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第2回科学技術会議生命倫理委員会クローン小委員会議事要旨


1.日時    平成10年3月9日(月)13:00〜15:00

2.場所    銀座ラフィナート(銀座・京橋会館)「汐風の間」

3.出席者

(委 員)
岡田委員長、青木委員、位田委員、勝木委員、菅野(覚)委員、菅野(晴)委員、武田委員、豊島委員、永井委員、木勝(ぬで)島委員、町野委員、三上委員
(事務局)
科学技術庁 ライフサイエンス課長他

4.議題

(1)クローン技術の現状と展望について
(2)クローン問題の論点について
(3)その他

5.配付資料

資料2−1  クローン技術の主な論点について
資料2−2  第1回クローン小委員会議事要旨

6.議事

○岡田委員長から、本日より本委員会の議事を公開とする旨の発言があった後、事務局から配布資料の確認があり、議事が開始された。

議題:クローン技術の現状と展望について

 (岡田委員長)

それでは、議題の1に移らせていただきます。議題1といいますのは、クローン技術の現状と展望ということで進めていきたいと思います。各委員の方々の共通意識を持つために、クローン技術の生物学的側面につきまして勝木委員から、医療としての可能性について武田委員から、動物への応用について三上委員からお話しいただくということで前回なっておりました。そういう形でまず進めていきたいと思います。
会議の時間に制約がございますので、大変申しわけありませんけれども、説明を15分、質問5分、計20分ということでそれぞれお話しいただけるとありがたいと思います。そういうことでよろしくお願いいたします。
まず、勝木先生のほうから、よろしくお願いします。
(勝木委員)
お手元に絵のかいた2枚つづりの資料を準備いたしました。私のは少し絵の説明をしたほうがおわかりになると思いますので、OHPを使わせていただきます。
核移植という技術は、基礎生物学では随分古くから研究の手段として使われております。なぜ、何が知りたくて核移植を行っているのか。そして、それが哺乳類であるヒツジに応用された結果、ヒトまでその技術の応用を考える事態になぜなったのか。最初の生物学的な興味と、実現された結果によって、どのような新しいおもしろい問題が出てきたかということを少しご説明したいと思います。
我々もすべてそうでありますが、受精卵から出発して、個体が発生しますけれども、ゲノムがその情報をすべて司っていると考えられるようになったのはごく最近のことであります。しかし、分化を遂げた細胞で、ゲノムが不可逆的な変化をしていないのかどうかは、全くわかっていなかったのであります。むしろゲノム(遺伝)情報の変化の有無が最大の興味の一つでした。
もし変化しているとすれば、どのような変わり方をしているのか。そして、生殖細胞を通して、また再び新しい形態形成を行う。そのプログラムはどうなっているのかということが問題になりますし、もし変化していなければ、どのようにして多様で複雑な種々の細胞に変わり得るのか。そのルールは何かということが問題になります。
このように、ゲノムの不変性と核の全能性の有無を調べるのによい方法の一つが核移植なのですが、研究材料として最もよいのは、卵を体外に生み出して、我々が発生過程をすべて観察できる生き物を用いることです。さらに申しますと、核を移植したり、細胞質を移植することが自由自在にできる生き物を使ってはじめて実験が可能なのです。
最初にこの問題に挑戦し、発表したのがブリッグスとキングの二人のアメリカ人でした。1952年にヒョウガエルを使って、核移植の実験を行いました。受精卵から出発して、いろいろな細胞に分化発生を遂げていくわけですが、胞胚の時期に核を取り出し、未受精卵から本来の核を抜きとったものに移植する。そうしますと、オタマジャクシまで発生するということがわかりました。
彼らはその後、もう少し分化した細胞の核を移植すると、急速にオタマジャクシになる比率が減っていくということを発表しまして、核に何らかの不可逆的な変化が起こっているのだという結論を出しました。
それから10年間ぐらいは、核に不可逆的な変化が起こっていることを前提として、いろいろな研究が行われました。もちろんこの時代は組み換えDNAとか遺伝子工学は全くございませんので、ゲノムがほんとうに量的にも変わっているかどうかということをきちんと定量することなどできなかった時代であります。したがって、ゲノムの定量的、定性的変化を、核移植によって機能的に調べることが良い方法であったわけであります。
ところが、10年後にイギリスのガードンがアフリカツメガエルを使って、この問題に解答を出しました。それは、オタマジャクシの小腸の上皮細胞の核を、徐核した未受精卵に核移植をしたら、オタマジャクシまで発生することを示したことです。実際には一旦、核移植をした卵を胞胚の時期まで発生させて、その胞胚の核を再び徐核した未受精卵に移植しますと、大人のカエルにまでなったという報告でした。すなわち、最終的に分化した細胞の核からも、1匹の個体が発生するのだということを述べたわけであります。
このように個体まで発生する能力を持つ核の能力のことを全能性といいます。この言葉はキーワードになりますので、覚えておいていただくとありがたいのですが、分化した細胞の核も全能性を持っているということであります。これは、必ず未受精卵に戻すことが必要で、つまり、今で言う初期化が必要で、初期化をすることによって、核移植卵が全能性を獲得し得るということを示した非常に画期的な報告だったのであります。
しかし、これに対してブリッグスとキングが、もしかしたら、ガードンの使った小腸の上皮細胞が何らかの特殊な細胞で、幹細胞由来のものではなかったのかという疑義を唱えまして、論争が起こりました。十二、三年後にガードンは、ケラチンというマーカーが発現している確実に分化した細胞の核から核移植を行って、この場合はオタマジャクシまでですが、発生することを再現し、10年以上の論争にけりをつけました。
両生類では分化した核を、未受精卵の細胞質とよくまぜ合わせますと、全能性を再獲得するということを見つけました。これは生物学にとっては非常に大事なことでありまして、核の全能性と、分化発生を遂げてた細胞におけるゲノムの不変性とを発生現象を通して機能的に証明したわけであります。現代では、ゲノムプロジェクトの中で定量的かつ定性的に調べることになります。機能的な解析では、非常に大ざっぱでありますので、本当に定量的なことは何も結論できません。しかし、きわめて重要な生物学の概念を明らかにしたのであります。
この研究がいろいろな種類の生き物の研究に影響を与えました。昆虫の場合ですと、核は最初一つですが、核だけがどんどん殖えていきます。まだ細胞壁はできておりません。やがて壁ができ、一つ一つの細胞に特色がでてまいります。このときに別の黒い色のミュータントの核を、頭になるべきところに移植する。あるいは腹のほうに移植する。頭のほうに移植したものから産まれた成虫は頭が黒くなりますし、同じところから移植したにかかわらず、腹のほうに移植したものは、腹が黒くなります。
これは、とりもなおさず同じ核が細胞質によっていろいろな形質発現を調節されていることを示しております。このようなことから生き物の一般的な核の性質として、細胞質との相互作用によって、さまざまな形質発現が調節されているということがわかってきたのであります。
哺乳類ではどうか。当然大変重要な質問になります。それはヒトの発生、あるいはヒトの分子生物学を考える場合に最も近い参考になる動物でもあるからです。しかも直接には、この後、三上先生がお話になると思いますが、経済性の問題もありまして、非常に興味を持たれました。
ヒツジの核は、全能性を獲得しやすいことが相当前から解っておりました。1996年と、去年の『ネイチャー』に出ております。最初のは成体の体細胞の核ではありませんで、胚を培養して10代以上培養した細胞の核を徐核した未受精卵に移植して個体になることを示したものです。
なぜ哺乳類で核移植がなかなか成功しなかったかと申しますと、哺乳類は当然のことながら胎生でありまして、体外に卵を生むわけではありません。しかし、1960年の少し前ぐらいから、体外培養がうまくいくようになりました。まるでカエルの卵を扱うように、顕微鏡の下で卵や胚を自由自在に扱えるようになりました。つまり、カエルの卵と同じ次元で操作できるようになったのであります。
体外で操作した卵や胚を母親の体内に戻しますと、着床して子供に発生させることができます。核移植をしたり、DNAを導入したりすることも自由にできるようになりました。
1980年には、マウスでも核移植の報告がございます。ショウジョウバエで成功したカール・イルメンジーという当時「神の手」を持つといわれ、天才と称された学者ですが、彼が報告したものであります。残念ながらフェイクであったらしく、その後、名前が消えてしまいましたが、そのぐらい哺乳類での核移植技術開発の競争は激しいものでした。
哺乳類では、徐核した未受精卵に体細胞から抜いた核を含む細胞を融合します。しかし、これだけでは不十分でありまして、HVJ(センダイウイルス)をまぶしてやります。そうしますと、見事に融合いたしまして、核移植が成立するのであります。これは、座長の岡田先生が発見されたもので、このメカニズムが見事に核移植に生かされているのであります。この技術を最初に使って、生物学的におもしろいことを行ったのが、ソルター博士です。
