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科学技術会議生命倫理委員会

ヒト胚研究小委員会(第7回)

  

1.日時  平成11年10月26日(火)    10:00〜12:00

2.場所  科学技術庁第8会議室

3.出席者

    (委  員) 岡田委員長、相澤委員、石井委員、勝木委員、迫田委員、武田委員、

                 西川委員、木勝島委員、町野委員、村上委員

    (事務局)科学技術庁  池田研究開発局長、小田ライフサイエンス課長

4.議題

    (1)第5回生命倫理委員会報告

    (2)ヒト胚性幹細胞を扱う研究について

    (3)その他

5.配付資料

    資料7−1  科学技術会議生命倫理委員会ヒト胚小委員会(第6回)議事録

    資料7−2  第5回科学技術会議生命倫理委員会の概要

    資料7−3  ヒト胚等の取り扱い及びクローン個体の産生等に関する考え方について 

    資料7−4  「Ethical Issues in Human Stem Cell Research」の概要

    資料7−5  「Ethical Issues in Human Stem Cell Research」

6.議事

(岡田委員長)

  時間になりましたので、第7回のヒト胚研究小委員会を開催させていただきます。

  朝早くから、今日はどうもありがとうございました。

  初めに、事務局から配付資料を確認をお願いします。

(事務局)

  それでは確認いたします。

  まず一番上に、議事次第がございまして、次が資料7−1、前回の研究会の議事録でございます。

  資料7−2としまして、第5回生命倫理委員会の概要。

  資料7−3、「ヒト胚等の取り扱い及びクローン個体の産生等に関する考え方について」の2枚物でございます。

  資料7ー4、「Ethical Issues in Human Stem Cell Research」の概要という紙でございます。

  資料7ー5が「Ethical Issues in Human Stem Cell Research」が資料7−4に要約がございますものの本文全体の報告書、英文でございますが、こちらが入っております。

  追加で、資料番号が入ってございませんが、野村総合研究所のクレジットのA4横の紙があるかと思います。これにつきましては、追加で1枚、右下に25ページと振ってあるものがお手元に配られていると思いますので、この1枚物を足して、全体でワンセットでございます。

  以上でございます。

(岡田委員長)

  全部、あるでしょうか。

  それでは、前回の議事録の訂正がございましたら、後ほど、事務局のほうに申し出ていただければと思います。

  それでは、議事を進めさせていただきます。

  9月29日に、第5回の生命倫理委員会がございまして、この委員会で7月28日でのクローン小委員会とヒト胚小委員会の合同小委員会において議論されました考え方について、小委員会の方針が了承されまして、クローン技術については、クローン小委員会で具体的な報告書の形でまとめ、ヒト胚性幹細胞のヒト胚系につきましては、この小委員会で引き続き議論していくということになりました。詳細は、事務局のほうからやってもらいます。お願いします。

(事務局)

  それでは、資料7−2に基づきまして説明させていただきます。

  第5回科学技術会議生命倫理委員会の概要でございます。

  まず、ライフサイエンスをめぐる最近の動向につきまして、事務局から合同小委員会の場でご説明申し上げました「生命科学の世紀に向けて」などについて概要を説明してございます。

  続きまして、クローン小委員会、ヒト胚小委員会の審議状況についてございます。岡田委員長、町野先生、事務局から、人クローン個体の産生等に関する規制の考え方について、両小委員会の審議状況を説明申し上げました。用いました資料は、今回お配りしました資料7−3、各委員にファックス等で最終的に確認いただいた資料でございますが、この資料7−3。それから、町野先生には、法的な観点から補足説明をお願いして、その資料がございます。

  この点につきましては、規制の考え方について議論の結果、小委員会の方針が支持されまして、小委員会で最終報告をまとめた上、次回の生命倫理委員会で議論することとされています。その議論の中で示された主な意見の概略を以下に示させていただきます。

  なお、この議論の詳細、議事録につきましては、今、生命倫理委員会の各委員に送付して確認中でございますので、それが最終的にまとまってから、議事録を送付させていだきたいと思います。最終的には、その議事録のほうが正確な表現だと思いますので、こちらはあくまで、事務局として簡単に議論の概要をまとめたものでございます。

  最初にございましたのは、生命倫理委員会の小委員会の関係を明確にする必要があるんじゃないかという議論でございまして、これにつきまして、最終的には生命倫理委員会で意見をまとめる必要があるが、専門的事項については、特に小委員会で議論していただくという形ではないかということでございました。

  また、クローンだけを規制するのは唐突ではないか。ほかの生殖技術全般を合わせた法律で考えるべきであって、クローンだけ切り離すことができるのか、議論する必要があるという意見がございました。

  これに関連する議論が一番多うございましたが、まず現実的な対応として、はっきりと特に禁止する部分を切り離して法規制することに、非常に意味がある。外国人が日本で人のクローンを作成するという話もあり、クローン個体の産生については法規制を行うことが妥当と考えるというご発言。

  また、人クローン個体の産生の法規制を行う場合には、研究を規制するガイドラインというものも合わせて研究していく必要があるというご意見がございました。

  人クローン個体については禁止されることが妥当であり、有用性が高く、進歩も早い研究についてはガイドラインによる規制が妥当ではないかと。見直し規定を置くこと、国際的な規制とのバランスも重要というご指摘もございました。

  このような一種の切り分けをするということは現実的な方針として、それをとることはよいが、国民的な合意を得るためには、医療政策等、その先も見通した議論をしていく必要があるというご意見がございました。

  ただ、国民が一番問題視するクローン個体等の産生を罰則付きで法規制することは妥当である。研究の部分はガイドラインが妥当である。ただ、医師免許の取消等により、過去の法律で縛ることはできないのではないか。最先端の生命科学技術が、国民の倫理観、道徳観、家庭生活にどういう影響を持つかを考えていく必要があるというご意見がございました。

  全体に法の網をかぶせることが理想的だが、小委員会の考えは、現実的な進み方ではないかというご意見がございます。

  また、学会による規制には限界があり、結論が出なくても、さまざまな問題について生命倫理委員会の場でディスカッションしていくことが必要ではないかというご意見がございました。

  生命倫理委員会の議論として、さしあたりは個別の問題から入っていくしかないが、生命倫理の問題が深く議論されるようなプロセスが必要だというご意見がございました。

  クローン個体などの産生につきまして、法律で禁止するにしても、進歩・変化が早い分野であり、国民の意見を聴取していく仕組みを取り入れ、常に見直していく努力が大切とのご意見がございました。

  クローンは新しい現象であり、罰則については、今までの刑法の考え方とは必ずしも同じにならないということも考えられるとの意見もございます。

  さらに、クローンの個体自体を法律で規制するにしても、実際に生まれてきてしまった子供の扱い、こういったものも法律で禁止をする際には考える必要があるのではないかという意見がございました。

  また、国民的な合意形成あるいは意見の把握のために、オピニオンリーダーからの意見の聴取、それと合わせて無差別抽出意識調査を継続的に実施し、そのトレンドを見ていくと。こういったことが必要ではないかというご意見がございました。

  以上が両小委員会の場で話し合いましたペーパーについての議論でございます。結果として、小委員会でまとめられた意見を進めることが妥当ではないかというご意見でございました。

  今一つの議論といたしまして、今後の生命倫理委員会の議論の進め方について、フリーディスカッションを行いまして、委員の中から、より頻繁な会合の開催、あるいはゲノム情報の扱い、これを今後検討していく必要があるだろうという指摘がございます。

  また、生命倫理委員会の議事録につきまして、今回、第5回の会合より、今まで発言者名は伏せてございましたが、発言者名を付した形で公開すると。より透明度を高めるということについて合意されました。

  簡単ではございますが、以上です。

(岡田委員長)

  どうもありがとうございました。

  ただいまの事務局からのご報告で、何かご質問・ご意見はございますか。

(武田委員)

  2枚目の、医師免許の取消等により、過去の過去の法律で縛ることはできない、ということはどういうことでしょうか。つまり、こういうもので、今までの罰則規定には該当しないということなんでしょうか。

(事務局)

  これは資料7−3をごらんいただきたいんですが、資料7−3の人クローン個体の産生で、多数意見を四角で囲ってございます。その下に3つの丸がございます。その3つ目の、法律による規制を行う場合でも、医師法等による免許の取消等により対応すれば十分ではないかというご意見を紹介したところ、過去の法律では限界があるのではないかと。そういうご意見があったということでございます。

(武田委員)

  もう一つ。生まれてきた子供に対する取り扱い、これは禁止されても考える必要があると。それはそのとおりだと思うんですけれども、具体的な内容のことは出ましたんでしょうか。

(事務局)

  具体的に、どういうことというのは出ておりません。

(岡田委員長)

  ほかにございますか。よろしいですか。

  それでは、今日の議事のメインのところに入らさせてもらいます。

  お手元にありますように、アメリカ大統領の諮問機関であるナショナル・バイオリティック・アドバイザリー・コミッション(NBAC)が、9月にヒトの幹細胞研究における倫理的問題に関するレポートを大統領に提出しています。この中には、ヒト胚性幹細胞を作成する研究に関する詳細な見解が示されておりますので、今日は、野村総合研究所に、本レポートについて説明をしていただいて、それで討論を進めたいと思います。よろしくお願いいたします。

(事務局)

  野村総研の梅原と申します。よろしくお願いいたします。

  ご紹介のあったとおり、NBACが今年9月に出したレポートについて、簡単ではございますけれども、エグゼクティブ・サマリーの内容を中心に説明させていただきます。

  このレポートの検討経緯なんですけれども、98年末にヒト胚性幹細胞研究に関して、3つの論文が発表されたんですけれども、その論文を受けて、クリントン大統領が、NBACに対して、あらゆる倫理上、医療上の要件を考慮に入れて、ヒト胚性幹細胞の研究に関連する問題の徹底的な検討をしてくださいと求めました。それが98年11月14日に検討を求めています。本報告は、その検討の結果として、今年9月に提出されたものであります。

  このNBACの委員会ですけれども、国民の代表と専門家から成って、合計7回の検討をした結果、この報告書を提出するに至りました。

  ここで言っている3つの論文というのは、簡単に説明いたしますと、1つ目は、ジョンソン・ホプキンス大学のグループが、死亡胎児組織からEG cell を導出したというものです。2つ目のレポートですけれども、これは有名なレポートですけれども、ウィスコンシン大学のグループが、発生初期のヒト胎児胚芽胞からEG  cell を抽出したというものです。3つ目のレポートですけれども、これはサイエンスペーパーではないんですけれども、98年11月のニューヨークタイムズの記事です。これは成人の体細胞を牛の卵にフュージョンさせて、ハイブリッド胚を作成した結果、ヒトES  cell のものができたという3つの論文です。

