資料6-1 防災教育支援に関する懇談会(第5回)議事概要

1.日時

平成19年7月4日(水曜日)14時~17時15分

2.場所

文部科学省10F4会議室

3.出席者

(1)委員

林座長、川本委員、諏訪委員、中川委員、永山委員

(2)事務局

板谷大臣官房審議官、土橋地震・防災研究課長、渡邉防災科学技術推進室長、滝防災研究地域連携推進官、奥地震・防災研究課長補佐 他

4.概要

冒頭
-事務局より資料5-1、5-2に基づき、第4回の概要及び主な意見を説明、以下は主な意見-

【中川委員】
  冒頭に防災士という固有名詞が出たが、防災について学ぶ仕組みは地域ごと、例えば愛知や三重にもある。一定の何らかの学びはしているけれども、貢献の場を求めている人がいるので、防災士以外の人を排除しないためにも固有名詞は避けた方がよい。
   愛知県の防災リーダーの場合は、担い手になって実際に地域に行って教えている。それは彼らが自発的に行政とリーダー会を作って動いているもので、そういう取組もある。私は逆に、防災士が地域へ出て行って行うネットワーク的な取組は聞いたことがないが、色々な取組があるのであえて固有名詞は出さない方がいいかと思う。

【林座長】
 防災に関する研修を受けた人達は、のような表現か。その方がフェアだと思う。

【川本委員】
  資料5-2の1ページ目の「担い手の育成・確保」の箇所で、「子ども達の自発的な学びを支援する姿勢が強く、子ども達に任せきりになっている」とあるが、一時そういう面があったということにしておいてほしい。言いたかったのは、指導と支援の両方が必要であるということで、その引き合いの例に出したものである。

【中川委員】
  「教員の役割」のところで、こういうことを教員にお願いしたときの負担増についてどう対処するかという議論をしたと思うが、どこかに反映されているのか。

【林座長】
  前々回くらいの議論だったと思う。これはワーキングペーパーであるので、無理にここに入れなくてもいいだろう。

【板谷審議官】
  資料5-2で確認していただきたいと思っているのは、1の防災教育支援のあり方について、の小項目の順番である。(1)に防災教育の担い手・つなぎ手の育成、確保について、(2)に学校・地域等の連携、協力体制のあり方について、(3)に防災教育への科学技術的視点の活用、とあるが、(1)と(2)はこの順番でよいか。私は一番大事なのは(1)だと考えており、これはあらゆる分野で言われているように、立派なコーディネーターがいれば産学連携も進む。そこへの依存が強いのが今の日本の社会だと思う。組織間の連携よりはまずはここなのだ、ということに重点を置くという意味でよいか。

【林座長】
  実は資料5-3ではその点があまりクリアではないのだが、そういう意味の問題提起として受け止めさせていただく。本日、素案に対する意見をいただく時に、前回はこういう議論があったことを頭の整理として考えていただければと思う。


議題(1) 防災教育支援に関する懇談会 中間とりまとめ(案)について
-事務局より資料5-3、5-4のうち、以下の3項目について説明、以下は主な意見-

  • 1.はじめに
  • 2.検討の背景
  • 3.防災教育支援の基本的考え方

【林座長】
  1については、最初の○に、「防災科学技術等の最新の知見を積極的に活用すること等により、学校や地域等で行われている防災教育を支援するための方策について審議」とあるが、ここには目指すものがないような気がする。例えば社会の防災力を高めるとか、ゴールを設定して、それ目指すためのツールとして考えないといけない。
   2については、各委員の配慮、あるいは遠慮が意見として出されているが、極力反映するようにしていただきたい。その中で、特に重要なのが、諏訪委員も指摘されている社会的な要因である。
   3については、(1)に意見が集中している。中でも、川本委員が指摘されているように、防災教育と防災教育支援の定義は必要である。支援とは何かということを明確にしなければならない。

【川本委員】
  支援の必要性がどこに出てくるのかが見えにくい。本来それは、課題分析があって初めて分かるものなのではないか。
   防災教育支援の現状と課題は、その必要性や広まらないことの切迫感がもっと明確に書かれていた方がよい。今やっていることがあり、そこに横から支援することでもっとよくなる、例えばそれが担い手やつなぎ手の育成であったり、科学技術的知見の活用であったり。

【川本委員】
  机上配付資料の1ページに書かせていただいている。「防災対応能力は災害大国日本に暮らす人々の必須能力」だけれども、「広まらず深まらない防災教育」という問題がある。ここにいるメンバーは熱心な方ばかりだが、他は決してそうではない。

【林座長】
  避難訓練だけだという諏訪委員の話もある。

【川本委員】
  それから、「繰り返す災害と大きく変化する社会の中での防災教育と防災体制のあり方」、これは先ほど林座長が言われた点である。そして「これからの防災教育を考える視点」ということで、例えば担い手やつなぎ手が大事であるということを整理した上で、防災教育支援とは何をどういうふうにするのかという整理がいい。

【林座長】
  支援の中身が、戦略と具体的な方策というペアでつながっている。そういう構成はどうだろうか、という案である。非常に魅力的だと思う。

【板谷審議官】
  まさにそのとおりだと思う。基本的考え方のところを見てみると、防災教育そのものが何を目指すかということを中心に書かれていて、本来であれば、例えば1防災教育で目指す能力を育む、というサブタイトルにしても、防災教育で目指す能力を育む、2学びの動機付けを図る、そのための支援措置は、となる。そのあたりがまだ足りていない。
   まずは防災教育のあり方を書いていただいて、そこに足りない支援措置、こうあるべきである、と。私は支援措置で全てカバーできるものではないと思う。当局でできることも限られているので、ぜひともそこにメリハリを付けていただくのがいいと思う。先ほどのところで言えば、3「災害文化」を発展・浸透させる、というのはまさに防災教育の目指すところであって、そうさせるための支援措置は何か、ということになってくるのだと思う。
   防災教育そのものの話がこの懇談会の範囲を越えているとかは考える必要はなく、この懇談会でまとめて、やはり教育はこうあるべきなのですよと。そして、あるものに対して何が足りないから、支援措置としてはこうしたことをぜひやるべきではないかという整理ができればと思う。

【林座長】
  支援が求められる三側面がこの3(2)の1から3であるということ。
   3を光らせるための全体の構造はこうだ、ということをご紹介いただいたので、何を最終的なプロダクツにして、どう災害を捉えていくのか、それによって何を育むのかいうことになる。
   文言の問題だが、3の(1)に対する川本委員の意見で、重複があるから「1減災のために事前に必要な準備をする能力」としては、いうものがある。1と5が重複しているという意見があることは、災害の捉え方がはっきりしていないことの例ではないか。
   災害を知るということは大事で、私はハザードの振る舞いを知るという意味で解釈して読み飛ばしていたが、川本委員の意見を見て、そうも読めると気付いた。1から4までが一つのサイクルになって、5はそれとは別のところにある自然の振る舞いの話になり科学が自然の振る舞いしか扱わないことになってしまう。科学技術などというものはたいしたものではなく、科学技術マインドをこの問題に当てはめるとすれば、やはり1から4のところに科学的・技術的な思考が入ってほしいという思いもあるので、その辺の文言をどう整理するかが、防災観・災害観の混乱というか、明文化されていないところの表れかと思う。

【中川委員】
  はじめに、のところで考えたことだが、目的として社会の防災力の向上、社会というと平べったく見えてしまうので、もう少しローカリティを見たほうがよい。意見が出ていたが、全国といってしまうと通り一辺倒で、自分と関係ないものと捉えられるのは嫌なので、それぞれの地域で災害にも地域性はあるから、防災力という言葉を使うなら、地域性を入れておきたい。
   川本委員の提案された項目をどう入れていくかは考えられていないが、林座長の防災科学技術の今の話も踏まえて、知見を活用するというだけではなく、まだ足りない知見や、開発しなければならないこともあると思う。

【林座長】
  それは、6、7の伏線として、災害感をどう捉えるかということに抜け、漏れ、落ちが見えてきた時に、サイエンスとして頑張らなければならない、テクノロジーが要る、という主張も入ると思うので、そこを生かすための下敷きになるような災害・防災の捉え方がほしい。

