今後の幼児教育の振興方策に関する研究会(第3回) 議事要旨

1.日時

平成20年7月18日(金曜日)13時~15時

2.場所

文部科学省6階 第1特別会議室

3.出席者

委員

無藤座長、秋田副座長、稲毛委員、岩立委員、岩淵委員、大竹委員、柏女委員、佐藤委員、森上委員

文部科学省

德久審議官 谷幼児教育課長、大谷幼児教育企画官

オブザーバー

厚生労働省伊藤保育課長補佐

4.議事要旨

  1. 事務局の人事異動について紹介がなされた。
  2. 前回の補足について、資料に沿って事務局から説明が行われた後、以下のやりとりがあった。

    【委員発言】

     資料1の1ページ目の国際比較のデータであるが、日本と韓国以外の国は二つに分かれると思う。就学前教育を同じ役所が見ているイギリス、アメリカやドイツは州によって違うが、州が全部見ているということで、一貫している。フランスは年齢によって完全に対象が違っている。国際的に見ると、重なっている年齢を違う役所が見ているというのは、日本の特殊事情で、これが今回の幼児教育の無償化についても難しい問題を孕んでいる。ここの認識は大事と思う。
     資料1についてもう一点、14ページ就学前児童が育つ場所についてのグラフであるが家庭で見ている比率が3歳児でも24.6パーセントある。こういった時期に幼児教育の部分だけ無償化したら家庭の部分はどうなるかという議論が問題になるかと思う。ただこの比率は無償化が行われても変わらないといった前提での議論になる。無償になったら家庭で教育していた人たちが変わるかもしれないし、あるいは、幼稚園が無償になれば、補填するような形で、保育所へも行かせて、両方行かせる人たちが増えてくるかもしれない。これを前提に全部議論することは間違いがある。都道府県別の差についても多分同じことで、制度を変えたら一人一人の行動はそれぞれ変わってしまうので、これがあるから何も変わらないという前提での議論の立て方は少し注意が必要。

    【委員発言】

     5歳児3.2パーセント、4歳児では5.4パーセントが家庭にいると考えられがちであるが、実はほとんどが、認可外施設にいる。今実際に家庭にいる子どもで、4、5歳児はほとんどいないというのが、実情ではないだろうか。

    【座長発言】

     多分認可外施設の在籍児数の正確な統計というのは無いのではないか。

    【事務局発言】

     ない。

    【座長発言】

     無いようであり、数字としては挙げにくい。以前御指摘があったが、それ以外の福祉施設に少ないだろうがいると思われるが、それも正確な数字が挙がってないらしい。しかし実情としては、委員が言われるように4,5歳については全く家庭だけで養育しているところはまず極めて例外的だろうと思われる。

