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第9回科学技術会議生命倫理委員会クローン小委員会議事録


1.日時平成11年5月12日(水)10:00〜12:00

2.場所科学技術庁第7会議室(通商産業省別館9階)

3.出席者

(委員)岡田委員長青木委員、勝木委員、菅野(覚)委員、菅野(晴)委員、

高久委員、武田委員、豊島委員、永井委員、木勝(ぬで)島委員、町野委員、

横内委員、村上委員、森島委員

(事務局)科学技術庁研究開発局長、中澤審議官、藤木ライフサイエンス課長他

4.議題

(1)クローン技術の規制のあり方について

(2)その他

5.配付資料

資料9−1人クローンの産生等を禁止する法律についての報告書

資料9−2人クローンの産生等を禁止する法律についての報告書(概要)

資料9−3大学等におけるヒトのクローン個体の作製についての研究に関する指針

資料9−4人クローン等に関する規制の対象について

資料9−5第8回クローン小委員会議事録

6.議事

(岡田委員長)

皆さん、おはようございます。皆さんおそろいなので、少し2分ほど早いですが、会を進めさせていただきます。

まず最初に、事務局から配付資料の確認をお願いいたします。

(事務局)

本日、若干資料が多くなってございますけれども、資料番号が打ってございます配付資料が、議事次第を除きまして、6点ございます。資料9−1から資料9−6、それぞれ番号順にそろっているかと思います。

それから、そのほかに、資料番号が打ってございませんが、本日出されます町野委員からの報告に関しまして、事前に意見をいただいておりまして、木勝(ぬで)島先生からの意見、それから加藤先生からの意見、それから高久先生からのご意見、それから菅野先生からのご意見、それから関連の資料といたしまして、青木先生からの生命科学研究所の生命倫理に関する特集に関します紀要が配られております。そのほかに、前回、木勝(ぬで)島先生から提出いただいております争点別の法律とガイドラインの比較メモという1枚紙を再度配付させていただいております。

以上、かなりたくさんの資料になっておるかと思いますが、もしございませんでしたら早速、配らせていただきたいと思います。以上です。

(岡田委員長)

皆さんおそろいでしょうか。よろしゅうございますか。

それでは、議事に入らせていただきます。

前回の小委員会におきまして、町野委員に、仮に法律をつくるとすればどのようなイメージのものになるかということで、その場合の規制の理由はどのようなものになるかということも含めて、ご検討を依頼いたしました。今回、町野委員から、資料9−1でありますが、大変大きな報告書を提出していただきました。これは随分時間を割いてやっていただけたようで、本当にありがとうございました。

まず、町野委員に9−1についてご説明をいただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

(町野委員)

どうもありがとうございます。時間がかかりまして、まことに申しわけありません。

最初は割合、簡単に考えておりまして、この中にあります要綱、つまり法律をつくるなら、こういう法律になるだろうと、これだけをつくればいいのかなと考えていたのですが、やはりそうは簡単にいかないだろうと。また同じ議論というのはどこでも何回も出てきますから、整理する必要もあるだろうということで、何人かの方に協力をお願いいたしまして、それで議論を重ねて、こういうかたちのものになりました。

しかし、この内容については、あくまでも私個人が委員長に報告するという格好ですので、全部の責任は私にあり、討論の協力者として加わられた方や、あるいは事務局を務められた方には責任は全くありません。

全部について説明するというのはなかなか大変ですし、時間もありませんので、ポイントだけをちょっとお話しして、大体20分ぐらいで終わらせるということで、よろしゅうございましょうか。

まず一番最初に、この報告書の立場は、法律による規制が当然の前提であるというつもりではないと。先ほど委員長も言われましたとおり、もし法律によってやるならどうなのかということを検討するものだということです。

しかし、法律による規制というものが原理的に絶対できないんだという立場でないことも確かです。だから、法律による規制もあり得るけれども、それが妥当かどうかということはまた先の問題だということです。

それから、法律による規制ということを考えるにあたっては、もう1つの選択肢であるガイドラインによる規制にも共通の問題があるだろうと。というのは、ガイドラインも法律もどちらも公的な規制でございますから、やはり根拠がなければいけない。法律による規制、特に刑法による規制については非常に厳しい議論をしなきゃいけないけれども、ガイドラインのときはそうでなくてもいいという議論は成り立たないだろう。それがスタートでございます。

そういたしますと、おそらく程度の差はあるだろうけれども、その公的な規制、特に法律による規制を含んだ公的な規制について、どのような根拠があるときに規制を行い得るかという議論はやはりしておかなければいけないだろうということで、長くなってしまったということがあります。

基本的な考え方は、「反倫理的である」という一言をもって規制の根拠とし得るものではないということはやっぱり確認をせざるを得ないだろうということです。これは法律ばかりじゃなくて、繰り返しになりますが、ガイドラインについても同じ問題だろうと思います。倫理というのはあくまでも個人の問題ですから、国あるいは公的な立場でそれを強制するということは、およそ論理的には、認められないということです。

そうすると、「反倫理性」では足りないということになりますと、「反社会性」ということになるだろう。つまり、日本とか日本社会というものの利害に関係するから規制し得るということに持っていかなければいけないだろうということになります。単純な道徳の強制ということだけではだめだ、「反倫理性」では足りず「反社会性」が必要だというのは、繰り返しになりますが、ガイドラインによる規制という道をとったとしても、同じ議論は妥当し得るということです。

そして、問題は、その反社会性の概念なのですが、反社会性というのは、法律の言葉で言いますと、おおむね「社会の中の利益を侵害する行為である」と考えられます。社会の中の利益というのは、法益というぐあいに刑法の人は言ったりいたしますけれども、まあ、とにかく今のような利益を侵害するということです。その中には、従来の考え方ですと、おおむね、特にこれは刑法の中の議論なんですが、生命とか身体、財産、名誉等々の、いわば個人の利益を中心にしたものを考えるのが通常であると。そのため、財産犯を処罰し、殺人罪を処罰するということが行われてきた。

ところが、それが、徐々にある範囲で広がってきているというところがある。昔からも、制度の問題として、例えば一夫一婦制を保護するとか、あるいは性的な秩序を保護するとかいうことでいわば超個人的法益と言われるものの、保護は認められてきたわけですが、現在では保護の対象となる利益が拡散する傾向にあると。その中の大きなものというのは、やはり環境倫理の問題と、それから環境保護の問題、それから生命倫理と医事法の問題ということになってきているというわけです。

そして、1つの非常にラディカルな立場では、このような拡散したところまで利益を認めるのは妥当でないという考え方もあり得る。一部の刑法学者の中にもそういう見解がなくはない。しかし、おそらくは、そこまで原理的には行けないのではないだろうかと思います。

環境倫理の問題をとってみますと、例えば、一部のラディカルな考え方といいますか、環境倫理の人たちの考え方というのは、生態系そのものが権利主体だと。例えば、動物の権利、あるいは自然物の権利というものがあるんだという考え方ですが、そこまではおそらく考えられない。やっぱり人間の利益を保護するんだということになるだろう。しかし、人間の利益だとしても、つまり、きれいな景色を見ていたい、あるいは希少動物を保護して、豊かな環境を保持したいというのは人間の利益、だから保護するんだということになったとしても、例えば、トキを絶滅させる行為はいかんといったときに、人間の利益との関係は非常に希薄になってくるということは、疑いないわけです。

しかし、やはり世界的な傾向として、こういうものを保護する傾向にあるということが言えるし、少なくとも環境法のほうでは、目に見えたところでその被害が生じているということは確かなわけです。それが、人間の我々に直接影響を持つか、どの範囲で持つかということはまだわからないけれども、とにかくそういうものがあるだろうということが言える。しかし、今問題は、生命倫理のほうでは、それは必ずしもそうは言えなくて、あまり可視的ではないというところだろう。

そのために、この報告書の中の説明というのは微妙なものになっておりまして、1つは、クローンをつくるということは、個人の尊厳を害するという説明になっています。つまり、複製元と、それから複写、複製された人間の尊厳を害する。そして同時に、これを放置する国というのは、個人の尊厳が侵害されていることを放置する国であるということになって、個人の尊厳を守るためには国が介入する権利があるだろうという論理になっています。

後のほうの論理の展開というのは、ドイツにおける堕胎罪の、堕胎を許容する刑法を違憲としたというのがドイツの憲法裁判所の考え方でして、生命体というのは生まれる権利がある、それなのに国の側が堕胎を自由化して、それを自由にするということは、国の側がその義務を放棄していることだから、これは憲法違反だというような論理なんですが、それとちょっと似たところがあります。

今のような考え方というのは、ある意味で、個の尊厳といいますか、いわば一回性の保障ということを国が行わなければいけないから、だからクローンを規制すべきだという論理で、個の尊厳について一種の制度的な保障をしようというわけです。つまり、一夫一婦制を保護するために重婚罪を処罰しているのと同じだということです。だから、これでどれだけの意味があるのかという議論は、当然あるわけです。

そして、このような、果たして、いわば利益として薄いというか、希薄化したものを保護するというのは、妥当でないのではないだろうか。倫理違反と反社会性とを、最初のスタートにおいて区別しながらも、再びここでは、両者の間が非常に流動的になってきている。だから、これはおかしいという異論があり得るわけですね。お手元におそらく配られていると思いますが、加藤尚武先生あたりのお考えは、そのようなものでございます。それも理解できる。これはまさにポイントだろうと私は思います。

しかし、それでもやはり、反倫理的だから規制できるということは言えないということです。議論をするならば、この程度の反社会性でも法的規制をするのが妥当であろうかという議論をせざるを得ないだろう。ですから、規制の論理については今のような説明になるんですけれども、最終的には小委員会の皆さんが、それでもやっぱり規制はすべきと考えるかどうかというのは、さらに先の問題だろうと思います。