  この報告書では、13個の勧告が出されているのですが、勧告の内容を大きく分けると、次の5つに分けられます。1つ目は、ES/EG cellの作成・使用を行う研究に対する連邦資金援助の可否を言及しています。2番目は、提供者の同意が必要であると。3番目は、販売規制が必要であるという勧告。4番目は、その研究の監視・監査が必要であるという勧告。4番目までは主に国、連邦資金援助の話が中心だったんですけれども、5番目は、民間資金による研究で、勧告を自発的に遵守してほしいという勧告が出ております。

  ヒト胚が人間の生命の一形態として尊重されるべきであるという点では、大半の人の同意が存在していますけれども、どのような形で尊重されるべきものかとか、胚の発達の各段階で、どの程度のことが必要なのかという点について、まだ意見の不一致が存在します。しかし、大部分の人たちにとっては、倫理的の問題がある程度までならば、その細胞のソースの問題に帰着できるとレポートされています。

  そのソースというのは、このレポートに見られているヒューマン・ステム・セルのソースとしては、選択的中絶に伴って生じる胎児の組織、ここからはEG cell  ができます。2番目は、体外受精で生じたヒト胚で、不妊治療後に不要になったもの、これはES cell ができます。3番目は、研究目的で提供された配偶者を用いて、体外受精を行って、その結果生じたヒト胚からES  cell が得られます。4番目のソースとして、核移植など、ヒトの成体細胞が除核したヒト、または動物の卵細胞に導入されるようなクローン技術を用いて、無性的に生じたヒト胚またはハイブリッド胚。これてES  cell が生じます。現在、この4つのソースが挙げられています。

  成人組織から得られた幹細胞を使っての、いろいろな研究がなされていますけれども、ここでは胚と成人の幹細胞では生物学的相違が存在するため、成人組織の幹細胞は、ここでは対象としないとされています。

  このEG cell 、ES cell 研究の治療への可能性ですが、研究により、細胞分化調節の仕組みが解明すれば、幹細胞を特定の細胞に分化させることができるようになって、薬の発見とか、移植治療のための細胞の重要なソースとなるという点で、応用可能性があります。体細胞核移植に見られたES  cell は、患者自身の細胞であるため、拒絶反応がなく、自家移植が可能になるという点や、直接、ヒト胚では実験できないけれども、治療面では重要な研究ができますEG  cell 、ES cell では、多量な均質な材料を提供できるため、遺伝子発現のパターンや胚分化のメカニズムの分析などができるようになります。このような理由で、がん治療とか、神経系疾患、パーキンソン病とか、アルツハイマーとか、組織工学でよくやられている骨とかの軟骨細胞の疾患、血液疾患とか、薬の試験、人体試験はやれないので、人の細胞で試験をすればできるとか、あとは臓器移植に有効であると考えられています。

  このような有用な点があるということを挙げた後、勧告を出しています。

  まず最初に、ES/EG cell研究に対する国の資金援助の可否についてです。この中では、ES/EG cellの作成・使用相互に対する国の資金援助については、死亡胎児組織と不妊治療後に生じる余剰胚、その2つのソースに限定して援助を行うということを勧告しています。

  勧告1として、これはエグゼクティブ・サマリーの4ページから始まっていますけれども、死亡胎児組織の利用についてです。これは引き続き、連邦資金援助の対象としてよいとあります。希望臓器で、移植時の胎児組織を利用してもよいというものが存在するので、それと同様の考えであるため、既に合意されているということになっています。

  生きている胎児を死亡させるものではないので、研究目的に意図的に作成させるものとは違うというので、援助対象としてもよいと考えています。

  注意としては、中絶の意思決定に影響を与えないように注意する必要がある、と勧告の中では出ています。

  勧告2ですけれども、余剰胚の利用ですけれども、これは連邦資金援助対象としてよいという勧告が出ております。余剰胚を用いる研究については、作成・使用とも公的な監視・監査を含む、適切な規制のもとに資金援助を行うことを認める例外規定を現行法規に追加すべきである、という勧告が出ています。

  現在、ヒト胚が壊されたり、廃棄されたり、あるいは子宮の胎児の研究に認められているよりも大きな損傷の危険がある場合、いかなる研究に対しても援助は禁止されているのですけれども、結局は最終的には処分されてしまう。最終的には処分が変わらないために、ほとんど倫理的な問題が生じないとして、余剰胚の使用を認めています。

  その際に、勧告の中で、作成・使用の区別を行うことは適当ではない、という勧告が出ています。使用のみであれば、ヒト胚を壊すことにはならないという解釈が出ていたので、この勧告が出てきているんですけれども、胚を使う研究には、人の生命を扱うことに対する倫理的立場と病気の予防や治療に有用であるという医療面での立場の相剋が存在します。ES  cell の使用と作成を分けた場合には、連邦資金援助を受ける研究の科学的価値が小さくなるという倫理的な問題が生じます。民間資金による研究者のみによって作成されたセルラインに依存して、国の研究がなされるということは、科学面・医療面での進展を著しく阻害するというのが無条件に許可した理由に挙げられています。

  前のページで、使用と作成を分けると、連邦資金援助を受ける研究の科学的価値が小さくなるということがあったんですけれども、それはなぜかということが、次のページに出ています。

  作成・使用、ともに認める場合の科学的意義として、作成過程を理解するということは、使用のみをする研究者にとっても重要な知見を与えるという点です。これは具体的には、作成方法によって、維持方法が異なるという可能性があるんじゃないかということを挙げています。

  2番目として、細胞治療を行う前には、ES cell 作成に関しての崇高な研究を行う必要があるという点です。ES cell 作成に関する研究は、細胞治療の基礎知識となるために、細胞治療が実現される場合には、必ず研究が必要になるんじゃないかというのがあります。

  3つ目ですけれども、現在ES cell の安定培養が難しいとされているため、細胞の遺伝子構成が変化していないことを確認しながら研究する必要があります。使用だけを行っていっても確認が必要になるために、現在のような研究初期の段階では、たびたびES  cell を作成する必要が出てくるということです。なので、使用だけで済ませるということは難しいんじゃないかということです。

  サマリーの5ページ目ですけれども、勧告3として、研究目的での胚作成についての勧告ですけれども、これは資金援助の対象としないとされています。これは子供をつくることだけを目的として胚を作成することと、子供をつくる目的を持たずに胚を作成することとの間には道徳的な相違があるから対象としない、としています。

  現在は、先ほどの勧告1と2に挙げられた死亡胎児組織と余剰胚からの供給で、特にソースの不足はないため、特に研究用胚生成を行い、それに資金援助を行う差し迫った理由が存在しないのが、資金援助の対象としない理由として挙げられています。

  サマリー6ページ目の勧告4です。体細胞核移植によって作成された胚についてですけれども、これも連邦資金援助の対象としないという勧告が出ています。

  先ほどと同じ理由で、ほかの手段によって十分な細胞が供給されるために、今のところ、特にこのソースから胚を作成する必要がないし、そのために資金援助は行わないというものです。

  ただし、この体細胞核移植というのは、自家移植などの適用の可能性があるため、クローニング技術の進歩や、この件の医学的有用性が今後もモニターしていって、さらに検討していく必要があるとしています。

  今までが、勧告の内容の1つ目の、作成・使用を行う研究に対する連邦資金の援助の可否の問題だったんですけれども、次に、死亡胎児組織研究用胚の提供要件について説明いたします。これらに対しては、胚がどう処分について告知して、自発的な選択が可能となる仕組みを提供する必要がある、とされています。

  勧告5、余剰胚を研究用に提供する場合の要件として、処分するということの告知を受けて、自発的な選択を行うために情報提供をしていく必要があるとしています。その情報提供というのは、まず自分の胚を保存しておくのか、もしくは別の女性に提供するのか、それとも廃棄するのかの3つの選択肢を提示します。その際に、廃棄するという選択をした場合に、廃棄するのであれば研究用に提供することも可能ですよ、という選択肢を提示できるようにします。そのようなステップを踏んで、情報提供をする必要があるという勧告が出ています。なお、ドナーからの質問に対しては誠実に回答しなければならないというものも出ています。

  続きですけれども、研究使用の可能性を提示する際には、以下の5点を明確にして提示する必要がある、というのも追加的に出ています。

  その5点というのは、研究が胚提供者に対して、医療面での利益を与えるものではないという点。あとは、胚を提供しても、しなくても、その後の治療には影響がないという点。あとは、研究に使用される胚は、ほかの女性に移植されることはないという点。研究によって胚は破壊されるという点。5番目ですけれども、わかっている場合のみですけれども、その胚によって行われる研究内容、プロトコル、研究の資金源、予想される商業的利益も提示する必要があるとしています。

  勧告6ですけれども、特定患者のために細胞を提供することについての勧告が出ています。連邦資金援助を受けた研究についてはですけれども、胚から得られたES細胞をドナーが指定した特定の患者に使うことを約束してはならない、という勧告が出ています。

  引き続いて、勧告7ですけれども、胚及び死亡胎児組織の商取引はされてはならないというのが出ています。現在、指名して提供する指名提供や、金銭的誘惑を提供することは胎児組織の場合は禁止となっています。

  次に、監視・監査の必要性についての勧告です。

  勧告8として、サマリー8ページ目ですけれども、監視審議会を創設する、という勧告が出ています。厚生省は、国家幹細胞監視・監査審査委員会(ナショナル・ステム・セル・オーバーサイト・アンド・レビュー・パネル)を設置して、国の資金援助を受けた研究が、この報告書の倫理的原則に、ほんとうに合致しているかを確認する。委員会は、一般国民を含めた幅広いメンバーで構成される必要がある、ということが出ています。

  その監視委員会の責務としては、作成手順が、この報告書の内容と合致していることを認定すること。認定された手順で作成されたセルライン自体を認定すること。認定された手順や認定されたセルラインの登録管理をすること。あとは、研究データ、論文を含む、すべてのES/EG  cellの作成・使用に関する情報と、登録状況が一緒にリンクしたデータベースをつくるということ。このデータベースには、可能な限り、秘密の情報は隠して、民間資金援助の研究情報も含めると出ています。あと、認定されたセルラインの履歴と、最終的な使用法を追跡します。これは政策評価に役に立てていきます。次は、審査の際に検討すべき社会的問題、倫理的問題について、資金提供機関に対して基準を作成したり、ガイダンスを行ったりすることが、この委員会の実質的な仕事として出ています。最後ですけれども、作成・使用についての最新の技術状況を評価して、そこから生じ得る倫理的問題、社会的問題をまとめるということ。あと、この報告書の勧告が妥当であるかどうか、評価を行って、年1回以上、厚生省に報告する、ということが責務として挙げられています。

  勧告9として、作成手順の機関内審査です。勧告8で挙げられた、委員会に諮る前に、IRB(インスティテューショナル・レビュー・ボード)−−機関内監査を行う機関です−−で監査を行うべきである、という勧告が出ています。IRBまたは、その他相当する機関で監査・承認を受けてから、委員会に諮るべきだという勧告が出ています。

  勧告10ですけれども、資金提供機関による幹細胞の研究利用状況の監査です。国の機関は、ES/EG cellを使用する正当性があるのかという点に特に注意を払って、その使用手順が、委員会が作成した基準に合致しているかどうかを確認する、という勧告です。

