第3回全国家庭教育支援研究協議会(分科会3)議事録

議事録

 皆様,お待たせいたしました。ただ今から,こちらの会場では,第三分科会,子供を育むコミュニティの担い手と,ネットワークに入らせていただきます。当分科会のコーディネーターはお父さんたちのネットワーク,世話人,石垣政裕様でございます。それでは,この後の進行は石垣様にお願いをいたします。
 はい,皆さんこんにちは。座って話をさせていただきます。この分科会のコーディネーターを勤めます石垣と申します。よろしくお願いします。
 お父さんたちのネットワークというのはですね,宮城県では113ありまして,まあお父さん,親父の会といいますね,そこの,勝手にお世話役をしている,という事になりますので,かならずしもこの人が代表だ,と選ばれたわけではありません。好きで代表をやっているというわけであります。今日は皆さんに,この分科会においでいただきまして本当にありがとうございます。是非,ここにお並びの皆さんのお名前をとくと御覧いただきたいと思います。この分科会議では,教育会議や公的機関とは違った立場から,民間の地域の所で,家庭教育を支援していく,そういう方々,団体,個人の方に集まってもらいました。そして,地域でどんな形で人と人とを繋がって行くのか。そして家庭の親と子がどんな風な形で繋がるのか,またそういった人たちがどういった風な形で繋がって行くのかということについて少し議論を進めさせていただきたいと思っております。で,1時間半という短い時間ですのでできるだけ焦点を絞ってお話させていただきたいと思っておりますのでよろしくお願いします。
 まず,これからお三人の方に報告をしていただきたいと思っております。まず,最初は,寺岡おやじの会の滝沢公二さんから,寺岡おやじの会の活動などを含めて,地域の活動などをお話していただきたいと思っております。では,滝沢さん,よろしくお願いします。
 仙台寺岡おやじの会,滝沢と申します。よろしくお願いします。私どもの活動について,10分ほどで御説明させていただきます。
 まず,おやじの会がどんなものかという事について簡単にお話させていただきますが,全国に約4000団体とも,仙台に約50団体とも言われておりますけれども,その詳しい数字に関しましてははっきりしたものはございません。大まかに分類いたしますと,どうやら子供交流型PTA活動の一環としている様なスタイルと,地域の男たちの親睦会的な地域交流型と。勝手にこの様なスタイルがあるのかなと,勝手にこういう風に思っております。
 そこで,何をやっているのかといいますと,子供交流型ですと,スポーツですとかキャンプですとか,そういった学校行事のお手伝いとか,そういったスタイル,また,地域交流型ですと夏祭りの参加ですとか,学区民の運動会ですとか,こういったスタイルがあるのではないかと思いますが,私どもおやじの会は,真ん中の両方取った,この真ん中の赤い囲みの部分なのかなと思っております。それから,私どもの親父の会につきまして少しお話させていただきますと,仙台市の北に寺岡紫山という地区がございます。ここの親父たち,30代から80代まで今,メンバーがございます。私どもの活動理念に関しましては,子供たちの新たな故郷作りということを命題としています。ここからは活動の内容をスライドショーで見ていただきたいと思います。これは震災前ですけれども,学校に泊まろうというイベントをいたしました。ただ学校に泊まることが目的ではなく,震災のときの避難所としての疑似体験を楽しみながらやっていきたいと,いうことでした。このときから既に,お皿にラップを巻いて御飯を食べるとか,そういった事を経験としてやっておりました。体育館の床に座って夜御飯を食べているスタイルで,上から見回しますとこのような形でやっておりました。夜は小学校の校舎をお借りしまして,肝試しをやっておりました。子供たちには楽しんでもらえたかなと思っています。次の日の朝からのイベントとしましては,水風船の重量コンテスト,こんなことをやったりして遊んでおりました。学校は避難所になるということを,楽しみながら,使いながら,体験してもらったということです。これは,蔵王で行ないましたキャンプで,イワナのつかみ取りなどをやっております。お母さんにも参加をしていただきました。その後は,コースになっているんですけれども,沢登りをしております。自分でとったイワナを串刺しにさしたり,ロープを使ってブランコ遊びをしたり,竹の飯盒で御飯を作ったりしています。それから,青葉祭りというお祭りが仙台にございまして,この祭礼に参加をいたしました。一番町商店街というアーケードのある商店街がございまして,そこに子供みこしを持ち込み,子供たちに担いでもらっています。参加する子供たちは小学校にアナウンスしまして声がけをしてもらいました。一般の商店街でハッピを着てみこしを担ぐというのは中々できない経験かなと思います。それから,親父と地域の集いというものを年に一回やっておりまして,寺岡小学校の諸団体の皆様をお招きして交流会を行なっております。これは去年御参加いただいた皆様なんですが,町内会の方,子ども会育成会の方,小学校の先生方,また,保育所から高校までの先生方もお招きをしておりまして,お客様が37名,プラス親父たちで,年に一度,このようにして,集会所を使ってこのような会を年に一度,交流会として催しております。
 御参加の方々から,活動の内容についてお話をしていただいております。お母さんたちもお子さんを連れて参加していただきました。学校の先生にも御支持を頂きまして,かなり盛り上がったということでございます。それから夏祭り,寺岡地区紫山地区両方あるのですが,焼きそばや焼き鳥の屋台を出展しております。子供たちにも焼きそば作りですとか,そういったところに積極的に参加してもらっています。かなり,行列ができて盛り上がった会でして,また,おやじのメンバー,今朝やらせていただきましたけれども,このお祭りでもバンド演奏をやっております。後ろの方では当然乾杯をしておりまして,やっている本人たちが一番楽しんでいるというのが正直な所じゃないかなと思います。これは寺中焼きそばといいまして,これは寺岡中学の学習発表会で,子供たちに焼きそばを作り,販売してもらう体験をしてもらっています。あくまで主役は子供たちで,我々おやじは準備とサポートというスタイルを取っております。中々これだけ大量の焼きそばを焼いたりするという経験はあまり無い様でして,楽しんでもらっています。販売もやってもらいました。
 それから,歩くスキーと呼ばれる,エッジの無い踵が浮くスキーで雪山を歩くと。いうこともやっております。お母さんたちにもたくさん参加していただきました。お昼も,泉ヶ岳少年自然の家だったんですけど,こういった食事を皆でしています。午後からは,林の中を散策できるので,皆でスキーを履いて歩き回るというようなことをやっております。お父さんたちは,後ろの方でホットワインを飲んだりしています。今年も来月実施いたします。
 事例の最後ですが,寺岡紫山オリンピックの紹介をいたします。小さい子供からお年寄りまで楽しめるイベントということで,2004年に第1回を始めまして,去年も第8回をかぞえて行いました。なぜオリンピックなのかと申しますと,いわゆる体力勝負の運動会では無くて,誰でも参加できる,楽しめる,昔ながらの運動会ということでやっています。種目はこのようにたくさんあるんですが,毎年全部やると大変なので,このうちのイベントを幾つかピックアップしてやっております。
 最後になぜ,私たち,寺岡おやじの会はこうやって継続していけるのか,続けていきたくなる会なのかということを少し御説明させていただきますけれども,我々会のメンバーは世話人という位置づけをしております。当番とか順番などの役割は設けておりません。基本的に役割を背負い込むのではなく,できる人,やりたい人に振るという考え方でやっています。やりたくない人とかできないお父さんに無理やりやっていただくというようなことが無い様に,年に一度しかこないお父さんでもウェルカムですよと。役割の義務が無いので来たい人が来たい時に来られる雰囲気を作れているのかなと思います。地域とおやじの会の関係について考えたのですが,地域や学校が親父に期待することと,私たちおやじがやりたいことのバランスが取れているのかなと思います。こうしたおやじの姿を通して,子供たちが地域活動に関わっていけば良いのかを子供たちに感じてもらえたら良いのかなと,ひいては地域の良さを実感できる新たな故郷作りに繋がってゆけばとても嬉しいなというふうに思っております。報告を終わります。ありがとうございました。
 滝沢さん,どうもありがとうございました。皆さん今の発表を聞いて,こういうこと聞きたいなということがおありだと思いますけれど,後でパネルディスカッションの時に,会場の方からも御質問を頂きますので,その時まで質問を大事に取っておいてもらいたいと思っております。それでは,二番目の人形劇団の「きかんしゃ」の高森順子さんにお願いします。