それから、法律とガイドラインとの関係といいますか、その特質については、おそらく後でもう1回議論されるだろうと思いますけれども、法律の特色というのは、アウトサイダーに対しても規制が及び得るということです。ですから、新聞報道などで出ておりますとおり、外国から日本にやってきて、どこかのベンチャービジネスと手を組んでクローンをこれからやろうという人が出てきたとき、その人たちは日本のいわば医療行政のネットワークの中にかかっていないわけです。そういうところでは、後で触れますガイドライン形式による規制というのはほとんど意味がない、規制が及ばないだろうということです。だから、もし規制の実効性をあらしめようとするならば、法律によらざるを得ないということは否定できないだろうと思います。

しかし一番大きいのは、考え方の問題として、規制の有効性とは別の次元なんですが、建前の問題でございます。つまり、法律というのは、少なくとも国民の代表者である国会議員が国会で審議した上でつくったものですから、民主的統制が、建前ですが、一番働いている規範形式だという建前で今、動いておりますね。それを行政によるガイドラインということですと、これはいわば医学界あるいは科学界の自主的な規範に、行政が上から乗っかって指導するという格好ですから、今のような点では、少なくとも法律からはちょっと違うということになる。

しかし他方、法律によるそれというのは、なかなか動きがとれないということがある。ところが、行政によるガイドラインのほうは、現場との意思の疎通などをしながらできる、非常にフレキシビリティがあるということでございます。だから、このどちらの面を重視するかということが非常に重大です。前回にご提出いただきました木勝(ぬで)島委員の報告の中に、今の論点が非常によく整理されていたと思います。

しかし、今のようなのが大きな対立だろうと思いますが、日本のこれまでのやり方というのは、自主規制プラス行政指導ということでやってきた。非常にゆるやかだったわけです。その中で、生命倫理の分野でこれでも一番きついと考えられたのが、遺伝子治療のガイドラインだったろうと思います。

あれはご存じのとおり、医療を行おうとする医療施設の中で、まず倫理委員会をつくって、そこがオーケーし、それを上の大臣のほうに上げて、大臣がさらに倫理委員会にかけて、それをオーケーするという格好の、行政指導といわば倫理委員会による自主規制とを組み合わせたという特異なものです。今まではこれがせいぜいであったというわけです。

このようないわば行政と自主規制とが乗っかって行ってきているというのが、日本でこれまで伝統的なやり方であっただろうと思われますが、これがいい文化的伝統であると言えるかどうかというのが、もう1つの問題だと思います。多くの国では到底、特に生命倫理のような、まさに国民的コンセンサスが必要と考えられる領域を、行政と学会とのいわば内々の関係でやっていけるかということについては、おそらく多くの国は疑問を持つからこそ、法律に上げようとしているわけです。ですから、日本もそのようなやり方をすべきだという考え方は、外国には強いだろうと思われます。いわば、日本の護送船団方式というものが外圧にさらされているということは、僕は言えるだろうと思います。

ですから、このことも含めた上で、法律による規制をするかどうかを考えなければいけない。さっきのように薄いものでも規制するのが妥当であるかということと同時に、このような、いわば日本古来といいますか、伝統的なやり方に、おそらく我々はどっぷりつかってきているだろうと思うんですけれども、その大きな転換になるだろう。

特に、先ほど例に引きました環境の問題については、外圧との関係かどうかわかりませんが、とにかく国際協調をしなきゃいけないということで、日本も相当積極的にいろいろな法律をつくり、刑法までつくってきているということがある。生命倫理のほうではそこまでのことは今までなかったわけです。ですから、それがこちらのほうにまで及んできているということになるだろうと思います。

以上が、まず規制の根拠論なんですけれども、その法的規制の対象、やり方につきましては、報告書の考え方というのは、まず、人クローン個体の産生というのを禁止するということになっている。そして、人クローン個体の産生を禁止、正確に言いますと、産生をさせることを目的として着床させることを禁止するということになって、その未遂まで処罰するということになっている。法律による規制をもしやるとするなら、これは規制せざるを得ないだろう。

しかし、そうなってくると、さらに、その前のといいますか、個体でない人クローン胚についてはどのようにすべきかという問題があるだろう。だから、人クローン個体産生の延長線上、いわば人クローン個体を規制するときの理屈ですね、規制根拠、それがこちらのほうまで及ぶと考えるべきか。及ぶなら、これを規制するのが妥当なのではないかという、いわば質的な延長の問題として、人クローン胚の規制の問題を次に議論しているということです。

もう1つは、キメラ・ハイブリッドの問題でございます。あくまでも私に委ねられたのは、人クローン個体の種、及びその周辺部分であったわけですが、古くから、遺伝子工学、遺伝子治療等の法的な規制ということが問題になるときには、まず絶対に禁止されなければならないとされていたのは、クローンと並んでキメラ・ハイブリッドであったということがあります。

非常に早くに成立いたしましたドイツの胚子保護法といわれるものも、人クローン個体、キメラ・ハイブリッド、その3つは当然処罰しているということがある。多くの国でもそうしているということがあります。

そして、人クローン個体の産生、及びその延長にあります人クローン胚の作成・使用行為ということについては、唯一性を持っている個人の複製は許さないという考え方で一応考えられるわけですが、キメラ・ハイブリッドの場合は、かなりこれとは違うということがあります。

とにかくいろいろな考え方があり得ますが、1つは、人間という種の同一性を害するという考え方もありますし、生まれてきた人間についての尊厳の侵害だということもあるし、他にもいろいろな考え方があります。しかし、おそらくは、これは反社会性といいますか、我々もそう思いますが、多くの人が一致するところでは、おそらく人クローン個体の産生にまさるとも劣らない、おそらくまさると思われるような反社会性を有する行為だと思われると。

そうすると、人クローン個体の規制を提案しておいて、こちらまで何も言わないというのもやっぱり片手落ちじゃないだろうかということで議論を開始する。そうすると、人クローン個体を規制するなら当然、こっちの規制にまで及ばなければいけないだろうなということで、これを加えてあるということでございます。もし、これが越権行為であると、「おまえらにはそんなことは頼んでいない」とここで言われるなら、いくらでも引っ込めますというところですけれども、一応このようになっております。

そして、今の人クローン個体の規制についてですけれども、それは、先ほども言いましたとおり、個体の複製というのは、個体のいわば唯一性を保障するという制度、それに反している。そして、制度に違反していると言うと、非常に空っぽに見えますけれども、おそらくその背後には、何回もここで指摘されておりますとおり、生まれてきた人間に対する、生まれてきたクローン人間について、その人のこれからの、周りから「おまえはどうせコピーじゃないか」と言われたり、いろいろなことで問題が起こる、そういうようなことがその背後にあることは確かです。

それ以外にも、家族秩序の混乱とか、いろいろなことがその背後にあるだろう。それをひっくるめた格好で制度的保障ということで行って、しかも、それをさらにアブリビエーションの言葉として、個の尊重ということで言いかえているに過ぎないということがあります。

今のように、言うことは、つまり今の人クローン個体の規制というのは今のようなことだとするならば、これは同時に、他の生命医療技術との切り分け論にリンクしているということです。どういうことかといいますと、何回もここで議論されておりますし、あるいは午後におそらくあると思われるヒト胚小委員会でおそらく議論がある、人の胚、人の生命の保護のことまで考えた上で胚の保護ということを考えるべきであって、その大きなものの一環としてクローンとかキメラ・ハイブリッドがあるんだというとらえ方をすべきであると。それをクローン、キメラという頂点の部分から行くというのは筋違いじゃないだろうかという議論との関係です。

だから、今の問題は、いずれにしろ、私は全部議論しなきゃいけないときが来ているだろうとは思いますけれども、今取り扱うときに、なぜクローンだけかということの説明がなければいけない、それは確かだろうと思います。そして、その点を考えてなされているのが、今のような説明です。

つまり、例えば、人工受精のためにつくられた受精卵をどのように処分していいか。とっておいていいか、売っていいか、あるいは他人に移植していいかという問題は確かにあります。実験目的に使っていいか。ここでは胚の生命をどの範囲で保護するかということが非常に大きな問題です。

しかし、クローンの場合というのは、そのような問題も確かにありますけれども、それとは別に、いわば個の複製という問題、その固有の問題がある。だから、その点をとらえて、やはり規制し得る、その議論をなし得るんだという立場で書かれています。だから、言ってみると、今の規制論と切り分け論とがリンクしているという立場でございます。

あとは、細かなといいますか、結構時間を使いましたのは、要綱をつくっていったときに、どの範囲まで規制していったらいいかというような技術的な問題がありまして、さらに、最後のところで国外犯も処罰するかどうかというような問題がありますけれども、そういう細かい問題についてはまたこれから議論があるだろうと思いますけれども、その場でいろいろ説明させていただきたいと思います。

(岡田委員長)

どうもありがとうございました。

これをきちんと読ませていただいたのですが、法律論というのは難しいなと思いました。これだけ検討していただけると、非常にありがたかったという感謝以外にございません。

それでは、次に、この案に対しまして、木勝(ぬで)島委員から事前に本報告書に対するご意見を提出していただいておりますので、木勝(ぬで)島委員から、ご説明いただけますか。

(木勝(ぬで)島委員)

では、述べさせていただきます。

お手元に、1枚の紙で、左肩に木勝(ぬで)島意見と書いたものをお配りいただいています。私も、非常に大変な手間をかけて、すごい報告書ができたなと思いました。たくさんのことが書いてあって、細かいところにはいろいろ異論もありますが、大きな疑問だけをここに述べておきました。

要綱別に書いてあります。まず要綱二、人クローン個体禁止の中の説明として、個体産生を目的にした着床だけを禁止するという、目的による制限ということが10ページに書かれてありますが、それは私には疑問です。研究目的では着床してもいいということになってしまいますので、そもそも女性の子宮をそのような実験に使うこと自体、認めていいのでしょうか。それから、これでは動物の使用については全然規制できません。

それから、もう1つ大きなポイントとして、この報告書が検討の自然な結果として対象を広げられていったことは、私も妥当であると考えます。それは、私がこの小委員会でずっと申し上げてきたことです。