  最後に、民間資金による研究についてです。国の資金援助を受けるものについてですけれども、民間資金による研究で、国の資金援助を受ける際には、資金提供者、研究者は、自主的に、この報告書中の勧告に従うことが推奨される、とされています。従うというのは、作成手順やセルラインの認定を受けるということも含まれています。

  次が、国の資金援助に合致しない場合ですけれども、研究目的のみで胚を作成する場合といったような、国の資金援助に合致しない研究については、以下のように考えるとしております。専門学会や商業団体は、本報告書の原則にのっとった倫理規定基準を作成して発表するべきであると。民間資金提供者、研究者は自主的に、その基準に従うべきである、ということが出ております。

  最後ですけれども、勧告8で挙げられた委員会は、5年を超えない一定期間を定めて設置することとし、期間満了前に厚生省が、同委員会の活動を評価して、委員会活動の成果と、その委員会の活動を継続すべきかどうかを検討する、という勧告が出ています。

  挙げられた13の勧告というのは以上なんですけれども、その報告書で挙げられているヒト胚の使用・作成に関する倫理的考察を最後にまとめました。

  報告書では、胚は人の生命の一形態であって尊重されるべきではあるが、成体と同程度に尊重すべきだとは言えない、という中間的な立場を採用しています。中間的というのは、胚は人の生命の一形態であるため、絶対に尊重されるべきだという考えと、胚は尊重すべきだとは言えないというような立場の中間的という意味です。

  この考え方は、中絶に関する議論から導き出されています。中絶に関する議論というのは、中絶反対者でも、その多くは、胎児を必ずしも生存権のある人格であるとは考えていないという意見があります。これは母体を守るためや、あるいは犯罪に巻き込まれて妊娠されてしまった場合の中絶ならば認めるという場合があるので、必ずしも絶対に殺してはいけないと考えているわけではない、という意見が出ています。

  さらに、このような例外を認める保守的な人たちは、非常に初期の段階の生命が、母体の生命を守るためや、犯罪の傷を癒すために絶たれることを認めることとなり、リベラルを支持する結果となることから、何らかのコンセンサスを得ることは可能じゃないかという意見です。

  これに対して、考え方としては、失われる胚の生命と、治療技術の進歩によって将来的に救われる生命とを比較した場合には、将来的なもの、潜在的な便益のほうが上回るのではないかと考えられるというパネルの考え方が出ています。

  未使用受精卵の破壊を伴う研究は、生命を脅かす疾病などの治療法を開発するために、かつ乱用を防ぐために適切な措置を講じられる場合に許容できると。このような考え方が可能ではないかと、この報告書では出しています。

  中絶の話で、ES研究がもたらす便益はあいまいなので、中絶の議論と比較してはいけない、比較にはならないんじゃないかという声に対しては、余剰胚は中絶胎児よりも、ずっと前の段階、初期の段階のものであるという点と、あと、余剰胚がもし研究に使われずに捨てられてしまった場合、いずれにせよ、生命は絶たれるという点で同じである点を考慮すべきである、と出ています。

  簡単でございますが、以上で説明を終わらせていただきます。

(岡田委員長)

  どうもありがとうございました。非常に正確に説明していただきました。

  我々の議論のところで、今まで議論になっている余剰卵というか、受精卵からのESを採取するというところは、引っかかりがいつも出ているんですけれども、この報告というか、勧告というのは、ES細胞まで踏み込んだという形をとり、そのときに起こってくるであろう、いろいろな問題をどう整理して、形づくりをするかというところを相当はっきりと書いてくれていますので、非常に参考になると思います。

  これから、あと1時間ほどなんですけれども、このアメリカの勧告に関して、ご意見やこれを聞かれた後の感じ方というのをお話しいただけるとありがたいと思います。

  前回のときには、助成金の申請があったときにどうするかという話で、ES細胞をどこかからもらってきたというものに関して、もしも助成金の申請が出たとしても、よそからもらってきたESを使うという形の助成申請だろうから、それに関して、どう考えるかということで終わっておりますけれども。

(西川委員)

  それに関してですが、科研費の募集要項を見ると、多分、わかりにくい書き方がされていてですね。

(岡田委員長)

  僕は知らんのですわ。

(西川委員)

  そうですか。先生は出されないから……。そのES細胞を使った研究に関しても、多分、もらってきたものも含めて、自粛するように読み取れるような感じになっているから、ほとんどの方は、多分、出されないんじゃないかなと僕は思いましたけれども。聞かれたことがあるんです。

(勝木委員)

  今の点ですが、文部省の前の研究助成課長からの通達にあります。要するに、機関で検討して、それから文部大臣に承認を求めなさいということで、確かに読み取り方によっては、そういう規制があるという読み取り方もできますけれども、科研費の申請については、ヒト胚を扱っている認識をきちんとしなさいという意味のただし書きなんですね。ですから、私は出てくることもあると思います。

(西川委員)

  うちの大学では、物すごい自粛するという雰囲気があるんで。

(石井委員)

  質問なんですが、この報告自体ではないんですが、基本的なことなんですけれども、先日来、よく出ているアメリカ会社のものを買ってくるというのは、どういう方法からつくられているものなんでしょうか。研究のためにつくるというのはないと?

(西川委員)

  ですから、わざわざ研究のための人工受精をしたかどうかということに関しては、ないと思います。サイエンティフィックペーパーになった2種類は、1つはEG  cell で、1つはES cell で、余剰卵と中絶胎児、いわゆる死亡胎児。まあ、死亡胎児というのは難しいですけれども、それからつくられているということです。

(相澤委員)

  また同じことを言って恐縮なんですけれども、これを見ると、アメリカ人は、6回で、ちゃんと、こういう報告書をつくるように委員会をやっているなということを一番印象として感じます。

  このことは、今ご紹介いただいて、頭に置いておくべきだと思うんですけれども、この委員会として、ちゃんとこれにかわるようなものをつくれるような議論を進めてきているので、ES細胞についても、西川先生がちゃんと最初にまとめられているので、この会として、独自に、ES細胞をつくることをどう考えるかという議論に、なるべく早く入ったほうが、僕は健康的だと思うんですけれども。

(木勝島委員)

  私も今の相澤委員のご意見と全く同じ感想を、今日ずっと抱いておりました。

  というのは、前回、この前の議事録の一番最後、30ページの岡田委員長のご発言を見ていただければ明確ですが、当面の措置について、前回話し合った論点を整理して、今回、さらにそれを詰める議論をするはずだったのです。それはどうなったんでしょうか。

  相澤委員のおっしゃるとおりで、実質的審議をしないでいいのでしょうか。当面の措置というからには、そんなに悠長にやっているわけにはいかないので、今回、こういうふうになっていることに私は非常な驚きを持っております。

(岡田委員長)

  その驚きというのを、ちょっと説明してください。

(木勝島委員)

  アメリカの報告書の説明だけで終わるのかなという驚きを持っております。それ以上の資料が何も出てきておりませんので。

(岡田委員長)

  いや、今日は報告が主だと言ったわけじゃなくて、これから、ここの対応でどう考えられるかということのほうがね。

  僕の感じを率直に言うと、この会で、とにかく踏み込むことが非常に危なっかしくて、踏み込みにくいところがいっぱいあったと思うんですよ。例えばESはもらってきたらなら使ってもいいとかね。採取に関係するところでは、なかなか発言が出てこない。やはり、そうした場合には、インターナショナルな1つの流れの中で、どこがどう考えておられるかというのは、これは僕としては実のところ、非常に欲しいデータだったわけです。ですから、これだけ具体的に出してもらえているというのは参考にして非常に僕はいいと実は思っているほうでして、これで何とか、この委員会で一つ、踏み込んでいく議論ができるんじゃないかと僕は期待して、これを今日、野村総研さんに説明してもらったというのが本音です。

  それから、今、相澤さんのご意見と木勝島さんのご意見のように、こんなのをベースにするのは、もってのほかだという意見だったら……。

(相澤委員)

  いや、僕はそんなことを言っているつもりはないです。

(武田委員)

  この委員会のものに関して、極めてアメリカ的だと思うし、個人的な見解を言えば、これを和訳していただいて、そのままベースラインとして使っていただいて僕はいいと思いますけれども、ただ、それはサイエティストの意見であって、逆にほかの委員の先生が、これを見てどう考えられるかのほうが聞きたいです。

(岡田委員長)

  これを全部借りて作ろうと僕は思っているわけじゃないです。

(迫田委員)

  これを今拝見して、1つ疑問が出たのは、セルラインの履歴という言葉の使い方なんですが。つまり、余剰胚を提供した人の、その後、遺伝的に何か疾患が起きたとか、そういうことが、その後、影響する可能性があるということが考えられるんでしょうか。つまり、ドナーというのは、提供してしまった後、また何か、そのことに煩わされる可能性があるんでしょうか。

(武田委員)

  もちろん、ネガティブな意味での可能性は僕はあると思いますが、逆に後で、報告にも幾つかあったように、履歴をはっきりさせるということが、インフォームドコンセントを取るときのアドバンテージに働くんじゃないかということも考えていると思うんですね。すなわち、自分の遺伝子を持ったES細胞ができるわけですから、例えば、この余剰卵を使うことで、将来、子供さんが病気になったときに−−余剰卵ですから、必ずもう片一方の幾つかのパートナーは胚に発生し、しかも個体にまでなっているわけですね。そうすると、もちろん完全には同一ではありませんから、しかし、なる確率がありますよという言い方ですね。

(相澤委員)

  今おっしゃったのは、多分、その意味とは違って、例えば提供者は遅発性の優性の遺伝病であったとか、そういう提供者からのES細胞を使って、研究がずっとやられているのかどうかということは、インフォメーションとして必要なことだと思います。どうしても。

(迫田委員)

  つまり、余剰胚として、自分としてはもう必要なくなったものについて、医療のために提供するということは、それは善意の中で起こり得ることだと思うんですが、それがその後の人生、提供した人のその後にまた、いろいろな形に戻ってくる。ネガティブでも、ポジティブでもいいんですけれども。忘れる存在じゃなくて、細胞として、自分に何かが残って、その後、煩わされるということについてですね。それはいい面もあるし、悪い面もあるんでしょうけれども、そのことがかなり提供するという行為に大きな影響を与えるんじゃないかなと思ったものですから、今のセルラインの履歴という言葉に非常に引っかかったんです。

(岡田委員長)

  そういうことというのは、例えば今、いろいろな集団検診のところから、遺伝子を保存するという形の作業がいろいろなところで行われていると思います。これは個人名が出るわけではないけれども、遺伝子の解析をするために集めてきていますのでね。だから、ずっとたどっていくと、提供した人の名前が出てき得るような感じにどうしてもなるんですね。主治医がちゃんと守秘義務を守ってくれていたらいいけれども。

