資料5‐1 防災教育支援に関する懇談会 (第4回) 議事概要

1.日時

  平成19年6月5日(火曜日)15時30分~18時30分

2.場所

 科学技術政策研究所会議室

3.出席者

(1)委員

 林座長、今村委員、川本委員、小林委員、諏訪委員、中川委員、永山委員、福和委員

(2)外部有識者

 五島総括研究員(国立教育政策研究所)

(3)事務局

 板谷審議官、土橋課長、阿部室長 他

4.概要

冒頭

‐事務局より資料4‐1、4‐2に基づき、第3回の概要及び主な意見を説明‐

‐林座長より参考資料に基づき、防災教育のモデルについて説明‐

議題(1)防災教育支援のあり方について

‐事務局より資料4‐3に基づき説明、以下の3点について重点的に審議‐

  • 防災教育の担い手・つなぎ手の育成、確保
  • 学校・地域等の連携、協力体制のあり方
  • 防災教育への科学技術的視点の活用

1.防災教育の担い手・つなぎ手の育成、確保について

‐中川委員より、資料4‐4‐1に基づき説明、以下は主な意見‐

【五島研究官】
  • 学校が核になって地域と結びつける、今度は地域が核になって学校と結びつける。担い手やつなぎ手を上手く使うためには、そういう相互交信的なシステム作りが大切である。
【諏訪委員】
  • 教員もつなぎ手になれる。私も指導者よりつなぎ手に徹したいと思っているが、実際につなぎ手が周回軌道の隣の人を呼べば、隣の人がさらに隣の人を呼んでくれる。知らぬ間にネットワークが雪だるま式に広がっていく。
  • 教員には、もっとコーディネーターとしての働きを期待してはどうか。そうすれば、多くの人が学校へ入ってくるので、開かれた学校にもなる。一方で資金等の問題については、サポートする仕組みが必要になる。
【小林委員】
  • 学校現場に、子ども達に防災を広めたいと考え、つなぎ手の人と関わって広がりが生まれてきた。学校にやる気さえあれば、一歩踏み出せば多くの方々やすばらしい活動をされている場がある。
  • 地域も案外遠慮しているところがあり、手を貸したいのに学校は何も言ってこない、という実態がある。
【川本委員】
  • もともと能力は持っているが、まだ担い手やつなぎ手まで至っていない人が多く、彼らを育てること、活躍してもらうための場づくり、そして活動したことに対する評価がなされていない。経費やモノや科学的知見等の支援も必要である。
  • 学校を主に考えると、もっと防災教育の良さ、それは生涯学習でもあると思うが、防災教育に取り組むとこんないいことがある、というアピールをしていくためにいろんな方法を考えているところである。
【今村委員】
  • 補足であるが、担い手としては、防災士が確か1万数千人いると思う。OB会もできていて、彼らはかなり知識もあるだろうし、貢献できる場を求めているので、いい役割を果たすのではないか。
  • つなぎ手は、どこかに公民館について書かれていたと思うが、私が住んでいるところは地域の避難所でもあるコミュニティセンターに必ず人が詰めており、防災にかなり関心を持っていることもあり、彼らが小学校や地域の防災施設等で訓練をする上で役割を果たしている。
【福和委員】
  • つなぎ手はつなぎ手からは生まれず、必ず担い手から生まれてくるような気がする。担い手として活動しているうちに、これは非常に役に立つとか、相手のことを考えてやっていかなければならないと思い始めると、プロダクトアウト型ではなくマーケットイン型になるので、つながないといけないと思って相手の立場で考えるようになる。なぜマーケットインになるかというと、そこに行った時の喜びや、自分がとても役に立つという気分が、なんとなく人を駆り立て、つないでいく動きになるためで、そうした気分について書かれているといい。
  • 活動的な人は、結局は地域大好き人間や、人の役に立って誉められることが好きな人といった、ある同種の熱い人がなっている気がする。問題は、つなぐ時には熱い人が大事で、一方で冷静な人が担い手側であるという仕切り、性格別担い手、つなぎ手といったものがあるように感じている。
【永山委員】
  • 以前諏訪委員から、例えば大学入試でプラスになるとか、何らかのインセンティブがないと学校教育には広まらないという話があった。学校教育だけではなく、地域や企業での防災教育でもそうかもしれないが、防災教育に取り組むインセンティブを確保するための支援の形が考えられないか。
  • 福和委員の言われた、誉められることや人の役に立つことが好きな人や、意識として高い人だけでなく、もっと下世話なことでもやってみようと思えるような仕掛けができないか。例えばカードのポイント制や航空会社のマイレージは、航空機が好きでなくても使われている。そうしたインセンティブを与えることは地域や企業といった狭い範囲では、商店街のお買い物券や、企業ではそれがCSRになるとか、そうした視点での支援策が考えられないか。
【林座長】
  • 一般的にはトークンというが、代わりになるものとして可視化してはどうか、という意見であると理解した。
【中川委員】
  • 担い手からしかつなぎ手は生まれない、ということは少し疑問だが、性格別の担い手、つなぎ手はそのとおりかもしれない。担い手からつなぎ手を見つけ出してくることがつなぎ手には求められているのだろう。
  • 評価の話はやはり重要だと思う。地域レベルでは、これもいい、あれもいい、という何でも誉める形でいいが、やはり学習としてやっていくためにはきちんとした評価軸が必要だろう。そうすれば、学校の教員の中にもより入っていきやすくなる。
【林座長】
  • 担い手からしかつなぎ手は生まれない、担い手のままでいる人とつなぎ手まで行く人を分けるのは性格だ、というのはひとつの考え方だが、担い手はどこから生まれるのかについて言及がなかった。どこかで担い手にさせられたのか、あるいは自らなったのか、そのきっかけは何だろうか。それも性格だろうか、あるいは職務命令や神の啓示だろうか。学校の教員が皆担い手という意識を持っているわけではなく、できるだけ余計なことはしまい、避けよう逃げようという人もいる中で、やはり熱いというだけでは変わり者で終わってしまう。もう少し戦略的に熱い人間を作り、担い手にするために何が必要か。
【諏訪委員】
  • よく、あなたは何故防災教育をやっているのかと聞かれる。当校の場合は学科ができるのが先で、誰がやるのかとなったときに、学校の教員はいろいろと理由を付けてネットワークの外の方に行ってしまい、気がついたら残っていた。
  • 神戸で防災教育をやっていると、どんな震災体験を持っているのかということを聞かれるが、震災体験を持っていないと防災教育はできないのか。私の震災体験は、重くはないが軽くはない程度だが、最初に何らかの形で防災教育に関わるきっかけを与えられた、それは私の場合は環境防災科の設置であったわけだが、例えば初任研であっても、学校が指定校になったということでもいい。そのきっかけがひとつ。