次に要綱三、人クローン胚を規制対象にする根拠として、人の胚は人の生命の、個人の萌芽であるという位置づけがなされています。これは人間の胚、個体ではなくて胚を、新たな法的保護の対象と考えるというお立場を出されたのではないでしょうか。それならば、規制は、クローン胚、つまり核移植と細胞融合によってつくられる胚だけではなくて、人の胚すべてを対象にするべきではないでしょうか。これは後でもう一度申し上げます。

それから、要綱三の構成の仕方について、クローン胚をつくることは犯罪であると禁止しておいて、ただしこういうときはいいというのはちょっとわかりにくいし、不自然でははないかと感じました。この要綱三全体の趣旨としては、人のクローン胚の作成及び使用を許可制にする、あるいは審査制にするということだと思いますので、審査制にするという規定だけにして、無許可でやってはいけないと禁じる条項をつくればいいのではないでしょうか。要綱三の第2番目の規定は、これはなくても、全体としては非常にすっきりするし、趣旨も実現されるのではないでしょうか。

次に、要綱五の人間と動物の間の生命操作の規定について、クローンを越えてこうした規定が必要だとお考えになられたのは、やはりクローン禁止だけの立法というのは無理だということではないかと思います。

国際協調が繰り返し法律をつくるべきだという根拠として出てきますが、人のクローンづくりを禁止する単独の法律をつくった国は今までありません。すべて生殖医療及び研究の規制の法律の中で、その一環として禁止されています。また、高久委員のご意見の中にありますように、アメリカにはそのような法律はありません。フランスも明文でクローンを禁止する規定はありません。解釈だけでやっています。ですから、クローン単独立法というのは、私は国際協調という意味でもおかしいとこれまで何度も申し上げてきました。

あと、これは小さな問題かもしれませんが、ハイブリッドのことで、人と動物の交雑によって生育可能な個人が生まれるのかどうか、うちの研究所の生殖工学の人に聞いてみたんですが、「まあ、無理なんじゃないか」ということでした。ですから個人の尊厳までここで根拠に打ち出す必要はなくて、ハイブリッド禁止であれば、人の種の完全性の侵害と生命の恣意的操作はいけませんというので十分なのではないでしょうか。

さらに、これは技術的問題かもしれませんが、要綱の二、三、五に対して、禁止事項の整理をしたほうがいいと感じました。つまり、人のクローン胚の作成及びそれを人間の子宮に着床させることの禁止と、人と動物の間でのクローン胚の作成、つまり人の体細胞の核を動物の未受精卵に移植する、あるいは逆もあるのかもしれませんが、それと、そうしてつくられた人と動物の間でのクローン胚の動物の子宮への着床の禁止というのは、やはり別個に分けて規定したほうがいいのではないでしょうか。要綱二の中に動物の子宮への着床が混ざって出てきますし、要綱三の中に、人間の体細胞の核の動物の卵への移植も含まれているようですが、これは混乱してわかりにくいのではないでしょうか。

それからもう1つのポイントとして、動物の子宮に人間の胚を着床させるというのは、クローン胚に限らず、すべて禁止するべき事項だと思います。これを対象にするならば、要綱二、三、五の規定の中で、人間に関するものと動物が絡むものははっきり全部分けたほうがいいでしょう。

それから最大の問題は、要綱二、三、五に共通して感じました法律にすることへの疑問です。法益侵害は重大と立論され、これは犯罪であるとしながら、量刑が示されていないのは疑問です。懲役何年以下あるいは罰金何万円以下という、そこが空いているのは大変疑問です。

つまり、どれだけ重い罰で禁じるべき侵害なのかがはっきり示されなければ、刑事罰をつけて禁止する法律をつくるのは無理ではないかと思うのです。量刑を何年にするか、何カ月にするかというのは瑣末な技術的問題ではなくて、やはりそれがどれぐらいの法益の侵害で、国がどれだけ重い罰で禁じなければいけないことなのかが示されていないのは大きな問題だと思います。

例えば、二と三と五の間の量刑の按配が重要でしょう。クローン胚の作成は、クローン個体作成に比べれば軽い罪なのでしょうが、もしそうであれば、どれだけ軽いのか。キメラ・ハイブリッド作成の罰はクローン個体作成やクローン胚作成への罰に対して、どれだけ軽重をつけるべきなのか。そのほかの法益侵害との兼ね合いも含めて、納得のいく量刑がおのおのに決められないのであれば、そもそも刑事罰をもって禁止する法律をつくるのは無理なのではないでしょうか。これは技術的問題ではなくて、本質的な問題であると私は考えます。十分ご検討いただけるようお願いします。

それから、要綱の六に国外犯の処罰規定というのがあるのは、私は一番違和感があります。この規定は、国際社会に対してあまりに優等生的過ぎないでしょうか。国外実施はあくまでその地の管轄の問題だと思います。だから、外国から日本に入ってくる人を禁止するために日本でも法律をつくろうという立論なのですから、国外実施はあくまでその地の管轄の問題であると思います。仮に禁止立法という政策選択肢をとるにしても、この規定は不要ではないでしょうか。

最後に、私の最終的な意見としては、要綱三に設けられている審査許可制を、人胚研究全体に広げ、この報告書に盛り込まれた内容を国の指針として再編して、審査許可制をまず一番最初に持ってきて、次に、その中でこれをやってはいけませんというのを順に並べていくのがいいと考えます。

情報公開と、それから何年後に見直すという規定は、これはこのまま必要だと思います。人胚を作成または使用する研究に公的審査制を設け、どんな研究は許されるか、あるいは推進されるべきか、どんな研究は許されないかを国が明確な指針で示すのがベストであると考えます。その中で、当小委員会としては、人クローンの個体やキメラ・ハイブリッドの産生は禁止対象に入れるとはっきり結論し、最終的な指針の内容の整理は、並行して進められているヒト胚研究小委員会での作業に引き継げばいいのではないでしょうか。以上です。

(岡田委員長)

どうもありがとうございました。

事務局に質問しますが、9−1の資料というのは各委員の方にあらかじめお配りしてございますか。

(事務局)

ございます。

(岡田委員長)

そうですか。その中で、木勝(ぬで)島委員から具体的なご意見が出されておりますが、今のご質問も含めて、皆さん方のご意見、町野案に対するご意見をお聞かせいただいて、その後で、町野先生のほうから、また少し、何かご意見があれば、やっていただくという格好にしましょう。それでよろしいでしょうか。

(高久委員)

途中で失礼するものですから、ここに意見として簡単に書かさせていただきました。それを読んでいただければ自明のことでありますし、あえて説明いたしませんが、ただ、今の町野委員のご意見の中で、外国の人がやった場合に全く規制ができないということはないのではないかと思います。医師法があって、日本の医師免許証をもっているドクターでないとできないことになりますから、全く野放しということはないと思います。

それから、遺伝子治療との関係が言われてきましたが、これはまだ完全には実現していませんが、もうすぐ実現するのではと考えていますのは、ベクターを静脈の中に注射するだけで簡単に治療が終了する、そうするとベクターの輸入だけで終わるという方法もありますので、人クローンの作成のほうが遺伝子治療よりも簡単だから人クローンは法律で禁止して、遺伝子治療はガイドラインでいいという議論は、成り立たないというのが私の意見です。

(岡田委員長)

今から、全体の町野案に対してのディスカッションにしていいわけですね。町野委員の案や木勝(ぬで)島委員とか、たくさんのご意見も含めて、全体のフリー討論という形で少しやっていただきたいと思いますが、ご発言ございませんでしょうか。

(事務局)

本日ご欠席でございますが、加藤先生からもご意見が出ています。

(岡田委員長)

今やってしまいましょう。そのほうが後で議論しやすいかもしれません。それでは、準備もしてあることですから、加藤委員のご意見を事務局からご披露していただいて、それも含めて議論してみたいと思います。

(事務局)

加藤先生から、町野先生の報告書に関しましてご意見が提出されております。加藤委員意見と書いてある資料でございます。5枚紙ほどでございます。

何点かポイントがございまして、町野先生の報告書を引用されている部分と、加藤先生のご意見の部分が両方混じった資料になってございますので、そのうち、特に加藤先生のご意見のポイントとなるところを四角で囲ってございますので、その四角の部分だけ、ごく手短に概要をご説明させていただきたいと思います。

まず第1点が、反倫理性と反社会性の問題でございます。先ほど町野先生も言及されておられましたが、基本的な町野先生の報告書の考え方は、法律規制の場合には、反倫理的であるだけでは不十分で、反社会的でなければならないという点でございますが、この反社会性の概念が一方で希薄化していることによって、非常に抽象的な被害も含まれるようになってきているという説明になっている。その結果、反倫理的と反社会的は同じになってしまって、法的規制の対象は無限に拡張可能になるのではないかというのが加藤先生のご意見でございます。いわば、だれでもどんな理由でもしょっ引いてみせると述べているのに等しいということでございます。

刑事処罰の対象が拡大されてきたという最近の傾向を肯定して、刑事処罰の対象に事実上いかなる制限もないという前提を掲げて、クローン人間を規制の対象にすることは賢明でないと思われる。どのような行為に規制対象を特定するかということについては、たとえあいまいさを残すにせよ、やはり定義すべきであるというのが第1点であります。

それから、第2点が2ページ目でございます。その真ん中あたり四角で囲ってございますが、規制の根拠についてでございます。町野先生の報告書に記載されています規制の根拠が何点かございますが、そのうち、従来の生殖の観念に違反しているという点、家族秩序の混乱を引き起こすという点、遺伝的両親の不在が問題であるという点の3点につきまして、ご意見がございます。

1つ目の生殖観念の違反については、あらゆる新しい技術開発は従来の観念に反するのだから、従来の観念に反するという禁止理由は適用範囲が広過ぎるというご意見でございます。

また、家族秩序の混乱については根拠が示されていない。他人の精子で生まれた子供、他人の子宮で生まれた子供ですら、家族秩序の混乱を招いたという報告はないのだから、これについても根拠が示されていないということであります。

