現代社会の階層化の機構理解と格差の制御:社会科学と健康科学の融合(川上 憲人)

研究領域名

現代社会の階層化の機構理解と格差の制御:社会科学と健康科学の融合

研究期間

平成21年度~平成25年度

領域代表者

川上 憲人(東京大学・医学系研究科・教授)

研究領域の概要

 本領域研究では、現代社会の階層化と健康格差のメカニズム理解およびその制御方策の立案という、わが国のみならずアジア・欧米においても社会的に重要な課題の解決に学術的に貢献し、これを通じて社会階層と健康に関する社会科学(社会学、心理学・行動科学、経済学、政策科学等)と健康科学(公衆衛生学、保健学、脳科学等)を統合した新しい学術領域を確立することを目的としている。本領域研究では大規模な多目的パネル(コホート)調査を実施し、これを中心にさまざまな研究を実施する。本領域研究により、社会階層と健康とのつながりとこれを是正するための方策が明らかになり、社会階層と健康に関する新しい学術領域が形成されることが期待される。

領域代表者からの報告

1.研究領域の目的及び意義

 本領域研究の目的は、現代社会の階層化および健康の社会格差のメカニズム理解と、社会格差の制御方策の立案という、わが国のみならず、アジア、欧米においても喫緊の社会的重要課題の解決に学術的に貢献することである。特に以下を達成することを目標としている。
1)わが国の社会の階層化の実態とその健康の社会格差への影響の定量的な評価
2)健康の社会格差の医学・生物学的、社会疫学的、社会・心理学的、経済学的メカニズムの解明
3)社会制度・政策の社会の階層化への影響評価および健康の社会格差の制御における役割の解明
4)社会関係資本(ソーシャルキャピタル)などの社会の統合化プロセスの促進による社会格差の制御の可能性の検討
5)大規模多目的パネル調査から社会科学、健康科学にまたがる公開データベースを構築し、本学術課題の継続的推進を長期的な視野で展開する基盤整備
 こうした学際的な共同研究活動を通じて、社会の階層化と健康という研究テーマについて、社会科学(社会学、心理学・行動科学、経済学、政策科学等)と健康科学(社会疫学、保健学、分子医学・生物学、神経科学)を統合した新しい融合学術領域を確立する。

2.研究の進展状況及び成果の概要

1)わが国では所得・資産・親の学歴のいずれの面でも社会格差が拡大していることが示された。所得、学歴、雇用状態等の社会経済的要因は子供、成人、高齢者において生活習慣、健康、医療アクセス、幸福度と関連することが明らかになった。社会格差は子どもの健康に妊娠期から影響していることがわかった。
2)健康の社会的格差に対する物質的要因、心理的要因、生活習慣の媒介効果が明らかとなった。また社会階層による健康の格差が脳機能の変化によって媒介される可能性が示された。
3)いくつかの社会制度・政策の健康社会格差への影響を検討した。例えば被保護母子世帯の抱える問題を分析した。子供の就労による増収が保護費の削減や保護停止につながるため、就労インセンティブが阻害されたり、親子の別居が促進されたりしていることなどが明らかとなった。また若年非正規雇用者の分析から、とくに男性で非正規雇用は健康を低める効果を持つことが明らかになった。
4)個人レベルと地域レベルの社会関係が健康の社会階層による格差を軽減することが示され、社会関係を強化することにより健康の社会格差を制御できる可能性が示された。
5)地域(世帯)パネル調査は首都圏在住の子育て世帯を中心に、また労働者パネルは全国9企業を対象としてバイオマーカーおよび遺伝子情報を含むパネルデータを構築することに所定の成果をあげた。

審査部会における所見

A-(研究領域の設定目的に照らして、概ね期待どおりの成果があったが、一部に遅れが認められた)

1.総合所見

 本研究領域は、健康科学と社会科学を融合する目標を掲げ、現代社会が抱える健康格差という課題に取り組んだ。その到達目標に対し、5年間という研究期間は必ずしも十分であったとはいえないものの、一定の研究成果も得られており、進展が認められた。ただし、データや分析、提言など多くの点で発展途上でもあり、その新しい学問領域の確立に向けての研究アプローチはいまだに試行錯誤の段階にあるということも否めない。

