資料6 中央教育審議会教育課程部会小学校・中学校・高等学校部会における言語力の育成にかかわる主な意見

中央教育審議会教育課程部会小学校部会(第1回~第3回)における言語力の育成にかかわる主な意見

発達や学年の段階に応じた教育課程の編成

発達や学年の段階に応じた教育課程の重点化

  • 3年生までの国語は朗読、漢字の読み書き、古典の暗唱などをしっかり身に付ける必要があるのではないか。低学年でそうしたことを重視し、高学年からはコミュニケーション力や読解力にウェイトを置くべきではないか。
  • 反復学習の繰り返しだけでは面白みがない。理解によって定着を図る、活用によって定着を図る、そして、反復もして、定着、習熟を図る。学習の基礎・基本は、母語力であり、国語力である。読み、書きだけではなく話す、聞くもあり、国語だけではなく、算数、理科、社会でもその場面がある。道徳と同様に、国語についても全教育活動を通して指導していくことが必要ではないか。

幼稚園と小学校との接続

  • 幼稚園は遊びを通した総合活動を行っているが、例えば、自分や友達の名前を書くなどといった、小学校の低学年の国語や算数などの基盤になるような活動を関心や発達の段階に応じて幼稚園の教育内容に盛り込んでいけないか。小学校とのカリキュラムのつながりを強化していくことが必要である。
  • 幼小の連携については、特にカリキュラムにおいて生活科や特別活動を中心として連携を図ること、また、すべての教科の基礎として、国語力の重視が言われる中で、国語力の育成に低学年からきちんと取り組むことが重要である。基本的な生活習慣が身に付いていない子どもが多いなど、学校教育の現状を十分に踏まえて対応することが必要である。小学校部会における議論を幼稚園教育専門部会でも参考にしてほしい。
  • 言葉は大切であり、幼いころから、親子間のコミュニケーションがきちんと図れることが重要である。

言葉の重視、体験の充実

言葉の重視

  • 道徳と同様に国語力についても全ての教科を通じて育成するべきである。例えば算数の授業で、自分の意見・考えを持てない子どもがたくさんいるが、そうした子どもに自分の考えが持てるようにして、論争させることにより授業が活性化すると思われる。
  • 言葉に関してはたくさんのことを読み、聞き、話すことが必要である。しかし、実際にはたくさんのことを読み、書きすることが軽く扱われているのではないか。応用力の育成と基礎・基本の育成とのバランスを取る必要がある。
  • 思考力・表現力の育成について、比べて考える、関連づけて考えるなどは各学年、各教科に出てくるが、体系的でないので、学年に応じて体系化すべきである。そのためにも学年段階に応じた指導内容の明確化を図る必要がある。また、学習したことを一人一人が自分の頭で整理し深める時間が必要である。
  • 論理的な思考能力の育成と国語力の育成に関して、理科の学習では話し合いを多く取り入れたり、また発見カード・まとめカードを活用したりするなどしているが、子ども達の書くものが見たまま、聞いたままであるのが気になる。書くことにより自分の思いを表現するという意味で書き言葉で表現する訓練が必要ではないか。

コミュニケーション能力の育成

  • 国語力とコミュニケーション力について、国語教育では、文学を理解する、漢字が読める、文章を書く力などとともに、違う意見の人と意見を交わし、方向性を見出す力が必要ではないか。コミュニケーション力を育成することで自立や自己肯定、社会性のある人になる。
  • 表現力やコミュニケーション能力を養うことが必要である。以前、ある委員から声優や女優から発声を学ぶのがよいという発言があった。今の子ども達は何を話そうとしているのか、よく解らない。きちんとした日本語としての言葉になっていない。こうしたことは英語を学習する場合にも問題となっている。小学校のどの段階に入れるべきかわからないが、理論的にきちんとした文章を書くといった能力とは別に、発声についてきちんと位置付けてほしい。
  • 発声について、口の形など意図的に訓練することで子ども達が短期間に大きく変化する。特に低学年に関してはその変化が大きい。書く力等は結果が出るまでに時間がかかるが、発音、発声は比較的短期間で結果が出る。
  • コミュニケーション力を高めるには、ディベートを通じて、異なる意見を聞き、他人の意見を要約しながら自分の意見を形成するといったことが必要である。国語だけでなく、総合的な学習の時間などを活用する必要がある。
  • 先日ある大学で就職の模擬面接を見たが、声の質が子どもっぽく、話す内容と非常にアンバランスだった。内容は立派なのに声の印象によりそう聞こえず、説得力を持たない。音読や朗読をより効果的にするには、発音・発声について小学校1年生で取り組む必要がある。

