第一章 日本の人文学及び社会科学の課題

 人文学及び社会科学の学問的特性や役割・機能を明らかにし、施策の方向性を示す前提として、日本の人文学及び社会科学が抱えていると思われる諸課題を三点指摘しておきたい。第一は、研究水準に関する課題、第二は、研究の細分化に関する課題、第三は、社会との関係に関する課題である。
 ここでは、これらの課題に入る前提として、その背景にある歴史的な問題について、一言触れておきたい。それは、日本の近代化の過程において、欧米の「学問」を受容した際の歴史的な経緯の問題である。
 日本の人文学及び社会科学には、西欧起源の人文学及び社会科学を受容・継受した、いわゆる「輸入」をしたという歴史がある。そして、その際、特に重要なことは、その時期が、欧米において「学問」が概ね専門分化を遂げた直後の十九世紀後半であったという事実である。即ち、日本が受容した欧米の人文学及び社会科学とは、知全体としての総合性や体系性を保とうとする「学問」というよりも、専門分化を遂げた「個別科学」であったのである。おそらく、このような歴史的な経緯が、その後の日本の「学問」の在り様を規定していると考えられる。このことは、「サイエンス」の訳語として、専門分化を前提とした「科の学」としての「科学」という日本語が当てられたということにも現れていると言ってよい。
 このように、専門分化を遂げた「個別科学」を受容・継受したことが、いわゆる「輸入」という性格と相まって、日本の人文学及び社会科学の展開の中で、人間、社会、歴史、文明といったものを俯瞰しつつ総合的にとらえるといった視点を確立することを結果的に阻害する要因として作用した可能性を考えることができる。この問題は、一種の歴史的な宿命と言わざるをえないものであり、いかんともしがたいものではあるが、日本の「学問」の在り方を考えるに当たり、踏まえておくことが必要な視点と考えられる。

第一節 「研究水準」に関する課題

(1)独創的な研究成果の創出

 近代化の過程で、日本が欧米の「学問」を受容したという歴史的経緯は、人文学を含む日本の「学問」の在り様を規定し、その影響は今に至るまで継続していると考えられる。その影響の結果として、欧米の学者の研究成果を学習したり紹介したりするタイプの研究が、日本において有力な研究スタイルとなってしまっており、このことは日本の人文学及び社会科学が克服すべき大きな課題になっていると考えられる。
 例えば、日本の哲学研究は、百数十年間、「西洋思想史」の研究に必死に取り組んできた。西洋の偉大な哲学のテキストについて、まず言語を学ぶことから始め、クリティークを精緻に行い、草稿、マニュスクリプトまで丁寧に読み込むことを通じて、「西洋思想史」を正確に理解するという営みを続けてきた。もちろん、このことは学問の受容という観点から重要なプロセスであり、その後の日本の哲学の展開のために重要な知の営みであったと評価することができる。ただし、問題は、それはいわば「哲学学」ではあっても「哲学」ではないというところにある。

(2)歴史や社会に根ざした研究活動の展開

 欧米の学者の研究成果の学習や紹介が中心となったという歴史的経緯のためか、日本の歴史や社会に必ずしも根ざしていないような形で研究が成立してしまっている場合もあると考えられる。
 例えば、本来、「哲学」とは、社会的な言説が生成するその場所に関わって営まれる知の活動である。欧米の哲学者であれば、「自由」、「法」、「権利」といった概念が形成される社会の現場において発言し続けてきたと言ってよい。また、現在でも、社会のオピニオン形成の場であるジャーナリズムや、初等中等教育に対しても深く関わっていると言ってよい。このような観点から見ると、日本の哲学研究は、ある哲学者の思想の文献学的研究に始まり、思想史の文脈の中での位置付けを行い、そして、研究対象とした哲学者の著作の解釈を更新していくことにほとんど全てのエネルギーを注ぎ込んでいるという状態にある。また哲学教育にしても、思想史研究としての哲学研究の専門家を養成することに専ら関心があり、社会の中で活かしうる哲学的思考を育むという関心はあまりないように思われる。
 もちろん、「受容」といっても、例えば、政治体制や社会制度の近代化といった欧米と共通の課題もあるのであり、ある程度は不可避ではある。また、歴史や社会に根ざすと言っても、昭和の一時期「日本政治学」の試みがあったが、こうした独自性はまた別の問題を持っている。そして、いわゆる「国文・国史」と言われる分野は、欧米の学問とは異なる学の伝統を持っており、ここで指摘しているような問題は当たらない分野である。
 このように、全てに当てはまるということではないが、欧米の「受容」ということにとどまることなく、日本の人文学者や社会科学者が自らが置かれた歴史や社会と直接向き合った上で学問を展開していくということが求められる段階に至っているのではなかろうか。