彼らはマウスの受精直後の前核期の卵を用いました。精子から来た核と卵子の核とがまだ融合していないときに、雄の核を、雌の核を抜いた受精卵に移植します。こうして、雄の核だけでできた雄性生殖を作りました。また、雌の核だけでできたものを作りました。
精子に、あるいは卵子に由来する核の性質が、もしまったく同じならば、雄雌の核をどのような組み合わせにしても、劣性の致死遺伝子が重なることを除けば、発生するはずであります。ところが、発生しませんでした。全部胎生致死になり、後でわかったのは、ゲノムのインプリンティングによって、精子に由来するものと、卵子に由来するもののゲノムは、ゲノムの中でのATGCの並びのほかに、何らかの父または母の歴史を持っており、雄と雌との組み合わせによってのみ、正常に発生することができることが解りました。
人の病気にも、母親から必ず伝達される、父親から必ず伝達される病気がございます。それは、ゲノムインプリンティングに由来していることが、この核移植によって確実に証明されました。核移植技術によって証明された一番大きい現象の一つのだろうと思います。
時間がなくなりましたので簡単に進めますが、今回のドリー誕生によって明らかになってことで重要なのは、核移植に当って、核を供与する細胞および核を受け取る卵細胞の双方の細胞周期を調節したことです。細胞には、DNA合成、分裂の準備期、分裂、細胞が増殖して大きくなるという周期があります。どの時期の核を脱核した受精卵に移植しても必ず発生するのではなくて、G0期を選んで移植することが重要であると報告されたのであります。G0期は、栄養飢餓状態にするとできるのだと彼らは主張しております。
もしこれが本当であれば、ヒツジだけではなく、すべての生き物にG0、G1、S、G2、Mという周期がありますので、核移植の条件としてこのルールは、すべての生き物に普遍的に当てはまることになります。ですから、ヒトを含む哺乳類でも、体細胞核の初期化、全能性の獲得ということができることを意味するのであります。普遍的な原理を研究すれば、ヒトにも当てはまるルールが見つかるということになります。
そのほかに、ドリーによって提起された問題は、たくさんあります。しかしその多くは、今回初めて提出されたもので、まだ調べられていないし、ほとんど何もわかっていないと私は思います。その中で今、「サイエンス」で論争が行われておりますのが、本当にドリーを作る時に移植された核が乳腺細胞由来であったのかということがあります。これはカエルのときにも全く同様に生じた問題でありまして、それを受けてウィルムット博士たちは再実験をすると発言しております。当然やるべことだと思いますが、すでに世界中で追試が行われていることも確かですから、もうすぐ結論が出るでしょう。
さて、発生分化における一回づつの分裂に伴うゲノムの不可逆的な変化は、非常に小さくても、やがて何代も核移植をすることによって顕在化するかもしれません。このような研究はぜひ動物を使って実験をすべきものであります。
ほかにもいろいろな問題がありますが、核の全能性、ゲノムの不変性について本質的に機能的な解答を与え得る方法が核移植であり、それが基礎生物学的に見た興味であります。ちょっと長くなりましたが、失礼いたしました。
(岡田委員長)
基本的な問題をはっきりさせていただいてありがとうございます。少し時間が足らなくなって、3のC、Dあたりのところがお話にならずじまいになりましたけれども、時間があればまたやっていただくことにしまして、今の勝木委員のお話に関して、ご質問がありませんでしょうか。確かめておきたいというところがありましたら、やっておけばいいと思いますが。
(武田委員)
一つお教えいただきたいんですが、2番目のところで、今お話にはならなかった核外遺伝子との関係の解析のところでございますが、これはどういうことでございましょうか。
(勝木委員)
核外遺伝子の問題は、今後ぜひ検討されるべき問題として挙げております。主としてミトコンドリアの問題だと思うのですが、ミトコンドリア遺伝子と核の染色体との関係はよくまだ解っておりません。
本来の染色体と、核外の遺伝子との関係は、コンパティビリティで動いている可能性があります。したがって、組み合わせを替えますと、非常に突然変異を起こしやすくなるということも、先生のほうがよくご存じでしょうけれども、そういうことがございます。このようなコンパティビリティがどんな遺伝子によって制御されているのかは全くわかっておりません。これは、核移植でしか解決できない問題でございますので、そこはきちんとやるべきことであろうと考えております。非常に興味のある問題だと思います。
(木勝島委員)
今後検討されるべきことの研究の進め方として、勝木先生はどういう実験系を想定していらっしゃるのか、お聞きしたいと思います。体細胞の全能性の回復という成果によって、今後はヒトでも受精卵細胞あるいは生殖細胞を使わずに、体細胞だけでこういう基礎発生学の研究が進められるのか、それとも胚性幹細胞(ES細胞)がヒトでも実験系として今後も大事なものであり続けるのか、あるいはヒトのES細胞は実験系としては必要でない、放棄するということなのでしょうか。この点は学術審議会の中間報告でも、ES細胞の扱いが体細胞と生殖細胞の間の中間のような位置づけをされているように思いまして、さらにはヒトのES細胞の研究は行わないとすべきという提言もありましたので、その点について勝木先生のお考えをお聞かせいただければと思います。
(勝木委員)
今後どういうシステムで研究を進めるかというお話で、非常にポイントをついたご質問だと思います。ES細胞をどういう研究に使うかは、二つの側面がございます。一つは、発生そのものですね。生殖細胞の発生。つまり始原生殖細胞から、生殖細胞になって、どういうふうに発生が進むかという研究です。それから、キメラをつくるときに、本当に他の種の動物とのキメラを作ったりというような研究のときのES細胞の場合であります。これは本来のES細胞の性質に依存した研究だと思います。もう一つは、ES細胞を遺伝子操作することによって個体を作るという使い方です。つまり個体にできるという意味でのES細胞という使い方です。
後者について申しますと、体細胞での核が個体になるのであれば、特にドリーのような場合であれば、ES細胞は不要です。細胞を凍らせたり、解かしたり、培養したり、殖やしたりできるのですから、核移植技術が確立すれば、基本的に体細胞の使い道はES細胞と全く同じであります。すなわちES細胞にこだわる必要性がなくなります。
前者については、普遍的な生物学の法則を見つけるという興味から出発するようなたぐいの研究だと思います。このような研究においては、ヒトでES細胞を作ることは、全く無意味ではないかと思います。すなわち、生物工学的にも基礎生物学的にも、両方の面からみて、ヒトでES細胞をつくる意味は全くないのではないかと思います。
(岡田委員長)
いろいろご質問があろうかと思いますが、時間の都合もありますので、武田委員に、医療としての可能性ということでのお話をしていただきたいと思います。
(武田委員)
それでは、まず現在の生殖補助医療の現況を最初に申し上げまして、これはクローンとは直接関係ございませんけれども、クローン技術に非常に近いような技術も実際の技術応用されておるというところがございますので、いわゆるチューブベビーといいますか、体外受精のことの現況をまず最初にご報告申し上げますと、平成7年度の産科婦人科学会での生殖内分泌委員会が行っております年次集計、これは施設に義務づけてございまして、そこからの実態の調査の結果の主なところをご報告いたしますと、まず、現在行われております体外受精は、新鮮胚、つまり排卵させまして採卵しました卵を直接用いるというので体外受精を行うのが1万7,992例、一部を凍結させまして、これは受精した後、凍結させまして、それを順次解凍して受精に用いるというのが1,531例、最もクローン技術と申しますか、細胞操作をいたしますものに顕微受精というのがございますが、顕微受精の実態が、既に現在6,940例、全体を申しますと、体外受精が2万4,000件ぐらいでございますが、そのうち7,000件に顕微受精が用いられているということがございます。
顕微受精は三つばかり方法がございますが、最も多いのがイントラ・サイトプラスミック・スパーム・インジェクション、ICSIと訳しますが、それが6,559例でございます。それぞれの妊孕率は差がございませんで、大体22%前後でございます。特徴的なことは、やはり流産率がまだ高くて20%前後に達しているということと、多胎率が25%から18%と非常に高い多胎率である。これが3胎以上の多胎率になりますと、前回ご報告いたしましたように、妊娠期間が非常に短縮されまして、そのために生まれました新生児の保育が非常に困難になってくるということがございます。そういうことで、この多胎というのが生殖補助技術では大変重要なポイントになってございます。
こういう生殖補助技術に入りましたのが1985年でございますが、それ以降、この生殖医療にかかわるいろいろな問題点につきまして、学会で会告として見解を報告してございます。それをまとめて85年から97年までのヘディングを書いてございますが、それぞれは3枚目以降に添付いたしております会告一覧でございまして、この会告は制定された時点で、学会誌に出しますと同時に、毎年8月号にそれまでの会告をすべてまとめてもう一度出して、会員の注意を喚起するようにいたしてございます。
