1(7)史料・考古

「史料・考古」計画推進部会長 榎原雅治(東京大学史料編纂所)
副部会長 佐竹健治(東京大学地震研究所)

 将来発生する地震や火山噴火について知見を得るためには,現在だけでなく過去に発生した事象についても調査・研究を行う必要がある。地震や火山噴火は日本列島とその周辺域で有史以前から発生しているものの,日本において地震の近代的な機器観測が開始されたのは明治初期以降に過ぎず,全国的な機器観測の実施は100年に満たない。そのため,それ以前に発生した地震や火山噴火について知るためには,歴史学や考古学で用いられている史料や考古資料に基づいた調査・研究が必要になってくる。特に,一度発生すると大規模な被害をもたらす低頻度の大地震・巨大地震や火山噴火については,機器観測が実施されている期間に比べて発生間隔が長いために,機器観測によるデータは少ない。それ故に,史料や考古資料に基づくデータと近代的な観測データとの比較・検討を通して,大地震・巨大地震や火山噴火の再来間隔や,その前後に発生する中・小規模の地震や火山活動等の全体像の把握に努めていく必要がある。
 平成26年度より開始された本研究計画ではそれまでの計画とは異なり,地震及や火山噴火における低頻度の大規模災害について,史料や考古資料を用いた研究の必要性が明示されており,当部会はこの新たな研究分野を主体的に推進する立場にある。そこで当部会では,個別の研究課題の成果に基づいて「災害の軽減に貢献する」ことができるような方向性を導き出し,本研究計画が切り拓く文理融合研究の新たな学術的展開に寄与していく必要がある。

1.地震・火山現象の解明のための研究

(1)地震・火山現象に関する史料,考古データ,地質データ等の収集と整理

 歴史学や考古学において研究の基礎となる史料や考古資料について,地震や火山噴火現象及びそれに起因する災害の研究に活用するためには,地震関連史料集や考古遺跡の発掘調査報告書といった既存の媒体だけでは不十分である。さらなる研究の進展には,これらの史資料のデジタルデータ化とそれに基づく分析が必要であり,不足している部分については新たな史資料の収集も実施しなければならない。平成29年度も引き続き,史資料の調査・収集やデジタルデータ化,データ作成に関する作業方針の検討を実施した。また,個別のデータベースの試作版を基にして,史料・考古の統合データベースの試作版を構築した。

ア.史料の収集とデータベース化

・地震関連史料の調査・収集とデータベースの構築
 既刊地震史料集に基づく地震・火山噴火史料データベースの構築を目指し,『増訂大日本地震史料』や『新収日本地震史料』に所収されている史料について,データベース構築に必要なXMLデータ化作業を継続して実施した。史料本文をデータ化する際に,史料学的に信頼できる原典史料に遡り,史料記述の間違いの修正や省略部分の補足を行う校訂作業に重点をおいており,史料データの正確性の確保に努めている。既刊地震史料集全33冊(合計約26,800頁)のうち,データベース化の作業に着手しているのは30.9%である。また,本研究でXMLデータ化した地震関連史料について,当時の地名を示す部分に位置情報(緯度・経度)を付与し,試作版の「日本地震関連史料データベース」に基づく検索結果について,国土地理院の地図上に表示するシステムの改良を行った。
 加えて,平成28年度に引き続き,東海地方にあって長期間にわたる日記史料が現存する三河国田原藩(愛知県田原市)の「田原藩日記」(田原市博物館所蔵)の調査・撮影を実施した。さらに,嘉永七年(安政元年・1854年)の南海地震関連の史料について,「今中文庫史料」(広島大学中央図書館所蔵),「津山藩勘定奉行日記」(津山郷土博物館所蔵),「売用日記」(岡山県倉敷市 竜王会館所蔵),「矢吹家文書」(岡山県立記録資料館所蔵)の調査を実施した。
なお,調査・収集した史料を用いて,文禄五年(1596年)の豊後地震に関する既存の史料について史料学的な評価を行い,地震の実態について検討した(東京大学史料編纂所[課題番号:2601])。

