第1章 3.教科書の改善・充実に関する総論(国語)

 近年、国語教育をめぐる状況は大きく変わろうとしている。言葉に対する能動的な姿勢を養うこと、すなわち、積極的に言語を活用することのできる人間の育成を重視することへと指導の方向が転換しようとしている。
 2008年に出された中央教育審議会答申に示された学習指導要領改訂のポイントの一つに「思考力・判断力・表現力の育成」が挙げられているが、それらの能力の基盤として「言語の能力」が重視されている。また、「教育内容に関する主な改善事項」の一つに「言語活動の充実」を挙げるなど、教科としての国語科が担うべき責務は今後一層重くなることが予想される。こうした状況に至った直接的な背景には、2003年以降のいわゆる「PISAショック」による読解力低下の議論があるといえそうであるが、これまでの国語科指導において長期にわたり横たわってきた問題に対する抜本的な改革が求められた結果であると考えることもできる。こうした状況に鑑みるなら、国語科の指導において用いられている教科書も変えていく必要があるだろう。
 かつて、灰谷健次郎氏は『砂場の少年(注1)』の中で、主人公である国語教師と一人の中学生との次のようなやりとりを描いている。

「教科書に載っている文章は、楽しんだり感動したりするためにあるもんじゃないと、みな、思ってるんです」
「う……ん?」
「点を取るための材料です」
「なるほど」
「それは僕らが悪いわけじゃないですよ。そんなふうにしか扱わないんだもの。学校では」

 灰谷氏が『砂場の少年』を書き、登場人物たちにこのようなやりとりをさせたのは、ほぼ20年前のことになるが、今現在、学校で国語を学ぶ子どもたちに、同じ思いを抱かせていないかどうか。それをあらためて考えてみることから、これからの国語科教科書の改善・充実に向けた議論は始められるべきであろう。
 教科書が学校教育に与える影響は計り知れない。小学校の教員は、日々の授業において一人ですべての教科を指導しなければならない。個々の教員が、各教科の専門性に通暁すべきは当然のこととして求められるのであろう。しかし、全ての教科に対して十全たる専門性を求めることは、教師に過剰な負担を強いることにもなる。そういった意味において、教科書はなくてはならない存在である。すなわち、教科書を用いることにより、すべての教師がすべての教科において一定の水準を保った指導を可能にすることが教科書には求められている。
 本専門会議では、こうした学校教育における教科書の存在意義を認めつつも、現在の小学校国語科教科書の編集状況・内容に関する問題点を探り、これからの国語教育の変化に対応した教科書編集に向けて、その改善・充実を目指した議論を重ねてきた。
 本専門家会議の成果をまとめるならば、それは以下の3点となるであろう。
 まず1点目として挙げられるのが、本専門家会議が教科書に関わる様々な立場の人々によって議論を行うことができた点である。
 本専門家会議は、国語教育研究者、教科書の執筆に直接関わっている著者、実際に教科書を使用する立場にある現場の指導主事・教員によってメンバーが構成されている。また、会議には教科書出版社の編集担当者にオブザーバーとして参加していただいた。様々な立場の人間がそれぞれの主張を述べあうことにより、会議における議論は深まりを見せた。たとえば、「『ごんぎつね』など、教科書における安定教材の扱いをどうするか?」「教科書は必要最低限の内容を示したものとすべきか、あるいは学習資料的な扱いをすべきなのか?」「現行の教科書に示されている教材の学年配当は妥当か?」など、教科書の本質に関わる問題から実際の指導に関わる具体的な問題に至るまで、その内容は多岐にわたった。教科書について、これまではそれぞれの立場で個別的に(孤立的に)そのあり方をめぐって議論することが一般的であったように思われる。本専門家会議における議論は、教科書編集に対する論点を共有し、開かれたものにするための第一歩の試みであったと位置づけてよい。
 次に2点目として挙げられるのが教科書出版社へのヒアリングを実施することにより、教科書編集の実際に即した議論を行った点である。
 言うまでもなく、理念・理想だけでは教科書を編集することができない。教科書編集に関わるコストや予算の問題、実際に編集するに当たって生じる様々な困難などをふまえておく必要がある。本専門家会議の提案を現実的なものとするために、教科書出版社の編集担当者へのヒアリングは不可欠であったといってよい。ヒアリングによって、教科書の価格・分量などに対する各教科書出版社の見解や、教科書を編集するに当たっての基本理念、改善に向けた取り組みなど聴取し、それらをふまえた提言を行うことができた。
 さらに3点目として挙げられるのが、全国の教員・保護者に対してアンケートを行い、教科書が一般にどのようなものとして受け入れられているかという点を議論の俎上にあげた点である。
 アンケートでは、教科書に対する満足度や、実際の指導における教科書の活用法、教科書に対する要望・意見などに対する回答を求めた。これは、現在における教員・保護者の教科書に対する意識を明確なものとして把握することになったと思われる。本専門家会議では、ともすれば曖昧で漠然としたものとして退けられることの多い教員・保護者の教科書に対する意識をふまえつつ提言の方向性を定めていった。
 以上、本専門家会議の成果をまとめてみたが、そのうち、アンケートによって明らかになった教員の教科書に対する意識について、ここでは少し触れておきたい。
 全国の教員・保護者に対して教科書に関するアンケートを行うことにより、今後の教科書編集における様々な示唆が得られた。それらのうち特に注目すべきは、教員の教科書に対する満足度とこれからの国語科教科書についての要望についてである。
 以下の図表は、教員が国語の指導の選好度と授業での教科書の使用方法についての調査をまとめたものである。(資料編図表1-5,1-7)

