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科学技術会議生命倫理委員会
ヒトゲノム研究小委員会(第5回)議事録

   
1.日時    平成12年5月31日(木)    15:00〜18:02 
   
2.場所    科学技術庁第8会議室 
   
3.出席者 
    (委  員) 高久委員長、位田委員、奥田委員、小幡委員、玉井委員、寺田委員、 
                 中村委員、町野委員 
    (事務局)科学技術庁  小中審議官、小田ライフサイエンス課長  他 
   
4.課題 
    (1)ヒトゲノム研究に関する基本原則について 
    (2)その他 
   
5.配付資料 
    資料5−1  意見公募に寄せられた主な意見と対応案 
    資料5−2  項目別集計表 
    資料5−3  第十四、第十五の第2項について 
    資料5−4  ヒトゲノム研究に関する基本原則(案)(暫定修正案) 
   
6.議事 
   
(高久委員長) 
  そろそろ時間になりました。本日は玉井委員と寺田委員がおくれてこられるということですし、小幡委員からははっきりしたご返事をいただいていませんが、時間が来ましたので、第5回のヒトゲノム研究小委員会を開かせていただきます。  
  まず、事務局のほうから配付資料の確認をしていただけますか。 
(事務局) 
  確認させていただきます。 
  資料が全部で番号のついたものが4つございまして、5−1が意見公募に寄せられた主な意見と対応案、5−2が項目別集計表となっております。これは前回の委員会でお出ししたのと全く同じ資料を、ご参考のためにつけております。資料5−3が第十四、第十五の第2項についてという資料で、これは玉井先生がつくられたもので、議論の途中でご説明いただくものです。資料5−4、これが基本原則の暫定修正案ということで、本日ご議論いただく中心になるものです。それ以外に、番号は振っておりませんが、前回の小委員会以降に寄せられました意見を添付しております。  
  以上でございます。 
(高久委員長) 
  どうもありがとうございました。 
  前回、資料5−1につきまして、これは意見公募に寄せられた主な意見と対応案ということです。前回十三項ぐらいまで大体ご議論いただきましたが、本日、玉井委員が資料の項目の第十四と第十五並びに第八の2のコホート研究についてぜひディスカッションに参加をしたいとおっしゃっておられますので、位田委員のほうから資料5−4の基本原則について、前回の議論を踏まえて、いろいろご訂正にもなっていただいていますので、それを議論しまして、玉井委員が来られたところで八、十四、十五、さらに十六、十七と、時間の許す範囲でご検討願いたいと思います。  
  それでは、位田委員のほうから、基本原則についてご説明いただけますか。よろしくお願いいたします。 
(位田委員) 
  それではご説明申し上げます。 
  資料5−4にヒトゲノム研究に関する基本原則の案が、いわゆる見え消しという方法をとってつくられております。前回お配りをしていた基本原則案に対して、前回ご議論いただいた対応案をこの中に組み込む形で、いろいろ修正をしております。  
  この中身は、前回ご議論いただいたところまでのその対応案を組み込んだ部分と、そのほかパブリックコメントと、それ以外に、生命倫理委員会、この小委員会及び厚生省、文部省等から出てきた意見、そういったものも組み込んでございます。  
  それから、前回議論をして、まだし尽くさなかった点については、特に中村委員、玉井委員のご意見も承りながら、一応の修正案を書いている部分がございます。  
  全般を通しては、これまで遺伝子という言葉を使っている箇所が多かったのですが、それをほとんどゲノムという言葉に用語を置きかえたという部分がございます。以上が前回以後に行いました作業の経過でございます。  
  最初から1つずつ説明を簡単にしていきたいと思いますが、まず、1ページから見ていただきますと、ご承知のように、最初に基本原則が挙げてあって、9ページ以下に解説が出る形になっておりますが、基本原則のところでは、それほど大きく変えている部分はございませんが、特に基本的考え方のところで、前回のご議論でありますとか、いろいろなところからの意見を取り入れて、少し表現を変えた部分がございます。下線部分が新しく加えたところでございますし、線で消してあるところが削除した部分ということになります。  
  基本的考え方の1は、科学研究の自由が基本的人権の中核かどうかという少し概念的な問題がございましたので、よりわかりやすいように、「科学研究の自由は基本的人権の中核の一つである思想の自由を構成する」という形にいたしました。  
  第2番目のほうは、文部省の学術審議会のほうから、前の表現が生命科学には非常に問題が多いんだというマイナス面が強調されていたので、実はプラス面もあるのだ、むしろそのプラス面のほうが重要ではないかというご指摘をいただきましたので、プラス面をきちっと書き込みました。それから、世界的な動向としてユネスコの原則があるんだということを書いております。  
  基本的考え方の大きな修正はそれぐらいでございます。 
  原則の本文に入りまして、第一の2のところで、ヒトゲノムは人の生命の設計図であり、人が人として存在することの生物学的基礎であると、「生物学的」という言葉を入れました。これはパブリックコメントでも、人が人として存在することの基礎というのは、やはり問題があるということでしたので、生物学的というのを入れました。  
  二、三、四については、原則は変更しておりません。 
  第五の2のところで、同意は原則として文書で表明するということでしたが、基本原則の中に原則としてと書くのは少しおかしいので、これは「原則として」というのを削りました。例外はもちろん解説でありますとか、第七、第八に出てまいります。  
  第六は少し大きな変更をしております。原則の第六は、表現上同意能力を欠くというのは問題があるので、「同意能力の認められない者」というふうに変えました。そして、その同意能力の認められない者を提供者に含めてゲノム研究を行う場合には、そういう研究を行う必要性があるのだということがはっきりさせていなければならないという条件を、原則の中に書き込みました。これは以前、解説に書いていたものを、原則のほうに移したことになります。  
  第七については大きな変更ではございません。 
  第八につきましては、第八の1(イ)について、前回ご議論いただいたように、いわゆる包括的同意ということで、あるゲノム研究について、提供される試料に同意を取ったけれども、他のゲノム研究についても一緒に同意を取る。それよりもうひとつ広げて、関連する医学研究についても一緒に同意を取ることができる旨が書かれているわけですが、それについて「関連する」という文言を入れて、「一般」を削りました。  
  八の2については、中身は玉井委員が来られてからご議論いただくことになると思いますが、八の2は前にも少しご議論いただきましたように、インフォームド・コンセントの手続の簡略化でございます。「調整」というのは何となく逃げ隠れしているような印象を与えましたので、きちっと「簡略化されることができる」というふうに変えました。  
  九については、九の第1項というのを新たに増やしました。以前は既提供試料で同意が与えられていたものについては、その同意の範囲に限って使用することができるということだけでしたけれども、基本的に同意が与えられていない既提供試料があれば、それは同意を得ない限りは使用してはいけないというのを1に置いて、規定全体の完全な形をつくりました。  
  あとの2、3については、少しわかりやすいように表現をつけ加えたものでございます。 
  第十は「いつでも」という言葉を入れて、同意はいつでも撤回できるのだということをわかりやすくいたしました。 
  第十一の2は、これはパブリックコメントでも出てきていたものですが、研究機関だけが個人の遺伝情報を管理するということだけではなくて、研究者もそのことをちゃんと認識しておかなければいけないという意味で、「研究機関および研究者は」という形にいたしました。  
  第十二も同じ意味で、「および研究者」というのをつけ加えました。 
  第十四、十五につきましては、本文そのものを削るか削らないかという問題がいろいろございますので、ここではちょっとスキップさせていただきます。 
  第十六は、「遺伝子情報」というのを「遺伝情報」に変えただけでございます。 
  第十六以下はまだ前回ご議論はいただいておりませんので、原則の本文そのものを変更するということはほとんどやっておりません。ただ、前回少し申し上げたかと思いますが、原則の第二十一に飛びますけれども、第二十一の5という形で研究の結果得られたヒトゲノム塩基配列情報は公開されなければならない。これは知的所有権とも絡む問題ですが、成果の公開であり、かつ知的所有権の対象になるかどうかという問題がございます。これはできれば今日ご議論いただきたいと思っております。  
  原則本文については、それ以後は変更はしてございません。 
  解説のほうに参りますが、解説につきましては、「はじめに」のところで、ここで言っているヒトゲノム研究というのがどの範囲を言っているのかよくわからないというコメントがありましたので、ここで「ヒトゲノム研究とは」という形で、いわば定義をするということにいたしました。  
  用語解説に入れてもよかったのですが、むしろヒトゲノム研究そのものはまさにこの基本原則の一番の柱ですから、これは解説のところできちんと書いておくほうがいいのではないかと思ってこういうふうにいたしました。基本はヒトゲノムに関連する研究全般をカバーするのがこの基本原則だということになります。  
  解説の「はじめに」のところはそれぐらいですが、最後の小さい字で「ヒト」と「人」との使い方の違いについて、これは本文に入れる必要はないと思いましたので、注のような形で、小さい字にしてこういう使い方をしているのだということをつけ加えております。  
  原則の第一でございますが、これは特に「人類の遺産」という言葉が少し耳慣れないといいますか、日本語としてはあまりこなれないということから、なぜその「遺産」という言葉を使うかという説明とか、「財産」という言葉を使うことがやはり問題があるということを説明をするために、少し長くなっておりますが、説明文をつけ加えました。  
  第一の3については、いわゆる遺伝子決定論を排除するための規定ですが、その遺伝子決定論の中身がわかりにくいというのがパブリックコメントで出ておりましたので、そこのところを「それぞれの人の性格や生死まですべてがゲノムで決まってしまうとする、いわゆる遺伝子決定論を排除するためのものである」というふうにいたしました。  
  第二に参りますが、これはゲノムの多様性と人間の尊厳と平等、差別というのがどういうふうにつながるか、概念的によくわからないという批判がございましたので、少し説明の中でわかりやすくつけ加えました。  
  特に11ページの一番下の下線部分につきましては、生命倫理委員会のほうで、もし遺伝的特徴が各個人の独自性、唯一性をあらわすものであって、価値の平等があって、かつ差別してはいけないというのであれば、じゃあ、なぜ治療する必要があるのかという、医学そのものの存在価値の問題にも触れる質問がございましたし、パブリックコメントの中でも、遺伝子治療を否定するような言い方なので、これはやめてほしいという意見がございましたので、そこのところを少し説明をつけ加えて、遺伝的特徴については基本的に価値の平等が認められなければならないんだけれども、ここは区点が抜けておりますが、「認められなければならない。しかし、一方で」ということでございますが、医療は人間が社会で通常生活していく上で何らかの身体的不利益や負担、そして精神的苦痛があればと、ワープロの変換間違いで「悲嘆」と書いてしまいましたが、「負担」の間違いでございまして、負担、精神的苦痛があれば、それを軽減することが大きな目標の一つである。そのためにゲノムを研究するのだということで、遺伝子治療ももちろんそれはいいことなんだという位置づけをしてございます。  
  第三、四については、どこからもあまり異論が出ませんでしたので、原則の本文も解説も変更しておりません。 
  第二章に入りまして、インフォームド・コンセントの節で、第五のインフォームド・コンセントに関する基本事項というところですが、解説の部分で、最初にインフォームド・コンセントの基本はこうだと示しました。一人一人に対して十分に理解できるように説明をして、自由意思に基づいて書面で同意を得るというのが基本的な形態である。これを基本としていろいろな簡略化をする方法があるという書き方をしてございます。  
  13ページの真ん中辺の下線の長い部分につきましては、どういうふうに説明をするか、もしくは十分に理解を得るというのはどういうことかということを念頭に置きながら、例えば集団での説明会方式も認められるし、そのほかの、例えば文書を渡して、この次同意してくださいねという方法もあり得るという、いろいろな方法があり得るということを書いております。ただし、最初に書いた基本の形態から外れる場合には、それは補完的な手段にとどまるということことを書いております。  
  実はこのあたりが、玉井委員が来られてからまた議論になるかと思いますが、少し意見が対立するところでございます。 
  13ページの下の線で消してある部分につきましては、これはインフォームド・コンセントの一般的な形態で書くのではなくて、むしろ集団を対象とする場合には説明会を開くというような、ある意味ではその簡略化の部分ですので、別の項に回しました。  
  文書によるというのが原則ですが、例えば字が書けない人とか、これは文盲という意味だけではなくて、身体的理由で字が書けない方もありますので、そういう場合には書面によらないこともできる。しかし、特別な理由が要るのだということを書き加えております。  
  第六の同意能力の認められない者については、先ほど少しご説明しましたように、そういうものを含めて研究を行う必要性がある場合にのみ、同意能力の認められない者からサンプルをいただくことができるのだということを書きました。そのときにその研究が少なくとも本人には不利益でないもの、それ以上のものでないといけないということを書いてございます。それから、代諾者が同意をするときには、本人の権利と利益というものを念頭において代諾をするのだということを書き込みました。  
  第七については、これはかなり書き直しております。これは第八とも絡むのですが、ヒトゲノム研究の方法手段というのは非常に多様ですので、それに応じてインフォームド・コンセントを取る手続を簡略化していただいても構わない。その場合には、一体どういう場合が考えられるかというので、例えば包括的同意であるとか、連結不可能な形で匿名化されている場合であるとかいうものがあり得る。その場合には、特に提供者そのものに直接の損害をこうむるというのはあまり考えられませんので、個人情報の保護がきちっとしていれば、インフォームド・コンセントそのものの簡略化は構わないのではないかということを書いております。  
  その後、15ページの真ん中辺の「極めて例外的であるが」というところの段落が、今日ご議論いただく一番重要なところなんですが、いわゆるコホート研究で追跡調査を必要とするような場合にも、これは連結可能な形ですが、それでもインフォームド・コンセントを簡略化することもできる。その場合には厳しい条件のもとであれば、それはできるとしました。  
  特にこういうふうな形でかなり長期にわたって試料が保存されて使われるということですので、単に機関内の倫理委員会だけではなくて、公的な審査機関による審査を経ることが望ましいと、少し踏み込んで書きました。また後ほどご議論いただくことになるかと思います。  
  その後は、そのほかにもどんな簡略化の方法があるかというのを少し例示してございます。ここに書いていないけれども、いろいろな方法でほかの方法もあるかもしれないという可能性も残した書き方にいたしました。  
  ただしそれは、研究の便宜とか省力化を目的として簡略化されてはいけない。そういうふうな形で簡略化することは、インフォームド・コンセントそのものの意味をそこなうから認められないという形にいたしました。  
  第八は、これは前回ご議論いただきましたが、第八の1については、いわゆる包括的同意の話でありまして、「関連する」という言葉を八の1の(イ)に入れて、これはこういう形でコンセンサスをいただいたものと思っております。  
  問題は第八の2のところで、先ほどご説明しましたコホート研究について入れていたのを、それはほんとうに簡略化されてもいいのかどうかという問題と、集団的な説明会の方式も、私の考え方では簡略化だと思いますが、玉井委員は、それは必ずしも簡略化とは言えなくて、そういう形で取るという普通の方法もあり得るのではないかということで、何が例外で何が例外でないかということで、少し玉井委員との間で議論がございました。  
  それで八の2というところで、かなり書き直してございますが、前回ご説明したものと内容的に変わっているわけではございません。少しわかりやすく、長く説明をしたということでございます。  
  もっとも17ページの「第2項は」というところで始まるところから5行目に、「研究試料を提供することは各個人が行うものであるから、試料を提供するか否かについての自己決定原則が働く」。これはそのとおりだと思っているんですが、その後の「ヒトゲノム研究に試料を提供するにあたって云々」という、そこの1つの文は、3行分ですが、自己決定原則を言いかえたものでございまして、先ほど高久委員長からご指摘がありましたが、少し長ったらしくてむしろわかりにくい文章になってしまったので、これは削除することになろうかと思います。  