【諏訪委員】
  防災で目指すものと防災教育で目指すものは微妙に違うような気がする。防災教育で目指すものがここでの議論であれば、私の意見では5ページになるが、防災教育を通じて市民が行動を起こしてくれるということ、それから災害の後で支援をしてくれるとうこと、市民が行政を刺激して安全・安心なまちづくりが加速するということ、そこまでは大体浮かぶが、教育という言葉が付いた時に、防災教育でやったことが他でも色々使えるではないかという部分が目指すものなのではないか。
   背景については、災害が多いという背景は書かれているが、外力だけに触れても、それは災害の話にならないだろう。
   それから、背景として中央防災会議が、文部科学省が、と色々書かれているが、だからどうなのだと。何かできたのかという話をしておかなければならない。わざわざここで会議をしているのは、いろんな施策をやってきたけれども、広まっていないことを押さえるべきだと思う。その上で、広まっているのは過去に災害が多発した地域だけではない。阪神・淡路大震災等は多発していない、千年や二千年に一度の話である。しかし、ああいう地域が進んでいることは押さえなければならない。

【林座長】
  最近痛い思いをしたところが頑張っていると。

【永山委員】
  「1.はじめに」のところは、何が防災教育で、何のために支援が必要なのかが非常に分かりにくい。何のための懇談会で何をまとめようとしているのかを、1に書かないと、読む気がおきないと思う。
   林座長がおっしゃった社会の防災力向上はもちろんであるし、川本委員が書かれていた減災ということ、これもつまり2つ目の災害をどう捉えるかというところに、社会的要因も含めた、この防災教育をきちんと考え学んでいれば防げる災害、減らせる災害があるということをもう少し明示してやると防災教育を支援する必要性が分かりやすくなるのではないか。
   3つ目のところでは、科学技術が防災にどう関与できるかということがこの懇談会のミッションなのだと思うが、科学技術だけではなく、枠組み的な問題、制度的な問題も防災教育支援ということで、抜け落ちては不十分なものにならないか。それにどこまで踏み込めるか、制度の問題と科学技術がどう貢献できるかという階層を考えると分かりやすくなるのではないか。

【林座長】
  社会制度も科学技術の研究の対象になるとは思う。敢えて皆さんにチャレンジしているのは、普通に、俗に使えば、自然現象のハザードの振る舞いについて理工学的に捉えていることが、ここでいう防災科学技術に基づく防災分野の最新の知見となると思う。でも、そう定義をしてしまうと、ほとんどのものはそれではおさまらないという議論になってしまい、他局に喧嘩を売っただけのようなものになってしまう。もう少し、防災科学技術というものは、一体どういうスコープのものなのかという定義も要るし、それが対象としている防災という側面の中にどういう要素が入るのか、諏訪委員はそれを、社会的な側面とか社会的な要因、と一言でまとめてくれているが、少なくともその中には、今の日本の社会で言えば、個人の力を高めることもあると思う。生きる力と言ってもいい。それから、永山委員のおっしゃった社会制度というものもあり、アメリカではポリシーメイキングをサイエンティフィックに決めていくわけである。3つ目は、災害文化という言葉とも関係するが、もっと文化的に背負ってきているものも対象にしているし、物理的に人間が作り上げた工学的な人工物も対象になる。後は、自然にある地理や地形、プレートの構造等、理学が対象としているいわゆる自然、それら全てが防災力を考えていくときの対象にすべきであるし、そこへ科学マインド、技術マインドでアプローチをしていった成果が体系的に組み上がっていくということは目指していかないといけない。それは個人が持っていなくても、社会として整備をしておかなければならないし、それを一人ひとりの個人が、生きる力ということで、自分の人生に上手く反映して取り込んでくれるような力を持ってもらうことがゴールなのだろう。それをどう表現したらいいのかということを問うているのかもしれない。

【永山委員】
  3.(2)1にあるように、「自然災害に対する正しい理解を進めるため、大学や研究機関が有する研究成果など」という枕言葉だと、一般の人が読むと、自然科学的な、理学的なものしか思い浮かべられない。林座長が言われたことを全てここから読み取ることは難しい。

【林座長】
  そこまで書いたらどうか。事務局として書くことがつらいならば、中川委員や永山委員で書いて渡せばいい。いざ自分で書くとなると、つい慣習にとらわれてしまう。

【中川委員】
  川本委員が書かれた○4つを頭に振ってあると、自然の話だけではない色々なことを考えなければならないということを意識して読んで行くので、それほど多くの言葉をここに書かなくてもいけるような気がする。○4つの中に社会の仕組みのこともあるわけだし、なぜ広まらず深まらないのかも何らかの形で書くとすれば、そこに気付いてもらうために使える今のリソースもあるし、新しいリソースを作ることも重点的に推進していくべきだということをここで言えると思う。その前振りを整理しないと、この部分だけを考えるとつらい。川本委員のこの4つの○を上手くまとめた「はじめに」があるといい。

【永山委員】
  どこまで防災科学技術が貢献できる可能性を持っているかを入れられれば。

【中川委員】
  先ほど土橋課長が言われたように、結論めいた言葉をそこに持ってくるようにすれば、我々としてはそこを目指していくと。ピュアなサイエンスだけを追っているわけではないということが分かる。

【林座長】
  防災科学技術という言葉は、防災分野で培われたとか、防災分野を扱っている科学技術、という思いで読んでもらわないと、難しいと思う。防災科学技術という固有のものがあると捉えられると、狭くなってしまう。そのことを3の基本的考え方の中に書けるかどうか。

【川本委員】
  防災に関する科学技術の現状のようなものにも触れて、理科的な科学技術もあるし社会学的なものもあり、そういうものはここまで来ているということを現状として入れられればいいのではないか。

【林座長】
  自然科学的なものと社会科学的なものが同じウエイトであるとは言わないが、なければいけないというメッセージが必要だろうと個人的には思っている。どちらが抜けているかというと、普通に考えられる防災科学技術でない部分をどう科学的・技術的に取り込めるかということが勝負であるから、そこを上手く書いてほしい。

【川本委員】
  防災に関する科学技術について現状はこうであると、そして理科的な部分は蓄積もある、社会学的な部分は端緒についたばかりで、これからもう少し研究を充実させる、だから今回は科学的な方に重点を置いて戦略としてやっていくと。後の整理も含めて考えていくといい。

【林座長】
  科学技術を考える時に、アメリカがなぜあれほど科学技術を大事にするかを考えると、彼らにしてみれば、それは必然なのだと思う。200年ちょっとしか経っていなくて、地球上のありとあらゆるところから人が入ってきて、常識というものが全くないような中でどうやって国を治めるか、2億何千万という人をある種の秩序を持って動かせるかを考えると、理にかなっているしかない。理をどう突き詰めるかというと、基本的にはサイエンスの方法を使うしかないし、それが一番合理的であるし、安いし、工学的にアプローチしていくことが、結果から言えば効果が大きい。プラグマティズムと彼らは呼んではいるけれども、要は頼るべきコンセンサスとなっているような常識がない中で、どうそれに類似したものを自分達の力で作り上げるかというときに、実は科学技術は本当の意味で活力を持ったと思う。
   それを考えれば、防災が扱っている、あるいはそこで考えなければならない対象があり、それ全部へのアプローチとして、科学技術のアプローチがあるはずであって、むしろそれが淘汰していくべきものは、ここで言ったら災害文化かもしれない。伝習的に持っているものを再吟味して、再評価して、継承すべきものとそうでないものをふるい分けるような過程が要るのかなと。防災というテーマは、学校で教科教育の中に入っていないから、それほどたくさんの時間で教えているわけではないので、見様見真似か、経験の試行錯誤か、あまり理性とか知性のフィルターを介さずにやってきている。なぜ箸を右手で持つのか、なぜ神社では手を二回たたくのか、それはそういうことになっているのだという。防災にもそういうところがあり、それは一つ一つ取り替えていくべきで、そこで科学技術というのは非常に重要なキーワードになるべきであるし、そういうマインドを持った子ども達を大人にしていくことの重要性は極めて大きいのではないか。ある種の科学技術信仰をどこまで表現できるか。お二人には表現の達人として、ぜひお願いしたい。

【中川委員】
  改変すべきものとされた災害文化について一言。多分、まだまだ探していけば社会科学的に十分捉えきれていないような面がある気がするので、今分かっているレベルで捉えなおすことと、まだもっと暗黙的なものを整理することで見えてくる、例えば日本として持っているアジア的災害文化のようなものが、世界に貢献できるものかも知れないというような視点も含めて、プラス的には持っていきたい。

【林座長】
  プラスでいい。ただ、無自覚的に捉えないでほしい。科学的・技術的な検証を経て、継承するべきものはぜひ継承してほしい。

【川本委員】
  書かせていただいた柱立ては、全てを1に入れるという趣旨ではなく、構成をこうしてはどうか、そのエッセンスが1に小さく入るという理解である。
  -事務局より資料5-3、5-4のうち、以下の2項目について説明、以下は主な意見-