 人形劇グループ「きかんしゃ」の高森でございます。私たちの人形劇グループ「きかんしゃ」は,立ち上がりが,全く個人的な人たちの集まりの立ち上がりでございまして,人形劇をやってみたいという人が集まってできたグループでございます。もうかれこれ24年に足を掛けましたが,まもなく4回ほどで,800回の公演を迎える事になります。ですからこの間,年で平均しますと34,5回の公演を続けてきた事になります。これはですね,公演の御依頼を下さる方がいらっしゃらなければ,公演は続けられないわけです。そして,ありがたいことには,一番最初に,ある児童館で公演をさせていただきました。そこから口コミで,毎年どんどん増えていきまして,本当に休む暇も無いと言う感じで御依頼いただいています。まあ,「きかんしゃ」の公演のやり方というのは,公演当日は,朝早くから荷物を車に積み込んで,そして現地へ出かけまして,その場ですぐ,舞台づくりに取り掛かって,その場で即上演します。一時間ほどのプログラムで人形劇を大体三種類入れてまいります。ただ一方的に見ていただくだけでは交流になりませんので,私たちはやはり母親であり,この頃は孫を持ったメンバーもおりますので,そういった意味も込めて,地域の方々,御依頼下さった方々と一緒に子供さんの育ちを見守って行きましょうねということを根底に置いております。ですから,「これはどうかな?」「これをやっちゃいけません」というのは人形劇の中でも言いません。私たちの劇はほとんどが「きかんしゃ」の人形,大道具,小道具は全て手作りですけれども,もう10年以上,もう15,6年になりますか,全て創作でやっております。自分たちで話からつくります。ですから,その話の種を頂くためにも子供さん,あるいは地域の方々をしっかりと,はい,見せていただいております。で,嬉しいのはですね,子供さんというのは非常によく集中してくれます。これは大人の方がちょっと見誤っているのではという節もあるのですね。子供は0歳から見ていただきますので。0歳の子供に何を見せるの?見せるのではありません。その子,0歳なら0歳,高齢者の方にも見ていただきますが,全て感じていただくわけなのです。ですから,歳相応の経験値で感じていただける様な作りにしようということで,私たちも工夫しております。ですから,そんなこともあるお陰かもしれませんけれども,いろんな地域の方から声をかけていただきます。これはもう自然発生的にコミュニティ作りができているという感じですね。それで,私たちは自分たちだけがグループ活動するのでは無くて,これもまた,声を掛けていただいてだったのですが,他の同じ様な人形劇グループあるいは,手遊びやお話それから本読みのグループなどなどいろんなグループを作りたいという方々から,ちょっと手助けして貰えないかということで,支援というと大げさになってしまいますが,手助けをしていまして,人形劇グループでももう10年以上活動を続けているグループが2つございます。ですから,お互いにお互いの人形劇を見て感想を話し合ったり,それから一番,これはこれで別の活動になりますが,親子遊びというものも人形劇グループとしてやっています。ここには制限が無く,どなたでもいつでもおいでになってくださいということで2時間たっぷり遊んでいただきます。ここも制約というのはほとんどありません。ここも0歳から5歳くらいまでのお子さんがいらっしゃいます。これもですね,もう12,3年になりますが,卒業したお子さんが,小学生になり,中学生になっても休みの時には顔を出してくださいます。で,そのお子さんたちが,地域で自分たちがいろんな工夫をして創作したものを試してだして見たりとか,いろいろやってらっしゃるので,これは嬉しい事です。で,私たちの人形劇は押し付けるということではなくて,私たちは,自分たちが作ったものを御覧いただいて,最後の舞台の仕上げはお客様にしていただく。という様な考えでおりますので,一方的に見ていただくのではなくて,初めの人形劇は人形ボードビルという,台詞が全くなくて音楽だけで,人形や大道具小道具が舞台を動きながら物語をつなげていくといった作りになっています。2つ目に会場の皆さんと交流をするということ。手遊び歌遊びそれからパネルシアターと申しまして,パネルに絵人形を貼ったり外したりしながら,皆さんに問いかけをして答えて貰って,歌を歌ってもらって身体を動かしていただくという形で交流をしながら進める人形劇でございます。
 最後が,台詞のある人形劇になっていまして,そのときには皆さんにお願い申し上げます。「きかんしゃ」の人形劇はこの,マイクを使いませんので,生の身体,できるだけ擬音や何かも,機械を通さないもの,生で出せるもの,生音を届けるようにしておりますので,できるだけお口はチャックで,それから目をしっかり開いて見て下さい。耳を澄まして音を聞いて下さい。という風にお願いをします。ただし,楽しかったり面白かったら笑ってもらって結構です。それから,悲しかったら泣いて下さい。泣くということもとっても大事な事なんです。それから「何だよこれ!」と怒りたくなったら声を出さずに怒って下さい。それから最後は,面白かったら人形たちを応援したくなったら大きな声で応援してくださいとお願いいたしますと,会場,子供さんに見ていただく事が多いのですが,本当によく集中して隅から隅まで御覧になってくれます。そして何が一番すばらしいかと申しますと,想像力を働かせて見て下さいますので,私たちが必ず終演してから大事にしていますのが,子供さんが帰られる道に座り込んで,人形と交流しながら帰っていただきます。その時に子供さんからいろいろ声を掛けられます。「とっても上手にできたね」とか,「あれ,さっきこぶができていたけど,大丈夫,痛くない?」とか,私なんかはいつも悪者の役が多いものですから,「あんなことやっちゃ駄目だよ。今度はよく考えてああいうことしないようにしなさいね」とか子供さんはよく見て声を掛けてくださいます。そんな風に大人が一方的に教える立場だと思ったら大違いで,子供さんから教えていただくことで,大人も子供も育っていくとおもいます。
 なんか,私の場合,話があちこちに飛んで分かりにくいと思いますが,自然発生的にでき上がった人形劇が,自然発生的にあちらこちらにいろんな仲間,同じような仲間ができて,また公演先で自然発生的に口コミでいろいろ情報を頂いたり交流したりと楽しい交流をしながら地域の貢献ができているのかな。これはちょっと高慢になっているかもしれませんが,でも心は一生懸命に尽くしていきたいと思っております。まあ,こんな所でございましょうか。
 はい。
 お許し下さい。ありがとうございました。
 ありがとうございます。もう2つ聞いた段階で,地域の中には自分たちで始めたという報告が随分目立つような感じがしますけれども。3番目の報告者は,岩手県の大船渡市で,読書ボランティア「おはなしころりん」をやっておられます,江刺由紀子さんに報告をお願いします。
 はい,御紹介預かりました,岩手県大船渡市から来ました,読書ボランティア「おはなしころりん」の代表をしております江刺と申します。どうぞよろしくお願いします。
 私どもは平成15年に会を立ち上げまして,今23歳から80歳まで女性ばかり21名の小さなグループでございます。県内,東北にもいっぱい,全国にもたくさんある読み聞かせおはなし会などを行なうグループの一つで,同じように読書活動を推進させる目的を持って会を進めているグループでございます。しかし,今日に付きましては3,11以降の活動について皆様に御報告させていただきたいと思っております。
 3,11以降は私たち,安否確認もグループ内でもできないほどで,寝る場所とその日の食べ物を確保するのに精一杯ではありましたけれども,市内の小学校,幼稚園,保育園それから地区公民館や図書館で「おはなし会」をしていて,顔見知りの子供たちがたくさんいるものですから,あの子は今どうなっているんだろう,この子は大丈夫かしら?あの海辺の家の御家族どうなったんだろうと思うと居ても立ってもいられず,メンバーの中では犠牲になった方は居なかったんですけれども,隣の陸前高田も,釜石も知っている同じ活動を持った人間が亡くなっておりますので,何人も。私たちは生き残っているので何かやろう,とそれぞれで自発的に動き出しました。まず,避難所に行って子供たちの顔を見たいと思いまして,避難所で暮らしているメンバーもおりましたし,避難所で働いているメンバーもおりましたので,その人間どもと連絡を取り合ってですね,子供たちがどういう状況なのかまずリサーチしました。それが震災以降1週間,10日目位だったんですけども,案外子供たちは手持ちぶさたらしいということに収まったものですから,では,私たち出かけて行っても大丈夫かなと思いまして,避難所に参った次第でございます。こちらは大船渡地区公民館,こちらには200人くらいの避難者がいたんですけれども,そこでの「おはなし会」です。私どもは3月25日,震災2週間目から活動いたしました。いけるメンバーで,この子はここに非難している子なんですけれども,手元にあった絵本で読み聞かせをいたしました。