| ◎ |
まず全体の構成について御意見を伺いたい。最後の事例に学生をインボルブしたときのケースが書かれている。この委員会の討議でも何度かこの問題は出てきたがあまり突っ込んだ議論にはならなかったが、こうした報告書の形になってくると、この4の教員の職務との関係の中で、学生との関係についても何らかの論及をしておいたほうがいいのではないかと思われる。学生の場合、特に理工系の場合には、自分でアイデアを持って研究をなかなかやらせてもらえないという一種の徒弟的なところがある。その意味では、このような利益相反問題というのは、むしろ学生と先生の間の微妙な関係にもあるような気がする。最近の企業内の特許をめぐっての報酬の在り方についての訴訟の例などがあるので、今後は院生の貢献度をどのように考えるかということは大きな問題になるのではないか。今までみたいに鷹揚に包容力のある教授の人徳で大体こなしていたところが、なかなかそううまくいかなくなってきているところもあるのかもしれないと思われる。
|
| ○ |
全体の構成のところについてであるが、「4.教員の職務との関係」には国立大学のことについてしか挙がっていない。公立大学、私立大学とは関係ないのかと思われると困るため、簡単でもいいので、そこでは公私立大学についても触れていただきたい。
|
| ○ |
「1.(1)利益相反とは何か(概念整理)」で、「 産学官連携の推進と利益相反」があり、 で利益相反の概念規定がなされている。これはむしろ逆に、 の概念規定がまずあって、それが の産学官連携を推進する上でこのような問題になってくるという整理にし、続いて のアメリカの例、最後に の法令違反という流れにしたほうがわかりやすいのではないか。また、 の部分だけ読んでいると責務相反の部分が抜けているように思われる。利益相反と責務相反の両方が絡んできていることを明らかにするためにも、せっかく でこれだけ詳しく利益相反と責務相反について書いているので、逆にこれを頭に持ってきて、なぜこれが問題になるかということで の記述につなげたほうが導入部としてよくはないか。
|
| ◎ |
(1)の の本報告書における概念整理、これを最初の に持ってくるという趣旨である。
|
| △ |
説明漏れがあったので、補足させていただく。12ページの三つ目の●が、治験、臨床研究の関係のくだりといして書かせていただいている。医学・医療分野で臨床研究における利益相反の特殊性ゆえの慎重な対応が必要ということで、通常のマネジメント・システムに加えて一段厳格な場合もあり得るとしている。まずは関係者で大きく議論していただきたいということで、仮に入れている。また、厚生労働省の治験の担当の方にも話を伺ってきたので、簡単に説明したい。まず、治験と臨床研究という二つの言葉があり、関係者はこれらを使い分けている。臨床研究のほうがどちらかというと広い概念であり、治験はその一部に含まれており、医薬品の承認申請を目的とする臨床研究とされている。そうでない、承認申請を目的としないもの、アカデミックな研究も含めて臨床研究と言う。臨床研究も治験も「人に対する治療行為」であるという点では共通であり、動物実験等とは別のものである。この利益相反問題をより広くとらえて学内のマネジメントを提案するという上では、まず臨床研究という言い方で報告書を統一したほうがいいのではないかと思われる。次に、狭義の承認申請のための治験についての取組についてであるが、薬事法が最近改正されており、その背景には世界医師会で作っているヘルシンキ宣言がある。ヘルシンキ宣言は、主に患者の人権を確保することとした、医療に当たる者の倫理も含めた倫理規範として1964年に採択され、その後何度か改正されている。この宣言に基づいて、治験の在り方も透明性が求められている。今般の薬事法改正もそうであるが、厚生労働省では「医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令」を平成9年に定めており、通称GCP(Good
Clinical Practiceの略称。以下「GCP」という。)と言っている。この省令で、治験を依頼する基準、管理の場合の基準、それから審査委員会を設ける定め、治験の責任医師の定め、被験者の同意書面の様式、被験者の同意が直接得られない場合の代諾できる者の手続等々かなり詳細に定められている。医薬品の承認申請に係る治験に関しては、かなりデータの信憑性を確保できるシステムになっている。喫緊の議論としては、治験の範囲が先般の薬事法改正で広がり得るということがある。つまり、治験は製薬会社の依頼に基づいて行う医薬品の試験ということが正確であろうと思われるが、それが医師や研究者主導による治験ということもあり得る。そうした治験の概念を広げて、そのかわり治験に関する法的な規制も併せてかぶせるという方向で、治験の手続、内容の管理について、厚生労働省関係の審議会などで何重にも手続が踏まれており、データの客観性、公正性が保たれるような仕組みができているという話であった。一方、より広い概念の臨床研究一般については、これまで法令面の規制はないという中で動いてきた。そうした中、ヘルシンキ宣言等においては、倫理面の規範という意味から、スポンサーの関係があったときにはその情報を開示するといったことも宣言として盛られている。研究者は資金提供スポンサー、研究関連組織とのかかわり、その他起こり得る利害の衝突及び被験者に対する報償についても、審査のために委員会に報告しなければならないという条項がヘルシンキ宣言の中に入れられている。