び対象者の所得)

主な論点 主な意見
  • 無償化の対象について
 
  • 幼児教育の定義がはっきりしないと論点がずれていくのかと思う。なぜかと言えば、中教審の答申で幼児教育の定義がなされているが、そこでは、家庭で育つ子どもも含めて、幼児教育だという定義である。研究会の資料を見た際に、ここでいう幼児教育とはどこを指すのかと疑問に思っていた。(第1回)
  • 行政の会議にいくつか関わったが、定義としては、就学前の全ての幼児という意味で幼児教育という用語が使われていたかと思う。しかしここではいわゆる施設保育ということか。アメリカでは施設保育か、非施設保育かということで家庭保育も含めるが、ここでいう幼児教育は施設保育を指すのではないかと思っていた。(第1回)
  • 幼児教育という用語は曖昧な部分を含みながら今まで使われてきた。だからここで幼児教育は何かを明確にすることは無いかと思うが、先程の説明資料の範囲でいえば、御指摘のような幼稚園、保育所をイメージした施設での教育ということか。そこを主に考えていくのかと。無償化の対象とするような幼児教育はまさにそこを指している。家庭での保育に保育者が入るような場合も、視野には入れてもいいのではないかと思う。あまり厳密に範囲を決めなくてもいいかと思う。(第1回)
  • 無償化の対象とするべき施設類型について
    (幼稚園・保育所・認可外保育施設等について)
  • 同じ日本の子どもなのに、どうして保育所、幼稚園、認可外保育施設など施設によって公費負担が異なるのか、平等性に欠ける。(第2回)
  • 幼稚園・保育所・認可外を所管している県の立場からすれば、当然のこととして一つの施設だけではなく、すべての施設を対象にしていただきたい。認定こども園の地方裁量型も考慮していただくと非常にありがたい。(第2回)
  • 認可外保育所に通う子どもたちは幼稚園の1割の20万人いるのだが、そういった子どもたちの幼児教育をどう保障するのかといった問題もあるのではないか。(第1回)
  • 質の担保といったときに、ある程度行政が基準を定め、そこに公的に関与があるということで質の担保がある。評価も含めてだが、担保がされていると考えると、認可外保育施設に通っている子供たちの就学前教育の無償化はどう考えたらいいのか。質が担保されないからといって、外してしまったとすれば、より厳しい状況におかれている親が子どもをそこに通わせている状況があることをどうするか。(第2回)
  • 質が保障されなければいけないということと、認可外にも出すのかどうか、認可外もそこでの子どもの実存ということを考えた場合には、そこに手当てをするべきだといった考えもあるかもしれないが、ある程度きちっとしたものに対して援助するという考え方が必要だと思うので、質の論議はとても大事だと思う。(第3回)
  • 無償化の対象とするべき幼児の年齢等について
  • 1.家庭的な保育との関係について
  • 0、1、2歳といったところは家庭的な保育を大事にしていこうという感じが非常に強いと思う。次世代育成支援の行動計画を作る際に、住民アンケートをとると、何歳くらいまでのお子さんについて自分で育てたいかといった問いの回答では、三歳くらいまでは自分の手の内で育てたいというのが一番高いタイプだった。もちろん一歳までとか二歳までとか小学校上がるまでとか色々あるが、大抵そのような感じであった。(第2回)
  • 北欧圏は0、1、2歳の乳児の保育所の通園率が4割とかきわめて高くて、最初から社会が集団で子どもを育てていくといった発想であるのに対して、他の国はできれば家庭で、最初は家族と共にという文化があって、そうするとやはり3歳くらいからが、幼児教育としての方向なのではないか。(第2回)
  • 3~5歳、あるいは就学前保育といったときにどこを考えるのか、ということも念頭にいれておく必要があるのではないかと思っている。特に今は、在宅の0、1、2歳の子育て家庭の子どもたちが、他の子どもたちと触れ合える機会がないということを考えると、その乳幼児の部分に何らかの手を当てていくことも考える必要があるのではないか。(第2回)
  • 2.発達心理学的観点から見た集団教育の適性について
  • 発達心理学的に言えば、二者関係ではなく三者以上、それから教材や環境というような間に媒体物があることによって他者との関わりを深めることができる知的な表象が頭の中にできて、関係が作れる、そういった年齢としたら3歳ということが妥当な線だろうというふうに考えている。次回にでも資料を出して頂ければありがたいが、二歳児特区について文科省がモデルを作られたときにいくつか視察をさせていただいた。そのときの報告書が上っているかと思うが、確かに2歳においても、椅子に座っているとかある意味しつけ的に形態を整えることはできたとしても、関わりとして3歳以上の集団のように教育・保育をやっていくのはかなり難しいのではないかという、個人の意見ではなく、何人かモデルに関わった委員が一定の知見として出しているものがあると思う。そういった意味で、2歳までと3歳では発達的に違っているだろう。委員が言われたとおり、保育所保育指針は、0歳から就学までを一貫して保育と考えているが、今回の保育所保育指針の中ではこれまでと違って、3歳未満と3歳以上で、取り扱いを分けて考えるという基準を出しているので、幼稚園だけではなくて保育所に関わる人たちにとっても2歳までと3歳以上は違うというような認識というものはあるのではないだろうかと思う。(第3回)