体験の充実

  • 主語・述語の使い方が根付かないなどの指摘があったが、その使い方が自身の体験として結びついていないということも要因の一つだと考える。読書教育においても体験活動がより重視されれば一層効果が上がるのではないか。
  • 体験が用いられる場合は2つある。一つは生活科で遊びを取り入れたりなどといった場合であり、もう一つはある教科の狙いを達成させる手段としての場合である。後者としては例えば国語の授業の中で、言葉の中で分かっているつもりになっている事柄を実際に見せ、意味を獲得させるといったものがある。

確かな学力の育成

国語力の育成の充実

  • 早い段階で多くの漢字を覚えるようにすると、自然と他の教科学習にもよい影響が出てくる。なぜなら、知識は言語で構成されており、日本語の言語の最も知にかかわる部分は漢字の熟語であるためである。漢字指導について、より早い段階で教えるということも可能になるようなことがあってもいいのではないか。ただ、こうすると、例えば、小学校3年生に小学校6年生の漢字を無理やり教え込むような状況が出てくる可能性もあるので、「児童の実態に応じて」という文言を付加して、子どもたちが吸収しやすい状況においてそのような指導ができるような指導要領の記述が求められるのではないか。
  • 国語教育について、国際的な学力調査の結果によれば分析的に読み進めることが弱いとのことだが、これは今の国語教育に構造的な欠陥があるからだと思う。例えば、主語・述語というものが知識としての学習で終わってしまっている。文章を読む上で主語・述語や修飾・被修飾の関係などを活用して、文章を分析的に読む技術を教える必要がある。
  • 学習指導要領に言語事項というのがある。文法を扱っているが、主語・述語などの概念を習っても定着していない。修飾語や指示語などの概念は知っているが、組み合わせがうまくいかず、書く文章が散漫になってしまっているのではないか。言語事項は文章を書く基本なので、きちんと身に付けさせる工夫が望まれる。
  • 漢字の習得について、一生懸命ドリルなどで学習しているが、その一方で作文などを書かせても学習した漢字を適切に書けておらず、これらをどのようにつなげていくかが課題である。このような点について国語専門部会で検討して頂きたい。
  • 国語の授業で気になるのは登場人物の心情等をどう把握するかが中心になっていて、話の展開を「どのようにして」読み取ったらいいのか、技法的なことを意識的に指導していないことである。算数や理科では具体的な方法論があるが、国語では系統的に指導していない。子ども達に文章を正確に読み取るための技法を意識的に教えるべきではないか。
  • 国語科の「話すこと・聞くこと」がコミュニケーションにあたると思うが、教科横断的にも重視する必要がある。また「話すこと・聞くこと」と「書くこと」「読むこと」の関連をどのように図るか考える必要がある。
  • 今の大学生は聞く・話すは出来ても話し合うことが出来ない。話すことと話し合うことは違うという所から教えないといけない。特別活動なのか国語なのかは検討が必要だが、国語でも話し合うということをきちんと教える必要があるのではないか。
  • 学校図書館の充実について言われているが、図書の購入予算は限られている。フィンランドでは公共図書館に児童専用図書館があり、クラス単位で訪れて本を借りている。そうした公共図書館との連携を一層積極的に推進していくことが必要ではないか。
  • 小学校では担任が司書教諭を兼任しており、図書まで手が回らない。司書教諭の充実が必要ではないか。
  • 現在の学校では、みんな違っていい、ということを最初から受け入れている向きもあり、話し合ったり議論したりすることができない。議論のさせ方や話し合いの仕方を教えることについて、教員も経験がないから教えることが難しいのではないか。
  • 学習や生活の基盤づくりを考える上で効果的な手だてとして、全校一斉の読書活動や音読や暗唱などの活動を継続することが非常に大切である。これまでの学習指導要領の中にも「言語環境を整える」という文言があったが、「読書活動や音読・暗唱などの活動に継続的に取り組む」といった文言を入れてはどうか。
  • 国語の授業時間だけでは国語力は身に付かない。生涯学習の時代でもあり、読書習慣を身に付ける必要がある。テレビやパソコン等の時間を減らすために、学校から課題を与えるなどして、学習習慣、特に本を読むことに親しむ習慣を身に付けさせることが必要である。
  • 国語は国語の授業の改善と他の教科における活動の充実の両方が必要である。読書指導は宿題で図書館を利用させたり、地域の読書活動に参加させたり、色々考えられる。
  • 本をたくさん読むことは重要であり、学校図書館の充実が必要である。
  • 時間の制約がある中で、例えば読書の重要性や図書館の利用方法を教えることで本について興味・関心を身に付けさせることが国語力を高める上では重要である。