それから、遺伝的両親の不在につきましては、未婚の母が、「に少ないが」というのは多分ワープロのミスだと思いますが、未婚の母が出生全体の50%を超える国もあって、遺伝的に両親が不在でも、社会的に両親が存在する場合に比べて、子供の権利にとってクローンのほうがすぐれている場合もある可能性があるということであります。遺伝的両親の不在がどのような被害を子供にもたらすのかというのを示すべきであるということが第3のポイントでございます。

それから、ちょっと四角をつけ忘れてございますが、同じページの上から3行目、生まれてくる子供の身体的安全性等というのがございます。ここの下の2行も、加藤先生の意見のポイントでございます。すなわち、技術開発を公共機関が規制する正当化の根拠は、従来安全性だけであった。したがって、安全性の観点から規制可能であることを説明すれば十分であるというのがご意見でございます。

それから、もう1つ、規制の根拠といたしまして、人間の育種、道具化・手段化というのが言われております。それに対して、加藤先生のご意見のポイントは、3ページ目の四角になってございます。

すなわち、クローン個体の産生=特定の人と遺伝的形質を同一にする人間をつくり出すということは、科学的な真理だけれども、これがクローン個体の産生=特定の人と遺伝的形質を同一にする人間をつくり出すために行われるというのは、必ずしも正しくないのではないか。すなわち、人クローン個体の産生以外にも、何々をする手段がない場合が存在しないことが説明されていないという御指摘であります。

人クローン個体の産生以外に自分の子孫を残す手段がない場合というのが非常に切実な例としてよく引かれますけれども、そういう例は本当にあり得ないのかということでございます。すなわち、クローン個体の産生といえども、遺伝的形質を同一にする人間をつくり出すだけのために行われるのではなくて、そのほかの目的があって行われるということもあるのではないかというご意見かと思います。

同じく、ポイントとして、町野先生の議論を、特定の人と遺伝的形質を同一にする人間をつくり出すために行われる=特定の目的のためにつくって利用する=人の育種であって、手段化・道具化されている、という論理に整理された上で、子供を生むことがそもそも手段としての意味を持つことがあり得るというご指摘をされておられます。すなわち、家族の跡継ぎを得る、あるいは老後の安定のため、あるいは寂しいので愛情の対象を求めて等々があり得るのであると。

既に社会的に許容されているそのような子供の出生の手段化と比べて、人クローン個体の産生が罰するべき条件にかなうかどうか、そう見なされる理由は何かということをやはり示さなくてはならないだろうというのが2点目でございます。

3点目が、町野先生の報告書のポイントでは、憲法13条の個人の尊重というところが大きな根拠になって理由づけがなされておりますけれども、憲法13条は、人クローンとして生まれた個人であっても、プライバシーが守られて、家族の愛情に恵まれて、健康で文化的な生活を営むというならば、これは満たされていると考えられる。すなわち、いかなる意味にせよ、出生そのものを禁止する論拠に13条が使われるという解釈は認めがたいというのがご意見でございます。

それから、3番目の論点といたしまして、個体性に尊厳が含まれるかどうかということであります。すなわち、憲法13条の個人としての尊重は、すべての人は独自の人格を持って、一回限りの存在として尊重されなければならないというような論旨に町野先生の報告書はなってございます。

ここで加藤先生がポイントとして挙げておられますのは、4ページの下からでございます。まず第1の問題点が、結果主義。すなわち、一卵性多胎の場合との比較でございます。一卵性多胎の出生とクローン個体の出生というのは、遺伝的な形質が同一的な人を生み出すということでは同一の結果を生んでいて、したがって、同一の結果を生んでいるにもかかわらず、一方は処罰し、一方は処罰しないというのは、非常に珍しい判断であるというご意見でございます。

そのときに、人クローン個体の産生は、人為的であるという点で一卵性多胎の場合と違うけれども、その場合、結果が同じなのに、人為的であるかないかで処罰が異なる、被害が異なるというのは、言えないのではないか。やはり結果が同じであれば、同じ被害が生じていると見るべきではないかということが第1の問題点としてご指摘されております。

それから最後のページ、5ページ目でございますが、類似しているということは、何らかの侵害行為になっているのかというポイントでございます。人間の尊厳という概念の内容が、理性や人間性、良心、自由、あるいは身体のユニークネスといういろいろな観点があり得るだろうけれども、身体的な個体性の保障というのを尊厳の概念内容に含めるというのは、啓蒙主義的な人間性の概念ではあり得なかったのではないかということであります。

あまりによく似ているということが、身体的なユニークネスの侵害であるがゆえに尊厳の侵害になるという判断は、人間性の理念についての飛躍を含んでいるのではないかというのが第2のポイントでございます。

それから第3のポイントは、wrongfullife訴訟との整合性を言われております。wrongfullife訴訟というのは、重度の障害を背負って生まれた子供が、その両親に出生について不正を受けたと主張して、損害賠償を医師なり両親なりに請求するという訴訟でありますが、ほとんど原告敗訴になっているということで、その理由は、たとえ重度の障害を持って生まれても、生存しないよりは生存していること自体のほうがいい、いわば生存する自体を不正と見なすことはできないという判断で原告が敗訴しているということでございます。重度の障害についてすら生存を不正と見なすことはできないとすると、類似しているという理由で生存を不正扱いすることは、なおさら困難ではないかというのが第3のポイントでございます。

それから、第4のポイントは、技術開発を禁止する究極の理由というのは、先ほど出てまいりましたが、安全性である。ドイツですらそうだ。人クローン問題に直面して、非常によく似た人を人為的につくることは禁止できるという前例をつくると、全く新しい禁止理由が突然付加されることになるということが問題だというのが、第2の論点でございます。

最後のポイントといたしまして、このような論理の延長線で、仮に人クローンを懐妊した女性に対して、人工妊娠中絶を強制できるのかという問題を最後に提起されておられます。すなわち、人クローンが憲法で保障する個人の尊重に被害を与えるということで、刑法体系をつくって禁止するということであれば、その目的は人クローン個体の出生の予防にあるはずだから、人クローンを懐妊した女性にクローン個体を生まないように人工妊娠中絶を強制できるという条項を禁止法は含むべきであろう。これは一種の逆からの論理だと思いますけれども、整合性を持つなら、そういうこともすべきだろうというご意見でございます。以上でございます。

(岡田委員長)

どうもありがとうございました。

これからどうやっていきましょうか。町野委員、今3つ出ましたね。これに対して、もしもご感想があれば言っていただいて、それから後、皆さんのご意見をまた聞かせていただくか、先に森島先生から回ったらどうかと思っておりますが、どうしましょう。

(豊島委員)

ちょっとよろしいですか。私もちょっと先に出なきゃいけないので、先に意見を言わせていただきたいんですが、今のお出しいただいた、もし法律規制するならばという前提の報告、これは私としては非常によくできていると思うんですが、それに対する反論というのもたくさん、これもよくわかると思います。

その中で幾つか問題点の指摘があったわけですが、例えば、従来の重婚の禁止とか、近親結婚の禁止とか、そういうことに関して、やはりこのような議論が行われて、そういう法律ができているのかどうかということを知りたいのが1つ。

それから、こういう議論をどこまで続けていくのか。こういう議論が実りあるものかどうかということがもう1つの問題点だと。その2つを思うんですが、その点に関して、ご意見をいただければと思います。

(岡田委員長)

ありがとうございました。

今、豊島委員からのご意見も非常に気になるご発言でございますが、どうしましょう。少しご意見があれば、言っていただけますか。

(町野委員)

意見というほどではないんですけど、そういう議論を昔していたかというと、それはわからないんですが、今するとしたら、これしかあり得ないだろうということです。

重婚の規定を例に引きましたけれども、これはほとんど意味がない規定なんですね、重婚の処罰というのは。例えば、日本で重婚しようと思って、私が別の女の人と届け出をやったら、それははねられますから、できないんですよね。それをやろうとすると、わざわざ前の戸籍を抹消してから、偽造の文書か何かで、それで届け出るとか、外国でやるしかないと。だから結局、あれは今では戸籍を守るためにあるんじゃないかと言われるような規定になっているというところがあります。

ですから、そういう状態で、重婚についてはこんなのやめてしまえという意見もあるんですね、非犯罪化ということで。しかし、もしこれを維持するとしたら、先ほどのような、制度としての保護ということしかあり得ないだろう。昔は、そういう議論でなかったことはそうです。だから、先ほどの近親姦の問題についても、これは昔はおそらく性風俗、日本ではこれは伝統的に処罰しておりませんけれども、諸外国では性風俗の問題としてやっているというわけでございます。

それから、どれだけこれから議論を続ける意味があるかというのはちょっとわからないんですけど、私の感想を申し上げますと、私たちがこれをつくったときも、やはりこのような議が延々と続いたことがありまして、無意味と思ったことは私個人はなくて、やっぱり意味があるのではないかと思ったということだけでございます。

(岡田委員長)

そうすると、これから町野委員の案に対するご意見を、皆さんから聞かせていただくのがよいのではないかと思うのですが、よろしゅうございますか。そうしましょうか。お願いします。

(森島委員)

専門が法律ですので、どうしても町野さんのお書きになったことと同じような発想をするということはありますが、その意味では、あらかじめバイアスがかかっているということでご承知おきいただきたいと思うんですが、反論の幾つかは、町野先生にこの検討会が何を頼んだかという前提を抜きにして議論をしておられるという点があるのではないか。

町野さんは、今ご説明のところでもおっしゃいましたように、人クローン個体を法律で規制するとすれば、どんな規制の仕方があるかということを頼まれたわけでして、その場合に、法律のほうがガイドラインよりすぐれているというのではなくて、法律ならばこうなると、それを前提にして、やはり法律だとぐあいが悪いんじゃないか、ガイドラインのほうがいいんじゃないかという、そういうご議論をなさるべきではなかったか。

町野さんは、そこで検討している間に、個体だけではなくて、学術的な目的を持ってやるのでなければ、人クローン胚のところもとめるべきだろうと。しかし、個体の産生とは違って、胚のところは、これは学術的な目的でやって、その胚のところでおしまいにするという、それがいいかどうかはまた別として、そこまでは禁止すると。