  • 今、ここで考えている「幼児教育」は施設教育であり、集団による教育と考える。保育所の場合、養護と教育が一体的に行われているといっても、「もともと養育に欠ける」子どもの保育ということで、養護の機能・役割が強いし、0、1、2歳の場合は、発達的に養護をより強く必要としているし、その面が非常に強いのではないかと考える。他方、幼児教育というと集団の施設教育ということを想定する。発達的には、言語・認知面の発達で言えば、他の委員が言ったように時系列的な表象による思考が可能になる。例えば、登園してから降園までの生活の流れのイメージが形成されてきたり、コミュニケーションにおいて多少、噛み合わなくてもやりとりできる楽しさを感じられるようになったり、生活面で、排泄が自律してくるということでも、自立的・主体的に生活・遊びを展開できるようになることから、集団による教育が可能になってくる。養育者との愛着関係に関してもだいたい3歳台に相互調整の時期に入り、親からの一方的な波長合わせではなくて相互的な波長合わせの時期に入ってくる。このようなことから、集団生活を通して教育が行われるという意味での幼児教育を考えると、3歳台からと考える。ここで、幼児教育の無償化を考える場合には、まずは、3歳から5歳と考えるのが妥当ではないか。(第3回)
  • もしも幼児教育という言葉を使って幼児教育の無償化という形になったとして、その時間を例えば英国だと2.5時間、日本がもし4時間という形になったとすれば、保育所では、8時間で養護と教育が一体となった支援を行っているわけで、時間で切り分けるということは、全く可能ではないと思う。幼稚園は教育課程に基づく4時間の教育と、あとは預かり保育、学校教育法上はその他の保育か、そういう風に切り分けられているわけだが、そこは保育所は切り分けられていない。その点は非常にデリケートだと思うが。おそらく現場の先生の御意見というのは、そのように時間を切り取られてしまうということについての御懸念が強いのではないかと思う。(第2回)
  • もう一つは幼児教育の範囲ということで、年齢といった場合に、学校教育法では3歳から就学までが幼稚園での教育という形になっている。保育所の場合、教育というのは、保育という概念の中に養護と教育が一体となっているということから、つまり0歳から教育があるということになる。0歳から就学までに教育という概念があって、そして年齢が高まるとともに、教育の分野の比重が高まるとか、そうしたことは保育所保育指針の中では考えられていない。0歳であっても言葉の教育が必要になる。つまり単語を発することができるようになるように働きかけていくことなどが言葉の教育ということになるわけだが、そう考えると年齢について一定の線を引いて、そこから上が教育だという捉え方はあまり適切でないと思っている。ただし、優先的に無償化する必要があるところについての議論を否定するわけではない。幼児期の教育について年齢を規定するというのは、避けたほうがいいのではないかと思っている。無償化を優先すべき年齢幅を考える、という取られ方がいいのではないかと思う。(第3回)
  • 3.現状の就園率から見た妥当性について
  • 日本だと幼稚園と保育所を合わせると3歳児で75パーセント、4歳児以上になると95パーセント以上と、そういう状況も考えれば、4,5歳児をまずは優先して、ということになるのではないか。特別支援学校の幼稚部や通園施設や児童養護施設などを入れれば、4,5歳児はだいたいどこかに通っていると考えると、4,5歳児で考えるのが現実的かと思う。(第2回)
  • ここで、幼児教育の無償化を考える場合には、まずは、3歳から5歳と考えるのが妥当ではないか。次に、5歳は就園率が非常に高いわけで、5歳くらいから順次考えていったらいいのではないか。(第3回)
  • 4~5歳は就園率が高いので、早く教育を始めた方が投資の効果が上がるということであれば、3歳からということが重要ではないか。(第4回)
  • 全般的に無償化すべきかターゲットを絞るべきかという議論があり、ヘックマン教授の主張はターゲットを絞るべきというものである。どうしてかというと、既に教育がちゃんと行われているところもたくさんあり、そこにお金をつぎ込んでも効果は変わらない。教育をしていないところがあり、そういうところにターゲットを絞ってお金を使うと、収益率が高いので、お金が限られているときはそこからやるべきというのがヘックマン教授の主張。(第4回)
  • 無償になったら家庭で教育していた人たちが変わるかもしれないし、あるいは、幼稚園が無償になれば、補填するような形で、保育所へも行かせて、両方行かせる人たちが増えてくるかもしれない。これを前提に全部議論することは間違いがある。(第3回)
