西原委員提出資料

定住外国人の教育等に関する政策懇談会(第4回)のための資料 

西原鈴子

骨子

(1)   総合的言語計画の必要性:言語選択と日本語の公用語化
(2)   言語権の保障を目指す「生活者としての外国人」のための日本語学習カリキュラム
(3)   真の社会統合に向けて:新来者を受容する市民社会の態度涵養の必要性

日本国内の言語選択

 日本では「言語選択」の必要性が公の問題として論じられたことは非常に少なかったと思われる。歴史上、外国からの侵略や、大規模な民族移動による言語接触を経験してこなかった日本では、国内において複数の言語が拮抗することもなく今日に至っている。したがって、域内の共通語としてのLingua Francaが日本語であることは当然のこととして受け入れられてきた。しかし、このことは改めて考えてみる必要がある。

 ある言語がLingua Francaとなることの背景には、さまざまな要因が関係している。ごく単純には、ある言語を母語とする人口が多ければ、自然発生的にその言語が広く流通する。しかし、人口としては少数派であっても、社会経済的に力のあるグループがあれば、多数派を抑えてその少数派の言語が優勢になることがある。その他、歴史的な展開、言語インフラ(メディア、教育、情報流通、出版など)の整備状況も、Lingua Francaの決定に寄与すると言われている。 

公用語が選択されるのはなぜか

 一般的に言語共同体は、その域内において情報流通および意思疎通手段が共有されるときに社会的な統一を保つことが可能であるとされる。国家が単一の言語話者のみで形成されている場合には、言語の統一も、言語を通して国への帰属意識の涵養を図ることも容易である。しかし、現代のように地球規模で人材の移動が起こり、あらゆる種類の交流が頻繁に行われている世界において、国家が言語ひとつだけの共同体として維持されることはますます少なくなって行くのではないだろうか。一国内に複数の言語話者を含む多くの多民族・多言語国家が、複数の言語共同体の社会・経済的、民族的、宗教的要因などが錯綜し、葛藤や紛争に悩んでいる例が多くみられるが、それぞれの場合において、国内のコミュニケーション不全に関連して起こる統一の困難が原因の一部をなしている場合も多い。

 多くの多民族・多言語国家が、「公用語」を制定することによって、人為的な合意に基づく言語共同体を形成し、言語的多様性の問題に解決を見出だそうとしてきた。ある言語が選択され、公用語が法的決定に至るまでには、言語社会的側面、言語周辺的側面、言語内規範的側面の検討がなされる。言語社会的側面とは、当該の国や地域に複数の言語を母語とする グループが混在することである。言語周辺的側面とは、それぞれの言語グループの構成人数や政治・経済的パワー、メディア、教育などが拮抗しており、何らかの政治的決定がなされないと混乱が生じる という状況である。言語内規範的側面とは、言語選択に伴う言語の標準化、言語規範の統一を図る動きである。 それらの検討の結果、公用語を制定することによって社会の多様性と均一性のバランスを保つことを志向するのである。

日本の言語社会的状況

 現在の日本国内において、非母語話者が日本語を媒介として日常のコミュニケーションを行う必要がどのような状況で発生し、増減するかは、世界の動きと連動している。グローバリゼーションの時代といわれる昨今、経済活動の拡大に連動して起こる人的交流の規模拡大が、全地球的規模で人材の流れを活発にしている。その流れが日本に向かってどのように動くのかは、日本社会が必要とする人材の動向と関係する。

 人材の流れを日本に向けて誘致する原因の一つに、日本社会の少子高齢化の問題がある。日本の人口が減少に転じたと報じられ、近未来に起こる労働人口の不足を補うにはどうすればよいか、真剣に検討される時代になった。経済活動の空洞化を防ぎ、より活性化させるために、海外からの人材誘致計画がさまざまなかたちで進行している。先進分野で中核的な役割を演じる高度人材、高齢化社会で特に必要とされる介護要員、少子化に伴って必要とされる基幹産業従事者など、具体的な分野での人材獲得対策が、事態の緊急性に応じて論議されている。海外からの長期滞在型人材の誘致が進めば、それらの人々を受容する日本社会は、言語文化的背景を異にする人々と日常生活を共にする、いわゆる多文化共生時代の到来が喫緊の課題ということになる。