  18ページに参りますが、第八の3については、これは倫理委員会の審査を経るということで、特に簡略化する場合には、必ず倫理委員会を経なければいけない。その場合は倫理委員会はインフォームド・コンセント手続の必要と条件を満たしているかどうかを審査するということにしております。  
  第九は、第九の1項を新たにつけ加えたということを先ほどご説明いたしましたが、それ以外には、解説はほとんど手をつけておりません。これは前回まだご議論いただかなかったのですが、バンク等に保存されている試料をどういうふうに位置づけるかというところを、今日できましたら、こういう解説の形でいいのか、何らかの別の形で考えるかということを少しご議論いただければと思っております。  
  第十の同意の結果については、先ほどご説明しましたように、原則本文でいつでも撤回することができるというふうにいたしまして、いつまで撤回ができるかということについて、解説の中できちっと説明をしておけという文章をつけ加えました。  
  さらに20ページの頭のところで、同意が撤回された試料およびそれに関係する研究結果は廃棄されるということを、念のために書いてございます。 
  第二節の遺伝情報につきましては、第十一のところで、特につけ加えたのは、試料の譲渡に関して何も規定がないというのがパブリックコメントで出ておりましたので、これをつけ加えました。こういう書き方がいいのかどうかちょっと、もしご意見がありましたらいただきたいと思っております。  
  第十二はそのままでございます。 
  第十三、知る権利につきましても、これはインフォームド・コンセントのときにきちっと説明をしておけという文章をつけ加えただけでございます。 
  第十四、十五については、これは玉井委員の立場と私と立場が、2人の立場が対立しているというよりも、特に提供者、知りたくないという提供者に対して、知らせるべきであるか、知らせることができるのか、もしくは知らせてはいけないのかという2つの立場の対立がございます。今日はそこを決めていただければ、どちらかで文章が固まるかと思います。議論をいろいろ整理しながら、文章をかなり書き直したりつけ加えたりしましたので、少し長くなってしまっておりますが、お読みいただければと思います。  
  第十五は、血縁者に対して伝達をするということですが、これは前回は血縁者については知らせてもいいのではないかというのが、ある程度コンセンサスに近くなってきたかなという、最終的を判断が出ているとは思っていないんですが、提供者には知らせなくても、血縁者に知らせるというのは構わないのではないかという方向に向かいつつあったと思いましたので、その方向で、かつ少しわかりやすいように説明をつけ加えました。  
  第十六につきましては、これは現行、特にパブリックコメントの中で、差別の禁止といっても、実際には差別されるから、何らかの実効的な差別を防ぐ方法を考えろと。特に法律をつくれというコメントがございましたので、新たに法律がつくれるかどうかというのは将来の話なので、そういう可能性も含めて、とりあえずは現行の法制度の枠内で差別を禁止するということを確認してございます。それから、提供者だけではなくて、提供者とともに血縁者、家族についても差別されてはならないという趣旨をつけ加えました。これはパブリックコメントで出てきた問題でございます。  
  その次の第十七につきましては、十七の2について、特に知的所有権の対象となる場合に、提供者には権利はないのだというふうに書きましたが、権利が主張できないのだということをインフォームド・コンセントのときにちゃんと説明をしておきなさいということ、それから、知的所有権の問題は、この基本原則でそのまま扱うのではなくて、むしろ現行の知的所有権法制度で処理をする問題だと一文に入れてございます。  
  第十八は変更がございません。 
  第十九はいわゆる遺伝カウンセリングの問題ですが、これはまた玉井委員からのご意見があるかと思いますが、研究試料の提供、結果、および判断の告知について、遺伝カウンセリングを含む適切な社会的、心理的支援を受けることができるように、適切な措置がとられていないといけないということを、改めて強調する形にしてございます。  
  遺伝カウンセリングの位置づけが我が国ではまだはっきりしていないということから、最後のところで、遺伝カウンセリングは医療制度の中で明確で十分な位置づけを与えられるべきであるという文をつけ加えました。  
  第三章の実施要件につきましては、第二十、二十一については、二十については問題ないのですが、二十一に新たに5というのをつけ加えました。これは先ほど申し上げたとおりですが、これをつけ加えた理由は、特にヒトゲノムの塩基配列情報そのものが知的所有権の対象にならないということを確認する意味と、そういう趣旨のクリントン・ブレア声明でありますとか、シラク演説でありますとか、ユネスコの松浦事務局長の声明で、生の塩基配列データは公開されて、私はほんとうは自由な利用に供されるべきであるというふうに書きたいとは個人的には思っているのですが、文章としては公開されるというところでとどめております。  
  クリントン・ブレア声明の表現では、フリー・アクセシブルだったか、フリー・アクセスだったか、それを確保するべきだという表現がございますので、ここのところ、特に知識所有権の問題については、少しご議論をいただいたほうがいいかと思っております。  
  公開されれば知的所有権の対象にならないというのは、実は誤解がありまして、特に一般の方の中には、知的所有権を取ってしまえば、どうも秘密で高い金を取って、例えば薬をつくるんだというイメージを持たれている方があるようでして、知的所有権制度というのは、基本的には、例えば特許を取れば、その特許情報は全部公開をする。したがって、どういう特許が取られているかというのは、登録を見れば全部わかるんですが、それを使うときには使用料を払わないといけないから、その利用料が高ければなかなか使いづらいという、そういう制度なんですが、知的所有権制度そのものの意義というものから、きちっと研究者、提供者、社会の側も理解をしていただきたいということがございます。ただ、その中身をあまりここで長々と言い始めると、基本原則からずれていきますので、十分な理解を求めるという形でとどめてあります。  
  第二十二につきましては変更がございません。 
  第二十三は、これはパブリックコメントにも出てきておりますし、今日若干ご議論いただいたほうがいいと思うのですが、倫理委員会が果たす役割がかなり大きくなっております。いろいろな場面で倫理委員会の審査を経るという書き方にしておりまして、倫理委員会がこれだけ幅広く活躍し、かつ大きな権限を持つということがほんとうに可能なのかという問題がございます。倫理委員会の審査の実効性ということにつながる問題ですが、そういう指摘がございましたので、これについては、パブリックコメントに対する対応案は、透明性を確保することによって、倫理委員会がきちっと審査をしたかどうかということがわかるんだという実効性の担保の仕方を書きました。ただ、それではどういう形で透明性を確保するのかという問題が当然残るわけですし、それから、もし倫理委員会が不合理な判断をした場合に、それをチェックする機関が、例えば国の側でそういうチェックをする機関が必要ではないかというコメントもございました。  
  そのあたり、倫理委員会の位置づけというものを、もう一度ここでご確認をいただく必要があるかと思います。倫理委員会の構成については、外部の者を含めるということをきちっと書けということでしたので、これは解説のほうに書きました。  
  第二十四、二十五、二十六については変更はございません。パブリックコメントについても、あまり大きなものはございませんでした。 
  第二十七で、パブリックコメントの中に、特に遺伝医学の教育というのが必要だというふうに書いてあるものもありましたし、生命倫理問題の専門家の養成も必要だというのもありましたので、一文をつけ加えました。  
  附則につきましては、前は附則に対する解説はなかったのですが、ここでは少しわかりやすい文章をつけ加えるのと同時に、附則の本文は「適切な時期に見直しが行われなければならない」という、具体的な年限は限っておりませんでしたけれども、豊島委員のほうから、何ら特段の状況の変化がなくても、やはり3年ないし5年ぐらいで再検討する機会を設けるという、少し具体的な期限を切っておいたほうがいいのではないかというコメントがございましたので、一応ここに書き込んでおきました。もしご議論いただいて、3とか5とかいう年限を必ずしも区切らなくてもいいということであれば、ここは削除してもいいかと思っております。  
  最後のところ、32、33、34ページには用語の説明をつけております。これは科学の部分は科学者の方に手伝っていただいて、あとは私がチェックをした部分もございますので、一応こういう形になってございます。  
(高久委員長) 
  どうもありがとうございました。 
  基本原則については、「遺伝」を「ゲノム」に直した事などありますが、解説のほうでいろいろご議論願ったほうが良いと思います。9ページのところで、私が先に意見を言わせていただきますと、この線を引いたところの3行目ですが、「かつては疾患の克服などを目的として、ヒトゲノムDNAの全塩基配列を決定することが主体であった」。この「疾患の克服などを目的として」というのは要らないのではないか。「かつてはヒトゲノムDNAの全塩基配列を決定することが主体であり……」で良いと思います。よろしいでしょうか。  
  あと、随時一からご意見を言っていただきたいと思いますが、何かご意見はおありでしょうか。 
  15ページのここのところが重要な問題であると思います。例えばアメリカのスラミンガム・スタディや、九州大学がやっている久山町のスタディは、個人を同定しているのですね。個人がわかるようにはなっているはずですね。ですから、例外的であるけれども、極めて例外と言うと困るのではないか。細かいことですが。  
  それから、その下の3行目の、医学の発展と遺伝病の予防は、医学の発展と疾病の予防で良いと思います。病気は殆ど全部遺伝子と何らかの形で関係してきますので。後のほうにも遺伝病が随分沢山出てきますが、DNAが関係していない病気は余りないわけですから、疾病にしたほうが。あまり遺伝、遺伝病というと。  
  それからもう一つ、この同じところで、研究機関の倫理委員会は当然ですが更に法的審査機関による審査を経ることが望ましいとなりますと、現在、コホート研究がひろく行われているのが、公的審査機関を新たにつくるとなると、実際に今やっている人は非常に困るのではないかなと思うのですが。実施をする研究機関の倫理委員会での審査は当然必要ですが、そこに更に公的機関となりますと、どうですかね。私は研究が非常に難しくなると思ったのですが、いかがですか。  
(中村委員) 
  その意味がもうひとつ分かりにくいのですが。例えば文部省の研究班のようなものを考えての公的な倫理委員会という意味なのですか。その場合に、班の審査をどこで受けるのか。各施設でいいのか、あるいは、例えばがんの研究とかゲノム医科学の研究とかがあるわけで、がんの研究でも、要するに幾つかの研究施設が一体となっているような研究計画を一括して審査するという意味なのか、それともほんとうに各省庁にこういう審査機関をつくるとか、どういう意味なんですか。  
(位田委員) 
  公的な審査機関という言葉を入れましたのは、パブリックコメントなんかで、倫理審査委員会があまり信用されていないような部分もございまして、ですから、そういう意味で、機関内の審査委員会はもちろん通らないといけないんですが、パブリックコメントで多かったのは、国が何らかの形で、機関内審査委員会のいわば上に来るような、ある意味では2段階の審査をしたほうがいいのではないかというコメントがあったので、ただ、どこの省庁でやるかというのは、まだはっきりしていない。  
(中村委員) 
  でもこれ、実際問題として、例えば各大学に幾つかのプロジェクトがある。東京大学なら100のプロジェクトがある。その100のプロジェクトを全部上の機関で審査するということは、プラクティカルには不可能ですよね。  
(位田委員) 
  こういうコホート研究でやられるのが100あるのか。 
(中村委員) 
  コホート研究の場合にという意味ですか、これは。 
(位田委員) 
  そうです。ですから、ここのパラグラフに限定して。パブリックコメントは一般的には審査委員会の上に国の倫理委員会を置くべきだという意見なんですが、そこまでやってしまうと、確かに中村委員がおっしゃったように、100の研究が全部上に上がってきますので、それは非現実的だと思いますから、これはコホート研究のように、連結可能な状態が比較的長期間続くと、追跡をするということですから、長期間続くというのは、ほかのヒトゲノム研究とは少し違うのではないかという位置づけのもとで、公的な審査機関の審査を経たほうがいいのではないかという趣旨です。  
(高久委員長) 
  今、公的審査機関を介して、二重審査をしているのは遺伝子治療だけだと思います。文部省と厚生省とで随分時間をかけて、1年間に2つか3つの案件しか出てこないものですから、何とか対応できているけれども、それでもなかなか大変です。今度たしかヒト胚の研究のときもまた公的審査機関にかける事になっている。公的審査機関がたくさんできると大変じゃないか。確かに遺伝子治療の非常に新しいこととか、あるいはヒト胚というような非常に微妙な問題のときには必要だと思うのですが、こういうコホート研究まで全部公的審査機関にかけるとなると大変です。  
  今迄のコホート研究は、概してコレステロールを測定するという事でしたが、おそらくこれからは何らかの形での遺伝子解析をやらないと、コホート研究自体の意味がなくなってくる。その場合に、大変だと思います。実際にどれだけ数があるかわからない点はありますが、今、幾つぐらいのコホート研究が走っているんですか。  
(位田委員) 
  大規模なコホート研究をやられる場合には、その準備期間も結構要るんだと思うので、最初の段階で倫理委員会にかければ、実際に走るまでの時間で審査していただけるかなという気はするんですが。  
  その公的な審査機関で倫理審査をやるというのは、多分ターゲットが限られると思うんですね。科学的な部分は機関内の倫理委員会でできるので、例えばインフォームド・コンセントの方式についてはどうかという聞き方をすれば、それはそれで、その部分だけであればそんなに時間はかからないんじゃないか。研究計画全体を審査するのではなくて、何らかの形で審査してもらう項目を限っておけば、ある程度の時間はかかると思いますが、何とかなるかなと。  
  そんなに私は固執するわけではありませんが、ただ、パブリックコメントの意見を見ると、やっぱり機関内の倫理審査委員会だけでは非常に不安であるという意見がありますので、それをどこに取り込むかというので、問題になるとすれば、ここが一番なり得るというところで置きました。  
(高久委員長) 
  厚生省のほうでも、疫学的研究についての倫理的な問題を検討している最中で、結論は出ていませんが、ここで書かれてしまうと、困るかなと。実際に疫学的研究をやっている人達の意見がよくわからないものですから。  
(小幡委員) 
  この第七、第八という続くところで、この「極めて例外的ではあるが」というここの部分の疫学的研究の位置づけがちょっと不明確なんですが、まず、研究の多様性の考慮というところは、いろいろな多様な研究があるから、それぞれに応じて考慮しなさいという、まず一般的な説明があって、「極めて例外的であるが」のその上のところで、包括的同意の話でありますとか、連結できないような場合の次の第八の話が書いてございますよね。  
  それで、その第八のところの説明のところで、その2つについては取り上げて、例えば2について、簡略化の手続のところで、17ページの一番下の「例えば集団を対象とするゲノム解析研究において」とまたここであるわけですが、これは連結不可能な形で匿名化される場合の説明ですよね。最後に「同意は簡略化されるべきではなく、個別に書面で与えられなければならない」というのが18ページ、そこは書き切っているわけですね。  
  そうしますと、前に戻りまして、15ページのこの「極めて例外的であるが」というのは、これは極めて例外的なので、その第八の1、2というところにも含まれず、そして、多様性の一つの例外的な類型として、ここの第七に書かれたという位置づけとみてよろしいですね。  
  そうすると、集団であって、かつ長期間の連結可能な状態、まさに疫学的研究ですが、簡略化するのは、説明形態のみですね。 
(位田委員) 
  そうです。 
(小幡委員)この18ページにあるように、個別に同意の書面というのはそこでも当然という理解でよろしいですね。 
(位田委員) 
  同意のレベルは一緒ですね。 
(小幡委員) 
  そうすると、どのレベルにこの部分を位置づけるかという問題になると思うんですね。私はせっかく18ページのところにさえ書いてあることは、集団の疫学的研究の方にもそうであれば書いたほうがいいと思うんですね。説明方法の仕方を簡略化して集団での説明会のような説明形態でもよいという趣旨であることを明確にした方が良いのではないでしょうか。  
  その上にさらに今議論がありましたように、もう一段上の公的審査機関の審査まで必要かどうかという、そこら辺の議論ですが、第八の2のところで言っているのと比べれば、やはりここの部分というのはもう少し何か慎重な手続が必要だというのが、位田委員の原案でございますね。  
  確かに、こういうふうに並べてみたときに、何かプラスがないと、全体の構成として、第八の2で書かれているのと全く同じというのでは、ややまずいかなと。それが公的審査機関による審査まで必要かどうかというところであろうかと思いますが、何かもう少し書き込むことで、あるいは対応可能かどうか。  
(ライフサイエンス課長) 
