参考資料2 これまでの「連絡調整委員会」及び「専門研究委員会(医学・歯学)」における主な意見(案)

平成22年12月20日

1.「専門研究委員会(医学)」(第4回) (平成22年11月15日)

(1)基本的診療能力の確実な習得

(2)地域の医療を担う意欲・使命感の向上

(3)基礎と臨床の有機的連携による研究マインドの涵養

(4)様々な社会的ニーズへの対応等

2.「専門研究委員会(歯学)」(第5回) (平成22年11月16日)

(1)歯科医師として必要な臨床能力の確保

(2)優れた歯科医師を養成する体系的な歯学教育の実施

(3)未来の歯科医療を拓く研究者の養成

(4)様々な社会的ニーズへの対応等

3.「連絡調整委員会」(第1回・第2回) 及び「専門研究委員会(医学・歯学)」(第1回~第3回)(平成22年6月16日、平成22年8月5日、平成22年9月30日)

(1)モデル・コア・カリキュラムの基本理念

(2)今回の改訂に係る検討内容

    ○ 臨床実習の系統的・体系的な充実

  ○ 地域医療

  ○ 研究マインドの涵養・研究者の養成

  ○ 医学と歯学等の連携・チーム医療

  ○ 在宅医療(高齢社会への対応)

  ○ 様々な社会的ニーズへの対応等

(3)今回の改訂に際しての留意点

(4)今回の改訂後の対応

1.「専門研究委員会(医学)」(第4回) (平成22年11月15日)

(1)   基本的診療能力の確実な習得

○今回の提案の一つは、Eの「診療の基本」、特にE3の「基本的診療技能」と、Gの「臨床実習」について中身の調整を図るというものだが、ここは前回の改訂で十分調整しきれていなかったところであり、今回統一されることで全体像の位置付けが明確になると思う。

○最初の「注意書き」として、かなり大事なことが書かれていると思う。EとGのところは、重複しているとか、同じような内容で表現が違っているとかは、過去に大学からいろいろと意見をいただいていた。臨床研修との絡みでもダブっているので、結局よくわからないということもあった。コアカリを策定した当時、臨床実習前と卒業時のことが明確に区別されていなかった経緯がある。この際、こういう形で整理するのは大変ありがたい。

○症例の削除は、実際に症例をコアカリに記載すると、それがマストになってしまったりするとかなり厳しく、各大学の自主的な判断を阻害する可能性もある。特に全身の疾患について、C、Dにかなり記載してあるので、そこを参照すれば、実際の実習でどこまでいけるかは各大学の判断でできるのではないか。例えば、これは医学部の学生が特にどの専門科という領域でなくて、総合的な診療能力の基礎育成という観点から見ても大切である。

○EとGの統合は、非常にクリアカットになるので賛成。疾患も、現行の記載で全てなのかということにもなってくるし、何をどこまでというとき、ここに疾患を示す必要があるかのとも思う。その前のところ(E1)に学ぶべき疾患のリストはあるし、一方で、国家試験に出てくる必修の分野というのもあるので、そういうものとの絡みを考慮しながら、各大学で決めて実施すればいいと思う。すべてこれを経験しなければならないというのは、手かせ足かせとなってしまうのではないかと思うので、Gの「症例」削除に関しても賛成。

○今回提案のEとGの整理により、臨床実習を行う中での到達すべき目標として整理されてくるので、卒業時に近いような印象になってきて、非常にわかりやすくなってくる。また、臨床実習開始前にどこまでやらなければならないかについては、具体的には今回の整理により全部消えるわけではなく参照という形になるので、うまく参照して頂ければと思う。

○どういうことを学生が卒業までに身につけておかないといけないかが基本になっている。外国のものを見ても、やはり卒業時の学習成果、いわゆるアウトカムというところに使われているが、そこに何が出てくるかとなると、基本的な診療のことがきっちり並べられている。大学なり、その地域の医療機関なりで該当した具体的なものを実施していただければいいことであり、コアカリにおいて、そこまで具体的に規定するのはなかなか難しいのではないか。

○Gに症例などを加えて増やすと、膨大なマキシマムのカリキュラムとなり、実施できないことを盛り込んでしまいかねないので、具体的にできることをまとめた方が良いと思う。

○大事なことは、資料1(改訂の基本方針)にもあるが、コアカリの基本的な考え方そのもの。コアカリ策定時にも十分議論になったが、こういうものを文科省が提示すると、いわゆる初等中等教育における学習指導要領ではないかと受け止める人たちがたくさんいた。これは大学教育をコントロールする目的や性格では決してなく、各大学が独自のカリキュラムをつくるときに参考となるガイドラインであるという位置付けの明確化が必要。また、提示されたものは、大学の授業科目を規定するものではないし、授業の進め方を規定するものでもない。大事なのは、内容を整理すると、こういう形になるという視点である。

○医学部卒業前、あるいは臨床実習開始前までに、最低限必要な内容を到達目標として提示したにすぎないということ。各大学の実質的なカリキュラム策定に有効に使っていただくとことが大前提。

○「臨床実習の内容」という臨床実習の前書き(P5)に、こういう症例を選んだということが書いてあり、ここも今回の提案に伴って形を変えないといけないのではないか。

○19年改訂のとき、Gの臨床実習の一番頭に「臨床実習を行うに当たっては、個々の臨床実習を独立して行うのではなく、体系的に遂行させる統括責任者が必要である」旨の一文を入れた。臨床実習管理室というか、そういうものを作るべきということを入れたが、現実には、なかなかそうされていない大学もあると思っているので、この表現をもう少し目立つようにして、その辺のところも総説に加えるといいのではないか。

○臨床実習の冒頭は、総論的に注意事項のような格好になっているが、臨床実習がより実効性あるものとなるよう、また、あまりタイトにぎちぎちにならないよう、各大学の設定も自由にできるような方向で、臨床実習の前書きの記載を含め、その辺のところは今回の改訂に際して、さらに工夫というか、必要であれば検討していくということにしたい。

○EとGに項目の重複があるのは良く理解しているが、Eのところは非常に重要なところ。Eのところの教育のメソドロジーとして、PBL方式というのが推奨されているが、近年の医学部定員増に伴い、教室のマンパワー、人的リソースの問題が現場にはある。E1に記載されている症候ということで、仮に「意識障害・失神」が選ばれると、神経内科の病棟から、例えば90人の学生において5人に1人の教員とすると、10人以上のドクターが神経内科の病棟から動員されることになり、病棟ががらがらになってしまうとか、そういった事態が起きる。それを避けるためには、専門家でない、例えば産婦人科の先生とか、全く専門とは関係のない先生を動員すればできるのかもしれないが、そこら辺の問題が1つあり、このE1のPBLところをどのようにするかというところが、現場では結構悩むところである。自分たちの大学では、少し講義形式を入れながら、リソースの方の問題を一部緩和しながらやっていこうとか、そういうことも考えざるを得ないような状況になっている。非常に重要な症候というのは、ものすごく大事なところであるが、E1の部分の実際の教え方とか教育方法に関してはどうなるのか。

○主にPBLの対象としているのは、E1の「症状・病態からのアプローチ」のところと思うが、我が国の今までの教育ではほとんど欠落していたところ。外国でもそうしたものはあまりなく、コアカリ策定時に非常に力を入れたところであり、非常に実際的。但し、コアカリ策定当時、外国での授業方法として、学生の思考能力を養うためにPBLというのが盛んに行われていたが、我が国の教育スタッフの体制ではなかなか無理なところがあり、基本的な知識のところをある程度講義でまとめて行った上で、効率的に実施するということにほとんどの大学でなってきているのではないか。教育スタッフは限られていて、しかも学生が増えてきたというところで、理想的な教育はなかなかできないというのが現実だが、それは各大学の判断に任されている。コストパフォーマンスも考えながら各大学が自主性を発揮して実施していただくことが大事。何でもPBLというわけにはいかないし、外国でもPBLばかりではないし、その辺は各大学において臨機応変に実施していただくことが必要。

○(調査チームで)実際の項目を検討する中で、ご指摘の教育方法の話も出てきたが、項目として具体的に書き込むのは不適当となった。臨床実習の前書き「1)臨床前医学教育の在り方」(P3)の最後のほうに「自己学習への指示や問題解決に取り組む機会と時間を与えなければならない。このためには、少人数の演習やテュートリアル教育なども取り入れることが有効である」と記載されているが、そのためにはちゃんとした人員をつけてくれといったことも言いたかったのだろうと思っている。

○事務や教育のスタッフの支援も少ない中でどうやってやるかは、かなり知恵を絞らなければならないことで、コアカリに記載して一律に実施するのは難しいと思うが、少し何らかの追加、文面の調整も、ある程度考えていかないといけないということになろう。

○総合診療能力に関して、

・医学生に必要なのは、将来医師として活動するための基盤的臨床能力である。

・この能力は、患者・住民の健康問題を真摯に受け止める能力、解決のための情報収集能力、情報に基づいて考察し判断する能力(「臨床推論」)、健康問題を適切な方法で解決する能力からなる。

・情報収集能力の向上のためには、診療科を問わず、患者の話を聞く医療面接と全身の身体診察を反復して修練する必要がある。

・健康問題のスペクトラムの異なる、大学病院、一般病院、診療所、患者の自宅といった設定の違いを踏まえた情報収集能力の修練のため、多様な場での実習が必要である。

・得られた情報を考察し、妥当な判断をするためには、指導者のもとで、実際の患者を多数診察する経験が必要である。

・健康問題の適切な解決方法(治療の選択、患者教育)は、基本的内容が理解できるよう指導されるとともに、多職種連携や医療情報の取り扱いも指導されるべきである。

・医学生が基盤的臨床能力を養っていくためには、今回のカリキュラム改訂に当たってはこれらの事項について徹底することが必要と思われる。             

(2)   地域の医療を担う意欲・使命感の向上

○地域医療については、19年改訂の際、かなり大きな課題であり、Fの「医学・医療と社会」のところを全面的に見直した。各大学の教育病院、いろいろな研修病院を含めて、その地域に根付いた病院もあり、そこと大学との連携が地域医療の充実の観点とかなり関係が深いという認識から、臨床実習の中に「地域医療臨床実習」という項目を設けた経緯がある。調査チームとしては、現行の記載で大体の基本的な骨格はできているということだが、この辺のところは社会的にもかなり偏在の問題などがあり、その辺のところも勘案して、これを全面的に変えるというのではなくて、もう少し意義を強調するというか、少し徹底するような多少の工夫をしないといけないのではないかと思う。

○従来、病気を治すという医療について、医学教育はなされていた。それが全てではないが、そこがかなり中心的であった。高齢化が進んで社会の変化、一人一人の病気とのつき合い方が変わっていく中で、医療はどういう立場をとればよいのかについて、従来の医学教育だけでは伝えきれないということで、19年の改訂時には、地域医療をどのように導入していくかという議論があった。実際に地域医療教育を担当していて痛切に感じているのは、講義だけではとても伝えきれないということ。住民の方が何を望んでおられるかとか、生活に寄り添った医療と彼らに伝えても、到底伝わらないと思っている。そこを伝えるには、地域の中に学生たちを送り出して、そこでいわゆる診療という狭い分野だけではなくて、幅広い地域の医療ニーズを体感してもらって学んでもらうことが必要。今、ほとんどの大学はこういう方向で取り組んでいるのではないかと思う。それぞれの項目がどうかという問題もあるが、19年改訂で地域医療を盛り込んだのは大きな第一歩であったと思う。

○現行のコアカリにおける「地域医療臨床実習」の一般目標には、「地域社会(へき地・離島を含む)」とある。へき地・離島というキーワードがあり、それと地域社会を何となく混同していることがあった。都会部でも地域格差がかなりあるので、そういうことも含めて、地域社会というものを広く含めたほうがいいだろうということで、こういう表現になった。各大学とも、いろいろな方策を行ってきているので、少しずつ充実のきっかけになってきていると思う。しかし、やはり現状では、医療が都市に集中しているというのは間違いないので、その辺のところを学生の間から、どうやって教育していくか、認識を高めていく必要がある。Fの「医学・医療と社会」のところで「地域医療」の項目立てをして、重点的に取り上げたことは意義があったと思う。

○実際に地域医療を行っている立場から見ると、まだまだ足りないという気がする。概説できるとか、説明できるということもいいが、地域の中に飛び込んでいって、学生たちが実際に経験することによって身につけることは非常に大きい。自分たちの病院では、琉球大学や他の大学のクリニカルクラークシップを受け入れて、救急医療にも離島診療にも参加してもらい、感想文を書いてもらっているが、非常にポジティブな意見が多い。

○自分たちの病院の後期研修では、離島中核病院、宮古・八重山に1年間勤務することを義務付けて、また帰ってくることにしているが、帰ってきた後の報告も非常にポジティブ。Fの(2)の一番最後に「8)地域医療に積極的に参加・貢献する」とあるが、こうしたことは1番最初に来てもいいのではないかという感じがする。真に学生時代から地域医療に積極的に取り組んでいくよう、そういうカリキュラムをつくっていただけたらと思う。

○Fの(2)の8)は△印で「参加・貢献する」という、ややあいまいな表現。Gの臨床実習では「地域における疾病予防・健康維持増進の活動を体験する」となっている。参加して体験するといった、各大学の取り組みがより積極的になるような形が望ましいのではないか。

