海洋生物研究に関する今後の在り方について(改訂本文)

平成27年8月策定
令和2年3月改訂
海洋生物委員会

はじめに

 海洋基本法(平成19年4月施行)及び同法に基づく第1期海洋基本計画(平成20年3月閣議決定)において、海洋の生物多様性の確保の重要性が指摘されたことや、平成23年3月に発災した東日本大震災等を受け、科学技術・学術審議会海洋開発分科会海洋生物委員会(以下「当委員会」という。)では、平成23年9月に報告書「海洋生物資源に関する研究の在り方」をまとめ、文部科学省や関連する研究機関が実施すべき施策等を提言した。また、第2期海洋基本計画(平成25年4月閣議決定)等を踏まえ、当委員会では、平成27年8月に報告書「海洋生物研究に関する今後の在り方について」をまとめ、海洋生物研究に関する中長期的な方向性について提言した。
 これらの提言を受け、文部科学省等においては、平成23年度から「海洋生物資源確保技術高度化」や「東北マリンサイエンス拠点形成事業」などの海洋生物研究を推進する事業を実施し、その取組と成果は国内外で評価され、社会実装も進展しつつある。一方、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」等に関する国際的な取組が進展するとともに、ゲノム技術や情報科学技術をはじめとする基盤的技術が発展し、海洋においてもゲノム情報を含む大量の海洋情報をイノベーション創出や資源、環境、生態系保全等に展開できる情勢となりつつある。このように海洋生物研究が果たすべき役割や取り巻く環境にも大きな変化が生じていることを踏まえ、我が国の海洋生物研究の今後の在り方について、改めて検討すべき時期に来ている。
 このため、当委員会では、文部科学省をはじめ上記取組の実施機関、加えて、海洋生物研究の取組と非常に関係の深い省庁である環境省、水産庁等の関係者へのヒアリング等を行い、今後5年から10年を見据えて、優先的に取り組むべき施策や関係機関の連携の在り方等について検討し、本提言を取りまとめた。

第1章 背景

(「海洋基本計画」における位置付け)

 平成19年4月に、「海洋の平和的かつ積極的な開発及び利用と海洋環境の保全との調和を図る新たな海洋立国を実現することが重要であることにかんがみ」、海洋基本法が制定され、同法に基づく第1期海洋基本計画が平成20年3月に閣議決定された。同計画は、5年ごとの見直しを経て平成30年5月に第3期計画が閣議決定され、新たに海洋に関連する多様な情報を集約・共有することで、海洋の状況を効果的かつ効率的に把握する「海洋状況把握(MDA)」の重要性が示された。また、海洋の主要施策として、海洋環境の維持・保全や科学的知見の充実等を引き続き謳っている。これらの主要施策の基本的な方針として、SDGs等国際枠組を活かした海洋環境保全の推進、沿岸域の総合的管理の推進、海洋調査・観測・モニタリング等の維持・強化、Society5.0の実現に向けた研究開発の推進などが挙げられている。

(国連「持続可能な開発目標(SDGs)」に関する動向)

 海洋基本計画においても重要性が強調されているSDGsは、2015年(平成27年)9月の国連総会で採択され、2030年(令和12年)までに解決すべき17の目標の一つとしてSDG14「海の豊かさを守ろう:海洋と海洋資源を持続可能な開発に向けて保全し、持続可能な形で利用する」が掲げられた。SDGsにおいては、先進国も含めた全ての国が、目標に向けて、科学的な根拠に基づき、持続可能な開発のための効果的な取組の実施・ガバナンスの構築が重視されている。また、SDGsの達成のため、国連は2021年から2030年(令和3年から同12年)を「持続可能な開発のための海洋科学の10年」と定め、各分野の知識を活用して海洋科学を集中的に推進するとしており、現在実施計画の策定に関する協議が進められている。このほか、2019年(平成31年)3月には、G20各国の科学アカデミー代表によるサイエンス20(S20)が、特に気候変動と海洋プラスチックごみに焦点を当てた共同声明「海洋生態系への脅威と海洋環境の保全」を採択し、SDG14の達成を支援する研究への積極的な関与を呼びかけている。

(「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」に関する動向)

 「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、2014年(平成26年)の第5次評価報告書において、21世紀半ばまでとそれ以降について予測されている気候変動により、海洋生物種の世界規模での分布変化や、脆弱な海域における生物多様性の低減が漁業生産性やその他の生態系サービスの持続的利用にとって課題となることを指摘した。2019年(令和元年)9月には、「海洋・雪氷圏特別報告書」を公表し、海水温上昇や海洋熱波の増加、地球規模で進行する海洋酸性化や貧酸素化が海洋生態系に与えるリスクなどについて指摘している。例えば暖水性サンゴについては、すでに高いリスクに曝されており、世界の平均気温の上昇が産業革命以前から1.5℃に抑えられたとしても非常にリスクの高い状態に移行すると予測されている。現在は、2021~2022年(令和3~4年)の第6次評価報告書の公表に向けて、さらなる科学的な知見の収集・整理を行っている。