  ちょっとよろしいですか。事務方のほうで、先ほどまさにご説明したように、これは多様性の中のさらに特別なものが第八の2で書いてあるんですね。あとで連結の可能性、そういった点までここでは、またその分がさらに追跡調査などでどうしても必要だというようなこで、説明の簡略化というのがどうしても物理的にやらないと、集団の疫学調査なんかの場合には実際にできない。  
  しかもそのとき、これを許す条件として、ここに書いてあるのが、唯一そこにかかっているんですね。当該研究の医科学的重要性の高さとか、個人情報の保護はきちっとやっているとか、そういったことがきちっと担保されているということが特に重要になってくる。  
  研究の重要性とかというのが、どうも研究機関内にある倫理委員会だけの判断で、ちょっとそこまで担保するというのはなかなか納得できるのかなと。もうひとつ違う第三者的な倫理委員会などのさらに判断があれば、この例外の中の例外みたいなところが、そこが実施できる要件じゃないかなと多分考えたんじゃないかと思うんですね。  
  公的なというのは、例えば学会とか、あるいはそういったところの直接研究する機関に所属しない、もう少し大きな観点で議論できる、そういったところでさらに審議した結果、それがなるほどこれは医科学的に極めて重要で、追跡調査なども必要なこういったものは非常に重要なので、例外的なこういった説明の簡略化、これもやむを得ないのだと、こういう判断がですね。そういった点で、何らかの手続として一つの倫理委員会、それからもう一つのあれは、個々の研究機関の倫理委員会にここまで判断を求められるのかということがあって、ここでさらに二重の審査がある程度あれば、その分が担保されるのかなというのが根拠、したがって、さっき言った遺伝子治療とか、ES細胞などのそういったものも同じように、二重の審査が必要かなと。  
  そこら辺は判断の分かれ目で、そういうのは必要ない、基本的には研究機関の倫理委員会でいいのだと。研究機関の倫理委員会で外部の者がきちっと入っていればいいのだという判断、そこだと思うんですね。そこら辺をご議論していただきたいと思います。  
(高久委員長) 
  そうですね。事務のおっしゃるとおりで、ヒトの胚の場合に、どういうところで国の審査をするのかよくまだわからないのですが、遺伝子治療の場合は、厚生省で審査して文部省で審査して、非常に大変だったものですから、ああいう審査委員会をたくさんつくるとなると大変かなと思ったわけです。学会ぐらいで、ぐらいと言ったら失礼ですが、学会が公的かどうかというと、少し疑問がありますが、学会の審査でいいというぐらいならば何とかできるかもしれません。  
  ただ、私はこういうコホートスタディが今どれぐらい行われるのか、学会の審査で対応できるのかどうかということなどがわかりません。実情を知らないものですから、只ここに書かれてしまうと、疫学の人が非常に困るのではないか、そういうことを心配をしたわけです。しかし八と七と区別するとすれば、ここしかないことはないですね。  
(位田委員) 
  実はご記憶かと思うのですが、極めてと言うかどうかは別としてと、コホート研究のここのパラグラフは、もとは八の2の最後のほうに書いていたのですが、八の2というのは、原則の本文は連結不可能な場合を言っているんですね。ところが、ここで問題になっているコホート研究は連結可能な形でやるので、八の2の例外にすると、例外の例外になってしまっておかしいというのが、玉井委員の主張なんですね。  
  問題は、第七で言っているのは、全体として連結可能であっても、何であっても、いろいろなインフォームド・コンセントの方法があるということです。例えば集団で説明会をするというのも簡略化の方法です。もっとも、これは書かなくても、結局は簡略化するんだから同じじゃないかという考え方もあります。  
  それから、公的審査機関による審査を経ることが望ましいかどうかということはちょっと置いておいて、こういう形で追跡調査をして連結可能な状態をそのまま保っておくということはだめだという意見も、パブリックオピニオンの中にはあるんですね。  
  ですから、全く落してしまうとなると、こういうコホート研究というのの位置づけというのは非常にあいまいになるので、多分どこかに書かないといけないと判断をしたわけです。そうすると、どこに書くかということなんですが、第七はある意味では簡略化、原則の五が本則ですから、本則の簡略化という例外の中に書くのが妥当かなと思って、八の2の最後からこちらへ移しました。  
  ただ、今度ここに書いてしまうと、またあまり座りもよくないことは確かなんですね。八の2よりはましだけれども、ここでもほんとうにいいかというとまた問題なので、それじゃ、八の3を新しくつくればいいかというと、そうすると、このコホート研究だけぼーんと外へ出てしまって、それはまた具合が悪いだろう。  
  いろいろ考えた結果、公的審査機関による審査を経れば、連結可能というのが長期間続くという問題はあるんだけれども、医学的に非常に重要だという要件があり、倫理審査委員会が2段階で判断をするという縛りのもとで、ここに置く形にすればいいかなというのが、修文の理由でございます。玉井委員がこれについてはかなりご意見をお持ちだとは思うので。  
(中村委員) 
  医学的重要性といった観点からは、結局どういう研究をしているかというのはパブリックになるわけですから、機関内の倫理委員会があまり不透明なことをやっていれば、どこからでもそれは目にすることはできるわけですから、医学的な内容に関してまた公的機関で審査をする必要は、私はないと思うんです。  
  インフォームド・コンセントに関しても、どういうインフォームド・コンセントを取るかというのは、書式はほとんどでき上がりつつあるわけですよね。問題は運用が正しくされているかどうかという問題だと思うんですよ。それは法的機関が立ち入り調査して、例えば何名かをピックアップして、ほんとうにインフォームド・コンセントを取ったかどうかというところまでやるということを考えているのか、そうでなければ、実際に内容というのはフォーマットというのは決まっているわけで、個人情報に関しても、例えば個々の適切さという、適切さのガイドラインなんてないわけですよね。  
  みんなが違う基準で、ある倫理委員会はこれはだめだ、ある委員会はこれはいいというような形であれば困るわけで、こういうことを書くのであれば、ほんとうに個人情報保護に関しては、どういうことは最低基準やりなさいというものを示さない限り、結局みんなばらばらの倫理委員会でばらばらの基準で判断するということになってしまうわけで、だから、どういう機関で審査するかという問題ではなくて、どういうことを守るべきであるか。  
  あとは研究者がいいかげんなことをすれば、それこそここにおられるようなマスコミがたたけばいいわけで、だから、この二重の審査ということがどれだけ意味があるか。特に医学的な重要性に関しては、もう外に出るわけですから、みんなが目にすることができるわけですから、2段階の審査がほんとうに意味があるかというのは、私は疑問に思います。  
(小幡委員) 
  個人情報保護の適切さについては、既にいろいろガイドラインがあるんですね。どういうことを必ず守らなければいけないということは、いろいろなほかの個人情報保護策定のところで出てきていますし、多分将来的には一般法ができるんじゃないでしょうか。どういう管理方法をとって、責任者を決めて、外に出ないように、要するにキーをつけるなど、そういう話ですけれども、多分それは必ず守らなければいけない。適当に管理されてしまうということはあり得ないことだと思います。ですから、ここでは医学的重要性についてはおっしゃる通りかもしれませんが、非常に長期間フォローする必要があるため連結可能な状態が長いから、個人情報をその間、より保護を十分にやるという判断が必要であろう。それがこの倫理委員会一本でいいかというところなんじゃないでしょうか。  
(高久委員長) 
  そうです。それで、何回も例に引きますが、ヒト胚の場合には全く新しい研究ですね。遺伝子治療の場合も非常に新しい研究だったから、当然慎重に公的な機関の審査を経なければならないのですが、疫学的研究の場合に、繰り返しますように、現在進んでいるのが幾つかあり、その場合に、それでは、今やっているのをとめてしまうのかという問題、公的審査機関を経なければだめですよというと、今のスタディがとまってしまう。ゲノムについての疫学をやっているかどうかは私は知りませんが、もし少しでも関係していることがあればとまってしまうという点を、私は心配しています。現場の人が困らないかということですね。  
(位田委員) 
  私は、中村委員がおっしゃったことはそのとおりだと思っているんです。というのは、倫理審査委員会がちゃんと審査したかどうかというのは、要するに透明性を確保すれば、例えば議事録を公開するとか、結果はこうなったということを公開すれば、それが実効性を確保するための手段だと思います。私はそう思いますけれども、パブリックオピニオンでは実はそうではないという部分が残っていて、機関内で倫理委員会が審査をするということに不信感を持っている意見がかなりある感じなんですね。  
  ですから、そこをどう調整するかという話で、個人情報の保護については、条件をきちっと決めておいて、それにのっとってやれば、それは大丈夫なんでしょうけれども、ここはむしろインフォームド・コンセントをきっちりやったかどうかということも含まれますので、例えば非常に大規模で1,000人も2,000人コホート研究をやるんだけれども、それは全部連結可能にしておくので、例えば簡単な説明会をやっただけでいいんだということになると、これは困る。もし倫理委員会がそれでオーケーしても、やっぱり妥当ではないんじゃないかという疑問が出てくるかもしれない。  
(高久委員長) 
  倫理委員会は、厚生省の指針ですと、半分以上は外部の人ということになっていますから、倫理委員会は外の人が過半数入っているという前提で議論をしている。パブリックコメントを書く人は倫理委員会はどういう構成になっているかということをご存じないので、研究者だけで勝手にやっているのではないかという疑いを持つわけですね。外部の人が半数以上でも信用ならないというと、倫理委員会を開いても意味のない事になる。そこのところは少し考えてもらわないと。  
(ライフサイエンス課長) 
  ちょっとよろしいでしょうか、事務方の。この点につきまして、疫学的な調査研究でやられていることはあれですけれども、これは質問というか、これから調べなければいけないんですけれども、これがさらにゲノムまで、遺伝的な解析までやっている研究が既に相当ある、これは間違いないんでしょうか。しかもそれがもしそうであれば、それがこのような形でかなりやっていて、既に実績があって、それが一定の皆様からの評価を得て、特にそれで信頼を得る方法でやっているということであれば、あえてこういう形のものをする必要はないと思っていますが、もしわかっている方がおられたら、そこら辺のところを教えていただければと思っておりますが。  
(中村委員) 
  がんの研究班では、もう既に十何年も前からコホート的なことをやっているわけですね。その場合には、その時点ではまだゲノムとか遺伝子とかという概念はあまりなかったわけですけれども、これからは遺伝的な要因と環境的な要因の相互作用で病気が起こるわけですから、そういうことを研究するためには、必ずコホート的にこの人はどういうライフスタイルをとっているのかということをやっていかなければならないわけです。この遺伝子のもとにこういうライフスタイルをとると病気になりやすいとかという研究が、次のステップとして必ず出てくるわけですね。  
(ライフサイエンス課長) 
  これからですよね。 
(中村委員) 
  いままでも、がんでは、例えばライフスタイルとがんの起こりやすさを調べるような形で、既にコホート的な研究は行われているわけです。それは今後ますます重要なってくる分野ですし。  
(ライフサイエンス課長) 
  このゲノムの遺伝解析をやっているんですかということです。 
(中村委員) 
  がんではそういうことをやろうとしています。 
(ライフサイエンス課長) 
  要するにまだ実績はないわけですね。 
(中村委員) 
  まさにゲノム研究は今から始まる問題ですから。 
(ライフサイエンス課長) 
  だから、やろうとしているのは、通常のがんの従来のそういう調査じゃなくて、ゲノムの解析についてどうするかということですから、ゲノム解析についてはまだ実績は必ずしも。  
(中村委員) 
  それは世界的に見てもそういうのはないわけです。やっと今そういうフェーズに来たというところで、こういうのが問題になってきている。 
(ライフサイエンス課長) 
  ですから、ゲノム解析については、まだ必ずしも一定のゲノム解析に対する倫理委員会でのこういった審査というのは、実績はまだないということですよね。  
(高久委員長) 
  ゲノムについての疫学研究はほとんど行われていないと思います。高血圧や、動脈硬化や、がんについて、連結した形でずっとフォローしているということは非常に広範に行われていますから、ゲノムだけ特別視するのならそれでもいいですが、私の個人的な考えでは、今後殆どすべての研究に何等かの形でゲノムが入ってきて、ゲノムだけ特別という時代ではなくなってくると思っているものですから。  
  それじゃ、ほかに。玉井委員が来られましたので、八の……。 
(玉井委員) 
  いつの間にこんなに厳しくなってしまったのかなと思って見ていたんですけれども、これは必要なんですか、ほんとうに。暫定案では入っていなかったですよね、これは。  
(高久委員長) 
  何がですか。 
(玉井委員) 
  二重審査というのは。 
(高久委員長) 
  ええ、入っていなくて。 
(玉井委員) 
  入っていなかったのが、さらに入ったわけですよね。私は、蒸し返すようですけれども、ここに書いてあるように、「集団での説明会のような簡略化した説明形態」というような書き方をするから誤解を招いているのかなというふうに思ったんですね。つまり、説明が内容的に省略されていなくて、質問の機会が設けられていてとか、そういう条件を満たせば、それをあえて集団の説明会だから簡略化だというふうに定義しなくてもいいのではないかと思っていたので、こういうふうに厳しい審査をしたほうがいいという意見を言ったつもりではありません。大量のサンプルを扱うときに、集団での説明会とか、電話である程度説明しておいて、実際に来てもらってからそれを補足するとかいう程度のものであれば、それは説明形態のすなわち形の問題であって、説明の内容がそれで十分であって、かつその質問の機会が保証されていて、同意の機会、拒否の機会も与えられていて、文書で同意が取れていれば、それをあえて簡略化というふうに定義づけて、あれもこれも簡略化なんだから、そういう簡略化した手続を取るときには、二重、三重の審査をしろというところまで言わなくても、別に全体としての整合性はとれているのではないかなと思っていたので、それで暫定案に対して、この部分を削除するだけでいいのではないかというふうなことを申し上げました。その後こういうふうになって出てきた経過がよくわからなくて、今到着したので、さらにまたよくわからないんですけれども。  
  多分、大量のサンプルを扱うときに、個別面談方式というか、個別対面方式以外のものはすべて簡略化だというふうな厳しい定義もあり得るかと思うんですけれども、そういうふうに定義してしまえば、集団での説明会も簡略化だというふうになってしまうと思うんですけれども、私はやっぱり説明形態の問題ではなくて、中身のほうが大事なのではないかと思いました。集団での説明会をあえて簡略化というふうに定義すると、こういうふうな話にもなり得るのかもしれないんですけれども、そこは大量のサンプル、しかも個人識別情報とのリンクを切らないで扱うときには、それなりに慎重な対応も必要なわけですから、だからといって二重審査が必要かというと、これはちょっと議論はあるかと思います。そんな説明の内容そのものを省略するということはないですよね、中村先生、そういうときに。  
(高久委員長) 
  簡略化という言葉は要らないんじゃないですかね。 
(玉井委員) 
  と思ったんですね。 
(位田委員) 
  ちょっと誤解があると思うんですが、私は説明の内容について簡略化しようというのは一度も言ったことがありませんし、書いたこともございません。要するに説明をする方法を簡略化するかどうかなので、インフォームド・コンセントというのはまさに自己決定ですから、それぞれの人が、十分に説明を聞いてちゃんと理解をして、自由意思に基づいて書面で同意をする、これが一番原則だ。それがたまたま集団であるために、本来ならばインフォームド・コンセント、自己決定というのはそれぞれの人がちゃんと理解をして説明を聞いて同意をするということにもかかわらず、集団であるからという理由で、一人一人にはとてもできないので、そうすると、集団の説明会をやる、これはしようがないと思いますね。  
  しかし、それはその一番基本的なインフォームド・コンセントから見ると、それはやはり一人一人について、それぞれに説明をしているわけではないので、中身はちゃんと十分説明していないといけない、これは当然の話で、中身が十分でなければ、これはインフォームド・コンセントにならないですから、そこは完全にアウトなんですが、方式としても。  
 (高久委員長) 
  わかりました。位田委員は、個人個人に説明をして、文書で取る以外の方法を簡略化というふうに定義されたということで、ですから、言葉の定義の問題ですね。どうぞ、町野委員。  
(町野委員) 
  大体今のお2人の話を聞いてわかりましたけれども、ここで2つのことが書いてあるわけですね。1つは、インフォームド・コンセントの取り方の形態ですね。それについて、さらにもう一段の審査をかけろと言っているのが位田先生の趣旨ではないですね。位田先生としては、このような研究の倫理性の問題なんですね。だから、別のところにかかっていますから、そうすると、ここで、先ほど最初に小幡委員が言われましたとおり、これをここで説明するということがちょっと誤解を招いたかなという感じがするんですね。  