○実は地域医療の視点よりも、医学教育において地域医療をどう捉えるかということが、今、求められているのではないか。治す医療に終始していくと、結局、臓器であったり、病気であったり、オリエンテッドになってしまう。今は、その人の人生で、生活にどう密着していくか、その中でどういう関わりを持っていくかということが求められていると思う。

○地域に行って、診療だけではなく、地域医療の活動に参加して帰ってきた、ある学生のレポートをみると、「訪問看護、リハビリで重要だと感じたのは、患者さんとのコミュニケーションである。ふだん病院での診療、入院など、患者さんにとっては病院という異空間でのイベントである。しかし、訪問診療・看護では、生活空間にお邪魔する形となるため、より患者さんの背景が見えてくるし、その中にこそ真の問題点が見えてくることもあるのではないかと思う」といった記載がある。学生時代から、実は介護とか福祉とか在宅とかそういうことに関わって、意識を醸成していくことは非常に大事。

○自治医科大学では在宅医療をやっているが、教員が在宅医療をやりたいというより、在宅医療をどう捉えていくか、学生たちや研修医にどう体験してもらうか。臨床研修において外来実習を受けたいという人たちが来て、必修になっている。研修医に聞くと、ケアマネージャーが何をしているのか知らない。医療のことはよく知っているが、医療を外れた関連の組織、分野、そういう職種の人たちの活動や存在を十分知らない。基本的なことは伝えなければならないが、教育、講義の場で教えるのでなく、実際に地域に赴かせると、地域の教育環境の中で、実体験として全てが学べる。今、本当にそういうことが必要とされている。医学教育の中に医療教育も存分に取り入れていく時代ではないか。

○地域医療という、ごく一部のことを知識としてやるだけではなくて、現場を見て、そこで学ばせるという教育の必要性ということについて、(現行のコアカリの記載を)もう少し時代にマッチしたものにしていく。他職種との連携については、Fの(2)の4)に「多職種間の連携の必要性について説明できる」といった記載があるが、これでは言葉だけの話になってしまうので、そこを実体験させるということがかなり大事になってくると思う。

○Gの「地域医療臨床実習」のところで、例えば、3)に「地域の救急医療、在宅医療を体験する」、4)に「多職種連携のチーム医療を体験する」とあり、19年改訂の時にも、今言われたような意見をたくさんいただき、これをつけ加えた経緯がある。

○基本的には現行のコアカリに記載されていて、いかに実行させるか工夫が必要という段階。例えば、総論的な一般目標のところで、学ぶだけではなくて具体的に体験できるように努めるとか、何か多少の表現の強調等が必要かと思う。

○学生が地域医療の位置付けとか重要性を学んでいくとき、地域医療の教育現場の環境をどう整備していくか。地域でコアカリに記載されているようなことを伝えることが大事だが、学内で地域医療の現状を学生に教えるべきことを教員がどれぐらい認識しているか。そこが実は非常に大きいのではないか。そこなくして、結局、学生が地域医療のことを(教員に)尋ねても、自分たちは専門家だからということでは、今の日本の現状を学生に伝えられないのではないか。どういう文言かにせよ、そうしたことを何とか盛り込めないものか。

○自分たちの病院では、研修医が離島に行きやすいよう、また、行く意欲を湧かせるためにということで、離島で働いている先輩の医師を呼んで、病院の中で講演してもらったり、実情を話してもらったりしている。これが非常に有効。大学と離島診療所、離島中核病院、あるいは地域の医療機関との連携体制をつくることが1つの方法ではないか。

○コアカリは、学生が身につけるべき必要最小限のことを設定しているが、地域医療のところについては、大学の教育組織としてのあり方そのものもエンカレッジする、そちら側に向くような書き方が必要という気がする。そういうことができるような方向に位置付けられれば良いという意味で、大変大事なことだと思う。

○学生に地域医療の教育を行うことは、医師(教員)を教育する上でも非常に重要だが、そうした教育に対する都会の医学部の先生たちの意識がどうかに非常に問題。地域の診療所など、地域医療はどんな都会でもやっており、その辺との連携が非常に重要になってきて、地域の診療所など医療機関側も、何とかアプローチしていこうという気持ちはあるが、大学は垣根が高くて、なかなかうまくいかない部分もある。学生が先輩の背中を見ていくといったことがとても大事であるにもかかわらず、今は大学の中の先生、学問的に偉い先生の背中を見て学生が育つというような部分がある。コアカリに書き込めるかどうかわからないが、多くの医師の先輩の背中を見て勉強し、医師になる仕組みができたら、地域医療に関する教育も、都会であっても、どこであっても、できるようになるのではないか。

○19年改訂時にも同様の議論があり、基本的な資質に「地域における」云々を記載した。総論的なことが実効性あるよう、前書きなどでの工夫が必要ではないか。

○今、医療の中で一番空白なのは、在宅、老人保健施設、老人介護施設などにおける医療。特に薬物療法が中心になると思うが、ヒューマン・リレーションの問題が大変重要になると思う。在宅で亡くなる方が3万2,000人で、1年で2割ぐらい増えているという記事もあるが、そこにどう関わっていくか。今の状況では、いろいろな職種との連携、これをどう進めるかについて学ぶためにも(地域医療に関する教育は)大変重要。まだ十分できているとは思っていないので、それをどう進めるかについて是非強調して欲しい。

○看護の領域でも、病院に勤務する看護職は圧倒的に多いが、訪問看護に従事する者が全体の2%で課題を抱えている。「地域医療臨床実習」の「実習形態」には「学外の地域病院、診療所、社会福祉施設など」となっている。「など」なので、いろいろなところを含むと思うが、訪問看護ステーションなども明示してもらうといいのではないか。訪問看護ステーションとか、介護でいうと地域包括支援センターとか、そういう主要な多職種連携を代表するような施設を明記してもいいのではないか。また、考え方はどこかに反映されていると思うが、(地域医療に関する教育の)指導者は、指導医というふうにあまりこだわらず、いろいろなところに指導する者がいると思うので、柔軟に活用するといった形で良いのではないか。

○「地域医療」は何なのかという議論が必要だというのは全くそのとおり。地域で暮らす個人ではなくて、地域の集団とか、地域が抱える問題を明らかにしようというという観点。 今回テーマの地域医療というのは、地域に暮らす人の医療ということが基本になると思うが、地域が抱えている健康問題、地域の個ではなくて、地域が抱えている健康問題といったことはどうなるのか。

○地域が抱えている健康問題などは、Fの「医学・医療と社会」において総論的に述べられているが、非常に大事な意見なので、より具体的にできるよう可能な範囲で検討してはどうか。また、大学の立場を多少変えなければいけないという感触も持ったので、大学の方々へのメッセージとしても、こういったことをどう担保するかについて、きちんと記載することが必要ではないかと思う。

○地域医療に関して、

・医学生に期待される能力や態度について、絶えず自覚を促し、地域の医療を担う使命感を向上させるには、地域住民との継続的な関わりが必要である。

・このためには、地域の医療機関の他、保健・介護・福祉の諸施設や在宅ケアの現場でも実習することが必要である。

・患者・住民のおかれた状況や境遇に配慮しながら健康問題を解決するには、多様な選択肢があることを知ることも重要であり、教育の場として地域医療の現場の経験を必修とすべきである。

○今後のキーワードになるであろう「総合診療」、「在宅医療」、「地域ケアシステム」という視点を色濃く打ち出せないか。特に、地域における保健・医療・福祉・介護の分野間の連携と多職種間の連携は明記されているが、「地域ケアシステム」をキーワードにした方が、より明確になるのではないか。

○「地域の医療を担う意欲・使命感の向上」など心の問題を到達目標とはしがたい点もあるので、一般目標の項で「地域医療の在り方と現状および課題を理解し、医療を通じて社会に貢献するという崇高な使命を日々確認・自覚し、地域医療に貢献するための能力を身に付ける」と強調するような文章にしてはどうか。

(3)基礎と臨床の有機的連携による研究マインドの涵養

○基礎医学的、生命科学的なバックグラウンドをどういう形で充実させるかについて、Bの「医学一般」の「(1)個体の構成と機能」の「細胞の構造」に「準備教育モデル・コア・カリキュラム参照」と書いてあるが、ここをよく見ていない人がいるようで、準備教育コアカリに関する周知が徹底していなかった。

○教養教育と医学専門教育の間に生命科学のところが入ってきて、そこを議論した結果、現行の形になったという経緯がある。従来、教養課程があったときは教養教育のところでやっていたものの、それと医学教育との連動があまりうまくいかなかった。その後、大綱化がなされ、医学部教育が6年一貫になって、もう少し合理的に一貫したものにする必要があるのではないかという形で検討され、このような形になった。今回の提案では、準備教育コアカリそのものを加工しているわけではないという理解。

○「研究マインド」はコアカリに記載できるものではないという意見はもっともだが、ただ知っていて技術を覚えてというのでは、余りにも情けない気もするし、臨床に行くにしろ、基礎に行くにしろ、あるいは地域医療にしても、ある程度きちんとしたサイエンティフィックな検証をすることを身につけておく必要があるということでは、19年改訂時にも共通の意見があった。教育現場でどういう形で実施するかとなると、例えば、研究室配属とか、症例研究をやるとか、選択制のカリキュラムをつくっていくといった、積極的な方法でやるということで、19年改訂の時から踏襲されてきているという経緯がある。

○「研究マインドの涵養」が特に強調されるようになった背景としては、医学部を出て基礎的な研究者になる人が激減しているという事実がある。ベーシックサイエンスの研究者が減っていることへの対応という割合狭い観点からの問題と、もう一つ、試験管を振るとかDNAをいじるということだけが研究ではなくて、臨床研究にしても、公衆衛生学的・疫学的な研究にしても、橋渡し研究にしても、非常に広範な領域にリサーチというのが積極的に出てきているという点。つまり、研究は基礎の人間が実験室にこもって試験管を振ってやる難しい話ではなく、研究の幅が非常に広がってきている。それに伴って方法論も非常にバラエティーに富んでいる。非常に広範な領域でのリサーチというか、インベスティゲーティブに新しいことにアプローチし、何らかのアウトカムを出すというプロセスの修練の必要性と思う。その前の段階というのは、課題は何かを設定して、アベイラブルな情報でどこまで理解できるかという、深い学習能力の修得が必要であり、到達目標の1)から3)は、いわゆる研究マインドとは違って、一般的に医学部学生が当然身につけるべきこと。一方、本来の研究マインドについては、到達目標の4)に「参加することができる」とあるが、新たな課題に向けて、どういった方法論を用いて、どういう研究をやるかということが、ある程度構築できて、その方法論について、かなり知識があって、どこかの領域分野で学生の間にそれを実地に経験しているということが可能であれば望ましい。

○今年の医学・歯学教育指導者ワークショップでも、きちんと研究計画を立てるなり、問題点を抽出して、どう解決していくかという、プロセスの教育が全然行われていないとの指摘があったが、学部教育の中ではなく、大学院のところで初めてやるというふうに、従来の学部教育の欠点が指摘されて出てきた。選択制でも構わないから、一般(人文や理工系)の大学で行われている卒論は、医学の場合、症例研究でもいいし、そういう意識を持った1つのプロセスを経験することが大事という意見が出てきた。コアカリに書いても、なかなか実行できないということがあるので、どういう形かで実効性あるようにしていく必要がある。裏付けがないと情けない話になってしまうので、きちんとした経験は学部の段階で必要ではないかなということに関しては賛成。今回、非常にうまい形で提案され、大きな項目として立てていただいたので、そこら辺は何とか有効に機能するように期待したい。

○「研究マインドの涵養」が項目として新設されることは、教育の現場にとっては非常にすばらしいこと。教室配属とか、いろいろなトライアルはあると思うが、こういう項目が新設されることによって、臨床の現場における研究マインド、教育の現場が復活されるというか、活性化されるという意味では非常に良いと思う。特に大学には、研究者としての非常に優れたトップランナーがたくさんいるので、学生がそのトップランナーを見ながら研究に夢を開かせていく、そういうことにつながっていくと思うので、非常に大きなこと。

○ここに掲げられた到達目標は非常に明確で、これがコアカリに入ってくることは、かなり大事な視点だと思う。実効性を持たせるためには、既に各大学で行われていると思うので、そうした事例を提示するのが1つの方法。現行のコアカリにも、事例集のようなものが入ってくると参考になるのではないかと思う。全ての取組や要望をコアカリに盛り込むというのではなくて、より実効性あるような取り組みを絞り、トータルとして工夫することにより、非常に使いやすい形にして、各大学に周知できればと思う。

○片仮名で「研究マインド」となっているが、内容を見ると、研究というより、研究的なアプローチを身につけるという内容。タイトルが研究マインドでなくても良いのではないか。

○昨年5月の検討会報告書において「研究マインド」という言葉が使われ、その流れを汲んでいるというのが一点。もう一つは、もしかすると、大学にとっては到達目標の1)から4)の内容は、それほど重要なことではないかもしれないが、「研究マインドを涵養する」という言葉にあらわされている裏側にあるもの、これが非常に重要という意見があった。なお、片仮名表記については、そもそも「モデル・コア・カリキュラム」が片仮名であり、片仮名を使ってはいけないという議論はされていないというのが実状。

