3.近年発生した地震に関する重要な研究成果

 顕著な地震について緊急の観測研究を実施し、地震発生の仕組みや関連した現象を詳細に明らかにすることは、地震予知研究の進展に大きく寄与する。近年発生した主要な地震についても、最新の地震予知研究の進展に基づいて集中的で総合的な観測研究が実施され、以下に述べるような大きな成果が得られている。

1.プレート境界の地震

 プレート境界においては、2003年(平成15年)に十勝沖地震(マグニチュード8.0)が、2005年(平成17年)には宮城県沖の地震(マグニチュード7.2)が発生した。両地震ともに、地震記録やGPSによる地殻変動記録を解析することによって、発生した地震とその後の変動が詳細に解明され、その結果アスペリティモデルが適用できることが明らかになった。また、これらはともに地震調査研究推進本部(以下、「推進本部」という。)地震調査委員会が想定していた場所で起きた地震であるが、アスペリティモデルを用いることにより、2003年十勝沖地震については想定された地震であること、2005年の宮城県沖の地震については想定された地震のアスペリティの一部だけが破壊したことが分かり、観測研究の成果は今後の地震発生の評価に活かされ、地震防災対策に貢献した。
 2003年9月26日に北海道十勝沖で発生したマグニチュード8.0の地震は、1952年(昭和27年)十勝沖地震(マグニチュード8.2)の震源とほぼ同じ領域で発生したプレート境界地震であり、地震の規模、震源域の位置、発震機構などから、推進本部地震調査委員会が想定していたマグニチュード8クラスの十勝沖の地震(想定マグニチュード8.1前後)であると評価された。地震調査委員会は、平成15年3月24日公表の長期評価で、想定しているマグニチュード8クラスの十勝沖の地震の発生確率は、2003年1月1日を起点にして、10年以内で10~20パーセント、30年以内で60パーセント程度であるとしていた。つまり、地震発生の長期予測については事前に評価・公表された予測の範囲内で発生したと言える。一方、前駆的滑りは、最寄りの地殻変動観測点で観測されず、少なくともマグニチュード6を超える滑りは震源近傍では発生しなかったので、直前過程の地殻活動を把握することはできなかった。しかし、地震活動の静穏化・活発化など、地震発生の準備過程の進行を示す可能性のあるデータは得られ、震源過程と地震後の余効過程については、これまでに無い質と量のデータが蓄積され、プレート境界地震に関する理解が大幅に進展した。
 この2003年十勝沖地震に関しては、発生直後に海底地震観測が行われ、詳細な余震分布が明らかになった。また、陸上の地震観測データとの比較により本震発生前の地震活動についても正確な震源分布が得られ、震源断層が沈み込む太平洋プレートと陸側プレートの境界面に位置することが明らかにされた。また、本震の滑り分布は、従来からの地殻変動記録、津波記録、遠地の地震波記録、近地の強震動記録のほか、毎秒取得されるようになったGPSデータなども用いて推定され、測地学から地震学までの研究成果を統合して、極めて広い周波数帯域の高精度・高分解能の震源過程とその余効変動が明らかになった。その結果、地震時の主な破壊域は、1952年十勝沖地震の主な破壊域とほぼ一致することが明らかになり、本地震が、調査委員会が想定していた地震であるとする決め手となった。地震発生後の余効滑りの分布は、陸上のGPS観測点のデータや相似地震、震源域近傍に設置されていた海底圧力計のデータ等から明らかになり、地震時に滑りの大きかった領域を取り巻いて分布していることが分かった。余震も本震の主破壊域を避けるように発生していて、地震後の余効滑りによって余震が発生したことが示唆された。さらに、翌2004年(平成16年)の11月29日には十勝沖地震の震源域と隣接する釧路沖のプレート境界でマグニチュード7.1の地震が発生した。この地震と1961年(昭和36年)に同地域で発生したマグニチュード7.2の地震は、波形の相似性が高く、ほとんど同じ場所が滑ったと考えられる。2004年の地震の余震活動も、やはり本震の主破壊域を避けるように生じている。十勝沖と釧路沖の地震に関する観測結果は、プレート境界におけるアスペリティの繰り返し破壊を示しており、アスペリティモデルの正しさを裏付けている。