  • 4.防災教育支援の現状
  • 5.防災教育支援で取り組むべき課題

【林座長】
  これについても、内容を整理すると、これを足してほしいとか、詳しく言ってほしい等で、本質的に4を攻めているのはないが、本質的に攻めるべきだと思う。なぜかというと、このタイトルを川本委員の意見によれは、これこそが「広まらず深まらない防災教育」であると思う。全国は全国のレベルで、地域は地域のレベルで、学校は学校のレベルで勝手にやっている、だけど連携が取れていない、みたいなことを実は言いたいのだろう。一歩踏み込むなら、それぞれの周回軌道の人達が勝手なことをやって、それがコーディネートされていないことを指摘してもいい。皆、割とこの部分は黙認しているが、中川委員は地域と全国の関係を問題にしているが、今の切り口ではその部分があまり出てこない。欠落しているというか、相互に補えという部分がないことについて議論できないか。
   5については、意見を集約すると、我々がこれまで議論した内容がほとんど出てこない、ということではないか。資料4-3に書かれている内容がもっと説明されてもいいセクションだと思うが、それがほとんど出てこなくて何だ、という不安感がある。キーワード的に言うと、(1)では諏訪委員の言われている内発的動機付けの概念で、面白い、役に立つと思わせないと防災教育は進まないのではないかと。防災教育支援という立場で言うと、学校は唯一無為のものと思わなくてもいい。生涯教育の文脈だとか、あるいはもっと言えば被災地教育というか。被災してしまった瞬間こそが一番学びたいタイミングだと思うから、そのタイミングで大事なことがすっと身につくようなもので考えてみると、学校はそういうものの整備をする安定的な場としての価値は高いが、それを唯一のものとして考えなくてもいい。そういう地域もあるし、企業もある。いろんな組織で考えてもいいはずだし、やはり内発的な動機付けは大変重要なコンセプトであり、どういう順番にするかという諏訪案を、納得できる形でぜひ議論したい。
   もう一つ大変重要だと思うのは、中川委員の、抜けているものを見つけ出して埋めていかなければいけないという指摘は、サイエンティフィックで非常に重要だと思う。あまり上手く表現されていないので、このあたりで語ってもいい気がする。それから、地域社会のあたりから出てくるものの中に、私は地域社会だけの問題ではないと思っているが、担い手・つなぎ手をどう位置付けるか。地域だけではなくて、全国でも担い手・つなぎ手があるし、地域でも学校でもあるし、ということを考えると、今回割と皆が一生懸命議論してきたこのことは場に規定されるものではなくて、もっと大きな存在なのだけれど、その位置付けがあまり良くないという議論が多々あったように思う。
   最後の学校でいうと、先ほどの内発的動機付けとも関係するが、それを生むのはやはり能動的学習というフレームワークであって、ここでは能動的学習をオプションの一つとして捉えているが、どちらかというと能動的学習こそが防災教育支援を進めていくために考えていくべきフレームではないかという、もう少し強い議論があったように思うので、そのあたりを議論してもらえないかというのが4、5についてのお願いである。
   もう一つだけ言うと、5については、防災教育支援で取り組むべき課題というのであれば、ここに書いてある○のタイトルを変えればいいのではないかと思う。(1)は、1散在する防災教育関連情報、2ばらばらに行われている防災教育、3報われない防災教育の取組とか。(2)は、1一部の人だけがやっている防災教育、2セクショナリズムが蔓延る防災教育、3人材不足に悩む防災教育とか。(3)は、1教師が多忙でとても手が回らない防災教育、2用意するのが大変な防災教育教材、3教え手のいない防災教育とか。そういうふうに書くと、課題というものが非常にクリアになる。川本委員が言われたように、戦略になっているというか、答えになっており、悩みの深さが見えてこないから、結局は言い方をひっくり返せば、6が生きてくるのではないか。

【諏訪委員】
  教師が多忙であるということを文部科学省が書くことに対する国民的なコンセンサスはできているのか。暇な人間が何を言っているのかと言われそうな気がする。夏休みがあるではないか、暇ではないかというのは未だに市民の間に残っている概念である。

【川本委員】
  それは先日、文部科学省が勤務時間等の調査をしたはずである。

【渡邉室長】
  教育再生会議でも言われていることであり、その点は大丈夫ではないか。

【諏訪委員】
  全体を通して、最終的な結論は見えている。科学技術の知見があってそれを使ってどう支援するかという結論があって、その割には防災教育の現状認識のあたりが深くないというか、かなり見て見ぬふりをしているというか、正直進んでいない面はあると思う。この場のような人達を集めると、ものすごく進んでいるような感じを受けるが、私は実際どこへ行っても同じ人と会うわけだから、進んでいないと言ってもいい。
   なぜ進んでいないのかを、学校に限って考えると、やはり最初は内発的動機付けに関わって、防災教育そのものの必要性とか、面白さとか、そうしたものに気付いていない人が圧倒的多数である。そうした人に、どんな科学的知見を持ってこようが、どんな教訓を語ろうが、何も聞いてくれないという現実をどうするか。次に、必要だと思っていてもなかなか取りかかれない多忙な人がある。授業時間数のこととか進路のこと理由に、理由は本音なのか言い逃れなのかは別として、取りかかっていない人達。それから、同じように防災教育が必要だといいながら、かかっていないもう一つの人達として、本当にやりたいけれどもやり方が分からないと。これは正直なところだと思う。私もこの仕事をする前は防災そのものが分からなくて真っ白だったから。4番目には、実際に防災教育をやり出した、しかしどんな教材を使ったらよいのかが分からない、面白い教材がなかなか見つからない、担い手も見つからない、つなぎ手も見つからない。最後に、川本委員のように防災教育にいきいきと取り組んで成果を上げている人達がある。
   大事なのは、3番目から5番目くらい、やりだしたけれども教材がなくて困っているとか、教材がほしいとか、あるいはいきいきと進めている人達を支援し、ブラッシュアップしていくことで、最終的にはその人達が作り上げた成果が、最初の1番目から2番目の気付いていない人やかかれない人に刺激を与えて、この人達が防災教育に頑張るという形にならないと、いわゆる広がりというものはないと思う。川本委員の言葉では広まらず深まらずだと思うが、私は広まりを2つとっていて、地域で広がるとかあちこちで防災教育が広がるというのが一つと、防災教育に対して教師が持っている狭い見方ではなくて、もっと全人教育という部分もあるという意味での広まりにつながっていくような気がする。したがって、現状をもう少しシビアに書いてもいいかなと。そうすれば対応策が見えてくる。

【永山委員】
  そうすると、現状がシビアで、勝手にやられてコーディネートされていない、そして課題のところでもどの施策も足りないと書くのであれば、4と5を分ける意味が分からなくて、現状と課題にして1項目にして、ネットワークの不在やコーディネートの不在をまず置いておいて、それから全国でも上手くいっていないし、地域でも学校でも取り組まれていないしという並べ方にした方がクリアではないかと思うが。重ねて同じことを書くことにならないか。

【川本委員】
  元々、4と5は一つだった。ここは、防災教育「支援」の現状となっているが、防災教育の現状があって課題、という流れかなと思っている。支援の現状を見ていても、後半に行けば行くほど防災教育の現状になっている。

【諏訪委員】
  支援の現状を言う前に、防災教育の現状をしっかり押さえる。

【川本委員】
  その中で、こういう支援は行われている、こういう支援は足りないとか。

【林座長】
  もっと言えば、5と4を入れ替えてもいい。5を全部ネガティブに書いて、でも一応放置されているわけではなく、このくらいの取組はあります、でもこれで有効でしょうかというニュアンスにすれば、まだまだ必要だ、みたいな。先ほどは冗談半分で全部ひっくり返してみたが、それはわかり易い。

【中川委員】
  ずっと議論しているから、何が足りないかが私達は分かってしまって読んでいるが、初見では多分分からない。ここに書いていない部分を本当は読んでほしいのだけれども、それは言葉の端々で読み込めなくはないけれども、それは知っていないと読み込めないので、全部ひっくり返すくらいのことが必要なのではないかと。なぜこの懇談会があるのかということも含めて、それくらいでいいと思った。

【永山委員】
  林座長のボキャブラリーで思い出したが、生涯教育という単語がどこにもないなと。地域がかぶってしまっていると思うが。やはり学校教育と生涯教育という方が一般の人には分かり易いのではないか。場の方から見るか、機会・チャンスとして見るか、どちらが分かり易いのだろうかと思ったが。生涯教育の中でもこれに取り組んでいかなければならないということがどこかにあった方がよい。

