ヘテロ複雑システムによるコミュニケーション理解のための神経機構の解明(津田 一郎)

研究領域名

ヘテロ複雑システムによるコミュニケーション理解のための神経機構の解明

研究期間

平成21年度~平成25年度

領域代表者

津田 一郎(北海道大学・電子科学研究所・教授)

研究領域の概要

 コミュニケーションの脳内神経機構を理論と実験の協働によって解明し、コミュニケーション神経情報学という新領域を開拓することを目的とする。そのため、「数理システム論」、「ヘテロ脳内システム間相互作用」、「個体間相互作用」の3研究項目を立て、これらの間の共同研究を通して領域全体の研究を推進する。人と人、人とサル、人とロボット、人と物体が相互作用するときの各個体の脳内で起こる神経ダイナミクスを様々な脳計測技術を駆使して測定し、ダイナミックな神経活動状態の変化を詳細に調べ、理論構築を行う。この研究により、コミュニケーション障害の理解、教育現象の理解が得られ、コミュニケーションロボットの開発を促進させるなどの波及効果が期待される。

領域代表者からの報告

1.研究領域の目的及び意義

 本申請領域の目的は、コミュニケーションの脳内機構の解明であり、コミュニケーション神経情報学の開拓である。コミュニケーションとは人や動物が他者と記号化された情報をやり取りし意味や感情を共有する過程であり、そこにおいて協働や協調が生まれてくると言われている。コミュニケーションを理解するための神経情報学とは脳内の異なる領野間の神経連絡における電気的、磁気的、化学的な相互作用に着目し、脳の異なる領野に及ぶ新しい動的な状態を研究する領域である。この目的を達成するために、本領域研究ではA.数理システム論、B.ヘテロ脳内システム間相互作用、C.個体間相互作用の三つの研究項目における研究とその間の共同研究で領域研究を推進する。本研究領域では,対象をコミュニケーション及び脳内過程とし、数理的手法によるモデル研究と人やサルなどの脳活動の観測をとおしてコミュニケーションのメカニズムを解明する。すなわち、コミュニケーションの条件、状況、構造などを数理的に解析し、その脳内メカニズムを明らかにしていく。本領域研究の意義はコミュニケーションを日常的な創造性と捉え、その脳内機構を数理的に解明し、その結果として例えばコミュニケーション障害の解明など現代社会が抱える深刻な問題の解決につながることが期待される点にある。

2.研究の進展状況及び成果の概要

 研究期間の前期では、複雑系理論、大自由度カオス力学系理論、分岐理論、リズム同期理論を領域全体の基本柱に据え各研究項目の実験デザインの構築、実験データの解析を行うことで、新しい実験研究に大きな成果を上げた。後期では、前期で上がった実験研究の成果に基づき新しい理論展開がなされ、理論と実験の相互作用によって大きな成果を上げることができた。主な研究成果を次に述べる。(1)シンボルから意味生成、役割分担による言語としての使用に到る過程に三段階の過程が内在することを明らかにし、関連する脳内活動の一部を同定した。(2)共調動作における脳の大域的な領域での脳波に同期的な生成・消滅がみられることが分かった。これと関連し、自閉症児の環境変化不適応に関する神経機構の一部を明らかにした。(3)「分岐としての記憶」という新しい記憶概念を提唱した。(4)ヘテロ結合力学系における情報創成のひな型モデルを作り、神経回路モジュールの機能分化に関する数理モデルを考案した。(5)第二種自己組織化という新しい自己組織化原理を発見した。(6)まね行動において自他の分離に関する脳波データが抽出された。(7)動物の意思決定課題における神経活動の解析により、法則自体が時間的に変化していく新しい発展型力学系を発見した。以上のように、コミュニケーション神経情報学という新領域を打ち立てることができた。

審査部会における所見

A (研究領域の設定目的に照らして、期待どおりの成果があった)

1.総合所見

 3つの研究項目(数理システム、脳内システム間相互作用、個体間相互作用)を融合させると共に、サルの脳計測、ヒトの脳波計測、自閉症患者を含む被験者の脳波とNIRS計測、ラットの神経活動計測などを通じた総合的研究から研究領域の展開に成功した。分野間の連携にも工夫がなされ、若手研究者の育成にも大きな成果を挙げた。また、脳内情報処理に関わる数理研究者を計画研究に集合させ、自分の研究にのみ注意が向きがちな実験研究者をよく制御して、ゆらぎや引き込み、ヘテロ結合による情報伝達、脳領域間同期の役割など、複合系の新学術研究領域でなければ達成できない多くの成果を挙げたことも高く評価できる。
 しかしながら、計画研究で重点が置かれていたと見られる、記憶、言語、非言語、意味、などのヒトの高次脳機能と行動については、目覚しい成果が出るまでには至らなかったように思われる。また、ドライとウェットの融合研究についても成功例を増やすための工夫が必ずしも十分ではなかったと感じられた。