 日本の言語社会は、現在のところは、日本語(共通語)の母語話者が 圧倒的多数であり、ごく近い将来に、ある特定の言語の母語話者が急増して日本語母語話者と拮抗する数になるような可能性は低い。ただし、少子高齢化が進み、生産年齢人口の減少が予測されることから、21世紀の半ばまでには急速に社会の多文化化・多言語化を推進することになるだろうと予測される。特に経済界を中心として、「移民」をめぐる議論が注目を浴びている。

 日本では現在まで、日本語(共通語)を国内に通用する唯一の言語であるとする「常識」が共有され、公式な言語選択の必然性は認識されずに今日に至っている。アイヌ語の母語話者集団、また韓国・朝鮮語、中国語母語話者集団が存在したが、いずれも少数民族語として公式に認知されるには至らなかった。しかし将来、複数の言語母語話者が共存する社会が実現するようになれば、情報流通の徹底、社会の成員相互の意思疎通の正確さを保証するなどの目的に合致する域内共通語を、候補となる複数の言語の中から選び出すことが必要になるだろう。その場合、日本語を第一の域内共通語、すなわち「公用語」として選択するかどうかの議論が必然的に視野に入ってくるものと思われる。

「公用語」が選択される過程   

 ある言語が「公用語」として選択されるためには、当該の言語社会において複数の条件を満たしていることが必要である。母語話者数が多いことは有力な条件になり得る。しかし数だけが重要なのではなく、ある言語の母語話者グループが数も含めて総合的に社会を活性化する力(ethnolinguistic vitality)を持っていることが重要であるである。政治・経済・社会・文化の各側面で影響力が大きいことはそれを裏付ける効果を持つ。また、言語インフラ(メデイア・教育・ 情報流通・出版など)が整備されていることも必要条件となる。 それらの条件が、ある特定の言語に優位な位置を与えることになる。

 公用語の決定は政治的判断の結果である。近年米国において、州単位で決定に至った英語公用語化の過程を見ると、まず圧力団体からの意見が広報され、政治組織を動かし、公用語として設定する立法手続きを経て、決定されている。決定後は行政の各部分において関連する諸条例として実際に適用計画が作成されている。1980年代の経済的低迷状況下で、ヒスパニック系の移民等が英語を習得しようとせず、貧困層を形成し福祉に依存するため州の財政を圧迫するという意見や、成功したアジア系の移民が力を得て行くことへの危機感が不安や排斥意識を掻き立て、それまで圧倒的に優位であった英語を媒介とする言語社会の維持存続を希求する動きとなっていった。 言語多数派による既得権益の維持継続のために公用語化がすすめられ、一部の州で憲法違反であるとの判断が下されている一方で、2008年までに30の州で英語を公用語化する結果となっている。

 米国各州における英語公用語化の動きは、上述のように、危機意識の高まりによって大きな流れとなった例である。多言語使用が生むマイナスの面が強調され、排他的に多数派の言語使用を制度化しようとする場合、言語少数派の人々は社会参加、教育・雇用等の機会均等、政治参加などにおいて不利な条件を押し付けられることになる。一方、カナダにおける継承語教育の機会提供の例にも見られるように、公用語である英語・フランス語に加えて、移民のルーツに関わる諸言語も国の資源の一つと考え、多数の言語資源を豊かに継続することによって国の富が増すと考えることもできるのである。もし将来日本において公用語選択の機運が高まるとすれば、公用語選択が直ちにその言語の母語話者優位となる構図を作らない枠組みで議論が進められなければならないだろう。公用語を決定することは、国内に存在する複数の言語を弾圧、あるいは抹殺することを意味してはならない。公用語法令化の結果、複数の言語母語話者グループのための政策的配慮が、総合的言語計画として必然的に伴わなければならない。