先ほどの体外受精の児に対する影響ということについて調べましたのが、次ページの3と書いてあるところでございます。一番上の英文の表は、日本産科婦人科学会が世界不妊会議に提出いたしました奇形の発症状況でございます。それぞれ受精法に従いまして調べましたものの実数を書いてございますが、トータルで2,545例でございますが、そのうち15例に奇形が見られてございます。これは全体の0.61%に当たります。
この成績が諸外国の成績と比較してどうかということで、オーストラリア、ニュージーランドの成績とベルギーの報告が見つかりましたので記載いたしました。これはすべて先ほど申しました顕微受精によるもの。これが一番細胞をいじるというのに近いものですから、それを調べておりますが、オーストラリアの報告では、ICSIで4例です。ICSIとIVFつまり通常の体外受精と比較してございますが、130例のマッチドコントロールで調べてございまして、ICSI4例(3.08%)、IVFで4.62%で、差がないということを申しております。
ベルギーの報告は、その下のProspective follow-up study of 877 chidren born after ICSIと書いてございますが、ICSI後の877例のものでございまして、精子は射精精子と睾丸精子を使いましたもの、それから、先ほどの凍結受精卵を使いましたものも含んでおりますが、出生前診断をやりました486例中で、カリオタイプに異常がありましたのが6例(1.2%)、家族性のStructural aberration がありましたのがやはり6例(1.2%)、Major Malformationはトータル877例の23例(2.6%)で、この範囲内には、General populationと比較しても、発症頻度に差がないということをコメントいたしてございます。
最後の4番目に書きましたのは、これは3の1の我が国のデータの詳細でございます。15例ございますが、15例の受精法、単胎か多胎なのか、男なのか女なのか、異常の種類等を並べてございますが、異常に関しましては特定の傾向はないというのが結論でございます。もう一つ、男女差もないということです。
これが現在までの生殖補助技術によります、特に異常児の合併症でございますが、さて、それでは、こういう技術がほんとうにクローニングとしてどういうふうに医療に役立つのか、あるいはどういう可能性があるのかということで、最後に、これは全くの可能性でございますので、こんなことできないというふうに決めてしまっているところもございますけれども、それを二、三並べて書いてみました。
まず、核移植の技術を用いる事例といたしましては、先ほど、勝木先生がおっしゃいましたミトコンドリア異常症です。これは大変子供の致命率の高いものでございまして、非常に重篤な状態になりますが、こういうものでは、いわゆる核外の染色体を除外したクローニングというふうなことで救われる可能性があるんじゃないかということですね。
その下の先天異常児の出産の確率の低下というのは、これは男性なら男性の体細胞などを用いるようなことになりますので、今、各国で禁止されておりますクローニングということになりましょうが、許されることではない、と思います。
不妊症への応用、これもどちらか、特に男性側が長く残したいというふうな事例で起こり得る可能性があるものでございます。これは私自身の経験でございますが、87歳の男性が若い20代の女性と結婚して、どうしても自分の子供が残したいというふうなことで、これはクローニングではございませんでしたけれども、精子を取り出してくれという要望がございましたが、そういう要望がさらに拡大してこんなことになる可能性は否定できないのではないかということです。
その次、特定の臓器をつくり出すということで、例えば現在、大変問題になってございます心臓移植などで、脳死状態の心移植というのが、昨年10月に法律が公布されまして以降、全く症例がございません。現在、ああいう法律ができましたのも、そういうことはできない、つまり事例がないということは、半分絵にかいたもちのような状態でございます。これを何とか、例えば表面抗原を除いたような動物の臓器が使えないのかというふうな、現在ではウィルスその他の問題でなかなか難しゅうございますが、そういう可能性はあるだろうと。
核移植を用いない事例では、細胞移植への応用でございますが、これは一部既にドーリーをつくりました会社がやっておりますような造血細胞の場合は、それによる、特に血液凝固第9因子の抽出等々が行われてございますが、そういう方向で利用される可能性がございますし、最後に、不妊症治療への応用でございますが、これは先ほどは男性で非常にご老体の方の子供を残したいということを申しましたけれども、女性で排卵数が極端に減ってまいりますのは49歳以降でございます。49歳前後で、もしどうしても自分の子供を残したいという場合に、体外受精で受精をさせまして、その受精卵をクローニングで増やしていくということで、そうしますと、妊娠の可能性と申しますか、妊娠の頻度が増えてまいりますので、そういうことで、排卵誘発剤の副作用を防止したり、あるいは年齢的に子供をつくることができない方々がそういうことを望む可能性はあるだろう。
こんなところが人体に応用される可能性がある事例ではなかろうかと思ってまとめてみましたが、議論のご参考になれば幸いでございます。
(岡田委員長)
どうもありがとうございました。
これはヒトへの利用という形のことになりますので、相当生々しいところがございますけれども、ご質問はございませんでしょうか。
(位田委員)
今、最後のところで、核移植技術を用いる事例の2番目と3番目ですね。先生、これは許されるのではないかとおっしゃいましたでしょうか。。
(武田委員)
許されないのではないか、絶対に許されないのではないかと申しました。
(位田委員)
済みません。聞き間違えました。
(木勝島委員)
二つ質問させていただきたいことがあります。一つは、核移植技術を用いる事例として挙げられた1番目のミトコンドリア異常症を回避するための核移植の応用について、母親のそれを回避するために、ほかの除核卵細胞への核移植を行うということになりますと、第三者からの卵提供を想定しなければなりませんね。私が理解するところでは、日本産科婦人科学会は、今のところ卵提供は不妊治療では認めておられないはずですが、これはその例外として、将来卵提供を認める方向にいくとお考えなのでしょうか。
もう一つは、これは先ほど、勝木先生に伺った話と同じ系の質問なのですが、資料の11ページ目にありますように、産科婦人科学会では、ヒトの生殖系列細胞と受精卵を取り扱う研究は登録制にするというシステムをとっていらっしゃいます。クローンの問題を語る上で基礎資料として、日本で実際どれぐらいヒトの受精卵及び生殖細胞を使った実験が行われているのか、どういう目的で行われているのか、その将来性については学会としてどう考えていくのかを把握する必要があると思います。そこで、例えばこの登録の内容について、どういう研究目的で、どういう材料で、どういう入手をして、どれぐらいの人が、あるいは施設が人の受精卵を研究利用しているのかということを、差しさわりのない範囲でこの委員会に情報提供していただくことはできないでしょうか。
(武田委員)
最初にございましたミトコンドリア異常症なんかに対してエッグドネーションは認められるかということですが、先生がおっしゃいましたように、これは現段階では全く認めておりません。ただ、エッグドネーションというのは外国ではございますので、そういう国際的に動く人が出てこないという保証はないんですね。今でも、例えば臓器移植でよくご存じだと思いますけれども、日本で心臓移植できないものですから、アメリカでやっている。同じようなことで、生殖医療でアメリカでやっていることが多々ございます。妊娠をしてこちらに帰ってくるというふうなことがございますので、これは国際的な規制が必要になる部分ではなかろうかと思います。
10ページから11ページにございますヒト精子・卵子・受精卵の取り扱いに関する見解というのは、これはこの時点では不妊症の治療に限られております。不妊症の研究に限られておりまして、他の目的に対する研究は一切認めておりません。したがいまして、しかもこれは2週間以内です。この時期での研究はほとんどすべてが着床に至る過程で何か障害があるかないかということを研究する。つまり妊孕性の向上のための研究が中心でございまして、それ以外には広がってございません。よろしゅうございましょうか。
将来的にどうなるかということになりますと、実は前回、私が簡単にご報告した中に、現在検討中の事柄がございまして、それはこの中に入れてございませんけれども、実はまだ会告の形になっておりませんで、現在検討中で、近々、来週なんですが、公開討論会を行うことになってございますのが、着床前診断なんです。
着床前診断につきましては、先ほど出ておりました不妊症の治療ではございませんので、10ページの会告を改訂する必要がございますので、不妊症以外にも使える道を開くということが、次の一つの課題として出てきております。けれども、それは非常に厳しい制限を設ける、制限つきでございますけれども、まだ成案になってございませんので、すべてを資料の形でお渡しすることは難しいかと思います。
(岡田委員長)
どうもありがとうございました。
それでは、次に進ませていただくことにしまして、動物への応用につきまして、三上委員のほうからよろしくお願いいたします。