【諏訪委員】
  初回で、科学技術がどんどん進展していくから、生涯教育の能力を持っていないとついていけないということは少しだけ指摘した。

【中川委員】
  生涯教育という言葉が概念的に少し狭いような気がするが。何でも生涯教育に入れてしまっていいのだろうか。

【川本委員】
  学校教育も含めて全部が生涯教育という整理ではなかったか。

【渡邉室長】
  生涯学習と言っているが、要するに生まれてから墓場まで学習しましょうということなので、その意味は存外に広いのだが、皆は学校が中心で、学習の残りの部分だと思っている。しかしそうではなくて、学校も含めて、一生涯を通じて勉強しましょうということなので、非常に広い概念である。

【諏訪委員】
  私のイメージでは、そういう幅広い生涯学習と、もう一つは生涯学習の手法を身に付けて、将来ぶつかる課題を自分の力で解決する、つまり課題解決学習に近い生涯学習、防災教育はどちらかというとこちらに近い気がする。あちこちで防災教育をやっていますという現場的なものだけではなくて、一人ひとりの、個々の課題解決能力を上げるという意味での生涯学習として。

【林座長】
  生きる力。

【中川委員】
  子ども達だけに対する生きる力ではなくて、大人にも生きる力を、そして地域社会のようなまとまりも生きていく力であるような気がする。そこが、課題解決の糸口を得られるところであると思う。

【林座長】
  学習機会として、人生のライフステージのどこで学ぶかという意味の生涯学習ではなく、生涯を通して問題解決能力や学習能力を高める。

【中川委員】
  それが川本委員の意見にあるように、必須能力であるということ。

【林座長】
  あえて反論すると、それが必須能力であるという認識が成立しているかどうかは分からない。なぜなら、こんなに常識がたくさんあって伝統的な国というのは、昔やっていたとおりにやればそれでいい、ということもたくさんある。

【中川委員】
  災害の頻度とそういうものが全然つながっていないとか。

【林座長】
  それはそうであるが、もう一つ社会状況の変化の要素を入れると、社会が非常に早いスピードで変化をしていく中で、たえず学ばなかったら自分達の適応パターンというのが使えなくなる、そこの部分を強調していくと、生涯にわたって新しい能力を学習する要求は極めて高くなっているという言い方はあってもいい。

【中川委員】
  それは私の言うところの、サイエンスとして常に必要なものを作り出す、そういう努力は重ねていかないと。

【林座長】
  サイエンスで変わるというより、テクノロジーで変わる。そこの変化がライフスタイルを変える。それについていかないと淘汰されてしまう時代になっている。そこの形を書く必要はある。
   さて、色々と意見は出たが、4と5を入れ替え、5をネガティブに書いて、ということもできるではないかと。それでも正直、つなぎ手・担い手や、内発的動機付けや、あるいは積極的学習といったような、これまでこの懇談会で繰り返し主張されてきた方向性を導入するところにはなっていない。それが6に導入されているかというとそうではなく、今のこういった問題を解いていくための武器、アプローチとして、つなぎ手、担い手がどの場にも要るということと、学習そのものは内発化させないと生涯にわたって学習していくことは難しいし、受身だけの学習で何でもできるというのは学校だけみたいなものであるから。能動的学習のフレームの中で色々なものを整備しなければならないという方向性は、どこかで求める必要がある。

【川本委員】
  現状と課題において、出来ていることと出来ていないことをはっきり書いておいて、それが大事だということを後につなげていくようにしないと、書く場所が難しいのかなという気はする。

【中川委員】
  ただこういう例がある、という書き方をするだけではなく、この例から何が読めるか、ぐるぐるモデルの例であるとか、能動的学習の上手く生きている例であるとかの形で評価し、支援の現状としてここまで来ているものもある、と。それをもっと広めていったり、深めていったりするために、さらに色々なことに我々としてカードを切っていけるのかということが6につながる。

【諏訪委員】
  6、7へのつながりが急転直下という気がする。そこに至るまでの教育改革的な捉え方も入っていい。ただそれを一番に入れてしまうと、最近やっとこの懇談会の意図が分かってきたので、最終的には科学技術の話になると思うが。
   4と5を入れ替えるという話は面白い。案外、我々も何もできていないとばかり言うがそうではなくて、実際にやっていることを堂々と書きやすくなる。課題があって大変だがここでこんなことはやっている、これは一つの成功例である、と。それを引き伸ばしていって、科学技術のところに持っていけるような気がする。

【林座長】
  前後を入れ替えるのは比較的気に入ってもらえたと思う。では、諏訪委員のおっしゃるようにサマリーをつけろと。川本委員はそれはなかなか難しいということだが、4と5についてぐるぐるモデルに戻って言うと、教育の場の議論と、教育のプロセスに関わる議論がある。それがこの4と5の中には混在している。4は明らかに場の議論が多い。5は場に分けて、逆に4で使った場のフレームにこだわっているけれども、いざ教えるようになったらという教育のプロセスになっている。そういう意味では諏訪委員の意見はなかなか面白いと思い、ネガティブシリーズでいくと、1そんなものは必要ないと思っている人達、2忙しくてできないと言っている人達、3やり方が分からない人達、4孤立している人達、5いきいきと実践している人達、という5つの段階があるという捉え方はある。5部分を教えるというプロセスとして考えた時に、必要性がないと思っている人もいれば、忙しくてできない人もいるし、やり方が分からない人もいるし、やっていて一人だけで孤立している人もいるし、それからすごくモデルになるような人もいる、というような仕切にすると、4と5を「場と人」という2つで現状と課題を整理し、6で3つくらいに方向性をまとめるということは考えられる。

【中川委員】
  今の話を聞いていてなるほどと思ったのは、必要でないと思っている人にはどういう支援が有効であるとか、それぞれの考え方ごとにこんな支援をすれば次のステージに行ってもらえるとか、そういうことが考えられるとすると、支援の持っていき方、例えば気付きのためのツールとしてはこんなもの、とか、実践のためのツールとしてはこんなもの、とか、そこにまだ何が必要かとかいうことが見えてくる。
   ただ、5のところをマイナスフレーズでいくのは面白いが、それは前に向いて動いてもらいたい、内在的にはもう一歩進んでもらいたい人なので、表現はマイナスではなく、「ここにまだとどまっている人達」とか、そういうことかなと。

【林座長】
  いいのではないか。必要性の認識が必要な人達、忙しさを調整すべき人達、やり方を分かりたいと思っている人達、仲間を増やしたいと思っている人達、とか。

【川本委員】
  諏訪委員の急転直下であるという話と、中川委員の今の話を聞いて思ったが、6の戦略が既に事業のようになってしまっていて、中川委員が今おっしゃった方々に対してこういうことをします、という戦略があって、それに対して具体的な方策としてこんなことをします、という間のつなぎがなくて進んでいる感じがする。

【諏訪委員】
  要は、頑張っているけど孤立している人といきいきとしている人に、こういう知見をしっかりと使ってもらって、それは実は気付いていない人に対する気付きの提案になるとか、言い訳をしている人へのお仕置きになるとか、そういうところに返ってくる。それをなしに、皆がこの知見を使えと言われたら、多くの人は使えない。

【林座長】
  もっと言えば、いきいきと実践している人は、つなぎ手であり、孤立している人は担い手。その下に蜘蛛の糸のようにぶら下がっている人がいて、やり方が分からないとか忙しいとか必要はないとか言う人がいる。いきいきと実践している人の成果をもっと発信できるように、あるいはつながる場を提供してあげると、孤立している人達が仲間を持てるようになる。

【中川委員】
  それは7の具体的方策とかなりつながることはつながると思う。7の具体的方策はそれほど違和感がないのは、皆がそれぞれ、それなりに何かが得られるであろうと思うところがあるから。ただ、7がどうしてそうなのかということがそれほど理由づけられていないから、という感じがする。

【土橋課長】
  最後の7は、書き方としてはもう少しふわっと書いて、予算の要求は予算の要求としてやればいいので、予算の項目を中間とりまとめでオーソライズしてもらわないと困るということではない。それは書き方の工夫で、あまり露骨に出てしまうと格調が低くなり、何のためにこれをやったんだ、結論ありきではないかということになってしまうので、7は具体的方策の視点、考え方くらいでもいいと思うので、工夫の余地はある。

