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第5回科学技術会議生命倫理委員会クローン小委員会議事録


1.日時    平成10年5月14日(木)14:00〜16:00

2.場所    ワールドインポートマート8階会議室「第805・806会議室」

3.出席者

(委 員)
岡田委員長、青木委員、位田委員、菅野(覚)委員、菅野(晴)委員、高久委員、武田委員、永井委員、木勝(ぬで)島委員、町野委員、三上委員、森島委員
(事務局)
科学技術庁 大熊官房審議官 他

4.議題

(1)クローン問題の論点について

5.配付資料

資料5−1  クローン技術の可能性と規制の在り方に関する論点整理
資料5−2  第3回生命倫理委員会における主な意見
資料5−3  第57回科学技術会議本会議における主な意見
資料5−4  第4回クローン小委員会議事録(案)

6.議事

議題:クローン問題の論点について

 (岡田委員長)

まだご予定のお二人が見えておられませんが、時間が過ぎておりますので始めさせていただきます。
それでは、まず、配付資料の確認をお願いいたします。
(事務局)
本日は、配付資料は、番号を振ってありますものが四つと、席上配付となっておりますのが二つでございます。資料5−1が論点整理のメモでございます。資料5−2が第3回生命倫理委員会における主な意見、資料5−3が本会議における主な意見、資料5−4が前回議事録(案)でございます。そのほかに、配付資料で、町野先生からの資料であります「ヒト・クローンの規制を行うことの問題」、それから、木勝島先生からの資料であります「小委員会論点整理・意見」の、この6点がお手元にまいっているかと思いますが、もしございませんでしたら、早速配付させていただきます。
(岡田委員長)
よろしゅうございますでしょうか。
前回小委員会の終了後の4月20日に、親委員会の生命倫理委員会がありまして、それから、その次の日の21日に科学技術会議の本会議が開催されまして、本小委員会で前回までにいただいたご議論に基づきまして報告が行われました。その際、両委員会におきまして幾つか意見が出されておりますので、まずはそれについて、配付資料とともに事務局の方から説明をしてください。
(事務局)
それでは、資料5−2と5−3に基づきまして、親委員会及びその上の本会議において、クローン問題について出されました主な意見をご紹介させていただきたいと思います。
親委員会・生命倫理委員会は、第3回会合を4月21日、前回小委員会の後、開いております。当日は、永井委員からご説明をいただきまして、それに基づきまして審議がなされました。現在、議事録については取りまとめ中でございますので、次回までには用意できると思いますが、現在まだできておりませんで、主な意見という形で、概要だけ本資料で説明させていただきたいと思います。
幾つか主要意見を挙げてございます。順不同でございますが、まず、言葉の問題として、「産生」という言葉を使っておりますが、そういった言葉については慎重に選択すべきである。それから、こういったクローン問題については社会的合意をどのように得ていくかが大切である。その過程で、人間の尊厳等に関する考え方も明確化されていくであろうというようなご意見がまずございました。
二つ目に、人間の尊厳は、人間と動物を分ける重要な概念である。これについて、今後、幅広く意見を集約していくことが必要である。その際、人間の尊厳が軽視された場合に、どのような社会が想定されるかということについて考えておくことが必要ではないか。また、規制につきましては、国際的に協調したものとすることが重要である。ただし、その際、我が国独自で議論したものが、結果的に国際的に協調したものになることが好ましいということでございました。
3点目ですが、クローン技術において、両性の関与がないとか、遺伝情報が同一だということが問題とされているけれども、これは動物界では広く見られることであって、生物界で一般的であるということのご意見がございました。また、動物に関しまして、動物は生命だけれども、人間が道具化しているという面がある。動物ではよくて、なぜ人では駄目なのかという理由を明確化していくことが必要である。その過程で、霊長類をどのように考えるかも検討が必要だというようなご意見がございました。また一方で、クローン技術を用いた再生医学は非常に重要な研究領域であって、規制を考えるという際には研究の推進の観点にも留意すべきであるというご意見もございました。
それから、クローン技術によって個別の臓器をつくるということに関しては、現状では胚を母体に戻すことが不可欠である。例えば、脳のない人体を生み出して、そこから移植用臓器をつくることは考えられるが、これはやはり容認できないというご意見です。ただ、将来、人体に近いものを生み出さずに臓器を体外でつくれるようになれば、話は別とも考えられるということも付加されておりました。
また別のご意見として、動物に関する記述については、「有用性」があるという記述がございますけれども、それは人間にとって有用だという意味が強くて、動物を道具化しているように読める。「有用性」とは、どのような視点からの有用性なのか明確にするべきであるというご意見もございました。
動物について若干意見が出たものですから、引き続き、動物については、ペットは人間に近いぐらいの尊厳が求められる場合がある。クローン技術による動物個体の産生について規制を考えるときには、「食用」とか「実験用」というような動物はいいとかいう限定をする考え方もあるというようなことも出ておりました。
また別の意見として、規制は国際的に協調したものとすることが大事であって、もし国ごとに規制の考え方が異なるのであれば、まず、厳しめな安全サイドに規制をして、徐々に解除していくということも考えられるというご意見がございました。
それから、人間の尊厳は直ちに日本国憲法の概念と結びつけるよりも、生まれてくる人の安全性の確保、ヒトという種に対する他者危害、社会的・倫理的システムの維持等といったものが法的規制の理由となるかどうかを考えるべきであるという意見がございました。
それから、クローン問題について考えをまとめていく際には、日本人の感覚、物の見方、こういったものを基礎とした現実生活になじむものとすべきである。動物のクローン作製については、法的規制を行う必要がないとしても、生物の多様性に対する人為の介入といった点から議論は必要ではないか。また、規制については、将来、種々の議論がなされていくであろうから、さしあたりの措置を考えるという立場が適切である、そういう考え方が出ておりました。
次に、特定の臓器を人個体を生み出すことに類似のプロセスなしにつくるということについては、現状では難しいけれども、将来的には可能になることも想定されるというような内容に論点メモはなっております。したがって、規制の在り方については、人の個体の規制、細胞の増殖の規制、将来の技術開発により評価が変わる臓器作製の規制といった三つに分けて検討すべきである。これは、規制と書いてありますが、少し言葉を補足しますと、規制をするかどうかということも含めて、規制と言っておられたと覚えております。
それから引き続き、これまでの科学の進歩を考えると、社会の考え方に当初なじまないというような場合でも、研究を推進していったら結果として進歩が生じたという場合もある。したがって、世論の酌み取り方、反映方法については、さらに議論をすべきだというようなご意見もございました。
最後に、生殖医療にかかわる規制というのは、日本産科婦人科学会の会告が学会員に守られているかどうかという有効性が問題になっていて、学会レベルの規制には限界があると思われるというご意見もございました。
2時間にわたりましていろいろな議論が行われましたので、このほかの意見も出ておりましたが、詳細は、次回、議事録を用意させていただきたいと思います。
引き続き、資料5−3の方で、翌日4月22日に本会議において、森生命倫理委員長からクローン小委員会での議論の経過、内容についてご説明があり、それにつきまして大要以下のような意見が出されました。
まず一つ、臓器移植法に触れた議論がございまして、臓器移植法を成立させた際の審議の過程及びその後の臓器移植が一例も進まないという中で、先端科学技術と倫理と法律、これは互いになじまないのではないかということを痛感した。専門家の責任感に任せるというのがいいのであって、法律で縛るとしても、それは最後にすべきだ。そうしないと、科学技術は進歩しないのではないかという意見を言われた方がございました。
それから、クローン小委員会ではすぐに規制という言葉が出てきたようだが、いかがなものか。クローン技術の利用に伴って社会にどのような問題が生じるかについて、さらに体系的に議論すべきである。これは、少し背景を申しますと、科学技術会議の本会議、実は全体として非常に短い会議でございまして、ほかの議題もございましたので、この問題に時間は、割かれた全体として十数分しかございませんでした。その中で、森委員長からは約2分程度の最初の紹介でございましたので、このクローン小委員会で具体的にクローン技術がどういう有用性があるといったようなことも含めて議論をしたということについては、この本会議の議員の方には行き渡らなかった面があったのかもしれません。それがこういった背景になったのかもしれません。
3点目でございますが、欧米にはキリスト教的価値観があり、人と動物を容易に区別して、人間の尊厳あるいは人間の個体が生み出てくる、そういった創生といった視点から比較的簡単に合意が得られているようだ。一方、アジアでいろいろな人と議論してみると、人生観、宗教観が多様であって、意見を集約するということがなかなか難しいというようなご意見がございました。
それから四つ目で、日本社会では頼るべき一般的規範がなくて、問題別に日本人全体の合意を形成しなければならない。学術会議では、専門家によって科学的予測を行って、世に知らしめるということで合意の形成を図ろうということで、現在、議論をしているところであるというご意見がございました。
それから、学術審議会の議論では、個体の作製については、ガイドラインによる規制という意見が主流であると聞いている。ただし、新しいものに取り組むということに日本全体が臆病になっているということに気がつかされるというご意見がございました。したがって、起こり得ることについての情報を最大限提供してもらって、その上で冷静に判断していくということが大事である。クローンについては、プラスが強調されず、マイナス面のみの指摘が多いけれども、このままでは科学技術の新しい分野は広がっていかないということで、その上で、マスコミの協力も必要だというご意見もございました。
