「いじめをなくそう」子ども会議(第2回)(子どもを守り育てる体制づくりのための有識者会議(第10回))の概要について

平成19年6月10日(日曜日)
ホテルフロラシオン青山「芙蓉東」

≪子どもからの発表概要≫

1高知県・高校2年女子】

 保育園の時に、仲間外れにされたり、滑り台の上から落とされそうになったりといういじめを受け、保育園が大嫌いだった。小学校高学年の時には、体育倉庫の落書きについて先生から犯人扱いされるなど、児童に対する先生の扱いがとてもひどかったし、いすの上に画鋲を置かれる、靴に毛虫を入れられる、筆箱を捨てられるなどの様々ないじめに遭った。でも先生は見て見ぬふりで、親にも相談できなかった。

 ある時自殺を決意し、自宅で飛び降り自殺を試みようとしたが、たまたま通りかかった父親に説得され、事なきを得た。

 校長をはじめ学校の先生は生徒を助けようとせず、世間体ばかり気にしていたので、いてもいなくても変わらない。両親が先生に訴えても何もしてくれず、「いじめられるのが怖かったら授業を受けなければいい」とまで言われた。当時の先生たちは皆仕事を適当にやっているように見え、あまりに非常識だと思った。全体的に教師のモラルが低下している。もう少しプロ意識を持ってほしい。私は自分の体験を話すことで一人でも多くの命が救われればと思ってここに来た。いじめに苦しんでいる子どもたちを救ってほしい。

2京都府・高校3年男子】

 小学1年生の時に、複数の友達と一人の児童を半年くらいいじめた。彼は自分たちに何も悪いことはしていなかったが、身体的特徴でいじめていた。自分たちの中では「やりすぎたスキンシップ」のように考えていて、遊び感覚だった。そのため、先生に何度も怒られたが、なぜ怒られてるのか分からず、いじめをやめなかった。周りは見て見ぬふりで、誰一人として自分たちのグループに声をかけなかった。小学1年生の段階でも、いじめは存在する。

 小学4年生頃には逆にいじめられるようになった。きっかけは、いきなり肩を殴られたときに「友達を失いたくないし、一回だけなら我慢しよう」と思って仕返しをしなかったため、「こいつには何をしても仕返ししない」と思われたからだと思う。何もリアクションしなければずっといじめられることはないと思っていたが、いじめはどんどんエスカレートし、一年間続いた。先生は「いじめたやつを後で叱っておく」としか言ってくれなかった。それだけなら、ある意味先生もいじめに加わっているようなもの。現場には先生と子どもしかいないのだから、子どもがどうしようもない時には先生に救いの手を差し伸べてもらいたい。

 いじめている子どもには「いじめ」の意識がないので、体罰や出席停止などのペナルティは効果があると思う。また、学校ではいじめの話はほとんどタブー視されていて、いじめについて話す機会がとても少ない。不登校もいじめが原因の場合がある。いじめについて意見を持っている生徒はたくさんいると思うので、話す機会があれば何かいいアイデアが出るかもしれない。
 いじめられたら落ち込み続けるだけでなく、自分の成長のための経験として何らかの形で生かしていければいいと思う。いじめをなくすのが難しければ、いじめを受けた子どもに対して何かアドバイスを与えることが必要。

3茨城県・大学1年女子】

 自分は二度いじめを体験した。小学4年生の時に受けた物隠しは、私個人へのいじめというよりも私と私の友達に対するいじめだった。
 私の持ち物が隠された時には、友達が先生に知らせ、一緒になくなった物を探し、私たちを励ましてくれた。当時の先生たちは、誰かの物が隠されたりする度に「人が嫌がることはしないように」と皆に話していた。私たちが親に相談すると、連絡を受けた先生が他の子どもに知られないように私たちの話を聞いてくれて、全体に対する指導の中で対応してくれた。このような指導により、いじめられた人の気持ちを全員が知ることができ、少しずついじめはなくなった。

 保護者と先生の連携が大切。学年が上がるほど先生には相談しづらくなるので、当時の小学校では保護者への連絡帳を通して、先生は事態を把握していた。また、休み時間などに定期的に子どもに声をかけるなどして相談しやすい雰囲気作りをしてくれた。そして、いじめを皆で解決しようという雰囲気が作られたことも、いじめが長続きする原因である被害者の孤立感が解消され、解決に向けて功を奏した。

 中学2年の時に受けたからかいには、一人になったときにされるという法則性があった。それに気づいてからは、仲の良いグループと一緒にいるようにして、防げた。ただ、相談室や保健室が特定の生徒によりサロン化して、とても相談できるような雰囲気ではなかった。

 重要な取組として、1コミュニケーションを充実し、相談した子どもが孤立しないよう相談ボックスを設置すること、2地域に相談できる第三者機関があること、3定期的ないじめ調査、4問題のある子どもへの全教員による対応、5先生一人当たりの仕事量や負担を軽減し、先生が余裕を持って仕事ができるような体制をつくること。そのほか、学校だけで解決しようとせず、教育委員会等と連携したり、地域や家庭ともっと連携しいじめとは何かという教育がもっとなされればと思う。