  • それから、きっかけを与えられても、苦痛として仕事をこなすだけではやる気は出ないので、何らかの面白さを発見することも必要である。私はその面白さを見つけてしまったから担い手として残っており、なおかつコーディネーターにもなりたいと思っている。きっかけがないのであれば、職務命令なり何らかの形で与えてしまうことと、そこにある面白さをきちんと見せてあげること、この2つがあれば担い手は増えるのではないか。
【林座長】
  • ちなみに何が面白いか。
【諏訪委員】
  • 本来、狭いと思われている防災が、実は福祉やボランティア、環境、人としての生き方やいろんなものとつながっていくことと、学校の教員が生きている非常に狭い世界とは全く違う世界、いろんな人との出会いがあり、劇的に視野が変わるということは面白いと感じている。
【小林委員】
  • 私はやはり学校を活性化したい、そして地域も活性化したいという願いを持っている。そこで取り上げたのが学校安全教育であった。ただ、学校安全教育の中では、防災ではなく、生活安全、交通安全、災害安全という大きな柱が3つある。まずは生活安全に防犯から入っていき、今は交通安全で自転車も重点的に取り組んでいるが、人としての生き方やあり方に非常に強く関わりがあり、一番学校が大事にしている自他の生命の尊重と、どこの学校でもやっている人との関わり、社会性を育てるということが大きな柱になっている。
  • 防災をやっていく上では子ども同士の関わりも、異年齢の関わりも、地域との関わりも、交通安全以上に大事であるということを強く感じている。大変魅力的で、やり始めたら地域も喜んでくれる。地域でやっていることを学校が啓発して、地域が喜んでくれることがよかった。そして、子どもも学ぶが大人にも、高齢者にもというように学ぶ集団が大きく広がっていった、皆初めの一歩からの学びであったということが面白い。
【川本委員】
  • 三重県では防災教育推進校として県内の小中学校、県立学校を募集し、年間30校程度が手を挙げている。それに応募してくれる管理職、教員の方がやりたいからということで手を挙げてくれる場合もあるが、それを見ると学校の教員が防災に関する意識・課題を地域に持っているとか、防災の必要性を感じているか。この必要性は地域に防災上の課題があること、学校運営上の課題があること、防災教育の有効性を感じていることによる。
  • 教員にしてみれば、防災教育により子ども達が目を輝かせて学習に取り組むことができるという見通しがあるかないか、ということが強い。県内の700校くらいの学校のうち、実態として応募数は30校くらいであり、学校として担い手をもっと増やしていくことを考えると、こんな科学知見がある、こんなつなぎ手を呼べばもっと学習が広がるなど、分かりやすいパンフレットを作成して啓発したりフォーラム開催したりすれば、もっと広がると思う。
【林座長】
  • 今までの話を聞いていると、ひとつはきっかけ、もうひとつは防災教育のネタとしての良さがあり、両者が加味して広がっていく。前者については指定校やモデル校といった仕組みがあるし、後者についてはもっと積極的にPRするということになるだろうか。
  • もうひとつ気になるのは、中川委員の指導者感。私は指導者というのは存在しないか、あるいはもっとニュートラルでいいのではないかと思う。指導という行為があり、それを担う人と、担っている人達をつないでいく人達でいいのではないか。担っている人は指導者にならざるを得ない、それは職務上無理矢理というよりは、そういう行為をしていると割り切れないだろうか。指導者・担い手・つなぎ手という三者のグルーピングがされているが、二者でもいいのではないか。
【中川委員】
  • もともと指導者があったので消さなかったということに等しい。担い手は結果的になってしまったということもあると思うが、少し腰が浮いているという感がある。否応なくその立場にいる人は指導者という義務的なものとして置いてみた。実質的には担い手に入っている整理でいいと思う。
【林座長】
  • 諏訪委員の言い方を変えれば、何かきっかけが与えられてしまった中に、たまたまこのような職位にいて、やらなければならなかったという整理でいい。
【中川委員】
  • 諏訪委員のところには、いろいろと押しかけの支援がたくさんあって、その中でおいしいものから選択されたことと思うが、指導者の立場になって何かをやらなければならないときに、おいしいものを上手く使える状態があれば、そういうところにすっと変わっていけるのかなと思う。
【諏訪委員】
  • 高校の教員が期待されていると思い込んでいることは、自分の頭の中にある知識をいかに子ども達に伝えきるか、ということだけである。防災教育において科学的知見を考えたときに、私は英語の教員なので専門の方にということであれば、その意味では指導者という前の言葉で構わないと思うが、防災教育で私が強調したいのは知識の注入ではなく、生徒達が自主的・自発的に、課題解決学習的に学んでいくことで、興味・関心を持ち続けてくれる部分を学校の教員に期待しなければならない。これは教員の苦手な部分でもある。
【川本委員】
  • 指導者と支援者という立場があり、学校では従来は指導するという立場が強かったが、総合的な学習の時間では子ども達の自発的な学びを支援するという立場が広がり、一方ではそれが行き過ぎてしまい、教員は何もせずに子ども達に任せきりになってしまっているということもある。それではいけない、両方必要なのだということで、指導と支援の両方の役割が担い手には求められていると考える。
【林座長】
  • 支援という言葉、そういうアクションというか、行為としてそういうものがある。下へ向いているのが指導で、上へ向かうのが支援、という。「者」というものを人格の強いものとして見ずに、行為をする主体として見る、ということを事務局において上手く書いてほしい。
【福和委員】
  • 担い手になろうかと思っている人は多いが、少し手を出すとやけどをして引っ込んでしまうレベルの人をどうたくさん連れてくるか。一方で、そこに入るとあまりに面白く、本来自分が担わなければいけない役割があるのに、そちらで気持ちよくなりすぎてしまっている人もいる。つなぎを一生懸命やるうちにつなぎだけをやってしまい、まずい、戻って自分のところで担わなければならないという人もいる。その辺の整理をして、それぞれの雰囲気ごとに、どう役割分担ができるかという地図を、中川委員に作っていただきたい。
【中川委員】
  • 地図を作っても動的なもので、回っていると全体の重心バランスが取れると思うので、少し言葉にしづらいが、概念としてはあると思う。
【福和委員】
  • 一番活躍できる場所が担い手にはあり、そこでは喜びを感じながらやっていけると思うが、その立ち位置はそれぞれの人によって違う。皆がいい形で立ち、喜べる場所で、というような整理ができれば、担い手とつなぎ手が上手くいくような気がする。
【林座長】
  • 場や仕組みのようなものと、この分野が持っている内在的な魅力を上手く見せられること、これは連携の話とも近いので、次にいきたいと思う。