    【委員発言】

     まず幼児教育の定義云々、範囲ということで、やはり教育基本法にあるのは幼児期の教育ということで、そしてそれは0歳から就学前まで全てを含むという概念だということであるので、そう考えた方がいいのではないだろうか。この場合の幼児期の教育の「教育」という概念であるが、周辺領域のものとしてはここに保育というものがあり、これは養護と教育が一体となった概念。もう一つは療育というものがあって、障害を持った子どもたちの療育や保育についてどこまで見ていくのか。認可外は保育に準ずるものとして考えることができるのではないだろうか。そうすると、範囲ということでいうと、やはり教育、療育、保育を含める必要があるのではないだろうかと思っている。それが行われる場所ということになると認可外保育施設、少なくとも都道府県がオーソライズしたもの、東京都の認証保育所とか、そういったところで行われているものは含めて考えている必要があるのではないだろうか。療育が行われているところ、通園施設と児童デイサービスであるが、人数は正確に年齢ごとに出すことができるはずである。それも含めていくことが必要なのではないかと思う。
     先ほど話があったように、4歳5歳で家庭に居る子どもは現実にはほとんどいない。児童養護施設に入所していたり、あるいは在宅のまま通園施設や、児童デイサービスに通って、そして費用を負担している。ここは定率負担ということになっているので、場合によっては幼稚園、保育所よりも多い負担がある場合もある。そうした家庭の子どもたちについても無償化の範囲に入れていくことが必要なのではないかと思う。これが一点目。もう一つは幼児教育の範囲ということで、年齢といった場合に、学校教育法では3歳から就学までが幼稚園での教育という形になっている。保育所の場合、教育というのは、保育という概念の中に養護と教育が一体となっているということから、つまり0歳から教育があるということになる。0歳から就学までに教育という概念があって、そして年齢が高まるとともに、教育の分野の比重が高まるとか、そうしたことは保育所保育指針の中では考えられていない。0歳であっても言葉の教育が必要になる。つまり単語を発することができるようになるように働きかけていくことなどが言葉の教育ということになるわけだが、そう考えると年齢について一定の線を引いて、そこから上が教育だという捉え方はあまり適切でないと思っている。ただしそう言っても、優先的に無償化する必要があるところについての議論を否定するわけではない。幼児期の教育について年齢を規定するというのは、避けたほうがいいのではないかと思っている。無償化を優先すべき年齢幅を考える、という取られ方がいいのではないかと思う。もう一つ三点目であるが、幼児教育の範囲ということで、家庭にいる子どもたちはどう考えたらいいのかということであるが、在宅サービスについての無償化も視野に入れていいのではないかと思っている。例えば、保育所普及率が全国トップクラスの石川県では、在宅の子どもたちについては子育て支援プランを作成する。その上である御家庭の子どもに対しては、週一回一時保育を定期的に利用する、そういったプランを立てる。または、週に一回集いの広場に親子で通うというプラン。こうしたプランを立てて、そこには当然費用負担がかかるわけだが、それらについて無償化を検討するというふうに考えていくことはできないのだろうかと思っている。特定の子どもたちにおいては、親がなかなか外へ出ることを望まない、または友達がいない、そういった場合には、在宅のまま他の子供たちと触れ合うことがないまま過ごしている。また、保育士等が関わることができないまま過ごしている。そうした子供たちに他の子供たちと関わる機会を提供し、保育士等が関わっていける、そんな機会を在宅の子供たちにも提供していけるように、それらについても一定の無償化の議論として、加えていくべきではないか。もちろん年齢によっては、教育は0歳から就学前全部だが、優先すべきものとして3歳以上として考えると、3歳以上児の在宅の子どもたちについて、やはり無償化の議論を入れていくことが大事ではないかと思う。集団教育の方へ不適切なインセンティブが働かないようにするためには、そうした方向も考える必要があるのではないかと思っている。ちなみに、一週間に半日定期的に利用する利用方式を基本保育と呼んで、全ての子どもたちに一定時間の保育を保障する、在宅の子供にも保障していく、そうした基本保育制度というものを制度化していきたいと考えている。そのための先駆的なモデル的実践として石川県で始めてもらっている。そんなことを幼児教育の範囲という点では、捉えていくことが必要なのではないかと思う。

    【委員発言】

     基本保育をこれだけ、一時保育をこれだけ、というようなメニューは親が選択するのか。委員会のようなものがあってそこが選択するのか。

    【委員発言】

     親とプランを作成するコーディネーターを養成していて、親とコーディネーターが話し合って、最終的には書面で両方の契約という形で、毎月更新していくというやり方である。

    【委員発言】

     バウチャーのようなものではないのか。

    【委員発言】

     バウチャーではない。例えば一時保育を週に一回利用するとした場合、利用料の半額を県が補助するという形でやっている。現物給付という形になる。

    【座長発言】

     諸外国における状況と、幼児教育の範囲ということで御指摘を頂戴した。特に無償化すべき幼児教育の範囲ということで委員からも御指摘があったが、どの程度までそれを決めるか。幼保二元の中でどうしていくか。また、共通部分をどうするか前回も今日も御指摘があった。そこで特に射程とすべき幼児教育の範囲、あるいは無償化の対象とすべき幼児教育の範囲というものについてもう少し御意見を頂戴したい。
     改めて整理すると幼稚園、保育所、認定こども園も入れて、現に幼児教育が行われているということである。先ほどの資料にもあるように幼稚園教育要領、保育所保育指針において幼児教育というものは定義されている。多少幼稚園と保育所で違いがあるとは思うが、教育要領、保育指針を見る限りでは、非常に共通性は高くなってきていると思う。共通部分について、無償化を措置すべきであるという御意見もあろうと思う。それに対して幼稚園は3歳から5歳である。保育所は0歳から6歳であるということであって、委員の指摘にもあるように保育指針としては、0歳から含めて幼児期の教育として幼保と一体的に行うとなっている。
     また、教育基本法における幼児期の教育というのは、事務方から説明があったとおり、極めて緩やかに作ってあり、厳密に学校教育法とイコールではない。そういう諸々の教育を考えた場合どうしていくか。個別家庭教育や、保育所については小さい時期において基本は個別、一人一人の子供に対する関わりということだろうと思うが、その一方で、公の教育としての幼児教育は教育プログラムをもって集団的に行われるものであるというイメージがあろうと思うが、そうすると一つの観点は、そういった教育プログラムで集団的に行うという意味での教育というものをイメージして、それが何歳くらいから可能かと。これがひとつの視点だろう。個別に家庭的なところで行う教育のイメージと、より集団的に行うというイメージ両方あるということだと思う。
     このとき、集団的に行うというところの幼児教育を行うことが可能だと思われる年齢について発達心理学的な検討の中でどうお考えかというところを御発言いただきたい。