  だから、そういう形のことが、これから、これ以外でも出てくることがあって、そういう形のものをどういう格好で、ちゃんと安心できるようにしていくかというのは、ここでもありますけれども、特に人の遺伝子のコレクションのほうからは、多分、もっと大きな問題として存在していると思います。これはペンディングとして、これから考えていかなきゃいかんことだと思います。

(相澤委員)

  今の質問、僕のほうが誤解していてすみません。

  1つだけ、あり得ることは、その細胞を使って、いろいろな研究を行っていて、そこでいろいろな感染、特に特別なウイルス感染が、もし起こって、その細胞が物すごくよく使われているとすると、そのウイルスに提供者は最も感染しやすくなるというリスクがないとは言えない。そういうケースはいまだかつて1度もないだろうと思うんですけれども、そういうケースがもしかしたらあるかもしれないという可能性はあります。

  そのことを除けば、提供したことが、後、ポジティブにも、ネガティブにも、その提供者にフィードバックするということは、医学的な意味もしくは生物学的な意味ではないと思います。

(木勝島委員)

  今のポイントについては、実は、このアメリカの国家倫理委員会が、この幹細胞のリサーチの報告書の一つ前に、ヒューマン・ティッシュのリサーチ、つまり、人の体の、臓器と言わず組織と言っておりますけれども、皮膚であるとか、血液なども含めた組織標本の研究利用について、報告書を出して、勧告をしているんです。

  その対象組織の中に、人の胚は含まれていません。胎児も含まれていないのです。ですから、その点では非常に不整合で、アメリカでは、人の胚と胎児の扱いについては、異常に気を使っている。ただ、でも、その裏返しに、人の胚と胎児の研究利用については、記名情報は絶対流れないということを前提にしてしまっているんですね。それがどこまで貫かれるかは疑問で、やはりアメリカの国家倫理委員会の中でも、人の体一般の組織の研究利用については、非常にきめ細かい情報保護の具体的な提言が盛り込まれているんです。それなのにもかかわらず、ヒト胚のほうになると、そういう記名情報が出るなんていうことはあり得ないんだという前提でやっているように思うんです。ですから、その点で、アメリカの国家倫理委員会のやっていることには、報告書によって随分濃淡というか、差があって、当然扱われるべき問題が扱われてないという分析はできるのではないかと思っています。

  逆に言えば、胚や胎児ではない、人の体の一般組織については、記名情報はついていく場合であっても、非常に厳密な保護さえかければ、利用する価値はあるということだと思います。それが迫田委員が出された問題で、人の胚や胎児の研究においても、記名情報を付けていく意味があるのか、ないのかとか、それをどう保護するのかという議論は、人の組織の報告書に比べると、このヒト胚の報告書はケアしていないような印象を私は持っています。

(西川委員)

  ただ、構造的には少し難しくて、例えば組織の場合は遺伝的に完全に、一応はアイデンティカルなんですね。ところが、胎児の場合には、ドナーの遺伝情報はES細胞なり、その胚の情報として極めて有効なんだけれども、その胚からつくられる細胞は決してアイデンティカルではない。しかも、結局、アルツハイマーにしても何にしても、個体になって、それからわかることであって。

  ですから、相澤さんが言われたようなケースを除いて、ES細胞での研究結果が、人にフィードバックされることは、ドナーそのものにフィードバックされることはないだろうけれども、逆に、ドナーの記名情報というのは、研究上、物すごく大事であるということは言えると思いますね。それを使うかどうかはわからなくて、決めてもらわないといかんですけれども。

(相澤委員)

  僕が余計なことを言ったために、話が飛んでしまったみたいなんで、それよりは報告書に即して議論させて頂きます。

  この報告書で、僕が一番問題だと思うことを述べさせていただきたいんですけれども、まず第1に、余剰胚を用いることをどう考えるかということに関して、このアメリカの報告書は中間的な立場という形で取り扱っていますけれども、僕自身は、やはり日本としては、胚はあくまでも人であるという立場、これは勝木先生がかねてご指摘のところですけれども、それを基本として報告書をつくるべきで、このアメリカの報告書というのは、アメリカの事情はわかるんですけれども、それとはおのずと違うところが日本にはあってしかるべきではないかと思います。

  それからもう一つ、重要なことは、作成と使用とは区別できないから、一体として取り扱うという考え方は、今までのアメリカでのES細胞の取り扱いの便宜的措置があって、それを克服するために、ことさら、ここでこういうふうに取り上げられていると思います。けれども、ほんとうにサイエンティフィックに、それを一緒にやらなきゃいけないということ、作成と使用は密接不可分というわけではないと思います。それは現在のマウスのES細胞の取り扱いが現実に示しているところで、作成と使用とは全く別のこととして、ほとんどのことが成り立っているので、ここで言うほどではないことです。

  この2点が、この報告書を見ていて、随分違う点だと思うんです。

  そういう意味で、この報告書に一番抜けているのは、結局、言葉として衝撃力が強いから、多分、そういう言葉を避けるんでしょうけれども、人体実験という概念に正面から向かわない限り、問題の処理はできないと思います。僕自身の考えでは、人体実験は、現実に行われていることで、問題は、どういうコンセンサスのもとで人体実験は許されるかという条件をはっきりすることだと考えます。

  ヒト胚を取り扱う実験も明らかに人体実験であって、すると、これはどういう条件のもとでなら許していいかという議論の仕方をするべきではないかと思います。もちろん、通常、人体実験の場合には、成体の場合には、本人の承諾ということが絶対に重要な条件になるわけですけれども、胚は自分で承諾するとか、承諾しないということは言えないわけですから、それにかわる措置をどう考えるのかということが、僕は中心的な議論になるべきと考えます。その点に関しては、この報告書のようなやり方でまとめるのは僕は考え方として反対です。

(岡田委員長)

  今、ちょうど相澤さんから具体的な問題点の指摘があったんですけれども、今のご発言に関してだけ、少し皆さんのご意見を聞かせてください。

(勝木委員)

  私は、相澤先生のご意見に100%賛成でございます。そういう根本的なことが問われているからこそ、この委員会があるのだと思いますので、ヒト胚全体に関することに広がるのが、いろいろ問題があると言われておりますけれども、しかし、そのこと全体を含めて、きちんと討論できるんではないかと思います。

(木勝島委員)

  私も、相澤委員のご提案に賛同いたします。まさにそういう枠組での検討が必要だと思います。

  この点、、アメリカも長い歴史のあることでありまして、この国家生命倫理委員会というアメリカの委員会は、そもそも人体実験一般における被験者の保護の体制の見直しと再構築という課題を大統領から委託された諮問機関なのです。ですから、先ほど申し上げた人の組織の利用についての報告書は、相澤委員がおっしゃられた枠組みで書かれています。アメリカの人体実験における被験者の保護のスキームの中で、丸ごとの人間ではない、人の体の一部を使う場合は、それはアメリカの法律が言っている人を対象とする研究と言えるのかどうかという問題枠組みで貫かれて書かれています。ですが、人の胚と胎児だけは、アメリカでは超特別な存在でありまして、報告書も全く違う枠組みで書かれています。これは25年前にアメリカが初めて、人の被験者の保護のスキームについて法律と行政令をつくったときの報告書にも、胚と胎児だけは特別扱いなんです。それらは切り離されている。それはアメリカ社会の生命観なり、価値観なりをすごく色濃く反映したものだと思います。

  ですから、アメリカでは、そういうストレートな扱いはできないけれども、日本では、相澤委員のおっしゃるとおり、これは人を対象とする実験研究の管理のあり方の1つの問題であるという議論を僕はするべきだと思うし、それでいいと思います。ただ、その場合、胚は人であると丸ごと言ってしまうと、生きている人間をすりつぶして実験研究することになってしまいますので、別の何らかの位置づけを考えないといけないでしょう。丸ごと生きている人間と同じ位置づけというのは無理で、もしそういうことを言ってしまうと、アメリカの保守派と同じ意見で、一切、研究利用できないということになると思います。

  私は、アメリカNBACのこの報告書の線が、このままアメリカの政策として採用されることはまずないと思っています。というのは、既に5年前にNIHが専門家パネルをつくって、クリントン大統領に、こういうヒト胚の研究利用を大々的に認めるべきだという報告書を出しているんです。ところが出したその日にクリントン大統領は、それはまずいと言って抑えてしまいました。その報告書はいまだに宙に浮いたまま、全然実施されていません。それと同じことで、今回も、このNBACの報告書のアウトラインが明らかにされた今年7月に、ホワイトハウスが異例なことに、大統領声明を出して、人の胚の研究利用を認めていない現在の連邦法をクリントン政権は変える意思はない、とわざわざ発表したんです。これはNBACの報告書の内容に真っ向から反対する意見で、大統領の諮問委員会の報告書が出る前に、その内容が表に出て、それに対してホワイトハウスが何らかの意思表示をするというのは、極めて異例なことです。大統領は、おそらく、この報告書に反対でしょう。この報告書が出た日の大統領声明では、委員会の皆様、お疲れさまでしたというだけで、反対とも賛成とも言っておりませんでしたが、最終的には、法改正が必要ですから議会が決める問題です。今のアメリカの連邦議会は保守派が多数ですので、こういう提案が通ると思えない。しかも、政権与党の民主党も賛成しているとは思えない。予算法の中に、この胚の保護の条項があって、その予算法の審議はもう既に議会で始まっていると思いますが、今のところ、この改正案を支持する議員の提案というのは、まだ出てないようなんです。NIHも、作成は認めない、使用だけを認めるといって、ガイドラインをつくると言っていますけれども、そのガイドラインがまだ全然出てこないで、もう半年以上たちました。その抑えた線ですら非常に難しいのだと思います。

  ですから、このNBACの報告書を参考にするにしても、アメリカが、この政策をそのまま採用することはあり得ないのではないかということを念頭におくべきだと思います。

(武田委員)

  人体実験の一部として、これをとらえて、一定の規制をつくるという相澤さんのご意見は、私も反対ではありません。

  ただ、これは以前も問題が出ましたように、個体産生をするか、しないかというところが非常に大きなポイントでございました。それを踏まえた上で、この胚研究の規制ということになっていくんだろうと思うんですね。

  さっき、迫田さんがおっしゃられたことは、それとは全然別の見方から見た議論なんで、それをこの委員会の中に加えてまとめられていくというのが一番拙速でない、順序を踏んだ議論展開ができるんじゃなかろうかと思います。

(西川委員)

  基本は、相澤さんがおっしゃる人体実験であるという広い中に含まれるけれども、それを例えば治験の問題にしても、いろいろな人体実験があるわけですよね。そこに関して、個別のところで今、はっきり言うと日本では、そういう議論がきちんとされてこなかったのは事実で、例えば治験にしたって、今やられようとしているわけですね。だから、それを全部ひっくるめたものとして、ここで位置づけるというのは難しくて、その一部であるという位置づけはいいと。