(三上委員)
畜産試験場の三上です。
畜産における繁殖の技術というのは、畜産学というのが家畜の持っているすぐれた能力を人の生活に役立てるために最大限引き出すということから、家畜の遺伝的な改良とともに、すぐれた家畜を増やすということが畜産の根幹をなす技術となっております。今問題になっておりますクローンにつきましても、突然あらわれたものではなくて、それなりに長いバックグラウンドを持っているということで、日本におけるいわゆる生殖工学の流れを最初のページにまとめてあります。
当時は生殖工学という言葉はなかったわけですけれども、人工受精の普及をもって生殖工学の始まりというふうに我々は見ております。日本で実用化されたのが昭和25年で、またたく間に普及してまいります。これは牛の話です。それが凍結精液に変わったのが40年ごろでございます。現在は年間大体肉用牛、乳用牛合わせて150万頭交配しておりますけれども、その97〜8%が人工受精ということで、もはや自然交配というのはめったに見れない現象となっております。
これはすぐれた雄牛の精液を大量に利用する、広範囲に利用するということで、非常にすぐれた牛ですと、年間2,000頭ぐらいの子供を残すというふうに使われております。雄のすぐれたものもある一方で、雌にもすぐれたものがあるわけですから、そのすぐれた雌の子供をやはりたくさん取ろうということで研究が始まったのが、その上に書いてあります受精卵移植の記述です。
研究開始は昭和29年、30年ごろですけれども、最初に受精卵移植で子供が生まれましたのが、日本では39年でございます。これはホルモン処理によりまして、普通、牛は一つしか排卵しないわけですけれども、それをホルモン処理によって過剰に排卵させる。そして、それを回収しまして、別の仮親につけるということによって、すぐれた雌牛の子供をたくさんつくろうということです。
現在、下のほうに書いてありますけれども、平成8年で年間1万3,000頭ぐらいこの受精卵移植の技術によって生まれています。例えば値段の安いホルスタインの雌に値段の高い黒牛の受精卵をつけて子供を生ませるとか、あるいはスーパーカウと言われ、非常に高価に取り引きされている能力の高い乳牛、それの子供をたくさんとるというようなことに使われておるわけです。
それから体外受精の技術、これは非常に日本的な技術なんですけれども、日本では牛にしましても、あるいは牛の受精卵にしましても、非常に高価なわけです。そういうことで、屠場で取りました卵巣、これは雌が屠場で殺されることがあるわけですけれども、その場合に、その雌から卵巣を取ってまいりまして、その卵巣から未成熟の卵子を取り出して培養して、試験管の中で受精させるということで、これは試験研究の材料を得るということでも我々にとって力強い技術となっております。これが年間1,500頭ぐらい生まれております。
クローンにつきましては、昭和58年ごろから研究が始まりました。これは当初は初期胚を物理的に分割して、それを別の仮親につけて生ませるという技術から始まっております。その次に分割初期、牛の場合ですと16〜32分割ぐらいの割球を取りまして、それを核移植する、先ほど、勝木先生のお話にありましたのと全く同じ方法なんですけれども、そういう方法で平成2年に日本で最初に核移植による子牛が生まれております。平成9年12月段階で、これは年間ではなくて、延べ頭数ですけれども、328頭が生まれております。
次のページの下から3段目に、クローン家畜核移植ということが書いてありますけれども、平成2年に子牛が生まれて、12月で328頭ということです。去年の2月ロスリン研究所でドーリーが生まれたわけですが、その後の研究の状況というのは、さらに1枚めくっていただきますと、これまでの成功例が書いてあります。
一番上がドーリー、その次が遺伝子組みかえをやったポーリーですね。やはりロスリンと、一番下に書いてありますPPLとの共同研究です。その次の米国ABSと書いてありますが、これは純粋に体細胞クローンと言えるかどうか、胎児細胞から一たん培養系に移して、その核を使っております。ことしに入って米国で2例、新聞等で報道されておりますように、クローン牛が生まれております。ただ、これは見てわかるように、ほんとうの成体細胞の核を利用したのはドーリーだけでして、その下は全部胎児から取った細胞であるということなわけです。
アメリカでの昨年の研究で、妊娠60日までもったいわゆる成体からの体細胞クローンはないということで、最近の『タイム』誌上で、このドーリーの成果というものは疑わしいというような話が出ております。ドーリーの母親というのもおかしいですけれども、その乳腺細胞をとったヒツジは妊娠中で、その胎児の細胞が胎盤経由で乳腺細胞にまぎれ込んだのではないかということで、その可能性が100万分の1以下であるというふうにロスリンは言っておりますけれども、そういうような疑問が持たれているわけです。
先週あたり、オランダ、フランスでもクローン牛が生まれております。そういう中で、ほんとうに成体細胞から生まれたものが出てくればそういうような疑問がなくなるわけですけれども、今後の問題であろうと思います。
日本の現状ですけれども、牛の妊娠期間というのは285日ですから、米国の2例につきましても、これは多分ドーリーが生まれて、報道されて、すぐに試験を開始したのだろうと思うわけです。しかし、日本では、前回私が紹介しましたけれども、我々のほうは科学技術会議の委員会の答申を待って、農林省が情報の公開を積極的に進めながら家畜での研究を進めるという方針が出たのが8月です。したがって、日本での研究の開始というのは8月ということで、約半年ぐらいおくれてスタートしたということです。
現在までに我々のグループ、近畿大のグループ、大分県畜産試験場で大体20頭ぐらいの体細胞クローンが妊娠しているというふうに聞いております。そのうち我々の研究グループ、畜産試験場と鹿児島県肉用牛改良研究所が共同でやったものが後ろの2枚で紹介してあります。
我々の研究グループもそう簡単にできるものではないというふうに思ってスタートしたんですけれども、妊娠したのは意外に簡単であったというのが研究者の実感のようです。材料は胎児と、成牛と書いてありますけれども、これは黒毛和種、いわゆる黒牛ですね。それの耳からの皮膚組織です。これを、先ほど、勝木先生の説明にありましたように、血清飢餓培養で培養することによって、細胞周期を同期化しております。それに未受精卵、これが屠場から取ってきた卵子を培養したものですけれども、それから核を除去しまして、核移植をして、電気融合するということです。それを仮親へつけて、生まれるか生まれないか、図では生まれていますけれども、実際には妊娠中であるということです。
現在の状況は次のページにまとめてあります。我々のグループも、情報の公開を積極的に進めつつと言われてはいたのですけれども、どの時点でどういうふうに発表すれば良いのかわからなかったんですが、一応妊娠を確認したということで、1月20日に、この表で言うと40〜60日の間ぐらいのときに発表しております。
ドナー細胞の種類としましては、先ほど言いました胎児、成牛Aの耳の細胞、成牛Bの耳の細胞で、それを核移植した、胚を移植した頭数が、これは仮親の頭数です。上からそういう頭数になっております。基本的には1頭に二つずつの胚を移植しております。牛の場合21日周期で発情が参りますので、発情が戻ってこない場合には妊娠したというふうに見なすわけですけれども、40日ぐらいになりますと超音波でも確認できます。
上から2頭、7頭、3頭妊娠したということです。妊娠60日で1頭、5頭、2頭。我々、新聞発表したときは10頭妊娠していると言ったんですけれども、その後流産しまして、80日での確認で、1頭、5頭、2頭ということで、8頭妊娠しております。特に成牛の耳から取ったものは非常に成績がよくて、29頭胚移植をして、7頭現在まだ妊娠を継続しているという状況です。流産の経緯は下のほうに説明しております。
先ほど言いましたように、牛は285日妊娠期間があるわけですけれども、最初の危ない時期は通り過ごしたのではないかというふうに見ておりますけれども、これがほんとうに生まれるかどうかというのはこれからの話でして、生まれるか生まれないかによって、我々の研究の戦略も大幅に違ってくるので、もう少し経過を見ながら、先ほどのES細胞の話も含めまして、今後の研究方向を詰めていきたいというふうに考えております。
以上です。
(岡田委員長)
どうもありがとうございました。
相当いい成績が出ているわけですね。ご質問はございませんでしょうか。確認しておくところというのがあったら、ご質問いただくとありがたいですけれども。
この耳の皮膚の細胞というのは、どれぐらい培養したものを使っているわけですか。
(三上委員)
数日です。
(岡田委員長)
クローニングという格好のことをしているわけではないわけですね。
じゃ、一応よろしゅうございましょうか。
ただいま3名の委員の方々からクローン技術の現状というのをお話しいただいたわけでございますが、きょうのお話ということでの科学的バックグラウンドを踏まえまして、具体的にこれからクローン問題の論点というものについて議論をしていくことになるかと思いますが、このクローンの論点につきまして、前回のご議論も踏まえまして、私のほうで事務局と相談して案としてとりまとめてみたものがあります。それにつきまして、簡単に事務局のほうからご説明をお願いいたします。