    【委員発言】

     委員の話の中にあった幼児期の教育と言うときの、その幼児期を定めるということと、幼児教育というものをどう解釈するかということは、かなり意味合いが違っているかもしれない。発達心理学的に言えば、二者関係ではなく三者以上、それから教材や環境というような間に媒体物があることによって他者との関わりを深めることができる知的な表象が頭の中にできて、関係が作れる、そういった年齢としたら3歳ということが妥当な線だろうというふうに考えている。次回にでも資料を出して頂ければありがたいが、二歳児特区について文科省がモデルを作られたときにいくつか視察をさせていただいた。そのときの報告書が上っているかと思うが、確かに2歳においても、椅子に座っているとかある意味しつけ的に形態を整えることはできたとしても、関わりとして3歳以上の集団のように教育・保育をやっていくのはかなり難しいのではないかという、個人の意見ではなく、何人かモデルに関わった委員が一定の知見として出しているものがあると思う。そういった意味で、2歳までと3歳では発達的に違っているだろう。委員が言われたとおり、保育所保育指針は、0歳から就学までを一貫して保育と考えているが、今回の保育所保育指針の中ではこれまでと違って、3歳未満と3歳以上で、取り扱いを分けて考えるという基準を出しているので、幼稚園だけではなくて保育所に関わる人たちにとっても2歳までと3歳以上は違うというような認識というものはあるのではないだろうかと思う。
     もう一点補足をすれば、国際比較で、同年齢のところの行政を複数の役所が持っているのは日本と韓国であるという指摘があったが、先週、国際学会があって、知識社会に幼児教育の政策において各国がどこの部分に投資すればいいかということの議論があった。日本と韓国だけでなく、台湾やタイや中国、シンガポールという、近代化が欧米よりも遅れた形で進んで来た国々は二元的な保育所と幼稚園をこのような制度の中で持っている。幼児教育といえばそれらの国でも3歳以上というある種の合意のようなものはある。つまり、日本だけではなく発達的にみて3歳以上が幼児期であるという考え方があるのではないかと思う。

    【委員発言】

     今、ここで考えている「幼児教育」は施設教育であり、集団による教育と考える。保育所の場合、養護と教育が一体的に行われているといっても、「もともと養育に欠ける」子どもの保育ということで、養護の機能・役割が強いし、0、1、2歳の場合は、発達的に養護をより強く必要としているし、その面が非常に強いのではないかと考える。他方、幼児教育というと集団の施設教育ということを想定する。発達的には、言語・認知面の発達で言えば、他の委員が言ったように時系列的な表象による思考が可能になる。例えば、登園してから降園までの生活の流れのイメージが形成されてきたり、コミュニケーションにおいて多少、噛み合わなくてもやりとりできる楽しさを感じられるようになったり、生活面で、排泄が自律してくるということでも、自立的・主体的に生活・遊びを展開できるようになることから、集団による教育が可能になってくる。養育者との愛着関係に関してもだいたい3歳台に相互調整の時期に入り、親からの一方的な波長合わせではなくて相互的な波長合わせの時期に入ってくる。このようなことから、集団生活を通して教育が行われるという意味での幼児教育を考えると、3歳台からと考える。ここで、幼児教育の無償化を考える場合には、まずは、3歳から5歳と考えるのが妥当ではないか。次に、5歳は就園率が非常に高いわけで、5歳くらいから順次考えていったらいいのではないか。