この子の家も津波に流されてなかったんですけれども,いろんな所からのつてで絵本が手に入りまして,盛岡のグループがガソリンが無いところをわざわざ来てくださって,絵本を私たちに手渡してくださったりしました。それを持って,避難所を回って「おはなし会」をしておりました。しかし私どもの力だけでは到底実施できませんでしたので,いろんなグループさんに御支援いただきました。こちらは,盛岡市のうれし野子供図書室というNPO法人の理事長をしておられます高橋美知子さんとおっしゃいます。とっても心が温まるやさしい絵本を読んでくださいました。子供たちはやはり敏感でしたので,津波の本ある?と聞いてきまして,無いよというと皆ほっとしまして,私たちもあったかくなる様な本を選んではお話会を進めておりました。そしていろんなところから寄せられた絵本で避難所に絵本コーナーを作ったものでした。手近にある古いダンボール箱でこのように本棚を作りまして,絵本コーナーを設置させていただきました。これは結局2か月間続けました。そうなりますと,今度学校が始まりますので日中に子供たちが避難所に居なくなります。じゃあ私たち,図書館は避難所になっているし,図書室は流出していて使えないし。じゃあ民営の図書室を作ろうと思ったんですけれど,作ったとしてもJR大船戸線は休止状態,多数の車が流されて子供たちが来られない。では,私たちが本を持って,子供たちのところへ出かけて行って本を手渡そうというふうになりました。これは,瓦礫の間で再開した中古屋さんから車を買いまして,5月の頭でしたけれども,移動子供図書館というふうに銘打ちまして活動をいたしました。今からお見せするのは6月中旬の活動です,このようにクラスに1つの箱,箱の中には30冊入っております,選集したものを持っていきまして,月1回で取り替える学級文庫を,新しい学級文庫という感じでクラスごとに名前をつけまして運んでいく,これは荷積みが終わったところです。この日は大船渡市立松崎小学校に行きました,お昼休みに来てほしいということで,お昼休みにまいりました。これは荷物を降ろしているところです,結構思いのですけども元気に頑張っております,このように指定された場所に並べておきます。図書委員の子供たちが運ぶ,運搬役をするのですけれども,子供が間違えないようにちょっとした配慮も,こういうふうにしております。これは4年生の子供たちです,避難所から通っている子供たちもおりますし,親が離職した子供たちもおりますし,親が亡くなった子供も,もちろんおりますけれども,本がありませんので,とてもうれしく待っていたようでした。それを見ると,私たちも大変励まされまして,この明るい笑顔を見ると,私たちのパワーになったというところでございます,これは1年生の子供たち,本当にかわいいですよね。ええと,お話会を貸出しの直後に行います,こういうふうに昼休みに,来たい子だけ来てもいいよと言うのですけれども,1,2年生はほとんど集まってくれました。この日は当番が私だったので紙芝居をいたしております,これが大船渡市立松崎小学校です,他の市内の小学校,沿岸地域の小学校の例にもれず,校庭は仮設住宅で埋められております,これは小学校をちょっと下ったところです,ここを子供たちは毎日通学しておりました。10月からは子育て支援グループにも貸出しを始めました,全国から寄せられた本を,本の力を信じている私たちグループですので,本の力でもって子供たちの気持ちの立て直しのお役に立てたらという気持ちで,これは配布しているところです,貸出しの他に,お家に持って行っていいからね,ということでお渡しもしております。このバッグも,別の東京のグループから手作りのバッグを援助していただきましたので,これも配布させていただいております,お母さんたちも必死で探しております。ええと,書店も流出しておりますので,家がなくなった方々は本がありませんので,そういう方々には,20冊でも30冊でも持って行っていいよというふうにお渡ししております。進めていくうちに,私たち自身も,避難所にいる人間も少なくないものですから,人員,人材がほしいということで,人員数を増やそう,それから,もうすでにやっている人間のスキルアップをしたいということで,10月に,10月下旬に読書ボランティア養成講座というのを,私どもの主催で行いました。これは私たちだけで到底できるわけもなく,東京子供図書館の松岡享子先生のお助けがあってできたものでございます,先生にも来ていただきましてお話をしてくださいました。子供たちの心に絵本はどんなふうに働くのか,というようなお話をしていただいて,同じ活動をしようではないかというふうに声をかけていただきました。県内から,同じ沿岸部から,いろんなところから来てくださいました,70人ほどいらっしゃいました。で,そのあと,次の日なのですけれども,分科会に分かれまして,絵本の持つ力を確認し合ったり,今まで読み読み聞かせをしたことがない方がこの活動に入りやすいように,具体的にどんなふうに子供たちに絵本を手渡していけばいいのかの,読み聞かせの仕方等の簡単なお話をして交流を深めました。もちろんこの中には,仮設からいらっしゃって,何もしないで1日中家にいるのもつらいし,子供の何か役に立てないだろうかと思って来た方も大変多かったです,このように盛況でした,みんな喧々諤々と楽しい時間を過ごしました。こちらは小さな子供たちへの支援です,ゼロ歳児,それから妊婦さんたちを対象にしたグループがありましたので,そこへ絵本を持って行きまして,お母さんと赤ちゃんに本の貸出しをしております,貸し出す場で交流も生まれまして,お互いのお母さんの悩み事相談などもできるようでした。手を使ったり,体を動かしたりして交流を図りました,そのあと,岩手県の3・11絵本プロジェクト岩手,の末盛千枝子さんという方の御支援を頂きまして,この絵本カーというのがあるのですが,これも頂戴することができました,絵本を積んでの小さな図書館,移動子供図書館がもう1台増えたので,こちらは仮設住宅を廻っております。好きな本を持っていっていいからね,というと,子供たちは嬉々として真剣になって本を選ぶのですね,たくさん本を持っていってもらいたいなと思いました。お決まりで,本の貸出しの後は,このように読み聞かせもいたしました,こちらは今の大船渡を御紹介しようかなと思って,12月末の大船渡の,JR大船渡線のあたりの風景でございます。手前,ここの前が線路になっていたのですけれども,このように瓦礫撤去は,ほぼ90%以上終わっておりまして,ガランとしたどこまでも寂しい風景が進んでおります,広がっております。市内の一部はこのように冠水している状態です,それで,この頃は,1月からはこういう鉄筋コンクリート造りの建物の解体に入っているところでございます。ガランとしたところでございますけれども,私たちも頑張らねばということで,いろんなグループが立ち上がっておりまして,これは仮設店舗ですね,瓦礫の中にできた仮設店舗,飲食店が集まったところです。このように,何とか復興に向けて前に進みたいと思って,日々頑張っているところです,そして,子供たちにも,この私たちの姿を見てもらって,あのとき,大人たちはあんなに頑張ったなというのを見ていただいて,もしこの次に,また津波が来るようであったならば,私たちが本を手渡している子供たちに,また頑張ってもらいたいなと思って活動しているところです,以上です,失礼いたします。
 はい,江刺さん,どうもありがとうございました。あの,3・11以来の地域における人と人との繋がり,家庭の中の繋がりということの大切さといいますか,また違った次元での繋がりというものが非常に大切になってきているなというふうな感じがしますけれども。今,お3人にお話をいただいたのですけれども,本当に,自分たちだけで,確かにこう,やっているということだけではなくて,本当に,他のグループと一緒になって,例えば,呼んでいただくことによって繋がりができる,あるいは,親父の会ではさっきリストがざっと出てきましたけどね,町内のいろんな団体の繋ぎ役になっているみたいな感じもしますよね,どうですか滝沢さん。
 交流会は本当に,町内のほぼ全てのいろんな団体の方にお声がけをしておりまして,その中から代表の方に来ていただくという形になっています,皆さんなかなかああやって,大勢の方が集まって,また,しかもちょっとお酒も飲みながら,という形でざっくばらんにお話ができる機会というのはなかなかないみたいですので,お役に立てているのかなというふうに思います。
 はい,ありがとうございます。江刺さん,先ほどのスライドの中に,随分いろんな団体の方も登場していらっしゃいましたよね,江刺さんの方からすると,そういう人たちとの繋がりみたいなものは,どういうふうにしてでき上がっていったのですか。