【中川委員】
  7については、委員の意見もあまり出ていない。それなりに皆さんは、これが上手く転がれば面白いものになるという感じはしていると思うが。

【土橋課長】
  その前提の方が報告書としては大事である。

【林座長】
  その意味ではやはり、4と5をどうまとめるかということで、今のニュアンスで言えば、ここの5は人にフォーカスして、あるいは防災教育の中で生じる様々な問題点、そしてそれをどうやって乗り越えるかに置き換えると、諏訪委員の言われた5つのタイプの人に分けられる。今は場で整理されているが、これをやめて人で整理し、いきいきとやっている人は今のベストプラクティスだと位置付けて、そういう人達のものをどう広めるか、その広める仕掛けも作らなければいけないという。
   4の方については、ぜひ場にしておいて、一応皆そこそこやっているが、連携がないということを、上手く結論として置き、4と5の現状と課題を踏まえれば先ほどの内発性とつなぎ手・担い手の整理、能動的学習みたいなのある種の方向性を出せるのではないか。

【永山委員】
  4や今度の新しい5になるところで、ネットワークがないということがつまりつなぎ手・担い手の確保の必要性につながり、あと能動的学習の機会が乏しいことにつながる、ということか。

【林座長】
  今の4と5では、同じようなことが2回出てくるような気がするから、人で分けるともう少しいい。そうすると、その中のパラグラフでもって学校で、地域で、ということになるかもしれない。
   そっちをやっておいてから、全国、地域、学校での取組とした方が、少しはやっているということが分かる。

【中川委員】
  前段でもあったが、防災科学技術そのものの現状と課題のところでいうと、全国・地域・学校と、防災科学技術でできていること、届いていること・届いていないことが、現状の中にあってもいい。これからどう支援するのか、何が戦略として必要かを考えるために踏まえておかなければならない。それはここでいいだろうか。

【林座長】
  場として見ていった中でやってはどうか。全国、地域、学校という3つの場を作ってあるのなら、全国の中に防災科学技術の生産者の人達コミュニティも入れてしまってもいい。

【中川委員】
  確かに、民間企業等というところでもう少しどういう書き方をするか、そこの部分が一番、支援をどうするかという課題であるとすると、少しきちんと書かないといけない。
   おそらく4と5をひっくり返し、防災教育が体系化されていないということを言うことになると思う。体系化がどのレベルなのかということもコメントとして付いているが、現状としてどこまで体系化できるのか、現状にあるものをどこまで体系化していいのか、それは少し気になるところではある。

【川本委員】
  住民が少なくとも身につけておくべきものはこれくらいだ、ということがあって、それを身につけるために何をどう学ぶべきか、という話になると思う。

【林座長】
  きちんと、インストラクショナルデザイン、教えるべきことを整理するという努力をしないといけない、というレビューは必要である。ここの5(1)の2の中で、ばらばらの断片的な防災教育というのは、先ほどの、孤立しているというところに引っ掛けて話をしたらいい。個人の創意工夫でやっていると、地学の先生は地学の話しかしない。自分の専門にぐっと引き寄せて、その話だけを防災教育と言ってやるというのが今までの防災教育の一番の悪例なのではないか。最初の懇談会で、全部の教科で実はできるとか叩いていたのはそこだと思う。どう体系化するかはかなり難しい議論だから、そっちを前に出す前に、孤立した人たちはついつい自分のできること、得意なことしか教えずに、それが防災教育だと言い切ってしまうところの問題点を、むしろここでは指摘する方がいい。そうすると、いろんな人が本当は集まってくれないと、防災はそれこそマルチディスプレイ、学際融合的な分野であり、全部一人ではできないということでどうするか、ということが次へつながる。

【中川委員】
  そういうことをさらに、何をどういうふうに体系化していくかも発展途上である。

【林座長】
  最初の2のところで、災害の捉え方を定義してくれと言ったのは、少なくともこの懇談会としては、こういうふうなものを災害と見て、こういうふうなものを防災と見る、そこに抜けがあるという指摘をしてほしい。それが100だという保証はないから、とりあえず作ってあとはブラッシュアップしかないのではないかと考えると、とりあえず言ってみて、それは完璧ではないから、それを修正する時に科学、あるいは技術という手法を使うことによって、論理的・合理的に体系が改善するということだと思う。

【川本委員】
  体系化はこの懇談会で十分解決できることではないし、ただ気付いた課題としてある一定の共通認識は得た、そしてさらに、例えばより大きな中央防災会議なりに期待したい、と。

【中川委員】
  逆に言えば、足元レベルのところから何かが変わってくる、本当にそういうことが伝わってくれば。

【林座長】
  防災教育の推進本部を作れと書いてもいい。

【土橋課長】
  これから色々な議論ができるきっかけとして、この懇談会でメッセージが出れば。すぐに教育部局が対応できなくとも、将来に向けて発展できるという素材でもいい。すぐに体系化や全国展開が無理であるにしても、日々改善みたいなところがあれば、それはそれで懇談会の中の定義ではこうである、というものでも十分役に立つ。

【林座長】
  生きる力はやはり大事にしたいと思っている。その中に科学技術的なマインドというものをもってやってくれるといい。あの中には色々といいことが書いてある。社会が変わっても自分で課題を見つけて、自ら学んで自ら考えて、主体的に判断して行動して、よりよく問題を解決する資質や能力を持っていて、自らを律しつつ、他人とも強調して他人を思いやる心や感動する心、豊かな人間性があってたくましく生きるための健康と体力、こうなっている。それを支える根幹に科学技術的な捉え方とか、物事を位置付けられたら一番いいのかもしれないし、それを防災という分野の中で具体化してやる例である、ということを提示することはある。

-事務局より資料5-3、5-4のうち、以下の2項目について説明、以下は主な意見-

  • 6.今後の防災教育支援に関する基本的戦略
  • 7.当面、推進すべき防災教育支援の基本的方策

【林座長】
  ここで大変重要なのは、川本委員の意見、支援とは何かということが振り返るべきポイントであると思う。この中では、それぞれがそれぞれらしい議論をしていて、中川委員はニーズ把握、マーケットインというものを充実させることを言っているし、6の3の評判が悪い。諏訪委員も永山委員も、あまりにも漠然としていてつかみ所がなさすぎるのではないかと。ここをどう書くかは非常に重要で、これはもしかすると目的の話になって、先ほど地域の防災力と言ったが、生きる力、と置いたらここの話になるかも知れない。目的の置き方によって考えるのだが、やはり一つのレベルとしては、一人ひとりが強くなる、ということがゴールの一つに入っているといい。それから、それを取り巻く社会性でも、災害に強いものに移っていくし、文化も合理性を踏まえながらどんどん豊かになっていくし、物理的にも強くなっていくだろうし。そういういろんな局面の中での防災力の向上を図る、その時には生涯にわたって学習していく力がないとだめだ、というニュアンスになると思う。今までの議論では、生涯学習に近いところがエッセンスだと思う。

【川本委員】
  この戦略のところに、構想段階でこういうことをもっとやっていかなければいけないということをある程度具体的に書いた方が、理解増進活動の推進と言われても、これは何だろうかという気が正直する。担い手・つなぎ手を育成していくとか、ネットワーク作りを支援するとか、そういうものが戦略になるのかなと。学校の防災教育をまるまるにより支援しますとか、科学的知見を生かした使いやすい教材を作るとか、そういうことを戦略として挙げた方がこの懇談会として気付いた新しいことが出てくるのではないか。
   永山委員も意見を出されているが、発信機能の整備と言っても、内閣府の方でもやっているので、ポータルサイトのポータルというのは止めたほうがいい。広い入り口にするよりは、もっと担い手やつなぎ手に対象を絞り、その人達の支援に特化した情報を詰めたサイトにし、そうした人が使え、話し合いができるようにするとか。既存のものが他にもあるから、内容で限定して新しい部分を出してはどうか。そして、それに載せるコンテンツを大学の先生方が、担い手の方が使いやすく、かつ学習者も分かり易いように、小学生が使うのであればこういうもの、中学生ならこういうもの、そんなものを集めるサイトにした方がいい。

【永山委員】
  先ほどの中川委員の、こういうものが上手く転がればいいなというのは、実践されているからそう感じられるのだと思うが、全く関心のない人が見ると、今まで国がやってきたことと何が違うのか分からない。新しさがなく、こうした支援であればこれまでも国が散々やって、上手くいっていないのではないか、私達もこれに乗っても、またあまり面白くないのでは、と思われないかなということが心配である。
   では、新しいものとして何にどこまで踏み込んでできるのか、諏訪委員がおっしゃっている指導要領程度の何らかの強制力をもったものがここで言えるのかとか、そのあたりがよく分からないので、なかなか具体的な案が浮かばないが。今まで散々全国でやられてきたことの評価がきちんとできないままの中間とりまとめになるので、これはいいことだと言えるのか、足りないことだと言えるのか、そこの検討・議論はしなくていいのだろうか。