2.学校・地域等の連携、協力体制のあり方について

‐五島研究官より、資料4‐4‐2に基づき説明、以下は主な意見‐

【五島研究官】
  • 1ページの2.にある、「小学校(82パーセント)」は「小学校(74パーセント)」に訂正する。
【諏訪委員】
  • 小学校、中学校、高等学校で、地域との関わりの温度差がある。小学校は非常に地域との関わりが強く、羨ましいところではある。高校は地域と関われないという方がいるが、絶対に可能だとは言い切れないものの、やり方によっては可能である。
  • 防災での地域との関わりというと、皆、防災訓練しか考えないが、まず防災以外のいろんな面で地域と仲良くなろうと。小学校ではよくやられていると思うが、地域と顔なじみになることによって防災の話も持ち込みやすくなるのではないか。いきなり防災の話を地域に持っていくと、自治会の防災担当者との話になり、それでは防災訓練を、で終わってしまう。地域との関係を長続きさせるためには、地域の運動会や文化祭を学校でやる、教員も出て行く、演奏会をやる、そこで顔つなぎをしながら、例えば演奏会と防災の学習をくっつけて実施するとか。
  • 舞子高校の具体例では、例えば高校の付近の小学校2校区で神戸市が防災福祉コミュニティを作っているが、年に1回の防災訓練に当校の生徒を呼んでくれるので、20~30人が行く。そうすると、この若者は使える、ということを地域が理解し、次に夏祭り、盆踊りをするとなったときに、団地が高齢化でテントを張れない、そこで若い者がどんどん呼ばれる。そうすると、防災だけではなく、地域を回りながら住職の話を聞いたり、いろんなことを勉強したりするツアーを企画する、そういうところにも呼ばれる。防災で始めるきっかけだけれども、別のところに広がっていく。あるいは別のところでやっているから顔なじみになって防災につながる。
  • これはよく神戸で聞く話であるが、副産物として、学校が避難所になったときに学校の教員が避難所のルールを説明していたら、大人がそんなことできるかと文句を言う、横で子どもがあれは担任の教員だと言うと親が黙ってしまうとか、仲良くしようとか、そういったことが出てくる。防災以外で教員と地域が有機的につながるということが大事であって、それは高校でもできると思う。
【小林委員】
  • 発表いただいた資料については、避難訓練の中には火災と地震が多く、最近は防犯が2コマほど入っている。PTA・保護者の参加というのは引取りや引渡しでの参加なので、一緒に防災について考えているわけではないと思う。地域住民の参加というのは、多分住区の防災訓練や、そういった形の中での関わりなのかなと捉えた。
  • 今大切だと考えているのは、安全文化や防災に関わる文化。神経質になる必要はないが、例えば電車に乗ったらなぜ吊革を持たなければならないか、なぜ子ども達は入り口のそばではなくて、ということを当たり前のように教えていくこと。トイレに行きなさいという時に、いい、後で、ということではなく、行ける時に行っておくということが防災・減災上必要だという視点でも子どもに語りかけ、当たり前に、食べられるときはしっかり食べる、一食抜かすのはとんでもない、といったことも文化として教えていくこと、それが自助につながるのではないか。
  • 阪神・淡路大震災の映像を見ていると、子どもが重い水を運んでいたりする。あんなことは、今の子ども達は本当に手伝わない。当たり前のことを当たり前に、家庭でもやることが自らを助けることにつながる、ということを家庭にも伝えたい。
  • 継続することはとても大事である。当校の取組も3年目であるが、ひとつ進むのに1年かかったりする。継続的に実施するために学校にどのようなサポートが必要かということを考えていいただきたい。
  • 以前は学校公開日に住区の防災訓練をやっているように捉えていたが、今は防災フェスタin五本木のようなネーミングにして、講師を呼び、1時間目は講演会、2時間目は防災の授業、3時間目は隣接校選択制度の中の普通の授業をしていくと。フォーラムとまではいかないが、区の防災課に防災用品を展示してもらったりすれば、毎年位置付けられ、校長が代わってもそれは残っていく。あまり仰々しくなく、ささやかでも、それが子どもや地域に貢献できるものであれば、学校に残していく継続的な防災の仕組みをこちらが仕掛けていく必要がある。熱心な教員がいるとか、ちょっと校長が力を入れている、ではだめだろう。
【川本委員】
  • 先ほど諏訪委員から高校の話があったが、小学校は地域密着で地域の方と一緒にやればいい。高校については、先ほど諏訪委員が言われた方法もあるが、それぞれ得意分野がある。工業もあれば商業もあり、置かれた地域も違う。例えば三重県では、尾鷲高校がやるなら津波の話とか、石薬師高校ではそばに消防学校があるので、そこと連携して防災のことをやってみようとか。あと、あまり県内では聞いたことがないが、住宅の耐震をやっている高校もある。地域の方に学校に来ていただくという方法もあれば、高校生が地域に出て行くという方法もあるので、調査の趣旨は分からないが、この8パーセントが高等学校の本当の取組を反映しているかどうか。
  • 自助の19パーセントというのはあまりに低く心配になる。我々としては行政でありながら公助を当てにしないように、といっているところがあるが。
  • 地域との連携で避難所の話があるが、実際に三重県でも、避難所には指定されているが、学校の教員が主導するというより、過去の災害の経験を踏まえ、地域の方が主催で、学校は施設管理等の立場で参加する形をおすすめしている。県立高校ではあまり地域と一体化していないことがあり、ある学校は自分の学校が避難所に指定されているが、そのことを地域の方と話したことがない。一度そのような場を作って、自治会、行政にも入ってもらう取組をしたが、なかなかエネルギーのいる話ではある。ただ一定の成果は上がっており、避難所を通じて地域と学校がつながる糸口になることはある。
【今村委員】
  • 五島先生の資料の3ページの表が、現在の日本の教育の課題を物語っている。下の表の中にアジアの国が含まれていれば、確かに実体験として洪水がなかなかないのかなと思えるが、比較しているのがヨーロッパで、インフラ整備が日本並みに、あるいはそれ以上になされているので、頻度から言えば日本より低い。その中でこの負の現象を理解している、一方で日本は災害という面、負の意識が低いということに愕然とした。
  • そこでどうするかということだが、科学的な理科教育、ただ単なる現象論ではなくて、地球システムと人間の関係だと思うが、そのあたりの切り口が非常に重要だと感じた。
【福和委員】
  • おそらく今の教育では、ものづくりの学問を何も教えていない。ものをつくることが本当は社会を構成しているのに、人工物に関わる教育がほとんどないため、ものが壊れていく、ものが悪いことをするという負の面を知る機会が子ども達にはない。唯一それがあるのが技術家庭の時間であるが、その時間があまり活性化されておらず、本箱を作って、料理を作って終わってしまう。そこで野菜を作ったり、工場でものを作ったり、家の中でものを作る、あるいは家を作るというところが圧倒的に欠けている。今、科学技術振興と言いながら、科学の話と社会の話が先行していて、技術教育がなされていないことが今のようなことにつながっているのではないか。それを何とかするために、家を作る道具とか、それが壊れる過程を見せる道具とかを作ってきた。
  • 学年次に応じた社会との連携という視点をもう少し強く打ち出してもいい。幼稚園児は弱者なので、親を教育する。今の親は何も災害を経験していないので、とにかく親を徹底的に教育する。小学校低学年では、家庭の中を教育する。子どもを通じて家の中の対策を進ませる。小学校の高学年では、身近な地域を知りながら、そこに影響を与える。中学生になれば地域の祭り等にも積極的に参加できるので、地域を担う教育をする。高校生は先程来出てきているようにボランティア教育で、社会人の一員としての貢献のための教育をする。そんな風に学年別に地域との関わりを位置付けるといい。
  • 地域といっても田舎と都会では担い方が違う。都会は人を大事にして嫌な組織は排除する方が皆がついてきやすいが、田舎に行けば行くほど組織をきちんと動かすことが重要で、既存の組織の長の人にどうたきつけてやるかということで実体が動いていく一方で、都会はそれをやると一番嫌われるし、都会と田舎の類型は、防災教育における連携のあり方を考える上で意外と大事であると感じた。
【永山委員】