さらに、冷静に判断しなければならないということに全く同感であって、クローン問題だけでなく、SF的な想像と学問的に想定される将来像が混同されて議論されていることが多いということに注意するべきだというようなご意見がございました。
生命倫理委員会には永井先生がご出席でございましたので、もしお気づきの点等ありましたら、さらにお願いしたいと思います。
(岡田委員長)
永井先生、いかがでしょうか。
(永井委員)
特にございません。今までお述べになったことに尽きると思います。ただ、私の感触としては、人間のクローンというけれども、動物ではなぜ良しとするのか。それに対してもう少し考えても良いのではないかということが何となく表に出てきていたように思います。
(岡田委員長)
どうもありがとうございました。
今日、森島委員が初めてご出席でございますので、ご紹介いたしたいと思います。ごあいさついただけますでしょうか。
(森島委員)
今までいろんな所用で出席できませんでしたけれども、今日から出席させていただきます森島でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
(岡田委員長)
よろしくお願いいたします。
今、ご説明がありましたようなご意見が、生命倫理委員会と科学技術会議本会議の方から出ているということですが、中身としては、小委員会でディスカッションした内容の外にそれほど出ているものではないということではないかと思います。
それでは、これからが本題になりますが、この二つのメモも含めまして、資料5−1、「クローン技術の可能性と規制の在り方に関する論点整理メモ」に関してご議論をいただきたいと思います。まず、前回の議論を踏まえまして、資料5−1の2に当たります規制の在り方につきまして、記述を相当書き直しておりますので、その点につきまして事務局から説明をしていただきたいと思います。
(事務局)
前回の本小委員会の議論におきまして、クローン技術の人個体の産生への適用の内容につきまして、ご議論が多々あったかと思います。それを踏まえまして、委員長と相談の上、相当修正してございます。内容につきまして、修正した点を中心に簡単にご説明させていただきたいと思います。
規制に関する検討、3ページ目からでございます。その前は特段の変更はございません。規制に関する検討につきまして、まず一つは、国際的に協調したものにすることが必要だという点。ここは前回と同じでございますが、その下の箱から、クローン技術の人個体への産生への適用から、かなり前回と変わっております。
まず一つは、前回は科学的意義や社会的意義といったことに触れておりましたが、今回は客観的な意味だけを最初に書くということに、前回の意見をもとに修正してございます。科学的意味としては、次の4点がやはりクローン技術の特色ではないかということでございます。
まず最初が、男女両性の関与がなくても子孫を生み出せるという無性生殖の道を開くものだというのが1点目です。
2点目が、この場合、通常の受精ではその配偶子形成過程で起こる組みかえが起こらない。したがって、遺伝的形質が遺伝情報の提供者と同一であること。
3点目が、その結果、成長過程では環境要因の作用による相違は生じるものの、生み出される人の表現形質が相当程度予見可能であること。
4点目が、したがって、あらかじめ表現形質が相当程度予見可能だという特色から、特定の表現形質を持つ人を一定程度意図的に生み出すことが可能であるという、この4点が、少なくとも客観的に見て正確なところではないかということでございます。この特色を基礎に以降を考えるという体裁をとっております。
以降、人間の尊厳の問題と安全性の問題と二つ出てまいりますが、前回に比べて極めて短くなってございます。
まず、人間の尊厳の問題でございますが、前回ご議論がありましたように4点に集約しております。
最初が、人を、意図的に特定の性質を持つようにつくり出すもの、すなわち育種といったような観点が含まれる、そういった性格の技術であるということ、また、人間を手段としてあるいは道具としてとらえているというものであるということ。その結果として、生まれてくる方に個人としての自由な意志や生存が尊重されない、そういった状況を生み出すものではないかというのが第1点。すなわち、この特色は、前回、育種といった観点で語られていたものと思います。
それから二つ目、4ページにまいりまして、最初の白丸でございますが、遺伝的形質があらかじめ決定されている無性生殖であるということで、人間の命の創造というものにかかわる基本概念、社会的な認識、すなわち男女の両性のかかわり合いの中で子供の遺伝的形質が偶然的に定められるものであるという、人間の命の創造に関する社会的認識から、無性生殖であるということで大きく逸脱しているという、社会的秩序を大きく乱すものという認識、これが二つ目でございます。
三つ目、このクローン技術を医療用の技術ととらえた場合であっても、その人個体を生み出すことへの適用というのは、人間の手段化や道具化、すなわち育種との側面を否定し得ない上に、人間の生殖の基本概念も大きく侵すということで、仮に不妊症治療であっても認めるべきではないというのが3点目。
4点目が、前回、便宜的利用というふうにとらえられていたものですが、医療以外の目的で便宜的に用いる場合、すなわち、健康な方が単に自分の遺伝子を将来残したいと願うような場合には、不妊症治療の場合にも増して、人間の手段化・道具化であるという側面を否定し得ない上に、人間の生殖の基本概念を大きく侵すという点でも変わらないという、この4点が、やはり人間の尊厳を大きく侵すのではないかということであったかと思います。
そういった人間の尊厳の観点と、もう一つ、安全性の問題。これは前回と変わっておりませんが、正常の受精に比較して、成長過程で障害を発生したりするような可能性が否定できないということで、安全性がわからない状況でクローン技術を適用するということには問題があるのではないかということであります。
したがいまして、安全性、人間の尊厳の問題を考えてみると、禁止のための規制ということが妥当ではないかということであります。
研究の自由との関係は、前回と同じ書き方でございます。
前回はもう少し議論がまいりまして、規制の対象のあたりまで若干議論に入っておりました。ここもかなり簡素化されておりまして、もし規制を検討するといったような場合には、規制の対象が明確にされなければならないであろうということで、現在の科学的知見では、人の胚は母体への胚移植の過程を経なければ、出生、成長する可能性がないということで、人のクローンの個体を生み出さないためには、胚の母体への胚移植の段階を禁止の対象とするということが適切ではないかということでした。
さらに議論が若干ございまして、人の胚につきましては、原始線条が出現する段階を越えて体外で培養するということについては、通常の体外授精等の場合でも一般的に問題があるとされているということに留意するべきであるという議論がございました。
また、人個体を生み出すことを目的としないような場合であっても、特定の臓器を得るために母体への胚移植を伴うような行為を行う場合には、人個体を生み出すことに非常に類似の実態を含み得るという観点から、人の個体を生み出すもの自体と同様に、やはり問題ではないかということでございます。
それ以降につきましては前回と変わっておりませんが、ごく簡単に申しますと、クローン技術の人個体を産生しない目的のための適用につきましては、これが体細胞培養であるということを明確にした上で、種々の科学的・医学的可能性が認められることから、安全性の確認に慎重な検討が必要であるものの、人個体を生み出すものではないので特段の規制をする理由は見当たらないとしています。
それから、動物の個体を産生する目的のための適用については、一般的な動物の保護、管理につきまして、動物の保護及び管理に関する法律が適用されるということから、クローン動物の保護、管理についても同様の規制を考えることとしていいのではないかとしています。ただ、その動物の保護、管理の在り方そのものについてさらに検討が必要だということであれば、これは、生命倫理委員会にもう一度差し戻して検討すべきではないかということであります。
それから、哺乳類のクローン個体作製については、上の方で有用性があると言っておりますけれども、その推進は、知的所有権に配慮しつつも、適切な情報公開を進めるということで社会の理解を得ていく必要があるのではないかということでございます。
それからその次が、人と動物の交雑胚といった核移植、さらには胚移植の問題ですが、これにつきましても、有用な科学的知見をもたらすというよりも、好奇的関心に引きずられているというものであって、通常は人間の尊厳を侵害する行為と考えられるのではないかということであります。
規制の手法以下につきましては、まだオールタナティブが幾つも書いてございまして、ここにつきましては、前回、まだ議論がここまで進んでおりませんので、前回と変わっておりません。もし必要でございましたら、後ほどまた、少し簡単にご説明させていただければと思います。
(岡田委員長)
どうもありがとうございました。前回までのご議論というのをまとめさせていただいて、こういう形で一応ご提出を申し上げたということであります。6ページの規制の対象までは、1回ご意見をいただいたものをまとめたということでありますので、本日は主に7ページ以降についてご討議ください。
(事務局)
1ページずれているかもしれません。5ページの中ほどにございます。
(岡田委員長)
5ページの、クローン技術の人個体を産生しない目的のための適用というあたりから後のところの問題を主に今日はご討議いただけると、大体全体がまとまってくると思っておりますが、もしも、今事務局の方で説明していただきました規制の対象までの部分で、何か追加のご意見がございましたら、これは短時間にしたいと思いますが、ご発言いただきたいと思います。
(木勝島委員)
