人権教育の指導方法等に関する調査研究会議(第11回) 議事要旨

1.日時

平成16年4月23日(金曜日) 10時~12時

2.場所

虎ノ門パストラル 新館5階 「マグノリア」

3.議題

  1. とりまとめ案について
  2. その他

4.出席者

委員

 福田座長,押谷座長代理,伊藤委員,梅野委員,小島委員,神山委員,塩委員,菅原委員,森委員,若井委員

文部科学省

 関児童生徒課長,宮川保之視学官,亀田課長補佐他

5.議事要旨

(1)委員の交代について

 事務局から紹介を行った。

(2)審議のとりまとめについて

 事務局から説明の後、自由討議を行った。主な内容は以下の通り。
 (○:委員、△:事務局)

○ 「はじめに」の4段落目の「同質性・均一性を重視しがちな性向や非合理的な因習的意識」を「非合理的な意識や社会の急激な変化などとともに」に修正しているが、修正によって漠然としてしまった。

○ 「同質性・均一性」は、いじめ問題などの指摘で取り上げられることも多いので、残したほうが良いと思う。

○ 学習指導要領として掲げる教科が社会科だけに限られると、社会科で指導すればいいと思われるのではないか、という点が危惧される。人権教育を学校全体で行なうという趣旨からするといかがなものか。

△ (注)で「以下は例示であり、前述のとおり人権教育は学校の教育活動全体を通じて推進されるものである」という注意書きをしている。幅広く拾っていくと、それだけでかなりの分量になってしまう。

○ 教育活動全体を通じて人権教育を推進するというのは先生方は皆理解していると思う。見出しを工夫すればよいと思う。

○ 仮にこの例示に他の教科も入れるとするとすれば、国語や体育、家庭科、美術や音楽などがある。美術や音楽などは自由に表現するという点においてコミュニケーション能力に資するということで注目されている。

第1節について

○ 3ページの一番下に、「上記の感性及び人権感覚をまとめて『人権感覚』として表記する。」とあるが、この『人権感覚』は、態度や行動・実践力も含むのか。

△ その上に書いてあるが、「人権への配慮がその態度や行動に現れるような人権感覚」と整理している。

○ 審議会答申では「感性」「人権感覚」という言葉を使っている。今までの議論では「知的理解」と「人権感覚」という形での捉え方があったから、それで言及していく。われわれの議論でもそれは重要だということで一致している。全体を読めば人権感覚と態度・行動との関係はかなり整理されてきている。

△ 次ページに、「もちろん、この〔自分の大切さと共に他人の大切さを認めること〕については、そのことを単に理解するにとどまることなく、それが態度や行動に現れるようになることが求められることは言うまでもない。」と、ここで明確に整理している。

○ 感覚的なものがその人の行動や実践に現れてくることで、一つの人権教育の成果が上がったと考えられる。この知的理解と人権感覚の捉え方の中に、態度や行動に現れるような人権感覚と入れなくてよいのか。

○ 感覚という日本語そのものが態度行動とイコールか、というと少し違うと思うが、感覚の部分については、基本計画において問題があるという指摘がなされているのはその通りであるので、われわれとしてはもう一度認識しなおして、それをどう態度や行動につなげるか。そこには技能の問題も入ってくる。

○ 3ページにおいては人権感覚を含めた『 』(二重かぎかっこ)つきの人権感覚というように定義されたのだ、ととらえることができる。だが、4ページ以降の人権感覚が、感性を含むのかどうか分かりいくいのではないか。

○ 3ページは4ページの導入部分に当たるのだと思うが、本調査研究会議においては知的理解、人権感覚の設定があり、この二つをベースにして、人権の態度や行動というのが現れているという認識なので、それを示すべき。そうすれば4ページからすんなり入っていける。