小学校における英語教育

  • 英語教育と国語教育の関係は、互いにパラレルな関係である。

授業時数

  • 国語や理科・算数については授業時数の量的拡充について検討が求められるのではないか。
  • 特に、国語については国語力を育てるという観点から、国語の時間を週1時間ぐらいふやしたらどうかという議論があったので教育課程部会全体で議論を進めてほしい。
  • 国語教育は国語の教科とともに朝の読書指導、学校図書館の活用など授業時間外で各地で色々やっている。このような取組は現在いわゆる授業時数としてカウントしていないが、その点をどう考えていくか。

中央教育審議会教育課程部会中学校部会(第1回~第4回)における言語力の育成にかかわる主な意見

義務教育修了段階で身に付ける力

  • 裁判員制度の導入もあり、義務教育の段階で公正な判断をする力とその判断について責任を持つ態度をしっかり身に付けることが必要である。公正な判断をするためには人の話をしっかり聞くことが重要であり、それは相手を尊重することにもなる。社会科のみならず、家庭科、道徳、特別活動、部活動などいろいろな場面があり、教科横断的に育成することが重要である。また、暴力に訴えない言葉による解決能力をどういう方法により身に付けていくかが重要。
  • 教育を通して育てるべき力は、基礎・基本的事項を基にそれらを有機的に融合・ある時は離散させ創造し、自分なりの結論を導き出し、その結論を言葉・文章でまとめることが出来る総合的な力。
  • ある市では、国語教育について、市の評価規準を定め、義務教育修了段階までに、話す、聞く力、書く力それぞれの到達目標を定めている。また、教科書や作品を教えるのでなく、教師自身が課題に対してどんな力を身に付けさせたいかということを指導している。

小学校中学校接続・小学校中学校一貫

  • 第2次自立期、反抗期は、知識を覚えることだけでは満足しない等、教育の難しさがある。実際に聞いたことを自分でどう感じたかを考え、記述するなどの活動を教育課程にきちんと位置付けた方がよい。知識の難易度ではなく、ものを学ぶ姿勢、学習態度という点で小・中は異なるのではないか。

総合的な学習の時間

  • そもそも総合的な学習の時間は、教科横断的な時間であり、現場に任せるという点から、大変効果的であると考える。「言葉」と「体験」の充実のためには、総合的な学習の時間を充実させることではないか。