    【委員発言】

     先ほど無償化を優先すべき年齢の範囲という言い方をしたのは、発達論でやってしまうと知的障害を持っている特別支援学校にいる幼稚部の子どもたちは幼児教育ではないのかという議論になってくるわけである。児童デイサービスや通園施設にいる子どもたちに対して行われているものは、そうではないのかという形になってしまうので、そこはやはり注意した方がいいのではないかと考える。一般の子どもたちと、健常な子どもたちについてと言えば、発達論として納得はするが、こういう切り分け方をしてしまうと障害を持った子どもたちが抜けてしまうということに注意しなければいけないと思う。

    【委員発言】

     発達心理学的観点から、幼児期の集団教育が何歳からか、ということにお答えしたものであり、3~5歳と0~2歳を切り分けてから無償化の問題を考えるということを支持しているのではなく、生理学的な年齢で公教育を考えるときに何歳からにすべきか、その優先順位を決めていくべきだという委員の意見には賛成である。ただ幼児期がいつからかと聞かれれば、専門的な知識として3歳くらいからは分けられるのではないかということを申し上げた。

    【委員発言】

     幼児教育というのはいつからかということを決めてこれは無償化するべきか、というのも一つの議論かもしれないが、経済学的観点からすればなぜその時期は無償化しなければならないのかという点についてよくわからない。義務教育を無償化するというのは何が目的かというと、放っておいたら教育を受けないという人がいたら社会全体が損をする、全員の学力が上がることで、本人の学力が上がって本人が得をするというだけでなく、社会全体が得をするということがある。放っておいたら過小教育となって日本全体の生産性が下がってしまうということがあるから公的なお金を使ってでも教育レベルを上げることに効果がある。外部性の議論は国のお金を使うことへの一番の理由である。そこから考えなければ駄目で、学力全体を上げるのに効果が一番高いのはいつかということだと思う。それを今までは義務教育だけを念頭に置いていたけれども、もっと前にするべきなのか、逆に0歳からのところを強化した方が効果が高いのか、本当は議論されるべきだと思う。しかし、そういった資料が無い。アメリカの経済学者が一部そういう研究をやっているが、本当はそこから議論しないとどこの部分に国のお金をつけるかの答えは出ないという気がする。集団教育が受けられるようになるという時に、なぜその時期にお金をつけなければいけないのかということの答えになっていないような気がする。
     もう一点は、これが正しいのかはわからないが、何らかの意味で再分配の政策としてそういった低所得の、家庭の教育機能が低い人たちに集中的にお金を出して教育機会を与えることが一番日本人の平均学力を上げていく、というのであればそこが一番効果が高いということになると思う。ただ、どこにお金を出せば一番効果が高いかという議論に欠けている印象を受ける。

    【委員発言】

     今の意見と噛み合うかわからないが、幼児教育の国家戦略は今いろいろと問題となっているが、昭和36年にユネスコが各国の文部省に対して、就学前教育に対する勧告というものをしている。その中でまず最初にこう言っている。幼児期の教育というのは、第1の責任は家庭にある。これは譲ることのできない権利である。しかし今は、4歳くらいになるとどんなにいい条件にあっても友達の関係等で、家庭内だけで充足させることはできない、ということをひとつ挙げておく。その次に、この時代にこんなことを言っていたのかと思うが、職業を持つ女性がこれからどんどん増えてくるということを言っている。そういった子どもに対して十分な保護を与えて成長発達を促すことは近代社会の責務であるといっている。保育サービスの面も出てくるということである。もう一つは家庭から直に学校にいくのではなくて、幼稚園や保育所というところを通って、学校へ移行していくというのは、子どものスムーズな移行ということから考えても非常にいいということを3番目に挙げている。4番目には、今特別支援教育とかいろいろな問題となっているが、そういった問題が発見されるのは家庭ではなく、そういった場である場合が多い。そういう子どもが発見されるということと、それに対して早く手が打てるということからすると、就学前の教育は欠かすことができない、ということを1961年に既に言っている。社会保障ではないので、発達を促すという観点からすると、所得制限だとかそういうことではなくて、幼児期の教育としてはこれを無償とするべきであるとそういう言い方をしている。しかし、にも関わらず義務教育というのは、ちょっと考えたほうがいい。コンパルソリーというのは強制していくわけでありそういう言い方をしている。これは第1回の幼児教育の重要性というところに絡んでくる。各国の文部省に対する勧告の最後には、この文書をいろんな団体やいろんなところでもっと就学前教育の重要性をPRしなければいけないと強く書いている。これはなんで無償化しなければいけないということを社会的な合意が得られるようにするべきだとそういうことも大事になってくるのではないかと思う。