・日本海沿岸地域を中心とした地震・火山噴火災害関連史料の収集と分析
 主に日本海沿岸地域における地震・火山関連史資料を収集し分析するために,各地の史料保存機関に所蔵されている史資料の原本調査を行った。また,既刊の地震・火山噴火史料集に所収されている史料について,原本調査に基づく校訂作業を実施した。原本調査と校訂作業による史料の分析に現地調査を加えて,次のような成果が得られた。
 「本間(小泉)家文書」に所収の「信濃川御番所舟着場絵図」に描かれている船の状態を分析し,天保四年(1833年)の庄内沖地震の津波による「御廻米御用船」の被害状況を示した絵図であることが特定できた。絵図に描かれている橋船や帆柱は,河岸・船囲場から250~500間(約450~900m)の距離に散乱しており,艀下川に沿って逆流した津波が想定できる。
 文政十一年(1828年)の越後三条地震の史料によると,「潰家」とは家が揺れ潰れ,家内の人々が家の下敷きになって死者が出る状態を示すことから,「潰家」は全壊家屋とみなしてよい。一方で,「半潰」とは家が揺れ潰れず,死者が出ることが殆どない状態である。そのため,現行の(全潰戸数)+0.5×(半潰戸数)を全戸数で除した数値をパーセントで示し,家屋倒壊率とすることには問題がある。また,地震被害の報告書にみられる家屋被害の状態については,奉行や代官等から指示された「潰家」「半潰」「大破」といった雛形の用語に従って記述されており,例え用語は同じであっても史料ごとに被害実態が異なっている場合がある。これらのことから,史料に記されている家屋被害で確実なのは「潰家」のみであり,「半潰」「大破」等については被害程度の区別は困難であるため,歴史地震における家屋倒壊率については「潰家」のみに基づいて検討する必要がある。
 天保四年の庄内沖地震による能登国(石川県北部)輪島での津波被害について,微地形の調査から津波被害の地域的差異を検討した。輪島市の河井町地区の中心街路である本町通は,海岸沿いに発達した浜堤上の最も標高の高い所を通っており,本町通から海岸に向かっては緩やかな傾斜を成している。そのため,天保四年時の津波は浜堤の最も高い地点までは到達することなく,海岸沿いの相対的に低い地区で被害が大きかったと考えられる。また,市内を南北に流れる河原田川左岸のうち,海士町や輪島崎村といった南北に展開する地区においては,西側の鳳至山から続く丘陵に向かって急激に標高が上がっており,一軒あたりの死者数が少ない要因となった可能性がある。
 新潟県下越地方では,液状化を伴う大規模な地震が縄文時代晩期最終末の短期間に頻発しており,縄文時代晩期の地震直後に作成された弥生土器の型式を用いると,集落が短期間で回帰し,被災前と同じ場所が再利用されている実態がわかった。また,正徳四年(1714年)の信濃小谷地震の際に現在の長野県北安曇郡小谷村千国坪ノ沢に形成された天然ダムは,地震発生から3日後に決壊したとされているが,文献史料では決壊で発生した洪水が下流へ及ぼした影響は明確でない。そこで,同郡小谷村北小谷下寺でトレンチ調査を実施したところ,最大厚約80cmの洪水砂層を検出し,この砂層に含まれる炭化物の年代測定等を実施した結果,正徳四年の地震時に天然ダムの決壊によって発生した洪水堆積物であることが判明した。この時の洪水は,天然ダムが形成された千国坪ノ沢から約12km下流の同郡小谷村北小谷来馬・下寺でも,姫川渓谷全体を覆い尽くすほどの破壊力を有していた(新潟大学[課題番号:2701])。