  • 特定世帯の無償化を優先することについて
    (公平性の確保について含む)
  • 法律上は全ての子どもたちに同じような形の教育の権利を与える方向ではないか。実際の実施においては、各国の場合は、全部に出していくという方向性は打ち出しているけれども、現実にパイが限られているので、段階的実施ということが行われているわけで、どういう方向からやるかという理念と、政策としてどういう方向を目指すかというときに、福祉的な政策ではなく、教育的な意味での機会均等のあるもの、平等ということが大事ではないかと思う。(第2回)
  • 低所得者層を優先することについて(所得再分配政策としての位置づけについて含む)
  • 所得制限は、例えば生活保障だとか手当を支給するとか、福祉的な色彩のあるものについていえば、所得によって区分を付けていくというのがあると思うが、例えばある特別区では、私立幼稚園の負担軽減は所得制限なしで、どなたに対してもやっている。それは政策的な必要性とか妥当性でもって行っているものについて、所得でもって差をつけるというような考え方にたつということになると、矛盾するような気がする。(第2回)
  • 所得階層別にするかしないかは、やはりその幼児教育を何だと考えるかによると思う。所得の再分配システムの一環として考えるのか、そうでなくて義務教育年齢が下がったものと考えるか。義務教育は非常に外部性が強い教育であり、教育をやることによってその人だけでなく日本人全体が得をすることが非常に大きいから、義務教育は無料化されているわけである。その年齢を引き下げていくというふうに考えるのかどうかで全然違った話になってくる。教育の一環として考えると、所得制限というのは論点ではないように思う。所得制限をかけることのデメリットというのもあり、特に日本の場合、女性の労働力率に悪影響を与える。所得を稼ぐと今度は補助がもらえないというシステムであり、それなら専業主婦を選ぼうということが出てくる。そうするとキャリアを維持して子育てをしようという人がどんどん減って行き、日本の労働市場に悪影響を与える。(第2回)【義務教育化については後掲参照】
  • 全般的に無償化すべきかターゲットを絞るべきかという議論があり、ヘックマン教授の主張はターゲットを絞るべきというものである。どうしてかというと、既に教育がちゃんと行われているところもたくさんあり、そこにお金をつぎ込んでも効果は変わらない。教育をしていないところがあり、そういうところにターゲットを絞ってお金を使うと、収益率が高いので、お金が限られているときはそこからやるべきというのがヘックマン教授の主張。(第4回)【再掲】
  • 再分配政策については、経済学的には、現金給付で行うほうが効率的で、現物給付で行う以上は何か別のメリットというのを出してこないと難しいのではないか。(第2回)
  • 少子化対策としての無償化について
  • 女性(母親)の社会参画について
  • 以前に比べて保護者が経済的に非常に苦しくなっているという状況が生まれてきていると感じている。そういう意味で少子化の流れを変えるためにも保護者の経済負担削減を少子化の一環として実施するべきではないか。(第2回)
  • 幼児教育は昨年の「子どもと家族を応援する日本」重点戦略検討会議や他のところでもほとんど議論されてこなかった。またもやばらばらになってしまうのかという危惧を抱く方もいらっしゃるかと思うが、本研究会が先行して取り組んでいくことが起爆剤になっていくのではないかと思う。経済的な支援ということになると、特に教育費の公的な負担が諸外国に比べて少ないというのは言うまでもないことである。日本がいかに少子化を加速しているかということは、歴然としている。経済的負担が子どもを持たない理由となっているということは各種調査でも出ていることで、今後はそういった経済的支援対策を重点的にしないと日本の少子化はどうしようもなくなっていくというのは目に見えていることである。国の存立ということについては、これに勝る重要な課題は他にない。(第3回)
  • 例えば少子化に歯止めをかけることに成功したフランスでは、かつては家族手当などの経済的支援、家族政策が中心であったけれども、1990年代以降、政策を保育サービスの充実へとシフトし、近年、出産子育て、就労に関して幅広い選択ができるよう環境整備を行うことで少子化対策が成功したと聞いている。具体的には、少ない長時間労働や多様な働き方、柔軟なサービスの提供などがあいまって初めて、少子化対策が成功している。従って、経済的負担の軽減だけでは、少子化の歯止めにはならないだろう。(第2回)
  • 女性が働けるようになるというのは効果がある。女性が働いた方が世の中の全体の生産性が上がるということになれば、幼児教育を無償化することでより女性が働いて、親だけの効果ではなくて日本全体が豊かになるというロジックはあると思う。(第3回)
主な論点 主な意見
  • 障害のある幼児や保護を要する幼児等を無償化の対象に含めるべきことについて