臨床研究一般についても何らかの指針のようなものを定める必要があるのではないかという議論が厚生労働省でもあり、今年度ないしは来年度初めを目途に、そうした臨床研究一般に関する指針の作成の検討を作業として始めているところだという話を伺ってきた。その意味で、当ワーキング・グループの問題意識とも大いにオーバーラップするような議論が、厚生労働省のほうでも動いていると言えるのではないかと思われる。本日の資料に入れている「医学・医療関係者の間で十分な議論がなされることが望まれる」というくだりは、当ワーキング・グループからこの利益相反問題、一般の点を指摘し、医学・医療の特殊性、独自性を注意喚起していただければ、厚生労働省のほうの議論もその流れでつながり得るのではないかという考えである。当ワーキング・グループで議論でもあったように、専門的に踏み込んで個々の点で何か整理するというよりは、利益相反問題全体の見地から医学・医療の分野にも何らか言及をして、注意喚起していただければ、うまく流れるのではないかというイメージを持っている。
|
| ○ |
GCPというのは、ある意味、データの客観性を求めるための手続というか、プロトコル(原案)を定めているものと思われる。多分、その問題は利益相反とは直接関係なく、例えば倫理法と利益相反との関係と同じようなものかもしれない。そうしたGCPがあって、さらに利益相反の問題をきちんと議論しなければならないということではないか。もしかすると、ヘルシンキ宣言がその利益相反問題の中では一番重要な法源というか根拠になると思われる。したがって、ヘルシンキ宣言の内容を日本のプラクティス(実務)の中で生かしていくための具体的なシステムをどう作るかということだと思われる。一つ気になったのは、いわゆる臨床研究がされた場合に、その問題に関して利益相反が発生する、あるいはマネジメントする必要があるとなると、その指針を与えるのはこの当ワーキング・グループの報告書になるのか、それとも、将来、厚生労働省が作る別の報告書になるのかということである。
|
| △ |
省庁間の仕切りがどうなるかという議論も、今後出てくるかもしれないが、イメージとしては両方になるのではないかと思われる。治験も含めて臨床研究の場面での規制と、別途並行して隣接する共同研究があったり、奨学寄附金が相手先会社から大学に入っていたりするという関係があれば、その臨床研究とは別のフィールドであっても利益相反の問題が生じると思う。つまり、厚生労働省で、少なくとも現段階で治験中心に取り組んでいるのは、そのアウトプット、終わりのところで、データがしっかりしていることを厳格に管理するための手続ということであり、研究者あるいは大学がその中途段階で研究活動に当たっている場面での利益相反問題の管理については、文部科学省でも厚生労働省でもあまり当てはまっていないという理解が妥当なのではないか。その意味で、当ワーキング・グループでの医学の分野も含めた利益相反問題、マネジメント・システムの提言というのはそれに当然かぶってもよいと思われる。厚生労働省がもし今後、臨床研究の指針の中で、この報告書の問題意識も投影して議論していただけるとすれば、それはどちらが取り合うということではなくて、むしろ大いによいことになるのではないか。
|
| ○ |
臨床研究の中心はやはり治験だと私は思う。それから、先ほどの委員の指摘で、概念の整理を最初に持ってきたらどうかという話であったが、私自身はこの報告書は非常によく整理されており、コンパクトに書かれているし、何よりも読みやすいという特徴があると思う。その点からいえば、確かに概念整理を冒頭に持ってくるということは一つの方法かもしれないが、元のままでもいいのではないか。
|
| ◎ |
個別の各章ごとに議論に入らせていただきたい。まず「はじめに」と「1.利益相反とは何か」というチャプターについて議論していただきたい。
|
| ○ |
3ページの「はじめに」の部分の一つの切り口として、integrityが非常に大きなキーワード、考え方の基準になるということがある。例えば、大学の社会的信頼を守って科学技術創造立国の達成に健全に寄与する基礎を固めるといった、何か大きな概念が「はじめに」にあっていいのではないか。
|
| ◎ |
今の「社会的信頼性」という言葉は、ある意味、integrityの間接的な訳になるのかもしれない。昔の言葉でいうところの「大学らしさ」ということではないか。大学が大学らしくあれということが一番integrityの訳に近いと思われる。
|
| ○ |
先ほど委員がおっしゃったように、大学がどのような機能を持っていて、どのような広がりがあって、結果として、先生や大学の研究者がどのような問題を起こすかということで書いていただけるのであれば問題ないと思われる。ただ、まだ定義されていない「利益相反」が避けて通れないという文言が出てくることが気になっただけである。逆に大学の機能云々をちゃんと書いていただいて、実はアメリカでもこうなっていて、利益相反にはこうした概念があって、個別にここを見ていくという流れであれば、冒頭についてはあまり気にしていない。
|
| ◎ |