・東海地方を中心とする南海トラフ巨大地震関連史資料の収集と分析
 現在公開中の地震史料の検索システムについて,地図を用いた検索システムに改良を加え,歴史地震に関する文献リストを作成して新規の検索システムを構築した。
 これまで3年間にわたり調査した高知県の神社明細帳の情報を整理したところ,合計5,486ヶ所の神社のうち96ヶ所の神社の明細帳に地震被害の記述があり,その殆どは高岡郡・幡多郡の神社のものであった。歴史時代に発生した南海トラフ地震では高知県東部で隆起,西部で沈降といった地殻変動がみられるが,地殻変動のみで被害に偏りが生じるとは考えがたく,要因は他にあると考える。神社明細帳にある被害記述の殆どは宝永四年(1707年)の宝永地震におけるものであり,嘉永七年の南海地震に関する被害記述は5ヶ所の神社のみであった。他に,天武天皇十三年(684年)の白鳳地震について6ヶ所の神社の明細帳に地震被害の記述があった。
 三重県においては嘉永七年(安政元年・1854年)の伊賀上野地震の関連史料について,大垣市立図書館では南海トラフ地震の関連史料を中心に調査を実施し,史料記述から地震情報を抽出した。また,嘉永七年の東海・南海地震による主要街道沿いの被害状況について記載されている「柴田家文書」(豊橋市美術博物館蔵)をはじめとして,明治二十四年(1891年)の濃尾地震に関する田中長嶺関連資料の「尾濃震災図録」(西尾市岩瀬文庫蔵),嘉永七年の東海地震に関する若林多沖著「津なみ 安政元年」を翻刻した。
一方で,「地震ニ付村々倒家人別書上帳」をはじめとする尾張藩小納戸役年貢地懸の嘉永七年の東海地震に関する史料(徳川林政史研究所所蔵)について,全文翻刻して内容を分析した。また,尾張藩士の「小川家文書」「石河家文書」(名古屋大学附属図書館所蔵)や,尾張藩領庄屋の「岡田家文書」「佐藤家文書」(同前),佐屋代官所手代の「永田家文書」(名古屋大学大学院文学研究科所蔵),今尾(現岐阜県海津市)の庄屋日記である「今尾記」(神社蔵・個人蔵)にある同東海地震の記述を抽出し分析した。さらに,尾張藩領内各地での地震被害に関する記述だけでなく,人々の対応に関する記述も分析して,尾張藩の救済策が生活難渋者のみを対象としていた実態を明らかにした(名古屋大学[課題番号:1701])。

・明治前期における自治体から帝国大学理科大学への地震・津波報告の分析
 明治二十六年(1893年)に帝国大学理科大学は,各地の郡役所・町役場等に歴史地震・津波や海底地形変動に関する情報の提出を求めており,「地震学及地理学研究材料 測候所郡役所組合事務所報告」(東京大学地震研究所所蔵)には各地からの報告がまとめられている。この報告から次のようなことがわかる。
 岩手県の宮古町・鍬ヶ崎町・重茂町・山田町・船越町・普代町では,安政三年(1856年)の八戸沖地震による津波に関する伝承が,福島県の楢葉郡木戸村山田浜上ノ代では,同郡北田村の脇浜村が慶長年間に津波によって壊滅し,同地に移住したとする古記録の存在を示す伝承が確認できる。また,天保六年(1835年)の宮城沖地震の際に,福島県の楢葉郡木戸村山田浜の宅地が海嘯で浸水したとする記録の伝承や,元禄十六年(1703年)の元禄地震では,千葉県の夷隅郡清海村で「三夜祭」に集まった住民が溺死したという伝承が記されている。さらに,安政三年八月に千葉県の行徳町では海嘯が発生して,堤防の越水や本町への浸水があり,これは同年に関東地方を襲った台風に伴う高潮の被害と考えられる。
 上記の報告の大半は伝承であり,このような種類の情報について,地震学や津波防災においてどのように用いていくかは今後の課題である(公募研究,東北大学災害科学国際研究所[課題番号:2903])。

・地震関連史料のデータベース化に関する研究
 地図情報を統合した古地震研究ポータルサイトの作成のために,web GIS(Geographic Information System,地理情報システム)ソフトウェアの仕様の検討を行った。また,平成28年度に作成したGIS機能を有したポータルサイト(http://kozisin.info/)のコンテンツの充実を目指して,翻訳機能を持つアプリケーションとの融合を図った。
 さらに,平成28年度に引き続き,市民参加型のオンライン翻刻プロジェクト「みんなで翻刻」を運用しており,当該のプロジェクトでは,東京大学地震研究所図書室が所蔵する史料のうち,デジタル画像が公開されている約500点の史料の全文翻刻を目標としている(公募研究,京都大学大学院文学研究科[課題番号:2945])。