【主に教育を意識した発言】

  • 子どもたちの中には障害を持った子どもなど経済性のみでは計れない視点がある。そういった子どもたちにも幼児期の教育を保障していく、そういった視点に立って、無償化という議論を考えていかないといけないのではないか。(第1回)
  • 全ての施設において、やはり全ての子どもに平等に措置するべきではないか。イギリスは、昨年11月に幼児教育の担当者に聞いたところ、今後、特別な支援を要すると認知されるような子どもに関しては、無償化を少し早めて2歳半から手厚くやっていくような案もあるというような話があって、やはりそういったケアが必要な子どもというか、経済的に必要なのではなくて、個人として必要な子どもには手厚くという発想というものもあり得るのではないかと思う。(第2回)
  • 先ほど無償化を優先すべき年齢の範囲という言い方をしたのは、発達論でやってしまうと知的障害を持っている特別支援学校にいる幼稚部の子どもたちは幼児教育ではないのかという議論になってくるわけである。児童デイサービスや通園施設にいる子どもたちに対して行われているものは、そうではないのかという形になってしまうので、そこはやはり注意した方がいいのではないかと考える。(第3回)

【主に人権擁護を意識した発言】

  • 就学前の子どもたちがいる場所は、やはり障害児の通園施設とかいわゆる療育の場にいる子供たちもいる。それから保育所や幼稚園は学校教育法上も含めて、保育の場である。児童養護施設などにいる子たちはいわゆる養護の場にいる。その中の教育、療育、保育、養護この中のどこの分野で限定するのか。子どもの生活する場、教育であろうが、療育だろうが、こどもに対して何かが行われることついての無償化を考えるのか。(第2回)
  • さらに児童養護施設に通う子どもたちは幼稚園に通うことを保障されていないわけだが、その子どもたちにも幼児教育を保障していくということになれば、措置費の中で幼児教育分をみていかないといけない。(第1回)
  • もう一つは療育というものがあって、障害を持った子どもたちの療育や保育についてどこまで見ていくのか。認可外は保育に準ずるものとして考えることができるのではないだろうか。そうすると、範囲ということでいうと、やはり教育、療育、保育を含める必要があるのではないだろうかと思っている。それが行われる場所ということになると認可外保育施設、少なくとも都道府県がオーソライズしたもの、東京都の認証保育所とか、そういったところで行われているものは含めて考えている必要があるのではないだろうか。(中略)児童養護施設に入所していたり、あるいは在宅のまま通園施設や、児童デイサービスに通って、そして費用を負担している。ここは定率負担ということになっているので、場合によっては幼稚園、保育所よりも多い負担がある場合もある。そうした家庭の子どもたちについても無償化の範囲に入れていくことが必要なのではないかと思う。(第3回)

【主に少子化対策を意識した発言】

  • 3~5歳、あるいは就学前保育といったときにどこを考えるのか、ということも念頭にいれておく必要があるのではないかと思っている。特に今は、在宅の0、1、2歳の子育て家庭の子どもたちが、他の子どもたちと触れ合える機会がないということを考えると、その乳幼児の部分に何らかの手を当てていくことも考える必要があるのではないか。(第2回)
  • 幼児教育の範囲ということで、家庭にいる子どもたちはどう考えたらいいのかということであるが、在宅サービスについての無償化も視野に入れていいのではないかと思っている。(中略)そこには当然費用負担がかかるわけだが、それらについて無償化を検討するというふうに考えていくことはできないのだろうかと思っている。特定の子どもたちにおいては、親がなかなか外へ出ることを望まない、または友達がいない、そういった場合には、在宅のまま他の子供たちと触れ合うことがないまま過ごしている。また、保育士等が関わることができないまま過ごしている。そうした子供たちに他の子供たちと関わる機会を提供し、保育士等が関わっていける、そんな機会を在宅の子供たちにも提供していけるように、それらについても一定の無償化の議論として、加えていくべきではないか。(第3回)