本来、道徳心や徳義といったものの中で解決されるべき問題までも、すべて何かあからさまにこのように規定をしないと事が動かないという日本の今の狭量な社会構造が問題を起こしているのではないかと思う。ここにも全体の中に出てくるが、例えば報酬の金額を、何か上限を設けるようなことがあるが、能力がある人がどんどんお金をもらって何が悪いのか、やることはちゃんとやっているではないかという議論もあっていいだろうと思う。もしできれば、1ページのところに、日本の社会的背景からこうしたことがあるとすぐ社会問題化させられる不要な摩擦や不信感を相互に醸成しあうことを防ぐ何らかの手だてが必要であるといった、社会にもある程度責任を持たせたような書き方をしてはいかがか。
|
| ○ |
アメリカでは、決してそれはいけないわけではなく、そこを超えると利益相反を疑われる可能性がかなり出てくるということで、金額を調査資料に出している。しかし、日本の社会でそれを定めると、もうそれ以上もらってはいけないような雰囲気を作ってしまい、逆にネガティブになる。そうならないような配慮が必要である。また、この5ページの一番先頭で、「利益相反とは、このように産学官連携を推進する上で必然的に生ずる状況のことであり」とあるが、英語の原文で書くと、多分こうした書き方をしているのかもしれないが、「利益相反は状況」と言ってしまうとイメージできない。相反というのは悪いことを意味する言葉だと思うので、利益相反が起こり得る状況としてはいかがか。利益相反とはまさに利益のコンフリクト(衝突)であるが、逆にそれは、ある事象が大学のミッションや大学のポリシーに照らしたときに相反を起こしているということであり、起こさない場合もある。アメリカのスタンフォードやMITみたいに、外部から巨額の研究資金が来て、当然権利化したり、守秘義務があったりする中でやっている研究と、教育中心の環境でパブリックにしていく研究とでは、同じ事象であっても全然異なるので、ここの表現はわかりにくいのではないか。利益相反とは、教官や大学と社会との間で利益の衝突が起きていることであり、大学のミッションに則して、利益の衝突している事象なのかそうでないのかということが決まるみたいな用語がなければ、「利益相反とは状況である」といってもピンとこない。
|
| ○ |
この利益相反の議論はアメリカ発の議論であり、基本的にはアメリカ的な思考である。これが日本の哲学というか社会や風土にどう軟着陸するか真剣に考えなければいけないという漠然とした不安を持っている。その意味では、今の委員が指摘された言葉の問題は重要である。利益相反は悪いイメージがあると言われたが、もしそれが国民全般的なイメージであれば、むしろここはもう意図的に利益相反という言葉をやめてしまい、例えば片仮名で、コンフリクト・オブ・インタレスト、あるいは、COIといった言葉で統一してはいかがか。この報告書はスタート地点であるので、ここで言葉を決めてしまえばできないことはないと思われる。みんながCOIと言い始めて、ああ、そんなものなんだなというイメージを持って、そこにネガティブでもポジティブでもないニュートラルなイメージがつけば、それはそれでいいのではないか。後で、integrityの訳語の話も出てくるが、あれも実は私もいろいろ訳語を考えたが、何も浮かばなかった。今考えているのは、もうインテグリティーという片仮名でいいのではないかということである。その代わりに、その片仮名の内容をどこかで一生懸命説明しておき、あとは、みんなが議論していく中でだんだん定着させていくということではいかがか。アカウンタビリティの例もある。それから、日本は、こういう言い方はよくないが、やはりやっかみや嫉妬が結構風土的に根強い社会である。そうした社会に、アメリカの要するにフェアだったらいいではないか、という競争社会で生まれたポリシーを軟着陸させることは非常に難しいと思う。その意味では、この最初の部分の書きぶり、あるいは「はじめに」というところで指摘があったようなところが大事であり、このやっかみの社会で、こうした考えがきちんと機能するように、書き方について注意したほうがよい。
|
| ○ |
「自由」や「平等」といった言葉を定着させた福沢諭吉はやはり偉かったと思う。いつまでも片仮名というのはよくないと思い、COIを初め当てており、後ほど「利益相反」という割に簡単な4文字で表したほうがいいのではないかということになった経緯がある。利益相反とは何かというところと関係するが、4ページの真ん中辺に、「正当な利益を得る云々が妥当なことでもある」とあるが、これは強く印象に残った。一番下の「例えば」というところに幾つか例があるが、そこに抜けている考えとして、大学あるいは建物を含めた教育法人、教員の給料も含めて、大学の活動というのは基底部分が公的なもので支えられており、たまたま何か出てきたところだけ個人の利益にするということはどうも釈然としないという議論がある。この「妥当なことでもある」という言葉は残しておいてもいいが、最後の「例えば」のパラグラフの中に、基底部分が公で支えられている教員が、法外な個人的利益を得ることがなぜ許されるのかという批判も多いということもちょっと入れておくべきではないか。
|
| ○ |