4東京都・高校2年男子】

 いじめは重大な犯罪だ。これだけ自殺者も出ているのに、いまだにいじめを軽く思っている人が多いことに失望と怒りを感じる。

 小学校から高校までいじめに遭ってきたが、やられた方の心はぼろぼろになり、いじめは犯罪だと思った。いじめをされる方が悪いと言う人もいるが、加害者は巧みに嘘をつき、いじめをするための理由を作る。

 学校がいじめを隠すことが問題。加害者をつけあがらせる。加害者を罰するための停学や退学を含め、保護者、子どもと本音で話し合わないと、いじめがなくなることはない。保護者、先生方を交えて本気で話し合うことで相手の痛みや苦しみが分かるようになる。
 定時制高校に通い出し、やっと本来の自分を取り戻してきている。何年か先にこのいじめが自分にとって価値ある経験であったと言える大人になりたい。相手の痛み、苦しみ、喜びが分かってあげられた時に、自分の夢である教師に近づけると思う。未来ある子どもたちが穏やかに過ごせる学校空間を創りたい。

5東京都・高校1年女子】

 中学入学直後から、紙くずを投げられたり、足をひっかけられたりした。特に反論しなかったため、いじめている4人はますます面白がっていじめを続けた。いじめから逃れることばかり考え、自分さえいなくなればと思うようになり、4人を見ると吐き気がするようになった。

 思い切って親に相談したところ、親が教育委員会に申し出てくれ、4人の生徒と話し合いの場を持った。担任の先生は、一人の人にグループで攻撃することはいじめだ、と言ってくれた。校長先生も、どのような理由があってもいじめはいけない、いじめを続けるなら本校には置いておけないと厳しく指導してくれたようで、学校は積極的に対応してくれた。おかげでその後4人は私に関わらないようになり、幸せな中学生生活を終えることができた。素早い対応に感謝している。

 提案したいことは、1いじめは犯罪だと強い姿勢で臨むことが必要。2いじめ110番を学校ごとに創設し、親に相談できない子どもたちが先生に対し申し出る場所を提供してほしい。3教育委員会、学校、保護者が連携してスピード感をもって対応できる体制をつくってほしい。4些細なもめごとから積極的に関わって、正しいこと、間違っていることを教えてほしい。携帯やパソコンもあって、今のいじめについて子どもだけでは解決できない。早い段階で大人に介入してほしい。5スクールカウンセラーも活用し、いじめをする子の矯正教育をしてほしい。6他の生徒からいじめの報告ができるよう環境づくりが必要。7いじめ専門家によりいじめ防止教育をしてほしい。8ペンシルバニア州のいじめ対策法のようにいじめについて法制化してほしい。

6神奈川県・中学1年女子】

 いじめられたきっかけは、フルーツバスケットで「誰がきらいか」という先生の質問に対し思わず名前を挙げてしまったこと。どうして先生があのような質問をしたか分からない。自分が休むと他の子がいじめられたりした。親は調査を依頼したが、校長はいじめを認めず、PTA役員に口止めしていた。クラスメートに書かせた自分への手紙も、いじめの内容があったので見せなかった。副校長に「学校に来なさい」と言われたが、いじめが解決していないのに行けるはずがない。自分のことなど何も考えていなかったと思う。

 教育委員会も問題を隠すことばかり考えていた。いじめが分かったらすぐ対応してほしいし、いじめがあるからといって学校や先生の評価をしないでほしい。いじめを報告しているか、ちゃんと指導しているかで評価するべき。

 学校の授業でいじめに関するビデオを見せるのは間違い。かえってうまいいじめの方法を学んだように見える。学校は本気でいじめをなくすつもりがなかった。校長は父母会で、体を傷つけたり金銭を取り上げること以外はいじめではないと言っていたらしい。先生たちも犯人捜しをしなかった。

 いじめがなくならない原因は親にもある。今の親は子どもの前で平気で人の悪口を言ったりする。自分の母は父母会でいじめっ子の親に集団でつるし上げられた。電話で怒鳴られたりもした。親は自分の言葉や行動がどんな風に子どもに影響しているか、分かってもらいたい。自分の子どもにいじめは卑劣だとちゃんと教えて、心から分からせるべき。いじめられる子は強くなれという話と、いじめをなくす話は別。

7東京都・高校3年女子】

 中学2年の時にグループ内での「ハブ」にあった。自分はいじめられたことをきっかけに、それまではいかに目立つかということばかり考え、簡単に友情を裏切ってきていたのがわかった、また、いじめられたことで、自分の内面に目がいくことができ、人の気持ちが分かるようになった。すごくネガティヴだったので、いい言葉を使うようにして、自分の中でポジティブになっていけた。周りに流されず、自分にアイデンティティーを置けるようになった。今は本当にいじめられてよかったと思う。本当に辛いことは、長期的に見れば成長材料。