4.無償化の条件

(1)義務化の有無

主な論点 主な意見
  • 義務教育化について
 
  • 国際連盟の時代に、ユネスコの前身の国際公教育会議が開かれ、各国の文部省に対して幼児教育について勧告している。幼児教育は全員に受けさせるのが望ましいが、義務教育化することには疑義があると書いてある。(第1回)
  • 無償化と義育化の違いについて
  • 義務教育は非常に外部性が強い教育であり、教育をやることによってその人だけでなく日本人全体が得をすることが非常に大きいから、義務教育は無料化されているわけである。その年齢を引き下げていくというふうに考えるのかどうかで全然違った話になってくる。(第2回)
  • 無償化と義務教育というのは、少し違うということであるが、無償化とは、教育を受けさせなくても大丈夫だ、受けたい人はただで受けられるといった権利である。義務になると、親は受けさせないといけないという違いがあるということ。これはやはり効果がどのくらいあるかということによるような気がする。義務教育にすることのメリットがどれだけ大きいのか。一番問題なのは、無償化した時に教育を受けさせない親が出てきたときのデメリットがこの年齢層で非常に大きいということで、そうであれば、義務教育化して無償とするのがよいのではないかと思う。ここでの議論ではそれが問題になっているのかどうか。非常に教育不熱心な親の子どもが、生涯不利な状況に置かれてしまうということが大問題だということが多分多くの国では認識されて、義務教育の年齢が引き下げられるという形になってきたのだと思う。(第2回)
  • 義務教育化と幼児教育のあり様について
  • 幼児期は、発達の個人差というものが極めて大きい時期であると考えられる。その時に義務教育という形が、それにふさわしいのか。義務教育というのはもちろん保護者が受けさせる義務があるということであるが、国民が教養として身に着けなければならない知識というものが、ある意味で明確に想定され、教科書というものが作られ、そこに通うという種類の教育である。それに対して幼児教育は、教科書を持たない形のものであり、学習指導要領ではなく、これまでも教育要領という形で実施されてきた。これが日本の子どもの実態に合っているということを考えるならば、義務というかたちで行うということは、子どものこの時期の年齢の発達ということを考えたときに必要なのかどうか。実際90パーセント以上の子どもが参加しているというこの実態を見たときに、ふさわしいのかどうかということには疑問を持つ。(第2回)
  • この時期の子どもの発達を考えると、学校のような教科書を使うものが義務化であるとすれば、それは子どもにとって適切ではないと思う。義務教育化するのであれば、学校教育、小学校教育の在り方から考えないと子どもの発達にそぐわないのではないかと感じる。(第2回)
  • 義務教育の義務という意味は、親が教育をさせないといけないという意味であって、今の小学校のカリキュラムを延長させることを前提するということではないと思う。問題は親の義務とするかどうかだけである。カリキュラムの話はまた別の話で、それはその時期の発達段階に応じた教育をすれば良い訳であるし、それから一クラスの人数とかも全然違う概念になってくると思うが、それはそれで別の問題で議論すればいいと思う。(第2回)

(参考)教育基本法

第五条

2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。

  • 我が国に固有の事情等について
  • 義務化と言ったときに保育所との関係をどうするかは難しい問題。また既に議論が出ているが、義務化と言ったときに、家庭教育を敢えて選ぶという子についてどうするか。つまり保護者に対する義務をどうするかという問題であるが、その辺も念頭に置きつつ次に進みたい。(第4回)
  • 例えばアメリカの場合は、義務化しないと子どもの権利は確保しにくい状況がある。だから小学校の中に入っているキンダークラスも含めて朝ご飯まで無料で出すということも行われているわけで、そのようにやっていかざる得ないような社会状況があるのではないか。日本の場合を考えると、私学の問題もあり、私学の自主性とか、保育所の存在とか、また違う社会文化状況があるわけで、その辺もしっかり違いを検討していったほうがよいのではないか。(第2回)