 2003年十勝沖地震発生後から、ゆっくりとした地殻変動がGPSにより観測された。解析の結果、この変動は十勝沖地震及び2004年の釧路沖の地震の震源域周辺でのプレート境界におけるゆっくりとした滑りであることが判明した。このゆっくりとした滑りが2004年の釧路沖の地震発生を促進したと考えられる。このうち、浅部で発生したゆっくり滑りは、プレート境界面で発生している相似地震を用いてもとらえられた。相似地震はプレート境界の小アスペリティの繰り返し破壊であり、その滑りの積算はその周りのゆっくりとした滑りと一致するはずである。このような考え方のもと、GPSと相似地震の解析結果を比較すると、両者はよく似た時空間分布を示すことが分かった。このように、動的現象を扱う地震学的手法と静的現象を扱う測地学的手法を統合した研究は、非常に重要である。
 2005年8月16日に宮城県沖で発生したマグニチュード7.2の地震についても集中的な観測研究が行われた。宮城県沖では、これまでにマグニチュード7.5前後の地震が約37年の平均再来間隔で発生していたため、2005年1月1日を起点にして今後30年以内に次の大地震が発生する確率が99パーセントになることが推進本部地震調査委員会から公表されていた。この地震の破壊開始点と主破壊域は、1978年(昭和53年)の宮城県沖地震(マグニチュード7.4)の破壊開始点のごく近傍に位置している。また、今回の地震の余震分布は、1978年の地震の余震分布の南部と重なることが判明した。震源過程の比較から、1978年の地震は三つの主破壊域に分けられ、このうち破壊開始点に近い破壊域が2005年の地震時にも破壊したことが明らかになった。さらに、1930年代に発生した1933年(昭和8年、マグニチュード7.1)、1936年(昭和11年、マグニチュード7.4)、1937年(昭和12年、マグニチュード7.1)の三つの地震の余震の再決定を行ったところ、いずれも1978年の地震の余震域の中に含まれてしまうことから、1978年の地震は1930年代の地震を生じさせた三つのアスペリティが同時に破壊した地震であったと考えられた。2005年の地震はこのうちの一つのアスペリティを破壊したことになり、残りの二つのアスペリティも近い将来破壊する可能性が高まったと考えられるため、今後ともモニタリングの継続と高度化が重要となっている。
 宮城県沖地震に関する最初の長期評価が、平成12年度に公表されたことを受けて、「宮城県沖地震に関するパイロット的な重点的調査観測」(文部科学省委託事業)等が、平成14年度から実施されており、今回の地震の発生前から震源域とその周辺では、海底地震観測網が展開されていた。この観測によって、この周辺の詳細な構造が明らかになるとともに、この地震の本震や余震と構造との関係が高精度で明らかになりつつある。具体的には、沈み込んだ海洋地殻が低速度層として明瞭にとらえられており、海洋地殻上面付近に本震と余震が位置していることが明らかになった。これは、速度構造から推定されたプレート境界に沿って確かに大地震が発生したことをとらえた画期的な成果である。一方、高精度の震源分布と発震機構解との解析から、余震の中にはプレート内部で発生したと考えられる地震がかなり含まれていることも明らかになった。この震源域直上では海底基準点が設置されており、地震発生に伴って東方へ約10センチメートル動いたことが示された。この結果は内陸のGPS観測から推定された断層モデルから予想される変位とほぼ一致している。このことは海底地殻変動観測のデータの信頼性の高さを示しており、将来の大地震発生時における震源過程の解析や、地震の発生していない時のプレートの固着状況の推定に、このような観測が大きな情報を今後与えてくれるものと期待される。