(「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES)」に関する動向)

 生物多様性に関しては、「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES)」は、国連環境計画(UNEP)の枠組みの中で、生物多様性条約(CBD)の動きを踏まえ、生物多様性分野での科学と政策の統合を目指す報告書を作成している。また、2019年(令和元年)5月には報告書「生物多様性と生態系サービスに関する地球規模アセスメント」が受理され、政策決定者向け要約(SPM)が公表された。SPMには、「自然がもたらすもの 」は世界的に劣化し、自然の変化を引き起こす直接的・間接的要因は過去50年の間に加速しているが、経済・社会・政治・科学技術における横断的社会変容により目標達成の可能性がある、などのキーメッセージが記述された。

(海洋保護区等に関する動向)

  国際的には、海洋の産業利用と海洋環境の保全の両立を目指す動きが主流となっている。CBDの愛知目標やSDG14におけるターゲットの一つとして、2020年(令和2年)までに、少なくとも沿岸域及び海域の10%を海洋保護区として保全することが掲げられており、2017年(平成29年)時点で、全世界の国家管轄権内水域の14%が既に海洋保護区に設定されている。国内においては、環境省が「生物多様性の観点から重要度の高い海域」(日本版EBSA)を抽出し、平成28年に公表した。また、沿岸域を中心に我が国の管轄権内水域の8.3%に設定されている海洋保護区に加え、平成31年4月の自然環境保全法改正により沖合海底自然環境保全地域制度が創設され、愛知目標及びSDG14のターゲット(上記10%の海洋保護区保全)達成のための取組が行われている。
 公海に関しても、「国家管轄権区域外における海洋生物多様性(BBNJ)」の保全及び持続可能な利用に関する新協定の検討のために、利益配分に関する諸問題を含む海洋遺伝資源、海洋保護区を含む区域型管理ツール、環境影響評価並びに能力構築及び海洋技術移転についての交渉が国連において進行している。 また、海洋生物に対する関心の高まりを受け、環境省は、希少種の保全に関する取組として、魚類、サンゴ類、甲殻類、軟体動物、その他無脊椎動物の5分類群についての海洋生物レッドリストを平成29年に公表し、絶滅種あるいは絶滅危惧種として56種が掲載された。

(国際的な観測網に関する動向)

 国際的な海洋観測網の強化が進んでいる。世界気象機関(WMO)、ユネスコ政府間海洋学委員会(IOC)等の国際機関および各国の関係諸機関の協力のもと、全世界の海洋の状況をリアルタイムで監視・把握するシステムを構築する国際科学プロジェクトである国際アルゴ計画 は、海洋物理環境の把握を通して気候変動の予測や海洋物理学分野の研究のみならず化学、生物学分野の研究等にも大いに貢献してきた。近年、世界的に重要視されている海洋環境保全と持続的な利活用に資するため、海洋酸性化、炭素循環、地球規模の生態系変化や生物多様性の実態解明につながる情報を取得する生物地球化学センサー搭載(BGC)フロートの国際的パイロット観測が開始されている。
 また、IOCによって設立された世界海洋観測システム(GOOS)の生物生態系パネル(BEP)の下では、生物観測についての必須海洋変数(EOV)が検討されている。その観測網の構築はまだ議論の途上であるが、米国など一部の国では既に地球観測に関する政府間会合(GEO)の海洋生物多様性観測ネットワーク(GEO-BON)によってEOV観測網の実現を試みている。こうした海洋生物観測情報収集のプラットフォーム(データベース)として、IOCの海洋生物地理情報システム(OBIS)が活用されている。沿岸に関しては、地球規模生物多様性情報機構(GBIF)に関連した活動による観測情報の収集も活発である。

(我が国の水産業に関する動向)

 我が国の漁業・養殖業の生産量や漁業者数は長期的に減少しているが、我が国周辺には世界有数の広大な漁場が広がっており、水産業の潜在力は大きい。適切な資源管理と水産業の成長産業化を両立させるため、平成30年に漁業法が改正され、漁業生産に関する基本的制度の一体的な見直しが行われた。法改正の主要な項目には、新たな資源管理システムの構築や、海面を最大限に活用するための新たな漁業権の設定等の養殖・沿岸漁業の発展に資する海面利用制度の見直しが挙げられており、その効果的な実現のためには、海洋生物に関する科学的な知見の充実と種ごとの分布や生物量の迅速な把握が求められている。