(2)教育の質の確保

主な論点 主な意見
  • 幼児教育の質の確保について
 
  • 私も無償化だけではだめだと思っている。これはアメリカはじめ様々なところの追跡調査を見ても分かるように、質が悪いと全く効果が上がらない。だから、質の議論と一緒に行わないとだめである。(第1回)
  • 人間関係だとか、情動的な部分は、質の高い幼児教育でないと養えないといったデータが出ている。(第1回)
  • 国民の理解を得るためには保育の質がすごく大事になってくるだろうと感じている。(第2回)
  • 各国では無償化の根拠となる法律が作られているが、やはり何らかの形で、効果を検証している。その点で諸外国は、このように縦断的な研究があって、検証している。(第2回)【再掲】
  • いずれにしても私立については直接契約・直接入所だから、この幼稚園がどういった教育をしているのかや、どういった保育をしているかということは、当然のこととして、親御さんたちが見ながら、自分はこの園に入れたいとかそういった形で選択をしていることと思う。そういった意味では、私立幼稚園は自分たちの存在意義というか、どういうことをやっていくかということに真剣に取り組むことによって、園児を確保していくということができるのだと思う。(中略)区立は私立から見て区立のこの部分は真似をしようという手本になったりとか、そういった意味での役割は負っているのだろうとは思う。場面、場面での区立と私立との交流みたいなこともあるので、そこでお互いに刺激を受けるということはあると思う。(第3回)
  • 研修による教員等の資質向上について
  • 研修を進めたいといった場合、公立幼稚園と私立幼稚園ではかなり格差がある。公立幼稚園も最近は小学校と比較しても厳しい状況があるが、私立幼稚園はさらに厳しい状況。私立幼稚園団体でかなり努力されているが、例えば勤務を休んでいける状況ではなかなかないだろう。代替教諭の確保が難しく、出張費も厳しい。制度として研修機会があったとしても中身があるものにするためには、各園の努力や団体の努力だけでは難しい面がある。(第1回)
  • 私立を考えると必ずしも研修は義務ではないし、年代も若手に偏っているので、多様であるということが、難しさを生んでくると思う。(第2回)
  • 無償化に伴って求められる質について
  • 質といった時に何をもって質と言うか。例えば顧客満足度で親が喜ぶからそれでいいという質の決め方はとても難しい。(第3回)
  • つまり大きく分ければ、最初の方向性、それを支える構造とプロセス、それらが現れる成果の質、これらをどう質としてチェックしていくのかというのを国が作っていくべきだという議論がなされているのかと思う。多分世界的な動向を見れば、発表者も言われるように条件の質、構造の質は最低基準であり、それだけでは十分でないのではないか。保育過程の質というときに、保育の内容の問題と、内容にどう実践的に関与しているのかという尺度は様々な視点があるが、無償化に伴って求める質はどこの水準の質をいうのかを本研究会では考える必要があると思う。(第4回)
  • 厚労省の会議で自己評価を考えている会合では、共通基準は、保育所保育指針に現れた姿であるという話になった。そして幼稚園教育でもそれは同様だろう。それが達成されているかという点については、少なくとも告示行為としてあるので、それを評価の質として担保していくというのが国が最もやっていくべき仕事ではないかという話があった。(第4回)
  • 自己評価と外部評価、及び質を高めるための外部的サポートについて
  • 一番明確な考え方はイギリスなどに現れていると思うが、やはりすべての機関で、一定の保育の質、公教育であるから一定の質というものを保障するという意味で、なんらかの形の評価等を加えることで、質を一定にしながら、そこにおいて形態は幼稚園だろうが保育所であろうがさまざまな形態であろうが、保障していくというような、そういう発想ではないかと思う。(第2回)
  • ナショナルカリキュラムについては、改定されたが、実施状況の調査を誰がどのようにやっていくのか非常に難しい。教育課程の実施状況調査が行われているが、幼稚園教育の場合、量的指標ではなく、質的な指標を得るために観察調査による行動記録を詳細にとっている。しかし、それにも記録者の力量など難しい面がある。(第2回)
  • 質の確保はイギリスの例が一番自然と思う。無認可保育園の問題でも、一定時間については無償化するということであれば、そこについては最低限のカリキュラムを想定することは必要。監査を受けてもらうことも事業者を選別して参入段階で規制するよりは、参入した後中身で規制するほうが、質の向上にもなるし、競争の原理も働くので、効率性も高まっていく。(第2回)