2.内陸の地震

 近年発生した内陸の地震に関しては、地震発生直後からの集中的な観測により、震源断層の詳細な形状、滑り分布、断層周辺の地震波速度構造や比抵抗構造、活断層などの地質構造と震源断層の関係など、地震像の詳細が明らかにされた。
 2004年10月23日に新潟県で発生した新潟県中越地震(マグニチュード6.8)は、マグニチュード6以上の余震を4個伴うなど、余震活動が活発でかつ余震分布が極めて複雑であった。本震と余震の多くは、北北東-南南西走向の逆断層型の発震機構解を示す。臨時観測データも含めた詳細な震源決定と構造推定により、本震の断層は、西に向かって傾き下がっており、西側浅部低速度域と東側深部高速度域の境界部に位置していることが明らかになった。また、本震の約40分後に発生した最大余震(マグニチュード6.5)の断層は、本震の断層面と並行に約5キロメートル下側に位置し、一方、4日後に発生したマグニチュード6.1の余震は、これらとはほぼ直交する東に傾き下がる断層面で生じたことが明らかになった。
 本震の震源断層の傾きは、水平圧縮の卓越する応力場から期待される角度より高角度で、本震震源断層の強度が弱いことを示している。さらに、地質学的な考察によると、この地震は、日本海拡大の時期に生成された正断層が、現在は、当時と応力の向きが逆転して、逆断層として再活動することによって発生したと考えることができる。震源域には、大きな余震の震源断層に対応した不均質構造も明らかになり、詳細な構造調査が余震多発の原因を理解する上でも重要であることが示された。
 この地震の震源域の周囲には、本震の断層面と同じ走向を持つ複数の活断層が存在している。しかし、今回の地震では、断層での滑りの大きな部分は、地表には到達しなかった。また、この地震に対応する活断層も地震発生前には認定されていなかった。一方、震源域直上では諏訪峠撓曲(すわとうげとうきょく)を始めとする活構造が認められており、また上記のとおり周辺には本震と同様の走向を持つ活断層が分布している。さらに、地下には地震波速度の分布や、比抵抗の分布に著しい不均質構造が存在している。このことは、活断層に挟まれた活褶曲(かつしゅうきょく)地域では、たとえ活断層が認められなくても大地震が発生する可能性があり、マグニチュード6.8程度の地震を発生させる可能性が他より高い地域を、地球物理学・変動地形学・地質学的手法を総合的に評価することによって予め指摘できる可能性を示している。
 新潟県中越地震と同様に、2003年7月26日に宮城県北部で発生した一連の地震(最大マグニチュード6.4)も逆断層による地震であり、地形や地質との関連に関心が持たれた。この地震についても、GPS、SARや国土地理院による臨時測量結果を用いた断層面の解析、強震動記録による滑り分布の解析、大学を中心とした集中的な臨時地震観測による精密な余震分布や地下構造の解析が行われた。解析の結果、推定された震源断層面を地表にまで外挿すると、旭山撓曲の東隣の石巻湾断層に一致することが分かった。また、2004年新潟県中越地震と同様に、地下構造の明瞭な境界面が震源断層となったことも明らかになった。
 2005年3月20日に福岡県西方沖の地震(マグニチュード7.0)が発生した。この地震に対しても、海底を含む集中的な臨時地震観測や、強震動、GPS、SARのデータを用いた解析が行われた。本震は、左横ずれの断層運動による地震であり、断層の走向は、福岡市内を走る警固断層の方向とはわずかにずれていたが、震源域南端で発生したマグニチュード5.8の余震に伴う余震分布が警固断層の延長と一致しているほか、海底調査によって博多湾にも警固断層の延長が存在することも明らかになり、警固断層で発生する地震の長期評価に資するデータが得られた。

お問合せ先

研究開発局地震・防災研究課

(研究開発局地震・防災研究課)