  ICの形態の問題とするならば、第八の3の解説のところにむしろ入るべきですよね。そして、全体の倫理性の問題は第二十三のところですよね。ということになるだろうと思うんですね。倫理委員会が要するにこの研究計画の倫理性を審査するわけですね。だから、そこのところでもう一つ上にかぶせるのが望ましいかどうかという議論がここに入るということだと思うんですね。  
(位田委員) 
  私と玉井先生の違いは、要するにインフォームド・コンセントの原則をどう考えるかで、僕は一人一人で、玉井先生は集団でもいいのだということなので。 
(高久委員長) 
  ですから、「簡略化」という言葉を使うか使わないかという事は、考え方によって違うので、反対があれば使わなくても、内容を説明されればいいわけですね。ですから、私も簡略という言葉よりは、コホートスタディで連結可能なものは全部二重審査をするかどうかということのほうが重要な問題ではないかなと思います。その点をご意見をお伺いしたいと思っています。  
(ライフサイエンス課長) 
  そうしますと、このコホート研究は、むしろこれからありふれた、失礼ですけれども、要求としてはありふれて、むしろあり得る形態で、極めて例外という認識ではむしろなくて、この集団をどうやったらきちっと本人の同意が集団でも、場合によっては個別に説明してくれと言われたらそれは対応しなければいけないわけですよね、多分。そういう要求があればまた。  
  だから、そういう人たちに対するきちっとした対応を、だから、倫理委員会が二重にあるかどうかという問題よりは、むしろ集団での同意の仕方を、そこら辺のところのやり方の問題なのかなという、倫理委員会が二重にあればいいという問題じゃないような気も確かにしてくるし、それから、必ずしも医学的重要性の高さの程度で、これはだめとかということよりは、むしろそういう判断じゃないような気もしてきたんですが、したがって、あまりそういうことでなくて、この同意の説明の集団の場合のやり方はこれが適当なんだと。むしろこれを進める、これがいいんじゃないかという形のところで、そうすると、先生おっしゃった、先ほどの同意の、そもそも同意というのは1対1なんだという原則が、原則をどう考えるかというところだと思いますけれども。  
(高久委員長) 
  私は先ほど「極めて」というのを除くと言いましたが、ほんとうは「例外」ということも除いたほうがいいのかもしれない。ほとんどのコホート研究の場合、例えば九大のやっている高血圧などの研究でも、一人一人追わないと研究にならないのですね。ですから、そういう研究がどうしても必要になる。がんなんかでもどうしても必要になってくる。  
(小幡委員) 
  私も必ずしも二重審査の必要はないかと思います。というのは、どうも倫理委員会に対する不信感というのが前提にあるようなんですが、あまりそういうふうに初めからしてしまいますと、いろいろなところで倫理委員会が出てまいりますので良くないのではないか。むしろ倫理委員会は外部からも入って、透明なもので信頼できるものにしていくというスタンスのほうが、全体にとっても価値は高いと思いますので、つまり倫理委員会だけでは不信であるからというようなスタンスは、あまり正面から持ってこないほうがよいのではないかという感じがいたします。それから、先ほどのインフォームド・コンセントのやり方の話ですが、私はそれはできれば1対1で、そのほうが説明は自分に対する説明として聞けますので、そして、逐次質問等もやりやすいですから、原則というのはそのほうがよろしいのではないかと思います。  
  そういう観点から言うと、集団を対象とする場合には、集団に説明してもよいよということを、多様性としてここで言うという意味はやはりあるのかなと思うのですが、先ほども指摘しましたように、第八の2のところの17ページから18ページにかけての連結不可能な匿名化されているところの集団を対象とする研究では結構書き込んでいまして、例えば17ページの一番最後、ただし、提供者の側から個別の説明を求められるときは、立ち返って個別の説明に応じるとか、最後に個別に書面で与えると。それがこちらにはあって、先ほどの極めて例外であるがという疫学的研究のところにないと、誤解を生みますから、せめて第八の2で書かれていることは、こちらでやるのはむしろ当然ですよね。こちらの方は長期に連結ですから。それが書き込んでなくて、いきなり二重審査でオーケーということではない趣旨だと思いますので、そこは同じような書きっぷりにしなければいけないと思います。せめて個人情報保護の適切さをより慎重に考慮するとか、そういう程度で、二重審査までは要らないのかなという感じがしますが。  
(高久委員長) 
  寺田先生が来られる前に議論になったのは、がんのコホート研究のときに、DNAを調べていかなければならなくなるだろう。そのときには連結せざるを得ないだろうということなんですが、私は第八のほうの、連結しない多数のヒトを対象とするときには集団で説明ということは良いと思うのですが、第七のがんとか高血圧の場合には、基本的には個人個人に説明するということになるのではないですか。例えば村の人を全部集めてというのは、どうなんですか。  
(玉井委員) 
  それは現実に可能なのでしょうか。 
(位田委員) 
  1,000とか2,000になると。 
(寺田委員) 
  遅れて参加をして申し訳ありません。ひょっとしてとんちんかんなことを言うかもわかりませんけれども、コホートスタディは、例えば1万人や5万人の単位の人を対象としています。  
(高久委員長) 
  それをずっとフォローするというようなこともある。そうすると、できないですね。 
(寺田委員) 
  約10万人で大体10年間フォローするというのががんのコホートする分ですから、ちょっと無理だというような感じがします。 
(高久委員長) 
  無理ですね。おっしゃるとおりです。そうすると、やはり集団で説明ということがあり得る。 
(寺田委員) 
  それが現実的で、もしくは、ある村に1人か2人ぐらいだったらいいんですが、何々村だとか何々町全体とかの場合は、例えば保健所を通じてやるとか、そういうときには、集まっていただいて、納得いくまで説明していただくということになるんじゃないですか。  
(高久委員長) 
  連結する場合もですね。 
(寺田委員) 
  その通りです。連結するところの責任者、そこはいかにきちっとした人を入れるかということが非常に大事になってくると思います。そこで縛ったほうがいいような気がいたします。  
(高久委員長) 
  いずれの場合でも集団で説明をするということはあり得て、それを無理に簡略化と言わなくてもいいのかもしれないですね。 
(位田委員) 
  そうしたら、ここのパラグラフの上から8行目あたりに「集団での説明会のような簡略化した説明形態をできる」と書きましたが、「簡略化した」という言葉を省きます。それから、その下の「簡略化された」という言葉も省きます。ですから、「集団での説明会のような説明形態をとることができる」と。  
  公的審査機関はどうしましょうか。 
(高久委員長) 
  さっき小幡委員が言われたように、倫理委員会が頼りにならないから公的ということだと全部二重審査になる。ですから、外部の方が入って、しかも透明性を持たせるという倫理委員会の原則をきっちり守ればよい事で公的審査を経るというのは、現実的でないと思います。ほとんどのコホートスタディにゲノムが入ってくる様になりますしね、これから。  
(寺田委員) 
  今の公的審査機関による二重にするというお話ですね。これは厳しいというか、現実に無理だと思います。例えば遺伝子治療のときに、ある機関でやって、倫理委員会で審査して、公的機関へ持っていってやっています。あれは非常に特殊なもので、遺伝子治療が侵襲的ですから、注意に注意をしてやっているということです。遺伝子治療はそれでいいんですけれども、そのために、大体申請してから1年半か2年ぐらいかかっています。そういうことがこの遺伝子診断というより、遺伝子の研究において持ち込まれたら、現実には何も仕事ができなくなるというのがほんとうだと思います。そのかわり倫理委員会が、今言われたように透明性とかをきちっとしているとかということを明らかにすることが非常に大事だと思います。  
(位田委員) 
  こういう言い方をすると若干誤解を生むかもしれませんが、性善説でいくか性悪説でいくかというような、ちょっとそういう感覚があります。倫理委員会は信用できないのだという立場から出発すると、機関内でやっている限りは信用できないのだという感覚で出発されると、どうしても公的な審査機関が要るということなんですね。  
  あまりそういうふうなある種の性悪説に立つと、なかなか動かないものです。むしろ外部の方も倫理委員会に多分半数以上含むということになると思いますので、それは性善説できちっと信頼をするということから、科学研究ないしその評価というのは始まると思います。私自身は倫理委員会は外部の人が入って、かつその議事録であるとか結果は必ず公開するというその透明性を確保することによって、倫理委員会の評価、実効性というのは確保できると思っています。パブリックオピニオンをそのまま受け入れて、それに従って変更するかどうかというのは、これはここで決めればいい話なので、この委員会で透明性が確保できれば大丈夫だというご判断をいただければ、こういう審査機関というのは要らないと思います。  
(町野委員) 
  私はその方針に強く反対というわけじゃないんですけれども、いいのかなと少し思うところがありまして、二重審査というのは、まず最初にローカルなというか、IRBのそれを信頼するかどうかというだけにとどまらずに、おそらくナショナルなポリシーとしてこれを認めるかということにも一つ関係していると思うんですね。ですから、私はこの研究がどういうものかというのは実は全然素人でわからないんですけれども、そういう装置がなくて大丈夫かなというのは、少しわからないところがあります。  
(高久委員長) 
  玉井委員が来られましたので、八と十七と十五と十九について、これからご議論願います。 
(中村委員) 
  その前に一つだけ、第九に第1項目が加わりましたけれども、この1と2、3、4、5とは完全に相反するわけですよね。1にこういう書き方をするんではなくて、「提供されたときに同意が与えられていなかったものに関しては、以下の4項目を満たさない限り使用してはならない」とかいう形のほうが、使ってはならないと言って、じゃあ、使う場合はといって2、3、4、5とくるのは、あまりにも矛盾しているような感じがするので。  
(位田委員) 
  そういう印象を持たれたかもしれませんが、1と2は使ってはいけないという、2は使用することができると書いてしまいましたので、ちょっと問題があるかと思いますが、1は同意が与えられなかったものは使用してはいけない。  
(中村委員) 
  3は同意を与えない場合に使えるという。 
(位田委員) 
  そうですね。もし使いたければ。 
(中村委員) 
  以下の4項目を満たさなければ使用してはならないという言い方のほうが。 
(位田委員) 
  3以下の3項目だと思いますが、3以下の2項目かな、バンクはちょっと別でしょうから、3、4の項目を満たさなければというのであれば。 
(高久委員長) 
  それを入れたほうがわかりやすい。おっしゃるとおりだと思います。 
  それでは、八の2のほうで玉井委員からご意見をどうぞ。 
(玉井委員) 
  済みません。大変遅くなって申しわけありませんでした。 
  八に関しては、八の2項の連結不可能性が確保される場合に限って簡略化されるということの後半に、さっきのが入っていたんですけれども、それが七のほうに移動したんですよね。その部分について、今、議論して、その「簡略化」という言葉を使わないということで、私は個別面談方式が原則であるということに対して異議を唱えているわけではなくて、それ以外のものをすべて簡略化というふうに定義してそういう言葉を使うかどうかということで、それはやはり大変誤解を招くのではないかという意見でしたので、ちょっと暫定版として送っていただいたのからまた多少文言が変わっているようなので、今すぐ全部は読めないんですけれども、おおむねそのようなところでいいのではないかと思いました。  
(高久委員長) 
  ですから、この2のところのインフォームド・コンセントにおける説明の手続はのところで、「簡略化」という言葉を外して。 
(玉井委員) 
  いや、ここの部分は簡略化でもいいと思うんですね。連結不可能なわけですから。連結可能か不可能かというところで、扱いにはそれ相応の差をつけるべきではないかと。つまり連結可能な試料も連結不可能な試料も、何でもかんでもここまでやれと言われたら、それは大変なわけですから、連結不可能であるということは、まあ、人権侵害が起きる可能性もないとは言えませんが、非常に少ないので、連結不可能な場合には簡略化というふうに、ここはそのまま書いてしまってもいいと思うんですけれども、連結不可能な場合は簡略化できると書いてあって、連結不可能じゃない場合も簡略化できるんだよと後のほうで書いてあるので、これはちょっとまずいのではないかなと思って、意見を申し上げましたので。  
(高久委員長) 
  わかりました。簡略化でいいんですね。 
(玉井委員) 
  八に関しては、後半部分がなくなるわけですね。 
(高久委員長) 
  なくなったんです。 
(位田委員) 
  七に移しましたので。 
(玉井委員) 
  先ほど小幡先生が言われたように、質問の機会を保証するようなことも一緒に七のほうに書いておいていただけると。 
(位田委員) 
  七の2にも書けということで。はい、わかりました。 
(玉井委員) 
  私も同じように思いました。 
  それからもう一つ、これも誤解を招くかなと思ったのは、15ページの文書の配付や電話による個別説明などでもインフォームド・コンセントにかえることができる、必要な説明として用いることができるというのは、これは文書だけ配って同意を取るということではないですよね。文書だけでよいよということを言っているわけではないですよね。  
(位田委員) 
  だから、そういうこともあり得るということで。 
(玉井委員) 
  簡略化の一つとしてあり得るという意味ですか。 
(位田委員) 
  はい。だから配って、それで、いや、私はもう少しここを聞きたいというときには、当然個別に質問を受け付けて説明をしていただく。だから、最初みんなに集まってもらってやるか、文書を配付するかという、そこの最初の段階の違いなんですが、それで終わってしまえば、ほかに質問が出なければ、それで動くんでしょうし、同意書は当然一人一人の分は取っていただかないといけない。  
(玉井委員) 
  「文書の配付」という言葉があると、何かそれだけでもいいというような誤解を招くかなと思ったりもしたんですけれども。 
(位田委員) 
  ただ、これは全部、これまた倫理委員会なんですけれども、そういうふうな形で説明をしますということはちゃんと研究計画に書いていただいて、倫理審査委員会の審査を通るわけですから、倫理審査委員会が文書だけではだめだと言えば、当然集会をするとか、個別に面談をするとかいうことに当然切りかわると思うんですね。ですから、これで全部いけるというつもりはありません。倫理委員会というスクリーニングには必ず通るという前提のもとで、文書の配付という方式もあり得るだろうと。  
(玉井委員) 
  はい、わかりました。 
(高久委員長) 
  ですから、これはむしろ「できる」のではなくて、「考えられる」のほうが良いのではないですか。細かいことですが。 
(位田委員) 
  はい、わかりました。 
(高久委員長) 
  先ほどの説明で、十四と十五については議論をしておりませんので。 
(小幡委員) 
  済みません、ちょっと今の点で、倫理委員会の審査を必ず通るということで、第八の3でそういうインフォームド・コンセントの方法、倫理委員会の審査を経なければその方法をとることはできないとありますね。第七の研究の多様性の考慮のところは、特にない……。  
(玉井委員) 
  書いてはいないですね、確かに。明記してはいない、当たり前のことだからでしょうか。でも、ここに書いてあるのがそうではないでしょうか。 
(位田委員) 
  16ページの解説には書いてあります。 
(小幡委員) 
  解説には書いてあって、本文には載っていないんですね。それがちょっと気になって。第八のところの3項には、前2項の場合においてという本文での明記がございますね。第七は、本文では多様性を考慮すると……、だから難しいんですね、どこにどう入れるかというのが。  
(位田委員) 
  構造としましては、五が基本で第七が例外があり得るよと書いて、八は具体的にこういう例外が顕著ですよというふうに書いてあるので。第七の本文にそのような説明方法については倫理委員会の審査を経なければならないという一文をいれれば大丈夫だとは思います。  
(玉井委員) 
  八は入っているんですか。 
(小幡委員) 
  第八は3項です。 
(町野委員) 
  むしろこれは第八のところが例外というのはもう取れているわけですね、見出しで。ですから、3のところの「前2項の場合において」を取っちゃえば、それで済むことじゃないでしょうか。全部手続についてこれは書かれているわけですから。  
(高久委員長) 
  そうですね。そのことは全部に言えることで、八だけじゃないんじゃないかな。 
(位田委員) 
  ただ、第八の3で書いてしまいましたので、3のまま置いておくと、前2項と書いてあってもなくても、八にしかかからないですよね。 
(高久委員長) 
  八だけにかかるのはおかしいですね。 
(玉井委員) 
  一言書き加えるので済むのであれば、一言入れれば。 
(位田委員) 
  ちょっと文章等については、どこかに入れるか、並べかえるかを考えさせていただくことにして、中身そのものの話ではないと思いますので、少し考えさせてください。  