 このように、近年、持続可能な海洋の利用と保全に向けた国内外での取組が活発化しているが、陸上に比べると海洋に関する科学的知見は十分ではない。モニタリングやOBIS等におけるデータ共有を強化して海洋生物、海洋生態系を含めた海洋全体についての総合的な科学的知見を高めることにより、海洋環境を適切に評価し、持続可能な海洋の利用を実現していく必要性が高まっている。

第2章 海洋生物研究等の取組に係る現状と課題

 文部科学省における主な取組として、平成23年度以降、東日本大震災からの復興事業である「東北マリンサイエンス拠点形成事業」、海洋生態系の知見の充実や生理機能の解明と革新的な生産技術を開発する「海洋生物資源確保技術高度化」を実施してきた。また、平成30年度以降、海洋情報を効率的・高精度に把握する観測・計測技術を開発する「海洋情報把握技術開発」を実施している。
  科学技術振興機構においては、平成23年度から平成30年度まで、戦略的創造研究推進事業(CREST)の中での研究領域の一つとして、「海洋生物多様性および生態系の保全・再生に資する基盤技術の創出」を設け、生態系の把握や生物多様性の保全に資する先端科学技術等の研究開発を行った。
 海洋研究開発機構においては、平成31年度からの第4期中長期目標を踏まえ、地球表層と人間活動との相互作用の把握、地球環境変動と人間活動が生物多様性に与える影響や海洋生物資源の理解などに関する海洋生物研究を実施している。 上記事業の現状及び課題について以下のように整理する。

(1)東北マリンサイエンス拠点形成事業

 東日本大震災の被災地における水産業の復興のためには、長期にわたる漁場・養殖場環境や海洋生態系の変動把握及び東北の水産資源を利用した新産業の創出が課題であった。このため、大学や研究機関等による復興支援のためのネットワークとして東北マリンサイエンス拠点を形成し、関係省庁や地元自治体、地元漁協等と連携しつつ、5年事業として「新たな産業の創成につながる技術開発」と、10年事業として環境かく乱からの生態系の回復メカニズムの解明を目指した「海洋生態系の調査研究」を実施してきた。
 「新たな産業の創成につながる技術開発」は、大学等の技術シーズを活用して被災地域に新たな産業を創成するため、大学や研究機関と地元企業等とが連携し、平成27年度までに8課題が実施され、被災地の水産復興の初動に貢献し、その後の新たな水産加工場の設置などにつながっている。
 「海洋生態系の調査研究」は、平成28年に行われた事業の中間評価を踏まえながら、東北大学・東京大学・海洋研究開発機構の3機関を中心に地元関係機関などとも連携し、海洋生物研究に携わる研究者だけでなく、海洋物理学・海洋化学、海洋地球科学、さらには人文・社会科学等多岐に渡る研究者の協力の下に遂行され、湾内の環境保全と効率的な養殖を両立する手法の開発等、水産業の復興に資する多くの成果が生まれている。また、様々な手法を統合してモニタリングを行い、情報をアーカイブするデータベースを運用・公開することは、大規模な環境かく乱が起こった際の生態系研究の参照例として、将来の災害に対する備えとしても重要である。
 今後は、令和2年度までの復興・創生期間以降を考慮し、地元自治体・漁業関係団体との共同実証試験による効率的な養殖手法の確立等、得られた知見・技術を地元の漁業者や自治体を含む多様なセクターへ引き継ぐことが必要であるとともに、地元に再建された大学の教育研究拠点等の更なる活用が期待される。また、復興事業で造られた海岸構造物等も海洋生態系に影響を与えることが考えられることから、事業終了に際し取組の引継ぎが行われるよう、連携協定の締結などによる協力体制の構築が必要である。

(2)海洋生物資源確保技術高度化

 平成23年度より、海洋生態系の総合的な理解に関する長期的かつ体系的な調査研究と、海洋生物の生理機能等に着目した革新的な生産技術の開発を目的とした「海洋生物資源確保技術高度化」が実施されてきた。当事業においては、3課題が採択され、「沿岸海域複合生態系の変動機構に基づく生物資源生産力の再生・保全と持続的利用に関する研究」は平成29年度まで実施され、複合生態系という沿岸漁業資源に関する新たな視点についてその具体的な一端を示し、その構成要素である個生態系への理解を深めた。また、「生殖幹細胞操作によるクロマグロ等の新たな受精卵供給法の開発」及び「我が国の魚類生産を支える黒潮生態系の変動機構の解明(黒潮生態系)」は令和2年度までの実施が予定されている。当事業で開発された「代理親」技術及び系統保存技術は、クロマグロ以外の様々な魚種にも適用可能な基盤技術であるため、養殖業を効率化する「育種」への応用等が期待される。今後、クロマグロ稚魚の革新的な生産方法の確立や海洋生態系の総合的な解明等の研究成果が社会に還元されるよう、継続的な研究と、特許等の知財管理・活用、社会実装に向けた成果の発信が必要となる。