1点だけ申し上げます。今回のペーパーを拝見して気になりました点は、人間の手段化・道具化という言葉がたくさん出過ぎていることです。前回までの議論で、クローン技術の人への応用についての判断基準は、一つの言葉に寄りかからないようにしようという結論になったと思います。つまり、例えば複製だからいけないとか、そういう一つの言葉ではなくて、幾つもの原則が考えられて、その組合せで分厚く判断するべきであるということです。そういう意味では、今回のペーパーは、複製という言葉に代わって、手段化・道具化というのが唯一のキーワードかのように出過ぎている気がします。今日、お配りいただいた私の意見メモをごらんいただければと思います。太字で書きました2の倫理的・社会的検討というところにまとめましたように、前回の4月のこちらの小委員会での議論では、その1、2、3というような言葉が使われていたと思います。それで、特に2の人の育種につながる技術利用は認められないということと、その系として、便宜的利用は認められないという原則は、こちらのペーパーでは3ページと4ページに最初と最後に分けて置かれております。しかし、育種ということであれば、これは人間の手段化・道具化ではなくて、そういう特定の価値というか、形態を持つ人間をつくり出すことに社会が動くことが、優生学の普及につながるとか、優生政策になるということだと思います。だからいけないのであると、そういう言い方をされることが普通で、私も、勝木先生が人の育種はいけないという議論をキーワードとして持ち出されたとき、念頭にあったのは、そういう優生政策への歯止めとして考えておりました。それが私が一番気になったところですので、このペーパーは、もう少し前回の4月の小委員会での言葉に合わせて書き直していただければと思います。
それで、もう一つ考えましたのは、その前回煮詰めた1、2、3の原則に、今日、規制対象で6ページの上に出てきました動物との交雑の問題を、むしろ倫理的・社会的原則に繰り入れて、「人間とほかの動物種との間の核移植、胚移植は認められない」という原則として付け加えてもいいのではないでしょうか。
(岡田委員長)
そういうことですね。確かに、決めつけのような形にはならない方がいいかもしれませんね。木勝島さんのご意見の中では、4の問題を動物側の方にほうり込んだらどうかということですか。
(木勝島委員)
3ページの認めてはいけない範囲ないし認めてはいけない原則、つまり何で認めてはいけないかという問題は対象ともかかわることですから、どちらに入れるかは難しいかもしれません。私は、倫理的原則として、人間と動物をまぜ合わせて生殖をやるのはいけないと明記してよいのではないかと思います。人の種に対する他者危害ということを考えるべきだというご意見が、親の生命倫理委員会の方でも出たと今日聞きました。人間と、ほかの動物種をまぜたら人の種の一体性が守られないという議論はヨーロッパでも出ています。日本社会はその点についてどう考えるかというのは、動物と人間との関係という意味で、もし日本の社会が欧米と違う考え方を持っているのであれば、一つの論点として扱うべきではないだろうかと思います。
(岡田委員長)
その方がいいかもしれませんね。これについては、また検討させていただきたいと思います。それでは、木勝島さんの今のご意見を尊重させていただくということにして、他の論点で是非とも進めておきたいところが、5ページの人個体を産生しない目的のための適用というところであります。ここのところも、このような形で論点整理をしておりますが、これに対して何かございますか。
(武田委員)
今の、人の個体を産生しない目的のための適用の一つに該当するのではなかろうかと思いますのは、最近、ES細胞様のものを羊膜細胞から分離して、その羊膜細胞にこのクローン技術−−例えば、体細胞の核移植をやりまして、染色体異常あるいは代謝異常を持つ個体にそれを返すということなんですね。そうしますと、それは、クローン技術の人個体を産生しない目的の一つにはなるわけなんですが、そういった場合に、当初から人の細胞を人に移植して発現させるということ以外に、人の細胞を動物に移植して、動物の中で人の幹細胞が生じてくるという過程を経るというふうな実験計画を、私、見たことがございますんですけど、そういう場合にはどうなるんでしょうか。
(高久委員)
異種の中に入った人の細胞を使うという事は別な議論だと私は思います。だから、ここでは議論する必要はないと思います。もっと複雑な問題になりますので、その議論は別なところでやる必要があると思いますが。
(武田委員)
ただ、項目としてそういうことを挙げておく必要があるかと思うんですね。将来的に、確かに議論の場は、個体をつくるクローニングの場とは違うかもしれません。ただ、今のような異種移植ということが、そのままフリーに行われていいのかどうかという議論はどこにもされていないと思うんですね。それはどういうふうに考えたらいいのか、この場で持ち出すべきなのかどうなのかですね。それは、この中で一つ、これは初めから否定的に書かれてございますが、私、それに異論はございませんけれども、ミトコンドリア異常症に対する治療、これは不妊症治療というふうにくくってございますが、これは不妊症治療じゃないわけですね。疾患の治療に対応するわけなので、流れとしては、先ほどの代謝異常の治療とほとんど同じことになるわけですね。だから、その辺の整合性はやはり考えておく必要性があるのではないかというような感じがします。
(岡田委員長)
私の感じですと、できたら、生殖系のものを子宮に着床させてどうこうというあたり以外のところは、外しておきたいと、非常に強く感じています。
(武田委員)
私は、外すのに異論があるわけじゃないんですよ。それをコメントしておくべきだと思うんですけどね。
(岡田委員長)
菅野先生、何かありますか。
(菅野(晴)委員)
それは非常に重要なことではありますけれども、ここでは扱わない方がいいと思います。それは、また別に扱うべき大きな問題ではないでしょうか。そして、そっちの方が、むしろ緊急だとも言えると思うんですよね。影響するところも非常に大きいんじゃないでしょうか。
(武田委員)
まさにそのとおりだと思います。
(木勝島委員)
ただ、その場合に、どこの場で扱うかということがありますね。
(武田委員)
これはまた別の議論なんですね。ただ、我々がそういうところを無視して通ったということではなくて……。
(岡田委員長)
議論に入っていたというような意味合いでですね。
(武田委員)
何かそういう過程は残しておくべきだと思うんですね。
(事務局)
恐らく、生命倫理委員会そのものの議論に今のようなご提起の話はあり得るのではないかと思います。クローンということですと、その議論は整理するというふうな先ほどからのお話になるんじゃないかなと思います。
(岡田委員長)
ここでの小委員会としての中間まとめということで、相当コンパクトなものをつくらなければいけませんが、そこからはみ出したものとしてどんな問題があるかというのは、別口で少しまとめてみるという形にいたしますか。
(永井委員)
武田委員が言われるのはごもっともで、人のステム細胞はほとんど樹立されたと言われていますから、そういうことで気にされているんだと思います。
つけ足しますけれども、2か月ぐらい前ですか、アメリカの獣医さんが集まる会で、既に動物のクローンの胚クローンを300ドルから3,000ドルの間で取引され初めているということを言っておりました。
(岡田委員長)
そのほかの項目に対してのご意見はございませんでしょうか。
(高久委員)
4ページの2番目のフレーズ、すなわち男女の両性のかかわりの中、子供の遺伝的形質が偶然的に定められるという人間の命の創造にかかわる基本概念を侵すものである。まさしくその通りなのですが、じゃあ、ほかの動物はどうでもいいのかと、少し抵抗は感じるけれど、こういう表現しかないのでしょうね。
(永井委員)
親委員会の議論でも、どうして人間だけを特別扱いにしなければいけないのか。つまり、動物に対する考え方を……。
(岡田委員長)
いや、もうそれはやめましょう。永遠にやっても結論がつくわけではないから。とにかく人間が一番強いんですよ。それを前提としてやっているだけの話です。
(木勝島委員)
ただ、もしよろしければ、この点もさっき申し上げたかったのですが、男女両性のかかわり合いということに非常に大きな価値を置くというのは、ほかの人といろいろ議論をしていたら、それは家族の結びつき、あるいは結婚を神の秘蹟と考えるキリスト教的な考え方なのではないかという人もいて、日本社会はそれをそのまま受け入れるのか、それとも、何か日本の社会は日本の社会で別の理屈ないし価値づけがあるのか議論の余地があるのではないかということを言われました。私も、今、なるほど、確かにそういう側面はなきにしもあらずなので、この部分についてもう少し議論した方がよかったのかなと思います。前回の武田先生の表現では、「男女両性の生殖細胞を用いない生殖技術は認められる範囲を超えている」ということでした。そういうおっしゃられ方だと非常に具体的で、それならわかるんですが、男女両性のかかわり合いという少し抽象的な表現にしてしまうと、そこにどういう宗教的価値を置いているのかということになって、もう少し言葉を足して議論しておいた方がいいのかもしれないと思います。
(青木委員)
今の意見で少し気になることなんですが、よく日本でこういう議論をすると、必ずキリスト教的というのが出るんですけど、必ずしもそうじゃないんですね。それを前提に出すのは、やはり科学の世界では駄目なのであって、宗教を超えた上で論じることです。キリスト教だからいいとか、キリスト教じゃないから悪いとかという話じゃないわけですね。わりと日本で議題になると、こういうとき、さっきおっしゃっていましたが、キリスト教的じゃないかと結論付けます。男女両性というのは、日本だってきちんと戸籍上認められている本来のことであって、夫婦間の問題です。ですから、余り宗教的なこういうことが決まっているというふうに話の論理を持っていくのは、非常にまずいんじゃないかと私は思うんですね。それを抜きにしてやるということだと思うんです。ですから、私はこれでいいんじゃないかと思います。
(木勝島委員)
ですから、日本の社会は日本の社会で男女のかかわり合いということに非常に価値を置いているということを論点として明記すべきだということです。それは、キリスト教とは全く関係のない価値観であるとまで書く必要はないと思いますけれども、日本の社会もそこに価値を置いている社会なのかどうかというところは、一つ明記しておく方がいいのではないでしょうか。つまり、それは、日本の社会が、同性愛のカップルに生殖技術で子供をつくる、あるいはクローン技術で子供をつくることを認めるのか、認めないのかという議論にもなるからです。その点は、きちんとそういう言葉でここでは議論しなかったと思います。そこは皆さん全員の暗黙の共通了解としてあったのかもしれませんが、明文化しておく必要があるのではないかということです。