   学校と地域の連携は一番難しいところであり、有機的なつながりというものを考えたときに、諏訪委員の言われた日常からの付き合いの必要性は非常に腑に落ちたところではある。学校に子どもを通わせている親や、その学校の卒業生であれば、学校は地域の中で一定の存在感があるが、そうでない人は、学校は敷地は広いが何をやっているのか、誰がいるのかということが全く見えていない。学校があって何をやっているのかということが、自治会長だけではなくて、周りの地域住民がお互いの顔が見えるような形での付き合いが有機的なつながりであると思う。

【中川委員】
  • 今の話の続きであるが、学校にどこまで負担をかけるかということで、学校の教員が、例えば神戸では防災福祉コミュニティに出て行くこともある。個人的な話ではあるが妹の夫が学校の教員で、割と防災に熱心な学校にいて、一生懸命やっていたが、やる教員が限られていて負担がかかり、結局体を壊してしまうということになったこともある。なかなか難しい問題もある。
  • 逆にどうやって学校に来てもらうか、学校に来るといいことがあるように学校がつなぎ手になるというか、学校を通じて防災がいろんなところにつながっていくようにしないと、学校が出て行って営業をし始めると大変だろう。学校の現場にあるいろいろな問題を考えると難しい気もする。
    資料の3ページ目の調査には、なるほどと納得した。先程評価の話があったが、防災教育的なものが、地学や学問的なものの中に入らないと試験にはならないかも知れないが、学校教育を担う人、例えば教職員、それから行政や消防職員の試験の問題に防災の問題が入っているのか、ということをふと思った。そうしたことを防災教育において考えることで、社会的な評価軸があるのかどうかを見ていくことも大事なことだと思う。
  • 私の資料で、担い手のところに、大変大事な消防関係者等が抜けていた。かつて消防というと、その範囲がどこまで広いのかということがあった。餅は餅屋、単なる火消しや救急の人ということではなくて、もっと地域のことにも熱心になってもらい、そういう意味では学校や地域を巻き込んでいくことで、ただの狭い消防ではなく、広く関わっていけるような、担い手になってもらえるような場に変っていくことができるのかなと思っている。今でも、起震車を持ってきてもらったり、救急をやってもらっているだけだが、地域ごとの専門職でもあるわけだから、もっと幅広くやってほしいということで、学校から要望すればやってもらえるのではないか。
  • あと、国民運動の方では議論したが、いろんなところにある損保の代理店は地域のリスクマネージャーでもあるのだから、あなたの仕事のためにはいいでしょう、という形で学校の中でも使って、商売をやられては困るが、存在としてそういう人が地域にいる、ということを活かして、担い手になってもらうこともある。
【林座長】
  • それでは、次に進むことにする。前回は福和委員にものづくりの立場でお話いただいたが、今回は今村委員から科学の立場でお話いただきたい。