議題:クローン問題の論点について

○事務局から、配布資料について以下のような説明があった後、議論が行われた。

 (事務局)

はい。それでは、資料2−1クローン技術の主な論点についてという資料がございます。これに沿いまして、論点につきまして考えるところを整理いたしました資料を作成させていただいておりますので、それにつきまして簡単にご説明させていただきたいと思います。
ただいま科学的観点からクローン技術の可能性につきましていろいろなお話を承ったわけでございますが、クローン技術に関しまして今、非常に関心が高いというのは、その科学的可能性が一方でありながら、それに関して何らかの制限があるべきではないか、そういった論点がもう一方であるかと思います。
したがいまして、ここで1ページはぐっていただきますと、クローン技術の主な論点案というのがございます。そこには大きく二つ書いてございまして、このクローン技術に対する規制というものを、どう考えたらいいのであろうかというのが一つでございます。そういった切り口があるのではないか。
もう一つは、このクローン技術を今後どう扱っていくにしろ、それに対して国民の意識を踏まえていくべきであるというのが、生命倫理委員会のほうでも議論されていたかというふうに思いますが、これにつきましてどうやって社会の合意形成を考えていくのかというその方法論につきまして、もう一つの論点の切り口であろうかと思いまして、このような整理をいたしました。すなわち内容につきましてと、その方法につきまして、この二つの視点から整理してみたものでございます。
まず、規制に関する考え方でございますが、当然のことながら、規制をするというにはそれなりの理由が要るということで、その理由について後ほどまた簡単にご説明させていただきたいと思います。もう一つは、規制ということになりますと、その形態、どのような形で行うのかというのがまた別の視点であろうかと思います。
また、もし規制を行えば、本来得べかりし研究の利益を享受し得なくなる可能性があるのではないかという視点もあると思いますし、前回、高久先生からちょっとお話がありましたように、この技術に対して一番重要な点は、規制に時限を設けるかどうかという点ではないかという視点もあると思います。また、前回、木勝島先生からお話がありましたように、研究の自由というものとの関係をどう考えたらいいのかというようなことがあると思います。
一番最後にクローン技術、先ほど武田先生からもお話がありましたように、非常に幅広い技術だと思います。仮に規制するとした場合に、どこまで、何を、どのように考えていくのかという対象の問題があると思います。このように仮に規制が必要だというふうになりましても、詰めるべき点はいろいろありますし、また、議論によりましては、場合によっては規制は要らないのではないかという議論もあり得るかと思います。
ちょっと話が前後いたしましたが、これに関しましては、昨年の夏に本日の永井先生にもご出席いただいておりますが、永井先生に取りまとめていただきましたライフサイエンスの研究会の基本計画におきましても、このクローンに関しまして若干の議論を詰めていただいておりまして、その際、法的規制の必要性などの具体的方策については、今後、しっかりと議論を尽くすべきであるというような方向を出していただいておりますし、また、先日の学術審議会の本件に関する中間報告におきましても、ヒトのクローン個体の作成自体につきましては、それがもたらす個人的、社会的問題の対応によっては、法的規制をも視野に入れた検討が必要であるといったような、将来十分この辺のあり方を詰めるべきというような議論がなされてございます。そういったこれまでの議論を受けまして、一つの論点といたしまして、この規制という言葉はちょっときつい言葉かもしれませんが、使わせていただきまして、論点という形で整理をいたしました。
もう一つが、この社会の合意形成の方法のほうでございますが、先ほど申しましたように、どのような取り扱いをするにしろ、それはやはり国民の意識というものの上に立脚すべきであるという議論がなされておりますので、この国民の意識の中には、科学者の方の意識も含まれるでしょうし、一般のそれ以外の国民の方も当然含まれるということだと思いますが、果たしてそれをどのような方法で行っていったらいいのかというのが一つの論点であろうかと思います。
もう一つの論点は、このクローン技術という技術に関しましては、非常に先端技術であるということで、なかなかわかりにくい側面があるという、そのあたりをきちっと情報をわかりやすいように公開をしていく。先ほどの三上先生のお話にもありましたように、昨年のライフサイエンスの基本計画におきましても、その辺の点を触れております。したがいまして、その辺の方法論につきましても、もう一つの論点かと思いまして整理してございます。
もちろんこれ以外の論点につきましても、種々あろうかと思いますので、まさにご参考の一つとしてこの資料を用いていただければ幸いと思います。
若干でございますが、中身に触れさせていただければと思います。下の3ページをとりあえずおあけいただけますれば、このクローン技術に対する規制に対する考え方についてということで、もしクローン技術に対する規制を行うとすると、どのような理由に基づいてその規制が行われることになるのであろうかということで、これまでに言われておりますさまざまな議論をできるだけ集める形でここに整理してみたという資料でございます。
当然のことながら、必ずしも全部これまでの議論が網羅しているものでもなく、そういった趣旨の抜けがあるかもしれませんので、その点、あくまで書いてありますように例ということでございます。
一つは、この規制を行う理由として、倫理性に問題ありとする考え方がございます。そこに書いてありますように、ヒトの個体を生み出す。先日、菅野(覚)先生からつくるということと対比してお話しいただきましたが、これは許されないという考え方がございますし、一方、人間の尊厳の基礎といったものを考えた場合に、やはりクローンというのは唯一無二のはずの人を二人つくり出すものだということで、人間の尊厳を侵害するといったような考え方、フランス流の考え方と思いますが、そういう考え方もあります。
また、生命の尊厳のところにちょっと書いてありますように、仮に生命が消滅しても、クローンがあれば実態は長生きするじゃないかというような見方も、よく小説などであらわれているかと思います。倫理性につきましては、まだほかにさまざまな議論があろうかと思いますが、代表的なところを拾ったつもりでございます。
一方、科学的側面と書いてございます。これはもう1枚めくれば、おそらく安全性の議論ということになろうかと思います。すなわちこの技術によって生まれてくる子供に対しまして、何らか将来障害が生じたり、あるいは途中で亡くなられたりということが、正常の受精と比較して高頻度で起こる可能性が捨て切れないのではないかという、そういった安全性を根拠にする問題があると思います。
もう一つは、社会的側面と書いてあります。これは言葉が適切かどうかわかりません。一つは、差別が生じる可能性があるということで、このクローン技術によって生まれた人が、彼はクローン技術で生まれたのだという事実それ自体を持って差別を受けるのではないか。あるいはクローン技術を使うことによって、非常にある種優良と行われる性質を持つ方が優先して生み出されるというような、そういった優性思想が助長されるのではないか。
あるいは次のページに参りますと、現在の社会の基盤、家族というのが大きな基盤になっているかと思いますが、この家族観というものがクローン技術によって非常に覆されてしまう可能性があるのではないか。あるいはクローン技術によって100人、200人の類似の外見を有する人が多数生じてきた場合、非常に社会が混乱するのではないか。
あるいは遺伝的多様性がクローン技術を頻用することによって減少すれば、種あるいは民族の長期的存続に影響が生ずるのではないかといったような、あるものは非常に仮想の議論であるものもありましょうし、あるものは非常に現実的なものもあると思いますが、そういった議論が多数なされていると思います。こういったさまざまな理由をもとに規制をすべきかどうか、あるいは規制をするとしたら、どこまでやるのがいいのかといったような議論が一つの論点かと思います。
そこの規制の形態というのがございます。これはいくつも考えられると思いますが、大別すると、いわゆる法令に基づく規制、二つ目が国によるガイドラインによる規制、三つ目がいわゆる研究者の自主規制、学会のガイドライン等によるものというものでございます。それぞれ特徴があるかと思います。規制をするとなった場合に、その理由いかんによりまして、その規制の形態についてもおそらく議論がなされるべきだろうと思います。
それから現在、米国でもさまざまな議論が行われておりますが、その大きな議論といたしまして、法律規制を行えば、このクローン研究の基礎研究の部分に非常に影響が及ぶのではないかという懸念のもとに、非常に慎重審議を求める意見が出ております。もちろんヒトのクローン個体の作製自体につきましては、かなりなコンセンサスが存在するということだと思いますが、その基礎研究段階への応用につきましては、さまざまな議論が入りまじっているということで、この研究の推進への影響というのも一つの大きな論点になっているかと思います。
また、時限の問題につきましては、ヨーロッパの関係法令がいずれもかなり永続的な論理に基づきまして議論されているというのに対しまして、アメリカの議論は四、五年の時限性をもって議論されております。すなわちその間に安全性に関するさまざまな治験が蓄積されるであろうということを期待した、そういったことかと思っております。また、社会的合意につきましても、一たん合意が形成されても、それは永遠不滅のものではなく、変わり得るものということだと思いますので、その辺をとらまえるということも一つの論点かと思います。
次のページ、ごく簡単ではございますが、研究の自由と規制措置との関係というものにつきましても、やはり先日お話がありましたように、きちっと整理していくというのも重要かと思います。