△ 態度や行動に現れる人権感覚との部分についてはさらに明確にしたいと思う。

○ (2)〔自分の大切さとともに他の人の大切さを認めること〕ができるような児童生徒の育成ということで、「このような・・・肝要である。一人の人間として自らが・・・・。」とあるが、この部分は解説しているようで少し長いのではないか。発展的な文章に変えるほうがより強調されるのでは。また、「さらに、自分と他人の・・学級、学校の中だけではなく、家庭・・・」については、まず、学級・学校の中でやらなければいけない、とここで区切って、さらに家庭へ、というようにしたほうがいいのではないか。4p「すなわち、・・・・・の人権教育の目標」までの部分については具体的に整理されていて良い。知的理解に属することと、人権感覚に属すること、それらが具体的態度に現れるというスキルに属することが一体的に書かれていて良い。現場で指導方法を改善する際にポイントはここだと示せてよい。

○ 人間として大切にされているということにかかわっているが、自分自身がおかれている状況、自分自身の意識の問題。社会の中に自分が置かれている状況という認識ではないのか。

○ むしろ子どもたちが自分が愛されている、という感覚がないと始まらない、という環境の問題である。

○ 精神的安定感があって初めて自尊感情というものが出てくるのだが、それができていないというのが現代の共通認識としてある。学校を、一人一人が大切にされる場にしようということ。

○ この部分は重要な部分であるから、会議でもたくさん意見が出てきたところ。なぜ自らの大切さと他人の大切さが大事なのかををまず言わざるを得ないからこの文章の組み立てになった。

○ 自己や他人を尊重する感覚を培うことが大事、そのためにも学校生活で自己や他人が認められているという学校生活を送らなければいけない。学校生活においては、いじめや虐待を受けるという不当な人権侵害にあうのではなく、自己と他人を認めるという意味において楽しい学校生活を送れるよう、教師も努力しないといけない。それが日常の基盤である。その感覚を培うことが人権感覚を身につける基本である。

○ 文を入れ替えたほうが自然ではないか。

○ 今までの書き方も新鮮でよいと思う。ここで立ち止まって読めるから。また、さきほども出たが、学級・学校の中だけでなく、家庭・地域・国、すると、後者が強調される恐れがある。比較して後者が大事だというような言い方にしないほうがいいのではないか。

○ 「・・・気づくことも重要である」の主語が教師か児童生徒かがわかりにくい。

○ 3.に、自分の考えを適切に伝えるためのコミュニケーション能力とあるが、豊かな表現力というような表現能力についてもいれたほうがいい。順番について言えば、23について、順を入れ替えたほうが良い。

○ コミュニケーション能力については、伝えるだけでなく聞き取ることも重要である。

○ 技能という言いかたをするのか。

○ やはり国際的に見ても、スキルといわれているもので表しているのが比較的多い。

○ 3.の中に、豊かなでもいいし多様なでもいいが、自分を表現するいろんな表現形態があるので、適切に伝えるためのコミュニケーションの技能、より豊かなコミュニケーション能力を培うことが今の時代には必要である、という記述を入れたほうがよい。また1.について、その人の要求とあるが、子どもたちの表面的な現象の裏にある様々な気持ちに想像力を馳せるということが、他人の立場に立つということである。思いや願い、気持ちは、想像力をかきたてるので、その表現にしたほうがよい。

○ 国語の指導要領で、相手とのかかわりの中で、伝え合う力の育成を重視している。ただ、言語だけでなく、表現ということでいえば音楽や体育など、すべてにおいて相手意識を持ったかかわりの中での表現力を培っていこうと、新しい学習指導要領で打ち出されたので、単にコミュニケーション能力としてまとめるよりも、伝え合う力といったほうが学校においてはわかる。

○ たとえば、写真を見てこの人はどういうことを思っているのだろう、というよう体験的な活動がある。自分で表現できるということは相手の表現力も読み取れるということ。つまり、ここにおいては双方向ということを入れて欲しい。