○研究マインドの涵養というのは、大学全体として、そういう視点を持つことで、各大学がそうしたことを考えなければいけないことにつながることを期待している。具体的な到達目標は、学生がどこまでできる必要があるか、アウトカムのところに相当するので、それはそれで整合性がとれているのではないか。日本語にしなくても、「マインド」でその趣旨は伝わるのではないかと思う。

(4)様々な社会的ニーズへの対応等

<医療従事者の健康と安全、産業保険>

○医師の過重労働に関しては、現場でも非常に課題が多い。労働基準監督署の指導もあり、自分の病院(沖縄県立中部病院)でも、今年4月から36協定を結んでいるが、普通の労組と医師の労組があり、普通の労組は協定を結ぶのは簡単であったが、医師の労組とは、なかなか時間数が決められなくて、だいぶ時間がかかったものの、結局結んだが、規定された時間内でおさまる医師というのは現実にかなり少ない。そこに向かってみんなで何とかしていかないと、やはり過労死とかそういう問題が出てくると思っている。現在、長時間勤務者をリストアップして、管理者で面接するようにしているが、超勤時間の長い医師が多くて、面接も相当時間をとるというような状況が続いている。根本的には、やはり医療者を増やして、医者を増やして、看護師のように3交代ができるような医師の数がいれば良いと思っているが、なかなか難しく、現実としてそうした実態にある。

○Aの「基本事項」のところの2の(3)に「医療従事者の健康と安全」という項目があり、さらに、Fの「医学・医療と社会」の(5)に「保健、医療、福祉と介護の制度」ということがあり、そこに産業保健が出てくる。その辺に何か今のようなこと(36協定の件など)や労働法制のようなことを記載してもらえればと思う。知識を持つということは非常に大事なことなので、是非よろしくお願いしたいと思う。

○Aの2の(3)の「医療従事者の健康と安全」は、19年改訂のときに新たにつくった項目。某大学における研修医の過労死が労基法に違反するということで、大学側が敗訴するという事例があり、それがきっかけとなって検討した結果、直接的な表現はしなかったが、重要性を指摘して項目を立てたという経緯がある。

○「医学・医療と社会」の中で、労働環境はかなり大事なこと。実際には、公衆衛生学に関連しては、産業医のこともあるので、各大学ではかなりきっちり教育していると思うが、このコアカリの中に見えてこないので、何らかの表現上の工夫をする必要があると思う。

○安全性の確保に関連して、抗がん薬による被ばくの問題がある。抗がん薬を取り扱うことによって、医療従事者が被ばくする危険性がある。揮発性の高い抗がん薬もある。今後は安全キャビネットの中で、閉鎖系の器具を使って調製を行う必要がある。いろいろ調べているが、排泄物とか、使用したいろいろな医療材料などから、抗がん薬がいろいろ検出されている。それによって医療従事者が、例えば白血病になるとか、不妊、流産とか、死産が起こることがある。こうしたことは、基本的には薬剤師がやるという方向になってきているが、いろいろな使われ方がされているので、全体の薬物、抗がん薬の扱いのリーダーとして、医師も当然知っておかないといけないと思うので、いろいろな有害性のある薬剤に対する被ばくの問題も盛り込んでいただきたい。

○Aの2の(3)に「医療従事者と健康と安全」という大きな項目があり、かなり大事で、いろいろなことを学生のうちから身につけておかないといけない。そこに含められることは含められればと思うが、この項目を作る際、感染の問題が非常に大きかったのとスタンダードプレコーションをきちんと学生のうちからやるという、対感染のことはかなり議論になった。健康管理という漠然としたことになるが、その辺のところの記載がよくわかるような工夫も、ある程度検討することも必要。但し、具体的な記載となると、なかなか難しいところもあるので、その辺は慎重に検討していければと思う。

<感染症(院内感染を含む)、記載の重複>

○コアカリの中で感染症については、あちこちに分散している。各学問体系の先生方が土台をつくってきた経緯があり、基礎系の感染症のところも、全身の感染症という考え方も、臓器対応のものも入っている。感染症は、今、病院等で耐性菌の問題で話題になっているが、この辺をどうすべきか。院内感染対策を含めて既によく記載されているが、分散しているので、どこを参照すべきかを記載しておかないと、ばらばらになってしまうのではないか。

○沖縄県立中部病院では、臨床研修や他の病院から来る看護師の研修をする人たちには、ワクチンの接種を義務付けている。幾つかのことは接種で予防できるので、そうしたことをAの「医療従事者の健康と安全」に記載した方が良いのではないか。

○感染症(Aの「医療従事者の健康と安全」)のところに予防接種のことが全く入っておらず、Fの「保健,医療,福祉と介護の制度」の中に△がついて、「予防接種の意義と現状」と書いてあるが、やはり感染症(A)のところで入れた方がずっといいのではないか。

○院内感染は、今後ますます大きな問題になってくると思うが、学生にどう伝えておくべきか。新型インフルエンザのときもそうだが、少なくとも同じことを繰り返さないために、これから医師になる学生たちに、その対応策や、きちっとした考え方を身につけさせるという意味では、これも1つのリスクマネジメントだと思う。そういうことが、少なくともAの2の「医療における安全性確保」、あるいは、感染症の項目では読みとれないというか、そこを強調しておく必要があるのではないかと思う。ワクチンの話も含めて、何かもう少し集約化があっても良いのではないかという感じがする。

○基本的な予防・対処法を学ぶことについては、Aの2の(3)「医療従事者の健康と安全」に総論として入っているが、具体的なことは、いろいろなところに分散している。ここをどうするかは、かなり難しい問題だが、今回の提案で臨床実習のところを可能な範囲で大分削って頂いたので、なるべく増やさないで表現をうまく変えていく必要があるのではないか。より洗練された文章にしていくことが大切であり、あれもこれもとなってくると大変なので、可能な範囲で委員の方々の意見を盛り込んではどうか。また、社会から見た視点はかなり大切であり、今の意見は全部そうしたところの内容なので、それがコアカリの中で見えるような形にすることは、かなり大事。今後、可能な範囲で検討できればと思う。

○項目の重複は、できるだけ整理したほうがいいと思うが、コアカリを実際に利用する現場の先生方から見ると、自分のテリトリーはどこだという見方をされる。これを全部読んで、その中で自分の教育のデューティーはどこだと位置付けされるならいいが、(コアカリの内容が)非常に膨大なために全部を理解した上で、それぞれの担当分野を眺めることはあまり期待できないと懸念される。例えば、感染症という臨床的なエンティティーのところ(D1)と、生体と微生物のところ(B2(1))を見ると、必ずしもうまく調整がとれているとは言えない部分もある。例えば、院内感染とか、日和見感染とか、どちらかだけを感染症というクリニカルエンティティー(D1)だけに入れていいのか。生体と微生物のようなところ(B2(1))にも、どうして日和見病原体というのがあるのかといった議論があっても、おかしくない気がする。必要に応じて、それぞれのカテゴリーの中に、少しオーバーラップしてもよく、必ずしも排除しなくてもよいということは考えてもいいのではないか。

○感染症(D1)で全部一本化して記載した方が簡単だが、Aの「医療従事者の健康と安全」にもかかってくるし、かなり多岐にわたっている。どこかに一本化して記載すれば良いかというと、そうでもないこともある。その間を埋めるような方策として、例えばここもきちんと参照してくださいといったことを記載して、多少記載が重複していても構わないので、有効に使っていただく工夫をする方向で進めるのが一番現実的ではないか。

○記載の重複については、調査チームにおいても議論があった。BとDが比較的重なっており、特に感染症は、もっとわかりやすく提示できるのではといったところから議論が始まり、一度案ができたが、いろいろな角度から見た場合、必ずしも今の状況に合致していないということで、このまま触らないで、重複があってもおいておこうということになった。

○院内感染について、最近、大学病院における院内感染が社会問題化しており、医療の安全性に関わる重大問題であり、院内感染は今後益々大きくなるおそれがあるが、適切な予防・対応策での減少も可能。医療における安全性確保等の項目に充実させることが必要と考える。

○予防接種については、明確な形でカリキュラムに入れて頂きたい。

○A-2-(3)「医療従事者の健康と安全」の項に以下の点を入れることはできないか。

・ 自分と患者を守るため、臨床実習前に麻疹、風疹、流行性耳下腺炎、水痘、B型肝炎等のワクチン接収を受けておくことの重要性が理解できている。

・基本の基本、手洗いを適切に行える。患者を理解し、感染予防策を選択できる。(患者にどのような感染症、病原体が関係しているかにより、接触、飛沫、空気感染などの感染経路別の予防策が異なる。患者の状況を理解することが必要。)

・血液暴露したらどうしよう?が理解できている。(血液暴露により伝播する感染症の中には、急ぎ対応が必要なものが含まれる。例:HIV→予防内服が必要)

・おかしいなと思ったら無理せず相談ができる。(自分自身が感染源になり周囲の仲間や患者に感染拡大させてしまうことは、実は少なくない上に大きな影響を与える。「無理」は禁物であり、体調の異常を感じたら速やかに上司や職員健康管理担当者と相談する。)

<人の死>

○今回提案の死という非常に重たい場面については、従来の学問体系の法医学、医事法制のこと、社会学的なことが分散して記載されている。最近、検視のことが話題になっているが、社会的な位置づけとして非常に重要であるという指摘がある中、まとめて「医学・医療と社会」のところに一貫して整理することにより、それが浮き彫りになると思う。

○Fの「医学・医療と社会」は、従来は公衆衛生関係の人が主に担当してきた内容であるが、地域医療や医事法制のことも入ってくるし、かなり大事な部分になってくるという感じがする。今回の提案のように焦点を絞った形にすることは、教育に携わる者にとっても、学生にとっても非常に広く見ることができるという意味では、大変意義あること。

○死のことは、脳死の判定基準も変わるなど、社会的な動きもあり、社会と医学の接点になっているところなので、この辺のところは、Aの「基本事項」に入れてしまってもいいような非常に大事なところ。Fの「医学・医療と社会」を含めた基本事項的なことを再整理して、重要性を強調することも必要。基本的には、いわゆる従来の公衆衛生の概念から、地域医療のことを含めて、医学・医療を全体として非常に大事なものとして位置付けることは1つの課題ではないかと改めて実感した。

○「人の死」は、死体検案のことが国会でも話題になっているようなので、今回の提案により、法医解剖を含めて、かなり浮き彫りになり、はっきり位置づけられると思う。

<医学と歯学等の連携(チーム医療)>

○口腔ケアのあり方や歯学の知識の大切さは、Eの基本的診療知識の中の「食事と輸液療法」の部分あたりに、口腔ケアのあり方のようなものを入れるのはいかがかと思う。

○C-14「耳鼻・咽喉・口腔系」に歯のところがあり、歯周病も入っている。そこの表現を全身への影響にするとか、どっちが良いかといった議論が以前からあり、CBTに出題するかどうかといった話にまでなるなど、かなり認識されていたところである。

○歯学では、今以上に、歯科における医学教育といった部分をもっと充実すべきという意見が学会や大学から多くきている。歯科医師国家試験にも内科学を出すといったことまで出てきているので、歯学のコアカリにも、その部分を少し意識して書き込むことが必要。

○いわゆる医療連携の中で、歯科が医科、他の医療業種の方々といろいろ連携をとることについて、歯学のコアカリに入れる方針が固まっている。医学のコアカリにも、もう少し歯科のことを入れる、つまり医科の学生にも歯科のことをもう少し学生のうちから理解してもらえるようなことができないかといった意見も出ている。医学のコアカリをみると、歯科という単語はかなりあるので、これ以上、単語を増やしてもらう必要はないかもしれないが、中身というか、もう少しうまく歯科と医科が連携できるような教育の方法がとれるといいのではないかといった議論が出ている。最終的には教育の方法とか内容に入るので、あまり文字で書き込む必要はないと思うが是非そうしたことを意識したことを考えていただきたい。

○昔、医学系では、病巣感染ということがあり、歯周病との関連や、口腔内の雑菌の問題。特に、高齢者等は口腔内のこととして、嚥下してうまくいかないとき、嚥下性肺炎を起こし、致命的になる。かなり大事だということは医学部生も知らなければいけないと思う。その辺も含めて、既に医学のコアカリに書いてあるので、例えば参考文献なりを後で紹介するとか、各大学に使ってもらうようにするとか、いろいろな考え方がある。

○歯科にも、内科系、バイタルサインといった部分は、既にコアカリに記載されているが、いわゆる医科系の病気を持っている患者さんに対して、歯科の治療をどうするかは、ある程度明確にコアカリに書いている部分もあるが、もう少し充実することと、時間数として歯学教育の中に医科の内容、特に内科系の内容を入れるべきといった意見が出ている。顎顔面領域では、この部分を入れるべきだという意見もかなり出てきている。

○医学側としては、あまり歯科の領域に浸食しては申しわけないという意見も以前はあったので、あまり踏み込んではいなかったが、連携ということになった。連携は、医と歯だけなくて、例えば、先ほどの地域医療のことも、ほかの介護、看護との連携ということも全部が含まれており、そういうものは全部入っていれば良いのではないかと思う。