やっかみというのは、ジェラシーという意味であると思うが、それは、自分が大学とはこうあるべきだと考えているものと違うことをやる人が大学内にいて、それを攻撃する、批判するということが、いい意味で解釈すれば要因であるかと思われる。私は、あまりそうしたことをこうした文章では書かないほうがいいと思う。それから、日本では、教育と研究を大学はやるべきものとさも当然のように言われているが、歴史的に最初は教育であって、研究は後からくっついてきたわけである。研究というものが入ってきたときに、その二つの間で当然相反が起きたわけであるので、そこは、あまり表ざたにせずにはっきり書かないほうがいいのではないか。それから、あと、先ほど委員から指摘のあった5ページの「利益相反」という言葉の意味であるが、実際に利益相反が起こったということが利益相反という4文字で表されるのか、それとも、例えば兼業して企業からお金をもらうなど、相反し得る利益を持つこと、複数の利益を持つことという状況に置かれるということも含めた形で利益相反という4文字であらわすのかという二つの概念が混在していると思われる。利益相反が起きてしまったことが、ここでの「利益相反」と言う文言にすべて含まれているわけではないのではないか。その辺の話をどこかで冒頭に入れておく必要があるのではないか。
|
| ○ |
利益相反の考え方であるが、これは必然的に生ずる状況である。例えば、金融機関を考えてみると、利益相反状況なくして金融業というのは成り立たない。預金者と融資先という問題もあり、それから運用における運用主体と自分が関係している証券会社を儲けさせるためにやっていることとの関係など、本来、利益相反は悪ではなく、すべての機関が当然避けて通れないものである。問題は、それをどこまで現実化させてしまうかということである。どこまでコントロールしたときに、その機関なり組織が持っているミッションとの関係でこれが認められるのかという形である。急に産学官連携で利益相反がクローズアップされているため、産学官連携ばかりに意見が集中してしまうが、利益相反はありとあらゆるところにあるという考え方がベースにあると思われる。それを顕在化させて、その組織自体が持っている、または期待されていることから外れて、何らかの業務に対して支障を来すときに、それをコントロールしようということがおそらく基本的な考え方ではないか。もう一つ、大学について言えば、社会的な貢献を期待されているはずであり、まず、ここが出発点になる。社会がそれを期待しているが、どこまでやっていったときに、これが大学のもう一つの研究教育との関係でやり過ぎと言われるのか。または、そこから上がってきた利益は、どのような形で大学ないしは研究者に分けていくかということであるが、その額がどうなろうと、それはあまり関係ないことである。ベンチャーの世界になると、本人の意思とは無関係に利益金額が決まってくる可能性があり、それについてはコントロールしようがない。ただ、問題は、産学官連携が社会から要請されているということで、それをずっと突き詰めて、そればかり大学が専念したときに、これはおかしいのではないかと社会から言われることである。その辺のところを各大学はどう考えて、これはおかしいと社会から言われて、期待されているミッションが実現できなくならないようにコントロールするかという問題である。これは善悪の問題ではなく、まさに法律ではない世界である。最初の のところはそうしたことについてきちんと書いていただきたい。
|
| ◎ |
今の点は大変大事なポイントだろうと思われる。初めの委員の利益相反というと何か悪いことのように受け止められるという話と、今の両委員の話とでは意味が大きく違ってくる。むしろ、利益相反は常にあり、ここで議論すべきは、それをどう社会問題化させないかということであると端的に言えると思われる。秘密にしておいたらいいのかということではないため、外部から透明に見えるルールが何か要るという議論になっていくのではないか。
|
| ○ |
3点申し上げたい。まず、今の議論の流れに従っていくと、 の中の表で案が示されているかと思うが、「違反・相反状態への対応方法」のところで「解決可能」とあるが、ここは「マネジメント可能」ということだと思われる。決してそれを解決するということではなくて、そうした状況をどのようにきちんとマネジメントするかということだろうと思われる。それから、その表の「最終的な判断権者」のところで、「利益相反委員会」とあるが、委員会とは、あくまでも大学自体が持っている権限を委ねられているだけであるので、そこの最終的な判断権者は大学ではないかと思われる。3点目は、integrityの訳語であるが、これについては私も先ほどの委員の意見に賛成であり、あまり訳を作ることを急がないほうがいいと思う。integrityとは非常に本質の用語である。確かにこれまでの過程でも、いろいろとこの訳語について議論させていただいた。例えば辞書の上では「高潔性」とあり、あるいは私自身で適当な日本語がないだろうかということで「矜持」という言葉を当てはめたりした。あるいは、語源的にintegerとかintegralと同じであり、これらは「統一」「統べる」「みずからを律する」という意味であるので、例えば「統律性」という造語を作ってはどうかと考えたこともあった。結局、それを定着させるということ、あるいはその概念を理解していただくということが非常に重要かと思うので、当座は片仮名にして、ただし、それをきちんと説明するというアプローチをとったほうがいいのではないか。
|
| ○ |
4ページの一番下に、「また、学生が参加している場合には、教育上の責任について問われる可能性がある」と書いてあるが、もしここにこの文言を書くのであれば、冒頭で副主査が言われたように、例の中だけではなく、本文中のどこかに学生が絡む事象への取組という項目を立てて、そこで、学生が絡んだ場合、その学生の勉学の自由、学生の権利や対価の問題をきちんと考えなければ、さらに複雑な事象が起こり得るということについて言及しておいたほうがいいのではないか。