    【委員発言】

     今、委員がおっしゃったコンパルソリーであるが、日本においては就学義務といって、行かせなければならないと親に義務化されているが、アメリカなどでは多分教育提供義務のことをコンパルソリーと表現していて、これを提供しなければならない。だから場合によっては、家庭でホームティーチングをすることも可能であるという選択権は残された意味でのコンパルソリーではないかと思う。別の委員が先ほど国家戦略としては義務教育年齢を下げるのかどうかということが問題だとおっしゃられたが、つまり効果が高くなければお金をつける意味が無いということは、今議論している「無償化」を「その制度を選択するかしないかは養育者に委ねられ、全ての子どもに影響を必ずしももたない」と考えると、無償化の議論というのは、義務化とセットでやっていかなければあまり意味がないということか。

    【委員発言】

     申し上げたかったのは、義務かどうかということではなくて、今は義務教育のところは無償となっているので、無償化というのは教育補助であり、教育補助をどこの年齢層に出すかという発想は、義務教育をどこに措置するかを考えることと別に変わらない。その時の考え方というのは、それによって全体の学力が上がるかどうか、社会全体の学力が上がって、他人にもメリットがあるかどうかだけである。それ以外は各個人でやればいいわけである。各個人でやれないという場合は、所得再分配の問題だけである。全員に補助金を出すというときは、そうした方が他の人にもメリットがあるという議論が無いと駄目で、そのメリットがいつの年齢層で措置したときが一番大きいのかということだけが、経済学的には、税金を使うかどうかのポイントである。

    【委員発言】

     無償化したら親が行かせるか行かせないかを選択することになる。国家戦略としてはその部分が全体に浸透しない可能性があるのではないか。

    【委員発言】

     浸透しなくてもいいが、補助をすることでそれを奨励するわけである。なぜ税金を使って奨励しなければいけないのか、本人にメリットがあるだけではないことを説明しなければいけない。そうでなければ、所得再分配の低所得者層に対する補助だけすればいいという議論しか成り立たない。望んだ人全てに補助金を出すということはそういうことである。例えば、コンピュータ投資を進めた方が世の中全体の生産性が上がるということがあるから、国はコンピュータ投資に対する補助金を出したりしたわけである。それと経済学的には全く同じ。

    【委員発言】

     社会が得をするというときの指標として学力ということを委員は言われたが、社会が幼児教育に投資をすることによって何をもって社会に貢献するという指標が経済学的に考えられるのか伺いたい。

    【委員発言】

     狭い意味で言うと、社会全体の所得が上がるかどうか。もう少し広い意味だと世の中全体の満足度が上がるかどうか。所得に換算されないような安全性とかも含めて考えるのが一番広い意味である。ただそれはなかなか測りにくいというときは、一般的なGDPが上がるのかどうかということになる。本人の所得が増えるだけでなく、他人の所得も増える効果があるかどうか。

  3. 事務局より我が国における教育費負担や少子化対策を巡る取組について、稲毛委員より江戸川区の取組について、それぞれ資料に沿って説明が行われた後、以下のやりとりがあった。

    【座長発言】

     事務局の説明と稲毛委員の江戸川区の説明を合わせながら検討したい。今の説明より言える一つ目は、幼児を抱える家庭の経済的負担感はかなり大きいだろう、特に子どもの教育費負担というものが高い。政府の総合的少子化対策の紹介があったが、幼児期の教育については、我が国の手当は薄いようだ。地方自治体は全国的に様々であるが、ある程度取り組んでいるところも少子化対策という面が強い。特に多子世帯について手厚いやり方が多いようである。以上のことについて御質問、御意見などを頂戴したい。