言葉の重視の観点から各教科等の改善

  • すべての教科に共通する読解力の向上が大事。
  • 「審議経過報告」に「言葉は、他者を理解し、自分を表現し」とあるが、中学生は自我が芽生え、自己理解をしようと努力をし始める時期である。それを踏まえて他者理解があり、またそれが中学生の悩みとなっている。したがって、中学校段階では、言葉は他者理解以前に、まず自己理解をするためのものという立場を強調してはどうか。社会とのつながりはその後ではないか。
  • 社会人に人間関係の構築ができない、仕事のスキルが身に付いていないなどの課題がある中で、言葉や体験は非常に重要である。
  • 学習の中で、グループ討議の時間を増やすと、社会へ出てから非常に効果的である。自分を知る機会として「言葉」を使ってほしい。
  • 論点にある「言葉の重視」については、現行の学習指導要領にある「言語に対する関心や理解を深め、言語環境を整え」が、現状としてどれくらい達成されているか、課題は何かを踏まえた上で、まず学校生活全体、次に教科といった2段階の構造の中で、中学校におけるふさわしい言語能力をどう育成するかや言語環境をどう整えるか、を議論すべき。
  • 論理的思考は数学、理科、感性は音楽、美術、コミュニケーションは特別活動とか外国語、という教科のとらえ方自体を見直す必要があり、それぞれの教科が相互に結びつき、全体として育むべき力を育成していくべきであり、そのポイントとして言葉の重視があるのではないか。
  • 子どもが多様化している中、中学校段階で義務教育としてのミニマムをどう確保していくかが重要である。すべての子どもたちが目指すべき目標、という視点で考える必要がある。「言葉」の問題で例えて言えば、読書の会を全クラスで実施するとか、反復・暗唱などを行う中で鍛えられていく部分があるのではないか。
  • 国語力の育成について言えば、国語の時間数は朝の読書等も含め、小・中ともに重視されている。むしろ、いろいろな授業でも効果的な活用ができるような図書館の条件整備や受験のための知識学習でない授業方法の工夫等が必要である。
  • 各教科において、言葉が重視されているかを検証するのは大変難しい。教育課程の到達度評価とともに総合的に検討していかなければいけない。
  • 中学校は、進路指導などがあり、実質は8ヶ月しかない。それを前提とした時、言葉を育てるためには、構成の在り方を考える必要がある。どの教科においてもコミュニケーションやディスカッション等ができるようなカリキュラム構成を考える必要がある。
  • 扱う教材が文字中心の視覚教材になっている。聞く力がない限りはコミュニケーション能力は育たない。そのためには聴覚教材を出していかなければいけない。
  • 思考力、感性、コミュニケーション能力などは、どの教科、どの学習の中にも含まれるものであり、それぞれどの場面でどんな力を身に付けるべきかを再度整理する必要がある。
  • 今の子どもたちは、課題について文章を書いて自分の考えをまとめて、ディスカッションし、さらに作業をするといった時間のゆとりがなく、言葉を知らない、文章が書けない。言葉を重視するためには、書く、書いて話し合う、まとめるといった訓練を繰り返していくことが重要である。
  • 言葉の重視、体験の充実といった課題を、探究的な学習の中にどう盛り込めるかといった観点が重要である。
  • コミュニケーション能力、感性、論理的思考力ということを追究していった場合に、各教科間の内容の調整、移動、厳選、追加等、内容に踏み込んだ検討を進めていく必要がある。
  • ある市では、標準時間と自由裁量の時間(課題克服のための時数)で教育課程を編成し、PISA型読解力も含めて、子どもたちの語彙力、国語力向上の研究を始めた。
  • 言葉の問題と自己理解・他者理解は非常に重要である。暴力に訴えず、言葉によって他者を理解し、それに基づいて社会を形成していくことが民主主義であり、法の基本だとすると、言葉への信頼、言葉の力というものを一人一人が学習することが重要である。
  • 学んだ知識を言葉によって伝え合い、自分や周りが変わるという体験が、言葉への信頼の基礎となり、自分が言葉を発するということへの責任と自覚につながる。言葉は、学校全体のカリキュラムを考えていく上でも、その延長に社会の在り方を考えていく上でも非常に重要である。
  • 社会へ出て自己表現できないのは敬語が話せないからではないか。学校の人間関係の問題もあるが、学校の在り方の中で、敬語の指導の方向性を整理するのも、言葉と体験を含めた課題である。
  • 今の日本の子どもは、親と教師以外に大人と接する体験がない。敬語にしても知識のみを教わっている。
  • 英語に限らず、日本語についても子どもの話す力が低い。各教科の普段の授業の中できちんと話をさせるというステップが必要。
  • 各教科では、教科の内容を教えているが、どの教科でもその中でコミュニケーション能力や読解力を育てているという意識を持つことが重要である。
  • 誰にも相談せず自分の力だけで答えを出すことが評価されるペーパー試験を高校入試でも大学入試でも行っている。しかし、実社会で仕事をしていくときには、いろいろな専門分野の人たちが集まってチームを組み、議論する。そういう意味でコミュニケーション能力は非常に重要である。そのような能力の評価について、ペーパー試験とは別の評価基準をつくり、それなりに社会が評価していくという体制をつくらないといけない。