(3)観測・モニタリング技術の開発(CREST「海洋生物多様性」、海洋情報把握技術開発)

 平成23年度から平成30年度まで、科学技術振興機構において、CREST「海洋生物多様性および生態系の保全・再生に資する基盤技術の創出」研究領域で、海洋生物多様性を把握するための先進的な技術開発が行われた。特に、環境DNAを利用した魚類群集の把握技術の開発、魚類の組織に含まれる微量化学成分を利用した個体レベルのトレーサー技術の開発など、これからの海洋生物研究を進展させるとともに水産資源の評価や管理にもつながる有用な成果が挙がっており、今後、こうした技術が広く利用・応用されることが期待される。
 平成30年度からは、海洋生態系や海洋環境に関する海洋情報をより効率的かつ高精度に把握する観測・計測技術の開発を目的とした「海洋情報把握技術開発」が実施されている。当事業では、「BGC-Argo搭載自動連続炭酸系計測システムの開発」、「海洋生物遺伝子情報の自動取得に向けた基盤技術の開発と実用化」及び「ハイパースペクトルカメラによるマイクロプラスチック自動分析手法の開発」の3課題が採択され、海洋のSociety5.0実現の基礎となる海洋ビッグデータの取得に資する自動観測・分析に必要な機器・技術を開発している。

(4)海洋研究開発機構「地球環境の状況把握と変動予測のための研究開発」

 海洋研究開発機構においては、平成31年度からの第4期中長期目標を踏まえ、「海洋科学技術に関する基盤的研究開発の推進」の一環として、地球表層と人間活動との相互作用を把握するために海洋生態系変動の観測と予測に関する研究、地球環境変動と人間活動が生物多様性に与える影響評価のために深海生態系を対象にした環境DNA分析や海洋プラスチックの分析技術開発と分布把握、アミノ酸の窒素同位体比計測技術を用いた解析手法の高度化等による海洋生物資源やその機能の理解、海洋生物多様性に関するデータベースの構築運用などに関する海洋生物研究が実施されている。

(5)人材育成・アウトリーチ等

 海洋生物研究を着実に進展させていくためには、若手人材を育成することが必要不可欠であり、研究プロジェクトの実施にあたっては幅広い分野から積極的に若手人材を登用することが重要である。上記(1)から(4)の事業の中では大学院生や博士研究員を含む若手人材の積極的な登用が行われており、特に(1)では、被災した地域において、復興・創生を目指した研究プロジェクトへの参画を通じて若手人材の育成が図られている。国内および国際学術集会を通して、内外の研究者・技術者と企業関係者との情報交換を積極的に進め、新たな研究展開へのシーズを求めていくような活動もみられる。
 一方、近年発展著しいAIやビッグデータ解析などの情報科学の知識・スキルを有し、海洋研究分野や水産業などの海洋産業の発展に貢献できる人材のニーズが高まっていることから、このようなSociety5.0に対応した学際的人材育成も課題である。また、国際連携プロジェクトへの参加を促す等、世界で活躍できる人材に育てるための取組も必要である。
 国民の海洋に関する理解の増進も重要である。前述の事業においては、小・中・高等学校の教育現場において、各事業の研究者を講師とする出前授業や体験学習などへの協力が数多く実施され、児童・生徒が海洋生物に親しむ機会や教育関係者が海洋生物研究への理解を深める機会として重要な役割を果たしている。また、各事業において漁業者・研究機関への技術移転のための説明会や、一般向けシンポジウム・施設公開イベントなどを通して、分かりやすく研究成果を伝えるアウトリーチ活動が積極的に推進されている。

第3章 海洋生物研究に関する今後の在り方について

 持続可能な海洋の利用は、海洋環境の保全との両立が不可欠であるため、「国連海洋科学の10年」に代表される取組と協調しながら、海洋環境の保全に資する研究にも取り組んでいかなければならない。一方で、我が国の水産業への貢献という点では、漁業法の改正による、新たな資源管理システムの構築や水産業の成長産業化をめざした養殖・沿岸漁業の発展に資する海洋生物研究と人材育成が求められている。
 ゲノム技術・情報科学技術をはじめとする先端技術等を海洋生物研究に取り込み、既存の事業で得られた技術・知見を発展させていくことで、これらの新しい情勢に対応しながら海洋生物研究を進展させていく必要がある。
 本委員会においては、文部科学省が重点的かつ戦略的に推進すべき海洋生物研究の今後の在り方について、以下のように提言する。また、その実施にあたっては、限られた国家予算の中で、府省庁・自治体・研究機関等の相互連携を強化し、効果的に研究を支援していくことが重要となる。

