人権教育の指導方法等に関する調査研究会議(第10回) 議事要旨

1.日時

平成16年3月15日(月曜日) 13時~15時

2.場所

虎ノ門パストラル 本館6階 「雅」

3.議題

  1. 論点整理について
  2. その他

4.出席者

委員

 福田座長、押谷座長代理、有村委員、伊藤委員、梅野委員、岡田委員、神山委員、志水委員、菅原委員、森委員、山田委員

文部科学省

 金森審議官、関児童生徒課長、宮川保之視学官、亀田補佐、高田人権擁護調査官補佐(法務省) 他

5.議事要旨

(1)骨子案について

 事務局から説明の後、自由討議を行った。主な内容は以下の通り。

 読む人が注目するかという観点からは、アピール度が足りない。新しい人権教育が始まることを意識させるような内容にできないか。人権教育はどちらかを言えば、厳しい、といったイメージもあるが、明るい希望のある生き方を示す指導の在り方を示していきたい。

 人権保障の流れには、人権救済と教育啓発との2つの柱があり、2つが相まって人権擁護に資するものとなるということについても触れた方がよいのではないか。

 人権に関する諸条約への加入だけでなく、これまでの我が国の取り組みとその課題についても書き加える必要があるのではないか。また、基本計画等からの引用が多く、独自性が薄いという意味でアピールが足りない印象がある。

 人権とは何か、人権教育とは何か、というレベルでも、いろいろな課題がある。本会議は基本計画の指摘を受けてのものであることを踏まえてこのようなまとめ方になっている。

 人権教育の現状に関して、これまで取り組まれてきたことの成果についても言及してはどうか。また、本会議の意義についてもう少し書き加えてもよいのではないか。

 現場の先生に読んでもらえなければ意味はないのであり、教員が人権教育をやってみようという気持ちになるようなキャッチコピーを付けることも大切である。

 現場の教員を対象とするのであれば、「必要である」、「重要である」といった表現を続けるのではなく、「~ということができるのではないか」といった、プラス志向の表れた文体にするなどの工夫が必要ではないか。

 基本計画があまり教員に知られていないという問題意識から、基本計画の記述を踏まえたものにしたのではないか。基本計画についてきちんと知ってもらう必要があるということを理解した上で議論する必要がある。

 基本計画に基づいたものにすることは必要であるが、独自性のあるものを打ち出すことも大切である。

 子どもの視点、現状や実態に言及することによって、人権教育の必要性が分かるのではないか。

 我が国が人権に関する諸条約に加入しているということへの言及は大事なことである。学校の管理職はこのような経緯、背景について知り、それに基づき各教員に指導する立場にある。人権教育に関する年表のようなものを参考資料として添付することはできないか。

 基本計画も参考資料として添付したほうがよいのではないか。

 これまでの議論も踏まえて、参考資料については次回会議までに検討していきたい。

 コミュニケーションの技能に加えて、例えば、「自他の要求を共に満たせる解決方法を考えて、それを実現させる対立解決の技能」といった内容を入れてはどうか。

 第1節のタイトルは「基本的な在り方」というより「基本的な考え方」としてはどうか。
 また、「身に付けさせる」といった使役形ではなく、子どもが主体になる表現にしてはどうか。

 家庭教育の充実という視点が抜けているのではないか。人権感覚を養う上で一番重要なのは家庭であると思うが、家庭教育の観点はどうするのか。

 人権とは、様々な具体的な一連の権利の集まりではあるが、今の子どもたちの現状を見ると、命が粗末にされているということに特に大きな問題意識がある。

 家庭という視点も入れてほしい。

 人権感覚に関わる部分については、人権に対する豊かな感性、といった感覚的な表現 があったほうがよいのではないか。

 知識理解が進むと成果が自然に現れるというように読める。また、人権感覚が認知レベルの定義付けにとどまっているが、人権感覚の定義について、より行動的・態度的な側面を付け加えるような表現があってもよいのではないか。

 「人権の意義や重要性」に、「内容」を付け加えてはどうか。

 「他人の立場に立って考えられるような想像力」とあるが、共感能力や思いやりとも言えるのではないか。

 いろいろな視点から考えられる想像力、ということでよいのではないか。

 思いやりのなさとは、突き詰めると想像力の欠如であると言われる。想像力の育成は大事である。

 人権感覚とは、単に心の中で育成されるものではなく、例えば「具体的な場面での判断や行動、態度として現れるように」といった形で、人権感覚に判断という要素も入れてはどうか。

 「自分の権利ばかりを主張して」というと、権利の主張がいけないような印象を与える。例えば、「自分の要求ばかりを主張して」というような表現にしてはどうか。

 感性、感覚、知識などについて、詰めて考える必要がある。権利と要求の関係も、重要な問題である。

 生命の大切さについては、最近、子どもたちをめぐって起きている事件などを考えてみれば、本会議でも特に強調しておきたいポイントである。

 「教職員における人権尊重の理念の実現」と「学校教育活動全体を通じた人権教育の推進」は、順序を逆にしてはどうか。

 指導の改善・充実に向けた視点を示す上で、学級・学校が人権を尊重した場になることが前提となるため、「教職員における人権尊重の理念の実現」を最初に示している。

 教師は人権侵害の加害者にもなり得るのであり、教職員が抱えている問題についてもっと明確に指摘してもよいのではないか。

 人権を尊重することは、教科指導、生徒指導、双方において重要である。

 教職員の態度への言及が多いが、人権教育を進める上で、教職員の人権意識の問題が最も重要なことではないのか。また、「正義が貫かれるような学級・学校」という部分について、「正義」とは、個々人や時代ごとの価値観が含まれると思う。効果的な学習教材の選定・開発との関連で、教科間の関連性に触れてもよいのではないか。

 「正義」という表現については、学校そのものに人権尊重の雰囲気がいきわたる必要があるという観点から入っている。

 「正義」とは、日常的にも普遍的な価値として理解が得られるのではないか。

 教職員は、基本計画においても、「人権にかかわりの深い特定の職業に従事する者」とされており、社会的に重い付託を課されているということに言及してはどうか。

 「教職員における人権尊重の理念の実現」は、人権教育の前提、基盤となるものであり、他の事項とは重さが違う。

 第一に教職員の人権意識の問題が挙げられていることには疑問がある。教職員について言及するのであれば、その前に行政の責務についても触れることが必要ではないか。

 教師の言動の在り方などについては、きちんと言及する必要がある。教師の問題と教育行政の問題と結びつけると、文章が意図することと読んだ人の解釈が変わってくるのではないか。

 困っている先生がいたら助けてあげるような協力体制も必要である。中学校では、子どもによる教師への人権侵害という問題があるが、校長のリーダーシップの下、きちんと対応する必要があり、そのような協力体制についても言及できないか。総論的ではなく、もう少し具体的な提案になるような内容にできればよいのではないか。

 「教職員における人権尊重の理念の実現」、「学校教育活動全体を通じた人権教育の推進」、「学校としての組織的な取組とその点検・評価」、「「開かれた学校づくり」による家庭・地域社会との連携及び校種間の連携」は、学校づくりに関わる一連のものと言えるのではないか。

 カテゴリーも含めて、今後検討したい。

 事務局より次回日程について説明の後、閉会。

以上

お問合せ先

初等中等教育局児童生徒課