イ.考古データの収集・集成と分析

・考古資料の収集・分析とデータベースの構築
 平成28年度に引き続き,全国の埋蔵文化財発掘調査報告書を調査して災害痕跡データの抽出を行い,これらの入力を進めた。その結果,沖縄県以外の46都道府県について,データを抽出し検討した発掘調査地点が計37,740ヶ所,そのうちデータの確認ができた災害痕跡件数は計16,632件に達した。
 災害痕跡GISデータベースシステムについては,データベースの構造や検索システムの改良とデータの更新を行った。また,東京大学史料編纂所の「日本歴史地震関連史料データベース」(試作版)と連携して,災害痕跡データベースと相互に検索できるシステム開発を進めた。
 この他,奈良県や山口県をはじめとした各地の埋蔵文化財発掘調査現場において,古墳時代以前のものを含む災害痕跡の地質考古学的調査と試料採取を行い,それらの整理・分析を実施して結果を発表するとともに,災害痕跡の調査・記録方法に関する研究集会を開催した(奈良文化財研究所[課題番号:9001])。

ウ.地質データ等の収集と整理

・津波堆積物の調査及びデータベース化に向けての準備作業
 津波堆積物等の地質学的な痕跡を評価する上で,痕跡を残さない事例や,痕跡が形成された後に一部もしくは全部が消失してしまう事例についても調査しておく必要がある。そこで平成28年度に引き続き,津波や地殻変動の痕跡は残るのか,残存した痕跡からどのような情報を抽出できるのか,どのような過程で消失するのかについて知見を得るため,最近の事例の追跡調査を実施した。
 青森県の三沢海岸に残された平成23年東北地方太平洋沖地震の際の津波堆積物について,6年後に土壌が表面を覆ってから再調査したところ,部分的に残された堆積物からも内陸薄層化,内陸細粒化といった津波堆積物によくみられる傾向が確認できた。ただし,測線の遡上限界近くまで堆積物が残っていない場合,平均粒径は細粒~極細粒砂まで細かくはなっていない。このような情報を系統的に収集・分析することで,古津波についても,津波堆積物の分布限界が津波の遡上限界の近くにあるのか,あるいはさらに海側にあるのかを評価できると考える。三沢海岸の事例では,津波の遡上限界,津波堆積物が形成された内陸限界,5年後まで残った津波堆積物の内陸分布限界の関係が判明した。なお,三沢海岸では,津波の遡上限界と津波堆積物が形成された内陸限界に大きな差異はみられない。しかしながら,津波堆積物が5年後まで残った内陸限界は,明らかに海側にシフトしたことが確認できた。
 また,平成27年4月の形成時から追跡調査を続けている北海道羅臼町での地すべりについては,平成29年5月の調査時には,隆起地帯のほぼ全てが浸食されて消滅していた。平成29年度は,実際の海藻の生息深度を現地で調査し,その実測値を基に隆起量を再計算した(東京大学地震研究所[課題番号:1501])。

(2)低頻度大規模地震・火山現象の解明

 史料や考古資料の分析に基づいて,機器観測の開始以前に発生した低頻度で大規模な地震・火山噴火やそれによる災害を調査・研究することは,今後発生するそれらの現象や災害の様相を予測し,その被害の軽減に貢献できると考えられる。その手法として,歴史時代や先史時代の地震・火山に関する様々な形態の史資料をデジタルデータ化し,同一の地図上に載せて被害分布図等を作成することで,近代的な機器観測に基づく観測データとの比較・検討が可能となる。また,この被害分布図等を用いて過去の災害の実態を解明することは,特定の地域で今後発生する災害の予測に寄与できると考える。
このような学際研究を進める際には,複数の分野からのアプローチが必要である。例えば,地震災害について被害分布図等を作成する場合に,信憑性の高い史料記述に基づいて被害発生の年月日と場所を調査・検討し,考古資料に基づいて先史・歴史時代の被害痕跡の位置と時期を分析するといった方法である。異なる複数の視点からの調査・研究は,研究成果の学術的な妥当性を確保する上でも重要である。