6ページに参りまして、今回、方法論の問題でございます。先ほどのように生命倫理委員会にいたしましても、本小委員会にいたしましても、そこでの結論すなわち国民の意識そのものであるということにはならないのであろうというご議論も種々いただいているかと思いますが、それでは、その国民の意識というのは一体どの辺にあるかというのをいろいろ調べる、とらまえるという方法論が必要になるかと思います。
論理的に考えればどんなことでもありまして、例えばインターネットによる方法、ヒアリングによる方法、アンケート調査による方法等々種々あろうかと思います。こういったもののうち、今回の場合にはどういった方法で何をしていけばいいのか。それにつきましてもご議論いただければというのが一つの論点かと考えました。もう一つは、先ほどもございましたように、情報公開の方法につきまして、より明確にしていくという必要があるのではないかということが別の論点かと考えて書いてございます。
最後のページでございますが、これはクローン技術の規制を考えていただく際に、一つの参考資料として、こうしたら少しわかりやすくなるのかなという試みでございます。横に三つの列がございますが、一番上が時系列から見たヒトのクローン技術による発展でございます。すなわち胚分割、あるいは核移植によりまして、細胞分裂が開始され、原始線条索が出現し、胚移植が行われ、妊娠して、出産して、成体に至るという時系列でとった場合に、諸外国の法令を振り返ってみましたときに、どの辺で何を規制しているのかというようなことが位置づけられないものかと思ってつくりました資料でございます。
そこに書いてありますように、フランス、ドイツあるいはアメリカの共和党のクローン禁止法案、これは最初の核移植の直後あたりの段階からもうやってはいけないということで規制をしているかと思います。一方、イギリスの体外受精法あるいは日本の産科婦人科学会の見解では、これは体外受精からの類推の部分がございますので、産科婦人科学会のご見解については、むしろ武田先生にお話しいただければより適切かと思いますが、類推からいたしますと、この原始線条索、細胞分裂開始後2週間あたり、そのあたりをラインといたしまして、そこの前は特定の目的のためであれば研究をしてもよろしいということになっているかと思います。
最後に、この米国大統領法案と書いてございます。大統領法案は、クローンをつくって母体に戻す、そこのところを禁止しているということで、胚移植より前の直前の時点あたりをねらっているものと思われます。したがいまして、若干この原始線条索より後に規制のラインが来ているということかと思います。
一方、組織レベルから見た規制の対象ということになりますと、これは必ずしもここではっきりしない部分がありまして記述してございませんが、考え方としては、配偶子から始まって、細胞レベルのクローンがあって、臓器レベルのクローンがあって、最後に個体レベルのクローンが出てくるということかと思います。
この細胞レベルや配偶子レベルのクローンというのは、むしろ細胞増殖に近いものかもしれないと思います。核移植という技術を使うものではなくて、むしろ細胞増殖に近いものではないかと思いますが、臓器レベルになりますと、そのあたり両方あるかと思います。すなわち、先ほどの血液のようなものに関しましては、それを臓器レベルと見なせば、細胞培養的なものでここに対応してくるというものもございましょうし、あるいはもう少しほんとうにいわゆる臓器らしい臓器というものを、先ほどの体細胞のゲノムを少し変えることによって、特定の臓器のみを発生させるという、現在では非常に空想の物語かもしれませんが、将来そういったことが可能になりますと、あとはこのクローン技術でそういったものはたくさんつくることができるということになるかもしれないということで、一応臓器レベルというものを書いてありますし、特に動物由来ヒト型臓器というものにつきましては、非常に今、研究が進んでいるかと思います。
すなわち豚の臓器などの表面抗原をヒト型化することによって、移植に使えないかという試みがあると思います。もちろん安全性の問題等非常に困難というような状況にあろうかと言われておると思いますが、可能性としてこういったものもここに書いてございます。
あと個体レベル。その個体レベルのところで、おそらくは各国とも法令規制をしているのであろうと思います。
あと種の違いから見た規制の対象ということで、下等動物からヒトまであって、基本的には体外受精から出てきた各国のクローン関係の法律というのは、ヒトを対象にしているものであろうと思いますけれども、一方、動物につきましても、各国それぞれ動物愛護の精神等々からいろいろな規制法を持っているというのも事実であろうと思いまして、ここにそういう事項を書いてみました。これが何らかの整理の参考になれば幸いでございます。
以上、とりあえず論点につきまして、長くなりまして恐縮です。以上です。
(岡田委員長)
今、豊島委員がご出席になりましたので、ご紹介しておきます。
(豊島委員)
豊島でございます。
(岡田委員長)
本委員会が何をする委員会かというのが、事務局の方からのご説明にちょっと出ています。この前の会議のときに、位田委員の方から何するところかなというお話が出ましたけれども、科学技術会議、文部省の学術審議会での中間報告の中でも、規制に関しての討議を今後すべきであると述べられています。そういうこととの対応の中で、この小委員会での一つの目的というのは、今、事務局のほうからご説明のあったクローン技術に関する規制という問題になろうかと思います。
もう一つは、言及されましたように、これに対しての社会の合意形成の方法をどうするかという、この2点というのがこの委員会の非常に大きな目的というようなことのように思っております。
そういうことで、ご討論をいただきたいのですけれども、ひとつ法律とか、特に罰則といった観点から、まず、町野委員のご意見をいただけると、あと進むのではないかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
(町野委員)
私、宿題が割り当てられておりまして、レジュメを作ってまいりました。今、事務局の方から説明戴いたことは非常によく整理されておりまして、屋上屋を架するという感もありますが、ともかく問題点を列挙してみました。
規制のことをまず頭に置いてみますと、現在のところ多くの合意があるのは、個体としてのヒトをクローンでつくるということはまず禁止されるべきだということで、まずそのことからスタートしてみようということになります。事務局が先ほど整理されましたように、一番最初の問題というのは、規制ということはどうして許されるのか。規制というのは、言うまでもなく公権力による規制ですから、それは法令によるにしろ、行政庁のガイドラインによるにしろ、あるいは自主的な団体、産科婦人科学会であるとかそういうものにしろ、いわば個人を越えたある意味でのパブリックなものによる規制ですから、それにはそれだけの意味がなければいけない。
それで、先ほど幾つか挙げられましたように、倫理性の問題がある。安全性の問題がある。もう一つは、これは生命倫理の方に必ず出てくる問題として、種の長期的保存の問題というのがあります。これらが挙げられるわけですが、ここで生命倫理学の一番基本的な問題があります。すなわち、倫理は強制し得るのかということです。だからこれは良くない、という倫理があるということはだれでもおそらく言えるだろうと思うんですが、だからどうした、という意見もあるわけです。私はその倫理を認めない、という人も出てくるかもしれない。そのとき、どうしてそれを強制し得るのかという問題がありまして、これは延々と法律学の分野で続いてきている問題であるわけです。法は倫理である、とか、そのような議論に結局つながるわけです。しかし、大体において、倫理ということだけではやはり強制できない、という方向に向かいつつありまして、結局それを別の言葉で、悪く言えば言いかえるということになるわけです。すなわち、一つは、現在、生きている我々の感情を保護するのだという考え方があります。似たような人間が次々と、たとえばヒットラーみたいな人間がたくさん出てきたら気持ち悪くてしようがない。例えばそのようなことです。もう一つは、間世代間の保護です。後から出てくる人たちについてこれがどういう影響を持つか、そこまで考慮しなければいけません。
今のように考えますと、これは言いかえますと反社会性ということで、つまり社会に対して被害を及ぼすから、だから規制できるのだという格好で、倫理違反というのが言いかえられるということになるわけです。考え方としてはこのような方向に向かっているわけですが、これでも反社会性の概念というのが非常に拡散してきていることは否めないというところがあります。それを認めるか、ということです。
昔ですと、人のものを取るのは良くない、倫理違反である、なぜ良くないかというと、人に損害を与えるからである、あるいは、人を殺すのは良くない、人に損害を与えるからである、ということで、わりあいわかりやすかったんですが、現在は非常にわかりにくい状態になってきています。
今のように規制の理由があるということになりますと、他方では規制することによって生ずる不利益という、先ほど生じた問題があります。これが、カウンターバリューと言われる問題です。一つは、ヒトクローンの技術は社会的な有用性を持っているのではないか、ということがあります。その中で、一つは移植用臓器だとか組織の獲得などの問題ということがやはりあるでしょう。それから、教育、研究の進歩を阻害しないか、というような、つまりこの進歩のためには規制すべきではない、という方向にも、一方では行き得るわけです。
そして、その中で学問研究の自由というのは非常に重大だということなのですが、これについても2種類ぐらい考え方があります。一つは、精神的自由の意味です。例えば、一人の私という研究者が何かを研究するというのは表現の自由である、そういうものと同質の精神的自由である、という考え方があります。
もう一つは、学問研究の自由というものを、例えばお医者さんたち、学者たちにゆだねておく、すなわち、ある範囲でスペースを与えておくということは、それによって学問が進歩し、かつ将来社会に対してプラスになるだろうという考え方です。前者の考え方がどちらかといえば精神的自由権で、アメリカはそれに近いという感じがしますが、後者は明らかにドイツ流の考え方で、職能集団としての自立権というのは社会のために役に立つから保証すべきだという考え方です。この問題をどのように考えるかということだろうと思います。