  • 質の担保といったときに、ある程度行政が基準を定め、そこに公的に関与があるということで質の担保がある。(第2回)
  • 自己評価か外部評価かということについては、どこの国も今は第三者的な評価というものと自己評価というものが組み合わさっており、英国でも(中略)第三者評価をするという形で拡げながらやってきている。ニュージーランドにしても自立性を促進しつつもやっている。アジアで一番早く幼稚園の評価を始めたのは台湾で、94年からやっているが、そこでも第三者評価と自己評価がセットにされてきている。(第4回)
  • 厚労省で自己評価の検討委員会が行われているが、そこでもあくまで質の評価の基準は当事者評価と言われている。当事者が当事者として責任を持って行っていく評価だという考え方が重要であると思う。そこに起点があるということを明示しつつも、一定の指標に伴う第三者評価が重要になってくるのかと思う。算定基準というか、無償化に伴うところは大きなチェックが入る必要があるのかと思う。私個人としては、大きな枠組みだけでは保育の複雑な豊かな営みをつかむことができないだろうと思う。そうすると、保育所そのものが当事者として考えていける仕組みを援助するということを、国かどこかがやっていく仕組みが必要なのではないかと思う。(中略)外や保育者の関わりを見るのではなく、客観的に子どもが保育の状況においてどう生きられているかという、子どもを起点にした評価の視点になるが、そういったものは国が全体としてチェックするべきものではない。無償化では大きな枠組みとしてどこまで質として求めるのかという議論が重要ではないかと思う。(第4回)
  • 質の評価には、構造、内容、実践、評価といろいろなレベルがあるのだと思ったが、レベルによって、例えば構造であれば第三者評価が可能かもしれない。(第4回)
  • 国全体としてどう質を確保するかは、比較的客観的に見られるところを中心とせざるを得ないわけで、第三者評価にしても棲み分けしようとすればそうなってくる。同時に個別の園のサポートと評価を組み合わせるとすれば、おそらく、それを全部の園に義務的に行わせると言うよりは、園の自己改善の中でサポートするところに依頼していくような仕組みをつくるということだろう。今依頼したくても、ほとんど専門機関・専門家がおらず、きわめて個別的な関係で何人かにお願いするという状況であろう。そこをどう組織的にやっていくかということだろう。(第4回)
  • 当事者評価を中心とすべきだと思うが、(中略)全くの当事者評価だけに留まっていると問題が改善されないばかりか、非常に大きくなるのではないかと思う。構造の評価は第三者評価でできると思うが、過程の質、内容・実践に関しての評価の在り方は、何か助言機関というか、専門的なサポート機関が必要だと思う。評価は評価するだけではなく、プラスでサポートというのがセットになっていないと意味がなくて、評価を行うというのは最終的な善し悪しの判断なのではなくて、次に良い方向に向かうアセスメントでもあるので、専門的なサポート機関を今後どういうふうに作っていくのかが重要かと思う。(第4回)
  • 保育所における第三者評価のサポート機能などが十分機能しているかというと、保育所の現場としては不満も強い。また、第三者評価を担う団体が十分な専門性があるかという点についても批判があるのが現状。(第4回)
  • 認可外施設の扱いにつてい
  • 認可外保育所に通う子どもたちは幼稚園の1割の20万人いるのだが、そういった子どもたちの幼児教育をどう保障するのかといった問題もあるのではないか。(第1回)【再掲】
  • 質の担保といったときに、ある程度行政が基準を定め、そこに公的に関与があるということで質の担保がある。評価も含めてだが、担保がされていると考えると、認可外保育施設に通っている子供たちの就学前教育の無償化はどう考えたらいいのか。質が担保されないからといって、外してしまったとすれば、より厳しい状況におかれている親が子どもをそこに通わせている状況があることをどうするか。(第2回)【再掲】
  • 質が保障されなければいけないということと、認可外にも出すのかどうか、認可外もそこでの子どもの実存ということを考えた場合には、そこに手当てをするべきだといった考えもあるかもしれないが、ある程度きちっとしたものに対して援助するという考え方が必要だと思うので、質の論議はとても大事だと思う。(第3回)【再掲】