3.防災教育への科学技術的視点の活用

‐今村委員より、資料4‐4‐3に基づき説明、以下は主な意見‐

【川本委員】
  • 今村委員の例や、前回の福和委員の例など、いろんなところにすばらしい科学的知見がたくさんあると思うが、実際に自分がつなぎ手、コーディネーター役になってやろうと思うと、点になっているのが現状で、なかなか自分達が使えるカリキュラムやプログラムになっていない。整理してもっと一覧的にするのがいい。
  • これらの知見を学習者の立場から見たときに、例えば小学生が学ぶときにこの知見がどのように使えるのかとか、高校生ならもっと違う使い方ができるだろうとか、上手く現場や研究者の方をつなげたらと思う。
  • それから、細かいことではあるが、先程のCGのようなものを子どもに見せると、笑ってしまったり、うけてしまったりすることがある。今の子どもはゲームなどでもっと過激な映像や、ハリウッドの映画でももっとリアルな映像を見ている。やはり動画ではなくて生のがけ崩れの写真とか、そういったものの方が真剣に見たりする。できる限りリアルなものを追求することも大事かも知れない。それか、あまりお金をかけずに、実験等で具体的にやることも考えられる。
【五島研究官】
  • こういったものは世界にたくさんあると思う。ただそういうものを上手く出していない。例えば海外ではUSGSなどはものすごくいいリソースを持っている。ただ、言語の問題や、どうやって教育に活かすかというその狭間を埋めることができるのか。たとえば、ここのサイトのこのページはこの学年のこの部分にはいいとか、そういう提供の仕方がポイントだろう。
  • もうひとつは、シミュレーションと現実の映像と、簡単にできるシミュレーション実験を研究者が開発している。そういうものをセットにして出せば、先程のものづくりとも接点があるから、バランスよくやれば皆が活用しやすいのではないか。
【永山委員】
  • 今村委員が言われたように、科学というだけでカタカナがたくさんあって皆が引いてしまうというのは、そもそも理科嫌いと言われているような根底的な問題もあるので、ただ理科と科学は異なり、科学は私達に役立つものであり、必要なものであるということを理解する、科学を許容する素地を育てることが重要だということを入れていきたい。
【福和委員】
  • 科学はいつも正解を与えるような誤解があるが、科学には正解ではないものもたくさんあるという教育を科学の中でやった方がいい。分かったことだけ言う科学は嘘の科学で、分からないことだらけであるということを正直に伝えるような科学を、防災だからこそできるのではないか。分からなかったことによって救われていることはたくさんあり、分かったことだけにすると救われていないことの方が多いので、すべてが正解ではないという科学の教育の場として防災というものを、科学者側から謙虚に提供することもあると考えている。
【今村委員】
  • ちょうど資料の5ページで強調したいことである。実は進歩の担い手が生徒であったりする。
【福和委員】
  • 実は分かっていないことがたくさんあって、君達に託されている、という。
【中川委員】
  • 地震火山子どもサマースクールでは、答えられない質問が来ることが一番評価が高い。それはぜひ君が大人になって、と言うのだが、学校教育ではどうしてもカリキュラムの話が出てきて、こっちの話が含まれていないからこの話はできない、ということがあり、それをどこまで越えていいかという問題がある。
  • 丁寧に学校のカリキュラムを回すと、この話はまだしていないから、これを前提にしたこの話は実はとても分かりやすいのだが、教育課程上は難しい、ということになる。総合的な学習の時間であれば考えられると思うが、教科の中に入れるとぶつかってしまう。そうなると、とても科学の方のものの組み立て方とか、現実の話と教える流れの中でそういう風にしてあるだけの話なので、そことぶつかる。今はかなり自由になってきたとは思うが、手伝おうとしている人にとっては、学校に入っていく時に少し気になるところである。
【五島研究官】
  • 学習指導要領はミニマムスタンダードになっているので、中川委員が言われたのは発展的な学習という位置付けでやれば可能である。先程コーディネーターという話があったが、教員は決められたものだけを教えるのではなくて、それを超えた面白いものをどうやって提供していくかとか、つまり自分が学校だけで教えていたことを、外部の人を招いたり、そういうプラスアルファが教科の面でも、システムとしても求められていると思う。
【川本委員】
  • 教科の枠の中で、技術や家庭科の中で科学的知見を提供していくこと、それからある程度どこの学校でも普遍的にできるようなミニマムスタンダードというか、カリキュラム的なおすすめプランのようなもの、もうひとつは、総合的な学習の時間に、担当の教員が教えるときにこうしたものが欲しい、とつまみ食いできるようなもの、その3パターンくらいあれば、大体どこの学校でも使えるようなものになる。
【中川委員】
  • 防災教育とは少し違い、理科離れとも関わるかもしれないが、子ども達は高校生くらいになってくると、キャリアプランの話が関わってくる。大人としてこういうことが役割として成り立つ、ということを伝えてほしい。我々のサマースクールの卒業生でも、研究者と向き合うことで、こうしたことが社会として役割があるということに気がついて、それに近いところを志向していくと聞いた。学校の教員以外の人が行くというところがいい仕掛けであり、刺激になるのではと思う。
【林座長】
  • 科学の捉え方はいろいろあるが、私は人類全体でやっているアクティブラーニングだと思う。人類全体でやっているから手続も厳密だし、要は自分達が主体になって、いろいろ分からないことを論理的・合理的に整理するアクション、仕組みとしてあるはずだから、そのエッセンスを学んでもらうことが重要なのではないか。
  • それから、科学は自然科学だけではない。社会科学は本来は社会現象を科学の手法で解くためのものであって、対象は森羅万象、自然現象から社会現象まですべてあって、そこをサイエンスの方法で明らかにし、そのエンジニアリングの方法で介入していくという、その先駆的な例であり、成功例の提示であり、アプローチの誘いであり、というようなイメージがぜひ欲しい。
【中川委員】
  • こういうクロスロードのような、ある意味社会科学の成果物、これも科学の成果として使えるのではないか。
【林座長】
  • 映像を素材として使う場合、授業が45分単位であるとしたら、あれを全部見せてしまうと仕事にならないので、最大15分以内とか、あるいは5分のクリップとか、そういう必要はある。そういう中である種のメッセージがあるものがひとつの形ではないか。科学者の方に、自分は素材を提供しているという意識を持ってもらうことは、意外と重要かもしれない。
  • 先ほどの映像は、Discovery ChannelやNational Geographic Channelとは非常に違いがある。日本の場合、映像の使用にお金がかかり、サイエンスマインドを皆に広める障害となっている。一方で海外のものは、同じネタを飽きるほど、何度もリピートする。よく見ると、せいぜい17~18本くらいしかネタはないが、欲しければどこかの空港にいけば安く売っている。そういうプロダクツとしてのクオリティというものもあって、それをどのくらい皆に見せていくか。10ドルで売っていれば、そこから10秒でも15分でも、自分が使いたいところを抜くことはできる。
  • 素材だけではなかなか組み合わせることは難しい。総合的な学習の時間のネタとして使いたいと言う人がいても、それはかなり進んだ人であって、まずメッセージにすごく感動して、その中のさわりだけでも見せたい、くらいから入るとしたら、やはりいいプロダクツがたくさんあるというのは大変重要なのではないか。NHKの番組、シルクロードなどは何年か経つと売っているが、防災シリーズのようなものは日本の総力を挙げて、監修して良いものを国際的に作って、他の言語にも翻訳して、特にアジアに国には見てもらえるような試みはあってもいい。
【川本委員】
  • 教える側の理屈で作ることもあるが、子ども100人に聞きました、ではないが、総合的な学習の時間や社会教育において、100人の子どもが地震についてどんな疑問を持つか、ということを聞いてもらって、それに対して先生方の研究されている科学的な知見で回答できるようなものを考えてもらうと、もっといい。
【林座長】
  • プロダクツを作る過程の中で、カスタマー側のニーズ調査が必要であることは間違いない。