そして、先ほど、方法論のうちの一つとして、社会的合意の形成ということを言われましたが、これは、規制の中でも、その理由として非常な意味を持っています。つまり、社会的な合意がないところで規制するということは、おそらく今の世の中で許されないだろうということは、一般論として言えるわけです。では、どういうときに社会合意があると言えるのかというと、消極的にこの程度の規制だったら反対はしないということで足りるのか、それとも規制を積極的にすべきだという社会合意まで必要なのか。これはいまひとつわかっていないところがあるようです。
多くの考え方は、社会的合意論というのは日本固有のところが少しありますが、外国でも、社会のコンセンサスのないところでは規制をすべきではないという考え方はやはりあります。これは考え方として認めざるを得ないだろうと思います。
問題は、そのときの社会的合意と簡単に言っていますが、その意味です。日本で社会的合意が非常に固有だと言いましたのは、脳死論に関して顕著に出てきました。そこでの社会的合意の意味は、死の概念というのは、社会の中で、まず、法律あるいは医学の観点からの議論以前に厳として存在するものである、すなわち文化的に一つの死の概念というのがある、という考え方です。しかし、ここでは規制を許すべきかどうかということを議論しているのですから、これは明らかにレベルが違う問題です。
そこで、おそらくこの脳死概念について言われている社会的合意論というのが社会通念であるという具合に言いかえるといたしますと、そういう言葉が適切かどうかわかりませんが、こちらではおそらく世論ではないかと思われます。しかし、世論というのは、多数決かどうかはわかりませんが、そのようなものであろうと思われます。
そして、その形成の方法ということは、先ほど方法論として非常に重大だということでございますけれども、ご指摘のとおり、情報公開等の問題がもちろんあります。しかし、他方では日本型の意思決定の仕組みというものが今問われている時代だということも、多くの人が指摘しています。つまり、今までの意思決定のやり方というのは、関係諸団体と意見の調整を図り、各省庁の意見をさらに調整して、それから政府が発表する、大体そういうパターンであって、それをずっとやってきて、国際会議などでも全部それでやるために、ところどころで問題が生じているようにうかがえます。
さて、規制するには何かの目的があるから規制をするわけです。そのようなことはわかり切っているではないか、それは不当な行為を防止するためである、と言われるわけです。しかし、不当な行為を防止するために規制が必要であるとするならば、まず一つは、規制したところで、例えば処罰規定を設けて、それで効果が上がるのか、本当に規制のために意味があるのか、ということがあります。もう一つは、このような規制をしなくても事態が起こらないのではないか、そうした必要性があるのか、ということもあります。この二つの論点をクリアしないとそれ以上議論を進められない、ということがあります。
他方で、さらに複雑になりますのは、規制というのは、今のように行為の防止だけではなくて、シンボル的な意味もあるということが認められていることです。例えば日本では堕胎罪の規定がありますが、あれはほとんど意味をなしていないということはだれでも知っているところです。しかし、あれを取り去るのかというと、取ってしまうと、生命の尊重に対する社会の中での意識というものに変化が生じてしまってよくない、やはり胎児の生命は尊重されるべきだという点からも、あれを残しておく必要があるのだ、という具合に主張されるわけです。
そうすると、このシンボル的効果というのは、おおむね行為の防止に意味があるものとして認められているわけですが、例えば殺人罪を処罰すれば、人の生命は大切だという意識があり、多くの人が人を殺さなくなるだろうというような、そういう跳ね返りがあるのですが、そうじゃない場合もやはりあるわけです。
今のクローンの場合というのは、実はこの問題が相当大きいように思われます。クローンの個体をつくることを禁止するという刑法を作らなくても、もしかしたら防止できるかもしれない。あるいは作ったところで、それに従わない人が出てくる可能性もあるかもしれない。いろいろなことが想定されます。そのようなことであってもやはり必要なのか。この二つの問題は分けて議論する必要があるだろうと思います。
今のようにして規制をしてまいりますと、その規制の対象ということでは、一番最初にスタートしたときは、ヒトクローンの作成というものを規制するということからスタートしたわけですが、ヒトクローンというのは一体何なのだ、ヒトとは何かというのが、すなわち、質的な限界、量的な限界というような問題が生じてきます。どこからがヒトクローンかということを明確にして、それを規制するのかどうか、という問題があります。
しかし、それだけで良いのかという問題が次に出てきます。どこかのポイントで規制したとして、それはヒトの周辺、つまり胚であるとか、その前のところは良いのだろうかということです。つまり、本当に規制したいのはヒトの個体を作るということかもしれないが、その前の段階でも抑えるべきではないだろうか、あるいは、ヒトは言えない、例えば臓器だとか組織であるとか、さらにはほかの動物、そのようなことについても規制を及ばせるべきではないかという議論が出てきます。
では、どうしてそのような議論が出るのかというと、それは一つはタブー領域の拡大という議論があるわけです。すなわち、ヒトの個体を作るのを禁止しようとするきは、タブーを広げていって、それにつながるものはみんな禁止すべきではないか、という議論があります。しかし、おそらくこの考え方は非常に問題であって、外国ではこの考え方が非常に強いようなのですが、これからはこれは合理的な思考と言えるかどうか、私は疑問であると思います。そして、そうだとすると、独自の理由というものがなければいけないということで、再び前に戻るということになります。
そして、おそらくこれが一番私に与えられた宿題の中で最も重要だろうと思うのですが、規制手段としての規範の役割という問題があります。ここで規範の種類はいろいろあります。倫理の世界では自主規制というのが今非常にはやっています。それにも幾つかありまして、倫理委員会を設けて規制するというのが大体の方法です。それも、学会レベルの倫理委員会、あるいは医療施設の倫理委員会と、いろいろな組み合わせがあるわけです。
この他に行政指導というものがあります。ここでは研究費の打ち切りなどがありますが、それ以外にも、例えばガイドラインを出してみたり、いろいろな行政指導というものがあります。そして、その上に法律が来て、法律の中でもおそらく一番きついと考えられる刑法が来るわけです。
じゃ、このうちどれを選択するのかということが問題になるわけです。そのとき、いろいろな要素というのがありまして、生命倫理へのある意味での自信といいますか、確固たる信念を持っているときは、テンポラリーな版ではなくて、パーマネントな版になると同時に、刑法というところに来る可能性が非常に強い。例えば、ドイツというところは完全にそういうところです。
もう一つは、規制の必要性がどの程度あるのかという考え方。それからもう一つは、お医者さん方をどれだけ信用するのかという問題があります。医療の自主規制にゆだねて大丈夫なのか。ドイツあたりではそれはもうだめだ、ナチスのことでわかっているではないかということで、あのようなことになったということがあります。
さらに、先ほどの法の倫理的な意味ということで、つまり先ほどのシンボリックな意味ですね、それをどの程度法に期待する意識があるのか、ということがあります。これは、特に刑法について言われることになるわけです。今のように、規制の強さ弱さというところからこのような選択があるわけですが、同時に規制する行為の対象によってもいろいろ違いが出てきます。この規範の選択の2番目のやり方としては、事前規制にするか、事後規制にするかという問題が出てきます。おおむね刑法などでは事後規制です。すなわち、殺人罪は、人を殺したら処罰するぞ、ということを言うことによって、事前に効果を及ぼそうとするものです。
しかし、そうではなくて、事前のところで介入して、何かしようとするときは処罰するぞ、ということもあり得ます。それから、何かしようとするときは届け出をしなさい、そしてその許可を得なければやってはいけないということもあるわけです。規制の対象によってこれは変わざるを得ないということがあります。
しかし、確信領域であるヒトのクローンを作ってはいけないというときに、作った行為だけを処罰するということになれば、人を殺したから処罰するのと同じような体制で良いわけですが、作ろうとする試みまで規制しよう、あるいはそれにつながり得るものまで規制しようする周辺領域にまでなってまいりますと、今度は事前的な規制のための体制が必要になってきます。
そうなってくると、そこでは刑法のような単純な法律で良いのか、もう少し複雑な、自主規制と行政庁のガイドラインを組み合わせたようなものの方がむしろ良いのではないか、そのような問題が出てきます。
(岡田委員長)
なかなかこれは具体的にやっていこうと思うと相当大変なことだなというのを改めて思いましたけれども、あと15分ぐらいですけれども、今の町野委員のお話を含めて、自由に討論していただくということがこの際いいのではなかろうかと思いますが、規制の必要性があるかないかとか、規制の対象をどこにするか、手段をどうするかというあたりのところでのご意見がございましたら、自由にお話をしていただきたいと思います。
(永井委員)
先ほどの説明ですと、ヒトでのことを最初に取り上げて、その結果、その周辺を考えていくというようなやり方、それも一つかもしれませんが、その前に、時間的にもかなり限られていますので、事柄をスムーズに進めるために、ヒトとヒト以外のものとをはっきり分けて整理し、おのおのについて議論をしていく。つまり、最初にヒト以外の問題をどうするかということを取り上げたほうがスムーズにいくのではないか。ライフサイエンス部会および分科会での「ライフサイエンスに関する研究開発基本計画」策定のときも、そのような方針で議論を進めたと思います。