(青木委員)
私はあんまりそこまでやる必要はないと思いますね。
(岡田委員長)
いずれにいたしましても、今の話はこういう言葉から出てきたものでして、そうして見ると、やはりもう少し砕けた表現というか、大上段に振りかぶったようなこの表現は、少し変えませんか。私はあんまりこういう表現は好きではありません。けれども、法律的にやろうと思えば、このようなことを書かないといけないのでしょうか。
(木勝島委員)
そこは避けては通れないところだと思います。
(岡田委員長)
もう少しあっさりした言葉で書けるといいという感じはやはりいたします。ここのところは、また事務局の方でよく考えてください。
(木勝島委員)
やはり、無性生殖はどうしていけないのかというのは議論になると思います。親の生命倫理委員会で出た、動物がよくて何で人間が駄目なのかという意見は、一つの含みとしては、何で人間の無性生殖はいけないのかということなのかもしれない。
(岡田委員長)
この基本概念とは何だという囲いになってくると、これまた、討論になるのでしょうか。これは、ややこしいですね。
(木勝島委員)
今日のペーパーにあるように、遺伝的形質が男女両性の交配で偶然的に定められるというところを論点にするのであれば、むしろ、男女両性のかかわり合いという抽象的言い方ではなくて、武田先生の言葉のように、男女両性の生殖細胞を使う、という言い方の方がいいのではないでしょうか。
(岡田委員長)
ここのところでちゃんと入っているわけで、そのあたりでとめて、文章になるかどうかというのを少し考えてみてください。
(事務局)
前回の議論を振り返ってみますと、この辺は、日本の社会が子供を産むということをどう考えているのかという議論から、それはやはり、人類共通の基本概念等々と言及されていたりというよりも、日本の社会の中では少なくともこう考えられているという文脈で議論されていたんだと思います。
(岡田委員長)
ここの話合いはそういうことでしたね。
(位田委員)
一言だけよろしいですか。ここの表現は社会的認識の話だと思うので、科学的に正しい言い方と、社会的に認識するとこういう言い方になる、というのとは、少し違うと思います。科学的には、さっき木勝島さんがおっしゃったようなことだと思いますけど、社会的認識としては、その細かな言葉の書き方がどうかという問題は残るとしても、一般的にはこういう認識であるということじゃないんでしょうか。
(岡田委員長)
そこら辺でそっとしておいた方がいいかもしれないと思います。
ところで、人以外の問題のところは、大体こういう格好で、そう問題点はないような気もするんですけど、そういうことでよろしいですか。
三上委員の方から、6ページの上の哺乳類というあたりのところに関して、霊長類の問題点の提起があったように事務局の方から聞いていますが、いかがでしょうか。
(三上委員)
先ほど、生命倫理委員会の方も何か出ていましたね、霊長類というような話が。この辺はむしろ、前回、こういう意見が出るんじゃないかなということを心配して、この場でも一応そういう検討が必要なのかなという形で出したんですけれども、生命倫理委員会で出た意見というのは、そういうようなことだったんですか、霊長類について。
(事務局)
霊長類についてどう扱うべしというようなことまで踏み込まれませんで、霊長類についても考えておく必要があるということでした。これは全体の流れとして、要するに動物と人となぜ違うのかという中で、霊長類は特にわかりにくいことがあるのではないか、そういう文脈で話されておられましたので、どちらがいいとも悪いとも言っておられなかったんですが、そういう文脈でございました。
(岡田委員長)
動物と人間の核の交換とか、こういうのはぐあいが悪いというのが出ているのは、次のフレーズですね。具体的には、例えばチンパンジーと人の核との交換とか、チンパンジーの子宮に着床するとかというような形のことは、ぱっと想像できるから、そのようなものという意味では、具体的に霊長類が一番中心になると思いますね。これを一応問題として、ぐあいが悪いという表現で処理してみようというわけですか。
(三上委員)
それは、羊とヤギのキメラをつくったときから、そういう論議というのはされてきていて、したがって、どの程度の種の違いならば可能なのかというようなことのときにも、やはりそういうような論議はあったと思うんですね。
(岡田委員長)
多分、やろうと思えばすぐできるし、それをやられると、もう冗談にならないというのが瞬間的に感じとれたのが……。
(三上委員)
私の方は、前回、メモを出したのは、家畜というのはやはり野生動物とは違うんだと。何千年、7000年とか8000年とかという長い過程を経て、人間の生殖制御によって増殖されてきたものであると。そういうものについて、我々はクローン技術の開発を進めているんだというふうに、ある程度限定した方がいいのかなという気がしたんですよね。そういうことで、家畜というところに限定して考えてきたと。
(岡田委員長)
ああ、そういうことですか。そういう分け方ですね。そういう分け方は確かにありますね。
(木勝島委員)
もう一つよろしいでしょうか。これも親委員会の意見を拝見してわかったのですが、西洋では、動物を幾つかのカテゴリーに分けて法令による管理をやっているのです。野生動物と人間が飼いならした動物と実験動物というふうに分けて、それぞれの規制なり管理なりがあるようで、クローン技術も、例えば希少野生種の復活のために使いたいという応用が考えられていれば、それは野生動物の保護令の枠内で考える。実験動物については、実験動物の扱いに関する細かい法令がある。それからもう一つは、ペットと家畜は少し違うみたいなんですね。ドメスティック・アニマルという言い方を向こうではするようなんですが、家畜は、技術的に加工するのは何とも思わないようなんですが、ペットはまた別で、ここでも、もしかしたらペット動物のクローニングはいいのか悪いのかという論点があり得るのかもしれません。それは例えば、加藤尚武委員がおっしゃっていた、ペットのクローニングは便宜的利用だからいけないというのかどうかという議論です。そういうことにもなるかもしれないので、動物のことを考える際にはカテゴリー分けをして考える必要があるということかと思います。
(岡田委員長)
ここの委員会は、そこまで踏み込んでいくものではないと思っています。それよりも、とにかく人に関するものごとを中心にした委員会であって、人に関する問題との連携の中で、相当ゆったりした形で動物側のものごとを取り扱うことでとどめておきたいと考えています。それで、人以外に関する問題点については、それぞれの分野ごとに専門委員会をつくってもらうことにして、ここでは相当狭い範囲に集約した方がいいと思っています。その理由は、いわゆる生命倫理というのは、ある意味でレラティブな話であって、そのようなものを、ある確固たる原則があるというイメージで議論していくとすると、相当大変なことになって、全部を整合性の中に持っていくことはまず不可能ということだと私は思っているからです。それに対して、人という非常にはっきりしたものに関してなら、あるコンセンサスが多分得られるであろうと、私自身は思っています。そういう意味を含めて、倫理という問題の中で処理できそうな問題として、この人のクローンの問題は処理できる範囲内にあると思いますので、そこの問題をはっきりさせるということをまずやってみるのがよいのではなかろうかと思っています。周辺については、処理が非常に難しい問題が一杯ありますから、そこはゆったりさせておいて、まずは、ここはこうするという方向性が決められる唯一の場所だと考えられる人クローン問題について考えるべきであると、私は思っています。
(木勝島委員)
ですから、私が申し上げたかったのは、何で動物でよくて、人間ではいけないのかというときに……。
(岡田委員長)
これは後の話で。
(木勝島委員)
欧米では、動物というのは、カテゴリーとしていろいろあって、道具として利用してきた家畜と、そうでないものはまた別に保護するという論議の枠組みになっているということです。
(岡田委員長)
それでは、何で肉を食うんだと言われますよ。
(木勝島委員)
いえ、ですから、家畜はそういうふうに扱ってきたと正当化するのが欧米の理屈になっているということです。
(岡田委員長)
やはり人間よがりの話なんでしょう。
(三上委員)
私も、今、委員長が言われたように、まず、人のところをきちっとしてはっきりしてもらえば、我々の方は、その後、また検討するのに非常に都合がよくなるということで、今の状態では、すぐに家畜どうのこうのという話にはならないと思うんですね。ですから、まず人の方ではっきりしてもらえば、非常に技術開発の方もしやすいというふうに思うんです。
(岡田委員長)
やはり、そういうことで、木勝島さん、ここの委員会としては了解してください。
(木勝島委員)
はい。ただ、あともう一つ、全然別の問題ですが、6ページの今問題になっている動物除核未受精卵への移植の、この文の6行ばかりの中で私が大変気になったのは、そういう動物・ヒト間のキメラ胚なり交雑胚なりをつくることは、「好奇的関心に引きずられているものと考えられる」という、この断言です。「好奇的関心」に引きずられない科学研究というのはあり得ないと思いますので、ある特定の分野を、国の機関が、これは好奇的関心に引きずられているもので有用な科学的知見をもたらすものではないと、決めつけるのは非常に危険です。これは、科学技術会議本会議から出された、基礎研究の芽をつむような過剰な規制なり踏み込みは慎重にという意見に通ずるところがあると思います。やはりこの1行は危険な1行ではないかと思います。非常に難しい問題ではありますが、「動物と人間の交雑をつくるのは、人間の尊厳を侵害する行為だからいけないんだ」というだけでは駄目なのでしょうか。
(岡田委員長)
その方がいいと思います。ここは取りましょう。
それでは、6ページの上まではそれで処理させていただくとして、次の規制の手法というところに移らせていただきたいのですが、よろしいでしょうか。
(永井委員)
先月の22日、イギリスの生命倫理問題に対して発言力を持っているサー・ロバート・メイさんが来日されて、私と生命倫理委員会委員長の森先生と、同じく委員の中村雄二郎先生とで英国大使館でお会いしましたが、英国でも現在の段階まで持ってくるには3年以上かかっていて、完全なものが最初からできるはずもないので、ヨーロッパ、つまり大陸とはおのずと違った方向をたどってきた。論理的に体系をつくろうという考えは初めからないということでした。そのたびごとに市民の関心を呼び起こして、そしてきちんとオープンな形でディスカッションして、ある程度まとめられる段階でまとめていくという形でやってきた。参考になるかどうかわかりませんが、というお話でした。
