人権教育の指導方法等に関する調査研究会議(第9回) 議事要旨

1.日時

平成16年2月23日(月曜日) 13時~15時

2.場所

虎ノ門パストラル 本館6階 「雅」

3.議題

  1. 骨子案について
  2. その他

4.出席者

委員

 福田座長、有村委員、梅野委員、岡田委員、神山委員、志水委員、高橋委員、森委員、山田委員、若井委員

文部科学省

 金森審議官、関児童生徒課長、宮川保之視学官、吉田児童生徒課生徒指導室長、高田人権擁護調査官補佐(法務省) 他

5.議事要旨

(1)骨子案について

 事務局から説明の後、自由討議を行った。主な内容は以下の通り。
 (○:委員、△:事務局)

○ 想像力について、例えば児童虐待等について、目の前の子どもの姿からは背後にある人権侵害をなかなか想像できないものであるが、見えないものを感じ取る想像力を人権感覚の中でどう位置づけるかということを考えないと、人権侵害をいけないと実際に感じる力につながらないのではないか。また、政府の基本計画等においては重要な人権課題について整理しており、都道府県等が作成する資料もそのような課題に即して作成されているものが多いが、個別の人権課題についてどのように言及をしていくのか、議論が必要である。

○ 見えないものを感じ取る想像力は、教師だけでなく子どもたちにも持ってほしいものであり、例えば疑似体験的な方法、参加体験型のものなど、様々な指導方法が開発されている。想像力について言及することは必要であり、今後の学校教育において念頭に置くべきものであると考える。

○ 児童虐待等について想像できるかについては、専門的な知識を有しているかどうかによるところが大きい。想像力には、疑似体験を通じて身に付けられるものと、確かな知識に裏付けられた想像力と、大きく分けて2つあると考える。また、様々な教材等において、スキル、態度、価値観といったものについての整理を行っているものがあるが、このようなもの打ち出すことで、学校として取り組みやすいのではないかと思う。指導の方法論についても、大切にするべきポイントなどについてもう少し具体的に言及するほうがよいのではいかと考える。

○ コミュニケーション能力が重要であることは、どこかで触れたほうがよいと考える。個別の人権課題についても視野に入れることは不可欠である。

○ 冒頭の基本計画に関する部分で言及すればよいのではないか。

○ 基本計画は、国連10年と比べても、教育関係者の認識が浅い。少なくとも基本計画に挙げられている人権課題については学校の教職員に知ってもらう必要があり、言及する必要がある。

○ 各人権課題については、共通理解を図ることはとても重要であり、注釈など何らかの形で、基本計画に言及している部分で中で触れることがよいのではないか。

○ 「自分の大切さとともに、周りの人の大切さを認めることができる児童生徒」という表現はそのとおりだと思うが、「周りの人」が身近な人だけと捉えられると、人権教育とズレてくる。「周りの人」の意味を分かりやすく説明する必要があると考える。

○ 「周りの人」という言い方は誤解を受けやすい。

○ 自他という表現もある。身近な人だけでよいということではなく、グローバルな観点も必要であり、意味を分かりやすくする必要がある。

○ 「他の人の」という言い方もあるのではないか。

○ 人権についての認識は段々と広がっていくものであるということを読み取ることができるような表現にできればよいのではないか。人権教育には発展性があり、高校で終わるものではなく、生涯学習的、全国民的な課題であると考える。

○ 「認めることができる」という点について、認めてその実現のために協力して努力できるような、というような、動的な子ども像があってもよいのではないか。

○ 「周りの人」というと、捉え方が難しい。学校教育に関する表現としては、なるべく子どもの視点から、幼稚園から高校段階までを対象とした言い方でよいのではないか。また、「大切さ」については、生き方や考え方、という表現もあるのではないか。

○ 人間の存在そのものの価値や尊厳を、現場の先生方につかんでもらうために「大切さ」という表現になっていると思う。

○ 「他の人」と言えば、広がりが見えやすく分かりやすいのではないかと思うが、教育現場の感覚ではどうか。

○ 学校の教員にとっては、「周りの人」より「他の人」の方が分かりやすい。「周りの人」というと、目が届く範囲の人、という解釈になる恐れもある。また、人権の共存の考え方のあたりは、読み取るのに時間がかかるのではないか。

△ 骨子案では簡潔に書いているが、取りまとめにあたっては、基本計画の説明を引用するなどして丁寧に分かりやすく書いていくことはできる。

○ 国際的な文書や生命の大切さなどについては、何らかの形で盛り込むことでよいか。人権教育を明るく前向き捉えていくということは、人権教育の効用を念頭に置いていると理解している。

○ 人権感覚とは、人権が擁護されていることをよしとすることと、人権侵害を許さないとすることとの両面があるが、人権教育においては、後者の側面が強調されがちである。表現の工夫により、人権教育の今日的な側面を盛り込んでいくことは必要ではないか。

○ 人権教育は、知識・スキル・態度の枠組みで議論されることが多いが、基本計画においては、知的理解と感覚で整理している。スキルを入れてもよいか、議論の余地はあると思うが、知的理解と感覚だけでは行動力を培うということにつながりにくいのではないか。

○ 国際的な文書等を念頭においてできる限り構造的に整理していく必要があるのではないかと考える。

○ スキルを伴った行動化が重要である。自分の行ったことの尊さを自分自身が感じることができる、というところまで高めることが学校教育に求められていると考える。特別活動、道徳等においても、エンカウンターグループ、ピアサポートなど、様々な取組がなされているところであり、人権とのかかわりで位置付けることは意味があるのではないかと思う。