それから、これも先ほど町野さんはおっしゃいましたけれども、そこまでやったら権限を超えていると怒られるかどうかは別としてというので、人と動物のキメラ・ハイブリッドというものも法律で規制するとすればどうなるかということであります。

そして、これも、どれだけ処罰するかということであけてあるのは、そんなに法律が最後まで、刑の量定について何も書かないなんていうのはあり得ないわけで、これはむしろ町野さんは、仮に法律でやるとしたら、どれぐらいの重さで処罰するかというのはここで議論するという、あくまでも、テクノクラートとまで言ったらあれですが、法律家として、ここから依頼をされたことについて極めて禁欲的に行動なさったということで。

ところが、批判は、それを全く超えて、自由にご自分の立場から批判をしておられるものもある。そこで、批判に対する批判というのは私はここでは申し上げませんけれども、あくまでも町野さんのおやりになったことについて、その目的、内容、結果について、一応町野さんが冒頭でご説明になったことを前提にしてこれから議論を進めていかないと、かえって議論が混乱するのではないかと思います。

それで、じゃあ、議論をする場合に、どういう点があるか。

まず1つは、規制をするとして、これは法律的な規制か、ガイドラインでやるかはともかくとして、規制をする根拠、なぜ規制をするのかということについて町野さんの文書では触れていますけれども、これは先ほどおっしゃったように、これはガイドラインでも共通するわけですから、先ほど、例えば加藤先生のご意見の中には、私は承服しかねますけれども、いろいろと問題を提起されていますけれども、そこで、人が似ているということだけで規制できるのか何とか、そういういろいろなことはありますが、その根拠については、ガイドラインとか法律とか言わずに、やっぱりここで一度検討すべきではないか、そこは共通しています。

それから第2には、これは高久先生も書かれている、それでは法律でないほうがいい、ガイドラインがいいということで、今度はその選択の問題があると思うんですが、その際に、町野さんは、法律のほうがいい理由というのは、実は何となく見えては来ますけれども、正面から議論しておられませんので、2番目の論点としては、一応法律はこんなところとして、細かいところはともかくとして、それでは、この程度の法律の実効性と、それからガイドラインの実効性とを考えた場合に、どちらがいいのか。最初の規制目的ということと絡みますけれども。

コンテンツだけ申しておきますと、私は、高久先生のご意見には我々はきちっと対応しなきゃならないと思うんですけれども、基本的な問題は、科学者が違反をした場合に、それに対するガイドラインによって、どのようなサンクション、制裁といいましょうか、が与えられるかということです。

そんなものを与えることは、制裁をすることはいけないんだ、科学者は神聖なんだということであれば、それはまたそこで選択をすればいいことですけれども、国外犯をどうするかとか、外国から来た人をどうするかという法律的なテクニカルな問題はともかくとして、一番重要なことは、一定の行為について科学者が違反をした場合の制裁の問題、ガイドラインでもみんな守るでしょうし、それから法律があっても違反する人はいるでしょうけれども、現実に違反があったらどうするかという、そこの違いが一番大きい点でありますので、その点に十分着目してというか、そこを置いておいて、法律がいいか、ガイドラインがいいのかという、その議論をしていただきたい。

それから3番目が、じゃあ、仮に法律はだめだということになったら、町野先生にはまことに申しわけないけれども、法律がだめだとなった上でこの文章をみんなが一生懸命議論するのはおよそナンセンスでありますから、一応、法律というのはこの辺のところだということで頭に入れていただいて、第2の論点をパスして、仮に、じゃあ、法律もこの時点で考えておきましょうかというときに、町野さんの提案されたクローン胚までやるのはどうかとか、それからハイブリッドはどうかとか、そういう議論。

先ほどのご議論で、そこまで言ったら、生殖技術みんな入るじゃないかというご議論もありましたけれども、これはここの検討委員会のマンデートではありませんけれども、もしもこういうことを法律で、この範囲内でやったとした場合に、それじゃあ、今の遺伝子を含めた生殖技術というのは、これは全く外側に置かれていいのかどうかというのは、私はいわば、これのついでにと申したらあれですけれども、これに並ぶ議論、法律でやった場合の議論として考えておかないと、片方だけ突出して、ほかのほうは野放しというのはおかしいわけで、それをどう選択するかは、これは立法者の問題ですけれども、我々としては、法律で規制するからには、ほかの分野とのバランスということも一応視野に入れておかなければならない。

私は、何か議長のかわりみたいなことを言って申しわけないんですが、論点をそういう形で整理をして、もう一度繰り返しますと、1点は、根拠がこれでいいかどうか。これはガイドラインも同じであります。それから2番目が、それじゃあ、そのような根拠に立って、法律とガイドラインでやるのとどっちがいいのかという議論をして、それから3番目に、町野さんがご提案になった、この範囲でいいのかどうかということをご議論いただきたい。

どうもご批判を読みますと、それが全部一緒くたになって、あげくの果てには、法律家から見れば、法律の技術論からいえば全くナンセンスのご批判も含めて、ありますので、やはりきちっとそれを分けてご議論いただくことが大事じゃないかと思っております。どうも委員長の代表みたいで申しわけない。ちょっと長くなりましたが。

(岡田委員長)

どうも座長をかわってもらったほうがよいようですが。

少し時間が足らないかもしれませんが、一応全部の方のご意見を聞いたほうがいいと思います。そうしてみましょう。

(村上委員)

私も町野先生のご努力に対しては、いろいろ申し上げたいことがあるので、それを文書に用意したんですが、途中で投げ出しているというか、途中でとまっておりまして、きょうには間に合わなかったんですが、とにかくこういうものをつくっていただいたおかげで、法律としてやるとすれば、一体どういうことになるのか、今、森島先生のお話にもありましたけれども、ただ、森島先生がおっしゃったことで言えば、サンクションが状況が違ってくるということと同時に、おそらく法律をつくるときの根拠づけと、それからガイドラインをつくるときの根拠づけとはやっぱり多少違うところも出てくるんじゃないかと思いまして、法律についての根拠づけとしては、こんなふうに考えないと仕方がないんだということをお示しくださったという点でも、私どもにとっては大変、少なくとも私にとっては大変ありがたかったです。

それで、いろいろ申し上げたいことがありますが、1点だけ申し上げます。これは皆さん方がおっしゃったことに重なっているわけですけれども、町野先生のこの法律をつくっていくプロセスの中でも、単にクローンの問題だけでなくて、最終的には人胚のキメラ・バイブリッドを含めたところまで、少なくともこういう法律をつくっていくときに、言及せざるを得ないということをお示しくださったのは、私にとってはやっぱり大切なことではなかったかと思っております。

そして、確かにこの委員会のマンデート、ないしは岡田委員長のマンデートに対するロイヤリティというのもよくわかるんですけれども、やはりほかの生殖技術一般との整合性というものを、少なくともここで取り上げる議論が、そこへ向かってインテグレートするということがどうしても念頭にあって議論が行われなければならないのではないか。少なくともですね。そのインテグレーションを無視して、ある部分だけを法律的に規制するということがいかに、ある意味ではグロテスクであるかということをこの町野報告は示してくださっているのではないかという点だけを指摘させていただきます。

あと細かいことは、もう間もなく私なりの文書にして提出したいと思っております。ありがとうございました。

(岡田委員長)

横内さん、お願いします。

(横内委員)

簡潔に述べさせていただきますけれども、法律の専門家ではありませんので、この中身につきまして、どこが問題というふうなことをなかなか述べられないわけですけれども、感じますのは、人のクローンの規制ということを目的に定めたとしても、それが動物のクローン実験のほうまで影響してしまう、そこまで規制がかかってしまうということがないのかなと、そこのところをちょっと心配いたします。

私は畜産試験場で家畜のクローン研究に関係している人間の1人なわけですけれども、家畜のクローン研究は、優良な家畜の増殖というところに大きな目的があるわけですから、そこのところが規制されるようなことになっては非常に困るなと思っています。法律にしろ、ガイドラインにしろ、そこのところの規制が家畜のほうには及ばないように、ご検討いただければなと思う次第であります。その1点だけ申し上げて、私の意見といたします。

(岡田委員長)

どうもありがとうございました。次は、永井さん。

(永井委員)

とにかく、法律をつくるとすればこうなるということを示して下さったわけで、その非常なご努力に感謝したい。ところで、結論だけ申しますと、菅野先生の御意見の2ページ目のところに、日本の場合には、放射能の取り扱いとか組み替えDNAの問題とかの場合で見られるように、ガイドラインで十分効力を発揮してきているわけです。そこで、今度の問題もラインで十分行くのではないかと思っているわけです。

ただし、この法律のところでも、報告書のところでもありますが、国内はともかくとして、外国から来て、実際に商業上の目的でおこなおうとした時に、それをガイドラインで防げるのか、防げないのか。

それをお聞きしておきたいし、仮に国内で、ガイドライン破って実施した場合に、何らかの制裁とかそういうものが可能なのかどうなのか。研究費の支給の停止という程度のことしかできないのかどうなのか、そこのところをはっきりさせておいてほしいと思います。

研究費の停止といっても、外部資金で、あるいは外国からの資金で、そんなのは簡単に補えるのではないかということが言われた場合に、きちんとそれに対して対応できるのかどうなのか。そこら辺をはっきりしておく必要があるのではないかと思います。

簡単に言えば、国内ではガイドラインでいいだろうと。ただし、それに対して、もう少し入念にガイドラインの内容をきちんと議論して、それに違反した場合、制裁としては、今まで資金の提供の停止ぐらい、アメリカでもその程度になっているようですが、それしか行えないのかどうなのか。そこの限界ですね。それがどうもいまひとつはっきりと私どもに伝わってこない。研究者サイドとしては、どうもはっきりしていない。

それから、外国から来たときに、自由にやれることに対して、ガイドラインが全然手も足も出ないことになるのかどうなのかということに関して、きちんとした結論を出してほしい。