ア.史料,考古データ,地質データ及び近代的観測データ等に基づく低頻度大規模地震・火山現象の解明

・史料に基づく前近代の地震活動の解明
 前近代において低頻度の大規模災害をもたらした大地震・巨大地震やその前後の地震活動については,近代的な観測機器によるデータは存在しない。そのため,前近代の地震現象や地震災害について調査・研究を行う際には,歴史学で使用されるのと同様の史料を用いて,個々の記述内容から地震の様相や被害の実像を検討していく必要がある。その際には,現存する多数の史料から記録内容の信憑性が高い史料を選定し,それに基づいて前近代の地震を解明していく手法が適切である。
 史料の中でも特に日記史料については,地震等の自然現象の発生と同時期に記されているために記録内容の信憑性が高い。また,記録された当時の場所が特定でき,数十年という長期間にわたって同一人物が記録しているために,連続して安定した情報が得られるという特長がある。日記史料には,被害を生じない小さな有感地震について,地震の発生時間(約2時間単位)や大きさ(大・中・小)も記されている場合が多く,個々の有感地震について発生場所と時間と大きさという情報が得られる。なお,日記史料の記録場所は,16世紀以前は京都や奈良等に限定されるが,17世紀以降は江戸等の都市域で増加し,18世紀以降は藩役所,町・村の役人,知識人・商人等の手で記されて全国的に展開していき,現在,膨大な量の日記史料が存在している。
 本研究では,既存の日記史料だけでなく,新たな日記史料の調査・撮影も実施し,有感地震等の自然現象に関する記録を日記史料から抽出して,一定期間にわたる有感地震データベースを構築した。このデータベースを基にして地理情報システムを作成し,そこから前近代の有感地震に関する時空間分布図の作成を試みた。平成29年度は特に,19世紀中葉に発生した南海トラフ沿いの巨大地震である嘉永七年(1854年)の東海地震・南海地震及び,内陸部の大地震である同年の伊賀上野地震と翌安政二年(1855年)の江戸地震を含む期間について,集中的にデータベース化と時空間分布図の作成を実施した。
 時空間分布図の活用から,嘉永七年十一月四日(1854年12月23日)の東海地震の後,安政二年九月二十八日(1855年11月7日)に東海地方で比較的大きな有感地震が発生していた状況が判明した。この有感地震は嘉永七年の東海地震の余震と考えることができる。この余震の4日後,安政二年十月二日(1855年11月11日)には関東地方南部で安政二年の江戸地震が発生しており,南海トラフ沿いでの巨大地震と内陸部での大地震との関係性を示唆していると考える。また,安政二年の江戸地震の有感範囲は近畿地方までであり,中国地方には及んでいなかった状況もわかる。
 今後は,日記史料のデータベース化を進めて有感地震の記録地点数と記録期間を増やしていき,前近代の有感地震の時空間分布と機器観測に基づく有感地震の震度分布との比較・検討から,前近代に発生した中・小地震の解明を試みる。これによって,前近代の日本列島における中・小地震と大地震・巨大地震との関係の解明に寄与できると考える(東京大学地震研究所[課題番号:1501])。

・史料の収集と分析による歴史地震の調査
 平成29年度は,寛文五年~六年(1665~1666年)の京都周辺での地震活動がわかる日記史料の翻刻を行い,南海トラフ沿いの巨大地震について,史料の収集や現地調査,史料の解読と記述内容の検討を行い,得られたデータを元にして歴史地震の実態を解明した。また,幅広い異分野交流を通じて,新たな視点での歴史地震研究の姿を検討した。
 これまでの歴史地震関連史料の解釈における間違いについて指摘した。例えば,天保二年十月十一日(1831年11月14日)に佐賀で発生したとされてきた地震被害は実在せず,同年十月十日(同年11月13日)の会津での地震における被害記事を誤って判断したものであることを示した(加納,2017)。一方で,宝永四年(1707年)の宝永地震と富士山宝永噴火に関して,複数の写本を比較・検討し,より原本に近い史料を特定して未読部分を翻刻した(服部・中西,2017,2018)。また,この地震と噴火について,現在知られている中で最も完全で,かつ古い時代に記された史料を特定し翻刻した(小林ほか,2018)。これらの史料の分析から,宝永地震の本震と翌日発生した余震の震源域の推定に関する情報を得られる可能性がある。
 市民参加型のオンライン翻刻プロジェクト「みんなで翻刻」に協力し,歴史学の専門家の協力を得て,古地震に関する合宿形式の研究会(翻刻を主とした史料読解)を実施した(平成29年9月,平成30年3月)。この研究会では,歴史学の専門家による指導を受けて史料の翻刻と解釈を実践しており,歴史学に関する講演によって史料解釈に必要な歴史学の基礎知識の獲得を目的としている。この研究会は,地震学のバックグラウンドを持ちながら史料の解読もできる人材の育成だけでなく,歴史学,人文情報学,地理学,地質学,気象学といった幅広い分野の研究者と学生,大学職員,一般市民の交流の場となることを目指すものである。この研究会おいて翻刻や史料の取り扱いを学んだ研究者や学生が,上記のような研究成果を発表するようになり,人材育成の効果が顕れはじめていると言える。なお,上記の「みんなで翻刻」は,この研究会における情報交換によって生み出されたものである(京都大学防災研究所[課題番号:1901])。