  それから、胚に関しても、僕も木勝島さんと一緒で、やっぱり勝木さんの感覚をそのまま入れてしまう。すなわち、ポテンショルとフェートというか、運命と可能性という問題は、きちんと分けて考える必要があって、実際にこの場合、ポテンシャルは生物学的な属性なんだけれども、運命というのは要するにドナーの意思なんですね。受精卵に関しては。ですから、そこの点をクリアにしておけば、それは生殖医療の問題でもあるから、すべてがもちろんリスペクトするべきであるという言い方をしてしまうのも、僕もかなり危険ではないかなという気はします。

(勝木委員)

  すみません。私は、そういうことについて議論すべきだとずっと主張しているんです。ドナーの意志というのは、最終的な処置とは別の名目で、ある胚を保存することではないはずです。そして、それが終わったときに、その状況が変わったときに、利用法について考えるというのは、とても商業主義的な感じがして、私は特に人の胚のようなものについはなじまないと思います。

  そういう観点で、余剰胚ということは私はあり得ないという建前なんです。言葉としてですね。余剰胚という意味はよくわかりますが、そういう言葉で語られるものは、非常にコンセプトを揺るがすような言葉だから、やめたほうがいいということなんです。

  その上で、それでは、いわゆる言われるところの自己決定権とか、情報公開によって、さまざまなものが解決するという点は私もある程度は認めますが、このことに関して言いますと、最初に子供をつくるために−−そこは議論があるとしても、それを認めたとして−−凍結胚を作っておくということになったら、やはり、それは本来の意図からいったら、埋葬すべきものだと思われます。そのことを申し上げているんです。

  それじゃ、最初にインフォームドコンセント、あるいはその利用について、きちんとどのようにできるか、私にはわかりませんが、それで私が説得されれば、もちろんそれは当然認めることです。

(町野委員)

  今のご議論を伺っていますと、大体2つのことが問題で、1つは、提供者側の保護の問題だと思います。もう一つは、胚そのものの保護の問題です。

  胚そのものの保護の問題について、これを人体実験の規制の問題というご意見が強いようですけれども、私は、それはやっぱり誤りであると思います。先ほども、木勝島さんが言われましたとおり、これは将来は破壊されるべき存在なんですよね。だから、殺すのはいいと。しかし、その殺すまでの間、いたぶるのが、どこまで認められるかと。簡単に言うと、そういう問題です。人体実験は殺すことが目的ではないわけですよね。少なくとも、殺すことをやっているわけではなくて、結果的に死が生ずることはあるかもしれないけれども、そういうリスクが少ないときに認められるものです。ですから、これは人体実験とは全然別です。

  もう一つの問題、人体実験というのは、あくまでも人間を対象としている。そして、胚は法的な主体であるかどうかということが問題で、私は、法的な意味では主体でないと考えなければ、おそらくいかないのではないかというぐあいに思います。

  アメリカで、今の後者の考え方をとっているというのは、もちろん連邦最高裁の中絶禁止違憲判決があるわけで、これは出生前の生命はパーソンではあり得ないという考え方から、スタートしているわけです。これはアメリカ流の立場ですけれども、日本でも同じように考えなきゃいけないんじゃないかと思っています。

  だからといって、これは無生物であるから、あるいは生命がないから、いかに扱っても自由かというと、それはまた別の問題です。しかし、少なくとも胚そのものが法的な主体と考えた上で、それを人体実験の範疇ととらえることは、私は泥沼に入る可能性があると思うし、妥当な態度とは思いません。しかし、2つに分けて考えなきゃいけないというのは賛成でございます。

(相澤委員)

  何をもって人体実験というか、人体実験という言葉の概念の問題があります。確かに人主体として胚を考えられるかという法の問題があるでしょうし、いろいろなことがあると思われ、それぞれの立場からの議論の対象となるべきことだと思います。

  その前に、勝木先生がおっしゃいますことと関連してですけれども、僕は、余剰胚は、やっぱり使うべきじゃないと思います。中絶した組織を使うのは構わないかなと思っています。また、余剰胚を使うことはいけないけれども、不良胚を使うことはいいと思っているんです。余剰胚と不良胚とを判断するのは、産婦人科の方に判断を委ねる以外ないのですけれども、少なくとも、これはもはや戻せないという胚、それを概念として不良胚と呼ぶと、それは妊娠中絶した胎児とともにそういうものを用いることは許されるのではないかと考えます。

  ただし、そこで、大きく問題となることは、正常胚を不良胚だと言う人たちが、のべつまくなしに増えてしまうということで、どうそこにチェックをかけるかということが、とても大きな問題になると思います。

  そのためには、先ほどの使用と作成ということですけれども、今、作成研究をやることがとても重要だという意味を持つ局面に研究の状況はあると思えないんです。ですから、僕はやはり、ES細胞は、ある委員会が、公的な委員会の管理のもとで委託されたどこかの機関が−−1個じゃないでしょうが、多分、複数ぐらいでしょうが−−ES細胞をつくって、公開的にすべてのところに分配する。どこに対しても自由に。そして、それは作成者の個人的な権限は何も認めないということで。そういう規制を暫定的にかけておかないと、どこでもがつくっていいですよというと、必ず正常な胚を、みんな、不良胚だといって、使用する可能性があると思います。ヒトES細胞作成のための研究を、今の時点で展開する必要性がどの程度あるかということと、リスクとを両方天秤にかけたら、あまり今の時点で、ES細胞をたくさんのラインをつくらなければならないという必要性はないので、どこかの公的な委員会を設けて、その管理のもとで幾つかの機関にES細胞・EG細胞の作成を依頼して、それをすべての我が国、もちろん外国もですけれども、そこに公開的な条件のもとで、ちゃんと配分する。そういう制度を考えるのが、僕は一番現実的な形であるし、またいいのではないかと思うんです。

(西川委員)

  後半は僕も全く賛成なんですが、余剰卵がなぜいけないと思われるのか、その理由はよくわからない。

(相澤委員)

  それに関しては勝木先生と同じ意見なんです。

(西川委員)

  僕は、このアメリカの報告を聞いて、よく考えているなと思うのは、分析的に可能性と運命というものをきちんと分けて考えて、それをインフォームドコンセントの取り方に反映させていますよね。すなわち、運命を決めるのはドナーですよと。すなわち、まず廃棄するか、あるお金を払ってキープしておくか。それを選択させるわけですね。すなわち、自分で、ドナーが運命を決めているんであるというプロセスを通った上で、廃棄するものに関して、どう使うかという言い方をしているわけですね。

(勝木委員)

  よろしいですか。つまり、胎児のように、あるいはヒト胚のように個体まで発生する能力を持つものに対して、どこまで決定権が及ぶかということですよね。先生は、ドナーに絶対的にあるとおっしゃいますけれども、それが議論すべきことの1つだと思います。

  それからもう一つ、町野先生がおっしゃったことで、クローン以来ではありませんが、この十数年の分子生物学の発達というのは、やっぱり、発生学において非常な進歩を遂げていると思うんですね。したがって、多くのゲノム論者−−私なんかもゲノム論者なんですが−−受精の瞬間から後は、プログラムに従って発生しているんだという感覚を持っているものですから、これは連続した1つのプロセスであると認識しているわけです。個体発生の状況というのがですね。自然は、そういうものであると。

  それを人為的に切るということになると、そのことに結局は矛盾するのかもしれませんが、合理的な何か要素が必要になるだろうと。過去がそうだから、現在の自然の見方についても、それを当てはめるというのは、古い観念を今に当てはめることになって、ここで議論する意味がないんではないかと思うものですから、連続性というふうに考えるんです。

  もう一つは、したがって、私は十分、説得され−−よっぽど私は頑固と思われているようですが−−理解する能力は私はあると信じているんですが、先ほど、相澤先生がおっしゃったことで、一番、私がちょっと述べたいのは、作成のところという意味では、研究者にとっては、これはいつの時期に、着床前か、着床のいつの時期に、どういうときに、それを取ったらいいかというのは、例えばマウスで考えれば、実験の焦眉になるわけですね。研究の非常に重要なポイントになるわけです。どの時期に取ったら、ES細胞がほんとうに、いわゆる質のいいというか、後の研究に使えるES細胞になるのかというのは、当然、一番大事な研究の対象になるんだと思うんです。私が、ほかのことを全部忘れて、それをやれと言われたら、まずそこから始めるというテーマですね。

  ですから、やはり、完全な恣意性がそこになければ、研究のほんとうのブレークスルーは起こらないということがありますので、ちょっと議論が、そこで作成のところと使用のところが、まだ判断としては迷っていることなんです。だから、そこを許してしまいますと、まさに人体実験そのものになってくる可能性がある。研究そのものを最もよい形で進展させよう、最も役に立つものをつくろうとしたら、その前に人体実験を行わなければ、それができないんではないかと。どちらを重要に考えるか。私は人体実験のほうを禁止するほうを選択したいと思います。

(岡田委員長)

  ちょっと質問ですが、人体実験というのは、どういう意味のご発言でしょうか。

(勝木委員)

  つまり、中絶胎児をつくるといいますか、中絶をするということになりますと、それは相澤さんがおっしゃるような心配を僕はしているんですが、非常にその時期というものを、ほかの監視があったとしても、実験的に選ぶことを禁止することがとても難しいだろうということです。

(岡田委員長)

  もう一つ、さらに質問を。

  ということは、それがちゃんと正常に動くというためには、子宮に着床させてみる必要があるというような意味合いですか。そこら辺がよくわからないんですが。

(勝木委員)

  私は余剰胚については、今のところ、禁止というつもりです。中絶について……。

(岡田委員長)

  いや、私の質問に答えて下さい。人体実験というのは……。

(相澤委員)

  彼が言っているのは、胚はもう人体だから。だから、胚を用いる実験は人体実験だと。そういう意味だと思います。

(岡田委員長)

  培養系の話なわけですね。それも人体実験だという言葉で今おっしゃっているわけですね。

(勝木委員)

  人体実験という言葉は非常に悪いかもしれません。その場合、今のお話で言いますと……広く言えば人体実験ですね。そうです。

(西川委員)

  ただ、先生ね、やっぱり一つ、あいまいなところに、わざわざ落ち込むのは……。先生、胚には意思がないというのは、多分……。結局、ドナーの意思なんですね。ところが、一般的な人体実験というのは、その恩恵を受ける−−例えば僕の肝臓のドナーになる。そういうプロセスには意思があるんですよね。だからこそ、インフォームドコンセントというシステムがあるのに、結局、胚というのは、そういう意味での定義づけで僕は意思ないと思うし、そういう精神活動をしているとは思わない。だから、そういう形でのあいまいさというところを残して、結局、人体実験であるとか、ないとかという話をしちゃうと、今までの人体実験のよって立つベース、例えばインフォームドコンセントというようなものが全部、壊れてしまうと思うんですけれども。

(武田委員)

  今までの議論の根底が、私は少し理解できないところがあるんです。それは相澤さんが言われた中絶胎児は異常胎児であるというご認識をお持ちのようなんですが、そうじゃないんですね。中絶胎児は正常胎児の中絶が十分あり得るし、そういうほうがよっぽど多いということですね。