 その一つが、「言語権」の保証である。言語権は、国家の言語に対する権利と自分の言語に対する権利という二つの側面を持つとされる。すなわち、公用語法制化の結果、公用語母語話者以外の人々の言語権は、自言語の保持、公用語の習得の双方向に適用されるべきものとされるのである。 したがって、公用語の習得は、公的財源を使用し、公的機関によって運営されるべき制度として確立されなければならない。 そして、付随する諸法規を含め。国の総合的実施計画として立案され、実行されるべきである。

日本の将来における言語選択と社会統合に関する言語・言語教育研究者の役割

  筆者は、言語の選択をめぐる民族的アイデンティティーやイデオロギーの葛藤が社会問題として先鋭化していない今の段階こそが、日本において公用語について活発に議論を進めるべき時であると考えている。その準備段階として、国の将来の言語使用についての確固たるヴィジョンを掲げること、国内で使用されるすべての言語を十分比較検討した上で最も合理的な言語選択をすること、ある言語が公用化されたのちに生じる公用語習得に関する言語権、および自分が母語とする言語に関する言語権の保障を管理することを目的とする「言語計画研究所」のような機関が国の機関として設立されることが先決であろう。

言語計画の設定と実行

 言語計画を策定するのは、言語計画研究者としての言語学者の役割である。言語計画研究者は、立法・行政府の政策決定に先立ち、言語計画の策定と言語規範の策定の草案を検討する職業集団となる。彼らの仕事は、各言語を媒介として存在する民族グループの政治・経済・社会的ニーズを調査すること、各民族グループのイデオロギーの発信状況と帰属意識の保持・変革の可能性について調査すること、その結果を分析し、国として行うべき言語選択を立法機関に答申することである。その言語選択を実行するに当たっては、民族グループ間の均衡が保たれ、社会的圧力に偏りが生じることなくイデオロギーの発信が保障される見通しが示されなければならない。言語選択が公正な社会統合の道具となることを最大限可能にするのが、言語研究者による研究の成果を示すものとなる。

 言語選択の結果生じ、保障されるべき言語権の保障に関しては、言語教育研究者による言語教育政策の立案がなされるはずである。この分野では、従来の学校教育型学習方法論ではない教育政策と方法論の展開が要求されるだろう。公用語だけでなく民族グループの言語も継承語として学習されることを保証するために、共通の指標として学習目標を設定する「共通参照枠 」が策定されるべきである。ヨーロッパにおけるCEFR(Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching and assessment)のように、複数の言語間で横断的に使用される習得段階の指標を立てることによって、市民としての社会参加の言語的達成尺度を設けることが可能になる。また、諸外国の言語学習と共通の達成度尺度を設けることによって、言語間移動を行う就労者が社会参加のための言語能力をどの程度持っているかを横断的に知ることも可能になる。その際必要になる能力指標は、能力記述文(can-do statements)として記述されることになるだろう。その場合の「能力」は市民生活における生活に関するコミュニケーション行動の側面から切り取られる行動能力である。それによって、学習者が「何ができるのか」、「どのくらいできるのか」が具体的なコミュニケーション行動の記述によって示されることになる。このようなCEFRの指針は、日本社会における言語計画のあり方について考える際、参考になる多くの要素を含んでいる。

「生活者としての外国人」のための日本語教育カリキュラム策定

 文化庁文化審議会の一部である国語分科会日本語教育小委員会は、2008年から「日本語教育の充実に向けた体制整備」、「関係機関の連携」および「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の内容等」を審議してきた。審議の結果として報告されているのは、以下の三つの課題である。第一に、今後日本国内で展開される、地域社会への外国人受け入れに伴う日本語教育に関して、国、都道府県、市町村が負うべき責任を明らかにするとともに、相互連携の必要性を示唆すること。第二に、生活者としての外国人に対する日本語教育の目的・目標を設定し、標準的内容についての考え方を示すこと。第三に、日本語を媒介として日常生活における意思疎通を行う際に必要な日本語コミュニケーションがどのような生活上の行為を含むのかを具体的に示すこと、である。審議の成果として特に注目に値するのは、「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の目的・目標と内容(案)」である。この表にまとめられているのは、市民生活の基礎となる生活上の行為であり、今後取り組むべき日本語教育の方向を定めるための基礎となる資料となっている。