○ コミュニケーション能力では受信発信両方を含んでいる。表現力は自分だけであり一方向である。一般的には今はコミュニケーション能力という言葉を使っている。技能はもっと狭い範囲をイメージしてしまう。

○ コミュニケーション能力を培うためにはコミュニケーション技能が必要。能力の要はやはり手立てだというのを忘れがちである。そういった意味においては具体的に言っているので技能としてもいいのではないか。

○ この場合、豊かな、という言葉はかなりあいまいになっているのは否めない。

○ 他人の表情を読めるということは、言葉にできない人の痛みも分かる、ということにつながるので総合的に表現できる書き方にできればいのだが。

○ ここがあまりにスキルのほうに偏るのは良くないと思う。具体的な部分で述べることにして、ここは大きな柱として出しているところなので、ここで触れるのはどうかと思う。

○ 技能や能力をまとめていいのか。能力といった場合スキル的な面を捨象化してしまう恐れがあるか。

○ 3.だが、適切に伝えるための力や豊かに表現する力というようにしたらどうか。2はむしろ技能を強調してもいいのでは。

○ 技能という言葉を落とすと、抽象化してしまう恐れがある。

○ 能力が技能の上位概念という認識だと思うが、大きく言うと表現と能力がつかなければ不十分なので、そのために今、個別的な技能のトレーニングを培うことが必要だ、という流れであるが、ここではいきなり技能だけストレートに出ていて混乱が生じている。

○ 能力(技能的側面を含む)としたらどうか。

○ 能力は技能を含むものだと私は思う。知識や理解、体験上の様々なものが自分の中で整理されて態度や行動に表れる、というのが人権感覚である。技能ばかり身につけても足りないのではないかと思っている。

○ 子どもたちは、感性は持ってる。しかも鋭いものを持っているが、適切に伝えるためのスキルが欠けていて子どもたちは自分自身を豊かに表現できない。自分自身を豊かに表現できないのでストレスを抱えることになる。そこで、コミュニケーションスキルとストレスのマネジメントスキルをセットにした取組を行っている。

○ コミュニケーション能力及び技能等の具体的資質というような表現にするのはどうか。あるいは基本的能力及び技能といったような形でも良いと思う。

○ 技能はやはり強調したいので、能力及び技能として並べることにしよう。

△ 2.、3.のところは能力及び技能、あるいは能力、及びそのための技能という形にしたい。

○ 3.は自分と他人の考えを適切に伝え理解し合うためのという表現にしたい。自分の考えを適切に伝えるだけでなく、理解し合うという表現にしたい。

○ 相互性ということを出したい。

○ 2.と3.を逆にしてもいいのでは。

○ (1)のところで人間理解そのものを深めていかないと他人の大切さも理解できないといっている。その点もしっかり入れたい。価値意識というのも入れたい。

○ 構造としては具体的なものの事例が1.2.3.とある。(1)の前半部分で、人間に対する愛情や信頼感など根本的なものについて記述すればいいのではないか。

○ 自分が愛されているということを前半に入れている。かなりその指摘については前半で意識して書いているつもりだ。

第2節について

○ 教職員の項目の最後「たとえば、指導上・・・」の部分は具体的だが、この段階で入れたほうがいいのか。

○ 教職員自身もこの職場でよかったと思えることは基本である。互いを尊重しあう態度は教壇に立つ前の当たり前のこととして敢えて書いた部分。

○ 教員と子どもの関係についてはパワーハラスメントが起こりやすい。その現場にあって、教師はそれを自覚すべき。悩みを安心して話し合える職場づくりについてはもっと後で述べてもいいのでは。

○ 教職員の互いの研鑽、研修について書かれているが、組織として互いの認識が深められるような人権感覚を磨けるような研修を入れたほうが良い。

○ ここは、たとえば、校長先生の経営方針に則ってそれに従うのだが、そのような職場だと子どもたちへの人権教育も十分できないではないか、という誤った解釈を許してしまうことはないか。