2.評価の着目点ごとの所見

(1)研究領域の設定目的の達成度

 2つの大きな設定目的のうち、コミュニケーションにおける脳内機構の解明については、5年の研究期間では達成困難なことは明白である。しかしながら、研究システムを立ち上げ、いくつかの成果に基づいて研究の将来性を示したことは評価できる。もう一つのコミュニケーション神経情報学の開拓については、国内の主要研究者を結集させ、より大きな脳科学研究者の集まりの中で積極的に交流を深めたことにより、当初の目的をほぼ達成できたと評価できる。脳の情報処理研究については、数理研究者と実験研究者の溝が比較的少ないと見られる一方、お互いのキャッチボールなしには決して発展しない学問領域でもある。この意味で、前期の公募研究の中に本来の目的が達成できず、各自の研究に終始したと推測されるものがあった点については、公募の段階でより明確なメッセージを示す必要があったと判断する。

(2)研究成果

 脳計測に基づく脳科学の基礎分野に関連して多くの新しい知見と着実な成果を得た点が高く評価できる。具体的には、二重課題遂行時のサルの脳計測から前頭葉の内側・外側に位置する高次運動野や運動に関与する一次運動野における機能連関に関する知見、ラットの神経計測による大脳皮質-基底核ループにおける拮抗的な運動制御仮説の検証とより複雑で協調的な制御機構の発見、および自閉症患者を含む被験者の脳内機構の計測からコミュニケーション障害の機構解明に関する知見などが挙げられる。また、コミュニケーション時の役割発生や脳内の機能分化などに広く認められる第二種自己組織化原理を具体的に提唱した点や、数理モデルから予測され一部実証されていたカントールコーディングをコミュニケーション課題において検証した点なども注目に値する成果である。
 論文のインパクトファクターという点では実験研究者の活躍が目立ったが、実験研究者が本領域研究を通じて研究法や解析法を学び、理論の予測を新たに発見できたことは、本領域の優れた成果である。ただし、計画研究で重点が置かれていたと見られる、記憶、言語、非言語、意味、などのヒトの高次脳機能と行動に関する新展開については、言語説得課題における脳計測にとどまっているように思われる。また、計画研究におけるビッグジャーナルへの投稿が極めて少なく、国際的な発信力に乏しいという印象を得た。
 報告書において、どの成果がどの論文に結びつき、それが数理および実験の双方でどのように評価されたか(受賞や権威ある会議での評価など)を説明する記述が不足していた点も今後改善していく必要がある。

(3)研究組織

 計画研究に参加した研究者は、理論研究と情報研究に比べ神経科学の実験研究者が少なく、研究組織の構成としてややバランスを欠いていた。特に霊長類の研究が国内レベルから考慮しても弱かったように見える。しかしながら、公募研究で広範な実験研究者を取り込むことにより、全体としてバランスの良い研究組織が形成されたと評価できる。また、領域内の融合研究の促進を通じて、経験に頼りがちで脳の情報処理に関する理論背景や研究手法に慣れていなかった実験研究者たちの成果に大きく貢献した点も高く評価したい。領域代表者が研究組織全体を非常によく掌握していた点が良かったものと考える。

(4)研究費の使用

 購入した設備等は研究成果を挙げるために有効に使用され、共同研究のために購入した設備備品も効果的な成果に貢献したと判断できる。しかしながら、国際会議を国内以外に海外でも開催したことについて、経費に見合う成果が得られたのかどうかを十分に説明して欲しかった。

(5)当該学問分野、関連学問分野への貢献度

 脳科学に関わる実験研究者への貢献が非常に大きかった。また、本領域だけに留まらず、ほかの新学術領域(例えば、「包括脳」など)との積極的な交流を通じて、領域の成果を普及させた点も高く評価できる。現状では、実験研究者にヘテロ複雑システムへの理解が進んだとまでは言いがたいが、多くの脳科学研究者が、数理的なアプローチや計算科学の必要性、および神経機能の背後にある非線形過程に基づく振動と同期に注意を向けるようになったことには敬意を表する。しかしながら、従来の脳科学分野の連携を超えた新しい異分野連携としてロボティクスや工学分野への貢献や、発達障害、コミュニケーション障害が大きな社会問題となっている中、教育や社会活動へのコミュニケーション神経情報学の貢献なども、今後、要求されるものと考える。

(6)若手研究者育成への貢献度

 全体会議、チュートリアル、国際会議などを通じ、若手研究者の育成に十分な努力を払ってきた。特に、公開非公開の集会を多く催し、新学術領域「包括脳」や神経科学学会など他の領域で発表の機会を促すことで若手育成の成果につながった点が評価できる。数理を理解できる実験脳科学研究者やウェット研究の問題点やデータの読み取り限界が理解できる理論研究者が育ちつつあり、結果として多くの研究成果に結びついた。本新学術領域の研究期間終了後は、大学教育、学会活動などを通じた教育システムをつくるなど将来の発展に向けた活動を続行することを期待する。

お問合せ先

研究振興局学術研究助成課

-- 登録:平成26年11月 --