体験の充実の観点から各教科等の体験活動の改善

  • 例えば、短歌や俳句で、ただ作品の名前を覚えるのでなく、実際に短歌や俳句を作って楽しんでいる人と一緒に活動してみる、自分も作ってみるといった体験をすることで、その面白さ、歴史的な作品のすばらしさ等がはじめて理解できるのではないか。

国語力の育成

  • 中学校において、小学校の学年配当漢字を書けるようにするという目標では不十分。漢字の「読む」「書く」は一体であり、切り離して考える必要はない。高校入試の出題範囲が小学校6年までの漢字しか出すことができないというのは改めるべきである。
  • 国語力の充実は読書を広げることでかなりの部分が消化できる。国語力は、すべての教科を通じて育成することを教師が意識することが必要。また、長年培われてきた「手書き」の文化が、ワープロ等の影響で脅かされている。読むことも含めて「手書き」というものをどう考えていくかは、日本の文化や国語の根底にかかわる問題であり、中学校でも考えていかなければならない問題である。
  • 国語の発言力も英語のスピーチ力も基本は同じであり、精神的な強さが必要。授業の構成が、発言しにくい環境をつくっているのではないか。学校の中でもっと自由に発言できる環境づくりが必要である。
  • スピーチの力を高めるためには、それができるだけの内容を子どもたちに身に付けさせなければならない。
  • 国語や外国語については、知識としての言葉は、今の子どもたちは獲得方法に長けているが、それだけでは学力向上にはつながらない。聞き取りや書き取りなど、人間関係の中で実感させながら身に付けていくことが大事であり、このような観点を重要視することが必要。
  • 国語では、単なる日常生活ではなく説明や討論といったフォーマルな場面におけるコミュニケーション能力の育成が重要であり、国語以外の教科も活用して育成する必要がある。
  • 国語については、人とのかかわりや伝える技術を、どのように使うかということを指導する必要があるのではないか。人に伝える力やコミュニケーション能力を伸ばすことが必要であり、例えば、携帯電話やパソコンのメールでの伝え方や、使い方のルールやマナーの指導なども行ってはどうか。
  • すべての教科で国語力を高める観点から、どの教科においても総合的に伝えることや情報活用能力等、到達目標をつくる場面があってもよいのではないか。
  • 学校図書館に人がいるかいないかで、利用量が全く違う。司書教諭を正規教員でなくても配置すべきである。
  • 図書館の活用のために、図書専任教員を配置するべきである。