 はい,私どもから語りかけたのではなくて,いろんな方がアプローチしてくださいまして,何かできることがある? というふうに声をかけていただくケースがほとんどでした。で,それに向けて私たちは現場に入っているものですから,現場の子供たちにはこういうものが必要なのだなというのを把握できておりますので,大船渡に関しては,この子供たちはこういうものがほしいらしい,というのを伝えまして,で,声をかけてくれる団体さんたちが,じゃあこうしましょうというふうに詰めていって,それがまた広がっていくということで,この支援の広がりには感動を覚えます,本当にありがたかったです。
 はい,ありがとうございます。高森さん,呼んでくださる方との,例えば,震災後の繋がりというのはどんなふうに。
 震災後ですか,私の方から,やはり,私は仙台市内に住んでおりますし,かなり被害があったとはいえ,家財道具が全滅したというような感じぐらいで,幸い怪我とか命に別状はなかったので,やはり,今まで公演の御依頼を下さったところの方々が心配でしたので,こちらから1軒,1軒お電話差し上げて安否を確認してまいりました。その中で,やはり,人形劇の場合は手軽に持って歩けないのですよ,舞台を組む場所が必要で,やはりちょっと大きな広い場所が必要ですし,かえって気軽に出て行ったら御迷惑をおかけするということもありますので,1軒,1軒電話を差し上げて,そして,必要としてくださる方のところにまず出かけてというところで,そこで人形劇をさせていただくと,またそれから口コミで,うちのほうでもやってほしいという形での御依頼に繋がっているようです,私たちの場合は。
 ありがとうございます,様々な形で被災地の支援に繋がっていくというか,それから,繋がりを自分たちのところで結んでいくという作業が,随分流れているなという感じがしたのですけれども。今,お3方に報告をお聞きしたのですけれども,そのままパネルディスカッションというか,こちらにお座りになっている方々に御参加いただいて,パネルディスカッションの方に移っていきたいなというふうに思っていますけれども。あの,今,お3方からお話いただいた中で,1番大きなところとしては,震災以後の私たちの地域の繋がり,それから,支援をどんなふうにしてやっていくのかという,その辺のところがやはり大きな課題になっているのかなと。そういうことを地域の団体が,どういうふうにして手を繋いでやっていくのかが大きな課題になっているのかなという感じがしますので,できればその辺のところも含めてお話いただけたらなというふうに思います。まずこちらから順番に,少し自分たちの活動と,震災の時に,震災後にどういう活動をなさっていたのかということで,少し短い時間ですけれども,紹介していただきたいなというふうに思います。最初は,お父さんたちのネットワークで支援の方に携わっていただいた,鹿島台のおやじの会の照井さんからお話をいただきたいと思います。
 みなさんこんにちは,鹿島台のおやじの会の照井と申します,鹿島台というと,皆さんにはあまり有名ではないかもいしれませんが,今は大崎市というところと合併しておりまして,大崎市の1番南側,東北本線の松島の隣の町,と思っていただければいいと思います。私の住んでいる鹿島台は,被災地であります東松島,あるいは石巻に,10分とか,そのくらいの距離で行けます,今回の震災に当たりまして,ネットワークを通じていろんな支援活動をしてきたのですけれども,その内容を手短にお話させていただければなと思います。これ,一番表紙の写真なのですけれども,これは寺岡おやじの会の,今日はいらっしゃいませんが,善波さんが撮った写真ですね,この土台だけ残った家の跡に花が咲いているという写真ですね,これ,気に入っているのですけれども。私たちの支援活動もいろいろやってきたのは,手元の冊子を見ていただければわかると思うのですけれども,その時期,その時期によって,だんだん変わってきているのですね。1番初めは物資の支援,子供たちに対する物資の支援から始まって,学校が始まった後は学校の支援,それが終わって,今度は娯楽ですとか,集会所の支援というものに流れていきました。
 この写真を見てください。1番始めに水沢のおやじの会から要請があった文房具です。これも全国いろんなところ,海外からも集まって来ました。これは石垣先生が被災地で何が必要なのかを聞いているという写真なのですけど。これは自転車です。石巻の万石浦で,当時冠水が激しくて,子供たちが学校に来るのを見回るために,自転車がどうしても必要だということで,ネットワークの会議で話をしましたら,仙台の有名な自転車屋さんが,いいでしょうということで,ポンと中古の自転車を都合してくださって,それを配達してきたということですね。私,正面を向くとヤバいので,だんだん正面の写真がなくなってきますけど。で,次は学校に,朝の挨拶でもあったのですけれども,被災した学校というのは,学校の近くの学校に間借りしているのですね,学校の機能をそのまま間借りしているのですけれども,そこで働く用務員さんたちとかが,もちろん,そこの学校にも機材はあるのですけれども,なかなか貸してくれとは言えないということで,ではそういう支援をしましょうかということになりました。で,これもまた石巻の親父の会のネットワークの方の要望で,いろいろ工具を集めて配たちしている写真です。1番右側は私ではありませんので,ちなみに,これは校長先生に八乙女おやじの会の佐々木さんが,これ,教頭先生ですね,学校の教頭先生に工具を渡した。これは夏ですね,これは冷蔵庫を一緒に。
 これはリアカーですね,これも実は,真ん中の僧侶みたいな方は,実は僧侶ではなくて畳屋さんで職人なのですけれども,この方の繋がりでAARといいまして,この間,外国に行っていたNPOのメンバーが亡くなったというニュースがありましたが,そのNPOの団体の方からリアカーをいただいて,リアカーを学校に支援してやるということもやりました。この自転車もそうですね,自転車も通学用に,バスとかはあるのですけども,電車とかがなくなったので,自転車を支援しましたということです。支援もただ単に持って行くのではなくて,地元の自転車屋さん,被災した自転車屋さんから買い上げて,地元の産業の支援にも貢献するという活動をしました。これも自転車,気仙沼ですね。これはパソコンを学校の先生に,私が中心になってやったのですけれども。学校の備品なんかは,もちろん県とかの予算でいくのですけれども,先生方というのは大体パソコンを2,3台使っているのですね,学校に置いて,家に置いて。で,家に置いたパソコンがほとんどなくなったということで,その先生方にパソコンを支援したということですね。
 福岡市の,あるいは全国のおやじのサミットというのが開かれておりまして,今までの支援活動の実際のお金なんかは全国,福岡,北海道,九州のおやじの会,あるいは個人的な繋がりで外国の方とか,いろんなところからの御支援をいただいてやってきたのですね。その報告をしてくれないかということで,私,9月に福岡まで行って発表させていただきました。こういう感じで,福岡というのは親父の会の活動がものすごく盛んで,大体組織率が60%くらいあるのですね。で,普通は小学校,中学校なのですけど,実は幼稚園とか,あるいは支援学級とか,そういうところにもあるということで,この日も大体55団体,300人くらいの方が「おやじサミット」に参加していました。そのあとの懇親会で,日本酒を飲みたい人は升を買ってくださいと,升を買って,升は500円なのですけど,升を買ったお金を私に託していただきました。これは石垣先生が参加された熊本の「全国おやじサミット」です。そういう活動が,全国サミットでもされました。野外でされたのですね。そこでもまた升を売って,そのお金を私がいただいています。
 で,今度はコミュニティ活動ということで,牡鹿半島を支援しようということで,牡鹿半島の給分浜という,半島の先の鮎川のちょっと手前です。そこの浜のコミュニティの,これは炊き出しですね。給分浜に行って,炊き出しを東北大の留学生の方と一緒にした時の写真です。これは津波で被災した保育所なのですけれども,ここの1室を地元の方たちの集会所に直して,コミュニティに役立ててもらおうという活動をしました。(スライドの)上の方,ビニール袋を見て下さい。扇風機は冬だから使っていないですが,この天井まで水が行っているのですね。このビニール袋の先端に津波の水が溜まっています。で,向こう側は別に扉ではなくて壁だったのですね。で,壁が抜けてしまって何もなくなっているというところを,こう,東北大のボランティアの方たちが修理しました。これはさっきの畳屋さんですけども,畳は本職,内装もプロで,カーペットを敷いて,この壁,さっきのスライドで壊れていた壁を,東北大の留学生の人たちが直しています。(留学生が乗っている)1番下のもの,これは台がないので,ブイなのですよ。それを足場代わりにしてやっています。これも園庭のゴミを拾っていますね。これは留学生ではなくて私ですけれども,留学生にごちそうしようとナベでカレーうどんを作っている写真です。で,これが完成して,これも福岡の皆さんからいただいたお金で座布団なんかを揃えてやりました。これは集合写真ですね。これが完成お披露パーティなのですけど,1月に完成披露パーティです。