議題(2)防災教育支援において取り組むべき課題について

‐事務局より資料4‐5‐1、4‐5‐2に基づき説明‐

【林座長】

  • 資料4‐3の右側において頭出しされていたものを、具体的にはどういうものかということを説明しているのが資料4‐5‐1である。これ以外に何かあるか、あるいは記載されているものをひねるとすればどのようになるか、という点について議論をいただきたい。資料4‐3を見れば分かるように、まだ事務局でも詰めきれていない部分がある。具体的な知恵があれば、実現可能性と有効性を意識しつつ、意見をいただきたい。

【福和委員】

  • 穴空きの部分は、現場の人が主体となる仕組みでなければならないので、この5つの中であれば、モデル地域事業の中で必ずこれを作ってもらう、ということを前提にするか、あるいは文部科学省の中で、他局の方々に宿題として出せる部分があればいいと思う。
  • 提供すべき知見、体系的な実施についても、両方とも教えるべきカリキュラムをどう作っていくか、対象とすべき人をどう選別しマッピングするかということをしなければならない。にじゅうまる印のところは全て共通している問題で、防災教育の対象別教育内容を作るということにつながる。ただ、それを方策のところに書くと、文部科学省の研究開発局的にはつらい。どこかの事業の中でサンプルを作ってほしい、というモデル的にするか、別の局に宿題として投げられれば一番いい。
  • ポータルサイトについては、国民運動と連携しながら、文部科学省だけではなくオールジャパンで使えるようなものにしていただきたい。1から5の全部を有機的につなげるためには、しっかりとした事務局が必要である。継続的に続けられるような事務局機能を持てる既存財団法人を捕まえるか。ただ、お金をずっと注ぎ込み続けることが難しいので、その仕組みを入れながら、既存の団体で担えるような仕組みづくりはここで提案しなければならない。

【永山委員】

  • 何を学ぶべきなのかを最初に整理する必要があるとしたが、その対策がきちんと見えていないのかも知れないと思い、コンテストや地域フォーラムを絡めて、防災に関する、最近流行のまるまる検定というものをやっても面白い。ただ、いかに皆が受けてみたいと思えるような魅力あるものにできるか、ということは悩ましい。
  • 支援窓口は、福和委員が言われたように恒久的な窓口にしないと意味がないが、これを1箇所にするのか、各都道府県にするのか、各地域にするのか、ただそこまでやるととても続かない気がするし、曖昧さが残っているので議論が必要である。
    ポータルサイトについては、既に同じような内容を掲載しているものが行政レベル、団体レベルであるかもしれないので、そういうところとの棲み分けや、区別化というものについてもきちんと議論しなければならない。