(青木委員)
今、町野委員とか科学技術庁の課長のお話にもありましたけれども、ターミノロジーでちょっと気になるところがあるんです。倫理と倫理性という言葉ですね。これから非常に重要なキーワードとして出てくると思われる倫理性ということはどういう意味を持っているんですか。
この間、菅野先生のお話では、倫理性とはあまり言わないで、倫理という割り切り方をしていたと思うんですね。倫理学者が入っているところで、重要なことなので、ちょっとターミノロジーについて定義しておいたほうがよろしいのではないかと思うんですけれども。
(岡田委員長)
今の青木委員のお話に対して、倫理ということで、どなたか。
(菅野(覚)委員)
私はあまりそういうこともよくわからないといえばわからないんですけれども、2番目に倫理の強制の許容性というのが、今の町野先生のレジュメにありますけれども、私自身は、倫理というのは基本的には目に見えないといいますか、守ろうと守るまいと存在しているものだと思います。ですから、それを守るとか守らないとか決めるとかというのは、基本的には倫理の問題ではないと思うんですけれども、ただ、人間が何かしているときには、おそらくそういうものを何らかの形で自覚しているというか、表現しているというか、無意識にも意識している、そういう形であらわれてくるだろう。そういうところの部分を倫理性というふうに呼んでもいいのかなと思いますけれども、むしろこれは道徳のことだと思うんですね、ここで書いてある倫理性というのは。
道徳の問題と倫理という問題はちょっと違いますので、こういう規制の話にまでなってきてしまうと、もう倫理の問題は関係ないんじゃないか。社会通念とか慣習道徳とか、それは法律のほうにお任せするのが一番いいのではないかという気がいたします。多分我々は道徳というふうに上のほうは意識していると思うんですが、ただ、人間の尊厳というふうになると、尊厳と尊厳性とかという区別がおそらくこの倫理と倫理性の区別で出てくるんじゃないだろうかという気がいたします。ちょっと要領を得ない説明で申しわけないんですけれども、そんなことを考えているんですが。
あと、このレジュメにかかわったついでに一言、混乱させるように申しわけないんですが、町野先生のは大変おもしろくて、もうお任せして、私は次回から休もうかとも思うんですけれども、社会通念というので、脳死論における社会的合意と違うというふうにありますけれども、これもちょっと考えると、例えば人間が生まれてくるということ、生まれるという概念、そういうものは厳としてあるのではなかろうか。それはやっぱり生まれてくるとか、授かるとか、いろいろな言葉で言いあらわされていることであって、この間ちょっと言いましたけれども、つくる、壊すという対ののつくるとは違う概念では厳としてあるんじゃないかと思います。ただ、どうやってそれを見出すかといいますか、確定するかということになるんじゃないか。
済みません、もう一言言って、あとは何も言いません。最後の事前規制と事後規制、これはすごく大きい問題だと思うんですが、ヒト個体をつくっちゃった場合の例えば事後規制というのは、つくったやつはどうにかなりますけれども、できちゃったものについては、盗品は人に返すとか、そういうわけには……。殺した場合は、いなくなっちゃったからしようがないということで、その辺はいずれ問題になるかと思いますけれども、大変気になる問題だということを申し上げたいと思います。
(岡田委員長)
確かにクローン人間ということではだれが責任をとるのか、だれが一番情けない思いをするのかというあたりのことは非常にはっきりしている問題であって、永井委員がおっしゃったように、確かにある狭い範囲内というあたりのことでのある種の規制のやり方というのを考えてみるということで、裏返していくと、こういうバイオロジカルなテクニックというのは、一般の医療行為も含めて、一般の方々から見ると、何か気持ちが悪いという感じのことというのが随分横行していると思うんですね。
そこの中でほとんど規制なしにやっているんじゃないかというふうな危惧感というのを払拭する一つの方法論としては、やはりこういうクローン人間というのを実際上つくるかつくらないかということのもう一つ前に、そういう一つのはっきりした方向性を我々がちゃんと出しているというふうな表現形というのは、非常にあり得ることなんだと思うんですね。
そういう意味では、社会一般への広報と、それからの意見を求めるというあたりのことも含めて、実際上の作業以外に、ライフサイエンス関係の対社会とのつながりのところに、ある種のインパクトを与え得る可能性のある作業かもしれないということも少し思っております。
そういう意味で、これは次回ということに多分なると思いますけれども……。どうぞ、まだ時間がございます。
(木勝島委員)
2点申し上げたいことがあります。今、岡田委員長がおっしゃられたことは、方法論としてライフサイエンスと社会とのかけ橋なりつなぎをどういうふうにつくるかということは、クローンを離れてもっと一般的に大事な課題だというご指摘だと思います。私もそのとおりだと思います。
いわゆる社会の合意の形成というと、必ず日本で出てくるのはアンケート調査というものですが、私はこれには非常な疑問を持っています。ランダムサンプリングによる国民の世論調査、アンケート調査が社会的合意の形成にいかに役に立たないかということは、脳死・臓器移植のときにはっきり明らかになったと思います。政府の脳死臨調が行ったアンケート調査の数字は、さして何ということにもならず、マスコミ各社の世論調査の波の中に埋もれて消えていってしまいました。
その脳死・臓器移植の後、遺伝子治療に対して事前の届け出、許可制という非常に厳しい規制のスキームがつくられました。これは、根拠法令なしに、行政指導として成り立っている規制です。この遺伝子治療の規制スキームができたときに、アンケート調査のパーセントの多寡を根拠の決定にしたということはなかったと思います。遺伝子治療をそのように厳しく規制するという社会的合意は、では、どこでだれが作ったのでしょうか。それはやはり関係学会が厚生省の申し出に応じて、積極的にそういうスキームをみずからつくり上げて、その指導にみずから従うという形をつくって、社会の同意を得ようとしたのだと思います。少なくとも、それに対して社会から根本的な批判は出ていないわけです。これは一つの先例になりうるかと私は思います。
よその先進諸国のこの分野での政策形成を研究しておりますと、世論調査のパーセントの多寡を政策決定の根拠にしている国は一つもないと断言して間違いないかと思います。ですから、いわゆる社会的合意の形成の方法論については、関係する研究界と、研究開発に携わっているバイオ関係の産業界からの組織的、体系的なヒアリングに重点を置くべきだと思います。
それから、もう一つ大事な合意形成のやり方として、この問題について並行して審議が進められている文部省及び厚生省との調整が不可欠になると思います。たとえば、細かい点で恐縮ですが、本日戴いた「クローン技術の主な論点について」の6ページで情報公開の対象となっているものが、各省庁試験研究機関と民間研究機関とあって、大学が入っておりません。これは文部省の管轄だからということで外されているのかどうかわかりませんが、こういうところで他省庁との調整はぜひ必要なことだと私は考えております。それも広い意味で関係団体からの意見募集というものの中に入るのかと思います。
私としては、この委員会では、アンケートよりも組織的なヒアリングに時間と手間をかけていただけるようにお願いしたいと思います。
(岡田委員長)
いろいろなところで考えてみなければいかん問題点をはらんでいるかと思いますが、そのほか、何かご発言は。
(位田委員)
先ほど、永井委員がおっしゃったように、議論をどこかで進めていかないといけないと思います。まず、ヒトかヒト以外、そこをどう区別するかという問題、これが一つあると思うんですね。それから、問題は規制はするかしないか、そこから出発しないとしようがないと思います。私の理解では、この委員会は一応規制をすると。どういう形でやるかは別としまして、規制をするということで議論を始めざるを得ないのではないか。
その点について考えると、倫理というのは、私は前回も申しましたが、人によって倫理の問題をどう考えるかというのはかなり違うと思いますし、クローンの問題について、例えば日本では今どういう倫理があるかというのはとても言えない状況なんだろうと思うんですね。そうなりますと、結局規制をするのに何が合理的な理由であるかということを考えざるを得ない。もちろん倫理ないし道徳のことも考えないといけませんけれども、実際に規制を行う理由、もしくは規制のベースとしては、例えば生命の尊厳であるとか、もしくは人権であるとか、社会的にある程度評価が客観的に固まっているものをベースに議論をするというのが必要ではないか。
そのあたりから議論をしないと話が進まないと思います。先ほど木勝島委員のおっしゃったように、どう社会的に意見を集約するかというのは、その途中で問題になるとしても、今回は第2回目の委員会ですから、どこから議論をするかというのを先に決めていただいたほうがいいと思います。
(岡田委員長)
どうもありがとうございました。
大体予定の3時が参りましたので、きょうは随分いろいろな勉強をさせていただきましてありがとうございました。今回はこれで終わらせていただいて、とりあえず議論の要点をまとめたものを次回までに作成して、それをもとにしまして、次回以降の議論を進めていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。そういうことでよろしゅうございますか。非常にお忙しいところ、何回もお集まり願って申しわけありませんが、これはある形をとにかくせっかくやり始めたからつくっていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

○次回は、3月30日(月)14時から銀座ラフィナート(京橋会館)にて開催することとし、閉会した。