|
| ◎ |
アメリカの場合、週に何コマか授業を持つと途端に、週に2日間だけオープンで必ず学生とインタビューをする時間を取らなければならないという義務がある。それをやった上で、研究センターで研究等をすることになっている。基本的に教授としてやるべき義務が明確に定められているから、ある意味、この利益相反問題は責務との関係においては起こらない仕掛けになっている。日本の場合、講義は15時間やればよく、シナプスを出しておけばいいということで終わり、学生と面接するかしないかについては教授の思惑次第という感じである。どうもその教授と学生との関係が難しいと思われる。そこはやはり両方から攻めなければならない点があるのではないか。例えば、学生に何を与えるべきかとかということについてなどがある。むしろ私は学生については、後で出てくる4のチャプターがふさわしいと思われる。要するに教員の職務との関係の中で学生についても出てくるので、ここがむしろ責務との相反問題ではないかと思う。
|
| ○ |
7ページの の前の段落で、「大学レベルの利益相反は大学がベンチャー企業等への出資ができる場合云々」と書いてある。大学法人がそもそも出資機能を持てるかどうか不明であるので、ここで検討にとどめると書かれているが、大学レベルの利益相反は、別に出資だけではなく、むしろライセンシング等いろいろな形の外部との関係によって発生することが十分あるので、別に出資機能が持てないから、今、検討できないということではないと思われる。出資は大事であるが、もし今、大学レベルの利益相反を検討しないのであれば、もっと別の理由づけのほうがいいと思われる。そうしないと誤解を与えてしまう。個人的には、大学レベルの利益相反は、もう少しここで書いていいのではないかと思う。
|
| ○ |
法人化後に出資ができるかできないかは、大学レベルの利益相反の一つの重要なファクターだと思われる。あと幾つか考えなければいけないことがある。まず、権利の帰属が大学になった場合、大学がライセンスの判断をするわけであり、そのロイヤリティが大学に入ってくることで利益相反が発生し得る。それから、共同研究等で研究契約を、ある企業と結べば、当然そのために利益相反が発生してくる。ここで簡単に議論できないと思われるのは、大学ごとの研究ポリシーやライセンスポリシーと非常に深く係わってくるということがあるからである。単に出資だけで書くのは問題だと思われるが、大学ごとのポリシー等いろいろな場面で大学レベルでの利益相反が起こり得るということは書いておいていいのではないか。
|
| ◎ |
今の話は、その大学が専ら公的資金によって運用されているからという前提がつくということか。
|
| ○ |
これは別に私立でもどこでも関係なく、別に民間企業の立場でも当然そうしたことは発生する。私の中では国公私という区別はしていない。
|
| ◎ |
それでは、ひとまず第1章を終わって、2.と3.について意見を伺いたい。
|
| ○ |
「2.(2)対象者の範囲」の書き方について、確かに実際に対象となる役職として教員等と具体的に書くという方法があるかと思うが、まず、基本的に概念で整理をして、その次に、日本の現状に合わせるものとして、それに対応するものは何かという流れにしたほうがいいのではないか。本質的には、この対象となる者の範囲というのは何かというと、研究に関与する者であり、その中には実際に研究を実施する者と、研究にかかるアドミニストレーションに当たる者がある。以上が概念上の整理である。次に、研究を実施する者が具体的にどのような人たちなのかといった場合、一つは教員がある。特に公的資金との関係でいうと、自分自身でファイナンスを受けているところもあって、しかも、それで実際に研究室を運営しているということで、外国語で言うところのファカルティ(faculty:実行力がある者)になると思われる。教員で、特に研究費の管理あるいはその獲得をしている人に当たる。それから、関与するものとして、いわゆるポスドク等の研究員や、技術職員がある。もう一つ、研究に関与するということで学生があると思う。学生は、前の会合でも意見したとおり2面あり、一つは実際に研究を実施する者としての学生であり、もう一つは、先ほど来議論されているように、教員と学生との関係での学生があると思われる。ここではその前者の、実際に研究をする者としての学生である。研究にかかるアドミニストレーションということで、産学官連携に関与する技術移転担当者等の職員が当たると思われる。そのような整理をしていただいたほうがよろしいのではないか。
|
| ○ |
今の意見に従えば、ここの表現を「したがって、我が国においても、基本的には研究の第一線にある教員を対象とするが、大学の管理運営や産学官連携に関与するその他の大学職員についても同様だ」としてはどうか。
|
| ○ |
その表現はコンセプト(概念)を整理した段落の後に第2段落に持ってくればいいと思われる。あと、それでやはり欠けているのは、ポスドクのような研究員である。
|
| ○ |
ポスドク、学生はこの対象にはならないのではないか。
|
| ○ |
それらも対象に入ると思う。ただ、それは、教員と同じレベルでの開示といったところまでは求めなくてもいいだろうと思われる。
|
| ○ |