【中川委員】

  • 資料4‐5‐1で言うと、組織を新しく作ることは難しいが、何か全体をつなぐものは必要である。福和委員は事務局と言われたが、事務局がこれをつなぐだけではなくて、ネットワークというか、有機的な人のつながりを担保する場が必要で、そういうものがフォーラムを主催したりコンテストを主催したりする形ではないか。
  • コンテストや評価等について、そのことだけを議論するチームがあって、PDCAが回るという仕組みは支援として必要である。6になるのか、3のフォーラムをイベントとして開催せずに、ネットワークや場のような形で、他のものとも関わりながら、一番緩やかな形ではそういうフォーラムがあって、そこから他のものを見ている、そんな格好だとこの中で読めるのではないか。
  • 2のモデル事業では、大学等を中心として、とされているが、私は大学ではない方がいいと思う。研究者の方も大学に縛られると自由ではなくなる部分もあり、逆に大学を離してやった方が地域を使いやすいのではないか。もちろん大学の貢献という意味ではメリットがあるが、あまりそれを押し付けても地域のニーズと合わないところがあるので、ユーザーサイドからすると、一番おいしく使いやすい格好にするモデル事業にした方がよい。
  • 防災研究成果普及事業については、実際には大学がかなり支えた部分があるが、各大学の売り込み合戦を横目で見ていたところもあって、いくつか疑問点もあったので、地域オリエンテッド、やる人オリエンテッドになって、そこからつながるような形にして、大学をいきなり持ってくるのは避けたい。
  • 先ほどのフォーラムの話の中で、検定試験は面白いと思った。防災士が1万人を超えているという話もあったが、ただあの人達が役に立つかというと、自分達は資格を持っているからと現場に来て混乱を招くことも往々にしてある。学びたいという人のそういう熱意を上手く評価してあげる仕組みがあれば流行るかも知れないし、役立ちます、と言わないまでもその知識を評価してあげることも考えられる。

【五島研究官】

  • 資料4‐3の3ページの提供すべき知見については、左の課題を考えると、シミュレーションや、優良な国内外のサイトの体系的な提供、シミュレーションとは違うものづくり的な教材の整理、そしてそういう教育を紹介するプログラムの提供もある。今村委員が言われた、地球システム的な大きいプログラムの紹介もある。それから、重複するかもしれないがそういう教員を育てるための体系的なワークショッププログラムも必要と感じた。

【諏訪委員】

  • 資料4‐5‐1を見ながら話をさせていただく。やはり当面という枕言葉がつくのかなと感じた。基本的には防災教育に取り組もうという人が腑に落ちるような防災教育の体系なり説明がないと進まない。つまり、ここにあるのは、防災教育に携わる人がいるという前提での提案であって、やらない人にどう気付かせるかということについては何ら触れられていない。
  • 林座長のモデル、社会の防災力と外力の理解、私は未だに詰まるとあれをじっと眺めるのだが、ああいうものをもとにすると、提供すべき知見は社会科学と自然科学の両方であり、それをどう具体的に並べるかということは図の一番外周の誰もやっていない。それをやることを大前提として出すべきではないか。
  • 2に「学校の教職員等を対象に、防災研究の理解を深める」とあるが、教員は研究の成果である知見をもとに教育を行うのであるから、防災教育の理解を深めるような研修が必要である。また、理解だけではだめで、理解と防災教育の実践を同時にしないと、なかなか学校の教員は入らない。実践をしながら理解が深まり、理解が深まり実践をするということがある。
  • 4のコンテストについては、現にぼうさい甲子園や防災教育チャレンジプラン等がある。表彰については2つ提案したい。ひとつは、チャレンジプランのような、表彰に至るまでの支援をきちんとやるような取組を、現にチャレンジプランがあるのであればそれを皆で応援するとか、足りないのであればもっと大きなものを作る。それから、表彰して終わりではなく、例えばぼうさい甲子園でも、表彰する、その場で発表する、しかし毎日新聞が翌日かなりの人に残ってもらってワークショップをする。それは新たなネットワークづくりであるが、表彰の後もネットワークづくりにつながるような活動を取り入れてほしい。

【小林委員】

  • 私の学校は地域ぐるみで防犯に取り組んだが、防災教育の支援モデルも地域ぐるみが大事であろうと思っている。それから、やはり大学等を中心とすることには引っかかる。地域ぐるみで取り組む中で、大学等と連携しながら、協力を得ながらというのが後ろに来る方がありがたい。
  • 担い手を育てる研修会は、実際には行われていると思うが、国でやっているものは中央研修の場が少ないし、なかなか現場の教員を出すことはできない。各地域といかなくとも、もう少し場をたくさん用意することと、参加できる職員、教員を増やし、年に1回ではなく、2回、3回と実施すれば職員も出せる。
  • 防災教育支援コンテストについては、防災教育の実践的な取組を行っている学校、「地域」と、地域を入れてほしい。
  • 科学的知見という話があったが、災害があり、科学があり、それを学ぶことによって子ども達の夢を育むという、やはり夢を育む科学なんだろうということを感じた。自然に関わる知識、社会に関わる知識と防災には非常に強いつながりがあり、系統的・意図的に、どの知識をどの学年で教えるか。自然に関わる知識、社会に関わる知識をどこで教えるか、というあたりを体系的にしておく必要がある。

【川本委員】

  • ポータルサイトは、文部科学省がこれは防災教育であるということをしっかりと示す必要があると思うが、私のイメージでは、この防災教育支援に関する懇談会として、こんなことをやってはどうかというおすすめを、イメージで伝えることができればいい。防災教育の学習指導要領みたいなものをきちんとと作ることは難しい。
  • 教科等の関連は、学校安全の冊子に既にきちんとまとめられているので、それをもう少し分かりやすくするようなものを作ってはどうか。
  • 防災教育支援地域モデル事業について、担い手とつなぎ手の方がどんどん参加できるようなスタイルにしておくと良い。ただそのためには、もう少しメニューを細分化して、地域の研究事業や大学の教材づくり事業、そんな形に分ける必要がある。
  • 防災教育支援地域フォーラムは、確かに継続して実施することも大事だが、とりあえず全国1回は、何年かの計画でやりきってしまうとか。その後の話はその時に考えることになるが、まず1回やってしまうか、東海・東南海地震等にあわせて優先度をつけることも考えられる。
  • 3と4については、開催と書いてあるが、民間活用とかNPOの協力とか、既にある団体の力を活用して事業委託等をしていくことも一つの方向ではないか。

【今村委員】

  • 1から5について、文部科学省に主体的にやっていただきたいことと、支援という2つが見えるかなと思う。2~4は地域での活動の支援なので、既存のものにいかにサポートしてあげるか、ということになる。
  • それから、教員の研修や防災教育の体系化については2に書かれているが、それを改めて6くらいに持っていって、文部科学省で主体的にやってもよい。1のポータルサイトは情報共有であるし、5の窓口は連携的な話である。文部科学省が主体的にやるべきことは1と5と6いうことになる。