腹話術の方とかに来ていただいて地元の方々と交流を持ったということですね,この時私は炊き出しをしていたのですけど。今度は,これはまた福島の保育園ですね,沿岸部の方の保育園でバナナの叩き売りですね。これは人形劇,腹話術ですね。あっ,これは今日も演じられた紙芝居ですね。これは石巻ですね,これはベガルタと一緒に石巻の子供たちを迎えて楽しんでもらった写真。これはノルウェーのグループでストーム・ウェザー・シャンティ・クワイヤーという舟歌を英語でやるというバンドの方がどうしても日本公演をやりたい,初来日だったのですけれども,日本公演の初日を石巻でやりたいということで,ネットワークを繋いで石巻の学校でやっていただいたという写真ですね。大盛り上がりでしたね。子供たちはもう本当に,このおじさんたちをアイドルのように,きゃあきゃあ,きゃあきゃあ,言っていましたけれども。これはまた学校に支援金を届けた写真です。またおやじの会の繋がりの中で,今度は陸前高田まで行きました。これは陸前高田で津波を被った道の駅ですね,ここの三角のほとんど上のところまで津波が来たそうです。陸前高田で軽トラ市というのをやって,私が手帳を持って行ったのですが,実は,手帳は配られていて,1冊も売れなくて。あと,生たまごとプリンを売ったのですけれども,生たまごはものすごい勢いで売れました。今度は香川のおやじの会を通じていただいたバレーボールのユニフォームも気仙沼の学校に届けたものです。
 こんなふうに,ですね,初めには物資の提供をしていたのですけども,だんだんそれが復興の進捗とともに変わってきて,活動内容が変わってきたという報告でした。どうもありがとうございます。
 ええと,ちょっと長かったですね。はい,ありがとうございました。仙台で文庫活動をなさっています「まつお文庫」の主催をなさっています,松尾先生なのですけれども,その活動のあらましも含めて,3・11の後,子供たちが,この「まつお文庫」との繋がりがどんなふうになっているのか,というところも含めてお話をいただきたいというふうに思ういます。
 自宅で「まつお文庫」という小さな子供の図書館をやっています,松尾です,どうぞよろしくお願いします。5分間でということで,何をどうお話しようか,難しいのですけど,私が文庫を始めた頃というのは,今こそ仙台には7館くらい図書館がありますけど,西公園に図書館が1つあっただけで,本当に子供の身近に本がある,というような状況には程遠い状況の時でした。で,そのころ仙台には,もうすでに1960年代後半から文庫が増えていまして,私が70年代後半に始めた時には,もうたくさんの文庫が増えていたなという気がします。で,私は仕事をしていて,たまたま石井桃子さんという子供の本の翻訳をしていた方がいらっしゃるかと思いますけど,石井さんの子供の図書館,という本を読んだのがきっかけで文庫を始めたわけですけど。そうですね,子供が集まる場所,子供の身近に本を置きたい,そしてそこに子供が集まる。で,集まったらそこで子供が交流できる,そういう場になればいいなという思いで,最初の頃から絵本と,子供の本と遊びを大事に備えて活動してきたような気がします。で,そうですね,資料の方を見ていただけると文庫の様子がわかるのですけど,週2回文庫を開いておりました。だんだん子供の利用が少なくなってきて,昔は本当に100名くらい押し寄せた時があったりで,今思うと,本当にどういう形で子供たちがその場にいたのだろうと思うくらい,信じられない人数なのですけど,昔は随分たくさん子供が,どの文庫にも来ていました。で,だんだん,90年代に入って,どんどん子供が少しずつ減ってきた時に,文庫のお祝いごと,記念,節目ごとにやってきたのですけど,週2回の文庫ということで,2008年の10月に2,000回目の文庫の日を迎えました。あと3年半くらいで3,000回までいくのかなということで,できたらそれまで文庫を続けていられたらいいなという気がしています。利用状況ですけれども,さっきも言いましたように,100人ぐらい来ていたというのは,1980年代に,1年間の登録が600人を超えた時がありました。今の登録は100名をちょっと超えているくらいですから,もう本当に五分の一に減ってしまったかなという気がします。でも,この34年間の登録した子供たちは10,000名にはちょっと足りませんけど,9,000名を超えていて,貸し出された本がそこに書いてあるくらいの本の貸出しをしてきたかなという気がします。やっている場所ですけど,やっている場所は我が家の居間です。ですから,夕食をそこで食べますし,それからお客さんが来たらそこに通しますけど,壁という壁がほとんど本箱で埋まっているという状況で,しかも,今はフローリングになったのですけど,昔は和室でしたので仏壇が置いてある文庫をやっているという状況なのですけど,そういう中で続けてきました。
 3月11日以降のところに触れます。うちのところはとても揺れがひどかったところで,確かに本が随分落下して大変だったのですけど,本を元に戻せば何とか活動ができたというところで,4月13日から文庫を始めました。その前も3週間ほど春休みを取っていたのですけど,その時にも玄関先に,もし,水曜,土曜日に本を借りたい人は貸すことができるのでお声をかけてくださいという看板を出しておきましたら,春休み中も8人くらいの方が来てくださって,借りてくださったのです。その時のお1人の方がとても印象深かったのは,若林区の深沼で,お家をやはり流された方が家の近くに越していらっしゃっていて,その方が文庫のことを聞いていて,でも場所がわからないといって,何でしょう,交番に聞いて尋ねて来て,文庫の部屋に入った時に,あっ,本があると言って涙ぐんでおっしゃって。で,それからずっと4月一杯本を借りて行ってくださったというのがとても印象深くて,文庫を開いていてよかったなと,その時は思いました。4月13日から通常通り文庫を開いたのですけど,7月までの3か月の利用状況を見てみますと,前年,それから,その前の年と比べても大きな変化はなく,むしろ増えていたかなというところで,図書館が全部閉まっていたという状況の中で,本を求めていた人に,ほんの少しですけどお役に立てたのかなという気がしています。
 で,その前から,3月以降ずっといろんなお友たちから本を送るよとか,いろんな支援の電話をいただいたりしたのですけど,でも,でももう少し待って,何もできないという思いでお断りしていたのですけど,たまたま1本のファックスが入りまして,大阪の紐メーカーの方が綾取りの紐を被災地に送りたいと言っているけど,誰かそれをしっかり届けてくれる人を探しているという見知らぬ方からの,国際綾取り協会の方だったのですけど,その方からファックスを頂きまして,じゃあ文庫が何とか開けたので,じゃあ文庫でやろうということでお引き受けすることにしました。それがきっかけで,綾取りの紐だけ届けるのでは難しいので,綾取りの本も一緒に届けよう,それから絵本も届けたい,それから文房具もあるといいよねとか,それから文庫で子供が楽しんでいるビュンビュン駒とかお手玉を作って一緒に送ろうということで,お母さんたちに急遽声をかけました。10名ぐらいのお母さんたちが集まって,4月の後半から連日ビュンビュン駒と,それからお手玉作りをして,まず避難所から始まりました。その後は小学校,児童館,保育所という形で今も続いているのですけど,21か所くらいに,本当に届けるという形でしかお手伝いはできなかったのですけど,そういう活動が文庫としてできたことがとてもうれしく思っています。
 文庫というのは地域の中で,本と遊びを通して異年齢の子供たちが出会い,そして子供と子供が出会う場所,子供と大人が出会う場所,大人同士が出会う場所という中で,今回こういう震災の中で,改めて,文庫に関わってくれた大人たちが,本当に力を出し合って1つの動きを持てたということをとてもうれしく思っています。
 はい,ありがとうございます。仙台市内には,いくつか文庫をやっていらっしゃる方がいますね。
 そうですね,昔は本当に泉区に20くらい,それから,それ以外の区に50いくつくらいあった時代があったのですけど,今は全部含めても30くらい,半分ぐらいに減っているかと思います。図書館がどんどん増えましたし,文庫の果たす役割は随分,昔ほどではなくなったのですけど,でも,人とのふれあいというところでは図書館とは違うものが文庫にはあるかなと思っています。
 はい,その3・11以降のお母さんたちの活動や,あるいは,文庫を訪れる人との,今,お話を聞いて,地域の中で果たす役割,本当に地域の中での,人と人との中での果たす役割というのが非常に大切なのかなと,今,お話を伺っていたのですけど,ありがとうございます。
 先ほど,お昼にもう公演を見られた方もいらっしゃると思うのですけれども,一関で「道化師クラウンろっく」というのをやられています松谷さんに,日頃の活動と,震災の時と,それ以降の活動について少しお話をいただきたいと思います。