(1)包括的・総合的な海洋生物研究強化の緊急性及び重要性

 近年、水産業、生物多様性、海洋鉱物資源開発、防災等様々な分野において、海洋のガバナンスの在り方も含め海洋の持続可能な利用と保全へ向けた国際的な議論が本格化し、ルール化やガイドラインの策定等が急速に進みつつある。海洋国家である我が国もまた、これらが、科学的な知見に基づく適切なものとなるように国際的な議論に参加していくことが求められ、学際的な視点に基づく海洋生態系の科学的な理解とともに、その変化を把握、分析、予測する技術と必要なデータ・情報を有し発信することが重要である。気候変動、物質循環、人間活動の影響に関するデータを同時に把握しつつ、海洋生物の量的・質的変化を把握し、その変化の要因を理解して予測につなげ、さらに社会に還元していく必要がある。この実現のため、人文・社会科学を含め幅広く学問分野を超えた総合的・統合的なアプローチが求められる。様々な行政ニーズを踏まえつつ、科学的エビデンスの中核となる知見の獲得は、引き続き文部科学省が主導し関係府省庁・関係機関と連携しつつ取り組むべきである。

(2)国際協力・国際展開の強化

 海洋生物資源、海洋生態系の把握・分析・予測のための研究は海洋の持続可能な利用と保全に関する国際的なルール作りの議論に直結するものであるので、明確な課題設定を行うとともに計画段階から必要な国際協力及び国際展開戦略を視野において取り組むべきである。
 海洋生物に関する研究については、海域間の比較研究が可能であること、海潮流により栄養塩や有害物質等が輸送されること、大型魚類は広い範囲の回遊を行うこと等から、国内外の研究者の協力が必要不可欠である。現在でも個々の国内の研究者と海外の研究者の協力が進められており、国内外の研究機関をつなぐネットワークの形成も進められているが、今後は、「国連海洋科学の10年」等の枠組みを積極的に活用し、更なる国際連携により積極的・体系的な推進が必要である。
 日本近海は、全海洋生物種の14%(EEZ内)が分布する生物多様性のホットスポットであり、また、太平洋北西部は世界の漁業生産の四分の一を生産する海域である。当該海域における調査は、多様な水産資源を利用する世界有数の水産物消費国である我が国の食料安全保障上重要であるだけでなく、世界の食料生産においても重要な意味を持ち、知見を充実させることで、この分野の研究における、国際的なリーダーシップを我が国が発揮できる。そのためにも、地理的に近接しているアジア太平洋地域との連携を緊密にすべきである。研究コミュニティにおける国際協力に関わる議論を基礎とした、持続可能な海洋利用のためのガバナンスの構築への貢献が重要であり、そのための人材育成も必要となる。なお、我が国の東日本大震災への対応は、国際的にも極めて大きな関心を集めており、調査結果を引き続き積極的に情報発信することは、依然として残る風評被害を防ぐ等、信頼の確保にもつながると考えられる。また、海洋生態系及び海洋環境のかく乱の実態把握と経時的な修復機構の解明は、学術的にも重要な課題であり、その成果を歴史の証言として世界に発信・共有することが我が国の国際的責務である。