<男女共同参画、ワーク・ライフ・バランス>

○男女共同参画、ワーク・ライフ・バランスといったことは、女性だけでなく、男性についても医師としてキャリアアップしていく上で、かなり大事になってくると思う。

○「医師として求められる基本的な資質」というところで、ぜひ何か一言入れていただくと良いのではないか。人間としての基本的な問題であると思うので、そこに記載した上で、各項目の中で何か具体的なことを記載していただくと、とても良いのではないか。

○男性も女性も、医師として様々なキャリアアップを図る中で、トータルとして医療体制をうまく継続できるようにすることは、かなり大事な視点。

○男女共同参画、ワーク・ライフ・バランスについては、明確な形でカリキュラムに入れて頂きたい。

<今回の改訂に際しての留意点等>

1 量的過剰状態への対応

○量的な過剰感というのは、コアカリ策定当時から言われており、内容によっては、あちこちに分散していて焦点がわからないという意見も多かった。今回提案の死という非常に重たい場面については、従来の学問体系の法医学、医事法制のこと、社会学的なことが分散して記載されている。最近、検視のことが話題になっているが、社会な位置づけとして非常に重要であるという指摘がある中、まとめて「医学・医療と社会」のところに一貫して整理することにより、それが浮き彫りになると思う。(一部再掲)

2 卒前・卒後の一貫した医師養成の視点

○国家試験との関係は、基本的には学生も混乱するといけないので、国家試験のほうに準拠し、国家試験の方で用語を修正することがあれば、コアカリも直すようにすることで、両者を統一させていくことは、各大学の要望でもあるので、是非そのように対応したい。

3 各大学等における取組実績や意見等への配慮

○調査チームでは、非常に短期間で、これまでの改訂作業で対応が不十分であった主なテーマを最優先して検討していただいたが、さらにいろいろな要望等も頂いており、これを一つ一つ、今回の改訂作業で全部処理するというのは非常に大変なので、優先順位を付けてやらざるを得ない。いろいろと頂いた意見の中に、それなりに配慮しなければいけないこと、例えば、最近の社会的な状況から見てということもあるので、その辺のところについては、この委員会での検討を含めて、引き続き検討をお願いしたいと思う。

○各学会、大学等の要望などは念頭に置いた上で、今後、いろいろ意見も出てくると思うが、今回の改訂作業は、基本方針に示している順番に行っていくことに徹したい。

4 全体構成(表記の調整を含む)や周知等の工夫

○△印の取扱いは、CBTで問題を出題する際、△印が付された内容をどうするかは、各大学の先生方に議論していただき、かなり弾力的な取扱いをしている。但し、△印そのもののイメージはあまりよくないので、例えば*(アスタリスク)にするというのは1つの手法。*の内容は卒業時までということで、CBTでも厳密に問題を出してはいけないというとならないよう注意すべき。必要に応じてCBTの問題として出題していってもいいし、これまでもそういう事例はたくさんあるので、そこは弾力的にやっていただくことにしたい。

○△印の部分は、試験問題を作られる大学の先生方が、医師国家試験の出題基準とあわせて、よく見ているので、学生の到達目標というよりも、試験の出題材料となってしまい、多少違和感があるところだが、改善すべきところはきちんと対応したいと思う。

5 臨床実習等に係る評価システムの在り方

○臨床実習の評価の資料として、医学生が「学習ポートフォリオ」を作成することを奨励すすきである。この「学習ポートフォリオ」には、下記の項目と書き方を、一例として提案したい。なお、これはポートフォリオ評価を提案しているのではなく、その前段階として学生が各自で実習実績を自分で記録する習慣を全国で一般化することを提案するものである。

1 経験症例一覧:【年齢】,【性別】,【主訴】、【診断名】、【学習したこと、ポイント等】

2 経験手技:【見学】、【自身で実施】、【コメント】

 2.「専門研究委員会(歯学)」(第5回)(平成22年11月16日)

(1)歯科医師として必要な臨床能力の確保

○内科的知識を持った歯科医師の養成ということで、現行のコアカリにも入っているし、それを整理することでどうなるのか。医学教育、内科学をもっと取り入れた全身状態を把握できる歯科医師というのは、ある意味では当たり前だと思うが、全身から口腔を診ることができるというのは法的なことなので、全身と口腔、全身と歯を分けなければならない形になっているのか。医学のカリキュラムを見たとき、例えば、循環器系と全身とか、腹部と全身といったことは記載されていない。これは一元論の方が良いのではないかと言う方もいるが、そういう主張をする方からは、全身もわからない歯科なのか、歯科というのは全身がわかっているのは当たり前ではないのかということをよく言われる。コアカリの中で、口腔、つまり歯科というものと全身というのは分けなければならないものなのか。

○自分としては全然そうは思っていないし、例えば受けた教育の中でも、最終的には歯科のことに特化して、口腔内の疾患を治せるので歯科医師というのは、基本的に法律上決まっているので、当然、高学年に行って臨床実習をやって、卒業して歯科医師になったらそういうふうになる。しかし、現実に最初の(学部教育の)スタートのところは、今の歯科のコアカリを見てもわかると思うが、実際、生命科学を習って、その後、それと一緒に解剖学の中でも顎口腔の解剖学だけやるわけでなく、頭のてっぺんから足の爪先まで解剖学の知識を教わって、骨学も筋肉学も内臓学も何とかも全部教わって、その後に人体解剖実習というのは、顎口腔だけでなくて全部やる。全身のことを全部知った後、歯科では、目とか心臓とかは触れないので、口腔内をやっていくという形になる。昔からずっとそうした教育は行われていて、コアカリの中にも実はそのようなことは書き込まれている。しかし、日本の29歯科大学全体として、だんだん口腔内の部分だけに特化していっているような教育が行われていっているというのが、調査結果などに出てきていて、今回、コアカリを少し直すことを通じて、そうした状態の改善に少しでも対応しようと考えている。

○歯と全身の関係がわかってきたのとともに、これからは、在宅とか高齢者の方々について、今以上に多くの歯科医師が診なければいけないという役割を担うのもわかってきている。その際、現状の全身の医科の知識だけで良いのかといった問題が出たとき、もう少し今以上に詳しい、あるいはレベルの高い知識を持った歯科医師をつくる必要があるのではないか。例えば、日本全国の全てのこれからの若い歯科医師が教育を受けていないのに医師の先生と会話ができるかということ。疾患についてディスカッションができるかというようなことについて心配な面が確かにあるので、そういう憂いを少しでも教育の中で少なくしていきたいというのが今回の改訂の1つの大きな目玉だと思っている。

○全身から口腔を診ることのできる歯科医とあるが、具体的には口腔疾患を浸食する全身疾患。例えば糖尿病があると歯周病が憎悪するといった口腔疾患が悪くなるような全身疾患がある。もう一つは、原因とは断定できないが、循環器疾患、そういった口腔疾患に影響を受ける可能性がある全身疾患。今までの歯学部の教育の中にも隣接医学があって、こういうことを教えてきたが、医師法、歯科医師法、それから医学,歯学の設置基準、それらが段々とお互いに疎遠になってきた。隣接医学を医学部の先生が教えにくるが、隣接と名前がついている分、教える方も教わる方も真剣になってこなかったということ。特に高齢者で全身疾患を持った患者さんが増えてきており、改めて全身が診られる歯科医が必要。

○臨床実習の項目案は、OSCEの課題とかなり関連づけた項目立てを意識して並べていく方針となっており、歯学の学生が共用試験、臨床実習開始前の技能、態度の評価を受ける前に、OSCEの課題に関連した項目立てで、このように臨床実習の項目を並べたということ。

○隣接医学というと、隣接している以上、中に入って来られないのではないかという気がしているが、最終的には歯科に関連する内科学というのは、歯科医師が教えるべきことであって、医科の先生に来てやってもらっている以上は、歯学生もなかなかその中に入り込みづらいということがあるので、コアカリの中にそういうものを入れる以上は、医師ではなくて、歯科医師が教育をするということを大前提にやっていくべきではないか。

○医学、歯学ともに、全身から口腔をやっているのはもちろんだが、臨床現場において医科と歯科の治療が別個に行われ、その間に連携がないというのが一般の患者が受けること。どちらが責任を持つかというものではなくて、両方が同じ土壌に立って、知識を共有して連携を図ってほしいというのが一般の患者の要望。しかし、医科、歯科には、お互い「隣接医療」として深い垣根、ボーダーラインがある。両者が連携したボーダーレスな総合力を実現する方法について、コアカリで連携を深めてもらいたいと思う。

○医科と歯科との連携は、アメリカやヨーロッパでも非常に大きな課題。アメリカでもいろいろレポートが出ているが、医師法、歯科医師法、歯学部、医学部という別立てにできているところをどうやって連携するのか、連携の方法については全米の歯学部の数ほど連携の方法は多様であるといったことも全米歯科医学教育学会のレポートに書かれているが、現場での運用はこれからの話だろうと思っており、日本でも、今からの非常に大事な課題。

○医歯の連携だけではなく、地域医療におけるチーム医療との関連になると、医、歯、看護、薬、衛生士、技工士、理学療法士、そういったところまで広がっていくものでもある。今回の提案は、そういったことを含んでいるものと理解している。

○医学・歯学等の連携について、社会が求めるものは二つあるかもしれない。一つは、歯の方々にとって、教育プロセスの中できっちり教えなければいけないということ。いきなり試験に出すより、歯学系の教官の方々がそれなりに幅広い体系立った教育内容を持つことが必要で、それを学生に向ける。単に医学部の先生を呼んで行うだけでは、あまりにも受け身になってしまう可能性がある。

○もう一つは、医の方から見た歯について、医では口腔内の観察をして診ている。口腔内はどういう状況なのか、得られる情報はかなり多い。粘膜からの吸収の問題とかは常に意識している。しかし、医としては、歯の病気のことについて深入りすることは避けている。それは担当分野が違うので避けていた。但し、耳鼻咽喉科との間では、診療内容の問題に関して、それぞれの大学病院等でうまくいっているところといっていないところがあるのではないかという意識は持っている。医としては、歯あるいは口腔のこと、全身への影響等は、病巣感染ということは昔から言われていて、その中の歯の部分はかなり大事。

○きちんとかんで食事をすることに関連して、年をとってくると歯が抜けてしまうのは、人間だけでなく、動物もみんな同じであり、栄養の問題になってくる。医と歯、両方共通のことと思うが、そういう全体的な観点の中から考えていかないといけないのではないか。

○看護の立場からすると、臨床において、歯科と医科は仲がよくないと思って見ていた。医の方で介入は避けているとあったが、そのとおりで、お互いの領域にはあまり関心を持たないというような感じで、そこをナースが取り持っているというか、それは他の診療科でも言えるが、それぞれの専門領域についてはお互いに深入りは避けているなということと、相互の尊重のようなことが多くない。高齢社会になってきているので、これからは歯科の領域で、栄養とか、嚥下とか、咀嚼というものがとても重要になってきていて、看護にとっては、その領域と歯科の診療とは密接に関係があるので、ぜひ深入りしていただき、相互に高めていけるような状況になればいいと思う。

○従来の歯学教育の中でも、隣接医学で医学部の先生方が来られると同時に、歯科麻酔や口腔外科の歯科医師が全身疾患を教えていたし、現行のコアカリにも入っている。しかし、大きな項目として、目に見える形としてあまり目立った形でないため、一般的な方が見ると入っていないのではないか、医と歯の連携というほどではないのではということではないか。国家試験やCBTの問題にも実際には十分入っている。歯科医師が、歯科治療において内科的疾患を注意すべきというのをきちんと教えているが、社会にもう少し周知されていなかったということかと思う。コアカリ改訂に際して、医科と歯科の連携を明確な形として組み込む場合、例えば、歯科の方には、細かい部分ではなくて、歯と医の連携とか、歯学教育における医科の教育とか、口腔疾患と全身との関係とか、何らかの項目立てをして目に見える形で入れればいいのではないか。一方、医学教育の中でも歯とか歯周疾患とか齲歯、歯周病、いろいろな言葉でもう既に細かいページが入っているが、非常に細かい単語のため、表に出てこないということ。これからはそれが目に見える形で、少しは上げていただきたい。例えば、歯の病巣感染が心内膜炎とかいろいろなことに関係する、胸を開くような手術のときには歯周疾患とか虫歯をあらかじめ治してやるというのは、実際の現場ではやられているが、なかなかそれが見えてこない。教育現場としてカリキュラムの中に、医科の中でも歯科のそういうところを目に見える形で、歯とか歯周疾患とか、そういった病巣感染となるようなものをもう少し入れていただきたい。

○最近、口腔の常在細菌が全身疾患に関わり、歯周疾患、糖尿病とかいろいろある。歯と歯周病、病巣感染、そういったことを医の中に少し入れていただきたい。

○栄養は摂食・嚥下と関わるし、チーム医療、チーム歯科医療の中に今でも入っているが、目に見える形でやって欲しい。現実的には歯科、医科がそれぞれ仲よくやっていくよう努力はしていると思う。睡眠時無呼吸のときにも歯科医師がいろいろなものを使っているし、スポーツ歯科といってマウスガードをつくる場合にもある。医学部、歯学部それぞれの教育カリキュラムの中に今までやっていることを言語として目に見える形で、少し大きな項目として、数行で構わないので入れると、より社会に見えるのではないか。