○ 大切なのは、チームワークで指導すること。教員同士お互いを尊重する、そのためにはチームワークを大切にすべきである。研修については入れたほうがいい。

○ 「安心して」をとってすっきりさせてもいいのではないか。

○ 11ページ3.組織としての点検・評価のあり方とあるが、学校現場においても、意識せずとも人権教育につながるという実践が多い。しかしそれが組織化されてその認識のもとにおける具体の実践がないということが多い。学校全体としてのことが一番上にきていいのではないか。

○ 場面づくり、シチュエーションそのものを人権教育にふさわしいのものにするというのを優先させたので、教育活動全体の前に入れた。

○ 様々な実践が人権教育に結びつくのに、だからといって人権教育が実践されているかといったらそうではないので、難しい。そこを教員が再認識することが大事である。

○ 学校教育全体で人権教育を推進するのだ、ということが2番目に来ている印象を受ける。1番目の教職員の取組については学校教育全体を通じた人権教育を推進するための前提とはとらえにくいのでその工夫をすればいい。先ほども出たが、様々な活動が、再認識すればそれは学校全体の人権教育の取組の一部になっているのだという意識を持つことが大事。だとすると、これは各教科の取組よりも前に位置づけたほうがよい。最初に学校全体の取組を重視し、それをもとに各教科の取組があるというように。

○ 2節と3節が対応しているというのであれば別だが、学校長としては、まず組織があって、組織を構成するのが教職員。そこで教職員が何を指導するのかといったら各教科や総合的な学習の時間などの中である。それをやるときに気をつけるべきなのが発達段階に応じた内容・方法。そのときに使う学習教材についてはその後に来ればよいのではないか。

△ 2節と3節を切り離して並べ替えるという考え方もある。

○ 2.の生きる力が2番目に来ているが、基本的な考えだから一番最初に来るのではないか。この生きる力を踏まえて人権教育などの各分野各教科、および日常生活でも指導がある。

○ 7.の中立性の確保はこれでいいか。開かれた学校づくりと教育の中立性の確保等という見出しはどうか。

○ 開かれた学校づくりというと、外部との関係の中での中立性と印象付けられる。本来は学校教育の中で取り上げる内容そのものが中立性を保たなければならない。

○ これはこれでいいでしょう。

○ 7ページの4.にも配慮事項があるが、開かれた学校づくりを進めていくところに人権侵害が起こる場合もある。掲示物を見たりする中で、不特定多数の人が子どもの個人情報を見るということになる。そのことが逆に人権侵害になることがありえる。

○ 子どもを通して保護者や地域を啓発することが重要。学校教育は保護者の啓発も求められている。

○ 子どもを通して人権の大切さを学ばせるときに、開かれた学校づくりを進めるためには個人情報や人権を保護するような配慮がなければならないと思う。

○ ホームページを立ち上げて、いろいろな写真を載せたりクラスの子どもの作文を載せたりして親からクレームが来るといった問題は結構ある。また、個人情報や著作権にも係る問題が多い。

○ 7.の中立性の確保について、学校は「公の教育を担う」機関としての主体性と自立性をもって人権教育に取り組むだけでなく、人権教育を進めるにあたっては、一面的な主張に偏った言い方で子どもたちに教えこむというようなことに陥らぬよう、方法的にも中立性でなければいけない。つまり、外部とのかかわりにおける学校の主体性と、方法的中立性である。

○ 8.の効果的な学習教材の選定・開発について、命の大切さについての教材をいれるべき。

○ 6.については、3節の中で具体的に述べていくが、ここではその原則を示すものとして入れているが、どうか。

○ 6.については一番大切なところだと思う。

○ 7.は他とは一緒にしないで、これはこれでひとつの見出しとして立てたほうがいい。

 ※ 次回の日程についての説明の後、閉会。

以上

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初等中等教育局児童生徒課