【林座長】
  指導要領は実はタブーに近い部分があるとは思う。新しく作るということはなかなか難しい。それに代わるもの、という議論もなかなか難しい。

【永山委員】
  諏訪委員が出されていた防災教育週間みたいな、今の枠組みの中でも何らかの強制的な取組というのはここで書いてもいいのではないか。

【川本委員】
  指導要領まで踏み込めないのであれば、学校の現場や教育委員会がこれをやらなければならないということを気付かせるためには、今は十分やられていないという認識がこの懇談会にあるのだとすれば、防災教育についてどれくらい全国でやられているのかを、実態調査、抽出調査でもいいから調べ、その調査結果を経て次に進めるような施策を提案しておくというやり方もある。

【永山委員】
  それと、科学技術で何ができるのかという視点からも、具体的な戦略がここからは見えない。科学技術がどこに入るか。モデル事業には入るかもしれないが。フォーラムでも、先生がそこに立って講義してくれるというだけでは、今までの議論であった誰を対象としているかという点では、熱心な人の応援くらいにしかならなくて、そんなものには忙しくて行けない、関心がないという人には働きかけが難しい。

【川本委員】
  前々回、今村委員が来られた時に話されたが、科学的知見とはそもそも何なのか、というものがあまり見えないので、この報告書を初めて見た人は、科学的知見ってどんないいものを提供してくれるのだろう、という期待はするけれどもそれが見えてこない、ということだったりする。

【林座長】
  1はいわゆるウェブの世界、それに追従しているのはeラーニングという世界がある。そういう今までの教育の手法にはなかったような、インターネットを介して、教育が偏在化しているという事実の中で、どういうふうにそれを捉えていくかというのは、一つの大きな案になる。
   2はどちらかというと、今までの伝統的・対面的な教育場面の中にどう盛り込むかということになっていて、3、4は自発性をどんどん伸ばすなり、あるいは地域の場で色々なものを拾い上げるそういう仕組みなのかなと。5はどこに置くのかが分からないと分からない、という永山委員の指摘もあるが、そういう意味ではそんなに体系だってできているわけではないと思う。
   今教育のあり方は非常に変わろうとしている。変わらなければいけないというニーズが出てきている。一つは、MOTという科学技術教育みたいなものが出てきているそうであるが、その一つの背景は、単純労働を覚えてそれで一生暮らしていけるような社会ではなくなった、いろんな状況に応じて自分がどんどん問題解決できるような、ある意味非常に高い学習能力を一人ひとりに期待されている、それを公的な教育機関だけで担うことは事実上無理で、いろんな生涯の学習機会を使って学んでいかなければならない。それを可能にしているものとして、インターネットによる教育みたいなものがある。
   これはむしろ企業等において積極的に取り組まれていて、企業は自分達の叡智を上げるために社員教育をやるが、昔のような対面型のものをやっているよりは、ウェブでやった方が安い、効果もある。それを支えるものとして、教育工学的なものの考え方だとか、概念だとか、あるいは整理の仕方が浸透し始めている。それを踏まえることが国際性であったり、あるいは一般性であったり、それを受け入れられるような一つの大きなモーメント、契機になるのではないか。それは今、高等教育や、あるいは社員教育のようなところから出発しているが、内容的に少しずれるだけであって、これからは学校教育の中にもどんどん入ってきて、今までのように全部の学生を平坦にするように授業を進めるということではなくなる。そうなると、ひとりの先生の能力の問題よりは、あるグループなりフィールドの組織力で、コンテンツがどれだけ整備されているか、というところが勝負になってくる。そういう大きな教育の変換点に差し掛かっており、それがこういう学際融合的な分野ほど、早く顕在化してきている気がする。
   今やっている議論は、防災教育だけに閉じることはできるが、そういう大きな社会のトレンドの変化を先取りするものとして捉えていくことは、永山委員の言葉では、宇宙にも使えるというような意味を持っているような気がする。そういうものをバックボーンに入れていくと、言葉は古いがそういうもののポータルサイト、最近のもので言うと防災教育支援オンライン、もうちょっと資料集的なイメージがあって、大事な情報は全てオンラインで取れます、というような共通のデータベース。それをどんどん豊かにするために、やりましょうと手を挙げてくれた人達を育てるのが2。ここはチャレンジだから、全部が成功するとは限らない。極端なものをやってもらってもいい、そうは言ってもつなぎ手や担い手を強化するためのものだから、忙しいとかやり方が分からないと言っている人達に間口を広げる意味からいうと、フォーラムをしてみたりして、そういう意味では啓発の資料を作って、そうしたものを撒くような施策もあってもいいかもしれない。

【中川委員】
  永山委員が言われた、どこが違うの、というところは、多分今これをするとすればこうやるだろう、というイメージがあるので、そう読んでしまうわけであるが、例えばこれまでやられているような、ただ単にそこに集めてくるようなポータルサイトではないというようなことは、今の文章からは読めない。

【林座長】
  まだ作られていないが、一つ前に新しく作るセクションの中に、そういうものを書き込んでいく必要がある。

【中川委員】
  だからこれが単なる従来のポータルサイトではなく、本当に実践的なものにつながるような、ああそうか、というようなものが見えてこないと、それをあまり細かく書く必要はないのかもしれないが、従来のものではないということを読んでもらえるようにしなければならない。

【土橋課長】
  Googleで防災教育を検索しても、昔の報告書が出てくる程度であまりヒットしない。ポータルサイトというのは少し古いかもしれないが、この分野の専門家でなくても、活用してみようかと思えるような素材や情報、あるいは人に着目して、川本委員に聞けばこんな話が、諏訪委員に聞けばこんな話が聞けるというような。防災教育の分野は、実際にはネットワークがあるのかもしれないが、あまり見えてこない。それはやっている人同士のネットワークであって、初めての人はどこにどう行けば、という状況ではないか。環境はいろいろな教材があるが。

【林座長】
  環境は逆に言うと、地球環境問題、みたいに問題の構造を大手で決めているから。

【川本委員】
  防災には素材はあるが、使える形になっていない。防災のポータルサイトは大学などにもあるが、探して使おうと思ったら許可を得ないと使えないとか、そうした手続がある。結局そこで煩雑さが出てくるのが一つだと思う。
   また、今はネット上のフォーラム等はあると思うが、防災教育にはそういうものはないのかなと。

【諏訪委員】
  ネットワークだが、土木学会ではこんなことを、自然災害学会ではこんなことを、文部科学省のスポーツ・青少年局はこんなことを、NPOはこんなことをやっている、実は個々の中で完結した銀河は持っている。つまり真中に子どもがいて、ぐるぐるモデルがあってすい星が飛び回っているという。その銀河と銀河がつながっていない。銀河を飛び出して、あっちの銀河へこっちの銀河へ、という人がいない。
   例えば、東京の防災教育と兵庫の防災教育では全然銀河が違う。それが全然重ならない。そういう銀河の中のネットワークの話と、銀河と銀河をどうぶつけるかという宇宙全体のネットワーク、その宇宙全体のネットワークというのはほとんどないのではないか。それをどこかで提案することは大事だと思う。

【土橋課長】
  この懇談会を始める時に、記者の方や委員の方に聞いてみると、こんなに事例があるのかと、これは諏訪委員の「夢みる防災教育」を読んでも思った。これならば文部科学省がやることはないのではないかと。
   しかし、それが本当に市民の方とか関心を持った方が、どれだけ手軽に利用できるのかと。ポータルサイトは少し古いかも知れないが、どうすればいいだろうか。

【中川委員】
  まだ気付いていない人にどうやって気付いてもらうかというところで、ポータルサイトまで引っ張ってくるというか。

【永山委員】
  そこが抜けている。そもそも見ないし、忙しい人もポータルサイトは見ない。

【中川委員】
  いきなりその人達をどうにかしようという問題は重い。少しやっている人とか、たくさんやっている人を引っ張っていって、刺激する、気付きを与える人が増えれば、気付く人も増えてくるので、気付いていない人にいきなり気付かせるような分かり易いソリューションは難しい。