図表1-8 国語の指導の選好度と授業での教科書の使用方法について

図表1-8 国語の指導の選好度と授業での教科書の使用方法について

 国語科を指導することについては、「まあ好き(41.7パーセント)」と「好き(39.0パーセント)」を合わせると約8割の教員が好きだと回答している。授業での教科書の使用方法については約5割の教員が「常に教科書を中心に指導を進める(48.2パーセント)」と回答しており、国語科の指導における教科書の存在の大きさが改めて確認された。これらの結果から、今回のアンケートに回答した教員はおおむね現行の教科書に満足していると考えてもよいだろう。
 ただし、ほとんどが満足しているという状況をどのように解釈するかについては多少議論が分かれるところである。回答した教員の指導歴・国語に対する意識などは多様であるにもかかわらず、おしなべて「満足している」という状況は不自然ではないかと疑ってかかることが必要かもしれない。すべての教員に開かれた存在でありながらすべてに開かれていないのが現在の国語科教科書であると解釈することも可能である。
 また、これからの国語科教科書がどうあってほしいかという要望については、主に自由記述による回答を求めた。それらの回答のうち最も大きな割合を占めたのが「読み教材」に対する要望である(「文学教材・説明文教材をもっと増やしてほしい」、「子どもの心に響くお話を…。昔教科書に載っていたものにもいいものはたくさんあります」、「感動的な物語教材をどんどん開発して下さい」、「話す・聞く教材を減らして文学作品・説明文を増やしてほしい」など)。言うまでもなく、現在の国語科指導においては、学習指導要領によっても「詳細な読解に偏らない」指導が求められているわけであるが、こうした回答から従来型の読解指導を求める声が教育現場には根強く存在するという実態が浮き彫りにされたといってもよい。
 ここで述べてきた、教員の教科書ならびにそれを用いた指導に対する一般的なイメージをふまえて言うならば、これからの国語科教科書は、こうしたイメージを変えるべく内容に改善が図られるべきである。教科書の内容を改善し充実させることによって、実際の指導をも変えていくという発想が重視されるべきであると考える。
 本専門家会議においては、教科書改善に関する基本理念を「基礎・基本となる学力を保障し、多様な学習活動を可能とする国語科教科書づくり」としている。これを実現するに当たっては「教科書の分量の見直し」と「国語の配当時数の増加」を前提条件とした。
 そして、その理念の実現に向けて教科書を改善・充実させていくための具体的な提言を大きく3つの柱に分けて行った。
 まず、1つ目の柱が「内容の充実」である。
 国語科の指導においては、学習者の言語活動に関する能力を高めることがまずその使命として求められる。そのためにはすべての言語活動に関わる新しい指導内容を積極的に採り入れていくことが必要である。その具体的な提案として、「メディア・リテラシー教育の改善・充実」、「演劇教材の復活」、「暗唱教材の拡充(詩・古典)」を取り上げた。
 次に2つ目の柱が「指導法の改善」である。
 これからの国語科教育のあり方について考える際には、その指導法に対する配慮も必要である。特に、学習者に対して学習に対する実感を持たせるための手だてを指導において講じていくことが重要となる。そのための提案として、「到達度・目標の可視化」・「トレーニング的要素の拡充」、「調べ学習用教材・単元の充実」を取り上げることとした。
 さらに、3つ目の柱が「豊かな言語環境としての国語科教科書の整備」である。
 国語は言葉を扱う教科である。それゆえに他教科以上に生活に密着するとともに、日常の言語生活に開かれた教科でなければならない。そのためには、まず子どもたちにとって非常に身近なものである国語科教科書を豊かな言語環境として機能させ、子どもたちの言語生活を豊かにするための「入り口」となる存在にしていく必要がある。これらの実現に向けた提案として「読書量確保のための文章数・量の増加」、「漢字表記の改善・充実」、「体系的語彙指導のための学習活動の充実」を取り上げた。
 本専門家会議における提案をきっかけとして、国語科教科書に対する議論がより一層の広がりを見せることを期待し、国語科教科書の改善・充実が進展していくことを切に望む。

  • (注1)灰谷健次郎 『砂場の少年』 1990年 新潮文庫

(森田 真吾)

-- 登録:平成21年以前 --