2.評価の着目点ごとの所見

(1)研究領域の設定目的の達成度

 社会科学と健康科学の融合をすすめ、社会の階層化・格差化のメカニズムと制御の方策を明らかにするため、多様な視点から格差の解析を試み、その基盤としてデータベースを構築し、多様な研究者の利用に資することでその目的の大半は達成された。また、本研究領域によって、若手研究者の育成も含め、いままでにない研究者ネットワークが築かれた点も評価できる。一方、データの回収率は低く、遺伝子解析も対象遺伝子数が限られていることなど、目標に対して研究の進め方に改善の余地があったことを伺わせる。また、理論形成および政策提言の成果の内実や、公募研究を通じた研究分野のひろがりも必ずしも十分とはいえなかった。

(2)研究成果

 健康科学・社会科学両分野のデータを含む、多目的共用パネル調査を実施したことは確実な成果であり、多分野の研究者による横断的な調査の可能性を広げることができている。また、そうしたデータベースを用いた研究論文も多数執筆され、一部の研究には普遍性を裏付けるためのデータがさらに必要なところもあるものの、これまでにない知見も多く得られた。健康格差を含む格差の抑制は、日本社会にとって重要な課題であり、研究成果の公表と知見の普及に際しては、この点について十分に踏み込んだ知見と提言を盛り込むことが不可欠である。実際、それらの研究成果を一般社会に向けわかりやすくパンフレットとしてまとめたり、書籍として刊行したり、この問題の重要性を社会に広く訴えることに貢献している。今後、遺伝子解析の専門家が参加し遺伝子的背景と社会階層との関連を明らかにするなど、本研究領域の研究内容がさらに発展することで、それらの研究が将来の政策提言へ結びつくことが強く望まれる。

(3)研究組織

 分野横断的な研究を促進するための組織体制の工夫がみられたものの、それらが実際の研究成果に結びついたとはいえない。たとえば、社会科学の側が健康科学の知見を十分に取り込んだ研究成果をあげたようには見受けられないし、発表論文リストからは計画研究の各研究項目間の連携や公募班の研究の独自性や研究領域全体への貢献内容が十分には見られない。健康科学と社会科学を融合させる試みは新しく、挑戦的な課題であったといえるが、社会科学側が健康管理側のデータを十分に生かし切れてなかったように感じる。ただ、研究組織づくりそのものには努力と工夫が見られた。たとえば、教育カリキュラムワーキンググループ、データ管理委員会、理論ワーキンググループ、政策提言ワーキンググループ、若手研究者・大学院生の会といった、計画研究・公募研究を横断する組織の形成と、海外アドバイザリーボード、市民パネルモニタープログラムなどによる外部からのチェックの仕組みを持たせた。これらの工夫があったからこそ、促進された研究項目間の連携もあったに違いない。

(4)研究費の使用

 特に問題はなかったといえるが、一部に補足説明や強調が必要と思える箇所があった。具体的には、近赤外線スペクトロスコピー装置は有効に活用され、社会階層と脳機能との関連を明らかにすることができた点は評価できるが、装置が高額であるため研究期間内の稼働率や検体数などを示す必要はあるだろう。また、計画調書では面接調査用ノートPCを70台購入するとなっているが、事後評価報告書では小型PC400台となっていた。大きな計画変更があったのであれば、そうした変更は明らかにする必要があるだろう。

(5)当該学問分野、関連学問分野への貢献度

 社会階層や格差が生活習慣等を介して健康や脳機能に影響している事実について、海外諸国で既存研究はあったものの、日本においても社会階層・格差に関する研究をすすめ、地域変数の影響を明らかにするなど、新たな境地を切り開いたといえる。しかしながら、有効な政策的介入を提起するという実証的な貢献は不十分であった。また、認知症や発達障害、過剰医療・投薬など、現代日本社会が抱える健康面での重大な諸問題の中で、本研究領域の対象はごく一部であることも留意しなければならない。「社会連帯の形成・維持機構の解明」については日本語での論文発表にとどまり、アドバイザーに指摘された国際発信がなされていない。また、発表論文一覧をみても、査読の有無が明記されておらず、学問分野への十分な貢献が明確に報告できるほどなかったともいえる。

(6)若手研究者育成への貢献度

 若手研究者・大学院生の会、研究手法ワークショップ、講義・演習の開講など、若手研究者の育成に注力しており、参画した若手研究者の学位取得やアカデミックポスト獲得につながった面もあり、若手育成に貢献した。ただ、若手研究者・大学院生の会のメンバーは50%が臨床医学・看護学、20%が公衆衛生学・保健学で占められており、社会科学からの参加者の比重が小さく、社会科学系の若手研究者に対して、健康医学系の知識や手法を伝えるための工夫や仕組みがもっと必要であった。

お問合せ先

研究振興局学術研究助成課

-- 登録:平成26年11月 --