○教育現場もそうだが、そもそも医療現場は一概にどうこうと言っていいのかと思う。在宅歯科医療を考えれば、平成20年以降、後期高齢者の流れから来ているので、確かにこれからは病院から在宅に出ていく流れなので、自ずと現場自体は基礎疾患が増えているという実感を持っている。今回、コアカリを改訂すれば、教育内容というのは自ずと反映するという実感を持っている。

○国家試験については、今は実技能力を臨床実地に切りかえたので、結局、大学の先生が診ている患者さんをもとにして素材がつくられてきているので、昔から比べると自ずと基礎疾患の検査結果をもとにしたものが増えてきているような印象を非常に受けている。在宅の現場の出題も増えているので、コアカリの改訂というのも、確かに流れの1つなのかという印象を正直受けている。歯科は歯科として存在し、安心・安全な歯科医療を提供するという観点から、医科と歯科の連携というのも自ずとやらざるを得ないことから出ているという印象があり、これから免許を取られる方も、当然、診療所でそのままというわけにいかなくて、在宅とか、基礎疾患の治療をやるケースが結構増えてきているので、そうしたことに自ずと関わるということになれば、全身との関わりが出てくるのは当然だろうと思うし、結果的に病院などで、歯科医師が医師や看護師と連携していく場面は増えるのではないかと思う。但し、内科的という表現は、特定の診療科を限定するイメージを持つことから、医科や歯科の特定の診療科を限定するような表現ではなく、歯科診療をやっていく上で何が必要かという視点で考えたとき、実際のサービスで何かというような視点ではないかという印象。

○医科系の大学病院の診療科の問題がある。また、歯医者さんの方々は大学院があまりないといいったこともある。開業されている場合には、コンサルタントとして、そこに同時に医師がいれば非常に良いが、そうではなくて単独でやられている。一方、大学病院の場合には、歯科口腔外科があって、うまくいっているところを聞きたいと思うぐらいで、その辺のところの診療体制の問題もかなり大きな問題ではないか。

○そうなると、教育の中でどういうことをしていったらいいかということが必要になってくる。医師の方々が、開業医の先生方を含めて、歯のことを考えるかどうかは、まだわからない。足りないのではないかと思うところはあるし、大学病院等であれば歯科口腔外科があるので、そこへ単純に相談すれば済んでしまうということで、現状とコアカリで何をねらうのかということも、ただこれもやってくれ、あれもやってくれといろいろな要望が出るのと同じであり、ちょっとまずいのではないか。

○医と歯だけではないということは非常に大事な視点であり、基本的にはチーム医療。どういうことをやらなければいけないかという意識を我々自身が持たなければいけない。よそにやれというのは言うのは非常に簡単だが、自分たちがどうやっていったらいいかということを考えることが大事であり、そうした広い考え方が必要。

○病院歯科というのは、大学病院の歯科ではなく、普通の医科病院の中にある歯科のことで、かなり減ってきている。そうした歯科は、歯科の臨床のクリニックと医科をつなぐ接点になるが、そこがうまく機能していないのではないかと指摘されている。つまり、医歯の実際の臨床現場での連携の拠点になるべき病院歯科が、少し弱体化しているという別の次元の問題がある。医歯の連携というのは教育にとどまらないものがある。縦割りの医学部、歯学部の教育の中で行われており、大学の教育が変われば臨床現場が変わると思っていたが、高齢化社会になり全身疾患を持った患者さんが増えることによって、むしろ臨床現場の方のニーズが上がって、大学の教育を変えろという別のベクトルが今動いている。その辺は、大学関係者だけなく、職能団体である歯科医師会など業の方からも臨床現場で医歯が連携できるような教育をしろという声を上げていただくこともあり得るのではないか。

○今回、コアカリを改訂していく中で、「D 生命科学」のD1からD5に書かれていることは的を得ているが、一つ一つを考えたとき、これだけ歯科疾患が変わり、齲蝕という感染症が減ってきている中、自分たちが学生のころから基礎科目は医と歯、両方習ってきたが、勉強に取り組ませる姿勢がなかなか成り立っていなかった。つまり、医業と歯業として、齲蝕の治療をしていけばよかったが、今は違ってきた。全国29大学の教員が音頭をそろえて歯科の基礎教育をやっていかないといけないが、大学間でかなりばらつきがある。それを今回のコアカリ改訂でどのような方向性を示して教員にあるべき姿を提示するかというのが、基礎の立場のD領域を変えるときに非常に大事ではないかと思う。

○医科と歯科の医療連携というのは具体的にどうしても必要なので、コアカリにそうしたことに応えられる内容は盛り込んでほしいと思う。また、全身が診れる歯科医とか、そういうのは実は当たり前なので、全身を知るという項目だけで、それを診れる歯科医というのは実は当たり前なので、そのことは書く必要はないと思う。在宅に絡んだら、医科と歯科の連携から言えば、当然知識としてカリキュラムに盛り込まれないといけないので、初めから全身の状況を診れる歯科医というふうにいうことはないと思う。

○カリキュラム、学問としては、至極当然なのはわかるが、現実的には決してそうではない。患者サイドからすれば、全身を診た上で歯科医療をしている歯科の先生がどれほどいるのか。逆に医科の中で歯科、口腔ケアに関してどれほど知識を持って、医療をやっている方がいるのか、そこに大きな隔たりがあるというのが現実の感覚。一部で、志のある医科、歯科の先生たちの連携をやることによって、患者、特に高齢者を中心としたクオリティがよくなっているというのを見ているので、先生方は大学、学問から知識を積み上げていくことで臨床が変わると思われていると思うが、現場の一部から患者にとって非常に有意義な医療が行われているので、それをそこの地域だけではなく、もっと日本全体で展開して欲しい。そのためには、大学の学問レベルで広げていくべきではないかという感覚だと思う。どっちの先生がどれを診るかどうかということではなくて、患者の全身、特にいろいろな疾患をもつ高齢者に対して、有効なチーム医療を実現していくためには、コアカリという共通の基盤が必要。

○歯科医療の現場があっての歯学教育。そこをきちんと認識すべきということで、決して大学の方も認識していなかったわけではないが、組織というのはできてしまうと自己増殖するので、今改めてそれを国民目線にしようことかと思う。

○医学の方でコアカリを作った最初の動機は、専門診療の弊害。これも診療科体制の問題になってきている。学生は、先々何を専門にしようかということを入ってくるときから考えてしまう。それはまずいのではないか。第一線の現場に出ていった場合、まず最低限、重要な命にかかわるようなことは、きっちり判断できる医者、対応ができる医師が必要。そうなると、総合的な視点を持つべき。教育の観点はそこに置くべきということが最大のポイントだった。しかし、それが今度は総合医という専門医のカテゴリーの一部に入ってしまって、非常にわかりにくくなっている。そういうところを改めて、今回の医学のコアカリ改訂では、総合的な診療能力の基礎をつけるということに焦点を絞った。そうなってくると、当然、あまり細かいところにわたっては、ある程度削減していかないといけない。現場の診療科の体制と本来持つべきものとのギャップが歴然とあるのは正直認めざるを得ないので、それを埋めていくのが我々の役目ではないかと考えている。

(2)優れた歯科医師を養成する体系的な歯学教育の実施

○研究チームとしては、地域医療と在宅と摂食・嚥下は基本的にコアカリの中に入れる。但し、その入れ方の問題があり、地域医療の場合には、医と歯ではかなり違っている。

○地域医療に関しては、当然コアカリに入れるべきと思うし、在宅歯科医療についても、ここまでやれるかどうかはわからないにしても入れていただきたいが、摂食・嚥下というのは多少気になっており、全く無視して入れていいのかという気もする。

○地域医療については、19年改訂のときの医と歯の根本的な違いで、医師、歯科医師の需給の関係。地域へ行く医師が少ない。従来、僻地離島対策という形で行われてきた。僻地という言葉はよくないので、地域になったが、何となくイメージが悪い。例えば東京にも、23区以外は僻地に近いところがある。そういうところも含めて、医療に係る人的資源の格差の問題がある。そこを何とか解決しないと、本来の医療供給体制上問題があるということから、地域医療を早くの段階から学ばせることが必要。研修等も含めて、大学ではできない、より一般的な疾患を体験させる。現場での介護等も知らないといけないということで医学のコアカリに入った経緯がある。しかも、地域医療実習だけでなく、入学時当初から体験して現場でやることの重要性が、かなりの大学で行われるようになっている。やっていない大学はほとんどないと言っていいくらい。歯と違うところは、病院と協力病院という関係が少ないのではないかと思うし、そこは問題があるのではないか。

○歯科も1年間の臨床研修があり、研修医が大学の外に出ていっていることが多い。大学の中に残った人も、その多くの人が協力型として、期間は半年とか数カ月ではあるが、大学の外の診療機関で何らかの研修をするということが日本の歯科の研修制度の中に入っている。歯科の場合は、在宅等は大学のところでは知識と1回ぐらい見学するぐらいで、それさえ経験しておけば臨床研修につなげるということではないか。臨床研修では、必ず行わなければいけないとか、そういうものが入れば一番良いと思う。全国の歯科大学で、医科の地域医療臨床実習のようなことを全部実現するのは、時期尚早ではないかと思う。

○別にそれは同じでなくても構わないと思うし、医学では、研修との連動性をかなり考えていたので、そこがうまくいくといいなという観点はあった。

○摂食・嚥下については、現行の歯学コアカリに「摂食・嚥下リハビリテーションを説明できる」と記載がある。チーム歯科医療のところは、そこに在宅歯科医療を概説できるとか、そうしたことを少し入れていけばいいのではないか。

○全身的な数値とか状況を読める・読めないということを大学で教える、カリキュラムに入れる、それから摂食・嚥下なども入れてやらせるとなると、現実問題として、実際に臨床現場で全身のための検査をしたとき、その検査の評価が保険の点数にあるかというとない。現場に出て、VEだとかVFが使えないとなったとき、学生は教育を受けてきたが、歯科医師として実際に評価されなかったら、進んでいかないという気がする。

○境界領域と同じ問題がある。診療報酬上のことも考えないといけない。

○今回は、一つの学会の意見について、全部そのまま提示したものであり、これをすべての29歯科大学に入れるというのは無理。コアカリで入れると、それが現実には行われなければいけないので、教育にしても実習にしても十分考えないといけない。但し、歯学教育自体は保険の治療がどうこうということを前提に教えるわけにはいかないが、卒業した瞬間から、日本全国の歯科医師の免許を持った人間がぶち当たるので、この辺のことは教育としては意識しなければいけない。意識はするが、教育のカリキュラムをつくるのに、これは保険点数が取れないから教わらないでいいよというわけには言えないので、その辺は学問的な体系として構築した部分は学生に与えないといけないということは当然と思うが、教育、場合によっては研究まで規制してしまうというのは世界共通。但し、診療報酬の中にないから手抜きをするというわけにもいかない。ここはジレンマであるが、業界の中での話でなく、国民あっての歯科医療なので、医療制度と歯学教育といったものは、別々にあるものではないかということを共通認識として欲しい。隣接医学はかなり膨大な時間数を割きながら、ほとんど身についていないという反省の上に立って、医歯の連携を検討している。また同じ轍を踏むのかということのないよう、コアカリ改訂を検討していきたい。

(3)未来の歯科医療を拓く研究者の養成

○自分の大学の場合も、基礎系だけが研究室配属という形で5年ぐらいやっていて、基礎の先生たちが囲い込みに走る嫌いがあり、今は臨床系も含めた全教室がリサーチマインドを育てるという視点で預かっているというのが現状。確かに6年生で登院実習に入ってくると、そのマインドが歯学部の場合ほとんどなくなってしまう。

○医学部の場合は、何年か臨床を経験して、また大学院に戻るという医師が多いが、歯学の場合はほとんどない。早い時期に涵養すべきは、リサーチの楽しさ。そこから患者さんにとって、どういうものが生まれるかという素地を培うことは非常に大事。調査研究チームが調べた限りでは、全大学がされていないということであると、これも基礎系の生命科学と同様に、大学の音頭をそろえる作業としてのコアカリの在り方を考えていただきたい。

○課題探求・解決能力というのが世界的に言われ始めたのが1991年のハーバードのニューパスウェイ、問題解決型の教育を導入したとき。リサーチマインドが必要であるというのは、アメリカも認識していたが、アメリカの場合のメディカルスクール、デンタルスクールなので、日本のように研究室配属がなかなか難しく、代わりにPBLが出てきた。日本もそれをまねしたが、もともと基礎配属と言わなくても、研究室に出入りしている学生が1学年に数人はいた。それによって研究者の養成が行われてきた。しかし、だんだん基礎の研究室に来る人がいなくなって、経験的には、この20年、課題探求型と言わなくても研究室に配属したほうがずっと研究マインドが養成されるのではないかという、従来から自分たちでやってきたことを追認した傾向があるのではないか。そういう流れで、リサーチマインドが出てきたと思う。歯学の方も、そういう背景があるので、何らかの形で導入していったほうが良いと思っている。