 いじめられている時にも変わらず信頼できる友達がいて救いだった。おはようという声をかけてもらえるだけでもいい。

 いじめられる子は、もちろん身体的理由など例外的な場合もあるが多くは自分勝手だったり僻みっぽかったり人を不快にする要素がある。こういう子どもはそこを直さない限りどこへいってもいつになってもいじめられるから、自分自身の欠点と向き合ってそこを直していけるよう促すことが本人のためになるのではないか。いじめという行為は最悪だし解決することは大事なこと。しかし、それと同時にゆっくりと「なぜいじめられたか」を考えさせてあげてほしい。大抵いじめられると僻みっぽくなり自己を正当化しようとしてしまうが、それは本人のためにならない。だからその背中を押してしまう“守りすぎる”ということはよくない。

 いじめている子には、いじめられている子の体験談を是非伝えてほしい。

 現在、中高生による団体に入っているが、そこでは徹底的に討論し、自分の考えを全部さらけ出すから、いじめは存在しない。皆だんだん信頼できるようになる。少人数で討論できる場を、学校の中で多く作っていってもらいたい。

8東京都・高校1年女子】

 「ユースプロジェクトすぎなみ」に入っている。互いを尊重できる大切な居場所になっている。

 いじめられると、心に深い傷を負い、人が信じられなくなり、自分を肯定できなくなる。自分には価値がなくて生きていちゃいけない人間だから、いじめられるのは当たり前、と思うようになる。
 一方、いじめている子も、寂しさや辛さを一生懸命アピールしているように見える。上手に甘えることができず、とにかく構ってほしい、自分を見てほしい、という寂しさを感じる。
 いじめられないよういじめている人たちは、傍観者となっていじめられないよう、いじめる側に回っている。また、グループ内の団結力を高めるためにいじめをすることもある。

 いじめられている子は、相談すると余計にいじめられるから、誰にも相談できない。温かく見守ってくれる大人がまず必要。時には話を聞き、時には背中を押してほしい。自分は一人の女性教師との出会いが大きかった。その先生は「あなたは大切な存在だよ」と言って、何があっても待っててくれた。

 「いじめられっ子が弱いからいけない」とは言わないでほしい。いじめられている人は生きているだけで大変。いじめている人も心が傷ついている人が多いので、その人自身を否定しないで叱ってほしい。大人が変われば自然と子どもも変わっていくと思うので、「信じているよ」の言葉の下で、温かい社会を作っていってほしい。

【意見交換にて】

 「日本は明るく元気」という言葉が最近多く出ているが、内気な人や暗い人が別にいけないわけではない。文化によって違うし、いろんな人の存在をしっかり認めてほしい。

 どこの学校にもいじめはあると思う。ただ、先生が協力してくれる学校としてくれない学校の差が激しい。

 いじめている側も傷ついていて、寂しいと感じているので、特に小学生は、もっと愛情をかけて優しくしていいと思う。

 自分の親は努力して、自分が帰宅した時の顔色、目の色、唇の色を見て何があったか分かるようになった、と言っていた。子どもを本当に愛する気持ち、「無償の愛」が親には必要。親で子どもは左右される。親のけんかばかり見ている子はどういう子に育つのかと思う。そうでなければ、いじめられている子の独特の雰囲気に教師が気づいてやるしかない。話せる教師が必要だし、先生はもっと意識を高めてもらいたい。

 いじめがあった時に、自分たちが望んでいること通りの対応をしてくださった先生たちはすごく良かった。いじめられている人はどう思っているか、どう対処してほしいか、具体例も提案しつつ問題に取り組んでほしい。

 親は学校の状況を何でも把握しているわけではないので、子どもとしては親が話を聞いてくれるだけでよかった。先生には、仕事に一生懸命取り組むという姿を継続してほしいと思う。それにより、生徒はその先生を信頼して相談しようかと考えるようになるから。

 いじめている子への体罰については、それを見た別の子どもからすれば、先生怖いなと思ったり学校に通えなくなることもあるので、どうかなと思う。学校の中で、遊びなどを通して自分たち自身でルールづくりをしていくということは良いと思う。

 話を聞いてほしいというよりも、いじめられていることがみじめで知られたくないことも多いので、子どもが話さない場合には無理に話させる必要もないことがある。

 物を隠された場合には、隠された人の気持ち、探しているときの気持ちを体験させるなど、やられた人の気持ちを考える機会を持たせるということがあれば、ペナルティを科さなくてもいじめが駄目だということを少しは理解できると思う。

 本音をぶつけ合う、つまり自分をさらけ出すことで「信頼」が生まれ、それと同時に新たに相手の考えや能力に気づき「尊敬」も生まれる。「信頼」と「尊敬」があるところにいじめは起こり得ない。意見を言いやすいよう少人数の班単位で、クラスや学校、地域についての討論をさせてあげてほしい。自分以外の問題を見つける能力、自分以外の何かに貢献する喜びを知ることができると思うからだ。それは、今と自分のことしか考えられない現代の子どもを変える力があると思う。

(初等中等教育局児童生徒課生徒指導室)