【土橋課長】
  今年度は、文部科学省の地震防災セミナーでも林座長に防災教育をテーマにやってもらおうと思っているので、少しずつは変わると思うが。
   ポータルサイトについても、GoogleやYahoo!で検索しても、1ページ目にいいサイトが出てこないとそこで止めてしまう。

【林座長】
  ポータルという言葉は古いかもしれないが、ウェブに情報を置いて利活用してもらうということは常識なので。

【川本委員】
  そのウェブに掲載するときに、誰を対象に何を目的に作ってあるかということをしっかり持たないと。

【中川委員】
  オールジャパンで作ってみても得られないものがあるので、例えば三重風に、ローカル風にやるためにどんなものを加えようかとか、一方に地域リソースを整備しておいて結合すると、自分のものができる、というようになると面白い。

【林座長】
  そこまで練るかどうかということはあるが、むしろ地域はそういうところから自分で引っ張ってもらって、地域で作った方がいいのではないか。それを自分達で作るということも非常に重要な活動であるから。

【中川委員】
  そうやって作ったものを上手く評価してあげるとか。

【林座長】
  それが後ろの方にあるコンテストや何らかのフィードバックということであると思う。

【土橋課長】
  ポータルサイトを無理に作らなくても、モデル事業の一環でもできないことはない。

【林座長】
  ただ、モデル事業でやると、大体自分の得意なことをやって終わりだから、そこまで広くやってくれる人はいない。
   情報の蓄積ということを、大変な仕事として課さないと。研究者が一番嫌いなのはデータベースを作ること。絶対にできない。

【中川委員】
  モデル事業をどういう形でやるか。研究者を核にすると得意技しか出てこないので、そうではない形でこのモデル事業を組み立てて、私が言うユーザーオリエンテッドの形のものがモデル事業としてどうやって組み立てられるか。

【林座長】
  知性というものが昔書物だったときに図書館を作ることが大変重要だったように、知を集積させる場所は必要だと思う。それが今は電子的に機能してもいいけれども、電子図書館的なものを作っていくという覚悟を持つことは重要だし、それに継続性を持たせることも非常に重要である。

【土橋課長】
  モデル事業を大学・研究機関を中心に、としていることは若干書きすぎかもしれないが、絶対にそうでなければならないわけではないが、大学改革の中で、大学の地域における役割というものが重要視されている。
   全ての県でこれができるとは思わないが、上手くやれば、我々が持っている自然科学や、科学技術の知見というものに触れ合うことができるし、津波のCGを実際の教材に使ったり、緊急地震速報を上手く使ったりとか、アトラクティブな素材を作るための味付けを科学技術的な知見でできないか。
   最初から防災科学技術ありきというのは難しいと思うが、より効果的に、より楽しく、文部科学省としては大学や研究機関の社会貢献の一貫としても進めていきたいという思いがある。ユーザーサイドから見てそれがベストではないかも知れないが、できる限りグローカルに、委員の皆様の協力も得つつやっていきたい。

【中川委員】
  リソースはそこにかなりあると思うので、それは構わないと思う。川本委員や諏訪委員が、こういうものがあったら何をしたいか、これがあればこんな面白いことができるとか、そう思うような格好になればいい。

【林座長】
  大学発でやることがいいとはあまり私も思わない。

【土橋課長】
  リーダーはここにいる方々でもいいが、大学には大抵防災の専門の方がいらっしゃる。

【中川委員】
  地域によって温度差はあるが。

【永山委員】
  確か議論の中で、日本の中だけではなくて、世界に日本が発信できるという視点があったと思うが、そういう視点は入れられないか。
   環境教育が上手くいっているとは必ずしも思っていないが、何が防災に比べて一歩進んでいるかというと、国連で環境教育の10年を決議し、国際的な取組に乗っていけたというところが、皆が環境教育をやらなければならないと思っている一つのモチベーションにはなっていると思う。日本発で、アジアなり世界なりに発信できるものはないだろうか。

【中川委員】
  国連防災世界会議等もあったが。

【林座長】
  カスタマーオリエンテッド、マーケットインの問題も出てくるので、日本の人が国際貢献できると思っているものと、世界のオーディエンスが求めているものの乖離、あるいは彼らのニーズをどう把握するかというところが出来上がっていない。
   それから、こっちが作って、くれてやる的なものはそうは上手くいかず、向こうとコラボして作ってはじめて、というような、国内で議論したことと同じようなことを国際に向けてからくりを回さないと使えるものにはならない。国内に閉じるつもりはないが、そういう回す仕掛けを、むしろここでは大事にした方がいい。
   国際というのは、残念ながら国内より一桁余計にお金がかかる。カウンターパートを見つけるのも大変である。
   差異化するということを考えると、役に立つコンテンツを集めて、役に立つ手法を紹介できて、いきいきとやれている人達を増やせるような、広がりのある場を人的交流の場として持てるというオーソドックスなことだと思う。その中で、インターネットというものをコアにおきながら物事を考えると、教育工学の大きな変化を踏まえた教育観の変化を明示的に取り込み、反映するという書き方をしないと、自分のパワーポイント資料をあげればいいという人がたくさん出てくるようなことは避けなければならない。そのレベルの自慢話はいいかげん終わらなければならず、教科教育は誰が教えても同じことを教えるわけだから、そういうことにならないとまずい。そこまでコンテンツを磨き上げられるかという努力をするか。そういう意味では検定というのは恐、全部きちんと揃えるというすごいスクリーニングの仕方をしている。防災に必要なコンテンツについてもそれくらい精査をするような試み、意気込みがないと、出来上がってこない。

【中川委員】
  教育課程に入らなくても、同じような議論はしてもいい。

【林座長】
  教育課程に入るのは必要条件ではない。生涯にわたって学んでもらえる人達に、どこにいてもアクセスがあるように整備することを主にした方がいい。

【永山委員】
  サイトは誰がやるのか。

【林委員】
  支援窓口がやるのか、若しくはそうなると恒久的組織の話になるが、それは書かないということであれば、機能としてこういうものが要るという書き方なのだろう。

【川本委員】
  サイトはサイト、事業は事業、フォーラムはフォーラムと全部ばらばらに個別にやっていてもだめで、地域事業に入るところは必ずこのサイトにコンテンツを提供するとか、フォーラムに参加するとか、愛知県でやるときは兵庫県の実践家を呼ぶとか、九州でやるときは三重県からとか。

【土橋課長】
  モデル地域事業は提案公募的にやって、いろいろなところで自発的にグループを組んでやってもらって、あとの事業はうちからどこかにお金を出して、第三者機関とか独立行政法人とか、そういうところで継続的な事業としてやらないと、そこに何らかの人を付けるとか、そうしないとなかなかどこかにやってくれと言うのは無理かもしれない。

【林座長】
  今までは特殊家に任せていた。そういう人がいれば動いたのだが、それが今度は仕事になればマストだから、そういう仕事を持った人が必ずやるという状態になれば、そこは全然違ってくる。
   一つ差異化というキーワードを受けるために、一見やっていることは同じように見えるけれども、どこかきらりとするものをもう一つ前のところで書き込んでおくと。今ここで掲げたのは、内発性とつなぎ手・にない手と能動的学習だから、それらがどう体系化されていくのかという像があればいい。

【永山委員】
  4、5からの流れで見た時に、人をグルーピングして掲げるのであれば、5種類の人それぞれに対する戦略を報告書の中で挙げる必要はないか。

【林座長】
  それは、文部科学省が採用するかどうかは別にしても、National Geographic Channelのようなものをやるとか、映画を作るとか、そういうものがあってもいい。今までとは全然違う客層の人達に振り向かせるというのであれば、話題性というか、コストパフォーマンスは分からないが。
   意識のない人たちを振り向かせるには、振り向きのキャラクターを並べて、ショッキングなイメージでやるというのも一つの手だし、刑事もの・防犯ものに倣って防災ものを作るということもある。
   え、と思うようなものでも、結構ありだと思う。議論としてはできる。防災教育とは違うが、必要なメッセージがいつでも手に入るということであれば、携帯だっていいかもしれない。コンテンツがないから出せないが、本当に整理すればそういう発信もできるかもしれない。
   今年度の概算要求はともかく、夢としては色々書ける。そのフリーハンドを認めていただければ、今後改訂版の照会を受けた時に、ここが抜けているのではないか、という手がかりを書いていただくといい。川本案によると、戦略、方策、と並べてあるわけだから、あんなイメージを使えば、今年は概算要求しないとか、これは本来文部科学省がやるべきものではないということも実はある。