 「生活者としての外国人」とは、日本に暮らすすべての人が持っている「生活」という側面を、社会の一員として共有する外国人という意味である。その人々が日本社会において、滞在形態の違いや滞在期間の違いを超えて、日本語を使って意思疎通を図り、生活できるようになることを目的とし、1.健康かつ安全に生活すること、2.自立した生活を送ること、3.社会の成員相互の理解を図り、社会の一員として生活を送ること、4.文化的な生活を送ること、の四つの目標を達成するために必要な日本語能力獲得のための日本語教育のあり方を検討すること、その結果を指針として示すことが、同小委員会の課題である。

 小委員会が提案するカリキュラムの基礎となる生活上の行為は、以下の10項目を大目標としている。

  1. 健康・安全に暮らすことができる。
  2. 住居を確保・維持することができる。
  3. 消費活動を行うことができる。
  4. 目的地に移動することができる。
  5. 子育て・教育を行うことができる。
  6. 働くことができる
  7. 人とかかわることができる。
  8. 社会の一員となることができる。
  9. 自身を豊かにすることができる。
  10. 情報を収集・発信することができる。

このうち、日本で生活する外国人のすべてに提供される「標準的なカリキュラム」に含まれるのは、特定の目的を持って生活する場合に必要となると想定される5,6を除いた8項目である。それぞれについて・中目標、小目標、学習項目が設定され、時間設定、活用・実践例、リソースなどと共に提案されることになっている。最終的には、カリキュラムに基づく目標達成度評価のあり方も検討されることが予定されている。

真の社会統合に欠かせないこと

 最後に、日本の言語教育文脈において特に注目されなければならないのが、日本の言語政策の歴史の中で繰り返し強化されてきた「言語内規範的側面」である。明治時代に定められた「標準語」の概念に代表される標準化の潮流は、方言を含む変種を認めない傾向、言語規範を厳しく追及し、それに合致しない側面を「乱れ」として排除する根強い傾向として継続している。具体的な問題として想定されるのが、前期の「標準的なカリキュラム」が金科玉条扱いされ、日本の教育文化の中で、移住する新来者に対する適応圧力としてはたらくことである。これからの日本において、複数文化、複数言語が真の意味で「公正な」存在価値を持つためには、言語教育関係者の継続的な啓蒙活動と実践推進が求められているのである。

 カナダの言語教育研究者J.カミンズは、公教育の中に転入してくる言語少数集団の児童生徒への周囲の取り組みが非常に重要であるとして、以下の表のようにポイントをまとめている。

 

少数派言語の子供達が能力を「強化」する場合

少数派言語の子供達が能力を「弱化」する場合

第1面
学校のカリキュラム

付加的:家庭の言語の文化が学校に取り入れられる  

削減的:家庭の言語と文化が学校から排除される

第2面
地域社会

協力的
地域社会の参加

排他的
地域社会の不参加

第3面
子供の自主性

相互作用モデルに基づくカリキュラム

伝達モデルに基づくカリキュラム

第4面
周囲の環境

擁護的な立場からの評価と診断

正当化する立場に立った診断

 経済団体連合会が2008年10月に刊行した提言「人口減少に対応した経済社会のあり方」のなかでは、欧米の移民政策が与える示唆として、新来移住者に対する受け入れ社会の価値観の非共有、閉鎖的なコミュニテイ形成による社会的不適応が顕在化する可能性に触れ、解決のための政策として、社会統合プログラムの展開を推進するべきだとしている。そのためには、移住者と配偶者、子どもへの語学学習機会、職業訓練の充実などを推進すると同時に、受容する市民社会が新来者を寛容に受け入れる社会的土壌の情勢が不可欠であると提言している。日本においても未来に対する投資としてそれらの点が重要な課題である。

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