(3)日本で創造された知への関心の低下

 近代化の過程で欧米の「学問」を受容する中で、明治以前において日本で創造された知に対する関心が、アカデミズムにおいても、また一般社会においても、低下しているようである。これは、ある意味、歴史のプロセスの中で日本人が自ら選びとったということになるのかもしれないが、その結果、明治以前の日本の「学問」としてのいわゆる「和学」を継承しうる学問領域が狭まってしまった。おそらく今では、いわゆる「国文・国史」という学問分野においてのみ生き残っているという状態になっている。
 後にも触れることになるが、このことは、日本の人文学者及び社会科学者が、暗黙のうちに前提としている知恵、発想、工夫といった日本における知の伝統や文脈に対して、あまり自覚的ではなかったということを意味しているのかもしれない。

第二節 「研究の細分化」に関する課題

 先に述べたとおり、日本が受容した欧米の人文学及び社会科学とは、知全体としての総合性や体系性を保とうとする「学問」というよりも、専門分化を遂げた「個別科学」であったのである。おそらく、このような歴史的な経緯が、その後の日本の「学問」の在り様を規定し、その影響は今日に至るまで継続しているのではないか、という指摘がある。
 そもそも、人文学や社会科学に対する社会の側からの期待とは、個別的な実証研究の積み上げだけではなく、「『人間』とは何か」、「『歴史』とは何か」、「『正義』とは何か」といった文明史的な課題に対する「枠組み」の創造にある。ここで「枠組み」とは、文化集団や社会集団において共有されうるような基本的な「価値」を含んだ諸概念の体系であり、これは、歴史や社会における「対話」(又は「対話」の結果としての「選択」)を経て、そこに共通の了解を促していくという意味で、ある種の「普遍性」を獲得する潜在的な可能性を有するものと言ってよい。

 しかし、一方、日本において、人文学や社会科学が、これら「枠組み」の創造という役割・機能を果たしていくためには、あまりにも研究分野や研究課題の細分化と固定化とが進みすぎてしまっているのではないか、という指摘もある。もちろん、「新しい世界像」といった「枠組み」の創造の前提には、個別的な実証研究の積み上げが存在しており、これを着実に推進していくことも重要ではある。しかし、このような人文学や社会科学に対する期待に応えるという観点から、研究の細分化が克服され、「歴史」や「文明」を俯瞰することのできる研究への取組がなされることが、大いに期待されている。

第三節 学問と社会との関係に関する課題

 
論点 日本の人文学及び社会科学が抱える課題が他にないか。
 これまでの審議を踏まえると、日本の人文学及び社会科学が抱える課題として、他に考えられるものとして、例えば、以下のような課題が考えられるがどうか。

○学問と社会との関係に関する課題ついて
  •  法学や会計学など、社会科学の中でも専門性の高い実務の「知」との交流が不可欠な分野では、学問が社会との関係を維持していくことが、学術上も重要な意味をもつと考えられる。
  •  学問が実感を持って社会の支持を得られるかということが、振興を図る上での鍵になるのではないか(学問の社会的な存在意義)。

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