(高久委員長) 
  わかりました。少し進めさせていただきたいのですが、十四の2については、委員の方々にアンケートをとらせていただいています。そのアンケートの結果ですが、これは皆さんのお手元に行っているのですか。  
(位田委員) 
  ないと思います。 
(高久委員長) 
  ないのですね、わかりました。 
  第十四の第2項と第十五の第2項の対応策ということで、原文のままとするという意見、解説を少し変えるという意見と、第2項を削除して解説でもう少し詳しく説明をする。第十四の第2項についても第十五の第2項についても、皆さん方の回答の中で一番多かったのが、第2項を削除し、解説に以下の文を加える。つまり、提供者への説得を尽くす。どうしても提供者が拒めば伝えない。又解説の中で、研究の結果明らかになった遺伝子情報に関して、遺伝性疾患の原因である、またはその可能性があるとの判断に結びつく場合、当該疾患が予防または治療が可能なものであるときには、提供者の意思を再確認するなどの対応について、倫理委員会で検討されなければならないという説明を入れるということでした。  
  原文のままとするがその次に多かったのですが、第十四の第2項と第十五の第2項は基本的に同じような問題を含んでいると思いました。皆さん方のアンケートをとらせていただいたときの御意見です。  
  順番から言うと、第十四のほうで、もう一回位田先生から説明していただけますか。 
(位田委員) 
  今、委員長がご紹介になったこの4つの案につきましては、この部分は私がつくったわけではないので少し判断が難しいのですが、2つ立場があります。十四の1は問題ないと思うんですけれども、十四の2に関しては、提供者本人がインフォームド・コンセントのときに知りたくないと言っていれば、どういう結果が出ていても決して知らせてはならないという立場、他方で、知りたくないと最初は言ったんだけれども、しかし、疾患の原因である、またはその可能性があるという判断が可能であって、かつその疾患が予防または治療が可能だというふうに考えられる、そういう条件のもとであれば、本人が嫌だと言っていても、知らせたほうがその人の健康もしくは生命にプラスになるであろうということで、知らせてもいいという道は開いておくという立場と、その2つがあるかと思います。私がドラフトした立場は後者の、その可能性はやはり開いておくという立場に立っています。  
  そういう意味で、22ページの下のほうから解説がずっと書いてありますが、まず最初に、インフォームド・コンセントをいただく場合には、知る権利があるということと、知らないでいる権利についても十分に説明をするんだと。しかし、具体的にこれこれこういうヒトゲノム研究をしますよという説明をするときに、研究の結果、こういうことがわかるかもしれません。そのときに知りたいですか、知りたくないですかという説明をする。  
  その場合には、単に知りたいですか、知りたくないですかということだけではなくて、この解析研究はどういう意味を持つか、その解析研究にかかわる遺伝病というのはどういう意味を持つか、診断とか治療の可能性があるとか、いろいろなことをきちっと説明をして、そして、できるだけ本人が、最初からかたくなに知りたくないといえば知りたくないのだということではなくて、本人にできるだけその研究の意味をわかっていただいて、研究の結果から出てくる判断の意味を理解していただいて、研究者及び医師のほうは、本人の病気の可能性があればそれを予防する。もしくは病気にかかっているとすれば、それを治療するということを非常に重視しているのだということをよく理解していただいて、できるだけ本人から、それじゃ、知らせていただいて結構ですという方向に持っていく努力をしましょうというのが、その2つの最初の段落でございます。  
  もしそれでも嫌だと言われた場合に、だったら伝えてはいけないという立場をとるか、いや、それでも倫理委員会がやはりこの場合には伝えたほうがいいだろうという判断をすれば、伝える道は残しておいたほうがいいのではないかというのが3つ目の段落に書いてございます。  
  ですから、ただ単に知りたいか知りたくないかという話ではなくて、できるだけ本人に研究の意義をわかっていただいて、できるだけ知っても構いませんという方向に、これはちょっと誤解があるかと思うんですが、説得するとどこかに書いてあると思うんですけれども、説得するというのは、別に強いるという意味ではなくて、説明をするという、言葉がちょっと「説得」というのは強過ぎたかもしれませんが、説明に務めるべきだ、23ページの上から6行目の最後のほうにありますが、これは説明に変えても全然構いませんけれども、そういう努力を研究者及び医師の側がする。  
  それが、強制的に絶対に知ったほうがいいですよ、というような言い方はもちろんしては困るわけで、そういう状況のもとで、やはり小さくても道はあけておいたほうがいいのではないか。勝手に医師もしくは研究者の側が伝えたほうがいいという判断をしてもらってはもちろん困りますので、その倫理審査委員会が、その提供者本人の置かれているいろいろな状況であるとか、その疾病の重大性とか、治療の可能性がどのくらいあるかとか、いろいろな要素を考慮して、嫌だと言っていても知らせる可能性は残しておいたほうがいいのではないか。  
  多分現実にはかなり例外的な、極めて例外的かどうかは別ですけれども、非常に例外的な形にはなるのかもしれませんが、そこは原則的な立場の問題なので、私は可能性は開いておいたほうがいいという立場で書きました。  
  先ほどご紹介になった第3案は、倫理委員会が検討するということが、私もちょっと文章を持っていないのですが、検討するというのは知らせてもいいということにつながりますので、実は第3案というのは解決にはならないというのが私の考え方なんですけれども。  
(中村委員) 
  知りたくない権利というか、要するに患者選択権が何に対して優先されるかということになってくると思うんですけれども、皆さん、遺伝病ばかり想定しておられると、知りたくないと思うんです。そうじゃなくて、例えば薬剤に対する副作用がわかる。この薬を飲めば、この人は非常に重篤な副作用を起こすというような場合でも教えない。教えないで使った場合に、今度は医療紛争につながるわけですね。  
  そういうことまで想定して、ほんとうに知らせないというだけで済むのかどうかということを考えておかないと、薬の副作用で、特に重篤な場合は、例えば目が見えない、あるいは耳が聞こえない、場合によっては命も落とすということは、今後ゲノム研究の過程で派生してくるわけですね。そういうことを患者に知らせないで済ませて、たまたまその患者さんがその薬を医療機関によって処方されたときに、トラブルを起こす。その場合でも、本人が全面的に責任を負うのであればいいですけれども、当然医療紛争につながることも想定しないと、単に遺伝病を知りたくないといって、本人が病気になるという問題では済まない。別の問題が派生しつつあるということまで考えて配慮しないといけないと思うんですけれども。  
(高久委員長) 
  それは先ほどもちょっと申し上げたのですが、遺伝病というふうにずっと書いていますが、ヒトゲノム研究のこれからの方向は、遺伝病よりは、一般の病気が対象になる。薬物の反応が違うとか、効くとか効かないとか、そういう方向にどんどん進んでいくと思います。遺伝病という言葉がたくさん出てきますが、これからのヒトゲノム研究の方向とは少し違います。  
  昨日、疾患遺伝子の事で中村先生、寺田先生も出ておられましたが、その議論でも、高血圧、糖尿病、薬剤感受性についての議論がずうっとあった。遺伝病も当然含まれますが、これからヒトゲノム研究のマジョリティは遺伝病ではなくて、普通の病気になってくる。  
  ですから、遺伝病のときには当然カウンセリングが必要ですが、糖尿病や、高血圧で、もちろん説明をする必要はありますが、遺伝カウンセリングはいらないのでは。そこら辺をどう考えていくのか、どんどん変わってきます。  
  この22ページにも遺伝病とありますが、その次の行には薬物の副作用予測が可能と認められると。既に一部では薬物の副作用の予測が可能になっているわけですね。そういうことと遺伝病とが一緒になってしまっている。病気といったときに、遺伝病という言葉をすぐに出してくる必要があるのか。また根本的な議論で申しわけないんですが。  
(小幡委員) 
  私もそういう有益な情報もあり得るのかなとは思いますが。それから、これは何年で見直すかわかりませんけれども、状況の変化によって新しい情報の内容、意義がどんどん出てくるということはあるのかもしれないと思います。ただ、そうであれば、知らないでいる権利を本当の意味で保障するためにも、もう少しインフォームド・コンセントの内容をきめ細かくする必要があると思うんですね。  
  例えば遺伝病であれば知りたくない。でも、自分がある薬を飲むと特にまずい体質だということがわかるのであれば知りたい。細かく聞くことによって、どこまで細かくできるかというのはなかなか、それは時代の変化によって違うと思いますが、できるだけ知りたくないという意思を尊重すべきだと思います。私が心配しているのは、例えば疾患の予防または治療、薬物の副作用予測と一緒にして、それについて知りたくないと言われているのに、それでも倫理委員会が予防、治療のために有益であるからと、勝手に判断して知らせてしまう。それはやっぱり本人の自己決定した範囲を超えるんですね。  
  ですから、そこら辺は本人の意思、自己決定の尊重というのがどうしても必要だと思うのです。どちらかというと医学の研究者の立場であれば、何のためにこういう研究をするかといえば、それは人は救うことであるからというのはよく趣旨はわかりますけれども、しかし、いろいろな方がいらっしゃるわけで、しかもたまたま自分はこの研究に同意していい、調べてもらっていいけれども、それには協力をするけれども、自分の何かわかった情報、特にひょっとしたら何々病になりやすいから注意しなければいけないということがわかっても、それは嫌だから知りたくないと言っていたにもかかわらず、それを知らされてしまうというのは、それは協力した方にとって大変不利益を及ぼすと思うんですがね。  
(中村委員) 
  その場合に非常に難しいのは、どうインフォームド・コンセントを取るか。だから、ゲノムワイドに全部調べていくわけですね。例えば糖尿病の研究に協力してくださいと。今はゲノム全体を調べるという方向にいっていますから、ほんとうはコントロールのつもりであったのが、たまたまある薬に対してこの人は問題が起きやすいということがわかる。だから、本来の研究の目的ではないけれども、たまたまわかるということがあるわけです。  
  薬の副作用情報なんかは、その個人にとっては非常に重要だし、特によく使われるような薬だと、たまたまその人がそういう薬を使って治療されるということがあるわけですね。実際にインフォームド・コンセントを取る場合に、糖尿病研究をします。でも、薬剤に対する何かを見つけることがあるかもしれませんというふうなインフォームド・コンセントの取り方をしていないと、何か非常に患者に有用なことがわかっても、絶対に教えてはいけないということ。  
(小幡委員) 
  それは、知らされたくないとその人が言っているわけでしょう。その本人の意思は自己決定という観点から尊重すべきなのです。それでも教えてしまうというのは絶対すべきではない。ですから、自分には知らせないでほしいというその中身を、もう少し細かくして取っておいたほうがいいのではないか。そうすることによって自己決定権との衝突という今の問題というのはかなりの程度解消するのではないかと思うんですが。  
(高久委員長) 
  薬剤の副作用の予測という事が一番デリケートなことで、確かに糖尿病になりやすい、高血圧なりやすいというのは、人によっては、糖尿病になりやすいからうまいものを食うなといっても、そんなことよりはうまいもの食って糖尿病になったほうがいいという人もいるかもしれない。そんなことは知りたくない。ただ、薬の副作用は、普通は知りたいと思いますね。ですから、薬の副作用だけはちょっと特別ですね。  
(玉井委員) 
  私は道を残すという点では別に反対はしないんですけれども、だから、絶対に知らせてはいけないということだけを原則にしてしまうのはどうかという点については同じ意見なんですけれども、なるべく詳しく説明して、同意を取ればよいのであって、その同意の範囲で対応すればよいのだというのも、一見そうかなと思うんですけれども、果たしてそれは現実的だろうかと疑問です。これから先何がわかってくるかわからないわけですよね。  
  あることについて知りたいか知りたくないかというのは、そのあることの中身がわからないと、やっぱり知らなければよかったとか、やっぱり知っておいたほうがよかったとかという話になるので、論理的に考えても、ちょっと無理があるのではないかというので、対応案を考えてみましたので、それを聞いていただいてよろしいでしょうか。  
  要領よく発言せいということで、原稿をつくってきましたので、読みます。 
  資料の5−3をごらんいただきながら聞いていただきたいと思います。前回の17日の委員会以来、この2週間、寝てもさめてもヒトゲノムのことを考えていて、夢にまで出てくるぐらい考えていたので、考え過ぎて混乱してしまいまして、ちょっと不備な点というか、考えが足りないところがあるかもしれませんけれども、5−3をごらんいただきながら、対応案を考えてみましたので、聞いてください。  
  原則第十四第2項について、最も問題となった提供者本人が知らないでいる、正確には知らされないでいる権利だと思いますけれども、その行使を主張している以上、例外は認められないのではないかという指摘を受けての修正についてですが、以下のように考えてはどうかということで、一つの案をお示ししたいと思います。  
  まず、研究計画に明示されて、解析の対象になっている特定の遺伝子について知らないでいる、正確に言いますと、この場合は知らされないでいる権利の行使を主張している提供者に対して、当該遺伝子の解析の結果明らかになった遺伝情報を、提供者の同意なく知らせることはないという点、それから、自分の遺伝情報を知ることを一切拒否している提供者の意思、提供はするけれども、一切何も知りたくない、老い先短いのでもういいとか、いろいろな人がいると思いますので、そういう人の意思は尊重されるというこの2点を、皆さんに合意していただいて明記するということです。  
(高久委員長) 
  それは1に書いていますね。これは皆さん問題ないと思います。 
(玉井委員) 
  それが2項のほうの例外規定によって、そこまで崩れるのではないかというような誤解があったのではないかと思います。パブリックコメント版の解説では、この点に関する記述がなかったために、研究計画に明示された特定の遺伝子について知りたくないと言っている人や、自分の遺伝情報を知ることを一切拒否している人にまで、それが病気の診断に結びつく場合には、あえてその解析結果を知らせる場合があるという誤解を与えた可能性がありますが、まず、そうではないことを確認させていただきたいと思います。この遺伝子を調べます。その遺伝子については知りたくありませんという人に、その遺伝子のことを教えたりはしませんよということをですね。  
  医療サイドから見て、あるいは一般的に見てリーズナブルとは思えない選択であっても、本人の意思はやはり尊重されるということですね。つまりターゲットを絞って、これについて知りたくない、あれについて知りたくないという明確な意思を表明している場合のことで、その場合は知らせないということを、まず確認したいと思います。  
  次に、資料の2つ目のマル印のところですけれども、読みます。しかしながら、現在のゲノム研究の進展のスピードを見ると、研究開始の時点では候補遺伝子にすぎなかったものでも、研究の途上で診断的意義があるという評価が得られたり、研究の途上で当初予測していなかった遺伝子が同定される可能性は否定できないと思います。これは否定できないなどという控えめな言い方をすると、中村先生からおしかりを受けるかもしれません。そのためにやっているんだから、可能性は大いにあるということだろうと思います。  
  さらに、そのような解析結果に基づく遺伝情報を提供者に開示することが、つまり知らせることが特定の疾患の予防や治療、特定の薬剤の重篤な副作用に対する注意の喚起など、提供者の健康管理に役立つ場合があるという事実がございます。  
  また、包括的な同意、すなわち特定のゲノム研究に限定せず、ゲノム研究に関連する医学研究に使用されるものとして、試料提供に同意した提供者の場合、研究の進展によって起きるあらゆる可能性を想定して、どんな場合なら知らせてほしいか、あるいはほしくないか、資料提供の段階で詳細な同意を取り、すべての事態をその同意の範囲で対応するということは、現実には極めて困難であるというふうに私は思います。  
  前回の委員会資料でお示ししましたように、第1の選択肢として、どんな遺伝子でも見つかったものはすべて教えてほしい、第2の選択肢として、治療や予防に結びつく遺伝子、あるいは薬の副作用予知に結びつく遺伝子が見つかった場合だけ教えてほしい、第3の選択肢として、どんな遺伝子が見つかっても一切教えてほしくないというような同意を、研究試料提供時に取ってしまって、あくまでもその範囲で対応すべきとの意見も当然あると思います。このような事前同意ですべてカバーできるのであれば、第十四の2項は必要なくなるわけですね。  