 はい,改めまして松谷と申します,私のところだけまぶしいでしょうか,大丈夫でしょうか。僧侶でも何でもなくて,私,実は市の職員で,岩手県一関市役所の職員で,教育委員会の,たまたまなのですけど,生涯学習文化課というところにいまして,社会教育の関係の仕事をしています。で,趣味として,先ほどのクラウンという活動をしております。なので,趣味と仕事がすごく行ったり来たりしていて,仕事だけではなく,趣味でやっている活動が仕事でも活きているという,すごくハイブリッドな生き方をしているかなと自分でも思っています。で,クラウンはホスピタルクラウンという小児がんの,本当に,最後のすごく重い病棟のところを廻る道化師の本をきっかけに始めました。他にもいろいろ理由はあるのですけども,あとは,クラウンということについてなどは,資料には入らなかったのですけど,別紙で多分皆さんのお手元にいっていると思いますので,あとで御覧いただければと思います。
 その,支援とか繋がりという部分なのですけども,私は1人でやっていますので,1人と,あと自分の長女と長男,子供2人と3人でやっていますので,団体とかそういうものには属しておりません。なので,震災直後に,やはり,笑いを届けるとか,笑ってもらおうということを考えるのですけど,動き出しとして,どこにどういうふうに動けばいいのかな,というのがわからないというのが個人的にありました。で,これって,やはり,団体に所属していない弱みかなというふうに思った時期も,正直言ってあります。それで,あと,一関市ということで少し内陸なので,陸前高田とかの方が温泉宿の方に避難所として入られました。温泉宿ってすごく奥の方でございまして,近くに商店もなければ,電気が通っていてよかったなというのは大袈裟ですけど,そのくらい結構奥でございまして,で,そこにはちょっとニーズがあるかどうかわからなかったですし,あまり極端に,あのような赤い花をつけていくというのもちょっと悩んだのですけれども,地元ですし,そういった娯楽がない地域だったので,これは行こうということで,子供を連れて2か所ほど行ったというのがまず,最初の支援です。で,次に繋がりという部分なのですけども,私の仕事柄,その年の1月にファーザーリングジャパンという,お父さんたちのNPOがあるのですけど,そちらに所属させてもらいました。高い会費を払ってですね,何のメリットもないNPOだって会員に人たちもよく言うのですけども。ただし,メールとか,今時のハイブリッドなデジタルな交流というのがすごくありまして,携帯電話だけで全然あったことがないお父さんにすごい激励というか,励ましのメールが届いて,1人で携帯電話を見て泣いていて,妻に,何を泣いているのと言われたりするぐらい,デジタルな繋がりというのが一つありました。で,その団体と,陸前高田の方の読み聞かせツアーに一緒に同行させていただいてというのが,繋がりとしてはそういう団体に所属していてのつながりで,そのクラウンというのもちょっとやりつつ,絵本の読み聞かせをさせていただきました。あとは,本当に身近な繋がりでは,仕事の関係で今日も来ていますけれども,社会教育の関係の指導員の人と,あと,岩手県の中で,私も子育て支援員みたいな格好の認定を一応もらっているのですけど,その関係の陸前高田の方とのネットワークがありまして,その女性同士の繋がりの中に,やはり,声をかけていただいて,で,私とか,あと,地元にゲイビマンという,戦隊ものをやっているお父さんたちがいるのですけど,そういう戦隊ものをやっているお父さんたち,あとは子供たちと一緒に合唱というか,歌をやっている人たち,そういったものを皆さんで一緒に,ニーズに合わせて出向いて公演をするというのを2回ほどやっておりまして,その,ニーズに合わせた対応をするためにも,やはり,繋がりがないとちょっと厳しいのかなと。で,勝手に押しかけて行くというのも難しいのだろうなと思いながら,その繋がりのありがたさを感じながら今やっていますし,私としても更に次のステップに進むために,もう少し自分の使命というか,ライフワークとしての,もう少し深いところを掘り下げようかなと思って今やっているところです。ありがとうございます。
 ありがとうございます。一関の生涯学習課に行ってみたいというふうに思うようになりましたね。ありがとうございます。寺岡おやじの会の伊藤さん,先ほど全体の活動についてお話をしていただいたのですけれども,地域の中で,例えば何か災害が起きたりした時に,やはり地域の中の繋がりというのがとても大切なのかなというふうに思うのですけれども,なかなか普段はお父さん同士が繋がるところが少なくなってきているということがあると思うのですね。震災の後のお父さんたちの繋がりというと,もしかしたら,こうですね,さっきのあれを見ていると,学校に泊まろうなんていうのも,震災が起きる前にやっている,みたいなところがあるのですけれども,そのことも含めて地域の中で繋がりを作っていくということでお話いただけますか。
 はい,寺岡おやじの会の伊藤と申します,先ほど発表事例でもあった通りなのですけど,我々の活動理念が次の世代,次の世代を担う子供たちとふれあって,で,親父たちが仲良くそれに加わって,新たなふるさと作りをしたいという,このふるさと作りを1つのテーマとしています。例えば,皆さんが,自分のふるさとってどこですか,と聞かれた時に,ふるさとはここですと言える人と,ふるさとってどこだろう,と思う人がいるかと思います。私自身,仙台で生まれたのですけど,1歳半で関東の方へ,うちの親父の転勤で動きまして,その後も小学校1回,中学校1回,転校しているので,私自身,ふるさとって感覚としてないのですね,自分のふるさとって,ないのです。ここでふるさと作りというのは,寺岡紫山に住む子供たちが将来大きくなった時に,大人になった時に,ふるさとはどこですかと聞かれたら,寺岡です,紫山ですと言ってもらえるような,そんな地域づくり,それのお手伝いをしたいなというのが活動の根本にあります。その活動をしていく中で,やはり,我々「おやじの会」って,単なる任意団体,その辺のサークルと一緒なのですね。その中で,幅広く家庭教育支援をしていくためには,というところでは,やはり,学校であるとか,あと,児童センターとか,市民センターとか,そういう公共の施設,あとは町内会,あと子ども会,あと寺岡には寿会という老人クラブもあるのですけど,そういう幅広い組織,年代との連携が非常に重要なのかなというふうに感じています。ただ,様々な団体があるのですけど,当然年齢構成がぜんぜん違います。あと,活動できる時間も違います。持っている予算とか,お金の使い方,かけ方も違います。違うのですが,あるイベントを通じて,例えば目的が重なった時に,非常に大きな効果を発揮しているなというふうに実感しています。そういう中で,お父さんたちの,親父たちの役割なのですけれども,親父たちって,いろいろ寺岡おやじの会でも技術系のサラリーマンであったり,営業職であったり,中には学校の先生もいたり,あとはお役所勤めの方もいたりということで,様々な業界の専門家たちの集まりなのですね。なので,あることをやってみようかという,ちょっとした発想があると,あっ,それってこんなものが使えるよとか,こういう道具がないというと,あそこから借りられるとか,そういういろんなアイデアをお父さんたちはいっぱい持っているのですね。で,そういうのを,アイデアを使いながら,我々,いろんな活動,イベントをやっています。
 そういう中で,地域とどう繋がりをもっていくかというところなのですけど,寺岡おやじの会の活動を大きく分けると3種類あるかと思います。1つは,先ほどキャンプとか,学校に泊まろうとか,おやじの会で主催して活動しているイベントが1つです。で,あと2つ目は地域の諸団体,小学校の運動会とか,あとは町内会の夏祭りとか,そういう各諸団体で主演する活動を支援する,お手伝いをする活動ですね,主に力仕事を頼まれたりとか,そういうことがあります。で,3つ目なのですが,3つ目がちょっと特徴なのかなと思っているのですが,我々おやじたちが企画・発案をして,そういう各諸団体に対して仕掛けていくということをやっています。で,その中の1つが,先ほどの,例えばオリンピック,あれは,主催は各諸団体から構成する実行委員会を作って,立ち上げて活動しているのですけど,発想は,昔,自分たちが子供だった時に,子供からお爺ちゃんまで学区民で運動会をやっていたよね,昼にはお弁当を食べたよね,という,ああいうことを子供たちにも体験させてあげたいな,それがやはり,学校の体育大会だけではちょっと違うのだよなという思いがあって,だったら地域で楽しめる何かスポーツイベントをやろうということで仕掛けたのがオリンピックです。あと,夏祭りとかでも,寺岡の夏祭りは昔,盆踊りがなかったのですね,昼間だけで夜は盆踊りがなかったのですけど,親父たちはやはり,どうしても祭りといえば盆踊りをやろう,やりたい,ということで町内会の方に働きかけをして,今では盆踊りが実現しているとか,あとは,本日の最初のオープニングイベントで親父バンドが寺岡ブギブギを歌ったのですけど,紫山に中央公園という比較的ちょっと大きな公園がありまして,そこで音楽祭を企画してやり始めています。これも,音楽って,子供からお年寄りまで共通の趣味,趣向なのですね,こういうところで,この地域の中で音楽好き,楽器を弾ける人,歌いたい人,結構いるのではないかということで声かけをしまして,町内会の方に仕掛けて,その公園を使って音楽イベントをやるということでやったら,結構な人が集まるし,それなりの技術を持たれたエンターテーナーが町内にこんなにいたのかというようなことがあります。