今の議論は、大学内でやればよく、要は、対象というものはどういうものが考えられるかということになると思われるので、当然ポスドクや学生も含まれると思う。想定し得る対象がまずあり、それを実際に各大学において利益相反ポリシーを作る際に、その対象とする者についてどこで線を引くかということは、各大学レベルで考えればいいし、最初からいきなり人数を多くする必要はないので、例えば教授クラスというように限定しても構わないのではないか。ここで、例えばポスドクが入れなくてもいいということは言い難いのではないか。
|
| ○ |
ポスドクの概念であるが、いろいろなポスドクがある。例えば、JSTから給料をもらっている方もいるし、理研から給料をもらっている方もいるといった、いろいろな方がいる。ただ、基本的には、給料をどこかからかもらって雇われて働いているわけである。助手のように、何かアドミニストレーション的な部分、研究の指向性とか、あるいは研究室の運営とかには係わっていない。その意味では、一般職員と言ってもいいのではないか。
|
| ○ |
利益相反は、概念の片方にもともと公的な責任があり、それとのコンフリクトである。ポスドクは教授が取ってきた公的なお金を使って研究はするが、責任は教授にあるので、ポスドクには公的な責任がない。学生も公的な責任はないとすれば、利益相反の定義の外になるということが私の意見である。
|
| ○ |
ただ、やはり大学という場で活動をしているわけである。今、学生といった場合、要するに社会人学生もいるわけであり、片方で身分があることになる。実際の運用の場でそれはどう扱うかは別にして、最初から排除するというのは、いろいろなパターンがあるので、一概に言えないのではないか。
|
| ○ |
ポスドクは、やはり契約をきちんと結んでやっており、別に公的な性格を負わない。学生の問題も、学生が利益相反の対象というよりは、学生を巻き込んで利益相反が起きた場合に教員が対象になるということではないか。
|
| ◎ |
この報告書で対象を講師、助手までとしているのは、研究費をみずから獲得してくる有資格者という意味で、このような書き方にしているのか。
|
| △ |
括弧の中に具体例を挙げないと読み手に伝わりにくいのではという意味で挿入した。今のポスドクや学生の取扱について、この原案を作る段階では、あまり詰めて考えた上で書いたわけではない。ただ、前回、教員か教職員か、技術系、事務系も含めてという議論があったので、教員を基本として、事務職、技術職員も入り得るという整理で書いた。
|
| ◎ |
そうであれば、いい案ではないかもしれないが、今の両者の案を複合すると、公的な研究に関与する者を一応対象にしておくという概念でいかがか。
|
| ○ |
やはりintegrityを軸に考えるべきだと思う。それが一番わかりやすいと思われる。要するに、個人的な、私的な利益を受けることでintegrityが害されるというような一つのメルクマールを立てて、それに関係する場合であれば、利益相反のポリシーの問題であり、それに関係なければ入らないとすればどうか。お金をもらうことで考えたときに、integrityを害されるのは、基本的に研究者である。ポスドクがもし教授の手足であれば、integrityの問題には関与しないと思われる。きちんと書くのであれば、integrityを維持するために、利益相反として対象と考えられるのは誰かということできちんと、教授、助教授、講師、助手と書き、ただ、ポスドクや一般職員も場合によっては補助的でないことがあるかもしれないので、その場合には関係するかもしれないとするような、integrityを軸にした議論のほうがわかりやすくていいのではないか。先ほど委員から発言があった「公的な責任」を強調することについては個人的には反対である。私の場合、利益相反の概念では「公的な責任」のところを「法的な地位」と解釈している。つまり、公私と関係なく、一定の地位に伴う必然のintegrityがあると思われる。例えば、私は弁護士であるが、弁護士は別に公的な地位でも何でもないが、弁護士なりのintegrityがやはりあると思う。それを何らかのもので害されることが一般に起き得る。私立大学等の場合、あるいは民間企業の場合にも、やはり利益相反の問題が起きると思う。その場合に、公的な、公的なと言ってしまうと、いや、別にここは公的な大学ではないと言われては困る。これは別に両論あっていいし、どちらが正論だということではないと思うが、あまり公的なということは前に出さないほうがいいと思う。その意味で、メルクマールとしてintegrityというほうがむしろいいのではないか。
|
| ○ |
公的というのは、今、たまたま言ったわけであって、integrityが基本になることについては同感である。ただ、例えば、国民に支えられて活動させてもらっている場合は公と言えると思う。例えば、尊厳や社会的信頼という意味でintegrityを考えている。それをすなわち公だと言ってもいいと思う。
|
| ○ |
学長、副学長、評議員クラスの大学の執行役員としての責任があると思う。諸外国の例でも、利益相反を主に、学長などの執行役員及び教員の問題としてとらえているのではないか。文章の中で、我が国においても、基本的には自分自身で研究費を獲得してくる教員を対象という言い方をしなくても、括弧の中の教授、助教授、講師、助手という説明はなしで、基本的には教員を対象にし、産学官連携に関与するその他の大学職員などについても対象とするとしてはどうか。大学によってはポスドクときちんとした契約を結ばないでいるところもあるかもしれないので、やはり「など」ぐらいにして、余地を残しておいたほうがいいのではないか。つまり、状況においては、それを考慮しないといけない場合があるかもわからないと思われる。