  しかし、このような同意は、これは先ほどの繰り返しですけれども、果たして現実的でしょうか。多くの人が第2の選択肢である治療や予防に結びつく遺伝子が見つかった場合だけ教えてほしいというのを選ぶだろうと思います。そうなった場合に、生活習慣病のリスクファクター程度であっても、少しでも治療や予防に結びつく可能性があるのに、なぜ教えてくれなかったかとか、治療や予防に結びつく遺伝子が見つかったら教えてくれる約束だったじゃないかというクレームがつくことを恐れて、どちらか迷うようなときには教えておいたほうがよかろうと、コンセンサスは得られていないけれども、治療や予防に結びつく可能性がないとは言い切れないので、教えておくほうが無難だという方向に流れる可能性というのがあって、それは研究者サイドに非常に大きな負担になるのではないかと私は思いますし、市民の間にも混乱を招くのではないかなと思うわけです。  
(高久委員長) 
  ですから、どういうふうにすればよろしいかを。 
(玉井委員) 
  その後があるんですが。第2項を削除して、解説で言及するというのが最終的な結論なんですけれども、それからもう一つ、意思確認についてなんですけれども、大事なことがわかったんだけれども、教えてほしいかどうかという改めての意思確認を、ポジティブだった人だけを呼び出してするとすれば、それは実際には結果そのものを伝えているのとあまり変わらなくなってしまうということもありますので、それに対しては、提供者全員に研究の結果明らかになった遺伝情報を知ることの意義などを改めて説明して、場合によってはですけれども、この程度のリスクファクターであるという評価なんだけれども、こういう人が知れば役に立つこともあるのでお知りになりたいですかと聞くとか、そういうことはあるわけですよね。  
(高久委員長) 
  提供者全員ではなくて、確認する場合には、知りたくないという人だけで良いのではないですか。 
(位田委員) 
  知りたくないという人だけ集めますと、あなた方は危ないですよということを知らせてしまうことになるじゃないかという。 
(高久委員長) 
  だけど、ほかの人はみんな知りたいから当然知らせるわけです。 
(玉井委員) 
  ですから、知りたくないというふうに言っていた人の中に、ポジティブな人もいるかもしれないし、ネガティブな人もいるかもしれないので、ポジティブな人だけ集めないでということですよね。  
(高久委員長) 
  そういうわけじゃなくて、知りたくない人全部に、そんな人は少ないと思うから、個人個人に対応が十分にできるのではないですかね。大部分の人は、やっぱりわかったことは知りたいと思います。一部の知りたくない人も当然いらっしゃるから、その人全部に確認すれば良いのではないですかね。  
(玉井委員) 
  それであれば教えてほしいという意思を改めて表明した人に教えるというような方法があると思うんですね。したがって、可能な限り本人の意思確認する努力をしなければいけないということを言っておかなければいけないとは思うんです。ただし、薬剤の副作用の場合に、そういう方法で改めて意思確認をするなどというのんきなことを言っていられるのかどうかということももしかしたら出てくるのかなと思いまして、そこはやはり本人の意思を確認する努力をして、最大限意思を尊重しなければいけないというぐらいではないかというふうに思いました。  
  したがって、候補遺伝子にすぎなかったが、研究の途中で診断的意義があるという評価が得られたり、同じく研究の途上で当初予定していなかった遺伝子が同定されるなど、結果の開示に関して、資料提供者の同意の範囲を越えるような事態が生じた場合には、倫理審査委員会において、提供者に知らせることの是非や、知らせる際の手続、例えば改めての意思確認をどういう形でするかというようなことを検討していただいて、細かい審査のあり方に関しては、別途定められる研究指針によるという内容にするということです。  
(高久委員長) 
  ですから、対応案の3に非常に近いわけですね。 
(玉井委員) 
  そうです。診断の領域に踏み込む問題でもありますし、ここで例外的にしか起こらないことについてこと細かに規定する必要があるのかどうか、全体のバランスから考えても、詳細については倫理委員会、研究指針によるということでよいのではないかということで、文案を2ページ目につけておきました。  
  ちょっとこの文は、読んでみたら「てにをは」はおかしいところがあるんですけれども、今申し上げましたような趣旨を盛り込んでつくってみたのが、2ページ目の文案です。  
(高久委員長) 
  わかりました。ただ、薬剤感受性や多因子性の疾患の場合にも遺伝カウンセリングが必要かどうかという部分。ですから、遺伝カウンセリングは必要に応じてということで良いのではないですかね。  
(玉井委員) 
  ここは私の思い入れで入れてしまったものですから、詳細については、別途定められる指針によるものとするということで、そこが含まれるのであれば、いいかもしれません。  
(高久委員長) 
  よろしいですか、位田委員。 
(位田委員) 
  一番最初の出発点で少しすれ違いがあると思うんですが、私が最初に書いた時点では、前回A遺伝子、B遺伝子という話があったと思うんですけれども、ターゲットにしている遺伝子について知りたくないと言っているけれども、実際に知らせる可能性を開いておくという意味で私は書きました。ですから、誤解があるということではなくて、まさにそれは確信犯なんですけれども、そこをねらって書いたものなんです。  
  ターゲットにしている遺伝子以外で何か見つかったときには、玉井先生がおっしゃるとおりだと私は思いますが、そこのところは全然異論はありませんけれども、一番最初のターゲットにしている遺伝子で本人は知りたくないと言っているけれども、しかし、非常に重要な結果が出てきたときには、知らせてもいいのではないか、知らせる道を開いておいてもいいのではないかというのが、私の趣旨だったんです。  
(高久委員長) 
  解説でそういうふうに書いておけば良いのではないですか。 
(位田委員) 
  そこが違う。 
(玉井委員) 
  ターゲットになったこの遺伝子を、それを知りたくないと言っている人に教えるというのは、それは不当な侵害というか、私は遺伝子診断の強要につながるということで、一般市民からの批判を免れないのではないかと思うんです。知ることのメリット、デメリット、知らないことのメリット、デメリットを説明して選んでいただくというのが基本であって、役に立つから受けなさいよとか、役に立つから知りなさいよというふうに、位田先生は先ほど説得という言葉は強いというふうにおっしゃったんですけれども、でも、要するにそういうことですよね。  
  私は、知ることのメリット、デメリットを説明して、知らないことのメリット、デメリットを説明して、それでも知りたくない、この遺伝子について知りたくない、これはがんの遺伝子で、早めに知れば、何か検診をこまめに受けるとか、心の準備をするとか、いろいろなメリットがあるということをもちろん十分説明はしますけれども、それでもやはり知りたくないという人がいれば、それを知らせるということは、やはり許されないのではないかと私は思うんですけれども、どうなんでしょうか。  
(高久委員長) 
  その人にメリットがあるかどうかという事は、研究者が判断するのではなくて、本人が判断するほうが私は正しいと思いますね。いろいろな人生観を持っている人がいますから、知りたくないと言ったときには知らせるべきではないし、玉井委員の言われた方法が一番アクセプタブルではないかなと思うのですが。  
(町野委員) 
  問題は明示的に何も言っていないときですよね。そのときどうするかなんですね。だから、この玉井委員の案で、提供者の意思に反してというのは、これは非常にいい文言だと思いまして、結局同意していなくても、明示的にAと言っていなくても、Aを言うことが意思に反していると言えないときもあるわけですね。だから、それを包含するので、私はこれでいいだろうと思いますし、そして、ほんとうに知りたくないと絶対的に拒絶しているものは、やはり知らせるのは、いかに理由があっても、僕はやっぱりちょっと問題じゃないかと思います。  
  玉井委員の案だと、知らせる場合について、意思に反しないと思って知らせる場合について、お医者さんの一存でできるかのようにこれは読まれますから、やはり審査委員会がもう一個あったほうがいいように僕は思いますけれども。  
(高久委員長) 
  それは倫理委員会を通すことになると思います。 
(町野委員) 
  ええ。ですから、2項につけ加える。あるいは残すんじゃなくて、つけ加える。 
(玉井委員) 
  解説ではなくてということですか。 
(町野委員) 
  本文中にです。だから、例えば提供者が明示的に知ることを望んでいるもの以外の遺伝情報を知らせる場合には、倫理委員会の審査を経るものとすると。 
(玉井委員) 
  わかりました。第2項を削除して解説で言及するというのが、私が今提案したものなんですけれども、第2項にそういうことをきちんと書いておいて、解説にも書くという。  
(町野委員) 
  そういうことでどうかなと思いますけれども。 
(玉井委員) 
  これはちょっと微妙なところですね。 
(小幡委員) 
  私は皆さんのおっしゃる趣旨はよく分かりますし、大体のところは賛成なのですが、絶対にどんな情報も知りたくないという人は、よく説明すればほとんどいないと思うんですね。例えば薬の過敏とかの有益な情報が出てきたら知りたいですかと言われたら、大体の方は知りたいと言いますし、そういう聞き方をするかどうかはともかくとして、完全拒絶というのはかなりまれだと思います。そういう方にはどうするか。もしそういうインフォームド・コンセントをした結果、完全拒絶であれば、やはり知らせることはできないと思いますが。いずれにしても、今の第十四の1ですね。意思に反して知らせることは許されないとうたって、それを正面から倫理委員会の審査を経れば簡単に覆せるような、この書き方がパブリックコメントで非常に問題にされているわけです。初めにインフォームド・コンセントのときに約束してもらったものに、正面から反することをそう簡単に認めてしまうのかという反発が非常に大きいんじゃないんでしょうか。  
(高久委員長) 
  私も原則は1だけで良いと思います。原則ですから。例外的なことはもちろん当然あり得るわけで、それは位田先生、解説でよろしいのではないでしょうか。多くの方がそういうご意見ですが。  
(町野委員) 
  位田先生は何と言われるか知りませんけれども、私はやっぱりちょっとあったほうがいいように思いますけれども。小幡さんが言われるのと私はあまり変わらないわけですから、今のような誤解を招かないような書き方であれば私はいいと思います。意思に反したものを教えることはできない、それは原則だと思って、それは絶対に、いかに審査委員会が知らせたほうがいいと言っても、そういうことはできないだろうと私は思いますけれども。  
(小幡委員) 
  そういう書き方ができれば。 
(位田委員) 
  それは私の能力の範囲内であるかどうかなんですが、それはそれとして、どういう項目が倫理委員会の審査を経るべきかというのは、原則に書いておいたほうが私はいいと思いますので、ここだけではなくて、この基本原則全体について、この場合には倫理委員会に回すのだということはそれぞれ書いてありますので、やはりこれももし玉井委員の案を採用するということであれば、倫理委員会に回すことになりますし、それはやはり書いておいたほうがいい。書き方は少し勉強させていただきたいと思います。  
(玉井委員) 
  その「知らせることの是非を含め、知らせる際の具体的な手続などは」という書き方ではなくて、もっと詳細に書いておいたほうがいいというご意見ですか、位田先生。  
(位田委員) 
  原則には詳細に書かないで、玉井委員のおっしゃったような趣旨のことをできるだけ3行ないし4行ぐらいで書いて、倫理委員会の審査を経るということは書き込む。具体的にもう少し詳しいことは玉井委員からいただいた解説を書けば、大体はそれでいいんじゃないか。つまり原則のところに書かないということのほうが、むしろ影響が大きいんじゃないかなと思いますが、全体の構成からして。  
(中村委員) 
  私も原則にちゃんと書いておいたほうがいいと思うんですけれども、ただ、この遺伝病という、遺伝病だけにこだわった文章はもう少し書き直してほしいと思います。  
  それから、この玉井委員の2ページ目の「しかし」から「否定できない」という、候補遺伝子にすぎなかったものというのは、研究の進め方からして、候補遺伝子だけにこだわった研究をしているわけじゃなくて、もっとゲノムワイドにやっているわけですから、今の研究の現状をとらえれば、この「しかし」からの3行というのは、ちょっと研究の実情と合っていないので、こういうことはことさら書く必要はなくて、「研究が進展して、明らかになった自己の遺伝情報を提供者に知らせることは」というふうな簡単な書き方でいいと思いますけれども。  
(位田委員) 
  この書き方については少し調整をさせていただきたいと思います。内容的にはこれで合意をいただいたことだと思いますので。 
(高久委員長) 
  もう一回この委員会が予定されていますので、そのときにまた御議論願う事にして、十五の2については、十四の2と大体基本的なことは同じでよろしいのではないでしょうか。位田委員に少し文章を考えていただけると思いますが。  
(小幡委員) 
  1点だけ確認してよろしいですか。インフォームド・コンセントの際に、知る権利と同じく知らないでいる権利について十分に説明されなければならないとありますね。具体的にインフォームド・コンセントのときに二者択一ですかね。あえてそうするほかないという考え方もありますが、例えば薬剤の適応などの有益な情報だったらどうするかぐらいにしておくとか、そういうことで意思に反してという状況はほとんどなくなるということがあり得るんじゃないか。  
  有益な情報だったら、もう一回意思を再確認してもらうという可能性もあります。もう少し細かくインフォームド・コンセントで説明した方が良いのではないか。  
(高久委員長) 
  それを説明で言おうとしているわけですね。 
(小幡委員) 
  単に知りたいか知りたくないかと言われても、確かに一般の方はわかりません。遺伝病の発症のことを考えて、ただ知りたくないと、こうおっしゃるかもしれないですよね。  
(高久委員長) 
  特殊な場合にはあり得ると思いますね。家族性アミロイドーシスだとか、ハンチントン病などの時にですね。この場合には確かにあり得ると思うのですが、それはかなり例外的な場合ですね。  
(位田委員) 
  具体的にどういうふうにインフォームド・コンセントを取るかとか、どういうふうな形で説明をし、どういうふうにあなたは知る権利があります、知らない権利がありますという説明をするか、もしくは同意を取るときに、これは知りたい、これは知りたくないという形をとるかというのは、ケース・バイ・ケースによって非常に違ってくると思いますので、それは文章にはまず書けない。  
  結局のところ、現場でインフォームド・コンセントを取るときに、この基本原則の解説に書いてあるようなことを理解していただいて説明をしていただいて、患者さんにそのことがわかっていないと困りますので、提供者に理解をしていただいて、提供者との話し合いの中で、じゃあ、この場合は有効な結果がわかれば知らせましょうねという方向にいくかもしれないし、話しているうちに、やっぱり私は何であれ知りたくないということになるかもしれないし、その辺はここに書くことでもないでしょうし、指針にもなかなか書きにくいんじゃないかと思いますので、それはちょっと議論をしても煮詰まらない問題じゃないかなと思います。  
  ただ、一律にあなたには知る権利と知らない権利がありますよ。だから、知りたいですか、知りたくないですか、こんなのは現実にはあり得ないと思いますので。  
(玉井委員) 
  小幡先生がおっしゃったのは、要するに提供者の意思に反して、あえて結果を知らせなければいけないようなそういう状況が生み出されてしまう前に、何とか阻止するというか、なるべくそういう状況が生まれないような努力を事前のインフォームド・コンセントの段階でしておくべきだというご趣旨ですよね。  
(小幡委員) 
  はい。そうしないと、倫理委員会の審査を経るとしても、意思に反して知らせるという可能性が出てくるわけですよね、やはり。そこがどうしてもひっかかるところとしてあるわけで、有益というのは確かに主観的な判断だからこれも難しいと思いますが、知らないでいる権利についても、きめ細かくインフォームド・コンセントをしたほうがいいのではないか。ですから、具体的には書き込みにくいと思いますが、あまり二者択一的に考えてるとまずいかなと。  
(位田委員) 
  現実に研究をされて、まず最初のインフォームド・コンセントというのは、研究が始まる前にサンプルを取るときにインフォームド・コンセントをいただきます。そのときに知る権利、知らない権利の説明はする。ただ、その研究の結果がわかるまでに少し時間的なスパンがありますので、研究がわかったときに、例えばもう一度結果について知りたいですか、知りたくないですかという確認をするという手続は、置いてもいいかなとは思いますが、それは多分指針の中でそれを書くことは可能じゃないでしょうか。知らせるか知らせないかということについての再確認というんですかね。それはインフォームド・コンセントとは離れるわけですね。  
  ここでは、一番最初の段階でインフォームド・コンセントを取りますということから始まっています。時間的にずうっと流れて、結果的にどういう判断が出ましたというのを言うのは、インフォームド・コンセントよりずっと遅い時期です。実際の流れからすると、確かに結果がわかったときにもう一度確認をするという手続は、入ってもいいのかなとは思います。  
(玉井委員) 
  その場合は、全員に対して改めてということですよね。 
(位田委員) 
  それはいろいろなオプションがあり得ると思うので、知りたいと言っているときに、知らせてはいけないということはないでしょうから、知りたいと言っている人は除いて、先ほど委員長がおっしゃったように、知りたくないと言っている人だけ集めて、実はこういう結果がわかりましたと。それでもやっぱり知らせないほうがいいですか、そうしたら知りたいですかという確認をするというやり方もありますし、もしくは全員集めてということはあり得るとは思います。ただ、全員を集めると非常に大変かなという気はしますね。現実には難しいだろうと。  