(岡田委員長)
どうもありがとうございました。まず、そういうことで進まざるを得ないと思います。
それでは、次の規制の手法というところに移らせていただきたいと思います。町野委員のまとめを皆さんのところにお回ししてあると思いますが、町野委員の方から少しご説明いただけますでしょうか。
(町野委員)
一番最初の問題は、今までの繰り返しになりますが、なぜ人クローンだけを規制するのか、という問題です。やはりこの点に焦点を絞って議論をしないと具合が悪いだろうと思うのですが、人クローンが非常に特殊であるというから、恐らく人クローンだけの規制ができる。人クローンも、仮に先端医療技術の中の一つであるということになりますと、ではなぜ人クローンだけを規制して、他は放っておくのかという問題が当然生じる。もちろん、余り体系的に考えずに、できるところからやるというのも一つの考え方ではありますが、どんなやり方をするにせよ、その点を聞かれたときに返事ができるようでなければいけないだろうと思います。「そこまではちょっと考えてません」というわけにはいかないでしょう。そして、日本で規制について考える場合、少し外国、特にヨーロッパなどとは違うところがあります。まず、日本の特色として、人工妊娠中絶が非常に早くから自由になっているということがある。つまり、人の生命の保護ということについて、ある範囲で既に相対化されているという事情があるわけです。そのようなところへ急に、生命医療技術の規制として胚の保護ということを言ったとしても、胎児を殺すのがほとんど自由なのになぜ胚を保護しなければいけないのか、ということで今ひとつ説得力を持たない。また、先ほどの、男女のかかわりの中での生殖という議論でも、何が男女のかかわりなのか、男女の生殖細胞を使うということだけをいうのか、本当の性行為のことをいうのかも一つの問題ですが、日本でも先行しているAIDは、ほとんど無規制の状態になっているわけです。そしてこれからも恐らく規制されることはないだろう。そういう中で生殖医療行為として人クローンについて考えていこうとすると、やはりアンバランスが生ずるということがあるわけです。
したがいまして、やはり今までの生命医療技術の規制についての日本の特殊性をある程度考慮に入れた上で、そしてだからこそ、むしろ人クローン技術の特殊性を浮かび上がらせる形で、規制の方向をとるべきである。もし規制するならば、人クローン技術に焦点を絞って、そこから周辺部分を規制するという形をとらざるを得ないのではないかというのが私の考えなんです。ですから、もちろん木勝島さんもおっしゃるとおり、人クローンの規制に関する議論として、むしろ基礎の方からみんな議論するべきだという考えもあり得ると思います。そして、その方向をとらないとしても、両方考えるということ、つまり人クローンの方から考えるけれども、同時に他のところも考えておいて、その上でしかし、人クローンの方だけに焦点を絞る、ということは論理的に可能だと思います。しかし、もし現在、人クローンの規制だけを考えるというのであれば、いずれ将来に先端医療技術に対する包括的な検討を行うというか、そうでなければ、人クローンは固有の問題性を持つものであるからこれだけを規制するのだということをはっきりいう。そのどちらかしかあり得ないだろうと思います。
ですから、先ほどから出ている論点メモの問題ですが、前の段階では、人クローンというのは非常に特殊なもので、他と異質だから、という議論だったものが、再び生殖医療技術の中の一つという位置づけになって、以前の立場が薄れてきているようなので、少しスタンスを明らかにしないと足元が危うくなるのではないかという感じを覚えました。
それから、規制の具体的な問題に入る前に、一つ申し上げたいのは、反倫理的だということだけで、法律を含む公的規制を行うことはできないということは恐らく現在の基本的なプリンシプルなんです。それが倫理と法の峻別という基本的な考え方で、ですから、仮に、ある倫理が社会的合意に基づく、社会の多数者が支持するとしても、それだけを根拠に規制はできないというのがスタートになければならないだろうと思います。つまり、倫理違反と反社会性とを区別して、反社会性だけが、法ないしパブリックの問題になり得るというのが、自由主義のイロハであったはずなんです。ですからそれを放棄することはできない。どの点で倫理違反があるかということを議論することは私は当然だと思いますが、それだけでは規制できないということは自覚しておかなければいけないように思います。
それから、同じように、これが医療の範囲を超えるとか、不妊治療として許される範囲を超えるとかいう議論につきましても、規制の理由にはならないだろうと思います。上に述べましたような反社会性が肯定されてから、しかし医療として必要だから、その範囲で反社会性が失われるという議論はあり得ると思います。しかし、反社会性の議論を抜きにして、医療を超えるから、あるいは倫理違反だから規制できる、という理屈はあり得ない。例えば、人を傷つける行為というのは一般的に規制、処罰するべきである。しかし医療として必要だ、盲腸の手術だということだったら許されるわけです。それと同じことで、仮にクローンをつくるのは一般的に反社会性を持つ。しかしある範囲でこういうことのために使うなら許されるという理屈があるわけで、前段抜きに後段だけが出てくるということはできないことです。ですから、規制の方向としては、今のような原則・例外のうちの原則をまず議論し、規制し、そして許容する方の事由を次に挙げるというのが妥当なのではないかと思います。
そうはいいましても、クローンのどこに悪いところがあるかというのは非常な問題です。前回の社会通念だとか、いろんな議論はあるわけですが、これを規制するとしたら、ある範囲で従来の考え方とは相当ずれることは間違いないのです。従来の規制というのは、人を傷つけるとか、目に見える害悪が中心だったわけですが、今度は制度の保護、という、建前の保護になっているわけです。倫理自体が保護に値しないというのは確かなんでしょうが、それと紙一重のところにあることは間違いない。例えば、日本では重婚罪は処罰しておりますが、これは重婚してはいけないという倫理違反だけなのか、それとも、日本における婚姻制度というものが、倫理を超えた社会制度として存在する。それが保護すべきものと理解されるからこそ、重婚を処罰するのか、という問題なのです。クローンについても、後者のような言い方をしない限り、私は規制できないだろうと思います。
もう一つの問題は、公的な規制を行うときは第1次的には、望ましくない事態の発生を防止するためにやるわけですが、その効果が期待できないこともあるわけです。その一つは、法律がなくてもそのような事態が起こり得ない場合、クローンなどもそのようなものだとかつて考えられていたわけです。それから、もう一つとしては、できるとしても誰もそんなことをしないだろうという場合があります。日本の場合、恐らく規制をしなくても、一匹狼的にクローンをつくろうという人間はまず出てこないだろうという感じが私はしています。さらに、法律があっても全然効果がないということがある。有名な例が、刑法の堕胎罪の規定です。人工妊娠中絶は母体保護法でほとんど自由になっている。ですから、このような法律がほとんど意味をなしていないときに、果たして規制する必要があるのだろうか、という問題は、特に日本の場合は非常に大きいだろうと思うのです。特に、シンボル的な効果として、クローンはつくってはいけないということをみんなに宣言する、という場合、それがあるべき姿かということには問題がある。これだと法律が教育勅語と同じになってしまうという批判もあるわけです。つまり、かつては法にこのようなシンボル的な効果を期待するのは非常に問題だ、と考えられていたわけで、やる以上は、ある程度はそのことを頭においた規制ということまで覚悟しなければいけないだろう。
それから、国際協調の観点を抜きにするわけにはいかないだろうと思います。先進国が規制しているのに、日本だけがやらない。そうするとみんな日本に来てやることになるぞ、と脅かされたらどうするかということです。
以上のようなことが大体総論的な問題なんですが、委員長メモのところにもありますように、規制の手法にはいろいろあり、強さ、弱さというものもある。一般的に考えられているのは、刑法による規制が一番強烈である。ある場合には刑務所にやることだってできる。そこから始まって、法令では他に、例えば行政的な取締りのような、罰則を伴わない規制もあり得る。その中間に、取締りに罰則を担保するという間接強制のような考え方とか、いろいろなタイプがあるわけです。
もし人クローンを規制するということになりますと、これを行政的な規制で、刑罰法規で担保する、という形で行うのは恐らくなじまないだろうと思います。というのは、例えば人クローンを禁止するのに、これは絶対禁止だ、人間の尊厳に反する、と言っておいて、許可を受ければ別であるというのは非常におかしな話で、誰が何と言おうと絶対に許さないということしかありえないわけです。そうなると、やはり刑法が出てこざるを得ないだろうということになります。
逆に言うと、刑法による規制というのは、今のような核心部分だけに限られるということになる。核心から少しずれて、例えば動物ならどうするか、とか、人の個体そのものをつくらない、臓器のクローンなどの問題については、ある範囲で許容するという前提だとすると、それについて許可を与え、許可を得ないで行った人間は処罰する。あるいは、計画書なりに虚偽を記載して許可を求めたような場合は、虚偽記載で処罰する。さらに条件に従わなかったときは処罰する、というような、行政法と刑法をミックスした規定をとるように徐々になってくるということもあると思います。
そして従来日本で行われていたのは、学会等がガイドラインをつくって、あるいはそれぞれフリーにやらせるという手法ですが、先ほどの国際協調という観点から見ますと、この手法は通らないのではないかという感じがします。日本ではこれで十分かもしれませんけど、外国から見て、それでいざ守らなかったらどうするかと言われると、返答のしようがない。この点からも、国によるガイドラインと書いてあるこの意味は、内容はまだ私は分かりませんが、例えば遺伝子治療のようなやり方でも、ぎりぎりではないかという感じがするわけです。あれ自体は告示で決まっているのですが、公的なものなので、従来は学会レベルだったことからいたしますと、日本としては割合踏み込んだ規制なんです。行政指導と学会の自主規制がドッキングした形態なわけですが、規制するならあの範囲が最低ラインか、それでも足りないかなという感じがするわけです。
