原子が切り拓く極限量子の世界ー素粒子的宇宙像の確立を目指してー(笹尾 登)

研究領域名

原子が切り拓く極限量子の世界 -素粒子的宇宙像の確立を目指して-

研究期間

平成21年度~平成25年度

領域代表者

笹尾 登(岡山大学・極限量子研究コア・教授)

研究領域の概要

 本領域の目的は、原子物理や量子光学の発展を、宇宙・素粒子物理学に融合させ、新たな基礎物理学を創出することにある。具体的には、[A] 日本発の新しいアイディア「マクロコヒーレンス増幅機構」と原子のナノ空間貯蔵技術を組み合わせ、世界で初めて原子からのニュートリノ対生成を検出する。また[B] CP対称性の破れの研究を深化させるため、日本発の革新的技法を駆使し、電子やクォークの永久電気双極子能率を測定する。更に[C] 単一イオン光時計を用いて、基礎物理定数の時間変化を探索する。これらを通して、宇宙から消えた反物質や暗黒物質・暗黒エネルギーなど、宇宙についての残された謎に関し解決の糸口を提供し、素粒子的宇宙像の確立を図る。

領域代表者からの報告

1.研究領域の目的及び意義

 本領域の目的は、原子物理・量子光学の発展を、宇宙・素粒子物理学に融合させ、新たな基礎物理学を創出することにある。具体的には、[A] ニュートリノ質量分光を進め、物質優勢宇宙を説明する有力理論の根幹部を検証する。[B] クォーク・レプトンの電気双極子能率(EDM)を測定し、暗黒物質を説明する最有力理論である超対称性理論や、より一般的に標準模型を超える理論の実験的証拠を提供する。[C] 微細構造定数(α)や電子陽子質量比などの物理定数の時間変化を測定し、暗黒エネルギーが示唆する、全く新しい物理学に対する糸口を得る。 [A]では、組織的なニュートリノ質量分光(質量絶対値の決定や様式(Majorana vs Dirac)の確定等)の道を開拓することを目指す。このため、まず「二光子対超放射過程」を発見し、我が国発信の新原理「マクロコヒーラント増幅機構」の実証を行う。また量子干渉性に優れたナノ貯蔵標的の開発を行い、新原理を利用した世界初の原子ニュートリノ対検出を目指す。 [B]では129Xe 原子のEDMを、そして放射性元素フランシウム(Fr)を用い電子EDMを現在の実験的上限値より2桁あるいは1桁高感度で探索する。EDMは時間反転対称性/CP対称性の破れを意味すると同時に、もし有限な値が確立すれば標準模型を超える物理の証拠となる。[C]では、種類の異なる単一イオン光時計を3種類構築し、それらの周波数比の時間変化を測定することにより、αの時間変化を精度10-18 台を目標に探索する。具体的には171Yb+ 2S1/2-2D3/2、2S1/2-2F7/2、及び135,137Ba+ 2S1/2-2D3/2等の遷移に対し測定を行う。時間標準の精密化は基礎物理学と共に現実生活に大きなインパクトを与えよう。

2.研究の進展状況及び成果の概要

1.原子を用いたニュートリノ質量分光は、残されたニュートリノ物理学の課題全てに対しコンパクトで組織的な手段を提供する。本領域の成果は二光子対超放射の観測により我国発信の新原理「マクロコヒーランス増幅機構」を実験により立証したことにある。鍵を握る増幅原理の確立により、ニュートリノ質量分光計画の展望を切り開いた意義は大きい。原子物理や応用の観点からも二光子対超放射観測の波及効果は大きい。

2.本領域の進展によりクォーク及び電子のEDMを世界最高レベルで測定するが可能となった。より具体的には、Xeあるいは不安定元素フランシウムのスピン歳差運動周波数の超精密測定法を確立し、ほぼ計画通りの実験精度を実現できるとの見通しを得ている。進行中の実験に於いて、もし有限値が確定すればその意義は計ることが出来ない。

3.微細構造定数や電子陽子質量比等の基礎物理定数の恒常性検証実験は、もし定数の変化が実証されれば、物理学の根底を揺るがす。前者については目標実現にもう一歩のところにおり実験が進行中である。また後者については世界記録を更新した。

4.本領域は、原子物理学・量子エレクトロニクス・素粒子原子核物理学さらには化学分野を含む新しい融合分野を創設する観点で大きな成果をもたらした。特に、冷却分子研究の進展(レーザー冷却法によるKRb分子温度1μK以下の実現、中性原子―イオン系の極低温下での分子反応機構の解明等)は特筆に値する。冷却分子の研究は、基礎物理学への応用は言うに及ばず、量子化学や量子情報等の分野の進展にも影響を与えよう。