【福和委員】

  • 聞いていて思うのは、研究開発局として予算要求をしていくときに、出しやすいということを頭の中に持ちながらコメントをしないと、本来の文部科学省がということを言い始めるとこれではないだろう。しかしどこかで頑張らないと防災教育は始まらない。苦し紛れに大学等を中心にしているのではないか。

【中川委員】

  • 言おうと思ったのが学協会。既にやっているところもあるので、学会とかを上手く取り込んでやればどうか。

【福和委員】

  • 誰が音頭を取るかということがあり、まとめる人を探さなければならない。
  • 現実的な文章をどう書くかは林座長の役目だと思うが、1や5ではお金は取れない。今出てきた6でも。やはり2を持ち球にしながら、上手く皆が集えるようなテーマにするにはどうすればよいかを考える必要がある。

【林座長】

  • お金がどうなるかは別にして、さっきのモデル図で言えば、一番外枠を強化する、だから各周回軌道を回っている人達を強化するという事業の立て方はある。それからもう一つは、すい星のような軌道を回っている、いわゆるつなぎ手の人達の試みを強化してあげるという、どちらかといえばそれに近い気がする。
  • 2は現場と地域の間の試みをサポートするものであるし、3は全国と地域をつなぐもの。4は逆に現場からの発信を汲み上げるようなイメージ。そういう意味で言うと、周回軌道のそれぞれを強化する、新しい担い手を作り出すような試み、それからつなぎ手をどんどん強化するような試みである。
  • そういう活動を通して、今村委員の言われた6として教えるべき中身を考えることは、教育工学的に見ていけば新しいドメインでもある。教育工学の人達が最近結構元気になっているのは、マルチメディアの教育を考えているからである。今までの教育は基本的にインストラクターと、それと対面状況の教わる子達がいて、その中でどう知識や技術や態度を伝えるかというモードだけで閉じていたが、科学技術の発展が様々なメディアを使っての教育を可能にした。即断、それが消防庁のやっているeラーニングだとは言わないが、教育のメディアの多様化ということはあり、その中でどう教育を実施していけばいいのかということが非常に難しくなってきている。特に、あまり学校では教えないが、科学技術立国を考えていくときにはいいモデルケースになるようなテーマについて、どうやって効果的な教育の仕組みをつくるか。上手くいけば、それこそ環境にも宇宙にも売れるようなパラダイムにはなり得る。
  • 要するに、マルチメディア型の効果的な教育「カリキュラム」というと昔のインストラクター中心のイメージが強いが、どうやって求められている能力を開発できるかという。そこには教育の問題も出てくるので、新しい局面がないとは思えない。それを社会運動なり国民運動なり学校での色々な活動に展開していく時に、こういう様々な試みがある。
  • 学校の種類によって地域との関わり方も違うという指摘をいただいたが、確かにそうだと思う。小林委員は知識と言われたが、学校で教えているのは知識に加え、技能、態度もある。そういう3つを教えられているとしたら、防災教育については、小学校までがあるひとつの上限ではないか。子どもは弱いというが、幼稚園でも、年少は厳しいが、年長までいけばかなりできる。一番優秀なのが彼ら、彼女らだということもある。それが段々、子ども達が成長していくに従って、自由裁量度が増えていって、教える内容が崩れていくということがある。小学校までは基本的には担任の教員が全体像を教えることができることを考えると、態度や基本技術というものはある程度小学校までで伝達していけるのではないか。知識の中でもいくつかの部分はそれでいけるし、ある程度高度なもの、例えば言語能力などはもう少し上になってくるのかもしれないが、学校種によって違うという、その分析をもう少し精緻にしてもいいのではないか。
  • 学校と地域のいろんな問題の中で、実は学校だけが悪いわけではなくて、行政にも随分悪いところはある。できないとはっきり言えばいいことをなかなか言わなかったりすることが、正しいことの伝達を妨げたりしていることは往々にしてある。ステークホルダー全体から見て、もちろん学校にも色々あるが、地域の例、行政の例ということを行政が考え直すという意味から言えば、五島先生が言われた自治会中心かPTA中心かという話では、行政の側から言えば自治会が一番楽だということがある。自分達の行政行為の末端までの伝達機関として自治会というものを持っているわけだから、非常にやりやすい。しかし、高齢者中心のセクターを対象にしている一方で、PTAはもっと若い世代の人達を相手にしているから、見ているところが実は違っていて、行政は楽だから自治会を相手にしているところが多々ある。東京であれば練馬区あたりは、一生懸命PTAの母親を掘り起こして、今は区の防災の地域防災力の主役の担い手に据えている。100を超える学校があった、それが今沸々とわき上がってきていて、自治会よりもパワフルになっている。やはり、全部学校に、とするのではなくて、学校もベストプラクティスを探さなければならないけれど、行政の側でも、あるいは地域の色々な取組の中でも探すようにしないと、この関係は非常に難しい。
  • それから、その話の中で出てくるのは継続の仕組みで、好き者だけがやっていてもいつかはくたびれてしまうということもある。やはり業務命令が出て、それで評価してもらえるようにしないと継続はできないという意味では、今回のレパートリーの中にひとつそういう楔形のことも、できるかできないかは別として、提案としてはあり得る。防災フェスタが運動会と同じくらいの位置付けになれば毎年やることになり、必ず担当の教員も決まるわけだから、研究開発局でできるかどうかは分からないが、仕掛けとしてはあってもいい。うんと科学技術的なフレーバーを付けた、科学技術フェスタとしてもいいのかもしれない。現状の案では、何となく何年か経てばみんななくなってしまうという感じがするので、継続性を意識するようなものも入れてはどうか。

議題(3)その他

‐事務局より資料4‐6及び資料4‐7に基づき説明、資料4‐6については適宜メールで意見交換するとともに、次回は、7月4日(水曜日)午後に開催することとした‐

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研究開発局地震・防災研究課

(研究開発局地震・防災研究課)