(岡田委員長)
どうもありがとうございました。町野委員のお話に対してのご意見はございませんでしょうか。具体的には規制の手法ということで、6ページに書いてあるように、法令に基づく規制、ガイドラインによる規制、学会等による規制と分けてあって、規制するとしたら、ここの中のどれかを選ぶということになろうかと思うんですが。
(町野委員)
それはやはり規制の対象によって違うだろうと思います。ここでもしばしば議論されている、テンポラリーバンというやり方、時限的にやるか、パーマネントなものとして最初からやるかも、やはり違ってくるだろうということです。一律に、全部刑法だ、全部行政法だ、というようなことではない。
(木勝島委員)
一つよろしいでしょうか。この6ページに挙げられた規制の手法のオプションで、一つ検討すべきものが抜けていると思います。それは政府による科学研究費のモラトリアムです。これは現に日本で行われていて今も発効中の規制です。挙げるとすれば、国によるガイドラインと学会によるガイドラインの間ぐらいになるのか、あるいは、法令とガイドラインの間ぐらいになるかと思いますが、現行の関係省庁による科学研究費のモラトリアムを継続ないし恒久化すべしという勧告もあり得るのではないでしょうか。日本の場合、関係省庁がお金を出さないと言っている研究に、民間が積極的にお金を出すということがあり得るのか、あるいは、過去にそういう例があるのかということは、事務方でお調べいただくとして、その点について日本はどう動くか。そんな研究費のモラトリアムぐらいでは有効でないというのであれば、その根拠をお聞きしたいと思います。
現にアメリカは、今のところ日本と同じで、学会による自主規制と、連邦政府の助成金を出さないというモラトリアムで対応してきているわけです。私は、アメリカ合衆国はあれ以上の法規制はできないのではないかと思っています。日本で検討すべきオプションとしては、そういうアメリカ式もあり得るのではないでしょうか。一つ並べておいてもいいのではないかと私は考えております。親委員会の報告の後、ちゃんと記者会見で説明をやったにもかかわらず、この小委員会は法規制を決めたかのように、一部で報道されました。そういう記事を見て私は非常に危惧を覚えましたので、ありうべき政策オプションについての議論をこの小委員会でじっくりやっていただきたいと思います。
(岡田委員長)
今の研究情勢の中での規制、これは、今の大学とか研究所あたりの研究からすれば、まさにそれで規制できるのですが、この問題は違います。
(木勝島委員)
クローンはそういう対応ではすまないということですか。
(岡田委員長)
これは違いますね。これは、大金持ちの人がお金を出すよと言ったらできるんです。これは可能なんですよ。これは個人の問題であって、別に研究という一つの一般化のためのものとは違います。クローン人間をつくるというのは、個人の問題ですから、個人がお金を出すという可能性は、常に存在しているわけです。
(木勝島委員)
研究業績のためにやるのではなくて、だれか個人の利益のためにやるということですか。
(岡田委員長)
研究のためにやるというのは、まず考えられないでしょう。
(永井委員)
今、一番認識しておくべきことは、原子力とか、宇宙科学とか、そういう問題とまるで違うので、エレクトロニクス、特に半導体製造のために必要な超高度の無菌状態を実現するテクノロジー開発とその急速な発展と他領域への応用によって、今は100万円ほどあれば、どこでも、最小限の規模であれば、無菌操作を必要とする細胞培養はできるようになっているのです。昔は、ちゃんと別室で白衣に着がえて、ふけが落ちないように帽子をかぶったりして大変な装束変えをしてから始めていたのが、今は、培養室に外からすぐ飛び込んで、場合によっては大して着がえないでも細胞培養を無菌状態のクリーンベンチでやっている時代ですから。そういうことですから、先ほど岡田先生が言われたようなこと。
(岡田委員長)
そういう形の規制というのは不可能なんです。ここに木勝島委員が書いておられる、こういう……。
(木勝島委員)
不可能というよりは、効果がないというご判断ではないですか。
(岡田委員長)
効果がありません。
(永井委員)
今の時代ならどこででもしようと思えばできる。
(武田委員)
まさに永井委員がおっしゃったとおりでして、今、生殖補助技術というのは、診療所と病院とどちらが多いかというようなことを見ますと、診療所の方がよっぽど多いんですね。そういうぐらい、非常に容易にこういった技術が応用できる時代になってきていることを認識しないといけないんですが、次に、先ほど町野先生がおっしゃった、規制の方法としてどこに持っていくべきかということなんですが、学会の規制で非常に我々が苦慮しておりますのは、全く強制力がないということなんですね。最大の学会の対応としては、除名しかないんですね。除名されたってどうってことはないんですね。医師がやれないわけじゃないんです。産婦人科の医師じゃなくたって、今のような受精の手法を使ったって一向に構わないんですね。そこがドイツなんかとは基本的に違うところなんですね。そうしますと、私どもが、例えばこれ以外の問題で生殖倫理に関係することでの討議をいたしますときに、最終的にその点が一番ひっかかりまして、やはり、ある意味で、もっと広い意味での公的な場での規制が必要であるという一応の方向性は、この一、二年、醸成されてきているわけですね。したがって、今度出しました受精卵の着床前診断も、場合によっては厚生審議会のようなところで学会の場から移したところで議論をしていただいて、そこでのガイドラインをつくっていただくのが望ましいんじゃないかという感じですね。これが大体、学会の主な趨勢だと思うんです。
それから、先ほど町野先生がおっしゃったことで、二、三、現実と少し違いますのは、堕胎罪が有名無実になったと言いますけれども、堕胎罪はちゃんと生きておりまして、堕胎罪があるおかげで22週以降の人工妊娠中絶はなくなったというふうにご理解いただきたいですね。それから以降の人工死産というのは当然あります。これは、母体に非常に重大な危害が起こりそうな妊娠については、人工死産が認められておりますけれども、その人工死産の運用については非常に厳しい規制がございます。これは刑法上の規制がございますので。そこまでこの技術が踏み込むかどうかは別としまして、第三者による規制は是非必要である。少なくとも、堕胎罪の適用がなくなってきている現状というのは、逆にあれがあるからだ。堕胎罪が残っているから、そういうところまで人工妊娠中絶が波及していかないというふうに考えることも必要だと思います。
(岡田委員長)
ありがとうございました。
町野委員の方から、なかなか法規制が難しいというお話で幾つかの話が出ました。ある意味で、倫理と法の違いというようなことでおっしゃいましたが、倫理の方の問題だけじゃなくて、制度の問題だとしたら、これは安全性の問題も含め、いろんなことがちゃんと前段に書いてあるわけですが、そのような形のものがぐあいが悪くなったときの社会的な処理の仕方というのも、およそ考えの中にも入っていないことになるわけですね。家族制度の問題も含め、いろいろな問題があります。ですから、現実的に、私は、ここの前段に書いてあることの中にはそれらが含まれていると思っていて、法規制になじまないと言われたものの中で、本当になじまないだろうかというと、私は少し疑問だったんです。それはちゃんとあるのではないかというのが一つあります。
それで、今、ちょうど堕胎のお話があったから、少しSF的な想像になってしまいますが、やはりこれから世界中、先進国の人たちを含めて、女性の方が、結婚せずに子供だけ欲しいという人たちが一杯出てきているわけですね。現実的に、そのような場合の一つの処理方法として、クローン技術が、ざーっと出ていく可能性というのはあると思います。堕胎もそういう意味のいろいろな問題点があったと思いますが、そのような形のものは予想できないわけではないということがあります。男は駄目なんですね。男にはその原理がない。女は原理を持っている。臓器だけを作るというようなSF的な話をするなら、最も現実的なこととしては、そのような問題があるわけです。私は、やはり問題点としては、法規制をやろうと思えばできる条件を持っていると思います。町野委員の今のお話を聞いたら、そのように思います。
(町野委員)
私の趣旨は、できるできないということではなく、やるならここまで覚悟してやれということです。もう一つは、倫理違反というだけではできない。それでやったら恐らく不当な立法ということになると思います。例えば倫理違反だけでやるとして初めて、なじむか、なじまないかの問題がでてくるんで、それ以前の問題があるということです。
堕胎が有名無実化していると申し上げたのは、刑法の条文はほとんど生きていないという趣旨です。確かに生きている部分はありますよ。例えば優生保護法指定医がやらなければ堕胎罪で処罰されますし、自分でやっても処罰されます。22週を超えてやっても処罰されます。しかし、少なくとも指定医がやって、現在の行政指導では22週未満ですが、その範囲では完全にフリーになっているわけですから、刑法の中で書かれている堕胎罪……。
(武田委員)
完全にフリーになっていませんよ。
(町野委員)
その範囲内じゃ相当自由なんですね。
(武田委員)
あと、条件づけがありまして、確かに先生がおっしゃるような拡大解釈という点がなかったとは言えませんし、また、今ないとは言えませんけれども、ただ、その一つの規制があるおかげで、野放図になっていることはないというふうに思います。実際の専門領域の者として、そう思うんですね。