(4)様々な社会的ニーズへの対応等

○禁煙については、医科のコアカリには、既に生活習慣のところで入っている。歯科は「C-3-2口腔疾患の予防と健康管理」のところに「主な口腔疾患(う蝕、歯周疾患、不正咬合)の予防を説明できる」とあり、括弧書きで「生活習慣病の改善指導を含む」となっているが、これを見ても禁煙指導には多分結びついていないと思う。歯科のほうが直接的には非常に害のあるものだと思うので、禁煙指導という言葉が中に入るような形で入れていただきたい。

○子供の虐待について、知識があるのとないのとでは防止できるかできないかに関わってくると思うので、小児歯科をやっている先生は、かなりここはシビアに見ていると思うし、歯科医師全体で虐待を防止するという意味では、ぜひ教育の中に入れておくべきだと思う。

○医学のコアカリの検討において、医療安全の中で、院内感染のことだけでなく、幅広く入れてほしいといった意見があった。新しい感染症というのもあるので、そういう病気にかかっている患者さんが歯科にも訪れるので、そういうとき全然わからないというわけにはいかないので、きちんと教えないといけないといったことは、歯科もできる限り取り入れたい。

○医学のコアカリでは、基礎医学的な細菌、ウイルスのこと、医療者自身が自らを守るための医療安全、さらに、院内感染は既に十分記載されているが、一体として見えない。1カ所にまとめたらいいかとなると、バランスが崩れてしまうので、非常に難しい。関連するところは別のところを参照といった、矢印で見えるようにするという工夫をしていくことが、実際上、コアカリを読んでいただく上では必要になってくるのではないか。追加していくと問題があるので、歯学の方でも、有機的に連携できるよう、まとめてと言うのは簡単だが、全体の構成上は非常に難しくなるので、知恵を絞らなきゃいけないところだと思う。

○要望等は社会的な状況も勘案して、かなり出てくると思うが、どう取り扱うかはかなり慎重に扱わないといけない。詳細にわたるようなところについて、医学では外国の例を参考にしていたが、参考資料を提示するというようなことで、さらに各大学の参考のために提示するというのが1つの方法ではないかと思う。そうしないと、どんどん厚くなるばかりであり、本来の趣旨から外れてしまうので、そういうやり方も検討に値するのではないかと思う。

○歯科教育のなかで、医学教育の充実を図るとした時、当然、基礎教育においてもこの問題を検討する必要がある。今回の委員会で、具体例として、医学モデル・コアとの比較で、感染症の項目に、新興・再興感染症や院内感染といった臨床感染症学的な内容が明確に位置付けられていないことが指摘されたが、同様の視点で、薬理系、生体材料系、病理系、形態系、機能系などでも、全身に関連した臨床的項目という視点で見直し、口腔と全身に係る項目のバランスを検討する余地が残されていると思われる。さらに、生命科学科目も統合化を進めるなかで、一般基礎医学系と歯科(口腔)基礎医学系とのバランスという視点での見直しを検討する必要がある。調査研究チームでは、このような視点で基礎系科目を検討し、総量を増やすことなく、ポリッシュする作業が必要と思われる。

3.「連絡調整委員会」(第1回・第2回)及び「専門研究委員会」(第1回~第3回)

 <ワークショップ(全体報告会の総合討論・講評)(平成22年7月28日)における関連意見を含む>

(1)モデル・コア・カリキュラムの基本理念

○統合的なモデル・コア・カリキュラムは、基礎・臨床融合的、学問分野横断的という面でシームレスな形をとるので理念的には美しいが、実際の教育現場では、オロジー派と統合派でいろいろと賛否の議論があるので、今回の見直しで調整することが必要ではないか。

○モデル・コア・カリキュラムはコアを示すのが目的であって、どういう方法をとるかは、各大学の方法論で実施すればいいのではないか。

○歯科では、できる限りオロジーより統合の方が良いといった意見が多いが、オロジーの考え方は特に基礎系の先生に多いので、その辺の意見を聞くことも必要。

○コアカリは最初に学体系で原案を作ったが膨大になり、コア・カリキュラムにならないということで約1,400項目に圧縮。その程度に濃淡があり、もう少し簡単にすべきという課題もあるが、現行のコアカリは、前文にも書いてあるが、統合型として提示し、各大学の授業科目や授業の順序を意味するものでなく、各大学の判断で実施すればよく、学習指導要領のように授業科目として設定すべきものでないことを改めて周知することは必要。

○目標だけ提示し、教育や評価の方法をきちんと提示しなくて、カリキュラムと言えるかといった意見もある。教える順番は大事だと思うが、現行のコアカリは、そういうことを何ら規定しておらず、記載された何百個の項目を卒業までにとりあえずチェックすれば良いといった形になっている。それをカリキュラムと言っていいのかといった原理的な批判もあるので、歯科と医科できちんと合わせられればとも思うが、なかなか大変ではないか。

<ワークショップの総合討論・講評における関連意見>

○コア・カリの各項目の到達度明示は、項目によって可能な場合とそうでない場合があるが、ある程度可能なものは明示が必要ではないか。

○自治医大では最初に統合科目でやったとき、基礎の先生からオロジーを教えられなくなるという疑問が出たので、総論はオロジーで、各論は統合という形を取った。

 

(2)   今回の改訂に係る検討内容

<臨床実習の系統的・体系的な充実>

○電子カルテについて、学生がアクセスできる範囲はレポートを書く担当患者さんだけか、回った診療科のカルテは指導医の許可のもとに全てアクセスできるのか。患者さんから興味本位に見られたのではと訴えられるトラブルも想定され、アクセス記録は医療情報部門で打ち出せば、学生や指導医が何を見たか、履歴はすべて明らかになる。臨床実習を強化していくとき、何らかのトラブルが起きる可能性もあるので、深刻に検討すべき。

○カルテについては、電子カルテの方が流出することが多くても、紙媒体の頃から当然あった問題であり、個人情報保護に対する担保をより一層強化していけば良いのではないか。

○臨床実習で侵襲的な医行為をどこまで許容するかは、国民の目との関係を配慮すべき。許容範囲は広げた方がいいが、社会的、法律的なサポートが必要であり、今後の重要な問題。

○歯科では、ほとんど侵襲性のある治療行為になる可能性が高く、侵襲性のある程度高いものが現行のコアカリでは水準1として、学生自らが行うべきとなっているが、患者さんの理解がなかなか得られない。また、違法性の阻却がかなり問題になってくる。一定の条件が整っていれば大丈夫と報告されているが、全国の歯科大学のコンセンサスがなかなか得られず、学生のうちから侵襲性のある治療行為を行わせることができない状況で、歯科の場合、基本的に全部見学となり、臨床技能の教育にならないのが一番の悩み。

○実際に身につく知識というのは、経験しないと獲得できない。いろいろな社会的事情はあるが、シミュレーション教育を入門的に行った段階で患者さんに接するようにするなど、学び方もいろいろ工夫されてきているので、臨床実習を推進する、学生が参加するという方向で、国民への訴えかけも含めて進めていく方向で検討すべき。

<ワークショップの総合討論・講評における関連意見>

○基本的診療能力の確実な習得には、準備教育段階、プレメディカル、入門段階、プレクリニカル、臨床実習という形の継続的な取り組みが必要。クリニカルクラークシップとしての臨床実習が一番肝ではないか。

○技術的な問題だけでなく、例えば公衆衛生学的な視点を持って地域で生活している患者さんをケアするといった、マネージメント能力をもう少し考えていかなければいけない。実際に患者さんを支援していくときの能力も基本的診療能力の中に入っていくことを少し強調したい。

○(基礎・臨床融合型の)統合教育に関して、コーディネーターのリーダーシップが大事。医学では教育専任の教員、教授のポストがほぼ全ての大学に配置されているが、歯学では、ほとんどできていない状態。そういったことも統合教育の推進に影を落としているのではないか。

○学生が自分の到達目標が非常に見えにくいというのは、統合講義のデメリットであり、歯科のグループの中には統合講義をすべて廃止したという大学もあった。基礎と臨床が有機的につながっていくという観点からの統合講義のあり方を少し考えないといけない。

○臨床実習に関しては、結局のところ、卒業時の診療能力の到達目標をどう設定するか。初期研修との整合性、その間の国家試験、それでいろいろと悩んでいる大学もあるようだが、そこら辺の設定の仕方は、各大学の取り組みではちょっと届かないところがあるのではないか。

○現行のコアカリは、策定した頃から、臨床実習のところが最大の課題。卒業時のことがやや空白になっており、重複部分もあるので、今後、その辺を詰めていく必要がある。

○大学によってスキルスラボの利用度に非常に差があるのも事実。医学教育学会などで、スキルスラボの責任者の集まりをもって、利用方法などに関するシンポジウムのようなものを開いて、ある程度統一化しないと非常に勿体ない。

○プライマリーケアの教育というのは、基本的には一次機能病院や二次機能病院でトレーニングを受けないとできない。必要なことは、診療所や二次機能病院の指導医に対するFD。また、統一的なカリキュラムを作って、それに従って教育してもらうことが必要。

○将来的には、臨床実習は限りなく現在の初期研修に近いレベルや内容に持っていくのが理想。今の医行為の範囲内でも、問診や診察手技により、臨床実習のレベルをより高くしていくことが重要。その上で、各大学で大学病院は学生を教育する施設であるというメッセージが患者さんに伝わるよう、全国的・組織的に医学教育学会などで、社会にキャンペーンすることが非常に重要。

○臨床実習に係る患者さんや家族への協力の働きかけについては、診療科、大学病院全体、地域全体、厚労省、文科省という形で働きかけていくことが、患者さん、家族の方にも理解されるのではないか。実際に学生がついたほうが患者さんは満足されるので、そういうことをほんとうに働きかけていくことが大事。

○電子カルテについては、担当患者さんだけにアクセスが許されるのか、広く指導医の許可のもとにアクセスが許可されるのか、少しあいまいになっているのではないか。指導医の許可のもと、できるだけ広く勉強することが非常に重要。実際に病棟のカンファレンスなどでは、学生の前にすべての回っている診療科の患者さんのカルテがスライドでプレゼンテーションされるので、そこら辺の現実との整合性も含め、電子カルテについては早急にいろいろなことを全国的に統一化していかなければいけない。

○電子カルテについては、できればうまく工夫して学生専用の電子カルテを作って、それを教員がチェックするといったシステムを作れば、少し負担は増えるが良いのではないか。

 

<地域医療>

○「地域の医療を担う意欲・使命感の向上」、「研究マインドの涵養」については、コアカリの各項目で整理するのは難しい。コアカリの前文にある「臨床前医学教育の内容とその在り方」といった大きな枠の中で、地域医療を担う意欲を向上させる診療所の実習、研究マインドは基礎配属とか自主研修といった事例を具体的に触れる。コアカリ本体の事項としては馴染みが薄いし、コアカリなので基本的なものに限っていくべき。

○地域医療、研究マインドに関して、コアカリ本体に書き込むのは非常に難しいので、具体的に参考となる事例を挙げていくことが一つの方法。多くの大学で実施しているので、全国共通に参考になる事例を挙げていく方法もあるのではないか。

○地域医療は、「F医学・医療と社会」と「G 臨床実習」にあるが、その記載は「保健・医療・福祉・介護」と「医療・保健・福祉・介護」となっているので整合させるべき。地域医療ということで医療が最初なので「医療・保健・福祉・介護」にした方が良いのでは。

○保健も学生は当然勉強すべきだが、普通は「保健・医療」。保健は予防的な事で、それから医療があって、その後、介護、福祉となるので、常識的には保健の次に医療ではないか。

<ワークショップの総合討論・講評における関連意見>

○地域医療を担う意欲・使命感の持たせ方については、学習方略が未知なところが多い。いろいろと工夫されている大学もあるが、地域によって自治体の姿勢、地域病院の姿勢・意識が違うので、成功例などを参考にしつつ、各大学でバラエティーに富んだ方法を考えることが必要。

○地域医療に関しては、国民が求めている医療ニーズを学生が知るチャンスが必要。大学や大学附属病院の中だけで教育をしていった場合、学生たちが実際に地域の人や市民がどういう医療ニーズを求めている、あるいは、どういった医療があるかも知らないで、プライマリーケアや地域医療を考えるように言っても無理。学生が実際の医療ニーズに触れる感覚というのは極めて重要。

○地域枠に関しては、県によっても地域枠の縛りというか、待遇もいろいろあるが、段々と女子学生が増えてくると地域に残る確率が増えてくると思われる。そういう意味では、地域枠の学生、少なくとも県に残る学生の割合は高くなってくるのではないか。

○大学附属病院が臨床実習の中心ではあるが、コミュニティーでの実習で得られるものは大学病院とは違う。コミュニティーを含めた臨床実習の場について、学生が得るアウトカムとともに考えるべき。

○海外当地での地域実習は大いにやるべき。日本の場合、留学生の行える医行為は制限されているが、アメリカだとチーフレジデントとレジデントが学生と一緒になってディスカッションするが、日本は少ない。最近は学生が症例についての臨床推論に参加できていないケースもあり大きな問題。僻地の診療だと、ドクターと患者さんとの間は非常に密接であり、地域にある、なるべくドクターの少ない診療所などに行けば、ドクターの指導を受けながら、かなり実質的なことができるのではないか。

 