【土橋課長】
  ここはあくまでも中間とりまとめで、今後最終報告があるわけだから、ロングタームの議論に入れてもいい。

【奥課長補佐】
  報告書をまとめる立場から確認をさせていただきたい。4、5、6をセットで見ていただきたいが、防災教育はとにもかくにもこうなっている、ただ一方でこういう問題がある、だからこういう方向性で戦略を練っていかなければいけない、と流れた方がよくないか、というのが一点目。5が方向性になっているので、ネガティブな方に変えてしまうというのはごもっともだと思うが。

【林座長】
  今こういう問題を抱えている、それに対するソリューションとして提供されているのはこの程度だ、と。
   私の考えでは、4は教育の場的な整理をして、場ではこういう試みがあってこういう問題点もある、という指摘にできるのではないか。5は教育のプロセスとして考えてみたときに、なかなか上手くいかないことの原因として、認識していない、時間がない、分からない、孤立しているといったことにほぼ対応した形で問題が出てきているから、どういう場にどういう人がいるかという二つの軸で問題が整理でき、こういうふうにすれば、と次の章で整理統合するような形ができればいい。

【奥課長補佐】
  現状と課題の視点が違うのだが。

【中川委員】
  現状と問題点という格好で分けるのではなくて、それをいっしょにして場というものと教育プロセスで分けて整理をすることで4と5をまとめる。

【奥課長補佐】
  国がメインプレーヤーになるものと、地域社会がメインプレーヤーになるものは違うのではないかと趣旨で書いている。本当は地域社会の中に学校も入っているが、学校は学校で特出しした方がいいのではないかということで別に書いている。

【中川委員】
  全国規模というのを国だけでいくのかどうか。学協会等も考えられる。

【林座長】
  もっと言えば、直接の教育の場を持たない人達というか。地域というのは顔をつき合わせてやっているから、対面的な学習は成立するかもしれない。もちろん学校というものそういう場である。これが全国になると、メディアも入っていいが、そこはある意味では一方通行的な情報の発信をしている、という整理でもいい。あまり国が、ということを前に出さなくてもいい気がする。問題の中でどこを国がやるかということは、もう一つ後で議論してもいい。むしろ問題の整理の中で、ぐるぐるモデルで言うと、教育の場の議論と、その中で動いているステークホルダーの議論の2つがあったことは事実である。場として問題点を捉えて整理する形と、プレーヤーとしてみてどういう問題があるかという捉え方はできると思う。その場合、プレーヤーに書いている方をネガティブにしている。

【渡邉室長】
  今の議論におけるプレーヤーは学校を想定したものとなっていて、逆に学校以外についてはあまり議論されていないのではないか。

【林座長】
  これを読んでいて、同じことが2回あるなと思ったのは、地域にそういうことを担ってくれる人材がいない、学校では、教えられる教師がいない。要は担ってくれる人がいないという意味で言えば、同じような整理ができるのではないか。

【奥課長補佐】
  本当は地域でまとめてもいい。人がいない、と。ただ、それを学校を特出ししたのがこの書き方である。

【林座長】
  学校でも地域でも、むしろ人がいないという問題を重視した方がいい。それを今後解決するときには場が必要になってくるから、地域ではどういう人を作ればいいか、学校ではどういう人を作ればいいか、ということを考えた方がいいのではないか。学校でこういう問題がある、地域でこういう問題がある、とそれぞれで考えるよりは、どちらも人がいないという問題で整理し、それを解決するAという場、Bという場に整理した方がすっきりするのではないか。
   教えるネタがないということも同じで、地域にもない、学校にもないということもあると思う。それはどちらにも共通している問題としてあって、地域からも学校からもアクセスできるような形でインフォメーションサイトがあったらどうか、というソリューションになる。

【奥課長補佐】
  場とステークホルダーという捉え方ではなくて、場とステークホルダーは一緒ではないか。国と地方というふうにステークホルダーを2つに分けたと。

【林座長】
  国と地方に分けることがいいか、ということが皆で議論していることだと思う。

【奥課長補佐】
  多少無理矢理な分け方でもあり、さらに学校を付け加えているが、それをさらに分断するとばらばらになってしまう。

【川本委員】
  地域の中の学校で、学校と学校以外があって、という整理も考えてはどうか。

【奥課長補佐】
  確かに、地域の中に学校があるのであり、学校と地域が完全に分かれているように見えるのはおかしいという指摘はごもっともである。

【中川委員】
  議論してきたことが十分反映されていないということがまずあって、その上でどんな整理にしようかという話なので、ダブり感ということもそうだが、例えば避難訓練中心の防災教育であるという現状を見ると、今の課題を先にひっくり返した形で言わないと、我々としての現状認識からスタートできない。現在の施策がある一定の成果を上げているとか上げていないという話があって、次の戦略へ進むということであるから。国と地域と学校という場の分け方がいいのかは、少しひっくり返して並べてみないとイメージが湧かない。

【林座長】
  学校教育の中の防災教育だけを考えているつもりはない。それは当然重要なイシューとして考えているが、社会全体の中で防災の知恵をたくさんの全ての人に渡すにはどういう場なり方法なりがあるのかという捉え方を最初にすべきだと思う。その中で、非常にいい教育機会として、対象が若い、伸び盛りである、意欲も高い、先生も揃っている、環境もいい、ということで学校にどれだけ協力してもらえるかという捉え方はできないかという思いはある。
   現実には学校のウエイトが高いことは認めるが、全体のフレームワークから言えば、学校を一つの要素として取り上げる方がいいのではないかと思う。

【滝推進官】
  地域や学校等の全体で総論的にいえない部分を、それぞれの場で各論的に書くことになるのだろうか。

【林座長】
  中には当然場の特性もあるから、例えば学校の特性では指導要領に沿わなければならないということがあるし、ある時間の中でやらなければならないというのも制約であるし、先生は他の教科で忙しいということもあると思う。
   地域というと、先生にあたる担い手の人がすぐには見つからない。町会長といっても、一義的にイコールで担い手とはいえない。そうすると、担い手を見つけるところから始めないといけない。それぞれの場の特性によって、顕在化してくる問題に違いはあると思うが、その中で先ほどの関心のない人、忙しい人、やり方の分からない人、孤立している人みたいなのは地域の中にもいるだろうし、学校にもいるだろう。それは場によってボトルネックが違っているのではないかというイメージで話をしている。問題がある程度ニュートラルにあるということと、次にはそれぞれの場の中でさらに掘り込んでいったらこういう問題がある、という書き方でもいいのではないか。
   それから、直接の場を持たないという意味で全国規模であったり、メディアであったり、あるいはアトラクション、エンターテイメント、報道、講演会だとかも、それを補完するような形で使われるわけだし、こういうプラスもあればマイナスもあるという書き方で、ひっくり返した場合に3つの要素として重要なウエイトを占めるのではないかと思う。

【中川委員】
  大学なりのいろんなリソースを、場は小学校にして持ち込んで、相手は小学生でも地域でもいいが、そういうものをモデル事業であちこちでやったら面白いのではないか。地域のリソースを皆で集めて、そこで何かできるかという。はじめからターゲットを小学校とか地域において、どんなものが集められるのか、という話でやる。そうすると、得意技しか持ち込まれないということは避けられるのではないか。
   それから、担い手の中にあるかもしれないが、企業が持っている得意技、ここに出てきている民間企業はCSR的な話にしかなっていないが、本業として持っている技術だとかを、サイエンス、テクノロジーとして使えるのではないか。具体的な例は防災の中では思い浮かばないが。

【林座長】
  例えば、ロジの専門に委託すれば、救援物資の流通などはよっぽどはやい。ビジネスの世界だが、そういう会社の持っているノウハウを買うという。

【中川委員】
  それからもう一つは、こういうものを転がしていく時に、中防が半減ということを言ったが、防災教育支援の目標をばんと言ってしまうとか、5年、10年でどうするとか、何かを積み上げられそうなものを言って、それを頑張って動かそうというところまでやれれば、大胆な施策をはっきりと打ち出せるのではないか。

【林座長】
  数値目標は考慮にいれるオプションだと思う。長期的な意味での報告書の中に盛るべき内容なのかもしれない。今の目前のものはソリューションの一つにしか過ぎないわけだから、長期的ないろんなことに触れられれば、リストするのもいい。リストできたら、いつまでにどれくらいやるのかというロードマップもあってもいい。
   最終報告までにはカバーしたいということで置いておきたい。

議題(2) その他
-事務局より資料5-5に基づき説明、中間とりまとめ(案)については適宜メールで意見交換するとともに、次回は、7月20日(金曜日)午後に開催することとした-

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