それから、同じようなことで、これは話が飛躍して申し訳ないんですが、例えば不妊症でたくさん多胎児ができると。五つも六つもできると。そうしますと、生まれる妊娠週数というのが限られてきまして、もう二十七、八週以上もたないんですね。そうすると、小さな1,000グラム未満の子供がたくさんできちゃうわけです。それがNICU、つまり未熟児の保育施設をほとんど全部占拠してしまいまして、例えば群馬県で生まれた赤ちゃんが、一人は千葉県へ、一人は東京都へ、一人は神奈川県へというところに分離移送されてしまいまして、それさえ一杯になってしまって、どうしたらいいんだというようなことになったわけですね。そのときに、妊娠の小さいときに、やりやすいところで、赤ちゃんを簡単に消滅させることが可能なわけで、5体を3体にしたと。それは違法なのかどうなのかと。これは、人工妊娠中絶には当たらないんですね。人工妊娠中絶というのは、そういう胎児を外に出さないといけないんですけれども、中で殺しちゃった場合、これはやはり殺人罪になるんじゃなかろうかということですね。大変大きな議論が今でも実は続いているんです。だから、そういうことで自主規制というのは非常に難しいし、何らか公的な、こういう場での討議を経た上での規制というものが、私は基本的に必要だというふうに思います。
(岡田委員長)
確かに具体的な問題ではいろんなことが考えられて、法規制ができないかという希望的なこととして私自身がもう一つ思っていることがあります。それは何かというと、脳死や遺伝子治療を含め、いろいろな話が今、幅広く先端医療ということで広がっているわけですが、一方では、一般の、病気ではない、当事者ではない方々は、それが気持ちが悪い、どこまでやるのかということを思っておられると思います。とめどもないのではないかという雰囲気が、私はあるような気がするのですが、そうした場合に、非常に大切な一線のところ−−これが第一線かどうかという問題点はあるにしても、現在大切だと思う一線のところは、はっきりとそういう規制という形で意思表示をするということ。これも全部相対的なことでしょうから、5年時限であるとかそのような形のものとして、一つのはっきりした方向を先端医療というような意味合いのところで表現しておくということは、多分、これから先の先端医療を進めていく場合に非常に大切なことではなかろうかと思います。それのまとめとしてできそうなものというのは、このポイントぐらいしかなさそうだと、私は思っているんです。ですから、何とか形として、法規制という形の処理ができるような組立てができると非常に有り難いと、私は思っています。
(木勝島委員)
委員長のお考えはよくわかりました。であれば、なおさら、町野先生が持ち出された整合性というポイントが非常に問題になると思います。岡田委員長は、ほかの先端医療は法規制はできないと思うけれども、クローンならできるのではないかとおっしゃいます。もしそうするとすれば、国が個別のライフサイエンスの法規制に踏み込むという判断をするからには、それは、今、再三出てきていますように、学会の自主規制では駄目なんだという判断を下すことになると思います。そうすると、今まで学会の自主規制で保たれてきた秩序をある種否定することになるわけです。
(岡田委員長)
そんなことはないと思うけど。何か一方的過ぎるような気がするけど。
(木勝島委員)
でも、それは、一つの政策判断としては、そういうことになるのではないでしょうか。
(岡田委員長)
いやいや、それで処理できない問題点があるというのを、今さっきお話ししたわけですね。学会の規制では何ともならない、というところがあるんだと。
(事務局)
町野先生の先ほどお話の点、非常に示唆に富んで、実際に法律を考える上で考えるべき点というのをおっしゃっていただいたと思っているんですけど、核心部分のところが刑法的な話で、それ以外のところは行政法的な手法かなと、こうおっしゃられた。なるほど、そういう点があるのかなと思うんです。我々はいつも法律を考えるときに、既に似たような例があるかどうかと、いつも考えるアプローチをとるんですけど、刑法的な話について、先ほどの4月のときのペーパーのところでも、クローン規制の論議として、幾つか刑法上の罪の話、規制の話をお挙げになっておられて、あるいは先ほど来の言葉で聞くと、重婚罪なんていう話も出ている。それ以外の行政上の話で、我々もなかなか似たようなことがないかどうかと考えてみるんですけど、行政法上の話として、これ、実は一つお教えいただきたいんです。何かそういうところはないかと思うんですけど、我々もちょっと思いつかないところが一つあるんです。刑法的な話としてもう一つ見てきたときに、挙げておられる三つの規制、罪、それと重婚罪なんかも含めてみて考えたときに、今回の例えば死体損壊罪とか、賭博の規制みたいな話、その比較で見ると、これは中で若干議論してみると、いや、賭博を罪にするんだ、あるいは、死んだ死体をいじったら罪になるんだという話と比べれば、今度の方がもっと罪が重いんじゃないかという話も、ここらあたり、ほかの罪と実際に比較してどうなんだろうと、そういうアプローチもあるのかなと少し思うんですけど、いかがでございますか。
(町野委員)
そういうアプローチはあると思いますが、幾つかのレベルがございまして、もしクローンも規制するということになると、新たな事態の規制なんです。問題が生じたときには、規制するかしないかの問題は必ず生じるわけですが、そのときでも問題の出方には2種類あるわけです。例えば、コンピューターを介した財産取引の問題がでてくると、財産の問題はこれまでもあったけれどもコンピューターなんて今までなかったわけですから、それをカバーしようと思ってやる。わいせつ文章の罪というのはあったけれども、インターネット上でわいせつ図画を販売するなんてことはなかったわけですから、その規制を考える。このような場合は割合スムーズなんです。今までこれは規制すべきものとされていたんだけれども、たまたまそっちには及んでいなかったから、そっちにも及ぼすという形です。
しかし、この問題については、例えば人間の尊厳というにしても、人間の尊厳を害するからこれを処罰するという法律は一つもないわけです。強姦罪なんかはそうだと言われるかもしれませんが、タイプが違うことは明らかですね。ですから、新たな法益と我々は言うわけですが、法益として、財産というものは昔からあると。その侵害の態様が、従来と異なったものがでてきたのでそれらまで規制を及ぼすというのとは違って、新たな領域に進出するということなわけです。ですから、比較の対象も何もない。規制をするというときには、そのことを考慮して行わなければいけないだろうということが一つです。
もう一つは、このこととの関係で、さっき、制度の問題で希薄化していると言いましたが、何かちょっと気持ちが悪いということを言われましたね。例えば死体損壊罪なんかについても同じようなことが言われる。死体をばらばらにするのは気持ち悪い、やめてもらわなきゃ困るという感じがあるわけです。なぜそう思うかというと、自分が死んだときにばらばらにされるのはたまらないし、目の前で見るのは気持ちが悪いという感情だと思うのです。それもやはり保護すべきであることは確かです。しかし、単なる感情の保護というだけで例えば人を刑務所にたたき込んでいいか、というとそうではなくて、その感情が、正当な、社会制度上保護された感情だといえるから、それを保護するわけです。死体というのはちゃんと埋葬されるべきものであるというような制度があると。遺言というものは法律の範囲内で守られるべきである、ということが制度としてあるわけです。それから、婚姻というのは一夫一婦制であると。ですから、制度としての保護というのは、感情の一歩先を行った保護の仕方なのですが、しかし制度として、人間の尊厳という名前をつけたとしても新たなものであることは間違いないわけです。
それから、先ほど、周辺部分が行政法で真ん中が刑法というようなタイプのものが他にあるかというご質問がありましたが、急には思いつかないのですが、例えば詐欺罪というのは刑法ですよね。欺罔して物をとる。しかしそこまでは到らないものに対する対応、例えば広告の出し方を規制するというようなことがそうでしょうね。××業法というようなものがそのタイプで、これが少し近いと思います。詐欺とまでは言えない。直ちに処罰とまでは言えないけれども、その前で網をかけて、許可を与えたり何かするというのは、テクニックとしては十分ありますし、今までにも存在したと思います。しかし新たな対応としての規制ですからね、これは。
(事務局)
刑法上の話のところで、殺人、その他いろいろありました。やはり、人の、生まれた命に対して、命を何かするということについての基本的なものは刑法上の問題ですよね。命の扱いということで、刑法上のそういう罪の問題をずっと戻ってくると、その論理で出てくるということはないんでしょうか。
(町野委員)
これは命をつくる行為ですからね。
(事務局)
ですから、今までとちょっと逆なんですけどね。
(町野委員)
そうですね。
(事務局)
でも、要するに命にかかわることではある。前から岡田委員長のおっしゃっていることなんですが、命にかかわることの今までとちょっと違う対応かもしれませんけど、しかし、基本的には命にかかわる問題について扱う。
(町野委員)
しかし、それにしてもやはり新しいのです。月並みな言葉で言うと、命をもてあそぶ行為で、勝手に人間が介入するという行為なんです。ちょうど、胚の保護についても同様の議論が日本ではあり得たわけです。先ほど申し上げましたとおり、中絶も、ほとんど22週までは認められるわけです。中絶で殺すのはいいと。しかしその過程で出てきた胎児を実験に使ったり、もてあそぶのは許されないというのは、理屈としては私はあり得るだろうと思うのです。ですから、これは殺す行為ではなくて生命をつくる行為ですが、作り方が問題だという議論があるかもしれません。しかし、それでも伝統的な考え方では、人を殺すのと人をおもちゃにするのとではどっちが重いかというと、大体は人を殺す方が重いと考えるわけです。国としては。その考え方が少し変わってくるということです。つまり、胎児を殺すことはある範囲でできる。しかしその胎児を生かしておいて、それを実験に使うというのはけしからん。そういうように考え方が少し変わってくるわけです。それを認めるかどうかということがある。日本の特殊性ということを申し上げているのは、そのことなんですが。
(森島委員)
私、今まで欠席しておりましたし、クローン技術を十分にフォローしておりませんので、今日は発言をしないでおこうと思ったんですけれども、今までいただいたのは見ていますが、町野さんのご意見は、刑法からいえばそうだろうと思います。私も法律家なんですが、このクローン技術の場合に、ここにも出ておりますように、一つは、そういう倫理的なもので、どこまで許されるのか、許されないかということについて、必ずしもまだコンセンサスができていない。ある人は、これは倫理的問題はないんだとおっしゃる方もおられるでしょうし、それから、あるやり方については倫理的にもう許されると考えるけど、あるところはできないとお考えになる人もいて、ここら辺のところはまだわかっていないわけですね。