<研究マインドの涵養・研究者の養成>

○医科では関連施設も多く、若い研究者を研究施設や関連病院に置いておけるが、歯科の場合、クリニックを開業してしまうことが多く、いったん開業するとなかなか大学へ戻ってこない。医学と歯学では研究者の母集団がかなり違う。歯科としては、その辺が課題。

○研究マインドは「A 基本事項」「4 課題探求・解決と学習の在り方」にほぼ相当するが、「(1)課題探求・解決能力」の一般目標のところに「能力を身につけ、研究マインドを涵養する。」と一言加えれば、キーワードは入るのではないか。

○研究マインドはAの4「課題探求・解決と学習の在り方」で対応しているが、ほとんど認識されていない。1年次から卒業時までに教育すべきと位置付けており、冒頭の基本的な資質にも医学研究の記載があり、臨床実習中でも研究マインドの涵養は必要。

○ドイツでは国家試験もあるが、それ以外に例えばテーシスを提出する制度がある。研究マインドの涵養に向けては、そうした取組を見習い、日本でも、研究したい学生を基礎配属させ、研究論文を出させ、それを評価することが有用ではないか。

○基礎配属は、コアカリ本体に入れるというより、各大学の選択制に任せるものではないか。

○リサーチマインドの涵養に当たり、単に基礎配属云々より、成果として蓄積し、目に見える形にすることが必要。論文を書かせるのは、かなり大事な視点。基礎に限らず、臨床も含めてリサーチの根底。選択制カリキュラムの中でうまく使っていけばいいのではないか。

 

<ワークショップの総合討論・講評における関連意見>

○研究マインドに関しては、入り口をつくることが非常に大事。全員必修はなかなか難しいが、そこを用意しておけば、学校によってはモチベーションを維持できると思うので、各大学において、意欲のある学生は行けるといった工夫をしてもらうのがいいのではないか。

○卒後に研究という志がある者も、歯科の場合は卒後研修が1年で終わり、大学にポストがないと開業医として就職し、全くアカデミックな環境から離れてしまうのがほとんど。入り口も大事だが、何とか大学の周辺に、研究マインドのある人を引きとめておく仕組みが必要ではないか。

○基礎医学者養成に関して、昔は基礎医学の教室に一定数の学生が入ったが、最近、ゼロになってきている。その原因は基礎医学自体にあるのではといったことを大学自体で考えていかないとならないのではないか。基礎医学でも夢があることを大学の中で表現することの方がもっと重要。昔のよき道筋はどこへ行ってしまったのかについて、少し考えた方がいいのではないか。

○慶応大学の取組(4年次に1学期間の研究室配属)、東京大学の取組(MD研究者養成プログラム)にしても、どういう結果になるか、今後、フォローアップすることが必要ではないか。

○PhDの教員が増えていることは確かだが、PhDの研究者でも、糖尿病や高血圧といった病気に関連した基礎的な研究者もいるので、そういった人を優先的にリクルートすると、PhDの先生が立派に医学部生に必要な教育をしてもらえるのではないか。

 

<医学と歯学等の連携・チーム医療>

○長寿社会に伴い、国民の健康への関心が高まり、全人的に医療を診るという意味でも、医学と歯学の連携が必要。特に歯学では、全身に及ぼす影響という面がクロースアップされ、患者のQOLの面でも大切。今回、少なくとも、全身を診るという意味での歯学、医学の共有する領域をバックグラウンドに据えるという点を共通の認識にすべき。

○病院横断的、地域横断的なチームとして、医師と歯科医師を中心として医療スタッフが機能分担、協働しながら連携するのがチーム医療。そのリーダーは、少なくとも医師だと思うが、現場という意味でチーム医療の専門家がいないのならば、医学と歯学のある大学で最初に院内横断的なチーム医療を進めてもらうべき。チーム医療と在宅高齢歯科医療をコアカリの中にもう少し濃厚にすべきだが、チーム医療は、ぜひ大学に頑張って欲しい。

○大学として、医学部と歯学部の連携による取組を積極的にやっている事例は、ほとんどないというのが現実。歯学部附属病院は診療が主なので、歯科が医科と協力して在宅で何かやるとか、そういった経験はほとんどない。東京医科歯科大でも、医科と歯科がもう少し融合したカリキュラムをつくる努力をし、学生のうちからチーム医療を経験させようとしているが、それをオープンにして他大学の参考にしてもらい、モデルになると一番良いのでは。

○チーム医療は、インター・プロフェッショナル・エデュケーションということで、いろいろな看護師等を含んだ教育という環境が考えられているので、そうしたことを盛り込んでいくべきではないか。

○歯周病については、共用試験の耳鼻咽喉・口腔系にも入っていないが、かなり現実的な話なので、今後、具体的に検討していけばいいのではないか。

○高齢者人口の増加に伴い、全身疾患のある患者の歯科治療が非常に大きな問題。既に歯学の中には隣接医学として医学の科目はあるが、不十分という声がかなり大きいので、今回の改訂においては、歯学教育における医学教育の見直しを図るべき。

○医科と歯科の連携方策が新たな視点として不十分。医科と歯科の連携がもう少し見えるように、医科・歯科のベースにできるような領域を検討していくべきではないか。

○医学の中でも、口腔等の関わりがあるが、その内容はもう少し検討すべきかもしれない。逆に歯学の方へも医学の内容を取り入れていくという形になるのではないか。

○歯科では全身疾患への関心がかなり高まっているが、医科に関しては、歯科に対しての関心が薄いのではないか。そこをもう少し高めるような方向で検討すべき。

○医科・歯科が連携して、一緒になって検討するようなことがあってもいいのではないか。

○口腔疾患の全身への影響は、必要に応じて必要なものを取り上げる形で検討すべき。

○医科と歯科の連携は、歯科との連携だけでなく、もっといろいろな医療関係の職種との共通カリキュラムという形でとらえていくべき。講義などではなく、いかに実践的にやるかについては、地域医療などに、ある程度重点をおけば、在宅医療は歯科と医科が連携してやっている最前線なので、そのような方法が一つの組み込み例になるのではないか。

○歯学では、従来、隣接医学という形で、内科学、外科学等の教育をしていたが、文字どおり隣接しているだけで、歯学の中になかなか入り込めなかったのが現状。歯学生も外科、内科学を聞いても、興味を持っていかないことも問題。歯学生に必要な内科学、医学についての趣旨がわかる内容のコアカリでないと、元の隣接医学に戻ってしまうのではないか。

 

<在宅医療(高齢社会への対応)>

○歯学で大切なのは、社会の環境変化と社会ニーズに合わせること。高齢社会になったことで、高齢歯科医療、特に在宅診療については、是非もう少し濃く進めていくべき。

○歯学の現行コアカリ上、高齢者歯科医療は非常に薄い。在宅医療は、知識だけでなく、実践も経験させる取組を行っている大学も地方を中心にあるが、コアカリに書いてないと、教えなくていい、薄くていいという考えを持つ者もいるので、是非ここは強調すべき。

<ワークショップの総合討論・講評における関連意見>

○超高齢社会での歯科医療は、時間数等がまだ少ない。講義だけでも増やしていかないといけない。実際は現場が大事。現場での臨床教育なり医療をどうやっていくかが非常に重要。医と歯と両方の面で、そういった気持ちを少し高めていくこと、特に現場の教育が必要。

○全身疾患を持った患者の口腔治療といった、医学領域の歯学領域への導入、歯学教育における医学教育を見直さないといけないところが、今回のコアカリ改訂の非常に大きな問題。

○全身がわかる歯科医師という視点で、コアカリには内科系授業科目がちりばめられている。それを少し整理統合した形で、歯学でも、内科学総論なり、しっかりした形で医学も教えるべき。

○歯学における内科、医学における口腔の取扱いは、コアカリにあまりきちんと位置付けられていない。内科の件は、医学部も時間がなく過密という状況もわかるが、サポート体制が大事。

○学生が実習で登院した時、全身管理というのは侵襲的な歯科治療を行うときの全身的な医療安全であり、その対象は大体が有病者、高齢者、障害者。その安全性となると、モニターを使って逐次監視となる。もともと口腔外科、歯科麻酔、障害者歯科、高齢者歯科、口腔顔面の痛み外来といったところは、医学的な手法が歯科医療の中に持ち込まれている。今後の高齢者医療では、歯科医師に必要な医学的なことについて、臨床に医科のサポートを得ていかないと身についたものにはならない。最近、全身状態を勘案した一口腔単位の治療といった概念で実施となっている。

○医科と歯科の連携については、コーディネーターというのが非常に重要。また、連携の例となる歯周病と一番関係するのは神経・血管障害。もしコアカリに入ってなければ、是非入れるべき。

 

<様々な社会的ニーズへの対応等>

(心の教育等)

○現行のコアカリは、後で試験できることを挙げているが、評価できることでなく、医者、医療人としての根本的な、いわばプロフェッショナリズム、「医師として求められる基本的な資質」の部分がコアカリ本体に入っていない。そのため、これをガイドに教えると一番根本的なことが抜けてしまい、試験できるような、表層的なことに教育が行ってしまう。試験できないこと、試験しにくいことでも、人間、医療人としての根本を必ず教えるということは必要で、場合によっては、コアカリに記載してもいいのではないか。

○コアカリの策定当初から、内容の全部が試験に出せるものでなく、一部には、非常に大事で理解や学修が必須だが、技能試験や選択式試験で評価できない領域もある。

○医学のコアカリの基本事項Aは極めて重要なことで、必ず教えなければならない。

○プロフェッショナリズムについては、伝え方が大事。チーム医療にしても、講義だけでなく一同に介して議論するとか、最近はIPE(インター・プロフェッショナル・エデュケーション)といった、様々な職種に携わろうという学生が一同に集まって、情報共有、ケーススタディーをする。そうしたことにどのように踏み込んでいくかを各大学で考えていくことが必要ではないか。

○カリキュラムを考えるとき「形」と「心」という二側面がある。「形」を変えても「心」を入れないと駄目で、地域医療でも、姿勢、意欲、使命感をどう育むかという「心」の問題がある。リサーチ・マインドであれば教室配属、臨床マインドであれば臨床実習の強化など、「形」を整えることも非常に重要だが、教授自身の意識改革など「形」でないところの意識改革も必要。マインド、メンタリティ、プロフェッショナリズムなどと言われるものについて、どのように「形」と「心」を調和させてカリキュラムを立てていけば良いのかは重要。

○心を入れていくというのは非常に難しく、コアカリに「心を入れていく」と記載しても心は入らず、心が入っていくような方策を幾つかとっていくことが1つの手法ではないか。

○一番問題なのは、現場で教育する指導者の気持ち。マインド育成には、大学全体として、心を入れながら教育していかないと無理。各研究室に配属し、日夜真剣に研究している先生方の姿を見て、学生がそれを心で感じるものがあって自ら変わっていく、師の背中を見て育つといったこともあるが、今の若い人達は教員側がもう少し気持ちを強く伝えないと、なかなか答えてくれない。何とかうまく実現できる方法を考えなければいけない。

○医の心、プロフェッショナリズムの教育は極めて大事だが、カリキュラムに書き切れるかどうかは冷静に考えるべき。カリキュラムに落とし込むと、評価、到達目標に達したかどうかを考えるような内容になってしまう。良い心になったかをどうやって判断するか。評価すらできないことをカリキュラムに書くと、かえってカリキュラムが空文化してしまう。コアカリでは、そういったことを前文にきちんと記載すべきで、何々ができるとかと本体には書き切れないのではないか。心の教育が一番大事なことは世界的に論をまたないが、カリキュラムというか到達目標にできるかは、別途検討が必要。

○どのようにカリキュラムに書くかというテクニカルな問題はあるが、プロフェッショナリズムという心の問題は、技術とか知識に走り過ぎというところで出てきているテーマでもあり、今回の1つの大きなテーマに据えることが必要。

○プロフェッショナリズムについて、医学では掲げる目標が既に示されているが、もう少し洗練されたものにすべき。歯学も同じようなつくりなので、十分かどうかの検討が必要。

<ワークショップの総合討論・講評における関連意見>

○プロセスで手技的なことやあいさつのことを学び、コンテンツで特に知識を習得、マインドでメンタリティとかプロフェッショナリズムを涵養するということで、この3つは非常に重要。特に病棟実習や研究室の基礎配属において、働いている臨床医や研究者の姿を見ることで、将来頑張ろうという気持ちが出てくる。そういった、人から入っていく教育が今の学生には必要。

○筆記試験はわりといいが、口頭試問はちょっと不得手、筆記試験でもマルチプルチョイスは強いけれども、筆記問題になると弱くなる、復習をすることが少なくなるとか、そういったことにも配慮した、良い意味での企画型の教育というのが求められているのではないか。

 

 (準備教育の取扱い)

○準備教育コアカリは、基礎医学系、基礎歯学系、即ち生命科学系とのバランスが課題。コアカリの基礎部分には「準備教育モデル・コア・カリキュラム参照」とあるが、6年一貫の医学・歯学部の教育体系において、教養的なものをどのように有機的に盛り込んでいくか、洗練されたものにしていくことが必要。最近、アメリカの医科大学協議会が、フューチャーフィジシャンのためのサイエンティフィックファウンデーションに関する提言をしているが、そうしたものを参考にして、コアカリの基礎部分について、もう少し洗練されたものにしていく必要があるのではないか。

 

 (医療安全・薬害関係)