(玉井委員) 
  私が言いたいのは、さっき言ったように、ポジティブな人だけに意思確認すれば、それは結果を告知されていると同じことなので、そういう意味ではないですねということです。結果が出た段階で意思確認するという位田先生がおっしゃっている意味は。  
(位田委員) 
  だから、ポジティブというか、知りたいですという人にも、もう一度再確認をしても構わないんじゃないかという。 
(玉井委員) 
  ポジティブというのは、遺伝子を持っている人だけを呼び出して、大事な結果が出ましたけどというのは伝えているのと同じだから、それはそういう意味ではないですねということです。それだけちょっと確認したかったんです。  
(位田委員) 
  それはだめだと思います。ですから、知りたくないという人全部を集めるという趣旨です。 
(中村委員) 
  それはおかしいんじゃないですか。全員集めるわけですか。実際には個別に言われるわけだから、だれがポジティブかネガティブかというのはわからないんじゃないですか。みんなを集めて、知りたいか、知りたくないかというのは必要ないのでは。  
(位田委員) 
  集めてというのは、集会を開いてという趣旨ではなくて。 
(中村委員) 
  その場合には個別に呼んでも、この人は持っているか持っていないかというのはその個人にはわからないわけですから、別にポジティブの人だけ集めるだけでネガティブな人を集める必要は全くないんじゃないでしょうか。  
(位田委員) 
  その集めるというか、そういうグループに対してという。グループというのは言い方が悪いですかね。 
(高久委員長) 
  集団的に調査する場合は別ですけれども、普通は個人に主治医がすることが多いのではないですかね。ですから、だれが呼ばれたか、だれが呼ばれなかったかということはわからない。  
(中村委員) 
  全員呼ぶことのほうが問題がある。みんな同じ病気を持っているということを明らかにしているようなことだから、これは完全に個人のプライバシーに反するわけです。たまたま知り合いがいて、ある人もあの病気かということがわかってしまうわけだから、そういうことは絶対すべきじゃないと思います。  
(位田委員) 
  それは確かにそうですね。 
(高久委員長) 
  少し進ませていただきたいと思うのですが、十七については。 
(玉井委員) 
  十五はいいんですか。 
(高久委員長) 
  十五は十四の2と大体同じことで良いと思いますが。 
(玉井委員) 
  あまり同じだと思っていないんですが。 
(位田委員) 
  十四の2は、私の判断では血縁者には伝えてもいい。 
(高久委員長) 
  十五ですね。 
(位田委員) 
  十五です、ごめんなさい。十五の2は血縁者には伝えてもいいという方向でいけるんじゃないかと思ったんですが、それも知らせないということであれば。 
(高久委員長) 
  基本的には十四の2と同じことになる。ですから、十四の2がどう変わるかによって、十五の2も変わるかと思うのですが。 
(位田委員) 
  つまり十四の2は、本人が知りたくないと言っていて、関係するのは本人だけなんですが、十五の2のほうは、本人は知らせたくないと言っていて、関係しているのは血縁者なので。  
(高久委員長) 
  本人が知らせたくないと言うのなら、原則はやっぱり知らせるべきではないと思います。ですから、本人の場合と血縁者の場合と基本的には変わらないのではないですか。本人が自分の遺伝情報を親戚の人や、家族に知らせてくれるなというのに、それを知らせて良いのですか。それはいけないんでしょう。  
(位田委員) 
  私はそれは構わないと思うんです。 
(玉井委員) 
  原則としてはいけないとは思います。原則としては高久先生がおっしゃるように、知らせてはいけないですよね。 
(中村委員) 
  参考資料についていますけれども、日本人類遺伝学会やアメリカの人類遺伝学会も、知らせるんじゃなくて、こういう可能性があるけれども、検査しますかどうかということは伝えるべきであると。伝えるべきというか、そういうことは倫理的には許されるというふうな案が、日米の人類遺伝学会から既に出ているわけです。  
  だから、家族の遺伝情報というのはわからないですから、少なくともそういうリスクがありますよということで、それで本人が検査を受けたいかというのは本人の意思ですけれども、少なくとも何かリスクを持っている場合には、倫理委員会の決定によって伝えて、本人のベネフィットになるようなことは考えていいと。  
(玉井委員) 
  全部は伝えないけれども、例外を認めるということで、それは合意しているわけですよね。 
(位田委員) 
  解説の二十四の下線の部分を見ていただきたいんですけれども、血縁者に伝えるかどうかというのは、倫理審査委員会の審査にゆだねるというのはその前に書いてありまして、ただし、血縁者に伝えられるのは、関連する疾病に関する判断だけである。遺伝情報そのものを伝えるわけではもちろんないわけで、こういうリスクがありますという伝え方をして、実際にどうかというのは、血縁者がもう一回調べてもらわないとわからないと思いますので、血縁者にはそういう判断を伝える。  
  もちろん提供者の知らせたくない権利と血縁者の健康を維持するという権利は衝突しますけれども、やっぱり血縁者の健康の権利というほうが優先するのではないかというふうに思います。  
(高久委員長) 
  それは一応倫理委員会にかけるということですね。そういう意味では十四の2と同じで、倫理委員会の判断でするということになるのではないでしょうか。 
(玉井委員) 
  ここは十四が結局第2項を残すのか残さないのかというのは、結論はよくわからなかったんですけれども、十五に関しても、例外規定として2項を残して解説に書くという選択肢と、第2項を削除して、例外的にしか起こり得ないだろうからということと、診断の領域に踏み込むことであるからという第十四と同じような理由で、第2項を削除して、ただし解説にだけ書くかどうかという選択肢はあるような気がするんですけれども。  
(高久委員長) 
  十四のときには、一応2項を残して、その文章を直してというご意見が多かったような気がしたのですが。そうすると、第十五も2を残すということになると思いますが。  
(位田委員) 
  十四の2と十五の2はかなり類型が違うと私は思っているんですけれども、というのは、十四の2に関しては、多分ほかのどの文章を見ても知らせてもいいとは書いていない。そこはそうなんですね。十五の2は、先ほど中村委員がおっしゃったように、幾つかの文書で知らせるということについては倫理的に問題にはならない、ならないという言い方じゃないと思いますけれども、倫理的な問題は生じないということが書いてありますから、こちらのほうはまさに原則に書けるし、書くべきだと私は思っています。  
(高久委員長) 
  よろしいでしょうか。 
(小幡委員) 
  済みません、確認ですが、この十五の場合は、提供者本人が知りたくないから知らないと言っている場合も含むんですね。 
(高久委員長) 
  全部含みます。 
(小幡委員) 
  そして、提供者は自分は知っていて家族には知らせないと言っているのと両方。 
(高久委員長) 
  両方あると思うんです。 
  それじゃ、十六については、位田委員、何かありますか。 
(位田委員) 
  十六については特にありません。 
(高久委員長) 
  十七は、これも知的所有権に関する手続等は、現行の法制度に従うということで良いのですね。 
(位田委員) 
  十七については、この書き方で多分、ここの部分はいいと思うんですが、あと知的所有権はむしろ二十一のほうにかかわってきますので、そちらで議論していただければと思います。  
(高久委員長) 
  十八はいいですね。十九は何か。 
(位田委員) 
  十九は遺伝カウンセリングの話なので、玉井委員にご意見があろうかと思います。 
(高久委員長) 
  どうぞ、玉井委員。 
(玉井委員) 
  済みません、ついていけなくなってしまっているんですけれども。私が気になったのは、遺伝カウンセリングというのは、本来は診療行為というか、診断的意義があるというか、臨床的に意味があるという、そういう遺伝病というときに、生活習慣病で全く問題にならないということではもちろんないですけれども、本来は研究のために遺伝カウンセリングがあるというようなものではなくて、医療サービスの枠の中で提供されるものだというふうに思っていますので、その辺の解説をできればここに入れていただきたいというふうに、たしかお送りしたような気がします。  
  ここで研究機関は遺伝カウンセリングの支援体制を用意しておく必要があります。研究機関内で用意できないときは、他の機関を提供するというふうに後半に書いてあるので、いいのかもしれませんけれども、研究するからには必ず遺伝カウンセリングをやれというふうに言うのは、これはちょっと遺伝カウンセリングの本来の趣旨からはずれます。研究のために遺伝カウンセリングをやるわけではないですから、ここはちょっと誤解を招く。遺伝カウンセリングの本来の趣旨ではないのではないかなというふうに思いましたので、遺伝カウンセリングというものがどういうものなのかということを、用語の解説の中にあるとしても、ここにちょっとその辺の解説を入れていただけるといいかなというふうに思いました。もちろん体制整備が必要であるということはそのとおりだと思います。  
(位田委員) 
  その点はどういうふうに書けばいいかというのは私は非常に難しくて、最後の文章で「遺伝カウンセリングが医療制度の中で明確で十分な位置づけを与えられるべきである」という一文で済ませてしまったというのは少し失礼ですが、そういう形になるかなと思って書いたんですが。  
(玉井委員) 
  それはもちろんそうなんですけれども、何かこれだと研究のために遺伝カウンセリングがあるように読めてしまいます。じゃあ、遺伝カウンセリングの支援体制を用意できないところは研究をやれないのか、あるいは研究機関としてふさわしくないのかという話にならないだろうかというふうに思いまして、遺伝カウンセリングが必要になる場合と、必ずしもそういうものが必要ない場合と、めりはりをつけていただきたい。  
  もちろん遺伝カウンセリングということをここまで取り上げていただけるのはありがたいんですけれども、何でもかんでも遺伝カウンセリングと言われると、遺伝カウンセリングというのは、研究のインフォームド・コンセントを取るときの説明がイコール遺伝カウンセリングではないわけで、それはあくまでも説明は説明でありますから、そういうものと混同されないような解説を、ぜひここに入れていただけるといいのかなというふうに思いました。  
(中村委員) 
  これは、原則に研究結果を知り、もしくは伝えられるに当たって遺伝カウンセリングが必要だと明示してあるわけですから、研究のために遺伝カウンセリングという書き方じゃなくて、患者に伝える段階では診療行為に近くなっているわけです。だから、当然「研究結果を知り、もしくは伝えるに当たって」という枕詞がついているわけですから、それは研究のためにじゃなくて、やっぱり患者さんのために遺伝カウンセリングを用意するという意味ですから、あまり言葉にこだわる必要もなくて、この文面どおり受け取れば、やっぱり患者さんに伝える段階ではもう医療行為になっているわけですから、その段階で、当然伝えられる側にとっては遺伝カウンセリングを用意すべきであるというのは当然のことであって、この原則にはどこにも研究するために遺伝カウンセリングを用意しろというような文面にはなっていないと思うんですけれども。  
(玉井委員) 
  そうなんですけれども、当該研究機関は遺伝カウンセリング等の支援体制を用意しておく必要がありと書いてあるので、そういう体制を用意できないところは研究をやるところとしてふさわしくないというふうに思われると、それはちょっと違うのではないかなと。もちろん患者さんを対象にする場合には、当然それは結果を伝えるところから既にカウンセリングは始まっているわけですから、そういうのは当たり前だとは思いますけれども。  
(位田委員) 
  解説の文章で、当該研究機関は遺伝カウンセリング等の支援制度を用意しておく必要があり、研究機関内で支援制度を用意していないときには、他の機関の提供するカウンセリング等の便宜を利用することなどによって対応することが望ましいというのでは不十分だという趣旨でしょうか。つまり、ある研究機関が持っていければ、ほかのところを紹介するという形なんですが。  
(高久委員長) 
  私はこれでよろしいと思いますね。この場合もはっきりと遺伝病またはその可能性となると、当然医療になるわけですから、研究機関といっても、医療機関がついているところとついていないところがある。ついていないところは他の機関の提供するカウンセリング等の便宜を利用するということで、これで一応良いと思ったのですが。  
(位田委員) 
  それから、必ずしも常に遺伝カウンセリングかというと、私はそこのところはよくわからなかったので、適切な社会的心理的支援という形で、他の遺伝カウンセリング以外の方法もあり得るということで書いたつもりなんですが。何かあれば必ず遺伝カウンセリングに行けということは言っていませんし、遺伝カウンセリングを受けなければいけないということも言っていませんし、受けることができると書いてあるので、求められればそういう用意はありますよというのでいいのではないでしょうか。ちょっと私は現場がわからないので、想像だけで話をしていますが。  
(玉井委員) 
  遺伝カウンセリングは別に求められなくても必要な人には必要だと思うんですね。 
(高久委員長) 
  それはもちろん当然だと思います。 
(玉井委員) 
  だから、求められて初めて提供してあげますよというものでは決してなくて、研究結果を伝える行為そのものが、もしそれが遺伝病の遺伝子であれば、研究結果を伝えるということそのものがそこでカウンセリングが始まっているわけです。求めに応じて提供するというときもあるかもしれませんけれども。  
(高久委員長) 
  「求めに応じて」ではなくて、「必要に応じて」ではないですか。 
(中村委員) 
  ちょっと特殊な病気だけをシチュエーションして言ってもだめで、例えば薬剤に対する副作用の場合に、ほんとうに伝える時点で遺伝カウンセリングが要るのかどうかというと、要らないわけです。  
(高久委員長) 
  「遺伝病またはその可能性について」と書いていますから。 
(中村委員) 
  それは解説でですね。 
(高久委員長) 
  解説です。「求め」ではなくて、「必要」に応じてというふうにすれば、よろしいのではないですか。 
  それでは、次のほうに進ませていただいて、この27ページの下に、研究の結果得られたヒトゲノム塩基配列は公開されなければならない。こんな詳しい説明は要りますかね、解説。当たり前のことなんですが。  
(中村委員) 
  パブリックコメントにあったのでね。先ほどのフリーでアクセスブルというのと、自由に使うというのはちょっと違うと思うんですね。情報を見るということと、情報を勝手に使っていいということとは違うので、やっぱりそれは。  
(高久委員長) 
  書いたほうがいいですね。 
(中村委員) 
  僕は入れなくていいと思うんです。 
(位田委員) 
  というのは、クリントン・ブレア声明ではパブリックドメインに入るということになっていますので、無償で使うということなんですね、パブリックドメインに入るという趣旨は。だから、それでもって自由に利用できるという言葉を私は入れていたんですけれども、中村委員のご意見があったので、そこのところは削っているんですが。  
(高久委員長) 
  じゃあ、これでよろしいですか。この長い説明で。中村先生、いいですね。 
(中村委員) 
  ここは入っていないので、私はこれでいいです。 
(位田委員) 
  私のほうが実は不安なので。 
(高久委員長) 
  僕にはよくわからない。 
(玉井委員) 
  全体のバランスから言うと、ここだけちょっと細か過ぎるということはないですか。 
(位田委員) 
  じゃあ短くいたします。 
(高久委員長) 
  国際的にはこの問題はかなり重要だと思いますが、二十三の倫理委員会のところで、その透明性とか云々ということが問題になりましたから、この解説でいいですね。  
(位田委員) 
  「前は外部の者を含めて」という記載がなかったので、29ページの第2段落ですが、第三者的でなければならず、特に一定数の外部の者を含めて、必ずも半数以上は書いていないんですが。  
(高久委員長) 
  ミレニアムゲノム研究のガイドラインでは半数以上となっています。それが全部の施設で可能かどうかというのには問題が少しありますから、「外部の者を含めて」という、この表現で良いのではないかと思います。  
(中村委員) 
  ちょっと1つ質問があるんですが、説明の一番最後に、「公開による倫理委員会の構成員に不当な圧力がかからないように配慮する必要がある」というのは、具体的にどういうイメージですか。  
(位田委員) 
  地方で倫理委員会になって、名前等が明らかになると、いろいろ無言電話とは言いませんけれども、圧力がかかる。実際に倫理委員会というか、例えば遺伝子を調べるということに対して非常に大きな抵抗がある地域が日本中に幾つかありまして、そういうところでゲノム研究をするということ自体がまず難しいんですね。それをやるときに、もしそういうことをやると言った途端に、いろいろなクレームが、表に出るもの出ないものを含めてありますので、その辺は気をつけておいたほうがいいのではないかという意味で書きました。  
(中村委員) 
  私も遺伝子診断については嫌がらせを受けたことがあるからわかるんですけれども、でも、具体的に不当な圧力がかからないように配慮するというのは、そうしようと思えば、倫理委員の名前を出さないということですか。  