  それからもう一つ、余剰胚の言葉の意味ですけれども、未使用胚と言おうが、余剰胚と言おうが、我々臨床家にとっては全く同じですね。確かに不良胚と良好な胚とは区別できます。良好な胚をずっと保存しておくことも可能です。ただ、そういう意味では、今の生殖医療の中では、余剰胚はないと言っても、それは言い過ぎではないんですけれども、一定の限界がございます。ある一定の限界を越えた胚を廃棄するということになっているんですね。だから、そういうところを、先ほどの概念的な余剰胚であるとか、未使用胚であるとかということではなくて、使い得る胚についてどうかという議論をしたほうが、よっぽど具体的だと思います。

(勝木委員)

  武田先生のおっしゃることはよく理解できるんです。ただ、それは基本的には、ドナーといいますか、その人が子供にするということを前提に、そういうことを凍結なり、何なりをしているわけですね。

(武田委員)

  もう一つ、言わせていただきますと、胎児組織は、胎内にいる間は母体の一部として取り扱っているんですね。だから、別の意思があるではないかという今の議論がありますよね。だから、胎児は胎児としての意思を持っているから、それは尊重しなくてはいけないという考え方はわかるんですけれども、我々臨床的な胎児の取り扱いというのは、これは母体の一部であるという考え方なんですね。

  だから、特に胚のことになりますと、胚に意思があるか、ないかとかということは、あまり議論の対象にならないんじゃないかなと思うんですけれどもね。

(西川委員)

  いや、わかりやすく言っちゃうと、例えば移植のことが僕はわかりやすいと思うんですけれども、しかも成体同士での移植の場合ですね。要するに、子供はドナーになれない。それは意思のあり方というものに関して確立していないと考えているわけですね。ですから、子供はレシーピエントにはなれるけれども、ドナーにはなれない。それは今は厳然として、僕らはそういうインフォームドコンセントで医療が行われているわけですね。

  ところが、逆に、大人同士の場合は、レシーピエントになるにも、ドナーになるにも、インフォームドコンセントが要るんですね。そうすると、要するに子供のレシーピエントというものを考えたときに、明らかにそのルールは破られて、子供は中途半端なものであるという意思の決定のシステムに押し込めるようにいっているわけですね。だから、そういうことは極めて便宜的に起こってしまう。僕は、それは正しいと思うけれども、それをどんどん意思のない、はっきり言うと、子供から1歳児、2歳児、3歳児と僕は意思はどんどん発展しいくものだと思うから、そういう意味では、逆さまにいったときに、どういう形で、幾らでも自由に社会のほうでコンセンサスの取り方というのは取れてしまいますよ、という危険性を言っているわけですね。

  ですから、プロセス及び行為というものを、きちんと分析した上で、かなり冷静に話をすることが大事ではないかなと僕自身は思っているんです。

(勝木委員)

  冷静に話をしているつもりなんですが。(笑)その基本的な枠組みについて、やはりきちんと議論すると。その前提のところが、私はまだよく理解ができてないんです。それだけ申し上げておきます。

(町野委員)

  先ほど申しましたとおり、勝木先生のご意見というのは、おそらく、胚のほうから、保護されるべきは胚であると。そして、一応、法的と呼ぶのかどうか知らないけれども、主体を胚と考えるということからスタートすると。そのことから考えなきゃいけないと。西川先生のほうは、いや、そうではなくて、提供者のほうから考えていかなければ、これは処理できない問題であると。

  しかし、私は両方だろうと思うんですね。ドナーのほうが、例えばどうしても結構だと言ったからといって、何をやってもいいというわけじゃないことはだれでも認めているし、胚のほうの問題というのは、結局のところ、外から見た生命の保護の問題で、胚そのものの生命の保護ということはもちろんありますけれども、生きている権利、胚の生きる権利を生命権として保護しようというのとは明らかに違う問題です。

  ですから、先ほど相澤先生や勝木先生のご意見が誤りではないかと申し上げたのは今のような趣旨で、やはり人体実験という言葉で語りますと、非常にミスリーディングになると思います。ここでは、生命そのものの保護ということが正面から問題になるのであって、これはドナーの一存を越えるものでもあるということを認めなければいけない。それはそうだろうと思いますけれども、人体実験という言葉で語るのは、私は不当だろうと考えます。

(村上委員)

  最初に木勝島委員が驚かれたんですけれども、結局、これが核になって議論が進んでいるんだと思うんですね。結局、作成のソースの問題というのが、今の議論の核心ですね。そのときに、何と呼ぼうが、余剰胚と呼ぼうが、未使用胚と呼ぼうが、とにかく余剰胚をどうするかということが、今のホットイッシューになってくると。そこへ踏み込んでいくのは私も大歓迎なわけです。

  ただ、一つ、勝木委員のおっしゃっていることが、私はもしかすると誤解しているのかもしれないんですが、今おっしゃったような意味で、胎児なり、胚なりの意識があったり、主体があったりするかどうかということを問題にされているのではなくて、むしろ、未使用胚をソースとして取り得るかどうかということを問題にするときに、そもそも未使用胚というのは、それこそ、ドナーである不妊治療を受けに来た人たち−−主として母生でしょうけれども−−の意図に基づいて、さっきから勝木先生がおっしゃっているように、一人の人間として発展するプログラムがきちんと持ったものをつくってほしいという願いの中で生まれてきたものが、不妊治療における胚の存在であると。だから、そこに、それ以外の胚のあり方を予想して存在したものではないはずだということが、おっしゃりたいんじゃないかと思うんですが、違うんですか。

(勝木委員)

  まさにそうです。ありがとうございました。

(西川委員)

  ですから、1つは人体実験にこの問題をエクステンドするのは間違いであると。逆に、生殖医療という問題は確かにある。すなわち、意思がどこにあるのかと。だから、結局、生物学的な可能性として、最初の予想とはるかに越えるところで、いろいろなことが可能性として生まれるわけですね。それを決める意思がどこにあるのかと。生殖医療も結局、同じなんですね。そういう問題が多分、討議する価値がある可能性があるけれども、人体実験全部に広げてはまずいけないと。

  それから、もちろん勝木先生がおっしゃる意味もわかった上で、そこは整理して、意思をどこに認めるのか。それまでの意思なのかと。意思さえ取れればいいということになりますよね、勝木さんの話だと。やる前にインフォームドコンセントを取るわけだから。

(相澤委員)

  人体実験という言葉の概念の問題ですけれども、今、先生が問題にしている人体実験という概念は、今の医療行為において人体実験と呼ぶものを人体実験と言っているのだと思います。しかし、自然科学研究者の立場は、人体を相手にする実験は、すべて人体実験と考える立場で、医療行為の中での人体実験概念と自然科学全般の中で人体実験という概念は少しずれているところがあると思います。

  僕は自然科学の一介の研究者で、人体を対象とする実験はすべて、人体実験であって、それは一定の社会的なコンセンサスのもとになされるべきで、それには一定の制限のもとでなされるべきだと考えています。そういう意味で、これは初めて、胚の問題がもたらしたことですけれども、僕は広い概念の中での人体実験として考えるほうが正しいんじゃないかとそう思っています。

  それは確かに、従来の医療が前提として、コンセンサスとしていた人体実験という概念の範疇を越えるものであり、全く同じものではないと思いますけれども、僕はやっぱり、これは先生と違って、あくまでも胚を用いる実験も人体実験と考えます。

  それともう一つ、自然科学者の立場からいえば、意識の問題を、どこかからと切ることは何もできないんです。それはポテンシャリティーというものと実際に表現されたことがどこからであるというのは、例えば今まで人体を産婦人科領域では多分、特に二胚葉ができるときが、ほかのときと違うから、それはと。しかし、二胚葉ができるというときは、どこですかと言ったら、それは決めようがないんです。結局、もとに受精に戻る以外に。少なくとも科学的にそうなんです。

  もちろん町野先生のように、社会学的あるいは法律、そういうことの範疇から、どうとらえるかという問題に関しては、それはまた、どう加味していくかという立場は当然考えなければならないとは思うんですけれども、自然科学研究者の立場からいったら、胚も人体であると考える以外に、ほかの考えようがなくて、そして、それを操作することは人体実験としか言いようがなくて、それはどういう条件のもとでなら許されるという研究上の−−これは医療行為をどうこうしようとする場というよりは、研究をどう制御しようかという委員会なんですよね。

(西川委員)

  ただ、例えば相澤さんの、どこかの場所を取ってきて、培養して何かをつくるとか、いろいろなことがありますよね。その場合は、相澤さんの、極めて自然科学的なモチベーションによっていても、相澤さんというインフォームドコンセントの対象があるわけですね。だから、はっきり言うと、相澤さん自体が、きちんと人格で、町野先生がおっしゃった社会学的意味でも、すべて属性を備えているからこそ、逆に言うと人体実験というものを極めてサイエンティフィックなモチベーションでやれるわけですね。

  ところが、胎児の場合は、その科学のいわゆるポテンシャル、いろいろなものをプレゼントとして、どこで意思決定するかというものを決める場所があるんですかと。すなわち、それは今のところ、ドナーでしかない。それから、人体実験というのも、僕も全然問題ないと思うんですね。だけれども、結局、相澤さんが言うのは……。

(相澤委員)

  僕は、そのときに社会学的な考察を加えたときにどうなるかというのは、ご意見をお伺いしない限り、何とも言えないんですけれども、ただ、むしろ問題としては、そういうふうに意思の主体のないものに対して、それをどういうふうに考えるのですかということが、新たに、この胚でもって持ち出されたテーマであって、それは従来、主体でないとして来たから主体とは言えないんだと。そういう議論では僕はないという気がするんです。

(西川委員)

  まさにそうです。それで、木勝島さんが前に言っていたように、この問題も基本的には、生殖医療の問題なんですよ。すなわち、生殖医療の意思の主体は、ほとんどドナーと言ったらおかしいけれども、ペアレントなんですね。だから、勝木さんの話もつなげていけば、結局、社会学的なインフォームドコンセントが取れればいいという話に僕はなると思うし、その意思の主体がどこにあるかということを議論しないと、ちょっと難しいんじゃないかという気がします。

(勝木委員)

  今、相澤さんが申されたことは、よく説明してくださったと思っているんですが、要するに、この問題はほんとうにまだ扱ったことのない問題なんですね。それを扱ったことのある問題として解こうとすると間違うだろうというのが、基本的にあるものですから、そこをどうせめぎあってやるかという議論を始まるべきだと。

(西川委員)

  扱ってますよ。

(勝木委員)

  生殖医療の問題はね。そうすると、私はそれは十分やるべきだと思うんですよ。ヒト胚の取り扱いは生殖医療の問題まで。これはほんとうにつながっている問題ですから、絶対にやるべきだと私は思います。

(町野委員)

  意識がない人をどう扱うかが問題だということですけれども、私は問題はそうではないと思います。意識がない人間、例えば植物人間もそうですし、1歳の人間もそうです。しかし、それでも法的な主体であることはだれでも認めるし、倫理的主体であることも認めていると。