|
| ◎ |
integrityという機軸で整理する書き方にすれば、場合によれば、今の執行役員や、これから独立法人になった場合の理事、理事長、評議員といったような方々も当然対象にはなるだろうということでいかがか。そのような含みで事務局のほうで検討していただきたい。
|
| ○ |
11ページの先頭で、「教官個人の負担を軽減し、いわば『お墨付き』を与える」と書かれているが、大学がお墨付きを与えたらいいのかという問題もあると思う。ここは教官個人の責任を大学が分担するということではないか。下手なポリシーを作ったところは、それはおかしいではないかと大学が社会から批判を浴びて当然である。逆に、産学官連携の利益については大学も利益を得るわけであるので、責任と利益を大学と教官が分担しているという考え方になると思われる。もう一つは、11ページの一番下の「また、システムの構築にあたっては、不適当な状況を回避することを主眼におくのではなく」と書いてあるが、やはり不適当な状況は回避しないといけない。要するにリスクを回避してしまうのではなくて、リスクが起こり得る状態を管理して、不適当な状態に陥ることを未然に防ぐということだと思う。
|
| ◎ |
「主眼におく」ということが強過ぎるのかもしれない。基本的にとか、念頭にとかいった表現ではどうか。やはり問題化しないということが一番大事なポイントである。
|
| ○ |
それに関係して、15ページの一番最初のところで、「教職員を守ることができない」ということを示すとあるが、教職員を守れないときは、おそらく大学も自分の存立を守れないで、かなり厳しい批判、指弾を受けている状況であると思われる。それから、15ページのステージ3の黒ポチの2のところであるが、「勧告することもありうる」という書き方は悩ましい。つまり、いい悪いではなく、悪い線のところを越えるところまでいったら、ある厳しさを持たざるを得ないということは、少しきれいごと過ぎていると思われる。ここはもう少し検討しておくべき必要があるのではないか。あるところまでは広がってくるが、そこを越えたときに、単純に先生の個人負担を軽減するだけでなく、跳ね返って大学に来るので、大学としては自分と教員をどう守るのか、そのためには、大学がやるのか、教員に対してどのような強制力を持たせるのかといった、少しきれいごとではない部分があってもいいのではないか。
|
| ◎ |
大変難しいかもしれない。国立大学の場合の教授はある意味、大学に対する忠誠心は問われていない。独立行政法人になった途端に公務員型でなくなれば、法人が雇うことになり、忠誠心を問われることになるので、こうした組織を守るか、個人を守るかという問題は、また別のコンフリクトがある。
|
| ○ |
14ページで、「金銭的情報の開示」と書いてあるが、実は金銭的情報とは何かについて必ずしもはっきりとは書かれていないと思われる。これは、2つ目の●のところで「例えば」云々と書いてあるが、兼業しているのであればコンサルタントの報酬、あるいは取締役をやっていれば役員報酬、ロイヤリティ等の種類についてもう少しはっきり例示してあげるほうがいいのではないか。その後で、実際にマネジメントするに当たって、端数まで求めるより、例えば何円以上とかということが出てくるのではないかと思う。
|
| ○ |
今の金銭的情報の前に「3.(1)学内システムのモデル例」というところがある。ここのシステムの在り方ということで一番大事なのは、コンフリクト・オブ・インタレストにかかわりそうな金銭等々のことを記録をしておいて、問題が何か起こって社会から疑義が出たときに、記録に基づいてモニターをしておくことである。それにより、このようにきちんとやっているということを社会、国民に申し開きをすることによって、社会の信頼が出て、大学が存立、尊厳を守り通すためのシステムになると思われる。こうしたシステムがなぜ必要かということを、もう一度確認しておくことは意味があると思う。
|
| ◎ |
今の情報を記録し、保管するということは、後段のほうにいろいろと文章では入っているが、モニターするということを付け加えていただきたい。それから、先ほどの指摘があった教職員を守ることや、研究プロジェクトへの不参加を勧告することもありうるということについてはいかがか。むしろこれは、乱暴であるが、逆にないほうがいいのではないか。自発的な情報開示を促すことが必要不可欠であるということが大学を守るためであり、先生を守ることであるというポジティブな言い方のほうがいいのではないかと思われる。
|
| ○ |
守るという言葉は非常に後々、問題を起こしかねないと思う。例がよくないかもしれないが、例えば国会である政党のある人が何か証人喚問に問われたときに、その党がそれに応じないということになると、党がその人を守っているというか、その人がさらされないように防御していると社会は受け止める。もしこんな事態が大学に起こったらこれは良くないことで、情報はきちんと記録しないといけないことになると思われる。ここは守るということではなく、もちろん我々は大学のために働いているわけであり、気持ち的には大学に守ってほしいわけであるが、公の文章としては、教職員と責任を分担するということにしてはどうか。