○19年改訂時に基本事項Aの「医療の安全性」に薬害や医療過誤を加え、共用試験CBTを介して出題していく方向を検討しており、出題すると学生に直接内容が提示される。共用試験では基本事項Aを一番大事な位置付けにしており、十分に周知できるように努めていくことが必要。

○本当に薬害の被害者の思いが伝わらない面もあるので、できるだけ被害者の人たちの中でも生の声を一度聞くような機会も持ってもらい、いろいろな意味で被害の背景とか、そうしたものを知ってもらう形の医学教育なども是非検討すべき。

○医療安全やチーム医療は、どう具体化するか難しいが、共用試験では基本的にコアカリに記載されたものは出題していく方向にあり、そうすることで、より現実的に学生や先生方へメッセージが伝わる。

○医療安全について試験問題として出題すると、各大学の教育に反映される。自分で考えられるような問題をCBTでは今年ようやく出題したが、OSCEでも患者確認や基本事項に関しては優先してやっているので、各大学にうまくフィードバックされることを期待。

 

(男女共同参画)

○男女共同参画について、前回(H17~18年度)の協力者会議では、女性医師の増加は社会的にかなり大きな戦力になってきているので、出産・育児を終わった後、仕事へ復帰してもらうにはどうしたらいいかを議論した。コアカリには直接盛り込まれていないが、最終報告(H19.3)には、関連した議論の結果がまとめて入っている。夜勤のこととか、セミナーを医局の中で遅くやるとか議論されたが、夜間などでは参加できない者もいて、そういうところは全体として、各大学が策定する特定事業主の行動計画できちんとやらなければいけないことになっているので、そこで対応していただくことが必要。

○出産育児を終わって復帰するという表現は、医師の世界ではほとんどない。育児を終わってという長期間の休みがあってはいけない、出産は女性しかできないが育児は男性の問題でもあることについて、これからの社会、医師だけでなく、社会全体が女性の労働力を必要としている中で、医学教育の中でも是非とも再認識させるべき。

<ワークショップの総合討論・講評における関連意見>

○社会的ニーズはどんどん変化していくもの。医療安全、医療倫理、チーム医療、男女共同参画以外にも、例えばディスアビリティーを持っている人も働けるという形も、そのうち出てくる課題。もっといろいろ変化していくので、医者が医療者として働いていく環境を作っていかないとならないが、そういった点にも視点が行くと良いのではないか。

○例えば国立大学だと、医学と歯学で、ほとんどの病院が統合なり、研究科が一緒になっているが、医療安全、医療倫理、その他の社会的ニーズへの対応は、おそらく医学部と歯学部が一緒に取り組んでいるところが多い。歯学の単科となると随分意識が違うので、社会的ニーズへの対応の仕方をそろえることは、設置形態によって重要になってくる。

○日本のドクターは、コストパフォーマンスとか、コストエフェクティブネスということをほとんど考えていないといった指摘がある。こうした医療学というものについて、もう少し教える必要があるのではないか。

 

(3)今回の改訂に際しての留意点

<量的過剰状態への対応>

○現行のコアカリは、いわばチェック項目ということでは、既に十分揃っているのではないか。メソッドのようなところで、ヒアリングでの意見(薬害やチーム医療、薬剤など)のようなことをもう少し具体化し、膨らませていくという方向で考えてはどうか。

○現行のコアカリは、ぎりぎりいっぱいでカバーしており、内容を増やすことは難しい。必要なことは加えるべきだが、既に基本的なことはほとんど網羅されているのではないか。

○学生生活がかなり忙しいと言われる中、項目追加を無制限にできることはなく、スクラップ・アンド・ビルドも念頭に置くべき。現場の大学にあまり膨大なものを押しつけ、教えられないということでは、コアカリのコアという言葉が泣いてしまうのではないか。その辺はバランスのある議論をしながら、取捨選択していくことが必要。

○現行のコアカリは、情報的に非常に多い。医学領域ではヨーロッパの統合を目指したチューニング・プロジェクトがあるが、日本のコアカリに相当する領域は、卒業したときに身につけるべきコンピテンシーということで表現され、非常にすっきりしている。今回のコアカリ改訂では、要望を1つずつ加えていくと、マキシマムのカリキュラムになってしまうおそれがある。エッセンスをきちんとまとめて、時代に対応した洗練されたものにしていくのが原則ではないか。

○項目としては、現行のコアカリにかなり盛り込まれていて、何をどういうふうに伝えるかという部分が重要。項目の列挙はもう十分で、ヒアリングの内容も、文言はともかくとして、かなり盛り込まれているのではないか。

 

<卒前・卒後の一貫性>

○卒前医学教育と医師国家試験との整合性への疑義、医師国家試験で重視されているウエートとコアカリで強調されている内容とに少しディスクレパンシーがあるのではといった現場の声がある。コアカリの項目とCBTや医師国家試験との整合性が十分であるかについて検証し、コアカリの見直しにフィードバックしていくことが重要ではないか。

○卒前と卒後の接続性、連続性については、項目が重複している部分を削っていいのかという点。今のコアカリでは到達目標という形で示しているが、卒後臨床研修のガイドラインでは臨床経験ということで、同じような項目があっても、どこを目指していくかというエンドポイントの部分が違うので、項目が重複していても構わないという考えもあるし、整合性を保つべきという意見もあるので、そうした意見を踏まえて検討すべき。

○歯科の場合、歯科医師国家試験出題基準とコアカリは、ほとんど重なっている。さらに、歯科医師国家試験に共用試験CBTと同じような問題が数問出るような時代がきている。両者の基準でも重なっているものがあるので、同じような出題がされても仕方ないが、それぞれの改訂のときに歩調を合わせて直していくしか方法がないのではないか。

○19年改訂時の歯学のコアカリには「原則として歯科医師国家試験出題基準との整合性を確保しつつ」という表現があるが、実際には用語を統一し、整合性をとったような感じ。

○歯学系には、歯科医師国家試験の出題基準とコアカリ、歯学教授要綱という3つの方針があるが、ある程度の整合性がないといけないといった意見もある。実際はどれを使ってもいいが、現実には各大学ではどれも使うので、整合性を十分意識して改訂する必要がある。

 

<用語の取扱い>

○現行のコアカリには「一般目標」と「到達目標」という形で書かれているが、基本的には「一般目標」も「到達目標」であり、到達目標に「一般目標」と「行動目標」があるのではないか。臨床研修では、到達目標として「一般目標」と「行動目標」があるという形ですべてプログラムが書かれており、各学部のシラバスもそのような形をしていることが多いが、コアカリの書き方との整合性はどうなるのか。

○臨床実習では、一般目標、到達目標といった形を必ずしも示さなくても、最低限やっておいて欲しい項目が並んでいることが重要。形式的な文言にとらわれる必要はないのでは。

○実際のカリキュラムの作り方については、国際的にもいろいろ議論があり、一般目標、行動目標、個別目標といった言い方もあるが、原理的に固執すると細かな目標づくりになって、臨床医の能力、コンピテンシーと表現されることが必ずしも出てこないという面がある。

○医学教育のプロセスの考え方にGIOとSBOという用語があり、そのまま使うと非常にカリキュラムが作りにくく細かくなってしまうので、コアカリでは、より一般的な、今の言葉で言えばアウトカムというところと、到達時に何ができるというコンピテンシーをきちんと分けて記載することになった。「一般目標」はアウトカムに近いもので、「到達目標」はコンピテンシーに相当するという理解をした方が無難ではないか。

○「一般目標」、「行動目標」については、例えば「小さい目標」、「大きい目標」としても良いぐらいだが、現在、コンピテンシーを中心として、教える過程はどうであれ、卒業時の能力はどういうものかを重視するアウトカム・ベースト・エデュケーションがイギリスを初めとして主流。そうしたことを含めて考え直せばいいので、あまりGIO、SBOにとらわれる必要はない。

○実習などは基本的にアウトカムになるが、あまり言葉に拘る必要はないのではないか。

○説明できる、列挙できる、概説できるとは、どの程度ができるのか漠然としている。これはできるという必要最低限のキーワードがあれば、非常に使いやすいのではないか。

○コアカリのどこまでを各大学がやらないといけないかは大変難しい問題だが、どこまでコアカリに規定しないといけないのかという問題もある。最終的には、各大学において、授業時間との関係で決めてもらうしかない。共用試験の作問に際して、いろいろな大学の先生に、臨床実習前はこのぐらいのレベルで良いのではないかと検討してもらっているので、具体的には共用試験の内容が各大学の参考になるのではないか。

 

<周知等の工夫>

○各大学へのコアカリの周知状況が十分でない。医療関係者に周知・配付しているが、学生も教員も、意識の上において、きちんとどの程度認識されているのか疑問。どういう形で趣旨を徹底するかがかなり大事なので、今後、文科省、厚労省にも協力してもらい、周知を徹底していくことが重要。

 

(4)今回の改訂後の対応

 <評価システムの在り方(ポートフォリオなど)>

○臨床実習に関するポートフォリオ。非常に大事な定性的評価の手段。各大学では実習手帳などを作っているが、学生に活用されていないことも結構ある。卒後臨床研修とリンクさせて、学習ポートフォリオになるとかなり違ってくるのではないか。

○医学でも歯学でも、臨床技能教育は非常に重要だが、評価システムが確立していない。評価の1つとしてはAdvanced OSCEの確立が望まれる。各大学がばらばらでは困るので、標準化されたものを作ると同時に、ポートフォリオで評価するシステムをつくることは大事。

○ポートフォリオ、Advanced OSCEは極めて重要。今回の改訂に入れるのか、コアカリ改訂後、何らかのワーキングでも作ってやるのか位置付けを決めた方が良いのではないか。

○今回のコアカリ改訂と評価をどうするかについて、委託先の調査研究チームでは、時系列として、まずコアカリの改訂内容を固めて、後半で評価を検討するという形。ポートフォリオなども、コアカリ改訂後、もう少し後半で検討する予定。

○Advanced OSCE、論文提出もアイデアとして重要。6年生は研修病院の選択もあり、国家試験もあり、あまりにも過重になるおそれがあり、そうした点を含め、総合的に考えるべき。

○今回は、まず何をやらなければいけないかの課題を整理して、具体的なことは調査研究チームで検討いただき、それを踏まえた上で、今後どうするかの計画をきちんと立てた上で、順序良くやっていくことが必要。短期間に一気に全部は、とても無理ではないか。

<ワークショップの総合討論・講評における関連意見>

○イギリスの卒業試験などでは、一番の表題が「あなたは研修1年目の内科の研修医です。こういう症例が来ました。さあ、どうしますか。」といった、はっきりとしたもの。臨床研修1年目を迎えるのに、これだけの実技というか、持っていて欲しい能力が卒業試験OSCEに出ている。「あなたは研修医1年目です。さあ、どういう能力を求めますか。」ということを明確化することが、臨床実習の出口評価としては極めて重要。

 

<共用試験の取扱いなど>

○コアカリに基づいて共用試験の問題は作られているので、コアカリの内容が変わった後では共用試験の問題が変わる可能性は高いと思うが、変わるまでは現在のままとなる。

○現在でも共用試験を通ることで臨床実習に入って良いというプロセスがあるが、それをさらに社会的にはっきりと発信していくことにより、社会から見ても、共用試験を通ることで医学生が臨床実習に入って良いことがより見えるようにしていくことが重要。

○全国医学部長病院長会議では、共用試験の準国家試験化ということを考えているが、これは決して法律で縛るとか、本格的な国家試験ということではなく、各大学がかなり自主的な運用でもって学生を認定し、合格した後は臨床に入っていい、そういうことが社会に示される形を求めていきたいと考えているが、基本的診療能力の確実な習得については、今後、正に実効的に実現されていくようにすべき。

○現在、共用試験CBTが行われ知識が試験されており、その点数が各大学の学生評価という意味では非常に有効になっているが、教育の質を上げるという意味では、現場では出題問題をフィードバックすることが非常に重要。

○医も歯も共通だが、共用機構では、CBTもOSCEも全体の成績と各大学の成績を返却しており、振り返ってみて、各大学がどういうことを検討すべきかの参考になっている。一方、どういう問題を出すかは、公開問題をなるべく増やすようにしている。今後必要になってくる課題については例題を提示して、問題の公開も含めて検討している。

<ワークショップの総合討論・講評における関連意見>

○6年次の教育が疎かになっているということがあるが、国家試験とコアカリの整合性、CBTの国家試験化、卒業後の国家試験というシームレスな形で、初期研修の改善という方向に進んでいくことができれば良いのではないか。

○例えばスチューデントドクターという称号を付与するかどうかは、全国医学部長病院長会議で、ある程度オーソライズしてもらうことが必要ではないか。

○最近の国家試験は、臨床に則した内容になり非常に良くなっているが、3日間で500題というのはあまりにも多い。少し問題数を減らして、CBTから以後の問題について国家試験で問うということについて、全国医学部長病院長会議の方で提案していただければいいのではないか。

○臨床研修のマッチングについては、6年生のときにやらなくても、元々人柄とか成績はわかっているので、5年生、というか6年になる春休みぐらいに行ったほうが、6年生の臨床教育に与える影響は少なく、人間性は5年生と6年生であまり変わらないと思うので、その点を懸念する必要はあまりないのではないか。

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