法律に関しては、要綱七の見直し規定ですが、以前、私が聞いたときには、まあ一般的なこととしての発言かと思いますが、一たん法律で決めてしまうと、なかなか直すわけにいかない。法律化するだけでも莫大な時間がかかるし、それを修正するに至っては、容易なことでは出来ない。本当にそうなのかどうなのか。

以前にほかの方が、この場合に限って、見直し規定に関して特別な場合を設ければいいではないか適宜直すのは不可能といったことではないのではないか、というご意見をおっしゃった方がおられました。しかし、それは本当に可能なのかどうなのか。クローンをめぐる科学の進歩が極めて激しい現在、それに対して適切に、かつタイムリーに対応しうるような見直し規定というものが成立し得るのかどうなのか。そこら辺の研究といいますか、判断を示してほしい。一言で言えば、縦糸のいわば強直的な法に対して柔軟な法対応というものがあるのかどうか、また、そう出来るのかどうか、ということについてそのはっきりしたところを示して欲しい、ということです。米国でも法に対して似たような感触を法に対しても具体的事実からもっている人がいるようですので。そういうことです。

(町野委員)

よろしいですか、今。今のガイドラインのことにつきまして簡単に。

報告書の2ページのところをごらんいただきますと、まずガイドラインが国内でどれだけの意味があるかという、その強制力の問題のところをごらんいただきますと、これはおそらく行政法の現状ではないかと思いますけれども、現在、行政手続法という法律ができております。平成5年度なんですが、それによりますと、ガイドラインも一種の行政的な、行政指導ですから、これに違反したことによって制裁を科すことは禁止されているわけです。

だから、研究費を凍結するとか、その範囲のものというのは別に、これは制裁といいますか、今まであったものを取り消すだけで、それは構わないんだけれども、そのほかのことはできないというのが法律でして、その限りでは強制力には非常に限界があるということは事実です。

それから、先ほどちょっと出ました国外から来たときに、高久先生のお話にもありましたとおり、医師法だとか、そちらで何か触れるということは、それはあり得るだろうと思います。しかし、これは、言ってみると、ちょっと瑣末なところをとらえて規制するということですね、もしできたとしても。それが望ましいやり方かどうかというのは私は疑問ですし、また他方、子宮に着床させないで、人胚を何か操作するというのが、果たして医師法で触れるかどうか、私は相当疑問だろうと思います。それはおそらく両方とも限界があると考えざるを得ないだろうと思います。

それからもう1つの制裁の問題で、先ほど木勝(ぬで)島先生が言われました法定刑がブランクになっている、それは森島先生は、私が遠慮したからだろうということなんですけれども、それも少しはありますけれども、木勝(ぬで)島先生のようなお考えはちょっと違うだろうと私は思います。つまり、法益の重大性に従って法定刑が決まるんだと言いますけれども、そうではないだろうと思います。

やはり、ほかとの並びとか、それから危険性だとか、いろいろな事情を考慮した上で、現行法との調和、それから予防のためにどれだけの刑罰が必要か等々のことによって、これが行われているわけです。だからこそ、堕胎罪の法定刑というのは極めて軽いということは、木勝(ぬで)島先生もそこで引用されているとおりでございます。それは傷害罪なんかよりはるかに軽いんですよね。これは、胎児の生命を保護しないから、重大と考えていないからそうなったわけじゃなくて、いろいろな今のような事情を考慮した上でやっていることです。

ですから、今のような複雑な考慮が必要ですので、私個人のなし得るところではないというところで、一応ブランクにしてあるということでございます。

(永井委員)

見直し規定はどうですか。

(町野委員)

失礼しました。見直し規定ができたものとして、最初に私が記憶しているのは精神保健法です。そのときが最初なんですけれども、それは非常に効果があると言われております。つまり、施行後何年をめどとして何かしなきゃいけない、するべきことと努力規定になっていますけれども、この規定があると、やっぱり動がざるを得ないので、必ず何かやるというのが今までの傾向のようでございます。まさにあとは関係者のやる気だけだろうという感じがいたします。

(森島委員)

環境関係ではどんどん技術なんかも、割合、見直し規定が入って、現に見直しに入っているところもあります。アセスメントもそうですし、それから、まだこの間できたばかりですけれども、温暖化の基本方針とか、そういう、はっきりまだ現時点では技術的なことはわからないというようなときには、やってみて何か変えていく。

それから、法律そのものではありませんけれども、環境基本計画というのは5年で見直しをするというのが、前の環境基本計画の中に入っていますので、見直しに既に入っています。国会がそれでやるということになっていますので、その点は先例もありまして、おっしゃったように、全部が全部動いているかということはともかくとして、そのようになると思います。

従来、法律はみんなつくらなかったものですから、みんな何とか法律をつくらないように努力したものですから、したがって、一たんできてしまうと、なかなか動かない。これは従来の発想です。

(武田委員)

まあ、皆さんいろいろおっしゃっていただいたことで、ほとんど尽きるのかもしれませんけれども、私はこの町野先生の整理を拝見しまして、個体と胚とを分けて論議をされているのは非常に大事なことだと思います。個体の中に、クローンだけじゃなくキメラとかハイブリッドを一緒に加えて、もともとこの委員会はクローンだけやろうということで出発したはずですけれども、そこまでは入れるのはやむを得ないだろうと思うんです。

一方、胚につきましては、果たしてこういう同列の規制で、逆に研究阻害という方向に行く危険性があるのではないかということを少し危惧いたします。例えて申しますと、これは逆のことですけれども、今、精子の受精能を検討するために、ハムスターの卵に受精実験をやっているわけなんですね。全く逆の精子を使ったというやり方をやっています。今度逆に、胚を使って着床実験が果たして今後ともにないのかということになりますと、大変問題点があるのではなかろうか。

動物に植えるということだけではなくて、人工胚器の中で着床実験をするということ、あるいはクローンとは関係ありませんけれども、受精卵で余剰胚を使っての実験にまで演繹される可能性が非常に強いと思うんですね。そういう意味で、これからどんどん進んでくるに従って分かれてくるところを包括的に規制するということが、非常に危惧を感じます。

そういう意味では、やはり全体としての規制はガイドラインで行うのが望ましいのではなかろうかと。先ほど森島先生がおっしゃったように、ガイドラインで一体何が規制されるのかというところはぜひ詰めていただきたいですね。我々当事者の立場になりますと、例えば、こういうことを禁止すれば、医師法で処罰されるとか、例えば、医療の停止とかというところまでつながっていけるのかどうかという問題を少しお教えいただきたいと思います。

(岡田委員長)

できれば、法律ではこうなるという案をつくっていただきましたので、それに対してのところでとめておいて、回してもらえると。

(菅野委員)

私は半年ばかりずっと留守にしておりましたので、間の状況はよくわからないんですが、もし法律にするとしたらというこの報告書で1つ思ったことは、やはりさっき木勝(ぬで)島先生がおっしゃったみたいに、どのくらい悪いというイメージがはっきりしないといいますか、一生懸命つくっても、せいぜい罰金ぐらいで、ちょっと危ないことをしちゃったというぐらいならば、つくらんほうがいいわけですよね。

その辺の共通理解がないような、もし、もう生まれちゃったらしようがないと皆さんお考えならば、ガイドラインでといいますか、何もしなくてもいいんじゃないか。いや、そうじゃなくて、これは死刑に値する、生命の尊厳を踏みにじっているぞ、殺すのと同じだというふうにまで一方で極端に考えられるかもしれないような気もいたしますし、その辺がはっきりしない。ゼロか、100か。

あるいは法律で、憲法の条文で、このくらいの違反しているのは名誉棄損よりちょっと重くて、これよりはちょっと軽いくらいというのが法律の文脈の中からだけイメージできるのだったらば、それをあらかじめ示していただければというような、これはあくまでもいいか悪いかではなくて、法律、現行法の体系ではこのくらいに相当しそうだという目安をお聞かせいただきたいなという感じがいたします。とりあえずそういうことです。

(勝木委員)

私は、町野先生が最初におっしゃいました、反倫理性だけでは、罰則を設けることはできないという観点がよくわかりました。

しかし、我々が議論したことは倫理の問題で議論したわけですから、法律の議論は初めてです。そこで、これまでの議論のなかで法益に違反することがあるかどうかということを議論すべきだと思います。生物学者として考えますのは、今このような胚操作をして、クローンの個体が、正常の発生をし、それから正常に育っていくコピーとして考えていますけれども、実は正常かどうかについては全くわかっていないわけですね。

例えば、端的に申しますと、体細胞核は生殖細胞の核とはおそらく違って、いろいろな環境に対して突然変異を起こす頻度が高いかもしれません。突然変異から来るメカニズムが違う可能性があるわけですね。

実際には実験動物で調べているわけですけれども、未受精卵に体細胞核を入れて、それが個体になった。その入り口と出口を大まかに見ると、確かに完全な個体が生まれているように見えますけれども、実際には、数年たったらがんになりやすいという性質があるかもしれません。生物学の法則を我々は知らないだけであるかもしれませんし、さらに、その子供たちがどうなるかということについても、十分な科学的な根拠はまだ全く我々は持っていないということです。法益という観点から言うと、生まれてくる子供に対して、どれだけ我々が知っていて、それを前提にしてこの議論をしているかということになりますと、それは知らないということだと思います。そういう未知のものを対象としてつくることに処罰ができるかという問題があるように思います。

ですから、基本的にクローン個体は正常かということを十分に知るということが前提になるということが法律の最初の出発点だろうと思います。私は、もしかしたら致命的な間違いをするかもしれない、そして生まれてくる子供はやっぱり人だという、これがほかのものでしたら、一番最初に菅野先生がおっしゃいましたが、殺すことが、あるいは壊すことができるのですが、そうはいきません。やはりそういう観点からガイドラインでやるのが適当ではないかという気もしました。

(青木委員)

私は大体、勝木委員の意見にほぼ同意いたします。

ただ、少しコメントというか、加えたいのは、きょう、配付していただきましたけれども、私どもの大学でつくった紀要についてです。これは「複製される子供たち−ヒトクローン個体の権利について」についてで、このことについてまだ論点が足りないと思われます。町野委員の作成された案件を見ても、この辺のところがあまりクリアになっていません。