|
| ○ |
先ほどの臨床研究に絡むことであるが、「なお、医学・医療分野に」云々というところがある。例えば、新薬を含めて治療法というのは医学の現場から出てくるわけであり、その医学の現場から治療法が考案されて、その現場の研究者が治験を実施して、また、しばしば、その人がベンチャーを作って、ベンチャーにかかわることがあり、お金が入ってくる。そうしたサイクルの中で一人の人間がマルチの立場をとるということで、コンフリクト・オブ・インタレストが出てくるということがある。医学全般の人を扱う、身体、生命にかかわるといった全体的な話としてではなく、むしろ、今申し上げたような具体的なイメージを挙げたほうがわかりやすいのではないか。
|
| ○ |
臨床を例として取り上げるという言われるが、この場合、大学の利益相反を考えるので、大学病院を舞台にして起こり得るケースである。大学病院は別に臨床研究だけをやっているわけではなく、治療なり、患者全般に対する対応をしているわけである。もし臨床研究だけを取り上げるのであれば、なぜその場面だけ取り上げるかということを説明しておく必要があるのではないか。私は、臨床研究にはあまり深くこの場で踏み込まないほうがいいと思う。おそらく、医者としての利益相反という非常に大きい問題が片方にあり、そこも踏まえて考えていかないと、必ずしも大学のマネジメントというだけでは難しい問題ではないかと思う。
|
| ○ |
もともとの利益相反の議論というのが医学の現場から出てきているということもあって、全く触れないわけにはいかないだろうと思う。ある大学で、医学部を含めて利益相反の何かガイドラインを作ろうという動きがあるが、文部科学省のほうでこうした動きがあるということで、今、ペンディングしているということがある。そうしたこともあるので、やはり全く書かないというわけにいかないのではないか。先ほど私の言ったような、現場で見つかって、治験をやって自分で評価してという、そうした複数の立場をとるということに一番近いのが、大学病院の医者だということで、やはり入れておくべきだと思う。
|
| ○ |
シンプルに考えれば、これはもうリスクマネジメントの世界なので、弁護士的に言えば、例えば、今から3カ月後ぐらいに臨床研究の現場で事故が起きました、亡くなった方がいて、それを担当した先生がどこかのベンチャーの社長で、あるいはエクイティを持っていて、どうも何かあやしいところがあると週刊誌が報じたというようなことがもし起きた場合、それについて文部科学省として、大学サイドとして、あるいは病院として何の手も打っていませんでしたということでは社会が許さないのではないか。しかもこうした話がされていて、何もしていませんでしたということでは、リスクマネジメントとしてはやってはいけないことである。では、どこまで書けばいいのかというと、これはまた逆に難しい問題があって、確かに時間をかけて議論をする必要がある。ただ、今の時点でわかっていること、つまり、アメリカではこうした事例があって、あるいはこうした議論がされていて、日本でもこうした議論がされるべきである、あるいは厚生労働省はこう考えているということは全部一応示して、みんなで議論してはいかがかというところまで持っていったほうがいいと思う。医師の問題が何かあるとしても、それはそれでいろんな議論があっていいのではないか。医師会で議論があってもいいし、こうしたワーキング・グループで議論があってもよく、それはどこでもいろんな議論がされるべきだと思う。
|
| ◎ |
もう少し例えば、先ほど事務局から報告があったようなヘルシンキ宣言の言葉だけをリファー(言及)しておくといったことも、一つの方向としてはあるのではないか。前回、アメリカでの治験関係、臨床研究に関する利益相反の事例を取り上げた資料があったと思うが、事例の中にそうしたものも一つ取り入れてはどうか。
|
| △ |
事例のことも全体の整理の中で考えさせていただきたい。事例に枠を囲って入れるということもあると思われる。議論にあったように、この本文のなお書きの部分にアメリカでの事例、それから、ヘルシンキ宣言等々触れて、我が国の議論の今後の状況、厚生労働省の対応といった記述を入れて膨らますという方法も考えられる。そこはまた相談させていただきたい。また、本日の説明だけでは不十分かと思われるので、厚生労働省の方に相談して、次回のワーキング・グループにお越しいただいて説明していただくことも検討したい。
|
| ◎ |
とりあえず本日は、「4.教員の職務との関係」には入ることはできなかったが、ひとわたり全体の構成と、1から3までについて議論していただいた。残りのほうについては次回以降、再度議論していただきたい。なお、次回までの間に、事例を含めて、委員の皆さん方の間で、ここは少しこう直したらという提案があれば、遠慮なく、事務局に連絡していただければありがたい。
|
| ○ |
12ページに「各大学における利益相反ポリシーの作成」とあるが、このような議論には必ず若手の人も含めて、議論が引き継げるようにしておきたいと思う。例えば12ページの下から2つ目の「また、利益相反ポリシー」の前に、「特に各大学がみずからの問題として特に若手教員を含む幅広い層の参画のもとにポリシーを整備することが望ましい」といった、若手も含めた議論にするという書きぶりを是非入れていただきたい。
|