    【委員発言】

     無償化の対象経費についてだが、義務教育は授業料などは当然無償で、教科書も無償配付している。それに対して補助教材とか鉛筆などは個人負担となっている。従って幼児教育においても、無償化の対象経費としては、人件費などの教育の根幹となる保育料は無償化した方がいいと考える。ただ先ほど説明のあったクレパスなどの個人の私物になるようなものやスクールバスの経費などは外したほうが国民の理解を得やすいと思う。一方保育所の運営費では、クレパスなど直接保育に必要な保育材料費は保育所運営費の事業費の中に含んでもよいということになっている。従って今の制度では、教育と福祉では対象経費の捉え方が異なっている。

    【委員発言】

     どちらが多い少ないと言った論議になるとなかなか難しいと思う。認定こども園では、3歳以上であれば幼稚園に籍を持っている子と保育所に籍を持っている子の両方がいるわけで、幼稚園に在籍している人は保育料の他に給食費を取られ給食費に消費税までつく、当然のこととして教材費はかかるし、その他に預かり保育とは呼んでないが、その延長の部分には応分の負担をする。ところが、保育所に在籍している場合には、保育料の中に全て教材費、給食費、5時までの保育時間の部分も入っている。今までは幼稚園と保育所に別れていたわけだが、そういう違いがある保護者が今は同じ施設にいるわけで、話をしているうちに働いた方が特だとかいろいろな具体的な話がでてくる。幼児教育と社会保障の部分をどういうふうに合わせて考えていくかが、大事になると思う。

    【委員発言】

     対象経費のところだが、具合的な費目まで全部個別に措置するというのは一つの案かもしれないが、もう一つは、国立大学の運営費交付金みたいに、積算根拠はあるが後は一括で渡して自由にするというのも一つ。その方が、今おっしゃった問題とかも現場で裁量ができて合理的に使えるのではないかと思った。
     もう一点は、どの教育段階を無償化するか。無償化の理屈付けであるが、どこに行えば一番効率的か。一つのロジックは義務教育の効率性を上げるためにどの年齢層の教育を促進すると一番いいのかというもの。例えば就学前直前の学力が少し低い子は、義務教育の段階での教育の効率が非常に悪いということがわかっているのであれば、そこにターゲットを絞って、そこに教育のカリキュラムを措置しないといけないので、その下で無償化するというのは理屈付けになる。
     もう一つのロジックは、説明の中にあった少子化対策の話。幼児教育に対する教育費がかかるということで子供を産まないということであるが、子どもが生まれるとその親子だけではなく社会全体へプラスの影響があるというのであれば、少子化対策というのはロジックの一つになる。ただ、先ほどの秋田県の例にもあったが、これがどれくらい説得的かというとあまり効果がないかもしれない
     もう一つあまり議論になっていないのは、女性が働けるようになるというのは効果がある。女性が働いた方が世の中の全体の生産性が上がるということになれば、幼児教育を無償化することでより女性が働いて、親だけの効果ではなくて日本全体が豊かになるというロジックはあると思う。これは今までの議論で少し抜けていた。
     そういった無償化の理由についてしっかりと議論しておかないと、幼児教育を無償化した時に、もともと豊かで幼児教育に熱心な人にしかメリットがないじゃないかと問題視されるし、再分配の面でも悪いし効率性も何も変わってないというのであれば、公費をかけたメリットがなかったと言われてしまう。
     そういった議論に耐えられるようにしなければならない。

    【委員発言】

     無償化の実現には国民の理解が重要で、啓発に取り組む必要がある。前回にも申し上げたが、幼児教育は将来への先行投資である。そのことについて理解を得るには、幼児教育の重要性に関連付けて無償化が必要なのだという理論立てがいいのではないかと思う。幼児教育の重要性から見た無償化の必要性は二つの側面がある。一点目は国家・社会を維持していくための人材育成。幼児期は人格形成の基礎を培う非常に重要な時期で、後で取り戻すことは不可能ではないが非常に時間を要す。二点目は少子化対策の一環としての保護者の経済負担の軽減策。これも前回発言したが、無償化は保育の質の確保と一体的に取り組み国民に理解してもらうことが重要ではないかと思う。
     余談ではあるが、高知県は学力が低くいじめや不登校の発生率が高いという教育課題を抱えている。この度、教育委員会のこれまでの取組の検証、今後の方向性を検討したうえで、今後緊急に取り組むべき内容を取りまとめたパンフレットを作成した。私が非常に喜んでいるのは、この中で今後の方向性と具体的な方策の5つの改革の中に幼児教育改革を項目立てしたこと。具体的には就学前の保育の質の確保や親支援、小学校への円滑な接続などについて、目標値を定めて取り組んでいくこととしている。
     事務局から地方独自の経済支援が後退しているという御報告があったが、これは地方公共団体の経済が疲弊していることに関連していると感じている。当課の職員が全市町村の保育所や幼稚園の所管課を訪問して情報交換を行った際に出てきた意見を紹介する。公立保育所の保育所運営費は、平成16年度から一般財源化されたが、市町村から、国は保育所運営費に相当する金額は措置していると言っているが、本当に全額交付されているのかという疑問の声や、特定財源でないので交付税の総額が減額された中で、担当セクションとしては保育所運営費の確保が大変難しくなっているという意見が多く聞かれる。このことと先ほど説明のあった地方独自の経済支援が後退していることは関連していると感じている。