・日本海沿岸域での過去最大級の津波の復元
 13世紀頃に日本海沿岸で発生した津波の波源について,国土交通省の「日本海における大規模地震に関する調査検討会」による「F17断層モデル」を選定し,津波堆積物の分布と最も調和的な浸水域を示すように,断層長とすべり量の検討を行った。また,寛保元年(1741年)の渡島大島の噴火に伴って発生した津波について,土塊と水塊を考慮した二層流モデル(地すべり・津波統合モデル:栁澤ほか,2014)を改良して用い,13世紀頃に発生した津波では,改変した「F17断層モデル」を用いて非線形長波近似式による津波浸水計算を行って,浸水実績図とした。計算結果については,津波堆積物調査データ,歴史記録データとともにWEB-GISから配信した(北海道立総合研究機構地質研究所[課題番号:9101])。

これまでの課題と今後の展望

 今までの地震火山観測研究計画においては,近代的な観測が開始される以前の歴史時代や先史時代に発生した地震・火山噴火やその災害に関して,主として地球物理学の分野から研究が実施されてきた。近代的な観測記録が皆無の地震や火山噴火を対象とした研究を実施する際には,観測記録の代わりに史料や考古資料を用いる必要がある。そもそも,史料や考古資料については,本来,歴史学や考古学の手法で取り扱われなければ学術的な妥当性を保持できないものであり,理学的な知見のみで取り扱われた場合には,誤った評価を導き出してしまう危険性を有している。このような理由から,近代観測以前の地震や火山噴火に関する史料や考古資料を用いた理学的な研究には,学術的な手続き上看過できない問題が内在していた。
そのため,平成26年度から実施されている「災害の軽減に貢献するための地震火山観測研究計画」においては,近代的な観測記録が存在しない地震や火山噴火について,地震学や火山学といった理学系の分野だけでなく,歴史学や考古学といった人文学系の分野の研究者も組織的に参加して,共同研究が実施されている。当部会では今後,史料や考古資料を主軸に据えた研究を中心に,地震学・火山学や関連諸分野との連携を強化し,他の部会と協力してこの研究計画を推進していく。そして,理学系と人文学系の分野が主体となった新たな文理融合研究分野の創出も視野に入れて,研究の更なる深化と展開を目指していくべきと考える。
 また当部会では,文理融合の研究を進める上でデータの共有化が必須と考え,平成26年度以降,史料・考古それぞれのデータベース化に向けた研究を実施してきた。史料データは被害発生の時期は明確であるが場所は必ずしも明確ではなく,考古データは被害発生の時期に幅があるものの場所は明確である。平成29年度は,このような特徴を持った双方のデータについて,被害発生の時期と場所とを結合して連続したデータを作成し,時代・時間情報と位置情報の両方から検索可能なデータベースの構築に向けて,史料・考古の統合データベースの試作版を作成した。
 このような史料・考古の統合データベースの構築に向けた研究とは別に,史料データや考古データを活用した歴史地震・火山噴火及び,それらによる災害の実態解明の研究にも取り組んでいく必要がある。特に,史料データにある地震記録に基づいて,特定期間の広域における有感地震の記録を集中的に分析し,大地震と巨大地震との関係だけではなく,その間に発生した中・小規模地震を含めた地震活動を解明する研究は,現行の地震学における地震活動の研究にとっても有益になると考える。そのため今後は,19世紀中頃だけでなく18世紀初頭の西南日本から関東地方において,幾つかの被害地震(大地震と巨大地震)とその前後の有感地震の史料データを収集・分析し,一定期間の地震活動の推移について検討を試みる計画である。
さらに,史料データに基づいて,地理情報システムを活用した歴史地震の推定震度分布図を作成する研究については,今後,地震学分野の強震動研究との連携を念頭において研究を進めていく予定である。なお,当部会としては,個々の研究課題において歴史地震・火山噴火の事例研究も進めていき,現行の地震学・火山学や災害研究に資する成果を積み重ねていく必要があると考える。