  問題は、人体実験という言葉に私がこだわりますのは、やはり生物学的に見て、1個のヒトの生命であると認められる以上、全部、それを主体として認めるべきかということが、問題だろうということです。

(勝木委員)

  全部、主体として認めるというのは、どういうことですか。

(町野委員)

  つまり、倫理的な主体として認めるかどうかですが、倫理的な主体というのは、例えばその人が保護されるべき人間であるということから始まって、その人が決定する主体であるとか、倫理的考察のすべてのスタートに位置する問題です。私は、もしそれを認めるとしても、生きている人と同じというわけにはいかないだろうということで、人体実験という言葉にこだわったわけです。

  もう一つ申し上げますと、先ほど組織の話が出ましたけれども、例えば臓器移植のほうでは、臓器を摘出したとき、この前のように、組織は使えなかった。それは廃棄しなきゃいけないということになっています。それを実験のために置いておくとか、そういうことは認めないというのが、今の立場なんです。だからといって、組織が主体になったかというと、そうではないと思うんですね。やはり、人体の一部であるから、それにふさわしい取り扱いというのがあるだろうということだろう。

  ですから、それが保護されるということは、直ちにそれが倫理的な意味で主体であるということを意味するものではないと。そのように考えないと、おそらくは中絶も全部だめであるということになるだろうと思います。中絶も倫理的に否定されるべきであるし、中絶胎児を用いた、あるいは胚を用いた実験というのは全部禁止するというのが、私は筋道だろうと思いますけれども、そうはおそらくいかないだろうと思われます。そういうことだけです。

(石井委員)

  3点ほどあるんですけれども、1つは、相澤先生がおっしゃることはよくわかるんですけれども、やはり概念はきちんと区別したほうがいいと思います。人体実験というよりは、ヒトの生命を取り扱う実験であるとか、ヒトの組織を取り扱う実験と。そういうヒトの生命、そういうものにかかわる実験の一部であるということで、人体実験という言葉は今まで使われてきている言葉ですから、それを用いると概念があいまいになってしまうので、ここで扱う対象は、今までの問題と、どこが違うのか。どの分野について、私たちは今から検討しようとするのだということをはっきりさせる必要があると思います。

(相澤委員)

  ちなみに先生の言う意味での人体実験というのは、どういう考え方になりますか。

(石井委員)

  やはり生まれた後の人を対象とするのが人体実験だと思っておりますが、私の認識が違っているのかもしれませんけれども。胎児の実験と胚の実験、そういう区別はできるのではないかと思っています。

  それをきちんと区別した上で、なぜ区別するのか。先ほど、西川先生は意識の問題、インフォームドコンセントの問題として区別されていますが、いろいろな考え方があり得るので、多分、最初に胚についてどう考えるのかという議論をしなかったために今の議論になっているのだと思います。ここで取り扱う対象は、どこの部分かということをはっきりさせる必要がある。それはどういう基準で区切ったのかも、はっきりさせる必要があるのではないかということです。

  そしてもう一つ、勝木先生は、生命の連続ということをおっしゃいます。私も連続するということは同じ考えなのですけれども、法律家としていうのはどこかで切って考えざるをえない。なぜ、そこで切るのかという説明は必要ですけれども、連続しているから全部、同じと考えることはできないだろうと思います。

  それと、全く違うことを今言ってもよろしいでしょうか。

(岡田委員長)

  どうぞ。

(石井委員)

  2つあるのですが、1つは、先ほど木勝島先生が、ちょっと驚いていると、今日の議論の仕方についてをおっしゃった。私も、このまま続いてよいのだろうかという疑問を持っています。前回、モラトリアムをどうするかということについて、課長さんが否定的な発言をされて終わった。そこのところが、どうなったのかがわからないまま、今日は終わりたくないと私は思うのです。今後の議論の進め方について、相澤先生がおっしゃったように、アメリカは7回で結論を出している。私たちの今後の進め方も合わせて、できればはっきりしていただきたいということが1点です。

  もう1点は、アメリカの報告書は、国が資金を出す研究に関するものですけれども、ここでは、どの範囲の研究について意見をまとめることが、私たちの課題なのか。それによって、また随分違うと思いますので、全く違うことを言って、申しわけございません。

(岡田委員長)

  後のほうの話になってくると、ある意味で、日本とアメリカというのは、あるところは似ているわけです。民間との対応のことに関しては。ただし、実際上の動き方というのは、例えば遺伝子操作というもののガイドライン規制を国がしたときに、日本は民間もそれに全部、ならいました。アメリカはどうなっているかは知らないけれども。民間の研究所も全部、それにならうという形をしましたが、事務局とお話ししているときは、多分、日本では、ここでの話というのは、そういうアメリカ的な、科研費とか何とかの対応というのが一番直接的なものだと思うけれども、多分、ここである方向性が出れば、日本の民間企業も、それに多分、ならうという今までの慣習を続ける可能性があるだろうという話を聞いているですが、それでいいのですか?

(研究開発局長)

  今日、今回のアメリカの例を紹介して、ご議論いただいているのも、最終的に、これまで議論していただいた結果をどう整理するかという過程で大切な議論だと思いますので、委員長の指導をいただいて、こうしているわけです。今回、ここではっきり、幾つかの点が今までの議論に乗ったと思うんですけれども、作成と使用というものを、それほど明確に分けることなく、かなり強い関連で整理をしているということですね。

  それからもう一つは、公の監視のもとに、こういう研究をするということ。

  また、はっきりと今も、いろいろな議論がありましたけれども、最終的には処分するということを、はっきり打ち出して、そういう一応の約束のもとで、こういう研究ができるということを目指しているわけですね。

  ですから、今、国か、民間かということもございますけれども、研究の枠組みというものを、ある程度イメージをはっきりさせて、こういう方向を打ち出していますから、これはこれから日本の研究の仕組みを考えるときに、そういう意味では大いに参考になるし、このコピーをとるとか、そういうことはないにしても、議論の過程で、我々が最終的な整理をさせていただく過程では、ぜひ参考にさせていただく点があるんじゃないかなと思います。

  もう一つ、今、委員長がおっしゃったような意味で、確かに民間と国の機関とを扱う場合に、直接的なコミュニケーションの手段が違うわけですね。こういうリスクの大きいような研究、そういうものについては、だれでもがやるということでは必ずしもないかもしれませんし、あるいはめどがつけば、商業的にもどんどんやるということもあるでしょうし、いろいろな相反する面があるわけですけれども、直接、国の場合は、国のどういう規制の手段があるかといいますと、研究資金を差配するということがまず直接的な手段ですし、民間の場合には、そういう手段は必ずしもできないわけですから、いかにして問題の重要性というか、そういうことを訴えながら、民間の自主的な判断に委ねるということ。そういう意味では、今日ご紹介していただいた資料の23ページにも、アメリカの場合であっても、必ずしも国がお金を出さないような場合に対して、民間にどういう措置を期待するかといったことで方向を出しています。基本的には、日本の場合にも、それは同じような方法だと思うんですね。それはどうするかといいますと、法律をつくるか、あるいは行政指導をするかということになると思いますね。

  ですから、今までのいろいろな議論を整理させていただいたときに、我々は、こういう議論自身も公開とさせていただいているのは、こういうことが広く、世の中に知らしめられるようにという期待を持ってやっているわけですし、それに合わせて、方向がはっきり定まれば、行政指導あるいはガイドラインのような格好で−−行政指導という言葉があまり積極的に打ち出すのはいかがかと思いますけれども−−皆さんに見えるところで、こういう方向でいかがでしょうかといったことで、国全体のあまねく研究者の方に注意を喚起して、その研究が適切な方向に導いていただくということじゃないかなと思います。

(岡田委員長)

  どうもありがとうございました。

  石井委員の前のほうのモラトリアムの質問に関しまして。これは、この間の回の最後のときに、事務局のほうから、この問題に関してモラトリアムをつくると、もしもそれを改正しなくてはいけないときに、状況が大きく何かが変わらない限り、それを動かしかねるというお話があったと思います。ですから、そういう意味でのこと、この間の最後にモラトリアムをつくった後の動きの取れなさという形の問題点が最後に出ていたはずなんです。それを了解しておいてください。

  そして、今日は、僕の感じとしては、野村総研のほうから、アメリカの説明をしていただくことで、ES細胞とか、EG細胞の採取の問題のところに、とにかく足を踏み込んでみてほしい、という希望がはっきりとあったということです。それは、その前の回のときのモラトリアムをつくるか、つくらないかというあたりのところと直接関係もすることであって、モラトリアムをつくるというのが、つくるための作業を今回するという形では約束しておりません。

(石井委員)

  理解の違いかもしれませんが、今回つくるというよりは、この間、私たち委員の中では、つくりましょうという方向になっていたと思います。最後に、問題があると課長さんが言われたので、どうするかということから、今回は議論を始めるべきだったという気がします。

  モラトリアムの上で、作成について早急に結論を出すという合意だったと私は思っていたのです。

(岡田委員長)

  そうかもしれません。申しわけございません。

  迫田委員からの発言が今日はないんだけれども。

(迫田委員)

  これは素人の悲しさというか、気持ちの上では、余った胚で研究をするということについて非常にざわざわした感じがあるんだけれども、理性で、どういうふうにこれが利用されて、どういうふうに貢献するものであるかと理解しようとするわけです。そういった中で、皆さんそれぞれ、法律や自然科学や臨床のお立場からお話しされますが、いろいろな意見を聞いていると揺れるわけです。

  それで、例えば町野先生は、先ほど臓器移植の場合の臓器の話で、使わなかった場合をお話しされましたけれども、臓器と胚はやっぱり違うと私は思います。それから、例えば意識がある、なしで、あるいは意思のある、なしで分けようとしますが、意思のある、なしというところで分けれるものではないだろうと思うんです。そういう意味では、まだ胚というものは、今までのどれの議論にもはまらない、別のものとして議論しなきゃいけないだろうということが一つ、やっぱり、今伺っていても思うんです。

  もう一つ、どうしても伺っておきたいのは、相澤先生が、今の段階では、作成する研究は、そんなに差し迫った重要なものではないんじゃないかと。

(相澤委員)

  いや、そうじゃないんです。ヒトES細胞から、どういう条件で、どういうふうにいろいろES細胞が出てきますか、というES細胞作成のための研究をやるということの意義と、それによってもう一つ、逆の意味で言うと、そのために余剰胚とか、いろいろな胚を理屈をつけて、結局は、この研究のために使用することになることの両方のバランスを考えたときに、今、ES細胞の作成研究をそんなに集中的にやるほどの学問的意義はなくて、むしろ、そこはある程度規制して、そのかわりにどこか公的機関の下で、幾つかのところでヒトES細胞をつくって、それを日本中のすべての研究者に配るというシステムにしたほうがいいでしょうと。そういう意味です。

  ですから、ES細胞をつくる研究は全く無意味だとか、そんなことを言っているつもりはないんですけれども、そういう研究にも、当然の意義はあるんですけれども、現時点でそれよりもはるかにもっと意義が見出されるのは、その細胞を使って、いろいろな研究をやることのほうが、ほとんど研究者が望んでいる研究だと思います。もちろん、ES細胞をつくる研究それ自体の意義は当然ありますし、それは例えば霊長類と比べたらとか、そういうことはあるんですけれども、その部分のことは少し今はいろいろな片方の問題があるときには、一たん禁止しておいたほうが、セーブしておいたほうがいいのではないかと。それが物すごく重要だったら、それはそういうわけにはいかないんですけれども。だから、相対的な価値の問題なんです。

(迫田委員)

  例えば今のアメリカの報告で言えば、作成・使用共通に……。

(相澤委員)

  これほどのことはないと。

(迫田委員)

  ないというご意見ですね。作成の科学的意義というのも、10ページに書いてあるんですが、これはそうすると、先生のお感じでは、そこまで同じレベルではないと。

(相澤委員)

  少なくとも、こういうふうに言う必要は、それほどのことはないと僕は思います。

(木勝島委員)

  私は、相澤委員が今日、提案された研究監視システムは非常にいいものだと思いますし、賛同したいと思います。それを実質的に詰めていく作業をして、この小委員会の報告書をつくる方向で進めていただきたいと思いますが、当面の措置、モラトリアムは、どうするのですか。このまま、あいまいなままで流すのでしょうか。それは許されないと思いますが。

(岡田委員長)

  それより前に、今のお話だと、どこかでES細胞をつくるのはOKだ、ということでは、コンセンサスがある?