(位田委員) 
  そういうことはあり得ると思います。 
(中村委員) 
  そうすると、公開性を保てないというところは。 
(高久委員長) 
  透明性を保てないというのは、また難しいですね。 
(位田委員) 
  その辺は何をもって透明性が確保されたかというのは非常に難しいんですが、その辺は実際の状況を判断せざるを得ないのではないか。例えば名前が全然わからなくても、例えば法律とか、内科の先生とかが入っているという、そこの専門がわかれば、必ずしも完全じゃないと思いますけれども、そういう形ででも進める必要があるのではないかというふうに思っています。  
(高久委員長) 
  「配慮する必要がある」という表現で良いのではないですかね。どうですか。 
(寺田委員) 
  私も、「公開」という言葉自身が問題だと思うんですけれども、これは「名前の公開により」と「名前」を入れまして、そのままでいいんじゃないかと思います。名前の公開により、不当な圧力がかからないように配慮する必要があるとしても、委員の名前を公開しないと透明性の確保はできないと思うんです。  
(位田委員) 
  だから、そこが問題なんです。 
(寺田委員) 
  名前の公開をできないような倫理委員のところでは、その地域ではやらないほうがいいと思います。 
(高久委員長) 
  私もそう思いますね。 
(位田委員) 
  それで合意いただければ、私は構いませんが、ただ、よくわかりませんけれども、それでいいんでしょうか。 
(中村委員) 
  でも、実際に名前がわからないと、密室の倫理委員会と同じようになってしまう。どういうふうな知識人を集めてやったのかわからないですから。 
(高久委員長) 
  そうすると、先ほど小幡委員がおっしゃったように、倫理委員会が信頼を受けるためには、公開をしなきゃならないですから。 
(位田委員) 
  いろいろなケースが考えられると思うんですけれども、例えば東京大学教授とか、京都大学教授というのではだめでしょうか。私は必ず名前だけ隠せと言ってつもりじゃなくて、そういういろいろな可能性を少し考えてみているんですが。  
(寺田委員) 
  多分、名前とかそういうこと、要するに倫理委員会の一番透明性とかというところは、どういう個人がそこに入っているのかと明らかにして、その人の顔が浮かび上がるようなことじゃないといけないと思います。だから、それでできないようであれば、そこではやめるより仕方ないと思います。  
(位田委員) 
  実は私も全く寺田先生の意見に賛成なんですが、多分現実にいろいろな大学で、現在、倫理委員会の委員が必ずしも明らかになっていないところとか、議事録ないし結果が必ずしもはっきりしていないというところというのはどうもあるようでして。  
(寺田委員) 
  でも、結局そういうことが不信感につながっていくわけです。少なくとも名前の公開というのは原則でそれが委員を引き受けていただくという案件でないと、やっぱり世間は通らないと思うんです。  
(小幡委員) 
  ですから、その段落の初めに「また委員会の組織については、公開を原則とし」とこうあるわけですね。そこで原則は公開、どういう委員さんかということは、委員会の組織のところの中に大体は入ると思うのですが。要するにすべて必ず公開しなければいけないというと、場合によって困ることがあるということを位田先生はご心配になっているんですね。そこまで書かないで、それは「原則」のところでもう読んでしまって、もうそれでよしとするか。  
(位田委員) 
  公開を原則としてというところで。 
(小幡委員) 
  原則と書いてありますので、それは非常に例外的な状況下においてまで要求されないということですから。 
(高久委員長) 
  最後のところは消して、「公開を原則として」で良いのではないですかね。 
(位田委員) 
  先ほどおっしゃったように、公開できないようなところではやるなとおっしゃるんですけれども、それはそれではっきりしていますので、結構です。 
(高久委員長) 
  公開を原則としてで良いのではないでしょうか。余計なことを書くと、誤解を与えることがありますから。31ページですが、附則で「ヒトゲノム研究は急速な発展を遂げていること、および社会のヒトゲノム研究や遺伝学、遺伝病等に関する理解」というくだり、もう少し何か適切な表現のほうが良い。例えば「ヒトゲノム研究に関する理解の進展が期待される」で良いのではないですか。  
(位田委員) 
  研究に対する理解はもちろん必要なんですけれども、やっぱり先ほど出てきたように、診断につながる、病気につながるというところまで、それについても理解しておいていただかないといけないんではないかなということなんですが。  
(高久委員長) 
  それでは、「ヒトゲノム研究やその臨床的意義に関する理解の進展が」と言えば良いと思います。それから、「特段の状況の変化がなくても、3ないし5年ごとに再検討の機会を設けるべきである」。再検討するのは当然だと思いますが、ただ、これは一応憲法みたいなものですから、そんなに頻繁に憲法が変わって良いのか。  
(位田委員) 
  再検討というのは変えるという意味ではなく、ちょっと見直してみる。もしどこかでうまくいかないところがあれば、そこは変えますし、変える必要がなければこのままいくということだと思うんですね。それは状況が変わっても同じことだと思います。  
(高久委員長) 
  ですから、「特段の状況の変化がなくとも」と書かなくても、「必要に応じて3ないし5年ごとに」とするか、「必要に応じて再検討の機会が設けられるべき」で、年を書くかですね。再検討は当然必要だと思いますが、翌年でも変える必要があることがあるかもしれない。ですから「必要に応じて再検討」、あるいは「状況に応じて随時再検討する必要がある」。  
(位田委員) 
  附則の本文は、ヒトゲノム研究の実際の進展、社会の理解と動向、適切な時期という形で書いてありますので。 
(高久委員長) 
  これで十分ではないかな。 
(位田委員) 
  それでよければ、この3ないし5年というのは豊島先生が提案されたので書いたんですが、要らなければそれで。 
(高久委員長) 
  これでいいんじゃないですかね。「適切な時期に」というので良いのではないかと思います。 
(小幡委員) 
  往々にしてこういうものは状況の変化に応じないものになってしまう。要するに適切な時期になかなか見直しができないというのが言われることで、だから3年から5年というのが、少なくともそこら辺ではやったほうがいいということですよね。ですから、解説の中ならばよろしいかな思います。  
(高久委員長) 
  わかりました。3年ないし5年ではなくて、3・5年としますか。   
(位田委員) 
  3年ないし5年というのは、3年目、4年目、5年目という意味ですから、3年か5年かという意味じゃなくて。 
(玉井委員) 
  3年ないし5年ごとにということですか。それとも少なくともというか、この書き方で言うと、ずっと検討し続けるという感じですか。 
(位田委員) 
  ごとです。だから、何もなくても、例えば5年ごとでもいいですし、4年ごとでもいいし、3年ごとでもいいんですけれども、1回3年後にやって、あと5年後でも構わないんですけれども、あまり長い間放っておいてはいけない。短くて3年、長くて5年のスパンでやったらどうかということです。  
(高久委員長) 
  わかりました。じゃあ、3ないし5年ではなくて、3−5年にいたしますか。同じことですね。(笑)3ないし5年ごとに1回にしましょう。せっかくの豊島先生のご提案ですから。  
(位田委員) 
  多分実際の作業からすると、3年というのは非常にきついんですね。準備をして、それから始めるというのは、今からすぐ3年後というのはやらないといけませんから、実際にやるときは4年目から5年目で、少し余裕を見ておいたほうがいいかと思っています。  
(高久委員長) 
  ですから、3ないし5年ごとと。 
  あとまだ少し時間がありますが、今日またいろいろご意見をお伺いしましたので、位田委員には非常にご苦労さまですが、今日のご意見を参考にして、次回に又お願いしたいと思います。特に十四の2については、次回にご議論が出てくると思いますが、重要なことですので、ぜひまたよろしくお願いします。  
(寺田委員) 
  先生は「遺伝病」が気になるとおっしゃった。私も日本語で遺伝子と遺伝病ということで、遺伝子という言葉のせいか暗いイメージを持つ傾向があります。疾病または健康に関する遺伝的要因とか何か、あるいはもっと言うと、遺伝的素因ということになりますが如何でしょう。しかし遺伝的素因というと途端に遺伝病を連想してとか、またそういう感じが出てきます。それでもいいのかもわからないけれども、ジェネティック・プレディスポジションの訳でしょう。  
(高久委員長) 
  そうですね。要するに疾病の遺伝的要因ですね。 
(寺田委員) 
  そうすると、薬のほうが入らないのかなと思って考えてみたのです。疾病、薬剤応答性、それでもいいです。そこをぜひ変えられたほうがいいと思います。 
(位田委員) 
  最後はどうなったんですか。 
(中村委員) 
  疾病に関する遺伝的要因。 
(高久委員長) 
  疾病の遺伝的要因。 
(寺田委員) 
  薬剤応答性。 
(高久委員長) 
  並びにですか。並びに薬剤応答性。 
(寺田委員) 
  並びに薬剤応答性の要因というのか、素因というのか、遺伝的素因。 
(位田委員) 
  応答性に関する遺伝的要因、素因。 
(高久委員長) 
  長くなりますね。 
(中村委員) 
  長くなっても、遺伝病というのはすごく。 
(寺田委員) 
  矮小化されちゃうんですね。 
(高久委員長) 
  疾病の遺伝的要因にして、薬剤応答性は一々書かなくても、必要に応じて。 
(位田委員) 
  あまり薬剤、薬剤というのが出てしまうと、何となく違和感があるんですが。 
(高久委員長) 
  ですから、解説のところで必要に応じて入れる。遺伝病よりも疾病の遺伝的要因のほうが、抵抗が少ないと思います。 
(寺田委員) 
  もう一個いいですか。これは次のときにあると思うんですけれども、ぜひ考えていただきたいのは、32ページの、次のときで申しわけないんですけれども、ゲノム解析研究のディフィニションのところに、たん白質のアミノ酸配列を入れていることです。これは次のときで結構ですけれども、これを入れちゃうと、大学とかいろいろなところでやっているのはすべてここに引っかかっちゃって、大変なことになるというのが私の考えです。将来的につながると思いますけれども、まだこの時点で入れる必要ないと思います。  
(位田委員) 
  私はとても判断できない内容で、これは中村委員が前回おっしゃったんです。 
(中村委員) 
  インフォームド・コンセントのときに、今あるサンプルをプロテオミクスに使うときに、もう一度インフォームド・コンセントを取り直さなければならなくなっちゃう。今から集めようというサンプルのときに、ディーネだけに限定するものと、次にプロテオミクスに使えない可能性がある。  
(寺田委員) 
  例えば臨床研究で、血液、アミノ酸をたんぱくを調べますね。それはゲノム研究になるのですか。 
(中村委員) 
  たんぱくの配列ですか。 
(寺田委員) 
  配列まで入れて。 
(中村委員) 
  配列は関係ない。 
(寺田委員) 
  いいんですか。例えばたんぱくの量もいいわけですね。 
(中村委員) 
  いいんじゃないんですか。個人が特定できない結果はいいんですよ。 
(寺田委員) 
  いいんですか。 
(位田委員) 
  いずれにしても、もう一度これ全体を見直そうと思っていますし、わかりにくい表現があれば、できるだけわかりやすくしたいと思います。そういう意味で、またいろいろなご意見をいただいておけば、それをできるだけ組み込みたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。  
(玉井委員) 
  ここにパブリックコメントとして寄せられた意見というのは、資料として配られたこの対応案の中にすべて入っているわけではないということで、位田先生はご説明になったと思うんですけれども、今回は全部入っているということですか。済みません。前半に出ていないものですから。もう既に全部入ったんでしょうか。入っていないのもあるような気がするんですけれども。  
(位田委員) 
  パブリックコメントは全部で95通来まして、それぞれ長いのから短いのいろいろあるんですけれども、それから、取り入れるべきものとどちらでもいいものと、それなりの判断をして、対応案に書いているのは、重要なものを、だから主な意見ということですが、ここに書かれていないものも私は一応全部読んで、できるだけ中に組み入れられるものは組み入れられるようにしているんです。  
  ただ、その辺はその判断のところで、これはやっぱり議論するべきか、もしくは対応案に出すべきかという判断はいろいろあり得るかと思うんですが、だから、全部入っているかと言われると、もちろん組み込んでいないものもたくさんあります。組み込んでいないほうがずっと多いですけれども、ただ、全部が全部拾うべきものでもないですし、最終的にここの委員会で判断をしていただければ、パブリックオピニオン一つ一つを全部組み込むというのは、これは逆に不合理だと思いますので、1人の意見かもしれないわけですから。むしろこの委員会で最終的にそれぞれのパブリックオピニオンの内容を勘案して決めれば、それでいいんだと思っております。  
(玉井委員) 
  パブリックコメントを全部取り入れるということではありません。賛成の人、反対の人両方いますから、両方同時には取り入れられないというのは当たり前なんですけれども、少なくとも対応案と書かれたこの資料の中には載っていなくて、こちらの全95件という資料のほうにしか載っていないのもあるということですよね。その中で、重要なものは取り上げたけれども、重要でないと思われるものは取り上げなかったということなんだと思うんですけれども、それはもう一回全部見直したほうがいいということですか。  
(高久委員長) 
  位田委員にお任せして申しわけなかったのですが、僕も全部は目を通していませんが、この委員会の判断で、取り上げるべきものと、取り上げる必要がないものがある。全部を入れることは不可能だと思います。  
(玉井委員) 
  ただ、非常に厳しいコメントの部類に入ると思うんですけれども、かなり具体的に、例えば委員も全部入れかえてこの委員会をつくり直すべきだとか、このパブリックコメントを図書館に小冊子として配付すべきだとか、かなり具体的に大変厳しいご意見をくださった方もいますね。  
(高久委員長) 
  極端な御意見だと思います。ですから、この小委員会の判断で、取り上げるものと取り上げないものが出てくるのは仕方がないと思います。 
(玉井委員) 
  最終的に取り入れるか取り入れないかということは別に、一応そういう意見もあったけれども、それは今回は取り入れなかったという、そういう対応をしたということで了解いただかないといけないと思います。単に無視したわけではないというか、全部読んだのだということで。  
(事務局) 
  次回の委員会にお出ししようと考えているんですけれども、今回、資料5−2ですべての意見が書いてございますが、それぞれの意見に対する対応案を記載したものをお出しするということで考えております。  
(高久委員長) 
  いろいろなご意見があるのは当然ですが、非常に極端な意見を全部取り上げますと、報告が出来なくなると私は考えています。 
(寺田委員) 
  私も結構このパブリックコメント、せっかく皆さん出してくださったので、読ませていただきました。その中で、位田委員が中心になってつくってくださったんでしょうけれども、ほんとうに妥当な範囲内で対応してくださっていると私は思っています。ですから、無視したとかそんなことじゃなくて、全部私としては読んだつもりですし、委員会としては適切に対応したと考えています。  
(玉井委員) 
  それが了解できれば、もちろん構わないんですけれども、コメントを出してくださった側からすると、この資料の中にすら載っていなかったということになるかなと。  
(高久委員長) 
  一部は仕方がないですね。 
(玉井委員) 
  ただ、それは委員が目を通していないというわけではないということを確認できれば。 
(高久委員長) 
  そう思います。 
(ライフサイエンス課長) 
  ちょっとよろしいでしょうか。今までに対する対応は、要するにこれまでこの議論を通じて議事録に残っているわけです。それから、それに対する対応は、今までの議論を踏まえて、この項目別集計表の中で、すべてそれに対する、基本的に今までの議論を踏まえてこういう対応をしましたというところを全部次回に出しますが、それは基本的には全部次回に議論するということはなくて、基本的に今までの議論を踏まえてここに書かせていただくということですので。  
  それで、もう一回次回までに、これまでかなり議論をしてきていただいていますので、もし読んで、こういったことが抜けているんじゃないかといったことがあれば、早めにお知らせしていただいて、場合によってはその対応案を考えていただいて、次回までに直していただく。ですから、何か抜けているというところがあれば、そういうふうにしたいと思いますので、これに対応案がつきますが、これは基本的に今までの議論を踏まえて書くということです。それに対する基本的な対応案は、全体の2回まででしたっけ。そのときに基本的な考え方を一応まとめた形ではありますが、主要な意見に対する対応は全部一応議論をしたと思っていますので、もしスクリーニングの段階で何か抜けている重要なものがあるんじゃないかという意見がもしあれば、ぜひとも早めにいただければと思います。  
(高久委員長) 
  時間が来ましたので、これで終わらせていただきます。次回は6月7日でしたっけ。位田先生、大丈夫ですか。よろしくお願いします。 

−−−了−−−