(3)海洋生態系に関する知見の充実

 我が国周辺において減少を続けている海洋生物資源を持続的に利用・保全していくために、生態系の構造と機能を十分に理解した上で、生態系に基づく管理(エコシステムマネジメント)を目指すことが重要である。食料資源として直接利用される海洋生物資源については、水産庁を中心に個別資源の持続的な利用に向けた数多くの研究が進められてきた。これらの知見を基礎に、魚種交替などの生態系の変動を素早く捉えるなどの、変動に対応した順応的な資源管理に結びつくような生態系の把握が求められる。
 そのためには、海洋環境変動との関わりを考慮しつつ、生物資源の生産の場として、海洋生態系の構造と機能及びその変動の様子を総合的に理解するための研究を進める必要がある。例えば、イワシ類等の小型浮魚類資源は海洋環境変動と関わって大規模に変動するが、そのメカニズムについては未解明な点が多い。このような課題を解明するためには、回遊経路とその変化要因、地球規模での環境変動が産卵の成否、種間の相互作用、捕食・被捕食の関係にどう影響するか等を明らかにする必要がある。
 広大で変化に富む海洋の生態系解明の基盤を築くためには、空間的な多様性を理解し、適切なモデルケースを選定して、複数の種が複雑に関わり合う海洋生態系のより深い理解につながるような研究の推進が求められる。例えば、利用対象資源種を選び、その種を取り巻く生態系を理解する方法が有効であると考えられる。また、里海・沿岸・外洋・深海等それぞれの海域において進められてきた研究間の空隙を埋め、海域間・生態系間の相互関係を理解することも重要である。
 特に沿岸域は、多様な生態系を有しており、陸域や外洋に生息する多くの生物の産卵場や生活史初期の生息域として極めて重要な海域である。また、陸地と接しており、陸域の気候・生態系や人間活動による影響が、海洋の中でもより直接的に影響する海域である。陸域・沿岸域・外洋域と異なる環境が循環等により物理的に接続され、生態系間をつなぐ物質輸送により高い多様性が維持されている。生態系における物質循環を理解・把握するためには、その生態系を構成している優占種の機能や動態を知ることが必要であるが、その生物学的知見や周辺環境との関連性に関する情報は不足しており、さらなる研究の推進が必要である。沿岸の海洋研究・教育施設の利用を促進することも必要である。沿岸の観測調査の現場への近さを利便とし、長期にわたる海況観測とその変動解析、海洋生物の生態調査などを大学附属の臨海実験所・水産実験所・センター等の施設での実施も検討することが重要である。
 また、海洋生態系研究は海底鉱物資源開発のアセスメントにおいても不可欠であり、その知見は、開発対象となる海域での環境影響評価手法の開発や影響緩和策の検討の基礎となる。
 なお、我が国の魚食文化を支える沿岸の生態系は地域毎に異なるため、文化の維持・地域振興という観点からも、沿岸生態系の構造・機能について、地域特性を整理して理解することも重要である。

(4)統合的な観測・モニタリング体制の構築

 科学技術振興機構のプロジェクト等において新たな観測技術の開発がなされ着実に成果を挙げている。例えば魚類の環境DNAに関しては、我が国は世界トップクラスの技術を開発している。今後は、このような要素技術を組み合わせ、早い段階で利用・応用ができるようにして、幅広く社会実装及び民間移転をしていく必要がある。
 海洋生物研究においては、継続的な調査・モニタリングが極めて重要である。そこで、既存のプロジェクトを活かしつつ、新たなプロジェクトでもモニタリングを継続実施し、「海洋状況表示システム(海しる)」等を活用しながら、そのデータを集積・公開していけるような枠組みが必要である。近年、海洋生態系は、従来からある沿岸利用や過剰漁獲に加え、貧酸素化、温暖化、酸性化、海面上昇、さらには海洋プラスチックごみなどにより、複合的にストレスを受けている。このため、これらの複合的なストレスに対する海洋生態系の応答を時系列情報として蓄積していく必要がある。また、海洋の調査では、海面から深海底までの深さ方向の広がりが大きいことや海洋生物の移動が広範囲に及ぶことなどから、広域なモニタリング網を必要とする。このため工学分野との協働を図りながら、民間船・漁船・都道府県の調査船等との協力や他分野で活用されているネットワークとの連携、自動観測技術の高度化のための技術開発等を進めていく必要がある。
 ゲノム情報をはじめとするオミクス データの取得・解析技術や、AIやビッグデータ解析技術などの情報科学技術をはじめとする先端技術を活用しながら、海洋生物観測の高度化を図ることも重要である。特に、リアルタイムにゲノム情報を取得できる機器の開発については、モニタリングだけでなくスマート水産業での活用も見込まれる。また、スマート養殖に利用され始めたAI技術等について、漁業や海洋環境のモニタリングに広げていくことが重要である。
 このようなモニタリングを継続していくことは、海洋生態系についての基本的な情報不足を補い、保全すべき海域と利用する海域との判別等にも貢献するものである。また、海洋生物研究において、研究船や実験施設等の研究基盤が重要な役割を果たしており、そういった研究基盤の維持や着実な整備が今後も必要であるとともに、研究基盤の共同利用を積極的に進めるべきである。