それゆえに、つくった技術者、あるいは技術を行為した者だけを罰するということは、そこに重点があってよいと思います。実際に、では、できた子供に対する責任はという問題とか、法律作ったとしても憲法に対するそこのところが薄いという点を感じましたので、私としては、参考になるかと思いまして、これを提案したわけです。もう少しこの辺のところを議論し、また見ていただけたら、法的に禁止するとすればどうなるのかもう少し明確になってくるだろう、そう思っております。

それともう1つは、環境とクローンですけれども、これはちょっと違うのではないかと思うんですね。環境は国際的に通用すると思います。法的なことは国際的にということをおっしゃいましたが、それはそれでいいと思いますけれども、クローンに関しては、やはり個の問題であって、我が国独自にあってもいいと思うんですね。だから、国際的にあまり意識しなくてもよろしいんじゃないかと思います。

というのは、これはやはり文化的な背景もそれぞれあるわけでございまして、必ずしも国際的なレベルの問題は考えなくてもよろしいんじゃないかと思います。確かに、法律をつくるということは、国際的にわかりやすいことにはなるかもしれませんけれども、伝統的な手法で、ガイドラインで行ったとしても、私はよろしいんじゃないかと思っております。

そのぐらいで、これをつくっていただいて、議論する点で非常にわかりやすくなったので、私としては非常に参考になって、ありがたいと思っております。

(岡田委員長)

どうもありがとうございました。

(木勝(ぬで)島委員)

1つだけよろしいでしょうか。

町野委員が言われた行政法上の見解についてですが、私は、ガイドラインのほうがいいのではないかと思ったころから、行政法の勉強を続けてきました。行政法の学説の中には、行政の基準をつくって、その基準に従って行政をやっていく中で、間接的に行政の外の民間人まで含めて、結果として効力を及ぼし得る場合もあり得るという見解があります。行政手続法以後もこの見解は変えられておりません。行政基準あるいは国のガイドラインには法的拘束力はないということは学説も規則も一致しているようですが、それが行政の基準とされることで、例えば、人の生命を扱う研究はここまでやっていいという明確な判断基準を示すことで、結果として、法規に類似した効力を及ぼし得ることはあるという分析もありますので、その辺は検討の余地があると思います。決定手続の工夫とか公表制度の整備を求めることで、行政指針の適法性を確保できるという論もあります。

それから、勉強していて一番私が感じ入ったのは、一体、1つずつの具体的な、例えばこういう生命科学に対して、法律がどこまで定めるべきであるか、法律で定めるべき事柄と、行政規則や指針でいい事柄を区別するための明確で有効な基準について、具体的な検討は行政法学の中でも乏しかったということです。この小委員会での議論は、そういう欠を補う重要な意味もあるのではないでしょうか。この点は次回以降にもうちょっと詰めさせていただければと思います。

(岡田委員長)

どうもいろいろとありがとうございました。

いろいろご意見があって、私も意見を言わなければいけないのでしょうが、座長ではないということで意見を言わせていただきます。こういうものをつくっていただいて、基本的な考え方というのができて、非常にありがたかったと思っています。これが、法律であろうと、ガイドラインであろうと、このベースという形のものをガイドラインにするか、法律にするかということで、相当うまくまとめていただけて、私としては相当安心しました。

幾つか法律的な問題、私は専門家ではないのでよくわからないのですが、そういうところはさておいて、全体としては、こういう形のものを何らかの格好で出していくことは意味があることであり、できるだけ早い時期にそれが出るような形をとるべきだろうと思っております。

この委員会の発足のときに私自身が瞬間的に、とにかくクローン人間という問題に関しては、ある意味で、生殖技術とか他の問題と比べて、相当かけ離れたものであって、これをはっきりと制限することはそれほど難しいことではないと思いました。

これからの医療技術というのはいろいろな格好でスタートして動いていくことになりますが、その中でいろいろな形の制限状況をつくったり何かしていかない限り、社会とのうまい対応というのができてこないようになる可能性があると思っております。その中で、やはり医療技術、それから医学という人にかかわるような分野に関しては、1つの線は越えないぞという形のものをどこかではっきりさせておく必要があると思っています。そのための1つのやり方としては、クローン人間という問題は一番とり扱いやすいだろうということをずっと思ってきました。

確かに、きょう皆様委員の方々のご発言で、いろいろな細かい問題点というところはあったと思いますが、それらを処理できないかというと、処理できないわけではないような気がします。やはり何か新しい学問の進歩ということで、医学系の問題として対応していくとしたときの、1つのはっきりした線というか、ここは越えませんよという形のことを何とかこれで出してみれないかというのが、私が世話役をお受けしたときの率直な感じです。

そういう意味では、非常に多くの会合を回数を重ねていただいて、今、町野先生がまとめていただいたような形の線でずっと討議が来て、大体、そういうところへのコンセンサスというのは、きょうの少し違うご意見もありましたが、それは小さなご意見であって、大きなところはまとまってきたということを思っています。

ですから、これをあとどうやっていくかという問題ですが、ここら辺になってくると、少し私自身は心もとないところがあって、というのは、法律論というのはよくわからない、それをどうしていくかということを今少し気にしているところです。

その点で、法律で、とにかくここのところに刑罰の量を書いていないのがあれだという話があって、刑罰が少なければ、それならやってみようかというのが出るか、えらい話にもなってしまいましたが、そういうところが非常にウエートが高い問題でしょう。刑罰が低ければ、お金を払って、刑務所へ少し行ってでも、やってみるわという感じのものみたいな格好の判断をしていいのかどうかというところが、私自身は気になる。

そういうことを含めて、やはり法律にすると、刑罰をとにかくつくらなければならないので、法規制でないほうがいいという格好のウエートのものではないのではなかろうかと実は思って、私自身は聞いていました。

きょうのご意見を含めて、最終的には、今までのご議論の中での1つのコンセンサス、それから町野委員にお願いでした「法律ならこうなる」という形のことをまとめていただくというような作業を通して、最終的には、全体の幅というのは大体どっちにしろ絞り込んできていただいたと思いますので、あとは、ガイドライン規制にするか、法規制にするかという問題に関しての討論を1回、2回やっていただくということで、ある終結の方向へ進んでいければありがたいのですが、これは藤木課長、どうでしょうか。

(事務局)

私が適切かどうかわかりませんけれども、本委員会も既に1年半議論を重ねてきておりまして、有益な議論がたくさん重ねられてきたと思いますが、一方で、豊島先生のお話のように、ずっとどこまでも議論していくということではなく、やはりあるところで方向性を見つけていかないといけないと思います。

残っている問題は、確かに大きく2つあって、委員長がおっしゃられましたように、1つは、法律でやるのか、ガイドラインでやるのか、あるいはその折衷のスタイルでやるのか、その辺の形態をどうするかということであります。その検討を進める際にはもちろん、森島先生がおっしゃられましたように、その根拠がいかなるものであるかということをもちろん考えなくてはいけないわけですけれども、この中間報告書の段階から残っておりました法律か、ガイドラインかという問題について最終的にどうするかを議論していくということが1つのポイントです。

もう1つ、きょうは出ておりませんでしたけれども、何を規制すべきなのかという点も実は問題点として残ってございます。きょう資料としてお配りしてございますけれども、文部省の告示におきましては、既に核移植の段階からクローンはやるべきでないということになっておりますが、一方で、町野先生の報告書では段階論になっておりまして、胚の研究の段階までは研究を認め得るものであるということになっております。ただ、コントロールが必要で、そこから先はやめるべきではないかという段階論になっているかと思いますけれども、そこについても最終的に結論を出さなくてはいけない。その2点が、中間報告書の段階から大きな問題として残っていたと思います。

その2点の問題について、いずれにしても、かなり長く議論してきておりまして、論点も、きょう町野先生の報告書が出たこともありまして、従来、法律の場合に、研究の萎縮効果とか、いろいろ法律による規制の態様が不明確であったことに起因して、いろいろわからない、議論として進められていなかった、そういうところがかなりイメージとしてわかるようになってきたと思います。そろそろ具体的に、法律、ガイドラインの問題について、最終的な方向を見つけていくための議論をしていかなければいけないかなと考えております。

(豊島委員)

先に失礼しますので、最後に、今のことに関して一言だけ言わせていただきたいと思います。

1つは、文部省のガイドラインの今の核移植の禁止というのも、とにかく早くやらないと、大学としては技術的にはできる状況になっているので、文部省ではいろいろなことをやる前に、どのあたりまで規制するかということで、受精卵に対する核移植をとめたというところからスタートしています。

ただ、あれには、国全体としての規制が決まったら、それに対する整合性は保ちたいという条項と、それから、何もなくても3年たてば見直しますという条項、この2つが入れてございます。だから、決してあれは固いものじゃなくて、現在の議論に従って考えるということが前提でございます。

それから、もう1つの問題としては、先ほど森島先生がおっしゃった根拠についてなんですが、ガイドラインなら、感覚的には倫理規定だけでもガイドラインはできるものであって、法律としてはそれがだめなんだというところに大きな差があるんじゃないかと私は思っております。そのことはもう一度ここで議論しなきゃいけなかったと思うんですが。

それから、もう1つの問題は、これは町野先生のお答えのそれでかなりきれいにわかったような気がしてきたんですが、もし法律で規定するとするならば、私としては一番ポイントだけ、クローン人間ができる、途中の過程はどうあれ、クローン人間をつくるというところだけをとりあえず法律で規制していただいて、そのほかはオープンにしておいていただくということがポイントだと思ったんですが、先ほどからのご議論を聞いていますと、そういう突出したやり方は無理だということですので、そうだとしますと、私としてはやはりガイドラインしかないのではないかなという感じがいたしております。以上でございます。

(森島委員)

今の先生の前のほうのご意見ですが、ガイドラインなら倫理的な理由づけだけで足りるということですが、町野さんがおっしゃったように、私は、法律とガイドラインとが全く同じ根拠かどうかというのは、これはさておきまして、ガイドラインといっても、自分たちでこうやろうではないかという話ではなくて、国がガイドラインをつくって、その意味では、それをどれだけの強制力があるかどうかは別としまして、一研究者に対して「これでやれ」ということですから、その意味では、皆さんが一番大事に思っておられる研究の自由をその限りでは規制するわけですね。