 まあ,いくつかその事例をお話させていただいたのですが,そのような形で親父たちが楽しみながら,地域に仕掛けてコミュニケーションをとっているという実態があるかと思います。
 ありがとうございます。震災以降,地域の繋がりをどう作っていくのかということで,皆さん,本当に大切にしようというふうになっているのですけれども,今のお話なんかを聞くと,本当に地域の防災のリーダーといいますか,防災を含めて地域で活動していくという,1つの大きな繋がりにもなっていくのかなというような感じがしますけれども。親父たちはそんな熱い気持ちでやっているのですけども,本当にそうなのかどうかということを,子供たちから聞いてみたいと思うのです。実際に寺岡の子供たちが,今日,バンドで入ってもらっていますのですけれども,福地カイト君,それから,亀山ユウク君ですね,滝沢ユウキ君と3人にちょっと座ってもらっていますので,本音のところを,ちょっと話をしていただけないかというふうに思っています。まず,子供たち,あなたたちから見ると,あんな格好いいことを伊藤さんは言っていますけど,お父さんたちはどんなふうに見えるのかということを,話をしてもらっていいですか。
 はい,ちゃんとメリハリをつけているいい人たちだと思っています。
 すごい評価ですね。
 微妙なのですけど,定例会とかの会合で,まじめにちゃんと話合いをしているのですけど,飲む時は飲む時で,騒いだりしていて,そこは本当に親父らしくしていて,ちゃんとそういうところを分けている。ちゃんとやるところと,何かいろいろ,後で息抜きみたいなところは本当に騒いだりして,ちゃんと分けているいい人たちだと思っています。
 ありがとうございます,すごい,やはり地域づくりもメリハリが大切だということですね,ありがとうございます。じゃあ,子供たちも多分,地域の中でいろんな活動に参加していると思うのですけども,お父さんたちの会の活動なんかにも参加していると思うのですけれども,どんな活動が,皆が参加して楽しいのかちょっと教えていただけないですか。
 まず,大きいキャンプ,学校に泊まろうとか,あと,1日,雪山に行って歩くスキーをしたり,そういうのが楽しいです。
 学校に泊まったりなんかするのは始めて?
 何回かやったことはあるって,経験はあるのですけど,僕は初めてやりました。
 はい,ありがとうございます。
 僕は,今日もあるのですけど,大人がお酒を飲んでいる時に,子供はお菓子を食べて,ゲームをしたり遊んだりするので,その辺が特に楽しいです。
 なるほどね,その時間は思いっきりそういうことができるわけですね。
 はい。
 はい,メリハリのハリのとこですか,ありがとうございます。ええと,本当は皆さんにたくさん時間を使っていただきたいと思うのですけれども,是非,パネリストの方に,会場の方からもし質問などがありましたら,ここでお受けしたいと思うのですけれども,いかがでしょうか。どなたか御指名していただいて,お話をお聞きしたいという方がございましたら挙手でお願いしたいと思うのですが,いかがですか。
 はい,お願いします,あの中段のほうの方のところへ,よろしくお願いします。
 いろいろと有意義なお話をありがとうございます,山形県の村山市からまいりました,うちの地域では,うちの地域も,全国的に,なのかもしれませんけれども,1人親の家庭が結構多くなってきました,年々増えてきています。で,おやじの会の皆さんにちょっとお聞きしたいのですけれども,1人親家庭,特に母子家庭のお子さんに対して,どのような配慮をなさったり,ふれあいを考えていらっしゃるのかなと思いまして,お願いいたします。
 はい,これは伊藤さんでよろしいですか,滝沢さん。はい,伊藤さんお願いします。
 ええと,母子家庭のところというところで,特別,おやじの会の活動の中で,そこの子供さんが母子家庭なのかどうなのかということを意識したことはちょっとないのですけども,活動を見ていて感じるのは,何かイベントをやって集まって,おやじたちが集まって,子供たちが集まってということになると,個々の家庭のグループの境目というのはそこにはないですね。なので,ここのお子さんは母子家庭のお子さんだとか,他はどうだとか,ここのお父さんはずっと出張でいないとか,それぞれ事情はあるのでしょうけども,活動の中でそういう境目を感じることはないです。まあ,どういった配慮をしているかという多分答えになっていないのですけども,ちょっと話が変わってしまうのですけども,最近ですと,どうしてもアレルギーの関係で食べ物に気をつけなければいけないとか,「学校に泊まろう」の時にも,アレルギー性のものはちょっと出せないとか,そういったところはやはり配慮しなければいけない,安全面としては配慮しています。ごめんなさい,ちょっと答えになっていませんけど。
 あれですよね,特にお父さんと一緒に,という活動ではないのですよね,地域の人たち,お父さんが仕掛けているということで。
 あの,企画とか,こういうことをやりましょうというのは,我々お父さんたちが企画するのですけど,基本的に,そこに参加してもらうのは,それ以外のお父さん,お母さんと子供たちとかという形で参加してもらっているので,大人たちもいっぱい集まるし,子供たちもいっぱい集まるという形ですね。
 地域のおじさんたちが世話をしてくれるということですね。
 はい,そうすると,子供たちが大人たちの,自分のお父さん,お母さん以外の大人の顔を覚えるのですね。子供たちなんて友たちのように話しかけてくると,私が朝出勤しようとして車を走らせて交差点で止まっていると,私の顔を指差して,あっと指をさして,行ってらっしゃい,みたいに手を振ったりする子供がいるということが,まあ,何かうれしいのですね。そういう子供たちとの繋がりを感じています。
 ありがとうございます。松尾さん,例えば,お母さんたちが,文庫に随分関わっていらっしゃいますよね。そのお母さんたちが,地域の他のお子さんたちとの繋がりができるというふうに思うのですけれども,日常,どんな形で繋がっているのか,その辺のところをもうちょっと教えていただきたいなと思うのですが。
 そうですね,どうでしょうね,確かに同じ地域に住んでいる子供たちと,別な場面で会って挨拶されたり,そういうことは確かにありますよね。で,今のお話とはちょっと違うかもしれませんけど,おやじの会の活動は,どちらかというと外でお父さんたちと,というような動きのある活動ですけど,文庫はどちらかというと,家の中でやる活動というところがあるかなと思うのです。ここ10年くらいはお父さんが文庫に来てくれるという,昔ではとても考えられなかった風景をとてもよく見ていて,家族,お父さん,お母さんと子供も一緒に来る,お父さんと子供が一緒に来る,という風景もあって,文庫にもそういう形でお父さんが現れてくれてうれしいな,というのは最近感じています。ちょっと答えにはなっていませんが。
 いえいえ,あの,お父さんの顔,今まではお父さんの背中と言われていたのですが,背中どころか顔も見えない,という場合もあったりなんかするのです。今,そういう文庫活動の中でも,そういう,お父さんたちが家庭を見ながらそういう場所ができているという,そういううれしいお話があったところですけれど,さらに,会場の中で,質問や何か聞いてみたいことがあったら,どうぞ挙手をお願いしたいと思います。はい,じゃあ,お願いします。
 すみません,泉区南中山のアラミと申します,本日の話題の中で,生涯教育課の方で担当されております,社会学級という話が話題として一言も出なかったのですが,仙台市の方は御存じかと思いますけども,これは全国大会ということでございますので,社会学級に関して,今,親父の会さんの方でありますけども,何かご説明できる方はいらっしゃいますかね,いらっしゃいませんか。それはそれで結構ですけども,仙台市の場合は社会教育法に基づいた社会学級というのが,ずっと50年近くできあがっていまして,これが123校ありまして,1学級が30名近く,多いとこでは150名の会員を持って,PTAとはまた別に社会教育の実態として展開している部分がございますけれども,ここら辺の紹介がなかったのはちょっと残念かなというふうに,ちょっと,今回のPTA絡みの関係であります。と言いますのは,社会学級のメンバーが,歴史が古い関係がありまして,1つは連合町内会の役員をやったり,それから,社会福祉協議会の理事を担当していたり,それから,学区体振の役員をやったりというようなことで,各箇所で,地域の中において,かなりリーダー的立場で展開している部分がございます。そういう意味におきまして,おやじの会の方にお聞きしたいのですけども,連合町内会だとか,単位町内会,それからPTA,それから社会福祉協議会だとか,学区体振等の運動会だとかを含めまして,調整関係はどのような形で展開されているのかなと,この資料の中においては,そのような内容については見えておりませんけども,各種団体懇談会的な会合を年に1回,主催としてなさっているようでございますけども,一般的には連合町内会が主催で,他の地区では各種のリーダーと懇親といいますか,年度計画を含めて展開している部分があるわけですけど,そこら辺をちょっと理解できない部分があったものですから,何かわかるようであれば教えていただければと思います,以上です。