5.その他

主な論点 主な意見
  • 地方公共団体に期待される役割について
    (国と地方の役割分担と負担のあり方について)
 
  • 幼稚園と市町村との関係をもう少し強化していく必要があるのではないか。保育所というのは、市町村を中心に保育に欠ける子供があった場合にその保育を提供するものであり、幼稚園についても、財政補助等々について幼稚園と市町村との関係が強化されれば、就学前の子どもたちに育つ場という集団の場を保障していく努力義務といったものを規定していけるだろうと思うが、まずやはり幼稚園と市町村との結びつきを強化しないと整合性が取れなくなってくると思う。(第2回)
  • 地方公共団体に何らかの義務を課することについて
    (就園奨励費補助事業の義務化について)
  • ある市では、就園奨励費について、出す意味がないので、私学に対して出してないということだったが、問題だと思う。(第3回)

(参考)教育基本法

第十六条

2  国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。

3  地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。

4  国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。

  • 私立幼稚園のあり方について(公私間格差について含む)
  • 各国の委員などに無償化の情報収集もあって伺うと、基本的な発想は、やはり幼児教育を公的な、例えばその担っている機関が私立であったとしても、公的な教育の一部分を担っていると考えて予算をつけている。そういう発想がフランスなどやベルギーなどでは明確だと思うが、子供が学習する、学んでいく権利というものを乳幼児が持っているのだ、その権利を保障していくという意味でも、そういうものの財政を支援していくことが重要である、ということだと思う。(第2回)
  • 私立幼稚園の教職員の待遇の問題。私立幼稚園もいろいろあるので一概に言えず、地域差もかなりあり、給与格差もあるが、大雑把にいって5年も勤めれば私立幼稚園では中堅になるが月給で20万円は行かない。10年勤めてもほとんどあがらない。経営者が暴利をむさぼっているわけではなく、かなり切り詰めても、今の給与額を大幅に上げるのは困難だろう。幼稚園に勤める人は子どもが好きだからやっているので、高い給料であるべきだとは言わないが、やはり世間並ぐらいであるべきではないか。(第1回)
  • 幼稚園の先生に専門性を求めるならば、ある程度の経験を通じて専門性は向上するのだろうし、ベテランの先生の全員が優れているかどうかは別にして、その中にこそ優れた方がいるはずだと考えられる。経験年数は大事だと思うが、例えば10年20年勤めている人が、例えば私立幼稚園で20人勤務する中に10人程度いるとすると、その私立幼稚園はつぶれてしまう。さらに、地方の一部県では初任給は低いけれども、経営側から見ればしょうがない、それ以上は出せないんだということになる。(第1回)
  • 無償化の対象とするべき経費について
  • 1.費目について
  • 無償化の対象経費についてだが、義務教育は授業料などは当然無償で、教科書も無償配付している。それに対して補助教材とか鉛筆などは個人負担となっている。従って幼児教育においても、無償化の対象経費としては、人件費などの教育の根幹となる保育料は無償化した方がいいと考える。ただ先ほど説明のあったクレパスなどの個人の私物になるようなものやスクールバスの経費などは外したほうが国民の理解を得やすいと思う。一方保育所の運営費では、クレパスなど直接保育に必要な保育材料費は保育所運営費の事業費の中に含んでもよいということになっている。従って今の制度では、教育と福祉では対象経費の捉え方が異なっている。(第3回)
  • 対象経費のところだが、具合的な費目まで全部個別に措置するというのは一つの案かもしれないが、もう一つは、国立大学の運営費交付金みたいに、積算根拠はあるが後は一括で渡して自由にするというのも一つ。その方が、今おっしゃった問題とかも現場で裁量ができて合理的に使えるのではないかと思った。(第3回)
  • 2.時間等について
  • もしも幼児教育という言葉を使って幼児教育の無償化という形になったとして、その時間を例えば英国だと2.5時間、日本がもし4時間という形になったとすれば、保育所では、8時間で養護と教育が一体となった支援を行っているわけで、時間で切り分けるということは、全く可能ではないと思う。幼稚園は教育課程に基づく4時間の教育と、あとは預かり保育、学校教育法上はその他の保育か、そういう風に切り分けられているわけだが、そこは保育所は切り分けられていない。その点は非常にデリケートだと思うが。おそらく現場の先生の御意見というのは、そのように時間を切り取られてしまうということについての御懸念が強いのではないかと思う。(第2回)【再掲】
  • 国民意識の醸成について
  • 幼児教育への無償化というのは将来に対する先行投資だと考えるが、無償化を実現するためには、幼児教育の重要性を国民に理解していただくことが不可欠。(第2回)
  • 無償化の実現には国民の理解が重要で、啓発に取り組む必要がある。前回にも申し上げたが、幼児教育は将来への先行投資である。そのことについて理解を得るには、幼児教育の重要性に関連付けて無償化が必要なのだという理論立てがいいのではないかと思う。(第3回)

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