ですから、その意味では、規制の方法は違いますけれども、やはり規制するわけですから、加藤先生流に言えば、倫理的であれば何でも規制していいんだということにはならないので、その辺もやはり、私は、ここで議論しているガイドラインの性質ということをご考慮いただいて議論をしないと、ガイドラインなら何でもいいんですよ、法律ならちゃんとした根拠がなきゃだめですよという議論は、少なくとも外側では通用しないということで、それで、自分たちでやるんだからいいじゃないかということだとすると、今度は逆に国民のほうからしますと、それじゃ、自分たちがいいというなら何でもやる気かということになりますので、やはりここまではガイドラインとしてやります、こういう根拠でやりますよということを法律にしないでも示しておかないと、私はこの研究会の任務を果たしたことにならないと思いますので。

(岡田委員長)

どうもいろいろありがとうございました。いろいろなご意見がありましたが、これからの作業としては、規制の根拠の問題とか、規制の形態とか、規制の範囲とか、町野委員につくっていただいたもののベースの中から、問題点をもう1回引っ張り出して、整理してみることが要ることになりそうですが。どうなんでしょうか。私自身は相当きちんとなっているというのがあります。

(町野委員)

先ほど論点を整理していただきましたように、要するに法律か、ガイドラインかという論点があるんですけれども、その前に一応、先ほども藤木課長が言われましたとおり、重大な問題が出ていまして、つまり、人クローン胚について、従来の考え方は、一律につくっちゃいかんという考え方だったんですね、法律によるか、何によるかは別に。ところが、この案というのは、研究目的のためには許容し得るという前提に立っているので、これはその意味では非常に大きな、ある意味で自由化の方向なんですよね。だから、これが妥当かどうかということの議論というのもやはり1回はしていただきたいと思います。

(木勝(ぬで)島委員)

国のガイドラインを作る根拠はすでにもう中間報告でまとめた4つの原則として示されているでしょう。それは、きょうお配りいただいたどのような政策が望ましいかというメモに再録させていただきました。中間報告までに大変な努力をしてまとめたその4つの原則というのは、単なる倫理原則ではなくて、人の生命の操作が許されない範囲を確定するものです。法律の言葉で「公序」という言葉がありますけれども、公の秩序を指定するというか、みんながこうあるべきだと思っているだろうことを改めて確認する意味があります。ガイドラインならそういう根拠でいいのではないかと考えます。

それから、法律でどこまで禁止するべきかという議論とあわせて、法律の要綱が案として出てきたわけですから、やはりガイドラインにするとどうなるかという案も出すべきです。指針にしたときの根拠はこれでいいのではないか、指針にしたら、内容と順番はこんなのでいいのではないか、対象範囲はこんなのでいいのではないかという具体案を示すのです。

私は、町野委員が今言われた点に関しては、クローン胚の作成または使用に関しては、事前の研究審査制にするという線でいいのではないかと考えます。その中で禁止するべきものを指針の中である程度特定していくのがベストではないかと思います。法律案が出てきたわけですから、やはり指針案もつくってみる必要があるでしょう。

そのうえで法律にしたらこんなになる、ガイドラインにしたらこんな姿になる、それぞれの特質はこうであるということが大分まとまってきましたので、その両方を生命倫理委員会にいったん上げて検討してもらうのもいいのではないかと考えます。

(岡田委員長)

どうもありがとうございました。

(勝木委員)

さっき町野先生がおっしゃったように、根拠は医療目的でしょうけど、それを人胚を操作することについてどうかということはやっぱり議論すべきではないかと思います。核移植することそのものが操作することですから、そういう原点でやっぱり考え、議論はする必要があると思います。

そのときに、おそらく、さっき町野先生がおっしゃった自由化という言葉を使われましたが、もしこれを本当に核移植を認めると、日本がきっと初めて、明確に核移植をしてよいということを言うことになると思います。ですから、どんな有用性が考えられたとしても、そこはやっぱり非常に明快な根拠を出しておかないと、これは個体をつくらないからいいんだということだけでは、国際的に見ても十分な理解が得られないのではないかと思います。

(永井委員)

ちょっと離れますが、基本的なことで一言。さっき勝木委員が言われたことに関係しますが、クローンの問題は結局、物理とか、化学とかでの対象の扱い方とは違うので、わかっているものを扱っているのではなくて、実際、生命というものが我々はわかっているかのように最近はさかんに言われるのですが、そうではなくて、全くわかっていないものを対象にしてこの問題が起きているということを絶えず念頭に置かないと、非常に困ったことになるのではないか。

つまり、核移植したといっても、移植されるべき核がどういうものかを十二分に知っての上ではなく、生命というのは時間的な存在ですから、何が起きているかわからないものを移植して、その後で、ではどうなるかというのは、化学反応を見ているのと全く違うことを我々は対象にしているということです。これをいつも頭に入れて置かないと、間違った道に入り込むのではないか、ということです。

(岡田委員長)

確かにそういうことは、委員会でもずっとそういうベースの上の中でやってきていることだと思いますし、安全性という言葉の中にそれが入っていると理解していいのではないかと思います。

それで、今、町野委員と木勝(ぬで)島委員からのお話もありましたように、ガイドラインとしたらこうなる、法律としたらこうだろうということについて、どちらがよりよくて、どこが悪いかというところもご相談をしていくところから、内容の問題点もまた繰り返し出てくるかと思うのですが、次の会は、ガイドラインの話が随分出ましたので、ガイドライン、法律、そこら辺のところの問題点を表面に出して、できれば、この会の終結へ向かって不足しているところを加えていくという会にしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

事務局で、ガイドラインと法規制の問題点をまとめてくださっているということですが、これを説明していただけますか。

(事務局)

資料9−4、これは既に前回の委員会でも、法律規制とガイドライン規制、特徴的にはどうメリット、デメリットがあるだろうかという議論をしていただいたわけでございますけれども、今回、特に町野委員にまとめていただいた報告書を作成する過程で、この点につきまして相当ご検討もいただき、そこに特徴的な問題がかなり出てきていると思いましたので、ここの資料9−4、1枚紙でございますけれども、法律による規制とガイドラインによる規制を比較して、どのような価値を重視するかということによって、どちらを選択していくかということを判断していく1つの材料になるだろうと考えて作製したものであります。ガイドラインによる規制よりも法律による規制がすぐれているだろうと考えられる点と、逆に法律による規制よりもガイドラインの規制がすぐれていると考えられる点、それを、特に町野先生の報告書を見ながら、ここで整理してみたものでございます。

1の場合は3)まで、2の場合は5)まで、ここに出ているようなどの価値を重視するかということによっても、どちらが適切かという判断がなされていく根拠になり得ると思いまして、参考のためにまとめたものでございます。

まず、法律による規制のほうがすぐれているというポイントとしては、町野先生の報告書にありましたように、これはまず民主主義の要請である。議会という国民の意思形成の最高決定機関で審議されるという、いわゆる民主主義の根本的方法論に合致しているというのが1つ。

それから2つ目が、強制力の問題として、いわゆる組織の内部の方のみならず、それに違反しようとする者、あるいはその外部の者に対しても、国が強制的な措置を発動できるというのが2点目。

3点目は、きょういろいろ議論がございましたけれども、仮に世界各国が法律規制する方向を示す場合には、日本だけがクローン天国にならないようになることが必要だという点で、すぐれているということかと思います。

一方で、ガイドラインの規制がすぐれている点としては、法律規制をやると、刑罰を恐れて研究が萎縮するということでございますが、これはもちろん法律の規定が不明確な場合に非常に甚だしいわけで、逆に法律の規定が明確な場合には、これはあまり起こらないかもしれません。

もう1つは、医者や研究者という世界は、プロフェッショナルとして、自律性・独立性を有すべきであるという価値観がございます。ここに関しては、国家が介入するというのはできるだけ避けたほうがいいという価値観を守るためには、ガイドラインのほうがすぐれているというポイントがございます。

それから、規制の実効性という観点から見ても、自主的規制ですから、みずから集団内部で自己統制をするほうが、より緻密でソフトな規制を行うことが可能であるという考え方もできると思います。その結果としては、法律による規制よりも実効性が高くなるという考え方もあると思います。

また何度か出ておりますように、いろいろな情勢がどんどん動いていく段階では、ある意味で非常に硬直的な法律よりも、柔軟対応が可能なガイドラインのほうが的確に対処し得るという考え方もあると思います。

また、他の規制がガイドラインで作られている中、これだけ法律による規制をするというのは、整合性がとれないのではないかという点もあると思います。

この中のどのポイントを重視するかによって、法律、ガイドラインを考えていくことができるかということで、参考のために項目を整理してみた資料でございます。以上でございます。

(岡田委員長)

どうもありがとうございました。

(武田委員)

今の整理のお話の中で、ガイドラインの強制力の問題で、公的補助金の給付をとめることができるだけだというふうな書き方なんですね。こういうことがガイドラインの規制の本質であるなら、ガイドラインということをもう少し考えないといけないと思うんですね。産婦人科学会は今非常に困っている問題が1つございます。そういうことが、これで起こらないとは言えない。だから、ガイドラインというのは、特に公的なガイドラインというのがどこまで強制力を持つかということを詳しくお教えいただきたいですね。でないと、判断ができないところがあります。

(岡田委員長)

本当にそのとおりだと思います。そちらの解説をまたお願いしたいと思います。

時間が予定どおり、12時ちょっと前になりましたが、何かご発言ありませんでしょうか。なければ、これで終わらせていただきます。本日の議論を踏まえまして、次回までに事務局と整理をいたしまして、規制の根拠と、規制の形態と、規制の範囲について、次回お願いしたいということでございます。できれば、近いうちに終結のところまで何とか整理を持っていきたいと思いますので、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

どうもきょうはありがとうございました。