(5)海洋生物情報の量的・動的な把握・解析・予測システムの構築

 AIを海洋生態系研究や水産研究等の海洋生物に関する研究や調査に活用するためには、大量の教師データを蓄積する必要がある。海洋生物に関する研究や調査は、大学等の研究機関及び自治体により様々な目的で行われているが、その情報は必ずしも共有されていない。個々の機関の取組を最大限に活かしつつ、連携を図り、成果を最大化するための、検討・協議の枠組みが必要である。関係者が協議し、これらの個別の取組から得られるデータを互いに共有できる仕組みを構築しつつ、あわせてクラウド上に分散管理されている情報をビッグデータとして捉え、必要に応じて活用することが可能となるようなシステムを開発し、情報プラットフォームを構築する必要がある。また、このような情報プラットフォームは、我が国のみのものとするのでなく、「信頼性のある自由なデータ流通(DFFT)」のコンセプトに基づき、国際的なデータ流通の一翼を担うことも視野に入れるべきである。さらには、世界で唯一の魚種識別用データベース(Mito Fish)が魚類の出現情報の収集プラットフォームとしても機能しているように、効率的・効果的にデータベースへの登録がなされるシステムの開発が望まれる。
 生態系応答を解析・予測するためには、種の多様性といった「質的」な情報だけでなく、「量的・動的」な情報も把握する必要がある。生物の分布や回遊といった資源情報、ゲノム情報、生物の成長や行動特性などの実験データ、船舶や衛星、ブイ、アルゴフロートなどによる地球観測データなどを統合的に解析することが、地球温暖化等の環境ストレス下での水産資源の持続的利活用など、海洋生物資源管理(開発と保全)の実現に重要である。
 地球観測データ等の統合的解析を基に、より確からしい将来予測につなげていくためには、モデリング技術の高度化が不可欠である。革新的なモデル研究のためには、データが無い海域のデータ推定・補完技術の開発、環境変動が低次生産に及ぼす影響の予測精度向上、フィールド観測の研究者と数値モデル研究者の協力などが重要になる。また、既存の研究との連携も有効である。例えば、海洋生物資源確保技術高度化「黒潮生態系」で開発された動物プランクトンの分布推定モデルと同様の高い時空間解像度のモデルを、隣接する沿岸域や親潮域においても開発することで、黒潮域との連結モデルが実現され、魚類の回遊に伴う高精度の餌環境等の推定が可能となると期待される。加えて、近年の発展著しい情報科学を海洋生物研究に応用し、複雑な海洋生態系に関する多様なデータの重層化や統合・解析に役立てることは非常に重要である。
 情報プラットフォームの構築は重要であり、科学技術・学術審議会研究計画・評価分科会地球観測推進部会においても、地球観測データの統合やその利用促進は積極的に取り組むべき課題として議論され、海洋生物関係のデータも含めて、データ統合・解析を行うための情報プラットフォームの構築が進められている。今後、関係省庁・機関がさらに連携・協力して、引き続き統合化されたデータの整備を進めていく必要がある。また、海洋生物関係のデータに関しては、その調査項目が多岐にわたっており、かつデータを比較するための基準化が進んでいないといった課題にも早急に対応する必要がある。
 人間活動が生態系に与えるインパクトについて理解し、影響の予測を可能とするためには、まず既存の良質なリアルデータを適切にアーカイブ化し、そのデータを将来にわたって継続的に提供していくことが重要である。同時に、環境情報を含む標本資料等の適切な維持・管理に基づく人間活動が環境に影響を及ぼすようになった時代における変動履歴の把握が重要である。そのためには、標本資料等のアーカイブ機能を持った、博物館や水族館といった社会教育施設との密接な連携が必要である。