    【座長発言】

     公立保育所は数年前に一般財源化されていろんな影響があるらしい。

    【委員発言】

     幼児教育については、所管する役所が別れていた。協力関係がうまくいかなかったという日本の役所の弊害があったが、最近は幼児教育課長と保育課長が相互乗り入れしているという状況があり、認定こども園についても進んでいるということである。少子化対策特別部会で、保育制度の改革についてこらから詰めていくが、認定こども園もテーマになってくる。幼児教育は昨年の「子どもと家族を応援する日本」重点戦略検討会議や他のところでもほとんど議論されてこなかった。またもやばらばらになってしまうのかという危惧を抱く方もいらっしゃるかと思うが、本研究会が先行して取り組んでいくことが起爆剤になっていくのではないかと思う。
     経済的な支援ということになると、特に教育費の公的な負担が諸外国に比べて少ないというのは言うまでもないことである。日本がいかに少子化を加速しているかということは、歴然としている。経済的負担が子どもを持たない理由となっているということは各種調査でも出ていることで、今後はそういった経済的支援対策を重点的にしないと日本の少子化はどうしようもなくなっていくというのは目に見えていることである。国の存立ということについては、これに勝る重要な課題は他にない。18年12月に出た人口推計で言っても、50年ごとに働き手は半分ずつに減っていく。100年経てば4分の1に減るということで、ものすごい勢いで減っていくというのが推計ででている。これに対する取組として、ドイツ、韓国などは国を挙げて明確に取り組む姿勢を見せているが、日本はたまに遠慮がちに言うくらいで、腰が入っているとは言いがたい。既に現実にトヨタの販売台数が何年も続けて落ち込んでいるという、こういった現実を目の前にしても本気になっていない。どこかの新聞で滅びの美学と書いている大学の先生がいたが、そのことが美学にしかならないような国というのは子どもたちにとって非常に不幸な国になってしまうのではないかと非常に危惧する。地方自治体は非常に熱心に取り組んでいる。これも二極化してきていると思っているが、地方も少子化、過疎化がものすごく進んでいて、切実な取組として、爪に火を点すように努力している市町村があり、一方では金を付けて充実している地方自治体もあり、その真ん中で、江戸川区のように無い金を工夫しながら非常に成果を上げている自治体ありというように思う。江戸川区の取組は非常に示唆に富むように思うが、地域格差も非常に辛い話である。これも含めてどんな支援ができるか考えていきたいと思う。

    【委員発言】

     今までの議論について二つ申し上げたい。少子化の問題は私も大事だと思うが、大事なのは、政策が少子化対策に効果があるということを説得的に出さなければ駄目で、お金を付ければいいというだけでは弱い。そこはいろんな証拠を出して、例えば江戸川区でこういうのを補助すると確かに出生率が上がりましたというような例を、他の所へ少子化対策するよりここへ少子化対策としてお金を付けるのが一番だということを声を出さないと駄目だというのが印象である。
     もう一つは一般財源化でお金が来てないという話があったが、これは実際に義務教育について研究したのだが、義務教育全般でも一般財源化されて特に高齢化した地方では高齢者福祉のところへお金が行って、実際に教育に使われていないということがはっきり出ている。90年代以降一般財源化が徐々に進んできてこの影響がはっきり出てきている。結局自治体へ任せてしまうとプレッシャーを受けてしまうというのは事実なので、対象となる人を絞った補助というのが大事。