○ ヨーロッパ評議会の文書等においても、スキルを知識等と併せて並べている。

○ 日本語では、「技能」とした方がよいのではないかと思う。

○ 知的理解がなされることも価値のあることであると思うが、「知的理解にとどまる」という状況は、具体的にはどのようなものであるのか。

○ 知識と行動や感情が乖離している状況であり、例えば、いじめはいけないと言葉で知っていてもやってしまうという状態であると考える。

○ 学校の先生が指導計画などを作成するときなどに日常的に使う言葉とある程度つながりを持たせていくことが必要ではないか。

○ そのような観点からは、技能や表現力といった表現を入れていくことがよいのではないか。

○ 知的理解と知識理解は違うのではないかと思う。

○ 人権教育の全体の理論に当たる部分などは、知的理解という言葉で説明できるが、具体的な授業計画の作成の場面など教師が日頃から使っている言葉につなげていく必要があるのではないか。

○ 知的理解の中身が貧しいではないかという課題もあるのではないか。

○ 「知的理解にとどまり」と言うと、ある程度達成されている捉え方もあるが、実際には、知的理解を図ること自体も難しい面があるのではないか。知的理解とは、単に知識として持つことではなく、人権侵害はいけないことだ、といったことも含めたものであると理解してよいのか。

○ 知的理解すら十分ではないのが現実ではないか。本物の知識を身に付けることは重要な課題であると考える。

○ 知識の部分がないと、人権教育の積み重ねという要素がなくなってしまう。身近なところから、どのようにグローバルなところまで認識に広げていくのかが人権教育の大きな課題であると考える。知的理解の意味についても説明し、言葉を整理する必要があるのではないか。また、スキルについては、一般の人にもわかりやすい技能という言葉でよいのではないか。なお、「豊かな人間性」の育成や教育基本法にある「人格の完成」と、人権感覚、人権教育との関係について触れておく必要があるのではないか

○ 人権感覚を抜きにして、豊かな人間性はありえないと考える。

○ 現場の教師にとっては、人権という言葉を使うと教育しづらく、「豊かな人間性」と言う方が分かりやすいという感覚があるのではないかと思う。

○ 学校では、「生きる力」の一つの側面が「豊かな人間性」であると理解している。「豊かな人間性」を育成するのが人権教育であるとすれば、「生きる力」を「豊かな人間性」の面から支えるのが人権教育である、ということであれば分かりやすい。

○ 他人を思いやる心とは、すばらしいことであるが、人権とは思いやりであると捉えられることを懸念している。人権とは思いやりで足りるということであれば、人権教育の必要性が感じられない。人権が尊重されていない現実もある。思いやりの心の中身は何か、正義や責任の問題などについても考えることが、人権教育の必要性などについても理解できるのではないか。

○ 基本計画においては「教育活動全体を通じて、人権教育が推進されている」とされているが、そのことの裏返しとして、カリキュラムでの位置付けが不明瞭であると思う。人権教育を学校の教育全体の中でどのように位置付けるかについての言及があってもよいのではないか。

○ 現場の教師が人権教育に取り組む意欲を持ってもらい、その場合に役に立つものを打ち出していきたい。“principle”としての人権を学校が尊重するということは、学校運営の問題にもかかわる重要な課題であり、そのような人権の捉え方を提示できれば有益ではないかと考える。

○ 知的理解、人権感覚、技能、といったものを学校の教員が知っていることを前提に、指導の在り方を論じる構成になっているのではないか。人権教育とは、普遍的な人権を守ることを教える教育であると言え、実際に行動に移したときに守ってくれるような制度的な保障が必要であると考えるが、そのような観点から教育行政や学校運営の在り方についても何らかの言及をできればよいのではないか。

○ 人権教育の場としての学校をどのようにつくるのかは、とても大事な課題である。一人一人を大切にした学級・学校づくりは、人権教育の基本的な在り方に関する大きな柱になるのではないか。

○ 子どもの姿について考えることから、人権教育の必要性はその担うべき役割につながっていくのではないか。また、人権教育により育む力を明確にしていく必要があるのではないかと考える。

○ 知的理解はここまでできていればよい、といったことがある程度示されないと、読む側としては、自分が十分に取り組んでいるのか分からないのではないか。「知的理解にとどまり」ということから、知的理解の部分は達成されていると理解されてもよいのか。また、人権感覚を育成するためのさまざまなプログラムについて、取組の具体例など指標となるものがないと、自分の取組状況を判断することが難しいのではないか。

○ 人権とは何か、人権教育とは何か、ということについてどの程度の共通理解が図られているかといえば、かなり初歩的なレベルにとどまっているのではないか。

○ 方法論としては、教育現場ではかなりの実践が積まれているが、人権とは、人権教育とは何か、という基本が抜け落ちた形で取り組まれていることも多いのではないかと思う。

○ 知的理解、人権感覚、といったことについてどこまで現場の教師に周知徹底がされているのかについては懸念がある。少なくとも、人権教育の場としての学校の雰囲気づくりなど、学校がやろうと思えばすぐにできる部分もあるので、人権教育を構造的に捉え、着手してもらえるようとりまとめを出すことには意味があるのではないかと考える。

 次回日程について事務局より説明の後、閉会。

以上

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初等中等教育局児童生徒課