(6)海洋科学の将来を担う人材育成及び地域等へのアウトリーチ・協働

 海洋生物研究を着実に進展させていくためには、若手の研究人材を育成することが必要不可欠である。海洋生物研究を担う人材確保の観点からは、大学院博士課程進学者を増やすことが重要であり、長期にわたる膨大なデータに基づく研究を進めることのできる任期付きでないポストを増やすことも有効と考えられる。また、研究プロジェクトの実施にあたっては、幅広い分野から積極的に若手人材を登用し、研究実績を積むように促すことが重要である。併せて、海洋国家である我が国が、国際連携プロジェクトを主導し、持続可能な海洋の利用と保全に関する議論や国際的なルールやガイドラインの作成にもつながる海洋生物研究を積極的にリードしていくことは、国際的に活躍できる人材の育成にも寄与するものである。さらに女性の活躍も期するべきであり、博士課程への進学、研究職・専門技術職への就労の促進を図るとともに、大学・研究機関・職場の環境の整備を進める必要がある。例えば、妊娠・育児期間中のフィールド調査や乗船による観測等への支援の在り方を検討する必要がある。また、女子学生に海洋生物学研究の現場を伝えるなどの活動により、女性研究者・技術者の比率を上げるための検討も必要である。
 研究者の養成に加えて、船上での海洋観測や生物資源調査の支援を行う専門技術者の養成も求められている。人材育成には、大学・水産高校の練習船及び研究船並びに沿岸に設置されている臨海・水産実験施設の利用促進が重要な役割を果たしており、それらの適切な維持が必要である。また、将来の海洋生物研究の担い手となる人材の確保のため、小・中・高等学校等において、海洋生物研究の先端的成果に触れる機会の提供も重要である。加えて、大学・大学院教育においては、海洋に関する自然科学と技術工学のみならず、国際海洋法や海洋政策などの海洋社会科学も含め、学際的に海洋リテラシーを高めていく機会が必要である。さらに、海洋のSociety5.0の実現のために、水産業をはじめとした海洋関連産業(海洋研究を含む)に携わる情報技術者の養成が必要であり、大学等においてIT技術を海洋分野の教育研究に導入することも重要と考えられる。
 海洋の持続的利用の実現のためには、海洋関連産業等に従事する者だけでなく、海洋の持続的発展教育(ESD)の観点から、国民に研究成果を分かりやすく伝えるアウトリーチ活動の推進も重要である。水族館や博物館等の社会教育施設が教育普及に寄与し、人材育成や社会への普及啓発において重要な役割を果たすとともに、地域の観光資源としての役割も大きくなっていることから、地域連携の推進も重要である。また、国民の祝日である「海の日」などを利用して、研究船を含む海洋関連施設の一般公開や種々の催し、海の文化遺産などの活用も積極的に推進すべきである。このため、この分野において研究する者それぞれが、高い意識を持って、研究成果を追求し、これを広く社会に発信していくことが必要である。
 また、研究の推進に当たっては、地域との協働が重要である。東北マリンサイエンス拠点形成事業では、地域のニーズをくみ取りながら、大学、自治体、企業、漁業関係者が協働して地域に根差した事業を推進し、大学と自治体が連携協定を締結するなど、地域との合意形成のもと、研究成果の社会実装も進展した。こうした好例を参考に、地方自治体や漁業関係者等の関係者と研究者が一体となって研究に取り組むことで、海洋生物資源に関して得られた科学的知見を、地域の水産業等に還元するとともに、漁業関係者・住民等が観測に関わりを持つような仕組みを作り、データの提供を受けた研究者が、付加価値の高い情報をフィードバックするようなサイクル作りが効果的である。このような地域に根差した取組は、モデル地域を絞りながら試行し、有効性の確認と展開に関する戦略を十分に検討する必要がある。本格的な社会還元に向けてその取組を国内に展開するとともに、広く海外に発信していくことが重要である。

(7)海洋生物がもたらすイノベーションの創出に向けて

 陸上に比べると、海洋は未知の遺伝資源の宝庫である。海洋生物には分析しても機能を特定できない遺伝子が多く残されている。効率的に新たな機能を推定する手法を構築し、これを用いてデータを追加しながら、不明な遺伝子の正体を明らかにしていくことで、今後も未知の有用な遺伝資源が発見されることが期待される。中でも深海や熱水噴出域、深海底下の地殻等の従来生物が生息していないと思われていた極限環境に生息する微生物等が有する特殊な機能を活用することにより、医療、製薬、食品、環境、エネルギー等の幅広い分野で新たなイノベーションが引き起こされる可能性を有している。
 SDGsを意識したイノベーションの創出も重要である。10~20年後を見据え、場所の確保や気象の激甚化や水温上昇への対応、環境負荷の低減のため、沖合での養殖や無給餌養殖等の養殖技術の高度化、さらにはこうした技術の社会実装を可能とする養殖人材の育成も検討していく必要がある。また、環境改善をしていくための素地として、沿岸環境の劣化を生態学的に指標化し、国際基準を作ることによって、企業の環境保全に向けた取組が可能となる。海洋生物・遺伝資源の研究開発については、極限環境へのアクセス手段、サンプルの培養・保存技術、ゲノム解析技術、バイオインフォマティクス等様々な技術が組み合わさり、また、社会実装へ向け、産業への橋渡し、知財管理等が必要となる。次世代シーケンサーや人工細胞技術に代表されるような新しい技術の発展に伴い、海洋生物・遺伝資源の新しい応用展開が期待される。
 オープンサイエンスという言葉に集約されるように、工学や情報学、人文社会科学など異分野の研究者との共同研究を積極的に行い、従来とは異なるアプローチで課題解決に取り組むことで、それまで想定できなかったようなイノベーションが引き起こされる可能性があり、海洋生物・遺伝資源は、海洋分野に限定することなく、異分野における技術発展により、利用されていくべきものである。
 海洋生物に関する研究は、個別の機関に閉じるのではなく、広く関係機関と連携し、我が国の総合力を活かす仕組み作りを併せて検討する必要がある。特に、海洋へのアクセス手段やスーパーコンピュータ等の計算機資源をはじめとして、研究開発のための多様な資源を有する海洋研究開発機構などの海洋研究開発に携わる国立研究開発法人においては、我が国の海洋研究全体の研究成果の最大化を図る観点から、イノベーションを引き起こすハブとしての役割を強化していくことが求められる。加えて、科学技術振興機構等が有するファンディングの機能と有効に組み合わせること等についても検討すべきである。

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