中央教育審議会教育課程部会高等学校部会(第1回~第4回)における言語力の育成にかかわる主な意見

多様化と共通性

  • 多様化、個性化には賛成だが、今は目に見える形で外に現れていない。それぞれの生徒のニーズに対応できるような学校が必要ではないか。また、そこで共通して何をどれだけ学ばせるかも重要である。多様化の中で、最小限共通して教える必要のあるものを6つ挙げると、1.現代社会、2.社会生活を営む上でのルール、3.日本人としての国語、4.環境、5.総合的な学習の時間、6.自分の健康や家庭や子育て、である。
  • 多様化、個性化の中にあって、高等学校から大学、専門学校、企業のいずれに進むにしても、国語や歴史や理科などの基礎をしっかりと身に付けることが必要である。

高校教育に求めるもの(自立、教養等)

  • 高校教育には、どの世代とも話せるようになれる話題や教養を盛り込むとともに、社会との接点を持たせコミュニケーション能力を付けられるような手立てを講じるべき。
  • 企業は、本を読むなどの基礎がしっかりと備わっていることを求めている。
  • 少なくとも国語や日本史は基本的なことができるようになるくらいにすべき。
  • 若者が昔の偉人の言葉や日本の古来からある美しい日本語を引用して話ができるよう、日本の過去のよさを知るような教育を取り入れるべき。
  • 日本の歴史を知ること、日本語で表現して相手を説得できることは大切なことである。
  • 中学校までやるが、成功していない分野をどう高校につないでいくかが大切である。例えば、道徳であれ、環境であれ、個人の在り方と社会の有り様について考えることが必要である。地球市民としての観点から、自分の役割を考えさせるようなことを教育しなければならない。相手に意志を伝えるためのコミュニケーション能力、プレゼンテーション能力、ディベート能力などである。また、ボランティア活動も大切である。特に、成熟度の足りない部分を「総合的な学習の時間」などの形で学びの場面を設定した方がよい。

言葉の重視

  • 言語の種類によらず、相手との共同作業である「コミュニケーション」の構造を理解し訓練することが大切である。「国語」だけの問題ではなく、色々な教科の中で取り上げるべきである。
  • 国語だけにとどまらず、各教科の中身に「言葉の力」を必要とする場面を設定すべきである。例えば、ディベート学習や自分の言葉で行うプレゼンテーションを学習活動として取り入れる必要がある。
  • 国語力の向上は教科「国語」だけで考えるものでなく、それぞれの分野で培うものである。教科・科目だけでなく、学校教育全体で考えていかないと前に進まない。
  • 国語以外の教科にも言えるが、仮説・検証型の軸を持った取組が大切になる。仮説を立てる論理を学び、検証の段取りを作らねばならない。それゆえ、これらの準備ができていないとディベート等を行っても全く意味のないものになってしまう。一方「体験」についても、仮説・検証型の取組を展開することが大切である。
  • 「言葉」は思考とコミュニケーションの道具であるとともに、内面の構成素材と認識している。

国語力の育成

  • 国語力の完成、国語力を上げるという意味で、読書や作文、小論文等を意図的に増やすことが大切である。
  • 書き言葉も含めて、論理的に物事を理解し表現する時間の確保ができていないのではないか。「国語表現」も創作活動となっており、論理的活用能力の育成につながっていない。培ってきた力を利用して、論理の構築力を高めることが大切である。
  • 暗記・暗唱を取り入れることが大切である。コミュニケーションを行う際に、心の中から発するものがなければならない。暗記・暗唱は心の中に言葉を持ち歩くことができ、頭の中で組み立てを考え、感性豊かで美しい文章や言葉をつくることを可能にするので、是非取り入れていただきたい。
  • 言葉の乱れが指摘される中、ビジネスマナーやあいさつ、謙譲語、尊敬語など基本的な表現等をどうすればよいかという問題がある。一方、論文を書くために表現力を豊かにするにはどうすればよいかという問題もある。基本的に言葉の乱れを直していくという意味では「国語表現」は大切である。また、古典については漢文的素養が欠落してはいないか。

外国語教育の改善

  • 様々な生徒がいる中で、英語以外の言語についても最低限学習の場を確保していく必要はあるのではないか。

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初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

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