成果リスト

蝦名裕一,佐竹健治,2017,帝国大学理科大学の調査資料にみる津波記録・伝承,第34回歴史地震研究会(筑波大会)講演要旨集,42.
服部健太郎,中西一郎,2017,1707年宝永地震と富士山宝永噴火に関する一史料-駿河湾北岸域における宝永地震翌朝に感じた大きな余震及び白鳥山の崩壊を記した行方不明史料の発見と既刊史料集に掲載された翻刻文の検討-,地震2,70,41-55.
服部健太郎,中西一郎,2018,1707年宝永地震と富士山宝永噴火に関する一史料 (2)-『浅間文書纂』に掲載された「大地震富士山焼出之事」の底本-,地震2,70,215-220.
石川寛,2018,安政東海・南海地震の被害と尾張藩の救済-史料学的検討を踏まえて,愛知県史研究,22,1-16.
加納靖之,2017,1831年(天保2年)佐賀の地震記録が会津の地震のものである可能性,地震2,70,171-182.
加納靖之,2017,みんなで翻刻-これまでとこれから,リポート笠間(笠間書院),63,53-56.
加納靖之,2017,地震年表や史料集における年月日の取り違え,歴史地震,32,87-93.
川上源太郎,加瀬善洋,卜部厚志,髙清水康博,仁科健二,2017,日本海東縁の津波とイベント堆積物,地質学雑誌,123,857-877.
小林昭夫,弘瀬冬樹,堀川晴央,平田賢治,中西一郎,2018,1707年宝永地震と富士山宝永噴火に関する一史料-飯作家「大地震富士山焼之事覚書」の調査と翻刻-,地震2,70,221-231.
京都大学古地震研究会,加納靖之,2017,「みんなで翻刻」-市民参加のオンライン翻刻プロジェクト-,地震本部ニュース,2017年夏号,8-9.
村田泰輔,2017,武久川下流域条里遺跡にみられる堆積構造,武久川下流域条里遺跡 2,下関市教育委員会,227-236.
村田泰輔,2017,自然科学分析(平城京朱雀門周辺・朱雀大路・二条大路の調査),奈良文化財研究所紀要2017,190-231.
Murata, T. and N. Koike, 2017, The Japan GIS Database of the Historical Disaster using research data of Archeological excavation, Geological survey and Historical documents, IAG-IASPEI 2017 joint assembly, S04-P-04 (Poster), Kobe, Japan, Kobe International Conference Center, July 30-August 4, 2017.
奈良文化財研究所,山口県市町村文化財担当者連絡会議,2018,災害痕跡の調査・記録方法についての研究集会.
Nishiyama, A., M. Ebara, A. Katagiri, Y. Oishi and K. Satake,2017, Development of historical earthquake and volcanic activity database using historical diaries, IAG-IASPEI 2017 joint assembly, S04-P-01 (Poster), Kobe, Japan, Kobe International Conference Center, July 30-August 4, 2017.
齋藤瑞穂,2017,晩期縄文越後地震の復興と土器型式-新潟平野における弥生集落の出現順序-,2017年前近代歴史地震史料研究会講演要旨集,9-14.
山中佳子,新井田倫子,2017,明治22年熊本地震の詳細震度分布,地震2,70,233-248.
矢田俊文,2017,1855年安政江戸地震における家屋倒壊率の再検討-武蔵国幸手領・川崎領-,資料学研究,14,1-14.
矢田俊文,原 直史,2017,「江戸青山善光寺奥御用所日記」から見た一八四七年善光寺地震,災害・復興と資料,9,19-29.

お問合せ先

研究開発局地震・防災研究課

(研究開発局地震・防災研究課)