 はい,ありがとうございます。
 あの,私がコーディネートしているせいか,おやじの会に質問が集中しているのですが,少し話を広げて,地域の他の団体があると思うのですね,そういう団体とどんなふうに繋がっていくか,まあ,地域だけではないと思いますけれども,全国的な団体もあると思うのですけれども,どんなふうに調整をしていくのか,あるいは,そういう団体と繋がっていくことによって,また新たな活動というのですかね,そういうものが生まれることもあると思うのですね,その辺のことについて少しお話をいただけないかなというふうに思うのですけれども,どなたかお話をいただいてよろしいですか。
 あの,寺岡地区の場合ですと,寺岡連合町内会,あと,紫山連合町内会のほうで開催する地域諸団体交流会というのが別にございます。で,その中にもおやじの会は参加しているのですけれども,そこでも各諸団体が参加していまして,公な行事の日程の調整であるとか,または,相互の協力の調整というのはそこでされています。で,冒頭,御紹介した親父と地域の集いは,もう少しそこを緩くした形で懇親会中心,言いたいことを言いましょう,まだ正式な計画ではないけども,こんなことをしてみたいのだけど,というようなレベルの調整がそこでされているという御理解をいただけるといいのかなと思います。
 はい,ありがとうございます。そういう調整をしっかりやって,地域の中で活動を決めていく,しかし,それがきちっとした形ではなくて,できるだけ皆が参加できるような形で緩く繋がる繋がり方というのですかね,カチッと決めるというよりは,参加できるように緩くつながるという,そういうふうなところを目指しているとか,実際に活動しているということでございますね。松谷さん,地域のいろんな団体がね,先ほどの話にもあったのですけれども,いろんな人と緩くというのは変ですけれども,必要な時に繋がっていくという繋がり方の中で,また,新たな活動も見えてくるのかなと思うのですが,その辺について少しお話をいただけたらと思うのですけれども。
 はい,先ほど私,一関市の教育委員会ということでお話しましたけれども,どこの地域,どこの市町村でも,最近は,住民と行政と民間の企業であったり,共同の町作りというとかというお話がよくあると思うのですけども。一関市ですと,やはり,何かやろうと言った時に,行政まかせというか,行政に何とかしてもらおうというような,補助金を当てにしてというか,昔の,私の知らない流れもあるとは思うのですけども。今お話いただいている寺岡とか,そういった話はすごい先進事例だなというふうに私は感じております。なので,私も個人で,たまたま職業もそういうものだけなのですけど,もし別に今の職場ではなくても,多分,そうやって団体と本当に繋がって,やはり志がある人は何かしら繋がりをもって,繋がってきて,お互いの得意な分野で支援に行ったりとかということで,間に行政がなくても本当に繋がっている状態を,私が仕事を離れて見ても,実際にあります。で,他の団体,他の市町村さんなんかの話を聞いても,やはり自分たちで何かしようと思った時に,行政だったり,そういうNPOを介さずに,自分たちのネットワークの中で動いているという事例もよく聞きますので,何かしら同じ志の,どこか別の地域との人との繋がりとか,そういったものが以外と威力を発揮するのかなというふうに感じたところです。
 ありがとうございます。照井さんどうですか,行政の方と一緒にやったりすることもあると思うのですれども。
 そうですね,私の住んでいる鹿島台というところは,大崎市と合併したのですけれども,元々は鹿島台町1つでありまして,しかも歴史が古いといいますか,本当に私が住んでいる行政区なのですけれども,そこの行政区でも運動会とかいろいろやっていまして,そこはそこで,やはり,さっきも運動会,紫山オリンピックの話を聞きましたけれども,本当に補助の乳母車を押して来るお婆さんたちが運動会に来るのです。あと,子供たち,小さい子供たちから,本当に,もう,まだ歩けない子供から,歩けない状態のお婆さんまでが一堂に会したような行事とか,そこはそこで,地域の中で活動はしていくのですね。で,私たちの親父の会というのは,そことはちょっと別なのですよね。地域を離れて,私が住んでいる行政区,あるいは他の地域の行政区のところにいるメンバーといろいろやる。あるいは,それを通り越して,さっきも言いましたけど,九州のおやじの方々と一緒に繋がって,今なんかも,ネットワークという点で言いますと,今回の支援なんかもフェイスブックとか,今の最先端の技術を使っていろんな方法の支援とか,情報とかを教えていただいて,それはまだ,いまだに続いています。あと,さっきの母子家庭のお話にちょっと関連するかもしれないですけれども,私が夏に行かせていただいた福岡のサミットなんかでは,分科会で父子家庭の方の分科会というのが1つありました。ちょっと私もべつのところで発表しているので詳しくは聞けなかったのですけども,そういう活動をメインでされている方もあります。あと,まあ,親父の会というと,どうしてもお父さん方だけかなと思うのですが,実は,そんなことは全くなくて,さっきの全国サミット,あるいは福岡のサミットもそうなのですけども,実は,半分以上がお母さんたちのお手伝いですね。 お母さんたちがいないと,親父の会そのものも運営できないと。だもんで,別に分け隔てなく,実際問題,代表の方で女性の方もいらっしゃいます。そういう場合には親父の会という名前ではなくて,別の○○会,○○会といろいろあるのですけども,お揃いのTシャツを着たりして,そういうこともあるので,分け隔てなく,おやじとは言いますけど,実はお母さんたちとも一緒に活動しているということですね。
 はい,ありがとうございます。あの,時間がもう過ぎておりまして,本当に私の司会はどこまでいってしまうのだろうということになってしまいますけれども,先ほどの社会学級の件に関しましては,私もそこに招かれて,いろんな討論に参加したりなんかしております。そことはまた違う議論ということがあるかもしれませんね。あの,おやじの会がそういう既成のところと全く別の活動をしたり,他の団体が別の活動をしているというところではなくて,そういう既成の団体とも一緒に繋がっていって,そしてどういう効果が生まれるのだろうか,そこをすごく楽しみにはしております。
 今日の話をいただいた方々の活動というのは,積極的に地域でやられており,本当に自分から,自らやっていくという,そういう団体がいろんな地域の人と繋がり合っていく。それから,そこからちょっと飛び越えて,また,全国の人たちの要求を聞いて,また,全国にそれを発信していくというようなことをやっているということで,そういう意味では,簡単に言ってしまえば,おせっかいなお世話なのかもしれません。それが地域の繋がりというものの,やろうとする気持ちを繋いでいく1つの契機になっているのかなというふうに思うわけですけれども。で,いろんな団体が繋がっていくことによって,また新たな効果というか,自分たちが思っていなかったような効果が,おそらく生まれるのかなというふうに思って,それぞれの皆さん方の経験をお聞きして,楽しみだなと思っております。
 本当に,会場の皆さんから御意見をお伺いして,ここにいらっしゃる方にお話をしていただきたいのですけれども,残念ながら時間がちょっと許さないものですから,この辺で終わりにしたいと思います。本日はどうもありがとうございました。
 ありがとうございました,会場の中からも質問が出されましたり,活発な情報交換ができたのではないかと思います。ちょっと時間がたりないなとおもわれた方が大勢いらっしゃるかもしれませんけれども,もしよろしければ,アンケートにいろんな御意見を御記入ください。
 それでは,以上をもちまして第3分科会はここで終了させていただきます。尚,引き続きこちらの会場で準備が整い次第,分科会の報告を行いますので,皆様,恐れ入りますが少々お待ちください。

(終了)

お問合せ先

生涯学習政策局男女共同参画学習課家庭教育支援室

(生涯学習政策局男女共同参画学習課家庭教育支援室)

-- 登録:平成24年08月 --