それから第2には、倫理的にはともかくとして、安全性という点で現時点ではどこまでがはっきりしているかという点も、どうも必ずしも、まだ先端技術ですから……。
(岡田委員長)
今、現実的にないものですから、それは無理なのです。
(森島委員)
そうなんですね。ですから、そういう場合の、つまり未知のものに対して倫理的にも安全性でも行き過ぎがないようにというのが、最近の先端技術の予見できないリスクに対してどう法が対応するかという考え方があるわけです。ですから、今の時点では、ここから先はよくわからない。そこについては、例えば禁止するというのも一つの手でしょうし、あるいは、注意深く進めていくということも−−例えばその場合には、倫理委員会のようなものにかけて、そこが把握している。それから、その後についてちゃんとフォローアップをさせるということですね。
これ、今の議論を聞いていて、非常に似た議論を前にやったことを思い出すんですが、遺伝子操作で農作物なんかをつくるというようなときに、環境庁で一応届けを出してもらって、中身をコントロールするんじゃなくて、手続的にコントロールをして、何かあったときに対応できるようにするということを考えたことがあるんですけれども、そのときにやはり、これは学者がちゃんとやっている。安全なので、法が口を出すのはけしからんというご議論が自然科学者からありまして、結局は環境庁は規制をするということはしていないわけです。私が申し上げたいのは、科学者は非常に自信に満ちておられるけれども、今まで科学者がおやりになったことで誤りがなかったと言い切れるか。
そしてまた、現在の社会では、専門家に対する、その意味での不信感があるわけですから、そのときに、「おれたちがやるのだから大丈夫だ」ということだけで社会的に済むかどうか。法律というのは社会的な道具ですから。その場合に、その意味で、委員長がお考えのことと私が考えていることが同じかどうかは知りませんけれども、少なくとも外側から、手続的であるにせよ、あるいは内容的に規制するのであるにせよ、どこまでをやるかどうかということを一応議論してみて、その上で、それは自主規制でも済むんだというふうに考えるのか。それとも、自主規制でもいくだろうけれども、透明性といいますか、外側からの信頼を受けて−−ある意味では、まともなことをやっていても外側からは変なことをやっているんじゃないかということになると、まともなことは外側から干渉されずに、まともでないことについては一応きちっと外側からもはっきり規制をかけるというやり方というのがあるのではないか。
ですから、一般的に規制がいいか悪いかということじゃなくて、一体、それが法的規制であるのか、自主規制であるのか、何であるかにせよ、倫理的に、あるいは安全性の面で、どこを注意しなければいけないか。注意をするときに、中身に触れないでそうした届出をするとか、ちゃんとフォローアップをして、動きがあった後すぐチェックをするとか、そういうことで済むのか。それとも、現時点では、あるところまでは手をつけないようにした方がいいということなのかということをやはり先に議論をして、特に方法論としては、ほかにどうなるかというんじゃなくて、まず、人クローンについてどういう問題があるかということを議論して、その中で、今、問題になりそうなところで、もしかすると後から振り返ると誤るリスクがまだ残っているというところを確定して、その上で、それじゃ、それはどういう方法で規制をすべきか。任意規制かどうかは別として。その上で、規制が必要だという場合に、学会の規制とか科学者の個人規制ということで社会的に信頼されるだろうかということと、それから、そのときにそこまで任せておいて、多分学会だったら大丈夫だと思いますけれども、私なんかは、長年、環境行政なんかでかかわっていると、どうしても自然科学者は結果的には非常に良心的に行き過ぎてしまう。先ほどの好奇心なんて、そんなものは全くなくても、そういう歴史があるわけですから、やはりそれも社会的な制度としてはきちっと考えておかなきゃならないという意味では、私は、法規制というときに、現在、先端技術とかリスクに対する対応の仕方、法の対応の仕方というのがあるわけですから、町野さんのおっしゃることはよくわかるけれども、必ずしもそれだけが法というふうにお考えになる必要はないだろうと思います。
それから、自主規制との関係で言えば、自主規制でいいかどうかというのは、やっている本人ではなくて、むしろ外側からの観点で考えるべきだろうということを申し上げまして、中身についてはまだ十分勉強しておりませんので、法規制に限らず、どの点を規制の対象と考えるべきか、その場合にどういうふうに規制すべきかというようなことについては、まだアイデアを持っておりません。一応、基本的な方向としては、岡田委員長のおっしゃったような方向で考えることこそが、まともなといいましょうか、こういう技術の進歩を社会的にもたらすだろうという気がいたしました。
(岡田委員長)
どうもありがとうございました。4回までの議事録をちょっと読んでいただいて、またサゼスチョンして……。
(森島委員)
一応は読んでおりますけれども、やはり、こういうところに出てこないと、書いてあるのだけですと雰囲気がよくわかりませんし。
(三上委員)
今、規制の対象のところで少し気になったのは、胚の分割によるクローン作出については議論したですかね。第1回目のときに若干あったかと思うんですが、これは……。
(岡田委員長)
あっちの方は、とにかく日本産科婦人科学会の方に任しておけばいいと。
(三上委員)
そうすると、できたものは同じものであっても、手法によって規制するか、しないかという……。
(岡田委員長)
もう、そこまで踏み込みたくないと私は主張して、それは通ったつもりでおります。
(三上委員)
はい、わかりました。
(岡田委員長)
いや、どうもありがとうございました。これは、やはり法規制でも大変ですね。どうしたらいいのかよくわからない。国のガイドラインというのは、一体どういうものであって、どのくらいの効力があるものか、本当のことを言うと、あんまりちゃんと知らないのかもしれませんね、私自身も。そんなことも含めて、やはり一番の問題点は規制の問題ですね。ようやく具体的な問題にこの小委員会も入ってきたというところで、もう一度、ここら辺を議論していただいて、できればこの次で全体のまとめというところまでいきたいと思います。
スケジュールについて、事務局からお話はございますか。
(事務局)
事前に日程の調査をさせていただきましたが、次回は5月26日の午後が比較的多くの方がご出席いただけるということでご返事をいただいておりまして、もし可能であれば、その辺でお願いできればと思っております。
(岡田委員長)
5月26日(火曜日)の午後2時から、もう一度、今の問題を議論させていただいて、何とかある方向性を出すところまで持っていきたいと思っています。
(木勝島委員)
そのことで前から気になっていたのですが、この小委員会は、いつまでに報告書をまとめなければいけないという締切りがあるのでしょうか。それともう一つ、進行手順として、今、委員長のお話では、方向性をまとめるということは、この委員会の最終的な報告書をまとめるという意味ですか。
(岡田委員長)
最終的なものには多分ならないのでしょうね。
(木勝島委員)
まだ、ヒアリングや調査を一切やっておりませんので。
(岡田委員長)
もちろんそうです。ですから、そのようなこととの対応の中で、あるまとめというのが必要になってくると考えています。
(木勝島委員)
中間報告書のようなものをお出しになるという意味ですか。
(岡田委員長)
中間報告みたいな格好ですね。
(木勝島委員)
それを次回ぐらいまででまとめるということですね。
(岡田委員長)
次回で中間報告としてまとめていただけると、いろいろなところからのご意見を聞く材料として使えるので、ぐあいがいいと思っています。
(木勝島委員)
この小委員会の仕事は、時間的制約というのは私はないものと考えておりましたが、その点はどうお考えでしょうか。
(岡田委員長)
申し訳ありませんが、次回で終わるわけではなくて、またお願いするようになるんだと思っています。
(木勝島委員)
ええ、むしろ時間をかけるべきだと私は思っています。その点、まだ長期的な日程について一度も示されたことがなかったと思いますのでここで伺っておきたいと思います。
(岡田委員長)
できれば、この次に中間報告をとりまとめ、その後、学会や一般の人たちからのご意見を受けるようなことができれば有り難いと思っています。それをもとにして、また考えていくというよう作業が続いていくだろうと思います。
(事務局)
事務局の方は、一応、背景、又はごく一般的な話のほかに、ここのところでも世界に合わせるという話がありましたけど、ヨーロッパもアメリカも、恐らくいろんな議論もするだろうと思っているんですけれども、我々の方の勝手な期待ですけど、向こうの方がどんどん出て、我々が一生懸命議論している話も是非世界のところに貢献するような格好になるのが有り難いと、こういう気持ちを持っています。
(木勝島委員)
ヨーロッパやアメリカも、私はそんなに進んでいるとは思いません。
(事務局)
かなりプラグマティックにやっていますでしょう。
(武田委員)
一つ、町野先生にこの次にお教えいただきたいんですけど、例えば医道審議会の審議対象になるのは一体どういうことなのか。そこで、実は具体的なことになってきました場合に、刑法上のことでもいろんなことがあると思うんですね。重さといいますか、逆に実際に規制する側の立場も知っておいた方が−−私なんかは、それは是非知りたいと思うんですね。
(町野委員)
私もそれは知りませんけれども、私の方も先生に伺いたいのは、先ほど、ドイツと日本は違うとおっしゃいましたね。ドイツの場合、確かに医師会が非常に自立的な組織として独自の裁判所を持っていて、執行力がある。だからドイツと同じ議論はできない。確かにその通りですが、学会の方がどのようなメカニズムになっているのかということは我々も知りませんし、医道審議会はほとんど役に立っていないという話は聞いたことがありますが、そのあたりはどうなのでしょうか。
(木勝島委員)
その点に関しては、私どもの研究室で調べておりますので、この委員会でそういう時間をとっていただけるかどうかわかりませんが、法的に医師の資格の扱いがヨーロッパと日本では根本的に異なりますので、その点は、もしよろしければ一度お話しさせていただければと思います。
(岡田委員長)
それでは、そのような形で次回以降お願いしたいと思います。どうも今日はありがとうございました。