審査部会における所見

A-(研究領域の設定目的に照らして、概ね期待どおりの成果があったが、一部に遅れが認められた)

1.総合所見

 本研究領域は、原子物理学・量子光学・化学などの異分野連携により、素粒子物理学における重要な課題に挑戦することを目的としている。3つの研究計画において、ニュートリノ対生成の検出に関する我が国発の新原理の立証、クォークと電子の永久電子双極子能率の高感度測定、光時計を用いた物理定数の時間依存性に関する探索をそれぞれ目指した。このような研究スタイルは、必ずしも我が国で広く行き渡った方法ではないため、我が国発の新規の提案として推進することには特に意義があったと考えられる。しかしながら、世界的な研究規模ではこれに類似の研究間で熾烈な競争があり、最終報告の段階で研究成果が提案時に掲げられた数値目標に達していないことは残念でもある。

2.評価の着目点ごとの所見

(1)研究領域の設定目的の達成度

 素粒子物理学の問題に対し原子・分子的手法を用いて攻めるという本研究領域の設定目的において、原子ニュートリノ対の世界初観測などの目標達成には最終的に至らなかったものの、異分野連携による要素技術開発などにおいて顕著な進展があったことは、本領域の創成発展への寄与として大きな成果である。ニュートリノ対生成の検出に関しては理論・実験の両面から研究がなされ、二光子対超放射過程の立証実験に成功した。東日本大震災により大きな打撃を受けた永久電子双極子能率の実験では、フランシウムに代えてルビジウムを用いたり、海外の研究所に若手研究者を派遣したりするなどして対応し、最終的には研究期間内で装置開発に成功した。しかしながら、微細構造定数の時間変化測定については、手法的にも研究協力的にも最適の選択がなされたかどうか疑問が残り、より一層の努力が望まれる。

(2)研究成果

 本研究領域において設定された目標は非常に高く、その実現は容易ではないが、その目標に向けて着実に進歩した点は評価したい。特に、本研究領域の中でも最重要課題であった新原理「マクロコヒーラント増幅機構」の検証については、パラ水素分子を標的とした二光子対超放射実験からその確証が得られており、未だハードルは高いものの今後の原子ニュートリノ対観測に大きな前進が見られたことは高く評価できる。一方、クォーク・電子の永久電子双極子能率の測定および微細構造定数の時間変化に関する探索においては、研究期間内で目標とした測定感度での実験は実現していない。また、論文や国際会議などでの成果発表に関しては十分高く評価できるが、一般に向けたアウトリーチ活動がほとんど行われていなかった。

(3)研究組織

 各計画研究の持ち回りで総括班会議を開催し、その中で実験現場を公開することなどにより、それぞれの進捗状況を領域全体で共有できるように配慮した点は評価できる。また、各研究計画で開発された要素技術が他の研究計画に素早く技術移転されるなど、有機的な組織運営が行われた。しかしながら、研究成果の広報を担当する部門が研究組織内に設置されておらず、多くの貴重な研究業績を挙げながら、それらを広く公表していない点が懸念される。

(4)研究費の使用

 研究費はそれぞれの研究に必要となる各種設備の購入に使用されており、適正な支出であると考える。ただし、予算の数%程度をアウトリーチ活動に充てるべきであった。

(5)当該学問分野、関連学問分野への貢献度

 本研究領域で達成された「マクロコヒーラント増幅機構」の解明は新しい学問分野の創成にもつながり、原子物理、量子光学を含めた分野への貢献は非常に大きい。また、本研究領域が関わる実験手法は原子・分子化学分野と共通項を多く持ち、冷却分子・極性分子の研究や量子情報分野に対しても大きなインパクトがあると考えられる。これらの既存分野との交流あるいは成果の発信は、より積極的に行うべきであろう。一方、本研究領域の当該分野である素粒子物理学分野における認知度は、それほど高いものとは言えない。当該分野内での成果公表に関して、論文以外にも様々な公表手段を検討すべきであった。

(6)若手研究者育成への貢献度

 大学院生や博士研究員などが、外部に向けて成果を発信する機会を積極的に設けたことは、高く評価できる。また、領域内での若手研究者の人事交流も図られ、組織運営の面からも効果があった。東日本大震災で研究が滞った期間に、海外の研究機関に若手研究者を派遣して共同研究を推進したことも評価したい。ただ、本研究領域は非常に基礎的であり、かつ実験技術や物理の理解において特段の技量を要求する分野であるが、次の時代を担う研究者を多数輩出するまでには到っていない。実験の面白さを伝えるような宣伝を効果的に行うなど、今後の一層の取り組みが求められる。

お問合せ先

研究振興局学術研究助成課

-- 登録:平成26年11月 --