    【委員発言】

     幼児教育であったら何でもお金を出しますというのではなくて、お金を出したら一定の効果が上がりそうなある部分の幼児教育の質を保証することによって、こういう効果が期待できるので、こういう政策を打つべきだということになると思う。区立幼稚園には区立幼稚園としてだけの機能があり、私立幼稚園には私立幼稚園の機能があるように思うのだが、江戸川区では、公私の格差是正ということで、公共的な教育へ投資していくという方向から考えた時に例えばこういう形で、保育ママ事業や保育所も最終的に民間の方へ移行していくというとき、質の問題がどうなるのかというところを伺いたい。またもう一点文科省へ聞きたいが、国でやっている幼稚園就園奨励費補助は、就園奨励費事業を実施している地方公共団体に対して補助している訳だが、全ての地方公共団体が受給できているのかどうか。地域の格差は義務教育の部分でも大きく出てきており、この無償化の問題は質の問題と切り離しては議論できないので伺いたい。

    【委員発言】

     先ほど申し上げたとおり、公立の幼稚園は2年保育、私立は3年保育、いずれにしても私立については直接契約・直接入所だから、この幼稚園がどういった教育をしているのかや、どういった保育をしているかということは、当然のこととして、親御さんたちが見ながら、自分はこの園に入れたいとかそういった形で選択をしていることと思う。そういった意味では、私立幼稚園は自分たちの存在意義というか、どういうことをやっていくかということに真剣に取り組むことによって、園児を確保していくということができるのだと思う。区立幼稚園と私立の間はどうかということについては、区立の方では4時間の基本の時間プラスかつては預かりがあったが今は預かりをやっていない。地域の子育て支援の場としての事業展開は今年度から始めたりもしていると聞いている。区立は私立から見て区立のこの部分は真似をしようという手本になったりとか、そういった意味での役割は負っているのだろうとは思う。場面、場面での区立と私立との交流みたいなこともあるので、そこでお互いに刺激を受けるということはあると思う。

    【事務局発言】

     就園奨励費関係の御質問があったので、説明させていただく。資料3の1ページ目にある都道府県が実施している保護者負担の軽減のうちの愛媛県を御覧頂くと、第1子以降ということで幼稚園について、国の就園奨励費事業と同様とありますが、確認をしたところ愛媛県全体でも、国の就園奨励費と同じスキームのものを上乗せしているというものであって、本来だと国の就園奨励費は県レベルの事業なのだが、県自体が県の全域を対象に就園奨励費を拡充することで行っているもので、ただし、右にあるが、これは実は平成20年度で廃止という方向がでている。この理由を尋ねたところ、先ほど委員がおっしゃったとおり財源が無くなってしまったので、続けたいのだが続けられなくなったとの理由であった。市町村については、手元に資料が無いので次回以降に御説明させていただきたいと思うが、幼稚園就園奨励費を実施していない市町村というのは現にあって、これは一つの課題だと思っている。

    【委員発言】

     四国の或る市だったが、就園奨励費を私学に対して出してないということだった。そんなことがあるとは思ってなかったが、出す意味がないとその時に言っていた。その辺のところが問題だろうと思う。

    【事務局発言】

     実はこの就園奨励費事業は予算措置で、地方公共団体が実施するものに対して、国が補助するといったスキームになっている。仮に市町村がやらないと選択した場合には、国からも補助が行かないというスキームになっているので、本当は市町村に必ずやってほしいということをお願いしているわけだが、今の予算措置というスキームの中では、全ての市町村の参加が得られていないという状況である。

    【委員発言】

     質といった時に何をもって質と言うか。例えば顧客満足度で親が喜ぶからそれでいいという質の決め方はとても難しい。例えば鼓笛隊を華々しくやればいいのか。質が保障されなければいけないということと、認可外にも出すのかどうか、認可外もそこでの子どもの実存ということを考えた場合には、そこに手当てをするべきだといった考えもあるかもしれないが、ある程度きちっとしたものに対して援助するという考え方が必要だと思うので、質の論議はとても大事だと思う。

  4. 事務局より政府・政党における幼児教育の無償化に関する提言等について、資料に沿って説明が行われ、委員から質問があれば次回に受け付けることとなった。
  5. 事務局より、次回は8月21日(木曜日)13時からを予定している旨の説明があった後、閉会となった。

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