(石井委員)

  まだないのではないでしょうか。

(木勝島委員)

  一元化したシステムに、何まで許していいかということを論議するべきです。

(事務局)

  進め方、特にモラトリアムの関係で進め方で、事務局として考えていることをご説明申し上げます。

  前回の議論でも、たしか石井先生だと思ったんですが、モラトリアムにするとしても、作成の範囲はどこまでかとか、そういった対象もはっきりしていない。その辺がクラリファイすべきではないかというご議論があったと思ったんですが、全体を一たん見た上でないと議論できないところがかなりあるかと思います。特に、このアメリカの報告書でも、つくる、つくらないということの議論はあくまで、使うときに、あるいはつくるときに、どういう手続が要るかということまで含めた上でないと議論できない。単純につくる、つくらないという議論ができないということを含めて、非常に後ろのところまで全体を議論した上で報告をまとめていますので、一たん、そのモラトリアムも含めて、扱いの議論というのは、次回やりたいと思っているんですが、その前に一応、全体の整理で、アメリカの場合は、こういう全体の整理が行われている。その中で、作成の部分についても、かなり踏み込んだ議論が行われていますので、そこをぜひご紹介した上で、ご議論いただき、そこから次の当委員会で議論していただくということを、委員長ともご相談させていただいて、こういう形になったのでございます。

(岡田委員長)

  もう時間が来ましたが、今日のご議論を聞いていて、これは相当複数の方が、ES細胞をつくるのは、もってのほかだという議論をずっとやられるのかなと思っていたら、どうも、それが逆さまになっているようなところもあって、どうもよくわからなかったんですが。

  次の回は、どういうふうにするか、ちょっとご議論ください。

(迫田委員)

  本来ならば、例えば、この結論をこの委員会で今年中に出すとか、今年度中に出すとかと期限をちゃんと自分たちの中で決めてですね。それはすごく大変だということは自分でもよくわかりますが、決めて、その間はやはり、科研費のいろいろな応募について、しばらく待ってくださいということを、科技庁としておっしゃれないんだとすれば、委員長名とか、委員会名とか、そういうことで。そのかわり、こちらとしては期限を切ると。そこまで努力しますということを、やはり本来はもっと早く表明すべきだったのではないかと。それは、私の前回の趣旨はそういう意味です。ただ、皆さんのご意見がそろわなければ、しょうがないと思います。

(武田委員)

  今日の議論が、実際は一番基本的なところの議論だろうと思うんですね。今日の議論をうまく整理していただきたいんですね。こういう議論を何回も繰り返しても、そこで堂々巡りしているというような気がしてしょうがないんですね。そこをはっきり、同じコンセンサスを持った上で、どういうふうに、この会を進めていくかというのが次の課題だろうと思いますので、今日の発言を十分整理していただいて、今までの流れとの間で整合性をつくった整理をぜひお願いいたしたいと思います。

(岡田委員長)

  そういうことで……。

(相澤委員)

  ちょっとしつこいんですけれども、武田先生がおっしゃったことは全くその通りだと思います。今日の議論で、かなり方向は見えたと思います。これをきちんとまとめていただかないと、またとんでもない方向に行っちゃったら、何のために時間を使ったのかわからないので、次の回は、今日のことをステップにして、もう一つ先へ進むということに是非して頂きたいと思います。もちろん、全体的にES細胞をつくっていいというコンセンサスが、まだできているわけじゃないんですけれども、ある方向性はできていて、そこのところをもうちょっと行くには、どういうことかということが残っていると思うので、そこをぜひ整理して頂きたいと思います。

(岡田委員長)

  相澤さんの意見が一番わからなかったんだな、実は。全然反対だと思っていたら、どこかでつくるのはいいんだという話でしょう。それがわからなかった。

(西川委員)

  木勝島先生がおっしゃったような方向性でやられたら、僕もいいんじゃないかと思うんですけれどもね。具体的なイッシューとしてやっていけば、細かい点もわかるし。

(岡田委員長)

  今日の僕の感じとしては、ご意見を聞かせてほしかったのは、ESをつくってもいいかどうかの話であって、つくるとしたらどうするかというのが相澤さんが言われたことです。僕は、最初はつくってはいけないという話だと思っていました。結局のところ、このベースをやるなら、何をしていかなくてはいけないといことは、どうも処理がしにくい。

(町野委員)

  一体、今日、共通の合意が得られたかどうか、私は全然実はわからないんですけれども、おそらく言えることは、ES細胞を利用したいろいろな実験とか、研究については、今のところ、ブランクのままであるということは、おそらく、皆さんに共通だろう。それはアメリカの報告書でもそうだろうと。

  それから第2に、ES細胞をつくるやり方について、つくってもいいけれども、やり方には規制があるということにも合意はあると。

  それから、おそらく、皆さんは問題にされなかったんですけれども、この報告書が前提にしているのは、ES細胞をつくるだけの目的で、例えば胚をつくる、あるいは胎児を中絶するということは認めない、ということです。その点もある。

  そして次にあるのは、やはり、ドナー側のインフォームドコンセントが重大であるということだと思います。

  そしてさらに、全体についてレビューをすると。そして、施設内の委員会にかけ、さらに上のほうのレビューを受けるという体制が必要であると。

  そこまで合意されたと考えてよろしいんでしょうか。それとも、それは私が勝手に思っているだけでしょうか。

(相澤委員)

  大体、そういう方向だということで。合意したか、しないかまでは言わないでもいいんじゃないでしょうか。今の時点では。

(町野委員)

  いかにも日本的なやり方ですね。しかし、先に進めないですよ。ある程度はっきりしておかないと。

(相澤委員)

  ただ、そこを合意というまでには、もうちょっと議論の足りないところがあると思うんです。

(岡田委員長)

  その点は、アメリカで諮問された報告書のとおりなんですね。

(木勝島委員)

  私は、相澤委員のご提案は、単なる審査ではなくて、胚を使う研究の一番大もとを一元的な組織に任せて、幹細胞株を配分する先について、そこが一元的に管理する、相手の研究のやり方も監視するというシステムだと理解しています。単なる国と研究機関での二重審査制ではないということです。ですから、相澤委員の出されたスキーム案は、私は非常にいい仕組みだと思ったのです。

(町野委員)

  しかし、そういう点までは合意は私はないと思いますけれども。

(相澤委員)

  まだ、そこまではないと思います。

(石井委員)

  今、町野先生がおっしゃったことは、アメリカの報告書の趣旨としては合意しますけれども、それをここで合意したとは、とても思えないのですが。

(町野委員)

  それでしたら、やっぱり、今のを出発点とするということだろうと思いますね。次に議論するときに。これが合意できるかどうか、そこはおかしいかということで。何も合意がなかったということでは、ほんとうに先に進まないだろうと思います。

(迫田委員)

  でも、木勝島先生と相澤先生がおっしゃったことが、それでいいというか、ご意見がとりあえずあるんだから、とりあえず相澤先生のをたたき台にして、そこで議論を始めたらどうですか。

(岡田委員長)

  どうしますか。そうしますか。

(迫田委員)

  それで違うという意見があれば、そこから消していったり、加えたり。

(相澤委員)

  それはもちろん、1つの資料として提出しろということで、案をつくれということであれば、つくることはやぶさかではないんですが、でも、ちょっと今日の議論を科学技術庁のほうで一度、まとめられるという作業をちゃんとしたほうが……。僕は武田先生のおっしゃったことを最初に踏まえて、その中で、もしそういう具体的な提案にもつながり得るということであれば、出すのはいいと思います。ただ、この案を出すほうが先だとは、まだ、そこまでは行っているように思えないんです。

(石井委員)

  相澤先生の案は、先ほど委員長もおっしゃったように、ES細胞をつくることはよいという前提ですね。

(相澤委員)

  僕は、岡田先生は誤解していらっしゃるけれども、前から、ES細胞は使うのはいいけれども、つくるのはだめだというのは、それは論理矛盾で、ある一定の条件のもとでES細胞をつくるのは認めないとならない、という立場なんです。

(石井委員)

  それについて、合意は、まだできてないのに、そこに入ってしまうのは、行き過ぎではないかと思います。

(木勝島委員)

  でも、その案の一元化した公的組織によって、何までやっていいかという議論はできるでしょう。その組織に、既に作成された幹細胞の配分だけを認めることにする、とか。それを、みんなが勝手に輸入するのでは、規制することにならないから、これは岡田委員長も最初に、そうした一本化した窓口がつくれないのかなとおっしゃっていたことですが、それはこれからの議論だと思います。その一元化した公的研究組織で、どこまでやっていいかという議論ができるので、その案全体を葬る必要はないと思います。

(石井委員)

  それはそうです。

(岡田委員長)

  それでは時間が過ぎてしまいましたので……結局、どのような結論になったのでしょうか。

(事務局)

  少なくとも、今回の議論はまとめさせていただきまして、対立する論点があれば、それを併記して、こういう意見に対して、こういう意見があるというのを整理する形で、あとは、もし若干欠けている点で補うことがあるかどうか、事務局のほうで考えてきます。それと合わせて、相澤先生とお話をさせていただいて、出すか、出さないかは別として、そういう提案みたいなものができるかどうかというのを、ちょっとご相談させていただきます。

(岡田委員長)

  じゃ、相澤先生、そういう意味で整理した後、事務局のほうとやってください。

  そういうことにして、次の回のときに。どうもありがとうございました。

−−了−−